新方丈記
2012
2012.05月24日 木曜 町田
昨夜は扁桃腺をやられたらしく、目が覚めたら喉が痛くて、声がまともに出ない。起床してうがいをしたら段段にましになった。健康の有難さを知る。Beethovenの弦楽四重奏曲、op.132の「病癒えし後の神への感謝の歌」の心境。
「ちいさき いのちの ために」、筝二面のための編曲。昨夜、札幌の佐薙のり子さんから電話、演奏しやすく、演奏上の問題はない、半音の上昇はなんでもない、とのことだった。有難い。佐薙さんは左手なしでもひける旋律担当の第一筝。第二筝は高弟の大畑こづえさんを想定した。その通りで演奏するだろう。ただし、中間部の転調はこの楽器には不適。転調はなしにした。
6月12日、紀尾井ホールでフジコ・ヘミングさんの演奏会、動物愛護のテーマリサイタル。また会場で「ちいさき いのちの ために」の楽譜を販売する。湯浅照子さんが尽力してくれる。有難いこと。つり銭の用意だけでなかなかたいへんである。
2012.05月20日 日曜 町田
今日で丁度一週間更新を休んだ。
特別に何か書いたり発言したりする意欲が段段減少してきた。やはり年齢のせいであろう。新聞は相変わらず政府と政治家と政治の悪口ばかり書きたてる。無責任な行為に、怒りではなく軽蔑を覚えるだけである。
昔、ソクラテスが演説している時、ある男が質問した。「人間にとって最も容易なことは何か?」と。ソクラテスの答え。「それは他人を責めることだ」。更に男は質問した。「それでは最も難しいことは何か?」。そクラテス、「自分を知ることだ」。昔の哲人の言葉はいまでも有効だ。それどころか、いまこそ人が聞くべき言葉である。他人を責めることが最も容易なこと、という一言は新聞、評論業者にこそ向けられる。他人のやることをとやかく言うが、それでは自分でやってみろ、ということだ。私は文化団体の運営にかかわり30年以上、そのことを骨の髄まで知らされた。政治というもの、他人を動かすということ、理想どおりにはいかないのである。
このところ、原稿書きが少し続いた。「バンドジャーナル」という雑誌にある人の作品評。「音楽の世界」の巻頭文、これは予定の人がキャンセルしたので代役。それと、この雑誌に新連載で、「私と、ラジオ・ドラマ]、10回以上になる予定だが、自分が半生をついやしたこの分野での現場体験記をぜひ記しておきたい。六月号から。
2012.05月13日 日曜 町田
今日はこころよい五月晴。不順な日々が続いていたが、ようやく落ち着いた。
TVのCMと、「赤旗」で、醜い人物像を登場させる愚かさを書いた。人の心に、「憧れ」、があることを、忘れた、あるいは、はじめから知らない愚かさを書いた。
ところが、電車の中で気がついた。雑誌の表紙、特に女性向け雑誌の表紙には、あいかわらず美女が用いられている。美学とか人の心とか、そんな高尚なことを考える者の仕事ではなかろうから、これは、本能的、経験的な理由での結果であろう。しからば、ここではなぜ「親しみやすい」、薄汚い女や男を登場させないのか、はなはだおもしろい。経験的に、人には、「憧れ」、「あこがれ」があることを編集者は知っていることになる。そう判断するのがなりゆきであろう。
人の心を知らない、このことはばかにならない。大阪の橋下なにがしが、市経営の楽壇を解散して、「行政に音楽は要らない」と放言したこともその一つ。人の心に「憧れ」があることを知らない馬鹿者がいまだにこの国にはいる。人の心の微妙さを知り、それを悪用しようとしたのはナチスのゲッベルス宣伝相である。この人の方がはるかに進んでいたし、知恵があった。いまどきゲッペルス以下の馬鹿者が登場するこの国はつくづく手がつけられない。地元以外ではこんな者を支持しないであろうことを信じる。この男は昔の野蛮な軍人以下である。
2012.05月10日 木曜 晴ときどき雷雨 町田
このところ、晴の中で突然雷雨、あるいは竜巻という天候が続く。
TVはほとんど見ない。余りに愚劣で面白くもない映像と番組ばかりだから。しかし、もののはずみで見てしまうこともある。瞬時のことだが。
宣伝CMでも、最近は昔のような美男美女ではなく、普通の人というか、ほとんど醜い容貌の人物が登場するようになった。これは見ている人たちにとって身近な存在の方が「親しみ」を感じさせるであろうという戦術からだろう。これと同じ戦術と思考をずいぶん昔見た。共産党の「赤旗」である。特に日曜版。昔はこんなものを見ていた時期があったことは白状するが。見るからに醜い小母さんたちが並んで、口に手をあてて笑いころげている大きな写真が第一面に出た。当時、この新聞を見るほどにこの党に好意を持っていたことは認めるが、その時でも、なんと醜い光景だろうと思った。この写真の掲載も、「自分たちと違わない人たち」を登場させることによって、読者に「親しみ」感をあたえようという作戦だったろうことは明らかだ。
最近のTVも、「赤旗」も両方とも戦術と思想は大きな誤りである。人には、自分よりもいいもの、自分より美しいものに「憧れる」本性があることを知らないから。「赤旗」の方は彼等の愚かな唯物思想のたまものであろうが、TVの方は彼等の求める商業的利益に反することになっていることに気がついていない。馬鹿者。
2012.05月07日 月曜 晴 町田
昨日は筑波で途方も無いタツマキが猛威をふるった。地震、津波、に続く自然災害。地震は下から、津波は横から、こんどは上から。これで三次元そろったことになる。
気象が異常になったのは熱帯雨林の乱伐採が原因という説がある。そんなことであろうと思う。自分に都合がいいように自然を破壊殺戮していく生物は自分で自分を亡ぼすことになる。
大阪の橋下なにがし市長は、市の吹奏楽団をいきなり解散すると発言して大騒ぎになっている。この人がやりそうなことだ。日本人がいかに品性に欠ける国民か、わるい方の範例みたいな人物でこの人はある。私は「イナカのHitler」と呼んでいる。Hitlerでもこんなことはしなかった。文化、品性、精神、というものがまるで分っていない呆れた人物である。なんとか維新の会とか称しているが、阿呆な新聞だけが騒いでいるだけで、日本人はそれほど愚かでないことを信じている。
2012.04月10日 月曜 晴 町田
桜はほぼ満開、好日と言いたいところだが、今年は何かと気象も落ち着かず、安定しない何物かを感得する。
不安と不幸、SONYが人員大削減ということ。天馬空を行く勢いであつたかつての新企業が所業無常なり。
政治の方では、大阪の橋下市長の維新の会とかが延びそうだという声があるが、そうはならないだろう。これは私見である。私の本能的観測ではそう読める。何故か、最大の原因は、日本の投票者が怠惰であることである。保守的などというものではない、低級な怠惰である。自民党に60年も政権をあずけてきたのは、保守指向ではない。単なる手がつけられぬ怠惰である。新しいことをしようという気力がない。ようやく、民主党に替えたが、60年後にはじめて政権を替えたのは馬鹿寸前の選択であったろう。ともかく面倒臭いのである。何か現状を変えるのが面倒くさいのである。いまになって民主党政府がどうだこうだと言っても自分がもたらした結果ではないか。橋下さんが出ようとしても出さないだろう。この人はいなかのHitlerでいるほかあるまい。永久に。投票者の怠惰をつく新聞も評論家もいない。
2012.04月08日 日曜 晴 町田
