SLeeP WalK(日常・7)

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7/16(日)
●雨は降らないのか、雨は。ここらでちょっと派手にザーッときてもらって、地上に籠って溜まっている熱を多少なりとも冷ましてほしい。近所の公民館の建築現場は今日は日曜なので誰も働いていない。既に鉄の柱で骨組みだけはガッシリ組まれている無人の現場。その先で強い日光で白く輝いている内科医院の建物の壁に、鉄骨の太くて直線的な影が色濃くおちている。直射日光が顔にひりひりするくらいにあたるけど、それよりも辺りに漂ってゆらゆらゆれているような熱気をどうにかできないものか。
●テレビで、ナスターシャ・キンスキーがインタビューに答えていた。あの『まわり道』の顔、あの『パリ、テキサス』の顔が、現在はこういう顔になっているのか。それらの顔のイメージは、同一人物のものであると同時に、まったく別のイメージでもある。自分の身体のイメージを不特定多数に対して曝しつつ生きている、つまりスターという存在は、カレンダーのような、いわば時間の流れの1つの基準のようなもの、メジャーのようなものでもあるのだ、と感じた。その人がどの程度齢をとったか、ということが、どのくらい時間が流れたかの目安になる、というか。
●深夜、飲み物を買いに新聞販売店の前にある自動販売機まで行く。販売店には、新聞を積んだトラックがちょうど着いたところだった。寝静まった深夜、そのまわりだけ明るく活気づいている。販売店からもれる光が、トラックのメタリックなグレーのボディーに反射している。皆既月食の名残りが、満月の端っこをわずかだけ汚していた。

7/17(月)
どうやらこのまま梅雨があけてしまうらしい。入梅直後はかなり雨が降ったので割合涼しくて助かったのだけど、ここんとこ予報では降るぞ降るぞと言いながら雨らして雨はほとんどなく、このまま暑い日が1月以上はつづくのかと思うとうんざりする。蝉の声はいよいよ本格的に力強くなりずうずうしさを増している。
向いのアパートの階段の踊り場に、腰くらいの高さの鉢植えがあって、そこに鮮やかな赤い花が咲いているのが目についた。建設途中の公民館の、床下にあたるだろう部分に、あれは断熱材なのか、銀色のシートが敷きつめられていて、その表面が波打っていて光沢でギラギラしている。日よけのために軒先きに出ている「幌」のようなものが、風にあおられて大きく、ばさっばさっ、とはためいている。街灯の上にとまっていたカラスが羽根を横に拡げて、大きく2、3度、ばさっばさっ、と羽ばたいてから飛び立った。駐車してあるピカピカに磨かれた紺色の車の車体に、車の形に合わせて歪んだ風景が、とても鮮やかに映りこんでいた。電車で隣に座ったおっさんの、おそらく若々しさを狙ったのだろう鮮やかな黄色いポロシャツは、縁なしで柄がべっ甲の眼鏡ともども、全く似合ってなかった。電車のなかは冷房が効いているのだけど、冷たい空気と生あたたかい空気、乾いた空気と湿った空気が混じりあわずにまだらになっていて、妙な感じだ。暑さは様々なにおいを強調する。暑さはいつも強いにおいとともにあるのだった。

7/19(水)
くちなしの花が咲いているのは、目で発見するよりも鼻で発見することが多い。しかし困ったことに「くちなし」という言葉でそれを捉えてしまったとたんに「♪いーまでは指輪も、まぁーわるはどぉー」という渡哲也の歌声が嫌でも頭の隅を掠めてしまうのだ。くちなしの花の、色や形状やにおいと、例の渡哲也の歌とは少しも似てなんていないのにもかかわらず、「くちなし」という言葉を共有しているというだけで「♪くちなしの花のぉ、花のかおりがぁ」なんてメロディーと直結してしまう。もし、運良く「くちなしの花」という曲を知らなかったとしても、「くちなし」という言葉を使用してしまったとたんに、目の前にあるその花のイメージとは別の、「くちなし」という言葉そのものがもっている風情のようなものが辺りに漂い出し、それに汚染されてしまうのだった。言葉以前の世界と触れあうのは難しい。(言葉以前の世界を言葉で描写するにはどうすればいい ? )

7/21(金)
郵便局へ向かう道の途中、保育園の裏を通る。軒から水色に塗られたフェンスにかけて斜めに、スダレが幾つも垂れている。蔦状の植物が、その水色の金網に絡み付いて伸びている。半分開け放たれた窓から、炊事場なのだろうか、洗剤と漂白剤のボトルが覗き、ガチャガチャ食器のぶつかる音がもれる。裏側の壁とフェンスの間の狭い空間で、男の先生が、首にタオルを巻いて汗だくになって木材にノコギリを入れている。白粉花のラッパ状のつぼみが、花火のように、いろいろな方向へむかって散るようについている。もう夏休みなのだろうか、子供の声はしない。

7/21(土)
午前10時前、用事があって出かける。もう既に炎天下、アスファルトで鋪装されている道路の真ん中に、ゴロンと、おむすび大の犬の(多分)うんこが落ちていた。上からの強い日射しと、下からの照り返しとで、もうすっかり乾燥してる様子。最近は、犬の散歩をする人はほとんど、ビニール袋とスコップ持参で、こういうものが堂々と落ちていることは珍しい。しかし、あまりにあっけらかんと道の真ん中に、飄々とした感じで落ちているので、形も何かまるっこいし、可笑しくて、しばらく立ち止って眺めてしまった。乾燥しているせいで、においもほとんどなかったし。ニヤニヤしながら歩き出すが、でももし踏んづけていたら、ニヤニヤどころか、朝っぱらから思いっきり不快になっていただろうけど。外側は乾燥していても、内側はきっとまだ・・・・。
コイン式のパーキングの端っこに立っている自動販売機は、きっと立ちション・スポットになっているのだろう。脇を通り抜けると、ツーンとするアンモニア臭に直撃され、アタマがクラクラした。

