みぃはぁ版・平成伊達治家記録別館


藩主・藩知事列伝(その3)

その他の藩(列伝は政宗公の男系子孫のみ列記)


出羽亀田藩

れんじに月

2万石

外様 柳間 城主格

岩城家

義 重 ┳━ 貞 隆 ━━ 吉 隆
(佐竹)┗━ 宣 隆 ━━ 
重 隆 ━━ 景 隆 ━━ 秀 隆

政 宗 ━━ 忠 宗 ━━ 宗 房 ━━ 村 興 ━━ 
隆 詔
(仙臺伊達) (仙臺伊達) (宮床伊達) (宮床伊達)
宗 直 ━━ 村 望 ━━ 
隆 恭 ━━ 隆 恕 ━━ 隆 喜 ━┳━ 隆 永
(三沢信濃)(岩谷堂伊達)                    ┣━ 
隆 信
                                 ┣━ 
隆 政
                                 ┗━ 
隆 邦
正 誠 ━━ 
隆 彰
(宮川堀田)

系図で見ると

重隆=親隆━常隆=貞隆━吉隆=宣隆━重隆━景隆━秀隆隆詔隆恭隆恕隆喜隆永隆信隆政隆邦隆彰


佐竹氏の与力大名的な要素が強い家柄であるが、四代隆詔以降は伊達氏系の血統が続く。
佐竹氏とさまざまな紛争があったこともあり佐竹家と疎遠になり、伊達系に取って代わられたのであろうか?
ただし、岩谷堂伊達村望は三沢信濃宗直(尼子氏家臣三沢氏の末裔)の三男で伊達一門ではあるが宗家との血縁は外戚関係。
岩谷堂伊達家は伊達輝宗の兄、岩城親隆の子岩城常隆の二男伊達政隆に始まる家柄であり、
岩城家との縁は深い家柄である事は間違いない事実であります。
岩谷堂伊達家の系図は・・・
政隆━国隆=宗規(伊達忠宗七男)━村隆=村望(三沢宗直三男)・・・・
政隆には、常隆の実子としている系図と貞隆の異腹の子(即ち佐竹義重の子)と言う系図があり
正確に伊達の血統かと言うと不明な点が多い。


○岩城隆詔 (亀田藩4代藩主)1708〜1745(在任:1718〜1745)

従五位下但馬守 河内守。通称:左京 宮床伊達肥前村興の子。
女系を調べるのが苦手なので何とも言えないが、血統的に近かったのであろうか?
家柄の出自等を考えると、次代の隆恭は岩城家と縁の深い岩谷堂伊達家の出身であるが、
この人は宮床伊達家(伊達崎→田手家に連なる家柄)の出身である。不思議である。
それ以前に佐竹家から養子という手段は無かったのかと言う点も疑問である。
佐竹家と紛争が続き疎遠となったから伊達家より養子に来たのか、
伊達家から養子をとったから佐竹家と紛争が続くようになったのか・・
どっちなのでしょう????

岩城隆詔とその子供達(男子)

岩城隆詔━=岩城隆恭1724〜1782岩谷堂伊達村望の子、岩城隆詔養嗣子

 

摂津麻田藩

三つ盛洲浜

1万石
新知取立。
外様 菊間 陣屋

青木家

重 直 ━┳ 一 重
     ┗ 可 重 ━━ 重 兼

宣 親 ━━ 
重 成 ━━ 重 矩 ━━ 一 典 ━┳ 一 都
(朝倉氏)                     ┣ 
見 典
                          ┗ 
一 新

村 年 ━━ 
一 貫 ━━ 一 貞 ━┳ 重 竜 ━━ 重 義
(宇和島伊達)            ┣ 衛 ム
                   ┃(山家谷)
                   ┗ 
一 興
昌 高 ━━ 
一 咸
(中津奥平)

系図で見ると

一重重兼重成重矩一典一都見典一新一貫一貞重竜一興一咸重義


○青木一貫 (麻田藩9代藩主)1734〜1786(在任:1770〜1786)

麻田藩9代藩主。従五位下 甲斐守。大番頭。宇和島藩主伊達村年の三男。
室は8代青木一新の女。母は伊達吉村の女。幼名伊織、初名村銘。
養父一新の息子が皆早世したため、婿養子となった。

青木一貫とその子供達(男子)

青木一貫┳━佐野健行????〜????旗本三千六百石貫忠佐野義行養子
    ┣━設楽貞喬1768〜1794旗本民三郎八剣~社再建設楽貞猶養嗣子
    ┣━米津政佑????〜????貫時加賀五郎米津政従養子
    ┣━青木一貞1776〜1831摂津麻田藩十代藩主従五位下出羽守甲斐守
    ┣━青木一寧????〜????
    ┗━青木喜代三郎????〜????

