みぃはぁ版・平成伊達治家記録別館


伊達戦史


 645 大化の改新。中大兄皇子、中臣鎌足ら、蘇我入鹿を討伐。蘇我蝦夷自殺。
 649 このころ陸奥国を置く(〜653)
 669 中臣鎌足逝去。藤原姓を賜わる。
 672 壬申の乱
 701 大宝律令が成立。(藤原不比等)
 710 平城京に遷都
 715 多賀城創設
 717 藤原房前、兄の武智麻呂を超えて参議に任じられる。
 718 養老律令が成立。(藤原不比等)
 721 元明上皇崩御。藤原房前、元明上皇に後時を託される。
 782 左大臣藤原魚名、氷上川継の謀反事件に連座して免官
 789 征東将軍紀古佐美、蝦夷の首長太墓公阿弓流為に敗れて都に帰り、処罰される
 794 平安京に遷都
 801 坂上田村麻呂、蝦夷を平らぐ。
 827 藤原高房、盗賊等を厳しく取り締まる
     藤原高房、美濃でダキニを操る妖巫を成敗する
1028 平忠常の乱(〜1031)
     藤原為盛、諸衛府の官人をたばかる。
1051 前九年の役起こる。
1062 陸奥守兼鎮守府将軍源頼義、安倍氏を滅ぼし、前九年の役が終わる
1083 陸奥守兼鎮守府将軍源義家赴任する。
     清原家衡が同族の真衡と争い、源義家、真衡を助けて家衡を討つ。後三年の役始まり
1087 陸奥守兼鎮守府将軍源義家、清原氏を滅ぼし、後三年の役が終わる
1107 堀川院供養のため、藤原實宗が香隆寺で誦経。 1111 藤原實宗(伊佐、中村)、常陸介に任じられ、伊佐荘に居を構え、伊佐城を築く。
1156 保元の乱
     中村朝宗、下野国芳賀郡中村庄に中村城を築く。
1159 平治の乱
1170 藤原秀衡、鎮守府将軍となる
1180 源頼朝、伊豆で挙兵。
1181 藤原秀衡、陸奥守となる
1185 壇ノ浦の戦いで平氏滅ぶ。源頼朝、諸国に守護、地頭を置く。
1186 常陸介藤時長の女・大進局が、源頼朝の子・貞暁を生む。
1189 奥州征伐。源頼朝に従い、常陸入道念西大功をあげる。奥州藤原氏滅亡。
     念西の長男伊佐為宗、奥州藤原泰衡の兵と戦い、佐藤庄司及び宗徒の兵18人の首を得る戦功をあげる。
     念西の三男伊佐資綱(後、中村を称す)、伊達郡石那坂で敵と戦い、高名を得る。
     念西、伊達郡を賜り、拠点を常陸国伊佐郡から伊達郡に移し伊達を称する。
     東国武士奥州各地で地頭に就任
1190 平泉旧臣大河兼任の乱
     伊沢家景、奥州留守職に就任、将軍頼家、陸奥国葛岡郡新熊野社(古川市)領の祭いを親裁
1192 源頼朝、征夷大将軍となり鎌倉に幕府を開く
1200 伊達郡で境相論がおき、幕府の使者が派遣される
     伊達義広粟野大舘に城を築き亀岡八幡をその城下に移す
1209 幕府、長世保地頭伊佐大進為宗に保内の開発促進を命ず。
1212 念西の四男伊佐為家、鎌倉にて侍所に宿直している時に、荻生右馬允某と争論し刃傷に及ぶ。
     伊佐為家、佐渡に配流されるが、後、許される。
     幕府、再び伊佐大進に保内の開発促進を命ず。
1219 鶴岡八幡宮に参する行列に伊達右衛門慰為家。
1221 伊達義廣、原田某を遣わし北條泰時に従い宇治勢と戦う。(承久の変)
     伊佐三郎行政が、山田次郎重忠と戦い逐電させる(承久の変)
     伊佐大進太郎、宇治川で戦死。(承久の変)
1238 源頼経の随兵に伊佐四郎蔵人、泉田兵衛尉、伊達八郎太郎、中村縫殿助太郎、伊達判官代。
1243 御弓始め射手の2番手に伊達中村太郎。
1247 三浦泰村討たれる。奥州武士の所領に変動大。
     伊達政依、 観音寺を創建。
1252 鶴岡八幡宮御参賀の随兵(直垂着)に伊達次郎。
     供奉の人々参進 歩行たるべし者として伊達次郎。
1253 伊佐朝基(伊達八郎)、鎌倉御所小侍番帳に入る。
1274 文永の役(元寇)
1275 備中伊達弾正朝義、執権北条氏の代官として野山庄に入部(1281年とも)
1281 弘安の役(元寇)
1282 但馬伊達宗朝、謀書で弟の伊達資朝の地頭職を奪おうとす
1283 桑折心円の女、氏女が異母兄時長が所領を横領したと幕府に訴えるが氏女が敗訴する。
     伊達政依、東昌寺を創建。同じころ光明、光福の諸寺建立される。
1285 霜月騒動。安達泰盛討たれる。奥州武士の所領は北条氏に集中
     但馬伊達五郎三郎(宗朝?)、小佐郷二分地頭。
1286 伊達政依、満勝寺を創建し慧雲を京から招く。
1324 後醍醐天皇による鎌倉幕府討幕計画が発覚。
     日野資朝、日野俊基らが捕らえられ、日野資朝は配流された。
     三位房伊達遊雅(祐雅法師)も連座し追放された。(正中の変)
1325 三位房伊達遊雅追討せらる
1331 後醍醐天皇を中心とした勢力による鎌倉幕府討幕計画が発覚。(元弘の乱の発端)
     三位房伊達遊雅は二度目の逮捕。
     得江伊達頼景、元弘の乱で功を挙げる
     楠正成大阪赤坂城にて挙兵。鎌倉勢上洛軍中に三浦入道、結城宗広、岩城次郎、相馬重胤、伊達行朝、田村刑部少輔の名がある。
     笠置落城この戦いにも結城宗広・伊達行朝の名がある。後醍醐天皇捕虜
1332 稗貫氏族の根子氏は北朝方で活躍。(花巻/円万寺)
1333 新田義貞率いる関東の反幕府勢によって鎌倉幕府滅亡。
     但馬伊達道西(貞綱)・但馬伊達宗幸・但馬伊達宗重、千種忠顕に従って六波羅攻撃
     北畠顕家、陸奥守として義良親王・父親房らと多賀城に下向
     但馬伊達道西貞綱、船生郷の旧在家その他を陸奥国司から安堵される。
     伊佐治部丞貞周・伊佐孫八・伊佐三郎・伊佐孫四郎が自害。
1334 建武中興。
     陸奥国府では式評定衆・引付・政所執事・評定奉行・寺社奉行・安堵奉行・侍所といった小幕府的な政府が作られる。
     伊達行朝、奥州式評定衆に任じられる。
     伊達行朝、糠部地方に起きた北條氏与党の蜂起を鎮圧
     伊達五郎入道善恵、糠部郡南門を領す。
     伊達孫五郎入道善意(桑折政長)、糠部郡南川内を領す。
     伊達大炊介三郎次郎光助、八戸の工藤左衛門次郎の跡を領する。
1335 中先代の乱。北条時行、鎌倉を落とす。
     伊達五郎宗政、糠部郡七戸の野辺地を領す。
     足利尊氏、鎌倉奪還。建武政権に反旗を翻す。
     義良親王、北畠顕家、足利追討の為、奥羽勢を率いて西上、伊達行朝これに従い活躍。
     伊達行朝・伊達為顕、長倉に蜂起した北條氏与党を鎮圧
     得江伊達頼景、元弘の乱の功績により岩崎郡の徳宿肥前権守の所領を得る
1336 奥羽勢、足利尊氏を破り、京都を奪回。奥羽軍帰還。
     伊達高景、伊達光義、相馬軍に参陣
     但馬伊達義綱、足利方の今川頼貞に従い、進美寺山城に立て籠もった北但馬の国衆を攻める。
1337 但馬伊達道西・義綱は足利方の桃井盛義に従い転戦
     北畠顕家、義良親王を奉じて白河結城宗広・伊達行朝らを率いて宇都宮へ発向(五百川の反乱)
     北畠顕家、上洛の途中で鎌倉を攻め落とし、主将・斯波家長は支えきれずに自刃
     この頃の梁川城主は伊達六郎正弘。(霊山軍記)
     但馬伊達義綱、立石五郎法阿と小佐郷山田方地頭職を巡り争う。
1338 北畠顕家、和泉国において高師直率いる幕府軍に敗れて戦死
     新田義貞、戦死
1339 但馬伊達道西、立石法阿と合戦。
     伊達為景が高野郡入野郷内と金原保筆甫村とを結城親朝と交換する。
1340 伊達行朝、北畠顕信に従い、葛西氏・南部氏等と結び探題・沙弥秀慶らと戦闘
1343 伊佐某、伊達行朝に従い南朝方として高師冬と戦うが敗北。伊佐城(中館城)落城。
1346 吉良貞家・畠山国氏奥州管領僚就妊
1347 奥州管領率いる幕府軍、南朝方の霊山城、宇津峰城に総攻撃をかけ陥落させる。
     この時はすでに伊達行朝は幕府に降り、幕府軍に参加している。
1350 駿河伊達景宗、足利尊氏・今川載国らに従い転戦す
1351 駿河伊達景宗、足利直義と戦い敗走。

