方丈記 新  

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2009.12.28.月曜 晴ときどき曇 町田

 
このところ、天気は連日、晴ときどき曇。冬は東京では天候が安定する。毎日能が無い記述になるが、その通りだから致し方ない。
 このサイトも入力に手間がかかるようになってきた。メモリー容量がいっぱいに近くなったのだろう。新年とともに新しい頁を開くことになろう。

 山田治生君のトスカニーニの著書。この時代の知られざる場面が多く紹介される。
 それにしても、一世を風靡した、この大指揮者、その音楽、演奏、あれはいったい何だったのか。トスカニーニ現象とでもいう社会現象だったように思う。敗戦後、FENの放送、当時は占領時代だったから局のコールサインはいまとは別のものだったが、あの放送を通して聞かれたアメリカのorchestra演奏はいまから考えれば何事だったのかと思う。ただ機械的に速く、情緒も陰影も吹き飛ばしてひきまくるような演奏。このことについては、だいぶ前に遠山一行さんが同じことを書いていた。時代の経過とともに、そういう演奏は次第に消えて、いま聞かれるような普通の演奏になっていった。遠山さんによると当時のソ連の演奏も同様だったという。「ルスランとルドミュラ」序曲などがこの種の演奏の典型として舞台になった。戦争直後で人の気持ちがせっかちになっていたのか。情緒など味わう余裕もなかったのか。おかしな話である。しかし、マントヴァーニがLP playerの登場に応じて、mood-musicを始めたのもこの時期だったから、情緒が不在の時代だったというわけにもいかない。クラシックの分野はもっと思想的なものが反映するから、多分、機械の美学のようなものが源泉にあったのではなかろうか。戦争は技術を刺激する。あおりたてる、そんな時代の風潮が「高速演奏」を生み出したのではなかろうか。

2009.12.27.日曜 晴ときどき曇 町田

 
今日は昨日よりは気温が低い。

 山田治生君の新著「トスカニーニ」、読み進む。

 トスカニーニがNY Philをひきいてベルリンで演奏した時に、フルトヴェングラーが長文の批評を書いている。これが実に面白い。
 「音楽には文脈があり、その中にそれぞれの部分の意味がある。しかるにトスカニーニのforteはどこも同じ響きがする」と。これはなるほどと思う。私たちはレコードでしか知らないわけだが、まったく同じように聞こえた。友人たちともそう話し合った。私がまだ10歳台のこと。それと、<、crescendo、と、>、diminuendoが誇張され過ぎているように聞こえた。モーツァルトのメヌエットの中間部など、あんまり膨れと縮みが誇張されて、こっけいな感があった。友人が冗談で声で真似してみせ皆を笑わせたことがある。

 しかし、とはいえ、世評ではトスカニーニの評判は高く、中古レコード屋の親爺も、「なんといってもトスカニーニですよ。あの歯切れのいい演奏は絶品ですヨ!」、と賞賛を惜しまない。あれは一体なんだっのだろう。新時代の新しい音楽がこれだ、ここから新時代が始るのだ、という暗示が人々にあったのではなかろうか。評論家で賞賛派の人たちはまぎれもなくそうだったと今となっては思う。日本が戦争で鎖国状態だったこともあるのだろう。

 この辺のいきさつは戦後の作曲界の動向とも似ている。通称の最新前衛音楽に飛びつき、追いかけろの掛け声はすさまじかった。トスカニーニと、かつての、イカサマ自称前衛とが同じとは思わないが、似たような状況の産物であったことは言えるように思う。
 無反響室録音の「第五」は当惑ものだったが、その後、アメリカの兵隊さんが帰国の時に置いていったレコードにトスカニーニが幾つかあった。ロッシーニの「La Gazaa Radra、泥棒かささぎ」の序曲は異様な録音ではなく、常識的な音響設定でとられていた」。

2009.12.26.土曜 晴ときどき曇 町田

 
明け方はひさしぶりに曇天だったが、昼までには陽がさして晴となる。気温も上がり温暖の日となった。
 一週間もサイトの更新を休んだ。なにがなし慌しい歳の暮、半年以上にわたり取り組んできた依頼の仕事がようやく先が見えてきた。そのため保留停止していた自分本来の仕事が湧出してとめどもなくなる。

 評論家の山田治生君から新刊の著書「トスカニーニ」が送られてきた。かつてはフルトヴェングラーと時代を分ち合った歴史的巨匠だが、昨今は前者がブームの気配があるのに対し、トスカニーニの方はいまひとつ盛り上がらない。かつての時代を知らなければそれまでだが、知っていれば、この大指揮者については興味と関心がただならずである。

 早速読み出したが実に面白い。いろいろな文献をよく調べた相当な労作。貴重な成果に祝意と賞賛をささげたい。リオでの歴史的デビューのあと、いまなら、マスコミが新スター誕生というので実体よりも名前の方が一人歩きするだろうに、当時の社会の進行は意外に遅く堅実である。こうした着実な進行が人材の熟成をもたらしたのだろう。商業主義の支配による時代の高速化と軽薄化は弊害がひどい。

 かつての、二代巨匠、といったが、Beethovenの「第五」は二人のレコードが出ていて、どちらをとるかは人の趣味、主義信仰の違いにも見えた。トスカニーニの方は、もちろんNBCで、演奏自体はともかく、録音の仕方に特徴があった。まるで無反響室の録音のように反響がない。だから、鼻の先で演奏しているようである。歯切れがよく小気味がいいともいえるが、いささか無機質的で音楽離れしているように聞こえた。私はフルトヴェングラーの方が受け入れやすかった。このトカニーニの録音は本人の意図だったのか。いまも不思議である。装飾的なものを一切とりはらった音楽が作りたかったのか。録音結果を当人が聞かないはずがない。迫力はあるが、それ以上に一種異様なものだった。当時の評論家筋ではトスカニーニの方を賞賛する声の方が多かったようだ。それから半世紀、いまではあの録音はさっぱり再生されない。CDに入れなおすことも出来るだろうに。あるいは、私が知らないだけでCDが出ているのだろうか。

 
わが恩師、荒谷正雄先生はフルトヴェングラー時代のベルリンを体験した人で、無論フルトヴェングラー支持だった。しかし、荒谷先生も、「第九」だけはトスカニーニの方がよかったと言っていた。あれだけ長い曲になると、精神主義のフルトヴェングラーの演奏は途中でだれが出てくる、第三楽章のpizzicatoなどが乱れることがあったそうだ。そこえいくとトスカニーニの方は最後まで整然厳正な出来で、この方がよかったと話していた。

2009.12.18.金曜 晴ときどき曇 町田

 
このところ、連日、町田の仕事場、画家のアトリエのようなものに通うことが出来る。仕事が中断されることは手痛い。今日も、CMDの室内楽の会が音友ホールであるが欠席させてもらう。こういう仕事は気分と進行具合が乗っている時は中断したくない。

 このとろこ、政治の世界では内閣の仕事にマスコミは罵詈讒謗を浴びせている。電車の中の週刊誌の広告まで狂気じみている。しかし不思議なことに内閣支持率の方は余り下がらない。NHKの調査で56%、新内閣嫌いの読売新聞でも54%。この程度の降下は成立後の自然現象であり、特別の結果ではない。国民大衆は賢いもの。いま、日本の政治が、いや、日本の歴史がおおきな転換点、転回点にさしかかっていることを国民は誰に言われなくとも知っている。勝手に誹謗中傷にはげんでいるマスコミの方が宙に浮いている。マスコミは国民世論の反映とか、国民世論はマスコミにより造られるという見方は二つとも間違いということ。

 普天間問題は最大の騒ぎのもとで、外国との取り決めを破ることは国際道義に反すると言っていた新聞も評論家もいたが、専門家の説によるとそれは違うそうだ。外国との取り決めといっても、「条約」と「合意」とは違うのだうそうだ。「条約」は、英語で「treaty」、「合意」は「agreement」。この二つは違う。条約の方は、紙に書いたものだからみだりに違反してはいけない。しかし、「合意」の方は、政権が替れば変えてもいいのだそうだ。その例が、京都議定書。クリントン政権時代、アメリカは合意したが、ブッシュ政権に替って合意を破棄した。そんな近い例があるのに、評論家や新聞記者は専門家のくせに分っていないのだろうか。あるいは、分っていて、故意に非難のために利用しているのか。両種があるのだろう。

 
民主党の支持率は37%、それに対し、自民党の支持率は17%、民主は若干の自然下降があったが、自民がそれに反比例して上がらない。前回では16%だったから1%上がっただけ。いま何かが大きく変ろうとしている。マッカーサー時代の卑屈な意識から抜けられない世代、それをひきずる世代。アメリカが怒るとおびえきる世代。
 どこの国も外国のために何かをしてくれる国は世界にない。すべては自国の利益を第一に考える。当然のこと。自国の利益と他国の利益が一致する部分で協力する。日本に米軍が駐留することは、日本のためにアメリカが奉仕してくれているのではない。アメリカもまたそれを必要としている。占領当時とは、アメリカも日本も置かれている時代と状況がすっかり変っている。そのことが分らぬラジオ司会者。あるいは、分らぬ振りをして何かを意図しているのか。日本放送のT氏の午後の時間は聞かないことにした。無益だ。

2009.12.14.月曜 晴ときどき曇 町田

 
12日、土曜日は、武田七七子さん主催の「麦の会」の演奏会、津田ホール。二時半からのマチネー。Haydnのpiano trio G-dur。深沢亮子さんその他の演奏。この曲だけがHaydnのpiano trioでは超有名である。昔は、カザルス・トリオの名演のレコードがあった。これは歴史的名演で、たぶん、いまでもCDになって出ていると思う。昔、戦前はビクターの家庭名曲集というアルバムがあってその中に入っていた。もちろん、SPであり、小盤のレコードだった。大きい方が12インチで小さい方のが10インチだったか、忘れた。このアルパムには、メヌーヒンのクライスラーの小品とか、Mozartの「魔笛」序曲、コルトーのショパン小品とか、なかなかいい曲があった。子供の頃からこういう名作になじむ機会を作ってくれた。家庭の中にこういうものがあると教育効果があるものだ。
 この曲は、ソナタ形式の楽章がない所が特徴。第一楽章、主題と変奏。第二楽章、歌曲形式、第三楽章はロンド。ロンドがハンガリー音楽の曲想なので「ハンガリアン・ロンド」と曲全体が愛称される。
 数年前、私もかかわる「音楽の世界」誌で、この曲の批評が、「ソナタ形式が・・・」と書いたので問題になった。この批評家は呆れた不勉強である。そして、自分の執筆行為に対して不謹慎である。こんな有名な通俗化すらしている曲のことを知らないこと自体怠惰だが、知らなければ、楽器屋か書店か図書館で立ち読みでも調べられることではないか。

 この曲の出だしはPianoとViolinがユニゾンで始る。この楽器法は、普通、卑俗になるので禁制となっている。普通は結果がひどく安っぽくなる。TVかラジオの「こどもの時間」のテーマ音楽でこんなことをすると、田舎くさく、野暮ったい何十年か昔の音になるので使わないのが普通だ。それが天下の名曲で、実にこころよい音楽になるのだから天下の名曲は特別だ。感心するほかないし、不遜ながら原因を研策したくもなる。

2009.12.08.火曜 晴ときどき曇 町田

 昨日七日はCMDの作品演奏会「冬のオルフォイス」、中目黒のGTホール。私のViolin曲「美しき夕暮れ」が初演された。私の曲は曲目の最後、つまりトリで、会場練習のあと、本番までかなりの間が空く。その間に渋谷のコピー屋へ行くつもりでいたが、こういう時は気分が落ち着かないもので、そうはいかないもの。二階のソバ屋でViolinの劉薇さんと連れのデザイナーの婦人と三人で話している内に一時間半くらいたってしまった。開場が近くなると、お客さんも来だして、顔見知りの人と話している内に時間がたった。
 私の曲は、希代の名演奏だったが、進行が遅れて予定より10分以上たっての演奏開始となった。その間、自作の演奏を待つため緊張状態が続き憔悴のため疲労した。客も疲れと思う。公演の進行は計画通りにしてほしい。ともあれ、自分が望んだ通りの音楽作りをしてくれた劉薇さんとピアノの椎野伸一君には深謝のほかない。

 数日前の朝日新聞をネットで読んだ。政治の記事で妙なことが出ていた。

 小泉元首相が自民党の幹部と会食して語った。「いまの内閣は来年の参議院選挙までしか持つまい」と。さらに続けて、「しかし、自民党もしばらくは我慢の時期を過ごすほかない。いまは、何をやっても自民党が悪かったと言われる。ここ二三年は雌伏の時期を耐えよ」とも言ったそうだ。
 しかしこの話、矛盾しているではないか。いまの政権は来年参議院選挙まで−−しか、持たない、しかし、自民党もあと二三年は雌伏の時期???さてそうすると、現政権が、来年、持たなくなったあと、どの政党が政府を作るのか。Aは来年まで、しかしBもあと数年はだめ。それではこの間は真空になるではないか?この話、いかに思いつきの無責任放言であることかがわかる。こんなものを記事にする不見識の方がひんしゅくもの。

 これは「朝日」の記事だが、「読売」はもともと現政権を露骨に嫌っている。七日朝刊の世論調査の記事では、現政権の支持率は59%と、はじめて60%を切ったことを嬉しそうに書いている。とはいえ、政党支持率では、以前として民主が46%、自民は16%と変化はない。現政権の支持率が下がった話はいかにも嬉しそうに、前回は○○%、今回××%低下と喜色満面で書くが、政党支持率は変化せず。この部分は沈鬱憮然とした調子で声を落とす。感情が文面に表われる。字で書いたものにここまで書く人の感情が表われるともはや文学である。読売文学賞。

2009.12.04.金曜 晴ときどき曇 町田

 
政界は自民党が国会の審議拒否をきめこんで、与党は単独で法案をどんどん可決。いつか見た光景の役者が入れ替わった。ただし、自民幹部は本当は喜んでいるのだそうだ。うっかり審議に出て、採決となれば、またもや造反者が多発しそうで、内心では単独強行採決を喜んで胸なでおろしているのだそうだ。なかなか表面だけでものごとは分らない。しかし、この程度のことまでは報道機関からも知ることができるようになった。

 鳩山総理の資金がどうのという話、どうやらうやむやになりそうだが、町の声では、鳩山さんを追及する声はさっぱりだそうだ。昨日のTBS、みの・もんた、の「朝ズバ」では、調査した結果、鳩山さんの責任を問うたり、辞任せよ、という人は半数以下とのこと。今日の昼のテレ朝日のショーでは、鳩山さんを責める人は一割、10%にも満たないそうだ。なかなか、国民大衆というのは見上げた見識を持っているもの。大富豪の財産について貧乏人がひがみとやきもちから低劣な野次を飛ばしていることが人には分るもの。評論家とマスコミ、特に週刊誌が下品な話をばらまいているが相手にされないし自分の評判がわるくなるだけだ。

 政策運営もしかり。普天間問題も、ブレ、とか不統一とか言いまわっているが、ブレというのは一度決めたことをまた変えることをいう。この内閣は一度も決めていないのだから、ブレとはいえない。社民や国民新党が勝手なことをいって、大政党の民主がふりまわされているのはだらしがない、という人がいるが、プロの評論家なら、もう一つウラを見ることが出来ないだろうか。つまり、社民や国民新党に勝手を言わせて、そのせいで政策が決まったという口実と体裁を作ることができるではないか。民主は自分の手を汚さずに荒業の政策を決められるということ。配役分担の「芝居」だ。それくらいのことをする「策士」がこの政権のウラにいるのではないのか。専門家ならこれくらいのことは疑うくらいのことができなくて商売がつとまるのか。あるいは、もっとすごい話で、社民も国民新も、それと知らずに役どころを踊らされているのかもしれない。それくらいのことはミスター「策士」はやるぞ。

 相変らず、アメリカのご機嫌を損じると大変なことになると脅えて騒ぎ立てる者がいるが、自国の利益のためだ。相手のために遠慮することはない。アメリカをむしろじらせるくらいのことは外交上の技術としてありうるはずだ。そもそも、世界戦略を展開するアメリカにとって、普天間がどのくらいの比重を持っているのか。日本にとっては自分のことだから比重が大きいのは当り前だが、先方様は世界中で、あちらもこちらも多事繁忙である。何よりアフガニスタンで頭がいっぱいだ。飼い主の後をひたすらついて行く飼い犬根性はもうやめる時だ。それにしても、評論家、報道機関は馬鹿なもの。

2009.12.01.火曜 曇のち晴 町田

 
昨日30日は、Violinの劉薇さんのリサイタル。浜離宮朝日ホール。

 CDの発売記念の演奏会だが、会場がいいので、かなりの経費がかかり、きびしいと話していた。しかし、会場はかなりの入りで成功だったように思う。日本の作品だけの建て前だが、馬思聡の三曲が添加された。この人の音色がずっと甘美になり、耽美的にすらなったことが意外だった。私の「竜舌蘭」はこれまでで最もよい演奏。それに、貴志康一の「舟歌」も、極高音部が官能的なほど豊かで甘美な音で演奏されたので、いままで知っていたものとは違う曲のように聞こえた。
 それでも、今日、電話で話すと、楽器の調子がわるく散々苦労したとのこと。楽器を修理に出してなおったはずなのに、ノイズが発生して四苦八苦の演奏だったそう。当人の苦労は聞いている側にはわからないもの。一週間後の七日には私の新作「美しき夕暮れ」の初演をしてもらう。たいへんな精力家。
 昨日は、矢代秋雄夫人の若葉さんと何十年ぶりで会って話しした。それだけでも得がたい機会の場であった。

2009.11.28.土曜 晴ときどき曇 町田

 怒りの映画と幻滅の限り。

 松本清張の「ゼロの焦点」がまた映画化された。仕事場から近い新百合ヶ丘で上映しているので見に行った。

 ネットの投稿欄に、「やはり小説は読む方がいい」と書いている人がいたが、こんどこそは心底そう思った。何かの災厄でも受けたような気がする。映画の責任はすべて監督に帰せられる。しかりとすれば、やはり、この映画の責任はすべて監督さんにある。この人はこの小説に何を感じたのだろう。原作の最後の場面は、まるで映画の台本のように、あるいは悲劇オペラの終幕の最高揚ように書かれている。Pucciniが作曲したら、さぞかしすさまじい音楽を付けただろう。能登半島の暗い海に向かった絶壁。荒れ狂う黒い波が押し寄せ、強風が叩き付ける中で、社長夫人を乗せた小舟がはるか沖合に消えていく。むろん自からの過去を知られたことから命を断つため。絶壁の上の男性と女性は、風と波にさえぎられながら、呆然として見送るだけ。

 最後の一行に英文の詩が導入される。
  "in her tomb by the sounding sea" 「とどろく海辺の妻の墓!」

 こんな劇的な、そして、この上なく映画的な場面なのに、この場面がまるで省かれている。
 こういうことを挙げれば切りがないので総論的なことだけを書く。総じて、音がうるさい。映画館の再生音量が高すぎることは前からいわれているが、映画そのものにも原因がある。総じて音楽がうるさい。必要ない所にも音楽が入っている。それから、人物の語り方。不必要に大声を出す。突然笑いだす。怒鳴る。だから物静かな会話が成り立たない。音楽でいえば、pianissimoがない。forteだけがやたらとうるさい。エンディングに、中島みゆき、とかの歌が騒々しく下品に鳴り続ける。「愛だけ残せ」なんてわめいている。なんの必要があるのか、こんな歌。終るまで耳をふさいだ。その上原作にない話が入っている。

2009.11.25.水曜 雨のち晴 町田

 土曜の夕方出て、日、月、と宇都宮でピアノ・コンクールの本選会審査。100人近い参加者の審査。自分の曲をひいた人がすべてではないが、ほとんどがひいた。技術と内容の二元論は始めるときりがない。やはり二元的に考えるべきではないように思う。技術の完成への努力が内容も磨くものではなかろうか。内容論は精神論に転移して議論の対象にはなりかねる。

 23日月曜の深夜に帰宅したが、翌日、24日、つまり昨日の午後はまた、12月七日に初演するViolin曲「美しき夕暮れ」のリハーサル。小金井の学芸大学で劉薇さんと椎野君の演奏を聞かせてもらう。劉薇さんは30日にCD発売記念のリサイタルをひかえていて、その一週間後にこの曲の初演という忙しさ。しかし、よくひきこんであって安心した。私の指定したtempoと劉さんが体感するtempoが少し違うので劉さんは前から気にしていた。昨日の練習で劉さん自身のtempoでひいてもらうことにした。その方がずっとよくなった。
 ことしの後半は少しいそがし過ぎた気味がある。来年は、いま依頼されている編作を二月までに仕上げる仕事があるが、少し体力と精神を安めたい。人の心もエンジンの回転と同じ。

 昨日ある店で見かけた小型の夕刊紙に出ていた記事。現政権を好まぬ勢力があるとのこと。すでに社会主義を目指す政党はなくなったのに、なぜ新政権を攻撃するのかということ。「日米安保マフィア」と書いてあった。旧政権の永い間に発生増殖した利権勢力があるのだそうだ。日本にもアメリカにも。国の外交を利用して自分たちの利権をむさぼっててきた者たち。なるほどそれで合点がいった。現政権幹部の資金問題が余りに都合のいい時期に出てくるのが妙で不自然だった。これが「彼等」の戦術であったか。細川元首相が退陣に追い込まれたのもこの「闇の勢力」の演出であったともいわれる。国民が選択した結果を自らの利権のために否定しようとする「闇の者」たちの蠢動をゆるしてはなるまい。アメリカの怪奇小説作家、Lovecraftの短編に「闇にうごめく者」というのがあった。“The Haunter of    the Dark”、そんな者が実際にいるとは、この世は怪奇小説よりも無気味だ。

2009.11.20.金曜 曇時々晴 町田

 
今日は、どうやら曇りがちながら晴れた。昨日はひどい雨。しかも寒い。氷雨という天候。経堂からのバスは丁度乗客を乗せ始めたところで運がよかった。その前は、雨の中、客が待っているのに、運転手は消灯してどこかへ行ってしまった。おそらく、規則で、車両を離れる時は、消灯してエンジンを停止し、ドアを閉めること、という決まりがあるのだろう。しかし、目の前にバスがありながら、寒風と雨の中待たされる客の方はひどいもの。客を乗せてからどこかへ行けばいいのに。バス・ジャックでもされるおそれがるのだろうか。

 昨日の晩から新聞TVの国会報道が騒がしくなった。与党が採決を強行した。

 実は、本題とは関係なく、ここで実に自然なおかしさが湧いてくる。「採決を強行」、各新聞ともこう書く。しかし、昔散々なじみになった言葉に「強行採決」というのがあった。しかし今回は、どの新聞も揃って「採決を強行」、と書く。「強行採決」、という書き方をしているものがない。駅の売店に並んだ夕刊各紙の大見出しが覗いて見えるが、大手新聞も、小型の夕刊紙も例外なくこう書く。これはどういうことだろう。ここまでくると滑稽感が湧いてくる。「強行採決」、という言葉は自民政権の専用語で著作権が付随しているのかな。まさか。これは冗談だが、同じことを表わすのに、二つの言い方を使い分ける、新聞、あるいは記者の心理がおもしろい。自民政権のやることと、民主政権がやることと、何か区別しなければならない、あるいは区別したい、という心理がはたらいているのだろうか。
 「強行採決」という言葉は、自民政権時代に散々使われて新鮮感がない。新政権の、それも最初の行為であるから、いままでの場合とは違う何事かが起こったということで、使い古した「強行採決」を避けて、カレーライスではなく、ライスカレーにしたのか。人の心理とはおもしろいもの。これが編集部の意識的行為であるなら、さらにおもしろい。

2009.11.16.月曜 曇時々晴 町田

 
雨天と晴が交互する。22日と23日は、栃木県ピアノ・コンクールの本選会。宇都宮へ行く。本年は、AからGまでの七つのグレードすべてで私の曲が課題曲になっている。自分の曲だけ審査すればいいわけではなく、普通の古典課題曲の方も審査しなければならない。かなりくたびれる仕事のようだ。

 自民党の谷垣総裁が自転車で転倒して怪我をしたそうだ。目の上を縫ったというからかなりの怪我のよう。自転車は危ない。自分は運転免許を持っているからルールの原則は心得ているが、運転免許なしで自転車を使う人がいるから危ない。左側ではなく右側を走ってくる人。はばの広い道路にいきなり飛び出す人。自転車も、簡単でいいから免許制にした方がよかろう。歩道上の走行も本当は「自転車通行可」の標識がある所に限られる。しかし現実にはどこでも歩道の上を走っている。車道はまた車が来るから危ない。自転車は自分が怪我するだけでなく、歩行者を跳ね飛ばす加害事故も起こす。これも気をつけなければならない。
 谷垣さんは、野党といえども政党の代表者である。自分でも危険は避けるだけの配慮が要るだろう。こんどの事故で、自転車は周囲から禁じられるのではなかろうか。

 今朝の朝日新聞によると、世論調査の結果、現政権の支持率は63%、事業仕分けを始めたことで少し上がったそう。また、支持政党では、民主党が46%、自民党は15%だそう。大変な開きが出来たもの。産経という新聞は正体が知れたが、読売という新聞が面白い。現政権がおもしろくなくて仕方がないらしい。かつて、共産党はもちろん、社会党は、建て前では社会主義を目指していたから、資本主義の自民党を攻撃することは、その限りでは理屈が通るだ。しかしいま、読売のように現政権を嫌悪するのはどういう理由だろう。自民党に帰り咲いてほしいのだろうか。単に感情的に現政権がおもしろくないのだろうか。そうなると、スポーツのファンかそうでないかと同じことになる。