晴で桜も咲いたことだろうが、寒い。春暖とはとてもいえず。もっとも花冷えということはいつもあることだから今年が特別ではないかもしれないが。
今日、電車で前の席の人が読んでいる小型新聞が見えた。「亀井さんかわいそう、八人の仲間もまとめられないとは・・・」と書いてあった。確かにこんどは亀井さん、行動の読みを失敗した。ほかの人が付いて来ないのでは話にならない。何かを見誤った。
個人と集団がケンカするときまって個人の方が負ける。かつて、KarajanがBerlin Phil.と争った時、やはりKarajanの方が負けた結果になった。個人はどんなにえらい人でも代り手がいない。それに確実に歳をとる。集団は幾らでも代り手がある。年齢経過も関係ない。私は団体運営でこういう場面を何度も見てきた。深刻な経験である。集団相手のケンカはもともと不利だ。集団の方の意見文書は公文書になるが、個人の方は私文書にしかならない。このことは井上靖が「額田の女王」の中の政争の場面に書いている。はじめから個人は不利だ。
2012.04月06日 金曜 晴 町田
四月になり、新入生が街にあふれる季節になった。
芸大の同期会も昨年11月で学友高齢化のため打ち切りとなった。今昔の感に堪えない。自分の出身大学について冷淡な人もあるが、私は芸大はいい学校だったと思っている。
芸大という学校は不思議な特質を持っていた。それは、学校nationalismがないということである。学校nationalismとは何か。「本校は」、「本学は」、という意識がないのである。「本校の名誉」とか、「ほかの学校にくらべて本学は・・・・」という意識がない。
これはどういうことだろう。いまもつくづく不思議に思う。日本で唯一の国立官立の学校であつたが故に比較の観念すら出来なかっのか。それではひるがえって本校は一番上位の学校である、という優越意識の発生を生むように思えるが、そういうものがない。戦後、桐朋学園が創立されて一流の人材を次々輩出するようになったが、桐朋の創立時に進んで協力した人は芸大の人だったのではなかったか。朋友、学友の挙動を見て私にはそう思えた。かつて、東大の人と話た時、この人は芸大に比較意識があるかのように思って愚弄していた。この人は間違っている。
そのためかどうか、先輩、後輩、同輩が実に仲がよい。比較意識がないということは競争意識がないということであろう。だから、先輩は後輩のために誠心誠意力をかしてくれる。同輩の間でもしかり。友人を見れば競走相手と見る、そんなものがここにはなかった。
教育の内容についてははその気になればお粗末であったことは申し分なくあるが、それは言う気にならない。でも、いい先生のもとでは刺激交流しながら、得がたい時期を過ごすことができた。意地悪ということがなかった。このことは命ある内に是非記録にとどめて置きたかった。
2012.04月04日 水曜 晴 町田
水曜、晴、と書いても、昨日の暴風はすごかった。台風なみだそうだが、雨も恐怖だが風もうるさい。雨も嫌いだが、風の騒々しいこともまた格別である。静かに降る雨は詩情もあるが強風はうるさい。もっとも、穏やかなそよ風、breezeというのもあるから、どちらも同じようなものかもしれない。
新作「夏のうた」が終結にさしかかる。作曲は難しい。西洋の場合、主題が提示されると続いて「確保」という操作に入る。おおむね、提示した主題を繰り返す操作である。念を押すようなものである。そしてさらに、この主題を徹底的に展開する。それは主題の徹底ということである。一度提起した主張をさらに趣旨徹底のためのとことんの作業をする。自分はこの手段がどうしても抵抗かあって出来ない。一度提起した主題を繰り返し、その論旨の徹底をはかるということが出来ない。くどいのである。一度提示した主題はそのまま繰り返しもしたくない。日本人的な淡白なのであろう。しかし、趣旨徹底をつくしてある主題は当然ながら相手には論旨が徹底される。
一度提起したものを繰り返すのはあくどく思われるのは下降線を好む日本人の美意識であろうとこの頃自分で勝手に解釈している。「平家物語」も全盛期から始まり滅亡までをえがく下降線、diminuendoの美学である。筝の音の本質は実音ではなく、その余韻残響に美があると、これも自分勝手に解釈している。西洋の文物で下降型の作品はギボンの「ローマ帝国衰亡史」だが、はじめから衰亡史をテーマにしているのだから当り前のことである。
2012.04月01日 日曜 晴 町田
今日から四月。
快晴温暖な四月の始まり。昨日はひどい強風でおそろしく不快な日であった。
ほとんど見ないTVを留守番で見ていたら、童謡のふるさと訪問の番組に会った。
「朧月夜」-おぼろづきよ-という有名な歌。この歌の作曲者か作詞家の郷里が紹介され、歌の譜が刻まれている碑が映し出された。五線譜である。
この歌がAuftakt1始まりであることをはじめて知った。私はこの歌の譜を見たことがなかった。余りに知られた歌なので譜を見る必要にも出会ったことがなかった。
何年か前、作曲家の菊地雅春君と三軒茶屋で飲んでいて、この歌のことが話題になった。菊地君もこの歌の譜を見たことがないという。菊地君がなにげなく、Auftakt始まりかもしれぬ、と言ったのに、私は、あんな簡単な歌がそんなことはなかろう、と答えたことを覚えている。
それが見事にAuftakt始まりであることを知った。日本的な平明な旋律だから、Auftaktという西洋的なふしまわしとは思いもよらなかった。明確に記譜されているのを見て恐れ入った。そして、Auftakt始まりにすると以後のフシまわがもいかにも自然になる。専門家の作曲家が二人、まことに不覚な次第。
2012.03月30日 金曜 晴 町田
晴の予報だったが、朝からの曇天、なかなか終らず、午後遅くなり陽光さす。有難し有難し。
こうしている間にも人の世は過ぎていく。政界に限らぬが・・・
いちいちあげつらう気にもならぬ。政界では野田総理という人は意外に日本人の風土にあった「逸材」であるらしい。人をまとめるちからがある。
強行対決、採決、というのを日本人は好まない。それが国民的気質である。その気質がどうして形成されたのか司馬遼太郎さんにでも聞くほかないが、司馬さんもおそらく質問には答えないないだろう。
国民的願望ということは、ある強い指導力-いま風にいうと、「leadership」ということになろうか-そんなものに期待する気質になっている。もっともそれは自然にleaderたるのだろうか。上に立つ者は指導力がなくてはつとまらない。民主的ということは不甲斐ないということではない。ほどほどに妥協的で、ほどほどに強力な、そんなものが日本の風土にあう。野党はことあるごとに解散をさけぶが、ホンねではそうではあるまい。いま選挙したら自民はいまよりもっと負ける。だから、これもタテマエ論だ。
なさけない政界になったが、こうした最大の責任者は「国民」である。これは何度でも言っておく。いま、えらそうに政治家、政党、政府、に罵言をあびせている投書者がいるが、彼等にその資格はまったくない。こんなのを煽りたて、「国民のきびしい声」などとはやしたてている番組がある。こんな司会者は最もくだらぬ人間であることを再認識する。
2012.03月25日 日曜 雨 町田
二日近く続いた陰惨な雨があがった。陽光充ちる。Beethovenの「田園」第五楽章である。
