みぃはぁ版・平成伊達治家記録別館

鬼庭家の人々(鉄人一族)
○斎藤実良(鬼庭実良)
伊達家初代朝宗の頃の人
茂庭家(鬼庭家)初代
奥州伊達郡茂庭村(福島県飯坂町茂庭)に下向してきた時に
周辺の村を荒らしていた大蛇を退治し、領民に請われて領主となった
妖怪大蛇を退治した武勲にちなみ「鬼庭」の姓を名乗り、本領茂庭村も鬼庭村と改称した。
この武勇を聞いた伊達朝宗(伊達家初代)に召されて幕下に連なった。
この話は2001年には「ふくしま再発見 茂庭の大蛇」(福島商工会議所
婦人会、福島商工会議所婦人部)という絵本にもなってます。
この人がどのくらい生きたのかは知りませんが、子孫は代々、100歳近くまで生きたらしい。
○鬼庭資良
茂庭家(鬼庭家)第二代
○鬼庭資実
茂庭家(鬼庭家)第三代
○鬼庭実家
茂庭家(鬼庭家)第四代
○鬼庭実元
茂庭家(鬼庭家)第五代
○鬼庭利元
茂庭家(鬼庭家)第六代
○鬼庭良実
茂庭家(鬼庭家)第七代
○鬼庭定元
茂庭家(鬼庭家)第八代
○鬼庭盛良
茂庭家(鬼庭家)第九代
○鬼庭元実
露月、左月の父
隠居の後、甲州武田家に遊学、兵学を修める。
天文の大乱では、子の良直(左月斎)と共に晴宗側につき、軍使を務める。
この人も長生きしたらしい。
しかし、隠居後に兵学を他の地に学びに行くなんて・・・
現在で例えれば、定年退職後に放送大学に入学するようなものかな?
○鬼庭良直 (1513〜1585)
周防、左月斎、伊達家爺Sの筆頭?
某ゲームの事典には、「伊達家の本多忠勝(ちょっとほめ過ぎか?)」と書いてあった
大河ドラマでは、いかりや長介が演じた事で有名(笑)
天文の大乱後、一族に列せられる。
人取橋の合戦では政宗から金色采配を与えられ指揮を取った。
老齢の為、甲冑を着けづに黄綿の帽子を着けて戦い、首級200余りを挙げた。
しかし殿軍を務めた際に敵の目標となり、壮絶な最後を遂げた。
長命の鬼庭家の中では早死に(これまでの歴代で一番早死にの享年73歳)だったらしい。
たしかに、息子は92歳まで生きてるが・・・・
一族松山茂庭家

志田郡千石(松山) 所
○茂庭延元(鬼庭綱元)(1549〜1640)
左衛門、綱元、延元、石見、了庵。伊達家3傑の一人
知の片倉景綱、武の伊達成実に比べ、影が薄いが関白殿下や将軍閣下にも気に入られたほどの才人。
言ってみれば、伊達家の官房長官か?
