本棚:

 
読む前に

<読む前に必ず読んで欲しいこと>
 かみさんが「本棚」というコーナーを作った。書かないと、ケリを入れる!、というので(*_*);書くことにした。
 読んだ本の紹介でもするか、と思ったのだが、それではつまらない。だから、読んだ本から考えたこととか、連想したことを中心に書こうと思う。従って、本から受けた勘違いはそのまま勘違いとしてここに書かれることになる。僕にとっては、勘違いも、その間は紛れもなく真実なのだから。

 だから、本の紹介というより、その本からこんなことを考えたのだ、というように受け取って欲しい。もし、ここに紹介した本には「こんなことが書いている」ということを他の人に言う場合は必ず原著を確かめて欲しい。ここはあくまでも僕の勝手気ままな本棚である。

 子供の頃、まわりに誰もいなくなっても、本はいつもお友達でいてくれた。そして必ず何かを教えてくれた。これまで、あまりにもいろんなことがあったが、僕にとって本は僕のお友達であり、僕は本のお友達でもある。
 



List
「内部告発と公益通報」 櫻井 稔 著  
中公新書 
1837 2006325日発行
「国家の品格」・他 著者: 藤原正彦
新潮社  2005年11月20日 発行
2005年12月 5日 4刷 2005年12月20日 7刷
バカの壁 著者: 養老猛司
新潮社 新潮新書 2003年4月10日 発行、 2003年4月25日3刷
「天空少女拳T〜X」 著者: 阿木慎太郎
株式会社双葉社 Futaba Novels(新書版)
昭和62年5月10日第1刷発行
「ヒトはどうして老いるのか」 著者: 田沼靖一
     ちくま新書 2002年12月20日第1冊発行
「さんぽけっと」 第20号 2003年1月15日発行
般若心経について書かれた本
計7冊
「そば打ちの哲学」 著者:石川文康
     ちくま新書 1996年11月20日第一冊発行
 「神と悪魔の薬サリドマイド トレント・ステフェン/ロック・ブリンナー 共著
 Trent Stephens & Rock Brynner
 Translated by Noriko Honma
 日経BP社  2001年12月21日
「コーチングの技術」 著者: 菅原裕子
講談社 講談社現代新書 2003年3月20日第1刷発行
「医療の倫理」 著者 星野一正
岩波書店 岩波新書  1991年12月20日 第1刷発行





「国家の品格」
 「流れる星は生きている」 藤原てい 中公文庫 昭和51年2月10日初版、昭和61年11月20日20版
「旅路」自伝小説  藤原てい  1986年7月10日初版、1995年1月30日5版
「若き数学者のアメリカ」 藤原正彦 新潮文庫 昭和56年6月25日発行 平成13年7月5日25刷
「数学者の言葉では」   藤原正彦 新潮文庫 昭和59年6月25日発行 平成14年10月5日11刷
   「数学者の休憩時間」   藤原正彦 新潮文庫 平成5年2月25日発行  平成14年11月15日11刷
「遥かなるケンブリッジ」 一数学者のイギリス
藤原正彦 新潮文庫 平成6年7月1日発行  平成15年6月30日7刷
「父の威厳数学者の意地」 藤原正彦 新潮文庫 平成9年7月1日発行  平成14年12月25日6刷
「心は孤独な数学者」   藤原正彦 新潮文庫 平成13年1月1日発行
「祖国とは国語」     藤原正彦 講談社  2003年4月25日第一冊発行 2003年5月27日第2冊発行
「古風堂々数学者」    藤原正彦 新潮文庫 平成15年5月1日発行
「世にも美しい数学入門」 藤原正彦/小川洋子 ちくまプリマー新書 2005年4月10日初版第1刷発行  2005年5月15日初版第5刷発行                              
藤原正彦、数学者。著者紹介ページには、現在お茶の水女子大学理学部教授、エッセイスト、そして新田次郎と藤原ていの次男、「若き数学者のアメリカ」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞、と記載されている。
 昨年11月に「国家の品格」という本が出た。本屋さんに行ってもなかなか見つからず、見つけた時は第2刷目であった。その後、12月に本屋さんを覗くと、なんと山積みになり、しかも第7刷になっている。やってくれました。国語が大事といい続けて、なん年になるでしょう。おめでとう!と言いたい。察するところ、著者は英語に堪能である。このような人が、「国語が大事」、「日本の文化を大事にしなさい」と言うと、実に説得力がある。残念ながら、英語を話せない私が同じことを言っても、ちっとも説得力がない。やはり英語を勉強せねば、と思う昨今ではある。
 私が、「藤原正彦」という名前を最初に知ったのは、読売新聞の「人生相談」である。確か、最初は藤原ていが担当し、その後、藤原正彦にバトンタッチされたように記憶している。本業がお忙しいようで、藤原正彦として出版されたエッセイの数は少ない。本屋さんに行くと、「藤原」の名前を必ず探すようになってしまったが、残念ながら、小さな書店では藤原正彦の本をほとんど置いていない。
 話が飛ぶが、新田次郎と藤原ていの長女である藤原咲子も「父への恋文」、「母への詫び状」という本を書いている。おそらく父と母の影響があるのだろう。藤原雅彦のエッセイはとても面白いが、父と母の本を読んでから読むと、印象はさらに違う。藤原ていが子供三人を連れ、必死に中国ら帰国したことを書いた「流れる星は生きている」は戦争の悲惨さを知り、そして家族がいかに大切かを考えさせられる。夫と別れ、たった一人で子供3人を連れて、よくぞ日本に帰ってこれたものだと思う。帰国後、たたみの上で食事ができず、庭の土の上でなければ食事を取れなかったということが、私にとって強烈な印象として残っている。藤原ていは、「子供たちへの遺書のつもりで書いた」という。戦争という、現代の日常生活からは、なかなか現実のものとして想像できない話であり、それだけに貴重な一冊といえる。
 藤原正彦の本は、日本文化への郷愁があり、父と母への想いがある。恐らく、藤原家の中で戦争はまだ終わっていないのであろう。そのような環境の中に、恐らく父・新田次郎の武士道が家族の中に受け継がれているように思う。「数学者の休憩時間」という本の中に、サウダーデの石、という副題のついた「父の旅 私の旅」という短編がある。どれ程までに父のことを想っていたのかが、良く理解できる。新田次郎はすばらしい作家であり、そして良き父であったのであろう。私も父にはなったが、果たして子供たちに何を教えることができたのか???1999年夏の水害で、私が読んだ新田次郎の本は、「珊瑚」を除き、すべて流された。買戻しの1冊として、新田次郎の「強力伝」(第34回直木賞受賞作品)を買い、改めて読んだ。父としての書であり、私にとっては過去と異なる感動の1冊であった。 
 記:2006.1.9







