中村一美、バーネット・ニューマン
中村一美と「モダニズム的な価値判断=趣味の乗り越え」について
初夏。
ゴッホとジャストミート
アトリエ引っ越し
彦坂尚嘉・岡崎乾二郎の対談『作品のゆくえ(鏡-作品-逸脱-形成)』
遊技の作法と芸術的な経験の質(あるいは超越性への信)について
ゴダールの『ウイークエンド』
ナンシー関氏が亡くなられた
「人間的なスケールの時間」と「仕事がじわじわと作用する時間」のズレ
筒井康隆の『邪眼鳥』とオリュウノオバ
『万事快調』をめぐって
前のアトリエの大家さんのことろへ挨拶に行った
ニコラ・フィリベールの『すべての些細な事柄』
80年代の柄谷行人
♪粋な黒塀、見越しの松に〜(伊藤大輔の『切られ与三郎』)
中村一美、バーネット・ニューマン
02/05/20(月)
●京橋の南天子画廊で中村一美・展。中村氏は、横への展開、つまり水平方向への拡がりのなかに差異を仕掛けてゆくような絵を描く時には、その実力を発揮するのだが(今年、佐倉市美術館で行われた「絵画の領域」という展覧会での作品は素晴らしかった)、縦への展開、つまり異なる層を重ね合わせるようにして差異を仕掛けるような作品を作ると、かならず上手くゆかない、という印象がぼくにはある。つまり中村氏は、層を差異を保ったままで層として「重ねる」ということが苦手であるようにみえる。今回、展示されていた作品は明らかに層の重ね合わせによって作品を成立させようとしていて、そういう時の中村氏の作品からは、層が層として上手く成立=機能しないため、どうしても「混濁」した印象を受けてしまう。ぼくは、中村一美という画家は、いわゆる「日本美術史上」ではじめて、色彩の力によって空間を表現することに成功した画家だと思っているのだけど、そのような冴えた、本当の意味でのモダンな色感を持つ中村氏であるのに、層の重ね合わせによって仕事をしようとする時には、色彩が濁り、つまり空間が濁ってしまうのは何故なのだろうといつも思うのだ。(この「濁り」にこそ、モダニズムを超克しようという意志をみるべきなのだうか?)層が成立しないひとつの原因として考えられるのは、中村氏の画面では、タッチも形態も皆、横に流れるようなものばかりで、感覚的な言い方しか出来ないのだが、腰のある形と言うのか、横に流れる動きを押さえるようにその場で粘って留まるような形態がない、ということが挙げられるように思う。
02/05/22(水)
●5/20の日記に、中村一美の絵画について、横への拡がりのなかに差異を仕掛けるような作品は素晴らしいのだが、縦の方向へと差異を折り畳むように重ねようとすると成功しない、というようなことを書いたのだが、それはつまり中村氏の絵画が、基本的に「一つの差異」によって構成されているときに成功していると言うことではないだろうか。「一つの差異」によってつくられた絵画の最も高度に洗練された形と言えば、当然中村氏の師匠とも言えるバーネット・ニューマンだろう。画面を「ジップ」によるたった一つの差異以外に何もない場所としてつくりあげること。そこにはたった一つの差異以外に見るべきものは何もなく、あるスケール感と一つの差異とを一瞬のうちに知覚した後、視線は何もない大きな空間のなかを、寄る辺なく漂うことができるだけなのだ。本来、絵画は一瞬にして描かれることなどあり得ず、極端なことを言えば一筆一筆手を入れるたびに何かしらの差異が発生するはずなのだが(そのこと徹底して顕在化したのがセザンヌだろう)、ニューマンはそれら具体的な制作時間によって生ずる差異を巧妙に消し去り、たった一つの差異のみを特権的に示す。たった一つの差異しかない場所に「時間」は発生しない。それを一瞬のうちに知覚することが出来るだけだからだ。そして無時間であることによって一瞬は永遠へと容易に転化し、画面にはあたかも、永遠のなかに、たった一つの根元的な差異が立ち現れているかのような効果を発する。ニューマンの画面というのは、簡単に言ってしまえばこのような高度に形而上学的=神学的な画面である。よく、抽象表現主義の絵画にあらわれる大きな色面を、マティスの色面からの影響が指摘されるのだけど、マティスの例えば『ダンス』の背景の青い色面は、その独自のたっぷりとした懐の深さと微妙にニュアンス、そして画面の構造のなかで同時に複数の役割を持たされていることなどから、新たに視線を投げ掛けるたびに違って見えるような、いくつもの差異がざわざわと犇めいているような色面なのに対して、ニューマンの青は、ただ永遠のなかでたゆたっているような、世界を満たす根源的な場そのものであるような青なのだ。このような神学が打ち立てられてしまえば、これが絵画の行き着く果てであり、もうこれ以上は何処へも行くことが出来ない、と思い込んでしまうのも仕方がない。(しかしよく考えてみれば、これは勝手に自分のコマを「あがり」の場所に置いてしまって、もうすごろくは終りだと1人で宣言しているようなものなのだ。確かにその勝手な宣言を皆に納得させてしまうような、凄い絵画ではあるのだが。)だからこれ以降のアメリカの絵画は、この神学をなんとか解体する必要に迫られる。これには大ざっぱに2つの方向があって、画面のなかにある唯一の差異である「ジップ」を単純に反復によって複数化すること(ミニマル・アート)、作品の題材かからそれが置かれる場所までを大胆に世俗化すること(ポップ・アート)ということになるだろう。(勿論これは極端に単線的な物語でしかなく、例えば「ポップ・アートはなにも、抽象表現主義を解体するためだけに現れた訳ではない。当然、資本主義の高度な発達によるものだ。しかし、抽象表現主義へのカウンターとして美術史上の位置を得たという側面も確かにあるのだ。)しかし、ミニマル・アートはたんに反復によって複数化するだけで、構造的に閉じていることのかわりはないし、ポップ・アートは資本主義という、もうひとつの神学に依存してる。初期の中村一美が驚くほど冴えた手付きで作品に使用した「グリッド」という装置も、ニューマンの「ジップ」への批判、「ジップ」の拡散化という意味をもつ。中村氏は、ニューマンを批判的に継承し、その「可能性の中心」を探り出す。そこでは「ジップ」は斜めにずらされる横滑りの運動としてだけあらわれることで、その神学性は剥脱される。ここには、一つの差異、一つの断層ではなく、一つの地滑りがある。しかしそれが未だ「一つ」のものでしかない訳だが、それにしてもニューマンからの影響と同時にマティス的な色感をもつ中村氏の色彩は、それを単純に一つのものと言い切ってしまうことが出来ないようなたっぷりとした含みが感じられ、その素晴らしい色彩によって空間が(と言うことはつまり時間が)、微妙に震動しているのを見逃す訳にはいかない。中村一美と「モダニズム的な価値判断=趣味の乗り越え」について
02/06/21(金)
●南天子画廊で、中村一美・展。中村一美・展は、2期に分かれた展覧会で途中で展示替えがあったものの後半。観た感想は、基本的に前半の展示の時とかわらない。(5/20および5/22の日記参照)かなり以前になるが、「美術手帖」の映画の特集の時のアンケートに中村氏は、好きな映画監督としてヘルツォークを挙げていた。それを読んだ時ぼくは、中村一美とヘルツォークではあまりに相性が良すぎるのではないかと思った。確かに中村氏の大型画面の絵画作品には、まるでヘルツォークの『アギーレ・神の怒り』や『フィッツカラルド』のようなスケール感と迫力があるのだ。しかし、中村氏の作品がヘルツォーク的な迫力だけに留まっている時、それは最良の作品とは言えないと思う。ヘルツォーク的な「荒さ」が、荒れたテクスチャーそのままで、中村氏独自の色彩の「冴え」によって「繊細さ」へと反転してゆく時にこそ、その真の実力が発揮されるように感じる。今回の作品はそこにまで至っていないように思われた。(しかし実は、中村氏が評価するヘルツォークは、『アギーレ・神の怒り』でも『フィッツカラルド』でもなく、『小人の饗宴』なのだった。だから中村氏が求めているのは、ヘルツォーク的なスケール感や迫力というよりもむしろ、『小人の饗宴』のようなアナーキーな力なのではないか、と、ちらっと思わせるような作品もあった。)
02/06/22(土)
(昨日のつづき)
●日本の現代美術作家が、モダニズム的な価値判断=趣味を乗り越えようとするときに陥るありがちな罠として、日本固有のものとされる琳派や大和絵などを参照物として持ち出し、それを作品を生成する原理としたり(例えば諏訪直紀など)、あるいはアジア的な共同体の「古層」をもちだして、作品を支える政治的な根拠としたり(例えば戸谷成雄など。ただし戸谷氏があからさまに「アジア的」になる前の作品はとても良いものだと思う。)、ということが挙げられるだろう。このような時に忘れられているのは、ここで発見された琳派なり大和絵なりが、実は抽象表現主義の作例によって、アメリカ型フォーマリスムの理論によって再発見されたもの、つまりそれらの作品や理論が要請するものをたまたまもっていた過去のものとして呼び出されたに過ぎないということであり、そして、アジア的な共同体という既にある(既に「あると幻想されている」)「集団」を作品の根拠にするということは、実は、アメリカ型フォーマリズムによるハイ・アートが、それを受容するであろう現にある「階級」を前提にしていることなんらかわりはない、ということだ。だからここでモダニズムを乗り越えるためになされた行為は皆、既にモダニズムにあらかじめ書き込まれていたことの反復でしかない。しかもそれは、あきらかに後退した、弛緩した反復でしかないだろう。1人の「個人」として存在する作家が、その作品の根拠を「アジア的な共同体」に求めるとしたら、それはいかにも古くさい「芸術家」というモデル、つまりある「集団」から疎外された者としての作家がいて、しかしその作家は「疎外されている」という事によって「集団」の一部であることを免れ、その「集団」を全的に写す鏡(隠喩)と成り得る、といったモデルに納まるような存在となることになる。それは逆にいえば、その作家の作品(表象=代行)によってこそ、ある「集団」が一つのものとしての纏まりを得ることができるというものだ。しかし誰がどう考えたとしたって、「美術」などというものにそんな力があるとは思えないだろう。そこで椹木野衣のような人は、それを1人の特権的な芸術家が担うのではなく、無数の、無名な芸術家の束によって担わせようとする。(しかしここでも、その無数の無名の芸術家たちを束ね、代表し、判定を下すのは、特権的な批評家である椹木氏であったり、特権的な芸術家である村上隆だったりするのだ。ここには明らかな「権力志向」があるようにみえる。例えば、何故「GEISAI」に審査などというものが必要なのか理解出来ない。本来「質」が問えないような作品に対して、審査という質的判断を下すのが可能なのは、その人物が「有名」であるからに過ぎない。このような立場は、選択する作品の「趣味」こそ違え、VOCA展のシンポジウムでの長谷川祐子の態度や発言と同質のものであろう。)このような考え方ですっぽり抜け落ちているのは「個人」というものであり、個人を成立させるための「歴史」というものであるだろう。
●中村一美の作品も実は、このような罠とキワキワのところがあるようにもみえる。(そこには明らかに「日本的なもの」、大和絵や道元などの観照がみられる。)しかし、中村氏が決っしてそこに陥らないのは、作品を形づくる要素として共同体的なものを使用したとしても、その作品の構築を制御しているものは、あくまで西洋の近代絵画的な判断基準=趣味であることが高い緊張を伴って自覚されているからだと思う。(例えば中村氏は、マイノリティーとしてのアメリカ黒人による、マジョリティーの文化としてのキリスト教文化の変形=再領土化についての興味を語ったりするのだから、単純に、西洋に対する東洋とか、インテリ=ブルジョワ的なモダニズムに対する民衆の共同体的な古層(大衆の原像?)という図式に陥ったりはしないはずだ。)しかし、今回の展覧会の作品をみると、そこら辺りがちょっと危うい感じがしてしまう。その作品は、一方であまりに簡単にキッチュ(反モダニズム)的な趣味がみられ、もう一方であまりに「渋い」(東洋的な?)趣味によって制御されているようにみえる。そしてそれによって逆説的に、あまりに分り易く「モダニズム的」な作品となってしまっているのではいだろうか。この分り易さは、中村氏の最良の作品とくらべたとき、明らかに「弱さ」として現れているように思えた。初夏。
02/05/19(日)