2009.11.11.水曜 雨 町田

 
朝からすさまじい雨、実は昨日の晩から降り始めた。昨日はピアニストの広瀬美紀子さんと会食して帰りが少し遅くなったので、僅かに降り始めていた。自転車で強行帰宅。あぶない所だった。帰って、ネットで新聞を開き、市橋容疑者の逮捕を知る。さぞかし、TVは興奮の大ニュースを演じたただろう。見なくてよかった。ノリピーの事件と裁判の時から、こういうセンセーション追いまわしは尋常ではない。そんなに大騒ぎしてなんになる。鳥取の女子大生殺しの残虐犯を早くとらえてほしい。

 残虐といえば、チャップリンは、現代音楽が嫌いと言った。その理由は、「sinister and grim」だからと。sinister、とは、不吉とか、忌まわしい、という意味、grim、とは、恐ろしい、という意味。現代音楽は、不吉でいまわしい、ということ。その通り。そんな音楽を聞きたい人がいるわけがない。一昔前くらいまで、いや、もっと前か、現代音楽のプログラムなどに、「われわれは現代の危機と不安をするどくささやき続ける・・・」などと書いてあったものだ。そんなものを誰が聞きたいのだろう。
 ここで考えるのは、芸術といっても、絵画、文学、音楽、とその種目によって、受持ち領域が少しずつ違うのではないかということ。文学はsinister and grimのことでも書き綴らねばならない時があるのだろう。美術も少しはそうだ。しかし音楽は、そもそもが楽天的な使命を持っているもので、それが本来の天性ではないだろうか。だから、sinister and grimをやられると天性に反して、そんなもの誰が聞くのかという結果になる。

2009.11.10.火曜 曇 町田

 
昨日は、先輩作曲家、眞鍋理一郎さんの85歳誕生祝いの作品演奏会。横浜美術館レクチュア・ホール。一度、町田に来て、仕事をしてから行く。世田谷から横浜より、町田からの方がはるかに近いから。

 地下鉄、「みなとみらい」駅で降りてすぐ前だが、すべての道路、建物がおそろしく大きくて、一度間違えると、やりなおしが大変。地図の案内板を見ながら慎重に歩いたので間違わずに着いたが、まわりの景色を見渡して唖然とする。経済成長期の好景気の時期に出来た町なのだろう、白い四角な巨大ビルと広大道路、人のサイズはことごとく無視される。いまの新政権は「コンクリートから人間へ」というスローガンをかかげているが、ここの街はまさしく、その反対、「人間からコンクリートへ」の合言葉で出来た街。
 同じ経験をしたことがある。ポーランドの東の街、ビアリストークの官庁街。巨大な四角のビルが並ぶだけで、そのほかのものはまったくない。なんにもない。この街ビアリストークは、本当は古都で、旧市街はヨーロッパの香りがある。なんにもない四角の街は共産社会になってから出来た官庁街。権力と官僚支配が作った街。横浜の方は、資本の欲望が作った街。ビアリストークの方は権力と思想が作った街。ともに人は後回し、人でないもののために作られた街。寒々としたものはどちらも同じ。人は、人ではないもののために何かをするものらしい。

 京都の町が棲みやすく、人の心がなごむのは、人のサイズで出来た街だからとよく言われる。
哲学が興ったのもそのせいとも言われる。歩いて帰れる街、人の寸法に合った街は人の心をなごませる。ヨーロッパの古都は皆そう。ウィーンもパリも都心部は歩いて移動できる。夜遅くなっても乗り物がなくなるからと慌てることがない。夜更けるまで、会合したり会食したり議論したりしていられる。経済が拡大して便利になれば、それだけ何かが不便になる。何が便利になり、何が不便になるのだろう。

 眞鍋さんは元気で、新作もあり、独特のつむじまがりではあるが俗ではない個性的な音楽を聞かせてくれた。

2009.11.07.土曜 晴 町田

 
昨日は、池上亜佐佳さんの十七絃リサイタル。オペラ・シティ内の「近江樂堂」、私の「十七絃の三章」をひいた。若々しく、輪郭の明確な演奏をしてくれた。菊地悌子さんのお弟子だそうで、師匠の菊地さん自身見えて忙しそうだった。昨年暮れ、この曲で、現代舞踊の芙二三枝子先生が踊り、菊地悌子さんが演奏した時、池上さんが手伝いをしていたそう。ぜひ自分もひきたいとのことで演奏することになったとのこと。120人席の会場に入りきれないほどの客で、会場前に20メートルほど行列が出来ていた。
 
 昨日は、夜でかけるために在宅、たまたま、国会中継のTVを見る。

 参議院予算委員会。野党側が質問する番で論戦が面白かった。活気ある政治論戦はドラマよりおもしろい。

 自民は野党なれしていないために、攻め方が下手だ。最も不様だったのは川口順子元外相。まるで、自分はくろうとで、新政権はしろうとの集まりときめつけるような言い方、しかも、論理的に粗雑な部分が多く、頭の切れる岡田外相に一蹴される場面があった。

 この質問ではじめて聞いたが、大平正芳前首相の言葉で、「日米は共栄共苦」、というのがあるそうだ。不可思議なことと聞いた。二つの国が共栄共苦ということがありうるのだろうか。外交とはどの国も自国のために利を図るもので、親×といっても×国人以上に親×ということはない。これも有名な箴言だ。親米といってもアメリカ人以上に親米であることはありえない、親日といっても日本人以上の親日人が外国にいるわけがない。二つ以上の国が、「共栄共苦」の関係を持つことはありえない。アメリカとイギリスとてもしかりである。第二次大戦中、英国はずいぶんアメリカに助けられたが、戦争が終るとアメリカはイギリスに乗り込んできて、戦時中の「貸し」をどんどんとりたてていったそうだ。そのすさまじさにイギリスの人は呆然とするばかりだったそう。英国史に書いてある。国と国というのはそういうものだ。この大平元首相の言葉に、どれだけ日本が対米屈従をしていたかが分る。こんな、外交にもならぬ、外交を続けていたのが前政権である。川口さんの言い方を聞いていると、アメリカに礼をつくさないと神罰がくだるといわんばかりで、恐怖に震えているようだ。

 安保は来年50年になる。この間、世界の情勢はずいぶんと変った。共産圏は消滅し、東アジアでは中国の存在が飛躍的に大きくなった。アメリカ自身も中東に足をすくわれて立ち往生の様である。情勢が大変化したのだから条約のあり方も大きく変えるのが当然である。神罰をおそれて震えているわけにはいくまい。川口さんという人は大阿呆ぶりを露見したし、いままでの日本外交の愚かしさがいまさらながら衆目の前に露呈された。

2009.11.05.木曜 晴 町田

 
今日も快晴。予報のようには気温は上がらないが、湿度は低く不快ではない。

 ポーランドのワレサのこと。自分はこの国の改革のとばっちりを受けた。私の作品、「Tapestry」というPiano曲がポーランドで録音発売されることになっていた。ピアニストはもちろんポーランドの人、録音もポーランドの現地の予定だった。しかし、ヤルゼルスキの軍事政権がクーデターで起こり、ピアニストはアメリカに逃亡、この企画はお流れとなった。当時はまだLPの時代だった。1980年代の初めだったと思う。とんだとばっちりである。ワレサの率いる「連帯」は非合法化されたが、やがて、合法にもどった。1983年の秋、たしか九月だったが、チェコの帰り、Wienに立ち寄った。「連帯」支援の運動が起こって、「連帯」、Solodarite、だったか、が大書されたTシャツが街頭で売られていた。

 
それから10年たって、別の用でこの国に行った。すでに共産圏は崩壊した後で、国内は活気にみちていた。物資は豊富をきわめ東京に劣らぬ豊かさだった。昔の、何を買うにも行列という時代はすでに消えていた。

2009.11.04.水曜 晴 町田

 
「産経」の「正論」に載った文、「日本とアメリカは国力が違うから対等ということはありえない」、という論から思い出した。かつて、ソ連が健在だった時、ポーランドのワレサが自由化を試みて様々な努力をした。かつてのハンガリー動乱、チェコの自由化圧殺の経験を経た東欧の諸国は自らの置かれた位置をよく知っていた。ワレサは言った、「われわれは龍の腹の中にいることを心得なければならない」、と。の言い方を借りれば、日本もまた龍の腹の中にいるということになるのだろう。アメリカは龍よりは心やさしいかも知れない。しかし対等ではない、ということでは同じこと。

 アメリカに日本を守ってくれる対価として地政学的に有利な場所をアメリカに基地として提供しているのだから、それでいいではないか、というのがこの人の所説である。余り文句を言うと、自衛の努力もしないで不満ばかり言う日本を守る一方的義務はない、とアメリカ側からの声が起こるかもしれないとのお説。アメリカは自分を犠牲にして日本のためにつくしてくれているというのか。有難き幸せである。アメリカはそんなおめでたい国か。国際関係というのは、どの国も自国の利益を第一にして取り結ぶものだろう。他国に奉仕した国の話というのは聞いたことがない。

 
今日は気温も回復して秋晴の好天となった。今月から新聞の購読をやめた。いたってすっきり、朝の時間を消費しなくなった。

2009.11.03.火曜 晴 町田

 
すでに11月。今日、文化の日は快晴だが、気温は急降下、東京は14度。はじめて暖房をつけた。昨日だけは小雨に見舞われた。芸大の後輩と会う。三期後輩で昭和30年入学の人。故広瀬量平と同期。先日、同期会があったが、作曲科の人は五人亡くなったそう。

 
昨日、ついに地デジTVを取り付けた。作業のため、その間はTVは見られなかった。国会では、予算委員会があり、見たかったがだめ。仕事場に移動して加藤紘一さんの質問の途中から聞いた。与野党が逆転すると双方ともなじめない状況で、それがまたおもしろい。自民は大物を動員しての緒戦だったが、なんだか迫力がない。いままで与党だったのだから、あんまり相手を責めると自分のこれまでの所業にはねかえる。大島さんは同じ質問を何度も繰り返し、手抜きの作曲みたい。町村さんは、「これに明確な回答がない以上、この先の質問は出来ないッ!」と大見得をきったのに、質問を続けている。こんどはは官僚がいなくなり、政治家同士が議論する、本来の討論が展開された。これだけでも政権交代の収穫である。

 「産経新聞」という新聞は、体制よりだとか、反動だとか、いわれてきた。そんなものは読みたくもないし、読んでも無益だから、サイトでも読まないことにしているが、つい、わるいもの見たさで読んだ。「正論」というコラムにある人が書いている。阿川尚之という人。この人はアメリカ政治史の専門家で、在アメリカの日本大使館に勤務していたこともあるそう。鳩山総理の「日米対等」という主張に反論を出している。日本とアメリカは対等ではない、国力が違うからだ、という所論。こういう人がいることは薄々想像は出来たが、まともにこの説を読むとあらためて薄ら寒い感がある。ソ連に支配されていた当時の東欧諸国にもこういう人がきっといたのだろう。ポーランドでもハンガリーでも、ソ連とわが国は対等ではない、国力が違う、と。ソ連の支配下で苦しむ人たちのことはきれいにこの人たちの頭からは消滅している。阿川ナニガシさんは、普天間基地の滑走路に一番近い所に一年ほど住んでもらうとよかろう。やはりこの新聞は読む価値のないしろものであることを再認識した。

2009.10.28.水曜 晴 町田

 今日もにくらしいほどの好天。秋晴。26日の演奏会の日だけが呪われたようだった。

 素人、しろうと、の見解は侮れない。自分の仕事でも、素人の見解は傾聴することにしている。素人は専門家の盲点を突くことがある。

 数日前のある新聞のコラムで評論家か論説委員か、そんな立場の人が書いていた。「2005年の郵政選挙で、有権者は自民に圧倒的多数を与えておき、その四年後の2009年に、野党だった民主党に反対に圧倒的勝利をあたえた。この反転現象は何か」、と。

 しかし、この人は事実経過を間違えている。2005年から2009年まで飛んだのではない。途中に2007年の参議院選挙があったではないか。2005年からわずか二年後である。2009年選挙との丁度中間点である。この時すでに「反転」が起こっていた。四年後に反転したとなれば、前回の結果と投票行動を忘れた上での気紛れ現象と言えるかもしれない。しかしわずか二年後である。忘れた結果とは言えまい。この時、国民有権者の大部分は二年前の判断と結果を記憶した上で、前回の選択判断を否定したのである。気紛れではない。意味がまるで違ってくる。さらにいえば、ことし、2009年の七月に東京都議選があった。ここでも自民は惨敗した。衆議院選挙の一月余り前に、開演前の前奏曲が鳴り響いていた。この時、自民は、地方選挙と国政とは違う、と負け惜しみを言っていた。2009年の衆議院選挙の結果は突然変異ではない。途中経過を一つずつ段取りを追って到達した順当な結果である。その過程に飛躍は一つもない。

 この記事を書いた人は、その道の専門家であろう。読者の投書ではない。こんな粗雑な知識で専門家がつとまるものなのか。もっとも、私たちの専門分野でも似たことはよくある。政治の世界よりも彼らの影響力は強いから、とんまな評論家の言説は罪が深い。

2009.10.27.火曜 晴 町田

 25日、日曜は芸大の同期会。

 20人の出席だが、級友たちの高齢化を考えれば、出席率はいい方かもしれない。長年、ベルリン・フィルでひいていたヴィオラの土屋邦雄君が来たことは意外で、貴重な話を聞いた。彼が入団した頃、フルトヴェングラーからカラヤンに時代が移行する時期で、音楽の造り方が大きく変り、変えようという変遷移行過程の、時期の話がことにおもしろかった。また、ベルリン・フィルは市営であるため、団員はすべて公務員、そのため、「民営」のオーケストラにくらべて、演奏旅行の手当も限定されたものだった、等々。

 日曜は、神奈川と静岡の二カ所で、参議院の補欠選挙があった。二カ所とも民主党が大勝した。投票率が低かったが、結果が分り切っている気配が伝わり緊迫感が出来なかったのだろう。自民党はまだ敗戦ショックから立ち直れない。

 夢よいま一度、の自民復活を願う人たちの間では、細川内閣崩壊の再来を夢みているようだ。困窮の果てにいる人は、過去の夢の再来の幻想にすがるようになる。しかし、自民党員もそうだが、周辺の報道関係者、評論家にもとんでもない間違いをおかしている人がいる。細川内閣は、首相を退陣に追い込んだことで崩壊したのではない。とんでもない飛躍である。細川首相が退陣して羽田首相が登場し、その後、社会党が裏切ったのである。裏切って自民と連立を組んだ。そのため連立内閣はたちまち少数派になり、総辞職に追い込まれたのだ。この辺のことを、切ない願望からくる思い違いか、故意の改竄か、事実の経過を誤認している。
 今度は首相や与党幹事長を国会で追いつめても、そして仮に退陣させても、人が変るだけで、与野党の勢力に変化が起こるわけではない。民主党は単一の第一党として圧倒的多数を持っている。細川内閣打倒の夢を追っている人たちは、自分の幻想を反芻しているうちに、筋書きを都合がいいように夢を書き替えたのだろう。自民退場の背後には巨大な時代の変化がある。それは徳川幕府の崩壊に匹敵する規模と質のものだろう。
 昨日は鳩山総理の所信表明演説があった。52分という前例のない長演説。内容も自分の言葉で訴えたものだった。例により、文句をいう側は、抽象的で現実論がないというが、具体論を語れば、こんどは理念がないという。これだけでも前例のない長い演説だったのに、この上、具体論と理念論の両方を始めれば一日に終らない馬鹿げたものになる。

 昨日は日本音楽舞踊会議主催の「音の風景」の演奏会。自分の「吹く風を」を初演した。ピアニストは広瀬美紀子さん。申し分ない演奏だったが、すでに、完成から二年経過している。自分で自分の曲の価値判断が混迷するという困惑を感じた。この数年、作曲の仕事を次々と続け過ぎた。そのため意識が前のめりになった。時々は充電のための時間が必要。それにしても昨日はひどい天候だった。よりによって、この日のこんな台風余波の悪天が来なくてもいいのに、何かに意地悪されたような思いあり。

2009.10.23.金曜 晴 町田

 政治の世界がにぎやかである。

 朝、早めに眼が覚めると小型のラジオで放送を聞く。これにはTVの音声も入る。ラジオ、TVとも、早朝番組は政治テーマが多い。

 いろいろな評論家、専門家、元専門家、等々、様々な人たちががくがくと論じている。聞いている内にこっけい感が湧いてくる。どの人にも、あらかじめ当人の指向性があり、好み、願望がある。本来、社会、政治を論じているはずなのに、一人ずつ本人の願望がにじみ出る。あるテーマについて、これは危ない、ああなるとこうなる、危険だ・・・別の人は、かくかくの部分で前例のないことであり、おおいに期待できる、等々・・・・

 難しい、危険がある、困難がある、と言う人は、そもそも、その出来事がうまくいかないことを願っている。その反対の人は、うまくいってほしい。こうなると、はじめにすでに論調の中味が決まっているので先は聞くまでもないようなもの。

 今朝のラジオでは、もと警察関係の人、Sさんが、沖縄の基地問題で、アメリカとの協調が崩れることは重大だ、と強調していた。国と国との約束は、政権の交代とは無関係だという。ほかにも同じことを言う人がいる。私は、Sさんの論調は本来好きである。明解で専門家だけが知っていることを分かり易く伝えてくれる。しかし、今朝の意見には全部に同感することが出来なかった。
 今朝の番組の中では、Sさん自身の意見ではなく引用の型だったが、「この問題が不調になると鳩山内閣は吹っ飛ぶ」という人もいる、と語った。
 しかしこれはどう考えてもヘンな話ではなかろうか。日本国の内閣を吹っ飛ばすことが出来るのは日本国の主権者である日本国の有権者だけである。日本の主権者以外に、どこからもう一つ主権者がいるのだろうか。沖縄県民の意見を尊重し、県民を守ることは日本政府の義務である。政権が替れば国民尊重の姿勢が替るのは当然ではないか。相手国はそれを受けいれなければならない。私にはどう考えてもそうとしか理解できない・・・

 専門家の意見は傾聴すべきであることは重々承知している。しかし、その専門家の意見の背後にもまた、経験的な、またそれ故に主観的な、固定観念が入力されていることが明々白々に浮き上がる。こと対米関係のことになると、あたかも神仏に触れるようにおびえ、恐怖と畏怖のため戦慄に襲われているようである。あたかも忠実な番犬のようにご主人様にさからうなんて、思うだけで身が震えるのである。

 キャンベルも、ゲーツも、ワシントン・ポスト紙も、日本が言うことをきかななったと大事件発生のような受け取り方をしている。こういう観念の方がおかしい。人間をやめて忠犬になりきっていた日本もおかしいが、それが当り前と馴れきっていたアメリカ側の頭も同等におかしい。故人となった旧友の外交官、三宅和助が著書の中で書いていた。「外交は戦争とは違う、相手をたたきつぶすことが目的ではない。相手を立て、自分も立て、その中で自国の利益を計っていくものだ」、と。しかりとすれば、アメリカ側にも日本を立てるだけの心がけが当然に必要である。日本がアメリカを立てるだけでは外交にはならない。同じことをあちら様もしなければならない。敗戦ボケ、占領ボケはもうやめる時だ。戦争が終ってすでに60年以上経っている。両国とも世代も替っている。同じ敗戦国のドイツ、イタリアだって、アメリカに対等にものを言っている。鳩山さんの「日米対等の関係」というのはこういうことではないのか。

2009.10.19.月曜 晴 町田

 17日、土曜日、夜、12chで美術番組「美の巨人たち」、ミレーの「晩鐘」をとりあげた。

 この番組はいい内容で毎回楽しみにしているが、この頃は悪ふざけのクセがついてきた。先日も新聞で視聴者からの投書が載っていた。
 「晩鐘」についても、ダリやゴッホ、その他もろもろの解釈、論評があるようだが、鑑賞するものには余り関心が湧かない。それより、どこかで読んだが、ミレーは、農民画家になる前はパリでポルノなみの画を書いてた。店のウインドウにその画が出ているのを、見ていた人が侮蔑の言葉を吐いていたのをミレー当人が背後で聞いていた。ミレーはひどく恥じらい、バルビゾンに住み、農民を描くようになったと。確か「芸術新潮」に出ていた話で、そんなにいい加減な人の文ではなかったように記憶する。今度はそういう話を聞かせてくれるものと思っていたがまったく違って失望した。

 それはともかく、1976年のこと、パリの北80キロのコンピエーニュに行った時、バスで延々と一時間以上かかって行った。途中、広大な農村地帯となり、周囲360度地平線、まさに「晩鐘」の風景になった。とろこが、1997年、再度ここへ行った。こんどはパリから高速道路が出来ていた。高速道路の景色はどの国のどこも同じ、日本と余り変りない変哲のない道を走りながら、あれよあれよという間にたちまち着いてしまった。30分もかからなかった。途中の風景はなし。「晩鐘」の風景の実見の経験は消滅した。便利になれば何かが捨てられる。
 この画の原題「晩鐘」は、原語では「L'Angelus」、この「Angelus」はアメリカの都市、Los Angelusも同じ意味だそうだ。

 理屈や裏解釈は不要。静けさと人の心の敬虔さが分ればいい。

 ところで、国語の乱れが目につく近頃、政治家がよく使う言葉に、「なやましい」、というのがある。これは、漢字で書けば、「悩ましい」、と書く言葉。本来は、恋情を意味する言葉。恋心のために心が悩む、という意味。政治家たちは、「難しくて頭を痛める」、という意味に使っている。「頭を悩ませる」、とでも言うのが正しい。××の財政再建が、「悩ましい」、というのはこっけいであり、悪趣味で見当はずれで気持ちがわるい言葉の誤用はやめてほしい。

2009.10.14.水曜 曇 町田

 
「日本民謡大観」は、戦後まもなくNHKが出した。

 東北編、関東編、など地域別の数巻から出来ている。全国で八巻か九巻になるようだ。私は東北編と関東編を持っている。東北編の発行は昭和27年と奥付に記してあるが、値段がなんと2000円。いまの物価は少なくとも15倍にはなっているだろうから、いまなら三万円ということになる。三万円の本というのは余りないし、よほどの理由がなければ買わない。何かの年鑑とか人名録だろうか。こんなものは図書館に行けばおいてあるし、特定の項目だけ見ればいい。「民謡大観」も、たぶん、図書館とか、学校、大学、その他の施設が買ったもので、よほどの金持ちの篤志家、研究者が個人で買ったかもしれない。千部限定出版と書いてある。私は、もちろん、だいぶ後で、神田の古書店で買った。たぶん、音楽の古書を扱っている古賀書店だったと思う。

 民謡研究といえば、このほかに、武田忠一郎氏の岩手県民謡の研究が著名である。この人の「岩手県民謡の研究」という著書は、岩手県だけを扱っているのに、NHKの「東北編」より厚い。一県だけで東北六県の「大観」より厚い。どれだけ膨大な研究であるかということが分る。この本もNHKが出版している。「武田忠一郎著、仙台中央放送局監修、日本放送協会発行」、となっている。この時代のNHKの経営方針が文化振興にかなりの責任感を持っていたことがわかる。まだ民放が出来る前のことで、放送局といえばNHKしかなかった時代のこと。存在の意義もいまとは違うのであったろう。

 昭和13年に「宮城のこもりうた」を仙台局から放送した児童たちはいま70歳から80歳にかかる年齢だからまだ存命の人も少なくないはずだ。TVか新聞で呼びかければ名乗り出てくれる人もあるのではなかろうか。このままでは、不明になってしまうことが多々ある。こういうことは解明したいものである。
 
2009.10.13.火曜 晴 町田

 
九日にカワイのコンサートで深沢亮子さんが演奏した「こもりうた」。

 当日、演奏前に少しお話したが、この歌には来歴がある。

 私がこの歌を知ったのは、NHKが出した「日本民謡大観」の東北編に掲載されたものからである。町田嘉章先生の監修。芸大時代、町田先生の講義を二度ほど聴講した。もちろんすでに故人となられたが、日本民謡研究の大家である。その町田先生がこの本に書かれている解説によると、この楽譜は、昭和13年に、仙台の小学生が渡邊破光氏の解説で仙台放送局から放送した時の録音盤から採譜されたとのこと。つまり、町田先生ご自身も直接は聞いておられないわけである。それでは、その時歌った小学生はどこの楽譜で歌ったのかという疑問が出てくる。多分、解説した渡邊破光という人が採譜したものと推量される。それでは、その渡邊破光氏は、いつ、どこで、この歌を聞いて採譜したのか。次から次と疑問がさかのぼっていき、果ては過去の深い霧の中に消えていく。

 
この歌を聞くと、遠い昔の東北の貧しい農家、粗末な家で、母親も昼間の労働のために疲れて、自分も半分眠りながらかすかな声でこどもの脇で歌うともなく声にしている、そんな情景が思われる。「向いやんま(山)の白っぽ犬、一匹吠えれば皆吠える」、という歌詞、野犬が多かったのだろう、風が吹く夜かもしれぬ、野犬の遠い叫びが聞こえる、そんな歌である。
 
2009.10.12.月曜祭日 晴 町田

 
今日は祭日、体育の日、ということらしい。
 土曜からまたもや三日続きの連休。銀行はこの頃はATMでだいたい休日でも用が足りるようになったが、郵便局は使えない。社会活動はこの部分停止するほかない。発送は連休明けとなる。こんなに休みが多くていいのだろうか。

 新聞広告で「文芸春秋」の新刊号の内容を見た。

 新政権への悪口雑言の大特集。昨日は、図書館によったら置いてあったので、その場で読んだ。立ち読みではない坐り読み。見出しと内容が一致しない文が多い。こういうのを見出し商法という。週刊誌は以前からこのやり方をしていた。広告を読む側もこれをとくと承知していて、立ち読みするか、買わないで広告だけですます場合が多い。いかにも面白そうな広告で、買ってみるとたいしたことが書いてない。
 週刊誌はすでにそれと知られた代物だが、大手月刊誌の「文春」まで、同列に堕したとは呆れたもの。もともとこの雑誌は売れ行きが落ちていた。いまから12,3年前、編集者から聞いた。最盛期は100万部雑誌といわれたのに、いまは半分を切って40万くらいになった、これからどうなるか分らないと言っていた。あれから10年以上たった。さらに減っただろう。