7/23(日)
●もう笑ってしまうしかないような暑さ。いつもは濃い緑の葉をつけている木や雑草も、日の光のせいか黄色く焼けたようになっていて、その黄緑ががった葉や草に光が撥ね、アスファルトの地面は照り返しで白く輝き、もわっとした熱風が身体を包み込むように吹いてくるし、蝉の声は、その存在を忘れてしまうほどに常にジージー聞こえ続けている。すっかり夏。真夏の光。日傘がゆっくりと移動してゆく。
●あやうげな感じ。50代後半くらいの男性。動きだそうとしてふっと止まってしまい、それきり身体にロックがかかってしまったように固まっている。やや下を向いた姿勢で、焦点があっていない目に、しかし変に力がこもっている。ぼんやりしているという訳でもなさそうだし、気分が悪くなったという訳でもなさそう。身体じゅうにキッと力がはいっているようでもあり、その力があらぬ方向へするりするりと抜けてしまっているようでもあり。とにかくやたらとあやうい感じが漂っている。ちょっとヤバいんじゃないかと思い、どうかしましたか、と声をかけようとしたら、崩れるように、2、3歩よろよろっとなって、その後なんとか持ち直したように去って行った。何かヤバい、エアポケットのようなところへ入り込んでしまったのだろうか。
●首まわりやそで口が、ダラーッとのびきってしまったTシャツと、膝くらいまでの丈のカー木色の短パンで、洗車をしているおとーさん。カナブンよような形態のエメラルドグリーンの軽自動車。地面でとぐろを巻いている水色のビニールホース。ホースの先から零れ出る水が、すべすべとした光沢のあるエメラルドグリーンの車体の上で拡がって流れる。流れた水はバンパーを伝ってポタポタ地面に垂れ、濃く陰が落ちている車体の下に水たまりをつくる。ホースの先をフロントグラスの方へ向けると、フロントグラスを伝う水の流れが、日の当っているシートにゆらゆらゆれる模様のような薄い陰を落とす。水の流れる涼し気な音。
蝉の声は相変わらず、少しづつトーンや強弱に変化をつけながらも、ずっとずっとつづいている。
●麦わら帽子の3人づれの母子。女の子は、赤い地に黄色やオレンジで鮮やかな南国風の花がプリントされているワンピース。男の子は黄色のTシャツに短パン。母親は白いポロシャツにクリーム色の中途半端な丈のキュロット。買ったばかりだと思われる、真新しい虫取り網を持ち、虫籠を肩から掛けている。竹の棒の先に着いている、真っ白くてきれいな網が、光を反射させながら、顔よりも高いところを、ふわふわと飛ぶように移動してゆく。
●ピンクがかった薄い赤紫と、枇杷のようなオレンジ色が層のようになって重なった夕焼け。昼間の空は、白く濁った感じだったけど、薄暗くなって、少しだけ澄ん紺色になった。

7/25(火)
雨をたっぷりと含んで、重たくだらりと垂れ下がっている半旗が、あげられていた。旗をあげるためのヒモだけが、風にあおられてバタバタと元気に揺れていた。国旗掲揚用の金属のポールに、ヒモが勢いよく何度もぶつかって、カンカン、と金属音を響かせる。
灰色のコンクリートがそのまま露出している建物の前面に、雨の水が染み込んで、丸っこい不定型の滲みが大きく拡がっている。コンクリートは、濡れる、というより水を、水分を吸収するという感じだ。それも雨の水が直接吸収されるというよりも、空気中の湿気を吸う、という感じにみえる。水分をたっぷり含んだ暗い灰色の染みの部分と、比較的乾いた、白い灰色の部分。湿ったコンクリートのにおい。その手触り。
午後になって一旦雨はやみ、そのかわりとでも言うように、強い嵐のような風が吹きあれる。夕方から再び、急に大粒の雨。それも降ったりやんだり。
赤や緑や黄色や青のシャツを着ている小学生たちの集団が、水色やオレンジ色やからし色や紺色の傘をさして、子供特有のカン高い声でワーワーいいながら走りまわっている。グレーの空の下で、乱舞する色彩たち。

7/26(水)
暑くないということは、これほど楽なことなのか。暑いということは、そんなにも体力を消耗するものなのか。今日は暑くない。溜まった疲れを癒すように、こんこんと眠り、むさぼるように喰らう。ぐっすりと眠れるし、たっぷりと食べられる。明日はどっちだ。
目覚めたら、つけっぱなしのテレビで、木村拓哉が99人の同級生と対話する、みたいな番組をやっていた。見始めて5分くらいは、ぼくよりも5つくらい下の木村拓哉の同級生たちが、皆、あまりにもちゃんとした大人なので驚き、ぼくももっと自分の人生をきちんと考えなおさなくてはいけないのだろうか、いや、もう遅いか、などと思っていたのだけど、しばらくすると急に、彼等彼女等の喋りが凄く嫌なものにみえてきて、なんだお前ら、そんなくそ面白くもねー大人になんかなってたまるか、と感じるようになった。結局、自分の事、社会の事をきちんと考えてでもいるような口調を身に付けた、っていだけじゃねーか、何かを本気で考えてるんじゃなくて、物語どおりの手順を踏んだ話が、筋道どおりの結果に納まってるってだけだろ、とか悪態のひとつもつきたくなったり。この急激な気持ちの変化は一体どうしたものか自分でもよく分らない。テレビの画面のなかで下らない会話がなされていることになんか、もうすっかり慣れっこになっているはずなのに。
ぼくが元々、木村拓哉をあまり好きではないせいかもしれない。彼が全身から“ぼくってナチュラルでしょ光線”を発しているのを見るのは、とても恥ずかしいのだった。みんな、天下の木村拓哉を前にして舞い上がってしまい、すっかり拓哉トークのペースにはまってしまっているのを見せつけられるが、ただ不快なだけだったのかも。もっと場違いな事やとぼけた事を言って、ホストを困らせたり苛立たせたりする奴がいてもいいんじゃねーの、みたいな。でも、そういう場面は上手くカットされてるのか。
駅前で、太っていて背の小さい女の子が、脇に、ギターとブルースハープのおにいちゃんを従えて、いきなりゴスペル調に何か唸りだしたと思ったら、しばらくしてそれが、椎名林檎の『丸の内サディスティクス』だということに気づいた。「♪報酬は入社後、平行線で/東京は愛せど、何にもない/リッケン620を頂戴/19万ももっていない、お茶の水/マーシャルの匂いでトんじゃって大変さ/毎晩絶頂に達しているだけ/ラットひとつを商売道具にしているさ/そしたらベンジーが、肺にうつってトリップ」ギターのおにいちゃんも熱演でなかなかカッコよくて、しばらく聴いていた。オリジナルとはかなり違った感じだったのだが、あらためて名曲であることを再確認したのだった。
駅の改札を出て下る、階段の下、地下道への入り口の前、で、天井も高くて声が遠くまでよく響いていた。

