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走れ!バカップル列車
第7号 白いかもめと寝台特急さくら



   四

 寝台特急「さくら」の客車は、20系の一世代後、「あさかぜ」の車両(24系)の一世代前に当たる14系という客車である。編成は東京寄り先頭から11号車、10号車と続き、最後部は7号車である。8号車はB寝台個室車両となっていて、A寝台は連結されていない。6号車から1号車までは「はやぶさ」の編成に割り当てられていて、鳥栖から連結する。
 私たちの寝台は前から二両目の10号車10番の上段・下段。みつこさんは上段と下段を行き来しながら、なにかごそごそやっている。私は荷物を置いて窓の外を眺める。となりの3番のりばには面白い形の普通電車が停まっている。
「ポーオオウッ」
 長めの汽笛が鳴り響き、「さくら」がゆっくり走り出す。16時50分、定刻発車。東京までの所要時間は18時間43分で、走行距離1350・8キロは大阪〜札幌間の「トワイライトエクスプレス」(1495・8キロ)に次ぐ長さを誇る。
「さくら」という列車名の歴史は古く、一九二九(昭和四)年、東京〜下関間を運転していた特別急行列車に「櫻」と名付けられたのが最初である。長崎行きの特急列車となったのは一九五九(昭和三十四)年。東京〜長崎間の特急の愛称は、それまで「さちかぜ」「平和」と変遷して来たが、車両を「あさかぜ」で好評の20系客車に置き換えたのを機に「さくら」を名乗ることになる。二つめのブルートレインとしての登場であった。
 オルゴールが鳴り、車掌のアナウンスがはじまった。車内は意外に空いている。
 4時間前「白いかもめ」に乗って来た道をまた戻る。諌早を出ると諌早湾干拓地が見えてくる。先ほどみつこさんに「海だよ」と言ってごまかした辺りである。湯江で下り「かもめ」と交換。次第に雲行きが怪しくなる。まだ日の暮れる時間ではないが、薄暗くなってきた。
 有明海が見えてきて、みつこさんと窓の外を眺める。肥前大浦を過ぎ、「白いかもめ」の中で私が夢中になって景色を眺めたところである。みつこさんを起こし忘れた懺悔の意味もあって、いろいろと解説をする。
「ここらへんで撮った写真が時刻表の表紙になったりしてるんだよ」
「ふうん」
 小さな湾に面した里信号場にやって来た。「白いかもめ」から見たときは干潟が出来ていたが、いまは潮が満ちて、国道すれすれのところまで水が来ている。ここで「ハイパーサルーン」と交換。次の駅多良を過ぎるとみつこさんは「なにか面白いことあったら起こして」と言って、ごろんと寝てしまった。窓ガラスに水滴が流れている。いよいよ雨が降ってきた。肥前浜で4分ほど運転停車。下り「かもめ」と交換する。
 外が暗くなってきた。見るものがなくなったのでうとうとする。肥前白石でも下り「かもめ」と交換のため運転停車した。
 肥前山口でおっちゃんおばちゃんの団体が乗ってきた。いままで静かだった車内が賑やかになる。向かいの9番の寝台に頭の禿げあがったおっちゃんがやって来た。おっちゃんは荷物を置くと仲間のいる隣の寝台に行ってしまった。
 佐賀を出て暗闇の筑紫平野を走る。ところどころビニールハウスがあって、中が白色電球で照らされている。中原(なかばる)で再び運転停車。もう複線区間なのだが、ここでは同方向の上り「かもめ36号」に追い抜かれる。
 客車なので停まるとなんにも音がしない。電車や気動車だと何かしら床下から音が聞こえるものだが、客車にはそういう機械がない。しーんと静まりかえって、ときどき隣から話し声が聞こえるだけである。
 鳥栖が近づいて来た。ここで「はやぶさ」と連結する。