 

○青木一貞 (麻田藩10代藩主)1776〜1831(在任:1786〜1821)

麻田藩10代藩主。従五位下 出羽守、甲斐守。青木一貫の嫡男(四男)。母は8代青木一新の女。
正室は佐竹義忠の女、継室は池田定常の女。幼名、源五郎。
兄三人(佐野健行、設楽貞喬、米津政佑)の実母は青木一新の女でなかった為、家督を継承した。
寛政年間に藩校「直方堂」を創設。

青木一貞とその子供達(男子)

青木一貞┳━青木重龍1800〜1858摂津麻田藩十一代藩主従五位下内膳正美作守駿河守民部少輔
    ┣━谷衛ム1811〜1884丹波山家藩十一代藩主従五位下出羽守谷衛弥養嗣子
    ┗━青木一興1822〜1849摂津麻田藩十二代藩主従五位下美濃守

 

○青木重龍 (麻田藩11代藩主)1800〜1858(在任:1821〜1847)

麻田藩11代藩主。従五位下 内膳正、美作守、駿河守、民部少輔。青木一貞の長男。
正室は森忠賛の女。幼名、源五郎。

青木重龍とその子供達(男子)

青木重龍┳=青木一興1822〜1849摂津麻田藩十二代藩主従五位下美濃守青木一貞六男
    ┗━青木重義1853〜1884摂津麻田藩十四代藩主麻田藩知事従五位下民部少輔子爵青木一威養嗣子

 

○青木一興 (麻田藩12代藩主)1822〜1849(在任:1847〜1849)

麻田藩12代藩主。従五位下 美濃守。青木一貞の六男。

青木一興とその子供達(男子)

青木一興━=青木一咸1828〜1856摂津麻田藩十三代藩主従五位下甲斐守奥平昌高十二男

 

○青木重義 (麻田藩14代藩主、麻田藩知事)1853〜1884(在任:1856〜1871廃藩置県)

麻田藩14代藩主。従五位下 民部少輔。子爵。11代青木重竜の子。13代青木一威の養子。
1869年、藩校を「直方堂」から「文武局」と改め、漢学、算数などを修めさせた。
同年、藩領有馬郡高平村で小作騒動が起きている。


丹波山家藩

揚げ羽蝶

1万石
新知取立。
外様 柳間 陣屋

谷家

衛 友 ━━ 衛 政 ━━ 衛 利 ━━ 衛 廣 ━━ 衛 憑 ━━ 衛 衝 ━┳ 衛 将
                                        ┗ 
衛 秀 ━━ 衛 量 ━┳ 衛 萬
                                                      ┗ 
衛 弥

村 年 ━━ 一 貫 ━━ 一 貞 ━━ 
衛 ム
(宇和島伊達)(麻田青木)(麻田青木)

康 禎 ━━ 
衛 弼
(膳所本多)
頼 説 ━━ 
衛 滋
(府中松平)

系図で見ると

衛友衛政━衛利━衛廣衛憑衛衝衛将衛秀衛量衛萬衛弥衛ム衛弼衛滋


○谷衛ム (山家藩11代藩主)1811〜1884(在任:1820〜1845)

山家藩11代藩主。従五位下 出羽守。摂津麻田藩主青木一貞の二男(宇和島伊達村年の曾孫)。


下総古河藩

六つ柄杓車

7万石→8万石
肥前唐津より移封
譜代 雁間 城主

土井家(宗家)

利 勝 ━┳ 利 隆 ━┳ 利 重
     ┃      ┣ 
利 久
     ┃      ┗ 
利 益 ━━ 利 実
     ┗ 利 房 ━━ 利 良 ━━ 利 清 ━━ 
利 里
      (大野土井) (分家)   (分家)

乗 佑 ━━ 
利 見
(大給松平)

忠 名 ━━ 
利 厚
(桜井松平)

宗 村 ━━ 利 コ ━━┳ 利 制
(仙臺伊達)(刈谷土井) ┃(刈谷土井)
             ┣ 利 謙
             ┃(刈谷土井)
             ┣ 
利 位
             ┗ 利 以
              (刈谷土井)

忠 え ━━ 
利 亨
(敦賀酒井)

高やつ ━━ 
利 則 ━━ 利 与
(久居藤堂)

系図で見ると

利昌?━利勝━利隆━利重=利久=利益━利実=利延=利里=
利見利位利亨利則利与

(土井利勝にはコ川家康落胤説が根強い)


土井利位 (古河藩4代藩主)1789〜1848(在任:1822〜1848)

古河藩4代藩主。従四位下 大炊頭 侍従。首席老中。
京都所司代(1837〜1838)も勤めた。
三河刈谷土井利コの四男。土井利厚養嗣子。仙臺伊達宗村の孫。
学者肌で、雪の結晶に魅入られ「雪華図説」を著す。
政治家としても有能で、主席老中水野忠邦時代の天保改革の一翼を担い、
水野忠邦失脚後は、首席老中として逼迫していた幕府財政の立て直しなど、
大きな功績をあげた。
庶民からは「雪の殿様」として慕われ且つ敬われた。