「バカの壁」

(平成15年7月4日確認: 2003年6月25日12刷)

てえへんだ!、てえへんだっ!ようろう君がてえへんだ!
かみさんとおんなじ事言ってちゃいかんなぁ〜、と思うが、やっぱてえへんだ?
かみさんに「養老君がてえへんだっ」、と言ったら
「あんた、親しそうに養老君言ってるけど、面識はあるの?」と聞かれ
「僕は、しばしば彼の写真を見かけるので、僕は面識があるっ!」
その後、かみさんは何故か無口になってしまった。

それはともかく、
先週、朝の目覚ましテレビの売れ筋情報で「バカの壁」という文字が見えた。さてはと思い、昨日本屋に行って、この本を増刷状況を調べたら、もう12刷になっている。この本は確か今年の5月中頃に買って下旬には読み終えていたと思う。僕が買った本は、4月10日発行で、同月25日に3刷である。そして6月25日には12刷である。驚異的なスピードと言って良いだろう。題名通りのバカみたいに売れかた? なんでだろ〜?、と思う。普通、題名に「バカ」という名前を入れたりしたら、誰も買わないと思う。
最初に題名を見たとき
「バカ?」、
「こんな名前付けたら誰も買わないよ!」
「ん? 養老くん。それじゃ〜しょうがないか。買ってやるべーか?」
僕が買った経緯はこんなもんである。養老猛司、この知名度があるから、このタイトルで売れる。たいしたもんだぁ〜な、と関心する。養老君は東大を辞めてとても有名になつた。僕は会社を辞めてビンボになった。関係ないか?

さて、本の内容は養老くんの独白を編集部の人が文章化したものだという。そのせいか、結構似たような話が飛び交う。でもまあ、これも養老くんなので良いと思う。

バカの壁というのは、誰もがいつの間にか陥る「思考停止」のことある。「わかった、わかった」と言って、実はわかっていない、そんなことを「自然」と「身体」の関係から説き起こした内容である。確かに気付いていないことと、たくさんの「思い込み」を誰しも抱えている。そして、その「思い込み」のために解決できなかったり、ほったらかしにしていることが沢山ある。僕も「思い込み」が多い。僕も気を付けなくちゃ(・_・)
記:2003.7.6

