みぃはぁ版・平成伊達治家記録別館


伊達家外伝


大陸を駆け抜けた闘神

「夕日と拳銃」「闘神」のモデル


伊達順之助(張宗援)(1892〜1948)

伊達宗敦の六男。
伊達順之助を一言で語ろうとするならば一番似合う言葉は「侠」ではないだろうか?
「侠」=「男伊達」だからと言うだけでなく、博徒・侠客に通じるようなピカレスクヒーロー的な生き様なのである。
若くして兇状持ちとなり・・・なんて、まるで実録物のよう。
1909年に伊達順之助が、不良の三笠錦三を射殺するという事件が発生しました。
伊達順之助も当時は無鉄砲(ごじゃもん)な暴れん坊として有名だった為、裁判所は伊達順之助に重罪を宣告しました。
伊達家の弁護士は探偵岩井三郎に三笠錦三の素行調査を依頼して上告審を有利に進めようとしました。
岩井三郎は約7ヶ月をかけて三笠錦三の経歴、犯歴、行状、事件当日の実況などを調べつくし、伊達順之助の行動が正当防衛であった事を立証しました。
まあ、現在ならば過剰防衛となるところなのでしょうけど・・・(苦笑)
時代柄、大陸に夢を馳せる事ができたから良かったものの、夢を向ける方向が無かったら・・博徒・侠客の類の大物になっていたかも・・
北一輝、大川周明などともつるんでいた様で、ちょっと間違うと単なるファシストに見られかねない。
1916年の張作霖爆殺計画、1919年山県有朋暗殺計画(共に失敗)等、過激な行動も目立つ。
満蒙や山東の独立・自治を目指す行動が多く、日本軍とも満州国とも中国国民党とも中国共産党とも違う別路線による中国の独立自治を目指していたようである。
伊達宗義(1921〜  )は長男で拓殖大学教授、花園大学名誉教授。専攻は中國軍事問題。
伊達政之(1928〜1979)は次男で香港第一日文専科学校を経営、校長も務めた。「この謎の巨人 中国 新聞が書かなかったその実像」を翻訳した。
張宗貴(????〜????)は庶子で、中国人との子。

仙台伊達分家(男爵)

伊達宗敦┳伊達宗經━┳伊達宗直┳伊達宗博┳伊達宗毅
    ┣伊達良春 ┗伊達宗師┣伊達宗敏┗伊達宗範
    ┣伊達貞一郎     ┗伊達宗範
    ┣伊達隆知
    ┣伊達榮利
    ┗伊達順之助┳伊達宗義
          ┣伊達政之
          ┗張宗貴


北の大地に馳せる夢

北海道開拓団


○伊達邦直 (1834〜1891)岩出山→石狩郡、当別村

岩出山伊達家10代当主。英橘、弾正。岩出山伊達義監の嫡男。亘理伊達邦成の兄。従六位。
維新期の岩出山最後の知行主として、北海道移住をはかり、現在の北海道当別町の基礎を形成した。
二十余年北海道開拓に尽くし不朽の功績を残した。享年58歳


○伊達邦成 (1841〜1904)亘理→有珠郡

亘理伊達家15代当主。亘理領主。靫負、藤五郎、安房、慶邦。岩出山伊達義監の二男。
亘理伊達邦実養嗣子。従五位、男爵。
戊辰戦争後、宗家仙台藩の帰順に尽力し、藩主宗基を補佐。
北海道への移住開拓を明治政府に申請し、1870年1月家臣を引き連れ北海道有珠郡へ入植。
伊達村開拓に成功した。


○伊達邦寧(留守邦寧)(1830〜1874)水沢→札幌郡平岸村

留守氏26世水沢伊達家12代当主。将一郎。水沢要害館主。水沢伊達宗衡の二男。
母は留守伊豫子(中村日向義景の娘)(1804〜1885)
1859年の水沢大火の時には、被災者のために非常時用の備蓄食料を配り、藩の山林を伐採して町民の住宅建築に充てた。
また家臣に倹約を奨励して町の復興を図った。
戊辰戦争時には白河口に藩主名代として出陣した。
北海道札幌郡平岸村に入植


