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  カウンター

 



このカエル「ケロジ」は、
エンリケママに頂いたので、今回お守りとして同行。
一緒に写っているビールは「クラブコロンビア」
コロンビアの美味しいビールです。

 

2007.10.12〜27
コロンビア旅行記。

今回の旅のテーマ「臨機応変!」

 

 



玄関を入ると
「ようこそサワコさん!」のポスター



みんなで晩御飯

 

10月12日(金)
エンリケとカルロスパパ(エンリケのパパ)は、9日から先発隊としてコロンビアに行ってしまったので、私、往路一人旅でございます。トト達を預ける時間をなるべく短くするために、今回はエンリケと日にちをずらして旅に出ることにしました。
トトモモルビーに後ろ髪ひかれつつ出発!
「夜にはスティックが犬散歩に来てくれるからね。」…と 言い聞かせつつ、そっと家を出る。(うぅ…涙)
今回の旅行中は、スティック氏にトトモモルビーの朝夕の散歩や御飯の面倒を見てもらいました。スティック、ホントにありがとう!!

つつがなく成田からヒューストンに到着。(そういえば日本での荷物検査は、全然厳しくなかったな。)で、トランジット。 一時間くらい飛行機が早く着いちゃって時間を潰さなきゃなぁ…。と思ってたら、たった2時間の乗り換え時間なのに厳しい入国審査の列に並ばねばならない。これがものすごい長蛇の列!これじゃあ、時間通りの到着だったら、乗り換えに間に合わないところでした。
2時間しかアメリカに居ないのに、いちいち指紋と顔写真とって、ボゴタ行きのゲートへ。
ふぅ〜ギリギリ間に合った〜。という感じ。
やっぱりテロ以来、厳しいんですな。
エンリケとパパは、乗り遅れるといけないので、行きがけはヒューストンに一泊したのですが、パパももう81歳なので、正解です。ここは念のため時間に余裕をみた方が良いです。
ゲートの列に慌てて並んだら、コロンビア人の女の子に「このゲートは、ボゴタ行きか?」と聞かれたけど、私に聞くなよ〜。ここからはもうスペイン語の世界。日本人もこの飛行機には、私一人だけだな。
機内持ち込みの荷物は、ここでは検査され中身を開けさせられた。出発まで時間がないのに、きびし−。。。
そして、ボゴタ行きに乗ったら、もう安心。これで着けます。

で、20:50ボゴタに到着。(すっかり夜だ)今回、14年半ぶり!
でも、出口に向かうが、まだ誰も迎えに来てない。あれれ?
不安の中、人の波をかき分けかき分け…外に出ようかというところで、お迎えの皆様の姿が見えた!あぁ、よかった。
丁度この日は何かのデモで道が大渋滞していたらしく、エンリケもノエミさん(エンリケのお姉さん)も焦っていたようです。
ま、ま、無事で良かった。
お姉さんの家に行くと、姪のなほみちゃんとりえちゃんがお出迎えしてくれた! こんなポスターまで書いてくれて嬉しいなり〜!
なほちゃんは、オニギリまで作ってくれて、さんきゅ〜!かわいい子供達です。
しかし、今日のところは疲労困憊。
ホテルに帰って即寝る。Zzz…。

 

 

 

塩釜

アヒアッコ
バンデハパイサ

塩の壁



延々続く洞窟


10月13日(土)
朝、起きられない…。
コロンビアの首都ボゴタは、海抜2600mくらいのところにあるので、高山のためか動けない…これは高山病?
朝からグッタリしつつ、昨夜お姉さんに頂いた薬を飲む。
ホテルの朝食は9:30までだったが、9:23に突然霧が晴れるようにスッキリ良くなった!ギリギリだ〜。
さっきまで、倒れててグタグタだったのに、喰うんかい?…ってカンジですが、朝食にスクランブルエッグとジュース頂きました。このあとたくさんの予定があるからね。とりあえず食べておかなきゃいかんです。

そして、11:00にジェイソン(ノエミさんのパートナー)が迎えに来てくれて、カルロスパパ、エンリケ、なほちゃん、私の5人でシパキラ(Zipaquira)へ行く。かなり遠い。ボゴタから北へ約40km。
今、コロンビアは雨期なので、途中雨に降られるが、昼過ぎにシパキラ到着。
まずは、レストランで腹ごしらえ。
ここは、岩塩の山なので、レストランでも入り口に大きな塩釜があって(写真)、火を入れて塩を作っている。
アヒアッコは、じゃがいもがトロけたスープ。とうもろこし、鶏肉にシラントロという葉っぱが入っている。コンソメ味。シラントロは、日本で売ってるのは、コリアンダーの葉っぱですが、=パクチ−?かと思いきや、ちょっとニオイが違うぞ?なんでしょね?何か微妙に違うもののようです。
お好みで、生クリームやチーズ、アルカパラス(日本で売ってるケーパーのような酢漬けの実。でもケーパーよりもっともっと大粒)や、アヒ(トンガラシとネギの刻んだのを混ぜたようなもの)これらをトッピングして食べる。お腹にやさしい美味しいスープです。
バンデハパイサは、お米に煮豆や、肉のそぼろや、ジュカという芋やバナナの焼いたのや、ソーセージや、目玉焼きや、アレパ というトウモロコシの粉で出来た丸いパンのようなものなどなど、とにかくいろんなものが乗っかってる伝統料理のセットです。これ全部食べるとお腹いっぱい。。。たらふくパンパンのお腹で塩の教会へ。

ここは、岩塩鉱山を掘った洞窟の中に教会がある。
めちゃくちゃ広い。
真っ暗な中、岩塩を掘り出して作ったいくつもの十字架を見て、どんどん奥へ進んで行く。最後に一番奥正面の礼拝堂の巨大な十字架は、圧巻!
全部回るのに一時間くらいかかった。
壁ももちろん塩なので、なめてみたが、やっぱりしょっぱいよ〜!
地層の柄が幾何学模様。こんなに高山なのに大昔は海だったとは不思議なことだ。大陸と大陸がくっついて、海水が山の上まで押し上げられたってこと?
塩は、日本でお清めに使うから、ここが聖なる場所になるのは、なんとなく判る気がする。

帰りに塩でできた十字架をお土産に買おうと思ったが、一番小さいので7000ペソ?…っていくら?即座に計算できず、なんだか高いような気がしてやめる。
でも、帰って計算したら、460円くらい?なんだ〜買えばよかったなぁ。。。

夜、ボゴタに戻ってから、革製品が安いというので、皮革屋さんが並んでいる通りに連れていってもらう。
エンリケと私とそれぞれ1枚づつ、2枚の皮ジャン を買って、合わせて41万ペソ…って、いくら?
… 27333円?!安!