 熊本から来る「はやぶさ」の鳥栖着は18時39分、長崎から来る「さくら」は19時04分で、「はやぶさ」の方が先に鳥栖に着く。列車の編成は「さくら」を東京寄り、「はやぶさ」を熊本・長崎寄りにつなげるようになっている。ところが「はやぶさ」が着いた後に、「さくら」が来てそのままつなげると、「さくら」の方が熊本・長崎寄りになって編成が逆になってしまう。いったいどうやってつなげるのか?
 不思議に思ったので、車掌が検札に来たときに訊いてみた。すると次のような答えが返ってきた。
(一)「はやぶさ」が1番線に到着し、機関車をはずす。
(二)「さくら」が3番線に到着し、ドアが開いて下車客を降ろす。
(三)「さくら」がドアを閉めて、東京寄りに引き上げる。
(四)「さくら」が再び駅に戻って、こんどは1番線に入る。ここで「はやぶさ」と連結。ドアが開いて乗車客を乗せて発車。
 このような「さくら」の動きを「転線」という。一見、無駄な動きに見えるが、転線しないにしても「さくら」が機関車をつけたまま「はやぶさ」と連結するわけにはいかない訳で、そう考えると効率的な方法なのかなと思う。
 しばらくすると車掌の放送があって、「鳥栖駅では到着ホームと発車ホームが異なりますので、お買い物でいったん降りられる方はご注意ください」と言っている。
 そうして鳥栖駅3番のりばに到着した。ドアの開閉があって、ゆっくり東京寄りに引き上げる。左側に鳥栖の街並みが見える。何でもない線路の真ん中にただ停まっている。しばらくすると「ポーポーッ」という汽笛が聞こえて、ゴトンと逆方向に動き出す。こんどは1番のりばに入った。一時停止を繰り返しながら徐々に距離を縮めて行く。そしてガタンという振動とともに停止。「はやぶさ」との連結が完了した。
 博多行き「有明36号」を見送って、19時17分、「はやぶさ」「さくら」の併結列車が鳥栖を発車した。
 長崎で買った弁当を食べ始める。隣の寝台でおばちゃんたちとの食事を終えたおっちゃんが私たちの向かいの寝台にやって来た。やさしそうな愛嬌のあるおっちゃんで、私たちになにか一生懸命話しているが、なまりなのか何と言っているのかよくわからない。
 なにか「させよ」「させよ」と言っている。「させよ」って何のことだろう? しばらく話を聞いていたら、「昔は『さくら』が『させよ』から走っていた」と言う。
「あ、佐世保ね!」
 こういうときは、かつて「さくら」が東京〜長崎・佐世保間の列車だったという鉄道おたくならではの知識が物を言う。
 どうやらおっちゃんたちは佐世保の方から来たらしく、佐世保に出るまでも自動車と列車を乗り継いで4時間ぐらいかかるところに住んでいるらしい。そして今日は親戚のいる静岡の磐田まで行くのだという。ずいぶん大変な旅だが、それでも飛行機より列車の方がいいという。
 時間の経つのがとても早い。あっという間に博多を過ぎ、小倉を出た。
 みつこさんが歯を磨きに行こうとしたとき、カメラを持ったお兄さんたちが通路をぞろぞろ歩いて来た。
「なんか、おたくがいっぱい歩いてくるんだけど!」
 みつこさんはいったん行きかけたが驚いて戻って来てしまった。門司と下関で機関車を付け替えるので、その様子を見に行くのであろう。
「ひろさんは行かなくていいの?」
「めんどうだから、いいや」
 下関の発車は21時05分である。夜9時を過ぎたので、車掌が明朝名古屋の到着前まで車内放送はしないとアナウンスする。ふだんなら寝るには早い時間だが昨夜からの疲れもあり、眠くなったので寝ることにした。
 翌朝、名古屋から車内販売が来るというので一度は起きたが、浜松でおっちゃんたちが降りたら、また寝てしまった。結局、私が起きたのは小田原で、みつこさんが起きたのは大船だった。
 東京到着は11時33分。18時間を超える乗車時間のうち、12時間以上寝ていたことになるが、「さくら」は寝台特急なのだから許してもらおうと思う。




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