★ June Lake(六月の湖) piano solo(2004)

題がテノールの音域でゆったりと提示、その後、華麗な音形をともなって展開、中間部では浮動的な調性と和音によるゆらめく部分に入り、高揚したあと、主題が静かに再帰、最初の華麗な部分が続きゆったりと終る。湖にさざなみが立ち、やがて、平穏な六月の湖面にもどる。数年前、北海道の支笏湖を訪れた時の風景を音でえがいた水彩画。演奏時間約4分。
六月に完成した最新作。楽譜はピアニスト、宮谷理香さんに依頼して
渡す。




★ Prelude, Passacaglia Fugue, 
for Piano Solo

 生涯のしめくくりを意図した大作。全曲の演奏時間、約28分、30分に及ぶ。
Passacagliaの主題は、1954年、自分がデビュー作である、orchestra作品「orchestraのためのPassacaglia」の主題を再びとりあげた。この構想は、10年前からのもので、最初の作品の主題を再びとりあげて、未熟だった初期の作品の主を、成熟した現在の発想と技術でふたたび仕上げたかった。一年余りの期間を経て、推敲に推敲を重ねてようやく完成した
初演は若いピアニスト、宮谷理香さんに依頼した。練習に二年を予定し、再来年2006年に演奏される予定。楽譜は作曲者所蔵。希望の人には分譲する。

★□「ちいさき いのちの ために」
(2000年)Lacrimosa

「ちいさき いのちの ために」は、おさなくして、その命を絶たれたものへの哀歌です。
LacrimosaはRequiemの一章、「涙の日」のことです。どれだけのおさない命が罪もなく非道に絶たれていることでしょうか。この曲は私の身辺の出来事から生み出されたものですが、日本の中で、また世界の中で、同じような涙の日が数多く起こっています。
この曲は、Violin版、ピアノ版、と様々な形で作られました。

    花を買った

花を買った 
 花を買った あの日

いく束もの小さな花を
 白い花 黄色い花
  茎の部分を短く切って 幾束もの花を

花を買った あの日 花を買った
 白く小さい花を 黄色く小さい花を
  幾束もの花を 花を買った あの日

花を買いながら
 ふと忘れていた
  あの子がもういないことを 
   家に帰ってもあの子がいないことを

花を買った あの日 花を買った
 あの子のひつぎに 
  目覚めることがない眠りの中にいるあの子の
   頬の上に花をそっと置いた
幾束もの花を
 もう目覚めることがない あの子の上に敷いた
  姿が見えなくなるまで
   幾束もの花を敷いた
幾束もの小さい花を敷いた
 白い花を 黄色い花を

花を買った あの日 花を買った
 白く小さい花を 黄色く小さい花を
  幾束もの花を 花を買った あの日

 
★二つのピアノ曲、「桜まじ」、「Nocturne」(2002→2003)

 
この曲は、2002年から2003年にかけての作品である。
「桜まじ」は、典雅な音形が風に乗って流れるような曲。「桜まじ」とは、瀬戸内海沿岸から宮崎県にかけて使われる方言で、桜を呼ぶ春の風、を意味する。短い、前奏曲風の曲である。
「Nocturne」は、思いがけない経緯で生まれた。1970年台の作品を見直している内に、現在ならどうするか、発想のやり直しをしてみた。そこから、まったく新しい曲が自然に生まれてきた。激しい不協和音は姿を消し、静安な協和音の世界が現われた。それはすでに心の中にあったもので造り出したものではなかった。