三河刈谷藩

六つ柄杓車

2万3千石
三河西尾より移封
譜代 雁間 城主

土井家

利 庸 ━━ 利 信
(西尾土井)
宗 村 ━┳ 
利 コ ━┳ 利 制
(仙臺伊達)┃      ┣ 
利 謙
     ┃      ┣ 利 位
     ┃      ┃(古河土井)
     ┃      ┗ 
利 以 ━━ 利 行
     ┣ 利 置
     ┃(土井)
     ┗ 正 敦 ━━ 正 衡 ━━ 
利 祐
     (佐野堀田)  (佐野堀田)

正 甫 ━━ 
利 善
(浜松井上)
政 醇 ━━ 
利 教
(林田建部)

系図で見ると

利庸━利信利コ利制利謙利以利行利祐利善利教


○土井利置 (刈谷藩初代藩主の養嗣子)1750〜1766

従五位下 左京亮。陸奥仙臺藩主伊達宗村の六男。土井利信養嗣子。
母は某氏、土井利信の女を室にする予定であったが、婚する前に利置が卒した。
養父利信に先立ちて卒した。


土井利コ (刈谷藩2代藩主)1748〜1813(在任:1767〜1787)

刈谷藩2代藩主。従五位下 山城守。陸奥仙臺藩主伊達宗村の三男。土井利信養嗣子。
母は佐野氏、室は土井忠宜(松平忠堅養子)の女。土井忠宜は土井利信の弟にあたる。
はじめ、実弟の利置が利信の養子となっていたが、利置が利信に先立ったので、養子となった。
1781年、藩の財政が苦しかったので、借上金返済仕法を定めたり、藩士の俸禄を俵で支給したり、
新田開発をしたりして打開策を次々と打ち出した。

土井利コとその子供達(男子)

土井利コ┳━土井利制1768〜1794三河刈谷藩三代藩主従五位下兵庫頭
    ┣━土井利謙1787〜1813三河刈谷藩四代藩主従五位下伊豫守
    ┣━土井四郎????〜????
    ┣━土井利位1789〜1848下総古河藩四代藩主従四位下大炊頭侍従京都所司代首席老中「雪華図説」著
    ┗━土井利以1796〜1829三河刈谷藩五代藩主従五位下淡路守

 

○土井利制 (刈谷藩3代藩主)1768〜1794(在任:1787〜1794)

刈谷藩3代藩主。従五位下 兵庫頭。土井利コの長男。
母は土井忠宣の女。
1790年領民に借用金を返済しなかった為、百姓一揆を起こされた。


○土井利謙 (刈谷藩4代藩主)1787〜1813(在任:1794〜1813)

刈谷藩4代藩主。従五位下 伊予守。土井利コの二男。三郎。
母は某氏。兄の嗣となる。


○土井利以 (刈谷藩5代藩主)1796〜1829(在任:1813〜1829)

刈谷藩5代藩主。従五位下 淡路守。土井利コの五男。
母は某氏。

土井利以とその子供達(男子)

土井利以┳━土井某
    ┗━土井利行1822〜1838三河刈谷藩六代藩主従五位下大隈守

 

○土井利行 (刈谷藩6代藩主)1822〜1838(在任:1829〜1838)

刈谷藩6代藩主。従五位下 大隈守。土井利以の二男。


○土井利祐 (刈谷藩7代藩主)1821〜1847(在任:1838〜1847)

刈谷藩7代藩主。従五位下 淡路守。下野佐野藩主堀田正衡の二男。


下野佐野藩→近江堅田藩→下野佐野藩

黒餅に立木瓜


下野佐野藩
1万石
分知新封
譜代 菊間 城主 
近江堅田藩
1万石
下野佐野より移封
譜代 菊間→帝鑑間 陣屋 
下野佐野藩
1万3千石→1万6千石 
近江堅田より移封
譜代 帝鑑間 城主格

堀田家

政 俊 ━━ 政 高 ━━ 正 永
(安中堀田)(佐野→堅田)
安 利 ━━ 
正 実 ━━ 正 富
(脇坂氏)
宗 村 ━━ 
正 敦 ━━ 正 衡 ━┳ 正 修 ━━ 正 頌
(仙臺伊達) (堅田→佐野)       ┗ 氏 恭 ━━ 
正 路 ━━ 正 博
                     (北條)

系図で見ると

政俊━
政高正永正実正富正敦正衡━正修━正頌正路正博


堀田正敦 (堅田藩5代藩主、佐野藩初代藩主)1758〜1832(在任:1786〜1826〜1832)