○石川邦光 (1844〜1923)角田→室蘭郡

石川氏38世角田石川家14代当主。源太。胆振国室蘭郡。宮城県角田町初代町長


○石川俊在 (????〜????)角田→室蘭郡

石川邦光の弟。
1881年に室蘭郡に入植、
1882年自宅に入植者子弟の為に「輪西学校塵別分校」開校。故郷から持参した「不動尊」を自宅に祭った。
1891年に自宅に天満宮碑を建立。
1910年に離蘭し、その時に自宅の不動尊を本輪西八幡神社に合祀。天満宮碑はご神体と分離して天神山に移設したと伝わる。


○石川光親 (1860〜1918)角田→室蘭郡

石川邦光の弟。室蘭郡書記などを務め勅藍綬褒章を授勲した。


○伊達胤元(亘理胤元)(1857〜1882)涌谷→空知郡

武石氏34世涌谷伊達家12代当主。源太郎、安芸。明治時代に「亘理」に復姓。
嫡男亘理胤正は衆院議員。


○片倉邦憲(1818〜1886)白石→幌別郡、白石村・上手稲村

片倉氏24世白石片倉家12代当主。三之助、小十郎、景徳、備中、伊豆。
若年寄格。父は片倉宗景。妻は水沢伊達宗衡女。

白石片倉家


○片倉景範(1838〜1902)白石→幌別郡、白石村・上手稲村

片倉氏25世白石片倉家13代当主。男爵。三之助、景福、豊七郎、小十郎。父は片倉邦憲。
前妻は中村日向の女梅子で後離縁、後妻は芝多対馬の女従子。
1870年に北海道に渡り、函館・室蘭を経由して幌別を視察。
1871年より白石からたくさんの家臣・領民が幌別へ渡り、開拓が始まりました。


○佐藤孝郷(1850〜1922)白石→幌別郡、白石村・上手稲村

白石片倉家家老。札幌区初代戸長。
1870年片倉景範に従い幌別を視察。
1871年貫族取締に任じられ家臣・領民のリーダーとして開拓に従事した。
後、才能を認められ役人の道をすすみ、村長・戸長などを歴任した。
また、黒田清隆開拓使長官と樺太(サハリン)へ随行したりもしている。
14年数ヶ月札幌在住の後、東京へ移住し現・慈恵医大の漢学講師となった。


血統的中興の祖


○亘理元宗(1530〜1594)

武石氏18世。伊達稙宗の子。亘理宗隆養嗣子。母は亘理宗隆の女。室は国分盛氏の女(月光院)。
伊達政宗の大叔父。乙松丸、元安斎。従五位下、兵庫頭。
何故、この人を取り上げたのかと言うと、伊達一門の系図を調べていくと、
政宗公の血統に辿り着けず、涌谷伊達家すなわち亘理元宗の血統に辿り着く人が多くいる事に気がつきました。
他の伊達家派生氏族の皆様に比べて(位の高い家に)この人の血統が抜きん出て伸びているんです。
すなわちスーパーサイヤー(笑)。
いや・・ある意味で、稙宗公が一番のスーパーサイヤーとも言えなくないのですが、
それはノーザンダンサーとノーザンテーストを比べるようなものですし(笑)
ごほん・・え〜話を元に戻しますが・・・
この人の男系血統のみで見る子孫には、直系の伊達安芸宗重(
寛文事件被害者)以外にも、
上記で取り上げた北海道開拓団の伊達英橘邦直、伊達藤五郎邦成などが名を連ねています。
特に系図上は政宗公の四男宗泰の子孫である岩出山伊達家などは、四代以降涌谷伊達の血統が連なっています。
履歴、戦歴、直系子孫とかは千葉介さんの
千葉氏の一族に詳しく載っているので、
そちらを参照してみて下さい。(^_^ゞ