★「山水図」について
  
 この曲は1975年から1978にかけての作品である。この曲で私が目指したものは、現代音楽に氾濫する半音階に対する、自然音階、なかでも日本の五音音階の美をひき出すことであった。それも、現在すでに感覚の中に浸透している現代の語法の中にそれをとりいれ、その中で、自然と簡潔の美をきわだたせようとした。この曲はそうした私の美学の集約である。そのために、音階だけでなく、リズムの面でも、西洋音楽の定量記譜法によらない、音の長さを故意にファジーに記入する方法を用いた。音階の内包する美は、また時間のあり方とも関連するからである。非定量の時間感覚は日本の美学の比類ない財産である。五音音階の構成音が相互に共鳴しあう独自の美しさは、箏など日本の伝統楽器から教えられたものが多い。また、長谷川等伯、丸山応挙、などの日本画からつよい教訓を得た。
 なお、1978年の初版はのちに1881年に改定され多少短縮された。この版は1981年の改定版である。初版は1978年深沢亮子により初演、改定版は松谷翠により初演された。以後、アメリカ、ヨーロッパでも演奏されている。CDは、ローデン千恵によるものがコジマ録音から発売されている。また、松下佳代子によるものがのドイツから発売されている。


●「風韻」(1970→1996)

この曲は、1972年の作の改作である。初稿は、「邦楽四人の会」の同人であった北
原皇山氏の委嘱によるものであった。同年、「四人の会」の演奏会で初演された。
今回の版は、1999年、菅原久仁義氏の依頼を機会として改作したものである。同
年、江戸東京博物館ホールで初演された。この曲は、改作というより全く別な新しい作
品となった。三十年近くの間の感性と音楽観の変化がこの結果をもたらした。私は、
音楽をより自然に、自然体でとらえるようになった。1960年代から1970年台初頭にか
けては、革新と前衛の思想の最盛期であり、古きものは滅び、新しいものが現れる時
だ、という思想が世を覆い尽くしていた。しかし、それからの約30年、歴史は意外
な方向への進展を経験した。古い、新しい、ということの原義が今一度再考をもとめ
られることになったのである。私の音楽観の推移もその中にあった。不確定記譜法によった初版と違い、リズムも旋律も安定した平静な音楽に姿を変えた。すべてが平静に、平安に、平常心の中にある音楽である。音楽を鑑賞するに解説も、前書きも必要ない。平常な心で聞けばいい。
そういう音楽である。

               












































*
<おわりのない朝 1945.8.6.>The eternal morning 1945.8.6.
  被爆ピアノのために (1983)

 この作品は、1983年、NHK広島放送局の委嘱によって作曲された。同年、8月21日、NHKから放送初演され、その後、さらに手を加えられ、同年、ll月6日、文化庁芸術祭参加作品として再放送された。1984年には、アメリカ、カリフォルニア州で放送され、大さな反響を呼び、また、1985年にはユーゴスラヴィアでも放送された。
 1945年8月6日、午前8時15分、史上はじめての核爆弾が広島市に対して投下された。この時 ある個人所有の小型ピアノが彼爆した。無惨に損傷したが 外形内部とも焼失せずに残った。近年になり 修復が試みられ 損傷のままであるが再び演奏可能となった。現在、同器は、広島市の「平和資料館」に展示されているが、外板に無数にガラス片が食い込み凄惨な形状を見せている。この曲は、この楽器を中心に、弦楽合奏を加え、さらに、さまざまな電子音、具体音により磁気テーブ定着作品として完成したものである。もともと世界に一つしか存在しない楽器によるものであるため、再演作品としては成立不可能であり定着作品としてしか成立は不可能であった。

 作曲にあたっての第一の裸題は このような余りにも現実的で苛酷な主題が本来楽天的芸術である音楽になじむかどうか、というためらいであった。このため 当初ドキュメンタリ一音楽として、現実音のみによる手法を考えた。しかし、この時代の録音技術の水準から第一次音声資料が乏しく、また音質もよくないものが多く、全曲をこの方法によることを断念し、第一部だけをこの方法によることにした。それに続く部分では、弦楽器群を主軸にし、電子音、具体音、さらに、さまざまな編集技術をもちいた。

