UNDER THE VOLCANO (映画、読書、その他・39)

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樫村晴香による『資本主義』
古井由吉『野川』を読む
モブ・ノリオ『介護入門』
コプチェクとモブ・ノリオ
渋谷ユーロスペースでチョン・ジェウン『子猫をお願い』
『亀虫』(富永昌敬)の性的感触
 ケラリーノ・サンドロヴィッチ『1980』
小林良一。小林聡子、加藤陽子、村田暁彦、ポリアコフ
川村記念美術館のロバート・ライマン展+常設展示
林道郎/ブライス・マーデン/マイケル・フリード
サム・ライミ『スバイダーマン』をビデオで
作品における、「正しさ」について
荒川修作と独り言
偶然、映画の撮影しているところに行き当たった(+ゴダール『パッション』)
宇多田ヒカル『誰かの願いが叶うころ』
遠くから雷が徐々に近づいてきて


  樫村晴香による『資本主義』
04/07/17(土)
(今日はほとんど引用)
樫村晴香の『資本主義』(第1部文化)というテキストが、保坂和志のホームページにアップされていた。これがいつ頃どのように書かれたものか分からないのだが、言葉遣いの微妙な古臭さからいって恐らく書かれたのは80年代前半といったところだろう。しかし、この時期に既にここまで明快に「見えていた」樫村氏の知性には驚くべきものがある。例えば「学校」という見出しのテキストには、次のように書かれている。
《もちろん必要知識量は、資本主義が高度化すればますます増大化するから、それを伝達する効率的な制度が必要なんだけど、ただハイテク情報社会ってのは、社会の上層と下層での、必要知識量にすごく格差をつくってしまうんだよね。上層部はものすごい情報を駆使して機械とソフトウェアをつくり上げるし、……といってもたいして必要がないね。で、下の方の人間は、仕事でも私生活でも、知識なんか本当は昔よりずっと必要量が減っている。中間技術者みたいなものも減ることはあっても増えることはない。つまり文化的な階級社会が形成されつつある。だから要約すれば、学校みたいな制度はますます上下分化して、そこで伝授する知識の落差を通じて、社会の階級化を再生産することになるだろう。しかも社会の規範てのが、すでに抽象的な形では抜き出せなくなってるから、イデオロギーそのものが格差づけされた生活技術として売買されるような、奇妙なことになる。で、そうやって形成された諸階級は、今後は文化サービス製品の売買を通じてのみ結合する。》
この、対話形式で書かれたテキストでは、学校はもともと役に立たないものであるが、その「役に立たなさ」には二つの方向があり、それは《新しい科学的知識を伝授するっていうサービス業的な部分》と、それを《未来や人生への希望みたいな形で有難がって受けとるっていう、本来は宗教的な部分》とで、それらは以前は重なっていたのだが、分離してしまったと書かれている。学校の宗教的側面が《それぞれ一人一人が自立した個人として神の前で主体たる、てな道徳観を植え付けること》によって「資本主義のゲームプレーヤー」を育成し、さらにサービス業的な部分によって知識が獲得されることとが相俟って、生活の向上という効能へ至る道へと結びついていた(ように感じられていた)。そのような時期には、それらは重なっていたが、知識が社会でのメタ的機能を失い、《資本主義のゲームプレイヤー精神より、商品のデタラメな差異化速度みたいなのが社会の最高所を取っちゃう》ようになると、それらは分離し《学校で何を言ってもお笑い草に》しかならなくなる。(禁欲とか主体とか普遍とかいう抽象的な価値概念が、社会的な上位の審級=メタ的機能を失えば、実際に生活の向上につながらないそれらは、空虚なもの=お笑い草にしかならない。《教会ってのはさ、それこそ役に立たないものの筆頭なんだけど、堂々と役に立たないことを宣言しえる力みたいなのはあるわけ。それは儀式的な力っていってもいいんだけど。つまりそこから世界が始まる、という。》《それが機能するためには、いずれにせよ社会の最高の地位がそこに与えられていないと……。》)知識ですら《市場に投下して、どのくらいの速度で他との記号的格差づけに成功して回収できるかってことのみ》で測られるしかなくなる。このような事態は、80年代当初においても多くの人が感じていたことであり、このような雰囲気が、バブリーな空気や一億総中流などという意識を支えていたように思う。しかしそれはもっと緩く楽天的なものであって(なにしろ景気が良かったから)、その認識は冒頭に引用した部分に書かれた、階層の分離と、その間の交通が《文化サービス製品の売買を通じてのみ》としてしか、つまり一方的な売り手(上層)と一方的な買い手(下層)という関係でしか成り立たなくなってしまうという事態に至るとまでは思ってはいなかった。このような事態になった時、必然的に、《でもう、下の方にかんしては、いっそ徹底的に野蛮に管理しちゃえと》いう発想にどうしたってなってしまうだろう。
●このことは、最近の柄谷行人が繰り返し言っている「文学の終わり」(ここで柄谷氏の言う文学および文学者とは、冒頭の樫村氏の引用中では、異なる階層を媒介するべき「中間技術者」のようなイメージであろうか)みたいなこととも関係する。実際このテキストで、樫村氏は柄谷氏が言うよりも簡潔にそのような事態を要約している。
《たしかに禁欲を旨とし、具体的な物の享受や消費を永遠に棚上げし、ひたすら抽象的な利潤と資本蓄積に励まねばならないとする、古典的なプロテスタント的資本主義は、そこであらかた終了した。だが利潤獲得を軸として人々が相互に競争するという、資本主義の基本ゲームは昔と何ら変わっていない。むしろマルクスに代表される明らさまな階級闘争の時代がいったん終了し、大衆のより多い部分が、資本主義的ゲームや競争のイデオロギーにあらたに編入されることによって、消費社会の自覚的モード操作といった細かいゲームが、基本となる利潤原則の抽象性を食いつぶす形で、人々の意識により前面化したのである。》《より広範な社会階層は、資本主義社会を通じて強迫的に自らを表現し、自身の存在を証明しつづけようとする運動を、永遠に遅延された消費たる価値増殖に向けた運動としてではなく、その宙吊りの時間をより細分化し、多様な具体的モードへと翻訳した、階層づけられた消費や生活との関係においてそれを表現することになるのである。つまり、かつて人々の資本主義的振舞いは、不在の抽象的価値(利潤獲得)との関係で決定され、強迫づけられていたが、今日の社会では、その価値基準は具体的形状をもったモードとなり、そこに身を重ねることを要求することで人々を支配する。》(「消費」の項より)
柄谷氏によれば、文学、あるいはそれを生み出す内面を可能にするのは、プロテスタント的(商人的)な禁欲、つまり《具体的な物の享受や消費を永遠に棚上げ》した《宙吊りの時間》=遅延であり、それは具体的な富や快楽ではなく《抽象的な利潤と資本蓄積》を欲望すること(つまり、上位の審級=メタ的な欲望)によって生じる。そのような宙吊りの(遅延の)時間によって生じる「隙間」のような場所にこそ、僅かな希望の余地がある、と。(この点において、柄谷氏は文学よりもむしろ宗教の方に可能性を見出している。)しかし現代ではそのような抽象的な欲望が生じず、よって禁欲的な宙吊りの時間が発生せず、つまり内面が生じない、と。ここでは宙吊りの時間はすぐさま《細分化》され《多様な具体的モードへと翻訳》され、そこに落とし込まれることで、欲望はあらかじめ《階層づけられた消費や生活》の形式のなかに封じ込められてしまう。つまり、どのような表現=文学も《階層づけられた消費や生活》の《多様な具体的モード》の翻訳(それを通じた「自己表現」)、つまりレアなオタクやサブカル好きにはそれに見合った商品、べたな人向けには「セカチュー」や「冬ソナ」のような(べたな)商品、というようなものでしかなくなり、人は常にそこに《身を重ねることを要求》させられ、支配される、と。そして問題なのは、樫村氏が書くように《今日においても、最上部の資本家階層は、なお禁欲的な仕事の観念を有している》ということで、つまり彼らは超越的、抽象的な価値観を有しており、その差異が階層間の関係を対等なものへとすることを疎外し、つまり上層は下層を排除し、下層は上層を毛嫌いし、上層と下層をその《文化サービス製品の売買を通じて》のみの関係に限定させるという点にあるだろう。(このような差異は、《イデオロギーそのものが格差づけされた生活技術として売買されるような》事態によっても「固定化」される。)
●樫村氏は「学校」の項で、珍しく希望的な観測(というか、希望の方向性)について語っている。これはあくまで学校という場についてであり、社会全体ということではないが。
《――そのうち全員が落ちこぼれたりして。そうしたら面白いんだけどね。社会がごちゃごちゃでバラバラになったりして。
――いや、国家もそこまで馬鹿ではないだろうし、上層部は絶対落ちこぼれない。むしろ全員が自覚的に落ちこぼれる道を探すべきだな。知識が大義名分なしに流通する装置と、人間が具体的に出会う機会が、同じ制度へと一体化できるようにね。》

