みぃはぁ版・平成伊達治家記録別館
伊達政宗の子供達
○伊達秀宗(1591〜1658)庶長子ダテヒデムネ
宇和島藩藩祖。母は吉岡の局(飯坂氏、猫御前、新造の方)。豊臣秀吉猶子。
秀吉より秀の一字を賜る。幼名兵五郎。正室は井伊氏(井伊直政女)。
弟、忠宗もそうだが、鉄砲が上手だったらしい。
長男伊達宗實(1612〜1644)はこれと言って実績が残っていない。左近大夫。嫡子であったが病弱であった為、1627年に嫡を辞した。(伊達宗實って何人いるんだ〜!!!)
二男伊達宗時(1615〜1653)は1632年従五位下左京亮に任じられている。兄宗實が嫡を辞した為、世子となるが父に先立つ。「大武鑑」など一部の史料には二代と書かれている。1638年宇和島城に着城した時より「大守」、「殿様」と扱われてる。
三男伊達宗利(1634〜1708)は宇和島藩を継承。(藩主・藩知事列伝参照)。
四男桑折宗臣(1634〜1686)は家臣の桑折氏に養子にはいり、宇和島藩城代家老となる。
俳諧を北村季吟に学んだ伊予俳壇初期の第一人者。「大海集」などの膨大な俳句撰集を編纂している。
五男伊達宗純(1636〜1708)は伊予吉田藩初代藩主となる(藩主・藩知事列伝参照)。
六男伊達徳松(1639〜1639)は夭逝。
七男伊達宗職(1642〜1704)は分家1,000石を領す一門家臣となり、吉田藩三代藩主村豊(1682〜1737)の父となる。左京亮、刑部。
忠臣蔵に出てくる、伊達左京亮は伊達村豊の事である。
八男伊達岩松(1644〜1645)は夭逝。
九男伊達宗則(1645〜1676)民部は分家500石を領す一門家臣となるが1666年に勘当され吉田に逃亡。
宇和島伊達家からは幕末の四賢公の一人、伊達宗城(1818〜1892)が出ているが、系図をたどると
宇和島藩三代藩主伊達宗贄(1665〜1711)は仙台の伊達宗家からの養子であり、その子孫なので
直系の子孫ではない。伊予吉田藩の方は六代藩主伊達村芳(1778〜1820)まで秀宗の血統。
秀宗はツキが無かったんですよね〜
鉄砲が上手くても戦国時代は終わりを告げる直前だったし、
太閤秀吉の猶子になってしまったがために本家を継承する事が出来なかったし・・・
でも、宇和島藩祖になれたんだから、まるっきりついて無かったわけではなさそうですね(^^)
ちなみにNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では、福原学、辻野幸一が演じてました。
| 伊達秀宗┳━伊達宗實1612〜1644左近大夫、1627廃嫡 ┣━伊達宗時1615〜1653従五位下左京亮、世子、宇和島藩二代藩主? ┣━伊達宗利1634〜1708宇和島藩二代藩主、従四位下侍従遠江守大膳大夫 ┣━桑折宗臣1634〜1686宇和島藩城代家老、俳人歌人「大海集」編、桑折宗頼養嗣子 ┣━伊達宗純1636〜1708伊豫吉田藩初代藩主、従五位下宮内少輔 ┣━伊達コ松1639〜1639早世 ┣━伊達宗職1642〜1704分家千石、左京亮刑部宗清。伊豫吉田藩三代藩主伊達村豊の父 ┣━伊達岩松1644〜1645早世 ┗━伊達宗則1645〜1676分家五百石、民部、後に故あり勘当され吉田藩へ逃亡 |
○五郎八(1594〜1661)長女イロハ
松平忠輝室。母は愛姫(田村氏、陽徳院)。キリシタン。天隣院、西館殿。
聚楽第で生まれているんですねこの人って・・・
山岡氏の小説ではきつい性格のようにかかれているが、
隆氏の小説では従順で純情な女性にかかれている。
父政宗(というより祖母義姫)に似ていれば山岡説が
母愛姫に似ていれば隆説が正しいような気がする。
ちなみにNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では沢口靖子が演じていた。
○伊達忠宗(1599〜1658)嫡男(次男)ダテタダムネ
伊達宗家第18代当主、仙台藩第2代藩主。母は愛姫。
徳川秀忠より忠の一字を賜る。幼名虎菊丸。正室は振姫(徳川氏)。
長男伊達虎千代丸(1624〜1630)は夭逝。
