Let us walk into the image(日常)

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4/10(月)
午後から雨。花ちらしの雨。
雨にうたれた桜の花びらが、ぽろり、ぽろりと、少しづつ落ちてくるのを、しばらく立ち止ってみている。こぶしの木の、反ったような形の花びらも、木の下に濡れて散らばっている。はしり去る、黒い自動車の車体に、雨に濡れた桜の花びらが、びっしり貼り付いていた。
夕方、一度雨があがる。子供たちが外へでで遊ぶ。老夫婦の連れた犬が、円を描いて走りまわる。空も明るくなってきた。このままあがるのかと思ったら、急に、サーッと、カーテンをひくような感じで、再び強い雨が落ちて来る。強いけど、細かくて、音の静かな雨。雨樋から、落ちる水。雨があたる街灯。湯気がたっている。こういう雨は知らないうちに濡れる。
雨のため、誰もいない工事現場。張り巡らされたネット。その隙間から、縦横にびっしりと組まれた足場のための鉄パイプ。くすんだ光のなかでは、廃墟みたいに見える。くすんではいるものの、かすかに白い光を放っている曇り空へと、高く高くのびている、クレーン車のアーム。

4/12(水)
夕方、今度は駅前のパン屋まで買い物。駅前にいつもいる、真っ赤なキャップにグレーの長髪の、どことなくマイナー系ピンク映画の監督といった風情のホームレスが、駅の階段の下に胡座をかいて座っている。ポケットからタバコを取り出し、一本手に持って口まで運ぼうとするのだけど、その間にぽろっと地面に落としてしまう。何度も何度も同じ動作を繰り返すのだけど、その度に、ぽろっ、ぽろっ、とタバコを落としてしまう。何度やってもどうしても落としてしまうのだった。それをしばらくの間、ずっと見てしまう。
スーパーのお惣菜売り場で、たらの芽の天ぷらを買って塩で食べる。まあ、スーパーのなんだから当然といえば当然だけど、ころもがくちゃくちゃしていて油っぽく、たらの芽の味も香りもなくて、ただ腹がもたれただけだった。パン屋で買った、ガーリック・フランスというパンと、胡麻の入った捩りパンみたいなやつは、美味しかった。

4/17(月)
目を酷使し過ぎ。また、目が悪くなったかも。頭痛。
とか言いつつ、本を読んでる。BGM、ビル・エヴァンス『EVERYBODY DIGS』チョコレートとコーヒー。
爪を切る。夕方から、雨がぽつぽつと降る。青い空も太陽も見えているのに。ビニール傘の骨が一本折れて、傘を突き破っていた。
ビデオを返しに行ったら、ビデオ屋の店員が『悪魔のいけにえ』の冒頭にヒッチハイクして車に乗ってくる怪しい長髪の痩せこけた青年とそっくりだった。
夜、つけっぱなしのテレビに左とん平が出ていて、『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』をやっていた。音を消して、ジェームス・ブラウンの『OUT OF SIGHT』をかけたら、結構ハマッた。

4/18(火)
朝、一駅だけだけど混んだ電車に乗らなければならなかった。階段を降りかけたところで電車が来たので、あわてて走って乗り込んだ。ドアが閉まったとたんに、気分が悪くなり、吐きそうになる。
混んだ電車に乗ったくらいで気分が悪いなんて、何かいかにも神経質で繊細ぶったひ弱野郎みたいで嫌なのだけど、体調があまりよくなかったのと、独特のいろいろ混ざった臭い(今日のは、おろしたての春物スーツから微かに香る防虫剤の臭いと、男性用整髪料、しかも柳屋のヘアトニックみたいな臭いが、薄く混じったものだった。中途半端に薄まった臭いは、濃くてキツいやつよりも一層気持ち悪くなる。)、で、やられてしまったみたい。いそいでかき込んだ朝飯と、そのあとすぐ走ったってのもよくなかったか。
元気な時にはどうってことなくても、体調によってはある種の臭いがどうしても耐えられないことがある。やな汗が額から吹き出し、胃がむかむかし、頭がくらくらする。とにかくしゃがみ込みたかったけど混んでいて出来ず、なんとか一駅耐えた。
感じるか感じないかくらいのうすーい臭いは、鼻から脳を刺激するというより、直接内蔵に作用するのだろうか。人がこぼれ落ちそうなくらいゴッタ返したホームで、柱に寄り掛かってしばらく休んだ。外の空気を吸うと、すぐに何でもなくなる。
《路上に駐車してある車のフロントグラスに、上空を飛ぶヘリコプターが映って、フレームを横切った。》

