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走れ!バカップル列車
第10号 五能線鈍行列車と秋田新幹線こまち



   二

 次の五能線は13時46分発、深浦行き2830Dである。
 バカップル列車は一つの列車の始発から終着まで乗り通すのが勝手なルールであるが、五能線は深浦を境に運転系統が分かれていて、上りはリゾート列車以外で全線を直通する列車がないから、どうしても深浦で下車しなければならない。
 だからと言って五所川原で列車を降りて良いということにはならないが、列車本数が少なく全区間を乗り通すのに四時間もかかる五能線に乗り、なおかつ斜陽館も見学して、その日のうちに弘前から秋田まで移動するという我ながら出来の良いスケジュールを立ててしまったので、これを実行してみたかった。
 五能線という路線名は、青森県五所川原市の「五」と秋田県能代市の「能」を取ってつけられている。東能代から川部までの147・2キロの路線なので、起点終点の駅と一致しないが、どうも複雑な建設事情が絡んでいるようである。
 五能線の歴史は明治四十一(一九○八)年、東能代(当時能代)〜能代(当時能代町)間の国有鉄道が開通したことに始まる。奥羽本線が能代市街から離れたところを走っていたために、本線と町の中心部とを結ぶ路線が建設された。このあたりの経緯、八戸線の八戸〜本八戸間と似ている。
 一方、青森側では川部から五所川原まで私鉄の陸奥鉄道が大正七(一九一八)年に開通している。五所川原から先は国有鉄道が五所川原線として建設を進め、鰺ヶ沢、深浦へと路線を延ばしていった。
 秋田側も能代線として延伸を続け、最後に陸奥岩崎〜深浦間が昭和十一(一九三六)年につながって五能線が誕生した。五所川原〜川部間も昭和二(一九二七)年に国有化され、五所川原線の一部となっていたので、現在と同じ東能代から川部までの全通である。だから五能線という名称は、五所川原線と能代線の二つの路線名を合体、短縮させたものと考えるとわかりやすい。
 2830Dは白いディーゼルカー五両編成でやって来た。車掌も乗っている。高校生たちを乗せて発車する。
 五所川原を出ると線路は左にくるりとカーブして岩木川の鉄橋を渡る。五所川原以南の五能線は私も中学二年以来である。
 津軽の田園を西へ向かって列車は走る。左前方に津軽富士とも呼ばれる岩木山が見えるはずだが、雲が低く垂れ込めてわずかに山裾が見えるだけである。
 みつこさんは本を読んでいたが、いつの間にか眠ってしまった。
 鳴沢を出て3キロほど走り、国道101号線の陸橋をくぐると、右窓にぱぁっと海が広がる。
「みちゃん、海だよ」
 うとうとしているみつこさんを起こす。目を開けば海である。
「わあ」
「日本海だよ」
「ざぱーんざぱーんだね」
 五能線はこの付近から八森までおよそ80キロに渡り、この日本海に沿って走る。岩礁、岬、港町……沿線風景は日本の鉄道でも屈指のものと言っていい。よくぞこんな人気のないところに線路を敷いたという区間もあるが、一九九三年には東側に広がる白神山地が世界自然遺産に登録されたこともあって、雑誌などで鉄道の旅特集を組めば必ず登場するような路線である。
 家並みが増えてきて鰺ヶ沢に着く。ここで8分停まり、五両のうち三両を切り離す。高校生がぞろぞろ降りて行く。
 みつこさんが高校生たちを眺めながら言う。
「おおきなところなの?」
「そうだねえ」
 古くからの港町のようで、津軽四浦の一つとされる。弘前から鰺ヶ沢までの区間列車があることを考えると、ここまでの利用客は多いのだろう。