7/29(土)
1階にコンビニが入っていたビル。コンビニが街道沿いの表通りに面した場所に移動したので、そのビルの2階にあった美容室が1階に降りてきた。1階はガラス張りで明るく、外の通りからも店の中が良く見えて、やはりこういう状態の方が、外に看板だけ出ていて、脇にある狭い階段を昇っていかなければならない店よりも、人が入り易いのだろう。ちょっと前に、どう見ても美容院とかに縁のなさそうなお爺さんが、店の前で立ち止ってやや躊躇しながらも、戸惑いがちに扉を押して中へと入ってゆくのを見たことがある。店員の反応までは見なかったけど、どういう対応をしたのだろうか。そのビルの3階は学習塾、4階は何かの事務所になっている。
つまりそのビルは、現在普通に機能しているのだけど、2階の部分だけは取り壊し中で、そこだけ妙に荒んだ、廃墟のような雰囲気を漂わせている。窓は枠だけあってガラスは入っていないし、明りもないので薄暗い。外から見える限りでは、あらかたのものが運びだされているらしく、がらんどうに見える。きのうの夜、この前を通った時には、ビルの前に大きなトラックが停まっていて、荷台に男が1人、そして2階のガラスのない窓をまたぐようにしてもう1人男がいて、なかから何本も鉄柱のようなものを取り出しては、荷台にいる男の方へ、落とさないようにそろそろと降ろし、荷台の男がその先端を受け取り、それをトラックに積み込んでいた。その時間はまだ美容室は営業していて、こうこうと明るい店のなかから、何人かの客が表の作業を眺めていた。よっ、とか、おっ、とかいう2人の男のかけ声、鉄柱が窓枠に擦れたり、ぶつかったりする音、鉄柱を荷台に倒すときの、ガチャン、ガチャン、という金属音、が、やけに響いていた。
今日の空はいかにも身体に悪そうな人工着色料のように青い。その光を受けているせいなのか、木々や草の緑も、ビニール質というか、プラスチック製の偽物のようにテラテラと光っている。6本並んでたつ、メタセコイアの大木。その小さくて細長い粒のような葉が、ゆったりとした風に吹かれて、チリチリとゆれていた。

7/30(日)
ほんの少し、草むらのなかへ分け入ってみるだけで、植物の形態の、あまりの多様な複雑さにアタマがクラクラしてしまうほどだ。ぼくはそこで、別に何をする訳でもない。植物の名前を調べもしないし(ぼくは植物の名前をほとんど知らない)、きれいな花を積んで、花瓶に刺して飾ったりする趣味もない。自然に触れる、なんて事を言ったりもしい。ただ、植物のあまりの多様性に触れ、驚き、軽い興奮すら感じながら、それらを見ているというだけだ。
おそらく人間には、複雑なものを「認識」したい、という欲望があるのではないだろうか。ただ複雑なものを見て、その複雑さを感じる、認識する、ということは、それだけで充分に大きな「歓び」であるように思う。とにかく、とても面白いことなのだ。植物の生い茂る雑木林のなかに入るだけで、ぼくは自分の脳が、興奮状態になるのを感じるのだった。
歩いていると、暑さのせいか、歩きやすいように敷き詰めてある石畳の上に、何匹ものミミズが、干涸びて死んでしまっているのを、みかける。

7/31(月)
今日も晴れて暑い。あまりにいい天気で光が強いので、駅前のカメラ店でモノクロのフィルムを買って、カメラを持って炎天下、2時間以上も河原を散歩してしまった。帽子もかぶらずに。カメラはもう1、2年くらいは使っていない古いもので、ファインダーのなかにカビが生えてしまっているのだけど、レンズを調べると、レンズには異常がないので大丈夫だろうと思う。カメラがちゃんと機能しているかどうかは、現像とプリントがあがってこないと分らないけど。
この暑いまっ昼間から、走っている人が多いのに驚いた。下着ともシャツともつかない、よれよれに伸びきったものを着ている爺さんが、犬をつれて、地面に日本手拭いを敷いて、大きな木の陰に座って河原を眺めている。犬も、その横にちょっこんと座っている。子供が自転車で爆走している。ひこうき雲が、太陽に向かってすーっと伸びている。写真はそれほど沢山は撮らずに、ここまで暑いならと半ばヤケになったように、ひたすらに日光を浴びていた。こんな天気だと、さすがに猫の姿はあまり見掛けない。建物の壁には、電柱と電線の影がくっきりと濃くおちている。河原は緑の濃淡で溢れていて、たまに咲いている花は、焼けたように変色して、水分が足りなくてしんなりしている。
フィルムを現像に出し、その足で画材屋でガッシュとスケッチブックを購入して、家で、昼間の光の記憶を頼りに、何枚かドローイングをしてみる。目の前に実際に風景がある訳ではないので、あくまで光の感じを掴みとろうとする、抽象的なドローイング。ガッシュを使ってちゃんと絵を描くのは初めてだけど、乾いた後の不透明でマットな感じといい、発色といい、アクリル絵具よりもずっといい感じ。ただ、ぼくは例によって、水も筆も使わずに、チューブから直接画面に絵具を置いて、指を使って描くので、絵具がどうしても厚くなってしまうのだけど、ガッシュだとあまり厚いとすぐに割れたりヒビがはいったりしてしまう。10枚くらい描いて、3、4枚くらい、まあまあのものが出来た。
大学を出てからはずっと、作品をつくるのはアトリエと決めていて、生活の場からは意識的に切り離していたのだけど、今日、それが、なし崩し的に崩れた訳だ。結構長い間、自分に禁じていたことも、崩れるのはあっけいものなのだった。これは、ぼくにとっては事件だったりする。