書棚を片付けていたら、さだ・まさし、のcassetteが出てきた。私はこの人の歌が好きだった。過去形で書いたのは、しばらく遠ざかっていたからである。この人は声がいいし、自作の曲もいい。もっとも、編曲はそれ専門の人が仕上げているようである。山本直純君が新日Philを指揮して編曲と伴奏をしている曲もある。いままたひさしぶりに聞いてみたが、昔とはほんの少し受けとりかたが変ったことに気がついた。ありていにいえば昔ほど共感しなくなったということだろうか。時間がたち、当方も加齢し、時代も変ったのだからこれは仕方なかろう。
この人の歌に対しては、演奏ではなく自作の曲、その歌詞に対し、かねてから批判はあった。反政治的とか、マイホーム指向とか、そういうことである。私はその点は昔はあまり気にならなかった。しかしいまは、やはり、何かが気になる。時代のあり方が反映しているのだろうか、あの時代、全共闘闘争が挫折して青年が内向きになった。東急ハンズが出来たのも、当時の若い世代の政治離れ、my
home化、そういう時代の流れを見込んで家庭生活指向の商品を売り出そうとしたからだそうだ。
いまこの人の歌を聞くと、なるほどそんな時代が反映しているように聞こえる。「関白宣言]、「親父の一番長い日」、などはその代表である。ことに「親父・・・」は反家庭的な私には鼻持ちならないものがある。物分りがよすぎる若者、とでも言おうか、これがあの時代に適合したのだろうか。
歌は世につれ、というが、大衆音楽は世につれるがクラシックはどんなものだろう。相手かまわず気違いじみたものをやりたい放題というのもどうかと思う。難しいものだ。
2012.03月23日 金曜 雨 町田
数日好天が続いたが、ついに雨となった。この三月は天候がわるい。春暖もだいぶ遅れるそう。
過ぎし12日の「舞踊と音楽」の企画からすでに10日以上たったが、昔の時代を知る者にとっては特別な感慨もあった。
いまから50年、60年前、通称自称の「前衛」音楽、「前衛」芸術全盛期があった。あの時代、「××工房」などと称して盛んに活動した人たちがいた。あの時代のそれらの人たちの言動思想には、自分たちの芸術思想こそ、いまこの時代に必要にして、しかも現状では充分に実行されていないものである、自分たちと同でないものは時代の要請を感得していない無用の時代遅れである、という排他的なものが目に余るほどあった。それはあたるべからざる高姿勢なもので、このため日本の音楽はどれだけ歪められたかわからない。亡くなった別宮貞雄さんはこうした暴風に敢然と抵抗した英雄的な人である。音楽雑誌、新聞、報道の犯罪的加担はまことにけしからんものだった。
こんどの公演には、こうした排他的、独善的な気配がまったくなかった。かなり、きわどい出し物もあったが、ごう然として人を見下し排除する気風はまったくなかった。それぞれの出品者が平静に自分の思う所を出している。その点がこころよかったし、時代の変りをいたく痛感したところである。こういう出し物なら好きなだけ催したらよかろうと思ったのである。
2012.03月22日 木曜 晴ときどき曇 町田
オーストリアの哲学者、Karl Popperは作曲の勉強もした。Wien音楽院の宗教音楽科という所で勉強し、四声のfugaを書くところまで習得した。そして、自分の才が音楽に向いていないことを悟り、退学してWien大学に転学した。文学部哲学科に入った。そのPopperの言。作曲する時、自分から出発するのではなく「音楽」から出発すべしと。これはもっともなことだが、時にとても難しいことになる。自分に忠実、誠実であろうとすると、自分の内心の声に心を集中することになる。そして、ある場合、自分には忠実、その点申し分ないが、聞いてもらう相手のことは眼中にない奇怪なものを作ることになる。これはどうしたらいいのだろうか。どんな人も作曲家も経験することだろう。人間は、絶対孤独ということがありうるだろうか。そこに焦点がある。孤独ということは実はありえないのではないか。心の中に自分ではない別の人がそもそも一緒に住んでいるのではないだろうか。その心の中の他人を無視して「自分」を追うと、人に通じない独善が生まれるのではなかろうか。
2012.03月18日 曜 曇のち雨 町田
昨日に続いて、曇天から午後は降りだした。陰気で閉口する。
四月の末に札幌に行くことになった。筝曲の佐薙のり子さんの門弟演奏会で、佐薙さんが私の曲を初演するため。4分程度の短い小品、曲題は「芳野川」。この曲はまことに不思議ななりゆきで出来た。
自分は作曲に当っては計画的で、すべて周到に自己表現の手順を進めるのがいつものこと。しかし、この曲「芳野川」は、主題がある時から私の中で鳴り始めた。こんな奇妙な懐胎をしたことは初めて。単純な歌曲形式で、整然として、しかもある哀調を秘めた不思議な旋律。
最も心配しているのは、知らぬ間にどこかの曲が耳に入ってきて意識に居座ったのではということ。つまり他人の曲が耳から入ったのではないかということ。だからこの旋律を採譜して、信頼できる知人、友人に出来るだけ多く見せて聞いてみた。専門家もそうでない人にも、洋楽系の人にも邦楽畑の人にも。しかし、誰一人知る人はなかった。
こういうなりゆきは、曲を期待する人に対して、いいことなのか、そうでないのか見当がつかない。ある時、この曲は既存のなんとかだと指摘をされたら狼狽困窮するほかない。いまは、あるがままに作品として公表する次第となった。
2012.03月14日 水曜 晴のち曇 町田
一昨日12日月曜日は日本音楽舞踊会議主催の公演、「動き、舞踊、所作と音楽」、墨田Triphony。自作の「独奏十七弦による三章」が上演された。花咲さみ八さんの地唄舞が入り大成功であったが、舞台稽古が終ったのが14時40分頃、それから開演の18時30分まで時間が空いた。外に出るにも寒いし、出て何をするわけでもない。とどのつまりは、劇場のロビーに黙然として椅子に座していた。時々通りかかる顔見知りと短時間雑談をすることはあったが、基本は空白時間である。人間というものは激しい労働にももちろん疲れるが、なんにもしないで時間を過ごすということも意外に疲労を呼ぶものである。このこともはじめて知った。
終演後には打上げ、それから帰宅、帰りは深夜0時半を過ぎていた。この会場は西からは遠い。いつもこの時間になる。いつかは午前一時を過ぎて帰宅したこともあった。さすがに年齢による体力の低下も痛感するはめになる。だいぶ前に、想定外の事情から羽田空港に早く着きすぎて同じくらいの時間を空白で過ごしたことがあったが、今回は後で本番がひかえている。完全には緊張を解くことができない。自分は出演するわけではないが、出演の人たちはもっとそうだろう。それが潜在的に緊張として底に居座るから疲れる次第となる。
ともかく本番は成功だった。出演者に深感謝する。
2012.03月11日 日曜 晴のち曇 町田
大震災から一年目の日となる。
天候も同じようであったように記憶がある。
あの時は驚愕と恐慌であった。この仕事場に居たが、六階なので地上にり更に揺れが大きかったのではなかったと思う。器材が次々と転落した。細かい部品が散乱する。普通の地震なら揺れがおさまる頃合になっても、おさまるどころか、更に大きくなる。
電車は止まり、この部屋に泊まった。何が起こるか分らないのがこの世だが、地震学者の間では予測があったそうだ。しかし、これは政治的、行政的に大問題になるので、行政のしかるべき部門に訴えても、結果が大きいので取り上げられないことになるのだろう。少なくとも、なかなか関心を持ってもらえないだろう。