4/19(水)
午前4時過ぎ。まだ真っ暗で誰もいない、わずかに蛇行する道路、そこに点々とつづいているオレンジ色の街灯の灯り、の、下を、とぼとぼと歩く。10分もすると、空がすこしづつ青く、明るくなりはじめる。
いきなり、脇道から、孟スピードの車が飛び出してきて、急カーブして去って行く。キュッ、というブレーキを踏んだときのタイヤの軋む音。走り去るエンジン音、は、すぐ消える。
キィッ、キィッ、キィッ、という鳥の声、が聞こえはじめた、のが、午前5時10分くらい前。そろそろ車やバイクが、ちらほら。
長くゆるやかに上る道を歩く。6時前にはもうすっかり明るい。でも、曇っている。
駅前の店が、一件つぶれていた。でも、ここ何屋だったかなあ。(思い出せない。)
生け垣の木は何ていう名前なのか知らないけど、新芽が赤い。けっこうイイ赤。

4/20(木)
アルバイトしている所で、『職場の標語』みたいなものを募集していて、そんなの関係ないやと思っていたら、お前も出すように、と言われ、しかたなく考えてみる。
最初は嫌々、めんどくせー、とか思いながら考えていたのだけど、いかにもわざとらしくて、白々しい言葉を見つけだしてきて、それらをあれこれと組み合わせたりしているうちに、段々と面白くなってきて、こんなのもあり、あんなのもありでしょう、と、いくつも作ってしまった。しかし、ふと、こんな何の意味も実体もない『嘘の言葉』を並べ替えて、嬉々としている自分を『俺って、なんて口先だけ、言葉だけの、くだらない人間なんだろう。』と感じてしまい、結構、落ち込む。すっかり、うんざりしてしまい、つくったなかで一番出来の悪いと思われるのを選んで、一つだけ提出しておいた。
夕方、降り続いていた雨がやみ、すーっと雲が切れて、まるでいきなり灯りをつけたように、ある瞬間に、ぱっ、と明るくなった。外にぼんやりと立っていたので、びっくりした。

4/21(金)
散髪。2週間以上前から、もう切らなくてはとずっと思っていたのに、めんどくさくて延び延びにしていた。もういい加減鬱陶しいので切りに行く。珍しく店長が出てきてカット。ここの美容室を紹介してくれた女の子の話では、この店長はどっかの有名な店で働いていた優秀な人らしいのだけど、業界特有の上昇指向の強さというか、ワンランク上を狙ってシノギを削る成り上がり体質が嫌で、独立して、郊外に、最新流行とかいうのとは無縁の、主にオバさん相手の気楽な店をかまえたのだ、ということらしい。どう見ても働き者には見えないし、客商売にありがちな、人当たりは柔らかいのだけど裏の野心が透けて見えるという感じもないし、店が開いているはずの昼間っから、駅周辺をうろうろとしているのを見掛けたりするしと、まあ、きっとそういう人なのでしょう。店の奥からやる気のなさそうにのそのそと出てきて、無愛想に始めるのだけど、さすがに手付きはどのスタッフより鮮やかで、へーっ、って感じ。
夕方、出かけようとして傘がないのに気づく。多分、昼過ぎに買い物に行ったコンビニに忘れてきたのだろうと思い、レジの人に聞く。すると、店の奥の商品の倉庫のような場所に通された。ほとんど毎日通っているコンビニの奥を初めて覗いた。隅の方に大き目のバケツが置いてあり、そこに沢山の傘が立て掛けてあった。これがここ2〜3日の傘の忘れ物なんですが、このなかにありますか、と言われる。独特の湿った雨の臭いのする沢山の傘をかき分けるようにして捜す。見つかった。店の人にお礼を言い、それだけじゃ何だからビールを買って帰る。ぱらぱらと細かい雨。