8/1(火)
●緑地のなかの至る所で、甘い蜜のような匂い、綿菓子のような匂いがした。花が咲いている訳でも、果実が実っている訳でもないのに。これは何の匂いなのだろうか。樹木から染み出す樹液の匂いだろうか。四方から伸びている枝と葉に覆われて、日の光が遮断されている場所。上から大雨のように降ってくるすさまじい蝉の声。蝉の鳴き声には、耳から脳天にキンキン突き抜けるような、カン高い、引っ掻くよなノイズが含まれている。よく聴いていると、音に個体差があるのが分かってくる。ひとつの音も、たえず調子を変化させている。上空を鳥が飛び、その影が上空を覆う葉におちて、それを裏側(下の方)から、ぼくが見ている。
強い光をしばらく浴びていると、そのあと何故だか眠くなる。椅子に座ったまま、上を向いて口をだらしなくあんぐりと開いた格好で、3〜40分ほど、うたた寝した。でも、もしかして、これって熱中症の初期症状なのかも。それにしても、こういう眠りは、身体が宙に浮くような気持ち良さなのだった。
●夜遅く、やや道幅の広い裏通り。両側を高いビルで囲まれている。日中にたっぷりと熱せられた地面から、生あたたかい湿った空気がゆっくりとゆらゆら上昇している。人通りは少ない。少し離れた先に、女の子の2人組がいて、ちょっと浮いているくらいのカン高いハイになった調子で喋っている。(酒がはいっているのか。)その声は、両側の建物にぶつかってばらけながらも、暑い空気で歪みながらあたりに散ってゆく。
「もう、○○ちゃんの努力にはアタマが下がるよ。全く、あいつそのこと知ってんの。いいよ、いい感じだよ。心に響くものがあるね。」すれ違いざまに、この言葉がはっきりと耳にはいってきた。「心に響く」なんていうのは、陳腐な慣用的表現といっていいと思うけど、まさに、その時「心に響くものがあるね」と発せられた、カン高く調子の外れた声は、ムッとするほど湿って生あたたかい空気のゆれているビルの合間で、本当に「心に響く」ような不思議な響き方であたりの空気を揺さぶって、ぼくは、「心に響く」という言葉を、初めて発見したような感じがした。
街なかの夜中のけやき並木の脇を通り抜けるとき、昼間の緑地と同じような、甘い蜜のような匂いがした。やはりこれは、木の匂いなのだろう。

8/2(水)
昨日あまり眠っていないので、また例によって昼頃、うとうとと眠る。ちょっとうとうとと、というつもりだったのに、実はかなりぐっすり寝入っていたようで、眠っている途中で、近所で工事している公民館の建物の足場の鉄骨が崩れ落ちたのではないかというほど、大きなガラガラガラッという音がして、かなり驚いたにも関わらず、目が覚めきれなくて、半分眠ったままで驚いていると、どうやらその音は雷だったらしく、つづいてサーッと雨の音が近づいてきて、だんだんと、そしてかなり激しく降り出してきた。ビリビリ、バリバリと激しく炸裂する雷と、大粒で強く降っているらしい雨の音を頭の隅で感じながらも、それでもまだ半分眠っていて、というか意識は起きようとしているのに、身体がそれを無理矢理押さえ付けるように眠りつづけていて、いや、もしかしたら逆で、身体は音に反応して起きようとしているのに、まだまだ眠っていたいというだらけた意識に負けていたのかも。
それで結局、目が覚めたのは3時過ぎで、これはいくらなんでも眠り過ぎだと、1日を無駄に過ごしてしまったと思いながら起き上がって、とりあえずコンビニへ行くために外へでると、本当に雨なんてふったのだろうか、というカラッとした天気で、それでも所々に雨の名残りらしい水たまりがのこっていた。

8/3(木)
身体の内側から皮膚の表面へ、湧き出るようにじっとりと汗が浮かんでくる。首筋や腕や顔などを、大きめのタオルで押さえると、思いのほかその表面が濡れている。体温が上昇して、頬が赤くなっているのが分る。身体が水分を欲しているので、水を飲む。ごくごくごく、と一気に飲みほすのではなく、少量づつ口に含み、何度も何度も口に入れる。こういう年寄り臭い飲み方をするようになってから、どれくらいになるのか。するとすぐさま、今度はまるで湿疹のように、粒状になった汗が浮かんできて、背中や胸を流れ落ち、シャツに濡れた染みができる。まだ冷えた水の残っているペットボトルを、後頭部と首の境目、ちょうど髪の生え際のあたりにあてて冷やす。何故か、アントニオ猪木の延髄切りを思い出す。
目の前を、白い帽子に膝丈のパンツで、鮮やかな水色のシャツが眩しい爺さんが、身体の大きさに対して随分小さい、子供用みたいな自転車を、こんなにゆっくりで、よく倒れないものだと感心するくらい、異様にのろいスピードで漕いでいる。そのスピードは、まるでスローモーションのフィルムを観ているような、現実感覚を揺るがされるくらいの遅さで、しかも、後ろから自動車や通行人までもが平気で抜いてゆくなかで、爺さんは堂々と自分のペースを守り、何だかよく分らない、民謡のようなメロディーを、間をおいて切れ切れにうなってさえいる。強い日射しのなかの、真夏の白昼夢のような遅さ。頭がクラクラする。