ホテルに帰ってスティックに電話。
東京は大雨だって?
はぁ〜…申し訳ありません。


スマパス川


姪っこのなほちゃんと、りえちゃん


お墓は、土葬のあと
5年くらい経って骨だけにして、
この棚のお墓に入る



マグダレーナ川近くの親戚の家


ヒラルドで有名な鉄橋
下を流れるのは、マグダレーナ川


長い鉄橋を渡ったところ


上から見たマグダレーナ川


 

10月14日(日)


朝5時起き!
6時、ヒラルド(Girardot)へ出発!ヒラルドは、カルロスパパの育った街。
地図で見ると、ボゴタからヒラルドまで片道100km くらいですが、ここ首都ボゴタは、標高2600mのところにある巨大な盆地。周りをアンデス山脈で囲まれていて、標高3200m、いや、もしかしたら3600m くらいまで山道を一度登ってから、下におりるので、距離は倍近くあるんじゃないかな?
車2台に分乗して 7人で行く。

途中、カルロスパパの一つ目の思い出の川、スマパス川の近くで、遅めの朝御飯食べる。
ソパ デ パハリーリョ(レバーとイモのスープ)と タマル(御飯、トウモロコシ粉、玉ねぎ、にんじん、とり肉、豚肉などを バナナの皮で 包んで蒸したもの)とショコラテ(ココア)。
しかし、ここでタラフク食べてしまったのは、ちょっと失敗であった。
…まもなく行く叔父さんの家でもう一度食事が出てくるとは…。

スマパス川を見て、メルガルまで山を下ってきた頃には、かなり気温は暑くなって来た。
山の高低差でエレベーターに乗った時のように耳が詰っていたのが、だんだん抜けてくる。
途中で車を停めては、服を夏服に着替えてゆく。

そうこうしているうちに、やっとヒラルドに到着!ここは、熱帯。
14年前にも来たことがあるバッテリー屋のマヌエル叔父さんの家にやってきた。
前回ヒラルドに来た時には、マヌエル叔父さんはまだお元気で車でいろいろ案内してもらったのだが、その後叔父さんは認知性になってしまい、私達が着いた時には、ぼんやりと座っていた。
でも話し掛けると、 笑って応え、カルロスパパが「あなた達、La Mucura を歌いなさい。」というので、りえちゃんと私と二人で、La Mucura を歌った。さすがに昔の歌は憶えているもので、叔父さんも一緒に歌った。歌は、国境も年代も越えますな。
しばらく叔父さんの家でゆっくりして、昼御飯が出て来た。
あぁ、しまった…。まだ私達のお腹は、パンパンなのでした。
しかも、出て来たのは、アヒアッコとタマル。あ〜あ、その上、さっき食べたタマルより美味しそうだ。
でもお腹いっぱいで食べられない…。残念。
とりあえず、アヒアッコだけ頂いて、みんなでお墓参りへ行く。

こちらのお墓は土葬で、5年くらいたったら掘り返して、焼いて骨だけにして小さな扉のついた棚のお墓に移すらしいです。墓地の外壁に沿って小さな升目に区切ったお墓の棚がいっぱいあって、扉にはそれぞれ亡くなった人の名前が書いてある。その中にカルロスパパの御両親や兄弟のお墓があって、元神父さんだったカルロスパパの方式で祈り、それぞれお参りをした。

その後、パパが子供の頃 住んでいた家に行く。そこから急な坂道を降りた所にマグダレーナ川があって、パパは昔よくここで泳いだらしい。もうちょっとで溺れかけたこともあるという。
だだっ広い濁った川で、 ブタが4、5匹放し飼いになって川辺で餌を食べていた。
パパが住んでいた家には、今はパパの異母兄妹が住んでいて、トイレを借りたり、飲み物を頂いたりして、パパが話し込んでるうちに「冷蔵庫を買ってくれ」だの、「ローンの援助してくれ」だの言われる。うぅむ。。。日本からわざわざ来たので金持ちだと思われてるらしい。

それから、14年前にも行ったことがある鉄橋に行く。はるか下を川が流れているかなり長い鉄橋。下を見ると怖いので遠くを見ながら、エンエン歩いて向こう岸まで行く。そして、そこに何か名所が有るわけでもなく(鉄橋自体が名所なんですね。)みんなでアイスを食べて、お土産にブレスレッドなど買って帰る。行きも帰りも足がガクガクするような高い鉄橋の線路沿いを歩いて、もと来た向こう岸へ戻り、帰路に着く。
帰る頃は、くたびれてもうヘロヘロ。車中で寝てしまいました。ごめんなさい。
そういえば今日は、私の誕生日だった。なんだかスゴイ誕生日だったなぁ。

ボゴタに戻った頃は、真っ暗。夜もふけてきた。
チキン料理屋でお食事。
エンリケは明日帰るので無事を祈り、私のお誕生日も祝って頂き、みんなで乾杯〜!

 

 



リエちゃんのお部屋に泊めてもらった
きちんと片付いたお部屋


スーパーで写真撮ったら怒られた!
青いバナナは、焼いて食事として食べる


浴衣を着たところ
左より なほちゃん、私、りえちゃん
なほちゃんは、もう私より背が高い



 

10月15日(月)
またもや、朝5時起き!
6時に ホテルまでノエミさん達が迎えに来てくれて、エンリケは空港へ。
見送りに行くパパ達で車はすでに満員なので、私はお見送りに行かずに続けてもうちょっと寝させてもらう。
一人で朝食を食べた頃、 ノエミさん達が迎えに来てくれて、チェックアウトして、今日からはノエミさんの家にお世話になる。

ノエミさんとジェイソンがスーパーマーケットに行くと言うので、ついて行く。外国のスーパーは面白いです。
ここは、果物とか食べるものは安いのに、ティッシュペーパーのような工業製品が滅茶苦茶高い。
お菓子やジュース、トイレットペーパーなど購入。

家に戻って、お土産に持って来た浴衣の着付けを なほちゃんとりえちゃんに教える。
二人とも覚えが早いし、よく似合ってます。
そして、パパの弟のホルヘ叔父さんがやってくる。
彼は、本を何冊も書いている作家で、かなりインテリらしい。
パパの邪魔をしてはいけないので、私達は別室で日本からのお土産の「ラストサムライ」を観賞。…うぅむ。なぜここでラストサムライ?
それにしても不思議は映画だ…。

夕方からは、昔ボゴタに研修に来てボゴタの女性と結婚して、今は日本に御家族で住んでいる方から、妻の実家に持って行ってほしいということで預かった荷物を届けに行く。これがものすごい量!
開けてみると、ほとんどチョコレート?え〜?コロンビアにもいっぱいあるじゃん。
…とも言えず、お届けしたおうちにお邪魔する。
そのまま、夕食にタマル(またか?)とチョコラテ(ココア)をごちそうになり、 これで荷物も減ったと、ちょっとホッとして おいとましようと立ち上がると、「これを東京に持ってって欲しい」と、また頼まれた!きゃぁ!しかも、持って来た物より多いよ〜。
しかし、ごちそうにもなったし後にはひけず、しかたないので、「No se preocupe.」 と調子のいいことを言ってしまい、あぁ…断るスペイン語も習っておくべきだった…。
パパ曰く「あのおばあさんにやられましたね。もう二度と行きません。」だって(笑)

コロンビア豆知識:こちらではくしゃみをすると、一回目には「SALUD(お大事に)」二回目には「DINERO(お金)」三回目には「AMOR(愛)」四回目には「GLIPA(風邪)」というらしい。

 

 


美しい朝焼け



プエルトロペス


 

