(0.)
《第三世界というのは、もはや他者ではないね。ぼくが今おもしろいと思うのは、結局今の人が行きついている場所というのは、ほとんどSFなんですよ。》と、80年代半ばの柄谷行人は、SF作家でもある笠井潔に言う。(「ポストモダニズム批判/根拠から虚点へ」)《われわれは、宇宙人とか地球の外部に他者を置かないと、他者を持てないわけです。それともう一つは過去です。アイヌ人とかね。》地球全体が均一なシステムで覆われてしまった以上、もはや亀裂となり得るような強力な差異は存在せず、外部を求め、物語を語ろうとするとSF的な与太話になるしかない。閉ざされて均質化した場所で、差異とは言えないような微少な差異を次々に見つけだしてゆくしかない高度な消費社会が完成したかのように見えた80年代の日本で、我々が感じていた閉塞感とはまさにこのようなものだった。しかし実は、このような閉塞感そのものが、冷戦体制によるの歴史の宙吊りや自閉的なバブル景気によって産み出された「幻影」でしかなく、それが崩壊してしまえば、潜在化していた様々な亀裂が否応無く浮かび上がり、当時の閉塞感など今から考えれば何とのどかなものだったろうと思わざるを得ない。しかしそうだとしても、当時その時空のなかにいた者にとって、この閉塞感は逃れ難く切実な、出口のないものとしてリアルに感じられていたことも事実なのだ。
しかし、美術の世界においてはそのような閉塞感はまだ続いているようなのだ。第二次対戦後、抽象表現主義を通過して以降の絵画にとって、カンバスの四角い平面は、絵画の条件であり目的であるものとして、先験的に与えられているということになっていた。つまりその平坦で均質な「器」そのものがそのまま「内容」であり、その上にどんな行為が加えられ、どんなイメージが描かれようと、既に四角い平面である絵画という器によって規定されてしまっている。それは「理念」としてだけでなく、「感覚の形式」としても画家たち、観者たちを縛っているもので、だから、そんなこと全く考えてなどいないという者も、それとは別のことを考えているという者をも、等しく束縛してしまっている。平坦で均質な、四角いフレームをもった平面という「形式」があらかじめ与えられている以上、そこでどんなに無茶をしようと、あるいは何もしなかろうと、そこから何かしらの「意味」を特定のコードによって半ば自動的に読み取ることが出来てしまう。つまり絵画の「内容」は、特定の面積を持った平面の上でなにかしらの差異を形づくるための、順列組合わせのパターンを開発するゲームにすぎなくなる(リヒターを見よ)。どのような一回的な行為も出来事も、すぐさま可能なパターンの一つのバリエーションとして認識され、消費される。ミニマル・アートから新表現主義、あるいはシュミレーショニズムに至るまで、どのようなモードのチェンジがあっても、そこには目先の珍しさを競う空虚なゲーム以外のものを見い出すことが難しい。そこで「絵画の死」が宣告され、多くの画家たちは絵画空間というフレームを捨て、現実の空間に直接的に関わろうとするようになる。パフォーマンス、インスタレーション、アースワーク、パブリック・アート、等々、しかし、いかにフレームが拡張され、社会的な文脈が導入されようとも、ある「特定のフレーム」が前提として設定されてしまっている以上、それは、絵画の平坦で均質な平面となんらかわるところはない。つまり、囲い込まれていて、出口なしだ。このような閉塞状況においては、(まるで「宇宙人」のような)突飛な「外部」(「政治」「日本」「ジェンダー」「サブカル」等々)が無批判に「現実」として要請されてしまうのだ。だが、閉ざされたフレームのなかにいきなり導入される「現実」など、非現実的な与太話以外の何だと言うのか。(まさに太郎千恵蔵の「宇宙人」のようなものだ。)
小林正人の絵画の力は、そのような閉塞状況を出発点として共有しながらも、画家としての「描く力」によって、(決して宇宙人など必要とせずに)全く別の次元を力業で招き寄せるところにある。(1.)
