『ユリイカ』10月号「村上隆VS奈良美智」(子供ノート/中原浩大の不在)
ギャラリーGANの「IMAI・エロチカ」展
デプレシャンの『エスター・カーン めざめの時』
カナダ大使館のギャラリーの岡崎乾二郎
ある日。
椹木野衣/村上隆とモダニズムへの通路
芸術の自律性/モダニズム/物自体
「今ここ」とは別種の「現在」/リテラルとフェノメナル
「MOMA」展のマティス
横浜トリエンナーレ・レポート
中森明菜と「芸術的な経験」/モダニズムとかフォーマリズムとか
京都芸術センターの岡崎乾二郎について、うだうだつづく話。
『動物化するポストモダン』(東浩紀)を読む/読まない
『ユリイカ』10月号「村上隆VS奈良美智」(子供ノート/中原浩大の不在)
01/10/16(火)
●『ユリイカ』10月号「村上隆VS奈良美智」にさっと目を通した。ひどくつまらない。なかで唯一、知性のまともな使用を感じさせるのがサドッホ(後藤浩子・澤野雅樹・矢作征男)というユニットによる、『子どもノート』という文章だった。これはたんにドゥルーズ=ガタリの文体模写が成功しているというだけでなく、奈良氏の作品に対するきちんとした分析・記述かあり、それをもとにした批判がなされ、批判した上でその可能性の指摘もあり、そこからさらに「子ども」という概念を足掛かりとして、それを様々な問題を接続してゆく(関係づけてゆく)あざやかな手付きがある。(美術批評家の方々も、いきなり誇大妄想な物語を提示したり、些細な事柄に過剰な意味づけをしたりする前に、まともにものを見て、まともに考えてみて下さいよ。)
サドッホによると、奈良氏の作品に描かれた「子供」は、反-大人としての子供、大人に対する否定的な関係によってあらわれるような子供である。だからこそ、絵のなかの子供がこちらに投げかけてくる否定的な視線は、現在の自分に対してどこかしっくりしない違和感を抱えているような「大人」に強く作用する、と。しかしそこで鑑賞者が見い出すのは、現在の自分の否定としての「過去の自分=子供」でしかない。(何か「忘れていたもの」を思い出させてくれた、みたいなアホな感想がでてくるのも理由がない訳ではない。)サドッホは、奈良氏の『YOUR CHILDHOOD』という作品を分析した上で、次のように書く《確かに『YOUR CHILDHOOD』は鑑賞者との相互作用を促している。しかし、それは決して生成変化を強いるものではなく、〈あなたの=私の〉既に停止し死んでいる〈代理=表象〉しか提示せず、過去の私の表象=再現前化の中に鑑賞者を閉じ込める。作品-鑑賞者の連結によって初めて作用する機械であることは明らかなのだが、〈私〉以外の新たな何かが製造されることはなく、言ってみれば、〈私〉だけを生産する小さな工場なのである。》つまり絵のなかにいる、どこか気持ち悪いのにも関わらず愛さずにはいられないような「子供」たちは、結局、今ここにいる大人である「私」の、かつてあった幼年時代にかわって「何か」を訴えてくれている存在(確かフロイトは、グロテスクなものとは、実はかつては自分のなかにあった「親しいもの」であると言っていた)であり、サドッホはそれを「子ども代議士」たちと呼んでいる。(この命名は無茶苦茶鋭い)《少なくとも彼が描いた子どもは、大人が発見した理念としての新たな子ども像(子どもの表象)であって、子どもそれ自体が孕む怪物性でもなければ、子どもへの生成変化でもなく、たかだか新奇な子どもらしさでしかない。》このようなサドッホによる奈良氏の作品の分析は、とてもしっかりとした正確なものだと思われる。
上記のようなしっかりした分析の後、テキストは一旦奈良氏の作品を離れて、徐々に加速してブッとばしはじめる。多重人格者に対する対処の仕方だとか、ナイフを振り回すような若者はちんちんが小さいだとか、鋭く刺激的でかつユーモラスでグロテスクな記述がつづくので、奈良氏の作品に興味のない方にも、一読をお勧めする。(そういえばboidから出ているCD-ROM『ユリイカ・スペシャル』にも、サドッホの文章が載っていた。まだ読んでないけど、楽しみだ。)
●ひとつ気になったのは、美術における「文脈」という意味からも、具体的な作品のテクニックという意味からも、村上氏や奈良氏のようなアーティストが出てくるための土壌をつくった作家であると思われる「中原浩大」という名前がこの特集のなかの何処にも見られなかったのは、どう考えても不当なことのように思う。レゴブロックによる彫刻作品で90年代初頭に注目された中原氏は、その特異な才能で様々な形態の作品を発表し、そのどれにおいても一定の成果をあげるものの、移り気な性格なのか、それらの可能性を平気でそのまま放置してしまった感じがある。特に村上氏などは、その名前がポツポツと聞かれるようになった当初はあきらかに中原一派に属していたはずだし、中原氏から多くのものを吸収し(パクッて)、それを独自に発展させ完成度を高めて行ったという事実は明らかだろう。奈良氏の子どもペインティングも、中原氏の巨大な「海の絵」シリーズや、小さなカンバスにクレヨンや色鉛筆で描かれたドローイングなどと深い関係があるのは明らかだと思う。と言うか、中原氏の作品こそが、奈良的なものがアートという文脈にあらわれた最初だと思うのだ。にも関わらず「中原浩大」という名前がないのは、何か政治的な力でも働いているのだろうか。ギャラリーGANの「IMAI・エロチカ」展
01/10/17(水)
●しかし、何よりも凄いのは、ギャラリーGANの今井俊満だった。昨年、ガンで余命数ヶ月と宣告され、すでに「サヨナラ」と題された展覧会や「フィナーレ」と題されたイヴェントが行われてしまっているのだが、その後も、身体の器官の多くを摘出されながらも奇跡的に生き続けて、しかも制作を精力的につづけているという今井氏の新作は、昨年の「サヨナラ」展でみせた『エロチカ』の、野放図で自由で人を食っていて明るくて乾いている性の饗宴から、またさらに一歩突き抜けていて、どこまでも明るくて一点の陰りもないのと同時に、殺戮と惨劇の匂いも漂わせているというような、どうにも言葉では表しようのない「物凄い」ものなのだった。正直ぼくは、画家としての今井俊満をそれほど高くは評価してはいないのだが、半分死にかけていると言ってもいい、まさに最晩年に、ここまでの作品が産み出せるというのは、やはりとてつもなく大きくて偉大な人なのだなあ、と恐れ入るしかない。
昨年の12月に行われた「サヨナラ」展では、巨大な画面に自由闊達な線で、携帯に厚底ブーツのシブヤのコギャルたちによる、果てることのない性の営みが縦横無尽に描かれていて、観る者すべてを唖然とさせるものだった。しかしそこには風俗に対するハンパな目配せや、彼女たちに性的に強く吸引されながらも、自らの面目を保つために眉をひそめてみせたりするオヤジ的なセコイ心性など微塵もなく、まさに今や死につつある画家今井が、描くことによってコギャルに、と言うかコギャルを貫いている性的なエネルギーそのものへと「生成変化」しているとしか言い様のない、晴々とした、アッケラカンとしたナンセンスの強度に満ちていたのだ。そこには、我々がつい囚われてしまう「萌え」などという感情がいかにセコいものであるかが、乾いた風の吹く世界の向こう側からガハハと豪快に笑いとばすように示されている。とは言っても、ここで描かれる「女たちの饗宴」はあまりに理想化されたものであって、こんなものは半分あの世からこっちを観ているような老人だからこそ描けるようなものに過ぎない、と言えてしまうような側面もあるにはあった。(晩年の今井氏は一方で陰惨な「戦争(広島や南京)」をテーマにした作品も制作していて、つまり「男たちの世界」である「陰惨な戦争」が一方にあり、それに対してやや理想化されているきらいのある「女たちの世界」としての「性の饗宴」があり、21世紀は「女たちの世紀」になるとのことなのだが、実際には残念ながら、21世紀も「男たちの戦争」によって染め上げられてしまいそうな気配が濃厚なのだった。)
しかし、今年になって制作された2m×10mにも及ぶ大作『The para para dancing』は、理想化された性の饗宴が自由闊達にアッケラカンと描き出されているというものとは少し違った様相を帯びている。巨大な画面のなかでパラパラを踊っている、服を着ていたり裸だったりするコギャルたちを描き出す描線は、自由闊達というよりは混沌という感じが強くなっており、ダンスする女の子たちの身体も、見方によっては歪んだようにねじ曲げられ、バラバラに切断されているようにさえ見える。そこにさらに、『egg』から切り取られたようなコギャルの写真やエロ写真、浜崎あゆみの写真などが、部分対象のように切り刻まれて夥しくコラージュされている。この大画面に夥しく乱舞する切り刻まれたような身体や線は、まさにガン細胞の摘出のためにそこいらじゅう切り刻まれた今井氏の身体とコギャルの身体との連結によって産み出されたのだろうが(しかしそれは同時に増殖するガン細胞そのものでもあるように見えもする)、ここでは最早、生=性の実験=探究としての「女たちの饗宴」がただ謳歌されているだけでは済まなくて、そのような生の探究が同時に「死」と隣り合わせにある他ないという所にまで至っている。しかしここでの「死」とは、文学的、哲学的な、つまり人間的な色彩に染まった死ではなく、たんなる器官の切断であったり、機能停止であったり、崩壊であったりするような死であって、それはどこまでも明るく乾いていてどのような暗さとも湿気とも無縁のものだ。抽象表現主義的なオールオーヴァー風描線で描かれるコギャルたちの身体の形態は、形態が図として閉じてしまうことなく画面のなかで地の部分と分離せずにつながっている。それはコギャルたちの行う生=性の探究がそのまま死と地続きであることに対応しているだろう。死とはたんにある器官の運動の停止であるに過ぎない。物理的な世界においては生も死も同等なのだ。生と死の境界線を彷徨いながら、描くという行為によって、ダンスするゾンビのような身体(或いは、たんなる肉塊)へと生成変化する画家今井。
『The para para dancing』という作品が、普遍性をもった「傑作」と言い得るのかどうかは正直ぼくには判断が出来ない。ただそれを目の前にして呆然自失するだけだ。しかしとにかく、これだけのものはそうそう観られるものではないということは確かだ。こういう人がいて、こういう作品があり、こういう体験が出来るからこそ、「芸術は偉大なのだ」という、大時代的なことを胸を張って言うことができるのだ。デプレシャンの『エスター・カーン めざめの時』
01/10/21(日)
●日比谷シャンテ・シネでデプレシャンの『エスター・カーン めざめの時』。この映画については、ちょっと別の場所に書くかもしれないので、ここでは少ししか触れない。(でも、こんな言い方が、あまり増えてしまうと、この日記の意味が無くなってしまうのだけど。)
雑誌『ユリイカ』に掲載されていたこの映画についてのデプレシャンのインタビューで、アサイヤスの『感傷的な運命』との類似を指摘されたデプレシャンは、友人の映画について語るのは難しいと前置きをした後、『感傷的な運命』の主人公は(例えば「夫婦喧嘩はするな」と言う言葉を金科玉条にしているような)保守的な男であって、保守的な男というのは結局伝統の犠牲となってしまう(それが「運命」と言うことなのか?)のに対して、エスター・カーンは何かに向かってまっすぐ進んでゆくような反逆児(伝統から外れてゆくようなベクトルをもった存在)なのだと言っていて、つまり「友人」であるアサイヤスに対してハッキリ批判的な態度を表明している。そしてこの態度の違いは、かなり大きなものであるように感じる。
アサイヤスの映画は観ていなので例を変えるが、例えばぼくは、天沢退二郎が訳しているアンリ・ボスコという作家(『マリクロア』『シルヴィウス』『骨董商』など)が結構好きで、時々うっとりと読んでしまったりするのだが、ボスコが描いているのは言ってみればある共同体なり一族なりと言うものが持っている「時間」や「記憶」の圧倒的な厚みや豊かさのようなものであり、そこにあるのは「伝統」というものの豊かさのなかに埋没しているような「個」の姿である。と言うかボスコは始めから「個」としての人物を描こうとはしていなくて、ここで柄谷行人の口真似をするならば、ボスコは、個別的なもの(個)と一般的なもの(類)を結合するような中間項としての一族や共同体(つまり「民族」)の「記憶=伝統」を描こうとする、ヘーゲル的な作家なのだと言えるかもしれないのだ。ボスコの小説は、とても濃密で豊かなニュアンスに富んだ「物質」で満たされているのだけど、その「物質」は唯物論的なものと言うよりも、共同体の記憶=伝統の内部に、記憶=伝統と分かち難く結びついた物としてあるような「物質」であって、だからこそ無限に豊かなニュアンスと共に存在することができるのだろう。(ロマン派的な民族の「記憶」による、豊かな「物」。)ぼくという個人は、そのような「豊かなニュアンス」に対してちょっと過剰なくらいに反応してしまうようなところがあるのだけど、つまりはそういう心性を「保守的」と言うのだし、そういう「保守的な男」は共同体の記憶のなかに埋没してしまうしかなく、「結局伝統の犠牲となってしまう」しかない、とデプレシャンは批判的に言っているのだ。