 鰺ヶ沢を出るとトンネルを抜けたりしてしばらく林の中を走るが、やがて段丘の上に出て海が見えてくる。陸奥赤石に来る頃には薄日が差して来た。線路と海との間のわずかな土地に田んぼがある。その向こうには大戸瀬崎が霞んで見えている。
 北金ヶ沢は小さな漁村で、集落の中をそろりそろり右に左にカーブしながら列車は進む。
 雨が降ってきた。小さな岬を回り込むと大戸瀬崎の先端で、有名な千畳敷海岸である。駅前には巨岩がどしんと構えている。ごつごつしながらも平べったい黒い岩がずらりと続いている。
 大戸瀬、風合瀬(かそせ)、驫木(とどろき)と何もない海っぺりを走る。駅名だけでも寒々とした雰囲気が漂う。
 どこまでも砂浜が続いていて、黒い雲の下に白い波が打ち寄せている。
 浜辺に散在する掘っ建て小屋がかえって人の気配を打ち消している。
 こういう風景、決して嫌いではない。五能線沿線でも一段と味わい深いところと言っていいだろう。
 いくつかトンネルを抜け、追良瀬で集落の中に入るが、再び海に出る。行合崎という茶色い巨岩を見送るとだんだん家並みが増えてきて、15時19分、この列車の終着深浦に着いた。
 待合室で乗り継ぎ列車を待ってると「リゾートしらかみ3号」弘前行きがやって来た。白神山地の散策や沿線風景が楽しめるリゾート列車である。時刻表では13時42分から15時25分まで深浦駅で長時間停車していることになっているが、実際にはその間能代寄りの岩館まで戻って途中下車客を拾って帰って来る。時刻表に載っていないダイヤなので「蜃気楼ダイヤ」というらしい。
 私たちは、次の15時43分発上り能代行き328Dに乗り込む。こちらは朱色の地味なディーゼルカーである。
 深浦の町は駅の南側に広がっていて、トンネルとトンネルの間から漁港が見える。
「ここもおっきなところなの?」
 みつこさんが言う。
「北前船の港だったんだ」
「大きくないよね」
 鰺ヶ沢同様、津軽四浦の一つだが、山形の酒田ほどの規模ではない。
「大きいのもあれば、小さいのもあるんだ」
 岩石海岸が続いている。西に突き出た艫作崎(へなしざき)の海岸線を走るため、上り勾配をうんうん登ったりする。この付近は黄金崎不老ふ死温泉があったり、ウェスパ椿山があったりと観光名所なのであるが、小腹が減ってきて、朝、弘前で買ったドーナツを食べていたので景色はあまり覚えていない。
 車掌がやって来た。ワンマン列車ではなかったのかと思う。
「この先の十二湖から車いすの団体さんが乗ってくるんですよ」
「はあ」
「そのためにきょうは一両増やしているんですがね」
 それで車掌もいるのか。
「おそらくこちらにもたくさん乗ってきそうなので、前の方に移られた方がよろしいかと思います。後ろの方から乗って来るので、たぶんあちらなら大丈夫だと思うのですが」
 車両の中央付近に乗っていたが、団体に囲まれると肩身が狭くなるので前方の席に移動することにした。
 陸奥沢辺、陸奥岩崎と小さな港を見下ろしながら列車は走る。大きな岩がそびえる岬をくるりと回り込むと十二湖である。
 ドアが開くや団体が前から後ろから乗って来て、瞬く間に満席となった。車掌の話では、後ろから来るというから前に移ったのに結局囲まれてしまう。団体だからとても賑やかではあるが、みなさん行儀が良く、囲まれても不愉快なほどではなかった。
 ディーゼルカーはまっすぐの海岸線に沿ってひたすら南下している。
 大間越(おおまごし)を過ぎると線路は岩石海岸を見渡す海岸段丘の上を走る。眼下に国道が走り、青い日本海がどこまでも広がっている。空も心なしか晴れてきた。ここは青森と秋田の県境にあたり、次の岩館までは10・8キロも離れている。
 また雨が降って来た。とかく天気が変わりやすい。岩館で下り323Dとすれ違い、次の駅あきた白神からしのぶ先生が乗って来た。



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