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(上)昭和27年に撮影された啓志線沿線。上板橋から川越街道付近まで。川越街道付近はまだ一面の畑だ。 |

地図A
4月上旬のある土曜日、以前から計画していた啓志線跡探訪に出発しました。読者の方からいただいた情報や地図、そして自分で調べた古い地図などをもとにして、まずは上板橋の駅に下車。北口は何度か利用したことはありますが、南口から出たのは初めてでした。ただし、その数週間前、ひょんなことで車で南口に迷い込んだことがあったので、その狭さは十分に承知していましたが。北口もあまり広くはありませんが、南口の狭苦しさにはかないません。
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南口を出て狭い道を東武練馬方向に線路沿いに歩きます。駅を出てすぐ右側に、かつての貨物駅の建物とおぼしきものが残っていました。道路側にもプラットホーム状の設備がありますが、(写真1)これが鉄道用のものなのか、トラック用のものなのかはわかりませんでした。いずれにしても啓志線現役時代までさかのぼれるのではないでしょうか。 その先すぐに、東上線と交差する踏切に出ます。この踏切を渡ると上板橋サンライトマンションが見えてきます。このマンションができたのは、たしか、昭和40年代の後半、私が学生の頃だったと思います。当時としてはかなり大規模開発でした。もちろん東武不動産の開発で、かつての啓志線線路敷地をおもに利用してつくられたものです。PC工法(現場でセメントを流し込むのではなくて、あらかじめ工場でコンクリートの板をつくっておいて、現場で組み立てる工法)による本格的な大規模マンションとしては初期の建築例でしたが、まだ工法自体が完成されていなかったせいか、階下への騒音漏れ問題が発生し、マスコミでも報道されたことがありました。 さて啓志線が本線から分岐するのは、現在のサンライトマンションのどの地点かということですが、おそらくAH棟とよばれる東上線沿いのサンライトマンション建築群のうち、いちばんの大きな棟の東端あたりでしょう。(写真2)ただし啓志線の線路は東上線本線から直接分岐していたのではなく、本線南側に専用の線路を持っていたと思われます。その線路の敷地は現在は線路沿いの道路や駐車場として使われています。 | |
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さて、本線から別れた啓志線は西南西に向けて走りますが、現在のサンライトマンションとそれに続く東武百貨店上板橋研修所の敷地あたりにかけては、昔の航空写真で見るとゆうに複線分の敷地を確保しているのがわかります。この先の旧川越街道を越す手前あたりで、単線になっていたと思われます。写真3は東武百貨店上板橋研修所前からサンライトマンション方向を見たものです。(地図上で旧線路の敷地を赤い点線で示していますが、これはあまり厳密ではありませんので念のため) 啓志線はこの先で旧川越街道を踏切で渡りますが、その手前のあたりで、啓志線の旧敷地に建っている2軒の家があります。写真4がそれですが、真ん中のクリーニング屋とその向こうの日陰になっている家がそれにあたります。現在では線路の敷地がそのまま家屋の敷地として残っている例はわずかで、過去の線路敷地の地割りは消え失せてしまっています。 写真5は啓志線が旧川越街道と交差していた場所です。線路は商店街のアーチのあたりを横切っていたと思われます。 | |
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(2)旧川越街道から川越街道まで(地図B)

地図B
旧川越街道から先は、田柄川沿いの低地(といっても高低差は7〜8m前後)に向かって緩やかな下りになります。現在はすっかり市街地化されておりますが、昭和20年代はこのあたりはまだ畑ばっかりだったことがわかります。
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旧川越街道を越して左斜めに入る道をしばらく行くと右手に神社が見えます。その角を右に入り、さらにその先の二またに分かれている所を右に取っていくと、5階建ての細長いマンションが建っています。(写真6)細長く道と斜めに交わるような地割りによって、この建物がまさしく啓志線の敷地跡を利用して建っていることこがわかります。このマンションの裏側(南西側)も、啓志線の線路跡地にそって、家が道をはさんで2軒続きます。先ほどのマンション通り過ぎ、交差点を左折、下り坂を下って信号のある交差点を左折すると、その地点(写真7)に出ます。啓志線は、この先の田柄川を越すために川沿いの低地部分に築堤を築いて、その上を走ったということです。今でも線路が横切ってい部分がほんのわずかですが盛り上がっているのがおわかりいただけるでしょうか。(写真8) | |
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この先の田柄川は現在暗渠化されて、田柄川緑道という遊歩道になっています。写真9の道路右手に擬木の柵のあるところがかつての田柄川です。啓志線は右から左方向に道路を斜めに横切るような形で走っていました。この先で、川越街道を横断していたわけです。(写真10)川越街道はすでに戦前から4車線の立派な道でしたが、交通量は今とは比較にならないくらい少なかったので、のんきに川越街道と平面交差していても交通渋滞にはならなかったのでしょう。 | |
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謝辞:このページを作るにあたっては、読者の方からの有益な情報のご提供や励ましをいただいております。ここに深く感謝申し上げます。
■使用地形図:
〔昭和34年3月30日地理調査所発行、1万分の1地形図「練馬」:明治42年測量、昭和32年第2回修正測量、昭和31年番地調査 (c)国土地理院〕
■参考資料:
練馬区史・現勢編(昭和56年・練馬区編)
板橋区史 通史編
東武鉄道100年史(平成10年・東武鉄道編)
東京航空写真地図・第2集 (昭和29年、創元社刊)
その他、戦前・戦後の各種地図や航空写真を参考にしました
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