●しばらく除草作業が行われていない建物の裏の草地に入り込むと、草いきれの青くさいにおいと雨を吸って湿った土のすえたようなにおいとが、足もとから沸き上がってくる。ツンツンとのびた硬い髪やヒゲのように、地面から垂直にのびる細長い雑草が我が物顔で、毛足の長すぎる絨毯のように生えはびこっていて、そのちょっとした傾き方や光の当たり方、風でそよぐ感じなどによって微妙にムラのある黄緑色のトーンが、捉え難い不思議な色彩として拡がっている。そこにビーズが溢れて散らばったみたいにして、白や黄色や青や薄紫の点にように小さな花が散らばって咲いている。草地にはところどころに、マテバシイやヒメユズリハやヤマモモやヒノキの木が植えてある。ひときわ背の高いヒノキの木の上にカラスがいて、その堅く鋭い黒光りするクチバシで、ポキッ、ポキッ、と乾いたよく響く音をさせて枝を折っては、それを下へポトリ、ポトリと落としている。建物の表側にはきれいに刈り込まれたヒイラギナンテンの植え込みがあり、小さな紫色の実をつけている。ひとつ取って少し押すように触れると、水分を薄い幕で包み込んだとても危う気なやわらかさを指先に感じる。それを指のなかで転がしたまま、その微妙なやわらかさを感じながら歩いていると、ふいにぷちっと皮が破けて、紫色の液体が飛び散ったのだった。
02/05/26(日)
●葉が繁って幾重にも重なった緑地の影は濃く、差し込む光は強くまぶしい。地面に落ちる木漏れ日が、視線を吸い付けて離さない不思議なモザイク模様をつくる。竹の葉は薄く透けていて、日の光はそのなかを通過するので、竹の葉影は地面をうっすらと緑色に染める。
●午後になって雲が覆い、遠くからゴロゴロとくすぶる音が近づいてきて、2、3度の稲光りの後、大粒の雨がボタボタと落ちはじめる。みるみる雨は激しくなるが、激しくなった頃にはもう西の空は明るくなっている。それでも雨脚は納まらず、増々激しくなる。道路には川のように水が流れ、くぼみにできた水たまりは雨粒を受けて派手にしぶきをあげている。薄雲で覆われた西の空は一面均等に白い光を発していて、その光を反射する水びたしの道路もまぶしく白く輝き、その先に建っている団地や空き地の雑草の緑は激しく降る雨で遠くかすんでいるので、まるで露出オーバーのためにかすかな輪郭と薄っすらした色彩以外はプロジェクターの発するランプの白色光ばかりをスクリーンに投影する失敗した8ミリフィルムに写った風景を見ているようだ。とくに雨粒でかすむ空き地の雑草の緑は、解像度の低い8?フィルム特有のあのボケたような淡い触覚的な黄緑色のように見える。降り始めた頃には、雨を逃れるように早足でかけてゆく人々の姿がみられたのだが、激しくなると人影が途絶え、ただ、開き直ったようにびしょ濡れで、雨にまみれて歓びさえ感じているようにチャリンコで走り抜けた小学生が1人通っただけだ。きれいに磨きあげた真っ青な軽ワゴン車が、露出オーバーの淡い風景に突然鮮やかな色彩を亀裂のようにはしらせて通り抜けてゆく。徐々に雲が晴れ、青空さえのぞきはじめても雨脚は弱まらず、叩き付けるように水の粒を落下させていたのだけど、ある時ふと、如雨露のなかの水が尽きたかのようにか細い雨となり、太陽の光もカッと強くなり、もうあがるだろうと思われてからも、しかししばらくはしぶとく粘って降りつづいた。ようやくあがった後、ほんのすこしの間だけ昼間以上に日がまぶしく照りつけたのだが、ほどなく弱まり、ひんやりとした空気が急速に拡がる。朝方に洗濯して、よく晴れていたので昼過ぎには取り込めるだろうと思ったまま忘れていた紺色と紅色の2枚のTシャツが、たっぷりと雨を含んで水滴を滴らせて重たそうに垂れ下がっている。
02/05/28(火)
●「風を感じる」なんていう言い方はセンスの悪い歌詞みたいだけど、人が風を感じている時は、風を抵抗として感じている訳で、逆に言えば、風という空気の流れを自分の身体によってせき止めていることを感じているのだから、その時は否応なく風を遮断する壁のようなものとして、自分の身体の物質性を意識し、感じざるを得ない。(しかしこの時感じる身体の物質性は視覚的に把握されたものではなく、風を受け止める身体の表面である皮膚の感覚によるものなので、必ずしも自己が自己に対してもつイメージ通りの形をしている訳ではないし、人間の形をしているとも限らない不定型のものとして現象するだろう。人は風を感じている時、自分の身体を感じながらも、その客観的な視覚像を忘れることかできる。)対して、川の流れのような水のせせらぎの音を聞いている時は、その「音」はどのような抵抗も身体に感じさせないので、それが音が身体を通り過ぎてゆくような、あるいは空っぽの身体のなかで響いているような感覚を誘発し、まるで自分の身体が消えて透明人間のようになってしまったか、あるいはスポンジのような孔だらけでスカスカで希薄なものにでもなってしまったかのように感じさせる効果をもつ。(その音が「水」からくるものであることから、身体が世界のなかに「溶け出す」という印象を誘発しやすいという事もあるだろう。)まして、視覚的な情報が限定されている暗闇のなかなどでそれを聞いている場合、視覚的にも「闇に溶け込んでいる」という印象が生じるので、自身の身体の物質的な在り処を見失い、ただ歩いているという「運動感」のみが幽霊のように移動している感じになる。と、こんなことを、アトリエからの帰り道、街灯の少ない暗い坂道を、道の横から落込んでいる谷に流れている小川の流れの音を聞きながら駅へと下っている時に考えていたのだった。
02/06/04(火)
●朝はやく、道路に沿って、地面から2mくらいの高さで低空飛行して向こうから飛んでくるカラスを見た。カラスが飛んでいる姿をほとんど目の高さで真正面から見たのははじめてだ。そろそろいろんな場所にある紫陽花が花をつけはじめた。白いのや紫のや青いの。特にやや色の薄い水色に近い青い花の色は、ちょっと正気ではいられないくらくらする程の吸引力を感じる。アパートから駅までの道の途中に、体長が1.5m以上はあろうかというアオダイショウがうねっていた。
02/06/09(日)
●強い日射しが照りつけ、アスファルトで鋪装された地面に、誰かによって踏みつけられ、擦り潰されて引き延ばされた犬の糞が、カラカラに乾燥してへばりついているような陽気でも、部屋の表と裏の窓を開け放したままでいい風を受けて音楽を聞いていてそのまま寝入ってしまって目を覚ますと、しばらくクシャミが止まらないし体も冷えている。これだけ暑い日がつづいても、夜、タオルケット一枚だけで寝ていると、明け方には肌寒さで目覚めたりする。この部屋の風通しの良さは、たんに前後にスペースが広く空いているというだけではなく、駅から微妙な傾斜の坂がつづいていて、やや高いところにあるせいかもしれない。
●一人暮らしなので、寒く無い時期にはトイレも風呂もドビラを開けっ放しで使用するのだが、窓も扉も開けたままで温めの風呂の湯舟にぼんやりと浸かっていら、外から、オオーッという歓声や、パチパチと手を叩く音が近所のあららこちらから聞こえてきて、一体何の騒ぎだ思ったのだが、すぐに、きっとワールドカップで日本代表チームが得点でもいれたのだろうと気付き、外から入ってくるザワついた音を聞きながらも、そのままかわらず湯舟に浸かりつづけていた。
02/06/29(土)
●小雨が降り始めた。新しく借りたアパートの近所では、そこここに紫陽花が植えてあって、やけに目につく。紫陽花はまるで入道雲のように、内側から盛り上がるような勢いで茎が伸びて葉がこぼれ、繁る。塀や金網を乗り越えて盛り上がり、吹きこぼれるようにそれを乗り越える。前に借りていたアトリエの近くの中学の正門の前で、大きな木の陰になる場所に生えている紫陽花は、去年、ほかの紫陽花の花が皆枯れてしまった後でも、全く萎れることなく咲き続けて、真夏の日射しが照りつける8月ごろまで、瑞々しい薄紫の花を保っていた。直射日光を遮る常緑樹の陰と、すぐ近くに小川が流れている土壌の豊富な水分のせいなのだろうが、しかしそれだけで説明がつくとは到底思えないくらいの長もちだ。(その真向かいに、有名な恐怖マンガ家の家があることと何か関係があるんじゃないか、などと思ってしまう。)今日、その前を通りかかったら、今年もちゃんと咲いていた。ゴッホとジャストミート
02/05/27(月)
●昨日のことだけど、テレビを見ていたら、今、アムステルダムのゴッホ美術館でやっているというゴッホとゴーギャンが共に生活していた9週間の間に制作された作品を集めた展覧会の紹介があった。ゴーギャンという人は、絵画におけるイメージのモンタージュということについて徹底して考えていたとても「知的」な良い画家であり、傑作と言い得るような作品も残しているのであって、決して「凡庸な芸術家」などではないのだが、ゴッホの作品と並べてみると、知的であることによる凡庸さというのか、画家として「モノが違う」ということが残酷なまでに見えてしまう。(勿論、それに対してゴッホは「狂気」の「天才」である、という話はたんに間違っているのだが。)色彩の制御に関しても、題材や構図の設定に関しても、ゴーギャンにははっきりとした一貫性と一作一作に明確な狙いとがあり、それが当れば良い作品になり外れれば失敗作である。対してゴッホはもっといい加減であり、一貫性というよりも、様様なものに「染まりやすい」性質をもっていると言える。周囲の環境や刺激を受けた作品にほとんど無節操にむさぼるように影響を受ける。何よりもこのことがゴッホの画家としての天性を示している。(ここで間違ってはいけないのは、それは決して「天然」の画家だということではない。ゴッホは西洋の絵画史のコンテクストを充分に理解しているし、同世代の「ポスト印象派」の画家たちと共通した形式的な問題に取り組んでいる。)セザンヌはゴーギャンやゴッホをかなり激しく批判している手紙を残しているのだが、当時無名であったゴッホの作品をどの程度観ているのかはあやしく、既に有名人であったゴーギャンとひと括りにして、混同してしまっているのだはないだろうか。
確かに、天性の画家としか言い様のない恐ろしい程の「冴え」をとりあえず括弧に括って形式的に見てみるならば、ゴッホはゴーギャン派の一員に過ぎないように見えてしまうかもしれない。しかしそれは微妙に違っている。例えば「輪郭線」だが、ゴッホの輪郭線は一見ゴーギャンのそれに近く見えてしまうのだが、その画面のなかでの機能が違う。ゴッホの輪郭線は、クロワゾニスム的に形態を仕切り区分けするようなものではなく、どこまでも際限なく拡張してゆこうとする色彩に差異を差し入れ、引き締めるとともに活気づけるようなものとして引かれている。だからそれは輪郭線と言うより無数のタッチのうちの一つであり、一つの形態であり、色彩であるようなものなのだ。もともとゴッホの画面は、何かを仕切ったり区切ったりするような運動とは無縁のものなのだ。だからそれは見かけはゴーギャンのものに近くても、機能の仕方から言えばむしろセザンヌに近い。何かしら物の形態を暗示したり領域を確定したりするのではなく、一つの差異、純粋な線としての表現を獲得しているのだ。だが勿論セザンヌとも違う。タッチの機能のさせ方のセザンヌとの違いを最も明解にみることができるのは、恐らく「葦ペン」によるデッサンだろう。この一連の葦ペンのデッサンはとても素晴らしいもので、タブローのように溢れるような色彩や油絵具の重たい質感が無い分、タブロー以上に、溢れかえり、充満し、部分部分が微細な運動をしているような光に満ちている。セザンヌは、ほとんど均質なタッチのわずかな違い、方向や重なり方のズレ、色彩の連続性と落差、などによって世界のあらゆるニュアンスを表そうとするのだが、ゴッホにおいては、一つ一つのタッチの運動感や表情の違い、あるいはその粗密さや散らばり方によって、物質も空間も、そして揺れ動く光も、全てを表そうとしている。と同時に、それらを構成する要素である一つ一つのタッチも、それ自身としてある表現性も持っているのだ。このあたりに、ぼくなんかがゴッホから見て取るべき「可能性の中心」があるように思える。(ゴッホは恐らく、色彩の使用方や画面の構成の仕方をゴーギャンからパクッているし、その点描風とも言えるタッチの使い方をスーラなどからバクッている。つまりとても「染まりやすい」のだが、しかしそれらに全く別の機能を演じさせてしまっているのだ。)
セザンヌとは言ってみればタッチ一つごとのズレである。セザンヌのタッチは、対象からも、それによって表現したい何物かからも、常にズレていてジャストフィットしない。一枚の絵画は、タッチごとに産み出せれた無数のズレの集積として、今にも崩壊しそうな異様な緊張をおびている。セザンヌとは、空振りではないが決してジャストミートしないボテボテの当たりばかりを繰り返すようなバッターなのだ。対してゴッホは、時にとんでもなくジャストミートしてしまう。一つ一つの筆触と、絵画というメディウムと、それが表現すイメードとが、これ以上ないというくらい一致してしまう。もしゴッホの「天才」を言うのなら、狂気でも情熱でもなく、このとんでもない一致にこそあるはずなのだと思う。絵画というメディウム=物質が、ひとつのイメージと透明に一致してしまうとき、バーネット・ニューマンとは全く別のあり方で、時間が消失してしまう。この事実を肯定すべきか否定すべきか正直よく分らないのだが、これがとてつもない事態であることは確かだ。例えば『花咲く桃の木(マウフェの思い出)』と呼ばれている1888年の作品がそのようなものであると、ぼくは思う。アトリエ引っ越し