 第二の課題は、被爆ピアノ固有の音を効果音としてとらえるか 楽音としてとらえるか、という根本的なものであったが、その特殊な響きに作品の核があると考え、これを広義の効果音としてとらえることとした。当時はまだデジタル機器登場以前であるが、アナログ機器の機能が独自の表現を可能にしていることも事実である。

 第一部は、さまざまな具体音により、運命の日の朝の市民生活を描く。遠くの子供の声、市電の音、繁華街のざわめき:当時多くの軍人軍属が広島市に駐屯していたことから、軍人の号令の声、港湾での波を分けて進む小型船の音。やがて、空襲警報のサイレン。それに続くのは、当時、アメリカ軍参謀本部が現地軍に対して発した原子爆弾投下の命令書の最初の部分である。以下はその部分の日本語訳である。

「第20空軍、第509混成部隊は、およそ1945年8月3日以降、天候が目視爆撃を許し次第、できるだけ早く、広島、小倉、新潟、長崎、の諸目標の一つに最初の特殊爆弾を投下せよ。爆弾の効果を観測記録するため、国防省から派遺される軍人およぴ民間人からなる科学技術者を搭載した観測機が爆弾搭載機に随伴する。観測機は爆発の衝撃点から数マイル離れた地点に待機せよ」

 この声の録音は在日米軍岩国基地の若い兵士の協力出演によるものである。これにB29爆撃機の爆音が続く。これは記録された本物のB29の爆音である。秒針音かこれに加わり、緊張が頂点に達したところで、変調された人間の叫びが響き、弦楽器群が展開し彼爆ピアノが導入される。
 以下、被爆ピアノ、弦楽 電子音、がさまざまにからまり、組み合わされて進行する。工学的技術も当時可能なだけ用い、多重録音による六声のカノンふう展開も現われる。やがて弦楽による導人の部が再現し、ここから悲劇的な短い動機が展開し次第に高揚する。頂点で突如中断し、鐘の音が長く鳴り響く。この鐘の音は、終戦翌年、広島における第一回平和祈念式のものである。NHK広島局の資料室で発見したもので、政党が介人し政冶化する以前のもので、乎和祈願の原点を象徴するものとしてとりいれた。ここから被爆ピアノは通常のスタインウエイ・ピアノに替り、人間と人道の復活を象徴する。

 この曲は、身近に起きた現実の事件を主題にしたものであり 当然 根底には平和への祈願がこめられているが政冶的動機に発したものではない。
 録音はNHK広島局のスタジオで行なわれ、被爆ピアノのはこのために門外不出の例外としてスタジオに搬入された。再度の調整修理のため以前の特異な響きはいささか失われたが、内部の弦も当時のままであることを考えると、演奏に耐えうること自体奇跡的である。

この曲はウィーンのVMM社からCDが発売されている。
VMM−3006 20'02"
ピアノ=村上弦一郎 弦楽=広島交響楽団 指揮=黒岩英臣
技術=横山民夫 制作=原武・NHK広島放送局/NHK電子音楽スタジオ


*風のうた

この曲は,1979年11月から1980年3月までかかって,NHK電子音楽スタジオで制作した。
 電子音によっているが,音楽に対する私の姿勢は,通常の音楽と少しもちがっていない。ただ,私の頭の中,心の中で鳴る音が,いままである在来のどの楽器の音とも一致しなくなってきたのである。これを現実化するには,楽器ではなく,新しい発音装置のもたらす音がもっとも適していた。正絃波音,白色音,パルス音,などの電子音のほかに,風の音,波の音,などの具体音,そのほか,ピアノの断片的音形を用いた。
 全体は,なんの予備知識もなく,普通の音楽としてきいて頂けばすぐに理解できる,むしろ平易な音楽である。電子音楽ときいただけで毛嫌らいする人々も,この曲をきいて意外だったとして気にこ入ってくれたのである。
 この曲はたしかに寂しい曲である。荒涼として吹きつける風に,ひきちぎられるようなピアノの音形,無人の浜に寄せるような波の音。きく人はどのような光景を思い浮かべることも自由である。ただこの曲は,余り年若い人には本当には理解できないかもしれない。これは人生の風景画である。こういう景色を見るにはある年令に達することが必要かもしれない。

