みぃはぁ版・平成伊達治家記録別館
伊達政宗の婿殿
○松平忠輝 (1592〜1683)室:伊達五郎八
辰千代、上総介、左近衛少将、カルサ様?、越後藩主、徳川家康六男、政宗長女五郎八姫の夫。
隆慶一郎の小説の中ではかなりのウエイトをしめる人物(笑)
確かに、家康の息子であり、政宗の娘婿であるので、創作においても歴史的に見ても
キーポイントになる人物である。
自身はキリシタンではないが、嫁の五郎八姫をはじめ、家臣の多くがキリシタンであった。
結局、キリシタンの総大将に祭り上げられ・・・・
ほんとに、小説の題材にはちょうど良い人物である。
ここでも又、山岡荘八氏と隆慶一郎氏の見解の違いを書かしていただくと・・・
山岡説では、大きな野心を持った粗削りな若者の代表のようにかかれていて、
隆説では、政治的野心を持たないで、自由人として生きたかった人のように書かれている。
まあ、徳川秀忠や柳生宗矩
程は見解に違いは無いですが・・・・
【人物の性格については史的文献からは読み取り難い。言語録や実績(行動)から推察するしかない。よって後世の創作で描かれ方がかなり変わる。】
子息は側室お竹の方(????〜1632)の子、松平徳松(1615〜1632)がいる。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で演じたのは真田広之。
ちなみに1989年に374年間にわたる勘当を解かれた。
○石川宗敬(1607〜1668)室:伊達牟宇
伊達家家臣、角田要害館主、仙台藩一門、石川義宗嫡男、政宗次女牟宇姫の夫
政宗の叔父にあたる石川昭光の嫡孫。ようするに、はとこ同士の結婚だったわけです。
幼少にして父を亡くし、石川家の跡を継ぐが、成人までは祖父昭光が政務を担当していた。
一門衆と言っても、祖父昭光は政宗と長い間、敵対しており・・・後は叔父伯父戦記参照の事。
1628年、祖父昭光の法要に際し、幡守明神、金鶏山昭光寺建立。
1639年、阿武隈川水除土手修築にかかり、1641年完成。延長2.792間(約5.054メートル)。
しかし、資料がほとんど無いから書くことがない・・・
子息は
石川宗弘(1630〜1691)は嫡男で角田石川家の当主
白石宗信(????〜????)は次男で白石宗貞養嗣子
白石宗定(????〜????)は三男で兄の白石宗信の養嗣子
がいる。
| 石川氏、仙台藩一門角田石川家 晴 宗 ━┳ 輝 宗 晴光=昭光━義宗━宗敬━宗弘=宗贇=宗恒=村弘━村満━村俊━村文━村任━光尚=宗光━義光 |
○涌谷伊達宗實(1611〜1639)室:伊達岑
伊達安芸定宗の嫡男。幼名は牛松丸。母は黒木肥前宗俊娘。政宗三女岑姫の夫
伊達定宗は亘理元宗の孫。亘理元宗は伊達晴宗の弟。
1635年4月22日、妻の岑姫が20歳の若さで亡くなり、亘理家菩提寺、見龍寺に葬られました。
さらに、1639年、祖母が亡くなり、宗実もあとを追うように、同年に29歳で逝去。
って死んだ話ばかり...
父定宗より早く亡くなっている為、涌谷伊達家の当主の座は弟の宗重が継承しました。
弟の宗重は寛文事件(伊達騒動)の被害者、伊達安芸。
| 政宗三女岑姫の夫について・・ この人については、しばし亘理伊達宗實(政宗九男、成實養子)との混乱が見受けられる。 上に挙げる実際の岑姫の夫、涌谷伊達宗實は分家のしかも代を継いでいない人だから、 後世の創作(小説など)等で見落とされて亘理伊達宗實(政宗九男)と取り違えられたと思われる。 って、そもそもの混乱の原因は、 「實元から始まる亘理伊達家」と「桓武平姓千葉氏流の武石氏→亘理氏→涌谷伊達家」の 両家とも伊達(亘理)家と書かれても不思議でない家に同時期に伊達宗實が存在したことが全てでしょう。 同時代に三人存在した伊達宗実 伊達宗実(1612〜1644)左近大夫、宇和島伊達家、伊達秀宗長男 伊達稙宗┳伊達晴宗━伊達輝宗━伊達政宗┳伊達秀宗━伊達宗実(左近) |
| 亘理氏・仙台藩一門涌谷伊達家、仙台藩一家佐沼亘理家
稙 宗 ━┳ 晴 宗 ━━ 輝 宗 ━━ 政 宗 ━┳ 秀 宗 宗隆=元宗━重宗━定宗━宗重━宗元━村元━村定━村盛━村胤=村倫=村常━村清━義基━邦隆━胤元 |
涌谷伊達家(仙台藩一門)と佐沼亘理家(仙台藩一家)について・・
亘理氏(武石氏)としては涌谷伊達家が本家筋にあたるが、
武石氏22代定宗が伊達を称する事を許され、涌谷伊達家の初代となった。
武石氏21代重宗の娘を娶った茂庭又次郎は亘理氏の名跡を継承し、
亘理宗根を名乗りこれが佐沼亘理家の初代となった。
○京極高国(1616〜1675)室:伊達千菊
名門京極氏の御曹司。京極高広(生没年不詳)の嫡男。従四位下。丹後守。侍従。
政宗四女千菊姫の夫。宮津藩第3代当主。
父、京極高広は京極高知(1572〜1622)の嫡子。祖父の代に遡ってやっと知られている名前が出てきた・・・
と、言ってもマイナーだけど(笑)
1654年、父の隠居にともない家督を相続。当初は善政を行ったが、
次第に慢心して虐政を重ね、父高広が幕府に暴状を訴えた
1666年所領を没収され、陸奥盛岡藩主南部重信(1616〜1702)にお預け
1675年12月24日、赦免されぬまま同地で死去。
のち高国の嫡子京極高規は旗本に取り立てられ、子孫は高家として家名を残している。
| 高国の子供達(男子) 京極高国┳━京極高規1643〜1708高家、従四位下侍従、近江守、対馬守 ┗━京極高甫1662〜1729高家、従五位下侍従、大膳大夫、京極高規養子 京極氏 京極高清┳京極高広 |
○原田宗資(????〜1624)室:茂庭津多
原田宗時(1565〜1593)養嗣、桑折宗長(1532〜1601)の子。宿老。
民部、甲斐。政宗の落胤茂庭津多(慶月院)の夫。
原田宗時が朝鮮出征中に客死したため、宿老原田家を継承。
血統的には原田宗時の叔父に当たる。
屋代景頼(1551〜1608)が放逐された後、船岡要害主となるが、実際には殆ど原田館で過ごしたようである。
嫡男は寛文事件の原田甲斐宗輔(1619〜1671)。
NHK大河「樅の木は残った」では宮口精二が演じました。
| ○宿老・原田家略系図 原田宗政=原田宗時=原田宗資━原田宗輔━原田宗誠 桑折宗長┳━桑折政長 |
伊達政宗の婿殿?
○川村(国分)盛信(????〜????)室:萬鶴
仙台天一坊事件・川村玄碩の父。川村玄碩の主張によると国分盛重の孫。
仙台天一坊事件で川村玄碩(国分盛春)が主張した系図(赤字は女性) 晴 宗 ━┳ 輝 宗 ━━ 政 宗 |