周知のように柄谷は、ヘーゲル的な、個別性-一般的性という対立に対して、カントによる、単独性-普遍性という対立をおく。そして、個別性と一般性の間を繋ぐには媒介(特殊性)が必要なのに対して、単独性と普遍性は、絶えざる道徳的な決断の反復によってしかつながらない、とする。パブリックであるためには、共同体のなかではその都度個人的に振る舞うしかない、と。当然、『エスター・カーン』という映画は、媒介的なものの豊かさのなかでたゆたうような映画ではなく、絶えざる決断を強いられるという不連続で苛酷な環境に関わる映画であるだろう。エスターの、家族やユダヤ的なものに対する不自然な関係や、ファミリーネームに対する異様なこだわりは、「共同体のなかでその都度個人的にふるまうこと」と密接な関係があると言えるだろう。ユダヤ的な環境のただなかにいて、ユダヤ的なファミリーネームを保持したまま、そこから突出してゆこうとするエスターの身体のあり方は、シネフェリーの本場のただなかにいて、シネフィル的な伝統や抑圧を丸抱えにしながらも、そこから突出してゆこうとするデプレシャンのあり方と深く関わっているとも言えるだろう。カナダ大使館のギャラリーの岡崎乾二郎
01/10/23(火)
●今、カナダ大使館のギャラリーでやっている、アーティスト・イン・レジデンス関係の展覧会で、岡崎乾二郎氏の72点にも及ぶパステル画が展示されているらしい。らしい、と言うのはぼくはまだ観た訳ではなくて、浅田彰氏情報(http://i.tosp.co.jp/BK/TosBK100.asp?I=tcreate&P=0&SPA=10)だからだ。浅田氏はそれを「晩年のモネからフォーブに至る画家たちを思わせる自由なタッチで描かれながら」「圧倒的な密度をもつ」と述べて、それに比べて朋友である松浦寿夫氏の絵画作品を愛すべきアマチュア的な次元に留まっている、と書いている。その72点のパステル画は是非観てみたいし、とても楽しみなのには違いない、しかし、まだ観てもいない作品について難くせをつけるのもどうかと思うのだか、ぼくは「画家」としての岡崎氏の才能をイマイチ信用してはいない。「画家」という意味でなら、アマチュア的な次元に留まっているからこそ、逆に松浦氏の方が本格的だとさえ言えると思う。(実際に観て素晴らしかったら、すぐにでも謝ります。)以前どこかで浅田氏は、中村一美という画家について、岡崎理論を使用しながらも、岡崎氏よりセンスが悪いから、ドロドロの画面になってしまう、みたいな事を言っていたと思うのだが、たとえ中村氏が岡崎氏よりもセンスが悪いということが事実だとしても、岡崎理論を絵画に応用するとすれば岡崎氏では駄目で、やはり中村氏でなければならないのだ。(ぼくは最近の中村一美氏の作品は評価しません。ここで言っているのは80年代終り頃から90年代初め頃までの作品のこと。ちなみに、中村氏は「岡崎理論を使っている」とは全く考えてはいないと思うけど。)ここらへんに、われわれが実際にそこに生きている3次元空間とは異なる、2次元の平面によって表現することに独特の、不思議な抽象性のようなものがあると思う。もしかしたらぼくは、ものすごく下らないことにこだわってしまっているのかもしれないのだが、「画家」としてのぼくは、どうしても「絵画」というメディウムに独自の感触のようなもの(あえて言語化すれば、2次元によって「空間」を表象すること。しかしそれは独自の歴史的な展開によって3次元的な空間とは別種のものとなった、抽象的な「空間」の感触なのだった。)を、相対化することが出来ないのだ。ぼくには、岡崎氏の刺激的な才能は、絵画作品においてではなくて、彫刻や建築などの立体的な作品においてこそ生きると思えるのだ。と言うか、立体的な作品によってこそ、氏の絵画的な感性が生かされる、という感じと言うのか。(とは言え、最近巷に氾濫している、安くてゆるーいポップ系の絵画とは比べ物にならないくらいに貴重で観応えがあるのだろう、ということは多分間違いないと思うけど。)
●カナダ大使館ギャラリーで『ダイアローグ2001』展。岡崎乾二郎の72点にも及ぶドローイングを観るために。まず最初に謝罪しなければならない。10/23の日記で、ぼくは《「画家」としての岡崎氏の才能をイマイチ信用してはいない》とか書いているのだった。しかし、この展覧会に展示してある岡崎乾二郎氏のパステルによるドローイングは、岡崎氏がまさしく「画家」であることを示している。だがそれは、浅田彰氏が書いているように、その作品が「圧倒的な密度をも」っているからではない。たんに力量という点から言えば、このくらい描ける人は他にもいるだろう。(それに、このくらいの小さな紙のドローイングだと、ちょっとした「手のコツ」さえ憶えてしまうと、自分でもびっくりするくらいイイ絵が描けてしまうことが結構あって、それに「酔って」しまいがちだという、危険な罠でもあるのだ。)そうでなく、これらの作品は、岡崎氏がまさしく「絵画マニア」であることを、あられもなく露呈させてしまっている、という点に、ぼくは驚かされたのだ。これらのドローイングには、あの知的で刺激的な『ルネサンス・経験の条件』を書いた岡崎氏の面影はどこにもなく、ひたすら「マニア」であることの歓びにだらしなく淫している岡崎氏ばかりがみられるのだ。大量に展示された作品の、一点一点をじっくりと眺めていると、今までぼくが観てきた様々な「絵画的記憶」が豊かに掘り起され、それらがゆっくりと増幅してゆき、それが再び岡崎氏の絵画に返されてゆく、という経験をすることになる。様々な画家の固有名が次々に浮かんできては、それらがしばらく幽霊のようにそこらにたゆたって、また消えてゆく。ここにある作品たちのなかには、モネがいる、ルドンがいる、ボナールがいる、ちらっとマティスも、ゴーキーが、最良の時期のデ・クーニングが、初期のロスコが、あれはフィリップ・ガストンなのだろうか...もしかしたら岡崎氏は岡田謙三なんか結構好きなのかも、山田正亮が、辰野登恵子が、松浦寿夫が、朝比奈逸人なんかもいるぞ、...なんてセンスのいい、しかしなんともマニアックな。ここに列挙した画家たちの作品を形式的に「引用」している、というのではないのだ。そうではなくて、今までに沢山観てきたであろう様々な「絵画的記憶」が貯蔵してあるとしか言い様のない貯蔵庫のような場所から、誰のどの絵という訳ではなく立ちのぼってきた不定型のものに、ふとそれらの画家たちの面影がよぎっている、という感じなのだ。これだけの豊かさは、ちょっとしたお勉強くらいで一朝一夕に獲得できるものではなく、岡崎氏が、本当に本格的に「絵画マニア」であることを証明するものなのだ。何だかんだエラそうなことをホザいても、結局のところイカれた「絵画マニア」でしかないぼくなどには、琴線を刺激されっぱなしの超涙ものの作品たちなのだった。
しかし、いつもシャープで刺激的で挑発的で、あえて「貧しさ」を選択してきたような岡崎氏が、このような作品を、ここまで堂々と「絵画」に淫してしまうような作品を、発表するというのはどういうことなのだろうか。(描くには描くけど人には見せない、というなら凄くよく分るのだけど。)これは「開き直り」なのか、ちょっとした「遊技」のつもりなのか、それとも「衰弱」とか「老い」とかいうものに関わることなのだろうか。何はともあれ、ここまでやってしまったのだから、「小さな紙へのドローイング」とかセコいことは言わないで、もっと徹底して、白痴状態で絵画にまみれるような作品を作って頂きたい。一方で批評とか建築とか、そういう知的な仕事をしていれば、バランスもとれるだろうし。いや、そのような「白痴状態で絵画にまみれる」作品は、ぼくが自分でもう少し年老いてからやるつもりだから、岡崎氏には遠慮して頂いた方がいいのか。ある日。
01/10/19(金)
●1階のロビーは、内側(中庭側)に向いた一面がガラス張りになっている。常緑樹の濃い緑の葉の一枚一枚が、上から降ってくる光を眩しく反射して、キラキラしながら風に揺られている。タイル敷きの地面も、強い光で露出オーヴァーみたいに真っ白くて、そこに木の影が黒々と落ちている。中庭の中心には小さな池と金属のオブジェがあって、木はそのまわりに6本ばかり立っている。視線は正面に建っている3階建ての建物に遮られているけど、目の位置をやや下げると、水色の空が辛うじて細長い帯のような形で見える。それらの風景は、縦横にはしる窓枠によって格子状に仕切られている。建物の内側が薄暗いので、外の光が一層明るく、眩しく感じられる。自動ドアのセンサーがいかれているらしくて、誰も人がいないのに時々ドアがウイーンと開く。開いたドアからは、思いのほか冷たい風がドッと吹き込んでくる。
01/10/24(水)
●蛍光色にさえ見えるほどだった黄緑色の勢いがやや弱まって、少量の黄土色を混ぜ込んだような色彩になってやわらかく拡がってる芝生。その芝生を取り囲むようにして立っている桂の木々。ハート型をした桂の葉も、黄緑色から黄土色、黄土色から赤味の強いオレンジ色へとゆるやかに目に染み込んでくるようなグラデーションをつくっている。なかに一本だけある、それについている葉のすべてが見事に赤く(カドミウム・レッド・オレンジ)染まった木が目立っている。木々から落ちた葉の暖色が、芝生のところどころに散らばっていて、その暖色との対比が、やわらかな黄緑色を活気づけている。桂の木々が発している、甘い蜜のような匂いには、ほんのわずかにツンとするような刺激的なものが混じっている。大勢の子供たちがはしゃいでいるようなカン高い声が、遠くから風に運ばれてくる。そのなかでひときわハッキリと聞こえる女の子の声が、「てゆうかぁー、てゆうかぁー、てゆうかぁー、てゆうかぁー」と語尾を上げたり下げたりしながら繰り返していた。
01/10/27(土)
●美容院で美容師(女性)が、「床屋さんって行ったことありまか?」と言うので、「子供の頃とかは行ってましたけど」と答えると、「この前、友達になった人がたまたま床屋さんだったんですよ、で、マッサージしてやるからちょっと寄っていきなよ、とか言われて初めて床屋さんのなかに入ったんだけど、面白いですね、シャンプー台が前にあるんですよね」「ああ、そうですね、こう(前屈みになる)ですよね」「でもそれじゃあ、シャンプーが顔の方へダラダラ垂れちゃいますよね」「ええと、どうだったか、もう随分前のことだから憶えてないけど」みたいな話をしているうちに、ぼくが昔、子供の頃に通っていた床屋「クロサワ理容室」の内部の光景が、そこのオヤジの四角くて鬚の濃い顔や、意味なく振り掛けられるヤナギヤのヘアトニックの匂いまで含めて、次々と思い出されたのだった。たしか順番を待っているソファーと髪を切るイスの置いてある場所との間に大きな水槽があって仕切られていて、でもそこにいるのは熱帯魚なんかではなく普通の金魚とか多分近くの川で取ってきたフナとかで、しかも水がいつも青く濁っていて、その水がツンと臭っていたような。バリカンが後頭部を滑ってゆく時の冷たいくすぐったい感触、鏡の前の台に取りつけてある鉛筆削りみたいな形の機械から白くてフワフワしたシェービングクリームがウィーンと出てくる様子、カミソリで顔を剃られるのが痛くて、瞼を押さえ付けられて目と眉の間を剃られる(子供の顔にそんなことする必要があったのか?)のが恐かったこと、何故か人体解剖図のポスターが貼ってあったこと、ビニール張りのソファーが半ズボンから出ている股にペタッと貼りついてしまう感じ、いつもラジオがデカい音でついていたこと(毒蝮三太夫とか、玉置宏とか、そんなんだ)、いつも長々と待たされて黄ばんだ半透明のレースのカーテン越しに窓の外を眺めて退屈いたこと、結局いつもトラ刈りにされて翌日学校で友達に馬鹿にされたこと、等等、数珠つなぎに出てくるのだが、それら記憶は一体本当に確かなものなのだろうか、というと全く自信がないのだった。
01/10/28(日)
●濡れたアスファルト。雨。ずっとまっすぐにつづいている道の両側に茂る、青々と葉をつけている常緑樹に混じって、まだら模様をつくるように真っ赤に染まったもみじの木がところどころにみられる。しかしそれは、実はもみじではなくて、「アメリカフウ」(別名「モミジフウ」)という、基本的にもみじとは全くちがう種類の木だそうだ。(モミジの仲間と違うのは、葉が互生しているところ。)とても鮮やかに紅葉するので、モミジモドキみたいにしてしばしば街路樹に使用されるらしい。道端に、竹で編み上げてつくられた、大きな行李というのか葛籠というのか、とても大きい箱状のものが置いてあり、そのなかに、掃いて集められたのたろう落ち葉が、みっしりと詰まっていた。雨に濡れた落ち葉は独自のにおいを発しながらしんなりと納まっていて、たがいに密着しながら無駄な隙間なく高密度でひしめいているのだった。
01/11/2(金)
●晴れた空にひこうき雲が幾く筋もはしる。くっきりとしているものや、すこしバラけ気味のもの。パラパラと音をたてて飛んでゆくヘリコプター。ややくすんだ、不透明な感じのする水色の空を背景に、黄金色の葉っぱが、花火が散るように(重ならないで隙間をもって、勿論その隙間からは空の青がチラチラのぞいている)拡がっている。中心部から深い紅色に染まり、周縁部にわずかに黄色い部分を残している落ち葉が、道の上に散らばっている。されを踏む時の感触。小学校の校庭の隅にある、大きな銀杏の木のゴツゴツした幹に、その前を通るたびに掌で触れる。緑色の葉にも、どことなく黄土色が混じった感じがする。空き地に生えている雑草の、多くの面積をススキが占領している。乾いた草のにおい。