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 「天空少女拳T〜X」
僕はもともと時代物というか、いわゆるチャンバラ物が好きである。この本を読んだ頃、仕事上もうまくいったりいかなかったりで、気分的にも不安定であった。多少むしゃくしゃした気分もあったのであろう、他の格闘技ものも読んでみたいなぁ、と思っていた。そんな時に手にした一冊であるが、まさにエンターテインメントであった。
著者の略歴は本書第X巻の紹介によれば、「慶応大学卒業後、東宝株式会社へ。宣伝部、テレビ部を経て東宝映画取締役就任。現在株式会社クン代表取締役社長」とある。

それはともかく、この本の題名からはちょっと想像しにくいが、拳法の技というか、格闘場面も何故かリアリティーがある。しかも中身はコミカルな仕立てとなっており、誰でも楽しめるような構成だ。そして適度なハラハラ感があって、しかも妙な安心感のある筋立てとなっている。阿木慎太郎が書く拳法小説で、コミカルなタッチはこれだけである。他は真面目なものが多い。ほとんどが拳法を題材としている。

とても面白かったので、カミサンに薦めたら「面白い」ということであった。そしてある日、女子社員から、「何か面白い本ないですか〜?」という相談があり、これを貸してみた。結果、実に多くの女子社員がこの本を読むことになってしまった。そして、「ほかには何があるのぉ〜」ということになり、僕のロッカーは私設図書館と化してしまった。いつの間にか僕の名前を頭に付けた“○○文庫”という名前が広まり、「○○文庫ってどこですかぁ?」という問い合わせを受けるハメになっていた。『会社の中に施設図書館を作っちゃいかんなぁ〜』、と思いながら、僕のロッカーは本だらけになっていったのである。これは、ないしょっ!です。でも、もう会社辞めちゃったから、時効かな?

阿木慎太郎という作家は不思議な作家であり、新刊を出すと、その本はいつのまにか短い間に店頭から消え、手に入らないことになる。この「天空少女拳」も残念ながら既に絶版である。一度文庫化されたのを覚えているが、その後、この本を見かけない。
記:2003.6.30


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 「ヒトはどうして老いるのか」
        著者: 田沼靖一
        ちくま新書 2002年12月20日第1冊発行
 筆者は東京理科大学薬学部教授である。冒頭にシェークスピアの「お気に召すまま」の一節を引用しているのがとても気に入った。
生と死のメカニズムについて、遺伝子を研究してきた立場から、実にわかり易く解説している。遺伝子関係の本がたくさん出ている中、読みやすい一冊である。

 生と死、人間にとっては何時までも続く命題なのだろうと思う。今、遺伝子の解明が進み、人為的クローンも可能となった時代である。そして科学の対極にあるのが宗教なのだと思う。現代において、科学と宗教と、その思想において、今やっと融合を始めたように思う。それを強く感じさせる内容であった。
 宗教は、「人は如何に生きるべきか」を問い、科学は「何故?」を問い続けてきた。物質的繁栄はその結果である。そして今、科学は「ヒトは如何に生きるべきか」を正面から問いかけられている。

 それはさておき
 40代後半になったとき、僕は“老化”ということを意識するようになった。それは「
すべてが、これから衰えるのか?」という疑問である。だから、自分に対していろんなことを試し始めた。
 今、自分の中で衰えているものは多い。しかし、自分の中で着実に成長しているものもある。特に、本あるい文化、ということに接した時の理解力は、今までよりも着実に上がっていると感じる。だから、そういう意味の年を経る期待と楽しみは、不思議に今も持っている。

 よく言われることで、
 “語学力に年齢は関係ない”、ということがある。実際本当かどうかは知らない。おそらく、多くの人の経験として言い伝えられてきたものであろう。デマを信じているだけかも知れないが、僕は本当だと思っている。しかし当時、僕は何より自分自身の記憶力の低下が気になっており、自分の記憶力を確かめたくて、突然ドイツ語の勉強を始めた。その後、単語の記憶よりも、その言語の持つ文化に魅せられていく自分があった。若い頃には無かった感動である。語学力=記憶力 ではない、と思う。(
決してドイツ語ができないことの言い訳ではない!