4/24(月)
夕立。激しい雷。それが止むと、空は澄んで青く明るいのに、地上はへんに黄色っぽい、ぼうっとした光につつまれていた。どこから光がきているのか分らないような、ものたちが皆、内側から黄色っぽく発光しているような、無気味な感じ。澄んだ空には、きれいな虹。地上と空とが切り離されて、全く異なった光の状態になっている。

4/25(火)
強い光。竹薮に竹の子。竹の子を掘った穴。竹の葉が風でさらさら鳴る。まだらな光が揺れる。

4/26(水)
雨、降ったり止んだり。折り畳みの傘、光沢のある渋い黒のやつ、結構気にいってたのに壊れてしまった。ホネがバッキリと折れる。でも、これ拾ったやつだったか。(前に壊れたのとは別のやつ。)
ビデオを返却に。透明のビニール傘さして。でも、小降りだったので傘畳んで、濡れながら歩く。相変わらずブック・オフは、夜のネオンのなかでも一際明るい。確かちょっと前まではここはスポーツ用品店だった。歩道の真ん中に吐瀉物が、雨で溶けかかっている。雨で歩道は濡れているのに、尻をつけてしゃがみこんでいる若い男女。小さい頃、庭の砂場で水遊びをしていて、地面に尻をつけた時の、じわっと湿った感じを思い出す。
帰りに本屋に寄る。10時半までだからもうすぐ閉店。
浅田彰の映画の本が出ていた。浅田彰が対談集以外の本を出すのって『ヘルメスの音楽』以来じゃないだろうか、と思って開いてみると、ほとんど対談ばっかし。しかも全部読んだものばかり。『リュミエール』に載ってたヴェンダースについての文章なんて、昔懐かしいという感じ。この手の情緒的な文章はもう人目に触れない場所に封印しておくつもりかと思っていたら、堂々と本の冒頭へもってきてるなんて、浅田彰もけっこう甘い人なのだなあ、となんとなく微笑んでしまう。
雨後の竹の子。明日は竹の子日和か。

4/27(木)
池の脇に、紅白のハナミズキの花が咲いている。
『ありゃあ、ハナミズキだろ。ヤマボウシはまだ芽も出てないんじゃねえか。あの、東の門のとこにあんだろ、生け垣んとこ、道路側に。あれがヤマボウシだぜ。あれ、まだ芽もでてないだろ。』
なるほど。
『ミツバはねえ、ほら、もう終わっちゃてるからねえ。今はねえ、ヤマブキとヤマツツジだねえ。ちょうどさあ、今、盛りだろうねえ。今んとこはねえ。』
なるほど。
やはり今日は竹の子日和。竹薮には、小さな芽が土の上に沢山頭を出している。でも、午後になって同じところを通ったら、もう既に荒らされていて、掘りおこされ、穴だらけで、周りに竹の子の皮が散乱していた。(『えげつない』という言葉を視覚的に表現すると、こんな感じか、というような光景。)
夕方の黄色くなった光が、黄緑の葉に横ざまに当たって、その葉と光が、ゆらゆら揺れる。
夜。雲がかかって、赤い空。サルスベリの木の表面が、街灯で、てらてらてらっと光る。
やっかいな問題が起きる。かなりめんどうなことになるか、と思われたが何とか解決。でも、なんか、後に、嫌ぁーな雰囲気を残しそうな気配。げんなり。

