話すこと 春夏秋冬愚作三昧 一所懸命 インフォームド・コンセントと共に
ただし、この当時の『学問』とは主として『儒教』を指す。しかし、読む人によってはこれを一般的学問の領域まで広げる場合もあることを付け加えておく。 老子の時代は春秋時代とも戦国時代とも言われるが、紀元前のことであるのは間違いのないことである。そして紀元前の思想が現代に息づいていることを感じる時、奇妙な驚きを覚えている自分を意識する。老子の書は五千数百字と言われ、原稿用紙換算で約14枚程度と短いものである。そしてその特徴として、逆説的表現と詩的表現の二つがあるという。確かに、日本語的音読みを試みると、見事に韻を踏んでいる。思想を詩という形で表現しているため、その解釈が多様性を帯び、時代の変化に対応してきたとも考えられる。 さらにこの老子の思想は、日本だけではなく、アジアの文化の中に無意識的に根強く流れているように、私には思えてならないのである。 今の私は日本の文化にとても興味がある。10数年前になるが、特にインフォームド・コンセントという言葉が容赦なく日本に入り始めた頃、どうしても『文化』という壁があることを意識せざるを得なかったのである。また当時は、脳死や臓器移植の問題について様々な意見が飛び交い、その解釈に戸惑いを覚えてもいた。 医学が飛躍的に進歩し、医療が大きな変化を始めた頃、私にとっての指針となり、事あるごとに手にしてきたのは、星野一正先生の『医療の倫理』(岩波新書)である。1991年12月20日第1刷である。発刊後12年を経過しているが、その内容は今なお新鮮であり、私は様々な事をこの本から学んでいる。 この本を読む時、これまで新薬の臨床開発という仕事で関わった先生方との思い出が必ず頭をよぎる。ある種の現実感を持って読めるのは、多くの先生方と直接様々な話をする機会があり、そして教えて頂いたためである。仕事とは言え、今思えばこのような経験を得られたことは、私にとって本当にかけがえの無いことであったと思っている。 本を読むことも大事ではあるが、会話はもっと大事なのである。会話の重要性について、例えば福沢諭吉は明治7年の演説で、 学問の趣意は『第一がはなし、次にはものごとを見たり聞いたり、次には道理を考え、その次に書を読む』、と言っている。 最初に会話がある。会話こそ学問の始まりなのだ、と私も思う。そして、この『会話』という行為、特に『話す』という行為こそまさに“OJT”の基本である、と私は思っている。言葉にできない事、その事も『会話をする』という行為があって初めて体感できることなのである。 それはともかく、先生方との会話の中から私が学んだ最も大きなことは、事象あるいは事実と言われるものを様々な角度から見て考えることである。敢えて言えば『とらわれない事』そして『一般的真実だけが真実ではない。その人だけの真実もある』ということである。当り前のような気もするが、『とらわれずに考える事』は実に難しい。これを実行できるのであれば、恐らく誤解も争いも無くなるであろう。 前述の『医療の倫理』においても、著者はこの『とらわれないこと』の重要性を説いているように、私には思えるのである。 そして、とらわれない会話をしようと思えば、最初にそれぞれの考え方の中に流れているそれぞれの文化を理解しようとする姿勢が必要となるであろう。 個人は個人の文化を持つ。そしてさらに家庭、組織、地域、国、世界、と様々な文化がある。医療の世界はこのような様々な文化が重なり合う場であるとも言える。そして文化というものは、残念ながら一定の形をとることなく、具体的に目に見えるものでもない。 元来無口なためか、私は未だに話すことは苦手である。しかしより良き理解のために、そして新しいことを築きあげるために、話すことをもっともっと心がけなければならないと思っている。新しいものを取り入れる時、そこに必要なのは過去の文化の否定ではなく、いかに融合するかであろう。 今年、私は“執着”という行為を捨てることから始めようと思う。残念ながら、せっかく頭に入れた僅かな学問だけは捨てられない。老子のように学問を捨てたら、わたしのおつむは本当に空っぽになってしまう。 先ずはご挨拶である。本年が良き年でありますよう、心からお祈り申し上げます。
