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走れ!バカップル列車
第11号 湘南電車



   四

 小田原〜熱海間は箱根の火山が相模湾に迫り急激に落ち込むところで、平地がほとんどない。必然的に線路はトンネルを掘って山をくぐるか海の見える崖の中腹を走ることになる。そんな地形の制約のために、特に早川と真鶴の間は海がとてもよく見え、ここからの眺めは神戸まで続く東海道本線沿線風景の白眉と言っていい。
「みちゃん、小田原だよ。ここから海が見えるよ」
 寝ているみつこさんを揺り起こす。
「うーん……」
 ようやく目を覚ますが、しかめっ面をしている。みつこさんは直射日光に弱いのだ。ブラインドは半分まで下ろしているが、ぜんぶ下ろすと外が見えなくなってしまう。
「すまんのう」
「いいんだ」
 早川を過ぎると海が視界に飛び込んでくる。一番海側には西湘バイパスと国道135号線が並んでいるが、どちらも激しい渋滞である。
 トンネルをくぐり、抜けるとゆるやかにカーブした鉄橋を渡る。小さな入江に家がひしめき合うように並んでいる。電車から見るとまるで箱庭のようだ。トンネル、海、またトンネルを繰り返す。
 窓一面が海と空になった。線路は海まで迫る崖っぷちにあり、眼下に相模湾が広がっている。
 モーター音も軽やかに、113系湘南電車は風を切って走り続ける。波が岸辺に打ち寄せている。夏の太陽が白くまぶしい。
 根府川を出るとすぐに鉄橋を渡る。白糸川橋梁、通称「根府川の鉄橋」である。トラスと呼ばれる鉄骨が線路の下側に組まれた形なので、橋を渡る列車が良く見え、昔から列車の名撮影地として知られている。川は深い谷を刻んでいて、下を見ると目もくらむような高さだ。
「みちゃん、ほら、高いでしょ」
「ほんとだ。たかい、たかーい」
 その鉄橋もあっという間に過ぎて、またトンネルに入ってしまう。
 電車は再び崖っぷちを走るが、線路脇に茂みがあって、海はちらりちらりとしか見えない。
 みかんの木がそこここに植えられている。そういえば「湘南色」がみかんの色とみかんの葉の色だというのは後づけした宣伝文句だという説がある。元国鉄技術者が証言したとかで、実際はアメリカのグレート・ノーザン鉄道の特急エンパイヤビルダーをヒントにしたそうだ。その証言者は黒岩保美氏とも星晃氏ともいわれるが、少なくとも私が幼かった頃は聞かれなかったことで、ちょっと不思議な話である。
 二キロ弱のやや長いトンネルを抜けた。
「あ、すれちがうよ」
 進行方向を向いて座っているみつこさんが言う。すぐに上り電車とすれ違った。
「よくわかったね」
「みえたんだ」
 真鶴に着くと反対側のホームに伊豆急の電車が通過した。「リゾート踊り子」号だ。
「あれなあに」
「リゾート21ていう電車だよ」
 わずかに広がる平地の脇を大きなカーブを描きながら電車は走る。
 湯河原では、海水浴に行くのかノースリーブのシャツを着た若い女の子たちが降りて行く。
 温泉街を見ながら線路は再び左にカーブする。十五両、長さにして300メートルもの編成なので、自分の乗っている列車の後ろの列がよく見える。オレンジとグリーンのラインが遙か彼方まで続くさまは圧巻だ。
 ところがそうしたシーンをビデオカメラに収めようとするとすぐトンネルに入って、タイミングを逸してしまう。うまく行かないので、いつかもう一度一人で来ようかとも思う。
 全長約三キロの泉越トンネルを抜け、伊豆山の麓を走ると温泉旅館のビルが増えてきて、09時42分、終点熱海に到着した。

 熱海には来たが特に用事はないので、すぐに引き返す。
 帰りは10時14分発の上り東京行き826Mである。車両は最新型のE231系である。新しい電車は気持ちが良いが窓は開かないし、ブラインドもない。四人掛けのボックス席に座ったが座席の幅が113系より心なしか狭い。
 大磯には10時57分に着いた。小さな駅舎の改札前に妹ゆかがいた。
「おお、ゆかさん」
「おお、みつこさんにひろさん。ゆうちゃんはどこにいるんだろうね」
 駅前には小さなロータリーがあって木が茂っている。駅舎といい駅前の雰囲気といい、小さいながらも別荘地らしく格調高いつくりである。
 そのロータリーの一角に白いクルマが停まっていて、ゆうちゃんが手を振っている。
「おおおおお!」
「ゆうちゃん、久しぶり!」
 四人揃って口々に言い合う。
 ゆうちゃんは私や妹ゆかと歳が近いこともあって、ちいさな頃からよく一緒に遊んでいた。とても話が愉快なのでゆうちゃんの周りはいつも笑顔があふれている。五年ほど前にさとしくんと結婚して大磯に引っ越してきた。
 海水浴場の脇を通って、潮風薫るゆうちゃんの家に着いた。モダンなデザインの大きな一軒家である。
 ゴルフの練習から帰ってきたさとしくんもいて、みんなでゆうちゃんお手製のカレーライスをいただく。
 女が三人集まっただけでも賑やかであるが、さとしくんもなかなか話し上手で、カリブ海で鮫に襲われた話など、聞いてるだけでもゾクゾクした。
 楽しい時間は瞬く間にすぎて、あれよあれよと夕方になった。また大磯駅まで送ってもらい、東海道線で帰ることにする。
 次の東京行きは18時32分発の922Mである。113系のようなので最後の記念にグリーン車に乗ることにした。三人で乗ろうとしたが、ゆかは藤沢までなので普通車に乗るという。
 グリーン車には新型ステンレス製の二階建て車両と湘南色の旧型車両とが二両連結されている。私たちはもちろん旧型のサロ110形の方に乗った。
「みちゃん」
「なに」
「ビデオがうまく撮れなくてさぁ。もう一度熱海まで行こうかと思ったんだけど、やっぱいいや」
「うん」
「カメラを通して見た海と自分の目で直接見た海じゃ、大きさが断然違うんだ。目で見た海の方がはるかにでっかいんだ。自分の目であんなにすばらしい景色を見られたんだから、あれでいいんだって思ったんだ」
「そうだね」
「あ、みちゃん!」
「なに」
「富士山」
「え?」
 夕焼け空を背に、三角形の稜線が薄紫色に鮮やかに浮かび上がっている。
 西の空に佇む富士山のシルエットは神々しく、つい見とれてしまうが、大きなビルが出てきてすぐに向こうに隠れてしまった。



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