堅田藩5代藩主、佐野藩(再)初代藩主。従五位下 摂津守。大番頭、若年寄。
陸奥仙臺藩主伊達宗村の八男。母は坂氏。室は堀田正富の女。初名村由、藤八郎。
1786年近江堅田藩1万石を襲封。1789年大番頭、1790年若年寄となり幕政に関与。
老中松平定信に協力して寛政改革を推進した。1826下野佐野藩1万3千石に移封。
和漢の学識に富み、「寛政重修家譜」編纂の総裁を務めた。
この人がいたからこの様なサイトを作成する事が出来たのだな〜と思ってしまう。
仙臺藩の伊達斉村が卒した際、伊達周宗の貢献となり、仙臺藩の藩政を補佐した。
周宗が卒した際には恐らく事実を知っていたと思われるが実家の危機に口を噤んでいたと思われる。

堀田正敦とその子供達(男子)

堀田正敦┳━堀田恒之丞1780〜1793早世
    ┣━田村宗顯1784〜1827田村家七代当主陸奥一関藩六代藩主従五位下右京大夫敬顯田村村資養子
    ┣━堀田四郎????〜????早世
    ┣━堀田貞五郎????〜????早世
    ┣━堀田正衡1795〜1854下野佐野藩二代藩主従五位下摂津守奏者番若年寄
    ┣━毛利元世1796〜1845長門清末藩六代藩主従五位下讃岐守毛利政明養子
    ┗━堀田某????〜????

 

○堀田正衡(佐野藩2代藩主)1795〜1854(在任:1832〜1854)

佐野藩2代藩主。従五位下 摂津守。奏者番、若年寄(1836〜1843)。堀田正敦の長男。
貝の研究に熱心で「観文介譜」を著している。画の才能もあったようです。
家臣の高橋源十郎の子、高橋由一は日本で最初の洋画家

堀田正衡とその子供達(男子)

堀田正敦┳━堀田正修1816〜1849左京亮
    ┣━土井利祐1821〜1847三河刈谷藩七代藩主従五位下淡路守
    ┣━堀田正發????〜????
    ┣━堀田某????〜????
    ┣━堀田正コ????〜????
    ┣━堀田某????〜????
    ┣━北條氏恭1855〜1919河内狭山藩十二代藩主狭山藩知事従五位下相模守子爵宮中顧問官北條氏燕養子
    ┗=堀田正頌1842〜1896下野佐野藩三代藩主佐野藩知事従五位下信濃守摂津守左京亮子爵

 

○堀田正修(佐野藩3代藩主の父)1816〜1849

堀田正衡の長男。左京亮。父に先立ち卒す。

堀田正修とその子供達(男子)

堀田正修┳━堀田正頌1842〜1896下野佐野藩三代藩主佐野藩知事従五位下信濃守摂津守左京亮子爵
    ┗━堀田正泰????〜????

 

○堀田正頌(佐野藩3代藩主、佐野藩知事)1842〜1896(在任:1854〜1871廃藩置県)

佐野藩3代藩主。従五位下 信濃守。子爵。堀田正修の長男。
13歳で藩主になった為、佐倉の本家から出向してきた養育係の西村茂樹(1828〜1902)に補佐され、藩政を行いました。
藩校「観光館」を設立したりもしています。

堀田正頌とその子供達(男子)

堀田正修━=堀田正路1879〜1973海軍中佐北條氏恭次男堀田正頌養子

 

廃藩置県後の堀田家歴代当主


○堀田正路 1879〜1973

当主。廉之助。海軍中佐、子爵。北條氏恭の二男、北條氏恭は堀田正衡の七男。堀田正頌養子。
海軍兵学校を卒業している。


○堀田正博 1933〜

現当主。堀田正路の長男。


河内狭山藩

三鱗

1万石
外様 柳間 陣屋

北条家

氏 規 ━━ 氏 盛 ━┳ 氏 信 ━━ 氏 宗
            ┗ 氏 利 ━┳ 
氏 治
                   ┗ 
氏 朝 ━━ 氏 貞━━ 氏 彦 ━━ 氏 ム ━┳ 氏 喬
                                              ┗ 氏 迪 ━━ 
氏 燕

氏 庸 ━━ 
氏 久
(大垣戸田)

宗 村 ━━ 正 敦 ━━ 正 衡 ━━ 
氏 恭
(仙臺伊達) (佐野堀田)  (佐野堀田)


系図で見ると

長氏(早雲)━氏綱━氏康━氏政━氏直=氏盛氏信氏宗氏治氏朝氏貞氏彦氏ム氏喬氏久氏燕氏恭


○北条氏恭 (狭山藩12代藩主、狭山藩知事)1855〜1919(在任:1861〜1869辞任廃藩)

狭山藩12代藩主、狭山藩知事。従五位下 相模守。子爵、宮中顧問官。下野佐野藩主堀田正衡の三男。
1915年12月、勲一等瑞宝章受章。廃藩置県を待たずに藩知事を辞任し狭山藩は廃藩となった。