(別に年号が変わっても発表した訳じゃないけど)
(別に某女傑に取り巻きが悪いと言われた訳じゃないけど)
父、良直の項でも書いたが、92歳まで生きており、しかも政宗よりも年長である為、
政宗の側近の中では唯一、政宗の誕生から死まで見届けた人
政治的手腕が高かっただけでなく、和歌や書、茶道にも通じる文化人でもあった。
まー、伊達家の人々は武人にして文人というタイプは多いのですが・・・
関白殿下に茂庭姓を賜った事になっており、それゆえ鬼庭ではなく茂庭なんですね〜
香の前については・・・ここでは何も言うまい
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では村田雄浩(芸能界一のボーリングの名手?)が演じていた。
○茂庭良元(良綱)(1575〜1663)
茂庭延元の嫡男。小源太、主水、周防、左月。江戸家老、一時的に宇和島藩家老
伊達騒動の時には反兵部派。
兵部派の筆頭原田甲斐宗輔は妹の子にあたり、この人から見ると甥。
父親が長生きしてる為、戦国期における活躍はあまり伝わっていないが、
江戸期に入ってからは政治的辣腕を奮った。
しかし、祖父、父、おば、妹、甥が有名でありすぎる為か影が薄い(;;)
やはり、長生きしてるんですがね〜
秀宗が宇和島藩主に任命された折には父と共に宇和島藩に身を置くが、
結局、仙台藩に戻り江戸家老を務める。
怪物伊達兵部宗勝との本格的な直接対決はなかったようです。
鉄人VS怪物・・・見たかったなNHK大河ドラマ「樅の木は残った」では高橋昌也が演じた。
○茂庭定元(延元)(1621〜1666)
茂庭良元の三男。愛蔵、右兵衛、大隈、周防。奉行。室は茂庭長元の娘。
片倉小十郎重綱の養嗣となるが、長兄茂庭長元が失明し廃嫡され、次兄茂庭茂行も疾病の為、帰家。
義山公(伊達忠宗)の臨終に際し嗣子として雄山公(伊達綱宗)擁立を推進した。
伊達騒動時には反兵部派。兵部の陰謀を防ぐために奔走する。
○茂庭姓元(為元、良利、重元)(1647〜1706)
茂庭定元の長男。又次郎、主水、周防。摂奉行職、少老。室は広瀬中務祐宣養女(藤波友忠娘)
伊達騒動時には反兵部派。伊達安芸と伊達式部の知行地争いの調停をした。
また、原田甲斐刃傷事件の報に接し片倉小十郎景長と共に後処理に奔走した。
事件後、幕府の内意により少老を免じられ謹慎。
○茂庭嵩元(嶽元)(1683〜1742)
茂庭姓元の二男。又次郎、浄応。小姓。
仙台大火で、邸宅が類焼した。病気により弟を養嗣として職を辞す。
書くことが無いよ(苦笑)
○茂庭元明(1686〜1768)
茂庭姓元の四男。茂庭嵩元養嗣。與七郎、筑後。少老。
馬術に優れていたらしい。網地島にロシア船が来航した時には石巻を警備した。
○茂庭苞元(1719〜1799)
茂庭元明の次男。與七郎、主水、将監、監物、周防、石見。少老。
兄茂庭元辰は伯父茂庭元威の養嗣になっていた為、継家。
領内が大凶作に見舞われた時に、総村に150両、本町・新町に11両下賜した。
○茂庭善元(恵元、義元)(1769〜1823)
茂庭苞元の孫で養嗣。茂庭希元(1745〜1820)の長男。小源太、大隈、周防。申次、近習、小姓頭、大番頭。
父茂庭希元は茂庭苞元の次男で家督を継ぐはずであったが、病気の為家督を解かれた。
志太郡に起きた百姓一揆を解散させた。
○茂庭有元(1804〜1831)
茂庭善元の四男。孝太郎、大隈、周防、河内、筑後。
長兄茂庭資元は多病のにより廃嫡され、次兄茂庭旋元(????〜1805)は継家前に病死した為、家督を継承した。
注水事業に力を入れたが、風邪をこじらせ病没。
○茂庭徳元(1824〜1835)
茂庭有元の長男。孝太郎、小源太。
父の急死により8歳で継家。幼少の為、叔父片倉小十郎宗景が家政をみた。
12歳にて早世。
○茂庭升元(1829〜1858)
茂庭有元の次男。茂庭徳元養嗣子。與七郎、大隈、周防。
兄が早世した為、7歳で継家。幼少の為、叔父片倉小十郎宗景が家政をみた。
孝明天皇即位式には藩主名代として上洛した。
○茂庭敬元(1854〜1919)
茂庭升元の嫡男(次男)。與七郎、周防、大隈、省耕。