二男伊達光宗(1627〜1645)は従四位下侍従、越前守は将軍家光と従弟と言う事もあり
期待のプリンスだったが家督を継承する前に19歳で卒。
三男田村宗良(1637〜1678)は田村氏を継承し、岩沼藩を起こす。(藩主・藩知事列伝参照)
四男白石五郎吉は白石氏(登米伊達家)の養子となるも夭逝。
五男伊達宗倫(1640〜1670)が五郎吉に代わり、登米伊達家を継承する。これが寛文事件の伊達式部宗倫。
六男伊達綱宗(1640〜1711)は仙台藩三代藩主。(藩主・藩知事列伝参照)
七男伊達宗規(1644〜1685)は岩谷堂伊達家(岩城氏)を継承。
八男伊達宗房(1646〜1686)は宮床伊達家(田手氏)を継承し、仙台藩五代藩主伊達吉村の父となる。
九男飯坂宗章(1648〜1663)は家臣飯坂氏の名跡を継承する。
鉄砲の腕はピカ一(注:堂本光一のことではない)だったらしい。
しかし、腕を振るう機会は無い時代の人なので真偽の程は確かではない。
又、父は最後の戦国武将。息子は伊達騒動の原因となった人で
その上、兄は太閤殿下の猶子。姉は将軍の舎弟との悲劇のラブロマンス。
弟は下馬将軍とタッグを組んで悪巧み。
せっかく宗家を継いだのに影が薄い(;_;)
ちなみに息子の宗良は無嗣断絶していた愛姫の実家、田村家の名跡を継ぎ、
坂上田村麻呂以来の名門田村家を復興させ藩主として君臨しました。
また、白石氏、岩谷堂伊達氏、飯坂氏にも息子を送り込んでます。
ちなみに、この伊達忠宗を競走馬風に書くと伊達稙宗の5×5*5で18.75%の血量(笑)
ちなみにNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では野村宏伸、小林正幸が演じてました。
同じく「樅の木は残った」では林成年が演じてました。
| 伊達忠宗┳━伊達虎千代丸1624〜1630 ┣━伊達光宗1627〜1645世子、従四位下越前守侍従、「政宗卿光宗卿詠歌」著 ┣━田村宗良1637〜1678田村家初代当主、陸奥岩沼藩藩祖、従五位下右京亮、隠岐守 ┣━白石五郎吉1638〜1644一門登米伊達家三代当主、白石宗勝養嗣子 ┣━伊達宗倫1640〜1670一門登米伊達家四代当主、式部、白石宗勝養嗣子 ┣━伊達綱宗1640〜1711陸奥仙臺藩三代藩主、従四位下侍従、美作守、左近衛少將、陸奥守、若狭守 ┣━伊達宗規1644〜1685一門岩谷堂伊達家当主、伊達國隆養嗣子 ┣━伊達宗房1646〜1686一門宮床伊達家初代当主、肥前、田手高實養嗣子、伊達吉村の父 ┗━飯坂宗章1648〜1663飯坂定長養嗣子 |
○伊達(飯坂)宗清(1600〜1634)三男ダテ(イイサカ)ムネキヨ
黒川郡吉岡要害館主。川内守。飯坂宗康養嗣子。母は吉岡の局。
母の実家である飯坂氏を継承。幼名は権八郎。黒川吉岡3万8千石を領しました。
伊達氏を賜る。
子に恵まれず35歳で卒しました。養嗣子飯坂定長(実父:桑折重長)も子に恵まれず、
忠宗九男の飯坂宗章(1648〜1663)を養嗣子とするも宗章も16歳で卒しました。
更に宗章の後を原田甲斐宗輔の子仲次郎(????〜1671)に継がせようとするも、寛文事件に連座し、
飯坂家は断絶しました。
宗清の墓
| 伊達宗清━=飯坂宗章1648〜1663伊達忠宗九男 |
○伊達宗泰(1601〜1638)四男ダテムネヤス
玉造郡岩出山要害館主。岩出山伊達家。一門。母は塙氏(塙団衛門の女)。
幼名は愛松丸。従五位下、三河守。
2歳にして玉造郡岩出山要害を授けられる。
寛永三年江戸に至り諸侯に列し、五万石の分封を得て将軍家に使える。
後、任を免ぜられて一門に列す。
嫡男、伊達宗敏(1625〜1678)は岩出山町に現存する藩校の古い学問所「有備館」を建設。
寛文三(1663)年仮居館として、元禄五(1692)年現在地に移して、
「有備館」と称じ、藩の子弟教育に当たったものである。
子孫は世々一門に列すし、一万四千余石を領し、岩出山にすんだ。(かたい文章・・・)
次男伊達(中村か?)右京という子もいた。