02/05/24(金)
●新しいアトリエ兼住居の契約を正式に交わす。チラシにも契約書にも、駅から徒歩9分と書かれているが、何度歩いても実際には12、3分はかかる。しかしこの12、3分は、急いでいたり疲れていたりしない限りは、とてもいい感じの散歩道ではある。駅の周辺に、一階部分が全て駐車場になっいる、4本足で立つ動物のような建物かあり、そこにはやけに勢い良くもくもくと盛り上がっている紫陽花が生えている。紫陽花は線路内などにもよく植えてあって、まるで入湯雲を思わせるような感じでもくもく育つのだが、そこのは特に勢いかすごい。いかにも「駅前」といった辺りを過ぎて、蛇行しながらつづいてゆく細い一本道に入ると、通りから隔てる塀のないような、雑多な植物がやたらと無秩序に植えられている庭のスペースを広くゆったりととっているような、古くからの木造の家が並んでいる一帯になる。そこを通り抜けると、幅のやや広く、微妙な傾斜のついた道に出て、新興の高級住宅地といった趣になる。ちょうどその境のあたりに、黒沢清の映画に出てくるような、いいかんじに「荒んだ」マンションが建っている。こういう荒み方は、ある時期(高度成長期)に建てられたものが古びた時の独特の雰囲気であるように思う。それだけでなく、通りから妙な角度をつけて建っていることや、建物の大きさからすると場違いに広い、手入れの行き届いていないバラスト敷きの駐車場があったりすることも、「荒み」に絶妙なニュアンスを加えている。今度借りることになった木造スレートのアパートは、高級な住宅街のなかほどに場違いなようにポツンと建っている。隣の部屋の表札には、2つの漢字の名前と1つのカタカナの名前が記されている。夕方、家具などの配置を考えるためにメジャーで部屋の寸法を測っていたら、隣から何語だかわからないが、おそらくアジア系だと思われる言葉で何ごとかを主張するように早口でまくしたてる女の人の声が聞こえてきた。上の部屋には子だくさんの家族が住んでいるらしく、昼間見たら、ベランダから溢れ出してしまいそうなくらいの洗濯物が、派手にドーンと干されていた。
02/05/25(土)
●新しく借りた部屋を、アトリエとして使用できるように改造する。まあ、絵具で部屋を汚さないようにカバーをかけるのが主で、そんなに大げさなことをする訳ではないが。まず壁一面にピンで透明なビニールシートを張り付ける。これは本当はやわらかい白い色をした綿布などの方が良いのだけど、かなり沢山使うので、経済的な面から120?幅のものが1m300円で買えるビニールシートにする。もともと壁が白いのでこれでも良い訳だが、さすがに暑苦しい感じにはなる。まあ、実際はそれほど広くはないアトリエの壁のほとんどは、過去の作品で埋まってしまうのだが。次に、よくトイレなどに使われている防水用のシートを床に貼る。「貼る」と言っても、これは借りている建物な訳で、ちゃんと貼ってしまうと元にもどせなくなってしまうので、仮り留めをするだけだ。仮留めだから、ジョイント部分から下に絵具の混じった水が漏れてしまう畏れがあるので、継ぎ目の下にはビニールシートを敷いておく。防水シートは部屋の広さにあわせて11m分購入したのだが、売り場のお兄ちゃんは長さを測ってカットしてくるくと丸めた後、10m分の値段を書いたシールを貼り付けたのだった。気付いたのはレジへ行ってからで、これは1m分おまけしてくれたのか、それとも10mだと勘違いしたのか不安だったのだが、ちゃんと11mあった。それと、アトリエとそれ以外のスペースを繋ぐ緩衝地帯というか、中間的な部分をつくり、そこにカットしたベニヤ板を敷いて、アトリエ用のスリッパへと履き替える場所とする。これをしないと、例えばアトリエでスリッパの裏に着いた絵具が、他の部分の床に付着してしまったりするし、何よりも、精神的、身体的な所作(スリッパを履き替える)によって、「切り替える」ための場所が欲しかったのだ。
この部屋の良いところは、ボロくてもとにかく(家賃の割には)広いということと、仕切りをとっ払えばほぼ一つの空間として使える、というところなのだが、逆に言うとそれは、どこにいてもアトリエ部分が見えてしまうということで、ごく狭くてよいので、アトリエから切り離された空間をどうやってつくるかが問題なのだ。(アトリエの雰囲気は一切持ち込まない、ということが出来るような切り離された空間が必要なのだ。)この部屋は、まるで絵を描く人のためにつくられた間取りであるかのように思えるものなのだが、よくよく見てみると、目立たない隅の部分の何箇所かに、どうみても絵具としか思えないものが付着していたので、もしかすると前の住人もそういう人だったのかもしれない。
02/06/02(日)
●昼間はひどく暑かったが、夕方になっていい風かでてきた。すてる物とすてない物とを整理しながら、必要な物を少しづつカートに乗せてカタカタと、何度も今住んでいる部屋と新しく借りた部屋とを往復する。新しく借りたアパートは裏が駐車場で大きくスペースが空いているので、窓をあけるとよく風が通る。裏の駐車場は住宅に囲まれて表の通りからは完全に遮断されていて、他に出入り口もなく閉ざされているので、アパートの敷地内を通って裏に回らなければ分らない。それは駐車場というよりも放置されたままの土地みたいで、いいかげんにまばらにバラストが敷いてあるところに、契約者の名前の書いてある板切れがあるだけだ。敷地の脇にはドブ川のような小さな川が流れていて、川原は今どき珍しく鋪装もなにもしていなくて、雑草が伸び放題になっている。部屋の一番奥にあるキッチンの窓を開けると、駐車場とドブ川に生えている雑草の緑が見える。(夏はきっと虫がすごいだろう。)表の窓も開けてあるので、いい風がゆっくりと通り抜けてゆく。暑いなか何度も重いものを引っ張って移動して疲れた体で「でろっ」と座り込んで、きもちのいい風を浴びながら窓の外のドブ川の緑がゆらゆらとゆれるのをぼんやり見ていて、例えば村上春樹なんかだったら、きっとこういう場所を、人間の心の表面からは隠された、自分にも意識されないままに様々な感情が吹き溜まって出来てしまった閉ざされた場所にあるポッカリ空いた穴、みたいなものの隠喩として使うんだろうなあと思い、そういうのって本当に下らないなあと思ったのだった。
02/06/04(火)
●新しく借りた部屋は、多少の仕切りはあるもののほぼひとつながりの四角い空間で、建物のまわりにもゆったりとスペースが空いているので風通しが良く、表側の窓と裏にあるキッチンの窓を開け放して、その中間辺りのソファーで目を瞑ってうつらうつらしていると、外から風に運ばれて遠くの方で子供が遊んでいる声や車のタイヤが地面を擦る音などが侵入してきて、まるで通りの真ん中にソファーを置いてうたた寝しているみたいな感じだ。隣の部屋でシャワーを使っているらしく、暖かい湿気と石鹸の匂いが漂うように入り込んでくるし、空に雲がかかると部屋の空気もすうっと変化するし、夕立とは言えないくらいの僅かな雨が落ちてくると、葉を叩く雨音と一緒に、冷たくてサラサラした湿気が部屋に流れてくるようにして満たすのだった。
02/06/10(月)
●新しく借りたアパートの周辺は完全な住宅地で、コンビニはおろか自販機さえ見当たらないのだが、「店」と呼ぶべきものが2つだけあり、やや駅に近いところに「お茶屋」があり、アパートのすぐ近くには「蒲団屋」がある。お茶屋の前を通ったら、店先で緑茶の葉を煎っていた。緑茶を煎っている時の香りは、お茶をいれて飲む時に感じる香りよりも、新しいお茶の缶をパカッと開いた時にふわっと漂う香りよりも、もっとずっと濃厚で重たくて粘るようで、長い時間嗅いでいると胃にもたれてくるのではないかと思えるほどだし、醗酵の具合のためなのか、どこか磯の香りを連想させるようなところがある。だからぼくはいつも、お茶を煎っている匂いを嗅ぐと、パリパリの海苔の香りを思い出してしまい、お茶が欲しくなるのではなくて、封を切ったばかりの袋から取り出した海苔を、ササッと裏表を火で焙ったものに、ほんのちょっとだけ醤油をたらした状態で、少量のあたたかいご飯を包んで巻き、手づかみでバリパリパリッと音をたてて食べたい、と思ってしまうのだった。
02/06/24(月)
●新しく借りた部屋の周辺は、住宅街のせいか夜になるとパタッと人通りがなくなる。それほど遅い時間でなくても、まるで深夜のような静けさになる。まして、12時近くになって外から帰ってくると、「駅前」と言えるあたりを過ぎると、10分近く歩く間に1人の人とも擦れちがうことがないくらいだ。だが、住宅ばかりが建ち並んでいるその一帯が皆寝静まっているのかと言えばそんなことはなく、家々の窓には灯りが点っているし、流しなどを使う水まわりの音が聞こえてきたり、風呂を使っているらしい湿った暖かい空気と石鹸の匂いが流れてきたりもする。人のいる気配だけは充分にあるのに、人の姿が全くみられないというのは不思議な感じだ。音のない小さな雨粒でしっとりと靄っている静まり返った夜の道を部屋へ向かって歩いていると、人の話す声が遠くから聞こえてきた。その、酒に酔って抑制が外れて、妙な抑揚で甲高く跳ね上がりながらつづく男の声は、どこかつかみどころのない距離からやってくるように聞こえた。声は、誰かに話し掛けているようなのだが、相手の声はせず、男が1人で喋りつづけているようだった。歩きながらも、声のする場所を耳で探ってゆくと、どうもその声は高いところから降ってきているように思える。見上げると、それは通りに面したマンションの5階のテラスからのもので、若い男がそこで携帯電話を使って話していたのだった。彦坂尚嘉・岡崎乾二郎の対談『作品のゆくえ(鏡-作品-逸脱-形成)』
02/05/29(水)
●引っ越しのためにアトリエを整理していて、学生の頃大学の図書館でとった大量のコピーが出てきた。今考えると無駄なことをしたと思うのだが、大学の時ぼくは日本の現代美術史のお勉強のために60年代終りくらいからの「美術手帖」や「みずえ」のバックナンバーを次々と借り出しては読み、興味をひかれた記事をコピーしていた。ザッと目を通して、その大半を廃棄することに決めたのだが、なかにはいくつか面白そうな記事もあった。(それとは関係ないけど、村上隆の芸大大学院の修了制作展のパンフレットとかも出てきた。ぼくはこれをリアルタイムで観ているのだった。これ、今ではレア物でしょう。)
コピーのなかに、彦坂尚嘉・岡崎乾二郎の対談『作品のゆくえ(鏡-作品-逸脱-形成)』というのがあった。これは「美術手帖」の記事で、コピーなので何年の何月号なのか正確には分らないけど、多分90年前後(92年頃だろうか)のものと思われる。90年前後の時期には、バブルで美術全体に元気があったということもあり、「美術家」としての岡崎氏が最も華々しく活躍していた時期だと言える。ヒルサイドギャラリーでの個展、世田ヶ谷美術館での公開制作、雑誌『FRAME』の発行、8?映画『回想のヴィトゲンシュタイン』の制作、そして(バブルの象徴とも言える)新木場にあったあの巨大な南天子画廊の倉庫ギャラリーでの個展など、とても精力的に発表を行っていた。特に倉庫ギャラリーでの個展は印象に残っている。たしか1階部分に彫刻(と言って良いのか、立体と言うべきか)の展示がしてあり、2階に、当時制作を始めたばかりだったと思われるペインティングの展示があった、という風に記憶している。当時の彫刻作品は、素材にベニア合板のようなチープな物を使用していたとはいえ、その完成された形態の合成の仕方や、とても美しい彩色などから、あまりに見事に美し過ぎ、完成され過ぎているという感じがあり、それと、あまりにもヘナチョコ感満点のペインティングとの妙にチグハグな対比が、とても印象的だったのだ。