注)ノーザンダンサー(Northern Dancer)(1961〜1990):世界の競馬を血統で接見した歴史的種牡馬。
  ノーザンテースト(1971〜2004):ノーザンダンサーの仔で十数年に渡り日本一の種牡馬成績を上げた馬。


○石川昭光(1550〜1622)

石川氏当主、須賀川城主、松山城主、松山館主、伊達晴宗四男、政宗の叔父、石川晴光養嗣子
次郎、従五位下大和守
詳細は
叔父伯父戦記参照の事。
亘理元宗の血統に比する程、この男子血統も伸びてます。
一関藩主田村家、一門涌谷伊達家、一家小梁川家、宿老但木家などに子孫を送り込んでいます。
また、上記の亘理元宗の血統(涌谷伊達家)がかなり伸びているのに、
涌谷伊達家は石川昭光の血統になってるという不思議な現象が起きています。


もう一人いた!!伊達政宗


○伊達政宗(生没年不詳:13??〜14??)

駿河伊達氏。伊達藤四郎。蔵人丞。伊達範宗の子。今川氏被官。
駿河伊達家文書(京都大学文学部・博物館の古文書)を見ていたら、お!!伊達政宗がもう一人いた!!って感じでびっくりしました。
しかも息子の名前が伊達忠宗!!に2度目の驚きを感じました。
本来ならば(って言うか学術サイトならば??)駿河伊達氏で誰かを取り上げるとすると、候補に上がるのは、
伊達景宗(南北朝期に足利尊氏に従い転戦)、
伊達房実(駿河伊達傍系、北条氏家臣・岩槻城代)、
伊達宗信(1684年に伊達綱村に系図、文書等を見せる)
あたりであろうが、名前で思わずこの人を取り上げちゃいました(笑)
えっと・・もう少し本人の生きていた年代に絞って話を進めてみましょう。
○政宗の父範宗宛ての今川泰範(1334〜1409)からの遵行状の記載年は応永14(1407)年。
○政宗宛ての今川範政(1364〜1433)からの書下の記載年は応永21(1414)年。
○同じく政宗宛の今川範政(1364〜1433)からの官途挙状が永享2(1430)年。
○伊達藤四郎に今川範忠(1408〜1461)が偏諱として範を与え範宗と名乗らせる旨の名字状が永享9年(1437)。
これらの文書・書状から考えると伊達政宗は恐らく今川範政(1364〜1433)とほぼ同年代である事が見て取れる。
また、系図上では政宗の次代は忠宗となっており、名字状の範宗の名前は見当たらないが政宗が偏諱を受け直したと考えるよりかは、政宗と忠宗の間に範宗が居たものと考えた方が自然であろう。
もしかしたら、この範宗は仙台藩の“プリンス”伊達光宗(1627〜1645)と同じ様に元服し偏諱は受けたが家を継ぐ前に早世したのかもしれない。
ここで暫し考えてみると・・年齢差はかなりあるが、一時的に“伊達政宗”が同時に2人存在していたことに気がつく。そう・・伊達宗家9代の伊達大膳大夫政宗(1353〜1405)(
御先祖戦記参照)と時代が少し被るのです。


伊達の血をひく著名人


○桑折宗臣(1634〜1686)

宇和島藩家老。俳人。歌人。伊達秀宗の四男、桑折宗頼養嗣子。百助、親左衛門。
室は宍戸定清の女
作法書「弊嚢集」、和歌集「宗臣君御自詠」、発句集「大海集」、
俳諧連歌集「郭公千句」、作法書「知新抄」、貞門俳諧集「詞林金玉集」、
「青松軒之記」など多くの著書を残している。
17歳で家老職となるが、義父桑折宗頼の影響力がまだ強く、
また、30歳頃には弟桑折頼邑(桑折宗頼の実子)に家督を譲っているので、
風流に生きる期間が長かったようである。
長女おいぬ(尢?尤?犬?)は松根造酒允室
次女お通は鈴木仲右衛門室
長男桑折宗弥(1666〜????)は主計といい、幼名梅松丸