5/1(月)
『白日にさらされ、内蔵の暗さを思う』(古井由吉)ような天気。
アトリエの家賃を払いに、大家さんの家へ、電車に揺られて。銀行振り込みではなく、直接支払いに行かなければならないから、面倒で、何ヶ月分かまとめて払っているので、大家さんの家に行くのは4ヶ月ぶり。以前は、家の前が空き地で、農家の人が段ボール箱に野菜を入れて並べ、青空市のようなものをよくやっていたのに、いつの間にか、その空き地は、お好み焼き屋に変わっていた。大家のおばあさんの話によると、まあまあ流行っているらしく、夜になるとかなり賑やかだという。
あの、ほら、なんて言うの、電気がさ、ぴかぴかして、眩しいくらいだわよ。
大家さんの家は古くて、玄関から入るというより、庭から縁側のある方へまわって、そこから、こんにちはーっ、と声をかける。家のなかは暗くて、外からなかの様子は分らない。こんにちはーっ、と再度声をかけると、人の動く気配がして、ああ、古谷くん、と声が聞こえ、ゆっくりとおばあさんがあらわれる。
なかへ通されて、お茶とお茶菓子。暗い部屋のなかから外を眺めると、眩しくて、庭の植木や鉢植えが、風でゆらゆらしている。赤い花。おばあさんは、古びたお菓子の箱に結ばれたヒモの結び目をといて、なかから帳面やらハンコやら朱肉やらを取り出す。おばさん最近すっかり馬鹿になっちゃって、なかなか計算できないのよ、と、いつもの決まり文句を言いながらソロバンをはじく。お金を払う。ほとんど毎回同じ世間話し、おばあさんが若い頃、銀座で働いていたことや、アパートに以前住んでいた人が、今、何をしているかという話、を聞き、お茶を飲む。
あなたの大学のねえ、前の学長さん、ええと、なんていったかしらねえ・・・
ああ、トヨグチさんですか。
そうそう、トヨグチさん、トヨグチさん、いやんなっちゃうわねえ、おばさん最近すっかり馬鹿になっちゃって、そのトヨグチさんのお母さんと、わたし一緒に働いてたことがあるのよ。
ああ、そうなんですか。
そうよ、わたしも全然知らなくって、手紙いただいてびっくりしちゃったわよ。ほら、これ・・・
と言って、手紙を取り出す。この話も毎回聞く。
ああ、ちょっと待っててね、と言って立ち上がろうとする。立ち上がるまでが大変なのよ、と言う通り、ちょっと危なっかしい。家の奥に消え、冷凍した肉マンを二つ持って来て、ぼくにくれた。

5/5(金)
クリーム色の日傘が、日光を反射して輝き、ゆっくりと階段を降りてくる。朝。背景は真っ青な空。

5/8(月)
蒸し暑い。身体の表面がべとつく。強いビル風。人々の着ている服の生地が、ここ2、3日で確実に、軽く、薄く、なってきた。
寝不足の午前中、出かけるが、目的地についてから、時間を間違っていることに気づき、そのまま引き返し、午後、再び出かける。その場で、3時間くらい時間を潰してもよかったのだけど、寝不足と暑さでフラフラしていたので、一度帰った。片道1時間ちかくかかるのに。帰る途中で少しだけ雨。家で1時間だけ寝る。
午後、家を出ると強い日射し。もわっとする熱気。駅前で段ボール敷いて寝てる人。ぼくもその場にへたりこんで、眠ってしまいたい。へろへろになって歩く。
結局、用事は30分もかからずに済む。この30分のために1日使ってしまったという感じ。

5/9(火)
天気予報では、一日中晴れて風も弱く、暑い日になるとのことだったが、午後3時ころ、急に一転してみるみる日が陰り、雲が空を覆って、強い風がびゅうびゅう吹きはじめた。ごうごうと音をたてて。道行く人が次々と、立ち止って、掌を上に向け、空を見上げる。雨ではない。しばらく立ち止った後、髪の毛やら、シャツやスカートやらの裾を押さえて、足早に走ってゆく。
電車の窓から。山の斜面の、一面の黄緑色のなかに、あちこちにちらちらと、目をひくような紫色。ふさ状の花がいくつも集まって垂れている。たぶん藤の花。野生の奴。今まで藤棚みたいなものしか見た事がなかった。この、黄緑色のなかの僅かな紫は、かなり衝撃的な色。
森のなか、というほどのものではなく、まあ、小さな山の一部を残した緑地なんだけど、そういう場所は、何度も通っている場所にもかかわらず、植物たちの生育工合とか、光の加減とかによって、全く違った印象になってしまって、方向を失ってしまうということがある。今日も、いつもの道からほんの数10メートル奥に入っただけなのに、全く方向感覚がなくなってしまい、自分が深い森の奥にいるかのように錯覚して、パニック寸前というところだったけど、まあ、ちょっと冷静になれば、笑ってしまうようなバカなことで、どっちの方向へ向かったって、20分も歩けば嫌でもどこか外へ出てしまうのだったが。