彦坂尚嘉という名前は、美術に詳しい人でなければ馴染みがないかもしれないが、いわゆる「全共闘世代」を代表する美術家の1人(「美共闘」というグループの1人)で、90年前後にはかなりの「売れっ子」として、やはり精力的に制作、発表をしていたので、ぼくも東京画廊などで何度もその作品を観ている。ただ、確かに彦坂氏を含めた「美共闘」というのは「日本美術史上」の出来事としてあり、だからお勉強としてそれらの作家の作品を当時かなり観てはいた(やはり美共闘の一員である堀浩裁のレトロスペクティブなどもあった)ものの、そこから強い印象を受けたり、興味を感じたりしたことはなかった。むしろもっと前の世代、例えばリ・ウーファン的なハイデカー+東洋風味の形而上学のようなもの(つまり「もの派」)の方に、否定すべきものとしての強い印象、つまり本気で否定するに足りる「内実」をもったものとしての手ごたえを感じていたし(例えば、藤枝晃雄がフォーマリズム的にリ氏の絵画を評価するのは、むしろリ・ウーファン批判として読めた)、反芸術の旗手だった中西夏之が転向して描きはじめた絵画などにも、ある反発を感じながらも強く吸引されていたのだが、美共闘というのはとても希薄で微弱なものという感触しか持てなかった。この評価は今でも基本的には変わっていない。
02/05/31(金)
(一昨日のつづき)
●彦坂尚嘉・岡崎乾二郎の対談『作品のゆくえ(鏡-作品-逸脱-形成)』で面白いのは、その内容というよりも噛み合わなさだ。いや、正確には噛み合わなさではなく、彦坂氏が徹底して岡崎氏の理論的な言葉使いを理解しないので、岡崎氏はまるで出来の悪い生徒を前にするようにひたすら自説を分り易く解説しようと努めるのだが、彦坂氏がそれを片っ端から誤読してゆくのだ。だからこの対談では、岡崎氏の言っている事の方が彦坂氏より説得力があるとか、いやその逆だとか言うことは出来ない。理解を拒否するという事によって徹底した不透明な他者として立ちはだかる彦坂氏を前にした岡崎氏の苦戦ぶりと、「なんでそんな風に読むのかなあ」というような彦坂氏の誤読ぶりを読むことになる。
●対談は岡崎氏の書いた『指示の連鎖』というテキストについて行われている。しかしこのテキストの内容に深く踏み込むには至らず、ただ言葉じりの問題に終始する。まず彦坂氏はテキストに「見ることができるのは鏡に映ったイメージだけで、鏡自体は見ることができない」と書かれていることを問題にする。あなたはそう言うけど実際に「鏡」は見えるじゃないですか、と言う訳だ。(対談の場に実際に鏡を持ち込んで、ほら、これ見えるでしょ、あなたには見えないんですか、とまでやっているのが笑える。)つまり岡崎氏の理論は、実際に鏡が見えるという現実を無視した上で成立する「空論」に過ぎないということだ。ここだけ読むと、彦坂氏の言うことは説得力があるようにも読める。ぼく自身も、学生の頃岡崎氏のこのテキストを読んで同じような疑問を持ったことがある。岡崎氏は、鏡それ自体は見ることも描くことも出来ないなどと言うのだが、ぼくは美大の受験生として膨大な枚数の鏡をモチーフにしたデッサンやタブローを描いてきた。そこで、実物と鏡に映った像との描き分けが出来ることや、鏡が像を映す物であると同時にそれ自体が板状の物質であるという性質をちゃんと描写することが出来るなんていうことは、受験生として要請される最低限度の技術に過ぎないし、そんなことは誰でもやっている事じゃないか、と。しかしその疑問は、テキストの一部分だけしか読んでいない時の話であり、しばらく読みすすんでいけば、岡崎氏が「鏡」という例を使って示そうとしている理論の仕組みを理解し、その理論のなかで「鏡」という比喩がどのように機能しているのかを理解するようになれば、「実際に鏡は見えるじゃないか」というのが全く批判になっていないといことが分るはずなのだ。ここで言いたいのは岡崎理論の「正しさ」とかそういう話ではなくて、それを批判するにしても「現に鏡は見えるでしょ」などという話を持ち出すことは全く有効ではなくて、ただ自分が読めていないことを露呈しているだけだ、ということなのだ。
●岡崎氏が、見ることができるのは鏡に映るイメージだけで、鏡そのものを見ることは出来ない、と言う事で何を示しているのかを、ザッと要約しておく。ある作品を作品として成立させているのは、それを周囲の環境から切り離して「これは作品である」と指し示す機能による。しかし我々が見ることの出来るのは作品の内容(=鏡に映った像)だけであり、それを「作品」たらしめいる機能(=鏡それ自体)を見ることは出来ない。逆に言えば、そのような目に見えない機能が成立してさえいれば、どんなに出鱈目なものでも人はそこから何かしらの内容を読み取ってしまう。つまり、見ることのできる作品の内容なんていうものは鏡に映った像のようにいくらでも取り替え可能なものでしかなく、それよりも決して見ることの出来ない、作品を作品たらしめている機能=鏡それ自体の方が問題であり、それをこそ探ってゆくべきなのだ、と言うこと。このような話が、正しいとか間違っているとか、刺激的だとか退屈だとかいう事は置いておくとして、こういう理屈に対して、「だって現に鏡は見えるでしょ」と言うことにどのような意味があるというのだろうか。
●「鏡それ自体は見えない」と言われた時に、素朴な反応として、だって現に見えているじゃないか、という反発があるのは当然のことだろう。我々が生きている「実感」のレヴェルでは、鏡という物がそこに映し出された像に還元されてしまうことなどあり得ない。そして、作家が実際に作品を作るという作業を行う時にも、そのような「実感」を頼りに物質や記号を組み立ててゆくほかないだろうし、観客がそれを受け取る時も、「実感」を通して作品にふれるしかない。もしそのような「実感」を「信じる」ことが出来なければ、それはその人が「病気」であるということだ。しかし、人が実際に「病気」になり得るという事実は、そのような「実感」が実はそれほど確かなものなどではないことを示している。実際に実感は絶えず無数のエラーを出していて、その都度修正されている。岡崎氏が問題にしているのは、まさにその「実感」を「信じる」ことができるためにはどのような条件があり、どのような機能が働いているのかということだろう。つまり「実感」の内容(鏡に映った像)だけをいくら詳細に検討しても、それだけでは何故その「実感」が「信じるに足りるもの」として把握されるのか、という「実感」の機能(鏡それ自体)を探ることは出来ない、ということなのだ。にもかかわらず彦坂氏は、どのような理論も「現実」(前後の文脈からして、ここで言われている現実とは「素朴な現実感覚」のようなものとしか読めない。「現実界」のようなものとは違う。)に基礎づけられていなければ「空想的」なものでしかない、などという信じ難いことを言い出すのだ。だって、理論が現実に基礎づけられていなければならない、と言う時の「現実」というのは一体どうやって知り得るのだろうか。もし、素朴な現実感覚に合致していない理論が空想でしかないとしたら、はじめから「理論」なんて全く必要ではなくて、現実感覚だけあれは良いということになってしまうではないか。だいたいどのような理論にも汚されていない素朴な現実感覚などあり得るのか。理論というのはむしろ、そのような「汚された」現実感覚を切断するためにこそ要請されているものなのではないのだろうか。理論というのはそもそも、素朴な現実感覚とは乖離し自律した展開をもっているからこそ、その「抽象力」によって現実に作用するのではないのだろうか。
●この対談において彦坂氏は、まるで、何かを指で指し示しても、その示したものを見ないで指を見てしまう人、であるかのような発言に終始している。この対談全体での彦坂氏の発言をまとめてみると、柄谷行人(『探究1』)を誤読して無理矢理吉本隆明に接続したような奇妙な事になってしまうだろう。恐らく彦坂氏は、何かしらの理論的な構築物を読むとき、ある言葉なり概念なりがその理論的なパースペクティブのなかでどのように配置されているのかを読むことをせず、スローガンのようにただその部分その言葉だけを読んでしまうのではないのだろうか。だから岡崎氏が彦坂氏の誤読に対して、それはそういう意味ではなくてこうなんです、といくら丁寧に説明しても、その説明をまた別の方向へと誤読してしまう。言葉は、それが使われているコンテクストを離れて勝手に別のことを意味してしまう。岡崎氏はまさにその生きた事例を目の前にしているのだ。「現実」というのはまさに、このような噛み合わなさや無理解による断絶に満ちていて、一個人がいかにシャープな切れる頭脳をもっていてもこれを解消することは出来ない。誰かが真実を口にしたくらいでは、世界は決して凍りついたりはしない。
02/06/01(土)
(昨日の続きをちょっとだけ)
●対談中での彦坂氏の「鏡は現に見えるじゃないか」というような発言は、鏡という物質が決して「像を映す」という機能に還元されてしまうことはなくて、常にある「残余」があって、それによって鏡は自らを、つまり鏡それ自体の存在を主張しているのだ、と読むことができる。だから比喩としても「鏡それ自体は見れない」というのはまちがっている、と。しかし、それによって批判されている岡崎氏のテキストが言っているのもまさにそのことで、つまり鏡における「鏡という機能」が産み出す「イメージ」をいくら弄くっても駄目で、決してそのような機能に還元されない部分をみるべきだ、ということなのだ。ただ、決定的に違うのはその時に言われる「残余」に対する態度であって、彦坂氏はそのような「残余」をそのまま、現実感覚であり、オリジナルであり、ファインアートの価値であり、素朴な実感に対する「信」である、という風に安定した実体であるかのように扱う。対して岡崎氏は、あるシステムからこぼれ落ちる「残余」は、そのシステムの残余でしかなく、別のシステムにはまた別の残余があり、だから「残余」はたんなる残余であり、それをそのまま現実だとかオリジナルだとか言うことは出来ない、とする。だからあるシステムにおける残余は絶対的なものでなく、それをただ指示するだけではなく、その指示がそれとは別のシステムにおける別の残余の指示へと無限に連鎖させてゆく必要があり、それを、『指示の連鎖』というテキストで示すのだ。ここで明らかなのは、彦坂氏は口では「共同体の外」とか「他者」とか「砂漠へ出る」とか言っているのだが、「残余」をひとつのものとするひとつのシステムに依存した思考を展開しているのであって、つまりそれは徹底して共同体内部的な思考であるということだ。
このような対立は対談中で割合とはっきり見て取れるし、この対立自体はありふれたもので、とりたてて面白いというものではない。この対談が面白いのは、割合はっきりしているこのような対立を対談者の1人である彦坂氏が理解していないことからくる混乱である。この「混乱」からくる予測不能の動きにこそ、注目すべき重要な問題があるように思える。遊技の作法と芸術的な経験の質(あるいは超越性への信)について
02/06/03(月)
●子供同士が話すのを聞いていると、時に話が全く噛み合っていないのに、何故か互いに満足げで納得している様子がみられたりする。つまりそれぞれが勝手に喋り、勝手に納得しているのだ。このような時に欠けているのは、「自分は今こういうことを言っているつもりなのだか相手はそれをどのように理解しているのだろうか」ということと「自分は相手が言っていることをこのように理解しているのだか、それは相手の考えとどの程度一致しているのだろうか」ということを、会話をつづけながら、会話のなかで探りを入れ、場合によっては修正したり訂正したりするということだろう。「自分の考えはどう伝わっているのか」「自分の理解はどの程度妥当であるのか」の2つを共に相手の反応から探るという配慮を欠いた会話はたんに言いっぱなし聞きっぱなしであり、基本的には成り立たない。しかし、このような会話に何の意味もないかと言えばそんなことはない。互いに声を掛け合い、相手の声に呼応して声を返すという行為の連鎖は、互いの体に触れ合っているのと同等の行為であって、それによって人は相手の存在を確認するのと同時に、自分の存在が相手によって承認されていることをも確認する。このような観点からみれば、話すことそのものに意味があるのであって、会話の内容などほとんどどうでもいいとさえ言える。これは大人同士の「熱い」議論なんかにも言えて、全く下らない事しか話されていなくとも、ただその言葉の「熱さ」のみによって言葉の応酬が乱暴な愛撫のごとき効果を生み、喧嘩をしつつも何故か満足げであったりする。もっともぼく自身は、この手の内容のない「熱い」議論には巻き込まれたくはないと思っているのだが。