10月16日(火)
今日は、いつもよりさらに早い4時起き!
みんな眠い目をこすりつつ、パパ、ジェイソン、なほちゃん、私の4人で5時に出発!
ボゴタ市内では、ピコ イ プラカ(pico y placa )という、朝6時〜9時と夕方16時〜19時、曜日によって、車の末尾のナンバーが何番しか走っちゃいけないという規制があるのです。(番号は定期的に変更される。)今日は、ジェイソンの乗る車が規制対象。6時までに市内から出なきゃ法外な罰金を取られてしまうのです。急げ急げ〜!
真っ暗な夜明け前から、山あいの美しい朝焼けを見て、長いインコトンネルを抜けると真っ白な濃霧!別世界!
標高が下がると耳がつまるので、飴は必需品です。
ペットボトルは、山の上まで行くと、気圧でパンパンに膨らんで、下に降りるとペシャンコになります。
そして、まただんだん暑くなってきた。今日はどこに行くのだろう?
ボゴタの南東ビジャビセンシオ(Villavicencio)という草原を通って、何が何だかわからぬまま、プエルトロぺス(Puerto Lopez)へ。
今回行った中でここが一番遠かった。。。
地図で見る限りは、直線距離190km くらいだが、やはり標高の高低差があるので、距離は1.5倍くらいはあると思う。街に着いた頃は、もうお昼だったし。東京から名古屋くらい?

プエルトロぺスという橋のある川は、これまただだっ広い。
砂浜のようです。
小さな街に入って、アイスクリームを食べた。
アイスクリーム屋の隣の家具屋の子供達が珍しそうに私を見て「チノ?(中国人?)」と聞いてくる。「ハポネサ(日本人)」と言ったら、余計に喜んでた。ははは。こんなとこに日本人は、来ないんだろうなぁ。
しかし、こちらの公衆便所は、便座が無い(直接陶器にペタリ)…と思って、初めの1、2日は、外でのトイレは我慢していたが、ここまで遠くに来てしまうと、背に腹は変えられぬ。アイスクリーム屋でトイレを借りる。が!ここは、さらに水が流れない。。。とほほほ。何回かに一回水を汲んで流すんですね。ハイ。
昔の汲み取り式を思い出す。
そうこうしているうち、帰路につく。
帰りもずっと草原。こんなに広い草原は、日本には無いですね。
不思議な雲が飛んでゆく。
ジェイソンが「写真を撮らないのか?」とうるさいので、「もういい、撮らない。」 と言ったら、ジェイソンは実はトイレタイムで停車したかったのでした。ごめんごめん。
ここなら立ちションしても怒られまい。
結局帰りはプエルトロペスを14時半に出て、18時半頃に途中で晩御飯食べて、家に着いたのは21時! 遠かった〜!

家に戻って、スティックに電話。
無事に最終日のトトモモルビーのお散歩も終わったもよう。
エンリケももうすぐ帰宅するでしょう。良かった良かった。





3歳のJoan。


お墓参り


Luis A. Calvo の像の前で


Cundinamarca というのは、土地の名前
このあたりは、クンディナマルカ県


トカイマの街



 

10月17日(水)
さてさて、今日はなんと3時半起き!魚市場かよ!って、カンジですが、今日は、ヒラルドの先にある、イバゲ(Ibague)の親戚の家へ。
ヒラルドの先といっても、 60kmくらいは先ですな。これまた遠いぞ。はぁ〜。
ま、私は国際免許を持って行ったものの、お姉さんの家の二台の車は両方ともマニュアル車で、もう何十年もマニュアル車など運転してないので安全のため運転するのはやめて、すべてジェイソンが運転するので、結局大変なのはジェイソンなのですが…ジェイソンすまぬ…役立たぬの私…てへへ、ごめんなさい。
パパ、ジェイソンと3人で4時半に出発。 途中、パパの妹のカルメン叔母さんを迎えに行き、まだ暗い中ひたすら走る。
こちらの人はみんな早起きで、学校にも3時頃から登校する人が結構いるという話を聞いたが、そんなに早く行って何するのだろう?勉強?でも、なるほど4時半の真っ暗な街は、もう始まっていて、学生風の若者が歩いているし、バスにも人が結構乗っている。夜は夜で歌ったり踊ったり騒がしい音楽がどこからか流れてきたりするのに、この人達、いつ寝てるんでしょう?不思議だ。

車はひた走る。道中はヒマだしスペイン語ばっかで、わけが判らないと思ってたら、ジェイソンが私に早口言葉を言ってみろという。
「パンガディクディミニクァロ!」なかなか難しい。
笑われて悔しいので、私も「東京特許許可局」と「生麦生米生卵」を言わせてみた。
相手も苦戦している。日本の早口言葉も難しいのだ〜。どーだ、まいったか〜。

そして、9時半頃やっとイバゲに到着。
ここは大きくてきれいな街。ボゴタより暑いが山の中なのでまだまだ結構 標高はあると思われる。
パパの従妹の家(靴屋さん)に着き、またもやタマル(!)とチョコラテ(ココア)を御馳走になる。ここの従妹さんは、ロサという名前?(たぶん)でとっても朗らかな人。気の良いお母さんというかんじ。何も判らない私にも親切にゆっくり話し掛けてくれて、お料理も美味しい!
チョコラテの作り方も実践してもらった。アルミのミルクピッチャーにミルクとチョコラテのかけらを入れて火にかけ、棒の先が丸くなっているかき混ぜ棒を両手の平で挟んで、キリで穴を開ける時のようにこすり、クルクル回してかき混ぜる。なるべく細かい泡を立てるようにシャカシャカかき混ぜるのが良いとされている。
まろやかな泡の立ったチョコラテ…う〜ん、おいちぃ。

ここで食事を終えて、もう一軒パパの弟で去年亡くなったハイメさんの家にロサさんも一緒に行く。
そこには、 ハイメ叔父さんの子供達が勢ぞろいしていて、その孫、ひ孫までが待っていた。一番小さい3歳のJoan がかわいい。
私は、スペイン語がほとんどできないので、すっかり子供扱いで、Joan に「僕の部屋でテレビ見ようよ」と手を引っ張られて「ここに座んなよ(タメグチかい?)」と言われ、一緒にテレビを見ていた。3歳児くらいとなら、なんとか会話できるか?