5/12(金)
くもったり、晴れたり。つめたい風とあたたかい風。カラスの低空飛行。クチバシに何か赤いものをくわえているのが見えた。
ぼうっとしてると、時間は瞬く間に過ぎていってしまう。っていう言い方は何か文学少女みたいか・・・。でも、ぼうっとしている間に、国立博物館の国宝展は終わってしまったし、アニエスb.は映画が大好きパート2も終わっていた。『死者とのちょっとした取り引き』と『新しい肌』は是非とも観たかったのに。5月の終わりには、地中海映画祭で、ストローブ=ユイレの『シチリア』を上映するらしいから、これは忘れないようにしなければ。(ゴダールの『映画史』も始まるし)新聞も雑誌もほとんど読まないのだけど、せめて『ぴあ』くらいは毎週買っておくべきかも。
でも、作品をつくりはじめると、どうしても『外』の時間の流れとうまくリンクすることが出来なくなりがち。これはある程度はしょうがない。俺は情報屋じゃねえ、クリエイト(恥)してるんだ、とか、エラソーなことの一つも言ってみたりもする。でも、作品をつくりはじめると、なんて言っても、まだ実質的には何も手がつけられないでいるのだから、結局、怠けてるだけということなのだが。
夜おそく、酔っぱらった学生の集団がたてる、媚びを含み、欲情をからませたような、カン高いばか笑いがどっと沸きあがり、しばらくつづいから崩れ、また、どっと盛り上がっては崩れる、のが、遠くの方から、聞こえてくる。そんな陽気の夜。

5/13(土)
くすんだ赤の、薄汚れたシャツを着た、長髪に鬚の、見るからに挙動不振な男(何故か、ほとんど毛の抜けたボロほうきとちり取りを持っていて、まるでそうすれば周囲から目立たなくなって自分の存在をカモフラージュすることが出来るとでも思っているかのように、掃除するフリをしたりしている。勿論、浮きまくっている。)が、やたらとこちらを、ちらちら見ているので、ヤバいなあ、と思っていたら、案の定、周囲に人気がなくなったところで、つつつ、と、おもむろに近寄ってきて、ポケットから取り出した手帳のページを2枚切り取って、『これ』と言ってぼくに手渡し、今の行動を誰にも見られなかっただろうな、と周囲を見渡して、ささっと素早く離れ、また、掃除するフリをはじめた。
その紙片に書かれていることは、まあ、いかにもそういう人が書きそうな、世界の陰謀を巡る被害妄想的な内容で、支離滅裂で、誤字脱字だらけの文章がつづられている訳だけど、それをぼくに手渡すときの男の目が、何にも言わなくても俺には分かっている、お前はこれを理解できる奴だろう、お前は仲間だろう、とでも言うように、やたらと確信に満ちていたのが気になって、もしかしたらぼくも、もうすぐそちらの世界へ引き込まれてしまうのではないか、と少し不安になったりした。全てボールペンで書かれたその文章の最後に、但し書きのように鉛筆で『ご協力に感謝します。この紙を返すことをお願いします。』と書き加えられているのも、妙に気になる。