●ある実感をともなった経験が、たんにその人の内部だけでの出来事ではなく、何らかの外的な原因があること、つまり現実に対応した経験であるはずだという「確信」を支えているのは、おそらく他者による承認しかないだろうと思う。目の前にリアルな実感をもって見えているそれが、幻覚ではなく「本当に」そこにあるのだということを保証するのは、他者にとっても同じように、そこにあると認められるからに過ぎない。私に固有なある経験は、他者と交換されることでしかその実在性を確保できない。(日常的な範囲で起こる事柄は、その反復性からある程度は「承認済み」のものとして処理することができるが、何か信じられないような出来事と遭遇した時、人はまず自らの感覚を疑うしかなく、それが他者にとっても起こっているのかどうかを確認せずにはいられない。)その時の他者とは、ただ具体的な誰々というだけではなく、ある程度一般性を代表し得るとみなされる者でなければならないだろう。その人が、時にヘンなものを見てしまうような人では困るのだ。(その「ヘンなものを見てしまう人」が、社会的に霊能者だとか詩人だとかとして「承認」されているとしたら、それはまた別の価値をもつ。)だが、このような時に保証されているのは、実はその実感が現実と対応しているかどうかということではなくて、その場ではあるルールのあるゲームが行われていて、自分がそのゲームのルールを理解してそこに参加しているのだ、ということが確認されたに過ぎない。つまり「鏡」がそこにあるという実感が妥当なものとして承認されたということは、私の感覚が「鏡」と判断した何ものかがそこにあるということを誰かも認め、それと共に、その何ものかを私が「鏡」と呼ぶことが妥当であるとその誰かも受け入れた、ということなのだ。だからここでは実感の「用法」の妥当性が問われているのであって、実感された経験の「内実」が問われている訳ではない。つまりとりあえず「鏡」と呼ばれる何ものかを前にした時、どのような言葉を発し、どのような態度にでることが妥当なこととして承認されるのか、という「遊技の作法」が問題なのであって、「鏡」と呼ばれる何ものかが私にどのような経験を与えたのかという「経験の質」は問われない。何故なら「経験の質」そのものは徹底して孤独の内にあり、交換出来ないからだ。社会的な空間というのは、つまりはそのような場所である。それに対して「芸術」という形式は「経験の内実」こそが問われる場であり、つまり「経験の質」が交換可能だとする場所としてあるはずだ。すくなくとも「芸術」はそのような「信」によって成り立っている。
(つづく、)
02/06/05(水)
●芸術によって「経験の質」が伝達されるというのは、作家の経験なり考えなり感性なり個性なりが、作品を通じて観者へと伝わるということではない。「経験」とは作品が強いる経験のことであって、だから作品の前ではそれを作った作家自身も観者の1人でしかない。(ただ、一般的な観者が完成された時点での作品しか知らないのに対して、それを作った者はその生成過程や制作作業を通じてもその作品を把握しているという違いはある。もっとも、作家は大抵作品が完成=成立してしまうと、その生成過程を忘れてしまうものだが。)経験によって作品がつくられると言うより、作品によって経験が可能になるのだ。セザンヌを理解すると言うことは、セザンヌの考えや感性を理解することでも、セザンヌの絵画を成立させている構造や美術史上での位置を理解することでも、勿論自分勝手な好き嫌いの基準で「好き」になることでもなくて、セザンヌの作品が強いる「経験の質」を理解するということなのだ。その「経験の質」はただセザンヌの絵画によってしか示すことが出来ないので、その「経験」はセザンヌという固有名によって名指すことができるだけだ。作品は、ある固有の経験を捕獲し生成するための装置としてある。だからドゥルーズ=ガタリは次のように書く。《芸術とは何かを保存するものであり、保存されるこの世で唯一のものである。(...)少女は、彼女が五千年前にとったポーズをいまも維持している、ということは、少女がいましている身ぶりは、その身ぶりをしてみせたときの少女にはもはや左右されないということだ。空気は、それが去年のある日に保持した乱れ、そよぎ、光をいまも保持しているが、その日の朝にその空気を吸った者にはもはや左右されることがない。》ある身ぶりの固有性、ある空気の固有性を名付けることはできない。ある少女の身ぶりが産み出す経験の質は、固有名をもったその少女に還元されることはない。ただ芸術作品だけがそれを捕獲し産み出し反復し指し示す。ある作品が強いる(産み出す)経験の質を、とりあえず「セザンヌ」という画家の固有名で代用して指し示すしか仕方がないと言うことと、社会的な言語的ゲームの場で、ある絵画作品をセザンヌと呼ぶことが「妥当である」と承認される、ということとは、だから根本的に違っているのだ。
●ただ、「経験の質」は作品と観者との一対一での対面、直接的、無媒介的な対面によって生成する訳ではないということに注意しよう。作品と観者との間には、媒介的な第三者が介在する。それをとりあえずは、象徴的な秩序を成立させる超越的な他者だと言ってよいだろう。たとえば「ジャンル」という枠組みは、そのような超越的な第三者によって確定されているのだ。ここが、芸術作品と社会的な「承認を巡るゲーム」が不可分に結びつかざるを得ない場所である。どのような作品も、我々の前に無差別に無秩序にあらわれる訳ではなく、あらかじめある程度価値づけられ選択され序列化されたものとしてしか、目の前に訪れることはない。セザンヌという100年以上も前のフランスの画家に我々がアクセス出来るのも、彼が美術史上で重要な作家として価値づけられているからであり、美術館という制度によってその作品の価値が保証された上で、収集され保存され整理され展観されてるからなのだ。もし同じ時代にセザンヌ以上の強力な無名画家がいたとしても、その作品は無名であることによって「私」まで届いてこない。例えばマネは、アカデミーによる古くさい美的判断を批判して、真に現代的と言い得る絵画を描いた最初の1人であるのだが、そのマネが、自ら批判したアカデミー的価値感の象徴である「官展」によって自分の作品の価値が認められることを最後まで強く希望し要求したという「矛盾」は、自らの作品が象徴的な秩序のなかに位置づけられ、歴史へと書き込まれるための資格の「審判」を行う超越的な他者としての機関を「アカデミー=官展」以外に考えられなかったからだろう。具体的=特殊な他者にいくらウケようと、その「数」では普遍性を保証されない。マネだって、具体的に顔を思い浮かべることのできるアカデミーの審査員である冴えないジジイたちにそんなに目覚ましい判断力があると考えていた筈はない。しかし、個別的なものが普遍へと至るためには、媒介としての超越的な存在が要請されるという訳なのだろう。しかし実際は、アカデミーの画家たちは皆忘れ去られ、マネの作品は残った。それは、記号の流通過程や象徴的な秩序の形成過程、つまり社会的な承認をめぐるゲームは、決して単一のシステムに代表されるものではなく、もっと複雑、雑多ななものだということを意味するのだろう。これを、「経験の質」による力が「承認を巡るゲーム」に勝ったのだ、とみることは、あまりに楽天的すぎるだろう。(セザンヌが「印象派の絵を美術館の古典のように堅固なものにする」と言ったのも、古典的な「構築性」の問題と言うより「普遍性」の問題、つまり自分の作品が美術館の古典と同様の普遍的な価値を獲得することを要求している、ということなのではないだろうか。)
(つづく)
02/06/06(木)
●作品と観者との間にいて超越性を可能にする媒介的な第三者の姿が、最も分り易い形であらわれるのが「教育」の場であるだろう。日本において美術を志す人の多くにとって、初めての本格的な学習の場になる「美大受験のための予備校」という場を例に考えてみる。ここでは美大の合格に必要な技術を学ぶことになるのだが、それは、どのように描くかという問題だけでなく、どのようなものが「良いとされている」のかという判断の基準も問題にされる。しかし、例えばデッサンの良し悪しを決める明解な基準などないし、これとこれとこれをクリアーすればOKだなどと、言語化できるものでもない。しかも、実際に入試において判断するのはそこにいる予備校の講師たちではなく大学の教師たちなのだ。しかしその場は「なんとなく」共有されている「入試のためのデッサン」の良し悪しの基準というのがある、という「信」に基づいて成立している。「なんとなく共有されている基準」を示すためには、その場で学生によって描かれたデッサンを並べて、これは良い、これは悪い、これとこれを比べると、こっちの方が良い、という風に示してゆくしかない。(勿論、講師たちはただ乱暴に良し悪しを言うだけでなく、懇切丁寧に色々な説明するのだが、しかしその説明も「描かれた作品」について、ここが良いここが駄目と言う以上のことは出来ず、つまり「こうすれば良い」ということは言えない。)その判断は、初めてそのような場に紛れ込んだ者にとっては、理解不能で理不尽なものにしか見えない。それでも、「美大に合格したいという希望」をもつ学生たちは、「既に美大受験に成功した」者である講師の判断を一方的に受け入れる以外に術はない。つまり学生たちは、講師の目を通して自分の作品を観るように努力するしかない。そのような時、学生にとって講師は、固有の個人であると同時に、ひとつの象徴的な秩序を支えている超越的な人物を「代行」するする者として現れている。つまりここでは、どのような状態を「良い」と言えばそれが「妥当」だと他者(大学)から「承認」されるのか、ということの学習が、超越的な他者の理不尽な判断=審判によって、実際にある物質を加工する技術(絵を描く技術)と共に、不可分なものとして行われているのだ。(根本的に異なる2つの事柄が、不可分なものとしてワンセットになっている。)
当初はただ理不尽なものとしか思えなかった判断も、ある程度その場にいつづけることによって、そこにある「基準」が存在することが理解されるようになる。この時学生はある判断の基準(象徴的な秩序)を内面化したと言えるだろう。そして一旦内面化してしまうと、それが理不尽な他者によってもたらされたものであることが忘れられてしまう。今度は逆に、講師の判断に対して、あいつは色に関する判断が甘い、などと「判断に対する判断」をしたりするようになる。(余談だが、これを書いていてふと、80年代のシネフィルと蓮實重彦との関係を思った。)ここで忘れてはならないことが2つある。一つは、このような判断の基準(象徴的な秩序)は、一方に美術大学という制度があり、もう一方にそこに入りたいと思う人たちがいる、というある社会的な集団の存在によって成り立っていると言うこと。もう一つは、受験において本当に判断するのは大学側であって、だから予備校で成立した判断の基準が必ずしも有効であるとは限らない、という点だ。たとえ、ある学生が「合格」したとしても、それは大学側が予備校で成立した判断の基準とは全然別の観点からその作品を評価した、ということ、つまり「誤読」したということもあり得るのだ。象徴的な秩序と言ってもそれは真に「象徴的」なものたり得ず、様々なローカルな場面や個人などによってズレや断層が生じていて、決して一枚岩である訳ではない。
象徴的な秩序など「真の意味」ではどこにも存在してはいなくて、それは「何となく」あるように皆が「信じている」ことで成り立っている。実際にはそれはかなりのズレや綻びを含んみつつ無数にあり、それがある個人と個人、集団と集団が関わる具体的な場面において幾つものエラーとして生じ、摩擦を発生させ、その都度修正されたり破綻したりすることになる。だからこそ具体的なコミュニケーションの現場では、常に「妥当性」と「承認」をめぐるゲームが、互いの存在を確認し承認し合う過程が必須のものとなる。しかしだからと言って、一切の超越性、象徴的なものへの「信」を抜きにして作品と観者、あるいは個人と個人が裸のまま出会うというのは、やはり夢のような話であるだろう。そんな時に実際に起こるのは、ただ「動物的な」欲望の暴走と、小児的なナルシズムの膨張だけなのではないだろうか。人は超越的なものへの「信」によって、初めて「自分」という限定の外側(つまり「世界」)に触れ、「歴史」(つまり自分のうまれる前や死んだ後)に対して開かれるのだと思う。ただ、超越や象徴的秩序が有効に機能していたのが「近代」で、その機能が破綻したのがポストモダン以降だという考え方には賛同出来ない。超越や象徴的秩序など一度もまともに機能したことなどなく、それらはただそれらへの「信」として機能していただけで、始めから破綻していたのではないだろうか。(例えば、象徴的な秩序へと位置づけられることなど「賄賂」のようなものだと岡崎乾二郎は言う。《シュミレーショニズムなんてのは、システムに認可されれば、コピーでも本物になって勝ち(価値?)になることをはっきりさせただけ。オリジナルというのはシステムとのコネのことだったというわけでね、賄賂みたいなもんです。なさけない。》)芸術は、とりあえず超越への「信」を表明した上で、その破綻をこそチャンスとみなす。「経験の質」は、そのような時にこそ問われるのだ。ゴダールの『ウイークエンド』