しばしパパも御家族の方々と話をして、みんなでまたお墓参り。
ハイメ叔父さんのお墓参りの後、もう一つのお墓に寄った。誰のお墓かと思ってたら、さっきのロサさんが私に「これは私の息子の墓だ」という、エ〜?!1981〜1999 と書いてある。18歳で亡くなったの?
思わず「Muy joven…。(若すぎる)」と言って、一緒に涙した。悲しすぎる。ロサさんが朗らかで明るいので、余計に悲しい。

それから、また御飯〜?!昼御飯だそうです。
はぁ〜。お腹あんまりすいてないんですけど…。
でも高級なレストランで、イバゲの親戚が勢ぞろいなので、魚料理をちょっとだけ注文してみる。
大食いのジェイソンは、満面の笑みで広いテーブルの向こうの方から手を振っている。嬉しそう。ホントに彼はよく食べるなぁ。
で、一匹の舌平目のような魚のフライが出て来た。
みんなは、なぜか私の食べ方に大注目しているので、わざとカバンからmy箸 を取り出して食べてみせた。するとみんなは「オォ!」と珍しがり、従兄弟の人達は「私は旅行先で(箸を)やってみたが、全然使えなかったよ。」などと口々に言っている。わはは。
そして、骨だけキレイに残して食べ終わると、みんな指をさして、ますますビックリしていた。これは愉快愉快。観察されるジャパニーズガール也。

食事が終わって親戚の皆さんとは、ここでお別れ。
今度は、もう一人日本からお土産を持って行くように頼まれた方の家に行く。
この方は大使館関係?…もはやよく判りませんが、これまた気のいいオバ様にジュースを御馳走になり、しばらくパパと会話。なんだか連れられるがままにお伴しているので、わけが判らないが、なんとなく話を聞く。
…助さん格さんの気持ちがよく判る。
そしてお土産も渡し、やっともう一つ荷物が減った!と思いきや、ゲゲ!またもや「これを日本にいる娘に持って行って欲しい」と頼まれる。え〜!!!これまた、持って行ったお土産より重いじゃん。ブーツとか入ってるよ。ナニこれ?
出国するときの荷物検査が心配になってきた。
でも、お世話になった方らしく、パパも断れない様子なので、しかたなく預かって帰る。こうなったらもうヤケッパチですな。 全部持って行ってやるぜぃ。

そうこうしているうち、もう15時。
パパは「もう一度ヒラルドに行きたい」とおっしゃるので(ヒィ〜!なんと疲れ知らずな驚異の81歳!)イバゲからヒラルドへ出発!
そして、またマヌエル叔父さんやその御家族に会う。「もう来ないと思ったのに、また来たの〜?」という雰囲気もないではなかったが、日本から持ってきたお土産の残りを渡して、すぐにまた出発。

次の目的地は、パパの生まれた地、トカイマ(tocaima)とアグア デ ディオス(Agua de DIOS)である。
しかし、パパ…ホントにタフです。私達もついて行くのが精一杯。さすがのジェイソンも疲れがみえる。それにもう夕方になってきた。これではもうトカイマに着く頃には真っ暗になってしまう。
でも、パパのどうしても行きたい場所だということで、車を走らせる。
17時半頃トカイマの街に着く頃には、日没。
パパが初めて司祭をやったという教会に寄る。
ここでも話好きのパパは、教会の人と話し込んで帰って来ない。
…これじゃあ、アグア デ ディオスまでは行けないかも?と、私もジェイソンもそう思っていた。が、教会から戻って来たパパは行く気満々!
こうなったら頑張ってアグア デ ディオスを探しに出発するしかない!…が、人に聞いても「あと10kmくらい。」というアバウトな答えで、よく判らない。その上、日も落ちて真っ暗。
もう辿り着けないか?とあきらめかけていたが、パパが一番に行きたいところがアグア デ ディオスだと私も知っていたので、「ジェイソンがんばれ!」と心の中で励ましつつ、しばらく車で探す。

そして、やっとアグア デ ディオスの「ため息橋(Puente de los suspiros)」に到着!
真っ暗で何も見えないよ〜!こわい〜。
ここは昔、ライ病(ハンセン氏病)患者がこの橋の奥の隔離施設に送られる際、橋を挟んで、もう生きている間に二度と会えない最後のお別れをしなくてはならなかった深い悲しみを持った場所である。
川は、どす黒く渦巻いている。 誰もいない。何にもない。車のライトを消すと何も見えない。たいそう怖い場所です。(夜だから余計にそう思う)
向こうから突然大きなダンプが入って来た!
橋を渡っているパパとジェイソンがあぶな〜い!
橋の幅ギリギリのダンプに二人とも轢かれたかと思いましたよ。あぁ、ビックリ。
こんなとこに私一人残されたら困ります。(困るどころの騒ぎじゃないね)
もう居るだけで危ないので、車に乗り込み、橋を渡った奥のトカイマの街へ行く。
車のライトで照らしているところ以外は、真っ暗。 こんなに全く明かりが無い場所は、日本では体験できないでしょう。
しばらく奥まで進むと、点々と民家があって、小さな明かりが灯っている。注文の多い料理店なんかが有りそうだ。
そして、だんだん民家が増えて来て、小さな街に出た。
実は、多分ここでパパは生まれたらしい。
街の中心にある教会へ行くが、もう夜なので門は閉まっている。
パパは門の隙間から中を一生懸命覗き込んでいたが、もし昼間に中に入れてたら、教会の戸籍のようなものの中にパパの名前が見つけられたかもしれない。
けれどもパパが生まれた80年くらい前は、ここはライ病者を隔離する街で、この街で生まれたというと、都合が悪かったらしい。パパの一家にライ病者は居なかったので、パパが生まれてすぐ引っ越して、ここの出身ではないことにしたらしい。
「 内緒にしてね。」と言ってたが、現代の人達にはちょっとピンと来ないかもしれない。今は、普通の小さな街として、あたりまえに人々が暮らしている。
教会前の広場には、ピアノを弾く人の像があった。この人は、Luis A. Calvoといって、ピアニストで、多くの優れた曲を残した有名な音楽家。ライ病になってしまったために、この地の隔離施設に住んでいた。パパの憧れのスターらしく、いつもは写真のことなど頓着しないのに「ここでだけ写真を撮りたい。この写真だけは欲しい。」と、写真を撮った。
でも、私から見ると、この小さなトカイマの街から日本にまでやってきて、大使館や翻訳や大学の先生の仕事をしてきたパパも ものすごい方だと思いますよ。

そんなこと言ってる間もなく、遅くなってしまうので、そそくさと19時半にトカイマを出発。家路につく。しかし、こんなとこまで来ちゃってボゴタには何時に着くのだろう?果てしなく遠い。
ジェイソンも可哀想だが、私もクタクタ。スペイン語はもちろんのこと、もう何も喋りたくないくらい疲労困憊。。。運転をまかせてまた眠っちゃった。ジェイソン、ゴメン!

結局、ボゴタに着いたのは、23時!はぁ〜疲れた〜。
もう少しで24時間起きてることになるよ。とっとと寝ましょう。

 

 



 


10月18日(木)
朝7:45起床。さすがに今日はたくさん寝ました。
しばらく部屋にこもってたので、みんなが心配していたようですが、大丈夫。
ダイニングに行くと、もうノエミさんも子供達も出かけていて、ジェイソンも仕事。パパだけがリビングで新聞を読んでいた。みんな元気だなぁ。
なんだか取り残されたようで、一人で朝食を食べた。
今日は、どこに行くのだろう?毎日予定は未定なので、しばらく様子を見ていたら、ノエミさんから電話。どうやらパパは午前中、日本大使館へ人に会いに行くらしい。私もお伴するかと思ったら、御留守番ということになった。おぉ、久しぶりに一人の時間だ。
ジェイソンが仕事を抜け出して戻ってきたので、パパとジェイソンは 大使館へ。日本人の方に会うらしく、お土産は日本のスーパーでどこでも売っているインスタントのカレールー。こういうものが、こちらでは貴重品なんですね。
昼過ぎに帰って来ると言うので、御留守番中は、なほちゃんのピアノを借りてしばらく練習。コロンビアに来てから何日も弾いてなかったので、楽しい楽しい。あっという間に時間が経ってしまった。