伊達政宗━伊達秀宗━桑折宗臣


○堀田正敦(1758〜1832)

近江堅田藩主、下野佐野藩主、従五位下 摂津守。大番頭、若年寄。
陸奥仙台藩主伊達宗村の八男。母は坂氏。室は堀田正富の女。初名村由、藤八郎。
1786年近江堅田藩1万石を襲封。1789年大番頭、1790年若年寄となり幕政に関与。
老中松平定信に協力して寛政改革を推進した。1826下野佐野藩1万3千石に移封。
和漢の学識に富み、「寛政重修家譜」編纂の総裁を務めた。
また鳥類図鑑「禽譜」「観文禽譜」の編纂もしており
松平定信の下で寛政の改革を進めた有能な行政官であり、
且つ大名たちの文化サロンの中心メンバーでもあったと伝わります。

伊達政宗━伊達忠宗━伊達宗房━伊達宗村━堀田正敦


○土井利位(1789〜1848)

下総古河藩主。従四位下 大炊頭 侍従。首席老中。
京都所司代(1837〜1838)も勤めた。
三河刈谷土井利徳の四男。土井利厚養嗣子。仙台伊達宗村の孫。
学者肌で、雪の結晶に魅入られ「雪華図説」を著す。
政治家としても有能で、主席老中水野忠邦時代の天保改革の一翼を担い、
水野忠邦失脚後は、首席老中として逼迫していた幕府財政の立て直しなど、
大きな功績をあげた。
庶民からは「雪の殿様」として慕われ且つ敬われた。 

伊達政宗━伊達忠宗━伊達宗房━伊達宗村━土井利徳━土井利位


○岩瀬忠震(1818〜1861)

目付、海防掛、日露和親条約修正交渉全権、外国奉行、作事奉行。肥後守
設楽市左衛門貞丈の三男、旗本岩瀬忠正の養嗣子
日露和親条約修正交渉全権を命ぜられ国際的な理解を深めたことにより開国論者となった。
1856年及び1858年にはハリスと会談し、日米修好通商条約に調印した。
後、外国奉行となり日蘭修好通商条約、日露修好通商条約、日英修好通商条約、日仏修好通商条約に調印した。
安政の大獄で永蟄居となり、向島で書画を嗜む生活を送ったと伝わる。
小栗忠順・水野忠徳とともに「幕末三傑」もしくは「幕末三俊」と称された.

伊達政宗━伊達忠宗━伊達綱宗━伊達宗贄━伊達村年━青木一貫━設楽貞喬━設楽貞丈━岩瀬忠震


○二荒芳コ(1886〜1967)

伯爵、式部官、宮内省書記官、宮内省御用掛、貴族院議長、少年団日本連盟理事長、財団法人日本体育会会長
伊達宗徳の子、北白川宮家二荒芝之養嗣子。妻は北白川宮擴子女王。伊達九郎
学習院高等科の学生だったころ学習院寮歌「大瀛の水」の作詞なども行った。
「嗚呼北白川宮殿下」の作詞なども行っている。
作詞に能力を発揮する一方で、青少年の体育教育やボーイスカウトの発展に尽力した。

伊達政宗━伊達忠宗━伊達綱宗━伊達宗贄━伊達村年━伊達村候━伊達村壽━伊達宗紀━伊達宗コ━二荒芳コ


○清棲幸保(1901〜1975)

宇都宮大学教授、理学博士
真田幸民の子、伏見宮清棲家教養嗣子、妻は伏見宮敦子女王
鳥の生涯に初めて目を向けた学者で、
「日本鳥類大図鑑」「野鳥の事典」「カラー日本の野鳥」などの著作がある。
塩原温泉ビジターセンターに功績を紹介している「清棲コーナー」があります。