●「楓図」

 この曲は、1986年の「群」の委嘱作品、「春の野に」と題する曲の改作である。ただし、実質は前作とはまったく別のものになり新作同様の曲になった。
 「春の野に」は、その後の自分から見て同感しかねる部分があったので永い間気になっていた。ただ、その主題は気に入っていたので折りを見て改作を考えていた。しかし、昨年から実際に改作の仕事を進めると前作とはおよそ異質な曲が姿を現わしてきた。20年の間に自分の感性が変化したのである。情緒的なものが後退し、建築的なものが主を占めるようになった。堅牢なものをもとめるようになったのである。年齢と経験の蓄積が、うつろいやすい情緒よりも、堅固なもの信頼をおくようになったのであろうか。それが現在の自分の姿である。曲の題も、万葉集からとった「春の野に」から、長谷川等伯の障壁画「楓図」から借りた。かつて京都の智積院で見た、豪壮で重厚華麗、しかも堅牢なこの図柄がいかにもふさわしいものに思われた。 曲は、遅い導入部から始まり、中間に遅い部分を持った整然とした三部分形式で出来ている。

●「形象」

 この曲は1972年、はじめて「群」のために作曲した作品である。1971年、NHK札幌の仕事で札幌を訪れたとき、私は初めて先代の佐薙岡豊先生とお会いし、その折りに委嘱されたものである。余り長くない一章だけの曲だが、その後、二つの章が追加され長い曲になった。今日は当初の第一章だけを演奏する。邦楽曲としては情緒におぼれず堅く引き締まった曲になった。楽譜が全音楽譜社から出たせいもあって、この曲はほかの演奏団体でも頻繁にとりあげられフランスからレコードも出ている。

●「蒼風」

 「蒼風」は1980年、佐薙のり子さんからの委嘱で作曲した。私にとってはじめての箏の独奏曲である。それまで何曲かの邦楽器の曲は作ってきたし、その中に箏も含まれていた。十七弦の独奏曲や、箏の新種楽器である二十弦箏の独奏曲も作曲したことがあったが、しかしなぜか箏の独奏曲はそれまで書いたことがなかった。独奏曲は編成上の人事的むずかしさがないから演奏が容易だし、限定された手段で表現することを私は好きなのでこの仕事はやりがいがあった。初演は同年「群」の定期で、のり子さんの演奏でおこなわれた。いまふりかえると、当時、日本的直感主義から再びヨーロッパ的構成主義に少し振り子が戻りかかっていた意識が反映してるいように思う。こういう意識が邦楽器に適合するかどうかはなかなかむずかしい。
 1997年、「群」はスペインとフランスに演奏旅行し私も同道した。スペインの小さな町での教会コンサートの前、別室を借りての練習で、私と佐薙さんは、この曲の弾き方について新しい成果をようやく把握することができるようになった。

●「月の光に誘われて」

 この曲は1990年、谷珠美さんの委嘱で作曲、同年10月24日、谷さんのリサイタルで初演された。リサイタル全体が「平家物語によせて」と題するものであったので、題材を平家物語中の「小督」のくだりにとった。月の光のもとで琴をひくこの美しい薄幸の女性の物語に惹かれたからである。言葉の扱いに最も留意したが、音楽に乗せるために不適と考えた言葉を省略するなど原典に手を加える処置をとった。箏の響きと日本語の語りの自然な美しさを生かすことに細心な配慮をしたが、同時に、音楽の連続性、持続性を強くすることに努力した。日本の伝統音楽がこの点で弱点を持つと考えるからである。この曲は見事な初演の後、放送で再演され、今日また再演されるという幸福な歩みを続けている。