8/4(金)
●「今日は昨日ほど気温は上がりませんが、肌にまとわりつくような蒸し暑さになるでしょう」と、天気予報で言っていた。午前はまさにそのとおりのジトジト感。皮膚の表面がじっとりと湿ってくるのは汗によるものなのか、空気中の湿気によるものなのか。いかにも夏らしい積乱雲が出ているが、上空には、すでに鱗雲もみられる。
●蝉の抜け殻を2体みつけた。そのうち1つは、6本の足で1枚の葉をぎゅっと抱き締めたまま、抜け殻となっていたのだった。蝉の、ほとんど無いに等しいだろう脳でも、脱皮というか変態というのは、かなりの苦痛や不安を伴うものなのだろうか。それとも、何かを抱き締めるという姿に、不安や苦痛を読み取ってしまうのは、人間の勝手な思い込みに過ぎないのだろうか。抜け殻にも、産毛というのか、繊毛のようなものが生えているのだった。(カブト虫もみつけた。)
●紺のキャップに、薄桃色のタンクトップ、というよりランニングシャツを着た、真っ黒に日焼けした5、6歳くらいの男の子が、スポークの部分が黄色い自転車に乗って、カッとばしていた。この、スポークの黄色が、背景の、空き地に生い茂る雑草の黄緑色と相まって、やけに夏、というか、夏休み、という雰囲気を醸し出していたのだった。

8/5(土)
●まさにこれから1日が始まろうとする朝5時過ぎ、ずっと起きていたぼくはそろそろ眠ろうかと思って、その前に何か飲み物を、と近くの自動販売機まで出た。すると1羽のカラスが、いつもの憎たらしいまでの精悍さとは全く違うマヌケな姿で、ヒョコヒョコと尻を左右に振って「歩いて」いるのだった。アヒルなんかの歩き方より、もっとユーモラスにおかしな感じで。それも、まるで散歩を楽しんでいるかのように、いや、これはどう見ても「散歩」をしているとしか思えない姿なのだった。ヒョコヒョコ歩いては、あちらこちらで立ち止り、下から木の上を眺めたり、首をかしげるように遠くを見たり、地面に落ちているゴミにちょっかいを出して遊んでいたりする。誰にも見られていないと思って気を緩めたのか、不器用にヨタヨタしながら散歩を楽しむカラス。カラスはやはり、ただ者ではない。
まだ5時半前だというのに、団地の出入り口から中学生くらいの女の子が制服に肩からテニスラケット入れをぶら下げて出てきた。女の子はツツツツッと早足で道を歩きながら、2、3度素振りをするような仕種を見せる。これから部活の「アサレン」なのだろう。夏の日の朝の光。今日も暑い夏の1日が始まろうとしているのだった。でも、ぼくはこれから眠るのだけど。

8/6(日)
●中央線の三鷹〜中野の間くらいの、電車の窓から見える光景は、細かい建物がゴチャゴチャと建て込んでいるかと思うと、案外、緑や空き地なんかが多く、高い建物がほとんど無いので、電車からはかなり遠くまで見渡せ、その先には着色したような空と、もくもくと沸き上がる積乱雲が見える。細く複雑に曲がりくねる道づたいに、古い朽ち果てそうな建物と、新しいペラペラな建物が混在していて、そこにあちこち緑が絡みあうように存在して、ポツン、ポツン、と風通しを良くするためでもあるかのように空き地が点在している。空き地には、倒れている杭や千切れた鉄条網、車体が凹んでいるような車、アスファルトのヒビから生えてくる雑草などがあり、荒んだ感じを漂わせ、空き地によって露出させられている建物の側面の壁も、染みやヒビが浮きだしている。
と、突然、青くゆらゆら輝く大量の水の塊と、大勢の裸の人々、つまりプールが視界に飛び込んできて、線路際にあったので、すぐに去っていった。電車のなかなので聞こえるはずもないのに、プールサイドの、ワーキャーいう、ワンワン響くような歓声が耳にのこったような気がした。

8/8(火)
●野球場の外野の芝生が、強い光を受けてまるで蛍光ペンの黄緑色みたいに、ぼうっと光って見え、それとの対比のせいか、芝生が禿げて土が露出している部分も、決してそんな色であるはずがないのに、土の色が蛍光オレンジみたいな色で輝いて見えた。蝉の声。ゴミ箱がひっくり返されて、荒らされている。近くに、つつつ、と歩く白地に黒ブチの猫。今年はまだ蛇を見ないなあ、なんて話をしていた。年々、蛇が出る頻度は減ってきている。『まむし注意』の看板が立っているのだが。
●光を浴びることの歓び。暑い、暑い、と文句を言いながらも、強い日射しが照りつけ、地面から沸き上がり溢れ出るような緑の氾濫を目の前にすると、ついついなんだか嬉しくなってしまい、調子こいて長い時間、外へ出て過ごし炎天下の光を浴びてしまうので、ここ2、3日、夕方になると頭痛がひどくなる。アイスノンで後頭部を冷やす。バファリン常時携帯。

8/10(木)
●電車が駅にとまってドアーが開いたとたん、ホームの向こう側に生えている雑草の緑の葉に撥ねて散らばるっている日の光がいきなり目に飛び込んでくる。それと同時に蝉の声も雪崩れ込み、空調のウンウン唸る音と混ざる。早足に人々の影が横切る。前を歩くひとの着ている服の、薄くてサラサラした生地が、歩くのにあわせて軽やかに揺れている。
●道の隅に停めてあるメタリックなシルバーの、昆虫を思わせるような軽自動車。そのボンネットや屋根に、車の上を覆っている木の、ひとでのような形をした葉っぱの影が落ちている。ピカピカに磨かれた輝くシルバー。やや黒く色の付いたフロントグラスに、直射日光が反射している。白っぽい色のアスファルトからの照り返しが、目を開けていられないくらい眩しい。サルスベリの木の表面には、治りかけのカサブタみたいな、剥がれかけの表皮がところどころにくっ付いている。剥がれかけている部分は、バリバリに乾燥して硬くなっている。おそらくこれを剥がすと下から、若いつるつるした皮膚があらわれるのだろう。
《何かを感じたり見たりしている時と、それについて書いている時とは、決して一致しない。見、感じたことを書きつつある今は、それを感じていたときを思い出しながら、今、書きつつある言葉を感じていて、それと同時に、今、部屋の中にいてコンピューターの前にいる、という現実の状況そのものも、感じているのだった。》
●小さな蝶々は、わりと直線的に素早く動くけど、大きな羽根の蝶々は、ジグザグした軌跡で、ひらひらとゆっくり飛ぶ。
●緑地は昨日の夜の雨のせいで、じめじめしていて、すえたような土のにおいと青臭い緑のにおい、それと薄荷のような刺激臭などでむせかえる程満ちていて、空気の容積に対してにおいの濃度や種類が過剰すぎる感じになっている。うっそうと伸びた葉や茎や枝で光が遮られて、薄暗くて閉ざされた感じのこの場所に、わずかな穴から侵入してくる木漏れ日が、ピンスポットで部分部分を眩しく浮き上がらせている。ふっ、と一瞬だけ、甘い蜜のようなにおいが鼻先をかすめた。このにおいが何処からくるのか、鼻をクンクンと聞かせて探ってみるのだが、あまりに濃くむせ返るにおいが充満するなか、ふっとあらわれては、ふっと消えてしまうので、それが何のにおいなのかは分らなかった。
(でも、この甘い蜜のようなにおいは、夜になると、例えばねけやき並木の脇などを通る時に、かにり強烈にたちこめていることがある。だとするとこの甘い蜜のようなにおいは、何か特別なものが放つにおいではなく、ある種の樹木が、その樹全体で発するものなのだろうか。銀杏はある季節、夜になるとツーンとするかなりキツいにおいを発したりもするし。でも、この甘さは、どうしても樹木からのにおいというイメージとはうまく一致しない。花とか実とかだったら分るのだが。)