駅からアトリエまでの、歩いて約10分弱の間に目から(感覚から)入ってくる、これらのものたちの「豊かさ」を、ぼくは自分の作る作品から排除することが出来ない。と言うか、それによってしか作品を構想できない。確かにこれは「豊かさ」であるのだが、それと同時に「枷」でもあるようなものなのだ。しかしぼくの場合は、ともかくもここから出発するしかない訳だ。
01/11/4(日)
●中庭にある卵型の小さな人工の池。深さが20センチほどしかないこの池には、晴れた日射しが当っていて、底に敷いてあるタイルの模様までが薄い水の透明な層を通過した光でくっきりと照らされて見えている。まわりに立っている木の葉が落ちて水面に浮かび、その葉っぱの影が明るく光の当っている水底に黒く濃く落ちていて、葉とその影が一定の距離を保ちながらもそろってゆっくり、グルグルと移動しているで、池の水が循環しているのが分るのだ。池のある中庭からまっすぐに伸びているけやき並木のある道は、タイル敷きの地面が隠れてしまうほどに赤や黄色やオレンジ色の落ち葉で覆われていて、冷たい風が吹くとそれらが一斉にザザーッと乾いた音をたてて舞い散るのだった。
01/11/9(金)
●朝から冷たい雨になる。随分と寒くなった。毎年、今頃の季節になると、何故か無性にアイスクリームが食べたくなる。駅前のスーパーと、電話料金を支払うための近くのコンビニと、延滞ビデオの返却へ行ったほかは、(雨に閉じ込められたみたいに)ほとんど部屋から出ることはなく、だからといって部屋で何をした訳でもなく、うだうだ過ごした日。遅い時間に行ったスーパーで、ただ「半額」だったからという以外に何の積極的な理由もなく、なんとなく買ってしまった「さんまの刺身」が、ちょっとびっくりするくらい美味しかったというほかには、とりたてて何もない1日。(「半額さんま」の以外な美味しさというのは、東海林さだお的な歓びという感じだった。そういえば金井美恵子がエッセイで、東海林さだお的な「セコさ」と、バルト的な「繊細さ」との関連性を指摘していたと思うのだが、それは結構本質的なことかもしれない。東海林さだおとロラン・バルトの違いというのは、たんに背景にしている「文化」の違いに過ぎなくて、実は本質的には同じようなものなのかも。とかなんとか...。)
01/11/23(金)
●何という名前の木か知らないけど、オレンジ色から朱色にきれいに染まった葉っぱが落ちもせずに枝じゅうにびっしりとついていて、ちょうど向こう側の空に照っている太陽の光
がそれらの葉に射していて、葉の裏側からあたっている光が葉を通過してこちら側まで届き、オレンジ色や朱色がまるで発光しているようにキラキラして見えて、それらが濃く真っ青な空の背景によって、よりいっそう際立って輝くように見える。近くに寄って見ると、日の光に透かされて葉脈がくっきりと見えるそれらの葉の多くは、虫に食われてゲジゲジな形をしていた。
常緑樹の葉の多くが、その緑の勢いが衰え、黄色味に侵されぎみで脱色されたように見えるなか、建物の裏側に1本だけ生えているヤマモモの木だけは、真夏とかわらないような沢山の深緑色の葉を、鬱陶しいほどたわわに、重たく垂れ下がるほどにつけている。建物の表、レンガ敷きの道は、しんなりと炒めたタマネギのような色のイチョウの葉で埋まっている。椹木野衣/村上隆とモダニズムへの通路
01/10/29(月)
●『ユリイカ』10月号の椹木野衣の文章をパラパラ見返しながら、ぼくは何故椹木氏の書くものに対して、こんなに感情的に反発してしまうのだろうか(かなり鋭いことも言ってるのに)と考えてみたのだけど、それは多分、椹木氏には、「モダニズム」への通路がないからなのではないかと思った。椹木氏は確かに、現代の世界のアートシーンには非常に通じているだろうし、異種混合のサブカルシーンにも詳しいだろう。ことにロックに関する知見には並々ならぬものがあるみたいだ。でも椹木氏は、美術の(狭義の)モダニズムには一切感心をもたない。恐らく椹木氏は、クールベやマネ、モネ、セザンヌ、マティスといった画家たちに、一度でも心を動かされたことなどないのだろう。もしそうならば、つまりセザンヌもマティスも既に過去の「古典的な巨匠」に過ぎず、現在では何のリアリティーもないのだとするならば、村上隆でも奈良美智でもできやよいでもクリス・カニングハムでもOKということになるのは当然だろうし、椹木氏が目指す「更新された新しいアート」が、「読売アンパン」的なアノニマスなものだというのもうなずける。そして、事実世界のアートシーンは、そのように動いてもいるだろう。
しかし、19世紀後半に集中して現れた偉大な画家たちの作品に、一度でもヤラレてしまった者は、そう簡単にはいかないのだ。(いや、19世紀に限らず、美術史上の「偉大な芸術家」に魅了されたことのある者は、と言い換えるべきか。)偉大なものに魅了されるというのは、つまりそれによって「抑圧」を受けるということなのだ。そのような「抑圧」などまるでなかったように、それを簡単に解消させてしまうのならば、ハイアートとサブカルチャーとの境界など実は虚構のものに過ぎず、今や異種交配で凄いことになっているのだ、という言説を簡単に受け入れることができるのだろう。勿論、その言葉は決して間違ってはいない。現代に生きていて作品をつくる以上、それは不可避であるだろう。そのような意味で、例えば村上隆氏の仕事はなかなか立派なものだし、一定の尊敬や敬意が払われなければならないとも思う。でも、もし「美術作品」というものから、ぼくがセザンヌから得たような「経験」を得ることが出来なくなってしまうとしたら、そんな「美術」に参加している意味などなくなってしまう。なにもセザンヌのような絵を描くべきだ、と言っている訳ではない。なにしろ、ぼくはセザンヌではないのだし、セザンヌ以外は誰もセザンヌではないのだから。そうではなくて、どんな作品を作るにせよ、作品が結果としてどんなに解体されたものになろうと(セザンヌ自体が既に解体されちゃってるけど。)、セザンヌを観たという「経験」を決して忘れない、と言うか、なかったことにしない、ということは重要なのではないか。(ある程度「美術史」を背負わざるを得ない、と言うこと。そしてその上で、できればそれを突き抜けて行かなければならないのだけど。でも、「世界」は「日本人」にそんなことを全く求めてはいないよ、とは、よく言われる事なのだが。)お前はそんなことを言うけど、例えば村上隆だって、「『宇宙戦艦ヤマト』を観たことを決して忘れない」とか言うはずだ、ということはあるかもしれない。しかしその時は、反感をかうことを承知で、『宇宙戦艦ヤマト』とセザンヌとは根本的に違うのだ、と断言しなければならないだろう。たとえそれが虚構に過ぎないとしても。ぼく自身が、『宇宙戦艦ヤマト』から少なからず影響を受けているのだとしても。(ぼくには、「スーパーフラット」というコンセプトは、アニメやサブカル的な文脈で考えられるより、セザンヌやマティスとの関連で考えられた方が、より刺激的で、創造的だと思える。)
01/10/31(水)
●ちょっと思う所があって、1990年に青山の東高現代美術館という場所で行われ、大学時代のぼくに少なからず影響を与えた、『絵画/日本・断層からの出現』という展覧会の図録をパラパラとめくっていた。これは、明らかにモダニズムの流れのなかにいる中村一美、松浦寿夫という画家と、モダニズム的な文脈を共有しないと思われる中原浩大、松本春崇といった画家が同時に展示されていて、70年代以降の日本の美術批評において、藤枝晃雄氏なとどとともにモダニズム的な批評の中心人物でいながら、単純にモダニズム的な「趣味」とも言い切れない、「ヘンな趣味」を打ち出す批評家、峯村敏明氏の企画ならではの、何とも妙な取り合わせの、不思議な展示だった。峯村氏の意図がどこにあったのかはともかく、この展示で面白かったのは、モダニズムなどとは無関係に作品をつくっているはずの中原浩大や松本春崇の作品が、案外、モダニズム的な文脈として観ても面白く観ることのできる、両義的な、懐の深い含みをもった作品であることが、中村氏や松浦氏の作品と並べられることで判明した、というところだったように思う。
ぼくは10月16日の日記で、『ユリイカ』10月号が、村上隆や奈良美智の作品に明らかに大きな影響を与えているにも関わらず、中原浩大という名前に一言も触れていないのはフェアではない、と言うことを書いたのだが、改めて観てみると、中原氏の87年から90年くらいの時期に制作されたペインティング(ドローイング)はとても面白く、ぼくの目には村上氏や奈良氏の作品よりも、明らかにずっと優れたもののように見えるのだった。(村上隆本人はともかく、村上氏の周辺にいる若手のアーティストの作品などは、ほとんど中原氏の超ヘタクソな焼き直しにしか見えない。彼らは村上氏を通して中原氏の影響を受けているのであって、中原氏のことを恐らく知らないのだろうけど、すくなくとも村上氏は中原氏のことを知っているはずで、そのことについてどう考えているのだろうか。)
で、中原氏と村上氏との違いはどこにあるのだろうかと考えてみると、やはりそれは「モダニズム的な無意識」の有無、ということになるのではないかと思う。中原氏は、意識的にはモダニズムなどというものには何の関心もないのだと思うのだが、倉敷市出身である中原氏は、小さい頃からことあるごとに大原美術館を訪れていたという。大原美術館というのは、地方の小さな、個人収蔵をもとにした美術館に過ぎないのだけど、規模は小さいながら、日本で最も「趣味の良い」収蔵作品を持った美術館だと言えるだろうと思う。(有名作家の詰らない作品ばかりを集めているという印象の、国立西洋美術館の松方コレクションとは対照的に、小さくてマイナーながら、質の高い作品が集められている。)中原氏はそこで、幼い頃から「モダニズム的な無意識」を、呼吸するようにして形成していたのではないか。対して村上氏は、アニメ・オタクから芸大日本画科という、おおよそモダニズムの入り込む余地のない行程で美術家となった訳だ。逆に言えば、半端にモダニズムなどとのかかわりを持たないことが村上氏の美術家としての最大の強みでもある。作品の「趣味の良さ」などには全く関心を持たずにズンズンと突き進んでゆくカッコ良さが村上氏にはあるのだ。そして、中原氏が現在、やや目立たない場所へと追いやられてしまっているのは、その「豊かなモダニズム的な無意識」のためとも言えるのであって、時代は増々、モダニズムから遠く離れてゆくのだろう。しかし、にも関わらずぼくには、美術がモダニズムを棄て切ってしまうことが、その「意味」を棄て切ってしまうことにつながると、どうしても感じられる。だからと言って「モダニズムへ還れ」とか、そういう単純なことでもないので、とても微妙ではあるのだが。(追記・村上隆氏とモダニズムの関係については、12月22、23日の日記で触れています。)芸術の自律性/モダニズム/物自体
01/11/3(土)
●95年に出た『批評空間』の別冊「モダニズムのハード・コア」の冒頭に載っている座談会に、現代の美術の状況を的確に現した発言があったので引用する。例によって岡崎乾二郎の発言。
《つまり内容規定のないことが芸術の自由だということで、その証明のためにキッチュを含め、あらゆる文化現象を参照しようって具合に、ただ中味だけをコロコロ替えつづる羽目になり、中心にあるのはたかだか「芸術は、何でもありの空虚な枠組みである」っていう単純な思い込みにすぎないわけで、その枠組みである形式は問われずに固定したままだから、かえってリファーした内容に規定される羽目になり、ついには、ただ天皇に触れたといっただけで話題になるという状況になる。つまり美術固有の形式って言っても、単にプレゼンテーションの技術だったってことで、こうして駄目になっちゃうわけですよ。》
これは94年になされた座談会なので、《ただ天皇に触れたといっただけで話題になる》と批判されているのは柳幸典のことなのだが、例えば現在の村上隆などは、「天皇制について大して考えてもいないし、ろくに知りもしないのに、何となくインパクトがありそうだからそれを主題としてしまう」というような愚は犯さずに、「日本」をウリにするためにもっと有効な「オタク的なもの」を主題としているし、プレゼンテーションの技術という意味でも格段に洗練されている訳なのだが、それにしても基本的には何もかわっていないと言える。
それに対してグリーンバーグは、「芸術の自律性」を主張する。このことについて、柄谷行人がカントに絡めて、とても重要な発言をする。
《さきほどの芸術領域の確定の問題ですが、カントの場合、一方は科学、もう一方は道徳に対してそれを考えていたんですね。そのどちらでもない領域に美的判断力を置いている。その後、科学というのが社会科学を含むようになり、道徳というのが社会正義の問題になった。つまり、いわゆるマルクス主義という形で影響力をもったのは、実は科学と道徳だとぼくは思うんです。そのなかであらためて芸術の領域を確定しなければならなかったわけですね。グリーンバーグが言っているのは(...)芸術の領域を確定しようとしたわけでしょう。それに対して、いま言われた最近のPCは、いわば道徳の優位なんですよ。それに対して、芸術の自律性を言う人はいないんですか。》