●独奏十七絃による三章

1974年、札幌における佐薙のり子のリサタイルのために書かれた。三つの楽章からなり、それぞれ、「雪松」、「雨竹」、「飛雁」、の標題が付されている。作曲者の所蔵する円山応擧の描く墨絵の画集に想を得て、十七弦による墨絵の世界を構築する。

「月の光にさそわれて」(初演の解説から

 尊敬する谷珠美さんから作曲の依頼を項き、主題は平家物語が望ましいとのことであった。余りにも有名なこの不朽の文学をいま一度研究して見ることになった。
 平家の栄華の項点から始まるこの物語は、その衰微のあとをたどり、ついに壇の浦での滅亡にいたる。頂点に発して没落で終る、実に一直線の下降形でその形式が作られている。逆三角形といおうか。あらためてその特異性に深い感銘を受けた。普通、音楽でも文学でも、起伏はあっても大体は、項点は後半に置かれるが通例であろうし、絵券物といっても、基本的には各場面が水平に並列されているのが形式の常套であろう。そうした通念に対して、この物語はいかにも大胆といおうか、類を見ない形式構成を持っていることにうたれた。
 この形式は日本人の心性の何かを写しているのだろうか。減びの美学というようなことがよく言われる。西洋にもこうした美学を追うすぐれた芸術家がいることはよく知られているが、しかし、平家物梧の実体は西洋のそれとはどこかその質が違う。
 欲望、燗熟、腐敗ではなく、花が枯れていくように、自然の摂理によって減びの道をたどるものの、あわれ、さびしさ、悲しみ、というものがその内実であるように思われる。清盛と平家の横暴が強調されても、その底にひびく韻律は変らない。むしろそれは、滅びの悲しみに幾らかでも救いをもたらそうという作者のやさしさではないかとすら思われる。箏類楽器の減衰音の美はこの内実と実はひそかに通じているようにも思われる。

 「小督の記」は、この中でことのほか私の心を魅いた。箏の名手でもあったこの美しい女性の運命は薄幸である。愛人である小督を失った天皇は悲しみの余り、名月の夜、臣下に小督を捜しに行くことを命ずる。「この月の光に誘われて、小督はかならずや箏をひいている」違いない。その琴の音を頼りに捜そうという。自然の美と楽の音をやさしく結びつけた類いなく美くしい感性があらわれた場面である。臣下、仲国が月光の下、琴の音を頼りに馬をすすめる場面は絵のように美くしい。見出だされた小督は、仲国の懇望によりひそかに宮中に連れ戻されるが、やがて清盛がこれを知り、その怒りに触れ、尼にされて追放される。年は二十三才であった。天皇は悲しみの余り病を得て間も無く世を去る。

 作曲にあたって、まず歌詞を整備した。音楽になじまぬ説明的な文はなるべくとり除いた。その結果、歌詞そのものは物語の説明文であるより、音楽的暗示にとどまるものとなった。物語の内容はすでに知られていることを前提としたのである。歌の部分は日本語の自然な抑揚に従うことで一貫した。よくあるように早口言葉的な扱いは避けた。そのため西洋音楽的見地からは、リズム、旋律に起伏が少ないものとなったかも知れないが、日本語に忠実であろうとする結果の現象であれば、それがむしろ日木語の美であろうと思うほかなかった。
 作曲者が最も重視したことは、音楽の連続性ということである。この点だけは西洋の美学をとり入れようとした。音の連結に音楽の自立性を生み出す力が無く、言葉の力によってようやく意味をつないでいることは、日本の伝統音楽の弱点であると私は考えている。音の連続性とそれによる自立性を獲得すること、そのことが伝統音楽に欠けるものであるため、多かれすくなかれ、外来の何かを導入することは避けられない。その結果が、異質なものの導入になるか、伝統の新らしい発展になるか、それは賭けというほかはない。
 日本楽器による現代の作曲はつねにこの課題とのとり組みであるが、歌をともなった曲の場合は、ことのほか賭けの重みはおうきかったよう」思う。