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私の競争四態。四季になぞらえ、句に託して書いてみた。競争は嫌いだ、と思ってきたが避けて通れない競争もある。 私は受験勉強が辛かった。だから当時の私は競争なんか大嫌いであった。そのせいか、大学の理学部生物学科に入ったとたん、わざわざ教授室に行き、こんな質問をした。 学び舎に入りて競うは我と我 会社に入り、随分と異動した。その中で臨床治験のモニターという仕事を12年程勤めた。全国の病院を訪問し、先生方から色々な事を教わった。ただし私の方は色々な施設に迷惑をかけ続けてきた。説明不足から医局説明会のやり直しをさせられたり、説明会後の食事に準備した寿司桶をひっくり返したり、出入り禁止になってみたり、お前なんかに担当して欲しくないと言われたり、論文ができあがり、良く見ると大事な先生の名前が抜けて真っ青になったり、であった。時々『良く熱心に通って来るね』と言う先生もいた。でもこれは私がひどい方向音痴で、何度も行かないと道を覚えられないので...。 それはさておき、以前、私が自宅に押しかける度に奥様の手料理をご馳走してくれた先生がいる。美味いから押しかけたのか、来るからしょうがなく料理を出したのか、これは今もわからない。今はもう他界された先生だが、そのお弟子さんで、某病院の院長を勤めている先生と飲んだ事がある。私はその時反省を込めてこんな事を言った。 医の中の 蛙と我は思えども 医師と競わん癒しの道を 3年程前に転居をした。近所で犬を飼っている家が多い。途中、小型だが色具合がハムスターに良く似た白に茶色のツートンカラーの犬がいる。初対面の朝、挨拶のつもりで、『ワン!』と声をかけた。すると突然『ギャン、ワン、ワン、ギャーン』と大声で吠えられてしまった。実に腰を抜かさんばかりに私は驚いた。こりゃーいかん、と私は思い、それから毎日優しく一言『わん』と言うようにした。それにもかかわらず、この犬は私を完全に無視するようになった。いつも無反応で、ワンとも言わず黙ったままこちらを見もしない。でもなぜか私のカミさんには尻尾を振って擦り寄るらしい。それでも私は延々と声を掛け続けている。おかげで犬の飼い主が丁寧に挨拶してくれるようになった。さてどちらが先に相手を理解できるか競争だ、と思いつつ、昨秋も、 秋静か、寡黙な犬とすれ違う 昨年、何故か美味い蕎麦を食いたくなり、蕎麦を打つことを覚えた。でもまだ一人ではできない。蕎麦粉を捏ねた後、包丁を握って指を切り、大騒ぎをしたせいで包丁を握らせてもらえない。茹でるとつい箸でかき回すので、これもだめ。そばつゆは、だしを入れ忘れるので作らなくて良い、と言われた。結局私は捏ねと後片付け専門で、他は全部カミさんがやっている。それでも自分達で打った蕎麦はやはり美味い。 新蕎麦の 香りと打つ手が競い合う |
ある日我が家の食卓に見事な鮎のから揚げが出た。鮎のから揚げは、その生きている姿を想像させる。大学生の息子がこの鮎を見たとたん、『この鮎怖い!』と言う。なぜ、と聞くと『牙がすごい』と言う。確かに鋭い歯が一本一本良く見える。『鮎は岩に生えた苔を食べる。岩にその歯型が残るのだから、すごいのは当たり前さ』と言うと、もう頭からバリバリ食べる音がして『美味い!』と言っている。『鮎の牙よりお前の胃袋の方が余程に怖い』、と僕は思った。しかし、この歯があるからこそ鮎は鮎なのである。 鮎に最も似合いの言葉、それが一所懸命である。私は鮎の姿を見るといつもこの言葉が浮かんでくる。 ところで一所懸命という言葉のことだが、これは一生懸命と同義であり、現代ではむしろ一生懸命と書くのが普通である。しかしこれは誤記である。そして残念ながら誤記が何時の間にか正しいものとして認められた一例でもある。世の中色んな事がある。それはともかく、一所とは土地を意味する。すなわち、自分の土地とそこで働く人々を守るために命を懸ける、それが一所懸命の意味である。恐らくその語源は武家社会の時代まで遡る。自分の一生に命を懸けるのは当たり前。だから私は変だと言われても、いつも一所懸命と書く。そして鮎に一所懸命が似合う理由は、こんな事である。 鮎。不思議な魚である。鮎については、岩波新書、宮地伝三郎氏の『アユの話』に詳しい。宮地氏については、大抵の方はご存知と思うが、日本モンキーセンターの所長と言った方が良く分ると思う。この本の中にも詳しいが、最も良く知られている鮎の習性はそのナワバリ行動であろう。鮎のナワバリとは自分を養える餌を確保できる範囲を意味している。すなわち一匹の鮎の守るべき一所がナワバリなのである。だから、このナワバリに入った鮎を攻撃して追い払う性質がある。これを利用したのが友釣りである。宮地氏によれば友釣りというより敵釣りであり、この釣り方も世界に例を見ないという。思うに一所を守るための攻撃性が、『種の保存』のための特殊な能力として発達してきたものと思われる。そして私が一番驚くのは、鮎が一科一属一種の魚だという事である。