美的な領域が、あらかじめ存在しているという訳ではなくて、一方に科学があり、もう一方に道徳があって、そのどちらにも解消し切れない残余を示し得た時だけ、美的な領域が発生する。(さらに柄谷的な補足を加えれば、その時にも、科学や道徳は決して無効になる訳ではなく、たんに括弧にくくられる。)モダニズムの芸術というのは、このような領域においてしかあり得ない。それはいわば「マルクス主義」のようなものとの緊張関係によって成り立っていたとも言える。しかしマルクス主義に力がなくなってしまうと、そこには一方で「科学」の代用としての資本主義的な市場の論理があり、もう一方でPCやカル・スタというような社会正義としての「道徳」の領域があり、美術はそのどちらかに完全に回収されてしまったかのようだ。(例えば村上隆の作品にみられる「オタク的なもの」は、一方で「日本」というマイナーな場所に固有のアイデンティティーを代表するものとして認知され、他方で資本主義的な良く出来た商品として流通するのだが、それ以外に、プレゼンテーションの技術的洗練という他に、あるいは幼稚な欲望の垂れ流しという他に、何があるのだろうか。)柄谷の《それに対して、芸術の自律性を言う人はいないんですか。》という問いに、岡崎は《たまには言いたいんですけどね(笑)》、浅田彰は《グリーンバーグもジャッドも、言いながら死んでいったわけでしょう(笑)》という力のない答えを返すことしか出来ない。しかしそこでも柄谷は、「物自体」が我々の感覚に「触発を強いる」ということから、ある意味素朴とも言えるような力強さで「芸術的(美的)な領域」を信じているように思える発言をする。岡崎が、芸術の自律性を対象の自律性へとスライドさせることに有効性はないという発言に対しての答え。
《対象は消してもいいけど、カントの場合、われわれを触発するものに対する受動性はどうしても外せない。それで物自体を強調することになるんです。対象なんていうのは主観が構成するんだからどうってことはない。しかし、その元にはやはり受動性があるんだ。純粋悟性あるいは主観の能動性だけではやれないんだ、と。物自体ということを言い続けるのは、その受動性を保証するためで、物自体をとってしまうと、受動性もなくなるんですよ。むしろ、対象と言ってしまうと、受動性が消えるんですね。》
これはグリーンバーグ以降のモダニズム批評に対する痛烈な批判であると同時に、現在でもなお、モダニズム的なものを信じることを可能にしてくれるような、力強い言葉でもあるだろうと思う。「今ここ」とは別種の「現在」/リテラルとフェノメナル
01/11/5(月)
●「作品」というものに対する時の態度として、二つの態度の対立という古くさい図式がある。作品を、完成されたものとしてみるのか、それとも、それが生成しつつある時のプロセスを重視するのか、という対立だ。あくまで作品の完成度を重視する古典的な作品に対して、結果ではなくプロセスそのものを重要視するアバンギャルドとか。例えば松浦寿輝氏のような聡明な人でさえ、このような思考の枠組みからは自由ではない。『官能の哲学』に収録されている「表象と確率」において松浦氏は、《およそ或る「作品」を前にした享受者のとりうる態度として、その「作品」のすでに完成されてある現在の姿を静的な構造体として考察する場合と、それが徐々に形をなしていった創造行為の現場をあたうるかぎり現実的に追体験しようと努める場合の二つがありえよう。》と書く。そしてこのような問題設定がなされる場合は、ほとんど自動的に前者に対して後者の立場が奨励されることになる。《確率論的な読みかたとでも言ったらよいのか、凝固してしまった「作品」の最終形態を絶対視せず、作り手がくぐり抜けた逡巡と決断の「今」を或る強度において追体験し、それを人々の視界に再浮上させるようなレクチュールがありうるのではないだろうか。》これにつづいて松浦氏は、大森荘蔵の名をあげたりして「〜しつつある」時間としての、創造する「行為の最中」を何とか浮かび上がらせようとする。《意識は、一語ごと、一音ごと、一筆触ごと、成就しうるものとしえないものとの間の確率論的な揺らぎを体験しつづける。》
しかし、「〜しつつある」現在とは、何も創造の主体を持ち出すまでもなく、まさに今我々が生きているこの場所や時間のことであり、我々がそこに囚われている人生そのもののことな訳だから、作品から、それが生成しつつある「行為の現在」を取り出すということは、特権的な作品を創造しえた特権的な主体が体験したであろう特権的な人生の瞬間(持続)へと、それを追体験することへと、「作品」を還元してしまうことになる。そうではなくて、「作品」と呼ばれるものの力というのは、今、目の前に現れている「作品」の効果によって、我々がそこに縛られてしまっている「今ここ」とは別種の「現在」を浮かび上がらせ、それを可能にしてくれるような力のことなのではないか。だから「完成されたもの」と「プロセス」の対立があるのではなくて、そこにある「完成されたもの」としての作品が、(まるでいくら殺してもどんどん増えつづけるゾンビのように)不断に「ズレ」とか「差延」とかを産出しつづけるプロセスが問題なのであり(つまり「完成された作品」こそが、所与のものとして既に「構成されて」しまっている「今ここ」を解体する力をもつのだ)、それらによって「触発」され、触発されることによって新たに生成した(解体され再構成された)「観者=主体」こそが問題であるはずなのだ。
01/11/6(火)
(昨日からのつづき)
●コーリン・ロウは有名な『透明性・虚と実』において、透明性を、実の(リテラルな)透明性と虚の(フェノメナルな)透明性に分けている。(この論文は、基本的にコルビュジェについて書かれたものなのだ、「透明性」につい説明するために、セザンヌ、ピカソ、ブラック、レジェ等、についも言及されている。)透明性とは《二つまたはそれ以上の像が重なり合い共通部分をゆずらないと、 見る人は隠れた部分の視覚上の存在を仮定せざるをえない。 このとき像に透明性が付与され、 像は互いに視覚上の矛盾や断絶なく相互貫入する》(ジョージ・ケベシュ)ということであり、もっと言えば空間的に共存しえないような次元の異なる二つ以上のものが、同時に知覚できるという状態のことだ。実の透明性とは、そのような状態をガラスなどの実際に透明な物質を用いてダブル・イメージのように実現させることであり、虚の透明性は、物理的な透明性とは別の、まさに「次元の異なる二つ以上のものか同時に知覚」されるような独自の構造が実現された時にだけ、あらわれるもののことだ。それを強引に解釈し直すとすれば、実の透明性とは、形態(図)の重ね合わせによって得られる透明性であって、それは図の複数性(いわば「多義性」)をもたらすのだが、虚の透明性は、いわば図を浮かび上がらせることを可能にする地、ある意味を発生させるための場、コンテクストなど、表現の基底となるものの複数性によって得られる(だからここであらわれるのは「決定不可能性」だし、複数に分裂した基底の絶えざる入れ替わり、あるいは闘争でもある)、と言えるだろう。さらに強引な解釈をつづければ、虚の透明性とは、不透明による透明性のようなもので、それは決して全体を一望のもとに眺めることが出来ない、いわば複雑な迷路に迷い込んだような状態で、一つ角を曲がる度に風景が一変してしまい、その度に今まで見てきたもの全てを解釈し直さなければならなくなる、という状態に似ている。しかし、これでは松浦氏の書いた《意識は、一語ごと、一音ごと、一筆触ごと、成就しうるものとしえないものとの間の確率論的な揺らぎを体験しつづける》という状態と同じということになってしまう。(ただ、松浦氏はこのような状態を、作家が作品を生成している「現場」に遡行することで見い出すのだが、ここではそれは完成された作品の「効果」として現れている、という違いがある。)ただし、ここで重要なのは、透明性という現象は空間・時間という形式の外にあるものだ、と言うことなのだ。とは言っても、結局我々は、空間・時間という形式にそった知覚によってそれを「感じる」しかないのだが。ある作品を前にして、我々はそれを空間的に知覚し、時間をかけて観て、読み込んでゆく訳なのだが、その作品が決定不可能なものであるならば、それを永遠に読みつづけなければならくなってしまう。しかし一方で時間をかけて読み込みながらも、その読む=観るという行為の持続によって得られる意味とは次元の異なる別の意味、「構造(複数の構造の絶えざる交錯という構造)」としての「透明性」を、空間・時間とは別の形式、ズレや分裂、差異の体験として、「感じる」としか言い様のない仕方で知ることになる。おそらく「強度」というものもまた、空間・時間という形式の外で経験される事柄であり、だからそれを直接的に「体感」することは出来なくて、「知覚」とは別の仕方(例えば「戦争神経症」のような形で、あるいは「精神分析」によって)で、事後的に知らされるしかないものなのだと思う。だから「芸術による経験」とは、「体感」のようなものとは全く違うなにものかなのだ。「MOMA」展のマティス
01/11/7(水)
●上野の森美術館で「MOMA」展。
●やはりマティスは圧巻だった。図版などで知っている作品ばかりだとはいえ、改めて観てみると、少なからぬショックを受けた。有名な「ダンス」の第1作が傑作であることは言うまでもないのだが、今回改めて感じたのは、かなりの点数が展示されていたブロンズによる彫刻の面白さだった。彫刻家の仕事のような技術的洗練はないとしても、決して画家の片手間の仕事と言うべきものではない。全体のマッスを掴み、ざっくりとした空間を形成するやり方は、いかにもマティスらしい独自の空間感と形態の感覚に貫かれていて素晴らしいし、粘土に手で触れながら触覚的に作り込まれた細部の形態も、とても魅力的だ。彫刻家的な洗練かないとすれば、おそらくその触覚的な細部と全体の空間感を仲介するような、中間的な形態を拾えていないというところにあるのだろうと思えた。それがエレガントさの欠如のような印象を与えるかもしれない。しかしマティスの彫刻においてそのことは何ら欠点にはなっていなくて、むしろ細部と全体がギクシャクしながらも中間項なしに結びついてしまっているのが、とてもスリリングなのだ。スリリングと言えば、『モロッコ人たち』という絵画作品があって、これはバラバラな3つないし4つの部分に、画面が分裂してしまいそうなところを、画面の多くを占める「輝くような明るい黒」によって辛うじて強引に結び付けられている(図版などで観るとこの「輝くような明るい黒」がただの「黒」になってしまうので、何がやりたかったのかイマイチ分らないような絵に見えてしまうのだった)、決して傑作とは言えないような作品なのだが、しかし、今にもバラけてしまいそうな危うさがかえってスリングで、いつまで観ていても次から次へと新たな発見が産み出されてくるようで、いくら観ても飽きない不思議な絵なのだ。この「輝くような明るい黒」い色面を絵画において初めて使用したのはマネだと思うのだが、マネの作品において、笛を吹く少年のズボンのようにマットであると同時にボリュームをも感じさせるものとして使用されていた「黒」が、このマティスの作品においては、背景であると同時に最も存在感を主張して前面に出てこようともする色面でもある、というところまで過激なものになって使用されている。(勿論、この黒い色面は浮世絵からの影響によるものなのだけど、浮世絵の黒には、輝くような明るい感じがないし、何より、一つの色面に同時に複数の意味をもたせる、というほど高度なことは出来ていない。)このような黒の使用は、これより5年前に描かれた『赤いアトリエ』における赤の使用の延長線上にあると思うのだけど、『赤いアトリエ』の画面のほとんどが赤で浸されて調和しているのに対して、『モロッコ人たち』の黒はそこまで全体を支配している訳ではなく、中途半端な役割しか持たされていない。しかし、この「一つの色彩が中途半端に画面を支配する」というのは重要で、半端にしか支配しないことで、細部の動きがより自由に活発になるのと共に、画面上に「断層」のようなものを、よりはっきりと出現させることが可能になるのだ。このことは、これ以降のマティスの多くの作品にとって、とても重要な要素となってゆくのだ。
●それにしても、色を「味わう」というのは一体どういうことなのだろうか。普通に考えるならば、例えば「青」を青いと一度知覚してしまえば、人はもうそれ以上その青を見る必要はないはずなのだ。知覚というものが、外界の変化を、つまり差異を触知することだすれば、それは当然のことだろう。にも関わらず長い時間をかけてその青を見つづけるとしたら、その青が、視線を向ける度に次々に新しい「青」という意味を発し続けているということになる。そうでなければ既に固定してしまっていて、何の変化も生じない「絵画」というものを、そんなに長い時間眺めつづけられるはずはないのだ。その青は、ある時は絵具の物質感、抵抗感とともにある青であり、ある時は大きく拡がる空虚としての青であり、ある時は薄く塗られた本当に美しい肌色を活気づける背景としての青であり、ある時は画面全体を細かく震動させるような筆致とともにある青であり、ある時は....。マティスの『ダンス』、その青。少なくともぼくにとっては、色を感知するということは、視覚的な体験ではなくて触覚的な体験なのだ。それはだから、手でふれることであり、頬ずりすることであり、顔を埋めることであり、全身それにまみれることであり、つまりは思いっきりエロエロな体験であるのだった。