02/06/08(土)
●久しぶりに映画を観た。澁谷ユーロスペースでゴダールの『ウイークエンド』。いかにゴダールといえども、長い間映画をつくりつづけていれば「ハズす」ことや「スベる」こともある。ゴダールが凄いのはその「ハズし」方がハンパではないことだ。ぼくが今まで観たゴダールの最大の「ハズし」映画は『万事快調』で、まるでドリフターズのコントのセットのような工場で、どう受け取ってよいか全くわからないような笑えない労働問題を巡る政治的コントが、必要以上に壮大なスケールで描かれる。ただ虚しく空回りするしかない壮大な装置。どのような文脈にも容易には納まることを拒否したそのハズしっぷりは傑作と呼んでも差し支えない程堂々としたもので、ぼくが知っている限りでここまで堂々としたハズしっぷりの映画は鈴木清順の『悲愁物語』くらいしか見当たらない。それにくらべれば『ウイークエンド』のハズし方壊れ方は中途半端というか、分り易すぎると思う。今日の高度消費社会を通り過ぎた時代に生きる我々は、ハズしたもの、スベッたもの、壊れたものの、その「白々としたハズしっぷり」そのものを楽しむ術を既に知ってしまっている。そのような者にとって『ウイークエンド』は、いとも簡単に「楽しむ」ことが出来てしまうという意味で、弱いと思う。この映画を観たくらいでは、誰も途方に暮れたり困ったりなどしない。モンドだとか悪趣味だとかいう文脈が、この程度のハズし方をいとも簡単に正当化して回収してしまうからだ。確かに『ウイークエンド』は面白いのだが、この程度の面白さは別にゴダールでなくとも味わうことができる、と思えてしまう。『ウイークエンド』という映画は、自らクズであろうとして、「クズという状態」の「説明」に留まってしまっている。(『ウイークエンド』は、『フォーエヴァー・モーツァルト』に近いザラついた痛いような暴力的な感触があるのだけど、しかし『フォーエヴァー・モーツァルト』の高速度高密度でナンセンスにまで達している取りつく島のなさに比べ、『ウイークエンド』はそこにまで至らず、どこか説明的、図解的という印象を免れない。確かにゴダール以外では考えられないような「凄いシーン」が、幾つかありはするのだが。)
●『ウイークエンド』から見て取れるのは、「ゴダール初期」の方法のあきらかな行き詰まりであるよう見える。67年の時点で監督としてのキャリアが10年にも満たないゴダールだが、既に何本もの傑作をものにしているし、かなりの数の映画を制作している。物凄いスピードで疾走してきたゴダールも、さすがに自分の演出方法に行き詰まりを感じ、何かしらの飛躍が必要とされる時期にいたように思える。(パンフレットで小西康陽が指摘しているように、ゴダール的演出は既に生々しさを失い「記号」に堕してしまっていた。)『ウイークエンド』にみられる過剰なまでの「ワルノリ」ぶり「弾み」ぶりは、行き詰まりからの飛躍を強いられた者の痙攣のような身もだえなのではないだろうか。この映画を最後にしばらく「商業映画」から撤退してジガ・ヴェルトフ集団での映画づくりへと移行してゆくのも、政治かぶれだとか、状況への同調だとかいった側面だけでなく、自らの映画作家としての行き詰まりを打破し、何とか自分を刷新したいという思いも強かったのではないか。例えば『東風』という映画などは、もしゴダールが単独で監督をしていたなら、きっと『ウイークエンド』と大して変わらない映画になっていたのではないだろうか。『ウイークエンド』が積極的に「クズ」であろうとしてクズという状態の「説明」でしかあり得なかったのに対して、『東風』はまさに「クズ」と化してしまうまでに解体されている。それは集団制作によってこそ可能だったのだろうし、そこまでの解体を受け入れることが出来たからこそゴダールは今もなおゴダールでありつづけられているのではないだろうか。
●初期のゴダールが、あらゆるものを断片化し、深さを排して平板化表層化ポップ化し、中間色を排した原色の点滅するカラフルな世界へと向かっているというのは確かなことだろう。『ウイークエンド』という映画が、ウォーホルの『白い惨事』や『緑の惨事』のような、悲惨な交通事故の写真をシルクスクリーンによるのっぺりした薄っぺらのイメージとして反復させてしまった作品に通じる、何とも言えない表層的で深みを欠いた「死」への魅惑と結びついた作品であることも確かだ。しかしその限りにおいては、しょせん「フレンチポップ」に過ぎないゴダールが、「アメリカン・ポップ」であるウォーホルに勝てる訳がない。実際、『ウイークエンド』におけるイメージの平板さは中途半端に文学的で、ウォーホルによる徹底して表層的でしかない非人間的な「死」のイメージの無気味さには遠く及ばない。むしろ『ウイークエンド』で凄いのは、それとは別種の「深さ」(という言い方は適当かどうか分らないのだが)がふいに紛れ込んでしまう瞬間ではないだろうか。例えば、農家の中庭のような場所でモーツァルトが演奏される、あの360度のパンが繰り返される場面。ここでのラウール・クタールによる驚くべき長回しは、ミゾグチからアンゲロプロスへ至るなかで追求されてきた長回しの可能性とは全く別のもの、あえて言えばある種のソクーロフに近いようなものの可能性が、ふいに開けてしまっているとは言えないだろうか。(このシーンを観るためだけにでも、『ウイークエンド』を観る価値は充分以上にある。)少なくともぼくにとっては、断片的でポップでモンドなゴダールよりも、高度な超絶技巧によるゴダールの方が、よりアナーキーでナンセンスな強度に向かって開かれているように思われるのだ。ナンシー関氏が亡くなられた
02/06/13(木)
●ナンシー関氏が亡くなられた。ぼくはけっこう尊敬していた。彼女の批評の鋭さは、決して批評対象と交わらないという態度によって確保されていたのではないか。つまり、たまにテレビに出るようなことはあっても、「辛口コメンテーター」とか「毒舌」を売りにした「タレント」という位置に上手いこと滑り込んで、「名前」的にも「収入」的にもオイシイ思いをしようなどという色気とキッパリと切れていた、ということ。どんなに「辛口」なことを言おうが、それがテレビの世界のなかで機能している限り、結局はテレビというシステムを補強し、それに奉仕させられているに過ぎなくなる。そこから切れているということ、そこに利用されたり、そこから甘い汁を受けないこと、が、彼女の文章のきっぱりとした「汚れ」の無さを可能にしている。しかし確かに、そのような態度は潔くはあるのだが、同時にそれが限界であるとも言えてしまう。例えば、基本的に彼女の批評はテレビ業界、テレビ的な有名人に向けられており、自らが所属している出版業界、出版ジャーナリズムに鋭く向けられることはあまりない。彼女自身が、編集者や出版社との関係で何か思うところがあろうと、それについて具体的に語られることはない。それは勿論、そんな事を「ネタ」にしても「売り物」にはならないということだろうが、それと同時に、自分がその一員としてナマナマしく関わっている事に関しては、明解にスパッと切って捨てることが難しいからだろう。有名人に対する、一個の無名な者という視点、それはつまり一種の超越的な位置でもあって、明解な潔さはそれによって得られる。自らの存在や欲望を括弧に入れて透明化し、関係に距離を導入すること。これこそが「知性」であり、このような距離がなければ、批評を安定した芸として売ることは難しいだろう。しかし、自分の関わるあらゆる事柄に対して、このような距離を設けることは出来ない。
●自らがその一員として生息しているシステムの内部で、自分とナマナマしく繋がっている地点で起こる出来事に対して、どのような評価を下し、それをどのように表明し、どのような態度に出るのか、という問題こそが、切実なものとして我々につきつけられている。そのような場では、たんじゅんな「正しさ」だけで全てを斬る訳にはいかなくなる。勿論、基本的には「正しさ」を優先させるべきであり、ナニがナンでも「正しさ」こそを優先させる「蛮行」は限りなく貴重である。しかし全ての場面において「正しさ」だけを優先されるのは事実上不可能であり、その不可能性を自覚しない時、「正しさ」し最悪の「ポーズ」へと堕してしまうだろう。ココを突っ込んだら自分の身がヤバいんじゃないか、という「自己保身」もあれば、あの人のあれはどう考えてもおかしいと思うが、しかしあの人には他にいい所も沢山あるし、苦労して一生懸命やっているのはよく知っているしなあ、という「感情」的な側面もあれば、ちっとも良いとは思わないのだが、しかし現在の状況を考えれば相対的に貴重な試みと言うべきなのかもしれない、という「状況論」的な判断もある。これらのことは全て「相対的な問題」に過ぎず、本質的なものとは言えない。しかし我々はいつも本質的ではない問題に曝されているのだし、本質的ではない問題によって「生き死に」が左右されてしまうような存在でもあるのだ。圧倒的に正しいことと、明らかに間違っていることの間には、広大なグレーゾーンが拡がっている。ぼくはなにも、内部には内部にしか分らない複雑な事情があるのだ、などということを言いたいのではない。(他人の顔色だけを見て生きてる人はたんに下らない。)そうではなくて、生きている限り不可避的に呑み込まれざるを得ないグレーゾーンのヌカルミがあり、そのなかにいながらも、その都度その都度の場面に応じてどうやってそこから身を引き剥がすことができるか、纏わりつくものをどうやって切断し、裏切ることが可能であるのかという問題であり、そのような決して「本質的」では無い問題に対する時こそ、その人の「実存」が問われるのではないか、と言うことなのだ。「人間的なスケールの時間」と「仕事がじわじわと作用する時間」のズレ
02/06/19(水)
●人間が行う「仕事」の結果は、すぐに出る場合もあれば、かなり後になってあらわれる場合もある。結果の遅れは、時に1人の人間の生きる時間を超えることもあるだろう。中上健次の『地の果て 至上の時』で「木材」は、今、お金に代えることができる物は親の親の代にされた植林によるし、今行っている植林がお金を生むのは孫の代になってからだ。材木を商品とするには、植えるという労働だけではなく、育つ「時間」を待つ必要がある。この時間は人間のスケールと同一ではない。しかも、この3代に渡る財産の譲渡はスムースに行われる訳でもない。貧しい人々は成り上がるのを望み、策略を練り、奪い取ろうとする。それでも人が「自分の利益」になる訳ではない植林をしようとするとすれば、それをささえているのは「家」とか「血」の永続性というある種の「普遍的な」概念によるだろう。
「私」(の世代)が被っている利益や不利益の多くは「私」(の世代)の責任によると言うよりも、「私」のうまれる以前に起こった様々な出来事の帰結であり、「私」(の世代)が過去から受け継いだものである。そして、「私」(の世代)が行った行為の結果生じる利益が享受され、あるいはその失敗の責任を取らされるのは、「私」より後に生まれた者たちであるだろう。例えば、ある経営者が地道な努力によって築き上げた地盤によって、次の経営者の成功が導かれることもあれば、現在の経営者の強引なやり方が、今は上手くいっていたとしても、その強引さによって生じた無理が、次の経営者に破綻をもたらすこともある。たとえ「家」や「血」といった種類の普遍性が解体して、それらが強いていた束縛に大した意味がなくなったとしても、「私」(の世代)がそれ以前の世代がつくった世界の上で生き、そのツケを払わさせられることにかわりはないし、「私」も、後にうまれる者にツケを押し付けることを回避することは出来ない。
●ある哲学者が、一生を費やして考え抜いた事が、その同時代には全く必然性が理解出来ない抽象的な空論にみえたとしても、その仕事の意味が時間の経過とともに理解されるようになり、後の人たちに大きな影響を与えるということがあるだろう。それか制作されたリアルタイムにおいてはほとんど観客を得ることのできなかった作品が、時間がたつにつれてその重要性が浮かび上がり、後のアーティストたちの汲めども尽くせぬインスピレーションの源泉となることもある。(あるいは、『地の果て 至上の時』の「六さん」のような人物は、樹木を商品価値のあるものにするために必要不可欠な存在であるのだが、しかし「資本主義の現在」とはほとんど何の関係もなく生きている。資本主義の時間の外で仕事をしている。)永遠とか普遍などという概念を簡単に信じる訳にはいかないにしても、ある人物の仕事が、必ずしもその人物が生物として生きている時間のサイクルと合致したスパンで(つまり、「現在」という時間で)理解され、作用するとは限らないということは容易に理解できるだろう。そのような仕事は、例えて言えば、、ある「主体」をとりあえずは「意識」が制御しているとしても、無意識のうちに人は意識によって処理されるものとは異なる速度(リズム)で様々に雑多な情報を同時に処理していて、そのような意識化されることのない無数の情報の処理が、バックグランド(地)として、意識(図)の有り様そのものに作用している、というのと同様に、潜在的なものとして世界に大きく深く作用していると言える。理性の声は小さいが、執拗に喋りつづける、というやつだ。
