homepage
走れ!バカップル列車
第8号 東京一周山手線電車



   三

 電車は盛り土の高架部分を走ったり、東急東横線の鉄橋をくぐったりしながら渋谷に着いた。駅の下には渋谷川が南北に流れている。渋谷という地名の由来は諸説ありはっきりしないが、いずれにしてもここが谷であることは間違いない。古くから大山街道(現在の国道246号線)が通り、いまも若者で賑わう東京の主要な繁華街の一つである。
 渋谷駅の一日平均乗車人員は四十三万二千人(二○○三年・JR東日本、以下同じ)。東急東横線、東急田園都市線、地下鉄銀座線、地下鉄半蔵門線、京王井の頭線が乗り入れる巨大ターミナルとなっている。
 ドアが開いて人がどっと乗ってきた。たちまち車内が乗客で埋まってしまう。渋谷から池袋の間は、山手線の中でも一番混雑する区間である。
 電車は再び盛り土の高架線を走り原宿に着く。西側は明治神宮、東側は中高生などで賑わうファッションの街。斜面の途中にあって駅南側の表参道口がホームの上、真ん中の竹下口はホームの下にある。
 また盛り土の上を走り、黄色いラインの中央・総武緩行線が合流して代々木に着く。山手線一周の中ではもっとも高いところにある駅で、標高は38・7メートル。一番低い品川駅が2・8メートルだから、その差は約36メートルにもなる。
 代々木の駅は広い新宿駅構内の南端にある。すでに右側には中央線、山手貨物線のポイントが並んでおり、線路が何本もに分かれて行く。
 中央・総武緩行線下り線の下をくぐりながら走ると、いよいよ新宿駅である。半分以上の乗客がどっと降り、またそれと同じくらいの人がどっと押し寄せる。おじさんおばさん、若いお兄ちゃんに若いお姉さん、お母さんもベビーカーも乗って来て、車内の混雑はピークに達する。

 新宿駅にはJRだけでも山手線のほか、埼京線、湘南新宿ライン、中央本線特急列車、中央快速線、中央・総武緩行線が発着し、そのほか小田急線、京王線、西武新宿線、地下鉄丸ノ内線、都営新宿線、都営大江戸線が乗り入れている。一日平均乗車人員は七十四万六千人。文句なしで日本一の巨大ターミナルである。
 新宿という地名は、甲州街道に新たにできた宿場町、内藤新宿に由来する。駅南側には甲州街道(国道20号線)が、駅北側には青梅街道が通っている。一九九一年には西口高層ビル街の一角に都庁も移転して来た。東口、西口、南口のそれぞれがデパートや量販店などを擁する大きな繁華街に発展していて、もはや新宿という一つの街としてくくることができないほどになっている。
 電車は15時01分に新宿を発車した。西武新宿の駅を右に見るあたり、中央線を立体交差で越えるところが山手線の最高地点で標高41・1メートルである。
 新大久保を過ぎ、高田馬場で神田川を渡り、西武新宿線が線路の下をくぐって左に分かれて行く。
 車内はつり革が全部埋まり、それ以上に立っている人がいるほどで、朝のラッシュ時間帯のように混雑している。これではさすがのおたくたちもおとなしくせざるを得ない。それでも何も知らずにおたくたちに囲まれてしまったベビーカーのお母さんはちょっと可哀想である。
 目白は広い目白台西端にある切り通しの中の駅で、線路の上を目白通が通っている。目黒と同時に開業した古い駅であるが、目白不動尊は駅から2キロも離れた現在の文京区関口にあったという。
 やがて地形は平坦になり、西武池袋線をくぐり、大きなビルが次々と現れて池袋に到着する。

 池袋駅は田端と品川線を短絡させる豊島線との接続駅として明治三十六年四月一日に開業した。
 豊島線とは土浦、磐城方面へ向かう現在の常磐線(貨物線)と品川方面とを結ぶため田端〜目白間に計画された連絡線である。接続駅が実際には目白でなく池袋になったのは、目白駅周辺住民の反対があったこと、目白駅は切り通しの中にあり将来の拡張が困難だったことなどが理由とされている。
 品川線と豊島線は国有化後長らく、ともに山手線と呼ばれていたが、一九七二(昭和四十七)年に池袋〜赤羽間を赤羽線として分離、山手線は品川〜田端間となり、いまに至っている。
 ともあれ、明治の時代、田畑の真ん中に出来た駅はいまや日本第二の駅である。一日平均乗車人員は五十六万五千人と新宿に次いで多い。JRでは埼京線、湘南新宿ライン、私鉄は西武池袋線、東武東上線、地下鉄丸ノ内線、地下鉄有楽町線、そして建設中の13号線とつながる有楽町新線が乗り入れる巨大ターミナルである。
 ドアが開くと客がどっと降りていく。乗って来る客は少なく、車内に立っている人はまばらになる。運転手が交替して15時10分発。
 池袋を発車すると赤羽線(埼京線)はまっすぐ進むが、山手線と山手貨物線の線路は、半径約四○○メートルの曲線となる。北北東だった針路は東南東に変わり、九○度右に方向転換する。電車はギーギーと音を立てながらカーブを曲がってゆく。切り通しを走っていた線路は盛り土の高架になって大塚着。下に都電荒川線が通っている。
 大塚を出ると線路は左にゆるいカーブを描く。山手線一周の形を馬の顔に例えると、ちょうど頭のてっぺんに当たるところである。もし豊島線が計画通り田端〜目白間で完成していたら、このカーブは必要なかったであろう。地図を見るとわかるが、駒込、巣鴨を結ぶ直線をそのまま延ばすとちょうど目白駅あたりにぶつかる。
 巣鴨は切り通しの下にあり、上には白山通(国道17号線)が走っている。この道は昔の中山道で、お年寄りの原宿と呼ばれるとげぬき地蔵(高岩寺)は旧中山道沿いにある。
 駒込もまた切り通しの下の駅で、土手に植えられているツツジが有名である。
「みちゃん、ツツジだよ」
「ほんとだ。もうすぐだね」
 ピンク色のつぼみがだいぶ膨らんできているが、見ごろにはまだちょっと早い。
 隣の山手貨物線は山手線の線路と立体交差して上中里方面へ抜けるため、やがて低いところを走るようになる。ちょうどそのあたりに線路を南北に跨ぐ細い道があって、山手貨物線は橋で渡るが、山手線とは踏切で交差する。これが、いまや山手線唯一となった踏切である。すぐ脇(北側)に巨大なゴルフボールが見えるのですぐわかる。警報機の音が一瞬聞こえて過ぎ去ってゆく。
 山手貨物線は山手線の下をくぐり、左へカーブしながらトンネルに入る。山手線は半径約四○○メートルの曲線を右へカーブして南東へ向かう。左右は高い崖になっていて、見上げると斜面ギリギリのところまで住宅が建っている。
 武蔵野台地を貫くこの深い切り通しを抜け切るとパッと視界が開けて電車は斜面の中腹に躍り出る。眼下は田端操車場と新幹線車両基地の線路がどこまでも並んでいる。世界が広がるかのようなこの開放的シーンは、山手線沿線風景のハイライトと言っていい。朝焼けの空が映える冬の早朝が特に良いと思う。



next page 四
homepage