北條氏恭とその子供達(男子)

北條氏恭┳━北條謙吉1877〜1925陸軍歩兵中佐
    ┣━堀田正路1879〜1973海軍中佐堀田正頌養子
    ┣━北條釐三郎1886〜1989分家海軍大佐
    ┗━北條雋八1891〜1974貴族院議員参議院議員参議院法務委員長北條謙吉養子

 

廃藩置県後の北條家歴代当主


○北条謙吉 1877〜1925

北条氏恭の長男。陸軍歩兵少佐。子爵。

北條謙吉とその子供達(男子)

北條謙吉━=北條雋八1891〜1974貴族院議員参議院議員参議院法務委員長北條謙吉養子

 

○北條雋八 1891〜1974

北条氏恭の四男。貴族院議員、参議院議員(公明党)、参議院法務委員長。子爵。創価学会文化部顧問。

北條雋八とその子供達(男子)

北條雋八━=北條尚1937〜 北條釐三郎四男北條雋八養子聖教新聞社

 

○北條尚 1937〜

現当主。北條釐三郎の四男。釐三郎は氏恭の三男。会社役員。
実兄の北條浩(1923〜1981)は創価学会第四代会長で参議院議員(公明党)


○北條伸作 1969〜

北條尚の長男。


長門清末藩

清末三つ星

1万石
外様 柳間 陣屋

毛利家

秀 元 ━━ 元 和 ━━ 元 平 ━┳ 政 苗 ━━ 匡 邦
(長府毛利)              ┃
                   ┣ 正 賢 ━━ 
政 明
                   ┃(長島増山)
                   ┗ 重 就 ━━ 匡 芳 ━━ 元 義 ━━ 
元 承
                    (萩毛利)  (長府毛利) (長府毛利)

宗 村 ━━ 正 敦 ━━ 
元 世
(仙臺伊達) (佐野堀田)

俊 敦 ━━ 
元 純
(日出木下)

系図で見ると

秀元━
元和元平政苗匡邦政明元世元承元純━元忠━元恒


○毛利元世 (清末藩6代藩主)1796〜1845(在任:1821〜1845)

清末藩6代藩主。従五位下、讃岐守。下野佐野藩主堀田正敦の六男。伊達宗村の孫。
清末藩は匡邦以降、いずれも実子がなく他家からの養子が続き、家中騒動が起こることが多かった。
毛利一門は萩藩(長州藩)及びのその支藩が吉川家の岩国藩を除き、
家紋(代紋)はいずれも「一文字三星」を使用しているが、
伊達家の「竹に雀」やコ川一門の「三葉葵」と同様に、
それぞれが少しずつ違う物となっている。

一文字三星
長門三つ星 府中三つ星 コ山三つ星 清末三つ星
萩藩 長府藩 コ山藩 清末藩

肥前島原藩

重ね扇

6万5千石
下野宇都宮より移封
譜代 帝鑑間 城主

深溝松平家

忠 刻 ━━ 忠 恕 ━━ 忠 馮 ━┳ 忠 侯 ━┳ 忠 誠
                   ┃      ┗ 
忠 精
                   ┗ 忠 篤 ━━ 
忠 愛

宗 紀 ━━ 
忠 淳
(宇和島伊達)

斉 昭 ━━ 
忠 和
(水戸コ川)

系図で見ると

忠刻━
忠恕忠馮忠侯忠誠忠精忠淳忠愛忠和


○松平忠淳 (島原藩(再)6代藩主)1841〜1860(在任:1859〜1860)

島原藩6代藩主。従五位下、主殿頭。伊予宇和島藩主伊達宗紀の三男。深溝松平忠精養嗣子。通称、主馬。
忠精の卒去により6代藩主となるも早世し、約1年間しか藩主の座になかったため実績は残っていない。


信濃松代藩

眞田六紋銭

13万5千石→10万石
信濃上田より移封
外様 帝鑑間 城主

眞田家

昌 幸 ━━ 信 之  ━┳ 信 政 ━━ 信 就 ━━ 信 弘 ━━ 信 安 ━━ 幸 弘
             ┗ 
幸 道

直 幸 ━━ 
幸 専
(彦根井伊)

定 信 ━━ 
幸 貫 ━━ 幸 良 ━━ 幸 教
(久松松平)

宗 城 ━━ 
幸 民 ━━ 幸 正 ━━ 幸 治 ━━ 幸 長 ━━ 幸 俊
(宇和島伊達)

系図で見ると

幸隆━昌幸━
信之信政幸道信弘信安幸弘幸専幸貫━幸良━幸教幸民━幸正━幸治━幸長━幸俊


○眞田幸民 (松代藩10代藩主、松代藩知事)1850〜1903(在任:1866〜1871廃藩置県)