●マティスの他にも、ボナールの作品は、ボナールの最良のものの一つだと思うし、クレーの『夕暮れの火事』という作品は、クレーの最高傑作なのではないだろうか、と思った。ブラックの静物も悪くなかった。それらに比べ、戦後のアメリカ美術、つまり抽象表現主義の作品はいま一つで、ポロックの最良の作品は来ていなかったし、デ・クーニングの作品は有名なものだけど、今観るとそれほどの作品ではないように見える。あと、マティスの作品の圧倒的な充実ぶりに比べると、どうしてもピカソは数段弱いような印象を持ってしまうのだった。横浜トリエンナーレ・レポート
01/11/13(火)
●空白の3日間は、弟の結婚式に主席するために実家に帰っていた。10日、ちょうど帰り道の途中に位置しているので、寄り道して横浜トリエンナーレを観た。寄り道とはいっても、そのために朝早く起きて、開始早々の午前10時頃から、午後4時過ぎまで、たっぷりと6時間以上立ちっぱなし、歩きっぱなしで、メインの赤レンガとパシィフィコの両会場をひととおりまわることが出来た。なにより驚いたのは人の多さで、印象派の展覧会でもないのに、美術関係のイヴェントでこんなに人が沢山いるのを初めて見た。現代美術の作品というのはだいたい、一つのブースにせいぜい5、6人がポツンポツンといる、という状態を想定してつくられている場合が多いと思うのだが、こんなに人が多いと「作品を観る」のではなく「作品を観ている観客を見る」と言う感じになってしまう。それはそれで面白くはあるのだが。
●まずは定石通りに悪口から。ここにある「作品」の多くが作品ではない。そこには作品があるのではなく、ただ演出(それも相当質の低い演出)が、プレゼンテーションの技法があるだけだ。ここには空間や意味の、生成とか分裂とかいった出来事は起っていなくて、ただあらかじめ用意されているコンセプトが、ある種の雰囲気とともに提出されているに過ぎない。多くの作家が稚拙な「空間プロデューサー」であるか、あるいはひねくれた「インテリア・デコーディネーター」であって「美術作家」ではない。そのことが最もはっきりと露呈されているのが、映像を使用したインスタレーションの数々だろう。一体これらの作品たちが、何故「展示」されなければならないのか分らない。ある一定の時間の幅をもった映像が使用されるのならば、そこに生起する説話的な持続が問題になるのならば、それは上映、あるいは上演されるべきなのではないのか。何かしらの「意味ありげ」な映像を、現代美術っぽい手法で加工すれば、それで何となく格好がつくからOKでしょうみたいな、安易な風潮が蔓延しすぎている。始めがあって終りがあり、途中に段階的な変化のある映像が、ある空間の一部として組み込まれて展示される時、任意のある時点でそれにアクセスして、また任意のある時にそこを離れる観客がそれを「観る」時間と、その映像がひとつの意味を提出する「時間」とは、そう簡単に一致するはずはなく、常にズレが生じてしまうのだが、そのズレをどうするのかという思考がほとんどなされているようには思えない。(現代美術を多く観ている人なら、「作法」として暗黙のうちにズレを調整するかもしれないが。)そのズレを何らかの技術によって回収するにしろ、ズレを作品の面白さとして見せるにしろ、あるいはもっと突っ込んで、そのようなズレによって、「今ここ」に縛られている「展示」という形式への批判にまでもってゆくにせよ、何かしら、作品の「形式」に対する思考が必要なはずなのだ。(そうでなければ「内容」にまで入り込めない。)一般にビデオ・インスタレーションをする作家の多くが、映像=イメージのもつ、現実の空間や時間との相容れなさ、と言うか、両立し難さというものに、あまりに無頓着に過ぎるように思う。例えば、ボナールやマティスが、窓の外に拡がる風景と室内の風景とを、同一の画面のなかに分裂したままで両立させるために、どれだけ様々な工夫を施し、どれだけ繊細な技術的配慮を払っているのかということを、もっときちんと考えるべきではないだろうか。(こういうことを書くと、古典的だとか審美的だとか言われるかもしれないけど、ハイテクだろうがローテクだろうが。このようなデリケートな操作なしに「作品」があり得るとは思えないのだ。)
たんに「現代美術」っぽい雰囲気に演出されたに過ぎないものは、現代美術などとは無関係の観客によって簡単に崩されてしまう。特に赤レンガ会場の作品の多くがそうだったのだけど、大勢の人々が溢れ、団体旅行の客みたいなおじちゃんおばちゃんががさつな足取りでドタドタと歩き回り、子供が奇声を発して走り抜けるような場所では、そのような作品は何も語らなくなっしまう。
●では、しっかりとした物質によってがっしりと構築されていれば、それは「作品」と言えるのかといえば、そういう訳でもない。例えば、ジミー・ダーハムによる、事務所のような空間が大量のセメントで埋もれているような作品があった。これはたしかにセメントのもつ圧倒的な物質の迫力によって観る者を驚かせはする。しかしそれだけだ。セメントという物質のあまりに一元的な使用があるだけ、物質に全面的に依存した表現があるだけだ。(ふと、楳図かずおの傑作『漂流教室』や、『神の左手、悪魔の右手』の最初のエピソードなどを思い出すが、それらとは全く比べるまでもない。しかも、最初に真っ黒い部屋に通されて、そこを抜けるとセメントの部屋がある、という安っぽい演出が施されていたりするのでなおさら興醒めだ。)塩田千春の作品は、ダーハムとくらべれば格段に質の高いものだと言えるだろう。泥まみれでどっしりと重たそうに垂れ下がっている巨大なドレスは、様々な抑圧や偏見や過剰な意味をどっぷりと重たく染み込まされた「女性の身体」のもつであろう何とも言えない「重ったるさ」についての(メタファーというような言い方はあまりに安易に使われ過ぎるのでどうかと思うのだが、それでも)暗喩的な喚起力に満ちている。しかしそれでも、この作品における物質は、あまりに一方的に「意味」に支配されてしまっているように感じられる。もし、様々な可能性へと開かれているはずである女性の身体が、男性の(社会的な)視線によって抑圧され圧殺されてしまっているとしたら、それと同じように、この作品における物質も、この作品の意味によって圧殺されてしまっているように見えてしまうのだ。
●それなら、「作品」とは一体どこにあるのか。作品はおそらく、いつ、どこにあるとは明確には指させない時間・空間に生起するのだと思う。例えば折元立身の作品。ぼくは折元氏の作品はそんなに高くは評価しないのだけど、それでもここには作品を作品たらしめているふしぎさが確実にあるように感じた。折元氏の、「耳をひっぱる」シリーズや「パン人間」のシリーズにおいて、「作品そのもの」はどこにあるのか、と考えてみる。この会場に展示してある写真が作品なのかと言えば、それは違うだろう。折元氏は「写真」による作品を作っている訳ではない。これらの写真は行為の記録であり、その報告である。ならば、世界各国の様々な場所で行われている、「行為」そのものが作品なのか。しかしそれは作品と言うよりは折元氏の生活そのものであり、人生でもあると言うべきだろう。(実際に見たことはないが、おそらく折元氏のパフォーマンスはたんに退屈なものなのだと思う。ぼくは、生活そのものがアートなのだ、というような言い方を信用しない。)ならば、「コンセプト」こそが作品なのだ、と言えるろうか。しかしここでのコンセプトは、ちょっとした思いつきのようなものであって、それだけで面白いと言える程のものではない。それは実践され、持続されなければ意味がないし、発表されなければ作品たりえない。で、「作品」がどこにあるのかと言えば、それらのものたちの間の、どことは名指せないような場所に、幻のように立ち現れるものが作品なのだ、と言うしかないと思う。一枚一枚の写真が撮られたその現場での、成立したりしなかったりするそれぞれの相手との関係は、そのひとつひとつがかけがえのない重要な事柄なのだろうけど、それは我々の生活においても、他者に対する働きかけのひとつひとつが重要であることと変わりがない。ここで重要なのは、いくつかのコンセプトによって仕掛けられた「他者へと働きかける技法」が粘り強く持続して実践されていて、そのひとつひとつが写真によって丁寧に記録され、その多数の写真が一挙に展示された時、その一挙に見渡せる様々な時空の目眩がするような多数性によって、かえってひとつひとつの現場でのかけがえのなさが事後性として浮かびあがり、そこから再び、そのようなかけがえのないひとつひとつが無数に積み重ねられていることに思い至り、そこに発生する「かけがえのないものの無数の積み重なり」という出来事にくらくらさせられる、というところにあると思うのだ。
●美術作品として評価できる「質」をもっているかどうかはとりあえず置いておくとして、単純に楽しめる作品なら、いくつもあった。楽しめる作品というのは、すくなくとも「楽しい」というこに関しては肯定されるべきだとは思う。例えばヨーン・ボックによる天井裏を覗くような作品。これは覗くという行為が楽しいというだけでなく、覗いている人を見ているのも楽しい。マリーナ・ブラモヴィッチによる、磁石の靴で鉄板の上を歩く作品。草間弥生(室内)や秋元きつねによる遊園地のアトラクションのような作品が「美術」と言えるのかどうかは分らないが、楽しいことは楽しい。赤瀬川原平だって、楽しいことは楽しい。
嫌いではあるけど、会田誠の作品は「笑える」という意味でなら楽しいと言える。(嫌いでも、「笑え」れば許せるのだ。)ミキサーのなかに無数の裸の女性が詰め込まれている有名な絵画作品は、いわゆるオタク的な欲望を分り易く示していると言えるのだが、その作品の両側に、一方には一人暮らしの掃除もしていない散らかった下宿の畳をそのままタールで固めたような汚い作品が置かれ、もう一方には何の変哲もない住宅地の上空に、不穏な妄想が渦巻いたり花火のように炸裂したりしている様を描いた絵が配置されていて、しかもブースに入ってすぐのところには、さりげなくコンビニ弁当の空き箱(そのペラペラの質感が何とも情けなくていいのだ)が展示されているという、何と言うのか「ゆる〜い絶望」のようなものが支配している部屋の中心に、「自殺未遂装置」が置かれていて、テレビ・モニターからは、その使用説明書とも言える、意図的に情けなく制作された映像が流れている。ゆるーい絶望に満たされているゆるーい主体が、何度も何度も自殺を試みるのだが永遠に失敗しつづけるしかない、という何とも「ゆる〜いジジフォス的装置」が構築されている。ポストモダン的、オタク的な主体が、まるで来るべき革命的な存在でもあるかのように無邪気に誇らし気に提示されているだけの、全く白痴的な作品にくらべれば、それが実は「ゆるーい絶望」「ゆるーい鬱」のようなものに浸されているのだという事実をやや自虐的に提示しているこの作品ははるかに理知的だと言えるだろう。しかし、この程度の「ゆるーい絶望」や「自虐」と「ゆるーく」戯れることで満足してしまっているような態度は、ぼくには共有することはできないものだ。中原昌也的な破壊力もないし。(余談だが、この「自殺未遂装置」は、会田氏の芸大卒業制作作品である「死んでも命のある薬」が発展した形だと言えるだろう。)
(つづく。)
01/11/14(水)
●多少なりとも評価できる「質」をもっていると思われた作品について、書いてみる。
●まずピピロッティ・リストの作品。薄暗く設定された部屋のなかを、上から垂らされた微妙に織りの異なる数種類の半透明のレースの布によって複雑に折り重なるように仕切って、迷路のような空間(しかし半透明なので部屋全体が見渡せもする)をつくり、一番奥の壁にビデオ・プロジェクターによって淡い映像が投射されているもの。この作品でプロジェクターからの光は、幾重にも重なった半透明のレースを通過して、そのレースたちに僅かな反映を残して奥の壁に至り、まるでよく晴れた日の光が水たまりか何かに反射して壁に当ってゆらゆらゆれているようで、とても美しいのだ。もう一つ、ユラリア・ヴィルドセラの作品。これは天井から床へと投射された映像(大勢の若者たちが集まって、何かワイワイやっている)が、あらかじめ床に置かれている大小、形ともに様々な鏡によってさらに反射して、壁に、断片化された映像が鏡の方にあわせて、バラバラに砕けて飛び散ったみたいに映っている、というもの。この二つの作品は、別にコンセプトがどうのこうのということではなく、だだっ広い場所にがさつに作品がドカドカ置かれていという印象が強いなかで、他の作品に比べて飛び抜けて美しくて繊細な空間をつくり出していた、と思えたものだ。ヴィルドセラの作品などは、悪く言えばほとんどワン・アイディアだけで出来ているとも言えるのだけど、実際にそこに現れている空間の美しさが、作品を、アイディアを遥かに超えたものにしている。このような繊細な美しさを、「ただキレイなだけじゃん」とか言って馬鹿にする奴をぼくは軽蔑する。(あと、フロリアン・クラールによる、立体的な地形図をスクリーンとして、そこにプロジェクターからの映像が投影される作品の美しさも忘れ難い。)
