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走れ!バカップル列車
第15号 急行かすが



   四

 関西本線は、名古屋からJR難波までの174・9キロの路線(この他に支線がある)である。私鉄の関西鉄道が浪速鉄道(現在の片町線の原型)や大阪鉄道の買収を繰り返しながら現在の関西本線である名古屋〜湊町(現・JR難波)間を完成させたのは明治33(1900)年といわれる。
 名古屋〜大阪間では、官設鉄道(東海道本線)と競合する形になり、特に明治35年、36年における運賃・スピード・サービスあらゆる面を懸けた競争劇は、鉄道ファンなら誰もが知ってると言っていいほどの逸話である。
 この付近の線路は現在の草津線から建設がはじまり、柘植、四日市と次第に東に延びて行くかたちで明治28(1895)年に名古屋に達した。
 桑名付近から名古屋までは、地盤が弱い上に長い鉄橋の架橋も必要で、その建設は大変な苦労を伴ったようである。鉄橋が水害を招くという不安から地域住民の反対にもあったという。
 桑名から富田辺りは近鉄名古屋線と交差するだけでなく、支線の養老線や三岐鉄道などが加わり線路が複雑に行き交う。
 やがて海側に四日市の石油化学工場群が見えてきて、広い駅の構内にはタンク車がたくさん並んでいる。
「あれ、なあに」
 みつこさんがタンク車を指して言う。
「石油を運ぶ貨車だよ。向こうに工場でできた石油を運ぶんだ」
 四日市を発車し、工場地帯を抜けると車窓は田園風景になってゆく。
 河原田で伊勢鉄道と分岐し、鈴鹿川の堤防に近づくと再び西へ方向転換して川の流れに沿って走る。左から鈴鹿川を渡って来た紀勢本線が合流すると亀山である。
 名古屋からの通勤電車が走るのもここまでで、ここから先は非電化区間である。
 関西鉄道時代、東海道本線と互角に競争したこの路線も、明治40(1907)年に国有化されてからは、あまり優等列車に恵まれなかった。亀山や現在の伊勢鉄道を経由して南紀・鳥羽方面へ向かう列車はあっても、名古屋〜JR難波(旧・湊町)間全線を直通する列車はもはや一本もない。
「かすが」という列車の登場は、昭和33(1958)年。名古屋〜湊町間の準急列車に愛称がつけられたもので、一日三往復運転された。昭和41(1966)年には急行列車に昇格したが、昭和48(1973)年には全列車が名古屋〜奈良間に短縮。昭和60(1985)年には一日一往復のみの運転となり、その最後の一往復も今春3月17日限りで廃止されてしまうのである。
「かすが」が消えると関西本線は運転系統が完全に分離される。亀山から加茂までの61・0キロはワンマンディーゼルカーの鈍行だけとなり、「本線」とは名ばかりのローカル線に成り下がる。
 亀山は09時43分着、45分発。会社がJR東海からJR西日本に変わるので運転手も車掌も交代する。
 ここから柘植までの20キロは、鈴鹿山脈と布引山地に挟まれた山岳地帯となり、俗に「加太越え」と呼ばれる。
「みちゃん」
「なに」
「ここからが見せ場だよ」
「見せ場!?」
「うん、『加太越え』っていう山越えがあるんだ」
「わかた」
 亀山の次の関付近で国道1号線は北西に別れ鈴鹿峠を越えて草津に向かうが、関西本線はまっすぐ西に進む。行く先には青く連なる山脈がそびえている。
 私は前方の景色を眺めるため運転席の後ろに立った。25パーミル(‰)の連続急勾配がはじまり、人里離れた深い山の中に入る。
 トンネルを二つ抜けて加太を通過。キハ75はエンジンをブルブル震わせて、右に左にカーブしながらゆっくり坂を登り続ける。
 SL時代に名撮影地となった大きなカーブのある築堤を過ぎ、加太と柘植のちょうど中間付近にはスイッチバック式の中在家信号場がある。この区間、本数が少なくなったとは言え、引き上げ線のレールは光っていたから信号場として現役なのだろう。
 そして加太トンネルが見えてくる。入口は石が積み上げられた古いトンネルだ。加太越えの最高地点である。
 トンネルに入り車内が暗くなる。運転席とを隔てるガラスが鏡のようになり、後ろの車内の様子が見える。座席に残ったみつこさんはどうしているか目を凝らして見たら、体を斜めに揺らして爆睡していた。