     伊達景宗、南朝より、右近将監の官途承認される。
1353 今川範氏・駿河伊達景宗、遠江、駿河の宮方を討つ。
     伊達景宗、北朝より、右近将監の官途承認される。
1354 斯波家兼、奥州管領就
1356 今川範氏、安西郷田地を鶴女に売り渡し、屋敷を大岩弥三郎惟義に譲っていたという実否を、伊達蔵人盛貞に調査させ、村主氏女に返付。
     山名時氏の家臣長左衛門尉の立てこもる水生城を国分寺城に布陣した伊達真信が攻め、11日間にわたる攻防戦の末、水生城は攻略。
1361 伊達義綱(朝綱)、山名時氏に従って小佐郷を去る
1362 但馬伊達道西、子息次郎蔵人直綱に津付山田両村の地頭職を譲る。
1373 立石五郎法阿、田一段を妙見大菩薩に寄進
1376 伊達宗遠と田村荘小沢伊賀守、一揆を結ぶ。
1377 伊達宗政、留守持家と一揆を結ぶ。
     余目参河守、伊達政宗と一揆契約を結ぶ
1380 伊達宗遠、長井道広を討ち、出羽国置賜郡長井庄を奪う。
1381 伊達宗遠、大崎氏と戦い信夫、刈田、伊具、柴田の諸郡を奪う。
     伊達宗遠、武石行胤を破る。亘理郡も支配下に組み入れる。
1383 伊達宗遠、成島八幡宮を造営。
1391 幕府、伊達・葛西両氏に命じて大崎詮持の畠山氏領抑留を止める。
1392 南北朝合一
     陸奥・出羽両国が鎌倉府の直轄となる。奥州管領制廃止。
1397 伊達政宗、上洛し将軍足利義満に謁する。
1399 
伊達政宗、芦名満盛、大崎詮持らと連合して鎌倉に向けて進軍、
     白河まで攻め上るも鎌倉方の白川満朝に阻まれ伊達政宗、芦名満盛出羽に逃亡。
     大崎詮持は田村荘大越で自害

     (第一次伊達政宗の乱)
1400 斯波詮持、奥州探題就任
     
伊達政宗、芦名満盛、鎌倉に向け進軍も敗退。
     稲村公方足利満貞、伊達政宗・芦名満盛の追討を白川満朝に命ずる

     (第二次伊達政宗の乱)
1401 伊達政宗、霊山寺を再興する。
1402 
奥州管領大崎氏、長世保を伊達氏に与える。
     伊達政宗、一族の長倉入道とともに足利満貞(篠川御所)への反旗を翻し、
     鎌倉府が派遣した上杉禅秀(氏憲)の軍勢と激戦を展開し上杉軍に大打撃を与えるも敗北。