8/12(土)
●今ぼくは、連日照りつける眩しい夏の光にしか興味がないのかも。このどうしようもない暑さは、確かに身体にはこたえるのだけど、このどうしようもなく強い光が、あらゆるものの色彩をくっきりと浮かび上がらせ、濃い影を物の表面に落とすのを見、その光を浴びる歓びに惹かれてしまっていて、人間のする事なんてどうでもいい、という感じになっているらしい。もともとぼくには、そういう傾向があり、それが増長されてしまうのは、社会的に生活するにはかなりヤバいので、気をつけなくては。

8/13(日)
●ウチを出てすぐ右のところ、ラッパの形をした、黄色から赤のグラデーションの白粉花の花や葉が、しとしとと落ちている雨にうたれて、うなだれたように下を向いている。涼しくて湿った空気。傘をさして駅へ向かう。
電車の床に、傘の先から垂れる水たまりが、表面張力で僅かに膨らんでいる。
この、青々と緑が生い茂る季節にも、まるで髪の毛が生え変わるように木の葉も生え変わり、茶色く枯れて乾燥した落ち葉を落とす。(それにしても今日、こんなに多いのは、雨のせいか、それとも土、日で清掃員が休みのせいなのか。)地面に散らばった茶色の枯れ葉が、それほど厚くはない雨雲にろ過されて地上に届くぼんやりとした薄くて白い日の光のせいで、妙に、赤っぽくて生々しい色で、ぼうっと浮かびあがっているように見える。空中は暗いのに、地面ちかくだけ、変に明るい。
大学のまわりに、最近になってからかなりの本数植えられたヒマワリは、全く根がつかなかったらしく、皆、まるで火事にでもあって焼け爛れてしまったかのように、焦げ茶に乾燥して、内側に丸まるようにして縮こまって枯れている。こんなところにカッコばっかりのヒマワリを植えて、それで見栄えがよくなるとでも思ったのだろうか。そのまわりでは、雑草が僅かの土から溢れるばかりに伸びているというのに。
サルスベリの木肌の表面が、雨に濡れて、気味が悪いようにヌラヌラとぬめった光沢をみせている。ぼつり、ぼつり、と、紫色の花が、そこだけ別物のような、非現実的な色で咲いていた。
●大学のある駅の駅前に、広大なアウトレット・モールが出来つつある。この建物が、常軌を逸した趣味の悪さなのだった。いや、趣味が悪い、と言うならば、悪いなりの、ある統一した趣味が貫かれているのだろうから、正確には、趣味が無い、と言うべきなのか。げんなりするような、いいかげんにしてくれと言うような、趣味の悪さではなく、なんともグロテスクな、絶句するしかないような、趣味の無さ、なのだ。(いい歳をして、自分の趣味も好みもなくて、ただヒットしている曲を、それがヒットしているからという理由だけで次から次へと聞いている人、みたいな。)
ちょっと前に流行った、様々な様式を折衷した、ポスト・モダン建築のような感じなのだが、それは、ある程度知的な人が、狙って作ったものだから、ある弱さのようなものをもっていて、なんだこれは、と悪口を言うくらいの余裕はもてるのだけど、こちらの方は、経済的な原則だか、出資者のコンセンサスだか、トレンドに関するマーケティングだかなんだか知らないが、そんな名前の訳の分らない魑魅魍魎たちの無意識の集合によって出来上がったような、凄まじいシロモノなのだった。
こんなところへ、いい歳をしたおっさんが家族連れで買い物にやってきたとして、一体どのようにして存在していればいいというのか。一流のデザイナーが必死でデザインし、一流の職人がタンセイ込めてつくりあげた服が、こんな場所で売られていると知ったら、彼等は一体どう思うのだろうか。それでも売れたほうがいいと思うのか。というか、何でみんなこんなものに平気で耐えられるのか。神経どっか切れているんじゃないのか。というか、目に見えているものを、見ていないんじゃないのか。

8/15(火)
●曇ってはいるけど、雲は見えず、空一面が真っ白で、空全体が、ぼおっ、と光っているような天気。薄い光が遍在していて、光源がはっきりしない。ものの影が、ごく薄くしか落ちない。街道脇の銀杏並木の影も、ホームに並ぶ人々の影も、あるかないかくらいに希薄だ。

8/18(金)
●緑地のなかでは、もう四方八方から蝉の声が降ってきていて、その音を浴びる、というより音のなかに浸かっている感じがする。声といっても、湿った呼吸器官を通ってくることのない乾いた音。ざらついた羽根を擦り合わせている音なのだから当然のことなのだけど、ブーンと飛んでいる昆虫の羽音をガサガサに荒らしたような乾いた音が、夏の湿った雑木林を満たしているのは不思議な感じだ。
葉や枝が幾重にも重なっているのでそれらに遮られ、大きい木の高い枝は風で結構大きく揺れているのに、ぼくが立っている地面のちかくは、ほんの少しそよぐ程度の風しか通らない。湿った空気がこもっていて、その少しの風に運ばれ、湿った土のにおい、腐りつつある枯れ葉のにおい、緑の葉の青くさいにおい、どこからくるのか分らない甘い蜜のようなにおい、などがそれぞれ混じり合うことなく、入れ替わり立ち替わり鼻先まで運ばれてくる。