伊達政宗━伊達忠宗━伊達綱宗━伊達宗贄━伊達村年━伊達村候━山口直清━山口直勝━伊達宗城━眞田幸民━清棲幸保


○北條浩(1923〜1981)

第4代創価学会会長、海軍中尉
法華講(日蓮正宗)から創価学会に移籍し、創価学会主任参謀、創価学会副理事長を歴任。
公明党結党に参加し公明党副委員長に就任する。
後に公明党書記長となり公明党公認候補として参議院選挙に立候補し当選。参議院議員を1期勤める。
政界引退後、創価学会副会長、創価学会理事長を歴任し、
池田大作会長(現:創価学会名誉会長)の退任に伴い創価学会会長に就任したが任期途中で急死した。
叔父の北條雋八(北條家当主)は貴族院議員・参議院議員を歴任しており、創価学会文化部顧問。
北條雋八、北條浩ともに創価学会及び公明党の結成(日蓮正宗からの分派)・結党に深く関わっていた様である。
北條家当主は弟の北條尚が継承している。
・・・宗教関係者は書くのが難しいね(苦笑)

伊達政宗━伊達忠宗━伊達宗房━伊達宗村━堀田正敦━堀田正衡━北條氏恭━北條釐三郎━北條浩


○陸奥宗光(1844〜1897)

伯爵。政治家、外交官。伊達牛麿、伊達小次郎、伊達陽之助、陸奥陽之助、錦戸広樹。
紀伊和歌山藩士伊達宗広の六男。
海援隊員、神奈川県県令、大蔵省租税頭、元老院議官を歴任したが、
1878年政府転覆を企図した土佐立志社事件に関与し免官、逮捕され5年間入獄した。
出獄後、欧米を歴訪し、帰国後外務省入省駐米全権公使に就任。
その後、衆議院議員に当選し農商務大臣、外務大臣などを歴任し、
イギリスとの不平等条約の改正(治外法権の撤廃)に成功した。
陸奥宗光が伊藤博文とともに下関で清帝国と下関条約を結ぶ。
岩瀬忠震が結んだ不平等条約を陸奥宗光が解消。伊達氏の血の因果を感じます。
紀伊伊達家の出自は駿河伊達氏からの分流と見られるが、伊達兵部宗勝の末裔との伝承も残っている。


○伊達みきお(1974〜  )

お笑い芸人。本名は伊達幹生。フラットファイヴ所属で富澤たけしと「サンドウィッチマン」と言うコンビを組んでいる。
2007年M-1グランプリ王者。
大條氏宗家の末裔で明治期に十七代当主の道コ(1838〜1924/高祖父?)が藩主の命により伊達氏に復姓している。
2007年M-1グランプリは傍系ではあるが伊達氏が天下を取った瞬間でした。
ちなみに名前が売れる前の2001年4月11日放送「笑っていいとも」の「ご先祖さまはスゴイ人!」にはご先祖様は伊達政宗って事で出演していました。誰かその時の映像を持ってる方がいらっしゃいましたら道コから幹生に至るまでの系図をUPして下さい!(笑)
YouTubeやニコニコに映像がUPされても画面が小さすぎて系図がよく読めないと思うので(苦笑)
ちなみに・・女系まで探ると、伊達政宗の子孫である事は確かなようである。

伊達宗遠┳伊達政宗━氏宗━持宗━成宗━尚宗━留守景宗━大條宗家┳宗直━宗綱
    ┃                          ┗大条實頼━大條宗頼━宗快━宗道━道頼━道任━道英┳道直
    ┃                                                   ┗道洽━伊達道コ
    ┗大條宗行━宗景━宗元━宗澄━宗助

伊達の血をひく著名人(番外編)


○麻生太郎(1940〜  )

内閣総理大臣
あくまで参考の為(笑)

伊達政宗━伊達氏菊姫京極高国の娘━立花貫長━立花長煕━立花種周━立花種道━加納久宜━麻生夏子━麻生太賀吉━麻生太郎

講談のヒーロー


○梁川庄八(生没年不詳?笑)