人の世の宿命か。こんどは現実感が出来たから専門家の進言にも無関心や無視に近いことは出来ないだろうが。
日本の国土全体が不安定な地盤の上に置かれているらしいので、この国にすめば無縁に生きるわけにはいかぬ。かつて、アルメニアで大地震があった。NHKの報道のあり方に寺原伸夫君が文句を言っていた。外国の地震の報道にも文句が出るのだからこういう事件は難しい。
2012.03月08日 木曜 曇 町田
名古屋市の河村市長が中国南京市の抗議を受けている。「南京大虐殺はなかった」との発言が中国側を怒らせた。事実はどうだったという話の前に、ものの言い方というものは注意が必要だということを痛感する。
その場に居たわけではないから、実際に、どういう状況で、どういう言い方をしたのか不明でしかないが、この人の言い分が仮りに本当であったとしても、時と場合、相手、それに話を出す順番と次第、そういうものを総合的に判断する意識が必要であるだろう。
知事は政治家である。人間が相手の仕事の専門家だし、そうでなければならない。この人はずいぶんと地方自治に意欲的革新的で肯定的に見られているが、言葉の使い方で専門家なりの判断力を備えているかが問われる。
「南京虐殺」があったか、なかったか、あったとしても、伝えられるほどの規模のものではなかった、そういうことは疑問の対象にはなるだろう。しかし、大前提として、日本が中国を侵略してひどいことをあまたしたことは疑いない事実である。南京事件がどうとか言う前にそのことを心得れなければなるまい。しかりとすれば、言い方の順番も少しは変えなければならないだろう。普通の人でも、心あればさような配慮は心得ている。知事ともなれば資格を問われてもやむをえまい。
2012.03月07日 水曜 曇 町田
昼頃、自宅のComputerに椿事発生。
displayの画面が急に横になった。90度回転したのである。ヨドバシのサービスに電話で聞いたが、電話ではなかなからちがあかない。いろいろ指示されるままに操作してみるが器械はいうことをきかない。pointerそのものが勝手に移動して自由に操作できないのである。参った。ついにヨドバシに持ち込むことにした。もともと、町田のヨドバシは私の仕事場から30meterくらいしか離れていない。毎日店の前を通ってここにくる。
CP Docという相談受付に持ち込んだ。応対した人がほんの少し操作しただけでなおった。他愛ないほどでお騒がせの一件であった。心配なのは再発。この点も相談すると、Computerの本体をタテにすればいいとのこと。なんとも喜劇的な話である。Computer器種はwindows
7で昨年11月に買ったばかり。note型なので、自転車のうしろのかごに乗る。だから徒歩で運ぶのはごく限れた距離だけ。小型で軽いということは有難い。これがdesk型だったら往診してもらわねばならなかったろう。まことにもってお粗末の一席だった。病気をすると健康の有難味がわかるのは人体だけでない。
2012.03月06日 火曜 晴 町田
2日以来の更新となった。この間、天候はよくなかった。昨日はことにひどかった。三月に入り、春の天気の変りやすさが表われてきたようだ。なんにせよ、この冬の寒波ははやく去ってほしい。
プロとアマチュアの違いはなんだろうか。なかば現実の事柄として考えるはめになった。
アマチュアの水準が高くなったという話はずいぶんと聞かされてきた。しかし、やはり、この二つには厳然たる違いがあるというのが私の判断である。越えがたい区別がある。技術からして画然と違う部門があることは書く気にならないほどあるが、さような話とは別に厳然たる違いがある。違いの所在は簡明である。プロには生活がかかっているということである。ちいさなpiano教室を開いている先生にしても、生活がかかっているということは、そうでない人とは根底的な違のである。ことは命がけだし金銭がかかっている。仕事に向きあう意気込みがまるで違う。
orchestraの場合は、まだ違いがある。端的に言えば、プロの人たちは土方(ドカタ、肉体労務者)である。。地下足袋はいて、泥まみれになって働く土方である。サラリーマンのおトーサンがワイシャツ姿で日曜日に庭いじりするのとは訳が違うのである。ヘタをすれば翌日からメシが食えなくなる。プロの世界の厳しさを知らない人はこの点を知るべきだ。工事現場にしろうとが紛れ込んできては迷惑だ。
2012.03月02日 金曜 晴 町田
今日はまた朝から本格的な雨。有難きしあわせである。
2月29日、国会での党首討論、事前に両党首が都内で密会していたとの話があり、騒ぐ筋がある。今朝もTBS
radio、森本毅朗の時間に小沢遼子が、誰がリークしたのか、秘密を漏洩したのか、と力んでいた。秘密なら漏れるようなことをするな、というわけである。
新聞論調も、けしからん、談合だ、というのと、おとなの討論でよかったというのと二種類ある。私は、まったくのしろうと推測だが、このリーク、漏洩は意図的なものだったと思う。故意に漏洩したのである。幾らいまどきの政治家ととり巻きが阿呆でも、こんなこと、取材者がたかってくることは分りきっているではないか。本当に秘密ならば漏れるような間抜けなことをするわけがない、というのが私の観察である。当っているかどうか、それは分らない、何の根拠もないしろうとの推測である。
時代が変ったのである。昔風の政治家の談合なら、なにやら怪しげな取引をしたかもしれないが、いまはすでに、こういうタイプの政治家の時代ではない。
民主にせよ、自民にせよ、どちらが政権にあっても、そう違うことが出来るわけではあるまい。ほんの少し、どちらか寄りという程度だろう。それなら、いきりたって向かい合うより、話し合いをした方が実りがあるではないか。ただ、私がよくないと思うのは、1955年の保守合同のようなことだけである。どちらも政策にさほどの違いはないのに複数政党制が必要なのは、単独政権はかならず腐敗するからである。自民が60年も政権の座にあったために、いま問題になっている年金の下請け会社が預かったカネを使ってしまったというような腐敗が起こる。これも自民長期政権のもたらした産物である。そして、さようなあり方を生んだのはほかでもない主権者である国民ではないか。政治家の悪口をいう前に自民政権を許してきた国民有権者こそみずからを恥じるべきである。
2012.03月01日 木曜 晴ときどき曇 町田
昨日は東京としては異例の雪のため外出しなかった。雪で滑って怪我した人が200人以上との報道。雪国生まれにとっては、こんなものは大雪の部類に入らないが東京の人は大騒ぎ。北国では雪で滑って転倒という事例は聞いたことがない。どういうわけか。靴が違うのだろう。雪国ではその季節用の靴を着用するのであろう。
前回書いたことに誤りがあった。Rene Leibowitzの著書は「Schoenberg and
his school」であった。「Schoenbergとその樂派」という意味である。Schoenberg 自身の著書は別物で、これが「Style and Idea」であった。この寓話はこの本に引用されていた。Leibowitzの著書、「Schoenberg and his school」はその昔、柴田南雄先生の所で研究講読会でtextとして読んだ。1950年代の話である。「Style and Idea」は英語で書かれているが、この英語がまたきわめておかしなもので、戸田邦雄先生がどこかで書かれていた。「奇妙な英語で書かれている」と。「therefrom」、なんて英語、あるのかもしれないが、普通には余り聞かないし読むこともない。これはドイツ語の「daraus」、とか、「daruberhinaus」などの語、言い方を強引に英語に持ち込んだものであることは明白である。自分流の言い方をほかの言葉にまで持ち込むところがいかにもSchoenbergらしい。
