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●遊泉園
「遊泉園」は現在の中板橋駅そばにあった一般大衆向けのプール遊戯施設です。板橋区史の通史編によりますと、東上線開通以来、石神井川にかかる東上線鉄橋から近所の子供が川に飛び込んで遊ぶという、危険な遊びが流行し、その対策として石神井川から水を引き込んで25メートル×50メートルのプールを作ったということです。設置されたのは昭和2年で、昭和10年に石神井川の水質汚濁によって廃止されるまで続いたそうです。ただし私の手元にある復刻版「大東京戦災焼失地図」(日地出版、昭和20年刊、平成7年復刻)にはまだ石神井川沿いに「遊泉園」という名称とプールらしき形が記載されています。この地図は昭和19年の地図に戦災焼失地域を書き加えた地図ですが、すでに廃止後10年近くを経た「遊泉園」が記されているのはちょっといぶかしい気がします。たんに訂正が遅れていたのでしょうか。(下の注1参照)
中板橋駅は昭和8年7月の設置ですが、板橋区史によりますと、この遊泉園への客のための夏季臨時停車場(下の注2参照)が常設化されて中板橋駅になったのだとされています。ということは中板橋駅正式開業以前に臨時停車場があったということなのでしょうか。ただし「東武鉄道百年史」には遊泉園や臨時駅開設の話は出てきません。
さて遊泉園の場所ですが、上りの電車が石神井川をわたってすぐ左手線路沿いにあったのですが、現在はびっしりと民家が建て込んでいて、まったく面影はありません。昭和12年修正の陸地測量部の1万分の1地図などを参考に、当時の復原地図を描いてみました。東上線の橋梁のすぐ下流部には堰のようなものがあり、ここで水をせき止め、遊泉園の周囲をぐるりと回るような水路がありますが、この水路からプールの水を取り込んだものと思われます。ただしこの水路は遊泉園のために造られたわけではないようで、大正14年の同じ場所の地形図を見ると、恐らく蛇行した流路の名残と思われる三日月湖のような形で、この水路の原型となる水流が描かれています。水田だった当時、蛇行した旧流路と直線に改められて新流路に囲まれた島状の一角を利用して、プール施設を作ったのでしょう。
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(左)「遊泉園」推定図 現在の地図に、往事の遊泉園の推定図を重ねたものです。石神井川に取水堰を設けて、そこから水を引き込んだと思われます。プールの形や建物の配置は昭和12年の1万分の1地形図を参考にしました。昭和12年にはすでに遊泉園は廃止されていたはずですが(下の注1参照)、地図上には遊泉園の名とプールや建物の様子がはっきりと描かれています。現在はアパートや住宅が建て込み、その痕跡さえもとどめていません。 |
東上線の東京都内の観光地として有名だった、兎月園と遊泉園。そのいずれもがいまやまったく見る影もなく市街地化されてしまったのは沿線住民として少し淋しい気もします。ライバル西武池袋線には豊島園や石神井公園といった手頃な遊園地や公園があるだけに、なおさらくやしいですね。
さてこの二つ以外に、もっと有名で、前二者とおなじく今や見る影もない「朝霞テック」が現在の朝霞台駅付近にありましたが、これは日をあらためてご紹介しましょう。
◆参考文献
東武鉄道100年史
板橋区史 通史編
陸地測量部発行 1万分の1地形図「練馬」昭和12年修正
〃 1万分の1地形図「下練馬」大正14年修正
日地出版、昭和20年刊、平成7年復刻 復刻版「大東京戦災焼失地図」
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