 加太トンネルを抜けた急行「かすが」は下り勾配となっても差ほどスピードを上げず、慎重に山を下る。やがて左の眼下に街並みが見えてきて広い構内の柘植に着く。
 柘植からは草津線が分岐するが、歴史の古い草津線の方が線路はまっすぐ進んでいる。こちら奈良方面の線路は明治29(1896)年以降開通した区間なので左に方向転換して西へ向かう。
 柘植川が形づくる広い谷を「かすが」は走る。佐那具を通過し、伊賀上野に停車。この辺り、かつて忍者の里とされたことと関係があるのか、街道沿いには黒い瓦の古い民家が並び、道ばたのそこここに小さな祠やお地蔵さんが点在する。
 柘植川はいくつかの川と合流して木津川となり、急行はその谷をひた走る。島ヶ原、月ヶ瀬口と通過するうちに次第に谷は深くなり、木津川はやがて岩石の河原となる。
 大河原を過ぎ鉄橋を渡ると、列車は左の断崖にへばりつくようにしながら走る。右に深い渓谷が広がり、青い水がゆるやかに流れている。
 春には桜のトンネルになるという。日本広しと言えども、車窓から直接このような景勝地を見られる区間は、そう多くはないだろう。
 ひたすら眠り続けるみつこさんを起こそうかとも思ったが、あまりに気持ちよさそうに寝ているので、ビデオカメラを回すに留めておく。これで寝台車は眠れないというのだから不思議なものである。
 笠置山を背後に控えた笠置を過ぎると、ようやく里に下りてきたという雰囲気になる。加茂からは電化区間である。「かすが」は加茂を通過するが、関西本線の運転系統はこの駅を境に大きく変わり、いま通ってきた東側はローカル線、これから通る西側は通勤路線となって、大阪方面へ向かう快速列車が頻繁に運転されている。
 木津で奈良線と片町線が合流し、関西本線はここから複線になる。
 月ヶ瀬口から木津までは京都府を走ったが、奈良県へと県境を越えると奈良盆地に入る。平城山付近は奈良市近郊のベッドタウンで大きなマンションが建ち並ぶ。そうして川を渡り、国道369号線と交差。定刻11時03分ちょうどに終点奈良に到着した。
「着いたの?」
 みつこさんが車内の様子を察してようやく目を覚ました。
「うん、奈良だよ」
 周りの乗客たちはぞろぞろと降りてゆく。荷物をまとめてホームに降りる。
「ディーゼルカーってよく眠れるねえ」
 きっかけはどうあれ、電車とディーゼルカーの区別がつくようになったことは歓迎すべきことである。
「このあとどうするの?」
「大和路快速に乗って、JR難波というところまで行こうと思うんだ」
 せっかく関西本線で奈良まで来たのだから、このままJR難波まで行って関西本線を一気に完乗してみたい。
 そして大阪に行けば、さとしくん号とおくのさんが待っている。
 奈良駅のホームで、私たちはしばらく短い二両編成の急行列車を眺めていた。
 写真を撮ろうと思ったら、「かすが」の方向幕がくるくる回って、瞬く間に標示が「回送」になってしまう。
「あれあれ?」と思っているうちに、運転手と車掌は一通りの作業を済まして手早くドアを閉める。そうしてステンレス車体のキハ75はあっという間に車庫へ向けて走り去ってしまった。



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