2012.2月27日 火曜 晴 町田
いつまでも寒冬が続く。
前から気にいっている童話がある。童話というより寓話という方に属すかもしれない。
ある所をムカデが歩いていた。蛙が通りかかりムカデに声をかけた。「ムカデさん、ムカデさん、あなたは、その沢山の足で歩いているけど、どういう順番で足を動かしているのですか?」、ムカデは答えようとした。「えーと、・・・」ムカデは答えようとして足の順番を考えた。ところが考えた途端に自分でも分らなくなった。歩けなくなった。
これは実はSchoenbergの文に出てくる話である。「Style and Idea」という書物は「様式と構想」というふうに邦訳されているが、ideaという言葉にはもっといろいろな意味が含まれている。「Style and Idea」という本自体はSchoenbergの尊崇者、Rene Leibowitzの著書だから、その中に引用されていたSchoenbergの文だったと思う。このへんのことは遠い昔のことだから詳しくは忘れしまった。しかしこの寓話はSchoenbergのものであることは間違いない。いろんな暗示と意味合いを含んだ話である。意識過剰は自縄自縛におちいる。そのことをSchoenbergは知っていた。この先、どういう話になっていたかは忘れた。
2012.2月25日 土曜 雨のち曇 町田
民主党の前原さんが産経新聞記者の取材を拒否した。おおかたの意見は、大人気ない、言われても仕方ない、新聞は批判が役割だ、というのも。大阪の橋本市長が新聞は批判が役割と言ったそうだ。これはいまの大部分の言い分だろう。しかし私はそう思わない。近年の報道機関の政治記事は余りに傍若無人だ。新聞、週刊誌、放送も含めて。程度の問題ではない。原理的に認められない。民主主義の域を越えているというのが私の見解である。
民主主義というものは権力を分かち持つものである。そうであるなら、主権者には権利があるが、同時に責任もある。権利ばかり使って義務と責任を放置することは許されない。報道だけでない。一般国民も報道の無責任に煽られて、権利ばかりの責任忘れの気風が蔓延している。政治家や政府は悪口雑言の対象であってそれ以外のものではない。それではこの国の政治はどうするのか、どの人にも権利と同時に責任があるはずだ。ラジオ番組によせられる聴取者からの声なるものも、この責任放棄、失念、が破廉恥に露呈されているものがあり不愉快である。
2012.2月24日 金曜 晴 町田
昨日は深沢亮子さんとベルギーの弦楽四重奏団による演奏会。
Mozart二曲と、と私の「松雪草」が曲目だったが、アンコールで、深沢さんが「ちいさな いのちの ちめに」をひいてくれた。この曲はFujikoさんと深沢さんが盛んにひいてくれるので多くの人に聴いてもらえる。有難いことである。
アンコールにはもう一曲、中田喜直さんの「夏の思い出」がpianoと弦楽で演奏された。これがとてもよかった。やはり、自分の国の音楽はいい。偏狭なnationalismに私は強く反対してきたが、ごく自然に演奏される自国の音楽、歌は外国のものより心にうったえてくる。
戦前の日本の作品では、器楽曲の複雑なものには技術の未熟なものがあり安心して聞けないものがある。そういう類いのものをnationalismで推奨することにはいまも賛成しないが、歌曲はごく自然な、旋律であり、歌であるのでこだわりはない。まして、中田さんは西洋の和音を身につれた人で不備はない。安心して楽しめた。外国の演奏家たち、演奏団体が、こういう曲をとりあげてくれることもまたうれしいことである。いい体験の一夜であった。
2012.2月21日 火曜 晴 町田
今日も有難いことに幾分寒さはやわらいだ。もう二月も下旬である。
13年前の山口県光市での母子殺害事件の犯人に最高裁が死刑の最終判決を下した。これで確定である。まことに正当なことである。こんなことに報道も名士たちも何をこだわり問題視するのだろう。法律のしろうとには全く理解できない。悪いことをすれば罰せられるのは当り前のことではないのか。犯人に立ち直る機会がどうとかいう人がいるが、なんの話をしているのか。殺された側はどうなるのか。立ち直るどころではない。何年か前にこの事件について書かれたものを何かでつい読んでしまったが、ひどく残忍な方法で殺害したそうで読むに耐えなかった。
いったい、罪に対する罰というものは、被害者がある場合、報復という内容を否定できないと私は思う。人間として当然の自然な感情要求なのであって、これを無視してとやかく言うこと自体が私には理解できない。犯人だけを言葉をつくして擁護する。殺された側についてはまったくの無関心。浮ばれないというのはこういうことをいう。昨日の報道では、刑罰は重くなる傾向にあるそうだ。いいことである。
2012.2月20日 月曜 晴 町田
連日の寒さも少しはやわらいだかのように今朝は体感した。まだこれからどうなるか分らないが。
年末年始以来、友人先輩の死が連続した。異例のことである。人の死には過剰な感を持たない方だが、さすがにここまで続くと響くものがある。乗っている電車の乗客が段段減ってきたような寂寥感である。
同年輩の人の死亡があると追悼文を書くのが生き残りの役回りになる。こんどは三つの雑誌に追悼記を書いた。それぞれまったく同じにならないようにすることに手がかかった。
ついでに自分の追悼文も予定原稿で書いておこうか、などと冗談半分に思うことがある。しかし、死後に、いかに当人に不本意な文を書かれても自分はもうそれを読むことはないのだから関係ないか。トルストイの「戦争と平和」の中で、ボロジノの大会戦の前夜アンドレイが黙考する場面がある。
「俺は明日確実に死ぬだろう。しかし、その後何が起ころうが俺には関係がない。俺はもうそこにはもう居ないのだから」。
2012.2.19日.日曜 晴 町田
晴とはいえ、ひどい寒さは続く。どういうことなのだろう。
私は北海道の生まれだから、寒さには馴れているはずだが。東京の寒さと北海道の寒さは違うようだ。東京の寒さは、人のふところに入り込むような寒さとでもいうか。温度では北海道の方が当然低いだろうが、東京の寒さは不愉快である。
Polandへ行った時、特別な寒さを感じた。あのきびしい寒さは北海道とも東京とも違う。足の下から這い上がってくるような寒気。Chopinの家へ案内されたが、夕方近く小雪が降ってきた。Warsowまでの岐路で、風変りなdrive-inに入った。直訳すれば「Napoleonの乗馬靴」という意味だそうだ。いまでは長距離トラックの運転手たちたの休息所になっている。NapoleonはRussiaでの敗走の途中ここへよったのかもしれない。Kolbe神父の生前の修道院にもつれられて行った。暖房のない所で神父は過ごしていたようだ。
2012.2.14.火曜 雨 町田
朝から霧のような雨。しばらくぶりだから当然である。人間生活には雨もまた有用でもあろう。