 さて僕のドイツ語の習熟度はさておき (^.^;)、歳を経て成長を続けるものがある、ということの裏づけが、この本にも書いている。老いることと、衰えることと、成長することと、すべて同時に進行しているのである。だから、歳を経る楽しみはある。それを新ためて認識した。それにしても、“生”とは、本当に不思議なメカニズムである。

 <抜粋>
本書p186-187
〜。しかし一方で、歳を重ねると、ものの本質がよくみえてくるようになるのではないでしょうか。実際に、老いることによって新たに生まれてくる知能、“知性”というものがあることが最近わかってきました。
 私たちの脳が行っている知能や能力といわれているものには二つの種類があります。その一つは「
流動性知能」と呼ばれるものです。もう一つは「結晶性知能」と呼ばれています。

 「流動性知能」というのは、学習によって身に付く能力で、記憶力や計算力といった知能です。これに対して、「結晶性知能」は経験や知識、その蓄積から生まれてくる知能、というよりもむしろ“知性”といえるものです。これは判断力とか発想力、あるいは統率力といった高度な知力です。さらに先見力、あるいは直観力も含まれるでしょう。〜
記:2003.5.4

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 「さんぽけっと」 第20号 2003年1月15日発行
主要民営駅においている無料の冊子である。今回、このアンケートが面白かったのでちょっと紹介しておく。
思ったことは
「常識」いうことである。僕の感覚は世間の常識と違うのであろうか。いや、アンケートの方法にも問題があったかもしれない、と僕は思うのだが、はて...。
日本民営鉄道協会という社団法人がある.
この法人が発行している冊子に「さんぽけっと」という季刊誌がある。ホームページにも掲載されているので、誰でも読める。ここが行った車内迷惑マナーに関するアンケート結果が面白い。なんとなんと、僕と全然違うのである。

アンケート方法の詳細はわからないが、以下のような結果が掲載されていた。
1位:携帯電話の使用(775通)。

2位:座席の座り方(360通)。
3位:電車内で騒ぐ(166通)。
4位:たばこについて(154通)。
5位:電車の床に座る(153通)。
5位:乗降時のマナーが悪い(153通)。
     主にいわゆる「割り込み」のこと。
7位:荷物の持ち方・置き方(145通)。
     主にリュックサックや大きな荷物のこと
8位:女性の化粧(85通)。
9位:環境美化に努めない人が多い(79通)。
     主に車内でのゴミ捨て。
10位:ヘッドホンがうるさい(37通)。
以上である。

とにかく携帯電話に関する苦情が圧倒的に多い。それはともかく、まあ敢えて言えば1位と3位と10位が音に関することであり、これをまとめると978通になる。電車の中で不快に感じるのは「騒音」ということになる。この数は他の項目に比べると圧倒的多数を占める。しかも驚いたことに(驚くのは私だけかもしれない)問題は騒音の種類ということかな?

さて、僕が「迷惑な奴だ」と思うのは、以下の通りである。そして、あくまでも僕一人の心の中でのことである。
5個しか思いつかないが、カッコ内に上記民鉄のアンケート結果の順位を示し、対比してみた。

1位(7位):リュック
 僕は、とにかくリュックが嫌いである。とにかく車内では邪魔!ただし山の中、あるいは、人の少ない場所でのリュックは別。大きなリュックも小さなリュックも嫌い。特にお年よりのリュックは危険きわまりない。力の入り具合では簡単に転倒してしまう。混雑した電車で目の前にきたリュックは脇から体重をかけて隣の人に預けることにしている。上り階段で目の前にあるリュックはぶら下がりたくなるが、危ないので我慢している。ホームで目の前を歩くリュックにはケリを入れたいが、今通風発作が起きてるので、やはり我慢している。

2位(項目なし):新聞の音
 やっとの思いで電車に座り、ムツカしい本を手にうとうと始めた時、“
バサバサバサバサ”という新聞の音。こうなるともう眠れない。時に前に3人並んでこれをやられると、たまったものではない。僕が座ると何故か新聞オジ、新聞オバが前に立つ。嫌がらせとしか思えない。僕は世間に嫌がらせをした覚えはない! しかしよく周りをみると、この状態でも寝てる奴もいる。不思議なものである。

3位:(項目なし)はなホジ
 これも何故か、電車の中座っているオジがよくやる。自分の指で、鼻の穴をお掃除している人
(まあ他人の指でやってるのを見たことは無いが)のことである。腕をつかんで思いっきり上に上げてやろうか、と思うことしばしである。何故か僕のそばにこういう奴が多くいる。これも嫌がらせとしか思えない。こういう奴が僕の真ん前にいる場合はとにかく必死で避ける。なぜか気にせず前に立っているお嬢様は結構多い。気にしてない、というより、多分気付いてないのであろう。これをやる奴は結構長時間飽きずに何度も何度も続けている。僕も飽きずに見てるということか?