●人間よりも「作品」が大事だというような考え方は、「芸術」あるいは「美」などというものを絶対的な価値として置くことによって言われるのではなく、むしろ、このように「生物としての人間的なスケールの時間」と「仕事がじわじわと作用する時間」とのタイムスパンの違いによって必要とされているのだと思う。「人生は短く、芸術は長い」というのも、「芸の道は険しく深い」とかいうことではなく、社会的な「現在」による期待の地平とは別の場所で行われる探究が、ある人物によって実際に探究される「人間的な時間」と、それが社会に対してある一定の効力を発揮しはじめる時間とのスパンのズレのことを言っているのではないか。いわば、芸術は(『地の果て 至上の時』の「木材」のように)時間や空間を非人間化する。
●だからといって、そのような仕事をする者たちが、「普遍」や「理性」のために滅私奉公をし殉教したのかと言えばそんなことはないはずだ。どのような現世的な利益とも無関係であろうと、「普遍」のため「理性」のために俺はやるのだ、などといった使命感やポーズなど最悪だ。だいいち、現世的な利害や欲望と一切無関係で生きることなど出来ない。だが、ドゥルーズは、たとえまわりから見てどんなに貧しくみすぼらしい無味乾燥な生を強いられているように見えたとしても、「哲学者」はそれとは別種の内側の孤独な生において、激しい炎とともにあるのだ、とスピノザについて言っていなかっただろうか。たとえどんなに強制されたボロくずのような悲惨な死を死んだように見えたとしても、その内側では充実した生を燃焼しきったかもしれないのだから、他人の死を担保にして「正義」について語るべきではないとも言っていなかっただろうか。生物としての人間のライフサイクルとは別種のスケールをもった非人間的な時空につかまれ、現世的な利益を半ば放棄したかのようにみえる人物は、しかしその「放棄」によってこそそれとは別種の時空における「激しい炎とともにある生」を獲得するのだ。そこではもはや「現在」という時制は成立しないだろう。こんなことを言っても、ある種の人物は、それはたんに「イケてない」「敗者」が自分の「負け」を認めたくないから弄する詭弁に過ぎないとか言うだろう。しかし、別種の生において現に充実している人物は、そんな言葉では全く傷つくことはない。
●東浩紀の『郵便的不安たち#』を読んでいて思うのは、東氏には以上のようなことを信じることが出来ないのだろうなあ、ということだ。(東氏からみれば、そんなことを信じることこそが「悪しき形而上学」ということになるのだろう。)意識が拾えないほどに高速でビュンビュンと飛び交うような情報(現在)にどのように対処するのか、ということだけが「郵便的」な問題ではない。意識をするりと通過していってしまうような「遅い」流れの情報について、つまり回帰する「過去」について、どのように対処するのかということも重要なのではないか。それを尊重しないということは、過去の他者=過去という他者(つまり「幽霊」)を故意に排除することであり、デリダを、メディア的、精神分析的なテキストとして、様々にリズムの異なる多チャンネルへ向けて開かれたものとして読むという、画期的な自らの著作をも尊重しないということではないだろうか。(しかし、新しく始まるらしい「権力論」には少し期待したい。『郵便的不安たち#』で面白いのは、「ソルジェーニーツィン論」以外では「通信傍受法案」に反対する文章なのだから。)筒井康隆の『邪眼鳥』とオリュウノオバ
02/06/20(木)
●筒井康隆の『邪眼鳥』を読み返したのは、なんだかんだ文句を言っても『郵便的不安たち#』に収録されていた『邪眼鳥』評が面白かったからだ。ぼくは筒井氏の良い読者ではないが、この小説はちょっと好きだ。小説としての形式的な実験をしつつも、ある程度エンターテイメントとして成立するような小説を書こうとするならば、この小説はとてもコンパクトに纏まった良い「教科書」と言えるのではないだろうか。(しかし実は、これだから筒井って嫌いだ、と、どうしても拒絶反応を起こしてしまうシーンが一つだけあるのだが。)でも、「教科書」というのはつまり、教科書的な面白さしか持つことが出来ない、というのも事実だろう。この小説に、「良く出来ているなあ」という感心以上に惹かれる部分があるとすれば、登場人物の1人である「英作」が、生き霊と化して毎夜実家の屋敷を徘徊し、台所のあたりで突発的に号泣するというイメージによって生じる、ある種の「感情」の形象化にある。ここで英作が何故「泣く」のかは明解な理由が示されない。具体的な理由を欠き、具体的な時間を失った「泣く」という行為からは、ただ非人称的な「泣く」という行為の形象、「泣く」しかない感情の形象が、ふっと浮かび上がってくる。《泣きながら英作は幼い頃このあたりに佇んで台所にいる誰かに訴えかけるために泣きわめいていた自分を思い出している。泣き声はいつまでも続く。おさまらない。》しかし、訴えようとするものなど「私」の「存在」以外には何もなく、訴えかけるべき「誰か」など存在しない。(私の「存在」も生き霊と化して半ば消えかけている。)だから「泣く」という行為はただただ自分の方へ跳ね返ってきて、泣いている自分に折り重なって増幅し、いつまでもおさまらない。世界には「悲しさ」があり、その悲しさに対して何も働きかけることが出来ずにただそれ認識するしかないということがまた「悲しい」。しかし「泣く」という行為は、ただ悲痛さに引き裂かれているというだけではなく、それは甘く爛れたような快楽をもたらしもする。引き裂かれるような悲痛と、甘ったれた自己愛とが混じり合い折り重なるところに「泣く」という行為があらわれ、否定でもなければ肯定でもない、何ともいえない、どうしようもないような、ある感情が形成される。ぼくはこのシーンから、『千年の愉楽』てオリュウノオバが「自分の死」を思って涙を流すシーンを思い出した。
《オリュウノオバは自分が路地そのものであり、自分がとんなに老ボケしても息がある限り、親よりも早く抱き取って産湯をつかわせて生まれてきた子らの場所は、女の子宮のようにとくとくと脈打ちつづけるし、自分が冷たくなって動かず物を思い出すこともなく考える事もなくなれば子らの場所は消え、生まれて来る者らは永久に場所を得ない流れ者になるのだと思い、オリュウノオバは自分の生命が消える日を考えて火に手をかざしながら涙を流した。》『万事快調』をめぐって
02/06/23(日)
●ゴランへのインタビューでインタビュアーである浅田彰は、いわゆる「政治の時代」のゴダールの政治的な言説をそのまま受け取る訳にはいかないが、しかしそれは決して悪い冗談のようなものではなく、ダイレクトな政治的な言説を持ち込むによって、映画を強引に外へ開くことが必要とされていたのではないか、と問い、ゴランは、それはその通りで、当時のジャン=リュックは、自分の方法に飽き飽きしていたのだ、と答えている。どんなに過激なことをやろうと、平面的で断片的な画面の羅列では全て「ポップ」なものとして受け入れられ消費されてしまう。当時のゴダールの閉塞した行き詰まりは例えば『ウイークエンド』を観れば痛いほどに理解できる。(6/8の日記を参照のこと)高校生の頃読んだ大島渚の本(確か『同時代作家の発見』だったと思う)に、ゴダールというのはフィルムやビデオなんかをぐちゃぐちゃと細かく弄っているのが大好きな、基本的には技術オタクみたいな奴であって、そういう繊細な奴がゴランのようながさつな男と上手くゆくはずがないと思った、と書いてあったように思うのだが、しかしゴダールにとってまさにその「がさつ」な男こそが必要だったのだろう。ゴラン自身も自分のことを、天才の翼を切ったミューズ、ゴダールにとっての「オノ・ヨーコ」のような存在だったと言っている。実際に『ウイークエンド』と『万事快調』を観比べてみれば、その「がさつ」な男の存在がいかに貴重であったのか分る。
●ぼくはこの『万事快調』という、蓮實重彦が「積極的な失望」しか生産しないと書いた「さむーい」映画がとても好きなのだ。蓮實氏が「積極的な失望」というのは、この映画の「寒さ」が、あらゆる映画の「良い/悪い」という価値判断を全て宙吊りにしてしまうほどに強力な(困った)ものだということを言っているのだ。しかし、 行き詰まってはいても『ウイークエンド』くらいの映画はつくれてしまう「小器用」さをもったゴダール1人では、恐らくここまでの「寒さ」は実現できなかったのではないだろうか。『万事快調』のラスト近くに置かれた、巨大なスーパーマーケットでの長回しのシーンは、確かに『ウイークユンド』での「渋滞」のシーンの延長線上にあるものではあるが、しかし、『ウイークエンド』の「渋滞」はスペクタクルとして充分に楽しめてしまうものであるのに対して、『万事快調』の「スーパーマーケット」は、それこそ「失望」しか生産しないように、ひたすらに空回りするばかりなのだ。大勢の人たちがそれぞれバラバラで無秩序に、しかし予め与えられた動きをたんたんとこなす機械人形のように冷たく、何の「熱」も感じられないような無感心さでわらわらと動き回っているのを、行ったり来りと横移動するカメラが単調に捉えつつける。ひたすらに単調で退屈なこの光景の何とアナーキーなことか。ここには、例えば丹生谷貴志が膨大な言葉を費やして語りつづける「造成居住区の午後」のような光景が、それを遥かに凌ぐ強度と明解さと寒さとで示されている。パロディアスユニティ時代の黒沢清が8?フィルムを使って撮っていた映画のほとんどすべては、『万事快調』のこのシーンをひたすらに模倣したいがためだけに撮られたのではないかと、ぼくは勝手に思ってしまうのだ。『しがらみ学園』という映画に今でも惹かれるのは、それが『万事快調』にそっくりな映画のように見えてしまうからなのだった。前のアトリエの大家さんのことろへ挨拶に行った
02/06/25(火)
●前のアトリエの大家さんのことろへ挨拶に行った。90歳になった大家の婆さんはぼくが大学を出てこのアトリエを借りた10年前にも、もう既に相当な「婆さん」だった訳だが、それでも今と比べれば若々しく、家賃を支払いに行くと、曲がった腰でスッと立ち上がり、ちょこちょこっと歩きまわり、印鑑を引き出しから取り出したり、お茶のおかわりを台所まで取りに行ったりしていたし、首から紐でぶら下げた眼鏡をかけ、器用にソロバンをはじいてもいた。84歳くらいまではねえ、証書とか手形とかも、お金の計算なんかも、何もかもおばさんが全部1人でやってたもんなんだどねえ、お父さんは、今月はどうだなんて言って横で見てただけで、一切心配もかけることなかったんだけどねえ、なにせこんな風に頭がバカになっちゃったでしょ、しょうがないのよ、もう、こんな簡単な計算も時間かかっちゃってねえ、齢たからしょうがないんだけどねえ、ほら、ずっとハンコうったり帳簿つけたりする仕事してたでしょ、だもんだから、ここに、こういうの置いてない寂しいのよ。ちゃぶ台がわりに置かれた炬燵の上には、鉛筆や消しゴム、赤ペン、鋏、朱肉、束ねられた輪ゴム、テレビのリモコン、虫眼鏡などが、和菓子の空き箱のなかにきれいに整理されてある。あたしもねえ、いつどうなっちゃってもおかしくないから、ううん、ホントよ、今はもう若い者にみんな任せちゃってるのよ、ほら、口出そうにももう頭がついてかなくて、分んないのよ、ああだこうだ言われても、訳け分かんなくなってねえ、情けないけどねえ、齢だからしょうがないねえ、おばさんボケたボケたとかっていわれちゃって、あたしはしっかりしてるつもりなんだけど、ほら、お菓子もっと食べなさいよ、碌なものないけど、もう地所だとか建物とかみんな整理しはじめてる訳なのよ、○○町にも一軒家が10軒ばかしあるんだけどねえ、あれもねえ、しょうがないねえ。婆さんの想い出話は次から次へと出てきて、あれからこれへと、これからそれへと切れ目なく数珠つなぎに流れ、いつまでたっても終わることがないという印象だったのだが、それも最近は随分と勢いが弱くなり、ゆっくりと、途切れがちに、間に沈黙が挟まり、荒い息さえつくようになってきた。婆さんのする話の内容はほとんどいつも同じで、昔の苦労した話から、知り合いや親戚、友達の話、昔店子だった人が今ではこんなに偉くなったという話など、だいたい憶えてしまっているし、口癖や言い回しなども分かっているのだけど、今日ほど「しょうがない」という言葉が何度も繰り返して聞かれたことは今までになかった。○○さん(アトリエの隣にいた老夫婦)はおととい越して行ったんだけどもね、最後には涙が出ちゃってねえ、あそこのお父さんも難しい人だから、びっしり家が並んでるようなところは嫌だって、ここに死ぬまでいるつもりだったなんて言って、もう30年以上だからあの人たちも、あそこの長男がまだ6歳だったのに今は47だとかって言うからねえ(計算か合ってない?)、今はもう立派に独立してねえ、山形から出てきてねえ、人と新しく会うってんならいいけどねえ、別れるっちゃ変だけど、離れてくってのは嫌なもんだねえ、嫌な人ならいいけど、お互いに気持ちよく話なんかしてたんだからねえ。婆さんはぼくの知っている限りではとてもチャキチャキと、サバサバとした人で、想い出話をするにもただ話すのが楽しいという感じで話し、こういう話でも感傷的になることはない。しかしそれでも、話がふと途切れ、婆さんのする荒い息の音が聞こえると、さすがにそこにはしみじみとした寂寞感のようなものが漂う。生命がゆっくりと衰弱してゆく過程である婆さんの80歳から90歳までの10年間は、ぼくの25歳から35歳の10年間でもあったのだった。この2つの10年間は全く別のものとして切り離されて、個々に進行していた訳で、それが2、3ヶ月に一度まとめて家賃を支払う時にだけ、そのほんの僅かな時間にだけ、微かな接点があったという訳なのだった。ニコラ・フィリベールの『すべての些細な事柄』