このところ、アメリカの有名歌手のなにがしさん、ホイットニー・ヒューストンさんという人の急死についての報道がおびただしい。公共放送のNHKまで昼のニュース番組で、繰り返し天下の大事件のように繰り返し伝えている。
私はこの人を知らない。名前を知らない。聞いたことがない。
私自身は当然クラシック分野にいる者だが、popular分野にもまったく無関心であるということはない。有名人材についてさほど無知ではなかったと思っていた。しかし、この人については全く名を聞いたことがない。一度でも名前を耳に入れたことがない。ヘンな話である。はじめてのことである。
世代が違うとはいっても、若い人と接することだってないことはない。若い人たちから近年の話だって聞くこともないではない。一度くらいこの人の名を耳にしてもいいではないかと思うのである。しかしこの人の名はまったく耳にしたことがない。なんか、まことにヘンである。
2012.2.10.金曜 晴 町田
松本清張の「ゼロの焦点」をまた読む。この小説は推理小説というだけのものではない。一遍の文学としてなかなかの魅力を秘めた作品である。
たしかに推理的な要因も内包しているので、二度目として読むと、一度目には気が着かなかった疑念点が自然と湧いて出てくる。結末を知って読むのだからこれは当然のことである。
四人の人を殺したのは社長夫人であった、というのが結末だが、結末を知ってから読むと、まずここに疑念が出てくる。人を殺し、あやめた人が、行為の後でこんなに平静でいられるものだろうか。しかも最初の殺人は断崖から人を突き落とすという手荒いやり方である。この日、夫人はどういう手段で、かなりの遠隔の現場から帰宅したのだろう。そして、帰宅後に何事もなかったかのように振舞い、家人にも気づかれなかったのだろうか。そんなことがありうるものだろうか。
次に、二度目からの殺人のうち、二回までもが毒入りウイスキーによること。もし相手が飲まなかったからどうするのだろう。人はそんなに、単純に預けられたウイスキーを飲むものだろうか。私はワインもビールも好きだがウイスキーはごめんである、好きでない。こういう人間もいるのである。
まだある。かつての警察官に出会った夫人は恐怖と不安のため、懐柔を意図し、夫にはたらきかけて相手の仕事の便宜をはかる。しかし、こういう時、人は本能的に相手から遠ざかろうとするものではないだろうか。小説中でも、相手の人物は、脅迫などする性格の人ではないことが夫人には知られる。こういう時の恐怖と不安がどれだけのものであるのか、経験のない者には推測しがたいが、あの時代を知る私でも、少し不自然に思われる。
しかし、とはいいながら、この作品は文学としてなかなかのものだ。日本海岸の能登半島の暗い風景の中で暗澹たる物語が進行する魅力は得がたい。戦後文学の傑作の一つであることは間違いなかろう。
2012.2.9.木曜 晴 町田
ようやく陽光さす。気象庁発表の気温より体感として暖かく感じる。
昨日、従妹の女性から手紙あり、社交ダンスを習っているとのこと。すでに定年後で楽しみのため。こういう教室も時に発表会を催し、正装で演じる。タンゴを習得しているそうだが、発表会の時の音楽がBrahmsの四番だそうだ。これには驚いた。この曲の第一楽章の第二主題はなんとなくリズムがタンゴに似ている。
そのことは誰しも同じに感じるらしい。矢代秋雄さんが、生前どこかに随筆で書いていた。「この主題がどうも自分にはタンゴに聞こえる。自分の不謹慎な性格のゆえだろうか。この時代Wienにタンゴが入っていたかどうか、誰か調べておしえてほしい」、と。今日、あらためて聞いてみたが、第二主題に限らず、で出しからして憂愁と感傷に充ちた曲想がいかにも社交ダンスに合い、その場にふさわしい。クラシックの大作が社交ダンスに使えるということは、それだけ人の心に受け入れられやすいということである。高尚でありながら分りやすいということは音楽に限らず芸術創作の極意ではないか。あらためてBrahmsに感服したし、作曲のあり方にも拳拳服膺するものがあった。
2012.2.7.火曜 雨のち曇 町田
石原さんについて、くどいようだが、まだ言うことがある。
あれはいつのことだったか。民主党が結党して間もなくのことだった。ラジオで政党討論会みたいなものがあった。NHKではなかった。出来たばかりの民主党を代表して菅直人さんが出ていた。石原さんは自民党の代表だったか。この時、石原さんが菅さんに向って言った。「あんたんとこは、吹き溜まりみたいな政党作って何するんだい。党の名前も忘れちゃったよ」と。菅さんは静かに「民主党です」と答えていた。礼儀知らずを私は大嫌いである。その「吹き溜まり」に自民党は政権を追われたではないか。
石原の礼儀知らずの話ばかりではない。「吹き溜まり」が政権を奪うまでに20年近くかかった。いま、あやしげな新党の動きなどやっている人たち、こちらも申し分ない「吹き溜まり」だが、こんなものが力を持つとでも思うのか。
こんどの選挙では政治不信が増大しているので棄権が増えるのではないかと推測されている。そうなれば、大政党が相対的に力を増し、少数党は存在が弱くなる。阿呆な新聞TVが政治家の悪口言い続けたあげくがとんでもない政治を招くということだ。
2012.2.5.日曜 晴、幾らかあたたかい日 町田
昨日と同じ天候表記となる。ともかくひどい寒気だけはご免。
昨日、都知事石原さんのことを書いたが、まだあった。はじめて都知事になった時、「なるべく国の方針と衝突するように」と部下に訓示していた。自治体が独立国みたいなものと思っていたようだ。しかし、やがて行政のタテ構造を思い知らされたようだ。「国との衝突」都政という謳い文句は言わなくなった。記憶によれば、何かの機会に国の行政権を強く思い知らされたことがあった。これは本人が語っていたことである。「国の権力を思い知った」と語っていた。これなんか初歩的な認識間違いではないか。少年小説的水準の幻想である。
しかし、報道がまた不思議なことに、このことを辛らつに批評しない。強い口調で物言う人に新聞放送は弱腰になる。石原さん当人もさりながら、こんなあやふやな報道が日本の政治を好き勝手に動かしているのなら、これほど不当でけしからんことはない。強きを助け弱きをくじく、これが報道機関だ。自分勝手なことを振りまきながら、media ― 媒体、などととんでもない。ごまかしである。
2012.2.4.土曜 晴、幾らかあたたかい日 町田
ようやく幾らか暖かみのある日になった。ことしはひどい寒冬だった。昨日は節分、今日は立春とのこと。季節の進行はいまのところ有難く進んでいる。
石原都知事の政界がらみの報道が新聞にちらちらする。新党に参加するとかしないとか。しかしよく考えてもらいたい。この人、いったい何歳になるのか。記事を書いている記者は若いから年齢の感覚がないのだろうが、80歳かそれに近い人がいまから何をするのか。亀井さんも平沼さんも同様。いかにいま元気でも自分を知ることが肝要だ。私自身もそう心得ている。
石原さんについては、私と同年輩か少し下である。この人を私は信用しない。大言壮語するからである。都知事になる時、揚言したことは三つとも実現しなかったではないか。横田基地を返してもらうという。これはアメリカ側から、国のレベルの話だと一蹴された。赤字の企業からも都税をとるという案、これも失敗した。都が銀行を造るという案、実現したが大赤字で収拾に大迷惑をかけている。全部失敗したではないか。人の耳にいかにも爽快に聞こえる話を聞こえよがしに大声で呼ばわる。そういう人を、私は、はじめから、うさんくさく、信用しない。意志と勇気のある人は物静かなものだ。石原さんという人は真実は心の弱い人である。私はそう見ている。弱い××ほどよく吠えるという。