  古井由吉『野川』を読む
04/08/10(火)
●古井由吉『野川』を読む。これはとても難しいし小説。複雑に錯綜した構造は、読みようによっては破綻しているようにも読める。例えば、この小説に作品としての重力をつくりだしている核の一つとして、話者〈私〉の友人の内山が、若い頃に経験した下宿の女主人との情交のエピソードがあるのだが、この小説を二つに分断するように真ん中にどかっと置かれ、それ以前、そしてそれ以降の部分とあきらかに異なる磁力が働いているようにみえるこのエピソードの部分を、いったいどのように読んだらよいのだろうか。
●出だしはいつもの古井調である。〈私〉の度重なる入院や身体的な衰えが語られ、同じように年老いてゆく友人や知人のエピソードとつながり、それが様々な死や老いに関する言葉を招きよせ、それらが入り交じり、話者自身の体験も遠くの他者からの伝聞や古い文献の記述も、「語り」のさじ加減によって同一平面上並べられる。現在(語る話者にとっての基底的な時間)も過去も、私の経験も他者からの伝聞も、同じような濃度・強度で同一平面に並べられるような「語り」の場だからこそ、生と死とが浸透し合い、私の生そのものが無数の他者の死の重なりによって構成されているかのような事態が可能になる。しかし、古井氏の小説は、現在の過去も、私も他者も、生も死も、語りという次元において一元化されてしまうのを強く拒むような、もう一極の力が作用している。何度も入退院をくり返し、日に日に老い、衰弱しつつある〈私〉の身体は、まさに日々の衰弱という苛烈な「生」を「生きている」という感触の堅い塊が、語りのなかに〈私〉が拡散してゆくような、一種の夢幻的な時空へと小説が流れてゆくのを押しとどめている。古井氏の「語り」によって招き寄せられる、いくつもの他者の死や、自身の身体に侵入してくる死への徴は、それらのなかに半ば溶け込みながらも、決して溶け切ってしまうことのない、どうしようもない堅さとしての〈私〉の生を浮かび上がられるのだ。このような意味で、古井氏の小説はまさに〈私〉についての小説だと言えよう。例えば、次に引用するような部分に、このような特徴がはっきりとみえている。(夏の間じゅう、近所の焼肉屋の壊れたエアコンの室外機が発する音に、毎晩悩まされつつ眠った日々の後、その音がふいに消えた夜の私の眠りを描いた部分。) 《静かだ、じつに静かだ、と一人で繰り返している。喜ぶようなことは何ひとつないが、心に掛かることもない。求めるところも待つところもない。(略)これが自足というものか。こんなにすうすうと寒いものとは知らなかった。(略)もしも自分の葬式を済ませて帰って来たとしたら、こうも静かになるか。遠くから風が渡って、吹き抜けて、自分はいない。手にしていた茶碗一杯の白湯が跡に遺され、済んだ生涯を集めて冷めていく。ようやく眠ったか、とどこかで声がして、四方の静まりをまた深くする。しかしその獏としたひろがりの、中心はないようなものの中心と感じられるあたりに、たった一本、得体のしれぬ杭が唐突に立って、無言ながらその存在そのものが狂った叫びに感じられる。同じ風に吹かれているのにいつまでも解けぬばかりか、刻々と輪郭が鋭くなり、遠隔からじかに突き刺してくる。自足がそのうちに、静かなばかりにどこにも身の置き所のないような、理由のわからぬ苦痛に変わる。》 この、唐突に立ち上がる《たった一本》の《得体の知れぬ杭》こそが、古井氏の小説の堅い核であり、〈私〉の生の狂気じみた旺盛さであろう。それは決して《自足》を許さない《理由のわからない苦痛》として現れるものだ。
●そのなかにどっぷりと浸かりながらも、「私の生」が決して「他者たちの死」のなかに溶け切ってしまえないのと同じように、自分のものとも他人のものともつかない無数の過去の出来事=記憶が、語りの地平のなかで混じり合い、ほぼ同一の強度で浮かんでは消えてゆく小説の流れのなかにあっても、決して過去一般のなかに還元することの出来ない特権的な出来事=記憶が存在する。しかしそれは、〈私〉にとっての特権的な記憶ということではなく、私と他者たちとの間に共通の地平を否応なく開いてしまうという意味で、特権的なのではないか。否応なく、私と他者たちとを貫いてしまうくらいに大きな、私にとっても他者たちにとってもその「外側」にあるような出来事。その出来事とはもちろん、複雑に錯綜する時空が織り込まれ、「この年」とか「あの時分」とか書かれていてもいったいそれがいつの話なのかしばしばわからなくなるようなこの小説において、はっきりと「昭和二十年三月十日」と日付が特定される東京大空襲だろう。ここで空襲という出来事は、身体としての「私の生」にも、非身体としての「他者たちの死」にも属さない、「昭和二十年三月十日」という特定の場所に貼り付けられた出来事であろう。当然、その出来事そのものを「語る」ことは出来ないので、それはまず小説の前半で、井斐という名前の男の体験(の伝聞)として(「野川」「背中から」)、そして後半では、話者自身の経験=記憶として(「花見」)、二度語られることになる。そしてこられ二つの空襲についての「語り」の間に、それらを引き裂くように、内山という名の人物の、下宿の女主人との情交の記憶が、なまなましくもどっかりと腰を据えている。
04/08/11(水)
(昨日のつづき、古井由吉『野川』について)
●この小説のはじめの方は、前述したように、私の生と他者たちの死とが「語り」の次元で一元化されることで相互に浸透し、しかしそこで浸透し溶け切れない「堅い抗」としての「生」が浮かび上がるというように進行する。ここでは物語として、謎めいた何かがあり、それが解明されてゆくとか、何かのとっかかりのようなものが示されて、それが深められてゆくというような「展開」によって小説の持続が支えられるのではなく、次々に呼び出されるシーンのそれ自身としての充実と、主題論的な絡み合いや関係性、そしてそれを描き出す言葉そのもののすがたや動きによって、小説が支えられる。井斐の記憶として語られる空襲体験についても、それは基本的に変わらない。ある部分では高度な充実を示し、ある部分では弛緩したり手癖や説明に流れたりしつつ、引き締まったり緩んだりして進むこの小説の緊張が最も高まり、驚くべき充実をみせるのが6つめの章である「睡蓮」であろう。しかし、「睡蓮」を過ぎ、内山と下宿の女主人との情交が具体的に描かれる「彼岸」になると、その様子に変化がみられる。
●「彼岸」からの3つの章では、主に二十歳前後の時期の内山という名の話者の友人と、年上の下宿の女主人との関係とが中心となって描かれる。ここで驚かされるのは、一つの特定のエピソードが特権的に焦点化され、かつ執拗に描かれるようになることと、この(ある意味、通俗的であるとも言える)エピソードが、それ以前に描かれてきたものと齟齬をきたすように感じられることだろう。「睡蓮」で登場した内山という人物が、自らの崩壊に耐えていたその理由が、「彼岸」において「女のこと」だと告げられたとたんに、この小説は、ある特定の色づけがなされ、通俗的な意味での物語的な重力が発生する。これまでは、老いつつある者がさらされる死や衰弱を描きつづけてきた言葉は、ふいに、若年者の過剰な情欲をめぐる言葉へと反転してゆく。両者に共通するのは、どちらもその苛烈さにおいて「死」に接近し、死が混じり込むという点であろう。(語られ方としては、あくまで内山からの伝聞という形で「私」が語るという形ではあるのだが、ほとんど内山を焦点人物とした三人称一元描写に近くなる。このような、話者の存在と語られる内容との距離の極端な増大は、「忘れ水」の最後におかれ、その次の「睡蓮」の充実した筆致の呼び水にもなっている「競馬場のベンチで眠り込んでしまった三十過ぎの男」のエピソードにおいてもみられる。)
●この小説は、古井氏本人を強く想起させる「私」という話者によって語られるが、この「私」は名前を持っていない。(この小説の登場人物で名前を持っているのは井斐と内山の二人だけだ。)しかし、女主人との関係のエピソードにおいては、内山という、名前をもった人物を軸にして語られる必要があったのだろう。井斐の名のもとに語られる空襲の体験もまた、名前を必要とするものなのだろうが、この空襲の体験は、体験そのものとしてよりも、「母に手をひかれた子供」が土手を逃げた体験へと抽象化され、それはいつしか井斐が親となって子の手をひいている姿に反転され、さらに「子守り」という主題へと発展し、ここで、「子をあやす」という行為が、自分自身の内部に生起してしまう「堅い核としての杭」(丹生谷貴志は「新潮」の書評でこれを「幼時」と書いている)を、どのように「あやす」かという、この小説を貫く根本的な主題にもつながっていて、つまり小説全体に散種され反復されることになるのだが、内山の経験は逆に、小説の真ん中あたりに凝縮され、がんとして動かない堅い異物のように居座る。
04/08/12(木) (一昨日からつづく、古井由吉『野川』について、もう少し。)
●内山と女主人との関係は、ある事件のきっかけのようなものがまず示され、その内実が徐々に詳しく明らかになってゆくという記述のされ方で示される。つまりここには、何かが少しずつ深まってゆくという、(それ以前の部分からは排されていた)物語的な時間の遠近法というか、重力のようなものが発生する。まず、内山の《何かを、しかも刻々と堪えているような》尋常ならざる様子と、訳もわからずそれに付き添う話者の姿が示される。そして次に、その尋常ならざる状態の原因が「女のこと」であることが話者に告げられ、女主人との関係がぽつりぽつりと明かされる。しかしまだこの時点では、「一度だけ間違いのように抱いてしまった」とだけ語られるこの二人の関係は、内山の側の尋常ではない心情や行動の切迫した生々しさに対し、女主人の側は、狂気じみた気配のみを漂わせるばかりで、幽霊のように掴みどころがない。(この掴みどころのなさが、内山をますます空回りさせるのだが。)この時点で女主人は、蓮の花と重ねられるような一瞬のイメージのほかは、ただ足音や遠くからの喘ぎ声として、もう少し内山と近づいた後でも「甘いような息の匂い」や「寝床を抜け出すときの肌の匂い」としてのみ、つまり距離を介して目や耳や鼻から感じられる「遠いイメージ」としてあるのみで、実態としてのその身体に触れることは出来ない。(だから「寝た」とか「抱いた」とか書かれる言葉は空疎にしか響かず、その内実は、小説のなかで明確なイメージは結ばず、内山がただ一人で悶々として、女はただ「型」としてあるだけのようにしか読めない。)しかしそれが、共に食卓を囲むようになってから少しずつ女の存在に生きている肉の気配が濃くなってくる。(なお、話者が内山の傍らに付き添っている時期には、まだ女との距離は遠く、内山と女とがのっぴきならなくなるのは話者の不在の一ヶ月の間である。だから、一応話法的には話者の語りによって語られるものの、ここでは話者は半ばこの小説から「退席して」いる。)ほとんど一汁一菜のみの、若い内山には淡白に過ぎる食事とその場での会話が、それを食う女をみるみる「肉」的な存在にしてゆくのだ。そしてその後の、風呂場で身体を流す女の描写によって、女ははっきりと肉としての重さや密度を得、そして内山はここではじめてその身体に触れることが可能になる。(それ以前に何度も「寝」たり「抱い」たりしているにも関わらず。)つまりここには、物語の時間的進行に沿って少しずつ記述が深まって物事が変化してゆく(女の肉の濃度・密度が、次第に濃く、重くなってゆく)という、段取り的な順序のようなものが発生しているのだが、それは小説の開始から「睡蓮」までの間この小説を支えていた、現在も過去も私も他者も入り交じる、無時間的とも言える持続の仕組みとは齟齬をきたすような、異質なものなのだ。 風呂場でのシーンを少し引用する。 《それまでは意識にもなかった風呂場を探しあてて戸を引くと、女は簀の子の上に中腰に屈んで、風呂桶に溜めおいた水を手桶に汲んで下腹にかけていた。猫のような眼がこちらへ向き、男を見据えておいて立膝にになり、揺るぎもない姿になって、手桶に水を汲みかえて肩から打った。身に着ける物の代わりのように何杯もかけた。腰が逞ましいようになった。やがて冷えて締まった裸体で上がって来て浴衣を拾い、脇へのいた男の前を通って、腋をすくめもせずに、濡れたまま出て行こうとする。その肘を掴んで男は女を引き止め、傍に掛かった手拭いを取って、女の身体を拭いた。丁寧に、力をこめて、畳の目の浮いた肩から背を血の気の差すまで擦り、胸から内股まで拭うその間、女はしなだれかかりもせず、腰を引くでもなく、まっすぐに立ち静まって、男のするままにまかせていた。》 ここで女の身体がはっきりと密度のある肉としてたち現れることで、内山と女との情交は、どこか捉えがたく、狂気じみた気配としてのみ漂うなまめかしさから、ほとんど獣めいた臭いのする、汚らしいとさえ感じられるような生々しさへと変質する。ここではじめて、女の言う「あたしたち、こうして死んでいるのね、もうひさしく」という言葉に、睦言めいた甘さが宿るのだ。(おそらくこのような「汚らしい」までの生々しさを描出するために、通俗的とも言える物語的時間や重力を必要としたのだろう。)
●ある種の過剰な情欲が、その過剰さにおいて死の影を纏い、あるいは呼び寄せるというのは事実だとしても、それでもやはり、このような過剰さは死よりもむしろ、あさましいほどの「生」の濃厚さをより強く漂わせるのではないだろうか。老いや衰弱や死を自在に呼び寄せては幾重にも重ねあわせるようなこの小説の中核の部分に、がつんとした違和感を与える異物のように内山と女との情交を書込んでしまうという意味で、古井氏は驚くほどに旺盛な生の作家だと言えるのではないか。(それは、この小説にも描かれる、年老いてゆくにつれてますます手強く濃くなってゆく「髭」のように旺盛だと言うべきか。)この、内山と女主人とを巡る「彼岸」からの3章は、この小説の中心部に堅い核のようにして居座りながらも、小説全体が、ある種「汚らしさ」とも言えるほど隠された旺盛さをその薄皮一枚下に隠していることを告げている。(例えば、話者〈私〉が井斐の娘に向けるまなざしには、どこか「汚らしい」気配がうっすらと漂う。)
●この小説の後半、井斐による空襲体験、母親につれられて土手を逃げるという体験には、ある隠された側面があったのではないかということが仄めかされる。(ネタバレになってしまうのでその内容については触れないが。)この「秘密」が、(井斐にとっての)ある絶対的な状況下でのどうしようもなさや、後ろめたさ、その後の生においても一時も忘れることのできない重荷というような意味あいだけでなく、父と母との間に流れた、ある種官能的とも言えるかもしれない秘められた感情の交感までをも感じ取ってしまうのは、その前に内山と女主人との情交の場面を読んでいるからであろうか。
●この小説で特別に名前を与えられている二人の人物のうち、井斐は死んでいる(小説が開始されて間もなく死んでしまう)が、内山は(現在の話者とは疎遠で、直接登場する場面は描かれないが)生きている。この違いは思いのほか重要なのではないだろうか。

  モブ・ノリオ『介護入門』
04/08/15(日)
●モブ・ノリオ『介護入門』。阿部和重の『アメリカの夜』をはじめて読んだ時、自分と同世代の作家が出現したのだということを強く感じさせられたのだけど、この『介護入門』もまた、それとは別の意味で強く「同世代」を感じる小説だった。この小説から感じられる「同世代感」とは一言で言ってしまえば「情けなさ」だろう。この文体がラップ調なのかどうかは知らないが、少しもかっこ良くないし、目新しくも冴えてもいなくて、むしろあまりうまくない、「情けない」戯作体だと言うべきだろう。(そしてなによりもモブ氏の顔の、貧乏な所ジョージみたいなうさん臭さ。)恐らくこの文章は、とりあえずこれだけは言っておきたいという強い思いと、その思いに対する照れや逡巡がないまぜになって、ギリギリこれしかないという形で出て来たもので、だから芸も余裕も気の利いたところもない。しかしその、芸も余裕も気の利いたところもないという切羽詰まったところから出て来たものだからこそ、この、恥ずかしいまでに「真っ向勝負」の小説を支えることが出来ているのだろう。時に過度に説教臭くなりそうになり、時にヒートアップし過ぎて空回りして冗長に陥りかけたところで、反復して現れる合いの手とも言える「YO」や「朋輩(ニガー)」が有効なブレイクを作り出し、時折挿入される「介護入門」が切断・空白を作り出す。(確かに途中に挿入される「介護入門」は内容的には蛇足だと言えるかもしれないが、リズムとしてそれが差し挟まれることが必要なのだと思う。)恐らくこの作家は、小説をあまり読んだことがないのだろうし、この小説もあまり書き直しはせずに一気に書いたのではないだろうか。読んでいて、どこかとりとめのない人の話を聞いているような感じがあり、しかしそれがまたリアルでもある。 内容もまたきわめて「情けない」。婆ちゃんの介護を真剣にしているのだと言えば聞こえはよいが、主人公は結局、父親が遺し、母親が経営していている「会社」があるおかげで、経済的な心配の一切から免れて介護に集中できるのだ。彼は、親の会社でいい加減に働き、それをやめてミュージシャンを志しても中途半端にあきらめているような人物で、いわば、婆ちゃんが倒れたおかげで、否応なく「介護」を強いられることによって、はじめて「《家と家族とを呪い続けた俺》から《世で最も恵まれた環境を授かった俺》への転生にして新生を授か」ることが出来たに過ぎない。おそらくこのような、精神的にも経済的にも「いつまでたっても親がかり」な情けなさは、バブリーでモラトリアムな(バブルのおかげで親に中途半端にお金のある)世代に共通した「情けなさ」であろう。しかし重要なのは、このような情けなさのただ中にある情けない人物が、自らの情けなさをはぐくんだその土壌のなかで、自らの情けなさを決して誤摩化すことなく認識しつづけながらも「《家と家族とを呪い続けた俺》から《世で最も恵まれた環境を授かった俺》」へと転生する様が描かれている点だろう。そしてその転生を支えるのが「言葉」と「技術」であろう。主人公は自らを縛り、自らの情けなさを育んできた「血」を、自らの「言葉」と「記憶」をつかって新たに読み替えることで、婆ちゃんへの「愛」を新たに構築し直し、日々の介護という具体的な「労働」とそこで発見され学習される「技術」によって、それをさらに鍛え上げてゆく。そして、自ら鍛え上げたまっとうな「愛」へむけて、さらに労働と技術をつぎ込む。 《言葉だけで祖母の幸福を考える真似などしたこともない俺は、より快適に尿パッドと尿フラットを重ね敷く理想のポジションを発見し、尻を拭うタオルに注ぐ湯の熱さにきを遣る、祖母の食指が伸びぬときにはガーゼで裏漉しした擦り胡麻の風味を粥に着ける。祖母の喉の渇き具合を舌と唇の音からそれがあのぴちゃぴちゃに変化する前に判断する。泣き濡れた祖母の瞳に向かって語りかける、その時々の俺の頭に幸福の二文字なんぞよぎるはずもないが、それが俺の身体が研究し続けている原理課題だという自負は忘れたことはない。おそらくは、誠実に祖母に接することだけが嘘臭いその二文字の幻影を霧散させる祖母の笑顔を俺らもたらし、逆説的にもその瞬間祖母の幸福がここにあると信ずるに足る経験を俺はするのだ。》 (介護ベッドの上下操作で、最も腰に負担のかからない高さを発見したところ) 《すると、どうだ?祖母の身体は俺の両腕の中でいとも軽々と浮き、初めて「これか!」と悟る技と出会ったのだった。あんなに祖母を軽く感じたのはこの時が最初だった。いい加減な高さの調整しかしていなかったせいで、腰の鈍痛を当たり前のことと諦めきっていたのだった。繊細で性格な調整の後ではほとんど腰に負担が掛からない、否、上下移動のモーターは予めこのためにあるのだよ、朋輩(ニガー)!》 それは一方的な祖母への愛の奉仕ではなく、同時に、自らの行為を《不幸な介護苦を背負った俺》や《特別な孝行をしている俺》という言葉に落とし込もうとする《豚の思考への報復》であり、つまり自らの生を反転させ肯定するための《俺の人生へのテロリズム》でもあるのだ。(それにしたって、彼が独力で成し遂げるわけではなく、彼の先行者であり、彼を導く媒介者であり、実質上保護者でもある「母親」の存在に多くを追っているのだが。)その証拠に、この愛の技術(労働)は、主人公と祖母(あるいはその一族)のないぶだけに閉じられたものではない。(「技術」は決して閉じられるものではない。) 《ただ数人のプロ意識を有する介護士たちだけが、眉まで金に脱色した穀潰しの俺が毎夜祖母の隣で眠ることを驚きをもって讃え、同じ汗を知る者同士の頼もしさで、積極的に祖母との一対一を引き継いでくれる。ああ、俺が何かの拍子でそんな介護士に手を貸す時、まるで優秀な同僚と労働を分け合う時の心強さをこの家で味わう。俺は、俺と母は孤独ではなかったのだとと教えられた気分になるのだ。》
●ぼくはこの小説を「介護」についての話というより「家族」についての話だと読んだ。もう子供ではなくなった子供が、どうしたって鬱陶しいものとしてしかあり得ない「血」という物語の罠を逃れつつ、年老いつつある肉親や家族とどのように関係をつくり直せばよいのか、という問題は、「放蕩息子の帰還」というような《二流の書物》の言葉にはまり込まないで考えるとすれば、そう簡単なものではないだろう。