13時過ぎて、二人とも帰って来たが、これから13時半にフロール叔母さんの家に行くことになっているらしい。え〜?もう時間ないじゃん。
なのにジェイソンは、昼御飯をまだ食べて無いから、とか言って御飯を用意し始める。オイオイ。
私は「もう食べたからいらない」 と言ってるのに私にも用意してくれた。
コロンビアの米飯とバナナの焼いたのとクリームシチューを暖める。クリームシチューは日本からのお土産のものか?おいしい。日本の味がする。
「お腹いっぱい」とか言って、結局食べてるじゃん、私…。
で、激しい雷雨の中、フロールさんの家へ出発。もう13時半なので、14時は過ぎるでしょう。今日はこの車がピコ イ プラカで16時から19時は使えない。1時間近くかかるので15時にはフロールさんの家を出なければならない。大丈夫か?!もし捕まったら、法外な罰金を取られるぞ〜!
結局、14時過ぎに着いて、お土産に持って行った浴衣の着付けをフロール叔母さんの娘さんに教える。フロールさんの娘さんは、エンリケ妹のめぐちゃんに雰囲気が似てるなぁ。2歳のかわいい女の子もいて、 浴衣をものすごく喜んでくれた。よかったよかった。
ジュースやお菓子も出て来たが、時間が無いので立ったまま食べて、喋って、飲んで、もう15時15分!16時まであと45分しかない! 帰らなきゃ〜!
皆さんに挨拶して、そそくさと帰る。
めぐちゃん似の娘さんのお姉さんが「私も出かけるから一緒に行きましょう。」と途中まで一緒に出る。
しかし、こんなにものすごく急いでるのに、パパの持って来た傘が違う! ひゃ〜!超特急でもう一度戻って、傘、間違えました〜!と言うが、無い? いや、そんなはずないでしょう?パパの傘はこんなチェックの柄じゃなかったのに〜。
でも、焦ってるのは私だけ? なんだかみんな「ま、いいじゃないの」というラテン的雰囲気で そのまま帰ることになった。なんだか解せないなぁ。
ところで今、一緒に出て来た娘さんの傘…もしやそれでは?
ま、いっか。
そしてぶっ飛ばして、16時5分前に家に着く。はぁ〜。よかった〜。

しばらく休んで、今度は歩いて近所のサロン(床屋)に行く。
パパとジェイソンは、そこで散髪して透明のマニキュアまで塗ってもらう。
近ごろのコロンビアの男性は、みんなサロンで爪を切って、マニキュアを塗ってもらうそうです。パパもさすがにマニキュアは初めてで、なんとなく嬉しそう?
こちらでは、こういう時「チュスコ!(かっこいい!)」と言うそうです。

そして近くの大きなショッピングモールへ。やっとお土産が買えます。
このショッピングモールは、最近できたばかりのところで、とても近代的。14年前には、こんな場所ができるとは考えもしなかった。時代は変わるものです。
ここで CD や本や洋服などいろいろ買う。
私はショッピング好きですが、パパは全く興味がないようで、うっかり時間を忘れて2時間くらい買い物に連れ回してしまいましたが、帰りがけパパに「正直、ちょっと疲れた…。」と言われてしまいました。ひゃ〜!(汗)昨日の移動距離を考えると、今日はほんの近所なのに…昨日は「大丈夫ですか?お疲れですか?」と、何度聞いても「大丈夫!元気です!」と言ってたのに…。興味の有無で、感覚はえらく変わるものです。
そして帰る頃には土砂降りの雨。思えば、今が雨期だからか、夕方になると毎日必ず雨が振る。
家はすぐ近くなのに、荷物が多くて、歩くのもままならない程の雨なので、タクシーで帰る。とほほ。

家に帰って、なほちゃんがインスタントラーメンを作ってくれました。
しかし 3分でできるはずが、もう5分以上茹でている。麺が伸びちゃうんじゃない?…と、思ったが、ここボゴタは標高2600m の高山地帯。お湯の沸点が低いのです。(90〜92度くらい)なので、7、8分は茹でなくてはいけないそうです。お米も圧力釜で炊いていて、圧力釜は各家庭の必需品。ノエミさんの家にも2つくらいあります。
そしてラーメンが出来上がる。なるほどなるほど、良い出来です。
美味しい美味しい。ごちそうさま〜。







ノエミさんちの近く


サロンで散髪

 

 

10月19日(金)
今日も朝はゆっくり過ごす。
10時半頃出発。現金がなくなってきたので、両替屋に行って両替。
ここは、銀行よりちょっとレートが悪い。 1ドル=1820ペソ。

パパの一番上のお兄さんとお姉さんのお墓参りに行きたいとのことで、今日もお墓参り。
ボゴタのはずれに有る広大な墓地へ行く。
しかし、この広い墓地のどこにあるのかさっぱり判らない。
霊園の事務所で聞き、2つともだいぶ探してやっと見つける。

午後はエレナ叔母さんの家に行くことになっていて、1時半と言っていたがまたもや遅れて2時頃の到着。
そこには、昨日会ったフロール叔母さんの家族やカルメン叔母さんなどなど皆さん勢揃いで、カルメン叔母さんの娘さんも遅れてやって来た。
食事を御馳走になり、食後にまたお土産に持って行った浴衣の着付けを教える。
一通り着付けと畳み方を教えたら、またピコ イ プラカ の関係で16時までに帰らねばならない。(お姉さん家の2台の車のうち、1台は子供達の学校送迎用で毎日使うので、どうしてもジェイソンの車はいつも ピコ イ プラカなのです。)急げ急げ〜!なんだか毎日ドタバタです。
パパもこれでしばらくは妹さん達とお別れ、次はいつ来られるかわからないので、後ろ髪ひかれてなかなか話が終わらない。早く早く〜!
やっと車に乗り込み、皆さんとお別れして、帰宅。
大急ぎでぶっ飛ばして、家に戻って来たのは、15:56!ひゃぁ!今日もギリギリだった〜。
しかし、このピコ イ プラカのせいで、午後3時台の道路が渋滞しているような気もするが…。
ボゴタには鉄道はなく(シパキラ行き電車が磨耗した古い線路を一日に2回くらい走るのみ)バスとタクシーと自家用車が交通手段なので、みんな車を2台も3台も持っているらしい。とはいえ、14年前に来た時は、排気ガスで頭がクラクラしたが、今回はそんなことはない。車検も厳しくなったようで、以前のように扉がとれているようなオンボロの車はもう走っていない。だいぶ改善されたのかもしれない。

