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走れ!バカップル列車
第10号 五能線鈍行列車と秋田新幹線こまち



   一

 教会の鐘の音(ね)が、街に響き渡っている。
 川のほとりにある小さなホームから、東急から払い下げた二両の電車が鐘に送られてトコトコと発車してゆく。
 ここは弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅。JR弘前駅とは1キロほど離れたところにある。地図を見ると私たちの宿から近いようなので、夕食の前にちょっと寄ってみることにした。しかし探してもなかなかみつからない。迷った末に弘前昇天教会の脇の坂を下ると場末の映画館のような古い建物がひっそりと佇んでいる。それが中央弘前の駅舎であった。駅名が書かれていなければ、これを駅と判断するのは難しいだろう。
 駅舎内では青い上っ張りを着たおばちゃんが改札やら発車の合図やらを一人でこなしている。いまは17時30分発大鰐行き電車の改札である。乗りたかったが、行って帰ってくると遅くなるので諦め、みつこさんと二人で駅の脇の橋から発車するところをぼんやり眺めていた。そこへ突然、昇天教会の鐘がカンカンと鳴り出したのである。
 17時30分に鳴るということは、きっと鐘は30分ごとに鳴るのだろう。そして弘南鉄道の発車も毎時00分と30分である。教会の鐘が鳴ると電車も発車する。鐘がまるで発車ベルのようになっている。
 電車が見えなくなると鐘も鳴りやんでしまった。

 私たちの東北の旅は続いている。
 おとといは「バカップル列車 第9号」にある通り、「はやて」と八戸線に乗った。本八戸泊。夕食は「よ志乃」という寿司屋で大間のマグロを堪能した。
 昨日は青森市内に出て、安藤忠雄が設計した「国際芸術センター青森」と三内丸山遺跡を見学。弘前泊。鐘の鳴る中央弘前駅を訪れたのはこのときのことだ。夕食は「炉辺」で津軽名物の貝焼きを食べた。
 そしてきょう二○○五年六月十二日、私たちは小雨のぱらつくJR弘前駅に立っている。
 ここから五能線に乗り、途中金木にも寄って秋田に向かう予定である。
 弘前駅といえば、中学二年の夏の出来事が強く印象に残っている。
 生まれて初めて東北地方を訪れた私にとって、見るものすべてが珍しく、新鮮であった。東北本線や奥羽本線などの鈍行列車では、車体が茶色や青色の古い客車が現役で活躍していた。東京ではもはや見ることができないものである。
 これら旧型客車はドアが手動で、発車しても最後に乗った客が閉めなければ開けっ放しで走っている。
 地元の人は慣れたもので、列車が動き始めても、ちょんと飛び乗って何食わぬ顔をして車内に入っていたし、駅に到着するときも、まだ完全に停車しないうちから、ひょいとホームに飛び降りて改札に向かっていたりした。それがあまりにも鮮やかに見えて格好良かった。
 自分でも真似したくなった。いまから思えば馬鹿らしいし、とても危険なことだが、中学二年、まだ子供である。
 列車が弘前に到着し、速度が落ちてきたところで飛び降りてみた。こちらは動いているのでホームに着地するときは小走りしながらでないと転んでしまう。なんとかうまく着地した。私は大いに満足した。
 ところが麦わら帽子を車内に忘れてきてしまった。ホームに停まっている客車に慌てて戻ったが、私の帽子はなかった。その列車は弘前終点で車内清掃のおじさんが持っていってしまったようだ。馬鹿な遊びに興じているからこんなことになる。
 仕方なく駅の窓口を訪ねてみると、私の麦わら帽子は見つかった。喜んで帽子を受け取ろうとする私に、駅員は言った。
「もう、飛び降りるなよ」
 にわかに信じがたいことだが、あれから二十年以上の時が経過した。
 あの頃の弘前駅は都会の大きな駅という印象であったが、いま私がいる弘前駅は田舎のこぢんまりした駅のように見える。新しい駅ビルが完成してずいぶん様変わりしてしまったが、高架化されたわけでもなく、かつての跨線橋が残骸になって風にさらされている。その残骸と記憶とを重ね合わせながら二十年の時を思う。

 五能線深浦行き2826Dが入線して来た。朱色に塗られたディーゼルカーは、私たちのほか乗客をぽつぽつ乗せて、09時25分、定刻に発車した。
 津軽平野の田園を10分ほど走って川部に着いた。ここでスイッチバックして単線の五能線に入る。弘前〜川部間は奥羽本線であって五能線ではないが、乗客の便を図って五能線のほぼすべての列車が弘前駅に乗り入れている。
 時間が来て、列車は逆向きに走り出した。
 さっき走って来た奥羽本線が左に分かれて行く。列車は右にカーブして、津軽平野を北上する。左右は一面りんご畑である。青々と葉を繁らせた低木がどこまでも続いている。
「みちゃん」
「なに」
「この木、何の木だかわかる?」
「えー、わかんない」
「りんごだよ」
「えー、でも、りんごついてないよ」
「まだついてないよ。いまは青い小さな実があるだけだよ」
「ふうん」
「これからだんだん大きくなって秋に赤いりんごになるんだよ」
「そっかぁ」
「そうなんだ」
「おいしいりんごができるといいね」
 板柳を過ぎるとこんどは左右一面が田んぼになる。
「みちゃん」
「なに」
「田んぼだよ」
「あ、鴨がいる」
「ホントだ。虫とか食べてくれるのかな」
「そのために離すんだよ」
「そうか」
「ササニシキかな、コシヒカリかな」
「うーん」
「おいしいお米ができるといいね」
 10時11分、五所川原に着いた。
 ここから津軽鉄道に乗って金木に向かう。津軽鉄道にも日本では数少なくなった腕木式信号機が残っている。
 オレンジ色の小さなディーゼルカーで金木に着く。小雨の中を五、六分ほど歩いたところに太宰治の生家、斜陽館がある。金木は三度目だが、斜陽館の中に入るのは初めてである。
 みつこさんは吹き抜けの天井を見上げながら、
「おおきなうちだねえ」
「こういう暮らしをするひとがいるんだねえ」
としきりに感心している。
 見終わって、向かいの土産物店で「太宰ラーメン」を食べ、五所川原に戻って来た。
 津軽鉄道の津軽五所川原駅とJR五所川原駅は妙な共生関係にある。
 それぞれの駅舎とホームを結ぶ跨線橋は一つだけで共有のものだが、ホームといい、駅舎といい、どれもJRの横に控えめながらも独立したものがちゃんとある。
 五能線からの乗り換え客を取り込みつつ、会社としての独自性を出そうという姿勢の現れだろうか。
 津軽鉄道はストーブ列車が有名である。冬になったらまた来たいと思う。



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