     (第三次伊達政宗の乱)
1407 駿河伊達範宗、今川法世と領地をめぐり争論。今川泰範の裁決で勝訴。
1413 伊達持宗、脇屋義治を迎えて将とし、懸田定勝らを従え稲村・篠川両御所を襲撃。
     関東公方足利持氏は畠山修理大夫を大将とした討伐軍を派遣。
     伊達軍は日増しに勢力を増したが兵糧がつき伊達軍の大仏城は陥落。
     (伊達持宗の乱)
     今川上総介範政、入江庄別府郷知行の半分を、伊達藤四郎政宗に返付。
1414 伊達藤四郎政宗、父範宗から、入江庄三沢小次郎跡を譲られる。
     駿河守護今川上総介範政、伊達藤四郎政宗、範宗から譲られた入江庄三沢小次郎跡安堵。
1416 上杉禅秀の乱。将軍と関東公方の対立は深まり、
     幕府は篠川御所の足利満直を介して伊達氏らを京都様御扶持衆として組織。
     伊達山城入道範宗、駿河奈吾屋社神田掠奪の事について弁明。
1423 今川前上総介範政、伊達藤四郎政宗に、堤郷古沢五郎左衛門知行分を預置く。
1426 伊達持宗、簗川城に住み簗川八幡宮を造営する。
1427 伊達持宗、亀岡八幡宮を伊達郡岡部梁川に御遷座す。
1429 今川前上総介範政、伊達藤四郎政宗に、平松郷内料所宛行
     今川家奉行人法賀・範永、伊達藤四郎政宗に平松村交付。
1430 今川前上総介範政、伊達藤四郎政宗を蔵人丞に推挙する。
     今川前上総介範政、伊達蔵人丞政宗に、入江庄三沢村内の先給分・入江庄内委文櫟田宛行。
     今川家奉行人朝尭・高俊、伊達蔵人丞政宗に、入江庄三沢村内の先給分・入江庄内委文櫟田を交付。
1434 今川民部大輔範忠、伊達蔵人丞政宗に、入江庄三沢小次郎跡・平松郷の知行安堵。
1437 今川民部大輔範忠、伊達藤四郎範宗に名一字を宛行。
1438 永享の乱。
     幕府、伊達・田村・懸田らの諸氏に鎌倉公方足利持氏の討伐を命ずる。
     伊達持宗は以降の関東の動乱に乗じ勢力を拡大して行った。
1439 関東府滅亡。
1460 足利義政、伊達・白河、蘆名、相馬、岩城の諸氏に古河公方足利成氏の討伐を命ずる。
1462 伊達持宗、上洛し将軍足利義政に謁する。(〜1463)
1467 応仁の乱(〜1477)
1471 幕府、伊達成宗等をして足利成氏を討伐させる
1472 伊達成宗の仲裁により、葛西氏の遠田郡と大崎氏の小田郡を交換する領地協定を行う
1473 幕府、石川氏に令し、伊達成宗とともに北国の敵を討たしむ
1483 伊達成宗上洛。将軍足利義政、日野富子らに砂金、太刀、馬などを献ずる。
1488 大崎義兼、家中の紛争を避け、伊達成宗の元に亡命。
     伊達成宗、大崎領を鎮め、義兼を復帰させる。
1489 伊達尚宗・蘆名盛高・岩城重隆・結城政朝ら常陸に侵入、佐竹義治がこれを撃退
1494 伊達稙宗(屋代城)が竹森丹波(竹森館主)に命じ伊達尚宗を襲わせる
     伊達尚宗は逃亡し松川に布陣したが敗れ、蘆名盛高のもと(会津猪苗代)に落ち延びる
1496 伊達尚宗、蘆名盛高の援軍を得て伊達稙宗(屋代城)を攻める
     伊達稙宗は敗れ伊達梁川城に退く。伊達出羽守(尚宗の弟)は敗走し近江に落ち延びる。
1503 蘆名盛高、伊達尚宗攻めのため本宮に出陣。
     伊達尚宗は越後守護上杉房能に救援を依頼
1505 芦名盛高、蘆名盛滋と戦う。盛滋、敗れて伊達尚宗をたよる。
1508 北条早雲、駿河伊達景宗を従え松平長親と対戦。
1509 伊達尚宗、長尾為景と結び、越後に侵入
1510 幕府が伊達尚宗に越後守護上杉定実の援助を命じる
1514 伊達尚宗卒す。伊達稙宗が家督を継承。
     伊達稙宗、最上義定と長谷同にて合戦、これを破る。(長谷堂城の戦い)
1515 伊達稙宗、最上義定と和睦。稙宗の妹が義定に嫁ぐ。
     備中伊達遠江守父子、新見氏に従い多治部・三村連合軍と戦い戦死
1517 伊達稙宗、将軍足利義稙・管領畠山高国に金・太刀・馬を献上す
1520 上山義房、最上義守にそむく。伊達稙宗、上山城をおとす。
     蘆名盛滋、伊達稙宗を援けて最上領地に出兵
1521 伊達稙宗、寒河江大江氏を攻める。
1522 伊達稙宗、陸奥国守護になる。
1528 伊達稙宗、芦名盛舜を伴い葛西領に侵入。
     葛西晴重に養子として猿若丸(晴清若しくは晴胤)を押しつけて葛西領を実質的に押領。
1532 伊達稙宗、田村庄に攻め入って田村義顕と争う。
     伊達稙宗、本拠を梁川城より桑折西山城に移す。同時に亀岡八幡を同地に移す。このころ伊達氏は7000騎を擁する。
1534 伊達稙宗、二階堂晴行・芦名盛舜・石川稙光とともに岩城重隆・結城晴綱を攻める。
1536 伊達稙宗、大崎領内の叛乱鎮定に援助。稙宗は子の小僧丸(義宣)を大崎義直の養子に入れる。
     伊達稙宗、塵芥集を制定する。
1538 伊達稙宗、石川稙光に田村義顕・岩城重隆と二階堂晴行の抗争の調停を指示も田村氏とは不調
1539 
上杉定実が伊達稙宗の子実元を養子に迎える件で越後内乱
     