 だいたいこの雑誌は、昔、長距離出張の会社員が鉄道の中で読んだもの。それが新幹線になって乗っている時間が短くなり、こんな分厚い雑誌持っていくこと自体が敬遠されるようになった。この時点ですでにこの雑誌は時代との調和を失なっていた。これだけ部厚いと、うちの中に置いてあっても邪魔になる。それと活字離れ、映像の進出、こんな時代の流れが凋落に加速をかけたのだろう。やけくそになったか、出来たばかりの新政権の悪口特集を出して誰が喜ぶと思ったのだろう。自らの首を絞めるだけではないか。貧すれば鈍する。100万部雑誌の末路や哀れ、自民党と心中したいらしい。

2009.10.11.日曜 晴 町田

 
今日は本物の秋晴。湿度低く気温も暑くも寒くもない。こういう日、人は幸せである。

 故人となった旧友、山本直純君は学生の時、恩師池内先生から、人間、四十歳を越えると自分が分ってくる、と言われたそうだ。直純君本人は、自分にとってはそれが60歳だったと書いている。

 私も自分が分ってきたのは60歳が過ぎてからだった。さいわいまだ命が続いているので仕事にそのことが生かせることは無上の幸福である。

 自分で自分がどうしてそんなに分らないのだろう。それは、自分の中に他人がいるから。少し上等の言い方をすれば、自分の中に社会がいるということになろうか。まったくの素粒子みたいな孤独な人間はいない。自分の意識の中に社会が入り込んでいるし、社会が入っている。カクテル状態というのだろうか。その混合液の中から自分を抽出する。いや、分離機にかけて自分の粒子だけを抽出するのではない。混合したままの状態で、そのままの中から自分が見えてくるというのだろうか。他の粒子を排除して、自分だけを抽出してはすでに嘘になる。混合したままの中から自分が見えてくるということ。そういう困難をきわめた作業が出来るようになるのに40年、50年、60年の人生経験が要るということだろう。
 
 人の心は分らない。昔、ソクラテスは、人間何が一番むずかしいか、と問われて、自分を知ること、と答えた。何が一番やさしいか、と問われて、他人を責めることと答えた。
 自分の中の他人にほめられようとして作曲することは愚かである。自分の中の自分が満足できる音楽を作ろう。

 秋の日にそんなことを考える。それにしても、昨今は忙しい。

2009.10.10.土曜 晴 町田

 
ようやく快晴に近い日が続く。昨日は深沢亮子さんのリサイタル、といっても、渋谷のカワイ楽器のホール「パウゼ」からの依頼リサイタルだが、私の「こもりうた」をひいてくれた。熱がある状態のままの演奏だったそうで、精神的に強い人でないとつとまらない仕事。

 この頃は新聞、TV、政治報道が多い。

 大阪の橋下知事の出来事、女性職員が無礼なmailを知事に送ったそうで、橋下さんが激怒した。笑っちゃいけないが、なんとなく幾分こっけいな感がある。

 実をいうと、この知事さん、私はどうも好きになれない。これは自分のいたって主観的な判断なので口外する価値はないが、知事選に出た時、はじめは出馬はありえない、120%ない、と言っていたのに出てきた。それも自民の支持で。自民が負けると民主に好意的になってきた。
 それはさておき、主観的というのは、この人から受ける人物印象がどうしても軽薄に思えるからである。情緒的な根拠だからなのだが。
 ご当人にはあいすまぬ。しかしながら、こんどの一件だけは女性職員の方がよくないと思う。何をするにも、人は礼儀が第一である。礼は人の道の始まりであり、終りでもある。上司に向って非礼な言葉づかいと態度はいかなる事情にせよ許容されるものではない。こういうことをしていると、いつか自分に返ってくる。中国の言葉に、「君、君たらずとも、臣、臣たるべし」、というのがある。これは、「君」に都合がいい言い分だという人がいるが、そうであってもその通りである。

 礼をわきまえないのは石原都知事だ。五輪選考で負けて、合格したブラジルを中傷した。スポーツの精神に正面から反する行為である。この人は弱い人だ。弱い者ほど強がりを言う。乱暴なことを言ったり、強がりを言ったり、本当に強い人はそんな言動はしない。こんどの知事の言動は非教育的な範例となるだろう。人間こんなになっては駄目だよという。五輪招致のために費消した都の資金の内訳もまだ言わない。「あんなものは」と言っていた。手がつけられない野卑人間だ。

2009.10.07.月曜 雨 町田

 
大型台風接近、昨日から雨が続く、明日にかけて東京に近づくらしい。自転車が吹き飛ばされるおそれがあるから、横倒しにしておくようなど注意があった。なんともおそろしい。

 亀井金融大臣の発言が問題になっている。家庭殺人などが頻発するようになった道義の崩壊には企業のあり方に責任がある、こんなことを経団連会長に言ったそうだ。新聞や評論家は、暴言扱いしている。
 しかし、そんなに的外れのことだろうか。

 利益追求、ただそれだけに暴走してきたのが、ここしばらくの日本経済界ではなかったか。そうなれば、利益、つまりカネが第一で人間は二の次になる。安く雇うために派遣社員ですます。人が要らなくなれば首を切る。こういう風潮が蔓延したことはまぎれもない事実ではないか。社会主義は失敗したが、マルクスが全部間違っていたとは思えない。人の思想は「下部構造」が決定する。下部構造を成す経済界のあり方が社会全体の人の心に作用したことは事実ではないか。     Wellsが百年前に「宇宙戦争」で描いた火星人は実は未来の人間の姿であった。機能主義に徹した結果、不要な身体機関は退化し、脳と手だけになる。恋愛は不経済な感情の浪費だから、性別は廃止し、生殖は単性生殖にする。筋肉が無いから休息は必要ない。24時間働く。こうなると、何のために生きているのか、わけがわからなくなる。資本主義が暴走した結果、心が退廃し、人の世がカネに支配されるようになった。亀井さんの言葉は乱暴だが、本当のことではないか。

2009.10.05.月曜 曇ときどき小雨 町田

 
スポーツ自体は健康なものだろう。しかし、なんでも行き過ぎると弊害が出る。いまの世相の荒廃がそこから、少なくとも一因を発しているのではないかと私は痛感する。

 音楽に話を限ってもしかり。

 作曲はともかく、演奏の時代相。いまはコンクールはやりである。世に出るためにはどこかのコンクールを出ていなければ圧倒的に不利である。その度合いは、いまから30年前、40年前、50年前、さらに大戦前にくらべれば著しいものがある。
 指揮者の世界では、昔は、映画の助監督のように、どこかの地方のオペラ劇場で助手の仕事をしながら次第に昇進して著名なorchestraの指揮者になっていく。その過程は10年以上が普通だった。だから、その期間に経験を積んで熟成していく。しかしいまは違う。指揮コンクールというものがあり、そこで受賞すると名が出る。お呼びがかかる。そもそも、orchestraの側も安定した常任指揮者を置かない風習が出来てきた。頻々と指揮者が代る。ピアニスト、ヴァイオリニストもしかり。コンクールで売り出す。熟成期間がない。
 
 どうしてこういうことになったか。根底にあるのは商業主義である。アーティストもいまや商品。商品の開発にはコストは安い方がいい。何十年もかけて商品化するより、ブロイラーのような即製の方が安上がりである。

 これだけでもひどい話だが、本当の害はもっと別の所にある。音楽の質が毒されつつあるということ。コンクールは競争である。競争に勝ったものが成功する。ここにも勝ち負けの世界がある。勝者だけが世に出る。その当人は自らが勝者であるのだから、勝者の心をうたう。勝ちどきみたいなもの。しかし人の世には勝者ばかりがあるわけではない。敗者があり、傷ついた者があり、挫折した者があり、悲しみの中の人がある。しかし、いまの演奏はそうした弱者の心は歌わない。知らないのだから歌えるはずかない。昔の大演奏家はそうでなかった。カザルス、ティボー、バックハウス、フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター、などなど、過去の巨匠たちはどれだけ人の心を慰める音楽をあたえてくれたことか。

 商業主義、資本主義のわるい点がこういう所にも出てきた。小泉改革のために社会格差が広がり世は荒廃した。芸術にもそれが出てきたのである。
 
数年前、フジコさんの取材で私はTVで語った。フジコの音楽はなぜ売れるか、あの人は傷ついた人の心を歌うからと答えた。それだけ、フジコの音楽はいまや希少である。

2009.10.04.日曜 晴ときどき曇 町田

 東京五輪は誘致に失敗した。

 ある民法ラジオの調査によると、当日直前の世論調査では80%余が反対していたそうだ。少し前は賛成51%だったから、反対が急増したわけだ。これが何を意味するか、思案の種になるが、反対がひどく多かったことは間違いない。それなのに、新聞放送は、残念がる人の場面ばかり紹介する。これは一体なんだ?
 推測だが、自分の例から推測すると、都民にとっては、単純に、騒々しいことはやめてほしいということではなかろうか。野球だ、サッカーだ、とスポーツがうるさ過ぎる。年がら年中戦争やっているたみたいな大騒ぎではないか。
 都民は疲れている。環境配慮というが、五輪となれば、かならず工事建設が始まり、都内がごったがえすことは必定だ。そういうふうに経験から思い出される。いま東京の環状六号線、山手通りが大工事で滅茶苦茶だ。いつまでこんな騒がしいことが続くのだろう。家の中にいつまでも大工職人が入って、ごたごた騒がしいのに似ている。静かなわが家を戻してくれ、そんな思いの人が多いのではないか。

 ダム建設の中止が問題になっている。途中での中止に地元が反対しているそうだ。それはそれで理解できるが、もっと大もとに大きな時代の変化があるのではないだろうか。進め進め、建設、発展、成長、拡大、小より大、少から多へ、という、前進だけの時代がいまや終末に入り、立ち止まり、反省、後退、自省、の時代に入ったのではないか。世界的な規模の変化かもしれない。人類史の時代の変り目かもしれない。排気ガスの増大が地球も人間も危なくするようになった。今度の政権交代も、そういう地球規模での、また地質学的規模での転換が底にあって、人がそのことに無意識に反応した。それが本当の原因ではなかったろうか。人は、生物としてその地殻の変動に本能的に生命の危険を感じ反応したのではなかろうか。

 それにしても、報道機関は信用できない。こんどだけではない。町の人の反応として、反対賛成、両方を「公平」に紹介する。どちらが多いかが消されてしまう。比率は消した、ということを始めにことわれ。こんどは更にひどい。残念組だけをとりあげた。

 ついでに加えるなら、いまの日本はスポーツに夢中になっている。スポーツは勝ち負けの世界である。個人技能の分野はあるが、査定により順位をつけられるのだから、これもまた勝ち負けの世界に違いない。こんなに勝ち負けにだけ夢中になっている国や社会はそれでいいのだろうか。負けるより勝つ方がいいのは当り前。誰でも勝つ方になりたい。勝った側は優位、負けた側は劣位。こういう意識が社会全体に充満瀰漫しているではないか。いまの社会の、殺伐野卑、情緒欠乏、劣者は殺せの風潮はこの有様とは関係ないのか。野球に夢中になっている世相について飯沢匡さんがいつか言った。昔、ローマで、獅子に人を喰わせて熱狂していた、そんな社会を連想すると。

2009.10.01.木曜 晴 町田

  
昨日の日付では曜日を間違えた。昨日は水曜日、今日は木曜日。今日はさわやかに晴れたが相変わらずいささか暑い。

 
新政権が出来て、新大臣はじめ、初の顔合わせの記事が多い。国内、国外ともに。
 私はドイツに同業知人が多い。彼らの口から「Magengesprach」という言葉を聞いたことがある。最後の、gesprachの「a」にはUmlautが着くが、面倒くさいので略す。Umlautを-aで書く表記法は嫌いでもある。この言葉、英語になおせば、「stomach talk」とでもなる。胃袋が話し合う、という意味である。日本語で相当する言葉は、「腹芸」ということになるだろう。口に出す言葉ではひと言も語らず、それでいて言わんとすることは分かり合う。通じ合う。阿吽の呼吸ということにも通じよう。こういう以心伝心的な不可思議な技は、日本的、日本人的情緒と義理人情的な世界独特の特産物かと思っていたが、意外に外国にもあることを知った。しかも、そういう曖昧なことと一番遠い、と思い込んでいたドイツの人から聞いたので、これは感無量であった。人間世界どこも同じだ。
 新政権の総理、閣僚が外国の要人と初顔合わせをして、一番、懸案になりそうな課題にふれたかどうかなど、愚問ではないか。はじめての顔合わせで、いきなりそんな話を出すわけがない。まずは最初の直接お目見えで、互いの人柄を受け取りあって、感じとりあって「stomach talk」とまでも言わなくても、以心伝心、分かり合うことが初回の目的である。だから、手紙、電話、mailでも出来ない人の交流が直接会うことにより達成される。

 人には不思議な交信能力がある。鳥や魚や、そのほかの動物たちも科学では解明できない方法で通信している。太古、人間にもその能力はあった。それが文明化して芸術になった。言葉のほかに、絵、彫刻、動作、無言の何か、そんな方法で、また、そんな方法でなければ送信、受信できないものがある。人はそういうもの。

2009.09.30.水曜 雨 町田

  ようやく雨模様となる。雨天は自転車が使えず不便だが、余りに晴が続いたので仕方ない。

 昨日は、ピアニストの広瀬美紀子さんと10月26日初演の曲「吹く風を」のリハーサル、合理的に考えて、全曲を曲想に従い三つに分けて、あとでつなげるというKarajan式の練習法。したがって、いまの段階では分割された特定の部分だけ抜き出しての練習なので、曲全体の具合は何がなんだか分らぬところがあるが、あとで通せばまとまるだろう。それにしても、京都に続いて、全く別の曲の初演練習はめまぐるしい。
 interactive-FM、インタラクティヴFMという放送があるらしい。長岡京で60年ぶりに再会した中学の旧友から聞いたが、深沢亮子さんの演奏で私の曲が入っているCDを放送していたそう。著作権協会から九月分の使用料が送金されてきたが、確かにインタラクティヴFMという項目の入金があった。どうやって聞くのがさっぱり分らぬが、いろんなものがあるもの。

2009.09.28.月曜 晴 町田

 長岡京での歌曲集初演に

 26日土曜、京都長岡京で、大垣ひで美さんのソプラノ・リサイタル、ピアノは武井さゆりさん。新作歌曲集、「薔薇の町」の初演。このサイトの更新もその間お休み。今日28日午後ようやくこの仕事場に帰着。

 25日金曜午後の「ひかり」で京都へ。その晩は芸大の旧友、石崎宏男君と再会、八坂の塔下の料亭で長年の間に積もった話で時間を忘れる。こんな希な時間の間に携帯が三度鳴る。不思議なもの。東京に居てもこんなことはないのに。

 翌日は本番、午後一時半開演のマチネ。長岡京文化会館ホール。京都からJR在来線で四つ目、10時過ぎに行く。すでに演奏家は練習中。裏方の人たちと対談の準備。着席の位置、マイクの扱い方など。午後一時に開場すると、この地域在住の旧友知人あまた来訪、60年ぶりの中学同級の友人にも再会。音楽会とは社交の貴重な場であることを思う。

 演奏は、前半がFranceもの、休憩があって、対談と新作。PianoはSteinwayの大型が入っていた。日本のホールも立派になった。演奏は熱心な練習を重ねただけ、日頃の成果の通りのものだった。千人席のホールが八分以上の入りだった。終演後は挨拶、贈り物の受け取りなど慣例の所作が続いて、中学同級の吉成君と出る。彼は高槻在住で近い。taxiがなかなか来ない。この日はどういうわけか、夏のような日差し。そのうちにようやくつかまえて、彼は阪急の駅で降り、自分はJRまで、京都から「のぞみ」で帰る。午後七時半帰宅。家内も同道だったが、あちらは別の団体の例会が翌日あるので残る。したがって、25日は家は無人。こういう時たとえようもなく不安になる。生来の心配性である。品川で降りて恵比寿からtaxi。着いてみたら何事もなく無事だった。相撲の千秋楽を見て、休んで寝る。
 旅なれないのか、旅行は苦手だ。山口瞳が旅行嫌いの弁を書いていた。生活と仕事のリズムがくるうからかなわぬと。こんどの初演は満足すべき成果であったが、やはり慌しい。それでも、帰宅後さして疲労もないから有難いと思うべきだろう。

2009.09.24.木曜 晴ときどき曇 町田

 
昨日は、Handelのopera "Ottone"の公演に。

 ことのはじめは、八月、姉の一周忌で盛岡の向う途中、井の頭線で芸大同期の藤江効子さんに会ったこと。藤江さんは日本ヘンデル協会の会長をつとめている。その時にこのopera公演の招待券をもらった。この人とは年に一度、経堂近くのちいさなイタリア料理店でもう一人の学友とワイン会を開く仲。

 Handelのoperaははじめて。王子の北とピアの「さくらホール」、地下鉄南北線の駅から出た所がホールの入り口、アクセスはbest。少し早めに行ったのに入場者が行列で「最後尾」というプラカードを持った人が立っている。かなり大きなホールだが、ここまで人が入るとは驚いた。

 このoperaでは色々なことを知った。舞台中央には小型のOrchestraが居て、指揮者は後ろ向きにcembaloをひきながら指揮する。当時の様式であろう。全面には字幕が出て歌詞を映し出す。その脇には劇とゆかりのある景色が映される。Orchestraの背後を取り巻くように高台が置かれ、歌い手はその上で仕草を交えて歌う。字幕があるから筋書きが追えるし、いま何を歌っているのかも分る。こっけいな場面では客席に笑いも起こる。自然に鑑賞ができる。日本のopera鑑賞も進んだものだ。
 歴史的には、音楽はMessiahそっくり、というより、当時の観念では、一々個性的で違うものをもとめるのではなく、類似の消費的なものを音楽にもとめていたことが推察された。一種の消耗品として扱っていたのではなかろうか。かつてのHollywood映画もそうだったし、いまのTVドラマもしかり。昔のItalia operaもそういう時期があったそうだ。そういう時期が続いて、その内に個性的なもの、群を抜いて優れたものが現れるのだろう。だから、画一的、消耗品的なものが量産される時代も必要であることが分る。歌謡曲、演歌の類いもしかりで、すぐに忘れられるようなものが量産続出する中からいいものが出る。それにしても、それだけのものであっても、和声、対位法、楽器法の技術の熟達は、いうまでもないが一分のすきもない。こういう熟成した技術の永い永い積み重ねがやがて大音楽の創生へとつながっていく。他愛ない物語だが、音楽のある所に、後年のBeethovenのFidelioを思わせる部分があった。長大な大河のように文化の歴史は創られていく。そんなことには感じ入った。 
 
藤江効子さんは舞台総監督と書いてあった。敬意を表す。

2009.09.22.祭火曜 晴ときどき曇 町田

 
邦楽合奏にOrchestraを加える仕事、八月いっぱい考え、今日から楽譜のレイアウトに入る。
すでに邦楽のパートは印字すみなので、Orchestraの新しいパートだけ追加する作業、これまでに出来た楽章は問題なくすんだが、今回は、レイアウトがなかなかすなおに出来てくれない。男声合唱が二段加わるから段数が多くなるのは当然だが、段数を増やしていくと、曲の末尾が消えるという怪現象が発生した。苦心惨憺、あれこれ試みてなんとか治まる。すでに入力すみの邦楽パートを白紙から再び入力しなおすのはなんとしても馬鹿げている。一時はそれもやむをえないかとも考えたが、しばらくして余りに馬鹿げているので再試行した。どうやら出来た。あとは、段組の入力とか、色々あるがこれは既定の作業。しかし、いままでが容易に出来たものがこの楽章では妙にこじれる。器械は生き物みたいで扱いにくい。あせればあせるほど手違いができる。

2009.09.19.土曜 曇 町田

 
昨日の大相撲では、無敵の白鵬が思いがけない敗北となった。今朝の新聞の専門家の談によると、相手をあなどっていたことが原因とのこと。なにごとも、相手を軽視、あなどることはよくない。

 いまでもはっきり覚えていることがある。あれは10年以上前のことだった。  TVで政治家たちの座談会があった。

   当時、出来たばかりの民主党から菅直人さんが出た。自民から石原慎太郎現東京都知事が出た。石原さんが、菅さんに向って、「あんたん所は吹き溜まりみたいな政党作って何するんだい、なんて名前の党だっけ、名前も忘れたよ」、と言った。菅さんはじっと姿勢を崩さず、おだやかに、「民主党です」、と答えた。石原さんの言葉はずいぶんと無礼なものと思った。

 因果はめぐる、因果応報というが、こんど、東京への五輪招致では、時の政府の応援は不可欠だろう。来月のIOC総会にはなんとしても総理の出席がのぞましいだろう。鳩山さんは、いまのところ断りもしないが応諾もしていない。石原さんはどういう心境なのだろう。菅さんも小人物ではなかろうから、あの時のことを覚えてもいないだろう。しかし覚えていたら、互いになんとも気まずいものになる。つくづくと、礼儀は大切であると思う。相手を馬鹿にしたり、暴言を吐いたり、勝ちに乗じたり、そんなことをしてはいけない。人は一にも二にも礼が始めであり終りである。

 無礼に対して無礼を持って応えるのもよくない。報復もよくないということ。「暴にむくいるに暴をもってせず」、これは中国の言葉。日本が戦争に負けた時、中国の蒋介石総統が発した言葉。
 
民主党も暴に暴をもって応えることはないと思うが、石原さんはみずからに恥じることはあるべきだろう。相手が礼を守ればなおのことしかりである。石原さんの方は、それもつごうよく忘れたり、忘れたことにするようなら、石原という人は人の道の基本も知らない人と思われて仕方がない。

2009.09.18.金曜 曇 町田

 
昨日の新聞放送は、新政権の記事以外にひさしぶりに酒井法子被告の保釈による仮出所、記者会見の記事でにぎわう。

 会見の談話は当人が書いたものではなかろう。しかるべき人が書いた原稿を読み上げたものと思う。とすると、この談話は随分と欠陥されるべきものを含んでいる。

 「支援して下さった方々へお詫び」、いうが、お詫びすべき相手はファンや支援した人たちだけではなかろう。非難、嫌悪していた人たちもいた。迷惑を受けて怒っていた人たちもいた。政権の交代で政界が大忙しの時に、電波も新聞紙面もこのくだらぬ事件で時間と紙面がおおきく失われた。そういう結果すべてに対しても詫びなければならないはずではないか。社会の人たちすべてに対して詫びるべきものだろう。当人は、こういう場の対応に馴れないしろうとだから、当人が考えたセリフであるなら仕方がないが、ウラでその道の専門家、事務所の人とか弁護士とかが書いたとすれば、なんとも心がけがいかがわしい人が書いた文だ。
 東京新聞では、芸能評論家の梨本さんが強く批判していた。業界復帰についても、許されないしいさぎよく引退すべきと言い切っていた。梨本さんはきびしい人で知られるが、普通に考えても同感である。
 酒井法子という人は、相手は自分のファンだけという意識で生きていたし、いまも同様の人であることが歴然と判明した。とんでもない社会人欠格者である。
 
それにしても、この保釈という制度はおかしい。保釈金が支払える人はいいが、おカネの用意が出来ない貧乏人には受益不可能な制度だ。法の前に万人は平等という原理に反するではないか。

2009.09.17.木曜 晴 町田

 鳩山内閣成立。昨日からこの報道で埋まる。

 永い間着古した汚れた下着をやっと着替えたような爽快感がある。本来は政権交代は当り前のことなのに、半世紀もそれがなかったこの国はどうなっていたのか。もっとも、これは自民党だけがわるいわけではない。政権を交代させようにも第二政権党が存在しない。社会党は本気で政権をとる意志はなく、野党の役割を演じてそれを天職として自足いた。ほかの野党はもっとしかり。批評政党、批判政党、与党の仕事を客席から批評しているだけの役割り。自分で舞台に立つ意志はさらさらない。これで各々満ち足りていたのだからひどいものだ。国民は一皿しかない料理を、うまいまずいは無視されて喰わされ続けてきた。やっと世間並みになったのが昨日からの祝儀。

 自民は、財源、財源と国民を脅迫し続けるが、いままで政府のカネがどこへどう流れていたか。水道に流した税金の八割程度が目的の出口まで届けばいいくらい、残りの二割は途中でどこかへ消える。土管にビビ割れがあり、そこから漏れてどこかへ行く、その漏れた水を喰って気味悪い虫が発生生息して成長して肥え太る、そんな不気味なことが続いていたのではないか。政権交代で狼狽するのは、そんな気味悪い虫たちと、承知の上で横流しを続けてきたやからだ。財源財源と騒ぐやからこそこの「害虫」たち、それと結びついた化物たち。土管を掘り出して暴けば七兆なんてたやすく出てくる。
 いままで役所が出した調査がウソばかりだったことが民主党議員によって次々にあばかれている。CO2の削減をするとGDPが減るという話、実際は、GDPが増え続けることは変りなく、その「増え方」が幾らか減るというのを、いまよりも減るように故意に間違えるような言い方をしていた。高速道路を無料化すると、CO2がこれこれ増えるというが、一般道路では減ることを故意に触れないようにしている。悪質きわまる官僚たちの、詐欺、欺瞞、恫喝。外務省の秘密取引の有無も同様、すべてを大掃除して明るみに出す時だ。

 今朝のTVで、自民党総裁選を「存亡を賭けた」、という所を、女子アナウンサーが「滅亡を賭けた」と読み違えた。麻生さんの読み違え特技が伝染した。

2009.09.13.日曜 晴 町田

 
昨日の雨に続き、今日は快晴だが、それにしてはまだ暑く、秋晴という感じではない。

 総選挙の結果の民主大勝、与党大敗。

 こういう事実の大きな変化は、時間と日時が経過するに従い、次第に重みを増して意識に浸透してくる。どの人にとってもそうだろう。大きな変化は人が実感をもって受けとめるのに時間がかかる。いいことも、わるいことも、嬉しいことも、悲しいことも、公的な規模のことも、私生活上の個人的なことも同じである。鳩山代表の風貌言動も日が経つにつれて風格が変ってきた。