5/15(月)
何故かここ数日の睡眠時間は極端に短かった。だから今日は1日じゅうひたすら眠る。
目覚めては、トイレに行って、また眠り。また、目覚めては、コンビニでビール買って飲み、また眠る。外では雨が降っているらしいが、そんなこと関係なく、ただ眠っている。木造のボロいアパートの部屋のなかに、サーッという音とともに外から雨の湿った気配がしみ込むように入ってくるのを、浅くなった眠りのなかで感じながらも、また、深い眠りへおちる。何か夢をみたような気もするけど何も憶えていない。昼間眠るときは、いつもテレビがつきっぱなしだ。だからテレビの音が夢のなかに入ってくることもある。テレビは夢のなかと繋がっている、が、起きた時にはもう既に全て忘れている。サーッという雨の降る音は、本当に外から聞こえたのか、それともテレビの音なのか。
目が覚めて、咽が乾いているので、缶のなかに残っていた気の抜けたビールを飲む。口のなかがビールで粘ついている。目が、まだ半分も開かない。ほんんど目を瞑ったまま、流しへゆき蛇口から水をのむ。肘を冷蔵庫の角にぶつけた。胸がやけて、少ししか水を飲めない。からだはもっと水分を要求している。でも、入り口が閊えている感じ。今、何時頃だろう。
で、また眠る。汗くさいTシャツ、枕カバーから自分の髪のにおい。テレビCMの青い空。
夜。ひんやりした空気。アパートの前のコンクリートの土台が僅かに湿っているので、雨は降ったのだろう。

5/16(火)
頭痛。バファリン。湿った空気。風がない。
近所の郵便局の隣にあった古い文房具店が、知らないうちにすっかりさら地になっていた。帰り道、遠回りして河原沿いを歩いていると、そこにあった、いい感じで古びていた建物が解体の途中だった。いつも、通りの側から正面だけしか見えてなかったけど、びっくりするほど奥行きがあるのが分かった。隣にある、お稲荷さんの小さな祠と何本かのの大きな木が、剥き出しにさらされている。(お稲荷さんの祠も、建物の影になっていて、今まで気づかなかった。)
ちょうど日陰になっている、交通標識の下に座り込んで、おにぎりを食べているばあさん。『サザエさん』のフネさんがしているような、エプロンというか前掛けというか、そんなものをつけている。その脇を高校生の集団がガヤガヤと通り過ぎる。こういう光景は、同一空間内に異なる時間が『共存している』と言うべきなのか、『分離している』と言うべきなのか。

5/22(月)
大して寝不足という訳でもないのに、やたらと眠い。春眠曉をおぼえず、とか、そんな程度じゃない。地獄からの死者に、地の底へと足を引っ張られているかのように眠い。座っていると、そのまま溶けて、イスと一体になってしまいそうだし、立っていても、ちょっと気を緩めると、その場に崩れおちて、そのまま意識を失ってしまいそうに眠い。頭のなかいっぱいに拡がる痺れるような眠気が、首筋から肩へ、背中や腕の先きにまで、鈍くて甘い痺れとして拡がってゆく。この『眠気』は苦痛というよりも甘美で官能的ですらあるのだけど、今日はいろいろとやる事があるので、眠気の誘惑に身を任せて眠ってしまう訳にはいかない。しかし、この超ストロングな、半端じゃない眠気と闘うのはかなりキツい。昼過ぎに、なんとか時間をつくって1時間と少し昼寝することができたのだけど、そのくらいでは、すっきりするどころか増々眠気は増幅されてしまうのだった。
その後も、10分、15分と、時間をつくっては、隅の方で崩れるように眠ってみるのだけど(本当にその瞬間だけ、スッと、気を失うように眠れてしまう。普段は、決して寝つきの良い方ではないのに。)、一向にスッキリする気配がない。
やたらとストレッチしたり、意味なく歩きまわってみたり、うんと濃いコーヒーを何杯もガブ飲みしたり、深呼吸してみたり。それでも、全身を甘く痺れさせるような、頭のなかがラヴェンダーの濃い霧で霞んでいるような、強烈な眠気には何の効果も無いのだった。道ばたにでも何でも倒れこんで、そのまま丸まってでもいいから眠らせてくれーっ、という1日だった。