  コプチェクとモブ・ノリオ
04/08/28(土)
●コプチェクの『女なんていないと想像してごらん』の第1章のアンチィゴネー論を読んでいて思い出したのはモブ・ノリオの小説だった。
●ぼくが理解した限りで、コプチェクがアンティゴネーとクレオンとを対比することで示そうとしているのは、「不可能なもの」への傾倒(常に不満足の状態にあること)が駆動させる果てしない欲望、つまり否定神学への批判であり、それに対して、愛が可能にする享楽による「満足」を置くことだと思う。(もちろん、ラカン派の言う「愛」なのだから、それは決して崇高な愛ではなく、もっと卑小な、断片化された愛なのだが。)精神分析的に言えば、形而上学的な善とか真理とかはつまり、理想化された「原初的な母との関係」という幻のことであり、その幻が生み出す実際にはあり得ない「完璧な満足」の幻のことだろう。否定神学はいつも、このあり得ない幻としての完璧な満足(不可能なもの)と、実際に満たされた満足との「差異」を原動力にして駆動する。だからそこで人は常に不満足であり、「抑えられることなくいつも前へと突き動かされ」てしまう。この時、理想化された満足(不可能なもの)が崇高であるのは、ただそこへは決して「届かない」という事実によるのであって、それ自身に「内実」はない。そして否定神学が問題なのは、それがあまりにも資本主義を駆動させる原理と似ていると言うか、否定神学が限りなく資本主義に奉仕するものだからだとも言える。このような回路に組み込まれた主体は、どのような満足も「妥協形成物」として感じられ「手に入るものすべてに対して、失われた対象ほどの関心を持てなく」なる。完全な愛、完全な善、完全な満足はあり得ず、《それを探しても無駄であり、それを果てしなく追い求めても満足は得られず、結局ありとあらゆるもの(天と地)を破壊しつくしてしまう》ことになろう。(「ありとあらゆるもの(天と地)を破壊しつくしてしまう」という言葉には明らかに資本主義という意味がこめられているのだろう。)これに対してコプチェクがもちだすのは「愛」という概念であろう。ここで愛とは、《すべてを破壊する不満足によってもたらされる大文字の〈無〉を追い求めるのではなく、断片的な小さな無で満足し、またこうした諸対象が部分欲動を満足させる》というようなものである。大文字の〈無〉(不可能なもの)も、小さな無(対象a)も、ともに失われた(母親的)完全な対象のシュミラークルであることにかわりはないが、至高の愛や至高の善を表象する大文字の〈無〉とは異なり、小さな無は、なんらかの善、なんらかのモノ(some thing)を表象し、それを主体に掴ませ、享楽を与える。しかし、ここまでは割合とありふれたポストモダン的な議論に過ぎない。実際、柄谷行人が「近代文学の終わり」などで指摘する通り、現在は否定神学(柄谷氏はプロテスタント的な禁欲性と言う)は崩壊しつつあり、市場にはまさに「小さな享楽」としての商品ばかりがあふれることとなっている。
●しかし人は本当に、完全な善、完全な愛という(「全体」を幻想させる)概念なしで、切り離され断片化した善や愛で満足出来るのだろうか。本能というものが、その対象を得ることで満足し、満足することによって消えてしまう(空腹は食物の摂取によって消える)のに対し、欲動はその対象のまわりをまわりつづけ、簡単には消えない(食欲は食物の摂取によって消えるとは限らない)のではないか。ここで出てくるのが「昇華」という概念である。コプチェクによると、昇華は通常言われているような、「性的な満足をあたえるもの」をもっと高尚な「文化的価値のあるもの」で置き換えるというようなものではなく、ありきたりの対象から満足をひきだそうとすることであるそうだ。昇華においては、対象そのものがそれ自身を超える何ものかに変化する。ジャスパー・ジョーンズの例。ジョーンズの作品にくり返し使われるアメリカ国旗や的やステンシルの活字はどのような意味をもつのか。批評家スタインバーグは問う。「それを用いるのは、それが好きだからなのか、それがただそこにあったからなのか?」ジョーンズは答える。「ただそこにあったというところが好きなのです」。昇華とは、《たまたま出会った対象と自分で選ぶ対象とを区別できなくなる》という事態なのだ、と。たまたまそこにあったなんでもない対象に《愛という能動的な行為》を贈ることによって昇華が起こり、それが欲動の対象となり、その欲動の対象が、愛を贈った主体に「享楽」を与え返すのだ、と。つまり、完璧な愛を可能にしてくれる完璧な対象を「追い求めて」常に不満足の状態を強いられるのではなく、ありふれた対象に対して、愛を「贈りつける」ことによって、その対象をそれ自身を超えるなにものかに仕立て上げ、そこから享楽(満足)を得るのだ、というところだろうか。ここで「愛」(愛の幻想)の力とは、欲動と対象を一致させる、あるいは一致と「みなせるようにする」力なのだ。
●ここでようやくアンティゴネーと重なる。彼女の兄に対する愛は、兄がなしたことやその特質によるものではなく、たんに、兄がたまたま兄であったという同語反復的な事実に基づく。つまり「ただそこにあったというところが好き」なわけだ。彼女の愛は、兄のなしえたことや特質によるのではないが、しかし彼女は愛によってその全てを受け入れる。それら(兄のなしたことや特質)を全て受け入れることによって、彼女は兄という存在(対象)から「享楽」を受け取るとこが出来るのだ。彼女は、愛することによって愛の対象をそれ自身を超えるものとする。彼女に、共同体の規範を超えた(つまり他者からの承認をあてにすることのない)自律的な行為をなさせる力は、彼女が受け取る「享楽」の力によっているのだ、とコプチェクは言う。つまり、アンティゴネーが自分自身の行動の規範を「他者」に求める必要がないのは、愛が可能にする享楽(満足)の力によるのであって、それは、理想化された不可能なものによって駆動させられる「不満足の力」に駆られているクレオンとは根本的に異なる、と。(それによって資本主義を逸脱する。)ここでは、小さな対象(小さな無)によって与えられる小さな享楽(満足)が、たんにポストモダン的な小さな商品とその消費としてあらわれるだけではなく、その享楽それ自身が自律的にある「規範(倫理)」を設立することが出来るだけの潜在的な(狂気を孕んだ)能力を持ち得るという事実が賭けられているのだと読める。そしてこの「規範(倫理)」は他者や他者の承認に関わるものではなく、あくまでもローカルな存在としての主体それ自身にのみ関わる。ラカンにおける倫理とは「欲望のリアルにしたがって行為しろ」ということであり、それは《他者にかかわるのではなく、予期せぬ出来事というリアルなものに出会った瞬間に自分自身を変える主体にかかわる》ものなのだ。(この点で、小さな享楽=商品ばかりがあふれる世界では、「他者指向型」(リースマン)の人間ばかりが増える、という柄谷氏の主張とは対立するだろう。)
●さらに付け加えるとすれば、アンティゴネーの兄に対する愛はもともとあったものではなく、「予期せぬ出来事というリアルなもの」に出会ったことによって彼女が変化したことによって生じたものだという点だろう。その出来事とは、兄の亡骸が最初の埋葬の後で再びさらされているという事実を知った、ということだ。この瞬間に「昇華」が起こり、彼女は兄に対する「愛」を発見し、その愛の贈与によって兄は兄以上の何ものかとなり、そこから送り返される享楽の力で、彼女はそれ以前には自らも予想出来ないような別の者(別の生)へと変化するのだ。そしてこの「予期せぬ出来事」は決して一般化できるものではなく、個別の生における個別の場面においてのみ意味をもつ、偶発的な出来事である。 (これがモブ・ノリオとどのように関係するかについては、つづく。)
04/08/30(月)
(一昨日のつづき、コプチェクによるアンティゴネーとモブ・ノリオ)
●『介護入門』において賭けられているのは、「《家と家族とを呪いつづけた俺》から《世で最も恵まれた環境を授かった俺》への転生にして新生」であり、それを可能にするのが「ばあちゃんへの愛」だろう。《俺は、ばあちゃんがこのばあちゃんでなかったら、毎晩介護なんて絶対にしないし、もし俺の友人たちが、家族に俺ほどの思い入れもなく介護なんて面倒だといったところで(略)、俺は俺、お前はお前というだけさ、朋輩。》しかし、「ばあちゃんがこのばあちゃん」であるのは、主人公のばあちゃんが特別に「良い存在」であったということではなく、主人公にとっての「ばあちゃん」は「このばあちゃん」でしかないという偶発的な出来事のことだ。(アンティゴネーにとって、兄が兄であることが重要であるように。)ここに、家族という関係の運命的な絶対性がある。我々は、既にある関係のなかに生まれるしかない。この関係が誤摩化しようもなくあるからこそ、「《家と家族とを呪いつづけた俺》から《世で最も恵まれた環境を授かった俺》への転生にして新生」が抜き差しならない問題として生じるのだ。このような反転、《俺の人生へのテロリズム》を可能にする「ばあちゃんへの愛」はしかし、もともとあったものではない。それは、ばあちゃんが庭で転倒し、介護を要するからだになったという「予期せぬ出来事というリアルなもの」に主人公が出会ったことによって生じる。だいたい、それ以前からばあちゃんはボケによる徘徊があったのに、それについて主人公は見て見ぬフリで面倒は全て母親に任せていたのだ。「予期せぬ出来事というリアルなもの」に出会うことによって(つまり「ばあちゃんへの愛」を得ることによって)、主人公は「既に与えられている関係」としての家族を、その記憶のすべてを受け入れつつも、新しい関係へと読み替える。《記憶といっても家族との思い出のすべてがいい記憶なわけがないし、その介護が必要な家族に対して思い出したくもない恨みのある奴がなんとか家族に尽くしたいと悩みながら努力する場合もある、だがな、それが記憶だ、それこそが記憶の起こしめた力だ》。だからここで、「ばあちゃんへの愛」は、「ばあちゃん」という他者との関係において生じたものというより、《予期せぬ出来事というリアルなものに出会った瞬間に自分自身を変える主体にかかわる》もの、つまり自己の自己への関係の問題であろう(つまり《俺の人生へのテロリズム》だ)。芥川賞の選評で河野多恵子が、《祖母にしても、私には操り人形のようにしか見えなかった》と書いているのは、その意味では正しいと思える。つまり主人公の引き受ける「倫理」は自己から発して、自己へと向かうものだ。それは、「ばあちゃんへの愛」がもたらす「享楽」に原動力をもつ。
介護とは「どこへも向かわない」行為であると言える。《長生きしてくれと思う日々の甲斐甲斐しさの裏で、ふと、この生活がいつまで続くのかと青ざめる。それは未来永劫続くと思われるんだぜ。たとえそれが結果的に五ヶ月間で亡くなった年寄りの自宅介護だったとしても、その五ヶ月間、介護者は毎日その家族の永遠にも等しい未来を負う、五ヶ月限定だなんてわかってやってるんじゃないんだ》。このような永遠に続くかとも思われる行為を可能にするのは、自らの行為を《不幸な介護苦を背負った俺》や《特別な孝行をしている俺》という言葉に落とし込んでしまうような、共同体的な規範を軸とした情と涙の物語ではなく、愛がもたらす享楽(満足)であろう。(勿論、これは容易に一般化出来る話ではなく、あくまでこの主人公、この小説に限定した上での話だということを付け加えておく。) 例えば次のような。
《言葉だけで祖母の幸福を考える真似などしたこともない俺は、より快適に尿パッドと尿フラットを重ね敷く理想のポジションを発見し、尻を拭うタオルに注ぐ湯の熱さにきを遣る、祖母の食指が伸びぬときにはガーゼで裏漉しした擦り胡麻の風味を粥に着ける。祖母の喉の渇き具合を舌と唇の音からそれがあのぴちゃぴちゃに変化する前に判断する。泣き濡れた祖母の瞳に向かって語りかける、その時々の俺の頭に幸福の二文字なんぞよぎるはずもないが、それが俺の身体が研究し続けている原理課題だという自負は忘れたことはない。おそらくは、誠実に祖母に接することだけが嘘臭いその二文字の幻影を霧散させる祖母の笑顔を俺らもたらし、逆説的にもその瞬間祖母の幸福がここにあると信ずるに足る経験を俺はするのだ。》

  渋谷ユーロスペースでチョン・ジェウン『子猫をお願い』
04/07/23(金)
●渋谷ユーロスペースでチョン・ジェウン『子猫をお願い』。冒頭の、女の子たちがはしゃぎながら写真を撮っているシーンのはなやいだ幸福感から一転して、窓ガラスが割られ、ボロボロの自動車の置かれた、寒々と氷の張ったアパートから一人で女の子が歩いて出てくるシーンの孤独が張りつめた表情へと移行したところで、既にこの映画が素晴らしいものである予感が充分にひろがっている。この女の子が早朝の電車のなかから、(この時点ではまだ)誰だかわからない誰かに向かって、「あなたはまだ寝ているのでしょうね」といった内容のメールを携帯電話で打ち出す時の、何とも荒んだ表情を目にしているからこそ、その後、彼女が自分の誕生パーティーでプレゼントとして友人から送られた、その友人が時間をかけて手書きで丁寧に描き込んだ図柄のある箱のフタを、無神経にもビリッと破いて開けてしまうという信じがたい行為を目にしても、その友人に無神経な言葉をかける姿を見ても、この女の子に単純に悪い印象だけを貼り付けて済ますわけにはいかないくなるのだ。『子猫をお願い』という映画は、即興的に、撮影現場でのその場のノリを捉えたとしか思えないような生々しさと、上記のような、繊細かつ周到に配慮の張りめぐらされた描写とが、見事に融合しているという点で、希有の作品であると思う。
●高校時代に親友だった5人が、卒業後、まだ大した時間が経っていないにも関わらず、それぞれの置かれた立場の違いによって、既に心は離れつつある。このような状況を描くというのは、ある種の普遍性を持った主題であると同時に、やり尽くされた、その主題自身には何の新鮮味もないような、紋切り型のものであるだろう。(この映画で、わかりやすい現代性=あたらしさを示すものと言えば、「携帯電話という通信手段を、ここまで上手く使った映画はあまりない」という点くらいだろう。)このような極めてありふれた主題の映画に、その主題を超える厚みを与えているのは、繊細で生々しい描写の冴え(5人の登場人物に対する、監督=作家による正確な距離感の把握)だけではなく、次の二つの点によって、現代の韓国の現実と密接につながっているからだろう。まず、5人の人物たちのそれぞれに置かれた立場の違いが、主に、その家族(生まれ)との関係によっているという点。もう一つが、それぞれの人物の置かれた立場の違いが、具体的に(ロケーション撮影によって捉えられた現実の)風景の違いとして定着されている点。イ・ヨウォンが演じる人物は、5人のなかで最も恵まれた都市部の証券会社という職をもっているが、それは親のコネによるものであるらしい。しかし、冒頭近くのシーンに示されるように、その両親の仲は荒んでおり、離婚してしまう(この離婚を示すシーンがまた素晴らしい)。ソウルで一人で生活する彼女は、親によって現在の「位置」を得ながらも、共同体的なものから切り離された生活をたった一人で勝ち取ることを余儀なくされる。この事によって、彼女には友人に配慮する余裕すら許されない。対して、ペ・ドゥナによって演じられる人物は、恐らく韓国のもっとも典型的な家族のなかにいる。父親が絶対的な権力をにぎり、父から息子へと実権が移動する大家族のなかの一種の余計者として存在をゆるされている彼女は、そのせいで多大な抑圧を感じていると同時に、その恩恵も受けていて、彼女は5人のなかで最も鷹揚で安定した人格を持つことが出来ているし、他人に対する気遣いをする(精神的・経済的)余裕も許されている。オク・ジヨンが演じる人物は、今にも崩れ落ちそうな(そして実際に崩れ落ちる)バラック建てのような家に、祖父母と貧しく暮らしている。貧しく、かつ、両親もいない彼女は、それが理由で職を得ることも出来ない。彼女の、テキスタイルの勉強をしたいという夢は、ただ孤独にデザイン画を描きつづけるという以外、具体的な何かに繋がる道を全く閉ざされてしまっている。(この、社会的なものとの繋がりをもたないデザイン画にこめられた「思い」を、イ・ヨウォンは感じることが出来ず、ペ・ドゥナには出来るのも、彼女たちの置かれた「位置」によるのであって、その「人格」によるのではない。)イ・ウンシル/ウンジュによって演じられる中国からきた双子は、外国人であることから、他の3人が囚われているような出自による社会のと繋がりとは切り離されている。中華街で露天商のようなことをやって生活する彼女たちは、社会のなかで浮遊しつつ、しかししぶとく生き抜いてゆく力のようなものを示している。出自の違いが社会的な位置の違いと結びつき、それが風景の違いとも結びついていること。このことが、普遍的で紋切り型でもある主題に、具体的な厚みを与えている。しかしこの映画で美しいのは、このような「違い」を露呈させることのみにあるのではなく、「違い」にも関わらず、彼女たちが「学校」という場では友人であり得たということであり、卒業後も友人でありつづけようとする(友人でありつづけられる可能性がある)という点であるはずなのだ。この映画が描いているのは、ある友愛の関係が、社会的な交換の諸関係(つまり柄谷風に言えば資本主義的な交換、共同体的な互配、国家的な収奪・再分配という形態)によって否応なく分断されてしまうという残酷な事実であると同時に、それを超え得るかもしれない友愛の可能性でもあるのだ。勿論、そのような友愛の可能性が楽天的に前提として担保されるわけではないし、この映画のラストは、ほとんど「この世」からの撤退であるようにも見え、その意味で悲観的でさえあるのだけど。(繰り返すが、イ・ヨウォンとオク・ジヨンとの断絶は、「人格」によるものではなくあくまで社会的な「位置」によるものであり、だからこそそれを超え得る可能性はあるのだ。)
●しかし、この映画は、上記のような理屈を言いすぎるのは何とも野暮であると思えるような、ひたすら、このショットが美しいとか、このシーンが素晴らしいとか、そういうことだけ言っていたいような映画であろう。ほんの些細なことではあるが、髪を金色に染めたオク・ジヨンが、いきなり黄色いジャンパーを着ているのが(その荒み具合が)素晴らしい(『キル・ビル』のユマ・サーマンなどよりずっと素晴らしい)とか、彼女のバラックへと至る道の途中にある廃線の「曲がり方」が素晴らしいとか、彼女が携帯電話の着信音をBGMにして猫と一緒に夜空を眺めるシーンが素晴らしいとか、他の4人を自分の住んでいるソウルに呼びつけたイ・ヨウォンが、4人が電車で帰った後たった一人でポツンとホームに残されるショットが素晴らしいとか、オク・ジヨンの家の前でポカンとして佇むペ・ドゥナの佇まいが素晴らしいとか、ばあさんの勧める肉饅頭を次々口に入れるペ・ドゥナの表情が素晴らしいとか、この映画ではなんと言ってもバスの走行が素晴らしいとか、携帯電話の使用によってあらわれる分割画面の慎ましい使い方が素晴らしいとか(こういうセンスは、例えばソフィア・コッポラには期待できない)、ペ・ドゥナの母親が深夜に電子レンジで漢方薬を煎じているシーンが素晴らしいとか、猫がいきなりでっかくなっているのが素晴らしいとか、とにかく言い出したらきりがないのだった。

