東上沿線 車窓風景移り変わり

第5号

No. 8 白子川・黒目川・柳瀬川沿いの水田(2000/10/22記)

水田はいまでも東上沿線にかなり広く展開しています。とくに川越市以遠は入間川、越辺川(「おっぺがわ」と読みます)、都幾川といった河川沿いに今でも水田が広く展開しています。しかし川越よりも東京寄りとなると、さすがにぐっと少なくなります。昭和30年代〜40年代前半発行の地図を見ると、

1) 成増・大和町(現・和光市)間の白子川沿い
2) 朝霞・志木(当時は朝霞台開業前)間の黒目川沿い
3) 志木・鶴瀬間(当時は柳瀬川・みずほ台開業前)の柳瀬川沿い

の3河川沿いの低地に水田がありました。

このうち白子川沿いは昭和40年代中期くらいまではまだ水田が残っていたようです。もちろん現在は一面市街地化されその面影はうかがえません。

黒目川沿いは、昭和44年発行の2.5万分の1地形図にはまだ水田が記載されていますが、昭和45年以後、池袋まで毎日電車で通っていた私には、水田の記憶がありません。 昭和40年代後半には減反政策の進展などで、畑に転換したものと思われます。現在の黒目川沿いの低地は、上り電車右窓に農地が残るものの畑と果樹園に転換し車窓から水田は見ることはできません。上り電車左窓は東洋大学や各種施設が続々とできてこの数年で風景が一変しました。

柳瀬川の水田は現在でも線路両側に展開していますが、上り電車左側は線路沿いの高層マンションのせいで、車窓際に水田を見ることができません。しかしその建物の間からは、荒川方面に広がる水田を見ることができます。志木ニュータウンが出きる前は、あの一帯も広大な水田地帯だったのですが。今残る柳瀬川沿いの水田は、かなり規模も大きく耕地整理もすんでいるので、よほどの大開発でもないかぎり毎年、稲の実りゆく様を、通勤者に見せてくれるものと思われます。いずれにしても、川越・池袋間で水田の見えるのはこの柳瀬川付近のみということになります。

 

昭和43年頃の黒目川沿いの水田 黒目川沿いには水田が、現在の朝霞台・北朝霞駅周辺は畑が一面に広がっていた。【昭和44年5月30日 国土地理院発行 2.5万分の1地形図「志木」(昭和41年改測、昭和43年修正測量、昭和42年12月撮影の空中写真使用、昭和43年12月現地調査)】

黒目川沿い現状 平成10年の現地調査だが東上線北側の開発はこの後急激に進み、東上線と黒目川の間にあった畑は消滅した。【平成11年7月1日 国土地理院発行 2.5万分の1地形図「志木」(昭和51年第2回改測、平成10年修正測量、平成9年5月撮影の空中写真使用、平成10年7月現地調査)】

左:昭和45年頃の白子川沿いの水田 東上線北側直下に三角形の水田が残る。少し下流の市場付近にも水田が残っているが、この直後にこれらの水田は消滅したものと思われる。なお、図中、手書きの太線は都県境。【昭和47年1月30日 国土地理院発行 2.5万分の1地形図「赤羽」(昭和41年改測、昭和45年修正測量、昭和43年2月撮影の空中写真使用、昭和45年6月現地調査)】

上記の地図3点とも(C)国土地理院

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