松代藩10代藩主。従二位信濃守。子爵→伯爵。伊予宇和島藩主伊達宗城の二男。
宇和島藩第2代藩主伊達宗利の長女豊姫は、1673年信濃松代藩第3代藩主眞田幸道の夫人として輿入れしている。
この頃より宇和島伊達家と松代眞田家は親戚付き合いをしており、
この縁が、幸民の入嗣に繋がったのではないかと考えられる。
幸民はかなり早い段階で官軍側に味方しており、
戊辰戦争後の東北地方の仕置で旧盛岡領のうち、鹿角・岩手・志和三郡田通を取締地としている。
3回の他家からの入嗣で昌幸・信之以来の眞田家直系と言うイメージが薄れている事と、実父伊達宗城が有名人である為か
「眞田幸民は信濃松代伊達家だ!」と言う人も居るとか居ないとか・・(苦笑)
子息の幸保は伏見宮系の清棲家教の養嗣子となりました。臣籍降下したとはいえ、
皇族の血統にも養子を送り込んでいるんです。

眞田幸民とその子供達(男子)

眞田幸民┳━眞田幸正1876〜1971松代眞田家十一代当主
    ┣━眞田幸久1880〜????分家
    ┗━清棲幸保1901〜1975 伯爵理学博士宇都宮大学教授鳥類学者、清棲家教養嗣子

 

廃藩置県後の眞田家歴代当主


○眞田幸正 (眞田家13世11代当主)1876〜1971

大磯に別荘を所有。

眞田幸正とその子供達(男子)

眞田幸正┳━眞田幸治1901〜1977松代眞田家十二代当主「眞田寶物館」美術品調度品寄贈
    ┗━眞田幸尚1903〜????東京大学大学院卒

 

○眞田幸治 (眞田家14世12代当主)1901〜1977

1966年に松代町に家屋及び文献、武具、資料等約2万点を寄付し、
これが、現在の松代町眞田宝物館にあたります。


○眞田幸長 (眞田家15世13代当主)1929〜1984

テレビ朝日に勤務していたようです。技術局所属だったらしい。


○眞田幸俊 (眞田家16世14代当主)1969〜

現当主。工学博士。慶應義塾大学理工学部助教授。東京在住。別宅が松代にある。
著書に「マルチメディア通信入門」など。2002年松代さなだ祭りで大名行列に参加しました。


豊前中津藩

奥平団扇

10万石
丹後宮津より移封
譜代 帝鑑間 城主

奥平大膳大夫家

昌 章 ━━ 昌 成 ━━ 昌 敦 ━━ 昌 鹿 ━━ 昌 男

重 豪 ━━ 
昌 高 ━┳ 昌 暢 ━━ 昌 服
(薩摩島津)       ┃
            ┗ 
昌 猷

宗 城 ━━ 
昌 邁 ━━ 昌 恭  ━━ 昌 信
(宇和島伊達)



系図で見ると

昌章━
昌成昌敦昌鹿昌男昌高昌暢昌猷昌服昌邁━昌恭━昌信


○奥平昌邁(中津藩9代藩主、中津藩知事)1855〜1884(在任:1865〜1871廃藩置県)

中津藩9代藩主(通算で17代)。従五位下 美作守 伯爵。伊予宇和島藩主伊達宗城の三男。
1869年、維新趣旨にもとずいて藩政改革を行う。人材登用に選挙法をとるなど旧習を破り新政を行った。
慶応義塾に入学後、福沢諭吉にアメリカ留学を勧められニュージャージー州ニューブランズウィック地区に留学。
明治五年二月二十日の福澤英之助宛福澤書翰には
「昨日アメリカより手紙参、殿様も甚さんもぶじ、ソルレイキと申処迄参候よし」
とある。この書翰に出てくる「殿様」が昌邁公で、「甚さん」は留学の随行者の小幡甚三郎である。
また、福沢諭吉の勧めにより中津市校を設立した。

 
奥平昌邁とその子供達(男子)

奥平昌邁┳━奥平昌恭1877〜1948伯爵貴族院議員
    ┣━奥平昌國1880〜1940分家
    ┗━奥平榮之助1892〜????分家奥平忠善養子

 

廃藩置県後の奥平家歴代当主


○奥平昌恭(奥平宗家18代当主)1877〜1948

奥平宗家18代当主。貴族院議員


○奥平昌信(奥平宗家19代当主)1903〜1984

奥平宗家19代当主。中津城観業会長。中津城再建工事に尽力す。


駿河小島藩

丸に桔梗

1万石
6千石旗本より加増
譜代 菊間 陣屋

松平(滝脇)家

典 信 ━┳ 信 孝
(形原松平┗ 信 庸 ━━ 
信 嵩 ━━ 昌 信
      (形原松平)

庸 孝 ━━ 信 志 ━━ 
信 賢 ━━ 信 成
(本庄松平)(形原松平)

重 恒 ━━ 
信 治
(戸田)

