東上沿線 車窓風景移り変わり

第2号

No.3 広々とした風景 - 都幾川橋梁から(2000/9/10 記)

武蔵嵐山から川越に引っ越して20年近くたちました。実家は嵐山にあるので、ときどき出かけるのですが、私も家族が増えたので、電車で行くよりも車で行くことのほうが多くなり、最近は川越以遠の東上線に乗る機会がぐっと少なくなっています。それだけに、久しぶりに乗ったときには沿線の様相が一変している場面に出くわすこともあり、ビックリさせられます。その一例として、高坂・東松山間の都幾川橋梁の風景をあげてみましょう。

私は武蔵野の風景が好きです。雑木林に代表される近世以降の武蔵野風景もいいのですが、それよりも武蔵武士が馬で駆け回っていた、茫漠たる原野の続く中世の武蔵野風景が好きです。といってもそんな風景は現実には失われてしまってるのですが。ところが東上線で高坂を過ぎ、都幾川沿いの低地にさしかかるあたり。都幾川が東上線橋梁の前後で曲流し、そのために河原がやたらに広くなり、そこに低木や草が生い茂っていました。東上線は間近に迫った都幾川の流れを渡るために、築堤の上を走ります。車窓左手にははるかに望む秩父連山、その右手に遠く連なる上毛の峰々や浅間山が見渡せます。眼前に広がる草原とはるか遠景の山並みの広大な風景が、失われた中世の荒々しい武蔵野の原野を一瞬思い起こさせてくれます。とくに空っ風の吹き荒れる冬の日などは、いっそう荒々しさが増して板東武者が馳せ巡る鎌倉時代の武蔵国へと引き戻してくれそうな感じがします。

さて数年前の冬、久しぶりに武蔵嵐山に向かって東上線に乗っていました。季節は冬、車外は晴れ渡り乾ききった空っ風が吹いています。あの風景が最も中世的な荒々しさを思い起こさせてくれる時です。高坂の駅を過ぎてまもなく景色がワイドに広がるはずと、窓の外を見つめていると、なにか変だなと思いました。鉄橋の前後で大きく曲流していた都幾川が、まっすぐに改修されているのです。曲流部分も三日月湖として残っており、かつての河原の部分も自然の状態に放置されていて景色自体にはさほど変化はなかったのですが、そのうち土地の有効利用とやらで河川敷の部分に運動公園やゴルフ場に利用されると、私のお気に入りのこの景色も失われてしまうことでしょう。(現に鉄橋より下流部の河川敷はスポーツ公園になっています)

 

No.4 続・広々とした風景 - みずほ台・ふじみ野(2000/9/10 記、2001/8/23写真・情報追加)

No.3で中世武蔵野の広大な原野を思い起こさせる風景をテーマに話しましたが、川越よりも池袋寄りにもそんな風景がありました。

今のふじみ野の駅の周辺と、みずほ台駅の周辺です。ふじみ野駅はまだ開業して数年なので覚えている方も多いと思います。あの駅ができる前は、一帯が見渡す限りの畑で、晴れた日は富士山もよく見渡せました。また空っ風の強い冬の日など、下り電車は北風をまともに受け、うなりを生じながら土ぼこりの中を駆け抜けて行きました。いかにも「埼玉の冬」といった風情で、私は好きでした。

今から15年程前に撮影された、ふじみ野駅開業前の写真アルバム(写真はKRさん提供)

(左)開業前のふじみ野駅予定地を通過する8000系  
画面右側には線路周辺に広がる畑の一部が見えている。画面奥にうっすら見える大井陸橋の先にアウトレットモール「リズム」がつくられた。その手前の東上線と交わる緑の帯は台地を刻む小流だったが、再開発後は護岸工事で味気ないドブ川になってしまった。写真は現在のふじみ野駅東口あたりから撮影。写っている車両は現在の塗装とセージクリームの1色塗装の混合編成 2001/8/23追加 
(左下)大井陸橋上から鶴瀬方向を見る 画面の右側は現在リズムタワーと広場のあるところ 2002/2/25追加
(下)線路沿いの道から大井陸橋側を向いて上り列車を撮影 現在は舗装されて平坦な直線道路になっていますが、当時は平坦ではない砂利道であったことが分かる  2002/2/25追加
(c)KRさん

 

 

みずほ台駅は昭和52年開業で、出来てからずいぶんたってしまったので、すっかり都市化が進みかつての面影はなくなってしまいました。ここもふじみ野駅周辺同様、開業前は一面に畑が広がっていました。(下の地図左参照)私が印象に残っているのは、今もみずほ台駅の志木寄りにある踏切(通称・竹間沢通り)の下り電車から見て左側のはたに、当時、東武バスの折り返し場があり、ぽつんと発車待ちのバスが停車していたことです。踏切の北側は街道沿いに多少農家が並んでいましたが、南側は畑の中の一本道で、ほんとに淋しい荒涼とした風景でした。いまのみずほ台周辺からは考えられない風景が広がっていたのです。

みずほ台から上り電車で少しばかり柳瀬川に向かうと、車窓右側に典型的な武蔵野の谷戸田がみられました。柳瀬川沿いの低地から、みずほ台の台地に向かって台地の伏流水からの湧き水が、東上線沿いに弧を描くように谷を刻みこんでいました。(下の左側地図で「富士見町」と記入してあるところの「士」の字を中心に弓形に描かれている等高線部分)谷底は水田で、台地の斜面は雑木林。これもいかにも武蔵野らしい風景で、私の目を楽しませてくれました。みずほ台駅の開業後もかなり長い間、その風景を残してくれていましたが、やはり10年くらい前に谷戸田も雑木林も宅地化され、今やその面影はまったくなくなってしまいました。

 

 

▲2.5万分の1地形図に見る「みずほ台駅」周辺旧状(左)と現状(右) (C)国土地理院

使用地形図
▼旧状地図:
昭和45年2月28日 国土地理院発行 2.5万分の1地形図「与野」(昭和42年改測、昭和44年修正測量、昭和44年5月撮影の空中写真使用、昭和44年7月現地調査)
昭和44年5月30日 国土地理院発行 2.5万分の1地形図「志木」(昭和41年改測、昭和43年修正測量、昭和42年12月撮影の空中写真使用、昭和43年12月現地調査)
▼現状地図:
平成10年6月1日 国土地理院発行 2.5万分の1地形図「与野」(昭和51年改測、平成6年修正測量、平成10年部分修正測量、平成5年10月撮影の空中写真使用、平成6年8月現地調査)
平成11年7月1日 国土地理院発行 2.5万分の1地形図「志木」(昭和51年改測、平成10年修正測量、平成9年5月撮影の空中写真使用、平成10年7月現地調査)

使用写真
「開業前のふじみ野駅予定地を通過する8000系」 写真提供ならびに(c): KRさん

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