飯玉神社(堀口)

飯玉神社

いいだまじんじゃ

鎮座地
 群馬県伊勢崎市堀口町472番地

主祭神
 宇気母智命(うけもちのみこと)
 大国魂命 (おおくにたまのみこと)

由緒
 当社の歴史は古く、第27代安閑天皇の元年、国主が丹波国笹山より保食命を迎えて奉斎したのを起源とする。孝徳天皇の御代(645−654)には国主が奉幣の式を挙げ、寛平元年(889)には御霊神鏡を下し賜って神霊代(みたましろ)として奉斎したと伝えられる。長元4年(1031)2月、郡司に命じて神殿を改築させ、皇運無窮・国家安泰・五穀豊穣を祈願した。康平5年(1062)には源頼義が奥州鎮定の途次に越月の神嘗祭の式を行い、凱旋の際にも奉幣された。嘉応年間(1169−71)に至っては、藤原秀郷の末裔那波太郎広純がこの地を領し、氏神と崇めて社殿を修理し、神田を寄進される。元暦元年(1184)、領主の広純が源義仲とともに近江の粟津で滅亡し、建久2年(1191)に大江広元の庶子那波政広が当郡66ヶ村を領してこの地に築城したとき、飯玉神社を氏神として崇敬するとともに神領を寄進し、古代神事を斎行した。那波氏が滅んでからは、前橋城主酒井氏の庇護を受け、寛永5年(1628)には神殿の修理ならびに神領の寄進がなされた。
 明治6年に村社に列せられ、同41年境内末社古峯神社・秋葉神社・菅原神社・神明宮、町北の菅原神社を合併して現在に至る。

伝承
 社伝によれば、寛平元年(889)国司の室町中将が現在の地に当社を再建したという。この年は長く続く天災を憂いた国司が、悲嘆のあまり救いを天照大神に祈ったところ、瑞夢の神勅を得、それに従い飯玉大明神(保食神)を祀った。国司・領主の当社への崇敬は特別なものがあり、以後豊凶の年にかかわらず、当地の作柄は一定しているという。 さらんい、応仁戦国以来荒れ果ててしまった領内のありさまを憂いた那波氏が、上野・武蔵の両国に当社を本社として末社99社を分祀したと伝えられる。

 

玉村町内の飯玉神社

 

祭日
 2月3、4日(節分 追儺祭)
 4月3日(春季例祭)
 6月30日(大祓式)
 7月24日(八坂祭)
 10月17日(例大祭)
 旧10月末の午日より翌月の初午日(神集祭、ムギマキゴジンジ)

 


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