8/22(火)
●コンビニで買ってきた『ココナツミルクティー・ブラックタピオカ入り』というのが、以外にも美味しかった。紅茶にミルクを入れると、紅茶の香りと味が一層強調される、ということを、愚かにもぼくは最近やっと気が付いたのだけど、それがココナツミルクだと、紅茶の持つ植物的な生々しさがさらに力強く前にドンと出てくる感じなのだ。当たり前だけど、お茶というのは、強くにおいを発しながら青々と茂っている、あの葉っぱなのだということがリアルに実感される。それでいて清涼感も増幅されてる。これはいかにも暑くて湿気の多い所のものという感じがする。(何をコンビニの既製品でグルメぶってやがるのか、普段ロクなもの食ってねえな、とバカにされても当然だが。)

8/24(木)
●うすぐもりで、じっとりした蒸し暑い朝。皮膚に浮かんだ汗が、蒸発しない。腰痛持ちのYさんは、前かがみになって腰のあたりを、とんとんとんと、拳でたたいていた。Sさんは、こういう陽気が一番苦手だよ、ホント、ここ2、3日はまいるよ、ほとんど眠れてないよ、とこぼしていた。蝉の死骸を知らないで踏みつぶしてしまった。まるで乾燥した枯れ草を踏んだ時のような、湿り気の全くない、カサッ、という感触。清々しいくらいの、サクサクッとした感じ。
●ずっと持続しているので、意識の前面からは後退してしまっていて、時々はっとした時に耳につく、エアコンがブーン、ブーンと唸っている音。屋外から、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、と蝉の声が壁を通して染み込んでくる。立方体の発砲スチロールの上に置かれている、鉢植えの植物。伸びる茎、垂れ下がって溢れる葉。コーヒーの渋みと香りが鼻から抜け、重たい液体が胃のなかへ落ちてゆく。ふちからこぼれたコーヒーの雫の跡が、カップに濃い茶色でのこる。やや汚れて黄ばんだ白いソファーのカヴァーがよれて、複雑な皺をつくっている。フカフカしたソファーが身体のまわりを包む。カヴァーを通したソファーの手触り。頭の芯が痺れて眠くなってくる。今がいつで、自分が何処にいるのか、一瞬だけ分らなくなる。
●昼過ぎの屋外。日が出たり、隠れたり。『まるで過ぎてゆこうとする夏を惜しむかのように蝉が鳴いている。』とか、そういう恥ずかしい文を書いてしまいそうになる程、蝉の声がわんわんと渦を巻いて耳に貼り付く。楕円形の小さな池の脇で、作業服で首にタオルを巻いた男が、地面にあぐらをかいて座って、バインダーに挟まっている書類に目を通している。書類の白。くわえタバコ。煙りが舞う。風でバインダーの書類がパタパタするのを、邪魔くさそうに手で押さえる。首に巻いたタオルで、額の汗を拭う。
●グレーのスチール製の事務机。整然と並んでいる文房具類。ペットボトルの頭を無造作に切って、そこに水を張った花瓶。そこには、そこいらから採ってきたような花が挿してある。白くてとても小さな花が、細い茎の先に幾つも咲いている。ペットボトルのなかの水が、その向こうからくる光を屈折させている。
●図書館の裏に、ジャコメッティの群像のような立ち方をして生えている、3本のひまわり。
●工事をしている。表面のアスファルトを砕いて、その下の土を掘りさげた細長い長方形の穴。穴のなかには、とこからか漏れ出してきた濁った水が溜まっている。その水に、膝の上まで浸かって作業している男。水を汲み出しているポンプが時おり、ブブブブブブブ、という大きな音をたてると、溜まっている水のなかでまるに大きな魚でもいて、それが撥ねでもしたみたいに、水面がブクブクッと波立つ。

8/25(金)
●昼頃、買い物に出た時のこと。近所の公民館の建築現場で働いている若い男が、今日は店が閉まっている小さな和菓子屋の軒下の影になっているところで、地面にじかに横になって、猫のように丸くなって、すやすやと眠っていた。今日も蒸し暑い1日。やけにきもちよさそうな眠り。買い物からの帰りには、その男はもうそこにはいなかった。

8/26(土)
●そこいらじゅうに生えている「ねこじゃらし」の穂が、ほんのりと茶色っぽく変わりはじめていた。変色しはじめたばかりのその茶色は、日の光に透かしてみると、紫がかっても見える。ぼくはずっと、蝉は羽根を擦らせて鳴くものだと思っていたけど、考えてみればそれは鈴虫やなんかのことで、蝉は鳴いている時、特に羽根を動かしているようには見えない。(鈴虫は、はっきりと羽根を拡げてそれを震わせて鳴く。)だとしたら蝉は、あのガラガラに荒れていて、ビリビリと響くデカい音を、どうやって出しているのだろうか。蝉の声は建物の中にまで染み込んで聞こえてくる。あの小さくてスカスカの身体から出るにしては、あまりにも過剰な音。
●蝉の声のあの寂寞感ていうのは何なんですかねえ、とTくんが言う。簡単に納得しがちな、分り易い答えとしては3つあるんですよ、1つは高周波、一つはミニマル、もう一つはノイズ、ってことなんですけど、あの鼓膜の周辺をぼーっと痺れさせるような、鼓膜を弄するような感じが、高周波なんですかねえ。
窓を全開にして、蝉の声を呼び込みながら、ファンタズマゴリアとフィリップ・グラスのCDを聴く、昼下がり。
●それから、Tくんと、「笑点」とか「暴れん坊将軍」とか「NHKのど自慢」とかの、長くつづいている国民的な番組の寒々しいまでの荒廃ぶりについて話す。「あの円樂の生彩のなさはただごとじゃないですよ、どこか悪いとしか思えない。」「廃墟のように荒廃しきっている大喜利」「あれを正視するには相当な覚悟がいる」「時代劇に出てくる人の顔が全然駄目、悪代官なんかに見えない、コントとしか思えない、そこらのおっさんがカツラかぶってるだけ」「のど自慢に出てくる《若者》っいうのは何なのか。どういう世界に生きているのか」「同じ林家一門で、こん平とペーを入れ替えてみたらどうだろう。あのアナーキーなまでのつまらなさ」「いや、いまさらその程度のテコ入れではどうしようもない」これらの人気長寿番組の尋常ではない崩壊ぶりは、現代の日本社会の荒廃を正確に写してしまっているのではないか、とかなんとか。