□「竜舌蘭」 - 遠い雨

 1990年代なかばのある初夏の日、私はある人の死を知った。少年時代の忘れ難き人である。とはいえ、半世紀の時の中で私の中でその人の記憶はかなり薄くなっていた。しかし人の死を知ることは衝撃である。初夏の明るい陽光の中で、私の眼の前に闇が落ちた。
 その時から私は、私の中で、あることを義務化した。その人と自分のために、果てしなき思いをこめた曲を創ることを約束したのである。
 主題に頻出する音形の中に、その人の名が音名として織り込まれている。しかしながら、このような主観的な思いを作品化することは意外に困難なものであることを仕事を始めてから知った。何度も作り直し、一度は完結まで進んだものを始めからやりなおし、今回、初演の形まで至るのに六年かかった。
 遠い雨の日、曲の終りに近く、Wagnerの「TristanとIsolde」の和音が現われる。これもまた思い出と深く結びついている。初冬の日、北国の街には冷たい雨が降っていた。雨の中、Tristanの旋律が私の中をうねっていた。

*風のうた

この曲は,1979年11月から1980年3月までかかって,NHK電子音楽スタジオで制作した。
 電子音によっているが,音楽に対する私の姿勢は,通常の音楽と少しもちがっていない。ただ,私の頭の中,心の中で鳴る音が,いままである在来のどの楽器の音とも一致しなくなってきたのである。これを現実化するには,楽器ではなく,新しい発音装置のもたらす音がもっとも適していた。正絃波音,白色音,パルス音,などの電子音のほかに,風の音,波の音,などの具体音,そのほか,ピアノの断片的音形を用いた。
 全体は,なんの予備知識もなく,普通の音楽としてきいて頂けばすぐに理解できる,むしろ平易な音楽である。電子音楽ときいただけで毛嫌らいする人々も,この曲をきいて意外だったとして気にこ入ってくれたのである。
 この曲はたしかに寂しい曲である。荒涼として吹きつける風に,ひきちぎられるようなピアノの音形,無人の浜に寄せるような波の音。きく人はどのような光景を思い浮かべることも自由である。ただこの曲は,余り年若い人には本当には理解できないかもしれない。これは人生の風景画である。こういう景色を見るにはある年令に達することが必要かもしれない。

KOMORIUTA
          こもりうた


 この曲の主題となった唄は、日本放送協会出版の「日本民謡大観」の東北篇に掲載されているもので、宮城県仙台地方に伝わる子守唄である。分類的には、いわゆる「眠らせ唄」に属するもので、町田嘉章氏の彩譜による。三部形式の楽節構造を持ち、はなはだ美しい旋律である。私は、すでに、ヴァイオリン、ヴィオラ、それに、独唱曲としても作品化している。
 主題は全曲を通じて六回演奏される。一種の変奏曲と見ることもできるが、主題そのものは全く変化を受けないので、厳密には、変泰曲に分類されるかどうか分らない。また、既成の楽式を念頭においたものではまったくない。
 方法としては、もっとも自然に聴くことがきること。この曲の美しさが、洋楽の方法によって引き出されることを基本とした。いわゆる現代意識による過度の不協和音の使用は採らなかった。
 演奏時間は、約五分または六分。速度は常識にまかせて記入しなかったので、演奏により時間には差が出ることは当然である。現地でもおそらく忘れられかかっているであろう、このまれな美しい唄が、この仕事によって国内から外国にまで知られることを望む。