そして21、22日と1泊2日で、私がなほちゃんとりえちゃんを連れて3人でカルタへナに行くことにしたので、旅行会社に申し込みに行く。
さすがに雨期だけあって、またもや大雨。
旅行会社まで4、50分。結構遠い。
ザーザー降りで激しい雷の中、車で行く。
夕方だったが、閉店に間に合ってクレジットカードで申し込む。
旅行のパンフレットを見せてもらったら、夢のような南国パラダイスの写真! 高級リゾート。青い海が輝いている。
最初は「折角だからカルタへナも行ってみようか?」という軽い気持ちで申し込んだのが、なんだか急に ものすごく楽しみになってきた。
ワクワク!
ひととおり手続きが済んで明日チケットが届くと言うことで、ヤッホ〜。
帰り道も、大雨の雷雨だったが、そんなの関係ねぇ!
家に帰ってから、なほちゃんとりえちゃんに「こんなホテルに泊まるんだよ〜!」と興奮を分け合い、「わぁ〜楽しみ〜!」 と気分が盛り上がったところで、旅行会社から電話。
カードがコンピューターで受け付けないらしい。
え〜?!なんで?
今まで買い物では何も問題なかったのに〜!限度額だってオーバーしてないのに。
金額が高いので、セキュリティがかかったのか?
もう一枚カード持って行けばよかったなぁ。
時々こういうことはあるらしく、ごねたものの何度やってもダメということで、あえなくキャンセル。
あぁ…残念。。。急速にカルタへナの夢はふくらんで、パチンとこわれて消えた。あぁ。。。
ジェイソンに「カルタへナは、こないだイタリア人が3人殺されたりした事件があったし、危険なとこだから、ま、いいじゃん。」と言われ、子供達にも悪いことしたなぁ。と思ったが、子供達も修学旅行がテロでキャンセルになったり、急な予定変更に慣れているようで、「残念だけど、しかたない。」と、あきらめも早い。ダダこねてるのは、私だけ…?!

で、21、22日は、別のところに行くことにして、次の予定は20時にパパの関係のエライ人と食事?え?私も行くの?
またよく判らないまま、クラブ デ アボガドという高級なレストランに向かう。
ノエミさんとジェイソンくんに送ってもらうが、2人ともレストランには行かないの?
なぜか私だけパパのお伴として高級レストランの個室に招かれる。
あらららら。
ジーパンなのに、いいのかな?みんなドレスアップしてるのに…こんなところだなんて聞いて無いよ〜。
ま、しかたないので赤ワイン頼んで、ひたすら黙々と飲み食う。
相手は80歳は過ぎたおじいさん。とてもキチンとしている。昔、日本で大使してた方?
どちらにしても、スペイン語のこみいった話も、全く判らないので、二人の御老人が喋っている中、じっとひたすら私一人だけ飲み食う…。
1時間半くらい経って、パパが「そろそろノエミを呼んで。」というので、ノエミさんに電話。もうまもなく10分くらいで迎えに来るというので、パパに「もう10分で来ますよ。」と言うが、そこからさらに話が盛り上がって、全然帰る気配がない。とほほ。
そのうちノエミさんからも「下で待ってる。」という電話が有り、さてさてバーモスでございます。帰りましょう。ということになるが、パパは隣の部屋で踊りが始まったのを見て、「踊って行きますか?」などと、まだそんなことをおっしゃる?こらこら。
レストランを出ると、寒い中ノエミさんが待っていた。息が白い。
ボゴタは、昼間結構 暑いですが、夜はグッと冷え込むことが多い。多分この日は10度以下でしょう。寒い寒い。
ノエミさん、お待たせしてごめんなさい〜。

明日は学芸会!

 





一番上のお兄さんのお墓の前で


パパと妹さんたち


テーブルと電話が合体している。

 

10月20日(土)
朝5:45 起床。7:00 出発!
今日は、なほちゃんとりえちゃんが通う学校で学芸会。
旅行中にこんなイベントがあるなんて嬉しいことだ。
今日の日を楽しみに楽しみにしてましたよ。
7:30 には学校に着く。
ここボゴタの日本人学校では、小中学生が一緒に学んでいる。
なほみちゃんは 中3、りえちゃんは小6ですが、2人を含めて、全校生徒が小中学生合わせて15人しかいない。へぇ〜、少ないです。
なほちゃんが小学校に入学した頃は、40人くらいいたそうなのですが、だんだん減ってきてしまったそうです。
このままでは、廃校になってしまう!もうちょっと生徒さんが増えればいいのにね。
ボゴタも危険な国と言いますが、私は危険な目に遭ってないし…ま、保障はできませんが、言うほど危険な国ではないと思いますよ。…たぶん。
で、中学生4人、小学生11人しかいないので、全員が一人何役もやらなくてはならない。
なほちゃんもりえちゃんも、ほとんど出ずっぱり。司会をしたかと思えば、 すぐに走って裏に回って、ほとんどの演目に出演している。
和太鼓の演奏は、皆でお揃いのハッピ。こういう日本に当たり前にあるものを揃えるのが大変だったそうです。
合奏、小学生は「La Mucura」中学生は「Caballo Viejo」やっぱりこの曲たちは有名な曲なんですね。みんなケーナやサンポーニャを上手に吹きます。なほちゃんもりえちゃんもここ数日ずっと一緒に居たのに、いつの間にこんな練習してたんだろう?
なほちゃんのピアノの伴奏で小学生が合唱したり、先生や父兄さんたちの合唱があったり、小学生の劇では、りえちゃんがナレーション。中学生の劇では、なほちゃんはデべソの役。次から次へといろんな演目に出て来て、びっくりしましたよ。
ビデオや写真を一生懸命に撮る親御さんの気持ちがよく判る。私も一生懸命撮りましたが、こんなに出演すると思わず、途中でビデオテープがなくなっちゃった。
日本では、「うちの子を主役にしてくれ」という親が多いとか、主役の座を取り合って4、5人主役の子が居るとか…いろんな話を聞きますが、ここではそんなことはないですね。全員が責任を持ってそれぞれの役についている。みんな素直で真面目だなぁ。度胸もある。頼もしいことだ。
帰りになほちゃんが「ケーナ吹いてみる?」と貸してくれたが、全く音が出ない。とっても難しい楽器です。
学芸会も無事終わり、午後からはパパとジェイソンと3人でまたお買い物。
初日に行った皮物屋でカバンとベルト買ったり、楽器屋へ行って3列のボタンアコーディオンを見たりする。
3列のボタンアコは、ダイアトニック( G/C/F とか、A/D/Gとか)な配列になっていて、コロンビアの音楽(クンビアやポロなど)でよく使われる楽器。
試奏してみるが、今使っている2列のアイリッシュタイプのものとは全く違う配列なので、全然弾けない。これ、ちょっと面白そうだから買おうかとも思ったけど、今弾いているB/C のボタンアコを弾く時に混乱しそうなのでやめる。
アンティークショップに行くと、変なものがたくさんあった。
写真は、テーブルとくっついた電話。
お店の人に聞くと、これは日本製だという。(ホント〜??)どうやら、日本で昔、輸出用にこういうものを作っていたらしい。
店の人が、「日本人か?」と聞くので「そうだ。」と言うと、「ちょっとこれを見て欲しい。これは、韓国製か?中国製か?日本製か?」と、額に入った紙を持って来た。見てみると、相撲の番付表のような字で歌舞伎の役柄が書いてあるもののコピーだった。パパに私が説明して、それをスペイン語に訳して説明すると店主は大喜び!
でも、コピーだからねぇ。そんなに価値のあるものとも思えないが…。
その後、明日結局プールに行くことになったので、水着を買うことになる。
なにもそんなに無理に泳ぐこともないのですが、ま、カルタへナに行けなかった腹いせというか、気晴らしというか、とりあえず泳がずにはいられない?ということになったのでした。
で、いろいろ買い物して帰る。
明日は4時起き?!

