東上沿線 車窓風景移り変わり

第23号

No.26 武蔵嵐山駅北側の思い出(2001/8/8 記)

武蔵嵐山駅の橋上化工事や森林公園〜武蔵嵐山間の複線工事も順調に進んでいるようです。

今回は、私の個人的な思い出で申しわけありませんが、橋上化によって北口が正式開設される嵐山駅北側一帯について、語ってみたいと思います。

昭和41年1月から44年3月までの3年間ほど嵐山駅の北側に住んでいました。線路沿いの小さな家で、駅に近いとは言え、その頃はまだまだ田舎。もちろん人家は何軒かありましたが、雑木林や田圃がいっぱいあり、現在の北口一帯は畑でした。

当時、すでに明星食品の工場はできており、駅北側一帯もこれから開発が進もうという頃で新しい民家も少しずつ増え始めていました。しかし、まだまだ農村ムードの残る時代で、地産団地はまだできておらず、現在の団地一帯は市ノ川、粕川、そして千手堂・平沢方面からの小流の合流地点で広大な水田地帯でした。

A: 昭和49年頃の武蔵嵐山駅周辺。地産団地はすでに完成している(地図上方の新田前、向原と書いてあるあたり)。駅の北側はまだ未開発で、家もまばらであり、畑と水田がほとんどであった。(昭和51年3月国土地理院発行、2.5万分の1地形図「武蔵小川」より)

 

B: 平成11年頃の武蔵嵐山駅周辺。数年前に駅北側に広場ができた。ただし駅舎は南側にあるので、一度跨線橋を渡って南側駅舎から入場し、上り電車に乗車の場合、また構内の跨線橋を渡るという二度手間を強いられてきた。今回の橋上駅化でこうした不便も解消されることになる。(平成12年5月国土地理院発行、2.5万分の1地形図「武蔵小川」)

上左の模式図は昭和41年頃の様子を思い浮かべながら描いたものです。図郭外上方に現在の地産団地、当時の水田地帯があります。そこから細長い谷戸田(やとだ)が南に伸びてきます。池の南に行ったところAの地点で、水田は二つに別れます。右下に伸びる水田はBの地点でさらに二つに別れ、一方は駅北西の東上線線路すぐ下のC地点で終わります。私の家があったのはこのC地点のあたりです。B地点から東南東の方に伸びる谷戸田は現在の駅北側広場を囲むような形で、駅の東北D地点あたりで止まります。水田と駅の間は畑でした。A地点から南西に向かって伸びる谷戸田は東上線沿いの道路でストップ。線路の南側には、この水田への水を確保する小さな溜め池がありました。もちろんこうした水田や溜め池は現在まったく姿を消してしまいました。土地の起伏もかなりならされています。大きく変わったのが、溜め池Eの北西一帯で、このあたりは当時小高い丘になっており、東上線はこの小丘を切り通しで通過していたのですが、北側の丘がきれいに消滅してしまいました。現状では線路の南側のみ、切り通しの片割れの崖が残っています。

その当時の思い出話を2、3お話ししてみましょう。

線路の南側、市街地へ行くには溜め池の所の踏切まで行って線路を渡らなければならないのですが、それが面倒で、いつも家のすぐそばを強行突破していました。当時は1時間に1本くらいしか電車が来ませんでしたから、そんなことも可能だったのですが、もちろん当時でも違法は違法で、駅員に見つかると怒られました。当時の信号はもちろん腕木式。ATSもATCもなくタブレット交換による単線運転でした。ポイントも電動式ではなく、改札脇のポイント切り替えレバーで切り替える手動式ポイントでした。

家の南側の細い道路をはさんで、向こうがわが駅構内の敷地でした。道路と線路の間には保線工事の小屋が建っていました。この小屋が昭和41年9月25日関東地方を襲った台風26号の際、丸ごと50メートルほど吹き飛ばされたこともありました。この台風では嵐山町でも死者が出たほどで、都幾川の断崖上にあった農業研修所(今の国立婦人教育会館のところ)の職員住宅の屋根が吹き飛ばされたりしました。私が今まで体験した台風のうちでも、最も強烈なものでした。

さて話を現在に戻しましょう。

一昨年(1999年)嵐山町の国道254線バイパス沿いにマイカー利用を前提とする広大なショッピング・センターがオープンし、旧市街地は急速にさびれ、現在はゴーストタウンといった有様で、昼間から閑古鳥が鳴いています。このあたりは北関東諸都市共通の現象になるわけですが。

北口開設、複線化で長い間、東上線の奥座敷のように思われてきた森林公園以西もようやく変わろうかというところです。しかしこのあたりまで来ると、どうしても自動車が移動のための一般的ツールということで、電車の巻き返しがなるかという心配があります。少子化と不況で沿線の人口増加も鈍り、電車の利用客も伸び悩んでいます。森林公園以遠の複線化、新駅の開設など、東武鉄道も設備改善に努めていますが、これが利用客の増加や沿線の活性化につながればよいのですが。

武蔵嵐山駅北側駅前広場のパノラマ写真。現在、駅の南北を結ぶ跨線橋を橋上駅に改装している。この写真は来年には橋上駅となる現在の跨線橋から望んだもの。橋上駅完成後はこの北口広場もさらに変貌の度を加えるのであろう。来春の月輪新駅開業、森林公園・武蔵嵐山間複線化、そして武蔵嵐山橋上駅完成で、ローカル線色豊だった森林公園駅以遠もいよいよ開発が本格化することとなる。

使用地形図:
A:昭和51年3月30日発行、2.5万分の1地形図「武蔵小川」:昭和32年測量、昭和49年修正測量、昭和48年12月撮影空中写真を使用、昭和49年5月現地調査、(c)国土地理院
B:平成12年5月1日発行、2.5万分の1地形図「武蔵小川」:昭和32年測量、昭和52年改測、平成11年修正測量、平成10年11月撮影の空中写真を使用、平成11年7月現地調査、(c)国土地理院

※このページに使用した地形図はすべて国土地理院が著作権を保有しています。

 

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