はじめに

 この文についての因縁経過を説明する。これはすでに30年以上前のことである。ドイツの音楽雑誌「Neu Zeitschrift fur Musik」にこれが載った。当時私はこの雑誌を定期購読していた。この手紙は心動かされるもので強い感想を持った。私がかかかわる月刊誌「音楽の世界」に掲載できないものかと思ったが種々の権利問題が予想された。井上頼豊先生に何かの折にご相談したが、難しかろうとのご意見だった。公刊物に掲載するとなると権利問題が発生する。第一に、この雑誌社の権利、第二に、ロシア語からドイツ語に翻訳した人の権利、第三に、はたまたShostakovitch自身の権利もある。こう考えると一々許諾の交渉するだけで絶望的なほど煩雑困難で、そもそも許諾が得られるかどうかも分らない。ということで、私は日本語に全訳しながらも手元に置いておくしかなかった。
 その後、internetが出来て、Hompage, blogというものも出来た。これは公刊物ではない。不特定の人が読むわけだから個人的なものかどうか、こういうものは以前は存在していなかったのであるから、分類概念がない。しかし営利出版物でないことは確かである。問題なかろうと判断し掲載することにした。
 1950年代、巨匠Shostakovitchは無名の青年から手紙を受けた。当時20歳台で物理学校に在学する青年である。この人は作曲家になりたいという希望を持っている。これからの進路について巨匠に大胆にも意見をもとめてきた。この無名の若者に対して、Shostakovitchは実に親切丁寧に応答している。音楽学校に行くかどうかの進学問題も含まれている。当時社会主義であったこの国でも、進学問題、就職問題、住宅問題、等、さまざまな難しいものがあったらしい。
 その意味でも、いまの日本の若者にもそのまま該当する人生上の選択の諸問題といえる。多くの人がこの手紙を読んで人生航路の参考にしてほしい。
 最後に、この青年はのちに大家となり、物理学を作曲にとりいれ、ロシアのBoulezと呼ばれるようになった。そして数年前にこの人も他界した。Edison Denisovである。


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★★デイミトリー・ショスタコーヴィッチ
   ある学生への手紙
 助川 敏弥訳
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 デイミトリー・ショスタコーヴィッチとエディソン・デニソフは、1948年以来、文通していた。シベリアのトムスク市に住む20歳の数学字生は、作曲家になりたいという願望について、当時まだ面識がなかった作曲界の巨匠に手紙で意見と助言をもとめた。以下は二人の往復書簡からショスタコーヴィッチの手紙である。
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▲モスクワ:1950年2月28日

 エディック!お手紙受けとりました。あなたの音楽への傾倒と、音楽家になりたいという願望を大変嬉しく思います。しかしながら、こういう重大な決定〈音楽院で勉強したいという)をする前に、私からのお願いですが、あなたの作品を送って下さい。もし、楽譜が一部しかない場合は必すコピーをとって、コピーの方を送って下さい。あなたに才能があるかないか、それを私一人が決めることが正しいと思えません。てすから、この点について私よりも経験が豊富な人たちの意見をきいてみようと思います。その後て、音楽院への入学と、作曲家になることの妥当性についてご返事することにします。
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▲モスクワ:1950午3月12日

 エディック!作品を拝見、驚きました。もしもあなたが基礎的な勉強なして、これだけ、手法的に比較的確実に作曲することを理解しているとすれば、感嘆するほかありません。ともかく次の質間に答えて下さい。

1.いままてどういう音楽教育を受けましたか?(理論の知識、聴音訓練、和声学、   楽器法、等々)
2.ピアノがよくひけますか?
3.いま何歳ですか?
4.ファースト・ネイムとお父上の名前は?