4位(3位):酔っ払い集団の会話
 めったに遭遇しないので、僕にとっては4番目程度の迷惑度である。それにしてもうるさい。でも、僕も酔っ払うと、何故か同じ事をやってる。ゴメンなさいです。

5位(項目なし):座席のチャージ宣言
 これは家族連れ、オバちゃん友達組に多い。“途中で降りそう?”と思う人の座席の前に立ち、想像通り相手が降りようという仕草をしたとたん、僕は心の中で「わーい、わーい」と思う。すると、その隣の御人が「ここ、ここ!、ほらここ、ここ!ここよ!」などと、にわとりみたいに雄たけびを上げる。僕は急に疲れがどっと出て、思わず倒れそうになるのを我慢するしかないいのである。こういう場面、僕には多いのである。なんでかなぁ〜??
以上が僕にとっての迷惑行為、相手にとっては迷惑好意かもしれないが。フン!、である。

ついでに民鉄結果に対する僕の感想
1位:携帯
   何故か、ほとんど気にならない。
2位:座席の座り方。
   僕は座席に隙間があれば遠慮なく割り込んでいる。投げ出された足は何気に踏みつけている。当然強そうな  お兄さんには、笑顔でゴメンナサイを心がけている。
3位:電車内で騒ぐ
   早々に別の車両に移ることにしている。
4位:たばこについて
   迷惑と思うのは路上での歩きたばこである。ホームではマナーが守られている。
5位:電車の床に座る
   僕の乗る電車は、やたら込んでるか、妙に空いてるか、どちらかである。従ってあまりこの光景に祖遭遇しない。
   見かけることはあるが、そういうときは電車が空いてるので気にならない。
5位:乗降時のマナー
   並んでいるのは関東である。結構お行儀が良いと思う。大阪は並んじゃいない。でもそれなりにマナーがある  ように思う。一度大阪の乗降時の様子を見に行かれると考え方が少し違ってくると思う。
7位:荷物の持ち方
   なんで一位ではないのだ!あ〜腹が立つ
8位:女性の化粧
   見てて飽きない。あの小物の多さ。そしてその使い方。職人芸ともいえる動き。とにかく見てて面白い。
  こう思うのは僕だけであろうか?
9位:車内でのゴミすて
   隣にポイ、してるので気にならない
10位:ヘッドホンの音
   最近、ヘッドホンの仕様が良くなったのか、音もれが少なくなったように思う。またかつてに比べヘッドホン組  は減少中と思う。最近増加中なのは、ケータイメール操作、ケータイゲーム、ゲームボーイ、などである。
記:2003.5.4

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 般若心経について書かれた本

以下、順不同

1)般若心経90の知恵
  276字にこめられた生き方の真髄
  公方俊良 著
  三笠書房 知的生きかた文庫 2001年6月5日 第28刷発行(第1刷1985年12月10日)
2)「図解」般若心経のすべて
  花山勝友 監修
  光文社 知恵の森文庫 2001年11月15日 初版1刷発行
3)「般若心経」を読む
  紀野一義 著
  講談社 講談社現代新書 1999年7月23日第39刷発行(第1刷1981年2月20日)
4)般若心経講話
  鎌田茂雄 著
  講談社 講談社学術文庫 2001年3月21日第28刷発行)(第1刷1986年9月10日)
5)般若心経
  金岡秀友 校注
  講談社 講談社学術文庫 2001年4月10日 第1刷発行
6)般若心経入門
  松原泰道 著
  祥伝社 Non Book(新書) 平成13年4月10日 234版発行(初版:昭和47年5月10日) 
7)寂聴 般若心経 生きるとは
  瀬戸内寂聴 著
  中央公論者 中公文庫 2001年9月20日10刷発行(初版1991年10月10日)


 いやはや、よく読んだというかよく見たというか、般若心経の本は実にたくさんある。そしてどんどん重刷されている。著者がすごいのか、心経がすごいのか、何なんでしょうか。このうち途中までしか読んでないのが1冊ある。
 このリストを見た人は、「これだけ読んだら、さぞかし良く理解できたのであろう」と、感じると思う。
 結論は、「読んではみたが、全然わからん」のである。

 わかったことは、
 「経は、今生きている人のためにある」、ということである。決して「あの世のこと」を説明しているのではない、ということである。そして、その役割は「人はいかに生きるべきか」ということを「その人なりに考えていくように」アドバイスすること、のように思える。