  『亀虫』(富永昌敬)の性的感触
04/08/23(月)
●『亀虫』(富永昌敬)をDVDで観直した。シネマ・ロサで上映されたのを観た時には、全5話のなかでもっとも目立たないエピソードに思えた第4作目の「亀虫の性」が、改めて観てみると、とても面白く思えた。「亀虫の性」では、二つの夫婦の「性」の話が語られる。一つ目は「かー君」夫婦のもの、二つ目は「たかお」夫婦のもの。で、特に面白かったのが、普通にコミカルに面白く撮ってある「かー君」編ではなく、よくわからない「たかお」編の方なのだった。(と言っても、これは一つの作品であり、後半の「たかお」のパートは前半の「かー君」のパートとの対比によって際立つのだが。) ここでは何が起きているのか。場所は夫婦の住む部屋。たかおの妻(かーくんの姉)が、冷蔵庫の整理をし、テーブルの上をかたづけ、洗濯物を取り込んでいて、たかおは部屋の隅で膝を抱えてテレビを観、トイレに立ち、寝袋に入って横になる。洗濯物を取り込む妻の傍らでは、犬がだらっと寝転んでおり、寝袋に横たわるたかおの頭の先にあるカーテンからは、外の光が豊かに差し込んでいる。二人の服装から季節が夏であることが知れ、前作や前々作では短髪だった「たかお」の髪が中途半端にのびているのを目にする。のんびりした休日のありふれた日常的な光景に見えるが、どこか奇妙な空気が漂っており、二人の間には会話はまったくない。『亀虫』の観客はここまで、「かー君」夫婦の関係はだいたいどんなものか把握しているが、「たかお」夫婦がどのような関係なのか、どのような生活をしているのかは謎であり、ここではまさにその「謎の私生活」が明かされているわけなのだが、それはあっけないほど普通であると同時に、明らかになってもなお謎のままであるようなものなのだ。この、あまりに普通であることが謎であるような日常生活の描写がだらだらとつづくなか、玄関からチャイムの音が聞こえる。このチャイムの音によって、たかおの妻ににわかに緊張がはしり、かたまってしまう。まだ日の高い時間の来客に何故そんなに緊張するのかも謎であるが、ここで作品そのものにもふいに緊張がみなぎるのだ。(今まで観てきた日常の描写の部分を普通だと思い込んでいたが、彼らの生活のほぼ全てが今まで観て来たようなことで費やされていて、来客などほとんど考えられないような日々を送っているとしたら、この「普通」は全く普通でない「普通」だということになるのだが。)しばらくその場でかたまっていた妻は、そろそろと玄関に近寄り、ドアについている新聞受けを外し、新聞を差し込む穴から外を覗き、ぱちぱちと瞬きをする。外に誰もいないことを確認したのか、それとも来客の姿を認めて居留守をきめこむことにしたのか(来客は「たかお」と同郷のもう一人の「たかお」なのだが)、緊張は緩み、妻は夫のもとに行き、寝袋に並んで(夫に背を向けて)横たわり、夫は妻の腕をとり、その腰を抱く。妻は手に巻貝のような貝殻を持ってる。そしてナレーション。「つぶ貝、つぶ貝、つぶ貝...」 この話のどこが「性」と関係があるのか。きわめてありふれた日常のだらだらした描写のなかから感じられるある奇妙な感触こそ、性欲というにはあまりに希薄で微かな「性的な空気」とでも言うべきもののようにも思われる。夫婦という、性的な関係がある程度安定し日常化していて、さらに言えば惰性化しているかもしれない関係のなかで、強く濃い欲望は影を潜め、しかしそこには確実に性的なものはあり、性的な刺激を互いに微弱に発し合っているという感じ。薄い霧のように生活全体にひろがる薄い性欲(性的な気配)。(これはある意味すごくエロい。)そういう感じ、そういう関係、そういう欲望の感触というものが、恐らくあり得るのであろうということを、この作品の、だらだらとつづく描写、ふいの緊張、そして最後に二人が寄り添って横たわる姿を示す、という(理由はよくわからない謎の展開の)リズムが、なまなましく浮き上がらせているのではないだろうか。

  ケラリーノ・サンドロヴィッチ『1980』
04/07/25(日)
●ケラリーノ・サンドロヴィッチ『1980』をDVDで。こういう映画は、出来ればスルーするのが賢明なのだろうけど、レンタルの棚にあるのを見て、ついつい借りて観てしまった。しかしこれは一体何がやりたかった映画なのだろうか。現在から見た80年当時を、何かしらの批評的な視点から再構成しようとしているわけでもないし、当時の風俗的な細部をマニアックに再現しようとしているわけでもない。かと言って、ある時代に関する思い入れを語っている話だったり、ノスタルジックなおっさんの想い出話だったりとも違う。なぜ80年なのか、この話の軸はどこにあるのか。例えば、この映画のオープニングのテーマ曲には、プラスチックスの『GOOD』が使われているのだが、この映画の内容とプラスチックス(が代表する何か)には、何の関わりもない。冒頭には確かに、いかにもなテクノ少年が出てくるのだが、彼はいわば狂言回しであり、話の本筋は3姉妹の方にある。(このテクノ少年は、延々と岡崎京子を引用したりもするのだが、この映画の内容と、岡崎京子的なものとも、勿論何の関係もない。)
恐らく、この映画の軸は、次女の、異常に惚れっぽい元B級アイドルが、高校の教育実習にやって来るというアイデアで、そのようなシチュエーションで起こる様々なことがらをコメディとして成立させることが主眼で、80年を舞台にするというのは、ちょっとした小ネタを挟み込むためもの、あるいはちょっとした話題づくりに(つまりあのケラの第1回監督作品が『1980』であるというような「売り」に)過ぎなかったのかも知れない。だとしたら、「80年」というところに過剰に引っ掛かることなく、ただ出来が悪い映画たと言ってスルーすれば良いのだろう。ただ、この映画では監督のケラリーノ・サンドロヴィッチが、「映画」にも「80年」にも、どちらにもまともに向かい合ってはいないように思えてしまうし、80年に起こったことをまともに見ていないということは、その後に起こったことさえも、まともに見ていない(受けとめていない)ということなのではないだろうかとも思えてしまうところが、(80年代のサブカル的なものに多少なりとも惹かれていた者として)どうしても引っ掛かってしまう。
この3姉妹の話が、1980年を舞台に語られなければならない必然性はどこにもない。確かに、ほぼ10歳づつ歳の離れた(母親の異なる)3姉妹は、それぞれ60年代、70年代、80年代という三つの世代をあらわしていて、そのそれぞれの世代が、80年といういわば区切りの年をどのように過ごし受けとめるのかということが、基本的なコンセプトとしてあるのは理解出来る。3人の人物を通して80年という年を浮かびあがらせ、80年という年を通して、3人の人物を浮かびあがらせる、とか。(この3人は皆、80年代的なトンガッたサブカル的風俗からは外れた「普通」の人たちである。YMOより拓郎だという長女、芸能界のノリに着いてゆけなかった次女、蓮實を読んだりしている部長=監督のつくる映画に参加してはいるが、それは映研に恋人がいるからで、本当は映画になど興味のない三女。おそらくこのズレのなかから「80年」を浮かび上がらせたかったのだろうし、このズレの設定自体はリアルであると思う。)しかし実際には、たんに物語の風俗的な背景としてさえ、80年という年の固有性は機能していない。確かに、壁に貼られたポスターや、テレビから聞こえてくる漫才や、高校生たちが話題にするミュージシャンやテレビ番組などがその時代を彷彿とさせるし、インターネットや携帯電話が存在せず、ビデオも留守番電話も普及しておらず、ウォークマンが出たばかりという時代は反映されてはいるが(と言うか、過剰に80年であるという情報が詰め込まれてはいるが)、それらの細部はいかにも付け足しとして説明的につけ加えられているだけで、物語の内容や展開、一つ一つのエピソードに絡んでいるとは言えない。(せいぜいが「横浜銀蝿」が「横浜銀縄」だったり、免許証が「なめ猫」だったりする単発のギャグとして利用されるくらいだ。)彼女たちが受け取るのは、たんに80年にはこれこれの事が起こりましたよという、表面を流れる情報(説明)としての80年でしかなく、それらは結局ギャグのネタ程度にしかならず、そこに流れていた空気だとか、その時に起こった不可視の出来事だとか、ある不可逆的な変化だとか、それらのものを予感させる何かとか、そのようなもの(歴史)を捉える気はまったくないように見える。だからこの映画は、おっさんの想い出話にすらなっていないし、逆に、フェイクとして別物の80年的世界をつくりあげることにもなっていない。
ネタバレになるが、3女、蒼井優を巡るエピソードで、彼女は映研で映画をつくっているのだが、今なら高校の映研が16ミリで映画を撮ろうとすることなどないだろうし、ならば撮ったフィルムが現像してみると全部ピンボケだったという「オチ」は発生しないだろう。その意味で80年である必然性はあると言える。『20世紀ノスタルジア』の広末涼子が片手で軽々とビデオカメラを操作していたのに比べ、この映画では大きくて重そうな16ミリカメラのまわりに、ぞろぞろと大勢のスタッフがいる。高校生たちがフィルムを使って映画をつくろうとしているという点にのみ、80年が刻み込まれている(この映画と80年との関係が生じている)と言える。だが、この(映研がつくっている)映画の撮影の過程も、その内容も、そしてそれを通して描かれる蒼井優とその恋人とその元カノとの関係や映研という集団の描写も、俳優たちの演技も、どれひとつとっても全くお座なりにしかつくられていない。撮影したフィルムが全てピンボケだったというアイデアはまあ良いとしても、それがわかった時、いきなり音楽がかかり、いままでクールだった部長=監督が踊り出し(そしてテクノ少年も踊り出し)、それにつづいて『新学期・操行ゼロ』だか『ションペンライダー』だかの出来損ないみたいな騒乱のシーンで盛り上げる(あるいは収束させる)という展開は、あまりに浅はかすぎて怒る気にもなれない。(まあ確かに、クライマックスで音楽を大音量でかけて騒乱の場をつくって安易に盛り上げるというのは、80年代的小劇場の最も恥ずかしいやり口ではあるけど。)


小林良一。小林聡子、加藤陽子、村田暁彦、ポリアコフ
04/07/20(火)
●銀座の画廊をいくつかまわる。その後、ユーロスペースで『子猫をお願い』を観ようと思っていたのだが、時間が間に合わず断念。気になったいくつかの展覧会について。
●ヒノ・ギャラリー、小林良一・新作展。例えば、画面のほとんどを占める赤と黄緑の色面がせめぎ合い、見方によってどちらが図にもどちらが地にも見える。その2つの色のぶつかりがハードになり過ぎたり、単調になったりしないように、エッジの部分にチラチラとあらわれるオレンジ色や濃い緑などの色彩が、2色のぶつかりをやわらかく媒介し、また、画面全体を引き締める。このような構造は、以前の作品から一貫してつづいており、基本的にはかわっていないように思う。ただ、小林氏の作品が以前に比べてイマイチだと感じられてしまうのは、以前の小林氏の作品が、絵具が画面の上にしっかりと定着し、時間をかけてじっくりと固有の質を獲得してゆくような「遅さ」によって成り立っていたのに対し、最近の小林氏の作品は、絵具=色彩の質によってではなく、筆の運びや、その勢いによって出来る(即興性の強い)形態、形態同士の絡み、の「冴え」によって、つまり「速さ」によって絵画を成立させようとしていて、それが充分に上手くいっていないからだと思う。小林氏の画家としての持ち味は、筆の運びの運動性から生成されるような新鮮な「冴え」にではなく、むしろ、それがどのような筆の運び(身体の動き)によって塗布されたのか分からなくなるくらいにまで練り上げられた、絵具=色彩の質の高さにこそあると思うのだが。
●ギャラリー現(銀座1-10-19銀座一ビル3階/TEL03-3561-6869)小林聡子・展。(〜24日)これは必見。ただ美しいだけの作品だと言ってしまえばそれまでだが、ここまで美しければ、それだけで充分だと思ってしまう。正方形に切られた和紙が、薄く溶いた油絵の具で水色に塗られたものが、床に4×5枚並べられている。(塗られている、と言うより、和紙の繊維のなかに水色が染み込み、つまり染められているという感じだろうか。)和紙は、そのサイズよりやや小さいアクリル版の台座に載せられて、床面から10センチくらい浮き上がっている。一枚一枚の水色は微妙に調子が異なり(もともとの紙の色も、恐らく微妙に異なっている)、床に(ほんの少し浮き上がりつつ)横たわり、それぞれ微妙に異なる20枚の和紙がつくりだす拡がりとトーン(の変化)が、画廊の空間を、微かなもの、きわめて弱いもの、すぐに消えてなくなってしまうようなもの、たちのつくり出す繊細な表情を浮かび上がらせ、それがはっきりと目にみえるような場へとつくりかえてしまうのだ。まるで、曇りガラスの向こう側にある緑が風で揺れ、そこに映っている光がふわっと動いたり、あるいは、夕立の名残の水たまりに、暮れてゆきつつある空と雲が思いもかけない色で映っていたりするような、そのような、捉え難くすぐに消えてしまうような感覚を、しっかりと捉え、作品として構造化していると言える。作品そのものの構造や、インスタレーションとしての見せ方などは、ごくオーソドックスな「現代美術」なのだが、これを超えるセンスと繊細さによって、極めて貴重な作品となっている。
●ギャラリー福山、加藤陽子・村田暁彦・展。(〜31日)画廊の入り口を入ってすぐ右側の壁に掛けられたドローイング風の連作を観て、加藤氏に、こんなに理知的で抑制された作品がつくれるのか、と、まず驚かされた。これはとても質の高い作品だと思う。その先にある、やや大きめのタブローは、いわゆる加藤陽子的な作品で、この二つの系列の作品の「分裂」こそが加藤陽子らしいと、作家本人を知っているぼくとしては納得するのだが、これが「作家本人を知っている人を納得させる」というところに落ち着いてしまうのは、加藤陽子的なタブローの方の作品に、いまひとつ「やり切った」強さが足りないからだと思う。とは言え、画家としての加藤氏の復活は喜ばしいことで、この、不安定で突っ走り気味の画家が、これからどんな作品を見せてくれるのか、とても楽しみだ。村田氏の作品は、油絵具で描かれた、ちょっと香月泰男を思わせるような小品が、とても良いと思う。
●77ギャラリー、ポリアコフ・銅版画展。ポリアコフという名前を聞いて、ああ、そういえば昔、セゾン美術館でやっていたなあ、と思い出すのは、30代中盤より上の、相当な絵画マニアに限られるだろう。極めてオーソドックスな、ごくあたりまえの、趣味の良い抽象絵画なのだが、このような作品をまともに観られる機会がほとんど失われてしまっている現在、ポリアコフを観ることはとても貴重な体験なのだと思う。(たんに名前の語呂からの連想に過ぎないのだが、例えばイリヤ・カバコフみたいな、作品の質も問えないしコンセプトも大甘の、ほとんど学園祭のミニチュア展示みたいな詰まらない作家の作品を観るよりも、ポリアコフを観る方がよっぽど過激で新鮮だし、また喜びも深いはずだ。)美術にあまり興味がないとか、抽象絵画はよく分からないとかいう人にこそ、是非、このような作品を観て頂きたいと思う。