 


10月21日(日)
で、4時起床…。
しかし、私は起きたけど、他は誰も起きて来ない…。
今日は、パパとジェイソンがジェイソンの実家に行って、子供達とノエミさんと私とでプールに行くことになっていたはずだが…。
ま、予定は未定。今回の旅行のテーマは「臨機応変!」でございます。ここまで来たら、なんでもドンと来い!なのですが…。
6時になっても誰も起きない?
すると、パパが私の部屋にトントンとノックしてやってきた。
「まだみんな寝てます。きっと何かあったに違いない。もう今日の予定は全部ダメです。私は弟のホルヘ(15日に会った作家の叔父さん)に会いに行くことにします。今から電話する。」とおっしゃるので、私はまたまたびっくり!え〜?こんなに早朝に電話するの〜!?
「まだ、朝6時ですから、もうちょっと待ちましょう。待ちましょう。」
となだめるが、パパはもう待ちきれない。…あぁ。
しかし、みんなも起きて来ないし、どうしたことか。
しばらく困っていたら、やっとみんな起きて来た。
でもジェイソン、なんだか機嫌悪い?
なんとなく、みんな険悪ムード?
ま、何があったのか判りませんが、私は嫁ですから、おとなしくそのまま動向を見守る。
そして、結局全員でジェイソンの実家に行くことになった?の?

9時前頃、ジェイソン号にパパとジェイソン、ノエミさん号にノエミさんと子供達と私、と車2台に分乗して出発!
そして12時前頃に着いたところは、Guaduas(グアドゥアス)。
Honda(ホンダじゃないよ。オンダと読みます。)のちょっと手前、ボゴタから100kmくらいのところ。
ボゴタもそうでしたが、この小さな街も選挙で大騒ぎ。
みんなクンビアで歌って踊っている。
え?選挙なのに?とにかく踊るのです。ハイ。
で、ジェイソンの御実家へ。
ジェイソンの御母様は、とても喜んで歓待してくれた。
そこで、Sancocho というスープや、Gallina de Campo などを御馳走になる。
どれも美味しい!
「ここは、あなたの家ですから、ゆっくりしていって下さい。」というのが、こちらの歓迎を表わす言い方。
かわいい女の子もやってきた。この子は、ジェイソンの姪っこで、食後みんなで一緒にジェイソンの別荘へ行くことになる。(車で15分くらい)
小さな街を出て、すぐに山道。
なんだか急に田舎の風景で「着いたよ。」と言ったところは、なんと牛や馬がお出迎え。
ジェイソンはここで育ったらしい。
犬や猫、鶏やインコやブタなどなど、たくさんの動物達が居て、なほちゃんもりえちゃんも大喜び!みんな放し飼いでしあわせそう。自給自足?なんだかのどかです。
しばらくゆっくりして、昔の写真など見つつも、このあと予定がつまっております。
ここは動物がたくさんで、みんなちょっとお名残り惜しいカンジですが、予定ははずせない。次はプールか?
とりあえず プール、プール。と、そんなに無理して泳ぐこともないのだが、どちらにしても時間がないので行けなければいけない。
ジェイソンの姪っこも、ジェイソンのママもみんな車に乗り込み、別荘をあとにして全員でプールへ行く。
まさか、こんなにみんなで行くとは思わなかった…。お姉さんとなほちゃんとりえちゃんと私の4人だけかと思ってたのに…。(汗)

そして、プールに着く…が、ちっちゃいゾ…。
あぁ、カルタへナがカリブ海が…代わりにこのプールになるとは…。
しかし、まぁ、とりあえず泳ごうということになり、子供達からまず着替えるが、着替えの途中で、 やっぱりこのプールはパッとしないのでやめよう。ということになる。え〜?!
着替え途中の3人の子供達も「えぇ〜?!」
水着の上に服を着て出てくる。やれやれ。
そして、次のプールへ。

ここは、ジェイソンが通ってた学校の隣のプール。
さっきのプールよりまだまし?ビールも売ってるし。
そして着替えて泳ぐ。
… ま、泳いでみれば、楽しいじゃないか。ワハハ。
ビーチボールでみんなでバレーボールとか、丸く円になってボールを投げて回して、ボールを落とした人がオニになるゲームだとか、パパもジェイソンもジェイソンの姪っこもなほちゃんもりえちゃんもわたしも、老いも若きもみんな一緒にはしゃいで遊んだ。
すると、突然の雷!すぐ近くに落ちた!こりゃぁ、危ないよ!
みんなに「危ない危ない!早く出なきゃ!」と言うが、子供達は案外慣れてて平気の平左。
プールから出ようともしないので、私だけサッサと上がって、着替える。
丁度着替え終わる頃に降り出してきて、さっきまで晴れてたのに急にドシャ降りの大雨 !
あっという間にプールサイドもびしょぬれだ。ビーチパラソルからも滝のように滴り落ちる雨。
しばらく雨がやむまで、みんなでビールやジュースやお菓子を飲み食いして、雨宿り。
私に「何か歌ってくれ」と、言うので、クンビアやポロなどスペイン語の曲を何曲か歌う。
「Se dice de mi」という早口の曲を歌ったら、みんなビックリして面白がった。
この曲はタンゴの人が歌ってたので、てっきりアルゼンチンの曲かと思ってたら、コロンビアで大当たりしたテレビドラマの主題歌だったらしく、数年前に大流行したらしい。
いやはや、言葉ができなくても音楽は心をつなぐ。(?)

すっかりあたりは暗くなって、やっと雨がやんだので、帰途につく。
ジェイソンのパパとママと姪っこを家に送り届けて、最後の挨拶をする。
「帰り道は、La Vega という街は通らないようにね。」とジェイソンのママに注意される。
どうやら夜になるとベガの周辺は警備がいなくなるらしく、遠回りしなければいけないらしい。
こちらでは、いろんなところで 警察や軍などが検問をしているのだが、その検問を装ってゲリラが一般の車を停めて、誘拐したりするらしい。
ニセ検問の見分け方は、まず一人で検問をすることはないので、一人でやってるのは、間違いなくダメ。
で、本物の検問は、制服が揃っている。銃も揃っている。長靴も革のブーツ。
長靴がゴム長靴だったりするのは、ニセ物。
そして本物は、名札をつけている。
名札をつけてなくて、「身分証明書を見せろ」と言って相手が怒り出すようなのは、確実にニセ物です。すぐに逃げましょう。 …って、その前に撃たれるかもしれないので、気を付けましょう。(苦笑)
田舎の方に行くほどそういうことが多いらしく、貧しい家の子をさらって、小さい頃から洗脳してテロリストに仕立て上げるらしい。
しかし、この日は大雨。こんな日は、テロリストも家で雨宿りしていることでしょう。
でも寒いので、車のフロントガラスは曇る曇る。そして、山道でガードレールもないのに、真っ暗で何も見えない。 ちょっと踏み外すと崖っぷち?!
私はフロントガラスを 拭き拭きするが、なんだか疲れて眠いよ〜。運転のノエミさんも大変!
20時頃 Guaduas を出て、途中で食事をしつつ、ボゴタに帰って来たのは、23時頃。
道中、大変でした。命からがら帰ってきた感じ。
そんな中、最後に山から降りてくる時、ボゴタの街の夜景がポッと浮き上がって、不思議なとても美しい景色でした。
無事に帰って来られて何よりでございます。
皆様おつかれさま〜。


ジェイソンの実家の前にいた犬。
かわいかったんだけどなぁ。
正面からの写真ナシ。残念。


ジェイソンの御実家で
いろいろ御馳走になりました。


ジェイソンの別荘にいた
気ままな犬達とリエちゃん


このオウムは飼われているのか?
野生?じゃないよね。


野生の蘭を初めて見ました。
木に寄生して生えてるのね。
こんなの日本の園芸屋さんで買うと高いぞ〜。


ジェイソンの別荘には、
いろんな動物がいました。


念願の?プール!