伊達稙宗、本庄房長を越後村上城に攻める
     水谷蟠龍斎正村の初陣に結城氏家臣伊佐八郎兵衛尉政貞が参陣。(大串合戦)
1541 伊達稙宗、相馬顕胤の調停により田村氏と和睦。
     稙宗は娘を義顕の嫡子・隆顕の妻に送り込み、田村氏をもその影響下に置く。
     伊達稙宗、芦名盛氏と猪苗代盛国の確執を仲裁。
     二階堂輝行が結城義顕を攻める。伊達稙宗、二階堂輝行に軍を引くように指示
     水谷蟠龍斎正村と多賀谷光常(共に結城政勝の家臣)が小競り合い。調停役の代官の中に伊佐八郎の名が見受けられる。
1542 
伊達晴宗、父伊達稙宗を捕らえて西山城内に幽閉。天文の大乱の始まり。)
     
相馬顕胤、二階堂輝行、芦名盛氏、石川晴光等、伊達晴宗の非道を責めて兵を集める。
     大崎氏なども内部分裂。
     小梁川宗朝、伊達稙宗を救出。
     奥羽諸氏が伊達稙宗方、伊達晴宗方にわかれて各地で戦闘状態となる。
     伊達晴宗、岩城重隆と共に懸田義宗を攻撃。
     相馬顕胤、懸田義宗を救援、岩城勢と戦闘、伊達晴宗、相馬軍を警戒し大森城に入城。

     葛西高信、江刺重見を攻める。
     蘆名盛氏、山内舜通を破る(横田崩れ)
1543 
大崎義宣・葛西晴胤が伊達稙宗に同じ、伊達晴宗これを攻む
     伊達晴宗・佐竹義篤、相馬顕胤と阿武隈川にて戦闘、伊達晴宗勢壊滅。
     伊達稙宗、陸奥刈田・柴田郡を攻略す

     蘆名盛舜・盛氏父子が会津の山内氏の横田中丸城を攻撃するが、退却する(横田崩れ)
1544 
伊達郡穂原掛田の戦い、亘理綱宗(伊達稙宗子、亘理宗隆養子)戦死。
     伊達稙宗、伊達晴宗と糠野目河原で戦い晴宗軍を破る。

     宇都宮氏家臣の中村日向玄角入道・中村小太郎長時、水谷蟠龍斎正村に敗れ中村城落城。
     中村日向玄角入道討ち死に。中村小太郎長時敗走。(中村城の戦い)
1546 
伊達晴宗が白石城へ逃れ、伊達稙宗が桑折西山城を奪還
1547 
芦名盛氏が田村隆顕・二階堂輝行と対立。晴宗方につく。
     石橋尚義、稙宗方より晴宗方に寝返る。
     伊達晴宗方が優勢になる。

1548 
田村隆顕、将軍・足利義藤(のち義輝)に伊達父子の和睦の要請
     足利義藤、伊達父子に和睦を命ずる。芦名盛舜に調停を命ずる。
     伊達晴宗、本拠を桑折西山城より出羽米沢城に移す
     伊達稙宗は桑折西山城に隠居する。
(天文の大乱の終息)
1549 伊達晴宗、相馬盛胤と戦う。以後、伊達家と相馬家は戦いに明け暮れる事になる。
1550 
大崎義宣(稙宗方)、葛西領に逃亡をはかるが大崎義直(晴宗方)勢に討ち取られる。
     