  川村記念美術館のロバート・ライマン展+常設展示
04/08/29(日)
●今日は、川村記念美術館にロバート・ライマンを観に行ったので、昨日のつづきはひとまず置いておいて、そのことについて書く。
●作家自身が作品をセレクトし、設置も行ったという展示は、こじんまりときれいにまとまり過ぎていて、かなり拍子抜けという感じだ。これだけたっぷりとしたスペースを使って、はじめてライマンが本格的に紹介されるのだから、単純な話、作品の「数」がもっとあって欲しい。特に、一辺が20センチ〜30センチくらいの小品は、様々な基底材と描画材と筆触との関係についてのサンプルというかバリエーションのようなものなので、ある程度纏まった数が同時に展示されてはじめて説得力を持つのだし、それによって一点、一点の作品もはっきりと見えてくるようになるはずなのだ。ライマンの小品は、小さな画廊ならともかく、大きなスペースのなかでそれ自身の持つ力だけで成り立つような緊張を孕んだものではなく、一点一点の作品が、大きな作品における一つ一つの筆触のように、いくつも集まってはじめて、それぞれの差異が震えざわめき、それによって個々の作品の表情や魅力が明確に見えてくるようなもののはずだ。このような展示だと、個々の作品が空間の大きさに負けてしまっていて、作品は空間を構成するインスタレーションのための「ひとつの部分」になってしまう危険すらある。
それに対して『Standard』のような作品が、なぜ12点も一組として展示されなければならないのか。このような展示の仕方はミニマリズムの方法の誤解から生じているのではないだろうか。例えばジャッドの作品は、同一の(ニュアンスに乏しい)形態が反復されることで、同一であるはずの形態に様々な異なるニュアンスが見えてくるようなものだと思うのだが、『Standard』のような作品は、微妙なニュアンスをもった作品が反復されることで、逆にそのニュアンスが見えにくくなり、単調になってしまうという効果が起きてしまう。つまり、一点一点それぞれに観られるべき絵画としても、12個の部分によって空間を構成するインスタレーションとしても、どちらにしても単調で中途半端なのだ。
ライマン自身の手による展示を見ていると、ぼくがライマンに見ている「面白い」と思う部分と、ライマン自身が「自分はこのような画家だ」と思っていることとに、ずれがあることがわかる。つまり、日々、画面に絵の具を塗り込めるという行為のなかにいる画家としての自分自身とは異なり、人々に認められる「アーティスト」としての「売り」は、あくまでシアトリカルでミニマルな作品をつくることだ、と。しかし、日々の、ごく日常的で即物的な探求としてあるはずの行為(様々な基底材に様々な塗料を使って「塗り」を試みること)の結果として生まれる小品を、まるで神棚を設置するようなやり方で壁面に飾り、それによって神格化(という言い方が大げさなら「アート化」と言ってもよいが)しようとするライマンの態度は、どうしても肯定することは出来ない。
だからと言ってライマンの作品がつまらないわけでは決してない。ライマンの作品の面白いところは、ライマン自身による自己演出とはまったく別の場所にある。それは、日々くり返されているであろう「塗る」という行為の持続が生む筆触の増殖が(あるいはそれだけでなく、絵を描くという行為全般のなかでの行為の即物性のようなものが)、ライマンの思惑にある画面の「全体」的なあらわれを常に逃れ、別の場所へといつの間にか導いてしまうような力にあると思う。(例えば、麻の布を木枠に張らない状態で描いてゆくと、水を吸った麻が縮んで、基底材そのものから形が歪んでしまう。このような現象に立ち会った時の「驚き」がそのまま作品になっていたりする。これは、決して「絵画の構造に関する考察」から出たものではなく、絵を描くという行為の即物性のなかであらわれた「素朴な驚き」であるはずなのだ。このような作品はどう考えたってスタイリッシュなものではなく、そのような作品をスタイリッシュであるかのように展示してしまうのは、その作品の意味を殺してしまいかねない。)
●付け加えるならば、ライマンはあきらかに狭義のモダニズムの画家であり、グリーンバーグ以降、アメリカ型フォーマリスム以降という歴史的な限定性のなかで生まれた画家であることは否定できない。この展覧会のカタログは、一点一点の作品についての丁寧な解説がついていたりするし、林道郎氏のテキストはこの手のカタログにしては例外的に優れたもので、とても丁寧につくられていると思うし、ライマンという画家を禁欲的なミニマリストとしてではなく、白の筆触の豊かなニュアンスや、物質との柔軟な感応性などを強調して「至福の絵画」という風に紹介するのはまあ良いとは思うのだが、ライマンという画家がそのなかで生まれた(そこに捕われている)歴史的な状況や、モダニズムという問題設定については全く触れられていないのは何故なのだろうか。(ライマン自身による妙にこぎれいな展示の仕方からして、彼がモダニズムという文脈に強く規定されていることは明らかだろう。)別にライマンを歴史的な規定のなかに押し込めてしまおうというのではなくて、歴史的に規定されてしまっている部分をあきらかにすることで、逆にそこからはみ出る可能性がみえてくるのではないだろうか。
●常設展示も観た。ぼくはここの瞑想の部屋みたいなロスコ・ルームには不満がある。薄暗い照明のなかに、ぼんやりとした形態で魅惑的な色彩の絵が並んでいると、その感覚的入力の心地よい単調さによって外からの知覚は遮断されて内へと向かう。つまり対象を「見る」ことが次第に摩滅し、ほとんど知覚の眠りに近い状態になってしまう。これは知性と感性の減退以外のなにものでもない。ロスコの作品は、この暗くて狭い部屋から解放され、よっとよく見えて風通しのよい場所にこそ置かれるべきではないか。
ここにあるトゥオンブリーの絵は面白い。この絵の面白さ、不思議さは、ほとんど「目」に頼らず「手」だけによって描かれているようなところにあるのではないか。こういう絵は、おそらく、描いている最中に自分の作品をあまり「よく見過ぎる」と描けなくなってしまうものだと思う。この絵は、目で捉えようとすると、捉えがたい魅力のなかにどこまでも引きずり込まれてしまうのだが、手の感触(触覚のことではなく、描くという行為のこと)で捉えようとすると、それほどの謎はなく、割合すんなりと捉えられる。
シャガールって、本当にわけがわからない。
ここにあるピカソの絵のあまりの単純さには、あきれつつも驚かされる。ここでピカソが興味を持っているのはただ女性の髪の表情という一点に集中されている。頭の高いところでぎゅっと結ばれ、そこから巻き髪が豊かに垂れている。髪がぎゅっと結ばれていることで、もともと印象的であっただろう女性の目が、さらに吊り上がりシャープに強調される。ピカソは髪の表情と目の表情にだけ焦点を合わせ、気合いをいれて描写していて、それ以外のところは、どうでもいい、まあ適当に、それなりに成り立ってればいいや、という感じ。まさにそこしか見るところのない絵で、いくら何でも20世紀の画家がこんなに単純で素朴な絵を描くことが許されるのかとあきれるけど、でも、それだけで立派に成り立っているのだから驚いてしまうのだ。
ボナールの絵の複雑さが、ピカソの絵の単純さとは異なるのは当然だが、マティスの複雑さとも異なる。マティスの絵は、個々の要素は比較的にシンプルなのだが、その組み合わせや構築がひどく複雑なのだが、ボナールは、画面の構造自体はそれほど複雑とは言えないのだが、絵の具の表情や色彩それ自体が複雑なのだ。そしてその、絵の具が全く別ものになるまでに執拗に重ねられる複雑な筆触が、それほど複雑ではない画面の構造を揺るがせるまでになる。