●そのような繊細さとは全く違っていて、単純であることの暴力的なまでの力強さを示していたと思えるのが、アデル・アブデスメッドの作品だ。ただ、部屋の隅に小さなモニターが置かれ、そこに手持ちの不安定なカメラによって撮影された女性の顔が映っていて、その女性が「アデルは辞退した」と言っているだけのごくごく短い映像が延々とループして反復しているだけのもの。ほんのワン・フレーズだけの言葉が、人を苛立たせずには居られないような息せき切ったよう声とリズムで(言葉を発する前には多少の間があるのだが、フレーズが終わるか終わらないかのところで暴力的にブツッと断ち切られ、また最初に戻る)ブツ切りにされて、延々反復している。この女性によって発せられているフレーズが一体どのような意味の含みをもっているのかは、全く何も説明されてないので分りようがない。文脈から切り離された、ただひとつのフレーズと、何の理由もなく任意に取り出されたとしか思えない映像の切れ端が、嫌というほど(というか、徹底しクールに機械的に)繰り返されている。この、人の神経を逆撫でせずにはいないような徹底して単純な反復は、ミニマルという手法が当初もっていた暴力的な強さを露にしているよう感じた。世界を支配している、非人間的なリズムの反復。(初期ライヒの、テープ編集による作品の暴力的な感触を思わせる。)
●アレクサンドラ・ラナーの作品。密閉された箱の一つの面がガラス張りになっていて、その内部が部屋のようにしつらえてあるのが見える。見えはするのだが、その箱は完全に閉じているので、観客はそれを外から見ることしか出来ない。それは部屋と言っても、二つのソファーと排気孔のようなもの、そして窓があるだけだ。そこに人はいない。勿論その窓も外へと開いているのではなくて、二つに仕切られた箱の内部の奥の側が、窓から覗いているに過ぎない。そこからはそれがまるで外へと通じているかのように電柱と電線が見えるのだが、当然それは何処へも繋がってはいない。他の作品が積極的に外と関わろうとし、外の空間へと拡張してゆこうとしているのに対して、この作品は完璧に閉じていて、内側にしか向かっていない、というところが、少しだけ気になったのだ。この作品は、実物大よりもやや小さく、しかし模型というにはやや大きいというサイズで、そのことがまた一層「閉じた」感じ、周りとの関係を切断された感じを際立たせている。(これはちょっと、「村上春樹」的、と言えなくもないのだけど。)
●ビデオ・インスタレーションの作品では、ヤン・フードンのものと、ハム・キュンのものが印象に残った。ヤン・フードンの作品はインスタレーションと言ってもその空間の内部に観客が入り込むようなものではなくて、映像の正面性と言うか、作品を観る観客の視線の等方向性が保たれていて、その前提を保持したなかで、複数の映像への視線の拡散がなされることになる。入り口から入ると正面の壁に、4台のプロジェクターによる4つの異なる映像が投影されている。その4つの映像はどれも、物語的な展開というのはほとんどみられないのだが、時間とともにゆっくりと相互に浸透してゆくという展開をみせる。その4つの大きな映像の他に、左右に振り分けられた沢山の小さなモニターによって、幾つもの異なる映像が提示されている。(小さな画面の映像にはほとんど時間的な展開がないので、それらを空間的に把握できる。)この作品の内容と言うかテーマは、独自の感触をもったエロティックな妄想による映像の組合わせなのだけど、面白いのはその内容ではなくて、映像の「時間性」や「正面性」、現実空間との「相容れなさ」、を尊重しつつも、展示という空間的な形式による「視線の拡散性」や「視点の多数性」を成立させていると言う、上映と展示の折衷案のような妙な「形式」にあるのだ。
ハム・キュンの作品は、展示やインスタレーションと言うよりも、個人的な上映という形をとっていると言ってよいだろう。「チェイシング・イエロー」と題されたその作品は、アジアの各都市でたまたま見つけた「黄色い服を着た人」を追跡して作った複数のドキュメンタリーが、会場に置かれている8台のテレビ・モニターに映しだされていて、観客はそれぞれのモニターの前に座って、テレビ番組を観るのと同じように、それを観ることになる。各都市でたまたま偶然に(黄色い服を着ていたというだけで)抽出された人を追ってゆく、という試みも面白いと思うし、それが同時に8台ものモニターに映し出されている、という状況も面白いし、しかし観客はそれを「美術作品」のように一挙に(一遍に)観ることは出来ず、たまたま座ったその前にあるモニターに映されるものを観るしかないのだし、全てを観ようとすれば、8倍の時間をかけてひとつひとつに丁寧にアクセスしていかなければならない、という設定も面白いと思う。ハム・キュンが、アートの拠り所を「図書館」と「実験室」にもとめている、というのも興味深い話だと思う。世界という膨大な情報の蓄積のなかから、ある任意のキーワード(黄色い服)によって検索し、たまたま抽出された断片的な細部を組み合わせてみる実験室としてのアート。東浩紀の言う「データベース=インターフェイス的な世界観」の、非オタク的、非スーパーフラット的な実践と言ったらいいのか。
●横浜トリエンナーレ全体を眺めてみても、「質」的に評価できるような作品はそんなにある訳ではない。では、この展覧会自体がつまらないかと言えばそんなことはなくて、これだけ数多く、これだけ多様なアーティストたちの作品が集まっていれば、その混乱も含めた多様性によって、とても面白く、かつリアルであるとさえ言えるだろう。しかしそのように言ってしまう時、個々の作品や作家の「質的な評価」というのは二の次、三の次というか、もっと言えば「どうでもいい」ということになってしまう。質など問題ではない、できるだけ多様なものをある一定以上の数あつめれば、それはそれなりに世界のリアルを映す鏡になるだろう。個々の作品や作家をどうこう言うなんてもう古クサイ、と。ポストモダンの行き着く果てのような現代において、「美術」なんかそういうものとしての価値しかないでしょう、そういうものとして生き残っているだけでしょう、ということになってしまう。
観客なり、批評家なりキュレーターなり誰でもいいのだが、作品にふれる個々の人たちが、各々の作品や作家に対する「質的な判断」というものを放棄してしまえば、混沌はたしかにリアルだしスリリングであるとも言えるだろう。「質的な判断」などというものはもともと、主観的な趣味や曖昧な基準、目利きと「されている」人の評価などに頼った、多分にいい加減な、ヤマカンみたいなものでしかない、と言うのも、まあ確かにその通りではあるだろう。しかしだからこそ、間違ってしまうかもしれないというリスクを背負いながらも、何とかかんとか手持ちのカードをフル可動させて、個々の場面で「質的な判断」を下す、という必要があるのではないだろうか。質的な判断などどうでもいい、面白くて、楽しくて、あるいはリアルであればそれで良いではないか、というのも確かにアリだとは思うが、しかしその時失われてしまうのは「個人の責任」というヤツなのではないたろうか。そんな「個人の責任」なんて微力なものが、一体この世界に何をもたらすと言うのか、そんな無駄なものサッサと捨てた方が解放されるのではないか、という思いもあるにはある。しかしそれでも、個人の責任においてなされる、それぞれの作品や作家に対する「質的な判断」は必要とされるのではないかと感じている。正直言って、横浜トリエンナーレは予想していたよりもずっと「面白かった」のだけど、この「面白さ」を素直に肯定する訳にはいかない、という思いがあるのも動かし難い事実なのだった。中森明菜と「芸術的な経験」/モダニズムとかフォーマリズムとか
01/11/18(日)
●テレビをつけたら中森明菜が出ていて、子供の頃ドナ・サマーが大好きだったと言っていたのでへえーっとか思ったのだった。中森明菜はぼくと2つ3つしか違わないいと思うのだけど、何か1世代違うという感じなのだろうか、と思ったりするのだが、でも、実は小柳ゆきとかそういう最近の風潮に対する目配せと言うか媚びをみせているだけなのかもしれない。だとしても、いかんせん中森明菜は存在が重すぎるし、何より背負っている物語の「質」がイマドキのものとは大きく異なってしまってるので、彼女がワカモノから受け入れられることは多分もうないのだろう。なんてことを言っていはいても、中森明菜が出ているとつい見てしまうような、自分のなかに脈々と流れてしまっている80年代アイドル歌謡的な感性(いや、実は地方都市のヤンキー的感性なのかも)とは、もういい加減サヨナラしたい、とウンザリしてはいるのだが、松田聖子からは昔も今も何も惹かれるものがないのだけど、中森明菜にはどうしてもどこか引っ掛かってしまう部分がある訳で、このての下品さに引っ掛かるくらいに「育ちの悪い」ぼくのような人間が、何を勘違いしたのか「芸術的な経験」なんていう言葉を口走ってしまったりするようになるのは、ひとえに日本の80年代のバブル景気の経済的効果による「幻影」のようなものに過ぎないのだということくらいは、しっかりと自覚していなければいけないだろうと思う。(だからこそ、「根」から切れた場所で、何かをつくり、判断するための手法としての、モダニズムとかフォーマリズムとかが必要なのだ。)京都芸術センターの岡崎乾二郎について、うだうだつづく話。
01/11/15(木)
●14日に、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展を観てきた。
●先日、友人(画家)と話をしていて、松浦寿夫の作品の話になり、松浦氏の作品を印刷された図版でしか観たことがないという友人が、図版で観ると結構いいように見えるんだけどどうなの、と聞くので、センスはいいと思うんだけど絵具がナマなんだよねえ、と答えたら、ああそうか、それでどんな感じかよく分かった、と納得していた。ここで使われた「絵具がナマ」という言い方は、ある程度、近代以降の絵画について実践的な教育を受けた人にはとてもすんなり通じるような、ある種の業界用語と言うか「隠語」のようなもので、たんにチューブから出した絵具をそのまま使っているという意味ではなくて、画面に乗っている絵具の色彩やテクスチャーなどの使用が、大筋では妥当なのだけどイマイチ正確さに欠けていて、画面上で成り立っている色彩として見えるよりも強く「絵具」として見えてしまう、と言う程度の意味なのだ。このような言葉は、ある感覚を共有している人たちの間ではとても伝達効率が良いのだけど、実は多分に感覚的でいい加減に使用されていて、それが使われる場面や、それを使う人などによって、「意味」にかなりのブレが生じていて、すんなりと通じはするものの、本当に正確に伝わっているかどうかはアヤシイものだ。しかし、それでもそのような感覚的でいい加減な言葉でしか伝達しようのない「何か」というものが確実にあって、例えば美大を受験する学生にデッサンなどを教える予備校では、このテの、いい加減で曖昧で感覚的で不正確な言葉ばかりが飛び交っていて、初めてそこを訪れた高校生などは何のことやらチンプンカンプンなのだけど、そのうちそのような言葉を何となく使えるようになって、それとともに実際に絵も描けるようになってゆく訳で、そこで言葉が伝達されると同時に、確実にある「技術」も伝達されている訳で、つまり訳の分らない言葉の訳の分らない使用があるだけなのにも関わらず、そこにはある種のコミニュケーションが確実に成立してしまうのだ。絵具がナマだ。絵具がモノについていない。絵具が濡れていない。形がブカブカだ。調子が汚い。バタバタしている。空間がたっぷりしている。等等。これらの言葉は、事態を正確に分析、描写している訳ではなくて、半ば作品の状態に対する描写や批評であるのだが、半ば、実際に描いてゆく時の感覚やコツのようなものの指摘や伝授だったりもして、それらがどの程度の割合で混ざり合っているかは、その時その時で全く違ってしまう。もともと「技術」などというものはそのようにしてしか伝えられないものだし、それで確実に伝わってゆくなら別にいいではないか、とも言える。もし画家という存在が、単純に「職人」として「技術者」として存在できるのならば、それでも一向に差し支えないのだが、しかし少なくとも近代以降において画家は単純に技術者であるだけではなく、厄介なことに「芸術家」だったりするのだ。つまりそのような感覚的で曖昧な言葉は、技術者同士の会話としては充分に有効性をもつのだが、それをそのまま批評や分析の言語としては使えない、ということだ。にも関わらず、作品を出来るだけ正確に分析しようとしたり、突っ込んで批評しようとしたりする時、どうしてもそのような言葉でしか言えないような「何か」にぶつかってしまうのだ。しかし、そのような言葉を使用している限り、その批評なり分析なりは、ごくごく限定された、ある「感覚」を共有する人たちの共同体の内部の言葉としてしか機能出来ない、ということになってしまう。