上杉定実卒す、越後上杉氏断絶
     蘆名盛氏、安積郡中地で田村清顕と戦う
1553 
伊達晴宗、懸田俊宗を破り、これを滅ぼす
     伊達晴宗、采地下賜録を作成。
1555 伊達晴宗、奥州探題に補任される。
1562 伊達晴宗、小梁川親宗・中野宗時を上洛させる。
     小梁川親宗・中野宗時帰りに北条氏と誼を通ずる。
1563 相馬家臣、青田胤治・青田常治・草野直清等、伊達家に寝返り謀反も鎮圧される。
     伊達輝宗、丸森城・金山城・小斎城を相馬盛胤から奪還
1564 相馬盛胤、名取郡座流川で伊達軍を撃破
1565 伊達稙宗卒す。
     伊達輝宗、伊達晴宗を丸森城に隠居させ家督を継承。
1568 伊達輝宗、伊達郡小島にて相馬盛胤と合戦、これを破る。
     野山庄勝(備中伊達末裔)宇喜多氏との合戦に軍功
1569 山名郡伊達山城守景忠、徳川家康に降る。
1570 伊達輝宗、最上氏の内紛に介入。
     伊達輝宗、謀叛の疑いのあった宿老中野宗時・牧野久仲父子に先制攻撃をかけ鎮定(元亀の変)
     最上義守、最上義光、和解。最上義光が家督を継ぐ。
     最上義光、伊達領に侵入、川樋城を奇襲陥落させる。
     相馬盛胤、伊達輝宗方の丸森城を攻略する
     姉川戦いに伊達与兵衛定鎮、従軍し姉川7本槍に数えられる。
1573 伊達輝宗、最上義光と争う。亘理重宗等が出陣
     伊達輝宗、織田信長と誼を通じる
     備中兵乱。野山益朝(備中伊達氏)は毛利方に属して尼子晴久、宇喜多直家らと戦う。(〜1592)
1574 最上義光、最上義守、中野義時と対立。伊達輝宗、最上義守方につき畑谷城を攻撃。
     伊達輝宗、畠山義継の八丁目城を攻略する
     遠江伊達景忠、徳川家康に従うも高天神城で討死
1575 伊達輝宗、一族の伊達実元をして畠山義継攻めをはかる
1576 伊達輝宗、最上義守と和睦。
     伊達輝宗、相馬盛胤・義胤父子と矢ノ目で争い敗れる(矢野目の戦い)
     伊達輝宗、相馬盛胤・義胤父子と妙賀山で戦う
1577 伊達輝宗、宇多郡杉目で相馬盛胤と戦う
     伊達晴宗卒す。
1578 相馬家臣、黒木宗俊(黒木城主)・堀内宗和兄弟が伊達家に内通。
     留守政景、傘下の八幡氏の内乱を鎮める
     蘆名盛氏、佐竹義重と講和
     伊達輝宗、織田信長の命により上杉領に出兵する。
1579 伊達輝宗、三河の徳川家康と誼を通ず
     伊達輝宗の子政宗と田村清顕の娘愛姫と結婚し、両家連合す
1580 黒木宗俊・堀内宗和兄弟の父藤田晴近が相馬義胤に息子の謀反を報告。
     相馬盛胤・相馬義胤、黒木城を攻め陥落させる。
1581 伊達輝宗、相馬盛胤の属城金山・丸森両城を攻める。
     佐藤為信(小狭井城主)、伊達家に内応謀反。
     相馬盛胤の出陣により伊達勢は敗北。伊達輝宗は引き揚げる。
     (小深田合戦)
     伊達輝宗、相馬攻めと同時に芦名盛隆も攻める。
     相馬攻めにて伊達政宗初陣
     相馬義胤、矢野目城を攻める為に出陣
     伊達輝宗・伊達政宗、城外に陣を張り座流川を挟んで相馬勢と対峙
     亘理重宗・留守政景、相馬陣中を奇襲、相馬義胤は敗北し退却
1582 亘理元宗、相馬領金山城を攻めるも攻めきれず退却。
     伊達輝宗、相馬義胤方の小斎城を落とす
     伊達輝宗、相馬義胤と金津で戦い、金津城を攻略する
     田村清顕、伊達・相馬の争いの調停に乗り出し、田村顕頼が相馬義胤を訪れるが不調。
     本能寺の変
1583 伊達輝宗・政宗父子、相馬義胤方の丸森城を攻略
     田村清顕自らの調停により伊達家・相馬家は和睦。
     伊達輝宗、岩城常隆に対秀吉南奥連合軍の結成を呼びかける
1584 伊達輝宗・政宗父子、相馬義胤の属城金山城を攻略
     佐竹義重・岩城常隆の調停によって、伊達輝宗と相馬義胤が和睦し、伊具郡は伊達領と確定
     伊達輝宗隠居、伊達政宗に家督を譲る。相馬家より金山城、丸森城が伊達家に返還。
1585 伊達政宗、大内攻めと見せかけ芦名領に進入、猪苗代盛胤と戦う。
     伊達政宗の将原田宗時、蘆名氏と戦って撤退するが会津檜原に砦を築く。
     大内の援軍の芦名勢、慌てて黒川城に引き揚げる。
     田村清顕、伊達政宗に呼応して出兵、畠山勢も引き揚げる。
     伊達政宗、大内定綱の諸城をすべて攻略し、小手森城では籠城者全員を皆殺しにする。
     大内定綱、芦名勢とともに二本松城へ逃れ、さらに会津へと逃亡。
     小浜城無血開城。
     畠山義継、伊達実元を介して帰参を願うも政宗は聞き入れず。
     畠山義継、伊達輝宗を介して帰参を願う。
     伊達政宗、二本松領の大部分を没収の上、嫡男・国王丸を差し出すよう畠山義継に命ず。
     畠山義継、伊達輝宗にお礼と称して面会し、見送りの時に伊達輝宗を誘拐。
     伊達勢は畠山義継を追跡し、輝宗の命により鉄砲隊が射撃。
     阿武隈川にて義継は輝宗を殺害し、伊達勢に切り込んみ斬殺される。(粟之巣の変事)
     伊達政宗、畠山義継の子国王丸籠もる二本松城を攻めるが、大吹雪により断念する
     伊達政宗は、畠山・佐竹・蘆名・岩城・石川・二階堂・白河・相馬等の連合軍と人取橋付近で合戦。
     佐竹家の内紛等の事情により連合軍は引き揚げ、伊達軍は勝利する。(人取橋の戦い)
1586 伊達政宗、二本松城を攻め落とし畠山氏を滅ぼす。
     蘆名氏の系譜が絶え、後継者に佐竹義重の弟義広を推す佐竹派と伊達政宗の弟小次郎を推す伊達派が争う
     田村清顕、跡継ぎを残さぬまま急逝。田村家は相馬派、伊達派に分かれて激論。
     伊達政宗、田村領内に入り、相馬派と争うが全ては制しきれず。
     相馬義胤の調停で、伊達氏と佐竹・蘆名・白河結城氏が和睦する
1587 蘆名氏の後継者が佐竹義重の弟で白河義親の養子義広と決まり、蘆名・佐竹同盟が成立
     伊達政宗、豊臣秀吉に馬を献上し誼を通ず
     伊達家臣・鮎貝宗信、最上義光に誘われ謀反。伊達政宗これを討伐。
     芦名勢を率いていた大内定綱、伊達勢に敗北し伊達家に帰参