 経が難解であるのは、その言語にある。この経は、西遊記でご存知の三蔵法師がインドに行き、サンスクリット語あるいはパーリ語で書かれたものを中国語に翻訳したものである。当然訳せない原語もあり、それはそのまま中国語の当て字となる(日本語の場合で言えば、英語をカタカナで表現するようなもの)。
 例えば「般若」とはサンスクリット語の「プラジュニャー」であり、パーリー語の「パンニャー」である、という。その意味は著者により若干異なるが、僕には「大いなる知恵」という訳語が良いように思う(根拠は無い)。
 これが日本に渡り、漢字かな混じり文として読まれるようになる。従って日本人の頭の中では(というより僕の頭の中かもしれない)、中国語の音読みと日本語としての“漢字”の意味がゴッチャになる。日本語としての経は、パーリ語あるいはサンスクリット語の中国式音読み、翻訳された中国語、思い込みとしての日本語、これらが入り混じる、という現象が起きる。これが難解となる一つの理由であると思う。

 話は飛ぶが、もう一つわかったことは
 「いわゆる二元論の否定」という考え方が基本になっているということである。すなわち東洋思想の基調を為すものが、この「二元論の否定」であり、これが日本人の中でこの経が根強く支持される理由の一つではないかと思っている。

この般若心経を読むとき、僕の頭の中に浮かぶのは、賛美歌“Amazing grace”である。内容が、この心経にとても良く似ていると感じるのは僕だけであろうか? そして今の僕は、寂聴さんの本がとっても好きである。



Amzing Grace (CD:『アメイジング・グレース』 シセル・シルシェブー、より)

Amazing grace
how sweet the sound
that saved a wretch like me
I once was lost
but now I'm found
Was blind but now I see

Twas grace that taught
my heart to fear
And grace my fears relieved
How precious did
that grace appear
The hour I first believed

Through many dangers,
toils and snares
I have already come
this grace has brought
me safe thus far
And grace will lead me home.
記:2003.5.4



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「そば打ちの哲学」

この本は実に面白い。
僕も、年に数回だが、そばを打つ。信州の某製粉所からそば粉を取り寄せる。しかし、残念ながら、未だ僕一人で全工程をやったことが無い。生来のブキッチョで、やはりカミさんの手助けがいる。特に包丁さばきは危なくて見ていられないようである。そのため僕は、捏ね、茹で、後片付けを受け持ち、カミさんは伸し、切りを受け持つという奇妙な役割分担かができてしまった。
カミさんは
『あんたのおかげで仕事が増えた!』と、時々怒る。でも怒りながらも手伝ってくれるので、僕としては小さくなって粉を捏ねてれば良いのである。粉が丸くなればカミさんの気持ちも丸くなる。でも茹でると、そばは角がでてくるので、茹で上がったらさっさと食することにしている。僕は食えれば良いのである。

ところで本のことだが、そばの作り方がこの本の半分、残り半分が筆者の「そばにまつわるエピソード」という構成になっている。従って、そばの作り方を知りたい方は、半分だけ読めば良い、ということになる。「作らんでもえーわい!」という方にも、さすが哲学者だけに、読ませるツボを心得た書き方をしている。それなりに面白い。
例えば、筆者がそば打ちを教えるとき、筆者はまず、粉に直接手を触れさせるのだという。そして相手は何らかの「驚き」の表現を示すという。

このことについて、
「デカルトがいみじくも言っているように、驚きとは、もっとも根源的な独立した感情で、それと対をなすものはない。喜びは悲しみと対をなし、愛は憎と対をなすが、驚きだけは独立しており、「対」」をなすものがない。(〜省略〜)。驚きが強いほど、探求への衝動も大きくなり、進歩も早い。アリストテレス以来、驚きは哲学をはじめ、あらゆる探求の根源である。そのため、筆者はまず驚いてもらうことにしている。」という具合である。実に説得力があり、少しお利口になったような気持ちになる。

余談ではあるが、
なるほど、ではこれから、自分から積極的に驚くようにしよう、と決心してみた。しかし、どうも歳のせいか、あんまり驚かない。困ったものである。

そば粉は不思議である。その産地と製粉所の方法によるのか、手にした粉は全て性質が異なる。そして、この本にも述べられているが、季節、室温、湿度、これらの影響を確かに受ける。だから、経験が必要になる。理屈だけでなく、経験を必要とするところに、そばの面白さがある。
記:2003.5.5


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 神と悪魔の薬サリドマイド」
    Dark Remedy
    The impact of Thalidomide and its revival as vital medicine
帯封(表)「40年前、世界に薬害をもたらした薬が、難病患者の希望の光として復活した」
帯封(裏)「ハンセン病、骨髄腫、壊疽性膿皮症、炎症性腸疾患、円板状エリテマトーデス、カポジ肉腫、ベーチェット病、各種の癌や自己免疫疾患…。これらの病気で他の薬が効かない患者は、今もサリドマイドを使っている。同じ効果を持ちながら副作用のない新薬ができる日まで。」

