東上沿線コラム&情報

第6号

No.8. 昔の電車は寒かったという話 (2000/12/9 記、2002/2/25写真追加)

昭和40年代、東上線の車両は雑多な形式の電車が整理され、8000系と7000系の新旧2種類の20メートル4扉車両に統一されつつありました。それまでは片側3扉なども混在していて池袋などの駅では到着する電車に応じて列のならびを変えないといけませんでした。私が池袋まで通うようになった昭和45年にはすでに2扉の車両はなくなっていましたが、まだ18メートル3扉車(3000系というやつですか)は残っていましたので、乗車位置が2種類あり、ややこしかった記憶があります。今でも西武線はそうですが、到着車両の形式によって乗車位置が変わるというのは、利用者からするとややこしいものです。

さて8000系の車両ですが、当時は運転台のある車両以外は仕切扉が一切なかったのです。6両編成などでは途中に運転台の入らない編成もあったので、そういう編成の電車に乗ると冬などはえらい目にあいました。電車が混んでいるうちはいいのですが、坂戸町(当時)を過ぎて車内がすいてくると、電車が加速・減速するたびに車内を冷たい風が吹き抜けていくのです。暖房が入っていても、その暖気を吹き飛ばすように。

おまけに当時の車両は幌が、「幌」というよりも「ボロ」といったほうがよいほど、穴だらけだったのです。その穴からも容赦なく寒風が吹き込んでくるのです。かえって古い7300、7800系の車両のほうが、車両間に間仕切り扉があったので、加減速のたびに寒風が車内を吹き抜けることがなく、暖かかったくらいです。その後、8000系車両も改造により間仕切り扉が加えられ、また幌も改良され丈夫になったため全体に格段に機密性が高まりました。

15年程前に野田線で活躍していた3扉車の3000系。かつては東上線でも活躍していた。(写真提供:KRさん)

7800系車両。冷房もなく夏は暑かったが、冬は暖かかった。(写真提供:KRさん)


こうして冬の寒さに苦しめられることはなくなりましたが、まだ冷房は普及せず、夏の暑さを解決するには至りませんでした。今や冷房はあって当たり前になってしまいましたが、冷房車が導入された頃は、たまに冷房車両がくると、「おっ、今日はツイている」と感じたものです。

そうそう、当時山手線には前と後の3両だけが冷房車というのがずいぶん走っていました。中間の4両は冷房装置のない車両という、とんでもないしろものでした。それでもないよりはマシとばかりに前後の3両目がけて乗客が殺到したものです。こんなことも今となってはなつかしい思い出であります。 

山手線池袋駅で15年程前に撮影した山手線内回り(新宿方面ゆき)103系電車。おっ冷房車と喜ぶと、前と後ろだけが冷房車で、中間車両はサウナ車両?という噴飯もの。でも冷房の苦手な筆者はあまり苦にならなかった。(写真提供:KRさん)

今回も、KRさん提供による貴重な写真で昔話に具体性を加えることが出来ました。厚く御礼申し上げます。

No.9. 昔の電車は混んでいたという話(2000/12/9 記)

昔話のついでにもう一つ。

今でも、もちろん朝夕のラッシュは混み合いますが、以前ほどではないなというのが正直なところです。やはり有楽町線のバイパス効果がはっきりと表れているのでしょう。朝の通勤ラッシュ時でも、新聞や雑誌が読める程度の混雑であることが多いようです。

昭和40年代は、朝の通勤ピーク時に車内で新聞を広げるのはとても不可能でした。文庫本だって読める状態ではありませんでした。成増・池袋間では、よくぎゅうぎゅう詰めになって、窓の中間部の枠に手をつっかえ棒のようにして、圧力に耐えたものです。これは8000系以前の車両だから可能だったことで、1枚窓の9000系以後の車両では、掴まるべき窓の中間枠さえありません。さすがに1枚窓のガラスに手のひらを押しつけて、あの乗客の圧力を集中させるのは危険です。

さらに、混雑が緩和されたのを実感するのは、山手線に乗換えて、ホームに上がるときです。やはり昭和40年代までは、朝の通勤ラッシュ時、とくに4月・5月の新年度はしょっちゅう階段規制がありましたが、これも埼京線の開通によって解消されました。埼京線の乗客が以前はすべて、池袋で山手線に乗り込んできたわけですから。山手線に乗っていて、併走する埼京線の満員の乗客を見るたびに、かつてはあれがみんなこっちに乗っていたんだなぁ、と思うとぞっとしますね。

今回は、ちょっと東上線から外れる話題もありましたがご容赦を。

 

No.10. 通勤ラッシュよさようなら(2000/12/9 記)

さて、ついでに主宰者の個人談で恐縮です。高校入学以来30年以上、通勤ラッシュを毎日体験してきましたが、しばらくはこれにおさらばすることとなりました。あまり威勢の良い話ではないのですが、諸般の事情で会社を辞めることとなりまして、しばらくは失業者生活を余儀なくされることとなったからです。

それにしても、いつまで続くか、この戦後最長・最強(?)の不況。最近電車がすいているのは、こうした事情もあるのでしょうか。そうだとすれば残念なことです。

私が一刻も早く通勤ラッシュに復帰することが、日本の不況脱出の証拠となるのか。それとも、通勤ラッシュとは関係のない新しいライフスタイルをつくることが、新しい経済構造の創出となるのか。自らの生き方を一つのモデルケースとして考えて、これからの人生を作っていきたいと思います。

■東上沿線コラム&情報第6号写真はすべて(C)KRさんです。

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