 今回の変化についてゆけないのが報道機関ではないか。相変わらず、政権の前途にケチをつけ、不安の種をあさる、そんな、しがないことにばかり懸命になっている。新聞放送機関だけではない、評論家、報道関係者、個人単位でもしかり。 こう いう仕事をする人たちは、不平不満と不安をあおり、ものごとにケチをつけるのが本来的な稼業だから仕方がないのだろうが、ご当人が貧相に見える。
 アメリカが鳩山の対米政策に不安と不快感を持っている、などど新聞各紙は書きたてた。国防省の報道官が給油の継続を望む談を出したなどと、あおるような言い方、書き方を連発したが、TBSの放送によると駐米特派員は否定していた。給油継続についてのアメリカ報道官の談話は、記者に聞かれて答えたもので、聞かれたら話すのは当り前だいうことである。なんという馬鹿げた不注意な報道だろうか。それとも意図あるものか。日本の報道機関と関係諸氏は、政権交代がそれほどおもしろくないのか。あるいは、それだけ旧政権与党と仲が良くて、何かいいものを貰っていたのか、そんな風に思わざるをえないではないか。
 新政権の顔ぶれにしてもしかり。アメリカでは大統領制であることが日本とは違うが、選挙結果決定から新政権の発足まで三ヶ月近くかけているではないか。ましてや鳩山さんはまだ首相になったわけではない。それと、小沢さんの黒幕扱い。実体がともなわないのに早く事件が起こってくれといわんばかりの報道はひたすらさもしい。
 一党独裁が半世紀も続いたことが異常なので、要は、普通のことが起こり、普通の国になっただけである。ソ連圏があったから資本主義を守ることが存在理由だった自民党、共産圏が消滅したので失業した、それだけのこと。

 それにしても、自民はひどい凋落ぶりだ。この政党は立ち直れるのだろうか。長期政権はよくなかったが、さりとて、民主党の相手がないと、これまた今までの裏返しで、自民と民主が入れ替わっただけのことになる。しかし、このところの自民の混迷ぶりと無気力ぶりを見ると、再建は可能なのか疑問を持たざるをえない。もしかしたら、この政党は生命が終ったのではないか。まったく別に新しい政権担当力ある新党が出来た方がいいのかもしれない。今朝の東京新聞によると、自民党衆議院議員の中で、三十歳台以下の議員は五人しかいないそうだ。世代交代ができない団体は自然消滅、絶滅するほかない。TVで野中前幹事長が語っていた。いまの自民には気概が欠けていると。これが最大の命とりだ。相手は民主党ではない。おのれの心の中に病気をかかえたことである。

2009.09.11.金曜 晴 町田

 
ようやく器材の騒動が落着したので、以前からの仕事に戻る。

 しばし想念が充電成熟するまで時間をかけるほかない。月末には歌曲の初演で京都へ。金子みすヾの詩による歌曲集「薔薇の町」。「薔薇の町」、「金魚」、「草原]、[木」、「星とたんぽぽ」、全五曲。曲の方は満足できるものになった。演奏は当事者にまかせるほかない。10月26日には、ピアノ曲の初演、「吹く風を」、広瀬美紀子さんの演奏。12月7日は、Violin曲の初演、「美しき夕暮れ」、劉薇さんと椎野伸一さんの演奏。その間に10月9日には深沢亮子さんのカワイ・リサイタルで「こもりうた」の再演。いそがしいようだが、いずれもすでに出来ている曲。いま進行中の仕事が一番の労働であることは違いない。初演、再演も目出度いけど有難い出来事という次第。

2009.09.10.木曜 曇 町田

 
器材の悪戦苦闘がひとまず終了。
 
 しかし、予想外の椿事はこれからも起こりえよう。この器材が特にそうなのか、説明書が余り親切でない。詳しいことはdiskから入力した手引きを見るようにと書いてある。これがなかなか分りにくい。結局手探りであれこれやることになる。mailに添付されてきた写真を印刷しようとしたら、横長の写真で右半分が入っていない。あれこれ思案した挙げ句、用紙に対して横置きに印刷するように指示した。こんどはA4の横置きだから全部入った。こんなこと、手引き書のどこを見ればいいのだろう。「印刷が出来ない」、とか、 「印刷がうまくいかない」、なんてのがあるが、はみ出した場合はどうする、というのは見た限りでは見当たらない。電話で聞くのが一番いいのだが、メーカーも電話の応対が繁雑で自分で説明読んで分ってくれ、と言いたいのだろう。ともかくも目的は遂げたからこの件はすんだ。

 このところ、大岡昇平の小説、[事件」を読んでいた。読み終わったがいささか疲れた。面白いのかそうでないのか、読んだ当人が読後感が分らない。
 裁判の進行を追う小説で、人が真実を知ることがいかに難しいかを描いているわけだが、読み終わって余り爽快な気分にもならない。それでも、仕事場への往復で読みふけったのは、それだけ魅力があったからなのだろうが、少し頭を使いすぎた。
 この小説は作者のなみならぬ努力の成果で、「日本推理小説賞」というものも受賞しているそうだ。大岡さんは、推理小説を書いたつもりはなかったので意外であったが、感謝して受賞したと書いている。大岡さんの文学は良心的で、知的な見方がつらぬかれ、しかも、太宰のようにニヒルでなく、知性がこころよく伝わるところがとても好きだが、この小説にはいささか参った。
 往復の電車の中も、退屈なようでも頭を休めている方が本業のための準備になるのかもしれない。図書館から本を借りることはしばらくやめよう。来年春までの大仕事がいよいよこれから最後の山場にかかる。秋とともに本業再開。

2009.09.09.水曜 曇 町田

 
このところ、器材の世話が相続きおおわらわ。

 まず、電話器の買い換え。
 もうFXは使わないので小型のものにする。週刊誌の半分くらいの大きさで簡便。まるで受話器に台がついたようなもの。それでも、電話番号100件記憶し、しかも、子機の方もそれとは別に100件記憶できる。あわせて200の電話を記憶。電話卓の上がすっかり片付いた。

 次がFINALEの大事故。音符がすべて渦巻きみたいな記号に化けた。これには参った。とどのつまり、メーカーのmailによる指示に従い、あれこれしているうちに何時の間にかなおった。これもまた奇怪。だが、なおったからいい。この過程で器材についての知識が幾らか増えた。これは収穫。

 三番目がprinterの買い替え。まえからHPが不調で、カラーが出なくなったが楽譜文書の白黒印刷にはさしさわりないので続けてきた。とりあえず、いま使用中のカートリッジがなくなるまで使うことにしていた。このカートリッジは値段が高い。それが、昨日、ついに字がかすれてきた。ついにその時が来た !
 この仕事場の場所が有難いのはヨドバシカメラが50mくらいであること。前からお目当ての器材を選んであったので、店で指定したが、お店の人の調べで、これが自分のコンピュータ本体のmeには対応できないことが分った。代りにepsonを買う。昨日は午後この新器材と大格闘、途中で帰宅したので今日は、継続。やっと刷りだした。なにやら、動作音が前より大きいよう。家鳴り振動とまでいかないが、前のHPとくらべると気になる。
 USBの入力口が二つとも使用ずみなのでどうしたものか思案に暮れた。ところが、ヨドバシを再訪してお店の係りに聞くと、タコアシ型のハブがあった。これには感激。なんでもある世の中。ただ、商品の回転が早すぎて参る。五年経つとすでに旧型扱いで取り付く島がない。

2009.09.06.日曜 晴 町田

 今日はまた、TV朝日の「サンデー・なんとか」で、田原総一郎の司会。

 もうこの人の話は見たくも聞きたくもなかったが、ちょっとだけ見た。相変わらす、相手の話している中に割って入る行儀のわるさを続けている。昨日の晩も、MXTVで副知事の猪瀬さんと田原が出ていた。不快なのですぐやめた。

 昨日の帰り、夕刊「ゲンダイ」か、読んだら、マスコミのバカさ加減が書いてあった。「小沢がどうするとか、鳩山は早く何々しないと駄目だとか、派閥だ、力だ、誰それがどうしたら、とか下らぬことばかり書いている。国民は、そういう見方で政治を見ることを嫌って政変を起したのにマスコミはそれに気がつかない。自民党以下だ」、と。

 自民がつぶれてもらっては困ることは確かだ。しかし、「自民支持」の学者、評論家先生たちは、温かく、厳しく、有難い批判意見提言を寄せているが、どの人も大事なことを忘れている。それは世代交代の必要性だ。こんどの自民敗北の隠れた要因はそこにある。いつまでたっても長老支配、いい若手がいても力が出せないではないか。だから、こんどの総裁選出も知恵が出せないのだ。
 国会での首班指名の前に新総裁の選出が出来ないという。確かに日にちは少ないが、全員が火の玉になってかかれば出来るはずだ。若い人たちも動員し、地方の党員にも声をかけ、総員徹夜がかりで取り組むことを何故しないか。郵便の発送、開票、人海戦術でやればかならず出来る。ミドウエイ海戦にのぞむ時、アメリカは空母が足らなかった。珊瑚海海戦でボロボロになった「ホーネット」を三日間でなおした。ドックの工員たちも全員がハンマーを上げて「ガンバロー !」と叫んで突撃したのだ。「ベニヤ板張ってもいい、糊でくっつけてもいい、このボロ船を、とにもかくにも海に浮かべて動くようにしろ、国がほろびるぞ !」、と、この時は、アメリカの精神力が勝った。自民になぜそれが出来ぬ。それが出来ないなら、すでにこの政党は心が滅びている。

 選挙で負けて、比例でおめおめ復活した自民の大物たち、大型ゾンビたちは、昨日、当選証書の手渡し式に本人は来ないで代理人が来たそうだ。苦笑。さすがにゾンビたちも恥を知っているのか、武部、与謝野、町村、小池。まだいたか・・・こんなゾンビたちがはびこる化物屋敷に明日はない。朝日が差し込むと化物たちは消散する。社会保険庁では都合のわるい書類を焼いているそうだ。民主党「進駐軍」が来る前の証拠隠滅。

2009.09.05.土曜 晴 町田

 二日ぶりで、楽譜ソフトの異常に取り組む。メーカーから親切な対応策をmailで送ってきたが、器材がその通りに動かない、相手が人間でないため苦心惨憺。こういうことは電話で指示をほしいが、この頃は電話番号が書いてないサイトが多く不自由なり。しからば、短期決戦ならず準長期戦で徹底とりくみの覚悟。

 総選挙から一週間がたとうとしている。民主党の新政権の動向、敗北した自民党の動向。それぞれ注目すべきもので関心を呼ぶ。

 ゾンビとゴジラ

 小沢一郎氏の動向はまる怪獣あつかい。小沢が来るとか、小沢が何した、何言ったとか、ゴジラの襲来並み。大物政治家がさそれだけいなくなったせいだろう。不安、期待、それぞれの見方が交錯している。不安の方は、小沢が民主党の中に混乱を招くのではないかというもの、期待は、その反対側の立場からのもので、そのための民主党の混乱不調、権力の二重化・・・なんてことが起こらないかなあ、というもの相手がそのためダメになることへの悲痛な願望。しかし、何も起こるまい。人は経験から学習するものだから、前あったことがまた起こることはまずない。

 もうひとつの出来事は選挙で落ちて比例で復活という人のこと。誰か辛らつなことを言っていた。死んだものが出てくるというのは「ゾンビ」ではないかと。武部、伊吹、町村、まだいたか、自民の大物ゾンビたちのぞろぞろ出現。比例当選を辞退して若い人にゆずることは出来なかったのだろうか。そうすれば、自民もそれだけ若返ることができたろうに。40台、50台の若手もこれだけゾンビに取り囲まれていれば自由に活動できないだろう。もっとも、群馬では、初陣の三宅雪子が福田元総理に挑み、からくも惜敗、比例で当選したが、この人の場合は、若い姫が、初陣で元総理という大物に挑んだのだから健気な感があり、わるくいいたくない。
 自民は目茶苦茶になってきたが、本当はしっかりしてもらわないと困る。自民が没落すれば、またまた、一党支配、自民と民主が入れ替わっただけで、これまでの裏返しになる。

   悪戦苦闘の結果、楽譜印字がなおった。メーカー指示のごとく運ばず、絶望に近かったのに、楽譜を出してみたらなおっていた。これ奇奇怪怪。メーカーの指示も懇切丁寧だが、実際にその通りの入力窓を出してみると、「文字列は?」とか、「探し出していれる場所は?」、などと、説明にない回答入力がもとめられる。あれこれ、いじっているうちに、何が何だか分らぬ内になおった、という目茶目茶神秘的なりゆき。それでもなおればそれでいい、しかし、原因不明でなおったということは、またいつ異常になるか分らぬともいえる。その時はまたその時。


2009.09.02.水曜 曇 町田

 
昨日、退出時に楽譜印字のソフトが異常になり、音符がおかしな記号に化けた。今日はその修復につとめなければならない。

 昔、ヘーゲルは、自分の理論と現実が合致しない場合は現実の方を修正しようとした。こんな話を聞いた。本当かどうか分らない。多分うそか誇張だろう。ヘーゲルは弁証法を発展させたほどの人だから、古風な観念論者ではなかったと思うが、ヘーゲルの話はどうでもよい。これに似たことを言った人がいた。

 田原総一郎という人。政治評論家というのか、TVの司会者というのか、こういう職業の人はなんと呼べばいいのか分らない。この人は司会者の時、相手の発言中に、おっかぶせて、さえぎって自分で話し出すかねがね評判が悪い。
 こんどの選挙の結果について、「民主党は勝ちすぎた。自民は負けすぎた」、こう言った。開票の途中で言ったのか、あとで言ったのか知らないが、どちらでも同じ、民主、自民、どらも勝ちすぎ、負けすぎ、というがそれが開票結果であり現実である。自分の観念を優先して現実を批評するのは本末転倒ではないか。
 現実はすべてに優先する。それが何故起こったのか、そこから思考するのが理にかなった思考である。郵政選挙で自民に大きく流れ、こんどは民主に大きく揺れた。敗戦の時、一夜にして平和主義者に変貌したことにも通じ日本人の国民性に無気味なものを感じる、と言った。これは週刊朝日に出ていたので間違いない。無気味ですませているのは田原当人の思考怠惰と想像力の貧困である。理由のなことはない、原因がない結果はない。日本人国民性の無気味さしか思いつかないのはこの人の想像力は貧困である。昔、 土井さんの社会党が大きく躍進したことがあった。土井さんは「山が動いた」という名セリフを語った。しかし、その後間もなくの都議選では大変化はなかった、「微調整」と呼ばれた。ここにも人々の考え方が現われている。

 日本人は我慢強いのである。自民の悪性に堪えながら、代るべき政権政党がなかったために変化させることが出来なかった。郵政選挙で世の中がよくなると信じて大量に得票させた。それが失望に転じてこんどの結果である。保守的であり、我慢強いが、忍耐が限界まできた時、大爆発する、それが日本の国民性だ。今朝の朝刊で田原のこの発言を批判した記事があった。

2009.09.01.火曜 晴 町田

 
30日は投票、そのまま天候の悪化もあり在宅。昨日は台風接近で外出をやめた。ここに二日来なかった。三日ぶりに来ると、mailのいたずら着信がすごい。200通以上、気をつけないとまともなものまで消していまう。

 30日の開票は歴史的事件に遭遇する感あり。深夜に至っても開票完了せず、大勢判明したので就寝。翌朝、完全結果知る。
 民主大勝、自民壊滅。自民はほぼ半世紀日本を支配したが、時々政権を離れたことがなかったわけではない。社会党の片山内閣の時、次は、細川内閣の時、こんどは回数としては三回目。しかし、一部の報道関係者が言うようにこんどは前の二回とは違う。細川内閣の時は自民以外の党が連立すると自民より多くなるだけで、政党別では自民は第一党だった。だから、社会党を抱き込めば与党はたちまち少数派に転じ終りとなった。しかしこんどは、違う。政党別でも第一党の民主の三分の一に近い転落である。どうあがこうとも這い上がる道はない。根底的な変動が起こった。

 敗退した自民公明の大物たちの敗戦の弁に注意をひかれた。

 こういう時、大事なこと肝心なことは、いさぎよさ、ということであろう。負け惜しみ風のことは見苦しい。石破さん、「民主が勝ったのではない。自民が負けたのだ」、これはよくない。往生際わるい、何がどうなろうと負けたではないか。福田元総理もだめ。「相手が見えない選挙」とは何事か。対立候補に対して無礼ではないか。それならそんなに慌てたのは何故か。この人は、「あんたとは違うんだ」の名セリフで有名になったが、そもそも気が小さい人であることかわかった。麻生総理が一番感心しかねる。「敗因は何か」と問われて、「この場では即答できない」、こんなことではだめだ。負けた時は、言訳は一切せず、「すべてが反省の材である」、と言い切るのがいい。「政局より政策を優先したことは、いまも間違っていなかった」、こんなのも同様。負けっぷりのよさが肝心と言っていたのにその反対だ。敗戦後、最初の閣議で、「みんな戻ってこれてよかった」、これもひどい。何人の党員が落選して去っていったのか。こんな人物を総裁としてかつがなければならなかったことにすでに自民凋落の歴史的必然が始っていた。

 自民党は野党経験がほとんどない。野党の状態にどれだけ耐えられるか。119といえば救急車呼びの電話と同じだ。この党は政権という磁力があったから結合していたのだ。電源を切られたあとどうなるか、いままで野党のことをばらばらとか、寄せ集めとか言っていた手合いがあったしかし磁力の接着力がなった政党がどうなるか。自民はいままでの野党よりもばらばら野合集団に堕するだろう。時代が変った。明治維新に匹敵する。平成維新である。来年の参議院でもこの勢いは止まるまい。

2009.08.29.土曜 晴 町田

 
晴れと書いたがかなり蒸し暑い。まだ八月の内だから仕方がない。明日はいよいよ投票日、候補者たちは今日一日で結果を待つほかない。さぞ圧迫感があるだろう。

 昨日書いた「音楽年表」のこと。

 編纂者の柴田南雄さんと入野義郎さんの後記を読む。またまた複雑な感想となる。この計画は戦後すぐに始ったもので、物資も不足する中、二人は互いの家を訪問しながら、外国の膨大な年表を幾冊も用意し、一年度ごとに項目を選び出していったのだそうだ。紙にも不自由する時代で、黄色になって紙に向っていた。ほぼ十年の年月をかけて完成までたどりついたのだそう。
 しかりとすれば、これもまた、「先人の労苦」であり、敬意と感謝をささげなければならない。その「先人」の著作がさらなる「先人」を無視している、というややこしい話である。だから、私の日頃の説にまたもやたどり着く。先人の歴史的業績に認識と感謝尊敬を忘れてはいけない。しかし、そのことと、その仕事の結果に対する評価とは別ということ。
 
この年表制作のご苦労は忘れてはいけない業績だが、年表には今日の視点からすればおおいなる欠陥がある。これは否定し難い事実である。苦難の末の業績だから批判も否定も禁ずるというならこれも新しい思想統制であり到底受け入れることはできない。ご苦労様と評価とは別のことだ。私たちの仕事も将来さように遇されるべきである。

 話題一転。

 上杉隆さんという政治評論家がいる。まだ若い人で、評論家というより記者というべきだろうか。私はこの人の論が好きである。この人は記者クラブに入っていないので、取材から締め出されることもあったらしい。一人で自分の足で取材して歩いている。しかし、好みの評論家だが賛成しかねる見解もあった。

 一つは、民主党の党首選挙の時のこと。
 あの時は一週間くらいで新党首が決った。小沢さんから鳩山さんへ。
 この時、上杉さんは、自民党の総裁選のように、もっと永い期間公選運動を続けて宣伝に利用すればよかったのに、マスコミの利用の仕方が下手だ。と言った。さらに、こんなにマスコミの利用の仕方が下手では政権とったあとでも心配になるとまで言った。しかし、そうだったろうか。私はそうは思わない。自民のお祭り騒ぎを二回も見せられて大方の人はうんざりしていたのではないか。民主は、短期の間に公開討論もしたし、選挙も簡素にすませた。あれはむしろスマートな印象をあたえた。自民流の馬鹿騒ぎをやるより余程賢明だった。これが私の見解である。

 第二、これは数日前の新聞記事。いまの自民離れと民主上げ潮は、「自民へのおしおき、お灸すえ」と言った。つまり、国民は本気で自民を見限ったのではなく、本心は自民だが、この所だらしがないので、「叱った」だけ、という意味である。それは違うだろう。政界の構造が根本から変ったのである。第二政党が出来たのだ。細川政権の時とはここが違う。いわば近代国家として当り前になったのである。世の中、根本から変ることがある。若い世代は経験していないから知らないだろうが、1945年8月15日を経験した私たちは知っている。50年も同じモノが続いた時代しか知らぬ世代にはそれが分らない、世の中、永遠に続くものはないということ。
 私が好きな政治記者に国会づめの武田一顕さんがいる。この人の論もおおいにうなづけることが多いが、時にミスをする。麻生さんが出てくる前に、「大衆に人気がある麻生さん」と言った。

2009.08.28.金曜 晴 町田

 
今日は暑くなった。

 劉薇さんのCDの解説に専念。

 1950年代後半に出版された音楽年表がある。柴田南雄さんと入野義郎さんの編纂になるもの。当時は、広い歴史的事象を包含し、新しい音楽の動きにまで目を向けた年表として評価を受けた。日本ではじめての内容であった。ところが、こんどひさしぶりに参考のため開いて驚いた。日本の音楽家のことがまるで書いてない。山田耕筰も、平尾貴四男も尾高尚忠も、近衛秀麿も、久野久子も、原智恵子も、安川加寿子も、巌本真理も、諏訪根自子も、日本人の名前は皆無。とはいえ、森鴎外とか石川啄木、北原白秋などはふんだんに載っている。左の項目から、「音楽家]、[作品」、「一般事象」、の順で書いてあるが、日本の文学者は「一般事象」の所に書いてある。北原白秋があって山田耕筰がないのはどういうわけか。すこぶる、いやはなはだしく奇妙である。

 これがこの時代の歴史の見方だったことが思い起こされる。近年の日本の昔の作品への注目、というよりブームは、偏狭なnationalismの感があって私は余り好感を持たなかった。当時の作品が技術的に未熟で水準がいまひとつという感があり、そのことはいまも感想は変らない。さりとてこの年表のように日本人音楽家を徹底的に無視するとなると異様な感を受ける。
 それだけ世の中が変ったのだ。柴田南雄さんも入野さんもりっぱな作曲家であり学者でもあった。しかしこの当時、日本人の作曲家は作曲家にあらず、演奏家も演奏家にあらずという時代の見方だった。
 日本作曲の再生、再認識に余り好感を持たなかった自分だが、いまは少し考えが変った。その尽力をした人に功績をみとめないわけにはいかない。半世紀はやはり永い時間だった。

2009.08.26.水曜 晴 町田

 
一昨日、このサイトの画像を変更しようとした。ところが、何度送信しても画面が送られない。七転八倒してもダメ、そのうちに退出する時刻がせまり、後ろ髪をひかれる思いで放置していった。今日は、再挑戦、やっと送れたと思ったら、今度はHPbuilderが起動しない。一度消して再起動したらようやく機嫌がなおった。いやはや、この種の器材は一度機嫌がわるくなると手に負えない。昔、NHKの特別編集室で、備えつきの機材が性格悪く、しばらく使ううちに機嫌がわるくなるので、機嫌がいいうちにすませてしまおう、なんて冗談にもならないことを言っていたことがあった。

 そんな次第で昨日は一日お休み。Violinの劉薇さんのCD解説に打ち込む。これもなかなか手が抜けない。資料はほぼ全部揃ったので、内容の構想、頭に浮ぶに任せてとも思うが、この頃はさような自然主義は信頼がおけなくなったので、紙にメモしながらまとめる。

 
選挙の方は報道機関の予測のまま進みそう、ということだ。公明党の党首、太田代表は新人の青木元アナウンサー、か、にたじたじたの形勢らしい。何か抗し難い大きな波か地殻の変動が寄せているようだ。民主党に入れる人も、だからといってこの党にさして期待していないという人が多いそうだ。それはむしろ、民主党にとって有難いことではないか。期待されると重荷が出来る。これほど有難いことはない。要は、一つの政党が永く続き過ぎたということに帰する。与謝野さんは、民主が三分の二以上になると、参議院で可決されなくとも「持ち帰り」可決ができる、おそろしいことになる、と憂いているそうだが、こんなおかしな話はない。いままで、三分の二を利用して、再可決を繰り返してきたのはどの党か。これは民主党の岡田幹事長が即座に言い返していた。

2009.08.24.月曜 晴 町田

 
午後、ひと時、気まぐれの少雨降る。かまわずに自転車で外出強行。その後は降らず。

 この頃つとに思う。

 人が人に経験を伝える能力にどれだけの期待が持てるだろうか。ある人が、火事、または交通事故に遭遇したとする。その経験を別の人に伝える。どれだけのものを伝えることが出来るだろうか。経験者、つまり伝える側の者の立場が、プロのルポライター、カメラマン、あるいは、TVの報道者であったとしても、映像、言語で報道できることは、もし可能な限りの伝達が出来たとしても、全体の一部はかなら落ちこぼれる。他人には伝えられないものが残る。

 だから第一次体験者の経験は貴重である。伝えることが出来ないものがその人にもとにあるから。人の伝達能力には限りがある。映画「タイタニック」の場面に、事故を経験した老女が、現代の専門家から事故の物理的なりゆきを説明される場面があった。聞き終えた老女は、静かに、「よくわかりました。「でもね、私が経験したことはいまの話とは違うのです」、という所があった。人には経験した当事者しか分らないものがある。
 