[薬害について]
まだ1/3程度しか読んでいない
サリドマイドの復活ということが無ければ、私はこの本を手にすることも無かったであろう。この薬剤が催奇形性という作用を持つことに気付かず、安全であるという思い込みから46ヶ国で発売され、恐らく世界最大級の被害をもたらした。それにしても衝撃的な内容である。この本の概略は帯封が的確に伝えている。

「漢方薬といえども、最初は危険であった。我々は最初に何があったかを知らないだけである」という話を聞いたことがある。いつ誰から聞いたものか?思い出せないが、危険を伴わない薬剤は無い、ということであろうか。薬剤だけでなく、ヒトが持つ思い込みの怖さを改めて思い知らされた一冊である。ヒトは“考える”ことを知っているだけに、間違ったことでも一度思い込むと、なかなか訂正できないものである。そして、この本の中には、薬剤の開発に伴うあらゆるものが凝縮されている。

医薬品の開発という領域において、
第二次世界大戦の経緯とともに、このサリドマイドの薬害に関する歴史的経緯について、様々な角度から検討し続けることが求められているように思う。
この本には、戦争、利益、科学、倫理、行政、法、裁判、動物とヒトの違い、ジャーナリズム、権利、福祉、家庭、ありとあらゆる問題が提起されている。そして現代において、科学、行政、法そして倫理が向上しているとはいえ、『このような事が再び起こることはないのだ』と、誰が断言できようか。真実を求める謙虚な姿勢と、どんな人の言葉も素直に聞く、という行為が何より大事であるということがここに述べられている。

この薬剤の復活については、読み終えてから述べてみたい。
記:2003.5.5


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コーチングの技術
 僕は講談社の「本」という宣伝雑誌を定期購読している。その中にこの本の紹介があった。通常この類の本は敬遠するのだが、今回、妙に気になるものがあり、買ってしまった一冊である。実は、何が気になっているのかがわからないのである。読んだあとでもわからない、という状態に陥り、少々気持ちをもてあましている。

本の内容は、「人の能力を認めることを基本に、社員の自立を促し、ビジネスを活性化するためのカウンセリング技法」、であると思う。クリアカットな事例説明で、内容はわかりやすい。
 話は変わるが、人事評価の問題がある。近年、年功序列は時代に合わないという考えから絶対評価という方向に変化しつつある。絶対評価という技法に関する専門家の説明は、実にクリアカットであり、聞いているうちはとてもすっきりする。しかし何故か時間経過とともに奇妙な違和感が残り、かつ増幅する。
 僕は、理解できないことがあると、その原因を考えるために、一度極論を想定する。絶対評価をつきつめて行くと、主観的評価はゼロに近づく。すなわち評価の責任は上司ではなく評価基準にあるということになる。すなわち絶対評価を進めすぎると、上司の評価責任が消失するということであり、その弊害が懸念される。
 結論をいうと、人事評価はいわゆる絶対評価と主観的評価のバランスの上になりたつものであり、まず議論すべきは、それぞれの職場にあった評価バランスを話し合うべきであろうと思っている。このことを述べられないことが、絶対評価に対して僕が抱く違和感の原因であろうと思っている。そしてこの事をきっかけに、僕は「クリアカット」なことに対しては警戒心を抱くようになってしまった。
 話は元に戻り、この本についても同様ではないかと思っている。クリアカットなところが奇妙に似ている。クリアカットであることは、ビジネス上の全ての問題を解決できるような錯覚を持ってしまう。このことがこの本に対して僕が抱く不協和音の原因なのかも知れない。しかし、様々なことを考えさせられる一冊としては、確かに価値はあった。贅沢を言えば、ビジネスの場でコーチングの必要なバックグラウンドをもっと分析した上で、このコーチングが有効となる条件を示して欲しかった、ということである。それにしても、随分とコミュニケーションのとりにくい世の中になったもんだと思う。この本とは関係ないが、「話せばわかる」、であるならば、さほど苦労は無い。ぼやきである。
記:2003.5.25


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医療の倫理

「医学」というより「医療」ということを考える場合、とても参考になる。患者のいる医療の現場の立場から、医療について一般向けに説明した最初の本ではなかろうか、と思う。人の持つ権利という意味を、医療の歴史を通して丁寧に教えてくれる。
僕は、この本を読んでから随分と考え方が変った。医療の考え方は医療だけのものではなく、日常生活の様々なところで役に立つ。そのせいか、初版からもう12年も経つということに、ある意味妙な現実感を覚えている。それにしても、何度読んでも、そのたびに新鮮なものを感じる。そういう本である。

