Diary
前言
更新記録も兼ねて、つれづれなるままに、断片的なる文を記すことにした。
1999年4月6日
so-netに、「ホームページ開設」を申し込む。よって、この日を我がウェブの誕生日とする(それ以前は妊娠期間ということになる)。
今日、開設したといっても、ファイルをサーヴァーにアップロードできたのは、午後6時近くになってから。Netscape Composerを使ってアップロードしようとしても、なかなか上手くいかず、so-netのテクニカル・サポート(それにしても何であんなに電話が混んでいるのだ!?)に電話をしたら、専用のftpソフトを使いなさいとのこと。それで、
「窓の杜」から、「小次郎」をゲットしたら、あっさりとアップロード成功。その後も、htmlとすべきところを、HTMLとしていたとか、細かいミスはあったけど、煩雑&恥ずかしいので、割愛。
夕刊を見て吃驚!
「フォーク歌手」の西岡恭蔵さんが自殺したというではないですか。
私は、つい最近、カラオケで「プカプカ」が唄いたくなって、何でカラオケにないの?と一人訝っていたのですね。このことを、Kate Bush-MLに投稿したら、西岡さんの死を気にしていた人が数人いた。
1999年4月7日
Guestbookを設置しました。
そういえば、朝メイル・ボックスを開けたら、某メイリング・リスト経由で、HAPPY99というウィルスが届いていました。勿論、開いたりしないで、すぐにdeleteして、またすぐにtrash boxを空にしましたけど。
前日分で、「Kate Bush-MLに投稿した」と書いたのですが、メイルのヘッダをよく読み直してみたら、別のML(kero)でした。ありゃあ。
尚、澤田さんという方によると、西岡さんのウェブ・サイトはここ。
本格的に風邪を引いたみたい。喉のいがらっぽさ、節々の痛み、それから鼻水という定番。
1999年4月8日
風邪の方は、ベンザ・エースのおかげで、かなり症状は緩和したものの、鼻水はまだ止まらない。
リンクを拡充。
また、去年の東洋大学西山ゼミでの報告を2本アップロードしました。こことここ。
ところで、経済関係者が使う「投資マインド」とか「消費マインド」という言葉、何とかならないのか。
1999年4月9日
相変わらず、鼻水は止まらない。しかしながら、煙草の味は恢復。
黒木さんから、ファイルの色指定が間違っているとの御指摘。
『経済セミナー』1999年3月号の「アマルティア・セン特集」を読む。半分は、来週の社会福祉の授業のための仕込みとして。capabilityの剥奪としての貧困について言及しようと思う。
深夜(もう10日になりますが)、BSで、ルイス・ブニュエル監督の『アルチバルド・デラクルの犯罪的人生』を観る。そういえば、『エマ』は見逃してしまった。
そういえば、資生堂のPR雑誌『花椿』の4月号の表紙では、モデルが奈良美智の少女のキャラクターがプリントされたスウェーターを着ている。このキャラクター、コンピュータの壁紙にならないかな。
1999年4月10日
わっ、掲示板に浜田さんの書き込み!
今日は、東京電機大学(社会学)の初日。集まった学生さんは50人くらいか。出席は取らず、そのかわり複数の抜き打ち的レポートを課すといった業務連絡の後、社会学の分析単位としての相互行為などについて話す(実は、社会学の講義というのは、イントロダクションの部分、社会学の対象について話すところが、一番難しいのですね)。授業後、ある学生さんからリキが入りすぎているとの指摘あり。
講義のため、『シェルタリング・スカイ』が観られなかった。
東京地検の検事長が女性スキャンダルのために進退伺いを出したというニュース。公私混同ということは糾弾されてしかるべきなのだろうけど、道徳主義的な批判には首を傾げてしまう。道徳家というのは、他者に対して抑圧者として振る舞うことが多いのではないだろうか。裁判官なり検事なりに求められているのは、「普通の人以上に厳格に身を律して生活」(室伏哲郎)するということよりも、抑圧者として振る舞ってしまう危険性を自覚することなのではないか。役人なんていうのは少し腐っているくらいが丁度いいという中国人の知恵を再度考えてみるべき。
私がsubscribeしているMLに、ここ数日、ユーゴスラヴィア関係のpostが増えている。ウェブ・エッセイを載せようと思っているWOULD-BE ESSAYISTは今のところ全くコンテンツがないのですが、このことも含めてナショナリズムに関してはいいたいこともあるので、近々載るかもしれない。今回のNATO軍事介入に関しては、脳天気に賛成することもできなければ単純に反対することもできないというのが今時点での見解。