     豊臣秀吉、関東・奥羽に惣無事令をだす。
1588 伊達政宗と最上義光の両軍が中山口で対峙するが、80日のち和睦する
     伊達政宗、氏家義継の要請を受け、留守政景、泉田重光を主将にし大崎領に出兵。
     黒川晴氏の離反等により大敗を喫する。(中新田の戦い)
     葛西晴信、伊達政宗に帰属。
     田村郡をめぐり伊達氏と相馬氏が対立する。
     伊達政宗と佐竹義重・蘆名義広が安積郡窪田で40日余り対陣し、岩城常隆・石川昭光の調停により和睦(郡山合戦)
     伊達政宗と最上義光の講和がなる
     豊臣秀吉、徳川家康をして、伊達政宗に、最上・佐竹・蘆名・岩城・相馬諸氏の和議を図らしめ、講和成る
     伊達政宗、矢部盛貞を攻め滅ぼす。
1589 伊達政宗、最上義光の仲介で、大崎領を馬打ち同然の事とすることで、大崎義隆と和睦
     伊達政宗、蘆名義広の支城安子島城・高玉城を攻略。また、相馬義胤の支城駒ヶ嶺城・蓑頸城を攻略
     伊達政宗、摺上原にて芦名・佐竹連合軍と合戦。芦名義広を破る(摺上原の戦い)
     芦名義広、佐竹領に逃亡、芦名氏は滅亡する。
     伊達政宗、黒川城に無血入城。
     亘理重宗、伊達政宗の命により相馬領に攻め入り宇多郡をほぼ制圧。
     伊達政宗、長沼氏とともに山内氏、河原田氏を攻める。山内氏は攻略も、河原田氏は落ちず。
     白河義親、伊達家に降伏。
     豊臣秀吉、伊達政宗の黒川攻略を責め、上杉・佐竹氏に政宗討伐を命ず
     豊臣秀吉、奥州の諸大名に小田原参陣の大号令を発する
     伊達政宗、二階堂氏を滅ぼす。
     石川昭光・岩城常隆も伊達家に降伏
     岩城常隆が田村領の侵略地を返還し、伊達政宗に服属する
1590 浅野長政・前田利家ら、伊達政宗に会津を還付し、秀吉に謁見するよう勧告
     伊達政宗、相馬義胤と岩城童生淵に戦う(童生淵の戦い)
     太田氏房の家老、駿河伊達房實、武蔵岩付に篭城
     伊達政宗、毒を盛られ、弟伊達小次郎を斬殺。母義姫は最上家に逃亡。
     伊達政宗、小田原参陣
     亘理重宗、伊達政宗の命により相馬領に侵入。中村城を攻める。(石上村・小豆畠の戦い)
     伊達政宗、豊臣秀吉と謁見し、会津を没収され、本領のみ安堵される
     奥州仕置。大崎、葛西、和賀、稗貫、石川、田村、白河結城らの諸氏、領地没収される。
     豊臣秀吉の奥州仕置軍と葛西晴信が戦い、佐沼城が落城する
     木村領内にて葛西・大崎一揆勃発(伊達政宗が扇動)
     伊達政宗、佐沼城に篭城中の木村親子を救出。
1591 伊達政宗、入京し謀反の申し開きを行う。
     伊達政宗、葛西・大崎一揆を討伐。
     旧葛西家臣らが伊達政宗によって須江山で誅殺される(深谷の戦い)
     出羽米沢領主伊達政宗、陸奥国岩手沢に転封。
1592 文禄の役(〜1593)
     伊達政宗、朝鮮出兵のために上洛。
     伊達政宗、肥前名護屋に着陣。
1593 伊達政宗、朝鮮出兵。晋州城等を攻める。
1595 豊臣秀次、謀反の嫌疑をかけられ自刃。
     伊達成実、高野山に出奔(1598年説もある)(〜1600)
     伊達政宗、角田城を攻める(1598年説もある)
1596 伊達家・浅野家不和となる。
     伊達盛重(国分盛重)、佐竹家へ出奔。
1597 慶長の役
1599 国分盛重、謀反の嫌疑をかけられ出奔。佐竹領に逃亡。
1600 徳川家康、諸大名に上杉景勝討伐の会津仕置を令す
     徳川家康、会津仕置の配置について、信夫口に伊達政宗、米沢口に最上義光と仙北・秋田・由利諸将と定める
     関が原の合戦
     伊達成実、帰参。
     伊達政宗、上杉景勝と戦い白石城を落とす(白石城の攻防)
     上杉方の直江兼続、最上義光の支城長谷堂城を攻める
     伊達政宗、最上領へ留守政景らを援兵として送る。
     上杉方の直江兼続、関ヶ原合戦の報を聞き撤退(長谷堂城の戦い)
     伊達政宗、上杉景勝の部将本庄繁長の拠る福島城を攻撃
     南部領内にて和賀・稗貫一揆勃発(伊達政宗が扇動)(岩崎城の戦い)
     最上義光、上杉景勝の庄内地方の諸城を攻略
1601 和賀忠親、仙台城下国分尼寺に自害す
     伊達政宗、仙台入府。
1603 徳川家康、征夷大将軍に任じられ江戸に幕府を開く。
     仙台城完成
     仙北六郷で常陸に移封された六郷氏の遺臣と百姓が一揆を起こす(六郷一揆)
1611 伊達与大夫景長没。
1613 支倉常長を遣欧使節として派遣、イスパニア国王に援軍を頼む密書を持たす。
     幕府金山奉行大久保長安死去。死後不正が見つかり断絶。
1614 伊達政宗、大阪冬の陣に参陣
     伊達政宗、伊達秀宗、真田丸南西に陣をひくもこれといった戦闘なし。
     伊達秀宗、伊予宇和郡十万石に封ぜれれる。
1615 伊達政宗、大阪夏の陣に参陣
     伊達政宗、片倉小十郎等の奮戦により、道明寺にて後藤又兵衛・薄田隼人を戦死に追い込む。
     更に真田幸村勢と戦闘に及び騎馬鉄砲隊が威力を発するも双方被害が大きく引き揚げる(道明寺の戦い)
1620 宇和島藩士、山家清兵衛公頼殺される(和霊騒動)
1622 秋田伊達宣宗(佐竹家家臣)、大眼宗教祖厳中を取りのがし改易される。
1623 仙台藩、キリシタンを広瀬川で水責めにする。
1624 仙台藩、キリシタンを火あぶり水責めにする。
1635 参勤交代制の確立
1637 島原の乱
1644 秋田伊達家再興。
1647 宇和島藩、初の検地を行う。
1651 慶安の変
1654 宇和島藩、土佐藩と沖ノ島の領土問題を争う
1657 伊達秀宗は隠居して、三男宗利が家督を継ぐ。
     五男宗純に伊予吉田三万石を分知。伊予吉田藩となる。
     宇和島藩は七万石となる。
     宇和島藩を継いだ伊達宗利はこのことに不服とし、両藩の不仲は長く続く
     宇和島藩、土佐藩、篠山の領土問題を争う。
1658 宇和島藩と吉田藩で目黒山の境界争いが起きる(〜1664)
1660 
伊達綱宗は不行跡を幕府に咎められて逼塞寛文事件の発端)
     