新党がどうとか言ってるが、私はまったく信用しない。にわか仕立ての政党に日本の国民は支持をあたえないだろう。そんなことをする国民なら、自民党に半世紀も惰性的に政権を預けっばなしにするわけがない。アブクのような話だ。
2012.1.30.月曜 晴、寒い 町田
NHKの花輪一郎さんが亡くなった。
花輪さんは、私たちの年代の者が若い時たいへんお世話になった人である。
花輪さんは、洋楽部の人で、戦中派の趣味か、大正インテリの好みか、外国のpops音楽が大好きだった。それも豪華版型、大編成オーケストラの音楽が好きだった。ご自身の担当番組「音楽の花束」では、大編成オーケストラを動員し、主にアメリカ製の音楽を録音放送した。東京フィルハーモニー、通称、東フィルがまるごと、金管三人、打楽器四人で出ることもあった。私たちは学校を出るとすぐに花輪さんの番組の仕事を頂いた。奇妙なことは、市販のLPレコードを預けられて、そこからスコアを楽譜に起こす仕事が多かった。それなら、そのレコードをそのまま放送すればいいわけだが、ナマで演奏で録音放送したかったというのが花輪さんの好みだったのだろう。何より得る所が多かったのは私たちである。大編成orchestraですぐに実験できる、こんな都合がいいことはあるものではない。ここで私は二年半くらい修行を積み、orchestrationでは存分に腕をきたえることができた。こういう技術の修行は、現場で、実際に演奏する人を相手に修練しなければ身につくものではない。こんな大編成orchestraを動員したらどれだけの経費がかかるものか。編曲料は安かったが、この成果を考えれば、途方もなく高価な勉強をさせてもらったことになる。のちに大成した作曲家たちが何人もここを修練の場として仕事をさせてもらった。林光や矢代秋雄などもその中にいた。作曲家ばかりではない。指揮者もまたしかりである。いまは天下の小沢征爾も、デビュー以前の無名の時に花輪さんのこの番組で指揮をした。岩城宏之もまたしかりである。指揮者にすれば、本物の大編成のorchestraを指揮する体験ができるのだから、作曲家同様、無類の実戦訓練ができたのである。当時のNHKはこういう所で意外な文化貢献をしていたのである。
花輪さんは、仙台の人で、東北大学で国文学を学んだ人であった。私たちの機関誌「音楽の世界」に回想記を書いて頂いたことがある。それはのちに単行本となり、NHKの出版協会から出た。クラシック音楽分野でのちに大物になった人たちが若き日に目につかぬ所で腕を磨く場を作ってくれたのが花輪さんであった。一時、NHK仙台局に戻られたことがあり、私は、毎年、放送劇の仕事を頂き仙台まで車で出かけたことが何年もあった。当時はまだ高速道路がなく、国道4号線を長時間かけて往復したが、それもまた楽しみであった。
すでに90歳をはかるに超えておられたから、天寿の全うで、お祝いをさしあげたい実感である。有難うございました。
2012.1.23.月曜 曇のち雨 町田
今日も続いて悪天。これでどれだけ続いたか。明日はようやく晴れるそうだが気温は低く寒くなるそう。
先輩朋友の追悼記を書いて、複数の文が重複しないようにすることは至難である。どうしても書いておくべきことは重ねて記述することは仕方がない。しかしまだ書いていないこともあった。
林光が言っていたこと。いままでの日本の作曲は「文学青年」の仕事だった。これからは「音楽少年」の時代になる。「文学青年」とは、音楽はさほど身に着いていないが頭の方だけは進んでいる、いろいろ仕入れている、という意味である。音楽が身につくには幼児からの教育とそれを可能にする家庭環境の豊富さと完備が必須条件である。後進国として西洋音楽を始めた国としては意識先行の文学青年から始ることはやむをえない過程であったろう。
私たちの世代、といえば、太平洋戦争後に成人した世代といっていいだろう。ようやく幼少から音楽に触れた世代が現われた。まずピアノが達者にひけなければならない。西洋音楽はピアノが基盤になっている。この、指の運動感覚、触覚が音楽のもとになる。音楽は観念だけではだめである。運動神経、触覚神経から始め、身体的経験と感覚から入らなければならない。林君と話していた時、中田喜直さんあたりが「音楽少年」の走りだろうということになった。
2012.1.22.日 雨のち曇 町田仕事場
ようやく雨はやんでくれた。ひどい天候で、金曜、土曜、と仕事場へ来れず、サイトの更新もお預けだった。今日もあわやという所で自転車が可能なようなので自転車で出た。一月がひどい天候で寒いことは誰に文句もいえない。そもそもがさような季節なのだから。
Piano Trio、がなんだか完成してしまう。つづいてピアノ曲で依頼された曲にすぐに移ってしまった。早すぎるとは思うが、着想を得ているからは仕方がない。piano Trio を経験して、ピアノのような断続音ではない楽音のあり方に心動くものが浮上した。
無粋な話だが、政界は何事もなきがごとく、野田総理は攻めにくい人のよう。どこかの三流夕刊新聞に、「石原と橋本が組めば100議席は・・」とか。ここまで馬鹿者の言うこと、書くことに関わるとは、こちらも無粋の片棒担ぎになるので気がすすまぬが。すすまぬながら、こちらとしても言いたい衝動だってある。石原さんは何歳になったか、考えてみろ。それと、大阪の橋本という人、私はなんだか信用できない。うさんくさいのである。間違いかもしれい。いまのところ、そうとしか言えない。なんだか「うさんくさい」のだ。橋本と石原が組めば、といのは、貧困で古臭いナチス待望論の焼き直しである。どれだけ教養がない愚か者が新聞記事を書いているのか、これだけでよくよく呆れるほどよく分る。
民主主義というのもやりにくい制度だ。馬鹿者も参加するから。それにしても、投票権だけでなく、下らぬ夕刊新聞にこういう愚か者の記事が駅売店に麗々しく出て売られているのを見ると、人の世の中もこの辺でオシマイだなという気がどうしても追ってくる。
2012.1.19.木曜日 晴のち曇
追悼文の依頼が続く。なにぶん、同じ趣意で書くのだから、同じ文はもちろんだめだし、なるべく似ないようにしなければならない。それが難しい。
この頃は、朝、机に向うと、Beethovenの弦楽四重奏曲を聴く。作品132のa
moll。第三楽章「病癒えしのちの神への感謝のうた」。はじめscoreを見ながら聞いていたが、そうすると余りに遅い曲なのでいらいらする。scoreを見ないことにした。そうすると、いい曲であることが分ってきた。現実に演奏を聞きながら瞑目して聞いていると退屈はしない。これが本来の聴き方だろう。僧侶のお経を聞いているようである。早く先へ行け、などという低級なことは考えなくなる。楽譜を見ながら聴くというのは邪道かもしれない。
2012.1.18.水曜日 晴
またほかの雑誌から林光君の追悼文を依頼してきた。生き残った者は亡友の追善がかりのような役回りとなる。器材は、古い方から新しい自宅用に送ることにした。
