
| 030111 「島唄」と沖縄戦(1) | |
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■ 「島唄」ふたたび
昨年、サッカーワールドカップでthe Boomの「島唄」が再び注目されました。
「島唄」がリリースされたのは1993年ということですから、もう10年も前のことです。
そのころ私は「いい曲だ」とは思いましたが、あまり好きではありませんでした。「沖縄の言葉や沖縄音階を飾りのように使った別れの
曲」くらいにしか思いませんでした。作ったのも沖縄の人ではないし、「まがい物」といった印象を持ってしまったのです。
ところが昨年、それがとんでもない誤解であったことを知りました。
確か「24時間テレビ」だったかと思うのですが、宮沢和史さんが「島唄」を作ったいきさつや思いを語っていました。
「沖縄の人にとって『島唄』は大切な心の唄。それを沖縄出身でもない自分が作ってよいものだろうか」と悩み躊躇して、喜納昌吉さん
に相談したそうです。「音楽では魂までコピーしたら許される」という返事だったそうです。宮沢さんはまさに魂を込めて「島唄」を作りました。
■ 沖縄の人たちは
しかし最初、特に島唄や三線を教える立場の人からたいへん非難を浴びました。「島唄」は沖縄の人にとって「沖縄の唄」そのものを指
す言葉です。沖縄の人たちにとって魂の唄である島唄を、「本土」の人が、よりによって「島唄」という題名で作り、歌っているというので驚くと同時に、不快
感を抱いたのでしょう。
歌詞の内容も問題でした。
地元の人からすると、「今時、さとうきび畑で恋人に会い、さとうきび畑で別れをするなどなどあり得ない。本土の人が観光気分で作っ
た非現実的な歌詞だ。」というのです。実は私もそういう情景を歌ったものだと思っていました。
しかし、「島唄」がヒットすると沖縄の若い人たちが、是非「島唄」を習いたいとたくさん訪れたそうです。最初「あんなのは『島唄』
じゃない」と禁止していたそうですが、徐々に沖縄の人たちに受け入れられ、現在ではれっきとした「島唄」の一つとして認められるようになったそうです。
それは、単に曲が全国的にヒットして若い人に受けたというだけではありませんでした。宮沢さんが悩み躊躇しながらも、なぜ「島唄」
を沖縄音階で作ったか、その思いが沖縄の人の理解と共感を得ていったからでした。
「島唄」は途中突然、沖縄音階でないフレーズが出てきます。私が「まがい物」と感じてしまったのもそのためでした。
宮沢さんは、「どうしてもそのフレーズは、沖縄音階では作れなかった」といいます。
なぜでしょう。
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