明日はリンクをまた若干増やそうと思います。
1999年4月11日
色指定の書き方を修正。
千葉県議会議員選挙。雨の中、近くの小学校の体育館へ行って、国民の権利(正しくは県民の権利というべきだろう)を行使してきました。誰に入れたのかは内緒。それにしても、地元の選挙よりも隣の東京都知事選挙についての知識の方が多いというのは、何か変だ。
昨日のdiaryで、東京地検検事長のスキャンダルに触れたのですが、英国の週刊誌New Statesmanの3月5日号に、John Lloydという人が"The death of privacy:j'accuse!"という評論を書いている。政治家等のpublic peopleのプライヴァシーが侵害されている。それについて、ロイド氏は、マスコミとフェミニストを責めるのだが、それに付け加えて、犯人は政治家自身でもあると指摘している。つまり、政治家自身が、選挙戦において、よき家庭人というイメージを演出するために、自らのプライヴァシーを利用すること。私見によれば、これがある限り、正論であることはあるイエロー・ジャーナリズム批判は説得力を持たない。
上の「選挙戦」は英語では、election campaignなのですが、日本語のキャンペーンは、「戦」という漢字とは違って、血の雨が降るというイメージはない(何しろ、キャンギャルの世界ですから)。英語の世界では、今回のNATOによるユーゴスラヴィアへの軍事介入もcampaignなのですね。
リンクを少し拡充しました。
1999年4月12日
東京都知事に石原慎太郎。ところで、「徳目教育」なんていうことをいっているとは知らなかった。TVのインタヴューを観ていたのですが、その「徳目」よりも、ショート・ストーリーを「徳目教育」の手段として使うというのは、文学者として問題なんじゃないか。
千葉東病院附属看護学校「社会福祉」の授業の2回目。
えーと、大きな勘違いです。「黒木さんから、ファイルの色指定が間違っているとの御指摘。」と書いたのですが、黒木さんのおっしゃっていたのは、掲示板のことだったのですね。ところで、掲示板のバックグラウンドの色を変えました。黄緑→水色。
平田オリザ『演劇入門』を読了。そもそも、演劇的なるものへの感性というのは社会学者の資質の一つなのですけど、この本も社会学に関心をもつ人にとっては非常に参考になる。また、私の(アレントと出会って以来の)関心事である公共性問題との絡みでも面白かった。しかしながら、昔はあんなにシアター・ゴウアーだったにも拘わらずここ数年、生の舞台を観ていないのだ。
リンクに平山眞氏のサイトを追加します。
それよりも、早く、東京電機大学の講義要旨を書かなくては(汗)!
1999年4月13日
東京電機大学の社会学第1回をアップロードしました。
吉野さん、仲本さん、七辺さん、御来訪ありがとうございました。
東洋大学大学院西山ゼミ。今年度は、某教団の調査を行う方向なのだが、早速私は再来週、「大日本獅子吼会」会祖大塚日現の生涯についての報告を命じられてしまった。ゼミの帰りに、図書館で資料を借りだし、重い思いをして持って帰る。
サイト開設から1週間で、アクセス数120というのは多いのか少ないのか。
横山ノックのセクハラ問題。それにしても、突っ込みに対するあのようなボケ方は芸人失格なのではないか。
1999年4月14日
岡本太郎『今日の芸術』(光文社文庫)を読了する。1954年に出たものの復刊ということなのだが、本文を読んだ限りでは1960年代に改訂されているはずだ。読んでいて、本書を貫く、伝統なんて常識なんて糞食らえ、俺は走り続けるぞ!という気合いは、とにかく清々しいものだ。また、現在ならグローバライゼーションと呼ばれること、それによるスタイルのクレオール化という問題も言及されている。但し、ここでいう走り続ける方向性というのは、結局進歩という一方向的なものであり、新しいということを反復させられるという資本主義的パラドックスは気づかれていないようだ。また、芸術を工芸とか芸事から厳しく峻別し、名人芸・職人芸を否定して、芸術の万人への開放を呼びかけているのだが、日常生活と美という問題系がスキップされているため、結局芸術を日常生活とは別の場所にゲットー化することになっている。しかし、本書は基本的にロックンロール以前の、ポップアート以前の著作なのである。
教育TVに、白川静先生が出ていた(ETV特集)。89歳であるというのに、お元気なのは目出度いことである。私が中国的なものに関心を持ち始めた端緒は、今から考えると、白川静の著作だったな(それから、山田慶兒の『混沌の海へ』)。白川氏の『中国の神話』を初めて読んだのは、1980年代の中頃だったけど、その頃は、その後中国に長期滞在したり中国人と結婚するということは、思いもつかなかった。
