The Physical Space 1990 ロンドン(英国)

     1990 水原(韓国)

                    
厳格で儚い声
ブライアン・キャットリング(美術家・詩人、在ロンドン)       
Brian Catling
 阿部 守にとって鍛造とは厳しい集中をそこに封じ込めることである。彼が意識下の自分を探り、肉体をとうして呼び出し、力業をとうして集束させていくための場=道場でもある。熱した金属に肉体と迸る力で立ち向かう。原因と結果は互いに固く結び付き、ひとつに解け合おうとする。その哲学とプロセスは彼を伝統的刀鍛冶の名誉ある末裔に擬している。鍛冶は強靱さと気迫で物質の変容を解し、具現し、その奇跡的ともいえる刀剣のなかに自信の人生をも折り込んでいった人たちである。しかし阿部はそれ以上を望んでいる。完璧な一行よりも、柔軟でかつ開かれた言語を追い求める詩人である。彼の道は禅道と通底している。
 “身体空間−その分水嶺”と名付けられた作品の中、壁一列に並べられた小さな鉄の板は、彼の美術言語の核から生まれたイコンのようにみえる。熱で剥され朽ちさせられた鉄の板は、作家の手や心からの衝撃を筆跡として受け止め、とどめようとする紙片でもある。エッジには手が加えられ、ハンマーの跡が楔文字状にうたれた表面は熱によって繊細なゆがみが与えられている。多様な要素がひとつにまとめ上げられたこの鉄の板は、あたかもその下に置かれた白い広がりの索引として機能する、テキストのようでもある。
 阿部の中心をなすメタファーは人体である。理想化された空虚ではなく、生き生きとした塊、直覚的存在である。これが彼の指針であり、安定を保つ羅針盤である。最近の発表のなかで、このイメージは新しい形で展開されている。初期の作品に見られた大型で垂直な一枚翼は、緻密に集約された幾何的な箱としてまとめられている。京都で発表された時の神経系とでも呼べる巻き状の鍛造された鉄は、まっすぐな棒材へと変わり、床を複雑に分裂させる区分材になっている。この調和のない広がりの上に薄い和紙が敷かれ、濡らされる。そして乾燥する過程で、まるで金属から血のように密着した部分から錆を引き出していく。閉じられた紙の裏面に錆びた金属が竹のような輪郭を描きだす。純白の影ともいえる中央部は、手つかずの幽かな領域であり、皮膚の下に隠された筋肉、静かな力の可能性を湛えている。鉄の塊が散在するこの張りつめた紙の地平は、禅庭のあの不可思議で特異な均衡を思い起こさせる。彼はこの関連を簡単には受けつけない。自身の現代美術の言語として影響も明せきに表現しており、庭は不可欠なものであるけれども、それに言及しようとはしない。     
 繊細な紙の表面を破ったり押さえつけたりしている鍛造された鉄は、多様な特徴を持っている。あるものは熱と圧力で溶岩のような形につくられて原型を亡くし、あるものは共通のトーンで下に積まれた棒材の不協音を圧倒し抑えつけている。黒く焼かれた幾何学的な箱やソリッドな板は、少し離れた所にある大きく複雑な形の錆と均衡を保っている。この錆の形をつくった金属はそこにはなく、ただ鉄のオーラであるかのような跡だけを残している。その不在に注目することで、いびつな均衡、作品全体を通して息づいている線的でない対称性に気づかされる。それはコンセプトに、その構成に、そのプロセス全体に存在している。これが厳格で儚い声の力であり、全ての支点である。彼は見るものに平衡を取ることを強いる作品を創りだした。自分の意見や結論のバランスを取ったり調整しようとすることは非常に重要である。だからこそ、熱と物質、行為と沈黙の対話を聴き、それぞれの間にあるきわどい均衡にもっと耳を澄ますことになる。これこそが阿部が生き生きとした鼓動を響かせようと生み出している剣である。
(訳:安倍文範)


  

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