ちなみにこの人と同姓同名の考古学の教授がいるらしく、
検索エンジンでこの人の名前を入力するとその教授の事ばかりHITする。
| 伊達宗泰┳━伊達宗敏1625〜1678一門岩出山伊達家二代当主、彈正、「有備館」建設 ┗━伊達右京????〜???? |
○伊達宗綱(1603〜1618)五男ダテムネツナ
栗原郡岩ヶ崎要害館主。母は愛姫。幼名卯松丸。
元服はしたものの全弟竹松丸同様に早逝している。
もっと長く生きていれば名門田村家の名跡が継げたはずである。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で、猫御前が宇和島行きを決めるシーンと竹松丸死去のシーンがあったのですが、
そのシーンに居た政宗の息子は年齢や状況から推測すると恐らくこの宗綱であろう。
この政宗の息子(伊達宗綱?)の役は高沼薫が演じてました。(配役として名前は出ていませんが・・)
ちなみに高沼薫は自分の部活の3つ下の後輩です。
| 伊達宗綱━=伊達宗信1603〜1627伊達政宗六男 |
○伊達宗信(1603〜1627)六男ダテムネノブ
栗原郡岩ヶ崎要害館主。幼名吉松丸。越前守。母は柴田氏(多田氏説、不詳説もあり)。
兄宗綱の死去に伴い、岩ヶ崎要害館主となる。
数年前、某検索エンジンでこの名前を入力したらHITしたのはここと、
ザウスチケット当選者であった(^^;
○伊達宗高(1607〜1626)七男ダテムネタカ
柴田郡村田要害館主。諸大夫、従五位下、右衛門大尉。幼名長松丸。母は柴田氏。
わずか7歳で村田要害館主、柴田・刈田3万石を領しましたが
1623年(元和9年)に噴火した刈田岳を鎮めようと天に命願して人々を救い、
惜しくも疱瘡にかかり20歳で京都二条要法寺にて客死しました。
宮城県柴田郡村田町では名君として名を残しているらしい・・・
村田町では名君伊達宗高公を偲んで、命日に「宗高公まつり花火大会」を開催しています。
しかし・・・政宗の息子って結構早世してるのが多いな・・・
しかも名君として名を残しているのは早世した人ばかり(笑)
3万石を領し、官位を受領している事を考えると兄の宗泰や弟の宗勝のように、
内分大名となる予定があったのではないかと推察できる。
○牟宇(1608〜1683)次女ムウ
石川宗敬室。母は柴田氏。仙道七家の石川氏に嫁ぐ。
と言ってもその石川氏も伊達氏の血筋である。
石川宗弘、白石宗信、石川貞弘、及び娘2人を生んでいる。
○伊達竹松丸(1609〜1615)八男ダテタケマツマル
母は愛姫。夭逝。夭逝しなければ田村家の名跡を継いでいた可能性はある
○伊達宗実(1613〜1665)九男ダテムネザネ
亘理要害館主。亘理伊達家。伊達成実養嗣子。母は芝多氏。幼名喝食丸。
一門。
天文の大乱の原因となった伊達実元。
一時、出奔し家族を攻め落とされながらも政宗に尽くした武の人伊達成実。
と続く家柄なだけに、宗実も武の人(銃術を学び奥秘を伝える)だったらしい。
また、和歌を能くし、宗実公和歌(寛永八年)を著している。
嫡子、伊達宗成(1636〜1670)が逝去した時、子息(伊達基實か?)が若年であった為、封を削られそうになったが成実未亡人の尽力により削られなかったらしい。
次男、中島宗常(1639〜1670)は一族中島家の養嗣子となり国番頭、江戸番頭などを務めた。この血筋は長く続き派生している。
三男、伊東宗定(1647?〜1710)は着座伊東家養子となり伊東重定と称しました。
亘理伊達家とその家臣団は明治期に北海道に渡り開拓に従事し伊達市という名にその歴史をとどめました。
| 伊達宗實┳━伊達宗成1636〜1670一門亘理伊達家三代当主 ┣━中島宗常1639〜1670一族中島家四代当主、國番頭、江戸番頭、中島宗信養嗣子 ┗━伊東重定1647?〜1710着座伊東家四代当主、右近、伊達刑部宗定、伊東重門養嗣子 |
○岑(1616〜1635)三女キン
伊達(亘理)宗実室。母は多田氏(只野氏説もあり。)。
千菊姫が通常、四女とされている系図が多いが、この人が四女になっている系図を発見!