小林の作品は、ほとんどが「広々としているが閉ざされている空間」を感じさせるようなものだと言える。そこに現れているのは、がらんとした大きな空洞のような、とても広いのだけど閉ざされた空間だ。そしてその空間には、外から射しているのでも、それ自身が発光しているのでもないような、ある「明るさ」があり、それは光がどこからともなくそこに集まってきて、留まり、たゆたっているような「明るい場所」なのだ。この、どこからともなく光が集まり、滞留しているような状態こそが、小林の作品を、まぎれもなく「絵画」としか呼びようのないものにしている。光が、集まり、留まり、たゆたっている、と言って思い出されるのは、例えばマティスの1930年代の油絵だろう。『桃色の裸婦』や『夢』といった作品(共に1935年)の、その色彩、特に輝くような桃色の肌の素晴らしさは驚くべきもので、それは「ある明るさの停留」としか言えない、明るさがそのまま色彩であるような状態としてある。絵画は、光を反射することによって可視化される。表面に当った光の全てがその場で反射するのではない。そのうちのいくらかが、半透明の絵具の層を通過して基底材であるカンバスの白に達し、そこで反射された光が再び絵具の層を通って(表面から直接反射した光と混じって)我々の目に届く。マティスの場合、絵具の層のなかを往復して通過する時のほんのわずかの間の、光の、留まり、たゆたい、乱反射が、その驚くべき色彩を可能にしている。ごく薄い層を通り抜ける光の、ほんの一瞬とさえ言えない微細な逡巡やズレや混濁が、色彩にこの世のものとも思えない表情を与える。このような光の滞留という状態は、絵画というメディウムによってはじめて可能になる訳で、ここでは絵画とは「ある明るさ」を捕獲し、そこに留めておく装置なのだ。小林の絵画も、明るさの「集まる場所」という、絵画の奇跡的な状態を体現している。小林はその状態を得るために、絵画という装置を限界ギリギリのところまで酷使しているのだ。例えば1985年から86年にかけて制作された『絵画=空』や、1990年の『ペインティング』『天使=絵画』『青キャンバス』の3点組の作品、1994年のVOCA展に出品された『絵画の子』のなかの一点などは、ある色彩を持った光が、光=物質として、気体のように拡がり、かつ固体のように明確にイメージを示していながらも、それが絵具という物質に規定されてはいなくて、光そのものとして存在しているかのような表現を獲得している。
(2.)
小林は、絵画は純粋な「単体」でなければならないと考える。例えばあるインタビューのなかで、コップのなかの水を芸術作品として表現する時、ただコップに水を入れただけでは「コップ」と「水」という2つのものに分離してしまうから駄目で、「コップのなかの水」という状態を「一つのもの」として作り上げなくてはならない、と言っている。(「月刊ギャラリー」2000年8月号のインタビュー)また別の場所では、純粋な単体のみがもつ輝きというものがあり、自分はそれを古典的な彫刻から学んだのだ、とも言っている。だから絵画は、出来上がったカンバスの上に描かれるのでは駄目で、木枠を組み、麻布を張り付けるという行程と、そこにイメージを描き込むという行程は同時になされなければならず、基底材としてのカンバスが出来上がるのと同時に絵画は完成しなければならないのだ、と。(宮城県美術館、小林正人展パンフレット)
しかし、ちょっと考えれば分るのだが、このような考え方は、あまりに観念的であり、原理主義的であり、予定調和的である。事実、このようなやり方で制作をはじめた当初は、どうしても最後になって「辻褄をあわせる」ことが必要だったと本人が語っている。(「アクリラート」Vol.22)しかし小林が画家として優れているのは、このような予定調和が、制作をつづけるという具体的な作業のなかで徐々に壊れ、そこから何とも異様な姿の絵画を出現させてしまったというところにある。絵画が純粋な単体として成り立たなければならないというのは、予定調和的な理念にしか過ぎない。実際の制作においては、決して一挙にあらわれることのない複数の局面が、矛盾やズレを含みながら継起的に立ち上がってくることになるだろう。画家としての小林はそんなことは百も承知のはずだ。