8/27(日)
●アトリエへと向かう途中の、小さな川の土手というか、中学の校庭の脇に生えている栗の木に、もう青いイガイガした実が沢山ついていた。しかし、それにしても暑い。丘というか小山というか、そういうものの中腹にあるアトリエまで歩いて昇り、アトリエについた途端に上半身は裸になるのだが、汗がどっと吹き出して身体を流れ落ち、ポトポトと床にたれる。

8/28(月)
●大学の同級生の画家Kと2人で、批評家のMさんに博多風豆腐懐石を御馳走になる。屈まなければ通れない茶室風の障子から入る、掘り炬燵のある個室。こういう所で食事するのは初めて。Mさんは昼に軽めのフレンチを食べたらデザートにワインが入っていて、午後の間ずっと眠かった(全く飲めないそうだ)とか言っているし、息子さんも若いのに美食に慣れた感じで、こういうのを「育ち」の違いというのか、と思うのだった。いや、その育ちの悪さのおかげで、ぼくは現在の粗食生活にも平然と耐えられているのだが。
料理の方は、大豆七変化という感じで、大豆の味の様々な側面を味わうことが出来たのだった。コンビニの豆腐のみを、豆腐だと思ってはいけないのだ、当然のことなのだけど。(料理について描写しようと思って、はたと、自分には料理を描写するための語彙が全くないのに気づく。)
●友人Kとは久しぶりに会ったのだが、彼女は体調や機嫌の良し悪しがはっきりと外面に出る人で、ヤバいときは、思いっきりヤバーい顔をしているのだけど、今日はやけに血色が良くて元気そうだった。だいたい彼女は身体が弱くて、元気のなさそうな青白い顔をしている事の方が多いという印象なので、なんか今日はやけに元気そうじゃん、と言うと、最近、弟(昆虫の研究をしている。今、アルゼンチンへ学会の発表の為に行っているそうだ。)からプレゼントされたローヤルゼリーを飲んでいる、とのことだった。Kのことは、18、9の頃から知っているのだが、これだけ元気そうな姿をみるのは珍しいことで、「ローヤルゼリー」というものがそんなに効くものならば、値がはりそうだけど試してみる価値はあるのかも、と、最近年齢によるのだろう体力の低下をヒシヒシと感じているぼくは、つい思ってしまうのだった。(健康食品というのは、どうもうさん臭いという思い込みがあるのだが、「ちゃんとしたもの」は、ちゃんとしているのかも。)
●Kを送る為に回り道した帰り、ちょうど電車の連絡が悪くて、20分くらいホームのベンチで待たなければならなかった。田舎の駅なので人影もまばらで、線路の向こう側には金網で仕切られた細長い空き地が、雑草が生え放題の荒れた状態で拡がっていて、ホームに近い部分がホームの明りで浮かびあがっている。何故かぽつんと自転車が1台放置されている。空き地からは沸いてくるように虫の声が聞こえている。夜遅くなっても蒸し暑いが、風は心地よく吹いている。右手には無表情なコンクリートで出来た3階だての駐輪場があって、そこから蛍光灯の無機質な光が暗闇のなかにぼうっと漏れ出ている。蛍光灯の一つが切れかかっているらしく、パチパチと点滅している。
こういう時間、ぼくはただただぼーっとしている。身体も頭も完全に空洞になったようで、聞こえてくるもの、見えているもの、肌に感じるものなど全てが、ぼくの身体のなかへ入って何度か反響しては、そのまま出ていってしまうような感じ。だいたいがぼくはぼーっとした人間で、普段からぼんやりとしているのだけど、それでも日常的には何かしらの用事で追われていたりして、なかなか完全にぼーっとすることは出来ないので、こういう時間はとても貴重なのだった。何に使える訳でもない、ただ待っているだけの時間。

8/31(木)
●雨降りの朝。じめじめした空気。建築現場を覆う安全のためのシートが、湿って重そうにしんなりと垂れている。近所の庭の金網に、朝顔の蔓が絡み付いている。三宅島の噴火のニュース映像に、火山灰まじりの雨に濡れて、黒く汚れて毛が逆立ってしまっている猫が写しだされていた。ぬかるんだ地面の、濁った水たまりの水を飲んでいた。駅へと向かう、傘をさす人の流れ。まだ31日だというのに、制服を着た高校生の姿が目立っていた。
●午後には雨はあがった。小さな池のまわりに親子連れ。母親2人と5、6歳の子供も2人。子供は、手にビニール袋をさげている。池の縁でかがみ込んで水面に触れている子供達。ビニール袋のなかには、捕った魚でも入っているのだろうか、底の方に白くて細長いものが横たわっている。しかし、魚が入っているにしては軽そうに、ビニール袋は風に吹かれて身軽にふわり、ふわり、揺れている。目をこらして見ても、この位置からでは遠すぎて袋の中味までは分らない。それとも、水あそびで濡れた靴下でも入れているのだろうか。生臭くテラテラと輝く感じの魚の腹の白さみたいに見えるのだけど、ビクビクッと動く気配も全くないので、もし魚だったら死んでしまっているのだろう。子供達のカン高い奇声は、ここまでもよく聞こえてくる。
●小さい雲が折り重なるようにして空全体を覆っているのだけど、その隙間から漏れてくる白い光はとても澄んでいて、ちらちら覗く空の青も、なんだかもう夏の色とはちがっているように思えた。
●アトリエの大家の爺さんが亡くなったことを知った。


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