東上沿線 車窓風景移り変わり

第24号

No.27 幻の支線・啓志線物語-第4回(2001/9/20 記)

啓志線の線路をたどるのも今回が最後です。

今回は田柄川緑道北側に並行して、終点の啓志駅に向かう部分です。

緑道北側に並行して走る区間は、残念ながら線路の痕跡をほとんど留めていません。家の敷地などで、多少は線路の面影を残しているかなと思われる部分もありますが、これも確認するには至っておりません。

啓志線が使用されていた時代、この一帯はまったくの田園地帯でしたが、昭和30年代後半から40年代前半にかけて急激に宅地化が進み、線路敷地は跡形もなく宅地化されてしまったようです。それでも、都内としてはまだまだ畑も残っておりますが、この畑もいつまで残るでしょうか。線路跡をたどるために持参した、数年前の地図に畑として示されているところが、今は一面の住宅地に開発されているところも、たくさんありました。

終点の啓志駅は現在光が丘ニュータウンの南東部にあたり、学校が集中している一角になっています。もちろん啓志線の面影を残すところはまったくありません。

 

昭和27年撮影の啓志線沿線空中写真。左はグラントハイツ内の線路網。この頃がもっとも盛んに輸送がおこなわれたらしく、線路も多く、物資もたくさん積み降ろしされている様子がうかがえる。上の写真は田柄川の北側を走る線路。一面の畑の中をまっしぐらに走っていた様子が分かる。

現代の地図に旧啓志線線路を当てはめた地図。赤い点線が旧啓志線線路。線路は上の昭和27年撮影の航空写真にもとづいている。

 

昭和34年発行の1万分の1地形図に見る啓志線沿線。上の空中写真に比べ、いちばん北側の線路がすでになくなっているのがわかる。グランハイツがグランハイツになっているのに注意。国土地理院でさえ、施設名をまちがって記入しているところが面白い。


地図(1)の地点。道の左側、手前から3軒目の家が周囲の家と敷地の形が異なる細長い敷地をしており、おそらく旧線路跡を利用したものと思われる。上の写真の赤い点線あたりが旧線路と思われる。


地図(2)の地点。旧田柄川の北側、啓志線がグラントハイツに向かっていくつかに分岐した線路の南から2番目の線路跡地と思われる遺構。この写真を撮影した時は、国の所有地となっており、厳重に囲われていた。草におおわれてわかりずらいが、線路跡と思われる部分(上の写真の点線部分)が、周囲より高くなっている。この遺構も、遠からず宅地となってしまうだろう。

地図(3)の地点。旧啓志駅跡に建つ田柄三小。啓志線はグラントハイツ内に多くの分岐線があったが、本来の啓志駅は、いちばん南に入る線路終点をさしていたようだ。この駅の跡は昭和56年頃までは残っていたという。

使用地形図:
昭和34年1月30日発行、1万分の1地形図「石神井」:昭和4年測量、昭和32年第2回修正測量、昭和32年番地調査、(c)国土地理院
昭和34年3月30日発行、1万分の1地形図「練馬」:明治42年測量、昭和32年第5回修正測量、昭和31年番地調査、(c)国土地理院

※このページに使用した地形図はすべて国土地理院が著作権を保有しています。

 

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