○永遠のみどり

 この曲は、1988年、mezzo sopranoの江川きぬさんからの委嘱による作品である。
 原民喜のこの詩に私は前から魅かれるものがあった。言葉の美しさ、内容との関わり、そして、平和への願いが、「許すまじ」的な発想でなく、宗教的な程の心の奥からの深い祈りとして、声を高くすることなく、静かに歌われていたからである。1983年、「おわりのない朝」の仕事で広島に滞在した時、元安川の橋上から、平和公園の緑があふれるように重なるさまを見て、この詩を想い深い感動をおぼえた。
 江川さんにこの詩をお見せしたところ、ぜひ作曲してほしい、ということになった。その後の話しあいで、詩をドイツ語に訳す構想が出てきた。江川さんはドイツ語圏になじみが深い人だし、私もまた同様である。この詩を外国の人にもぜひ分ってほしいということが目的であるが、さし当って縁のあるドイツ語からはじめようということであった。訳は、私の友人で、西べルリンのピアニスト、作曲家、ヨハン、G.ヴロッヘム氏に頼んだ。この人は来日歴二回、日本語を熱心に勉強してる人である。快諾した氏から間も無く試訳が届いた。氏自身の訳と、日本語学校の日本人の先生の訳と二つ送られてさた。それぞれよく出来ていたが、やはりヴ氏の方かドイツ語らしい語感が感じられたので、その方によることにした。
 曲は、始めに日本語の原詩が歌われ、次にドイツ語で歌われる。旋律がなるべく同じになることを原則としたが、言葉の理由で変る所は自然に変るに任せた。また、伴奏も、曲の経過に従って変化しているので、いわゆる一番と二番の関係ではない。全曲を通して永い全体の表現が実現するようになっている。出来あがった曲はベルリンに送り、また目を通してもらった。
 この曲は1989年7月、江川さんによってオーストリア、インスブルック、ウィーンで初演、再演されて大反響を呼んだ。十ケ国以上の人から楽譜を所望され手渡してきたとのことであった。歌曲の宿命は外国人に歌詞が分らないことである。その宿命をこの曲は克服した。しかも翻訳を旋律に当てはめたのではなく、はじめからドイツ語のために作曲されているから不自然さがない。この方法が大きな成功であった。楽譜が出版されているので国内外に広がることを願っている。1993年には、カナダ、モントリオール大学の教授から英語訳が送られて来た。バリトンの人が見事に英語版を歌った録音も送られてきた。
 ついでながら、はじめてドイツ語に作曲したか、私たちが扱う音楽はなんいっても欧州から発生したものであり、そういう旋律にはやはりアチラの言葉は作曲しやすかった。正直な経験談である。

◎ 「虹の上にいるの」混声合唱のために

幼くして輪禍でその命を絶たれた者へ例えようもない悲しみを音にした。作詞者の天野真余さんは、その三歳の孫を輪禍で失った。自宅前で遊んでいる所を即死であった。その悲しみを詩に記した。どうして、こんなに短い命が絶たれなければならないのか。それは作曲者の悲しみでもあった。2002年10月、日唱の定期公演で初演され、聴く人の間からは涙をこらえる声が聞えた。
楽譜は日唱、あるいは作曲者が保管。

□「Vanessa」-Violin、piano版について

Vanessa」は、「afrernoon」と同じく、環境音楽用にシンセサイザーの自動演奏音楽として作られた曲です。この曲をViolinpianoのために編作しました。演奏時間は5分程度の曲ですが、大都会の夜をイメージした芳醇な曲です。piano solo版も計画しています。
 

 
Vanessaは架空の女性の名である。
 
いつの頃からか、私は幻影を見るようになった。大都会の夜、幾百という高層ビルの窓が星のよう壮麗な光をちりばめる。窓辺にたたずむ一人の麗人。室内に明りはない。私はこの人を知らない。それが誰であり、どこから来て、なぜそこにいるのかも私は知らない。しかしなぜかVanessaという名前だけは誰かに告げられる。私には視覚だけがあり、物質としての私は存在しない

 このViolin版は、2006年2月18日、Violin、中野恵さん、piano、吉原裕子さんにより、埼玉県深谷市民文化センターで初演されます。「information」のpage参照