
| 030112 「島唄」と沖縄戦(2) | |
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■ 「島唄」と「ひめゆり学徒隊」
宮沢さんは、「ひめゆり平和祈念資料館」で「ひめゆり学徒隊」の一員だったおばあさんの話を聞き、ウージの森(サトウキビ畑)の下
のガマ(防空壕・野戦病院)で「立てこもり体験」をしたそうです。それが「島唄」の着想となりました。
私も昨年、修学旅行の引率で「立てこもり体験」をしました。割れた瓶や医療器具などが当時のまま残る狭く足場の悪い通路を抜ける
と、やがて広い空間に出ました。そこで懐中電灯を消すと漆黒の闇。その闇の中でひめゆり学徒隊の女学生が、負傷兵の手当をしたり、排泄物を処理したり、遺
体をガマの外に運び出したりする姿が、60年近い時を超えて見えた気がしました。
ひめゆり学徒隊の女学生たちは、米兵による毒ガス(当時すでに化学兵器は禁止されていた)のために命を落としたり、守ってくれるは
ずの日本兵に「砲弾の雨の中」へ追い出されたり、一つ残った手榴弾をみんなで囲んで集団自決したりしました。
宮沢さんもまさにその場に立ったとき、どうしても沖縄音階で曲を書き、思いを伝えたいと考えたのでしょう。
「今度来るときまでに曲を作ってひめゆり学徒隊の語り部のおばあさんに贈りたいと思った。」と宮沢さんは語っています。
私は「島唄」を、沖縄音階を使い奇をてらって作られた単なる「ラブソング」と思っていたのですが、そうではなかったのです。そう
思って歌詞を読み返すと、胸が締め付けられるように痛みます。ここで歌詞を引用したいところですが、著作権の侵害になるのでできません。みなさんももう一
度歌詞を読み返してみてください。(上の写真に歌詞の書いてあるサイトをリンクしました。歌詞を読みたい方はクリックして下さい。)
■ このまま永遠に夕凪を
歌詞の最初に登場する「でいご」は5月頃咲く沖縄の県花です。「でいご」の花の咲き方でやってくる台風が多いか少ないか占えるそう
です。
その年(1945年・昭和20年)「でいご」が呼んできた嵐は「砲弾の暴風雨」でした。
「千代にさよなら」「八千代の別れ」は永遠の別れ・理不尽な死別のことですが、同じ「千代に」「八千代」でも「君が代」とは対照的
です。宮沢さんも「君が代」を意識して作詞したものと思います。曲も、この部分は沖縄音階ではありません。
「このまま永遠に夕凪を」は、なくなった方の「穏やかな眠り」を意味するのでしょうか、平和が永遠に続くようにという願いでしょう
か。
突然曲調が変わる部分は、ウージの下(ガマの中)での、人の出会いと悲惨な別れを歌った場面です。今なお米軍基地が残り、まだ戦争
の傷の癒えていない沖縄の現状を重ねると、「とても沖縄音階では歌えなかった」と宮沢さんは語っています。
たとえば「さとうきび畑」(もちろん名曲です)などと違って、「戦争」の「せ」の字も出てきませんが、そこが宮沢さんのすごいとこ
ろだと思いました。(「長い間気づかなかったくせによく言うよ」というツッコミが聞こえてきそうですが、どうかご勘弁ください。)
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