1999年4月15日
吉野さん、keroのホームページからリンクしていただいてありがとうございます。
千葉東病院附属看護学校「社会福祉」の第2回をアップロードしました。
山本耕一「虚構としての「異質性」」(『情況』1995年6月号)を読む。「相互承認」を巡っての、麻薬取締り担当刑事とヤクの売人の話(pp.16-17)は笑ってしまったが、どこかで使えそう。
1999年4月16日
今日から、妻が中国(上海、温州)に出張。上海虹橋空港では、大韓航空機が落ちたというので、やはり不安はありますね。
山村女子短期大学の「偏見と差別の心理」初日。受講者は13人。女子大なのに男子学生が2人。近所の大東文化大学から単位互換で来ている学生さんです。偏見、差別の取り敢えずの定義とかそういう話をする。それから、富山大学の佐藤裕先生のアンケートと同じ質問項目でアンケートをやったのですが、いくら何でもn=9(3人は欠席です)じゃね。
どうでもいい話ですが、高坂駅前のラーメン屋でサンタナの"Black Magic Woman"が流れてきた。一瞬、アメリカ文化にとっての他者としての隣国(カナダ、メヒコ)の意味みたいなことを考察したい気にもなる。ところで、こーゆーことをやっている人はいるのでしょうか。
夜、妻が上海から電話をかけてくる。どうやら、落ちずに無事着いたみたい。
1999年4月17日
東京電機大学の社会学。「文化」について話したのだが、時間切れで文化本質主義の問題、それからjudgemental dopeの問題について話すことができなかった。初めてのレポートを課す。締切はゴールデン・ウィーク明け。授業に出ていなかった学生さんで、ここにアクセスしても、レポートの設題は内緒です。友達に聞いてください。
長谷川宏『新しいヘーゲル』を読了した。すごくわかりやすくて、何よりもこれからヘーゲルを読んでやろうという気にさせる本。また、日本の近代化について、近代化が成功すればするほど近代の精神からは遠ざかってしまうというパラドックス(長谷川氏は直接そう書いているわけではないのですが)考えさせられる。4月12日付で取り上げた平田オリザ氏の、ポストモダンのご時世だというのに、日本には乗り越えるべき〈近代〉が存在していたことがあったのかどうか自体が疑問だという嘆きにも通ずる。長谷川氏に文句を言うところがあるとすると、例えば氏によれば、ナチスはヘーゲルが体現するような近代にとっては全くのスキャンダルということになるが、果たしてそうなんだろうか。
TV朝日の『ザ・スクープ』で、冤罪問題が取り上げられている。驚いたのは(たんに私が無知だっただけですが)、被疑者への尋問、特に被疑者の「自白」というのはテープにとられていて、裁判にも証拠として提出されているのですね。そのテープというのは、まあ都合のいいように編集されたものらしいのですが。冤罪についての心理学的研究というのはあるようですが、ローカルな相互行為を通じての「自白」或いは「真理」の社会的構築という視点からの社会学的研究というのも面白そう。
『毎日新聞』の4月17日付に、長野県川上村で「マケ」という血縁集団が中心になって、村会議員をたらい回しにしているという記事が載っている。曰く、「輪番制議会」。伝統的な共同体の論理が外からやってきた近代的制度を上手く乗っ取ってしまったわけですね。この記事には、政治学者の新藤宗幸氏が「民意反映しているか疑問」とコメントしている。これが問題になるのは、多分「マケ」とは縁のない新住民だろう。そうだとしたら、記事は、村の人口動態(転入状況)に言及したり、もしいるとしたら新住民に意見を訊いたりすべきではなかったか。<井上俊樹さん。なお、新藤氏のコメントで勉強になったことは、地方自治法によると、町村では直接民主制が可能ならしい。
1999年4月18日
山村女子短期大学「偏見と差別の心理」第1回をアップロードしました。
以前に、今回のユーゴスラヴィアへのNATOの軍事介入に関しては態度が定まらないというようなことを書いたのですが、結果から見ると、軍事介入以降、アルバニア系難民の数が増加するなど、情況は悪化しており、態度は〈支持できない〉に傾いています。マスコミなどでは、お涙頂戴か軍事的リアリズムが蔓延っているようだけど、原理的な議論の必要を痛感する次第。例えば、国民国家の問題とか。また、〈空爆〉というのは、戦術としての効率性の問題である以上に思想の問題だろう。
1999年4月19日
千葉東病院附属看護学校の社会福祉の講義。社会福祉制度改革の動向と社会福祉の法体系の話。