公式な系図(伊達泰山文庫)によると三女になってますが・・・
しかし、伊達(亘理)宗実って誰?
説1.伊達実元の血筋が亘理伊達家で成実などがその血統。兄で政宗九男の宗実。
説2.亘理氏(後、涌谷伊達家)の定宗の嫡男宗実。
登米伊達家の伊達宗弘さんの著書の中などで説2を採っている所をみると、
専門家や伊達一門の中では、説2が定説になっているようでして・・
説1は後世に創作家などによって間違って解釈され流布したものであると推察できます。
永年にわたり某姫として名称不明であったらしく、近年の研究により事跡や名称が判明したらしい。
○伊達宗勝(1621〜1679)十男ダテムネカツ
一関藩初代藩主。磐井郡一関要害館主。従五位下、兵部大輔。伊達兵部。幼名千勝丸。
母は多田氏勝姫(只野氏説もあり)。正室は立花氏。
伊達騒動の黒幕?下馬将軍酒井忠清(大老)と与み、仙台藩の実権を握ろうとした人。
伊達騒動は、徳川幕府四代将軍家綱の頃のお話ですが、
もしこれが五代将軍綱吉の時のお話だったら、多分、柳沢吉保あたりと与んで
水戸黄門に懲らしめられていただろう(^^;
八代将軍吉宗の時代だったら、成敗されていたかも(笑)
と・・・冗談はさておき
伊達騒動については「樅の木は残った」発表以降、諸説入り乱れておりますが
どの説を取っても一番の野心家で一番の危険人物だったのがこの人。
伊達宗家乗っ取り計画も成功していれば仙台藩は・・・
一関伊達家(宗勝)30万石。立花家、片倉家、田村家で残りの32万石を分割という案が密約されていたらしい。
しかし・・・戦国下克上の世ならばともかく、そんな事が江戸安定期に露見してしまえば惨めなもので・・
最後は土佐国に流謫されてそこで没している。
嫡子、伊達宗興(1645〜1701)も父の罪に座し、豊前小倉に流され同所で没している。
次男、伊達虎之助は十八歳で没したと伝わる。
三男、伊達兵蔵は詳細不明
宗興の子伊達千之助、伊達千勝、伊達右近は吉田藩預かりとなり、後赦免されて仙台藩復帰の話もあったが同地に留まり、
それぞれ三十歳、二十七歳、三十八歳で没している。
NHK大河ドラマ「樅の木は残った」では佐藤慶が演じている。
ちなみに佐藤慶は平成2年の単発ドラマ「樅ノ木は残った」では伊達安芸宗重を演じている・・・
ちなみに原田甲斐を演じたのは平幹二朗。
| 伊達宗勝┳━伊達宗興1645〜1701従五位下東市正、伊達騒動後に小倉藩預り、墓所小倉安國寺 ┣━伊達虎之助????〜????享年十八歳 ┗━伊達兵蔵????〜???? |
○千菊(1626〜1655)四女センギク
京極丹後守高国室。母は村上氏。
旦那の高国は宮津藩第3代当主。
高家京極高規ほかを生んでいる。
◎落胤
○亘理宗根(1600〜1669)落胤ワタリムネモト
佐沼要害館主。亘理氏養子(養嗣子ではない)。佐沼亘理家初代。
系図上の実父は茂庭(鬼庭)綱元。母は於種の方(香の前)。
茂庭又次郎。伯耆
三男、飯坂宗清と同い年で本来ならば三男または四男に当たる人物であるにもかかわらず、
庶子であるとはいえ、家格は、一家扱いである。何故?Why?
もしかしたら、茂庭綱元の子供?あるいは、太閤殿下の(*^^)/。・:*:・゚'★,。・:*:・゚'☆
?!
