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走れ!バカップル列車
第14号 特急はまかぜと余部鉄橋



   一

 西宮に住むさとしくん号は私の友達である。
 この秋、みつこさんと私とで関西に行くことになったので会うことになった。
 私がさとしくん号に初めて会ったのは、いまから六年前。当時彼はまだ三歳だった。さとしくん号のお母さんであるおくのさんと私とは予備校仲間やメールなどを通じた知り合いだったのだが、その仲間たちみんなで淡路島で会ったのが一九九九年だった。鉄道好きという共通の言語があったので、おくのさんともさとしくん号とも瞬く間に仲良しになった。
 その後も私が関西方面に行くたびにちょくちょく会ったりして交流を深めていった。
 今回の私たちの旅行は、特急はまかぜに乗り、山陰本線の余部鉄橋を訪れることが主な目的だが、その前後に大阪近辺で時間を取って尼崎の福知山線脱線事故の現場と大阪の弁天町にある交通科学博物館に行きたいと考えていた。
 さとしくん号とおくのさんのご都合を伺ってみると、十一月三日の文化の日があいているとのこと。特急はまかぜと余部鉄橋は翌日に回して、まず尼崎と弁天町に四人で出かけることにした。
 東京駅08時36分発のひかり365号に乗って新大阪11時36分着。
 東海道線の新快速に一駅乗って大阪駅でいったん下車。待ち合わせまで時間があるので、昼ごはんに阪神百貨店地下一階でいか焼きを買って食べることにした。
 長い行列を並んでいか焼きとデラバンを一つずつ買ってみる。お好み焼きを薄っぺらな半分にしたようなものにイカの切り身が入っているような食べ物で、デラバンには卵が入っていた。
 店の脇の階段のところで立ち食いしたが、これだけでは足りなかった。いか焼きの店の奥の方にうどんやらラーメンやらいろいろな食べ物を売っていて立ち食いでたべるようになっている一角があったので、そこできつねうどんを食べる。大阪で売ってるうどんだが、看板には讃岐うどんとあった。薄口のだし汁がなかなかうまい。
 その場所はいかにも大阪の下町といった雰囲気で、おっちゃんやおばちゃんがせわしなくカレーライスやラーメンを食べていて、独特の雰囲気を醸し出していた。この勢いに、デパ地下に強いはずのみつこさんもたじたじの様子である。
「ふつうのデパ地下と違う」
 おっちゃんとおばちゃんに圧倒されるがままのみつこさんが唯一発した言葉であった。

 いか焼きとうどんを食べた後、途中の地下街で花を買って、大阪駅の6番ホームに来ると、ちょうど13時14分発の福知山線新三田行き普通列車がやって来た。さとしくん号との待ち合わせは塚口駅に13時半の約束なのでこの電車がちょうど良い。尼崎を過ぎ、事故現場をゆっくり通過して塚口には13時26分に着いた。
 さとしくん号とおくのさんはすでに塚口駅の改札前に到着していた。
「ひろともさん!」
「さとしくん、ひさしぶり!」
 さとしくん号はもう小学校四年生で、背は私の肩ぐらい、足は二十四センチもあるという。二人とも元気そうで何よりである。
 四人でぷらぷら歩いていくことにした。途中、雨がぱらぱら降ってきたがかまわず歩いていたらやんでしまった。二、三十分歩いて現場であるマンションに着いた。
 前の道ではガードマンが交通整理をしていて、JR西日本の社員とおぼしきスーツ姿の男の人が何人か立って献花に訪れる人たちに敬礼している。
 四月二十五日に起きた脱線事故について改めて説明する必要はないと思う。
 現場のマンション脇には工事現場を取り囲むときに使われる黄色い仮設のついたてで作られた通路ができていて、マンションには勝手に立ち入れないようになっている。その通路を北に回り込んで歩いて行くと南側の衝突現場に向けられた献花台がある。ここにもスーツ姿の男の人が何人か立って無言で敬礼している。テントの下の大きなテーブルには、献げられた花々が山のように積まれている。
 さとしくん号とおくのさん、みつこさんと私、それぞれが花を献げた。
 実はさとしくん号は以前にもここを訪れ、「ほかに誰もしてくれないから」と事故に遭った207系電車を供養したのだという。
 私たちも花を献げつつ、亡くなった百七人と207系電車の魂を弔った。
 そうしている間にも脇の線路には頻繁に列車が通過する。窓側にいる乗客の多くが、車内からこちらのほうをじっと見つめている。マンションのコンクリートむき出しになった柱の傷が生々しい。
 新しく祀られた黒いお地蔵さんを遠くからお参りして、この事故現場を後にした。



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