  林道郎/ブライス・マーデン/マイケル・フリード
04/08/31(火)
●川村記念美術館で売っていた『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』(林道郎)のブライス・マーデンの巻を読んでいた。ブライス・マーデンはとても好きな画家なのだか、その「好き」の内容は、凄いとか驚くべきものだとか、刺激を受けるとかというのではなく、やっていることが細かい部分までいちいち感覚的に「腑に落ちる」という感じで、こういう言い方は偉そうになってしまうかもしれないが、体質的に自分ととても近いものを感じる画家なのだった。(本人が聞いたらお前なんかと一緒にするなと言われるかもしれないが。)実際、ブライス・マーデンを知らなかった学生時代に、ぼくはその初期の作品とそっくりな作品をつくっていた。(ぼくの参照元は、抽象表現主義の他は、70から80年代の日本の画家たちだったのだが。)林氏の本でも言われているのだが、初期のブライス・マーデンの仕事は折衷的なものであり、林氏はそれゆえあまり感心できないとしている。ぼくが学生の頃に考えていたのも、抽象表現主義の絵画的な「塗り」の感性と、ミニマリズムの容赦のない(教条的ですらある)形式性との折衷的な表現であり、それゆえ、その作品が中途半端で情緒的で弱いものであることを認めつつも、じゃあこれだけの「質」のものをつくれる奴が他に一体どれだけいるというのだ、という開き直りもあった。(意図的に「折衷的にやろう」としていたわけではなく、ぼくの「趣味」ゆえにそうならざるを得なかった。)今でも、この頃の作品の何点かはブライス・マーデンにも負けない「質」をもっていると自負しているし、自分でも好きだ。ここで言う「質」とは、絵画が、単純に分割されたいくつかの色面に分けられたカンバスと絵の具という物質で出来ていながらも、デリケートな操作を行いつつ絵の具を「塗り」重ねてゆくことで、そこに、捉えがたく、曰く言いがたい、非物質的な「質」としか言いようのないものをもつ視覚像があらわれる状態のことを言う。ブライス・マーデンの作品からは、まさに「折衷的」な体質の人にしか実現出来ないような、何とも捉えがたく不思議な「質」が浮かび上がってくるのだ。ただ、その仕事は、繊細でおだやかで信頼のおけるものではあるが、驚きのようなものはあまりない。 ブライス・マーデンは80年代後半くらいから、「塗り」の絵画から「描く」絵画へとその作風を変化させてゆく。この変化は、視覚的に目に「見える」変化以上に大きいものだとぼくは思う。(視覚的にのみ見るなら「色面」から「線」への変化ということになるのだろうが、それ以上に大きな変化がここにはあると思う。)なぜならば、「塗る」ことと「描く」ことは、絵をつくる時の、画家の身体の使い方から、筆と絵の具、筆と画面の関係の付け方、画面の構築の段取りに至るまで、頭のなかを根本的に書き換えるなければならないほどに異なるからだ。しかしブライス・マーデンは、漢詩(漢字)からヒントを得た『コールド・マウンテン』のシリーズなどで、割合とすんなり、この変化を自分のものにしている。ぼくも、大学を出る直前の92年頃から、「塗り」の絵画から「描く」絵画への転身をずっと模索していたのだけど、「塗り」によって基底的な空間を確保した上で、「描く」ことで多少それを動かしたり揺るがしたりてゆく、というような、まさに折衷的な描き方しかずっと出来なくて、ようやく「描く」ことによって絵をつくることが出来るようになったと感じたのは、98年くらいになってからだ。(ここで、「体質」は近くても「才能」が違うという事実に突き当たるわけだが。)ブライス・マーデンは線によって絵画を「描く」のだが、ぼくは、色面とも線ともつかない絵の具の切片、つまり筆触(とは言っても「筆」とは限らないのだが)のようなもので絵を「描く」。ここには、ブライス・マーデンが美術史上でくり返し参照するのがポロックであり、ぼくが参照するのがセザンヌであるという違い以上の大きな違いが、何かあるようにも思うのだが。 林氏の本によると、ブライス・マーデンはドローイングを描く時、自然木でつくったスティックを使用するそうだ。これはぼくが筆のかわりに林で拾って来た「枝」を使って描くのと似ている。(ぼくが木の枝を使おうと思ったのは、おそらく坂口寛敏か誰かの作品を観て思いついたのだろう。)しかし、写真で見るかぎり、ブライス・マーデンの使うスティックはかなり長く、ぼくのはそれほどは長くない。それに、ブライス・マーデンはあくまで「線」を引く道具としてその先端だけを使っているようだけど、ぼくはもっと面的にと言うか、立体的に使っている。だから身体の使い方もおそらく全然違うのだろう。ぼくは、ドローイングだけでなく、タブローも枝を使って描くのだし。
04/09/01(水)
●ぼくなどよりもはるかに『芸術と客体性』を精読しているであろう林道郎に文句をつけるのは憚られるのだが、『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』のブライス・マーデンの巻を読んでいて気になったのは、マイケル・フリードによるこの有名な論文を、その最後の文、「現在性は恩寵なのである。」によって代表させて、その論旨を「瞬間性」と「持続」の対立として捉えてしまっているのには疑問がある。そのように読んでしまうと、この論文に書かれている数々の「面白いこと」を切り捨ててしまうことになるのではないだろうか。 ここでミニマリズム(リテラリズム)の作品が批判されている最大の点は、その作品が示す「客体性」が「演劇的」な効果として、つまりある効果を前提とした「演出」として与えられてしまうというところにあるのではないだろうか。つまり、作品そのものがあるのではなく、ブレゼンテーションの「効果」だけがある、と。トニー・スミスの「深夜のハイウェイ」体験がミニマリズムの作品と結びつけられて語られる理由もそこにある。つまりそこであらわれる「客体性」とは「演出」によってあらわれるもののことであり、そこに見るべき(知覚されるべき)対象としての「作品」はない(あるいは、何でも良い)。トニー・スミスの体験は、その舞台がまだ完成していないハイウェイであること、時間が深夜であること、そこを自動車に乗って通っていること、などの諸条件が偶然に重なった状態によって出現する。リテラリズムの作品は、その諸条件を人工的に画廊の空間で組み立てようとする。ここで問題になっているのは、そのような「演出」がなされる時、その効果は、観客に対する効果であって、つまりあり得る(一般化された)「観客」という存在が前提とされてしまっているという点にこそ重点がある。対して、モダニズムの作品は、観客に対する効果を前提としてはいなくて、それ自体として(システムとして)閉じている。リテラリズムの作品が、無言の他者と対面しているような圧迫感を観客に与え、ある経験を強いてくるのに対し、モダニズムの作品は(閉じているから)ひっそりと存在し、観客の側の能動的な「見る」(読む)という行為を必要とし、そしてそれは、人の魅力的な仕草をたまたま観てしまったような感覚を覚えさせる、というような記述も、そのことと関わる。つまり「演劇性」がなぜ悪いのかと言えば、それが(一般化し得る、あるいは実際にそこに存在する)「観客」(の反応) に規定されてしまっているからで、それに対しモダニズムの作品は、未だここにはいない、いるかいないか先取り出来ない観客に向けてつくられるから、それはそれ自体として孤立し、閉じたもの(つまり自律したシステム)としてあるしかない(それは、見られ、読まれるのを待って、ひっそりと存在する)。重要なのはこの対立であり、瞬時性(モダニズム)と持続(リテラリズム)との対立は、このような対立の延長として捉えられなければ(つまり「瞬時性」「持続」という言葉の意味からだけ捉えると)その意味を見失うのではないだろうか。(自律しているというのはつまり、リテラリズムの作品はある固有のコンテクストのなかでつくられるから、そのコンテクストのなかでしか意味をもたないが、モダニズムの作品は複数のコンテクストの折り重なりとしてあるから、固有のコンテクストに従属しない、というような意味だろう。)
●つまり、ここで言われている「瞬時性」(林氏の言う「一挙性」)とは、作品を一望のもとに一挙に把握出来るという意味とは大きくずれているように思う。実際、作品を観るには時間がかかる。それはなにも、アンソニー・カロの彫刻のように多くの視点があり得る作品だけでなく、ポロックやロスコのような(とりあえず、その作品を「観る」ための最も適切な一つの位置が設定できるような)絵画作品であっても、かわらないはずだ。だからこの「瞬時性(一挙性)」とは、言ってみれば、作品を観ている具体的な時間の切片を束ねて、それらの相互に矛盾すらする複数の知覚経験の全てを過不足なく「ひとつの作品」としてまとめあげる「四次元的な知覚(統覚)」のようなものであり、ほとんど不可能なものとして、「理念」としてのみ存在し、それによって個々の作品が成立し、個々の作品を観るという行為の具体性を成り立たせ、メタレベルで制御しているであろう「何ものかの力」の言い換えというくらいに捉えるべきではないだろうか。(でなければ、フリードがカロの作品を評価出来るわけがない。)モダニズムの作品は、そのような「四次元的知覚」を理念として要請し、それを信じることで、むしろ、(継起的のあらわれる)実際には制御しきれない無数の知覚の断片を拾いあげ、肯定することが出来るのだが、リテラリズムの(演劇的な)作品は、そのような理念を持たないために、返って、常に流れ去る時間という現実的な次元で、「客体性」のような強い(人を圧迫するような)「一つの全体性」のようなものを必要としてしまう。フリードの言いたいことはおそらくこのようなことで、その意味において、ブライス・マーデンの作品にみられる、常に「画面全体」のあらわれを逃れてゆくような線の運動性は、むしろ(と言うか、だからこそ)フリード的なモダニズムの範疇に入るのではないだろうか。
●フリードの『芸術と客体性』については「ここ」にも書いています。
04/09/07(火)
●ものを観るには時間がかかる。時間のなかでものは常に移ろい、動いている。しかし、絵画はそれを固定された画像として示すしかない。例えば漱石の『三四郎』における三四郎の画工への疑問、モデルの表情はその時々で変化するのに、なぜそれを一枚の絵としてまとめられるのか。それは、その時々の個別の時間(細かい表情)のゆらめきを捨てて抽象化された、悪しき本質主義のようなものではないか。
このような疑問が、近代的な作品を制御すると言われる「瞬間性」(一挙性)への批判へと容易に転用される。例えば林道郎は『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』(ブライス・マーデン)において、マーデンの5枚の連作『受胎告知』に、近代絵画を超える時間性を見いだしている。しかしぼくは、絵画が時間性を「連作」の展開という形で示すことに対して不信をもつ。そのようなやり方は、絵画の矛盾を簡単に解決してしまうが故に、作品から緊張感を奪ってしまいがちだ。(その悪しき見本が、今やっているブライス・マーデン展での『Standard』の12枚の連作であり、あるいはゲルハルト・リヒターの、あの馬鹿げた途方もない「連作」だろう。)それは結局、一枚の絵画が、一つの画像(映像)、一つの層、一つのフレームしか示すことが出来ないという考えから生まれているからだろう。それは、一枚の絵画が一つの映像でしかないと見なすのに等しい。(絵画はスクリーンであり、そこに任意の映像を貼付けられる、というような。)
しかし、一枚の絵画は、それが「一つのもの」(一つの作品)であるという限定性を引き受けることで、複数の空間、複数の層、複数のフレーム、複数の時間が重なったものとしてあり得るようになる。つまり、ある矛盾や亀裂を含むことで、一枚の絵画が時間性をもつ。(岡崎乾二郎は、「瞬間性」について、作品を実際に「読む」には時間がかかるが、「読むに値する」ものであるかどうかは、瞬時に分かる、というような言い換えをしている。つまりそこに「読むに値する」だけの「複雑さ(幅)」があるかどうかはすぐに分かる、と。)例えば、昨日の私と今日の私とでは違うし、明日の私がどうなっているのかは分からない。私は何をしでかすか分からないし、私を時間を超えて制御する原則(私に関する私的な規則)はあり得ない。にも関わらず、(おそらく私の身体や脳による物質的な規定や記憶などによって)私を私として制御している何ものかの力(「超越論的統覚」と言っても「症候」と言ってもよいのだが)の存在があるという想定は可能で、だから、昨日の私と今日の私は別人ではなくとりあえずの連続性がある「一人」の人間だと言うことが言えて、それが言えるからこそ、時間の持続のなかで相矛盾する複数の要素をあらわにする存在(私)の「振幅」を、一つの「人格」のもつ「幅」として肯定できるのだと思う。一つの作品(絵画)があくまで「一つ」のものでありながらも(あるからこそ)、いつくもの矛盾する異なる要素を幅や深みとして含み持ち、であるからこそ時間性をも含むということは、それと同じようなことなのだと思う。一枚の絵画は、それが「一つの作品」であるからこそ、同時に複数の絵画でもあり得るのだ。
04/09/12(日)
●そんなにちゃんと読んでいるわけではないフリードにあまりこだわるのもどうかと思うが、『芸術と客体性』を読む時のキーワードとして「grace」をもってくるのが適当だと思われないのは、彼が実際に高く評価している作家たち、ルイスやステラやオリツキーやカロの作品が、普通の意味で「恩寵」的(超越的)なものから遠いという事実がある。意地の悪い言い方をすれば、ニューマンやロスコ(あるいはリヒターやキーファー)の作品を観て「感動する」のは実に容易なことなのだが、カロの作品を観て「感動する」のは難しい。それは無媒介的な感動ではなく、ある知的な操作を経ることで得られる「面白さ」(複雑さ)によって成立している作品であると言えよう。それを面白いと思うためには、自分に与えられる「感覚」(実感)を、ある程度相対化して吟味するという、知的な操作性を媒介として必要とする。(つまりそれが「読み込む」ということなのだが。)そしてこのような距離(媒介)の設定こそが、フリードの言う、リテラルネスに対する「抽象性」と深く関わる。(この対立は、コーリン・ロウによるリテラルな透明性とフェノメナルな透明性という考えを想起させる。)フリードにおいては、「抽象性」の方が、恩寵よりもずっと重要であるように思う。(カロの作品は、そのような抽象性ゆえに普通の意味での感覚的・表現的な「押し出し」が強くない。だから一見、上品で趣味の良いだけの、古典的で無難な作品のようにも見えてしまいがちだ。しかし、いわゆるミニマル・アートの作品が、おしゃれなショップのディスプレイなどにすんなりとけ込んでしまうのに対し、カロの作品は周囲の環境に簡単には取り込まれない、独自の頑なな強さがある。このような頑なな強さこそが、作品を作品たらしめている「感覚的な実質」というものだろう。)
フリードがステラの「不整多角形シリーズ」を評価する時、いかにもフォーマリスム的に、リテラル・シェイプ(支持体そのものの形)とデピクテッド・シェイプ(描かれた形)との対立を止揚して「斜視的な効果」を生んでいるから良いのだという風に言うのだが、ここで勘違いしがちなのが、それを「リテラル・シェイプとデピクテッド・シェイプとの対立」という形式的な「問題」がまず最初にあって、その問題を見事に解決しているからステラは偉い、という風に読んでしまうことで、そうではなくて、まず、あるひとつの「抽象性」としての成立する「斜視的な効果」が、感覚的な実質として面白いと評価されていて、そのような「斜視的な効果」は、リテラル・シェイプとデピクテッド・シェイプとの対立の止揚によって実現しているのだと、その後で分析されている、と読まなければならないだろう。あくまで「斜視的な効果」という抽象性(リテラルな即物性から切り離されて構成されたある感覚的な実質)の質こそが問題になっているのであって、この点を間違うと、アメリカ型のフォーマリズムは、絵画の本質の追求という名のもとで作家と批評家が一丸となって行う「問題解決プロジェクト」みたいなもので、こんなプロジェクトは既に過去のものだということにしかならなくなってしまう。
ここで「抽象性」という概念が重要なのは、それがリテラルなもの(とりあえずは日常的なものと地続きの即物性・客体性のこと)と切り離されているのと同時に、共同体的なものが保証する連続性(祝祭による恍惚や超越的感覚)とも切り離された場所に設立されるものだということだろう。つまり、現世的・俗的なものからも、超越的・聖的なものからも切り離されて宙吊りになった「感覚的な実質」こそが、フリードにとってのモダニズム的な作品に必要な内実なのではないだろうか。(それは抽象的・人工的だからこそ、無媒介的な実感や感動に、常にある操作的な距離=読みを差し挟むことによってしか開かれない。そのような作品は、恩寵のような大げさなものを生むのではないし、冷たくもなく熱くもなく、感覚や知性を最も活発に活動させるような、軽い高揚のような状態をつくりだす。)しかし実は、ここで言われる「抽象性」へのこだわりとは、モダニズムというような「イズム」の問題であるよりむしろ、フリードをフリードたらしめているの個人的な体質や趣味に深く根ざしているようにも思える。

  サム・ライミ『スバイダーマン』をビデオで
04/08/07(土)
●サム・ライミ『スバイダーマン』をビデオで。物語の骨子、エピソードの重ね方、細部の作り込み、人物の配置や関係づけ、演出など、どれをとっても徹底して典型的であり、それをほんの一歩も踏み外すことがない。その徹底した典型の的確さによって、この映画はとても面白いものになっている。ここにはサム・ライミという「作家」は存在せず、ただ、できうる限り的確に典型であろうとする配慮のみが作動し、映画全体を貫いているようにみえる。そしてそれはもちろん、中途半端な「作家性」などよりもずっと貴重なものなのだろう。どちらかと言えば、カルトで、マイナーで、マニアックな作家として出発したライミが、そのような「言い訳」をいっさい必要とせずに、ひたすらに正攻法のみで勝負しようとし、またその勝負が可能な力量を持ってもいるという事実には、心を動かされるものがある。(今時、「作家性」よりも「典型」を選んでしまうということが、そもそもオタクの証拠なのだ、ともいえるのだけど。)
●だが、確かに心を動かされるとしても、ぼくはそのような「正しさ」をことさら持ち上げる気はないし、だいいち、その「正しさ」を判定する資格など持っていないし、持ちたいとも思わない。ぼくにとっての『スパイダーマン』の魅力は、何よりも、手首から放出される「蜘蛛の糸」をつかってビルとビルとの間を抜けて空中を進んでゆく、その移動のアクションの美しさにこそある。このような「動き」は、実際にはあり得ないものなのだが、吊り輪とか「うんてい」(小型の猿が、手を使って木の枝から枝へと宙空を移ってゆくように、宙に渡された鉄の横棒を、手を使って渡ってゆく遊具を、子供の頃に、確か「うんてい」と呼んでいたように記憶している)とか空中ブランコとかの、実際に「あり得る」動きを起源にもち、それを極度に大げさにデフォルメしてつくられた「あり得ない」動きであるという点で、例えば、はじめからあきらかに「あり得ない」動きであるワイヤーアクションなどとは根本的に異なり、どこかでそれを観ている観客の運動感覚を刺激するところがあるのではないだろうか。ワイヤーアクションの面白さは、その「あり得ない」アクションの不自然さによって、我々の身体的運動感覚から切断されるような「ショック」の感覚を覚えるところにあると思う。しかしそれも見慣れてしまえば「ショック」は消えて、たんに物珍しい「型」のバリエーションでしかなくなってしまう。対して『スパイダーマン』の(蜘蛛というよりも小型の猿が枝を渡ってゆく様を連想させる)アクションは、観客の身体に埋め込まれた運動する感覚に、深いところで触れ、それを喚起するものであるように思う。
●このような感じは、たんに、ぼくが子供の頃に、鉄棒や「うんてい」やジャングルジムといった遊具が非常に好きだったという個人的な感覚に由来するものでしかないのかもしれないのだが。これらの遊びは、野球やサッカーやドッヂボール(あるいはママゴト)のような、他者と共同したり争ったりするようなゲーム性や見立て性の強いもの(他者との関係によって空間が開かれるような遊び)とは違って、その楽しさは、自分の身体が運動する感覚を自分で感じるというような(あるいは、自分の身体が運動する感覚とそのフィードバックとしての、運動の結果周囲にあらわれるもの=認知とによって、自分の身体と周囲の環境=空間とが同時にたちあがる=感じられるような)、ただ感覚すること(感覚的なものの質)そのもののなかにしかないような遊びだといえる。(この感覚は、遊園地の遊具のような、ただ身体が自動的に「運ばれてゆく」ことによって生じる感覚の質とは、あきらかに異なる。)例えば「うんてい」において、鉄の横棒に掴まった手を支点にして、自分の身体を振り子のように重力を利用しつつ先へと放り出し、振り子が最も振れた時点で支点とは反対の手を出来うる限り先へと伸ばし、振り子が戻る直前にその先の横棒を掴み、掴んだ瞬間に支点となっていた手を離し、今度は掴んだ手を支点にして、身体を反転させつつ、ぐうんと大きく振ってさらに先へと放り出し、また、振り子が最も大きく振れたところで手を伸ばし先の横棒を掴み、その瞬間に支点となった手を離し、そしてまた....、という風に、次々と、身体を反転させつつ、交互に手を先へ先へと伸ばしてゆくことで、身体が大きくリズムをとりつつ振れ、宙を進んでゆくその自分の身体の「動き」そのものを感じ、楽しむということになるのだが、この感覚は、『スパイダーマン』で蜘蛛男が、手首から放出する糸を伝って、ビルとビルとの間を移動してゆく「動き」の感覚(特に、蜘蛛男がはじめてビルの間を移動する時の、不安定で危なっかしくも新鮮な感じ)と通低していて、後者を観ていると、記憶の底に眠っていた前者が喚起され、増幅され、あるいは変形されて、むくむくとわき上がってくるのだった。