 あなたの作品の多くのものは大変気に入りました。あなたが並々ならぬ作曲の才能を持っていることを私は信します。この才能を埋もれたままにすることは大きな罪であると思います。しかしながら、作曲家になるためには、当然ながらもっともっと多くのことを勉強しなければなりなせん。技法だけてはなくもっと別のこともてす。作曲家とは、気に入ったやり方で旋律に伴奏をつけて曲に仕立てるとか、形よくオーケストレイトするとか、単にそんなものではありません。そんなことは、失礼ながら、幾らかでも音楽の素養のある人なら誰でも出来ます。作曲家とは、もっと意味深く偉大なものてす。もしあなたが、過去の巨匠たちが残した豊かな遺産をよく勉強するなら、作曲家とは何であるか分るでしょう。あなたと一度会って、こうしたことについてお話ししたいものてす。ただし、お断りしなければなりなせんが、私は大変話が下手です。あなたの作品の中には、あなたの才能を信じさせるあるものがあります。私にはそれを分析することが出来ません。それは、私の実感から来るものてす。もっといえば、あなたの作品からそういう印象を持つのです。それはそれとして、あなたの作品について私の意見を述べておきます。
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(ここて、ショスタコーヴィッチは、送られてきたデニソフの初期の作品について、かなりきびしい速慮のない意見を書いている)。
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 大急ぎであなたの作品を見てきました。詳細な分析ではないし、また、全面的な検討でもありませんが、どうか気をわるくしないで下さい。そういうことは私には出来ません。しかし、またしてもある疑問が生してきます。それは、この手祇の始めであなたに書いたことです。あなたはどういう音楽の勉強をしたのですか?もしもあなたが、さしたる専門的勉強もしたことがない音楽の初心者であるなち、ここに送られてきたものはことごとく、驚異というべきものてすし、また人を興奮させるものです。なぜなら、確実な勉強をしたことがない人が「組曲」や「ガボット」のようなスコアを書くということは有り得ないことですから。もし本当にあなたが専門の勉強をしたことがないなら、あなたは、通常の例をはるかに超えた大変な例外現象であるというほかありません。
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 ここで、特定の部分について、もし作曲者がそれまて専門の勉強をしているなら、作曲技術上の欠陥についての慎重な指摘がなされている。それは、ショスタコーヴィッチがこれに続く手祇の交換の中で操返し言及しているように、旋律についていま少し注意深く考えること。また、もっと、鋭く、緻密に、内容的な豊かさを心掛けて作曲することてある。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
▲モスクワ:1950年4月5日

 エディック!あなた個人の資科と、あなたの作品に対する私の見解へのご返事を含めた二通のお手祇うれしく拝見しました。私の見解にあなたが反論していること、また、あなたが自作を擁護しようとしていること、私はたいへん快く読みました。つまり、あなたは自分の作品を愛しているのです。あなたの良き志の現れてす。あなたが作曲家になるであろうことを物語っています。まともな作曲家は自分の仕事に愛着を持つものです。
 しかし、にもかかわちず、私は自分の見解に固執します。そして、あなたの作品に一連の重要な欠陥を指摘しないわけにいきません。それらは疑いなく時間により解決されるでしょう。あなたは、今後どうすべきかについて私の指示を求めてきました。疑いの余地のないあなたの才能は、あなたが作曲家になるであろうことを私に確信させます。しかし、いまの大学が後一年残っているのなら、どうか大学の勉強を終りまですませて下さい!作曲家の道はイバラの道です〈俗ないい方ですが)。私はそのことを自身で経験してきましたし、また今も経験しています・・・
 ぜひあなたとお会いしてお話ししたいものてす。多分トムスクへいく機会があるでしょう。あるいは、あなたがモスクワへ出てきますか。もしモスクワへ来られる時はぜひ前以てご一報下さい。私の電話番号を書きとめておいて下さい。
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 この後ショスタコーヴィッチからの手紙が続き、その中で、デニソフがどの教授に師事出来るか、あるいは師事すべきか、また、人学試験の状況、住宅事情の難しさなどについて触れている。1950年4月22日付
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▲モスクワ:1950年5月6日

 エディック!私の手紙があなたを傷つけたことは残念です。あなたを傷つける意図は全くありませんでした。ただモスクワに住むとなると発生する困難について指摘したかっただけです(生活費や住居の間題等々)。こうした間題は余り抒情的な瞑想には適しません。現実的て散文的な間題です・・・私はいまこういうことを考えています。あなたの作品を何人かのモスクワの音楽家に見せたいのてす。中でも、シェバーリン、ボガトリョフ、アレクサンドロフ、などなどの人たちです。多分彼等はそれぞれの見解を述べてくれるでしょうし、それは、あなたにとって人学拭験の先取りのようなものになるでしょう。
 あなたが音楽院に入りたいと考えたということは、合格が間違いないという確信を持ってのことと思います。個人的には私は全くそのことを疑いません。しかし私は、試験官が誤りを犯した幾つかの例を記憶に持っています。そうです、かつて、大変な才能であるユリー・スビリドフがモスクワ音楽院の入試に不合格となりました。レニングラード音楽院は、かつて、才能ある作曲家、ガリーナ・ウストオルスカヤとユリー・レピティンを不合格にしました。この二人の場合、私は、尊敬する同僚と大激論をしました(当時私はレニングラード音楽院で教えていました)。
 この手紙が届いたらどうか電報を下さい。あなたの作品を人に見せることに同意されるかどうかご返事下さい。あなたの同意なしに他人に見せるわけにはいきませんから。
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 デニソフはすぐに電報を打った。ショスタコーヴィッチは彼の作品を、セミョン・ボガトリョフとウィザリョン・シェバーリンに見せた。彼等はどうも余り強い印象を受けなかったようてある。ショスタコーヴィッチは、なおデニソフに音楽院入試に努力するようとの進言を涜けた。
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▲カマロヴォ:1950年7月2日