梁川庄八正國?
戦前位までは水戸黄門に並ぶ講談のヒーローだった人。架空の人物なのかモデルがいたのかは調査中。
講談や活動写真によると仙台藩家臣で剣豪。
諸国を渡り歩き各地の悪代官などをチャンバラでやっつける勧善懲悪のヒーロー。
感覚的には現在の「水戸黄門」と「暴れん坊将軍」を足して2で割ったようなヒーローだったようです。
水戸黄門=徳川(水戸)光圀、暴れん坊将軍=徳川吉宗、遠山の金さん=遠山景元、大岡越前=大岡忠相、
鬼平=長谷川平蔵などと、時代劇や講談のヒーローには本来の実績とは違った描かれ方をしていても、
実在の人物がモデルとして存在しているパターンと、
銭形平次などのようにモデルがいない(もしくはいても有名でない)パターンがありますが、
この人の場合はどうなんでしょうか??
仙台藩家臣には伊達鉄斎宗清を祖とする梁川氏があり、
一家に梁川播磨(栗原鶯沢三百石)、太刀上に梁川求馬(五百石)などが見受けられる。
その当主もしくは御一統のどなたかがモデルとなっているのではないでしょうか・・
「狐狸妖怪を退治してめでたく、殿様の勘気をこうむって蟄居・切腹した父の無念を晴らして帰参できたかに見えた庄八正國だが、君側の奸・茂庭周防の讒言によってそれも叶わず、周防を斬って獄中へ。老僕徳兵衛の献身で脱獄に成功し、奥州を離れ、諸国漫遊の旅に出る。」
と伝わっている。“君側の奸”と言われちゃうような「茂庭周防」って誰??茂庭定元か?
それにしても・・講談では大人気で何度も映画化されたのに、
何故、戦後になるとパタリと映像化されなくなったのだろうか?
勧善懲悪系時代劇(水戸黄門など)の基本パターンにしっかりはまっているはずなのに・・
特に大河ドラマで「独眼竜政宗」を放映している時期に便乗して製作するTV局がなかったのが不思議。
もしかして松○幸之助は「梁川庄八」は好きでなかったのか?(笑)


伊達姓の著名人雑記


それぞれがどのような血統の伊達姓なのかよくわからないが、覚書として列記しておきます。
ちなみに伊達姓は日本で約4500世帯あるそうです。

○伊達慎一郎(1907〜1994)島根県知事(在任期間:1971〜1975)、政治家、弁護士。島根県松江市の出身。
○伊達正男(1911〜1992)大学・社会人野球で活躍した野球選手。大阪府?
○伊達秋雄(  〜  )裁判官、弁護士、名誉教授、砂川事件「伊達判決」で著名
○伊達秀和(1928〜  )企業家、馬主。大阪府?
○伊達忠一(1939〜  )政治家。北海道芦別市出身
○伊達泰司(1951〜  )プロ野球選手。奈良県出身。
○伊達治一郎(1952〜  )レスリング選手。大分県出身。
○伊達浩憲(1961〜  )龍谷大学教授。山口県出身。
○伊達淳一(1962〜  )カメラマン、ライター。千葉出身?
○伊達倫央(1966〜  )プロサッカー選手、サッカー指導者。静岡県静岡市清水区の出身。
○伊達友美(1967〜  )栄養学博士・管理栄養士。静岡県出身。
○クルム伊達公子(1970〜  )プロテニス選手。京都府京都市上京区出身
○伊達典子(1970〜  )アナウンサー。香川県高松市出身
○伊達昌司(1975〜  )プロ野球選手。神奈川県川崎市出身。伊達泰司の子。
○伊達暁(1975〜  )俳優。東京都出身。
○伊達秀晃(1985〜  )陸上競技選手。山口県防府市
○伊達晃二(1987〜  )俳優、タレント。東京都出身。


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