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走れ!バカップル列車
第10号 五能線鈍行列車と秋田新幹線こまち



   四

 手許に一枚の葉書がある。

  暑中お見舞申し上げます
  東京も秋田も梅雨明けと共に35度以上の
  猛暑で天気予報を見る事さえつらい
  毎日です。 この度は私の店の開店につき
  色々と、お心づかい下さいまして 大変助かりました。
  三日から秋田は竿燈がはじまります。いつか必ず秋田に
  来て下さい。お待ちしております。
  息子もお世話になっていると思います。
  重ねて御礼申し上げます。
  これからもどうかよろしくお願い致します。お身体大切に。

 三年前の八月、私と妹ゆかがしのぶ先生のお母さんからいただいたものだ。
 秋田市内でスナックを開くことになったお母さんにささやかなお祝いを贈ったことへのお返事であった。
 葉書をいただいて一度はお店に伺うつもりではいた。それでもなかなか行けないまま一年が過ぎ、ようやく一昨年の八月、竿燈祭りに合わせて私と妹ゆかとで訪れることになった。最初に「ふたりの北東北きっぷ」を使ったのはこの時だった。
 スナック訪問の前に、しのぶ先生と三人で竿燈を見に行った。提灯がたくさん並んだ竹竿を一人の人間が立てて練り歩く。
「どっこいしょー、どっこいしょ」
 掛け声をあげながら、ゆらゆらと進む提灯の列。
 なんであんな重たくてふらふらしたものを、手のひらや肩やおでこに乗せて立たせることができるのだろう。腰なんて、ひっかけるところなどなさそうなのに、なぜか平気で立っている。
 ずっと見ていると宙に浮いた竿燈の下に人間がただくっついているだけのようにも見えてくる。
 そうして興奮さめやらぬ状態で私たちはスナックへ向かった。お母さんは店の前で私たちを待っていてくれた。
「ゆうこ」というその店で、おいしいお酒とお母さんの手料理をごちそうになった。時間を忘れて夜更けまで店に居座ってしまった。
 しのぶ先生のお母さんは癌だった。手術を終えてだいぶ回復し、お店も再開したということだったので、お見舞いの意味も込めてお邪魔したのであった。その夜は病気をされたのが嘘のようで、愉快な話をたくさん聞かせていただいた。
 東北の夏は短かかった。その秋、お母さんは帰らぬ人となった。
 あれから二年が経とうとしている。

 翌二○○五年六月十三日の朝、私たちは再びしのぶ先生と合流した。
 まず駅近くの市場に行く。新鮮な農産物、海産物がたくさん並んでいる。赤貝やウニをその場で食べたりして楽しく寄り道しつつ、私たち三人はここで花束を買った。
 その花を持って、こんどは大町のとあるお寺に向かう。
 ここにしのぶ先生のお母さんが眠っている。十年以上前に亡くなったお父さんも一緒にいる。
 左右にきれいに花を飾って線香を焚き、お参りをする。
 のどの奥に引っ掛かっていた小骨がようやく取れたような気がする。
 秋田駅に戻ってきたのは11時半頃であった。予定していた秋田新幹線「こまち18号」より一本前の列車に乗れそうだったが、思い直して駅横のホテルにある「料亭 濱乃家」で早めのお昼を食べることにした。「濱乃家」は、昨日の夕方、コース料理があまりに高いということでやめたところである。夜は高くても、昼なら手が届くだろう。
 しのぶ先生は招華堂弁当、みつこさんと私はきりたんぽ鍋と稲庭うどんを注文する。
 和服のおばさんが隣のテーブルにコンロと鍋を持ってきて野菜やきりたんぽを煮始める。煮えたところを取り皿に分け、三人のところに持ってきてくれた。
 ここのきりたんぽは、ご飯のつぶがきちんと残っていて表面がカリカリしている。「濱乃家のきりたんぽが本物に一番近い」としのぶ先生が断言するだけのことはある。きりたんぽはもともとが家庭料理で、作るのにとても手間暇がかかり、料理店で本物を出すのはとても難しいのだという。
 昨日チェーン居酒屋で、
「きりたんぽ食べるの初めて」
とみつこさんが言っていたのが気になっていた。このままではきりたんぽのイメージが間違ったものになってしまう。
 みつこさんに濱乃家のきりたんぽを食べてもらえて良かった。実は濱乃家のきりたんぽは私も初めてだったから、二重で良かった。
 そうして「こまち18号」東京行きに乗り込む。しのぶ先生も見送りに来てくれた。ホームで一人、変な踊りを始めている。
 青空になった。12時57分、定刻発車。手を振るしのぶ先生の姿がだんだん小さくなって見えなくなった。

「こまち」はやがて街をはずれ、田んぼの中を加速する。
 秋田新幹線は、山形新幹線に続いて一九九七年に開業したミニ新幹線である。在来の田沢湖線(盛岡〜大曲間)と奥羽本線の大曲〜秋田間を新幹線の線路幅と同じ1435ミリに広げて、東北新幹線と直通運転できるようにしたものである。
 営業上「新幹線」と呼ばれているが、あくまで新幹線と直通運転する在来線であって正式な新幹線鉄道ではない。最高速度も時速130キロであり、踏切だってある。
「ひろさん」
 みつこさんが話しかけてくる。
「さっきから不思議に思ってたんだけどサ」
「うん」
「どうしてみんな後ろ向きに座ってるの?」
 特急列車の座席は、ふつう進行方向に向かって固定されているが、この「こまち」は座席が進行方向に背を向けた状態である。
「あ、気づいた?」
「なんで〜?」
 もちろん私は理由を知ってるが、とぼけてみた。
「なんでだろうねぇ」
「スイッチバックだから?」
 驚いた。すんなり正解である。
 みつこさんは決して鉄道おたくではないが、門前の小僧と言うのか、私の話につきあわされている間に知識の応用ができるようになってしまった。たしかに次の停車駅大曲でスイッチバックするため、秋田〜大曲間だけは座席が後ろ向きなのである。
 その大曲に着いた。3分停車して逆方向に走り出す。
「どういうスイッチバックなの?」
 大曲のスイッチバックは箱根登山鉄道のような登坂用のものと違い、線路の敷設方向によるものである。田沢湖線が大曲で奥羽本線に接続する際、北側から線路を敷いたので、盛岡〜秋田間を直通するときは進行方向を変えなければならない。
「あっちから走って来たんだよ。あれが秋田へ向かう線路」
 左へレールが分かれてゆく。
「あ、ホントだ。わかった」
 難問が解決し、前向きに進むようになったので眠くなってしまう。
 うとうとした目で青く澄んだ渓流を見て、トンネルで秋田県から岩手県へ。気がついたら盛岡であった。
「はやて」と併結して東北新幹線をどこまでも加速してゆく。
 なんというスピードだろう。八戸線や五能線に慣れた目には恐ろしいほどのスピードに映った。



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