 エディック!すでに書いたように、影響力の大きな教授の一人は、あなたの作品に割にきびしい意見を述べました。その人の同僚も同じようにあなたにきびしいことが想像されます。そういうことになれば、あなたは、荷物をまとめてトムスクに帰らなければなりません。しかしそうしている内にも、あなたは今の大字を卒業するでしょう。そして何かをして生活していかなければなりません。モスクワに転居することは大変です。もしあなたが、どうしてもそうしたいのなら、私はありったけの経験を動員するし、あなたに、必要な限りの理性的な助言を送ります。今はただ、神様がどういう結果をあたえるかを待つほかありません。
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デニソフは1950年、モスクワ音楽院の入試に失敗した。
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▲カマローヴォ:1950年8月22日

 エディック!詳細なお手紙有難う。ご返事か遅くなりました。実はカマローヴォに帰ってからしばらく病気で手紙が書けなかったのです。最初の挫折にどうかくじけないで下さい。もともと、あなたは強い人であること、そして、不愉快な出来事によって打砕かれるような人ではないことを私は信じています・・・
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デニソフはトムスク大字での数学科の学部を終了した。
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▲モスクワ:1951年4月29日

 エディック!今日、お手紙とどき、大変うれしく拝見しました。卒業試験に合格、ふさわしい成果をあげられたことをお祝いします。私の生活もようやく外見上は正常な軌道にもどりました。一週間前モスクワに戻りました。ここに永住するつもりてす。当分どこにも旅行しません。演奏旅行はうまくいきました。ミンスク、ウィルナ、リガへ行って、リガからモスクワへ帰りました。そして、ソ連邦ロシア共和国最高会議に出席のためレニングラードへ行ってきました。
 近況をお知らせください。手紙を忘れずに書いて下さい!時間があったらピアノに向かうように。特に初見の練習をして下さい。私の「プレリュードとフーガ」はまだ作曲家連盟で議題になっていません。多分数日の間に結論が出るてしょう。結果がどうなったかお知らせします。
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▲カマローヴォ:1951年7月26日

 エディック!しばしばあなたと最後にお会いした時のことを思い出しています。あなたの目覚ましい大学の卒業論文のことを思い出します。だから、あなたのことを頻々と考えるのです。あなたは、人生で最も難しいほんとうに難しい時期を乗切ったのだと思います。あなたの前には科学者としてのあちゆる道が開かれています。あなたは大学院に進まれるでしょうし、私の考えては、三年以内に科字者会議の候補になるでしょう。そしてしばらくすれば学位もとるでしょう。こうしたこと全てが5年から10年の内に起るでしょう。もう一つの面では、あなたの優れた音楽の才能が引出されています。あなたは作曲家になりたがっているし、その才能もあります。あなたは第一歩から始めなければなりません。音楽院の勉強のために5年間が過ぎます。この短い間に、あなたの才能が完全にとはいわなくとも、目覚ましい程に開花するてしょうか。あるいは勉強が終る時に、あなたの持っているものに僅かなものが付加わるだけになるでしょうか?
 あなたのことを考える時、私の頭には何人かの作曲家の伝記が浮かぶのです。ボロディンは全生涯を通して化学者でした。その僅かしかない自由な時間を音楽に捧げたのでした。リムスキー.コルサコフは熟年に至るまて海軍将校でした。音楽の勉強は、彼が、全面的に生活を音楽に向けるようになった時初めて可能になりました。中級作曲家のセザール・キュイは生涯を通して学者てした(確か建築学)。リスト、ショパン、パガニー二は卓越した演奏家でした。そのほか多くの例があります。こうした例を考えて下さい!
 科学者を放棄して作曲家でだけありたいと本気で考えますか?
 多分ボロディンの道があなたにもっとも適しています。音楽の技法(和声字、楽器法、対泣法、等々)は音楽院でなくても習得出来ます。いまは「学者の道]をお選びなさい。この手紙て気をわるくしないて下さい。あなたへの大きな好意で書いたのですから。どうか元気でお手祇を下さい!

D.ショスタコーヴィッチ
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