東上沿線コラム&情報

第12号

No.19 東上線開業・開通年表(2001/4/21 記、2003/5/5改訂)

横長の表ですので、左右にスクロールしてご覧下さい。(越生線部分は「コラム&情報 第13号-No20」参照)
こうして年表にまとめてみると、駅の開業が1930年代前半と1970年代に集中しているのがわかります。1930年代は関東大震災以後、旧東京市の周辺地区の宅地化が進んだことの反映です。また、電化(1929年10月1日池袋・川越市間、同年12月29日川越市・寄居間)によって、急加速・急減速が可能になったことも見逃せないでしょう。1970年代の新駅開業ラッシュには、高度成長時代後期の埼玉県内の急速な宅地化が反映されています。

*1:田面沢駅の正式な廃止日は大正5年(1916)10月27日
*2:川越町から川越市への駅名改称は、東武鉄道100年史によると大正11年12月1日とある。本欄では武藤伸著「東武東上線の歴史(二)」(板橋史談号第31号-P13所収)の記事中にある、大正13年9月6日付官報に記載されたとされる日付を採用している。
*3:中板橋駅は1927年(昭和2)年夏に開園した私設プールである遊泉園への最寄り駅として、1933年(昭和8)の中板橋駅正式開業に先立ち夏期臨時駅として仮営業を開始している。その時期については武藤伸著「東武東上線の歴史(四)」(板橋史談号第34-35合併号-P7所収)により1928年(昭和3)から1931年(昭和6)の間とされていた。その後、1927年(昭和2年)8月18日に発行された中板橋→下板橋間の切符の存在が明らかになり、1927年(昭和2)年夏の遊泉園開業と同時に臨時駅としての中板橋駅開業が明らかになった。(2004年6月20日追記)
*4:開業当初は「にいぐら」。開業の年の7月12日に「にいくら」に改称
*5:東武堀之内(北池袋駅の前身)は1947年(昭和22) 8月29日に正式廃業
*6:1947年(昭和22) 8月29日に正式廃止
*7:みずほ台信号所は1951年(昭和26)9月1日から1954年(昭和29) 6月26日まで使用 -「志木-川越市間の複線化」参照
*8:ききょう原信号所は1951年(昭和26)9月1日から1954年(昭和29) 6月26日まで使用 -「志木-川越市間の複線化工事」参照
*9:新河岸駅は開業当初「高階」駅という名称であったという説もあり。この説によると新河岸駅への改称は大正5年10月27日坂戸町までの延伸開業の日という(『高階の歴史』平成2年5月、高階の歴史刊行会発行)
→その後、大正3〜4年の東上鉄道時刻表を見る機会があり、いずれも「高階」駅と明記してあった。従って上の表も開業から坂戸町駅開業までの間の駅名を「高階」と訂正した。(2002年7月29日)

 

■「志木-川越市間の複線化工事」
志木-川越市間の複線化工事は、いくつかの区間に分けて2年近くにわたり行われている。「みずほ台信号所」や「ききょう原信号所」は、この複線化工事のために便宜的に設けられた交換施設と思われる。上の図では、最終的に複線工事が完了した昭和29年11月1日の状況しか示していない。志木-川越市間の複線化工事は、詳細には以下のような順序で完成している。

1.1953年(昭和28)7月21日=川越-川越市
2.1953年(昭和28)8月21日=上福岡-新河岸
3.1954年(昭和29)3月1日=鶴瀬-上福岡、新河岸-川越
4.1954年(昭和29)6月15日=みずほ台信号所-鶴瀬
5.1954年(昭和29)11月1日=志木-旧・みずほ台信号所

■上の図では信号所については後に乗客の取り扱い駅になったものだけを取り上げている。それ以外の信号所として池袋・北池袋間に西山信号所があり国鉄との渡り線があった。西山信号所は1947年(昭和22)5月1日に設置され、1964年(昭和39)9月14日に廃止された。

■参考文献
東武鉄道株式会社編 東武鉄道100年史(平成10年9月発行)
武藤伸・著「東武東上線の歴史(一)〜(五)」(板橋史談30〜36号所収、昭和47年5月〜昭和48年5月刊)
高階の歴史刊行会発行『高階の歴史』(平成2年5月刊)
その他、各種地図を参考にしました。

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