例えば、絵画的な無意識とか、ペインタリーなものとか、そういう言い方でしか言えない何かが確実にあることは事実だし、そのようなものに魅了されていなければ、誰もいまどき絵画などに関わろうとなどしないだろう。しかしもう一方で、ペインタリーな感覚などというものが、歴史的にごくごく限定された「感覚」でしかないことは誰でも知ってはいる訳だ。だとしたら、ペインタリーな感覚にいまどき魅了されているなどという者は、たんに懐古的な絵画マニアに過ぎないということになってしまうだろう。しかし、ペインタリーな「感覚」は歴史的に限定されたもの、懐古的なものに過ぎないとしても、その「感覚」が我々に与えてくる、あるいは強いてくる、「経験」というもの、その「経験」の強度と言うものは、ただ「懐古的」と言って済ませてしまえるものでないのではないか。そのような「経験」は、単独的であると同時に普遍的であるようなもの、あるいは、単独的であるからこそ普遍的だと言い得るようなもの、としてあるのではないだろうか。だとしたらそれを証明するためにも、ペインタリーな「感覚」抜きにでも、ペインタリーな「経験」を構成できなくてはならない、ということになる。恐らく岡崎乾二郎の絵画作品、絵画実践の、恐ろしく難解で困難で刺激的な歩みは、このような認識から始まっているようにぼくには思えるのだ。その時、例えば「絵具がナマなんだよねえ」というような、技術者にとっては便利で伝達効率のよい言い方を、批評的な言語においてだけでなく、作品を制作する実践的な「感覚」の次元においても一掃することが強いられてしまうのだ。
●画家が自らの身体を用いて作品を制作する時、その制作された絵画は画家の身体性の刻印が強く刻まれたものになるだろう。単純に「手癖」とか「利き腕」によるストロークの違いとか、身体のサイズとカンバスのサイズの関係などから、もっと抽象的なものまで、作品には画家の身体が様々な様相で貼り付けられ、織り込まれている。それは、ペインタリーな絵画がたんなる「視覚性」を超えたところで人を引き付け、その情動を深い部分で揺さぶる大きな要因のひとつとも言える。しかし岡崎氏はまずそれを切断しようとする。おそらく岡崎氏の絵画にみられる形態の多くは手によって描かれたものではなく、型紙のようなものをつかって、ペクッと絵具を画面に貼りつけるようにして描かれたものだと思う。多分これはマティスの貼り絵から発想されたやり方だと思うのだが、このようなやり方で描かれた形態は、手で描かれたものとは全く異なるエッジの立ち方、とてもクールなエッジになる。それと同時に、手で描くとどうしても無意識のうちに画面の大きさのなかでバランスをとるような形態にしてしまうのだが、型紙の使用によって、「画面全体との関係で成立するような細部」ではなくて「それ自身で独立してある細部」を作ることができる。このことで、あらかじめ「画面全体」を想定することなく「それ自身で独立してある細部」の反復や変奏のくり返しとして制作をすすめることが可能になるのだ。これはとても大きなことで、絵を描く画家は、どうしても最初からそのフレームが見えてしまっている(特定の大きさのカンバスを目の前にしている)ことから、巨視的な目で見たバランスのなかでの制作、言い換えれば目的論な進行の制作にしばしは陥ってしまうのだから。(例えば、非常にデリケートな色彩の操作をするロスコの、しかし図像的な単調さは、このことからきていると思う。)
型紙の使用によって、同一形態の、異なる色彩、異なるテクスチャーでの対位法的な反復が可能になるのだが(浅田彰氏などはこのことを強調するのだが)、これはたんに手方の問題に過ぎず、それほど本質的なことではないとも言えるのだ。それよりも、手で描かれた形態=色面はどうしても、どこかから塗り始められどこかで塗り終えられたという「時間」を感じさせるのだけど、型紙によってペタッと貼りつけられたような形態は、まるでそこにパッと出現したみたいで、時間をあまり感じさせない。このことが岡崎氏の絵画に独特の速度感、いわば「速度が無いことによる速さ」とも言うような速度感を産み出していることの方がずっと重要だろう。実際に作品を制作するには勿論時間がかかるのだけど、それでも岡崎氏の絵画は一瞬にしてパッと出現したように見えもするのだ。だが、さらにしかしをつけ加えれば、一瞬にして出現したかのように見えるその絵画を、一瞬にして知覚することは出来なくて、それを実際に読み込んでゆくにはとても時間がかかるような複雑な多様態でもあるのだ。ただ、決定不可能性によって永遠に読みつづけることを要求するというだけならば、それこそ悪しき意味での「ポストモダン」的な作品でしかない訳だし、ぼくがいままで岡崎氏の彫刻作品は素晴らしいけど、絵画作品に対してはどうしても保留せざるを得なかったのは、まさに岡崎氏の絵画作品がそのような「ポストモダン」的なものに陥っていると思われたからなのだが、彫刻作品が、常に差異を産出しつづけ、結論を先送りにして読むという行為を持続させつづける装置であると同時に、そこに「ズレ」そのものが、まるで「断層」のように目の前に出現している様を瞬時に察知できるような「物」として存在しているようにも感じられることで素晴らしい作品であるのと同じように、今回、展示されている絵画の何点かは、その「速度が無いことによる速さ」によって、素晴らしい作品たり得ているようにも見えるのだけど、それにしても岡崎氏の作品は、安易に「素晴らしい作品」だなどと言って簡単に済ましてしまうにしては、あまりにも複雑で、難解で、刺激的であるのだった。
(もう少し、つづく。)
01/11/16(金)
(昨日からのつづき、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展について。)
●岡崎氏の絵画作品の構造は、そのタイトルによってある程度は示されている。例えば、今回展示されている作品中で最もシンプルなタイトルは、3つの文によって構成されている。『(A)2〜3日中に、お返事をうかがえますか。(B)折り返し電話を下さいといって下さい。(C)というのも子供のときは、友達に電話なんてかけませんでしたから。』この3つの文は、普通の意味では「意味」が繋がらない。(A)と(B)とは、普通に意味が繋がるように思えるのだが、(B)から(C)への移行は「というのも」によって接続されているとはいえ、滑らかなものではない。しかし、「意味」という次元ではスムースに繋がらないとしても、(B)と(C)とは、ともに文中に「電話」という単語を含んでいるという共通点をもっている、という事では、確かに繋がっているのだ。つまり、この3つの文はとりあえずは繋がってはいるのだが、(A)と(B)との繋がりを保障する「意味」の地盤と、(B)と(C)との繋がりを保障する「意味」の地盤とは異なってしまっているのだ。だからこの3つの文をつづけて読んでゆくときに読む者が経験するのは、3つの文の連なりが表現しようとする「意味」の内容ではなくて、「意味」を成立させている「地盤」がぐらつき、横滑りしてしまうということがらなのだ。そしてそのような地盤の横滑りを経験してしまうと、最初はスムースに意味によって繋がっているように思えた(A)と(B)との繋がりも、実はそれほど自明なものではないということが判明し、そうなると今度は3つの文がそれぞれバラバラで繋がりのないもののようにも思えてくるのだ。つまり、(A)と(B)という二つの文を結びつけ、(B)と(C)という二つの文を結びつけているのは、予めその文に内在されている意味によってではなくて、たまたま並んでいるに過ぎない3つの文を、ひとつづきのものとして読み込もうとする、読む者の「読む」という能動的な行為によるのだ。
岡崎氏の絵画作品において、その「物理的には同一平面であるような場所」(つまりカンバスの表面)に、全くの無秩序のようにも、厳密な秩序をもっているようにも思えるやりかたで飛び散っている、型紙によって刳り貫かれたような無数の色斑たちは、簡単に言ってしまえば、上記のタイトルに含まれる一つ一つの文のようなものと言えるだろう。つまりそれらのもの全てを一つの秩序だったパースペクティブのもとに眺めることは可能ではなくて、どれかとどれかとどれかを関係づけて観ようとすると、かならず別のどれかが、その関係づけには納まらないものとして、目にはいってきてしまう、という状態が非常に複雑なやり方で仕組まれているのだ。だから、その「作品」に目を向けている間じゅうずっと、次々と新たな読みを発見し構築しては、それが壊れてゆくという時間的な過程と、複数の互いに矛盾する「読み」がズレながら、闘争しながらも共存している状態を、実際にはあり得ない重ね合わせによる「虚」の空間として、瞬時に空間的な知覚として把握するという過程の、二乗の次元の異なる「読み」を実践することが強いられるのだ。
(もう少し、つづく。)
01/11/17(土)
(つづき、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展について。)
●岡崎氏の彫刻について。展示されていた、リテラルに見れば大きな「うんち」のように見える4点の彫刻作品は、全て、2つの部分に分けられる基本的な要素(2つのマッス)が、ねじれをくわえられながら互いに貫入しあっている、という構造で出来ていると思われる。そのうち2点は、横たわっていて、横に伸びてゆきながらねじれが加えられており、あとの2点は、立っていて、上へと向かってねじれが加えられている。このような空間の作り方は、彫刻としてはむしろオーソドックスなもの(立ったり、横たわったりしている人物像を容易に思い出すことができる)で、古典的とさえ言えるだろう。にもかかわらず、これらの彫刻の特異な点は、作り込まれた細部の形態や、物質のもっているニュアンスなどの魅力に、ほとんど依存しないで成り立っている、という点にあるだろう。繰り返すが、これらの彫刻はミニマルな形態ではなく、ほとんど古典的と言ってもいいようなオーソドックスな空間を形成している。それは例えばマティスによる横たわる裸婦像のブロンズ彫刻を思わせるような魅力的な空間であるのだけど、マティスの彫刻では、そのざっくりとした大づかみの空間把握を説得力のあるものにしているのは、ほかならぬマティスの手による「触覚」によって包み込まれ、押し付けられながら、手探りで徐々に作り込まれていった細部の触覚的な形態の輝きによっている部分が大きいのに対して、岡崎氏の彫刻は、ほとんど岡崎氏の「手」によって触れらることにで形作られたという感じがしない。それはまるで、一塊の粘土を、グーッと引っぱり、ギュッとひねって、ググッと押しつけ、いくつかの部分をザックリ切り落として、ハイ、もう一丁あがり、という感じで、ほとんど「時間をかけずに」サクサクッと作られたように見えるのだ。(実際に、どのような手法によってつくられたかは、彫刻の制作技法についてあまり詳しくないので何とも言えないのだが。)だから、これらの彫刻作品も絵画作品と同様に、制作における「時間の厚み」というものを、そして、制作上の「身体性」の関与というものを、ほとんど感じさせない、という意味で共通していると言えると思う。(念のために付け加えるが、これは実際に制作に時間がかかっていない、とか、身体による関与が希薄である、ということを必ずしも意味しない。それらをことさら「見せる」ことをしていない、ということなのだ。)
細部の触覚的な作り込みや、表面の仕上げの丁寧さは、その物体=彫刻がそのような形になるまでの「試行錯誤」の時間や、身体が物質に対して関わった度合い、それがそのようなものになるまでの労力の量、等を示してもいるのだけど、岡崎氏の彫刻はそれをほとんど感じさせず、リテラルに見ればあまり手をかけられていない粘土がドーンと置かれているようにしか見えない関わらず、そこに古典的と言ってもいいようなオーソドックスな意味で魅力的な空間を出現させてしまっている、という訳なのだ。
●岡崎氏の作品は、作品が成立するための試行錯誤の時間の厚みや、身体の関わり、あるいは素材となる物質の物質としての魅力やニュアンスのようなもの、それらのものを「見せる」ことによって、作品を作品として成立させ、魅力的なものにするということに対する、強い禁欲があると言える。(それが意図的な禁欲であることは、カナダ大使館で展示された、ふと禁欲を解いてしまったような「豊か」で「ペインタリー」な作品群によって証明されてしまった。)そのことが、いわゆる「美術ファン」から、頭でっかちで薄っぺらな作品だという評価を受けがちなことの原因でもあるのだろうが、しかし、もはやジャンルというものの安定性に頼ることが出来なくなった美術が(安定したジャンルというのは、実は社会的な階層が安定していることによって保証されているものなのだった)、ジャンルの歴史によって保証された豊かさに頼らずに、この場にある貧しさのなかから「意味」のある作品を産出するには、このようなやり方しかないのだ、というのが岡崎氏の考えであるのだと思う。ほとんど構造だけで出来ているような貧しい作品が、その構造の複雑さによって、たんに「構造」であることを超えた固有性をもった「作品」たりうる瞬間こそが、ここでは目指されているのだ。岡崎氏の作品が、たんにリテラルな読みでは理解できないのは当然のことだが、その構造を読み込むだけでも充分ではなくて、むしろ構造が構造たりうる「地盤」そのものが、ぐらついて、横滑りしてしまう時に感じる、ズルッという感覚にこそ、その作品の意味があり、感情かあるのだと思う。それはまるで、宇宙の果てはどこにあるのか、とか、時間の始まりと終りはどうなっているのか、とかいうような、決して答えることの出来ない問いにぶち当ってしまったときに感じる、くらくらと目眩がするような「不安感」を観客に強いるものであり、その「不安感」こそが、岡崎氏が芸術による「経験」と呼ぶものにほかならないのではないだろうか、と思う。