  作品における、「正しさ」について
04/08/08(日)
●作品というものが、ほとんど物質と化すほどに凝縮された情報の塊だとすると、それを解きほぐし、切断し、細部を改めて関係づけることで、そこにある形象(物語)を「頭のなか」に浮かび上がらせることが「読むこと」だと言える。このときに読まれたものの(つまり頭のなかの形象=物語の)「正しさ」を保証するのは、ある特定の「読み方の作法」を権威づける象徴的なものの体系であり、その体系をとりあえず共有している集団であるだろう。そして批評とは、それぞれが自らの読みを示した上で、その作法の正しさを(他者に対して)主張し合い、「正しさ」について争い合い、その争うという行為によって「象徴的な体系」を形成しつつ、象徴的なものの作用する場(圏域)を維持しようという営みだと言えるだろう。(だからおそらく、単一の体系=法であるかのように立ち上がる象徴的なものも、複数の言語ゲームの「覇権」争いによってのみ維持される遂行的な場、つまり想像的な対他関係の場を通してはじめて目の前に現れるのだろう。)つまり、批評が可能であり、かつ必要であるような時空というのは、既に象徴的なものの絶対的な専制(「正しさ」)が失われている時空であり、その「正しさ」の代替物として、対他的な(愛と憎しみの)空間のなかで争われる、暫定的な「正しさ」を保留を設けつつ主張し合うゲーム、という「枠組み」が必要とされ要請される時空であろう。(この時、保留という時間的な厚みの設立が絶対的に重要なのだが。)このようなゲームは、仮構されたものとしての「正しさ」という考え方(例えば芸術批評ならば、この作品の方があの作品よりも「優れている」というような価値の「鑑定」のようなもの)なしにはやってゆけないだろう。
●象徴的な「正しさ」が正しさについての争いを通してしか現れないならば、それはいつも排他的なものであるしかなく、例えば、あいつよりも俺の方が正しいとか、この作品の方があの作品よりも優れているとか、そのような形で示されるしかないだろう。そして「正しさ」が対他関係を通してしか現れないのならば、そこにはいつも具体的なある集団の人間関係(愛と憎しみ)の影が染み付いてしまってもいる。(しかし、このような正しさとしての価値が成立しないのならば、こっちの方があっちよりも「儲かる」とか、こっちを選んだ方が「おいしい」とか「使える」とか、これが私の「お気に入り」だとか、そのような「私にとっての利害」による価値判断しかなくなるだろう。)だが、我々が実際に作品に触れたときに得られるもの、あるいは日々の生活から得られるもののなかで最も貴重なものとは、排他的な言い方によってしか示されない象徴的な「正しさ」とはまた別種の質を持つ経験であるはずなのだ。ある作品が素晴らしいのはたんに素晴らしいからであって、別の作品(あるいは過去の作品)と比べて相対的に素晴らしいからではない。この時の「素晴らしさ」という価値判断は、「私の利害」とは切り離されているものの、象徴的な「正さ」という価値(を巡る争いにおいての「私」の位置)とぴったりと重なるわけでもない。ある作品をみて心を動かされることと、その作品を「今年のベストテン」の何位に配置するかということとは、とりあえずは別のことであろう。おそらく「正しさ」を主張するためには、このような分裂は不可避であろう。しかしそれはやはり、とりあえずは「別」であっても全く切り離されたものでもない。(言い方を変えてみる。「自己表現」というのは、他者たちの集団のなかで自分の存在する場所を切り開くための政治的・象徴的なパフォーマンスであり、それは自分の経験・感覚の質のそのままの表現や、純粋な「叫び」とは異なる。しかし同時に、孤独な叫びを全く含まない政治的(象徴的・対他的)行為はあり得ないし、また、外から切り離されたような孤立した感覚や叫びも(おそらくたんなる痙攣ですらも)どこかに他者(外)への意識や通路を宿しているのだと思う。)
●しかし、「正しさ」という言い方にはどこか後ろ向きの印象があることは否定できない。実際、「正しさ」を主張するときに参照されるのは、しばしば過去(歴史)であるだろう。だが、過去においてそうであったことが、現在における「正しさ」につながるという保証はない。にも関わらずそこに「正しさ」を仮構しようとする時にあるのは、何ものかの、かたちにならない「かたち」の「正しさ」を信じそれを存続させようとする意思であるだろう。その「感じ」について高橋悠治は的確に書き表している。 《音はあるかたちをそなえている。それは空気のムラとしてはじまり、ほうっておけばそのままきえてしまうから、かたちをたもつためには意識してその波をころがしつづけなければならず、意識がとぎれる時に音はやんで、沈黙だけがのこる。音をたもつのは、演奏する者の態度なのだ。態度は自然にあらわれるもので、あらかじめさだめることはできない。》 「空気のムラ」としてほとんど偶然に生じた「あるかたち(=正しさ)」は、それを保とうとする「意識」によってだけ保持されるのだが、その持続をつくりだす「意識」や「態度」ですら「自然にあらわれるもの」でしかないのだから、ある「正さ(かたち)」の継続を「あらかじめさだめることはできない」と。だから、 《伝統はほろび、どんな楽譜もひからびた音楽の骨をつたえるにすぎないとすれば、泡のような知識をもとに伝統をまもり、あるいはそれに反抗するより、おもうままに古代を発明する方がのぞましい。音楽はこのようなものとさだめ、ことなる道をこばむより、音楽が何であるかをわすれ、そのつかい方に意味をみつける方がこのましい。》 しかし問題なのは、このような地点において、どのようにして「正しさ」を仮構することが出来るか、または何を「信じる」ことが出来るのかということであるだろう。 《すべては、その場でふみだした一歩をどう評価するか、にかかっている。評価のために立ちどまったり、まちがった一歩をはじめからやりなおすわけにもいかない。(略)方法は構図を必要とする。それは五万分の一の地図よりは、見取り図に近いとしても。構図が方法から生まれてくるのも、さけられない。ただし、生活や、そのなかでのしごとは、ことがらの全体的な理解からじまることはない。一つの意思をもち、それを決しててばなさないことが必要だ。強調されるべきなのは、構図をつきくずしながら方法にいたることだ。》
●以上の文は、ビデオでトニー・スコットの『スパイ・ゲーム』を観ながら、昨日観た『スパイダーマン』なども思い出しつつ考えたことをもとにして書いた。

  荒川修作と独り言
04/08/14(土)
●夜遅く、駅から自宅へと向かう道の途中で、ぶつぶつと独り言を言っては、楽しそうにケタケタと笑い声を挙げる婆さんとすれ違った。最近では、夜道で一人ぶつぶつ呟く人がいても、携帯で話しているのだろうと思って特に何とも思わなくなったのだが、その婆さんは両手をだらりと下げていて、手には何も持ってはいなかった。 もうずいぶん前、青山に東高現代美術館というのがあって、そこで荒川修作の展覧会の時をやっていた時に、荒川氏と中沢新一の対談があった。荒川氏は相変わらず唯我独尊な態度で、最初のうちは適当に調子を合わせていた中沢氏も、途中で、いくらなんでもそれは現代美術家の傲慢というものなんじゃないの、と、苛立ちをあらわにし、荒川氏の方は、まさにその苛立ちをこそ待っていたのだと言わんばかりに中沢氏の言ったことに次々と反論してゆく(セザンヌなんてたんにお金持ちの教養だ、モンドリアンなんてただの進歩主義者だ、とか、つまり荒川氏はその作品の性格から言って「歴史」を認めない)ということはあったにしても、全体としては、中沢氏が荒川氏のお話を伺うという平坦な流れだったと記憶している。そこで、ニューヨーク在住の荒川氏が東京へやってきて印象に残ったこととして、電車のなかでぶつぶつ独り言を言っている人が多いということを挙げていた。「これはとても面白い兆候で、電車のなかで独り言を言うような人がもっと増えてくれれば、私の仕事もより良く理解されるようになるだろう」、とか言っていたと思う。 人ごみのなかで、場違いな声を出して一人で喋っている人がいたとしても、その人が携帯電話を耳にあてていさえすれば、普通はその状況を不自然なものとは思わない。その人の喋りは、電波を通じた先に誰かしらの「受け手」をもっているとすんなり受け入れることが出来る。しかし、本当にその先に誰かがいるという保証など実はどこにもない。別に、携帯で繋がっていてもそれは真に他者との対話にはならないなどという穿ったことを言いたいわけではない。本当に通話しているのか、ただ受話器に向かって独り言を言っているだけなのか、外からでは見分けがつかないということなのだ。つまり、荒川氏の言っていたような「独り言を巡る風景」は、あれから十数年たってまったく様変わりしてしまった。独り言は潜在化された。(携帯に向かって話している人たちのうちの何パーセントかは、その先に誰も受け手がいない、とぼくは想像する。)外から(「かたち」から)ではわからないというのは結構恐ろしいことで、それはつまり、他人の視線によって自分を知ることが出来なくなるということでもあるのだ。(ぼくは本当に誰かと話しているのか、それとも携帯に向かって独り言を言っているだけなのか、わからなくなったとき、他者の視線はそれを教えてくれない。)自分の行為が、とりあえず社会的な次元で「妥当な」ものであるかどうかを教えてくれるのは、まず何よりも他者の視線であろう。これはもちろん、私を縛る鬱陶しい権力であるのだが、それだけでなく、ごく単純に、他者が自分に向けてくるちょっとした視線が、自分の行いについて多くのことを教えてくれ、冷静にしてくれるということでもある。それが難しくなると、私はより孤立し、何かを考え行動する「基準」の設定が(と言うか、行為に対するフィードバックを得ることが)困難になり、私は私の闇のなかで手探りしつつ独力でその基準を設立するしかなくなり、しかもその基準がどの程度「外側」とリンクしているのか判定することも困難になる。(これはまさに、荒川氏の作品が装置としてつくりだそうとしている状況だとも言える。)これは社会的に考えれば、確かに不安定で危険なことなのだろうが、無責任な芸術家としてみれば、面白いことだと言えないこともない。と言うか、「個人の生」という次元に限定して言えば、すべては「ここ」からしか始まらない。

  偶然、映画の撮影しているところに行き当たった(+ゴダール『パッション』)
04/08/19(木)
●偶然、映画の撮影しているところに行き当たったので、しばらく眺めていた。かなり大きな規模の映画らしく、大道具や照明機材などを載せたトラックが3、4台、その他にも、小型バスや5、6台のワゴン車などが、普段は車両進入禁止になっている中庭に停まっており、すこし後からは、雨を振らせるための散水車も3台入ってきた。まだ撮影は始まっていなくて、数十人規模のスタッフたちがせわしなく動き回り、車から荷物をおろしたり、何かを組み立てたり、無線で連絡し合っていたりするし、少し離れた場所では、4、50人のエキストラたちがまとまって待機していたりする。なかには、仕事の流れから外れて不満そうに愚痴っているスタッフもいたりする。現場全体を指揮しているような人とは見当たらないのに、それぞれのスタッフが自分の仕事を理解しているようで、それぞれまったくバラバラに、あちこちで異なる作業が行われている。雑然ととしつつも整然としていると言うか、それぞれがまったくバラバラに独立して動いているように見えて、少しずつ徐々に、現場が全体としてなんとなく整った感じになってゆく過程を、遠巻きにして見ているのはとてもおもしろかった。
●この、撮影のための準備の様子を見ていて思ったことのひとつは、映画の撮影現場は、まず何よりも経済的な意味での労働の場であって、ここで働いている多くの人たちの「生活」を、この撮影されている映画作品が支えているのだという、当たり前と言えば当たり前のことだ。ここでは、○○監督作品といった名前に代表されることのない無数の「手」が作品につぎ込まれているのであり(だからと言って作家主義を否定する気はない、出来上がった作品にははっきりと作家の刻印が押されていることがあるのだから)、映画が「作品として」どうだという以前に、そこで働く人たちの生産を通じた人間関係があり、それぞれの生活があるのだということ。そこにあるのは、スタッフたちがひとつの作品に向けて(力をあわせて)結集しているという感じではなく、それぞれが勝手に自分の仕事をしているという感じなのだ。(「いってくるぞ」「いってらっしゃい、今日はどんな映画で雨を降らせるの」「よく知らないけど、中村獅童が出るって聞いてるけど」という会話で朝、家を出てくる人とか。このくらいの感じで作品に関わっている人が無数にいて、一本の映画が出来る、みたいなイメージを持ったのだった。)映画とは、作家が全てをコントロールするものでもなく、かと言って、スタッフが一丸となって一つの作品の成立に向けて情熱を傾けるという感じでもなく、それぞれバラバラな無数の(無名の)個々の「手」の、半ば偶発的な折り重なりによって支えられているのだろうということなのだ。こういうことは、アトリエで一人で絵を描いているような人間としては、つい忘れがちなのだ。 しかし、忘れがちなのも理由がないわけではなく、にも関わらず何故、出来上がった映画作品からは、映画が撮影されている(生成しつつある)現場の、様々な人たちが、それぞれの持ち場で、バラバラに自分の仕事をしているという感じが、きれいに消えてしまうのだろうか。いくつもの場所で、いくつもの事柄が、同時に、ことなるリズムで起きていて、それが重なった結果として、一本のフィルムが出来る。このような感じが、多くの映画では消えてしまい、往々にしてひとつの流れに束ねられてしまう。
●たまたま通りかかって見た映画の撮影現場の持つ雰囲気に近い「感じ」の映画と言えば、ゴダールの80年前後の作品が思い出される。(小津とかもそうだろうけど。)『勝手に逃げろ/人生』『万事快調』『パッション』などが、近いのではないだろうか。特に『パッション』で、映画の制作に関するゴタゴタと、工場の雇用に関するゴタゴタとが同時に描かれなければならない理由が、撮影現場の様子を見ていてすごく腑に落ちる感じがした。ゴダールはおそらく、「映画をつくることを生業とすること」についての映画をつくろうと試みたのではないか。つまり、いくつもの場所で、いくつもの事柄(生活)が、同時に、ことなるリズムで起きていて、それが重なった結果として、一本のフィルム(ひとつの商品)が出来る、ということ。『パッション』では、映画撮影の人たちと工場関係の人たちが入り乱れて、物語的な展開や伏線などとはあまり関係なく、いくつもの場所でそれぞれの人物たちが様々なやり方で関係してゆくのが、作品の構造としてはきわめて「緩く」結びつけられてゆく。ここでは、単線的な流れとしての映画の時間は停滞し、そのことによって空間的な広がりが得られ、それが、それぞれの時間の流れ(リズム)の違う個々の場面(個々の関係の場)の、一本の映画作品のなかでの併置を可能にしたのではないだろうか。
04/08/21(土)
●一昨日の日記に書いたようなことがあって、ゴダールの『パッション』を久しぶりにDVDで観直してみた。何と言うか、とてもバサバサした映画で、例えば『新ドイツ零年』や『JLG/JLG』のような作品として美しくまとまった凝縮力みたいなものがあまりなくて、それぞれの人物、それぞれのシーン、それぞれの要素が、勝手にそれぞれのやり方で動いている感じが強い。例えばそれは人物の配置などからも伺えて、あまり目立たないが一応は主人公である映画監督は、この映画で3人の女性と関係している。工場労働者のイザベルとホテルのオーナーでもあり工場の経営者の妻(愛人?)であるハンナと、そしてカフェで働いている若い女だ。重要なのは、役の上ではチョイ役でしかない3人めのカフェの女性だろう。この映画の「言葉の上での」テーマのひとつに「二つのものの間で探している」というのがあって、監督はまさにイザベルとハンナとの「間」で何か(愛とか労働とか光とか)を探しているわけだが、しかしそのような「言葉」で翻訳し得るわかりやすいテーマを超えた散逸的というか即物的な、複雑な運動性をこの映画に生成させているのは、物語上では対して重要ではない3人目のカフェの女性の存在なのだと思う。(そしてさらに、彼女の妹だというホテルの従業員の女性とか。)実際、彼女が戯れに取り出した包丁が、まわりにまわって監督を刺してしまうに至るドタバタ・シーンの、多焦点的で複雑なアクションの重なりによって何かがふいに「起こって」しまう様を観ていると、この監督が「二つのものの間」で悩んでいることなどまったくバカバカしいことのように思えてしまう。(「二つのものの間で探している」という問題設定の間違いが、おそらくこの監督に映画の撮影を不可能にしているのだろう。)少なくとも、この監督の存在や芸術的あるいは政治的な悩みが、この映画の「中心」にあるわけではないことだけは、はっきりとわかる。あるいは、カメラを載せたクレーンに、監督とプロデューサーとが乗り込み、そのクレーンの舞踏的とも言えるような美しい回転運動が示されているショットにおいても、そんなこととは全く関わりなく、その脇でカメラのケーブルを迅速かつ事務的にさばいているフタッフの姿がしっかりと捉えられているのを目にした時、ゴダールの映画の即物性ということの意味が理解できる。監督が何か重大で高邁な悩みを抱えていようがいまいが、スタッフや出演者たちはそれぞれの生活があり、それぞれのごたごたを抱えている。そしてそれを示すのは物語りでは決してなく、画面のなかに(互いに孤立しながら)共存する、複数の運動の複雑な重なり合いなのだ。