長 尭 ━━ 
信 義 ━━ 信 圭 ━━ 信 友 ━━ 信 書
(村松堀)

斉 恒 ━━ 
信 進
(越前松平)

頼 寧 ━━ 
信 敏
(高遠内藤)

宗 城 ━━ 
信 廣 ━━ 信 鑰
(宇和島伊達)

公 威 ━━ 
宏 光 ━━ 平 人
(古市) 

系図で見ると
重信=信孝=信治=信嵩━昌信=信義━信圭━信友=信賢=信進=信書=信敏=信成=信廣━信鑰=宏光━平人


廃藩置県後の滝脇家当主


○滝脇信廣 1865〜1913

当主。子爵。忠千代。宇和島伊達宗城の六男。滝脇信成養子。
夫人は前妻が田沼意尊の長女智恵、後妻が宮崎利央の長女緕q
1874年田沼智恵と結婚し子爵田沼家を継承するが、1878年離縁。
後、滝脇家の養子となり1889年滝脇家を継承。


○瀧脇信鑰 1893〜????

当主。子爵。滝脇信廣の長男。
1923年に隠居し養子宏光(古市公威四男)に当主を継承させ、本人は分家をたてた。


越後三根山(峰岡)藩

丸に三つ柏

1万石1千石
交代寄合より新田打出
譜代 陣屋

三根山牧野家

忠 成 ━┳ 定 成
     ┗ 
忠 清 ━━  忠 貴

種 封 ━━ 
忠 列 ━━ 忠 知 ━━ 忠 義 ━━ 忠 数 ━━ 忠 衛 ━━ 忠 直 ━━ 忠 興
(秋月)

盛 繁 ━━ 盛 保 ━━ 
忠 泰 ━━ 千代子
(五島)  (五島)

宗 城 ━━ 
忠 良
(宇和島伊達)

    ━━ 健之助
(三井)

正 麿 ━━ 博 基
(二条家)

系図で見ると
定成=忠清━忠貴=忠列━忠知━忠義━忠数━忠衛━忠直━忠興
忠泰━千代子=忠良=健之助=博基


廃藩置県後の牧野家当主


○牧野忠良 1867〜1933

牧野家当主。子爵。俊治。宇和島伊達宗コの三男。牧野千代子養子。
華族令制定時(1884年)は養母の千代子(牧野忠泰の長女)が当主だったので1891年に忠良に子爵が授けられた。
「平成新修旧華族家系大成」には1884年に牧野忠泰(1845〜1882)が子爵を授爵したとあるが、
1884年の時点では忠泰は既に鬼籍の入っており、これは間違いではないだろうか?
また、華族令では女性当主には授爵ができない為、1891年に忠良が授爵したのが正解であろう。


備中浅尾藩

八曜

1万石→(8千石→6千7百石→7千4百石)→1万石
新知取立→分封廃絶→高直再興
譜代 菊間 陣屋→
(旗本 菊間 交代寄合)→譜代 菊間 陣屋

蒔田家

廣 光 ━━ 廣 定 ━━ 定 正 ━┳ 定 行
                   ┗ 忠 辰 ━━ 
定 矩 ━━ 定 英 ━━ 定 安
                    (戸田)
宗 衍 ━━ 
定 静
(松江松平)
近 形 ━━ 
定 祥
(大給松平)
村 候 ━━┳ 直 清 ━━ 直 勝 ━━ 宗 城 ━━ 廣 城 ━━ 廣 靖  ━━ 光 弘
(宇和島伊達)┃ (山口)   (山口)  (宇和島伊達)
      ┗ 村 壽 ━━ 
定 邦
       (宇和島伊達)

廣 通 ━━ 
定 庸
(一門)
直 寛 ━━ 
廣 運
(広瀬松平)
廣 胖 ━━ 
廣 孝
(一門)

系図で見ると

廣光━
廣定定正━定行=定矩定英定安定静定祥定邦定庸廣運廣孝=廣城━廣靖━光弘


○蒔田定邦 (交代寄合旗本浅尾蒔田家9代)1795〜1824(在任:1812〜1824)