嫡男、亘理宗廣は佐沼亘理家を継承。
次男、各務求馬は各務釆女の養嗣子となり各務求馬と称した。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では水本隆司(現・冴場都夢)が演じた。
○津多(1598?〜1671)落胤ツタ
慶月院。茂庭延元の女?。母は於種の方(香の前)。原田宗資の妻。原田甲斐宗輔の母。
NHK大河ドラマ「樅の木は残った」では田中絹代が演じた。
寛文事件で息子原田甲斐乱心によるショックを受け舌を噛み切り自殺をしようとしたが
死にきれず、絶食をもって果てるとこを選びました。享年74歳。
この人も諸説入り乱れているが、弟の宗根と同様に政宗の落胤とする説と
こちらは茂庭延元の息女であるという説とがある。
◎落胤の噂があった人物
○砂金常房(????〜1628)落胤?イサゴツネフサ
川崎要害主。鍋丸、右兵衛、右衛門。一族砂金家当主。砂金貞常の嫡男。
砂金貞常が娘を伊達政宗(貞山公)に献上し、その間に生まれたのが常房であるとの説がある。
大阪の役で、軍令違反を起したが咎められず逆に一族に列した事等から落胤では?と疑う余地はある。
一族砂金家はのち一時断絶し、家格が太刀上として再興されている。
○萬鶴(1636〜????)落胤?
仙台天一坊事件・川村玄碩の母。母は松尾(国分盛重夫人の侍女おための娘)
1635年、政宗が鷹狩に赴いた際に松尾が御手付きとなり、翌年4月に萬鶴を出産したが、
政宗は最期の江戸入りしており、翌5月には政宗が卒去した為、認知されなかった
・・と川村玄碩は主張した。
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仙台天一坊事件で川村玄碩(国分盛春)が主張した系図(赤字は女性) 晴 宗 ━┳ 輝 宗 ━━ 政 宗 |
一部の系図に名前がある政宗の子供?達
○某女(生没年不詳)庶子?
新人物往来社刊“戦国時代人物総覧”の伊達氏系図にのっている。
五郎八姫と飯坂宗清の間にのっている!
ん?!そうすると次女牟宇姫以下の姫君以下、繰り下がってしまうが?
あ!慶月院の事だ!!一応、慶月院だとすると・・上記↑
○伊達宗氏(生没年不詳)十一男?養子?
新人物往来社刊“戦国時代人物総覧”の伊達氏系図にのっている。
○石川宗恒(生没年不詳)十二男?養子?
新人物往来社刊“戦国時代人物総覧”の伊達氏系図にのっている。
石川氏養子か?
○某(生没年不詳)七女?
新人物往来社刊“戦国時代人物総覧”の伊達氏系図にのっている。
○某(生没年不詳)八女?
新人物往来社刊“戦国時代人物総覧”の伊達氏系図にのっている。
創作に見られる政宗の子供達(笑)
○菊(1615〜1619?)三女?
夭逝?。母は多田氏?。山岡荘八の小説では、南樹の方(マリア)の養女。
多田氏が処女受胎し産んだ子でこの菊姫は神を産む子であったはず・・
というのは勿論真っ赤なうそである。南樹の方も実在の人物ではないが、
国際派の政宗のことだから外人に御手付していてもおかしくない。
最近まで事跡がよくわからなかった本当の三女岑姫を元にした山岡氏の創作と思われる人物。
○伊達信行(生没年不詳)庶子?
「和霊宮御霊験記」「和霊宮御実伝記」と言った江戸中期の和霊騒動実録物に登場してくる伊達秀宗の異腹の弟。
宇和島藩の乗っ取りを画策し、山家清兵衛謀殺を謀ったとされる。
伊達秀宗や桜田玄蕃を憚り創作された架空の人物であろう。
伊達男のコメント
竹松丸のように夭折と言っても数年間生きていた子供意外にも
名前や記録が残っていない夭逝した子供もいるかもしれない。
通常、記録が残っていたら“某”と記載されるはずで、(竹松丸もほとんどの系図で某)
しかも夭折しているなら元服後につくような名前はないはず
また、香の前には2人の子供がいたとされており、1人は宗根、もう一人は“某”のうちの一人?
まあ香の前のもう一人の子は茂庭綱元の子との説もあるが・・
まあ新人物往来社の刊行物は「読み物」としては面白いのですが、
専門家に言わせると資料としての価値は少ないそうですが・・
最後に、政宗の子孫についてですが、仙台藩の宗家の他に、
長子、秀宗から出ている伊予宇和島藩藩主の宇和島伊達家
孫の宗良から出ている仙台藩支藩一ノ関藩藩主の田村家などが子孫にあたります。
また、宇和島藩支藩の伊予吉田藩の吉田伊達家、旗本の山口家などにも子孫がいます。
さらに、幕末には真田家にも養嗣子を入れていて、現在の真田家当主も
政宗の子孫にあたります。
土井氏、堀田氏、牧野氏、奥平氏、蒔田氏、瀧脇氏、本多氏、丹羽氏、二荒氏、岩城氏などにも
養嗣子を送り込んでいます。