 
昨日は大原麗子さんの葬儀があったそうだ。美しく、悲劇的な最後を遂げた人。美と悲しみはなぜこう相性がいいのだろう。アルフレッド・ド・ミュッセの詩の一節を霊前に。

 美しき人よ いざさらば 泣くまい むなしく嘆くまい

2009.08.23.日曜 晴 町田

 
昨日までは不快指数が高い蒸し暑さが続いて閉口した。

 昨日は、休息して自宅に滞在。Violinの劉薇さんのCDが出るのでその解説を頼まれる。これがまた今月内というきびしい話。日本のViolin曲を集めたCD。山田耕筰、貴志康一から矢代秋雄、私の「「竜舌蘭」」、それに後輩の寺嶋陸也という人の小品まで。解説か、寸評か、余計な主観的叙述は遠慮すべきだろうが、どの解説を見ても、書いた人の判断は避け難く入っている。なかには賛同しかねるものもある。均衡感覚の仕事であろうが、本業の作曲が一呼吸入れた方がいい段階に来ているので、このbreakも適切なるかなと思考す。

選挙の結果について、各種報道機関の予測が出た。どれもそろって民主党の大躍進、300を超えるか、ということまで報じられている。選挙の結果に楽観主義は禁物といわれているが、ここまで、そろえばそうでもないかもしれない。前回の「郵政選挙」の時も、自民圧勝の事前報道があった。余り共感できないので、本番で逆転しないかと期待していたが、そうはならなかった。こんども、ここまで各社の結果がそろえば、このままの結果になるかもしれない。

 それにしても、自民が何故ここまで衰退不評になったか。最大の要因は人材の払底である。有為な人がいなくなった。総裁選で馬鹿げた騒ぎを演出した結果、かえって人材が底をついてしまった。それでは、なぜ底をつくほど人材の備蓄がなくなったか。

 理由は単純明快。民主党が出来たからである。いままで政権党は一つしかなかった。だから、政権を目指す人はそこに集まるほかなかった。旧社会党、共産党は政権政党ではない。批評政党である。政権党が二つになれば、もう一つの方に人が流出するのは物理的自然である。いままで、居場所が一つしかなかったのだから、そこに人がいた。いまの民主党の若手、長妻とか、馬渕とか、原口とか、政権党が自民党しかなかったなら自民にいた人たちだろう。それが引越ししただけである。複数政党の結果はかくのごとし。店に例えれば、もう一つの店が開店したので、人も売る物も二箇所に分散した。
 結果、自民には、高齢の人たちが残った。そうなれば、若手はどうしても先輩のもとで威圧を受ける。これは自然老化現象であり避け難い。自民にも若い人材はいないわけではなかろうが、長老支配の体制下では存分に動けまい。
 さら私は考える。自民党の衰退はもっと世界史的動揺の結果ではないかと。共産圏の崩壊消滅である。冷戦下。社会主義と資本主義が対立していた時代は、自民党は資本主義を守る勢力であった。日本が資本主義体制に属している限り、体性確保の「天命」が自民にはあった。それが対立の消滅で、「天命」は消滅した。民主党の誕生もまたその結果の出来事である。20年経って世界の動揺がやっと日本の政界にまで達した。津波の到着のようなものである。作曲の方にも津波は来ている。

  近時、不愉快なことは、主として政治評論家とその類いが発する言葉、「政界再編」。現在選挙進行中、有権者は現在の各政党の布陣に対して評価を投ぜんとしている。しかるに、政界再編とは、まるで詐欺的詐術行為ではないか。A党、B党に対して、評価を下しているのに、AとB から脱出してここにC党を旗揚げすれば、有権者は前提を蹂躙無視されることになる。これほど有権者、ひいては国民を馬鹿にして話はない。ついには、A党もB党も消滅解散して選挙前には知りもせぬC党が眼前に立ち現われるか。人を馬鹿にすれば神罰がくだるぞ。

2009.08.18.火曜 晴 町田

 いよいよ選挙の公示、とはいえ、あまりに前座が長かったのでもはや終盤の始まりみたいな気分になる。

 昨日は、夜の報道番組、古館が司会するTVアサヒのものだが、高速道路無料化について論争があった。無料化に賛成する人と、反対する人が二人で対決したが、互いに相手の発言中に相手をさえぎって発言するので、何が何だか分らない。そうでなくとも、かなり専門的な財源の話だから、双方が重なりあって言いたい放題になると聞いている方は騒音を聞いているのと同じになる。こういう時は司会者が整理する義務があるのではなかろうか。古舘は何故傍観していたのか。いささか腹が立つ。その内に、「すみません、熱戦ですが、時間になってしまいました」、これはないだろう。しろうととしては大事なことなのでぜひ聞きたかった。

 その前の夜か、深夜、NHK、TVで、「怪談百物語」なるものを放送した。怪談は甚だ好きなので、深夜の番組、録画して見た。余り面白くない。蝋燭の前で、一人ずつ本を読みながら怪談を語るのだが、語る当人が大声を出したり、悲鳴をあげたり、顔をしかめたりすると、見ている方、聞いている方は白ける。この辺は演出法として原理的な問題であるように思う。演劇専門の人に聞いてみたい。

 それと、日本の古典的怪談は、すべてが因果関係で出来ている。恨みがあるから報復のために出る。報復すべき相手でなくとも、自分が不幸だったから腹いせのために出る。因果関係が定番で伏在しているので同じようで飽きる。意外感がない。どの国もある程度はそうなのだろうが、そうでないのもある。イギリスの、エドワード、リットンという人の「貸家」という小説はよく出来ている。これは岡本綺堂の訳で昔から外国怪談の名作の一つとされている。
 
 ロンドンの市中に化物屋敷があるという噂を聞いて、主人公の人物が探訪する形をとっている。だから、出るお化けと、出られる側とに因果関係がない。お化けの出方もまたよく出来ている。だいたい、お化けは、近代的?なのは、物理的存在としては現れないことになっている。音とか、光とか、無形の情報とか、既存の物体が移動、運動したりするので、お化け自体が姿を現したり、物理的行為をしない。これは文学の原則のようで、小池真理子の「墓地を見下ろす家」はよく出来ているが、最後の部分で、家に入ろうとした人が原爆被害者の影みたいに消えてしまうという乱暴な扱いがある所が難である。

 ところが、リットンの方はお化けが姿を現す。ここがよく出来ている。深夜、蜀台で本を読んでいると、本が暗くなる。何物かが、照明と本の間に入った。それはもうろうとしたもので、見上げると、三メートルくらいの茫漠としたものが影のように見える。それは、人の型としか思えないような型をしている。蜀台と本の間に入ったのは、そのものの手のようである。これは少しも幼稚ではなく実感がある。実は、この家の怪異にも源泉となる事情があり、後段で解明されるのだが、日本の話のように怨念とか、報復というものではない。もっと手が混んでいる。

 リットンという人は、調べると、1800年代の始めから1870年代まで生きた人だそうだ。ずいぶんと昔の人だが、日本の怪談より「進んで」いる。リットンといえば、満州事変の時に國際連盟の調査団で来たリットン調査団の団長は孫だそうだ。妙な類縁があるもの。

2009.08.17.月曜 晴 町田

 
いよいよ明日、衆議院選挙の公示。

 ブレる、という言葉がみだれ飛ぶ。言ったことを後で変えることをいうようだ。昨日あたりは、共産党までブレた、とか言われていた。しかし、民主党の公約などは、まだ公示前なのだから世論の反響を聞いて修正するのは少しもかまわないのではないか。これも勉強であり学習だから。政権をとってから、政権をとる前の約束を変えることはよくない。これは約束を破ることだから。違約である。

 ところで、この「ブレる」という言葉、作曲の世界でも使う人がいた。××さんは、晩年までブレなかった、と賞賛の意味で使用していた。××さんは前衛音楽に反対していた人で、一貫してその言説を変えなかったということ、というより、作曲の進路、作風を変えなかったということである。

 言葉で表明したことをあとで変えるのは政治と同じで約束を変えることになるが、作風の方はブレないことがそんなにいいことだろうか。政治や社会活動とは違うのではなかろうか。言葉の表現は、他人、社会への約束であり公言であるが、作品は自分への忠誠をの結果を意味する行為である。だから作風はむしろ変る方が誠実であるといえる。そもそも生涯を通じて作風が変らなかった人がいるか。Beethovenですら初期、中期、後期で変っている。言葉で表明した理念進路を方向転換することとは違う。Boulezのように、「いまどき調性で作曲する人は存在価値がない」、と公言、というよりむしろ暴言に近い言を吐いた人がいる。その後、当人が調性の作品を書き出したらそれはまずいだろう。Boulezが調性の作曲をした話は聞かないし、そもそも彼は指揮者になってしまい作曲は聞いたことがない。

2009.08.16.日曜 晴、さらに暑い 町田

 
今日は昨日よりさらに暑い。湿度はさほどでもないが不快な暑さ。

 昨日の夜のTVは「硫黄島からの手紙」を放送したが見なかった。確か一昨年の暮れだったと思うが封切館で見た。あまりにいたましい映画で、また見たいとは思わない。監督のEastwoodは私たちくらいの世代だろう。一昔前のアメリカ映画にありがちな、味方の方だけ勇敢で正しくて、あわやという時、奇跡的に救われるという都合のいい演出はなかった。アメリカ兵が日本軍の捕虜を虐殺する場面もあった。アメリカもヴェトナム戦争などを経て、自分の側がつねに正義の味方みたいなお目出度い見方をしなくなったのだろう。成長することはいいことである。

 
政界はいよいよあと二日で選挙の公示。開戦である。自民党の細田さんは感情的になるくらい懸命の力みようだ。この人は多分、本来は温厚な人であろうと思われる。選挙はやってみないと分らないが、いまの段階ではどこを見ても自民に不利な情報、報道、調査の結果だけが目につく。細田さんを見るといささか気の毒な気もする。負けると分って合戦におもむく。湊川の戦いに出陣する楠正成のように見えてくる。とはいえ、昔の戦争ではないのだから、負けても、平家の落人みたいに日本中追いまわされたり、落人となって身を隠すとか、そんなことはない。過度の悲壮感は必要ないと思うが、当事者となればそうもいかないのだろう。負けた場合、幹事長は敗軍の参謀長として戦争犯罪人のような目で、「敵」ではなく、「味方」から見られそうに思われるのだろう。運のわるい時に幹事長になった人というほかない。

 先日の党首討論では、終ってから、鳩山代表が麻生総理に握手の手をさしのべたのに、麻生さんはうしろを向いて応じなかったそうだ。もちろん気がつかなかったのだろうが、まずい失敗である。こういう時、側近がおしえてあげることはできないのだろうか。側近というのも怪しげな存在である。どれだけの忠誠心を持っているか分ったものではない。おのれを傷つけても主君のためにちからを尽くすという人ばかりでもなかろう。これもまた、帰する所は「主君」当人の人徳如何ということになる。

2009.08.15.土曜 晴、暑い 町田

 今日は64年前の敗戦の日。

 昨日はClint Eastwood監督の「父親たちの星条旗」を見た。これは「硫黄島からの手紙」と二部作の一つ。深夜に放映されたものを録画して夕方から見る。あの悲惨にして凄惨な闘いをアメリカ軍側から描いた。

 擂鉢山に星条旗を掲げた海兵隊員兵士たちの運命。英雄と讃えられながら、戦争の本当のことは誰も分らないし、分ろうともしない。はじめから腹に一物ある政府の役人やマスコミは別として、善意の一般国民も、本当には戦いを知らないし、知ろうともしない。これほど残酷なことがあるだろうか。勝利者であるだけ、その皮肉な悲惨さが増幅される。こうなると負けた日本側の方が話が単純で筋が通っている。誤解する人もいないし、誤解のしようもない。
 80歳以上と思われる老人が就寝中に戦争の悪夢にうなされる場面から映画は始る。戦争とは。人の本性の一部であるとか、生存には戦いが避けられないとか考えてもいたが、その苦難を引き受ける人と、そうでない人、あるいはむしろ得する人、と立場に違いが出てくるから単純ではない。人間論からだけでは片付かないことを考える。

 一昨日はピアニストの広瀬美紀子さんと会食。十月にピアノ曲「吹く風を」の初演をしてもらうので、その話と歓談。

 昨日金曜は休みで在宅。ぼんやりしてラジオを聞いていたら驚くべき話を聞いた。

 この日私は町田から小田急で帰る時、駅で「夕刊フジ」を買った。こういう小版の夕刊紙は、政治記事が多く、遠慮がなくてはなはだ面白い。後半は低劣下等な記事で出来ているが、前半は政治記事、時事記事が満載だ。大手新聞より面白い。
 この日の「フジ」にこういう記事が出ていた。某社のアンケートによると、来たる衆議院選挙で自民が優勢という結果が出ている。そんなことがあるのかと不思議に思ったが、一夜明けて昨日の夕方のラジオ、ニッポン放送のキャスター高嶋秀武さんの話、この放送直前に出たばかりの「日刊ゲンダイ」によると、このアンケートを実施した会社は麻生総理の一族会社だということ。それも一人や二人でなく、数多の一族が、各部門、関連企業までむらがっている会社だそうだ。あの数字はそのことを含んで読み直す必要があると。なんという奇々怪々な話だろうか。

 選挙の場合、優勢という報道は油断を誘い不利をまねくという通説があるから、これは逆効果ではないかと思われたが、この通説も時と場合によるのかもしれない。余りに不利な情報が多い時は、たまに景気のいい話も必要になるのかもしれない。先日の候補予定者誹謗の怪文書が各戸に配られたことといい、選挙前には怪事件が起こる。

2009.08.13.木曜 晴 町田

 
晴れとはいっても、夏らしい猛暑でもない。すでに、秋というわけでもなく、妙にはっきりしない気候の日が続く。

 昨日は、党首討論があった。NHKTVは野球に熱中していて中継しなかったようだ。だから、夜になってニュース番組で一部報道されただけ。報道機関というのはこういうものでいいのだろうか。

 評論家とかキャスターは、麻生総理が攻めの姿勢で鳩山代表が守りにまわった感があったと語っているが、一部を見て聞いただけではなんともいえない。しかし、もしそうであれば、理由は明快。すでに与野党は逆転しているのである。与党の鳩山に野党の麻生が攻めこんでいる。こんなことに気がつかないのだろうか。評論を専門としていながらずいぶんと鈍い人たちだ。それと、評論家、キャスターを自認している人たちに共通するのは、こういう討論があると、両方の党首と党を責める。細かい議論ばかりで、国をどうしようという基本的な論議がないとか。そんな大きな話を出来るものではなかろう。大を論じようとすれば、小に帰するではないか。ここまで複雑化した現代社会を大きく変えることはできないだろう。いうなれば微調性である。そしてもし、彼等がいうように、大を論じれば、今度は細が欠けるという。大きな話ばかりで具体性に欠けるときっという。こういう定番のセリフを語っていれば、この商売はつとまるらしい。気楽な稼業ときたもんだ。

 
それにしても、こんどの選挙はやはり政権交代になるらしい。選挙では楽観論を立てたほうが油断して不利になると言われる。先の都議選で、怪情報が飛び、自公が過半数を固めたという話が流れた。どこから出た報道か。いまとなっては分らず終いだ。だから、こんども、政権交代が決まったかのように言いふらすと、反対の作用があるのではと思っていたが、今度だけはどの世論調査を見ても結果は動かないようだ。公示日まであと五日、投票日まで17日、まったくもってお待たせ放題だった。その間に何かいいことが起きないかと与党は期待したのだろうが、よほどのことが起こらないと、いや、起きても、結果は動くまい。

2009.08.12.水曜 晴 町田

 
宍戸左行の「スピトー太郎」、Wikipediaで調べた。以下引用。

 ドルマニア国は盗みもいとわず世界中の金貨を集めていた。これを偶然知った太郎は、ドルマニアの一味に狙われる。逃げつ追われつを繰り返したすえに、太郎は捕まりドルマニアに連れていかれる。太郎は死刑を言い渡されるが、その国の姫に助けられる。その夜、貧乏な隣国クロコダイアが、ドルマニアを脅迫するため姫を誘拐する。太郎は姫を救いだし、王様から信頼されて陸軍大佐に任命される。まもなく、ある伯爵がクロコダイアへの報復を主張するが、太郎たちに反対される。この伯爵こそ、金貨集めの首謀者だった。伯爵は謀反をおこし、王様と姫を監禁し、みずから王様になろうとする。伯爵はクロコダイアに戦争をしかけるが、太郎の活躍もあり、負けてしまう。国外へ逃亡した伯爵はギャングを結成し、ドルマニアの王冠を盗む。太郎は王冠をとりかえし、伯爵を罠にはめて捕まえる。平和をもたらした太郎は、姫から宝石をもらって日本へかえる。
 
宍戸左行 [編集]

 宍戸 左行(ししど さぎょう、1888年11月5日 - 1969年2月3日)は、日本の漫画家。福島県生まれ。左行というペンネームは、アメリカからの帰国後に見た左側通行の立て札から。(名前の読みは「ししど さこう」とする本もあ る。本項では『スピード太郎』付録の解説にならった。)

 1912年(大正元年)、20代半ばで絵の勉強のためアメリカに渡り、キャノン画塾や漫画の通信教育で学んだ。9年間のアメリカ滞在中、内村鑑三の弟であり、宍戸の中学時代の英語教師である内村順也と共同生活をした。宍戸はアメリカで毎日映画を見た。これが後の漫画制作に活かされていると思われる。帰国後、東京毎夕新聞社に入社し政治漫画を描いた。その後、やまと新聞、東京日日新聞社でも漫画を描く。1930年、部数拡大のため漫画部を設立したばかりの読売新聞社に移り『スピード太郎』を描いた。以降、政治漫画と並行して、生活のために児童漫画も描いた。晩年は水墨画を描いた。

 児童漫画作品には『スピード太郎』のほか、『スピード三郎』、『パチンコ太郎』、『アコチャン日記』、『アトム』。

2009.08.11.火曜 小雨のち晴 町田

 台風は東京に接近せず、たいした荒天もなく陽がさしてきた。それより、明け方の地震の方がおどろいた。台風の地震とは天災地変の続き。四日ぶりで仕事場にきた。サイトの更新もまた。

 八日土曜は姉の一周忌のため盛岡へ。九日の夕刻帰る。お盆と夏休みのため混雑を覚悟していたが、さほどのことはなかった。ただ、お寺の法事は過密ダイヤ、お坊さんたちも忙い。幾組もの家族が待っている状態。帰りの盛岡発「はやて」は、発車時は空席が多かったが、仙台からかなり多くの人たちが乗り込んできた。この急行は全席指定で、大宮、仙台、盛岡しか止まらない。行く時は、何も読まず、アタマを休ませていたら二時間半はすぐに過ぎ、いい休息になった。帰りは朝日新聞を買った。新聞を隅から隅まで読むと二時間くらいかかることが分った。全部読み終ったら大宮くらいまで来ていた。

 漫画、マンガのこと。最近は長編マンガが多いそうだが、昔も記録的な長編マンガがあった。宍戸佐行作「スピード太郎」。私が小学校の時だから、昭和10年台前半に出版された。あとで調べたら、その数年前から読売新聞の日曜版に連載されていたことが分った。

 スピード太郎という少年が外国で冒険する話だが、この話、政治的に時代の先取りをしているようなストーリーがあり、戦後になって思い出すと思想的にも面白かったし不思議ですらある。戦後になってその面白さがよみがえってきた。

 ストーリーは以下。

 二つの大国が対立している。一つの国は、国名「ドルマニア」という、すごい名前だが、名前からして誰が見てもアメリカを暗示していることがうかがえる。もう一つの国は、国名「クロコダイア」、こちらは、金持ちではないが堅実、勤勉な国風。そして、描かれている指導者の顔がスターリンに似ている。スピード太郎は、スターリンそっくりの指導者と会談、丁重に応対される。やがて、両国の間に全面戦争が始まり「ドルマニア」は、残虐な新兵器を使い、戦場の勝利者となる。スピード太郎は両国の調停に奔走し、和平の使者となる。

 この話が米ソ冷戦時代よりはるか前の昭和10年台前半に書かれていることが驚きである。宍戸佐行という人はどういう人か。図書館のコンピュータで検索すると戦後再版されているようである。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」などよりずって童話めいているが、政治的暗示と風刺は時代をはるかに超えて先取りしている。ハードカヴァー絹張りのA4版より大きいB4くらいの大きさだった。再版は版型が変っているかもしれないが、図書館でとりよせてみよう。

2009.08.07.金曜 晴 町田

 
大原麗子さんが亡くなった。一人住まいで死後二週間も経過していたそう。痛ましい。まれに見る美しい人だった。あの声が独特で、新聞にはハスキーと書いてあったが、ハスキーとは少し違う。ハスキーはすこしかすれたような声をいうが、大原さんの声はある種のネコのような不思議な声だった。この声があの美しい容貌から出るところがおもしろかった。

佐藤春夫の詩を弔辞として贈る

 よきひとよ はかなからずや
 よきひとよ 地上のものは
 切なくも はかなからずや

 話一転、アニメの殿堂、というのが政治問題になっている。アニメはanimationのことだから、訳せば、「動画」ということだろう。「漫画」とは違う。

 最近、週刊誌で、漫画の傾向のことが書いてあった。昔は長編漫画が少なかったのだそうだ。手塚治虫のものなどは、漫画というより「劇画」というべきものであろう。
 私たちの世代も子供の頃は散々漫画を読んだ。「のらくろ」、「冒険ダン吉」、「長靴の三銃士」、「デコボコくろべい」、「タコのはっちゃん」。こんなものを読みふけった。その中で「のらくろ」の転変に、いま大人になってから思う所多い。「のらくろ」は、手足の先だけが白い黒犬のノラが、軍隊に入り、失敗を繰り返しながら次第に出世していく物語であった。この「のら犬黒吉」君は、次第に出世して階級が上がっていく。何年続いたか、確か大尉くらいまでいった。それから除隊、軍隊を辞めて、当時盛んだった大陸進出に参加し、民間人として活躍することになった。しかし、この辺から余り面白くなくなった。やがて、終結になった。

 田河水泡の作だったが、作者の談がある所に出ていた。はじめ、下っ端だった頃は失敗続きで、それが愛嬌になり、人気があったのだが、次第に階級があがり、エラくなると、そう軽々しい振る舞いができにくくなる。すべった、ころんだ、が出来にい。地位もあり、部下もある立場の者が馬鹿げた動作をするわけにはいかない。当然、余り面白くなくなる。そうした状況の変化から漫画が書きにくくなったそうだ。除隊して民間人にしたが、やはり面白くない。軍隊という社会とは隔離された特殊な世界でこそ生気があったのだろう。

 この、エラくなるとつまらなくなる、ということは人間社会の不可避のなりゆきである。私たちもトシをとると、自分も友人たちも、その経過が身に沁みる。年齢を重ねるとどんな人でも、そこそこの地位が出来るし、影響力も出来てくる。そうなると、若い時のように、やりたい放題、言いたい放題はもう出来ない。一口に言えば、奔放さはなくなり、つまらなくなる。もし若い時と同じような「無邪気」で、軽々たる動作行動をすると、周囲に眉をひそめる人も出るし、迷惑する人も出る。聞いている方も余りいい感じは受けない。
 普通、人は、自然とこういうことを心得ていく。昔の戻ろうというのが同窓会とか同期会なのだろう。しかし、同窓会は、全世代が来るので実はこれもだめ。自分の娘や息子、孫みたいな後輩が同席すれば、現実の社会と同じになる。やはり、同期会、クラス会ということになろう。こういう所で昔の「のらくろ」に戻れるのだろうが、しかし、すでに戻りもしないし、戻りたい気も失せているのが現実だ。

 2009.08.05.水曜 晴 町田

 
昨日は、9月26日に京都で初演する歌曲集「薔薇の町」の練習。歌い手の大垣ひで美さんとピアノの小山さゆりさんが来宅。すでに回数を重ねて練習したのでだいぶよくなった。全五曲は16分くらい。曲の間と入退場の時間を入れると20分近くなるかもしれない。

 さて、日本の英語教育の馬鹿さかげんの続き。
 人に聞いた話だが、最近、ラジオの漫才で、日本の英語教育を風刺しているのがあったそうだ。
 一人が訪ねる、「Is it  a table?」、相手が答える、「No,   it is a dog」。

 なんぼなんでも、テーブルと犬を間違える馬鹿がいるか・・・このリーダーを書いた人は頭が少しおかしいのではないか。漫才師はこう言って笑わせた。私が旧制中学の一年の時、はじめての英語のリーダーの最初の言葉は、「I am a dog」だった。なぜ、こんな文から始めねばならなかったのだろう。英語との馴れ初めがこの文である。この教科書、リーダーの名前は覚えている。「Companions Reader」だった。

 初対面のあいさつもリーダーに書いてあるのと実際は違う。
 英語で、「I am glad to see you」 なんて言わない。「Nice to meet you」が普通だ。ドイツ語でも、「Ich freue mich Sie zu sehen」、なんて言ったら、歌舞伎のセリフみたい で相手はおかしくて当惑するだろう。「Angenehm!」、ひとことが普通だ。

 よく使う英語に「What's the matter」というのがある。「どうした?」という意味だ。実によく使う日常の言い回しである。これが、発音では、ほとんど「ホッサマラー」と聞こえる。
 もっとも、こうしたアメリカ独特のくずれた発音を私は好まない。これも段々に分ってきた。幕末、ジョン万次郎がアメリカで覚えてきた英語は、耳から入った英語の発音がわかっておもしろい。「サミチ」とは「サンドウィッチ」のこと、「メナド」とは「マクドナルド」のこと。最もローマ字読みが通じない言語の一つが英語である。「milk」を「ミルク」と言っても通じない。「メルク」か「メゥク」だ。ドイツ語でも例えば「Frankfurt」は、「フランクフルト」と言って通じないか、通じにくい。私は、Fr の「r」は読まないことにしている。「ファンクフルト」。こうするとたちまち通じる。

 進駐軍の兵隊が持っていた日本語会話の小さい本がおもしろかった。日本語の横に、ローマ字が書いてあるのだが、その更に横に、英語発音での読み方が書いてあった。これは私たちには、英語の発音の手引きに使えるという逆の効用があった。数字を分割して読むことも教科書では教えられなかった。511部隊は、five  eleven、1011は、ten eleven、長々とした数詞は使わない。

