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走れ!バカップル列車
第14号 特急はまかぜと余部鉄橋



   四

 寺前を過ぎ、くねくねと鉄橋を渡ると谷が狭くなり山道となる。キハ181はエンジンをウーンと唸らせて山を登ってゆく。右側は草むらの崖。左に谷が見える。長谷を通過してまた橋を渡る。
 このあたりから生野までは播但線車窓のハイライトと言っていい。
 市川が刻む谷の下をくねくねと右に左にカーブしながら橋を渡りトンネルをくぐる。山の木々がやや色づき、川は渓谷を刻んでいる。
 寺前を出たところで「ここからがいい景色だよ」と言っておいたのに、みつこさんは一番いいところで居眠りをはじめてしまった。
 反対にさっきまで寝ていた隣のおっさんおばはんが目を覚ます。
「いい景色ねえ」
 やがて谷が開けてきて、高速道路をくぐり、生野峠を越えてきた国道312号をくぐると生野である。
 市川の流れは生野銀山の方向に東に曲がる。線路はさらに北上するので市川とはここでお別れとなる。
 生野の先のトンネルが播但線のサミットだ。ここで瀬戸内海側と日本海側とをわける分水嶺を越える。トンネルを抜けた先で現れるのが円山川である。
 特急は下り坂を軽快に下る。新井、青倉を過ぎて谷のへりを通り、下に田んぼと集落を見ながら徐々に坂をくだって行く。
 下り坂になると車窓を見る方も緊張が緩んでくる。ぼうっとしているうちに山陰線が近づき、和田山に着いてしまった。
 和田山発11時52分。ちょうど良い頃合いにみつこさんが起きたので、弁当を食べることにする。姫路から乗ってきた車販のおねえさんは真面目そうで垢抜けない感じだ。おねえさんから松茸弁当と城崎弁当を買って、こんどは半分ずつわけて食べた。九月に超電導リニアの試乗に出かけたとき、欲しかったチキンをぜんぶみつこさんに食べられてしまったので、その教訓が早くも活かされている。
 円山川に沿って山陰本線を八鹿、江原と進む。北近畿タンゴ鉄道を横に見ながら豊岡を出ると川幅の広くなった円山川がすぐ右に姿を現す。玄武洞を右に見てさらに走ると城崎温泉である。
 うるさいおっさんおばはんその他ほとんどの客が降りて行く。車内はがらんとしてしまった。その様子を見てみつこさんが言う。
「ここは有名なところなの?」
「うーん、温泉だからなぁ。東京の箱根みたいな感じかな」
 トンネルを抜け竹野川流域の田んぼを通り竹野停車。その先で海が見えて来る。
 海、トンネル、信号場、トンネル。海がパッと見えて、また隠れる。
 大きな集落が見えてきて香住。また山の中に入り、トンネル、海、トンネル。
 この付近、山地が海岸まで迫って地形が複雑である。大きな都市が少ないのは、こうした地形の制約も関係しているのだろう。海岸線は入り組んだ岩石海岸で、但馬松島などとも呼ばれている。青い海に兄弟のような赤い岩が浮かんでいた。
 鎧を過ぎいくつもトンネルを抜け、崖崩れよけのシェードを過ぎると列車は突然宙を舞う。
「みちゃん、余部鉄橋だよ」
「こわーい、こわーい」
 全長310メートル、高さ41メートルの鉄橋も、特急はまかぜは一瞬にして通り過ぎてしまう。
 谷を登って桃観トンネルで峠を越え久谷。そろそろ降りる準備をしなければならない。少しずつ坂を下り、列車の終点浜坂に近づく。
 浜坂に着いたら、5分というわずかな時間で13時17分発の上り豊岡行き普通列車に乗り換えなければならない。
 私たちの次の目的地は余部鉄橋である。鉄橋のすぐ脇にある餘部駅に行くには香住で降りるより浜坂から折り返した方が早く着く。乗り換え時間はギリギリだが、浜坂まで乗ってしまえば、はまかぜ1号の全区間にも乗れるので一石二鳥である。
 定刻13時12分、はまかぜは浜坂駅3番線に到着した。
 足早に乗り換える。地下道をくぐって1番線に向かい、二両編成の豊岡行きに飛び乗る。なんとか四人がけのボックス席に座わることができた。
 ワンマン鈍行列車はいま来た道を戻り、餘部駅には13時30分ごろ着いた。

 ホーム脇の細い坂道を降り、谷の下に向かう。集落があり、川が流れ、田んぼがある。橋の北側はすぐ海で、朱色の鉄橋と青い海を望むことができる。
 ここでしばらく余部鉄橋をぼんやり眺めようと思う。
 余部鉄橋は、鉄道おたくで知らない人はいないというほどの鉄橋である。
 橋の方式はトレッスル橋と呼ばれているが、要するに火の見櫓のような塔が十一本、谷間にどんどんと建っていて、その上に橋桁を架けて線路が走るというような形をしている。
 兵庫県の日本海側は山が海まで迫り、山陰線も山の上を走っているが、余部集落付近だけは小さな川が海に注いで深い谷となっている。鉄道は急勾配が苦手なので、線路は41メートルの空中を走らなければならず、このような鉄橋を建設することになったという。
 設計は碓氷峠の煉瓦造りアーチ橋で知られる鉄道院技師古川晴一によってアメリカ人技師の意見を取り入れながら進められた。鋼材はアメリカから運び込み、延べ二五万人もの作業員を動員。二年を超える大工事を経て、明治四三(一九一○)年に完成した。これに伴い山陰本線京都〜出雲今市(現・出雲市)間が開通している。当時はもちろん、いまでも櫓形の鉄橋としては日本最大である。
 私が最初に余部を訪れたのは昭和五八(一九八三)年七月、中学三年のときであった。はじめてみるトレッスル橋に魅せられ、早朝から日が暮れるまで、この鉄橋を通過する列車の写真を撮り続けた。
 東京から距離も離れているのでそう簡単に来られるところではないが、その後も何度か機会あるごとに余部に足を運んだから、私にとってここは思い出深い場所である。
 こんな鉄橋も完成から九十年を超え、間もなく百年に届くところまで来ている。
 海が近いため腐食と老朽化が進み、また強風で運休が頻繁に起こるといった理由から、早ければ来年の春には架け替え工事が始まるという。新しい橋はコンクリート製で計画されているらしく、工事が開始されれば、現在の風景は永遠に失われてしまう。
 だから今日は、余部鉄橋に別れを告げるつもりでやって来た。
「日本にも、こんなところがあるんだね」
 みつこさんが40メートル上空を眺めながら言う。
「そうだよ」
「来て良かったね」
 きっとみつこさんにとってはこれが最初で最後の余部鉄橋になるだろう。
 そうするうちに、私たちが浜坂まで乗った181系特急形気動車は、こんどは上り大阪行きはまかぜ4号となって余部鉄橋を風と共に走り抜けて行った。
 その後普通列車を二本見送り、私たちは餘部駅発16時08分の豊岡行きに乗って名物鉄橋を後にする。
 二両の赤いディーゼルカーはブルンとエンジンを震わせながら走り出す。
 海側の窓を開けて、180度の景色を目に焼き付ける。
 眼下では、若者たちが大きく手を振って列車の通過を見送っている。
「バイバ〜イ」
 声が聞こえたような気がする。みつこさんも窓から手を振った。
「バイバ〜イ」
 私も手を振った。何度も何度も振るうちに、列車は橋を渡り終え、真っ暗なトンネルに入ってしまった。



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