小林はそこで、理念の綻びを小手先の技術によって解消したり、現実に現れてくるズレを覆い隠そうとはせず、むしろそのズレに注目し増幅させることさえする。しかしそれでもなお「純粋な単体」をすてることはしない。当初はそれでもまだ美しい絵画作品という形式に納まっていた小林氏の作品は、次第に麻布が激しく波打つようになり、木枠の歪みも大きくなってゆき、そのうち壁に架けることも出来なくなり、現在では木枠はほとんど解体され、フレームと布が分離してしまう直前にまでなってしまっている。つまり、絵画は純粋な単体として成立しなければならない、物質とイメージとはぴったりと重なって同時に生成されなければならない、という考えによって採用された方法が、それを愚直に探求してゆくことで、実は絵画は決してひとつの純粋な単体としてなど成り立たないという事をはっきりと露呈させてしまうという結果を招いているのだ。しかし小林の絵画は、単に破綻している訳ではない。このような破綻、分裂を決してきれいに解消してしまうことなく、維持しつづけながらも、そこに「一つの像」を出現させようとすることこそが重要な問題となっているのだ。破綻に身を貫かれていながらも、身をよじるような、身もだえするようなスリリングでエロティックなイメージが実現されているし、光が留まり、たゆたうような非世界的とも言える光=色彩も実現されている。小林の作品には「描く力」というタイトルのものがあるが、小林の作品を興味深いものにしているのは小林が絵具や画布と一体となって制作する時にあらわれるこの「描く力」であって、小林の考えや方法の「正しさ」あるいは「正しくなさ」ではない。予定調和的な考えを持つ小林を否応なしに引き裂き、別の場所へと引っ張ってゆくような「描く力」は、実際に絵を描くという行為を通してしかあらわれてはこないものだろう。(3.)
やや急ぎすぎたので、迂回をして補助線を引いておく。
小林の言う「ひとつのもの」「純粋な単体」という考え方には、あきらかにグリーンバーグからジャッドへと至る「単一性」という概念とマイケル・フリードによるその批判が響いている。つまり、前述したインタビューで小林が述べていることは、身も蓋もなく言ってしまえば抽象表現主義以後、ミニマル・アート以降の美術史の流れへの批判であると言ってもよいだろう。ジャッドが「部分と部分の恣意的な組み合わせによる構成」を否定して「単一性」(部分を持たない物体)をもってくるのに対して、小林は、「それぞれ才能があるはずの現代画家たちが、やっぱり面上の造形で行き詰まっていると思う」(「アクリラート」Vol.22)ことへの批判として、そこを突破するためのものとして、古典的な彫刻のもつ「純粋に完成された単体の明るさ」をもってくるのだ。しかし恐らくここで小林が意識しているのはやはり抽象表現主義であり、抽象表現主義以降にどのようにして絵画を成り立たせるのかという問題であると思われる。《僕にとって、最初にキャンバスがあるということは、描くよりもまず先に消すことから始めるということです。そうである以上、その後にいくら描いたり消したりしても、結局は支持体を消しているだけで、画面をつくっているのではない。(略)ジャッドが言った「絵画には二つの面がある」というのは、まさしくそこなんだよね。支持体と画面の問題。で、彼は立体の方へいったけれど、僕は、絵画でそれを乗り越えたいんです。》
(「アクリラート」Vol.22、)支持体と画面の分離の問題はともかく、画面の問題のみをみた場合、「面上の造形」を排して「純粋に完成された単体の明るさ」に最も近づいた抽象表現主義の画家はと言えばバーネット・ニューマンであろう。ニューマンは、その絵画を決して分割出来ない「一つの空間」として出現させようとした。ニューマン自身の言葉で言えば、「分割される空間でも構築する空間でもない」それ自身で過不足ない十全な表現性をもつ「一つの空間」を出現させるような絵画。このような考えは、哲学的には、ニューマンが好んだスピノザなどに由来するだろう。しかし、現代絵画の展開という側面からみると、絵画空間がしだいに平面的なものになってゆくにつれ、絵画がたんなる「物体」へと近づいてゆかざるをえないという必然的な流れのなかで、極限まで「平面化」しながらも、決してたんなる物体になってしまうことなく、高い表現力をもった空間性を獲得しなければならない、という、いわば当時の状況による外的な要請があったことは見逃せない。