この事は、形が鮎によく似た魚は世界のどこにもいない、ことを意味している。見事なまでの頑固さである。種の分化という手段を選択していないということは、環境の変化に対しては自己内部の何らかの変化のみで対応してきたということである。これが一所懸命の似合う理由である。これと対照的なのが鯉科の魚。鯉科は世界全体で200属3000種と言われ、日本列島に自然の状態でいる鯉科の仲間は、7亜科23属52種であるという。この相違は一体何を意味するのであろうか。正に環境に対する進化の多様性を感じさせる。 『琵琶湖の鮎』という小型の鮎がいる。敢えて言えば『琵琶湖に封じ込められた鮎』である。そして地質学上、琵琶湖ができたのは凡そ十万年前という。この事から推測すると、少なくとも何十万年という歴史を通り、今においてなお一科一属一種を通していることになる。私はその姿に守りの美学を見る。遺伝子の為せる技と言えばそれまでだが、私はそこに何故か種としての意思を感じてしまう。 種の存続のため、機能の特殊化や種の分化がもたらされる。それを進化というのだと私は思う。私なりの解釈だが、進化は競争から生まれるものではない。進化とは変化する環境と自己との闘争の中から、種の存続を懸けて生み出した変化の事である。環境は常に変化する。生物はその変化に対応し、対応できなければ絶滅への道を辿る。鮎は恐らく幾多の闘争を潜り抜けてきたのであろう。しかしその変化の形はほとんど表面に出ていない。伝統芸のような、あまりにも日本的な不思議な進化の道である。私にとって鮎は『守ることは闘うことである』事を教えてくれる唯一の生命なのである。 鮎は生まれ、海へ帰り、そしてまた川に戻る。川は閉鎖空間ではない。川は大気に接し、森と大地の栄養を運び、海を育む。この連鎖の中で様々な変化が全ての生命に降りそそぐ。 そして人もまた、襲いかかる変化の時の流れの中で、一人一人が一所懸命である。 <新橋鮎正「のれん春秋」NO.24に寄す。> |
『すべて国民は個人として尊重される。幸福追求に対する国民の権利は国政の上で最大の尊重を必要とする』 日本国憲法第13条である。これは、日本人の理解すべきインフォームド・コンセントの根源的な意味として最も適切な表現であると考え、冒頭に述べた。 日本の課題。その一つがこの“守る”という行為である。例えば、権利の主張と、権利を守る、という事を別なものと考えていないだろうか?。権利を守るためには主張があり、主張無くして権利を守り抜くことはできないのである。 私は自分の何を守り、家族の何を守るのか、会社の中で守るべきものは何なのか?。個々人の抱く幸福は個々に異なる。しかし個々の幸福を追求する権利は公平に分配されているのである。だから、自分の生きる権利を正しく守ることが、家族、友人、同僚の権利を守ることにつながっていく。しかし、そのための努力は能動的でかつ厳しいものがある。 この国にインフォームド・コンセントが導入された経緯を書物から学んできた。そして日本の文化を学ぶ過程で出会った一人に丸山眞男がいる。彼は言う、『この国には本当の意味での保守主義がない。守るべきものは守るという、人間存在の原点ともいうべき思想が真正の保主主義です。保守という行為は、本来積極的な行為なのです』と。 同感である。だからインフォームド・コンセントの導入に時間がかかり、脳死、献体、臓器移植、等々、世界に遅れをとってきた。 もう1人、例えば臓器移植に関して、九州大学生体防御研究所の野本亀久雄教授は、『わが国の歴史を振り返ると、社会レベルで新しい要素をとりいれるとき、急な曲がり方をすれば失敗し、ゆっくり大きく曲がればうまく変化する像が浮かび上がってくる』と、感想を述べている。 同じ事を言っている。この国に新しい文化を導入する時、多くの知識人が日本の根源的文化の壁にぶつかり、思想的に傷つき倒れ、犠牲となる。その後にやっと新たな文化が生まれてくる。あたかも天岩戸伝説のように。日本とは不思議な国である。 私事だが、8月14日、床上20cmの水害に遭った。当日避難、翌日帰宅。そして、『頑張ってるかい?』。『そっちはどうかね!』そんな会話が交わされる。そしてそこには明日に向かう力強い笑みがある。言葉無き、生きる権利の主張である。これが日本なのだ。 インフォームド・コンセントが思想として醸成され、“権利”という言葉を携えて、必ず新たな日本の文化として蘇る。そして個々の人生と共に21世紀へ向かって行く。あくまでも、その足取りは緩やかに。
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