東上沿線 車窓風景移り変わり

第4号

No.7 幻の駅(1)田面沢駅 (2000/10/17 記)

沿線開発とともに東上線の駅はずいぶん増えてきました。しかし、その逆にかつて存在しながら今はなくなってしまった駅もあります。そんな駅を訪ねてみましょう。

まずその1として、田面沢(たのもざわ)駅を取り上げました。この駅は大正3年5月に当時の東上鉄道が開業した時の終点駅です。といっても、終着駅として当初から計画されたのではなく、未開通の坂戸町までの区間が開通するまでの暫定駅としての開業だったのでしょう。その証拠に、大正5年に坂戸町まで開業すると、田面沢駅は廃止されてしまいます。

さて「田面沢」という地名ですが、これは明治22年から昭和14年に川越市に併合されるまでの間存在した村の名前で、地域的には現在の小室、今成、小ヶ谷、野田、上野田町が旧田面沢村に相当します。川越市街地と入間川の間に広がる水田地帯で、現在は東上線や川越線、県道川越・日高線などが走っています。

この田面沢駅の位置ですが、川越の図書館などでいろいろ調べても、当時の地図が手元になく、また市内の歴史について書かれた本にも、なぜか田面沢駅の場所に触れたものは見つかりませんでした。数年前、川越市立博物館で開催された川越市の地図展にも大正3年から5年頃の地図の出展はなく、なんとなく心に引っ掛かっていました。

先日、国会図書館に行く機会があったので、地図室に寄って目録を調べたところ大正5年発行(明治40年測量、明治45年部分測量、大正4年鉄道補入、大正5年10月30日発行)の陸地測量部(現在の国土地理院に相当)5万分の1地形図「川越」があったので、さっそく請求してみました。大正4年鉄道補入とあるのは、まさしく田面沢駅まで開通した東上鉄道を追加記入したことを指しています。また発行された大正5年10月30日といえば、川越町から坂戸町間が開通した3日後のことですが、もちろんこの地図にはそれは反映されていません。

▲開通当時の東上鉄道が記入された5万分の1地形図
(大正5年10月30日発行、明治40年測図、明治45年部分測量、大正4年鉄道補入、大正5年改版、同年10月30日発行、陸地測量部)〔筆者所蔵〕

国会図書館でコピーした地図を自宅に持ち帰って現在の5万分の1地形図に重ねてみると、当時の「川越町駅」(開業当時は六軒町駅)から「田面沢駅」間の路線は、現在の東上線にぴったりと一致しており、田面沢駅は現在の入間川鉄橋の手前の位置にありました。おそらく、ここまで暫定開通した当時、すぐ先の入間川鉄橋およびその先の坂戸町までの区間も工事は進んでいたのでしょう。

大正5年10月27日に川越町〜坂戸町が開通すると田面沢駅は廃止され、入間川を渡ったところにあらたに「的場駅」が開設されます。この的場駅は昭和5年に「霞ヶ関駅」に改称され現在に至っています。的場駅の名前はそれから10年後の昭和15年に国鉄川越線が開通すると、その駅名として復活します。一方、田面沢駅の名前はそのまま忘れ去られてしまいました。

さて、忘れ去られた田面沢駅ですが、じつは同じ場所に季節駅が置かれたことがあります。戦前の一時期、東上線の入間川橋梁付近の河原が水泳場として賑わいました。そのため、夏季の水泳シーズンに限って入間川橋梁手前に水泳客のための臨時停車場を設けたのです。私の養父も幼い頃(昭和13〜15年頃)、この停車場を利用して小ヶ谷の河原に泳ぎに行ったとのことです。今でいえば、川越水上公園のような賑わいだったようです。当時、この水泳場は「小ヶ谷の河原」と一般に呼ばれていたようですが、臨時停車場は「東武鉄道百年史」によると「入間川水泳場」と呼ばれていたようです。(下の追加情報欄参照)

●参考文献:
『町割りから都市計画-地図で見る川越の都市形成史-』平成9年発行、川越市立博物館刊
『川越大事典』:昭和63年発行、国書刊行会刊
『東武鉄道百年史』:平成10年発行、東武鉄道株式会社刊
角川日本地名大辞典11『埼玉県』:昭和55年発行、角川書店刊
5万分の1地形図『川越』:大正5年発行(明治40年測図、同45年部分修正測図、大正4年鉄道補入、大正5年10月30日発行)、陸地測量部刊(国会図書館蔵)
5万分の1地形図『川越』:大正5年発行(明治40年測図、同45年部分修正測図、大正4年鉄道補入、同5年改版、大正5年10月30日発行)、陸地測量部刊(筆者蔵)

 

**追加情報欄**

 ◆田面沢駅に関する読者からの情報◆

▼川越の「イトー」さんからの情報です(10/19着)

そういえば、水上公園ができた頃、東上線のあのへんに、昔、夏だけの臨時駅があったこと、水上公園の開園時季に合わせて、またやるようなこと、(こっちはガセネタだったようです。東上線から水上公園は遠いし、バスを出すのなら川越駅からと大して変わらないと思ったのですよ)そんな噂を聞いた覚えがあります。

【主宰者から】イトーさん、情報ありがとうございます。そんな噂があったとは知りませんでした。きっと戦前の臨時駅の記憶が、「水泳」という言葉をキーワードにあらたな臨時駅の噂としてよみがえったのでしょうね。小ヶ谷の河原での水泳というのは戦前の川越で育った人には、なつかしくも楽しい思い出として記憶にあるようです。

 ◆田面沢の地図掲載について◆

川越の旧版地形図は結局自分で古書店で実物を購入してしまいました。このページに掲載したのはその地図です。本文で触れた国会図書館の地形図と同時期に発行されたものですが、私の購入したものは大正5年改版となっています。国会図書館で見た地図は大正5年改版の記載がありませんでしたが、見たところまったく同内容でした。発行日が同じなのに2種類の版があるのですね。(10月28日記)

 ◆入間川水泳場◆新規情報!!

上記記事中、「小ヶ谷の河原」の水泳場における下記臨時駅の名称がわからないとお伝えしてきましたが、「東武鉄道百年史」によると「入間川水泳場」という名称で、大正9年から昭和26年までの夏季に開設されたということです。意外と長い間、開設されていたことがわかりました。つきましては本文を改めておきました。(11月11日記)

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