「分割される空間でも構築する空間でもない」一つの空間をもった絵画とは、モノクロームの絵画のように画面を単色によって塗り込めた作品を言うのではない。そのような作品を観るとき、我々はそれを壁にかけられた四角い形として認識する。つまり、白い壁という地の上の四角い図ということになり、それはカンバスの上に描かれた四角と認識の仕組みは何ら変わらない。ならば壁全体をある色で塗ってしまえば良いかと言えば、それだとたんに、色のついた「壁」になるに過ぎない。そこに作品=表現はない。ニューマンはこれを、「ジップ」と呼ばれる、画面を垂直に貫く線条=色帯によって克服する。だから実は、ニューマンの画面は「一つの空間」とは言っても、何本かのジップによって分割された色面からなっている。このジップという線条=色帯はまるで魔法のような効果をもつ。ジップによって、それぞれの色面は分割されると同時に分かちがたく結びつき、ただ一色で塗られた色面は活気を与えられ、情感を付与され、空間を生じさせられる。ジップはフレームの形態を作品内部で反復=反響させ、作品の巨大さと相まって展示空間のなかでフレームの形態が際だって浮かび上がるのを和らげる。(しかし壁と同化はしない。)これらのことについて藤枝晃雄は次のように書く。
《ジップと色面が画面のなかにあるのではなくて、画面という全体と結合している。これらの作品についてグリーンバーグは、絵それ自体がすべて額縁になっているとし、「絵の縁は内部で繰り返され、ただ反響される代わりに絵を形成する。」と述べている。この場合、ジップはモンドリアンのような線ではない。物理的には線であっても線には見えず、画面と一になって現前している。》
(藤枝晃雄「バーネット・ニューマン」『現代芸術の不満』より)例えば、ニューマンの最高傑作の一つであろう『英雄的にして崇高な人』という巨大な(2.32×5.42メートル)作品では、6本のジップによって画面が構成的とも言えるやり方で分割されているのだが
《しかし、このようなことはイーゼルペインティングのように一気に捉えられるものではない。この作品と対峙したとき、この作品はジップの幅や色調の違いによるイリュージョンを感じさせず、それゆえ全体論的と見られるなかで、グーセンが言うようにそれぞれの場面で色を響かせる多様性をもたらす。とすれば、これは画面の枠を超えてひろがってゆくという常套的な見方では把握できない、ある限界のなかでの無限と言うことが出来るだろう。》
(藤枝晃雄「バーネット・ニューマン」『現代芸術の不満』より)つまり、巨大な作品に包み込まれている観者は、フレームの全体を確定的に把握することはなく、だからジップをフレームとの関係によって「構成的」なものとして把握しない。そこでは色彩が、フレームを確定出来ないようなある領域として目の前に広がっていて、そのなかで、今、視線が捉えているその部分がそのまま「全体=限定された無限」として「表現」となってしまうような作品なのだ、と言っている訳だ。
だがしかし、たとえ作品が「分割される空間でも構築する空間でもない」ものとしての「一つの空間」を出現させているとしても、その「一つの空間」を成立させるためには、最低限「一つの差異」つまりジップと色面という「二つのもの」が必要であったことを忘れてはならない。ここに既に「純粋な単体」という概念の綻びがあるのだ。つまり空間とは常に一つの差異を含まなければ成立しないものである以上、「一つの空間」などあり得ない。何より、我々がある作品を「作品」として認知するためには、「作品」と「それ以外(周囲の空間)」が分割されなければならないのではなかったか。ニューマンの作品は、美術館の空間=環境と一体化などしていない。むしろその作品は、空間=環境から屹立するように存在している。作品は、あらかじめ与えられた場所として「美術館の一画」を前提にしてつくられている訳ではない。それは空間=環境からも、それを観る観者からも切断されている。もともと別のものとして切断されているからこそ、その後、じわじわとしみ出すように周囲に、そして観者へと作用してゆくことが出来るのではないだろうか。つまりここでも、ある切断=差異があることによって、はじめて「一つの全体性」ともいえる空間が立ち上がってくるのだ。ニューマンの作品が重要なのは、全体性が実現されているからではなく、実はその作品を観る者に全体性という概念のもつ亀裂の意識を強いるからなのだ。