伊達宗勝・田村宗良の両名を後見とし嫡男の亀千代(伊達綱村)を藩主に据える
1664 吉田領目黒村、幕府に出訴。
     宇和島領次郎丸村、吉田領目黒村、目黒山の測量を行い山形模型を作る。
1665 
登米伊達宗倫と涌谷伊達宗重の間で領地争いがおこる
1666 
亀千代置毒事件(一回目)
1668 
亀千代置毒事件(二回目)
1669 
登米・涌谷の領土問題、一応の決着
     伊達宗勝が領土問題に介入し、伊達宗重に不利な判定を下し伊達宗重は憤慨する。

1670 
伊達宗重は非を糾すように藩に要求するも、宗勝はこの要求を拒否。
1671 
伊達宗重は幕府に伊達宗勝を訴える為に江戸に出立。
     大老酒井忠清邸にて、伊達家の問題について裁定を仰ぐ。
     原田宗輔乱心、人情に及ぶ。
     伊達宗重・柴田意朝、慙死。蜂谷可広、古内義如は怪我。
     原田宗輔はその場で討ち取られました。
     伊達宗勝・伊達宗興は流罪、宗興の子息は吉田藩預かり、田村宗良は閉門、原田家は断絶。
寛文事件の終息)
     宇和島藩で八十島治右衛門、領内七万石の内検地を実施。検地に反対し騒擾した首謀者の庄屋ら7人斬罪。
1686 涌谷伊達宗元ら一門衆藩政を批判し、伊違綱村に意見書提出
1695 伊達村和、仙台藩より分知新封。三万石の内分大名となる。
1696 宇和島藩、十万石に直る。
1699 伊達村和の家臣、江戸で幕府従者岡孝常と騒動。
     伊達村和、根白石に幽居。領地は宗家に返納廃藩
1701 吉田伊達村豊、院使御馳走役に選ばれる。
     浅野長矩、吉良義央を殿中にて人情。吉良義央負傷。吉田伊達村豊その場に居合わせる。
     浅野長矩、一関田村建顕の江戸藩邸にて切腹、赤穂浅野家断絶。
1702 赤穂浪士討ち入り
1703 
伊達綱村、一門の強要により隠居
1718 医師川村玄碩、国分盛重の玄孫且つ伊達政宗の外孫(落胤?蔓鶴の子)である事を主張も退けられ縛につく。(仙台天一坊事件)
1719 志田郡で百姓一揆発生
     伊達村和、許され世子伊達村詮は柴田川崎に二千石を賜り一門に列す。
1721 登米郡で百姓一揆発生
1726 登米郡・黒川郡で百姓一揆発生
1727 仙台藩、幕府の許可を得て「寛永通宝」を石巻で鋳銭
1747 熊本藩主細川越中守宗孝、江戸城本丸大広間で旗本板倉修理勝該に斬殺される。
     その場に居合わせた伊達宗村が、細川宗孝は即死で無いように見せかけ細川家の危機を救う。
1749 伊達・信夫両郡にて百姓一揆勃発、仙台藩は兵300人を派遣。
1752 亘理郡の農民北原金平が伊達宗村に籠訴。北原金平は宅地・田畑没収の上、磔刑。
1783 仙台藩内で大凶作。打ち壊し事件発生。
1787 吉田藩郡奉行所中見役鈴木作之進、一揆を未然に摘発する(土居式部騒動)
1788 宇和島藩宇和郡富野川村の百姓多数、減租を要求し平野村に集結。
     宇和島藩遊子谷村の百姓、大洲藩へ逃散。
1793 吉田領内に百姓一揆起こり、安藤継明が八幡川原で割腹。(武左衛門一揆)
     伊達小次郎の勘当が解かれ法要が営まれる。
1797 仙北諸郡で百姓一揆起こる(寛政の大一揆)
1809 仙台藩第9代藩主伊達周宗、14歳で卒去。
     国老中村日向の機知により死を幕府に隠匿。世子を立てた後、卒去した事にし無嗣改易のピンチを切り抜ける。
1812 伊達斉宗、仙台藩第10代藩主に就任
1826 松山で大洪水
1830 宇和島藩伊方浦・二見浦で百姓一揆。
     伊方浦の百姓、大洲藩に逃散
1836 仙台藩内大凶作が連年続く。餓死者多数。
1837 南部藩百姓、仙台藩領に逃散
     大塩平八郎の乱
1839 蛮社の獄
1844 伊達宗城、宇和島藩主に就任。
1848 高野長英、宇和島に到来
1853 南部藩百姓、仙台藩領に逃散
     村田蔵六(大村益次郎)、宇和島に来藩。
1855 幕府、津軽・南部・秋田・仙台・荘内・会津・松前の各藩に対し、蝦夷地警衛を命ず
     幕府、仙台藩はじめ6藩に警衛地を轄渡す
1856 備頭氏家秀之進ら蝦夷地行じゅ隊220名仙台出立
     岩瀬忠震、ハリスと会談
1857 伊達宗城・松平慶永・山内豊信・島津斉彬、将軍継嗣問題で一橋慶喜を推し、
     和歌山藩主徳川慶福を推す南紀派と対立(〜1858)
1858 岩瀬忠震、日米修好通商条約、日蘭修好通商条約、日露修好通商条約、日英修好通商条約、日仏修好通商条約調印
     安政の大獄、伊達宗城隠居。
1859 白老・十勝・厚岸・根室・国後・択捉、仙台藩の所領となる
     水沢大火
1860 桜田門外の変
1863 伊達慶邦、幕府より江戸警護を命じられる
     伊達宗城・池田慶徳ら、中山忠能・三条実美らに在京諸侯退去を主張
1864 伊達慶邦、幕府より宰相に推挙されるがこれを固辞
     宇和島藩兵、長州征伐の為出陣
1866 栗原郡に百姓一揆発生
     イギリス公使パークスの乗った軍艦三隻が宇和島港に入港
     イギリス外交官アーネスト・サトウが宇和島を訪問
1867 薩摩藩の使者西郷隆盛が宇和島来訪。
     陸奥宗光、坂本龍馬の海援隊に入隊
     伊達宗城・島津久光・松平慶永・山内豊信、四侯会議を行う。
     都築莊蔵が二条城で将軍慶喜に大政奉還を献言