5歳で継家。幼少の為、大叔父片倉小十郎宗景が家政をみた。(三度目だよ・・汗)
着坐茂庭家(断家)
○茂庭実元(〜)
茂庭綱元の三男。正次郎。貞山公(伊達政宗)の近習。室は針生民部盛直の娘。
片倉小十郎重長の室は茂庭実元室の姉にあたる。
○茂庭茂行(〜)
茂庭良元の次男、茂庭実元養嗣子。大蔵、下総。
病弱だった為、弟定元が宗家を継いだ為、実父良元と一時不仲になった。
○茂庭常実(恒真)(〜)
茂庭茂行の子。大蔵。
元禄七年(1694年)罪あり断家。
○茂庭元実(〜)
茂庭常実の子。万五郎。
太刀上平渡茂庭家
○茂庭元威(1684〜1731)
宗家茂庭姓元の三男。三郎、源左衛門。鷹匠頭、名懸頭、近習、御部屋頭小姓。室は山岸真成の娘。
父姓元より分知され別立。太刀上に列した。
○茂庭元辰(1713〜1750)
宗家茂庭元明の長男。茂庭元威養嗣。求馬、仲。少老格。室は石母田頼在の娘。
○茂庭元雅(1733〜1814)
茂庭元辰の長男。左源太、求馬。瑞鳳寺・大崎八幡宮救火役。室は亘理定根の娘(後に離縁)
病気により奉公不能になり弟に家督を譲る。
○茂庭元恒(1736〜1763)
茂庭元辰の次男。茂庭元雅養嗣。軍記。武頭。室は早川惟義の娘(後に離縁)
江戸にて客死。
○茂庭元長(1741〜1807)
宗家茂庭苞元の五男。茂庭元恒養嗣。操吉、右膳。試兵奉行、屋敷奉行、目付使番。室は芝田康文の娘。
○茂庭元良(1772〜1819)
茂庭元長の長男。内蔵之助、三郎介、三郎。軍奉行、郡奉行。室は伊達村富の娘。
蝦夷地警備の為、軍奉行として函館、松前に派遣された。帰国後は郡奉行を務めた。
○茂庭元敏(1812〜1856)
茂庭元良の長男。松次郎、仲。目付、武頭。室は福原資氏の娘。
○茂庭元徳(1843〜1929)
茂庭元敏の長男。新助。武頭。鹿島台村村長。室は茂庭升元の娘。
戊辰戦争では仙台城を警備、駒ヶ嶺へ出陣。
維新後は農業を営み、明治22年には鹿島台村(現:宮城県志田郡鹿島台町)の初代村長となった。
その他重要人物
○増田喜多(政岡)
(1539〜????)
増田貞隆の妻、茂庭綱元の異母姉、片倉景綱の異父姉、伊達政宗の乳母、鬼庭良直の娘
歌舞伎「先代萩」の中に現れる烈婦政岡の原形となった人。(注)
しかし、親族にすごい名前が並んだものだ・・・・
政宗の母、義姫に対しても一歩も引かなかったという逸話があるだけに
すごい人だったんだろうな・・
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では“三択の女王”竹下景子が演じた
注)烈婦政岡:四代藩主綱村の生母三澤氏初子とこの人をモデルにしていると推察されている。
立場は三澤氏初子、性格は増田喜多をモデルにしたということでしょう。
系図上は茂庭家の人々
○原田津多女(1598?〜1671)
慶月院。茂庭延元の女。母は於種の方(香の前)。原田甲斐宗輔の母。
NHK大河ドラマ「樅の木は残った」では田中絹代が演じた。
寛文事件で息子原田甲斐乱心によるショックを受け舌を噛み切り自殺をしようとしたが
死にきれず、絶食をもって果てるとこを選びました。享年74歳。
この人も諸説入り乱れているが、弟の宗根と同様に政宗の落胤とする説と
こちらは茂庭延元の息女であるという説とがある。
○亘理宗根(1600〜1669)
佐沼要害館主。佐沼亘理家初代。
系図上は茂庭延元の実子。実際は伊達政宗の落胤。母は於種の方(香の前)。亘理重宗養子。
一族。室は亘理重宗の女。亘理重宗の実子、定宗が「伊達」を称する事を許され涌谷伊達家となった為に
亘理氏を継承しました。
茂庭又次郎、右近、伯耆。子供部屋参照の事。・・ってこっちの方が詳しく書くかも。
寛文事件主要人物関係図を見ていただけばわかると思うが、
伊達安芸宗重も原田甲斐宗輔もこの人の甥にあたります。寛文事件の決着がつくのは1671年ですので
決着がつく前に亡くなっているので、甥同士の人情沙汰を知らずに亡くなったのがせめてもの救いか・・
| 茂庭氏血統表(鬼庭良直以降) 鬼庭良直1513〜1585周防、左月斎 |