言い換えてみよう。《(ジップによる分割ならざる分割は)イーゼルペインティングのように一気に捉えられるものではない。(....)この作品はジップの幅や色調の違いによるイリュージョンを感じさせず、(....)それぞれの場面で色を響かせる多様性をもたらす。とすれば、これは(...)ある限界のなかでの無限と言うことが出来るだろう》と藤枝晃雄が書く時の「一気に捉えられ」ることのない「ある限界のなかでの無限」とは、この巨大な作品(『英雄的にして崇高な人』)のなかを視線が彷徨いながら、その都度、その都度で目に入った「今、観ている部分」が、そのまま全体と同等な表現(限定されたなかでの無限)となる、ということなのだ。とすれば、その「観ている部分」がそのまま「常に一つの全体」であるはずの空間は、実は、視線を動かし、焦点を移動し、あるいは身体=視点を移動するたびに、その都度新たに現れてくる無数の「別の表現」(藤枝氏の言う「多様性」)の折り重なりであり、それらは一つの空間であるどころか、無数の感覚与件へと分裂しているということになるのではないだろうか。「今観ている部分」が、フレーム全体との関係において「部分」を構成しているのならば(つまりこれこそが「構成的な空間」なのだが)、次々と新たな感覚として入力されてくる部分は、最終的に、全体によって統合されることが保証されている訳だが、今観ている部分が、フレームとの関係が未決定なまま、そのまま全体となるならば、その部分=全体は、次々と新たに与えられるばかりで、時間差をおいて次々に現れるそれら複数の感覚の間でどのような結びつきも保証されず分裂したままになる。全体を一気に捉えることが出来ず、その色彩に包み込まれるように視線を漂わせるしかない時、人は今見ているもの=絵画の「正体」を確定することができず、まるで幽霊のような無数の「見た目」の分裂にみまわれる。そして「見た目」が分裂したままで統合される保証が見いだせないとき、それを観ている主体=視線も、見た目とともに無数に分裂してしまい、それを統合する根拠を見失う。実は、ニューマンの作品を観るというのは、このような経験なのではないだろうか。このように考える時、ニューマンの作品はそまのまま、小林の代表作である『絵画=空』に折り重なって見えてくるだろう。(しかし小林は「ジップ」無しで同等の効果を実現させている。)この作品を前にした観者は、寄る辺無い広がりのなかに静かに吸い込まれ、知らないうちにそこに投げ出され、そこで次々と継起してくる無数の「見え」の分裂に見舞われて、自らの主体もバラバラに砕け散り、雲を構成する水の粒子のように大気のなかに拡散してしまう。しかし、奇跡的な傑作とも言える『絵画=空』は、小林にとって出発点であるに過ぎない。
(4.)
迂回が長くなりすぎた。では、具体的に小林正人は抽象表現主義とどう違うのか。ここで小林がインタビューにおいて語っていた「支持対と画面」という絵画の二つの面、言い換えれば「物質」と「像」の分離あるいは一致を巡る問題が浮上してくるだろう。
ニューマンの作品では、線条(ジップ)は画面の矩形を反復するものであることから、形態=構成の恣意性は抑制され、画面は「分割される空間でも構築する空間でもない」ひとつのものとなり、同時に、それ(ジップ)が画面を活気づけ空間を生むことで、作品がたんなる平面=物体に成り下がってしまうことなく表現となる。つまりそこには形態はなく空間だけがある、という効果をもつ。(それは俗に言われるように「図」がなくて「地」としての空間のみがある、ということとは違う。図と地が分割不可能になった状態としての空間がある、ということなのだ。)そこでは絵画の物質的な側面は意識されず、ただ「像」(「形態」のない「空間」という「像」)だけが浮かびあがるという寸法だ。対してジャッドは、それでもジップと色面、「像」と(抑圧された)「物質」という分離があって不徹底だとし、部分や構成という概念のなりたたない単純な形態の物質(箱)を、構成とはいえないように規則的に配置することによって、「像」を排した「物質」としてのみ示す。(その時たんなる「箱」が十全な表現性をもつ、とする。)簡単に言えば、ニューマンは「物質」を抑圧し、ジャッドは「像」を抑圧することで、像と物質という「絵画の二つの層」が分離してしまうことを抑えるのだ。(ここでいう像と物質とは、作品をフェノメナルに捉えるかリテラルに捉えるかという違いであり、だから物質と言ってももの自体のようなものを指すのではない。)