01/11/19(月)
(補遺、京都芸術センターの「岡崎乾二郎・岡田修二」展についての。)
●展示されていた岡崎氏の4点の彫刻作品のうち、3点まではセラミックによるものだったのだが、1点だけ石膏の作品があった。このことについて、少し深読みしてみたい。セラミックというのは、「焼き物」なのだから、自分の手でこねた粘土が釜で焼かれて、それがそのまま作品となる訳だけど、石膏の場合は、まず粘土で形をつくり、そこから型がつくられて、その型のなかに石膏が流し込まれて作品となる。つまり、まず原形がつくられ、そこからそれを反転させた「空虚」な形である型が製作され、その空虚に、オリジナルとは別の物質が注入されて作品となるのだ。だからここで作品は、原形が型という媒介によって同じ形のまま異なる物質へと変換されたもの、なのだ。しかも、他の作品がセラミックという頑丈で保存がききそうな物質でできているのに、その1点だけは、ブロンズのように強い物質ではなくて、石膏という、著しく保存性の良くない物質が選ばれている。このことの意味は無視できない。(ここで、絵画作品においてもおそらく「型紙」が使用されているであろう、ということが想起される。)
ここであらわれているのは、たんに頑丈な物質ともろい物質の対比などではない。ただ1点だけ石膏を紛れ込ませているのは、これらの彫刻が示しているのが「物質」ではなくて、形、つまり「形式」であるということを示すためだと思われる。(物質は、交換可能な「項」のひとつであるにすぎない。)しかしここで、だから「形式」こそが作品なのだと言ってしまうのは間違いだろう。物質が交換可能な項のひとつだとしたら、同じように形式もまた、交換可能な項にすぎない。形と物質は、ともに決定的な何かではなく、どのようにも組み合わせることのできる要素のひとつなのだから、実際に展示してある作品も決定的なものではなく、形と物質のあり得べきいくつもの組合わせの可能性のうちのいくつかであるにすぎない、ということになる。そのとき、実際に展示されている4点ばかりの彫刻が、潜在的に宿している無数の彫刻作品の可能性が知覚を超えたものとして圧倒的に迫ってくるのだ。(それは必ずしも、展示を見ているその場で起こるとは限らない。展示されていた作品について考えている時に、いきなり起こったりする。)
しかしたんにこれだけで留まっているのなら、ポストモダン的な相対主義の徹底されたものにすぎないとも言える。問題なのはここでも、それが起こっている時に感じる、知覚を知覚として成立させている「地盤」が、ズルズルッと動いてしまうような感覚であり、そのような感覚のなかで新たに組み替えられ、産み出される「知覚」の姿なのだ、と思う。(例えば、たんに石膏という物質は崩れ去ってしまっても、型による形が残っていれば、異なる物質へとそれは受け継がれてゆく、ということだったら、それは、80年ごとに同一の形式が新たな素材でつくり直される伊勢神宮だとか、個人は死んでも天皇霊は相続されるという天皇制のようなものと、同じようなものだということになってしまう。事実、岡崎氏のポリウレタンやベニア合版などの貧しい素材による彫刻作品は、そのようなものとの強い親和性があると読まれてしまいかねない感じもない訳ではない。しかし勿論、岡崎氏の考えはそんなところにある訳ではなく、物質の同一性も、形式の反復性も、ともに「経験」の固有性によって切断してしまおう、という事であり、そしてそれは決して目指されるべき困難な課題というものではなく、そのような「経験」は実際に我々の身の回りで頻繁に起きている事柄であって、そのような「経験」を可視化することで意識化する装置としての作品、ということであるのだろう。)『動物化するポストモダン』(東浩紀)を読む/読まない
01/11/21(水)
●東浩紀の新しい本を買ってきて、チラッと読みはじめたのだけど、あまりにも「どうでもいい」内容なので、半分も読まないで放り出してしまう。この本は、いわゆる「オタク系文化」についてほとんど何も知らない人に向けて書かれた「基本的な解説書」みたいなもので、「オタク界」には、こういう仕事をちゃんと出来る人材がいないから、自分がやるしかしょうがないだろう、という義務感のみで書かれた本だと思いたい。
ポストモダン的な状況が、スノビズム=日本的なものから、動物=アメリカ的なものへと移行しているという指摘は、現在の現実のリアリティを確かに捉えてはいるように思う。もともと東氏にとって「動物」というキーワードは、コジューブの動物であるだけでなく、ハイデカーが、「動物の世界は貧しい」という言う時の動物でもあるはずだった。(『想像界と動物的通路』)それは、「世界を形成する」人間と、「世界がない」物質という形式的二分法を揺るがしてしまうような、危うい中間項としてあるものだった。そしてその「動物」的な主体を分析することを可能にするものが、『存在論的、郵便的』の終りのほうで言及されている、フロイトによる2種類の表象の区別、つまり無意識には物表象しかないが、前意識=意識という過程では物表象が語表象と結びつくことによって、思考同一性や否定性を獲得する、しかし、無意識から前意識=意識へと至る思考の過程には、「逆回転」(つまり物表象+語表象によって同一性と否定性が獲得された思考が、再び物表象のみの思考へと翻訳=解体される。例えば「夢」のように。)もあり得るのだ、という議論であり、それと、デリダのエクリチュール論との接続であったはずなのだ。(このへんの展開は凄くスリリングで、とても興奮したのに、すぐにただのオタク批評家のようになってしまった。)だからぼくとしては、東氏には、オタクの解説なんかやっていないで、オタク的=動物的な主体のあり方を、こんな中途半端な社会学のようなレベルではなく、徹底してオタク的なものにまみれなががらも、うんと濃く、深く、ドロドロになるまで是非やっていただきたい、と思うのだ。それができるのは、多分東氏しかいないと思う。
あと、東氏のポストモダン論でぼくが不満なのは、あまりにも単純にモダンとポストモダンを分けてしまうことで、例えば、ポストモダンの特徴とされているような、シュミラークルの全面化やデータベース型消費、スーパーフラットなど、あるいは「動物」というキーワードすらも、どれもすでにモダン(近代芸術)のうちに含まれているものなはずで、それはセザンヌやマティスをチラッとでも観てみれば、一目瞭然だと思うのだが。
01/11/24(土)
●一度は投げ出した『動物化するポストモダン』(東浩紀)を、とりあえず最後まで読んでみた。前半のどうでもよさにくらべれば、後半はやや興味深いと思われる部分もあった。以下、疑問に感じたことを挙げてみる。
(1).データベースと、そこから出てくる「萌え要素」みたいな話は、どこかユング的な、集合無意識と原形みたいな話を連想させてしまうような感じがある。いわゆる「オタク的な感性」は、そのような神秘主義的なものと親和性が強いだけに、妙にしっくりときてしまっていて、分析装置が分析する対象に引っ張られてしまっている感じがする。集合無意識という言い方はやや大げさであるにしても、データベースという概念を、共通感覚みたいなニュアンスで使うのは、適当ではないと思われる。ぼくは東氏がデータベースとか言い始めた時は、それが世界の「潜在性」のようなもののことを言っているのかと思っていたのだが、この本では、ほとんど「世界観」という言葉のイマドキ風の言い換えとして使われてしまっているようにも思える。こういう「分り易い」論理の組み立てをするのは、かなりヤバいのではないか。だいたい東氏の革新性は、デリダの「郵便」という比喩=概念と、フロイトの精神分析を繋ぐことで、非世界的=超越的なものを、郵便空間による「効果」として、即物的、唯物論的に説明してしまった、というところにあったのではないだろうか。なのにここでは、データベースが非世界的な場所に実在していて、オタク的な「萌え」はデータベースという超越的なものによって根拠づけられる、という話にも読めてしまうのではないか。多分この本に決定的に欠けているのは「資本主義」というものに関する考察で、それなしにオタク的な消費の話をしても、それはユング的なものに落ちつくしかないと思える。(近代絵画的な「無意識」と呼ぶしかないようなものがあるのと同じように、オタク的な「無意識」としか呼びようのないものがある、というのは、ぼくも感覚としてはよく分るのだが、その感覚をそのまま「理論化」してしまうというのは、東浩紀という「理論家」にとっては、後退と言うよりもほとんど退化とすら言えるようなことではないのだろうか。)
(2).東氏による、モダンとポストモダンの定義にはあまりにも無理があるように思う。東氏が挙げているポストモダンの特徴は、ほとんどそのままモダンにも(例えば近代芸術に)あてはまってしまうものだ。データベースから「萌え要素」を抽出して「萌えキャラ」をつくるなんていうことは、19世紀の絵画では当たり前に行われていると思うし、その「萌え要素」を意図的にデータベースから切り離して、あえて表層的な過激な組合わせをすることで、データベースを共有する人たちに対して挑発的、批評的なイメージを作ってしまうようなことは、何も村上隆氏の登場を待つまでもなく、マネなどが、既に非常に高度で複雑なことをやっている。モダンの特徴を、小さな物語から、大きな物語を見ようとする、あるいは、見えるものから、見えないものを見ようとすることだと定式化するのは、あんまり一面的にすぎる。(そのような面が全くないとは言えないにしても。)例えば東氏は、ポストモダンなノベルゲームの特徴として、《主人公の小さな物語は意味づけられることがない。それぞれの物語は、データベースから抽出された有限の要素が偶然の選択で選ばれ、組み合わされて作られたシュミレーションにすぎない。したがってそれはいくらでも再現可能だが、見方を変えれは、ひと振りのサイコロの結果が偶然かつ必然であるという意味において、やはり必然であり、再現不可能だと言うことができる。》と書くのだが、この引用部分だけを読むと、ぼくにはフローベール、プルースト、チェーホフ、カフカなどの名前が思いだされてしまうのだ。つまりそれって「近代文学」ってやつじゃないのだろうか。
だいたい東氏は(東氏がしばしば引用する大澤真幸氏や大塚英志氏もそうなのだが)、ものごとをあまりに簡単に定義しすぎる。何年に理想の時代は終り、何年に虚構の時代も終わる。勿論それは、象徴的な事件による、象徴的な区分に過ぎないとしても、そんな簡単に言ってしまっていいのだろうか。では、そのような例えば「理想」が、本当に十全に機能していた時代があったと言うのだろうか。実際にはその時代のただなかにおいても、いたるところに綻びがみられていたはずだし、逆に言えば、現在でもまだ、部分的、限定的には、「理想」が有効に機能することもあり得るのではないか。つまりそのような、決して一様ではないムラのある分布のなかを我々は生きているのであって、単純にモダンとの切断だけを言いたてて「通俗的な物語」を仕立てることが、どの程度有効なのかは疑問に感じる。
(3).この本が資本主義に関する考察を欠いているということは、「動物化したオタク=ポストモダン」が、どのような社会的な条件下で生息可能なのかについては、何も書かれていないということでもある。だがそれは、日本の高度成長やバブル景気などによって可能になったものだということは明らかだと思う。現在の日本は、確かに未曾有の不景気だとしても、バブル期の貯えが多少なりとも社会的に残っているし、バブル期にあった「一億総中流(同質的な社会)」という幻想も、ほとんど消えかけながらも薄っすら残ってはいる。「動物化したオタク」はこのような条件のなかで生息し、純粋化した発展をみせいてると言える。だがこのような社会的な条件が、そうそう長くもつとは思えない。グローバリゼーションとかネオリベラリズムとかの台頭は増々進み、社会的な勝ち組と負け組の格差が拡がって、至る所に階級や立場などの違いによる対立や摩擦が顕在化してくるという状況が過熱してくるといった社会になりつつある時に、東氏のオタク=ポストモダン論が、どの程度のリアリティーを持ち得るのかはとても疑問だ。勿論、未来の予想などしても何の意味もないとぼくは思うのだけど、例えば『存在論的、郵便的』が、世界を見るための新たなパースペクティブを与えてくれたような本だったのにくらべれば、この本は、どうしても後ろ向きの、「私探し」というか、「私」を正当化するための本のように思えてしまうのだ。