2009.08.03.曜 晴 町田

 
昨日は帰路再び雨に見舞われ、自転車は駐輪場に置いて帰る。ことしの夏はなかったようだ。

 日本での外国語教育がなっていないことは折々の機会に有識者たちが語ることだが、私たちのように、鎖国的国粋主義から突然、進駐軍を迎え、生きている英語に遭遇した世代には、いまの世代には想像できない文化衝撃的体験があった。

 学校で学んだ「英語」が、ほとんど役に立たない死語に近いものであったこと、死語でないにしても、教科書や文学に登場する英語と、実際に生活の場で使われる英語がいかに異なるか、身にしみて知らされた。
 こんな教科書を誰が書いたのか不愉快感が湧いてきた。駐車というのを「park」ということすら教科書にはなかった。さらに、進駐軍が、ある時から、町中の幾つかの場所に「off limits」という標識を掲げ出した。これはいったい何のことか、大学生の兄たちもすぐには分らなかった。いまは誰でも知っていることで、いわば「圏外」という意味になる。兵隊たちが自由に往来できる範囲を「limits」と表現し、その「自由圏」から外側であることを意味している。いまならなんのことはない。「off なになに」、ということは日本語に混ぜてすら使われる。しかし、あの当時の教育にはそういう表現は全く含まれていなかった。口語表現、会話体表現が全く教えられなかった。「motor pool」、などもその一つ。motorが自動車を意味することも英語の勉強ではお目にかかったことがない。
 英語だけのことではない。日本での外国語教育、教科書はすべてこのようだった。ドイツでは鉄道の駅に行くと、どの国でも同じように、「×番線」、という表記がある。当り前である。この「番線」というドイツ語が教科書には出てこない。番線は「Gleis」、グライスという。「Gleis 2」、とか、「Gleis 4」という。
 そのほかにも、この種のことは数えきれない。丁度、出来のわるい和声学の教科書みたいなものである。勉強しても役に立たない。現場で使えない。いつか、生物学者が日本の生物学の教科書がなっていないと話していた。あらゆる分野で教科書がなっていないようだ。

2009.08.02.日曜 雨のち晴のち再び雨 町田

 
朝から雨。home pageの予報はまったくはずれた。予報は曇り。それでも、昼頃、雨はやみ、自転車で強行した。

 JASRAC、音楽著作権協会から、作品とどけの督促が来た。この所、新作が多く、つい申告をなまける。権利を受けるべき当人が手続きを怠けているのだから文句のいいようがない。この書面、書き込むのはけっこう面倒くさい。未申告未登録なので、入金は協会が預かっていると。当然のことだが、手間をかけただけこちらの怠慢は申し訳ない。今日の四件以外にもまだ未申告未登録がだいぶある。いそいで処理しなければ。

 昨日、ラジオで、「さとうきびばたけ」を聞いた。ひさしぶりだが、いい歌だ。作曲の寺島尚彦さんは二期上の同門の先輩。真面目な人だった。卒業と同時に楽団を作ってピアノをひいて営業を始めたのには驚いた。こういう音楽が好きな人とは知らなかった。

 ところで、昨日の放送は森山良子の歌、CD再生。どうも歌い方は余りいいとは思えなかった。ところどころ旋律の崩しが気になる。音程はいいのだが、リズムを崩す。こういう歌は、格調を崩さず端正に歌う方が悲しみがにじみ出る。私の、「ちいさき いのちの ために」もそう、先日の演奏者には、イタリア古典のようにひいてほしいと伝えた。Tartini かCorelli のようにひいてほしいと。さすれば、より深い悲しみが浮び出る。だいぶ前、ジェリー藤尾が、「戦友」という昔の歌、「ここはお国を何百里」を歌ったが、出だしを無伴奏で、崩して歌った。やはりだめだ。秩序を守って歌うことによって、国家に義務を強いられた者の悲しみ、耐える悲しみが浮んでくる。音楽とは、いや音楽に限らず芸術芸能はそういう法則を持っているものらしい。
 しかし、「さとうきびばたけ」は、森山によってひろがったのだそうだ。ならば、余り森山さんのことを悪くは言えないわけだが、もしかしたら歌い方が時代により古くなったのではないだろうか。そんなことも考えられる。この種の歌の歌い方の時代変化を知らないから確かなことは言えないが、そういうこともありうる。流行というものは弱い。一番新しいものが一番早く古くなる。一般論として心すべきことである。

 昨日の頁で、「ereignissrecher Tag」、「ereignissreches Jahr」の綴りが間違っていた。ereignissreicherが正しい。「ch」の前に「i」が入る。訂正。すでに誤りのある表記はなおした。ごめん。

2009.08.01.土曜 晴 町田

 
とうとう八月になる。

 ことしは、これから忙しくなる。昔、ドイツ語のtextで、「ereignissreicher Tag」、というのがあった。「出来事の多い一日」、という意味。この言い方を借りれば、「ereignissreiches Jahr」、となる。

 無事にすめばめでたいことに違いない。この年齢になると、一日が平静に過ぎれば天からのさずかりものと感謝する。明日もまた平静であることを祈り、さすればその一日を有用に使いたい。

 九月の京都の歌曲初演は、京都、関西の友人知人たちの友情あふれる関心を頂いている。有難い。京都の石崎宏男君とは何年ぶりの再会になるだろう。石崎君は芸大の二期後輩、年齢は同じ、別の大学を経てきたのでそういう年代差となった。、こんどの演奏者である大垣ひで美さんの母上と若き日の知友であったそう。東本願寺の合唱団で同僚だったと。すでに代が替る時代となった。彼は、ずっと昔、1974年にリサイタルで私の歌曲を歌ってくれた。その後も歌ってくれた。74年の時には、途中で歌詞を忘れて即興詩を演じたのもいまはなつかしい思い出。

 近日、旧友で健康をそこねている人たちが多い。年齢からすれば仕方がない。自分は、これまでの作品の楽譜の整理をせねばならない。卒業作品の弦楽四重奏曲の楽譜が二階の納戸に入れてあった。そんなものも引き出してコンピュータ印字せねばならぬ。そのほかの近年にいたるものは出版の準備をしなければならない。既成の音楽出版社は不況で話にならない。部分的に自分負担でも、流通にのせてくれる出版社から出すことにする。

2009.07.31.金曜 晴 町田

 
今朝、郵便受けを見たら怪文書が入っていた。

 この辺の選挙地区の、さる野党候補予定者についての誹謗中傷の文書である。厳密には隣の選挙区だが。A4版裏表にぎっしりと細かい字で書き込まれ、ところどころ太字になっていたり、項目番号がついている。
 奇怪なことに、書いた人の名前がない。最後にQとか一文字書いてある。書いた内容の真偽より、名前がないというだけで、卑劣な中傷文書ということになる。しかも、各項目ごとに、「この人に投票するな」、というのではなく、その人が属する政党に向って、「こんな人を公認するな」、という呼びかける訴えになっている。それなら、その政党に向って要求すればいい。一般人がそんな呼びかけを受けてもどうにもならない。

 しかし、これだけの字数の文をワープロで営々と打ち続けるその人はどういう人なのだろうか。書いたのは夜か昼か知らぬが、その姿は無気味である。よほどの熱意がなければ出来ることではない。それとも、背後になんらかの存在があり、そこから報酬を受けての行為か。とすれば、対立政党、つまり与党ということになるが。しかし、幾ら不評といえども大政党の与党がこんなことをするとは思えない。すると、対立する候補予定者が単独でやったか。その候補予定者の取り巻きが勝手にやったか。同一政党内での公認争いか。

 不気味なのは、この文書が各戸の郵便受けに配布されたことである。書いた当人が「配布」もしたのか。あるいは、それは別の「係り」の仕事だったか。どういう風体の人がどういう足取りでやってきて郵便受けに歩み寄ってきたのだろうか、見たかった。いずれにしても、無署名でかような怪文書をばら撒くことは名誉毀損になるし、まだ公示前だが、選挙法にも違反するのではなかろうか。馬鹿げて、しかして不気味な行為である。これに類することがこれから頻発するかもしれない。今回は皮肉なことに、むしろ、その候補予定者の宣伝になった。

2009.07.30.木曜 晴 町田

 
今日はようやく猛暑となる。九州、西日本でもようやく干し物を出しているそうだ。

 電車で読むための小型の夕刊紙がある。半分くらいはくだないが、政治記事には馬鹿に熱心でなかなか面白い。大新聞のような慎重さと遠慮がなく書きまくる感じ。

 石原伸晃さんのことをだいぶ悪く書いている。「落ち目の自民の評判をさらに下げている」、と。
私も最近の伸晃さんの言動にはいかがなものかとの印象を持った。都議選で大敗して、その選挙責任者として辞任したのではなかったか。そうした立場にいて、相手側、民主党の悪口ばかりに熱中している。負けた当座は幾らか殊勝な態度だったが、その後は次第に開き直りになり、この頃は目茶苦茶になってきた。「こんどの選挙で自民は勝つと思いますか」、という記者の質問に、「自民から去っていった人たちが戻ってくれば勝ちます」・・・これなんのこと? 当り前ではないか。一足す一は二です、と言っているのと同じ。半分の「一]が去っていったことが問題なのに、戻ってくれば、というのは論理的にも筋が通らない。医者が、「病気がよくなりゃ治ります」、と言うのと同じである。
 もっとも同情すべき点もある。謙虚に反省ばかりしていては、闘いなのだからはじめから負け犬じみていてこれもうまくなかろう。ただ、相手の悪口ばかり、揚げ足とりばかり、では、かえって敗戦の予報をしているように見えるものだ。ここが難しい。感情的にならずに、冷静に相手の弱点を科学的に説明するのが一番いいし、それしかないだろう。そうすれば、人も聞いてみようという気になる。この点は細田幹事長も同様。感情的ということでは幹事長の方が舞い上がっている。スポーツとは違うかもしれないが、野球でも、サッカーでも、相撲でも、前の試合で負けた側が、相手選手やチームの悪口に熱中していては見ている側は白けるばかりだ。

2009.07.28.火曜 曇 町田

 
この数日、気象状態がどうも不安定。昨日は館林で突風が吹き被害が出た。突風というより竜巻ではないかとの説もある。山口や九州での荒天がこちらに移動してきたのではないかとの感もある。だいぶ前、梅雨があけないうちに、そのまま秋になってしまったことがあった。ことしもそんなことにならないか。暑いよりはそれでもいいが。

 今日も、朝刊をネットで読みながら、おや、と思う記事があった。

 民主党の群馬県候補に出る女性。三宅雪子さん、この人は旧友の娘ではないか。旧制札幌一中、D組。旧友の名は三宅和助君。すでに故人となったが、外務省の花形だった。よくある名前だが、昔の大物政治家石田博英さんの孫というので気がついた。三宅君は石田博英さんの娘さんと結婚していたことは知られている。とすると石田さんのお孫さんということは三宅君の娘ということではないか。祖父の石田さんは、運輸大臣などその他の大臣もつとめた政界の重鎮。三宅君は当時花形の外交官だった。ヴェトナム戦争末期、政府の密命を受けて北ヴェトナムに潜入した。すでに戦争終了を予見して戦争後の国交の下交渉をしてきた。そのことが公表され、日本のキッシンジャーなどともてはやされた。「文芸春秋」誌にその「秘話」を書いてスターだった。三宅君は音楽も好きで、よく音楽の話をした。私が芸大にいる頃、帰省の列車の中で偶然出会い、鷺の宮の彼の寄寓先の親戚の家まで行って、一緒に風呂を入りながら音楽や政治の話をした。外務省を定年で退官後、テレビのグルメ番組などに出ていたが、10年くらい前か、悲劇的な事件に巻き込まれ、気の毒な最後をとげた。
 群馬のこの地区は、自民党から福田康夫前首相が出るので大変な激戦である。お嬢さんの健闘を祈る。

2009.07.26.日曜 晴 暑い 町田

 
昨日も暑かったが、今日はいよいよ本格的な夏という気配。山口、九州は執拗な豪雨で被害が出ているが、この気候は異様で、環境の破壊が原因ではなかろうか。

「ポラーノの広場」について。

 「掲示板」に飯島彰吾さんという方から、昔の録音、録画についてのお尋ねがあるので、同じく「掲示板」でお答えしていたが、歴史的に大事なことかもしれないので、この欄で書くことにする。
 「ポラーノの広場」は、1959年の作。NHK、TVのためのもの。「TVのためのオペラ」という副題がついていた。当時、録画の技術がなく、音だけは録音したが、放送はそのままぶっつけの本番だった。
 その後思い出したが、録音は、青山のKRCというスタジオで撮った。ということは、本番の時は録音したオトにあわせて、出演者は演技だけしていたわけで、最近俗にいう、「くちパク」である。KRCは、「國際ラジオ・センター」の略称で、青山一丁目の近くの路地を麻布の方に入って突き当たった所にあった。民間スタジオだろうが、NHKがほとんど借り切っていたようだ。当時、NHKの番組でここで録音したことは頻々とあった。出演は、Orchestraが日フイルの人たち、歌は二期会のメンバーだった。
 
このカセット音源を最近CDにしてもらい、今朝届いたので聞きなおしていた。まだ終りまで聞きとおしていないが、終りが切れているとCD制作の人から言われた。なにぶんにも50年昔のもの、異常があっても不思議ではない。スタッフの中ですでに他界した人も多い。NHKの制作者、後藤田純生さん、台本を書いた橋本一明さん、指揮の岩城宏之君、などなど。ほかにもいるだろう。

 当時の人気TV番組もあったが、録画が出来なければ、演劇みたいにスタジオにセットを幾つか設けてカメラを替えて映すほかない。遠景とか屋外の運動シーンなどは到底不可能であったろう。映画は当然昔からあったし、その映画をTVで放映することはあったと思うが。

 この年の翌年、1960年は第一次「安保騒動」の年。国会周辺は大騒乱状態になった。その時の記録映像も、映画のフイルムで撮ったものか、VTRで撮ったものか分らない。

2009.07.24.金曜 雨ときどき曇 町田

 
政治家のいさぎよさ、いさぎよくない言動。さようなことでは政権党の人だけの問題ではない。

 土井たか子元社会党委員長は社会党中興の功績者である。沈滞していた党勢を見事に回復、「山が動いた」、という名言を残した。しかし、この土井さんにも、いさぎよくない発言があった。

 北朝鮮による日本人拉致が現実になった。小泉訪朝の時、金成日氏自身が認めてしまった。社会党は拉致を一貫して否定してきた。「北朝鮮がそんなことをするわけはない。それは反共勢力によるデマだ」、というのが言い分だった。まことにもって引っ込みがつかないことになった。

 その直後の土井さんの記者会見で、この件についての発言を記者たちは期待した。しかし、土井さんは、その話から逃げるように会見を打ち切ろうとした。記者たちが土井さんを囲んで、質問した。土井さんは、「ちからが足らなかった」、という奇妙な言葉を残して逃げさった。

 「ちからが足らなかった」、という言い分はどう考えてもおかしい。「拉致はない」、と言っていたが、「拉致はあった」のである。ちからが足らないというのは、目標に達するちからが足らないということで、目標自体は間違っていなかったことになる。しかし、「なかった」、と言い張っていたことが、「あった」、のである。ちからが、足りる、足らない、という量の問題ではない。認識が間違っていたのである。量ではなく質の間違いである。質の間違いをごまかして、より責められる度合いが少ない量の問題にすりかえた。私はこのニュースを聞いてたとえようもない不快感を持った。自分の過ちを認めることはこれほど難しいことなのか。他人の話だけではない。自分も含めて、人間のあり方を反省した。

2009.07.23.木曜 晴のち曇のち雨 町田

 指揮者の若杉君が亡くなった。芸大にいた時、学内演奏会で、学生のorchestraを指揮するために、楽屋から颯爽として指揮台まで歩み進んだ姿が目に残っている。先輩、岩城宏之が兄貴分として微笑しながら見守っていた。もちろん旧奏楽堂でのこと。岩城の後を追うように若杉も逝った。万感の思いである。

 
政治は解散を経て選挙モードになり、新聞TVからも政治記事が消えた。党首、党員とも、運動のための奔走ばかりで、特記することが無くなった。

 とはいえ、新しいことも知った。自分は政治のしろうとだから知らなかったが、安倍内閣が出来た時、支持率はかなり高かったのだそうだ。まだ小泉麻酔が残っていたのだろう。それが消えたのは、ほかならぬ、「郵政」で追放され人たちを迎え入れ復党させた時からだそうだ。「おかえりなさい」で一人一人安倍さんが握手して復党させた時からだそうだ。この行為は誰がどこから見ても背信でしかない。迎え戻した党の方が背信なのか、おめおめと戻った方が背信なのか分らない。平沼さん一人だけが拒否した。なんでも、「今後は党に逆らうことはしません」という誓約書を書かされたそうで、平沼さんは、これを屈辱的として拒否、復党しなかった。これが筋道ではないか。党がとったこの行為、復党を是とした人たちの行為、人々は、そこに背信を読み取った。民衆は時に愚かであるが、時に恐ろしいほどの眼力を発する。

 自然法は消えない。誰がいつ造ったのか分らないが、だからといって、そんなものは蹴散らしていいとはいうことにはならない。天の裁きというものはやはり厳として存する。この自然法というものについては、私は若い時に知った。目白の下宿にいた時、隣室にいたのが中央大学の経済学部の若い講師だった。私たちよりも幾らか年長の人だったが、仲間友人としてずいぶん交際したし、いろんなことを教えてもらった。最近、その時の知識から発して色々復習して新しく知識を加えている。自然法を軽視する時代風潮が濃くなったのが20世紀だが、大事件が起こり、再び自然法を見直そうという流れになっているそうだ。

2009.07.22.水曜 晴ときどき曇 町田

 昨日、衆議院が解散した。

 自分は新聞を購読していないから知らなかったが、解散があったこの日、新聞は休刊だったそうだ。本来なら、前日の二十日が月曜で休刊日だったそうだが、この日が祝日のため休刊せず先送り、21日が休刊になったのだそう。しかし、政治の大事がある日、しかも、それが前から分っていた日を休刊日にするとは・・・。新聞の使命を当事者はどう考えてているのだろう。この様では、すでに新聞はネット版に切り替えて、有料購読にした方がいいのではないだろうか。その時期がきているのではないか。肝心の日に休刊にするとは自ら新聞が不要であることを自認しているということではないか。

 午前の自民党議員懇談会は茶番に終止した。反対派は懐柔され、なあなあ、の馬鹿芝居。

 ある週刊誌によると、選挙の結果は、民主が320以上、自民は78だそうだ。余り信用ならないとは思ったが面白そうなので、駅で買おうとしたら売り切れとのこと。別の所で買ったが、前提とする仮定は、そのまま成立するかどうかは分らないが、理論的根拠を設けての試算であり、面白半分の予想ではない。もし選挙結果がこの通りになると、いまの与野党が逆転しただけの型になる。これもまた余り感心しない。日本の政治に複数政党の対立が必要である。一方がはじめから余りにも多数で強いと、また一党独裁になる。これまでの裏返しにすぎない。

 与謝野、石波、両人が総理の解散署名に応じたそうだ。別のニュースで、そのことを、野田聖子さんが、「いさぎよい」、と言っていた。こういう行動は、「いさぎよい」、と表現すべきものだろうか。むしろ、「ふがいない」、と言うべきものではないだろうか。
 人の世には「自然法」というものがある。どの国でも、どの民族でも、人が社会生活を始めた時からおのずと出来た「法」であり、誰が決めたものでもない。「人を殺してはいけない」、「他人のものを盗ってはいけない」、「困った人を助けよ」、というようなもので、人倫の自然な原点とでもいうべきものである。自然に発生したものだ。これに対し、紙に書いた法律、六法全書のようなものは「実定法」という。実定法もまた自然法があるからこそ成り立つ。自然法には、「ウソをついてはいけない」、というのもあるはずだ。

 野田さんのこうした発言、発想、その他、これに類する見方、発言は、どこかで、この、「自然法」、に反しているのではないか。人は、感覚的に、経験的に、そのことを感知するのではなかろうか。自民の衰退はこうした言動に真因がひそんでいるように思われる。本来はまったく相容れない原理の党である社会党と連立を組むなどもその現われである。そのことは社会党にも言える。一時期の特殊な急場のために天敵と組むということは政治的判断で、むしろ決断力を要し、評価される。しかし、ただ単に自分の当面の利益のためだけに原理原則を放棄することは不徳義この上ない。社会党はこれ以来消滅の道を進んだ。同じことが自民にも言えよう。
 不道徳な行為は、回を重ねるごとに良心の責めが衰弱していくそうだ。しかし、自然法に反することは、人が人である限り、天に背くことであり、いつかは天罰が下る。

2009.07.18.土曜 晴ときどき曇 町田

 
日本音楽舞踊会議作曲部会の12月の作品演奏会の打ち合わせにいく。自分は、Violin曲、「美しき夕暮れ」の初演をする。Violinは劉薇さん、ピアノは常任ピアニストの椎野伸一君。押しつまってからの日程だし、会場が中目黒のGTホールで、最良とはいえない。劉さんは一週間前の11月30日にCD発売記念のリサイタルがあるが、すでにCDに収録した曲ばかりで、あらためて取り組む曲はないので、その前から私の曲は練習をすませておくとのこと。演奏会のタイトルを考えるよう頼まれた。

 自民党の内紛はくすぶったままウヤムヤの感じだが、しこりが残るだろう。気まずい話だ。与謝野、石破のご両人は内閣に戻り、何事もなかったかのように過ごすらしい。以前、小泉さんの郵政選挙で追放された人たちが安倍内閣になり復帰した。安倍さんが一人一人に「お帰りなさい」、と握手で迎えていたが、ヘンな話だと思った。公的な場で自らの態度を決定するということは、社会全体に対して、自分の立場を宣言して約束することではないのだろうか。Aという立場を宣言した人が、ある時、ことわりなくBという立場に豹変することは、世間に対する約束義務の不履行ではないのだろうか。明智光秀が本能寺襲撃に失敗して撤退、しかる後、平然として、以前のように信長の脇にひかえるというのと同じである。これは、日本的な「恥の文化」にかかわるよりも、むしろ、欧米流の「契約社会」の原理にかかわることではないか。立場の選択は社会に対する契約の宣言ではないのだろうか。約束を守るという道義の第一段階の原理に抵触することではないか。 

2009.07.17.金曜 雨のち晴 町田

 
予報では夕方から夜は雨とのことだが、ネットの予報の方は曇りのまま。いま、午後三時の空模様は雨が降りそうもない。今日は夜七時から12月の作品演奏会の会合があるので高田馬場に行く。雨は願い下げたい。

 自民党の内乱はどうやら執行部に鎮圧された気配。加藤紘一という人はよほどこういう騒ぎにご縁があるようだ。前の時は「加藤の乱」と呼ばれ、最後の最後で腰砕けになった。こんども、与謝野、石破、の二人はどうやら腰砕けらしい。叛乱軍に加わりながら平気で閣僚席に戻るのか。たいした心臓だ。解散の閣僚署名も無抵抗で応ずるそうだ。しかし、一旦、賊軍に加わり、戦犯の立場になったご両人、これからもすんなり過ごせるのだろうか。叛乱なら最後まで旗揚げの趣意を守るという有節の人が皆無。こういいうことこそ集団の末路を表わすものだろう。だいたい、こういう時は、「体制側」は天然自然的にはじめから有利なものだ。それを転覆しようというなら、よほどの覚悟がなければはじめから手を出すべものではない。
 しかし、鎮圧とはいっても、これだけの騒ぎ、この張本人たる、中川、加藤、武部、塩崎、という幹部諸侯、メンツもあろうし、このまま恥じのかきっぱなしですむのか。ここで出来たしこりはこの先延々と怨念になって基盤を燃え上がらせるのではないか。そのまま、淡々と何事もなかったかのように納まるまい。

 自民党60年の最後なのだろうが、古代ローマも徳川幕府も、最後の時は滅びの美学というものがあった。ウィスコンティの世界である。しかし、こんどの騒動には悲劇的な夕焼けの色はない。悲劇的どころか喜劇的なお粗末の一席だ。 

2009.07.16.木曜 晴 町田

 暑さは幾らかおさまる。夏であるから暑いのは当り前で、農作物はそうでないと困るだろう。

 自民党の中は大混乱状態になった。総理に、抗議、苦情、勧告、リンチまがいの包囲攻撃だが、国会での不信任案に揃って反対票を投じたのだからおかしな話だ。不信任案に反対ということは、すなわち信任したということではないか。そのあとで攻撃ということは、どう考えてもいたって筋が通らない。ここへきて総理の無愛想と独善と視野のせまさがかえって理がある態度になってくる。麻生おろし、といっても次、誰にするかの目途もつかないままで、退陣をせまっても現実性は一向に出てこない。
 要は、都議選に結果について、総理が、あらたまって党員すべてに向って何か訓示をたれるべきだったのだろう。なんの挨拶もなく、解散だ、選挙だ、という話に跳躍したから、不快感が爆発した。形式的にはほんの一つの手順ともいえるが、世の中、こういうことが大事にいたる場合がある。

2009.07.15.水曜 晴暑い 町田

 
梅雨明け宣言が出た。いよいよ本格的夏の到来。

 都議選続。

 都議選が過ぎて三日目だが、腑に落ちないことがある。石原都知事の対応がさっぱり報道されないことである。選挙の結果にたいへん不快がっていたこと。中央政界のあおりを喰らって大迷惑だ、とご機嫌ななめであることが報じられたが、それっきりである。都議選は都知事選ではないが、四年間の都政への都民の評価であることには変りない。行政の長として何かの見解が出されて当然ではないか。自民党の選対長が息子の伸晃氏なのだから話が複雑だ。家族の中での気まずい出来事になってしまった。

