東上沿線 車窓風景移り変わり

第7号

No.10 東上線の遊園地(1)「兎月園」(2000/11/13 記)

現在、東上線沿線には遊園地らしい遊園地はありません。しかし、かつては沿線の観光客を集める遊園地が何カ所かありました。今回と次回はそのうち2カ所の戦前の遊戯施設をご紹介しましょう。

●兎月園

成増駅から500メートルほど南西に行った所にあった「兎月園」は、東武鉄道の創設者、根津嘉一郎により大正13年に開設されたものです。一種のヘルスセンター的な施設で、舞台のある大広間や宴会場、運動場、テニスコートや乗馬などのスポーツ施設が設置されていました。成増駅からは大した距離ではありませんが、専用のバスも運行され、東上線もかなり積極的に観光地として売り込んでいました。戦前に発行された沿線観光地地図には必ず記載され、小学生の遠足なども多かったといわれていますが、いまでは覚えている人も少なくなってしまったようです。閉鎖された時期は不明ですが、私の手元にある復刻版「大東京戦災焼失地図」(日地出版、昭和20年刊、平成7年復刻)にはまだ兎月園の名称が記載されています。しかし戦争末期には食糧難のため農地化されてしまったということですから、昭和19年か20年頃には名称は残されていたものの、実質的に閉鎖されていたのでしょう。

さて、その兎月園の跡地が今どうなっているか確認のため、先日、古い地図を頼りに現地に行って来ました。

場所は成増の駅から川越街道を越えてさらに数百メートルのところになります。現在はまったく市街地化され、面影はほとんどありません。現状の地図に当時の兎月園の場所を推定して当てはめてみました。(下の地図参照)地図上で青い線で書き加えたのが、当時流れていた水路で、現在では一部を除いて暗渠化されています。南のほうから流れてきて、兎月園の手前で西に方向を変え、出世稲荷の南側を流れてその先で白子川に合流します。兎月園はこの流路を堰き止めて池を作り、その南北にある斜面とともに園地を形成していたものと思われます。池は現在の明電舎社宅あたりにあったものと思われます。敷地と思われる部分は先に述べたように、まったく住宅地化されていますが、所々に住宅地には不似合いな大きな木や植え込みが何カ所か見られます。ひょっとしたら、それがかつての兎月園の名残なのかもしれません。

兎月園開園2年後の大正15年には、ほぼ同じコンセプトの遊戯施設「豊島園」が、西武線沿線に開園しました。豊島園が現在も隆盛を極めているのにたいして、残念ながら兎月園のほうは住宅に飲み込まれてしまって、一片の面影も残されていません。

次回は中板橋にあった人口水泳場(プール)、遊泉園を取り上げます。

(左)「兎月園」推定地図。赤い点線で囲まれ黄色く塗られた部分がかつての兎月園。中央を東西に貫く青い線が、谷底を流れていた小流。現在はほとんど暗渠化されているので地上からはほとんど見えないが、地図上で「兎」の字のある場所の道路東側に、暗渠化されていない部分が少し見える。
※兎月園の範囲を訂正しました。水路沿いに西縁の道路から更に西に向けて一部はみ出していた部分は、昭和12年の1万分の1地形図を詳しく見たところ、園地ではなく民家であることが判明しました。左の図は1万分の1地形図に示された兎月園の範囲を表してあります。(2000年11月30日訂正)

◆参考文献
東武鉄道株式会社刊 「東武鉄道100年史」
陸地測量部発行 1万分の1地形図「成増」昭和12年発行
日本地形社刊 1万分の1地形図「成増」 昭和22年発行
練馬区刊 「練馬区史 歴史編」

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