  宇多田ヒカル『誰かの願いが叶うころ』
04/08/09(月)
●宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶うころ』をくり返し聞いて、さめざめと泣いてしまうのだった。『CASSHERN』は観ていないから何とも言えないのだが、いろいろな評判から判断するとおそらくつまらない映画なのだろう。しかし、もし実際につまらないものだったとしても、エンディングにこの曲がかかっているのなら、それだけでそのつまらなさのすべてを許し、かつあまりがあるのではないだろうか。 この曲が「唄って」いるのは、どうしようもないことのどうしようもなさであろう。この世界において、どうしようもないことがどうしようもないのだということを、誤摩化しなくシビアに突き放し、かつ、それをやさしさにおいて唄うこと。(この「やさしさ」はもちろん、宇多田ヒカル個人やその内面に属するものではない。)このような「唄」によって誰も救われたり癒されたりなぐさめられたりはしないだろうし、なにかがかわってゆくための力ともならないだろうが、このような「やさしさ」がこの世界にあり得ることがひとつの希望であろう。この(超自我のような)「やさしさ」は、決して他者への共感や感情移入、思いやり等によって生ずるものではなく、おそらく世界についての醒めた認識によるある種の「諦め」から生まれるものなのではないか。どうしようもないことへの諦めの後にはじめて生まれるこのようなやさしさにこそ、なにがしかの超越性が、あるいはメタフィジカルなものが、ようやくわずかに孕まれる。この「唄」は、まさにそれが孕まれた瞬間が唄われているように感じる。

  遠くから雷が徐々に近づいてきて
04/07/16(金)
●遠くから雷が徐々に近づいてきて、空気をビリビリと震わせる。くすぶるようなゴロゴロいう音がしだいに大きくなり、あちらからもこちらからも聞こえて重なり、一瞬の稲光りが空にはしった後、やや間があって、地面を揺るがすほどのバリバリバリッという爆音が地下から沸き上がるように響く。パッと瞬く間の閃光の後の、大きいだけでなく粘るように後をひく炸裂音が断続的にいくつも起こり、不穏な空気が辺りに漲る。蝉たちが、雷と争うように激しく鳴きたてている。大粒の水滴が、ポタッ、ポタッ、と数滴落ちてきたかと思うと、それはみるみる視界を遮るほどの土砂降りになる。熱せられた地面から水の匂いが「もわあっ」とたちあがるのはほんの少しの間のことで、すぐに、道には小川のように水が溢れて流れ、雨粒が激しく飛沫を跳ね上げる。こんな状態でも太陽は依然として照っていて、白く輝く光の球となり、空は銀色に眩しく発光しているように見える。荒々しく落ちてくる大粒の水滴に、白く輝く太陽の光が乱反射して、異様な明るさをかたちづくる。溜めていたものを一気に使い果たしたかのように雨はすぐにあがり、まだまだ沈まずにギラギラと輝く太陽の光が、いくつもの水たまりから反射して下からも照りつけてくる。
04/07/21(水)
●巨大な蚊帳みたいな、工事現場の足場に張られた半透明のネットに強い光が当たり、そこにクレーンのアームの影が黒く濃くくっきりと刻まれている。建築会社のロゴマークと名前が描かれた白くて大きな布が、組まれた足場のてっぺんから垂れ下がり、風に吹かれてはたはたと揺れ、しわやたるみが濃い影の縞模様をつくり、その影が風の吹き抜ける方向へと次々に移動してゆく。黄色いごつい本体に支えられて空高くまで伸びる黒いアームから、海に浮かぶブイのような形の黄色い錘に引っ張られたワイヤーが垂直に垂れているが、錘より下のワイヤーは二股に別れていて、縮れたようにくしゃくしゃっとなっている。アームが動き、錘がゆっくりと下がって、10トントラックの荷台の上へと降りてゆく。荷台の上でどのような作業が行われているのかは、ここからは見えない。しばらくするとブイのような黄色い錘がグイーンと音をたてて上へと昇ってゆき、錘から二股に伸びたワイヤーもピンと張られ、その先には何本も束ねられた鉄柱が結びつけられていて、自らの重みで軽くしなったその鉄柱の束が、真っ青で雲ひとつない空を背景にして、大きく揺れることないよう気をつかわれた速度で、建物の一番高いところまで移動されてゆく。建物のてっぺんから顔を出した黄色いヘルメットの作業員が下へ向かって何かさけぶのが見えるが、工事現場でたつ様々な轟音で声は聞こえない。ひっきりなしに通る工事車両で埃っぱく煤けた現場前のレンガ敷きの道路にも容赦なく強い日射しが当たり、跳ね返り、そこにわずかにのこされた木々に茂る葉々から蝉の声が沸き上がる。
04/07/24(土)
●強く日の照る午後のこと。たばこの自動販売機の前にいた、肌着だか外着だか分からないだらっとした服装の70歳くらいの老人(男)が、腰をかがめて買ったたばこを取り上げて振り返り、虚空を見つめつつおもむろに、「ナッチ、ナッチちゃん」とやや大きく、張った声を出すのに出くわした。老人の視線の先は定かではなく、そちらの方向に誰がいるでもなかった。最初、たばこを買っていることとの関連から、販売機の影にいる(こちらから見えない)誰かに向かって「マッチ」と言っているのかとも思ったのだが、二度めの発音ははっきりと「ナッチちゃん」と聞こえた。不思議に思いつつも歩きつづけ、ぼくには見えない誰かに向かって声をかけているその老人の傍らを通り過ぎようとする時、自動販売機の向かい側の、背高く雑草が伸びた空き地の草がいきなりざざざざざっと動き、なかから黒くて大きなものがのそっと這い出してきた。なんのことはない、老人は犬を散歩させていて、たばこを買っている間リードを手放し、犬は草むらのなかへ入り込み、老人はその犬の名を呼んでいたのだった。これらのなんでもない一連の出来事の一つ一つを、その因果関係を把握できないままバラバラに目の当たりにすると、まるで、真上から強い日の射す影の短い過剰に明るい暑い昼間に、かげろうのようにあらわれた2つの非現実的なあやかしであるかのように感じられてしまうのだった。
04/08/05(木)
●木の葉が過剰に繁っている。例えばユリノキは一枚の葉が掌くらいの大きさで、そのため葉と葉の隙間が大きく空いていて、背の高い木を下から見上げると、黄緑色の葉とその隙間から覗く空の青とが同じくらいの比率で見えて、さらに風で葉が揺れると、ただでさえ黄緑と青とが反転を繰り返して葉を見ているのか空をみているのか、黄緑が前にあるのか青が前にあるのかわからなくなるのに、無数の掌がてんでバラバラに手を振っているようにユラユラと風で揺れる葉によって、その反転する振動に動きと時間的リズムが加わり、視覚的な喜びをいっそう複雑で深いものにするわけなのだが、連日の強い日差しと適度な湿り気のためか、葉は互いに重なり合い木の枝を隙間なく覆い尽くすほどの量で、向こう側が見えないくらいに濃く重たく生えていて、そしておそらくそのせいで、一枚一枚の葉を見るとしんなりとして勢いがなく、色も緑が薄く全体にやや黄ばんだ感じで、部分的には完全に枯れて萎れ、赤茶けて乾燥し、くちくちゃっと縮んでしまってさえいる。密度濃く重たく繁る葉は、夏の盛りの狂気じみたほどの生臭い旺盛さを感じさせるのだが、その旺盛さが、一枚一枚の葉を衰弱させる結果と繋がっていて、その両者が一本の木に同時にあらわれているのだった。背の高いユリノキの並木があるのは野球場の脇の道で、そこを抜けてゆくとテニスコートの脇の道へと通じている。空を二分するように、約半分ほどを白くて厚い雲が覆っていて(午前中から強い日差しと雨とが交互に繰り返されている)、のこり半分は、かすれたような雲の外は真っ青にひろがってている。ほぼ真上に近いところから射してくる正午過ぎの日射しはテニスコート脇の道に影をつくらずベタ一面に当たり、アスファルトに埋め込まれた小石の一粒一粒を浮き上がらせる。ずっと向こうから、派手な蛍光オレンジのシャツを着た坊主頭の男が、スーパーマーケットなどにある車輪付きの荷籠に黄色いテニスバールをこんもりと積み上げ、ガラガラと大きな音をたてて押しながら近づいてくるのが見える。
04/08/13(金)
●朝、目が覚めた時から、既に蝉の声のなかに浸されていて(まだ午前6時半過ぎなのに)さすがに少々うんざりする。(道を歩くとそこここに蝉の死骸がころがっている。なかには、死骸だとおもって近づくと、ふいに、ギーギーと乾いた音をたてて羽を振るわせ、腹を上にしたままで飛び上がり、しかし方向も定まらず、すぐにまた地面に落下し動かなくなってしまうものもいる。)駐車場を囲っている低い生け垣の間から、それよりもずっと背の高いセイダカアワダチソウがにょきにょきと何本もの伸び出ている。その脇に生えているサルスベリの木に咲いた花の、鮮やかな赤紫色。
04/08/20(金)
●見たものを写真のように完璧に記憶できる人がいるそうだ。そういう人ならば、一度見たものを再び見直す必要などなく、頭のなかで再構成すればよいことになる。しかし、ぼくのような凡庸な能力しか持たず、目を外したそばから今見ていたものを忘れてしまうような者は、再び「見る」ためには、同じ対象に再び目を向けなければならない。つまり、同じ対象を何度でも見直す必要がある。「見た」ことの記憶は完璧ではなく、頭のなかで経済的に圧縮され、かつ、時間のなかで変形されるから、同じ対象を再び見た時でも、以前の記憶との「違い」による新鮮なショックを、その都度受けることになる。 話はかわるが、写真にはたいてい、肉眼で見えていたもの(こと)が写っていなくて、その場では見えていなかったもの(こと)が写っている。コンパクトカメラを持ち歩くのは、日常的な映像をコレクションするためというよりは、普通に歩いている時に「ふと立ち止まる」ためのきっかけ(理由)をつくるためと、現像されてきた小さな映像と、自分がその場で見ていたもの(こと)の記憶との「違い」によって起こるショックを味わうためだと言える。しかし、デジカメだと、シャッターを押す前に既に、定着されるであろう映像が液晶画面に表示されてしまうので、その時点でもう、肉眼で見ているもの(こと)と映像との違いが見えてしまう。(これは、ファインダーを覗くという感覚と全く違う。)だから、APSのコンパクトカメラを持ち歩いていた時には、やたらとシャッターをきりまくっていたのに、デジカメを持ち歩いていると、立ち止まって、レンズを対象に向けただけで気が済んでしまうことが多く、シャッターを押す回数が著しく減るのだった。
04/08/22(日)
●強い日射しと照り返し。アスファルトの焼けた匂い。木の葉一枚一枚から跳ね返る光の粒。日傘のまぶしい白。露出された肩や腕をぎらりとテカらさせる光。人々の汗や体臭。帽子を脱いで汗を拭う時のむっとするこもった匂い。腕や顔に刺さるような暑さ。地面に落ちる濃くて短い影と日向のくらくらするコントラスト。そんな、人をうんざりさせ、また、軽い躁状態にさせもするような真夏の過剰な光と暑さは今日はないものの、それでも少し動くと、じっとりとまとわりつくような汗をかき、シャツの背中や胸や腋の部分は知らないうちにぐっしょりと濡れているのだった。
04/08/24(火)
●真夜中、と言うより既に朝方、もう眠ろうと思って横になった時、どこかからヒューン、ヒューンという甲高くかなり大きな音が聞こえてくる。何の音だかわからないが、こんな時間にどこで誰がこんな音をたてているのだ、と多少ムッとしたのだが、よく聞いてみるとそれはどうやら虫の声であるらしい。(ぼくの住んでいるアパートの裏は舗装されていない駐車場で、その隅には小さな川が流れていて、駐車場の部分にはバラストが敷かれているのだが、川の付近は土で、植物が植えられ、今の時期なら人の背丈ほども雑草がのびてもいる。)なかでも特に大きな音で耳につくヒューン、ヒューンという声は途切れがちにたまに聞こえるだけなのだが、改めて聞き耳をたててみると、もう秋の虫の大合唱という感じなのだった。(ヒューン、ヒューン、という耳につく音も、虫の声だと思うとそれほど気には障らず、しばらくすると眠っていたのだった。)
04/08/26(木)
●実際に使ってみたことはまだないのだが、ぼくの使っているデジカメには一応動画モードという機能がついていて、動画が(音も)撮れるようになっている。説明書によると、今使っている128MBのメモリーカードで、だいたい1分半から2分弱くらい撮れるみたいだ。で、ふと思ったのだが、そうすると、デジカメで撮った動画をパソコンで編集すれば、今ぼくが持っている機材だけで「映画」をつくることだって可能だというわけだ。(貧乏なので、ビデオカメラは持っていない。)ひとつのショットの持続時間が最長で1分半くらいで、しかも、1分半という短い時間撮影するごとに、パソコンにデータを転送してメモリーカードを空にしなくては新たな撮影をすることが出来ないという、きわめて厳しい制約つきではあるが。(まあ、もっと容量の大きいメモリーカードをいくつも買えばいいわけだけど、それを言ったら、ちゃんとビデオカメラを買ったほうが良いということになってしまうし、本格的に「映画」をやるということになってしまう。そういうことじゃ全然なくて、今ある「これ」で何か出来そうだ、という感じが面白いのだ。)ぼくは、絵を描く時でもチープな絵の具や道具を好むという傾向があって(実際に貧乏だという事実もあるのだが)、そのようなチープな道具のチープさゆえの制約から作品のイメージや方法を発想したりもするので、むしろこのような制約があるとわくわくする。(と言うか、ぼくにとって「作品の構想を練る」ということは、完成された作品のイメージを思い浮かべることではなく、どのような材料や道具を使って、どのように組み立ててゆくのかという、制作の「段取り」を考えるということなのだが。)高校の頃には8ミリで映画を作っていたのだが、8ミリのフィルムは1巻でだいたい3分20秒くらいだったので、その半分くらいの時間だということになる。しかし8ミリカメラというのは結構ごついもので、デジカメのなんとも安っぽいコンパクトさとは、手に持った感じから操作感までまったく違う。まあ、これを使って「作品」と呼べるものをつくるかどうかは別として、ちょっと何か試してみてもいいかなあ、という気にもなるのだった。


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