みぃはぁ版・平成伊達治家記録別館


大伯父白書


晴宗公の兄弟

生没年と順番が合わない謎の兄弟達


○大崎義宣(1526?〜1550)

伊達稙宗の次男。小僧丸。母は蘆名盛高の女(泰心院)、大崎高兼養嗣子、正室は大崎高兼の女(梅香姫)。
大崎家の11代とも12代とも言われているが、当主になっていないとの説もある。
小野御所(義宣)と名生城(義直)で双方が当主を称し対立したとの説もある。
天文の大乱では稙宗方に付き、晴宗方の大崎義直と対立した。
1548年、天文の大乱で晴宗方が勝ち、立場が弱くなり、1550年に葛西領に逃亡をはかるも大崎義直によって討ち取られた。


○伊達實元(1527〜1587)

伊達稙宗の三男。時宗丸。真元。従五位下兵部。母は蘆名盛高の女(泰心院)
NHK大河独眼竜政宗では竜雷太が演じた。
叔父伯父戦記参照。


○伊達玄蕃丸(生没年不詳)

伊達稙宗の四男?母は蘆名盛高の女(泰心院)
八歳で夭逝。


○伊達宗澄(生没年不詳)

伊達稙宗の五男?、母は下館氏。碩斎。相模入道休意。


○桑折宗貞?(生没年不詳)

伊達稙宗の六男?四郎。桑折貞長(景長)養嗣子。嗣子として桑折氏に入るが、夭逝した。


○葛西牛猿丸

伊達稙宗の七男


説1(盛岡藩系譜など)

○葛西晴清(生年不詳〜1547)

伊達稙宗の七男?。従五位下。葛西氏17代。葛西稙清(守信)養嗣子。室は葛西稙清女。
将軍足利義晴から偏諱されて晴清を称す。法名道秋。
32歳で没したとがあるが・・そうすると伊達晴宗(1519〜1577)より年長と言うことになってしまう(汗)
「源光寺過去帳」や「月牌回向帳」に名前が見え、葛西稙清女を室にして葛西家の家督を継いだことになっている。
天文の大乱では稙宗方に付いているが決着がつく前に逝去。
おそらく、こちらが実子であると思われる。


説2(仙台藩系譜など)

○葛西晴胤(1497〜1555)

伊達稙宗の七男?。葛西晴重の子?。葛西氏18代。稙清の弟高清との説もあります。
仙台藩士葛西俊信の子、葛西重常が延宝三(1675)年に藩に提出した由緒系図で
伊達稙宗の子を葛西晴胤とした為、伊達家の公式の系譜に掲載されることとなったようです。
が、生没年を見てもわかる通り、伊達稙宗(1488〜1565)の子との説には無理があり、
現実的ではありません。
ただし、花押の形が他の伊達一門と似ている形でもあり、
また、大崎義宣が天文の大乱で敗戦・失脚後、葛西領への逃亡をはかっており、
その辺が牛猿丸=晴胤の根拠になっています。
天文の大乱では晴宗方に付いています。


○梁川宗清(生年不詳〜1604)

伊達稙宗の八男。左衛門。鉄斎。母は中館氏。
天文12年梁川城に住し、梁川氏を称した。
嫡男
宗直は白石宗實嗣子。その子(宗清孫)宗元は梁川氏を称した。
次男
宗友は村田宗殖養嗣子となり一家の村田家を継承した。


○村田宗殖(1542〜1604)

伊達稙宗の九男?。一郎、万好斎。家臣の村田近重養嗣子。室は村田近重女。
柴田郡七郷三万石を領し一家に列せられたが、後、三百石に減封された。
NHK大河独眼竜政宗では八名信夫が演じ、イッセー尾形演じる国分盛重と悪巧みばかりしていた。
政宗を隠居させ小次郎擁立に動こうとしたとかしないとか・・
また、政宗の庶長子伊達秀宗が生まれた場所は村田宗殖館だったとの説もある。


○極楽院宗榮(????〜????)

伊達稙宗の十男。晴三郎。伊達郡岡村の行者極楽院善栄養嗣子。
延宝年間にその裔孫が仙台藩に召し出され、岡村氏と称した。


○亘理綱宗(1527〜1544)

伊達稙宗の十一男。彦四郎。母は亘理宗隆の女。亘理宗隆養嗣子。
亘理宗隆の養子となるが天文の大乱に巻き込まれ伊達郡穂原掛田の役で討死。


○亘理元宗(1530〜1594)

伊達稙宗の十二男。乙松丸。母は亘理宗隆の女。亘理宗隆養嗣子。
詳細は
伊達家外伝参照。NHK大河独眼竜政宗では鶴田忍が演じた。


○大有康甫(1535〜1618)

伊達稙宗の十三男。母は中館氏。東昌寺十四世住職。号一風軒
6歳で出家し政宗の大叔父として伊達家の情報、外交官、ブレーンとして活躍した。
東昌寺の十四世住職として中興の功が大であった。
東昌寺に滞在していた虎哉宗乙を政宗の教育係に推挙したのもこの人。
NHK大河独眼竜政宗では下馬二五七が演じた。


○伊達七郎(生没年不詳)

伊達稙宗の十四男。母は御下之上?。夭逝。


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