浅尾蒔田家9代当主。伊予宇和島藩主伊達村壽の二男。権佐。夫人は8代蒔田定祥の長女
正確に言うと、藩主で無かった時の当主なのでどうしようか悩んだが一応書きました。


廃藩置県後の蒔田家当主


○蒔田廣城 (浅尾蒔田家13代当主)1881〜1943

浅尾蒔田家12代当主。伊予宇和島藩主伊達宗城の子。貴族院議員。子爵。


○蒔田廣靖 (浅尾蒔田家14代当主)1913〜

浅尾蒔田家13代当主。現当主。明一。子爵。海軍主計少佐。日本海テレビジョン放送(株)。


○蒔田光弘 1947〜

(株)電通に勤務。


近江膳所藩

立ち葵

6万石
三河西尾2万石→近江膳所3万石→三河西尾3万5千石→伊勢亀山5万石→近江膳所7万石→6万石
譜代 帝鑑間 城主

本多家

忠 次 ━┳ 康 俊 ━━ 俊 次 ━┳ 康 長 ━━ 康 慶 ━┳ 康 命
(酒井) ┃             ┃             ┗ 
康 敏
     ┃             ┗ 
康 将 ━━ 忠 恒 ━━ 忠 統 ━┳ 康 桓 ━━ 忠 薫 ━┳ 康 完
     ┃                                  ┗ 
康 政         ┗ 康 禎 ━┳ 康 融
     ┗ 家 次 ━━ 忠 勝 ━━ 忠 恒 ━━ 忠 予 ━━ 忠 寄 ━┳ 
康 伴                ┗ 康 穣
       (酒井)   (酒井)   (酒井)   (酒井)   (酒井) ┗ 
康 匡

宗 コ ━━ 
康 虎 ━━ 猶一郎 ━━ 康 忠 ━━ 康 則 ━━ 康 裕
(宇和島伊達)

系図で見ると
忠次=康俊━俊次━康将=康慶━康命=康敏=康桓=康政=康伴=康匡=康完=康禎━康融=康穣康虎━猶一郎━康忠━康則━康裕


廃藩置県後の本多家当主


○本多康虎 1864〜1929

当主。子爵。宇和島伊達宗コの二男。本多康穣養子。


○本多猶一郎 1894〜1948

当主。帝室會計審査局長官、侍従、主馬頭、子爵。本多康虎の長男。

本多猶一郎とその子供達(男子)

本多猶一郎┳━本多康忠1926〜 (株)本多商會
     ┗━本多康張1929〜

 

○本多康忠 1926〜

現当主。本多猶一郎の長男。(株)本多商会代表取締役


○本多康則 1955〜

本多康忠の長男。


○本多康裕 1987〜

本多康則の長男。


陸奥二本松藩

直違い

10万7百石(維新後5万石)
常陸古渡1万石(後2万石)→陸奥棚倉5万石→陸奥白河10万石→陸奥二本松10万石。
外様 大広間 城主格

丹羽家

長 秀 ━┳ 長 重 ━━ 光 重 ━┳ 長 次
     ┃             ┗ 
長 之 ━━ 秀 延
     ┗ 長 一 ━━ 長 守 ━━ 長 道 ━━ 
高 寛 ━━ 高 庸 ━━ 長 貴 ━━ 長 祥 ━━ 長 富 ━━ 長 国
斉 憲 ━┳ 
長 裕
(米沢上杉┗ 
長 保
宗 コ ━━ 
長 コ ━━ 孝 一 ━━ 長 聡
(宇和島伊達)

系図で見ると
長秀━長重━光重━長次=長之━秀延=高寛━高庸━長貴━長祥━長富━長国=長裕長保=長国=長コ━孝一━長聡


廃藩置県後の丹羽家当主


○丹羽長コ 1873〜1947

当主。子爵、貴族院議員。宇和島伊達村コの六男。丹羽長国養子。


○丹羽孝一 1910〜1951

当主。丹羽長コの長男。


○丹羽長聡 1944〜

現当主。丹羽孝一の長男。松下電工(株)東京電子機材営業所所長


伊予小松藩

丸に釘抜

1万石
伊予西条藩より分知新封
外様 柳間 陣屋

小松一柳家

直 盛 ━━ 直 頼 ━━ 直 治 ━┳ 頼 コ
(宗家)  (小松一柳)       ┗ 治 良 ━━ 
頼 邦 ━━ 頼 寿 ━┳ 頼 欽 ━━ 頼 親
                    (分家)                ┗ 成 芳 ━━ 
頼 紹 ━┳ 頼 明
                                         (村越氏)        ┗ 
紹 念


宗 コ ━━ 
直 コ ━━ 直 俊 ━━ 直 智
(宇和島伊達)

(頼親は一柳直欽の長男とも)

系図で見ると
直盛━
直頼━直治━頼コ=頼邦━頼寿━頼欽━頼親=頼紹━頼明=紹念=直コ━直俊━直智


廃藩置県後の一柳家当主


○一柳直コ 1873〜1944

当主。子爵。俊治。宇和島伊達宗コの七男。一柳紹念養子。
夫人は内藤文成の長女操。

一柳直コとその子供達(男子)

一柳直コ┳━一柳直俊1918〜1989
    ┗━一柳友英1925〜1945

 

○一柳直俊 1918〜1989

当主。子爵。一柳直コの長男。

一柳直俊とその子供達(男子)

一柳直俊┳━一柳直智1959〜 東京ヒルトンホテル勤務
    ┗━一柳直宏1963〜

 

○一柳直智 1959〜

現当主。一柳直俊の長男。東京ヒルトンホテル勤務


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