 それはともかく、石原都知事については忘れえないことがある。

 あれは民主党が立党された直後のことだ。だからずいぶん昔のことだ。あるTVだかラジオだかの番組で政党座談会みたいな番組があった。自民から石原さんが出て、民主党から菅直人さんが出た。石原さんがまだ都知事になる前のことと思う。石原さんは、菅さんに向って、「あんたの所は、吹き溜まりみたいな政党作って何やろうとするのかネ。なんていう政党だったか、名前も忘れたよ」、と言った。菅さんは静かに、「民主党です」、と答えた。もうずいぶん昔のことである。しかし、私はこのやりとりをいまだに忘れずに覚えている。この時、私は、別に民主党に何の好意も共感も持っていたわけではない。しかし、石原さんという人はずいぶん失礼なことを言う人だとその時思った。それで覚えている次第だ。

 その民主党が都議会で多数派になった。都政ではすべて民主党の賛成が得られなければ何事も出来ない。民主党は、新銀行に反対、築地移転に反対、五輪も条件づきで賛成という政策である。「名前も忘れた吹き溜まりみたいな政党」の賛同を得なければ何一つできなくなった。石原さんは八つ当たり投げ出し辞任するのではないか、という説もあるそうだ。まったく関係ない私のような者でもあの言い方は今に至るも覚えている。菅さんはそこまで遺恨を持っているかどうかは分らないが、因果応報というものはおそろしい。
 石原さんだけのことではない。どんな相手であっても、ひとに向って失礼なことを言うものではない。自省も含めた人生教訓である。 

2009.07.14.火曜 晴暑い 町田

 
暑い。気象庁は無言だが梅雨があけたのではないか。

 12日日曜は、都議選の投票、夜は開票。午後二時から新百合ヶ丘で、こども向け音楽会「音楽動物園」があり、私の「ちいさき いのちの ための」が演奏された。司会も熱心に子供向きに音楽を聞かせてくれて、子供たちも行儀よく聴いてくれた。打上げではだいぶ盛んな酒宴となった。

 投票は午前中にすませる。夜帰宅すると開票速報。民主党の暴風並の圧勝となった。

 今回の民主圧勝の表彰台に立つ者は以下の三者。

 ★第一位: 麻生首相。★第二位: 東京地検特捜部。★第三位: 東国原宮崎県知事。

 第一位の麻生首相は稀代の愚政で、国民の軽蔑と嫌悪を巻き起こし、なんでもいいから政府与党以外の政党に入れたいという有権者を大量生産した。受け皿の位置に民主党がいた。

 第二位の東京地検は、民主党の小沢一郎代表の秘書に縄をかけ、代表の交代を招いた。その結果、はるかに評判のいい鳩山由紀夫に代表を交代させ、小沢嫌いの有権者を民主党に呼び戻した。愚かな目明したちの愚行が、与党にとってはは甚だしい有難迷惑の結果をプレゼントすることになった。太平洋戦争中、山本五十六提督を撃墜することにより、さらにすぐれた人材出現に道を開くことにならないか、そこまで調べたアメリカ司令部の知恵をこの「貢献者たち」は持ち合わせなかった。馬鹿者の応援はとんでもない結果をもたらす好例である。

 第三位の東国原知事については説明の要はない。自民はここまで落ちたか、という国民の極限的軽蔑感を呼び起こした。民主支持というより、自民軽蔑、自民嫌いの人を大量に産出した。さっきのニュースで古賀さんが辞任したと聞いた。いいことだ。古賀さんにとっても、自民にとっても、知事さんにとっても、最良の結果を生む決断だった。

 昨日のTVだったか、自民党の平沢勝栄氏がとてもいいことを言っていた。何がなんでも勝とうとするから無理なことをすることになる。負ける時は負けるのが自然なんだから、負けるといい。下野してまた努力して政権をとりもどせばいいと。なかなかの明見である。
 それにしても、鳩山代表の献金問題告発はさっぱり盛り上がらない。国民はなかなか賢いものだ。これらだけしがみついている自民の哀れさがいよいよ浮き上がる。

  ところで、まじめな話、奇怪なことがあった。六月の末か、七月の始め頃か、ある情報が飛んだ。さる民放ラジオのホスト役の人が語っていたが、「自公が半数を固めた」というのである。この人は、怪情報と言っていた。ネットに「ゲンダイ」という新聞がある。これも同じ記事を載せた。この情報は、どこから出たのか、誰が流したのか。選挙の時、楽観論はマイナスになるということはしばしば言われる。とすると、この怪情報は民主側が流した作戦だったのか。誰かがしかるべき効果を意図しての作戦だったのか。逆効果というなら反自公側である。しかし、社民も共産も負けたのだから、勝ったやつが怪しいということになると民主側である。小沢一郎は怪物だからもしかしたら?!?

2009.07.11.土曜 晴ときどき曇 町田

 
NHKの「アーカイブス」という所。保存してある過去の放送記録のことだが、八月の再放送もここからの電話で知った。このサイトの「掲示板」に飯島さんから教えて頂いたが、私が音楽を担当した番組で、室生犀星の「蜜のあはれ」が七月に放送されたことが分った。もう過ぎてしまったので聞けなかった。私には知らせがなかった。どうなってるのか。NHKは官僚的とか権威主義とか言われるが、私がつきあった実感としてはそうは思わない。そうではなく、「大男、総身に・・・」の方で、余りに組織が大きくて連絡がいきとどかないのではないかと思う。これからは「アーカイブス」のサイトもよく見ておこう。まだ、七月までの分までしか載っていないから、八月以降はこれからのことだ。

 私の「おわりのない朝」。いきさついてはかつて延々とここに書いたから、ダブル所があるかもしれないが、はじめは、私が勝手に自費でLPレコードにした。50枚か100枚くらい作ったような気がする。その時はもちろん、原TAPEを借りて作った。さて、それからのこと。時代はLPからCDの時代に変った。ウィーンのVMMがCDにしてくれるというので、音源が必要になった。

 どういういきさつだったか覚えていないが、原TAPEがないという判断にいたり、レコードからTAPEに逆戻りさせようとした。NHKの電子音楽スタジオに行って頼んだ。主任の人が、レコードを回してみたが、針音が微かに入る。CDのマスターには使えない。ここで、この技術マンは、秘策を演じた。レコードの盤面に僅かだが水をまいたのである。こうすることによって針音を消すのだそうだ。しかし結果はよくなかった。それでも針音が微かに聞こえるのである。途方に暮れていると、別のある人が、「あれ、それは原TAPEがあったよ」、と言う。そしてどこか探してきて、「これじゃない?」と持ってきた。まことにトンマな顛末で、そもそも原TAPEが無いとどうして自分が思ったのか思い出せない。もしかしたら、NHKに電話で聞いたら、誰かそそっかしい人が、「あれはもうないヨ」、と答えたのかもしれない。それだけ、NHKという所は、のんびり、というか、春風駘蕩というか、間が抜けたというか、そういう所がある。聞く所によると、洋楽班という所が特殊で孤立したノンキな所なのだそうだ。その中の電子音楽スタジオというのは、わるい意味ではないが、高踏遊民の溜まり場みたいなところがあった。職員もそうだし、まぎれこんでいる外部の音楽家たちも。
  時移り、いまとなれば全てはなつかしい思い出の世界のことになった。

2009.07.10.金曜 曇 町田

 
先日の取材の人から聞かれた。

 楽譜を見ただけで作曲の出来のよしあしが分るものかと。もちろん分ると答えた。プロの高い程度のものになれば、音に出して見なければ分らない。しかし、程度の低い話として、まともに勉強した人のものか、自己流のものか、それはすぐに分る。音符の書き方が違う。パリ音楽院の流儀では、楽譜の整え方も一つのしつけとして教えられる。フランス語で、ecriteur、という。訳せば、「書法」とか「筆法」、とかいう意味になろうか。ある音符は、しかるべき場所で、しかるべき終り方でしめくくられていなければならない。楽譜は音楽の単なるメモであると考えない。音楽の実体であると考える。先輩の矢代秋雄さんが書いていた。パリ音楽院の出身者は仕上がりがいいと。フランスでは作曲、だけでないかもしれないが、90パーセント以上がパリ音楽院の出身である。あの国は中央集権型だ。ドイツの方が、諸侯国が連合したので分権的である。フランスの作曲家でパリ音楽院出身者でない大物といえば、ルーセルとフォーレ。二人とも天才だから、それ故に作品がわるいことはないのだが、仕上がりに不揃いな点がないわけではない。フォーレの作品はこよなく美しいが、楽譜は少しでこぼこしている。ラヴェル、ドビッシーと比べてみるとすぐに目につく。
 こういう「教育」、あるいは、「しつけ」は必要か、という疑問を出す人がまだある。昔にくらべればはるかに少なくなったが。次の言葉は、昔の日本の剣豪の言葉である。

 
格に入らざれば乱れ、
   格に入り、格をい出ざれば狭く、
     格に入りて格をい出てはじめて自在を得る。

2009.07.09.木曜 晴 町田

 
NHKから知らせがあった八月のラジオ・ドラマの再放送。

 前回の放送の録音があったので聞きなおした。NHKラジオ・ドラマ班の香西久さんと司会の女性アナウンサーとの対談が入っていた。香西さんはラジオ・ドラマの達人で、いままで何度も受賞している。定年後になるか、業績全体に対して、文化庁の褒賞も受けた。私も香西さんの制作演出で幾つかの仕事をした。田山花袋の「ふとん」はよく記憶している。ラジオ・ドラマ界の長老という人だが、当時はNHKしか放送局はなかったわけだから、すなわち、日本のラジオ・ドラマ界の長老ということになる。

 香西さんの話によると、こんどの作品、北条秀司原作の「山霧の深い晩」は、最初は昭和24年に作られたそうだ。そのいきさつが変っていて、GHQの指示だったという。菊田一夫とか、宇野信雄とか、当時一流の人たちがこぞって書いたか、書かされたかしたそうだ。なんでGHQがそんな企画を指示したのか、北条さんがNHKの人に聞いたが分らないそうだ。非政治的な方向に日本人の関心を向けようとしたのか、いまも分らない。なにしろ、当時はまだ占領下で放送もすべて総司令部の指示に従っていた。その第一作の録音はもうない、そもそも当時まだ録音がなかったのかもしれない。すべてナマ放送だったので、効果音の制作に大変な苦労をしたということを香西さんは語っていた。
 そして、1965年、再制作された。私が音楽を担当したのはその時である。それからまた、1987年に再放送された。私が手許に持っているのはその時の録音である。だから、こんどは三回目ということになる。消滅した初回の制作から数えれば四回目ということになる。フランキー堺が新聞記者役で中心のはたらきをしているが、いま聞くと、時代差が大きくて分りにくい所がある。北条秀司という人は、若い時、箱根登山鉄道の駅員をしていたそうで、それから岡本綺堂に師事して劇作家の道に入ったそうだ。このドラマで箱根が舞台になっているのもそうした経緯があるのかもしれない。私もまた制作スタッフの一人であるが、話自体は余り自分の好みではない。心中事件でむごたらしい場面を強調するなど、これは本当の恐怖とは違うと思う。とはいえ、再々放送はめでたいから録音して聞くことにするが。

2009.07.08.水曜 雨 町田

 
曇りの予報はずれ。小雨続く。またもや自転車だめで歩き。

 Violinの中野恵さんからのmailで、11月23日にViolin曲集の中の「草原の家」演奏するやもしれずと。そうなればこの曲の初演になる。これで、曲集「睡蓮」八曲の全部が演奏ずみとなる。この曲集は劉薇さんがCD化したいと言っているので期待している。いままで生きてきて自分の本音の一面がこんな型で現われた。若い時には考えもしなかった自分の真実。これで、九月から12月までに自分の作品が五回、初演、再演されることになる。有難いことである。

  ロバート・マクナマラが亡くなった。アメリカの前国防長官、ヴェトナム戦争を拡大した人である。
 
 エスカレート戦術といって、相手の対応次第によって兵力を拡大したり縮小したりするという戦術をとった。しかし、この方法は古典的兵法から見れば最悪の手法なのだそうだ。兵法というものは、相手をしぼって大兵力を一挙に集中して片付けるのが最良というのが古典的法則だそうだ。
 マクマナラは戦術のしろうとだった。もともとは、フォード自動車の社長で、業績をあげていた。ケネディ組閣の時に、国防長官を依頼され、「そんなものはやったことがない」と言うと、ケネディも、「おれも大統領はやったことがない」、と答えた。
 経営者の発想から、すべての事象を数値に還元してそこから方法を算出するのがこの人の方法だった。これが戦争の場合には裏目に出た。しろうとの弱みが出たこともあろうが、しろうとには、くろうとが考え付かないすぐれた発案をすることがある。これは私たちの仕事でもある。しかし、この場合ははずれだった。
 
 マクマナラは、晩年、「ヴェトナム戦争は誤りだった」という著書を出した。この著書については評価が色々ある。戦死者の遺族からは責任を問われた。当然のことである。反面、みずからの過ちを率直にみとめたことに対し、賞賛する声もあった。
 私が感心したのは、ヴェトナム戦争終結後かなり経ってからだが、自らヴェトナムを訪問し、戦争当時の指導者たちと会い、「反省会」を持ったことだ。互いに戦争を振り返り、間違いがあった点を研究しあった。ヴェトナム側の総指揮官、ボー・グエン・ザップ将軍と会見してすぐれた見解に率直にまた謙虚に敬意を表わした。戦争が終ってからなら誰でも出来るということではない。体面、面子などにこだわれば出来ることではない。大国の責任者である。アメリカという国の若く率直な面を表わした勇気ある行為であると思う。かつての交戦国同士が、戦後に戦争の反省会を開いたためしは世界史にない。
 この人の発想、すべてを数値に還元するやり方は、抽象化をやり過ぎることの誤りを表わす例証であろう。抽象化は人が自分の都合により、関係ありと判断した部分だけを現実から切り取ることである。しかし、切り取って捨てた部分に大事なものが含まれていることがある。人は自分の力を過信すべではない。

2009.07.07.火曜 晴、気温上がる 町田

 やっと晴れた。各家庭は洗濯物干しで総力戦。ただし暑い。自宅の仕事部屋の湿度計は70度を越えた。除湿器をまわしたらようやく60度の程度にまで下った。

 「静岡」のあとをひき、TVラジオも政局談議が盛ん。

 どういう立場の人か、政治は変らないとか、どちらも同じだとかニヒルなことをいう者がいる。こういう言説が一番くだらない。支持政党選択についても、どらかといえば嫌いな方よりこちらの方が幾らかまし、という程度の相対的選択をしている人が多いという。それでいいではないか。健全な選択である。目を見張るような立派な政党があるはずがない、立派な政治など出来るはずがない、ありうるはずがない。政治とは人の世の雑事のとり仕切りである。雑事と利権をとりさばいて文句が出ないようにするだけの仕事、それが政治である。有権者が覚めた目で見ていることは正しく健全である。

 もしも、目が覚めるような気にさせる政党が出てきたらその時こそ危ないぞ。ナチスなんかがその好例だ。しかもナチスは途中までは実際、荒廃したドイツを見事に再建した。人々は幻惑された。こんなのが一番危ない。若い女性が結婚の相手を選ぶ時、どちらもたいしたことないが、どちらかといえば、こっちかな、程度の選択しかしない時と似ている。惚れるよりこの方が安全だ。惚れることは怖い、アバタもエクボに見える。自民党が愛想をつかされているが、民主党の方にも色々ある、それでいい。はじめからこれだけ覚めていれば幻滅もない。

2009.07.06.月曜 終日雨 町田

 静岡の県知事選は民主党系が勝利した。

 おもしろかったのは報道のあつかい方であった。

 ネットの新聞を見ていると、「朝日」と「産経」が、23時少し過ぎに速報をで出した。「東京」、「読売」は報道なし。夜半過ぎに念のため再読したが、なし。今朝見たら、両紙とも日付が変ってから、「読売」が午前二時過ぎ、「東京」に至っては今朝七時過ぎの報道。ということは、「東京」の記者は、昨夜は寝てしまったということか。いまどきノンキな話!

 新聞の速報競争は度が過ぎるともしばしば言われるが、こんどの場合などは、やはり国民は速報を待っていたのではないだろうか。NHKもまたマが抜けていた。午後九時のラジオ・ニュースでは、「二候補が激しく争っています」と報道。そんなことは分っている。まだこの段階では得票数を報道する段階ではなかったもしれいが、しかし、22時、23時ともなれば、なんぼなんでも何かは報道できるはずだ。相変らず「接戦」の報道だけ。NHKにとって好都合 だったのかナ、大阪でパチンコ屋放火事件が発生した。ニュースは、 ほとんど欣喜するように、この事件の報道に熱中していた。

 開票が終了しなければ得票数の報道は出来ないことは分るが、国政の場合は、進行時点での途中得票数も報道している。TVもラジオも、ニュースの始めに、人殺しや、泥棒、詐欺、火事、の話ではなく、国民に広く影響をあたえる政治経済國際の「第一面」の構成を配慮してほしい。

 時代の風というのは怖ろしいものだ。与党の鳩山攻撃も品がなかった。これしか手がないことが露骨に現れて、浅ましい風情しか伝わらない。宮崎県知事もしかり、他人の弱みにつけこんで自分を売り込むとは、あまりにも低級下品である。

 自民党の加藤紘一さんは「自民党は終った」と言ったが、「自民党独裁の時代は終った」ということだろう。それはその通り。いままでが異常だったのだ。店が一軒しかなければ、何を売られても、店員の態度がわるくても、そこから買うほかない。もう一軒できればそうはいかない。新しい方の店がどれだけいいものを売るのかは分らない。同じものか、もっと悪いものを売るかもしれない。しかしそれでいいのだ。二軒あれば競争する。安閑とはしていられない。それだけのことだ。いままでは、お店と称していながら、生活用品を売らない店が二、三軒あった。これは店ではない。ないのと同じ。擬似的に複数店舗に見えるからかえってわるい。とにもかくにも、同規模のスーパーがもう一軒できた。それでいい。前の店も廃業することはない。「やはりこちらの老舗の方がいい」、と言われるように営業に鋭意努力すればいい。

2009.07.03.金曜 曇 町田

 
今朝、NHKアーカイブスセンターという所から電話があった。

 むかし音楽を担当したラジオ・ドラマを八月に再放送すると。8月16日日曜の深夜一時から。生活時間としては前日15日の深夜過ぎということになる。タイマーで録音することにしよう。

 この企画が始っていたことは前から知っていた。ラジオドラマは随分沢山手がけたから、自分のかかわったものも取り上げないかなとかねてから待っていた。何しろ、放送時間が遅く、寝ないで聞くのは大儀だ。お目当てがあれば録音して聞くしかない。

  こんど放送するものは、北条秀司原作のもので一種の怪談である。心中を図った男女のうち、女だけが死んで、男は一命をとりとめるが、死んだ女がつれにくるという話。古典的な型のものだ。初回放送の時は作者の北条さんが出演して、番組の前と後で、制作者と対談していた。話はよくある型だが、怪談の部分以外の事件自体は実際にあったことだそうだ。北条さんが現地にいた時のことで、そのときの体験をなまなましく語っていた。場所はたしか三島、棺を乗せた荷車が影冨士を背景に動いていった寒々としてた光景を語っていた。

 ラジオドラマは私の育ちの場である。ここでどれだけ勉強をしたことか。音楽が主役の仕事ではないが、心がけ次第で自分の勉強の機会に存分に利用だきる。この放送もTAPEにとり、少し前にdiskにもした。新しく放送される時はオトがずっといいだろうからあらためて録音して記録したい。

2009.07.02.木曜 雨のち曇 町田

 
今日も雨空、自転車は使えず、この季節だから仕方ない。

 北朝鮮の貨物船が進路を変えたそうだ。Uターンした。アメリカの軍艦と飛行機が随行監視している。「北」は、途方もなく強気の放送と新聞声明を出していたが、こういうことになるだろうと容易に推測できた。おそろしく低速で航行していたそうだ。燃料節約のためである。こんどの国連決議では、洋上で停船させて臨検することはできない。しかし、寄港した国はそれができる。寄港は燃料補給のためである。この先、どこかに寄港せざるをえず、具合がわるい結論と判断になったのだろう。オバマ政権は、横暴な非行に報酬をあたえることはしないと明言している。いままでの二代の政権とははっきり政策を変えた。これが当り前で、これまでの政策がおかしかったのである。あれほど気勢をあげていた「北」の政府、放送、新聞はこんどは何も言わない。沈黙している。こんなものだ、「北」は弱小国なのだから。

 ところで、アメリカも善玉とはいえない。オバマさんは立派な人だろうが、大統領個人の人格とは別の力学がはたらくことはあるだろう。資本主義は戦争をもとめる、戦争は景気を浮揚するというレーニンの所説はまだ間違いとはいえない。アメリカはたいへんな不況の中にいる。アフガニスタン、イラクで消費した兵器類も補填されただろうし、「在庫」がすでにだいぶ溜まったのではないか。「在庫一掃」の機会がほしくなるのは生理的要求だ。韓国はすでに「北」に攻め込む「進駐軍」の編成を終えたそうだ。危機を察知した場合は先制攻撃をするとも言っている。バンカーバスター爆弾も用意したと言っている。これは地下八階まで貫いて破壊する特殊爆弾だ。あちらの「要人」がどこに隠れても逃げられない。「北」はろくでもない国だが、対する側もかなり物騒な勢力であることを忘れるわけにはいかない。

 
国内政治では、東国原知事の言動はやはり余りにもえげつない。自民党を支持するしないは別にして、人の弱みにつけこむことは有徳の人の道ではなかろう。これは自然法的な倫理観から発する判断で、人が本能的に持っている価値観が導く判断である。

2009.07.01.水曜 曇 町田

 ドイツの舞踊家、ピナ・バウシュが亡くなった。新聞の朝刊で知った。
この人については、新聞の記事が分り安いので、以下転記。

 ピナ・バウシュさん(ドイツの振付師兼演出家)。複数のドイツ・メディアによると、6月30日、がんのため死去。68歳。
 40年、ドイツ西部ゾーリンゲン生まれの女性ダンサー。55年ごろに同西部エッセンの学校で舞踏家のクルト・ヨース氏に師事。その後ニューヨーク留学などを経て、73年にブッパータール舞踊団の芸術監督に就任した。バレエの中に演劇的要素を持ち込み、バレエ界だけでなく演劇界にもファンが多い。日本でもさまざまな公演をしている。
                                    2009年七月一日 東京新聞朝刊

 68才というからまだ若い。もう少し年輩の人かと思っていた。
 いまから、20年以上前のこと。ドイツの舞踊評論家が来日して、ゲーテ協会で講演した。その時、現代舞踊の芙二三枝子先生の依頼を受けて講演の通訳をした。通訳といっても、事前に講演原稿を渡され、それを数日かかって辞書をひきながら苦心惨憺、翻訳を仕上げて、当日、講演の区切り目にあわせて読みあげるだけである。だから本当のヒアリングの能力による通訳の仕事ではない。しかし、原稿の内容そのものがかなり難解なもので、事前準備ありとはいってもやさしい仕事ではなかった。当日、講演本論後に出席者からの自由な発言と質問があった。これはぶっつけ本番だから、日本語をその場でドイツ語にしなければならない。そして講師の返答を今度はその場で日本語にしなければならない。こちらは八百長なしである。であるが、だいたいそういう場の発言というのは、会話体の内容と言葉だから、滅茶苦茶に難しいということはない。なんとか片付けたが大汗をかいた。

 この時の講演の中でも、ピナ・バウシュとブッパタールのことが頻繁に出てきた。ドイツでは注目を集めたスターだったようだ。この時、映像も見たように思うが、見ただけでは、ある種の現代音楽みたいで、斬新ではあるが、余り共感を持てるようなものではなかった。ドイツはこの種の「前衛」芸術が世界で一番盛んなようだ。古典では表現できないものが多くなったいまの社会、新しい表現が出なければならないことはおおいに同感するし、自分でも実践しているが、あくまで人々の共感と理解に応援されなければ芸術は成果がつくれないと思う。芸術はあくまで相対的なものだから。自然界の法則をさぐる科学とは根本的にそこが違う。科学全盛の世の中の余波で違いを見失わないことが肝心だろう。

2009.06.30.火曜 雨のち曇 町田

 今日は、雨は午前でやんだ。病院へ安定剤の処方箋をもらいに。これも規則的になり生活の一部として馴れた。開院直後はいつも混んでいるが今日はすいていた。雨のせいかもしれない。昨日は、取材の人と面談。新宿。

 亡くなった級友の伝記的な記録を残したいという遺族の依頼で、生前の故人の友人知人から取材をしている人だった。

 こういう場合、どのように対応すべきか、ある意味の迷いはあった。青春時代はまた恥多き時代でもある。プライバシーなるものにもふれる話が多い。とはいえ、その種のことを除外して、差し支えない種類の話だけにすると、何かが隠され、話に深みと重みがなくなる。どうしてもそう思える。事実、そのようにして書かれた結果を想定してみると、どうみても迫真性のないものなりつまらない。熟慮の結果、すべて知ることを語ることにした。それを書いて公表するかどうかは執筆者の判断にまかせる。

 大正、明治の頃の文壇の話でも、ごく個人的ないきさつまでが記録され公表もされている。それもまた、実際にあった現実、事実、factである。あとまた半世紀も過ぎれば関係していた同時代の人たちもすべていなくなるだろう。そうなれば直接迷惑する人もいなくなる。そして、事実は事実である。残すべきfactはむしろ後世のために残すべきだろう。それが、同時代を知る者の義務でもある。第一次経験者、受信者の談は重い。貴重なものだ。語る者の主観、判断が混入する場合もないとはいえない。その場合は、そのむねを説明し、どの程度までが信頼すべき裏づけある部分か、どこからが語り手の判断が、どのように、どの程度加味されている可能性があるか、それもまた付け加えて話すことにする。人にはそこまでの分別行為が可能である。ある事実が、記録に残すべきことか、黙殺消滅にまかせてよいことか、知る者が勝手に選別することは、未来の人々と歴史に対する越権行為であろう。そんな権利を持つ人はいない。

