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走れ!バカップル列車
第18号 特急日光号



   一

 日光と言えば、ある記憶がよみがえる。
 まだ妹も生まれていないころだ。私は二歳だったろうか。たぶん上野発の列車だったと思う。湘南色(緑とオレンジのツートンカラー)の電車に乗って、家族三人で日光に出かけた。駅の売店でおねだりして「車掌さんセット」を買ってもらったのが、うれしかった。幼い頃の数少ない楽しい思い出である。
 なぜ、上野から湘南電車に乗ったのだろうか。母から聞いた記憶によると「本当は東武で行きたかったんだけど、切符が取れなかったので国鉄で行くことにした」ということらしい。
 東京から日光への鉄道は、浅草から向かう東武鉄道と、上野もしくは湘南方面から宇都宮経由で向かう国鉄とがあった。
 両者のサービス、スピードをめぐる競争が華やかに繰り広げられていたのは、戦後においては、東北本線・日光線が電化された昭和三十四年から東海道新幹線開業の昭和三十九年ごろまでと言われている。
 東武の電車特急に対抗させる形で、国鉄が特急クラスの設備と性能を備えた157系電車を新製し、料金は安い準急列車「日光」として運転を開始すれば、東武はデラックスロマンスカー1720系電車を導入してこれに応酬した。
 ところが東武優勢の兆候をみた国鉄は「日光形」とも呼ばれた157系電車を次第に東海道線特急列車として使うようになり、昭和四十五(一九七○)年には157系はついに誕生の地、日光線から姿を消してしまう。代わりに日光行き電車として走ることになったのは165系という急行形の湘南電車。四人がけのボックスシートは、二人がけロマンスシートの157系に比べれば設備面でやはり劣る。これがさらに国鉄の乗客減を加速させ、それ以降、日光への旅は東武の一人勝ちとなる。
 幼い私が日光へ出かけたのはおそらく昭和四十五年ころだったろう。
「本当は東武で行きたかったんだけど、切符が取れなかったので国鉄で行くことにした」という母の言葉は、そんな時代背景をも物語っている。
 国鉄がJRとなっても、東武の一人勝ちは続いたが、近年ではJRはおろか東武すらも勝てない、誰も勝っていない状態になっていた。
 東武鉄道の日光方面の乗客は一九九○年の二百四十三万人をピークに減少しているという。国際的な観光地としての日光が凋落したことが大きい。現に東武特急スペーシアのほとんどは鬼怒川温泉行きであり、東武日光行きはごくわずかになってしまった。その鬼怒川温泉も団体客の減少に悩んでいる。東武は特急料金を曜日や時間帯によって割引したり、途中停車駅を増やしたり、乗客数回復を狙ったが、当初の目標はなかなか達成できなかったようだ。
 東武鉄道の弱点は、特急スペーシアの始発駅が浅草であることにある。最近の賑わいの中心からみるとずいぶん東に偏っている。東武東上線は池袋始発だが、伊勢崎線・日光線とはまったく接点がない。
 JR日光線はいまやローカル線に成り下がっている。特急、快速といった列車は定期列車としては皆無であり、臨時列車が設定されていた程度である。仮に東北線から直通列車を走らせたとしても、宇都宮駅でスイッチバックすることになり、所要時間も余計にかかる。宇都宮までは東北新幹線を利用せよと言われても、乗り換えというものはけっこう不便である。
 東武鉄道の浅草〜東武日光間は、一三五・五キロ。JRの上野〜日光間は、一五○キロ。距離の面でもJRはハンデを負っている。
 さらに言えば、JRには鬼怒川温泉方面につながる路線がなく、そもそもこの方面では東武と勝負のしようがない。
 JRの新宿〜栗橋間と、東武鉄道の栗橋〜日光・鬼怒川温泉間に、直通特急を走らせようという構想は、こうした背景から生まれたと言える。

 JRと東武鉄道が、JR新宿〜東武日光・鬼怒川温泉間の特急列車直通運転を発表したのは二○○四年十月四日のことである。
 JRと東武が直通運転するなんてことは想像もしていなかったから、とても驚いた。ウソのようなホントのような話かと思った。ところが両社の利害が一致して、しかも社長同士が意気投合して決まったことのようで、構想から発表までは異例の速さだったという。
 直通特急の車両は東武はスペーシアを、JRは東北地方で活躍していた485系電車をリニューアルしたものを使用するという。運転開始は二○○六年春とされた。
 スペーシアが新宿駅に入る様子を想像するだけでワクワクする。東京西部、神奈川方面から日光・鬼怒川方面へ向かうのが格段に便利になる。需要の掘り起こしも期待できる。これが実現したらとても面白いことになるなと思った。
 直通運転のポイントは栗橋駅にある。
 栗橋は埼玉県北葛飾郡栗橋町。県北東部に位置し、利根川を隔てて茨城県と接している町である。日光街道の宿場であり、関所もあった。
 町域をJR東北本線と東武日光線が南北に走り、この栗橋駅で二つの線は交差している。プラットホームそのものは距離がやや離れているものの、ほとんど接していると言っていい。乗り換えも便利な方である。
 ここにはJR東北線と東武日光線との間を行き来する線路は敷かれていなかったが、今回両線を結ぶ連絡線を新設し、直通運転の接続駅にしようというのである。
 そのほか、車両の行き来の検証、信号装置の準備、運転手の訓練、運賃・特急料金の設定など、いろいろな準備を経て、直通特急のデビューは二○○六年三月十八日のダイヤ改正の日となった。

 三月十八日のダイヤ改正の前日、何をするでもなく家でぼんやりしていたのだが、私はまるで「お通夜」のような気分で夜を過ごした。
 寝台特急「出雲」の廃止、東海道線113系湘南電車の廃止、常磐線103系電車の廃止など、国鉄時代の名残がまた数多く姿を消してしまう、そんな夜だった。
 だから、十八日のJR・東武直通特急のデビューが唯一つの救いであった。スペーシアが新宿・池袋にやってくる。JR485系が東武日光線を走る。
 去りゆくものがあるなかで、新たに生まれるものもある。明日が来て欲しくないとも思い、来て欲しいとも思う、とても複雑な心持ちであった。



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