そういえば、「危ない橋」という掲示板で「社会学」批判が盛り上がっているようです。介入しようとも思うのですが、精神的その他の余裕なし。ただ、昨日、高久史麿編『医の現在』(岩波新書)の中の井村裕夫という医者の差別発言について、keroにpostしたときに、その末尾でちょこっと触れただけ。
妻が中国から帰国。
夜、リンクの拡充を行う(アップロードはせず)。
1999年4月20日
東洋大学大学院西山ゼミ。今週から博士課程前期・後期合同になる。調査の方も先方の教団の方からお許しが出たようで、正式に始動し始める。
その前に、図書館でSocial Researchのバック・ナンバーからハンナ・アレント関係のコピーを100数十枚とる。そういえば、アレントとマッカーシーの往復書簡の訳本が法政大学から出ました。いま、買って読む余裕があるかどうか。それよりも、学位論文のアウグスティヌス論の英訳の方を先に読みたい気もする。
誘惑に負けずに早く帰宅し、しっかり勉強し、またサイトの更新も行うつもりだったのですが、結局誘惑に負けて、西山先生たちと白木屋で9時過ぎまで呑んでしまって、帰宅したのは11時過ぎ。
帰宅すると、頭が痛く、サイトの更新は明日以降に先送り。
1時から、BSで「フィル・コリンズ・ライブ」を見る。とにかく、"Can't Hurry up Love"にしても"Against all the Odds"にしても、頭痛に抗して80年代が甦ってくる感じで、ノスタルジーに溺れてしまった。ところで、ゲストにデヴィッド・クロスビーが出たのですが、私はCSNYには、ニール・ヤングを除いて思い入れはなく、DCについてもただデブのおっさんという印象しかありませんでした。実は、フィル・コリンズも、歌屋としてよりドラマーとして見たかったな。
桂枝雀師匠がとうとう亡くなりました。
1999年4月21日
今週の『AERA』によれば、サルトルが復活しつつあるらしい。それによると、最近の若者は、サルトルの哲学をやけっぱちのポジティヴ・シンキングに換骨奪胎してしまうらしい。それもわかるような気がする。何しろ、神戸の酒鬼薔薇君にしても、X-JAPANのファンにしても、問題なのは帝国主義とかスターリン主義とか大人とかいった敵をどうするということよりも、自分という存在を肯定し得るかどうかということになっているわけですから。
アメリカ・コロラド州のハイ・スクールでの銃乱射(この場合は、濫射ではなく乱射が適当ですよね)事件。日本のTVや新聞報道というよりも、アメリカの警察発表自体が混乱しているらしい。犯人は、ネオナチかぶれの戦争オタクか。確か70年代後半にアメリカの高校生でやはり学校で銃を乱射した子がいて、その子は動機を追及されて、"I don't like Monday."と答えた。これはブームタウン・ラッツの曲にもなっているのですが、これに較べて、コミュニケーション・スキルの乏しい子が学校での人間関係から疎外されて、ファシスト的なものに救いを見出し、ルサンティマンからマイノリティとか校内のスター(フットボール選手など)を狙い撃ちしたというのはわかりやすい。ところで、クリントン大統領は、若者たちに怒りを暴力でなく言葉で表現することを教えなければならないといったらしいが、自らも学んでください。
NHKに阿辻哲次氏@京都大学が出演していた。阿辻氏は大阪の印刷屋の息子で幼いときに活字拾いをさせられたのが、漢字研究の原点となっているらしい。白川静先生は甲骨文字をひとつひとつトレースしたということだが、阿辻氏は自ら亀の甲羅に彫刻刀で甲骨文字を彫りつけている。阿辻氏の漢字論では、テクノロジー(筆などの筆記用具、字が書き付けられる甲羅、竹、紙など)が大きな役割を占めている。それに、エクリチュール行為における身体性を付け加えることができるだろう。現在エクリチュールのためのテクノロジーとして主流になりつつあるコンピュータの場合、どのような身体性が付随するのか。CMC研究でも、RPGなどのヴァーチャル・リアリティにおける身体性への論及はあっても、もっと日常的なコンピュータを使ったエクリチュール行為の身体性への論及は見かけない。これは私の不勉強なのだろうか。
1999年4月22日
結局、東京電機大学の社会学第2回目のアップロードは今日になってしまった。
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By SUMITA Mikio
Last Updated:22 April 1999
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