この本を計3冊購入した。それだけ気に入っているということでもある。最初の1冊は、当然僕が読むためであり、2冊目は、かつて僕が働いていた職場で、多くの人に読んで欲しいと思い、紹介するために購入した。本を貸して紛失しても困らないように、ということが理由である。結局、いつのまにか、いずこかに行ってしまった。まぁ〜いいか、である。もう1冊は、医療ということを勉強している方に、プレゼントした。

僕はこれまで、様々なお医者さんにお付合いを頂いた。僕自身にとって、その影響はとても大きい。根本的に、お医者さんは人が好きである。だから一人一人を大事にしている。そのことを良くわかったのもこの本である。

そんなことを知らない子供時代、僕にとってお医者さんというのはとても怖い存在であった。なにしろ熱を出すとすぐにお尻に注射をする。僕は嫌なので、騒ぐわ、逃げるわ、外来は大騒ぎということになる。ひどい時は大人3人に押さえつけられたこともある。押さえつけられながら「ほーら良い子ね〜?」とか言う声が聞こえてくる。その声を聞きながら「そう思うなら、どいてくれ〜!」と思ったことを何故か今でも鮮明に記憶している。ということで、僕はお医者さんも、看護婦さんも、嫌いであった。

この本を読んでから、医療に対するこのようなイメージはもう消えてしまったようである。21世紀を迎え、医療は本当に大きく変化したと思う。その変化の様子を医療現場の様子を通して説明したすばらしい1冊である。でも未だに増刷が無い。あまり読まれていないのであろうか。もしかすると「倫理」という言葉が邪魔しているのかも知れない、と思う昨今である。僕は今でも、この本をたくさんの人に読んで欲しいと思っている。
記:2003.6.1


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「内部告発と公益通報」
―会社のためか、社会のためか―


 
 櫻井 稔 著  中公新書 1837 2006325日発行
200641日、「公益通報者保護法」が施行された。この法についてその意味するところを歴史的背景、世界の文化的背景の基に説明しているのが、この本である。読み始めて感じたのが、“筆の運び”の見事さである。この法について「この法を知らない」人に説明することはとても難しい。この本を読んだからといって、説明できるようになると思われても困るが、読んだ人には十分に納得できる内容と構成になっている。
著者については、「群馬県生まれ、67年、労働基準監督官として労働省に採用され、同省労働基準局監督課等勤務ののち、退職、現在、人事コンサルティング企業RRC代表」とのみ記載されている。相当な知識と分析力旺盛な方と思われる。何者なのかわからないところが、また魅力でもある。
法は固いイメージがあるが、人が社会生活を営む上でなくてはならないものである。言い換えると、静かで平和な生活を確保するために、人々が定めた共通のルールであると言える。従って、法が生まれる背景には、人々の様々な人間としてのドラマがある。
それはさておき、昨年夏、この法の名前を見た時、とても“奇妙な法”に思えた。
「何なのだ?...、これは??」、である。
「でも、面白そうだな」、という気持ちも起きた。
昨年、当局の説明会があるので聴きに行った。インターネットで資料は見ていたので内容として特に新たなものは無かったが、この法に対する印象は変わらなかった。
一言で言えば、「法を守るための法」である。違法と考えられる行為の確認、あるいは違法行為を是正するための“社内システム(公的機関も同様)”の設置を、法によって定めた、とうことであり、誠意を持って違法性を指摘した者には誠意を持って回答せよ、とも解釈することができる。
個人的には、とても大事な法である、と思っている。問題はこの法の運営であろう。この後どのような経過を辿るのか、とても気になる。
2006427日付にてWeb上に公開されたアンケートがある。調査期間は200633日(金)〜36日(月)。Yahoo!リサーチモニターを利用したようであり、対象(従業員数100人以上の会社に勤務している全国に居住する15歳以上の者)6768人中回答4875名、と報告されている。
「あなたは、公益通報者保護法について知っていますか」という質問に対し、良く知っている1.7%、ある程度知っている20.9%、知らない77.4%であった。以下に続く質問は保護法の内容の理解度に関する質問であり、当然、知っている者とある程度知っている者が対象である。
問題は2つある。1つは、法施行後、7割以上の人が“知らない”、という法であること。2つ目は、「この法を理解すべき者」を対象としてアンケートが実施されたのかどうかが不明であること、である。すなわち、「この法を理解すべき人は一体誰なのか」、明確となっていない点にある。
昨年、全国的に有名となった「個人情報保護法」と、世間の対応が極端に異なる法である。この違いは一体何を意味するのであろうか。
この法は罰則を持たない。本来、罰則無く守られる法こそ、法として最も美しい形態であろうと思う。

 
記:2006.5.5

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