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走れ!バカップル列車
第16号 SL冬の湿原号



   四

 今日は三月十二日で、この時期の「湿原号」の運転は今日までである。これが今回の旅を計画する上での重要な条件にもなっていた。一日でもずれるとSLは走っていない。みつこさんはSLは初めてなので、ぜひとも乗っておきたかった。
 折り返し「湿原号」の発車まで一時間あまりあるので待合室に向かう。標茶駅の待合室はSLに乗る人が居合わせているためか、けっこう混雑している。駅には軽食コーナーもあったが、斜里で弁当を買っておいたので昼ごはんは待合室で済ませてしまった。
「湿原号」は跨線橋を渡った向かい側にある二番線に入線した。次に網走側に付いている機関車を釧路側に付けなおす「機回し」という作業をする。標茶にはSLの方向を変えるターンテーブルはないので、上り列車では後ろ向きに付けることになる。
 13時30分になり釧路行き「SL冬の湿原号」の改札が始まった。跨線橋を渡って二番線へ。一九八九年四月に廃止されてしまった標津線の記念碑を横に見ながら、後方1号車の方へホームを歩いて行く。
 列車の編成は、釧路側から機関車C11,次いで貨物列車の車掌車として使われていた小さな車両があり、その次から通常の客車になって5号車、4号車の順で1号車までつながっている。客車は電源用のエンジンを積んだ比較的新しい車両だが、2号車だけは一九五二年製造のスハフ43を改造したスハシ44で、少々異彩を放っている。この車両はカフェカーで喫茶用のカウンターが設置されているという。
「煤っぽい匂いがするね」
「SLって感じだね」
 1号車まで来ると、若いお母さんが三歳ぐらいの男の子を乗車口の前に立たせて写真を撮っている。邪魔になると悪いので待っていたら、「お先にどうぞ」と言ってくれた。
 切符に指定された座席は10番のAとBで、釧路湿原が見える方向とは反対の左側だった。四人がけのボックス席だが、ちょっと広めに作ってあって真ん中にテーブルがある。車両の端には「ノロッコ号」と同じような達磨ストーブがあり、係のおっさんがコークスをくべている。
 荷物を網棚に乗せていたら、さっきの若いお母さんと男の子が向かいの席にやって来た。
「同じ席だったんですね」
と笑う。
「遠くから来られたんですか?」
 親子は釧路にお住まいという。若いのにとても気立ての良いお母さんである。

 定刻13時50分になり、ボーッという汽笛が鳴った。汽車はゆっくり走り出し、窓の外には煙がゆらゆら漂っている。
 釧網線の線路は屈斜路湖を水源とする釧路川に沿っている。五十石を通過したあたりから釧路湿原が見えるという。そうは言っても、草が茫々と生えているだけの野原に見える。お母さんに訊いてみる。
「これ、有名な釧路湿原ってことでいいんですよね?」
「はい、それでいいと思います」
 ただただ広い雪原だが、斜里のあたりの畑に雪が積もったところとはやはり様子が違う。
 2号車に行ってみた。カフェカーとのことだが、ふつうの座席もある。喫茶のカウンターにはウェイトレスが三人いてテキパキ働いている。制服はレトロ調であるが、一歩間違えれば秋葉原にいるメイドさんのようでもある。5号車の先の車掌車に行くとネイチャーガイドなるものをしてくれるようだが、みつこさんを置いてきてしまったので、また1号車に戻る。
 茅沼に到着した。この駅はいまは無人駅だが、かつて歴代の駅長たちが丹頂鶴の餌付けをしていたそうで、いまでも運が良ければ鶴を見ることができるという。
 その矢先、車掌がアナウンスをはじめた。
「右側に丹頂鶴がご覧になれます」
 ストーブの前の空席まで行くと鶴のつがいがいるのが見えた。
 やがて鶴は軽やかなステップを踏んで二羽同時に飛び立って行った。青い空に丹頂が優雅に羽ばたきながら並んで飛んでいる。今日は運が良いようだ。
 いつまでも見ていたかったが、右に左に大きく旋回しているうちに視界から消えてしまった。
「ひろさん、よかったね」
 席に戻るとみつこさんが言う。
「見えた?」
「見たよお」
 左側に凍結した塘路湖を見て塘路着。下り普通列車と交換する。
 この付近から線路は湿原を西に見ながら東側の丘の麓に忠実にたどるようになる。丘の際が入り組んでいれば、線路もそれとまったく同じ形なので、くねくねとカーブが多い。
 ところどころ登り坂もあるようで、窓の外に黒い煙が流れてゆく。
 湿原の中には釧路川が流れ、時に凍結していて、近づいたかと思えば、林の中に隠れたりする。はるか向こうには雄阿寒岳、雌阿寒岳も小さく見えている。
 細岡を通過、釧路湿原という観光客向けの駅に停車。
 みつこさんは向かいの男の子と遊んでいる。彼は最初は眠かったのかあまりご機嫌が良くなかったが、だんだん元気になってきて、テーブルの下に顔を突っ込み、みつこさんと顔を合わせ、またテーブルの上で顔を合わせて笑っている。よほど楽しいのか、私も混ざって三人で顔を下げたり、上げたり何度も何度も繰り返している。止まらなくなったのでお母さんが呆れて言う。
「もういいっしょ!」
 お母さんの一喝で、三人とも静かになった。
 男の子は今度はみつこさんが見ていたパンフレットにある特急列車の写真を指さす。
「オホーツク!」
「うん、オホーツクだね」
「オホーツク!」
「うん、オホーツクだね」
「オホーツク!」
 パンフレットに穴が開きそうである。
 遠矢を通過すると周囲には住宅や工場が現れて、次第に町になってくる。
 根室本線と合流して東釧路に着いた。小さな駅だがここが釧網本線の起点である。
 若いお母さんと男の子の親子は、東釧路で降りるという。てっきり終点の釧路まで一緒だと思っていたので急な話である。きっとご自宅がこの近所なのだろう。
 ホームに立って、二人手を振っている。こちらも手を振る。
「バイバーイ!」
 男の子は列車が動き出して小さくなってもずっと手を振っていた。
「湿原号」は川幅が広くなった釧路川の鉄橋を渡り、定刻15時12分、釧路駅三番線に到着した。
 ホーム前方に行くと、C11の機関室周辺には大人も子供も入り乱れて群がっている。かわるがわる機関室に乗り込んだり、機関士たちと記念写真を撮っていたが、そろそろ車庫に入る時間が来たようだ。
 ボーッと大きな汽笛が鳴り響き、汽車は滑るように車庫に引き上げてゆく。
 後には、煤けた煙の匂いだけが残された。



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