02/06/26(水)
●ニコラ・フィリベールの『すべての些細な事柄』をビデオで観た。たしかに魅力的な映画ではあるのだが、どうしてもモンタージュの仕方に気になってしまうところがある。演劇の練習をしていたり、絵を描いたりしている人たちの様子を、カメラが長回しで追っているときに、そこからやや離れた位置にいて、それを眺めている人の様子を示すショットが挿入されるのだ。しかも、ここでは音声が自然に連続しているので、ここに亀裂があることを「気付かせない」ような配慮がなされている。勿論、ドキュメンタリーとは言っても映画なのだから、素材となるフィルムや音声を使って空間や時間を加工する(構成する)のは当然のことなのだが、このようなあまりに「映画的」な編集は、この映画に流れる「時間」にとって適当なものなのだろうか。カメラは、ある状況と、それを観ている人とを同時に捉える事は出来ない。あるいは、見つめ合う瞳と瞳とを同時に示すことは出来ない。それを解決するために編み出されたのが「切り返し」という美しい詐欺まがいの技術な訳だ。つまり、ここで演劇の練習をしている人たちと、それを観ている人が本当に一つの場所一つの時間にいた(その人が「観ていたもの」が本当に「それ」だった)という証拠はどこにもない。別の場所から持ってきたあるクローズアップの映像を編集によって繋げ、いかにもそれらしく音声を連続させれば、そこには連続した時間、空間の表象が得られる。原理的に考えて、一台のカメラが見るものと見られるものとを同時に撮影など出来ない。ここでは、たんに複数のカメラを同時に廻していたということなのだろうが、それでも「形式的」に考える場合、ショットが途切れ、その後にあきらかに違うポジションからの映像が繋げられるとき、そこには明確に時間の切断があり、視点の空間的な移動がある、ということになるはずだ。つまりそれは、ひとつながりの時間、一つの空間ではなく、バラバラにされた複数の視点が事後的に構成されることで出来上がった時間であり空間であり、そこには複数の亀裂がはしっているし、それを構成した者の意図も介入している。にもかかわらず、この映画はその亀裂や意図を、音声を「自然」に連続させること、あるいは、これが事実をそのまま撮影したドキュメンタリーであることを強調すること(ナレーションや音楽などで加工しないこと)、などによって覆い隠そうとする。この映画では、医者と患者、演出者と演技者とが同一のフレームのなかで混じり合っている。(実際に演劇では演出者や指導者も演技者の1人として舞台に立つ。)しかしそようなあり方そのものが、「切り返し」的なモンタージュの使用によって綻んでしまい、ウソ臭いものにさえ見えてきてしまう。80年代の柄谷行人
02/06/27(木)
●最近、柄谷行人の『隠喩としての建築』や『批評とポストモダン』をちびちびと読み返えしていて、とても面白い。それも、前の方に載っている主要な文章ではなくて、後ろの方に載っている短いエッセイが刺激的なのだ。この2冊の本は、主に80年代前半に書かれた文章が、割合雑多に並べられている。後ろの方のエッセイなどは、まさに《柄谷行人はたえず移動する。》という感じだ。しかしそれは、華麗に知的な意匠を駆け巡るというよりも、むしろ当時の柄谷氏が、あるひとつの問いに取り憑かれていて、それに対する有効なアプローチを様々な角度から探っているという感じなのだ。この問題を正面からまともに展開しようとすれば、『内省と遡行』や『言語・数・貨幣』や『隠喩としての建築』といったような仕事となり、つまり、ある体系を突き詰めてゆくと、その体系には納まらない「外部」につきあたらざるを得ない、という、東浩紀が「否定神学的な脱構築」と名付けたようなものになるのだろう。
柄谷氏はこれらの雑多なエッセイのなかで、可能な限り明解であろうとする「意志」をもっているのだが、しかし、しかしその「意志」そのものがどのような条件によって出てくるのかは分らない、といった問題につきあたる。いくら明解であったとしても、何故そこまで明解であろうとするのかという謎は残ってしまう。例えば、有名な『リズム・メロディ・コンセプト』という文章で、坂本龍一が、シンセサイザーというテクノロジーを音楽に導入することで不可避的に「耳」がかわってしまい、そこで伝統的な耳(文化的拘束力)と、新しい耳(テクノロジー)との闘いになる、と書いている文章に触れ、ここで坂本氏が、伝統的な耳と新しい耳のどちらが良いと言っている訳でも、その闘いが必ずしも「良い方向」へ向かうと言っている訳でもないことを示し、坂本氏はただ明確にクールにものをみているのであり、つまりテクノロジーの進歩について上機嫌でも不機嫌でもないという態度を賞賛するのだが、しかしそのすぐ後に、細野晴臣の文章に触れ、リズムとメロディだけ(正確で明確なだけ)では駄目で、コンセプト、つまり《アイディアの領域を超えた内からつきあげてくる衝動のようなもの》が必要なのだと書き加えなければならないのだ。この時期の柄谷氏は、一方で徹底した形式的な探究をすすめながら、他方で神秘主義的なものへの傾倒を露にする。エッセイのなかでも、しばしば催眠術や占星術について触れている。それもいわば、徹底して明確であることによっても、何故「呪術的」なまでの情熱で明解さが求められなければならないのかについては明解には解明されないということと繋がっている。例えば、催眠術にかかって体が硬直状態にあったとしても、意識ははっきりしているし自分では硬直しているとは思っていなくて、誰かが背中に乗っかることで初めてそれを納得できた、という体験が柄谷氏にとって大きな意味をもつのは、明解さを求める「意志」そのものが、誰かからかけられた催眠のようなものであるかもしれないという疑問を、私の「意識」は決して振り払うことが出来ないからなのだ。しかし、神秘主義というのは一見主体の外部を認めるようでいて、実は「神秘」的な説明体系によって外部を取り込んでしまうようなものなのだ。そして、ある体系が必ずどこかで綻びてしまうのは、神秘的な「外部」によるのではなく、たんに「私」とは異なる他者が存在するからなのだ、というのが、『探究』以降の柄谷氏の展開ということになるのだろう。
柄谷氏は、『中上健次全短編小説』を一気に読んだ感想として、《眼の眩む思いがした》と書き、その理由を《一つ一つの作品に、彼の移動、ジグザグな試行、揺れ、跳躍がうかがわれたからだ。その進路はけっして予定調和的ではない。その一つ一つが「暗闇の中での跳躍」なのだ。》と書いているのだが、この時期の柄谷氏の文章、特に書き飛ばされたような短いエッセイの数々からは、それと全く同じようなスリリングな展開が読みとれるのだ。♪粋な黒塀、見越しの松に〜(伊藤大輔の『切られ与三郎』)
02/06/30(日)
●テレビをつけたら、NHKのBS-2でたまたまやっていた時代劇に見入ってしまった。市川雷蔵扮する、何らかの事情(途中からだったので、どんな事情かは分らない)で門付けに身をやつしている大きな商家の若旦那が、行く先々で女性から口説かれ、それがもとでやっかいに巻き込まれ、窮地で女性に裏切られ、酷いめに合うというくり返し(ぼくが観た部分だけで2回それが反復されていた)が描かれる。市川雷蔵の徹底して受け身で抽象的な、月のように希薄な「色男」ぶりに、女性たち(淡路恵子と、もう1人は誰だろうか?)の発する押し付けがましいほどに強調される「色香」が対比され、雷蔵の中性的で無表情でさえあるとも言えるやさ男っぷりが際立つ。たまたまテレビをつけた時に流れていたシーンが、やくざの妾である女(淡路恵子)がつま弾く三味線の音に惹かれて雷蔵が音のする方へ導かれてゆくというシーンで、その2人のカットバックが、どちらもが手にしている三味線のすらっと横に伸びたきっぱりした形態の反復によって接続されている、というモンタージュが面白く、目を惹いたので、おおっと思ってそれからずっと観てしまったのだ。そのすぐ後で、宿屋の2階で障子の外にちらりと夜景の覗く横に長い部屋での、女が雷蔵を口説くいわゆる「濡れ場」のシーンが、生物としての人間がもつ性欲のナマナマしさやリアリティーとは全く無縁の、文化的なコードとしての紋切り型の性的「記号」の交錯のみで成立しているのだが、その紋切り型の組合わせ方、組み立て方や、絶妙な配置によって、約束事だけでなりたっている「時代劇」でなければあり得ないような、抽象的で幾何学的とも言いうる官能性を形づくっていて、その見事な造形性に感心してしまったのだった。広い部屋にポツンと2人きりでいる人物の「距離」の伸縮を、横移動と切り返しを巧みに交えてみせる演出、部屋の中心からややずれた場所に置かれた行灯1個だけを光源としてつくられた照明の設計、女のあたしにそこまで言わせるのかい、とか、後生だからあたしを連れて逃げておくれ、とかいう、徹底した紋切り型のセリフだけでの進行、躊躇する雷蔵と女との距離を一挙に縮める装置として使われる「蚊」、ここぞという時にチリリと音をたてる風鈴、そして2人の関係がのっぴきならないものになったことを示す、風に吹かれてパラパラとめくれ上がる「ちり紙」。とても丁寧につくられた一つ一つの細部は本当に「お約束事」だけで出来上がっているのに、全体として決して「様式美」の退屈さには陥らない見事さ。
この映画は、セットや小道具や照明まで含めた「演出」が、細部にわたるまでとても丁寧で高い技術によって支えられているのにも関わらず、どこか、もう一歩の踏み込みに欠けるような「淡白さ」によって貫かれているように見える。それはつまり、この映画を「傑作」にしてやろうという「野心」の欠如であるのだと思う。これだけの技術スタッフを持ち、これだけ演出の細部に工夫をしながら、こんなに通俗的なおとし所で満足してしまうなて、なんて「勿体無い」、というのがぼくのような貧しい時代に生きる者の感想なのだ。しかし実はこのような淡白さや野心の欠如といったものこそが、この程度の技術的なレヴェルはいつでも軽々とクリア出来るという自信に裏打ちされた、撮影所が機能し、プログラムビクチャーが量産されている時代にしかあり得なかった、余裕げな豊かさ、贅沢さ、というものなのだろう。(恐らくこれは50年代後半から60年代始めくらいの時期に作られた映画だろうと思う。例えば同じくらいの時期でも、小津や溝口や黒沢の映画からは、そのような「余裕げ」な感じはあまり感じられず、執拗さや徹底性、野心のようなものを感じるから、そういう意味でも彼らは「豊かさ」を人と共有しないような特異な存在だったのだろう。)職人的な技術と、それを支える社会的な安定した受容によって成立していたこの種の「豊かさ」とは全く無縁の「現在」に我々は生きている訳だから、このような余裕げな豊さに憧れたり、ましてやそれを再現しようと試みたりすることになど何の意味もないとは思うのだが、それでも偶然につけたテレビなどでこのような作品にぶつかってしまうと、ああ、やはりこれはこれで本当に素晴らしいなあ、と思って見惚れてしまいもするのだった。(番組の終りに出たテロップによると、これは伊藤大輔の『切られ与三郎』という映画だそうだ。だとしたらかなり有名な話で、あの♪粋な黒塀見越の松に〜、という春日八郎の「お富さん」と同じ話ををもとにしたものではないのか。)