旧友、先輩の他界を聞いて一週間くらいすると、次第に実感としての喪失感が湧いてくる。死せるものは生者の世界にはもう居ない。生者の世界から過去の世界に移る。居なくなるということ、その喪失感は寂寞たるもの。いままで、人の生死に関心がなかったが、いまはそういうわけにいかなくなった。周囲の人影が少しずつ減って空気が希薄になったような感がある。ともかく、頼まれた文章を書こう。
2012.1.17.火曜日 晴
このところことのほか寒い。冬は寒いのが当り前だから不満を言う理由もないし、北海道生まれの自分には特に驚くべきことでもない。
旧制札幌一中道外在京者クラス会の幹事をつとめる以上、旧友諸侯の消息を知りたいし、また、今回、開く予定のクラス会の出席者の多きことを望むのは当然である。ところが、なかなか返信がこない。もともと、7人ないし8人の出席だが、ことしは四人にいまはとどまる。関西からは夫人の死亡知らせなども来た。寝屋川の友人からは電話が来て60年ぶりに会話した。
追悼記の方は完結。まだまだ書き足りないことがあまたあるが、なにしろ三人分。三木、林、と思っていたら突然別宮貞雄さんも加わる。器材の方は、古い年式から新しい年式へ送れるが、その反対はだめだ。それは楽譜電送で知り抜いていた。この町田の器材もそろそろ幽鬼じみて来た。買い換えの時がせまっていることは察知できる。だが、余り新しくすると送信が出来なくなる。なんとも妙な気遣いが強いられる。
2012.1.14.土曜日 曇
別宮貞雄さんが亡くなった。このところ先輩朋友の訃報が相次ぐ。三木さんと林光君だけで連続衝撃だったのに、さらに別宮貞雄さんまで続く。もっとも、三人とも高齢で、寿命まっとうといえるから、若い人がまだ生きるべき命を絶たれたこととは違うので自然な逝去であり、瞑すべきことである。追悼文の連続になるが、器材の具合がよくないのでとかく閉口する。自宅の新しい器材から町田にwordで途中まで書いた原稿を送ったが文字化けして読めない。wordの年式が違うからだろう。なんとも困窮の状態である。
2012.1.12.木曜日 晴
毎日、晴の連続、いささか飽きるのはおかしいが個人生活としては雨よりは有難い。七日は日本音楽舞踊会議の新年会だった。楽しかったが、林光君の訃報もあるから、そう目出度いとも言っていられなかった。
今日も追悼原稿の依頼が来た。同年代が他界するから、生き残りは追悼文を書く役回りになるのはやむをえない。しからば、これも友情の行為である。林君は芸大始って以来の反体制活動を実行した。詳しくは、今度の「音楽の世界」、「ショパン」に書く。その前に書いては営業妨害になろう。
2012.1.8.日曜日 晴
林光君逝く。衝撃である。前から昏倒状態であることは知らされていたが、実際に訃報に接するとこんなに心に響くとは予期しなかった。まるで兄弟を失ったようである。これだけ彼の存在は私の中で重く大きなものだったことわ知った。無名の私を誠心誠意、純粋の友情から後援してくれた。いまの自分があるのは彼の友情のおかげである。
光君は天才少年のはしりであった。私がはじめて東京に来て、紹介を得て、NHKを訪れた時、昔の第一スタジオで東京交響楽団、当時は東宝交響楽壇がProkofievの五番を録音していた。この曲にはorchestraにpianoが入っている。pianoをひいているのは自分と同い年くらいの少年だった。目覚めるような明確な音でpianoが響いていた。それが光君だった。そして、私が芸大に入る前の年、Stravinskyの「Petroushka」が有楽座で初演された。東宝交響楽団、指揮はグルリット、舞踊は小牧バレエ団だった。この曲は事実上piano concertoといえるほどorchestraのpianoが活躍する。それも光君だった。年齢は一歳下の1931年生まれ、ただし、芸大では一期上。亡くなった三木稔さんと同期である。岩城宏之もあの期、あの期は優秀な人材がそろっていた。
論争もしたが、感謝は忘れない。友よやすらかに眠りたまえ。瞑目。
2012.1.6.金曜日 晴
TVは昼どきしか見ないが、今日の報道で、飲食店のランクづけをする業者が詐欺だが擬計業務妨害でかで告発されたとかの話があった。ミシュランの格付けもそうだが、とかくこの種の人気投票はあてにならないという話が多い。肝心なことは、その数字がどこまで信用できるかということである。
私は、前から疑問を持っているものに新聞による「世論調査」なるものがある。特に政治については誰が信憑性を確かめるのだろう。でたらめをやったり、意図をもって数字を操作したり、やろうと思えば幾らでもできるではないか。以前、麻生内閣が散々不評だった時、ある新聞が内閣の格段の支持率の高さを報道したことがあった。あとで分ったが、それは麻生さんの出身地で麻生さんの一族に属する人たちが経営する新聞社で、しかるがゆえの創作数字だった。お笑いの一席だった。
これは分りやすい場合だが、全国紙だって何をやっているのか誰も確かめようがない。まったく信用ならない。こんなものに政治が翻弄されるなんてあってはならない。当り前のことである。しかし、言論は自由というから、やめさせるわけにもいくまい。飲食店の人気投票のように不正が暴かれればいいが、実行犯?の方も守りは堅くしているだろう。そんなエセ報道とエセ数字に国民がだまされないよう信用しないようになることしか望むべき方向はない。さいわい新聞は購読者数が減っているそうだ。めでたい。
2012.1.5.木曜日 晴
すでに五日となる。あれよというまに正月は過ぎた。
余り、言いたいこと書きたいとこが無くなった。トシのせいか。万事どうでもよくなってきた。
いま取り組んでいる作品だけはそういうわけにいかぬ。これがなんとも難物。難物ととりくむことがまた励みであるのか、神ならぬ身なんともいえない。
元旦ののWiener PhilharmonikerのNJKを聞いて、行進曲にもいろいろあり、日本の「陸軍行進曲」がここに登場しても少しも遜色ないと思った。あれはそもそも自慢にならぬが日本人の作曲ではない。いかにも転調の妙をきわめている。
2012.1.3.火曜日 正月三日目 晴
すでに新年も三日目となる。このサイト、またもや異変を起こした。昨日送信したものが文字化けして奇怪なものになった。打込み器材では呼び出しても異変はないが、帰宅して自宅の器材で見ると怪異画面となっている。それでも、後半は本文がよめるから妙である。
今日いま書いているこれは、いままでのものを中味だけ入れ替えた。いままて無事だったのだから、これは異常なく出てくるものと推量する。
とかくこの種の器材は扱いが手に負えない。自宅の器材を昨年暮れに買い換えた。VAIOの新型。ヨドバシで、旧機種から新品に中味だけ移してもらった。引越しである。数日前、新聞にPC21「WINDOW7をたたき起こせ」という雑誌の付録の広告を見たので買った。この新機種の使い方がこまごまと説明してある。とにかく、買ったままで使うな、と書いてある。自分に使い安いようにしつらえなおして使えという。しかし、そもそも説明書がついてこないのだから、そう言われても何をどうしていいか分らないではないか。不親切な商法があるものだ。
話一転。年末に日本航空、JALの機内誌にフジコ・ヘミングさんの記事が出て、その中で私の作品である「「ちいさき いのちの ために」のことが語られている。それを読んだという人から出版社にも私の所にも、はたまた、私の属する団体CMDの事務所にもこの曲の楽譜注文が続けてくる。有難いことだが、周知宣伝というのは効果抜群であるのに感謝はしながら複雑な思いである。