 

 


ツブツブのアイスを食べる


ボゴタの夜景

 

10月22日(月)
朝6時起床。
明日の朝早くコロンビアを発つので、正味今日が最終日です。
みんなで朝御飯食べて、ノエミさんと子供達は学校へ、ジェイソンは仕事へ行ってしまい、パパと二人でお留守番。ゆっくり過ごす。
パパは、「今日の午後2時までに荷物をまとめるので、それ以降は一切受け付けない。」と言いながら荷造りをしてらっしゃる。私なんてものぐさなので、10分くらいでスーツケースに詰められるよ…などと思ってましたが、早めにキチンとせずにいられない性格なんですね。
しかしお父様、荷物を何度も出したり入れたりしているうちに預かっている荷物の紙袋の取っ手が取れてしまった!あれれれ?(汗)
ま、 いっか。(いいのか?!)
そしてパパは 「弟のホルヘにもう一度会いたいので、電話をする。」とおっしゃるので電話してみる。
だがホルへさんもそんな急に時間は取れない。「30分だったら会える。」ということだったが、パパは「3時間じゃないと会う意味がない。」と、やめることにする。(なんと、3時間?!突然で3時間アポは、無理でしょう。)

ジェイソンが戻って来て、2時の会議まで時間があるからと3人で昼食を食べに行く。
いやはや、仕事中なのに私達の世話をしに帰ってきてもらって、申し訳ない。
ジェイソンに連れられた食堂は、大衆食堂で美味しかった。
Sopa de Aoyama (アオヤマって、何だろう?)と Churrasco などを食べた。
で、また家に帰る。今日はさすがにゆるいスケジュール。
夕方、ノエミさんや子供達が帰ってきたので、なほちゃんとパパと3人でまた先日行った近所の大きなショッピングモールのグランエスタシオンへ行く。
歩いてみたが、マンションの目の前にあるのに道路の区画がやたら大きいので結構遠い。
スーパーマーケットや洋服屋で、またちょっとお買い物。ツブツブの不思議なアイスクリームを食べて、屋上で夜景を見た。ボゴタの夜景は、山の方まで小さな明かりがたくさん光っててとってもきれい。
こないだジェイソンに教えてもらった店でエンリケの服を取り寄せてもらってたので、取りに行って帰宅。
家に帰ると、まもなくノエミさんもジェイソンも帰って来た。
最後の日なので、みんなで夕御飯。いろいろお世話になりました。

食後は最終日ということで、コロンビアの習慣の話など、いろいろ語らう。
この週末は、コロンビアでもハロウィンパーティーがあります。
もともとハロウィンはケルト人から入ってきた習慣で、アイルランドが一番古くからの由緒あるやり方でお祝いしているらしいですが、コロンビアもキリスト教の人がほとんどなので、アメリカやイギリスのように仮装して子供達が近所の家々を回ってお菓子をもらうらしい。スペイン語でもトリック オア トリートのようなセリフがあって、(ちょっと忘れましたが…)今、中3のなほちゃんも小学校低学年の頃は、お友だちと近所の家を回って、大きなスーパーの袋がパンパンになるくらいいっぱいもらってきたらしい。また、もらいに来る人も突然やって来るらしく、去年は近所の40歳くらいのオバちゃんまでもらいに来たとか…。
しかし数年前、 ハロウィンの日にそうやって子供がもらってきたお菓子の中に毒が入っていて、子供が亡くなってしまう事件が起きてしまい、それ以来、知らない人の家には行かなくなったそうな。いやはや、恐ろしい話だ。
日本では、あらかじめ「明日1時半頃、伺います。」などの連絡があって、決まった時間に 子供達がやって来る。という話をしたら、「さすが日本!」と言われました。

コロンビアのクリスマスは、12月8日聖マリアの日(だっけ?)の前日7日から始まって、24日まではNovela (?!) という期間で、さまざまなイベントがあり、24日のイヴの日は、朝方までドンチャン騒ぎ。翌25日は、街に一人も歩いてないくらい人々は踊り疲れて一日中寝ているらしい。
お正月はお正月で、大晦日から元旦はドンチャン騒ぎ。1月6日にクリスマスを含めたいろんなイベントが終わるらしい。

大晦日の日は、「黄色いパンツを裏返しにして履いて寝ると、次の年は良いことがある」とか、「じゃがいもを1つは全部皮をむいて、1つは半分皮をむいて、1つは皮をむかないで、ベッドの下に置いて、元日の朝に1つ手探りで取って、その年の運勢を占う」とか、「コップに水を入れ、そこに生卵を落として、ベッドの下に置いて寝て、翌日元旦にその卵がどうなっているかで、その年の運勢を占う」とか、いろんな言い伝えがあるらしい。
方式は違えども、やはり年の初めに占ったり、今年は良い年になりますように、と願うのは万国共通ですね。

それからボゴタの人口は、近年とても増えているようで、なほちゃんが生まれる1年くらい前(15年くらい前?)まで国勢調査は、一日で終わっていたのに、今ではいくつもの地区に分けて調査して、半年くらいかかるらしい。
地区によって一日じゅう出かけてはいけない日というのが年に一度あって、その日にその地区の世帯を調べるのだが、ちょっとでも出かけるとその地区を見回っている警官に怒られるらしい。その日は仕事も学校も休んで家に居なければいけないんだって。徹底してるなぁ。
あと、年に一度、Sin dia de carro(だっけ?)という日があって、一般車は公道を走ってはいけない、街はタクシーとバスだけになる、という日もあるらしい。
ピコ イ プラカの関係で、タクシーでもナンバーによって一日じゅう走ってはいけない日があるらしい。商売なのに、大変ですね。
でもみんな真面目にキチンと従ってるから感心です。
結構この街の人達は、素直で良い人々なのでしょう。

さてさて、とりあえず、ここまでアップします。
長い日記、読んでくださってどうもありがとうございます。

 


10月23日(火)
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続きは、また近々書きま〜す。

10月24日(水)


未だに工事中の グラウンドゼロ


クーちゃんちでアダプト待ちのカッパ

 


10月25日(木)
 

10月26日(金)


ジェイジェイと私。

 

10月27日(土)



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