     伊達宗城上京して「議定」となる。
     大政奉還、大政復古の大号令
1868 鳥羽伏見の戦い
     戊辰戦争
     仙台藩に会津藩征討令。
     奥羽鎮撫総督軍、仙台に入る
     奥羽越列藩同盟成立、伊達慶邦は盟主となる。
     同盟の結束は弱く九条道孝率いる薩長軍に大敗を喫す。伊達慶邦は謹慎を申し渡される。
     仙台松島湾にて榎本艦隊が揃う。仙台にて榎本武揚、旧幕府軍と合流。
     仙台藩主戦派の額兵隊・見国隊、榎本艦隊に合流。箱舘戦争(函館戦争)に参加
     仙台藩士、白老元陣屋撤退、南部藩兵駐屯する
     仙台領内北部に一揆続発(〜1869)
     榎本艦隊、鷲ノ木に上陸。
     旧幕府軍、箱館府軍と戦う
     旧幕府軍、五稜郭へ無血入城。
     松前城落城
1869 新政府軍、江刺に上陸。
     新政府軍、旧幕府軍と戦う。
     箱舘戦争(函館戦争)終決。榎本武揚投降
     白石、伊具などで一揆勃発
     開拓使より一関藩、白老1郡の支配を命ず
     版籍奉還
     片倉景範、北海道に渡り、函館・室蘭を経由して幌別を視察。
1870 亘理伊達、岩出山伊達、白石片倉、角田石川家臣団(添田竜吉、泉麟太郎等)、北海道に移住開始
     宇和島領内で百姓騒動勃発
1871 廃藩置県
     仙台城二の丸に東北鎮台設置
     伊達宗城、清国への欽差全権大臣となり、日清修好条規を締結
1872 仙台城、本丸大広間など処館が破却される。
1873 石川光親が室蘭郡に入植。
1874 佐賀の乱の首謀者江藤新平宇和島に潜入
1877 片倉景範、上手稲初代戸長となる。
1878 土佐立志社事件。陸奥宗光、事件に連座し5年間の投獄。
1881 石川俊在が室蘭郡に入植
1882 仙台鎮台本営火災、仙台城二の丸遺構焼失
     石川俊在、「輪西学校塵別分校」開校
1889 石川邦光、宮城県角田町初代町長となる
1893 石川邦光、南幌に77戸250人余りを引き連れて入植。
1894 陸奥宗光、日英通商航海条約調印
     日清戦争
1895 陸奥宗光、清帝国と下関条約締結。
     三国干渉
1904 日露戦争
1909 伊達順之助、不良少年グループの番長格・三笠錦三をピストルで撃つ
1910 韓国併合 
1912 活動写真「伊達政宗」公開。伊達家を扱った初の映像作品となる。
1915 対華二十一ヶ条の要求
1916 伊達順之助ら、民間有志による満蒙決死団を結成、中国に渡る
     満蒙独立運動開始
     伊達隊、三村隊、張作霖爆殺計画を企てるが失敗す。
     伊達順之助、満蒙退去の処分を受け帰国。
1918 シベリア出兵、米騒動
1919 伊達宗敦・谷干城ら山県有朋を糾弾。
     伊達順之助ら、山県暗殺計画を立てるが、不発。
     伊達順之助、朝鮮総督斎藤実預かりとなり朝鮮に渡る。
     伊達順之助、義州国境警隊長になる。
1923 関東大震災
     伊達順之助、武装朝鮮人の根拠地を急襲。
     伊達順之助、国境警備隊を辞し、帰国
1924 伊達順之助、奉天へ渡り、張作霖傘下で東北軍少将となる。
1926 片倉健吉、刈田神社境内に開拓記念碑を建てる。
1927 山東出兵
     伊達興宗、陸奥薯伊達家汐留上屋敷表門模型を東京大学建築学科に寄贈。
1928 張作霖爆殺事件
1929 出口王仁三郎の紹介により、伊達順之助と張宗昌が会い義兄弟の契りを交わす。
1931 満州事変
     伊達順之助、混成第一旅団を率い転戦。
     伊達順之助、中国に帰化し張宗援と称す。山東省自治を目指す。
     仙台城大手門、隅櫓、瑞鳳殿、感仙殿国宝に指定される。
1932 上海事変
     満州国建国
     伊達順之助、混成第一旅団を率い転戦(〜1937)
1935 第10回全國菓子大博覧会が仙臺市商工奨励館で開催。伊達興宗が名誉総裁を務める。
1937 盧溝橋事件
     日中戦争
     伊達順之助、満州国軍四千名を率い山東に出陣
1938 伊達順之助、張宗援部隊を率い山東省半島部を平定。山東省自治を実現する為に奮闘す。
1939 張宗援部隊解散
1941 太平洋戦争開戦
1945 日本軍、伊達順之助に張宗援部隊再編成を持ちかけるも不調。
     仙台空襲。仙台城大手門など焼失。
     終戦
     伊達順之助、中国青島にて日本人戦犯として連行
1947 伊達興宗卒。卒後、鞠子夫人が所有する山林等を勝手に売却したことから親族間で争いが起こる。(新伊達騒動) 1948 伊達順之助、軍事法廷にて死刑判決
     伊達順之助、死刑執行される。
1987 NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」放映。歴代大河ドラマ中、最高視聴率を得る。
1988 伊達氏を主役とした初めてのテレビゲーム、ファミコンソフト「独眼竜政宗」発売。
1994 伊達家・浅野家398年ぶり和解の茶事
2001 伊達交流サミット・仙台開府四百年祭
2007 伊達みきお、富澤たけしとの「サンドウィッチマン」でM−1グランプリ制覇


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