5/23(火)
誕生日。33才になったのだった。30を過ぎて3年、すっかり30代という言葉に対する抵抗がなくなってしまった。
川沿いを歩いていると、緑の匂いが濃くなってきたような気がする。蚊に刺された。解体された古い建物の脇にある、お稲荷さんの祠を囲んでいた木々がすっかり切り倒されていて、祠が裸で曝されている。なんか、ここまでやっちゃうの、って感じ。痛々しくて荒んだ眺め。暴力が行われた跡という感じ。しかし、これはこれで視線が惹き付けられてしまうのだけど。
河原を上流へ向かって歩き、89年に死んだあるエライお方のお墓の所で折り返し、帰りは街道沿いを歩いた。街道沿いに自転車屋があって、思わず欲しくなってしまうようなイイ感じのチャリンコがあった。値段も2万円弱だし、いい季節になったし、買っちゃおうかなあ、と思ったのだけど、優先順位としては、まず商売道具である眼鏡を買い換える方が先だろう、と思い直す。その少し先には、手作りの豆腐屋。この辺りに越してきてから何度もここまで買いにこようかと思ったのだけど、家からかなり距離があるので、結局近くのスーパーかコンビニですませてしまう。
歩きながら、時々空が光るので少し気になっていたのだが、ぽつりぽつりと雨が落ちてくる。ヤだなあ、くるのかなあ、と思っていたら案の定、大粒の水滴がダダダダダッと降ってきた。ゴロゴロ、ピカッ、と派手に雷も。軒下でしばらく様子をみていたが、やみそうにないので、あきらめて濡れることにした。凄い降りなのであっという間に全身ビショ濡れになる。しかし一旦開き直ってしまえば、こういう雨のなかをズブ濡れになって歩くのはとても気持ちが良いことなのだった。雷の音も派手にバリバリいってるし、訳もなく浮き浮きする。
夕立はしばらくするとカラッとあがった。
夜。飲み過ぎ。胃が重い。胸焼け。

5/25(木)
とても気持ちのいい天気、髪を切りに行く。Tシャツ一枚でも汗をかく。美容院を出て、踏み切りの脇に立ち止って、電車が行き過ぎるのを待っている時の空気、陽の光。これが5月でしょう、という感じだった。

5/28(日)
最近やたらと濃い夢をみる。内容が濃いのではなく、ものすごく濃密なイメージが、陳腐な比喩だけどマシンガンで撃たれるように、一挙に、多量に、ダダダダッと身体にぶつかっては、駆け抜けてゆくのだ。手足を縛られて、複数の人間からボコボコに殴られているのに耐えるみたいに、イメージの通過にただ耐える。それが何か、天才的な創造をうながすようなインスピレーションだったりすると大変に助かるのだけど、それらはただぼくに一定のショックというかダメージを与えたあと、速やかに走り去ってしまい、目が覚めると、それらのイメージは跡形もなく消えていて、残るのは、ただ疲労感と、殴られた後のようにぼんやりとはっきりしないダメージを受けた頭脳だけなのだった。
今日見た夢の、ひとつだけ残っていたイメージ。工場跡のような天井の高い荒涼とした室内。ざらざらした床。人間の身長よりやや上くらいの高さに、斜めに傾いた、明かり取りの曇りガラスの窓。窓枠が、ぞっとするほど黒い。外は雨でも降っているのか、窓からの明りは弱いのだが、室内はかなの暗いので窓際だけぼうっと光ってみえる。その窓際に大きな水槽。8割くらい水が満たされている。水槽の底は、緩いアールになっていて、水槽全体が揺りかごのようにゆらゆら揺れている。天井から、ひと筋、ふた筋と水がゆっくり垂れていて、水槽の水の表面に、乱れた波紋をつくっている。音はない。言葉で描写すると長くなってしまうが、このイメージもほんの一瞬で、すぐまた次の全く別のイメージに流れていってしまう。でも、他のは忘れた。

5/30(火)
昼頃起きて、『笑っていいとも』観ながら食事していた。中江有里が出ていて、大林宣彦に繋いだ。大林のおっさん、中江有里に『ぼくのことを思い出してくれてありがとう。でもぼくは君のことは決して思い出したりしないよ。だって、忘れたことがないから、思い出す必要がないんだ。』とか言ってやがる。このおっさん、いつもこんなことばっかし言って生きてるんだろうなあ。


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