小林は、絵画における二つの層のどちらも抑圧することなく一致させようとする。像を描く行為と、キャンバスを組み立てる行為が同時に進められなければならないのはこのためだ。だが、ここで恐らく小林は思い違いをしている。《最初にキャンバスがある》(カンバスがあらかじめ与えられている)というのは、実は物質のとしてのカンバスが実際に完成された工業製品として絵が描かれる前にある、ということだけではなく、絵画を描くための基底材としてカンバスが社会的な約束事として既に歴史的に与えられてしまっているということをも意味するのだ。だから小林がいくら、像と物質は同時に生成されているのだと言ったところで、出来上がった物が「カンバス」に見えてしまえば、当然カンバスはあらかじめ与えられた物として見られる他はない。だから初期の「空」や「天窓」が描かれた作品では、小林の方法は(小林自身がいかにそれを必要としていようと)ただ画家が絵を描く時の制作の段取りであるに過ぎない。確かに『絵画=空』は特権的な傑作なのだが、しかしこの時点ではまだ、それは抽象表現主義の修正主義的なアプローチによるあだ花のような作品に過ぎないという批判に対して、有効な反論が組織できない。ここでは未だ、像と物質の分離を抑えているのは、抽象表現主義と同じように、物質の抑圧によるのだ。
だが小林の「描く力」は、このような思い違いを抱えたままでも突き進んで行く。この進展力こそが画家の能力を示している。1992年頃から始まる『絵画の子』と言うシリーズになると、張られた麻布の弛みや組まれた木枠の歪みが目立ってくる。弛んで皺が生じた画面は平面と言えるかどうかが危うくなり、歪んだ木枠は我々がカンバスとして知っている物質から微妙な、だが決定的なズレをみせはじめる。しかし、皺の寄った麻布に描くことは、あらかじめ表面に凹凸がつくられた面に描くこととは違うし、歪んだ木枠は、あらかじめ形が決定されているシェイプトカンバスとは根本的に異なる。それはまさに、絵画が、像が、描かれ、生成されるその過程で、描き生成するという行為そのものによって生じた変形なのだ。つまり像の生成という出来事によって、既に存在してしまっていたカンバスが傷つき歪み変質を強いられるのだ。この時にはじめて、像を描くことと、それが描かれる場である基底材が立ち上げられることが同時に行われたのだと言えるだろう。だとしても、それは決して像と物質の幸福な一致とも、絵画を「純粋な単体」とすることとも違っている。1997年の佐谷画廊での個展になると、恐らく壁に架けると自らの形態を支えることが出来ず、重さで形態が崩れてしまうからだろうが、作品は壁に立て掛けられ床面に置かれるようになり、さらに2002年のRICE GALLERYの作品では、木枠は枠というよりテントの骨組みのようなものに過ぎなくなり、しかも多くの作品はフレームの下辺の部分がなくて、上から垂直に落ちてきた麻布はそのまま地面にぶつかり折れ曲がって、長過ぎるズボンの裾のように床の上にたわんでいたりする。ここで起こっていることを例えて言えば、セザンヌのある種の作品は、異質なもの共存不可能なものを、強引に同一平面上で接続させているため画面がギシギシと音をたてて振幅し、いまにもフレームが歪み、表面が波打って反り返り裏返ってしまいそう異様な緊張を漲らせるのだが、小林の絵画では、それがまさに「実際に」起こってしまったようなものだ、と言える。このようなものを絵画と呼べるのだろうか。だが、例えば洞窟に描かれた壁画などは、彎曲し、しかもゴツゴツと波打った面に描かれている訳だが、それは洞窟の壁であると同時に絵であり、平面でありイメージであるのだということは誰でもが認めるはずだ。小林の作品は特異なものではあっても、確かに絵画としか言いようのないものなのだ。小林は、(宇宙人のような)外部を導入することなく、徹底的に絵画の内側にある「描く力」のみによって、抽象表現主義以来の絵画の形式的な閉域を、ある異様なやり方で内在的に突破したのだと言えるだろう。
(了)