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走れ!バカップル列車
第4号 根室本線2429D



   一

 北海道に行きたい、という思いは夏あたりから温めていた。
 行きたいのには理由がある。根室本線を滝川から釧路まで、7時間45分かけて走破する普通列車2429Dに乗りたいからである。
 そもそもの話をすれば、私たち夫婦がバカップル列車を始めるきっかけになったのが、この2429Dである。憶えていらっしゃる方もいるかもしれない。夏のはじめ、私とみつこさんは、こんな会話を交わしている。
「みちゃん、おら、北海道に行こうと思うんだけど」
「いつ?」
「まだ決めてない」
「誰と行くの?」
「一人で」
「えー、やだ、みちゃんも行く」
「でも、朝から晩まで八時間ずうっと電車に乗ってるんだよ」
「だって、うちに一人でいてもつまんないもん」
 この「朝から晩まで八時間ずうっと」というのが、まさに根室本線2429Dのことである。
 二人で行くとお金はかかるし、七月、八月の北海道は混んでるし、いいことはないので、その時は北海道の話はなくなって、私たちは久留里線に出かけた。
 久留里線は楽しかった。房総は東京から近くて日帰りで行けるところではあるけれど、私たちは久留里線に乗ったことがなく、まったく未知の世界であった。
 だから、それはそれで満足だけど、まだどうにも釈然としないものがある。
 やっぱり北海道に行きたいのである。
 北海道行きの一番のネックはお金である。特に飛行機代が高い。羽田から千歳までの普通運賃は一人片道2万8300円もする。二人で往復すれば、ただ行って帰ってくるだけで11万3200円である。そう易々と行けるものではない。
 いつになったら行けるだろう? もやもやと思い悩む日々が過ぎて行った。

 そんな八月のある日、電車の中でとある中吊り広告を見つけた。
「ANA『超割』東京〜札幌 1万1000円」
 最近の航空会社は、どこもこんな格安の航空券を売り出している。たしかに安いが、いざ乗ろうとすると、搭乗日が限られていて実際には乗れないものである。だいたいこういうものは乗客が少ない平日などに客を呼ぶために企画されたものだ。
 そう思ってもう一度見てみるとこんなことも書いてある。
「搭乗期間 十月二十日〜二十六日」
 十月二十日は水曜日だから、二十三、二十四日の土日も乗れる。どうも想像していたのとは違うようだ。
(ひょっとしたら使えるかもしれない)
 ちょっとだけ嬉しい気分になって、家に帰った。
「みちゃん、北海道に行こうと思うんだけど」
 早速、みつこさんに話を持ちかけてみる。
「お金ないよ」
 いきなり先制パンチが飛んできた。
「『超割』てのがあって、バースデー割引と同じくらい安くなるんだよ」
「私もいくの?」
 なんだか、みつこさんの態度が、夏のはじめと違っている。
「ひろさん、最初、一人で行くって言ってなかったっけ?」
「でも、そのあと、みちゃんも行くて言ったんだよ」
「そうだけどさぁ」
 みつこさんは、だいぶ渋った。
「札幌でおいしいラーメンたべて、釧路でおいしい魚をたべるよ」
「ほんと?」
 食べ物の話をしたら、みつこさんも、だんだん行く気になってくれた。
 十月二十三日に札幌に入り、札幌泊。二十四日に2429D乗車、釧路泊。二十五日は月曜日だが休みを取って納沙布岬に行き、根室中標津空港から東京に戻る。そういうプランがだいたい固まって来た。
 飛行機代、電車賃、宿泊費、ぜんぶ合わせて二人で十万円以内で行けることもわかった。
「でも、八時間も乗るんでしょ?」
「そうだよ」
「その電車に、トイレはついてるの?」
「トイレ?」
 最後に残ったのは、この問題であった。
 みつこさんはトイレが近い。しかもトイレは清潔でなければならない。イタリアに行ったときは、トイレでだいぶ難儀したという。
「たぶん、ついてると思うけど」
 使用される車両はキハ40形ディーゼルカーということがわかっている。トイレはついているはずだが、確かなことはわからない。
「あとね、富良野と帯広で長く停まるよ。駅のトイレの方がきれいかもよ」
「ほかには長く停まるところはないの?」
「落合ってとこで、たぶん15分くらい停まるみたいだけど、帯広から先はわかんないなぁ」
「やっぱ、電車にトイレがないと、心配だな」
「わかった。調べてみるよ」
「たのむよ」
 次の日、9時半ごろ、滝川駅に電話してみた。2429Dの滝川発車は9時38分。この時間なら、今日の2429Dが滝川駅のホームで発車を待っているはずである。駅員に訊いて、もしわからなかったら、ホームに停まっている車両を直接見てもらえばいい。それでこの時間に電話することにした。
 電話口には、愛想の良い若い駅員が出てくれた。
「9時38分発の釧路行きにトイレはついてますか?」
「はい、ついてますよ」
 即答であった。
「釧路までついてますか?」
「はい、大丈夫ですよ」
 お礼を言って電話を切った。
 家に帰って、みつこさんに報告する。
「そうかい。よかったよ。訊いてくれて、ありがとな」
 そうして数々の問題が解決して、北海道には飛行機の予約が取れたら行こう、ということになった。翌八月二十日は『超割』発売開始日である。こちらもすんなり行って希望の便の予約が取れた。
 あとは出発の日を待つばかりである。



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