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走れ!バカップル列車
第11号 湘南電車



   一

 大磯に住む従妹のゆうちゃんの家に遊びに行くことになったので、湘南電車に乗って行こうと思う。
 大磯町は人口約三万人、面積約17平方キロメートル。神奈川県南西部に位置し、温暖な気候と美しい海と山に恵まれた小さな街である。明治一八(一八八五)年、陸軍軍医総監松本順(松本良順)が大磯の照ヶ崎に日本最初の海水浴場を開き、そのころから別荘地として注目を浴びるようになった。明治の頃から伊藤博文、岩崎弥太郎など政治家、財界人たちが別荘を構え、ずいぶんな賑わいを見せたという。昭和には島崎藤村が移り住んだことでも知られる。
 このことだけでも大磯を由緒正しい住宅地・別荘地と語るのに充分であるが、それだけでは終わらない。
 大磯は湘南という地名の発祥の地なのである。
 もともと神奈川県南部を相模国南部という意味で「相南」と呼んでいたのだが、江戸初期の崇雪という風流人が中国湖南省洞庭湖に注ぐ湘江南岸に見立てて「湘南」と命名したのがはじまりだという。この崇雪が建てた鴫立庵(しぎたつあん)という草庵には「著盡湘南清絶地」(「湘南はすばらしいところであると記す」という意味)という石碑がある。「湘南」の文字を確認できる最古のもので、大磯が湘南発祥の地とされる根拠となっている。
 大磯が湘南発祥の地というと、首を傾げる人もいるかもしれない。石原裕次郎とかサザンオールスターズとかのイメージから、江ノ島や逗子、茅ヶ崎あたりを湘南と考えることも多い。
 たしかに明治中期までは大磯周辺ないし神奈川県南西部を湘南と呼んだ。相模川東部の茅ヶ崎あたりを「湘東」と呼ぶこともあった。それなのに神奈川南東部も湘南と呼ぶようになったきっかけは徳富蘆花の「湘南雑筆」(明治三十三(一九〇〇)年)だという。「湘南雑筆」は逗子に住んだ蘆花が近隣の四季折々の様子を綴ったものであるが、新聞に連載されたために湘南の名が広く知れ渡る結果となった。
 いまでは湘南は神奈川県南部相模湾一帯を漠然と指す地域名として定着し、もはやブランド化している。一九九四年に新設された自動車の湘南ナンバーも大変な話題を呼んだ。
 湘南ナンバーはともかく、大磯に湘南電車に乗って行くということは、まさに湘南発祥の地に湘南電車で行くということで、私はとても由緒正しいことなのだと思うのである。

 ところが困ったことがある。
 バカップル列車は一つの列車の始発から終着まで乗り通すことを勝手なルールとしているので、東京駅から乗ったとしたら終点まで乗らなければならない。
 湘南電車に大磯行きはない。平塚とか国府津とか中途半端なところで降りるのも嫌だ。ではどこまで行くのがいいのだろう?
 湘南電車が最初に東海道線を走ったとき、その運転区間は東京から沼津までと伊東線の伊東までであった。そう考えると沼津か伊東まで乗るのが一番良いのだが、現在沼津行きと伊東行きは極端に少ない。
 時刻表を見てみると東海道線下り沼津行きは早朝に二本、夕方以降に七本あるだけである。沼津まで行ってしまうとその後大磯に戻るのが大変になる。大磯には遅くともお昼までに着いておきたい。早朝ならば間に合うが、あまりに早すぎるのも困りものである。
 伊東行きも午前から深夜にかけて九本運転されているが、大磯に着く時間を考えるとちょっと難しいと言わざるを得ない。
 東京駅を発着する東海道線(「東海道線東京口」と呼ぶことが多い)の普通電車でいまもっとも多いのが小田原行きと熱海行きである。国鉄時代、湘南電車といえば沼津行きであったが、国鉄が分割民営化されて熱海を境にJR東日本とJR東海に分かれてからは、沼津行きがどんどん減って、代わりに熱海行きや小田原行きが増えることになった。だから現実的にはこのどちらかで手を打つよりほかないであろう。そうは言っても小田原行きではまだ中途半端な感じであるし、海がよく見えて景色の良い小田原〜熱海間を通らないことになってしまう。
 結局、熱海まで行くのがいいんじゃないかと思う。
 そこまで考えて、みつこさんにもこの話を伝えることにする。
「みちゃん」
「なに」
「ゆうちゃんち、いく日なんだけどさぁ」
「うん」
「熱海に行こうかと思うんだけど」
「ええ? 熱海!?」
 やはり、驚かれてしまった。
「なにしに行くの?」
「いや、なにもしないけど」
 みつこさんは、不思議そうな顔をしている。それで、いままで考えてきたことを順番に話してみた。
「ゆうちゃんとこには間に合うの?」
「まっすぐ行くより、だいたい二時間早く出るって感じかなぁ」
「そう」
 なんだか力無く答えている。
「別の日にまた熱海に行くより安上がりだから」
「わかったよ」
 もはや、みつこさんは諦めの境地に達してしまった風である。



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