 ある人がある事実の経験を語ること、それを聞くこと。人はその場で、現実に体験した場にいなければ受信できない無形の情報にふれるものだ。ある話を聞いた時、それを語る人の、表情、語り方、感情の浮き沈み、前後の事情のもろもろ、すでに知っているその人についての様々なことがら、それらすべてから、その話がどの程度のホンネを含むものか相当程度まで分るものである。それは、あとで文字にして読んでも、あるいは伝聞の型で聞いても、判断も推測もできないことだ。

 「歴史とは、所詮、著名な事実の列記にすぎない」、とは、アナトール・フランスの言葉である。その通り。著名でない事実は書かれない。そうした、消され、黙殺された列記事実の間にこそ真実の大事な実物大の、実物のかけらが落ちこぼれている。

 今日で六月も終り。2009年も前半が終った。

2009.06.28.日曜 曇のち雨 町田

 
予報では午後三時から六時まで雨とのことだったが、昼過ぎに降り始めた。六時にやめばいいが、やまないと、自転車を駐輪場に置いていくことになる。カサさし自転車はこんど取り締まられることになった。

 「音楽の世界」は古巣みたいなものだが、八月号に舞踊特集をするとかで原稿を頼まれた。
 自分は子供の頃から運動神経がにぶく、体育はつねに最低の成績。とても舞踊と縁はありえないはずだが、仕事で舞踊団と付き合うことはあったので、そんなことを書くことにする。詳しくは「音楽の世界」の八、九合併号を読んで頂きたい。ここで余り書くと、本誌が売れなくなる。
 
 
話は飛躍するが、モノを持つということは、そのモノを管理するという途方もない大仕事が付随してくることを意味する。最近ふとしたことでそんなことを痛く感じ入ることがあった。カネであれ、財産であれ、品物であれ、知識、情報、技術であれ、同じだ。カネ持ったが故に不幸になるなんてことは昔からありふれた話だ。自動車だって、待てば、車庫が要る。車検の費用と手続きが要る。定期整備の手間とカネがかかる。酒は飲めない。免許の更新がある。何より、事故を起こせば大変、自分が被害を受けても大変だが、他人を傷つけてしまったらえらいことになる。知識も同じ。「知らないうちが花」、というセリフが昔からあった。

 人はなぜ知識を広めようとするのだろうか。理由は簡明で、暗闇が怖いからである。単にそれだけである。太古からの生物学的恐怖の本能が先端科学の推進原動力になっているのだ。アダムとイヴが知恵の実を食べたという神話にはなるほど深遠な比喩が秘められている。

2009.06.27.土曜 晴ときどき曇 町田

 
昨日と変らぬ天候。蒸し暑い。

 昨日に続いて北朝鮮のことで書いておかねばならないことがある。時代が変って、過ぎた時代のことを知らぬ世代がここまで主流になると、経験的事実は伝えなければならない。

 どこかのTVで「北」の大集会の場面を映していた。大人数の群集が整然と勢い高く気勢をあげている。いかにも大変な勢いである。どこかのジャーナリストがこれがこの国の国力の現れであるかのように本気にしていた。とんでもない! 馬鹿げたことを考えるのはやめたまえ!!! こんなことは60余年前の日本ではざらにあった。馬鹿げた話にならない光景だ。昔を知らない世代の諸君よ、よく聞いておきたまえ。こんなことは一番くだらない空虚な光景なのだ。こんなことで国力が高揚したり、戦力が高まったりするなら世界中の国で苦労する国はない。こういう時は、「やれ」と言われれば人はその通りにするものだ。「ヤラセ」のきわみである。そして、肝心なこと。それは、こうして気勢を挙げている人たちの中にだって、本気でない人たちが沢山いるということだ。やれといわれるから、いわれる通りにしているだけ。この国では、政府に抵抗のしようがないから、言われる通りにするほかない。ハラの中では「なんて馬鹿げたことを」と笑いながらポーズだけ揃えているだけだ。

 
私たちの経験では、反戦とか反体制の意識を高く持っていた人たちが多かったわけではない。そうではないが、なんぼなんでもこんな馬鹿げたこと、という自然な受けとめ方は残っていた。だからこそ、「見よ東海の空明けて」の替え歌「見よ××の禿げ頭」というようなものが子供の間でも歌われたのである。人はとことん賢くなることは出来ないが、とことん馬鹿にもなりきれないものなのだ。「北」が自慢する「マスゲーム」だって、かならずあの中には「見よ××の禿げ頭」を心中歌っている人がいる。

2009.06.26.晴ときどき曇 町田

 
梅雨の晴れ間は有難いが、ひどく蒸し暑い。湿度が70度近くになることがある。いまは室内温度28度、湿度52。
 
 昨日、ラジオの時事番組を聞いていたら、アメリカ議会が北朝鮮への援助を停止したこと、別に大統領が援助停止を一年延長することにしたと報じていた。

 解説の二人は、これがどれだけ効果あるか、とか、相手にカードをあたえているたせけではないか、などと愚にもつかぬことを言っていた。時代が変るとこんなに認識不足になるものか。国の力とは何か、どういうことをいうのか、それが分らなくなっている。国力というのは経済力を含む、というより、その上に成り立つものだ。いや、国力とは経済力そのものを意味するものだ、ということ。そんなことも考えられないのか。評論をしているからには専門家ではないのか。昔のことは知らないではすまないはずだ。「北」という国には力がないのだ。国民が三度のメシも食えない国にどんなことが出来るか。経済力がない国が、いかに軍事技術、外交技巧をつくしても、体力が弱いものが格闘技を演じているみたいなもので、所詮悲惨な結果にしかならない。このことは、300万の犠牲者を出して、60年余り前に日本人は経験した、というより思い知らされた。時代が過ぎて、世代が変るとそんなことにも無知になるものか。しかも、専門家に類する人たちが。

 日本の報道は北朝鮮という国がいかに弱い国か、もっと国民に知らせるべきだ。弱いものほど金切り声でわめくものだ。アメリカの艦船と飛行機が「北」の船を追跡している。これに対して「北」の国営新聞が噴飯ものの声明を出した。「堂々たる核保有国」とか「アメリカは相手をよく見て行動すべきだ」、とか。哀れをさそうやせ我慢、弱者の強がりである。昔の日本を思い出すが、昔の日本よりもっとひどい。蟷螂の斧、という言葉があるが、虫けらが恐竜にたて突いている。

2009.06.25.晴ときどき曇 町田

 
東国原知事をめぐって珍情報が飛び交った。事実上、衆議院出馬をことわったのだろうという説が信じやすい。しかし、当人は、冗談や社交ではない、本気だと言っている。しかしそうとすると、東国原さんの言い分にも少しおかしなところがある。

 国政をよくしたい、国の世直しをしたい、というが、そのために自民党に入るというのは論理がワンステップ飛躍しているではないか。ここには国政すなわち自民党という前提が仕込まれている。だから、政権が民主党に移ったらどうするかと記者に聞かれて、歯切れのわるい答えをした。その場合は、野党第一党として民主党の政策をチェックしていくと言った。国政を変えたいのなら自民党にこだわる理由はないはずだ。政権党に入るのが論理の帰結ではないか。この人は色々言うが、本音では自民系の人なのだろうと分ってきた。おそらく、これまでも、自民から色々の根回しがあったのだろう。古賀さんが前提なしにいきなり訪問するはずがない。こんどのことだけでなく、はるか以前から恒常的に自民からの何かが継続的にあったのだろう。

 人は追い詰められるとなりふりかまわなくなる。まだまだ、政府与党は奇手珍戦術を繰り出してくるだろう。しかし、人材が底をついて見当たらないことは悲痛なほどだ。与謝野大臣の献金疑惑が浮上してきた。「西松」で小沢に喰いついて得点にしようとする意図は糸が切れそうだ。野党になることがそんなに困ることなのだろうか。二大政党の政権交代が軌道に乗っている国ではこれほどの悪あがきはない。
 余りに長期にわたって一つの政党が権力の座にい続けてきたため、根が生えて、明るみに出せない癒着と、むらがる魑魅魍魎が棲み込んでしまったのだろう。大掃除はいずれしなければならない。太陽のもとにすべてさらして消毒をすることは避けられないことだ。

2009.06.24.雨のち曇 町田

 
朝だけ雨、午後は日差しもあり。

 このところ、予期せぬ社交があり予定通りにいかない。
 数日前、ついに携帯電話のmailその他の接続を解約した。いたずらmailがひどいこともあるが、不法請求が来た。最初は、「まことに申し訳ありません」というタイトル。12万なにがしが未払いになっているが、明日までに返信すれば半額にするという奇妙なもの。無視していたら、「最後通告」と題して、「今後とも支払わないなら法的措置をとる」、などと書いてある。自分の携帯接続料金はすべてauとの契約で何を見ようがすべてauを通して支払われることになっている。そのほかから請求がくるはずがない。いたずらmailなるものも人が発信しているのかどうか。自分が発信者になっているものがある。発信者と送信先が同一という次第。こんなことは人がすることではなく、器械が勝手に飛ばしているのではなかろうか。

 いかさま請求は前にも来たことがある。「記憶がない」というと、「記憶の問題ではない」、などと言う。「それでは、契約書と請求書を文書にして送れ」と言って切った。携帯に何かかかってきたが、消音にして無視した。以来来ない。そのほかにも請求してきたことがあるが、「こちらが覚えがない」と怒気を含めて言い返すとそれきりになった。こういうものには強腰で出るのがいい。それと、取引というものは当事者双方が合意した場合に成立するものであること。合意していないものの支払いを請求されることはありえないこと、これをどの人も知っておくべきだ。

2009.06.22.雨 町田

 三日、仕事場に来られず更新も出来なかった。今日は曇りだが雨は降らないとの予報だったが、正午過ぎから降り始めた。この頃の予報はあてにならぬ。今日から初めて除湿の空調をまわす。気温より湿度がすごい。浴室にいるみたい。

 私は新聞を購読していない。

 毎朝、ネットで読む。全国紙のほかに地方紙も読む。印刷紙より詳しくないが、この方が時間が無駄にならなくていい。
 画面の構成は東京新聞が一番読みやすい。すべての項目縦配列で最後の訃報欄まである。
 朝日がひどく読みにくくなった。最初に頼みもしないトップ記事の頁が出る。そこから「ニュース」のサイトに移り、その中から、「社会」とか「政治」とか、更に選ぶ。どういう意図でこういう読みにくい構成にしたのか。つい読むのをやめたくなる。
 読売は政治報道に偏向がいちじるしく、書いてあることが信用できない。ここの社主は大連立の政治干渉への失敗に懲りずに、近頃も政治に介入を続けているらしい。手がつけられぬ独善迷惑な人物だ。そのせいであるかないか、政治欄がはるか下段の方に置いてある。何を考えているのだろう。
 さらにひどいのは、毎日、これは読みにくいのを通り越して、何を読ませたいのか分らない。肝心の各種報道欄がうんと下の方に小さい字で置いてある。その中でも「政治」はさらに下、芸能記事よりも低い書き方だ。

 いま新聞は、ネットや映像の電波報道機関に押されて売りにくくなっているのだろう。売るために買い手に媚びているのか。こういうスパイラルにおちいると自滅に向うだけだ。アメリカでは地方紙が続々つぶれているそうだ。大手でも危ない。速報性では電波にかなわないが、解説論評に信頼性がある所が新聞のとりえのはず。しかし、この頃のように当局垂れ流しの情報を「関係者への取材でわかりました」、式の書き方で出しまくると信頼も出来なくなるではないか。もっともこれは放送も同じだった。しかしだからこそ、新聞は品格を保つべきだったろうに。
 産経も政治的に偏向にしている。もっとも産経の偏向は 周知のことなので計算に入れながら読むから却って実害がない。フランスの新聞みたいなものである。

  放送では、NHKの品格がことさら低下した。ラジオのニュースの中にチャイムのようなコードを入れる。不要な音を省くことが生活環境の改善であり、その方向に向っている時に反対の方向に向っている。これも視聴者への媚びだろう。それと、TVでもラジオでもニュースには報道内容の序列があるはずだ。新聞の紙面構成のように。政治、経済、国際、という、ひろがりと影響が深い情報から優先すべきではないか。冒頭は新聞でいえば第一面だ。殺人、傷害、詐欺、火事、事故、こんな報道を冒頭に持ってくるのはどういうことか。NHKは、正午のまっ昼間から、人殺しや泥棒の話をどうして聞かせなければならないのか。こういうものは昔の新聞では「三面記事」といった。第一面に三面記事をのせたら品格も何もあったものではない。

 昨日の各紙共通記事で面白かったのは麻生総理の失言。都議選候補者の応援に行って、「必勝を期して」というべきところを「借敗を期して」と言った。娯楽である。こういう記事を面白がることは不見識というなかれ。まぎれもない事実であるし、人を喜ばせることは美徳である。麻生という人は総理のしておくにはもったいない人だ。

2009.06.18.木 曇り 町田

 午後二時の時刻では曇り空でまだ降ってはいない。しかし予報は夜には確実に降るとのこと。またもや自転車は使えず徒歩。

 昨日は、党首討論がおもしろかった。仕事場にはTVがないのでラジオで音声だけ聞き、帰宅後に録画を見た。やはり、表情と周りの人たちの様子が見えると格段と情報量が増える。

 あとで色々な論評があったが、「どちらもダメ」式の論が一番つまらぬ。「基本的な方向が議論の中から見えてこない」、などと言っている人がいたが、基本的なことは具体的な細部の総合の中から浮かび上がってくるものだ。政治と政策のような複雑なものを簡単に要約できるわけがないではないか。それをいうなら、鳩山党首も総理も、それぞれの立場で原則論を表明していた。どちらもつまらぬ式の論は一種のニヒリズムである。そして、現在優位の場にいる者を利する結果をもたらす。最近はこういう「したり顔」の論者は少なくなったが、まだいた。

 自民党の細田幹事長はだいぶ前デビューした頃は穏健で地味な人に見えた。最近は少々ヒステリー気味の気配がある。鳩山党首の所にヘンな手紙を送ったり、平常心を失っている。新見南吉の童話に、「誰でも商売がだめになる時は頭がおかしくなる」、というセリフがあった。NHKの学校放送の仕事で音楽を担当したので覚えている。明治から大正の頃、電灯の普及で古いランプが売れなくなった。そのことを恨んだランプ売りが、電線を引こうとした村長の家に放火しようとする。火をつけようとするが、マッチを忘れてきて、火打石で点火しようとするがうまくつかない。「ええ、こんな古いものは役に立たない!」と心で叫んで、はたと気がつく。「古いものは役に立たぬ」、それは自分のランプのことではないか。与党の座を追われそうになった人はこのランプ売りの心境なのだろう。人は、退場する時が大事だ。こういう時にりっぱでなければならない。わるあがきは見苦しい。

 
本論とは関係ないが、議場にいる女性たちに美人が多いのに感心した。議員なのか事務職員なのか、本論と無関係とはいえ、いいものはいい。

2009.06.16.火 曇り 町田

 
13日からここへ来れなかった。13日は同窓会、旧制札幌一中と現南高校、出席者数が少ないので動員に協力の呼びかけが来たが、努力の甲斐あって、昨年を上回る400人を超す参加者となった。旧制中学の校歌、応援歌、優勝歌を歌う。音頭とりをしたが、皆、高齢者。今のうちに正式の音源記録を残しておかねばなるまい。

 ところで、時局談議の続き。

 そもそも小国が大国を相手にする場合、小国には小国なりの知恵があるという。第一に、相手が全力を出せないように仕向けること。そのため相手の内政状況を利用すること。
 手近な例は日露戦争。あの時、ロシアが本気で全力を出したら日本は到底勝てなかった。折しもロシアは政情不安定、とても戦争に全力を振り向けられる状態ではなかった。あの戦争は1904年から1905年、「血の日曜日」が1905年の一月。1917年にはレーニンの革命が起る、その僅か十年前だ。日本がこうした事情を巧みに利用したわけかどうか分らないが、あの頃の日本の指導者は自分の力と相手の力をよく知っていた。開戦と同時に戦争終結の外交努力を始めていた。アメリカのセオドア・ルーズヴェルト大統領が仲裁してくれたのである。だから、勝ったとは言っても本当の大勝利といえるものではなかった。ポーツマスでの講和条約で、国民が期待したような勝利の報酬は得られなかった。当時の日本国民は怒ったが、それは実情を知らなかったからで、本当は大威張りできるような勝ち方ではなかった。いつの世でも、敵を知り、おのれを知ること、これが指導者の資格である。

 近い所ではベトナム戦争。アメリカもまた、あの戦争では世論の反対が強く、力が出しきれなかった。ホー・チ・ミンはこの状況を読み、利用した。ベトナムは、捕虜にしたアメリカ兵を裁判にかけて処罰しようとした。しかし、大統領のホー・チ・ミンは間際になってこれをやめた。アメリカの国民感情を刺激することを避けたのである。ホー・チ・ミンは世界をよく知っていた。
 大国には大国なりの弱点がある。それを利用するのが小国の知恵、弱い者の知恵であろう。このことは 、台湾出身の評論家、邱永漢が、だいぶ昔、総合雑誌 に書いていた。大国は自給自足的睡眠状態におちいる傾向がある。小国はこの性癖を促進してやることが知恵だと。わざわざ大国の横面を張り倒して目を覚まさせるようなことは愚であると。

 最近は、また別の知恵があるそうだ。大国にはさからわない。言われた通りにする。そして、なかなか実行しない。とがめられると、要求されたことをほんの少しだけする。大国が攻めかかる口実を与えないようにする。
 もっとも、もっと単純な事例もある。リビアの独裁者、カダフィは、散々乱暴狼藉をはたらいていたが、ある時、英米空軍の突然の猛空襲を受けた。よほど凄い攻撃だったらしい。以来、カダフィはおとなしくなった。これもまたわびしい。ぶん殴られておとなしくなるのでは、ちまたの悪ガキと変らない。
  こうして見た場合、北朝鮮はどの部類に入るのだろう。強がりを言っているが、いま、この国に必要なことは大国に攻め込ませる口実を作らないことだろう。中国が味方のようでも、昔とは違う、中国はアメリカと親密な経済関係がある。その程度のことは分っているのだろうが、この国は外見だけは誇りが高い。この誇りの高さがこれからこの国の不幸のもとになるだろう。

  ところで、いま現在、北朝鮮のほかに知りたいことがある。 私たちの世代は毛沢東の著書を読んで感心した世代である。毛沢東の革命論の基底をなすものは人民戦争である。革命は人民の海に守られて成就する。人民が味方になって勝利する、というものだった。これは民主主義の原理と基本精神とも一致する魅力ある論だった。 いま不思議なのは、イスラム諸国ではどうなっているのかということだ。イラクにせよ、アフガニスタンにせよ、いま、これらの国で起きている事態は、外部からの軍事干渉であり、自国内の革命運動とは違う。しかし、毛沢東の論は、日本軍との抵抗戦争においても生かされていた。これらイスラムの国でアメリカはずい分手を焼いているが、タリバンや、反米武装勢力は人民に支持されているのだろうか。ここが知りたい。テロで多くの自国民を殺す勢力は、それでも人々の支持を得ているのだろうか。そうでないとするなら、毛沢東の理論はここでは当てはまらないことになる。有限なものだったということになる。この点を説明してくれる評論家がいない。中東問題に詳しい大野さんという人もこのことにふれない。宗教という要因が中国革命とは違って大きな命題になっているのだろう。その程度は推察ができるが。

 このことは、北朝鮮の事情にも関係する。もし、万一、外部の「解放軍」があの国に攻めこんだ時、「北」の人民はどう出るのだろう。あんなにひどい政府でも、その時は一体になって人民戦争で抵抗するか、それとも「解放軍」を歓迎するか。普通のこれまでの多くの例では、自国の政府が気に入らなくとも、侵略を受ければ、外国軍と戦うというのが通例だった。聞くところによると、「北」の人たちは、暴政に抵抗するすべがなく、戦争をしてもいいから、いまの政府を倒してほしいと言ってるとも聞いた。この辺どうなのだろう、専門家、報道人にはこういうことを解明してほしい。

2009.06.12.金 晴 町田

 
朝から晴。気温も上昇。梅雨はどこかへ行った。

 人は生まれてきた年代によって歴史的出来事の経験が違う。これは当り前のこと。三歳頃はまだ物心というものがついた時期か、つきつつある頃か、あいまいな頃ということになるだろう。しかし、その後成長を続け、小学校の中学年、高学年頃になるとかなり社会の出来事にも理解度が出来てくる。その頃になると、自分が物心がつかなかった頃のことまで、周囲の話題からさかのぼって追知識を持つようになる。
 1933年といえば、昭和八年。私は三歳だった。この頃の時局の動きなど分るはずがない。しかし、長ずるに従い、各種報道、周囲のオトナたちの話から、さかのぼって出来事を知ることになる。
 この年、欧州ではナチスがドイツで政権をとることになる。ヒトラーは首相になった。日本では、満州国の建設。それに対し、国際社会の反発。日本は国際連盟を脱退することになる。歴史の記録には・・・・

 1933年(昭和8年)2月24日の國際連盟総会は、リットン報告書を承認し、「満州国」を不承認として、日本軍の満州撤退をもとめる対日勧告案を採択した。42対1(日本)、棄権1(シャム:現タイ)の大差だった。日本政府は、採択された場合は連盟を脱退することをきめており、外相、松岡洋佑は総会の決議後ただちに、「決議は遺憾で、日本は連盟を脱退する」、とのべ、日本語で「さようなら」とむすぶと、日本代表団をひきいて退場した。
 この出来事がニュース映画で報道されると大部分の日本人は松岡のタンカに快哉と拍手を送った。世界を前に大見得を切ったのだから痛快に見えた。しかし、これは遅れて来たファシズムの登場であった。その後の歴史と経過はいまでは世界の常識となっている通り。

 最近の北朝鮮の行動を見るとこの頃の日本の姿を二度見るような気がする。孤立して意地を張ってみてもどうなものでもなかろう。もっとも、本当のウラは、こういう国を挑発して自滅の道へ誘導する巨大勢力があるということだ。日本もドイツもその手に乗った。いまも、そういう世界勢力は本当は、何を意図し、どこへ誘導しようとしているか見当がつかない。相手が到底飲めないような要求をつきつけて、孤立の道へ追い込み、獲物にとどめを刺そうとする。
 「北」は、前回、核実験をしたといわれるが、アメリカの偵察機が何日経っても放射能が採取できないそうだ。火薬を大量にまとめて核爆発らしく見せたのかもしれない。切ない話だ。出来損ないのミサイルを飛ばしても誰も驚かなくなった。自分の手持ちの兵器が減るだけ。余り追い詰めると暴発するという人もいるが、アメリカはそれを待っているのではないか。二人のアメリカ人女性が北朝鮮で裁判にかけられた。「北」はこれをカードに使うだろう、という人がいるが、私は反対に見ている。アメリカ政府は自国の世論を誘導するためにこのことを利用しようとするのではないか。真珠湾の艦隊は政治的目的のために犠牲にされた。政治とはそういう冷酷なものだ。高校生以下の見識の政治評論家がいる。

2009.06.11.木 雨のち晴 町田

 
梅雨入りかと思ったが、昼頃から雨はやみ、夕方から陽がさしてきた。

 来年七月初演予定のおおがかりな編曲の仕事の構想を考え始める。編曲は意識転換にはつごうがいい仕事だ。
 今年は忙しい。九月から栃木県ピアノ・コンクールが始る。予選はいいが、本選には自分の曲が課題となるので審査に立ち会わなければならない。九月には、新作の歌曲集「薔薇の町」の初演。京都の長岡京。午後二時開演だから、日帰りの予定。金子みすヾの詩による歌曲集は、「夕顔」に続いて二作目となる。11月30日には、劉薇さんのリサイタル。日本作品によるCDを発売するので、その記念でCDに収録した曲を演奏する。「竜舌蘭」が演奏される。録音は七月だそうだが、これには立ち会うのかどうか、近日、そのほかの話もあるので劉さんに会うので聞いてみることにする。私は、こういう時、なるべく立ち会う方針でいる。Violinの新作「美しき夕暮れ」の初演も劉薇さんに依頼している。劉さんはおおいに乗り気になっているが、日本音楽舞踊会議の演奏会が12月7日、これではリサイタルから一週間しかない。来年五月の会の公演まで待った方がいいかもしれない。こんなことも話し合う予定。10月26日には、ピアノ曲の新曲、「吹く風を・・」の初演。広瀬美紀子さんによる。2007年4月に完成した曲だから、すでに二年を経過している。これら全部を実施すると、10月26日、11月30日、12月7日、となりあまりに過密かもしれない。

2009.06.09.火 曇ときどき晴 町田

 
小山清茂さんが亡くなった。

 95歳とのこと。ずいぶん長命であられた。小山さんは、私たちが芸大一年生の時、文部省の委託生ということで私たちの教室に参加され、池内先生の指導を一緒に受けられた。計算すると当時38歳であったことになる。一年生は通常18歳だから、20歳若い人たちと一緒に勉強しておられたことになる。無口な人だったが、段々日数だたち、学生食堂でお会いすると声をかけてくださるようになった。実にさわやかな方である。年齢差などまったく気にかけず、若々しい議論をしておられた。卒業するといよいよわけへだてなく、NHKの廊下で、音楽会場で談論風発実に愉快だった。小山さんは自説にこだわることがない人だった。音楽観にせよ人生観にせよ、自由で排他的な所が一切ない。電子音楽、電子音にもすすんで取り入れようとする姿勢である。年輩の人にありがちな、偏狭な民族主義もないし、新しいものへの理屈ぬきの嫌悪、そんなものがまったくない人だった。それだけに言うことには理があり、年齢差、年代差など忘れて傾聴してしまう話をされた。
 三枝茂章君の父上がNHKの大物だったので、私が結婚した翌年の年始に三枝宅を年始訪問した。その時、小山さんもきておられ、その他五六人で酒宴となり、かなりきわどい話もされた。小山さんには、よくあるように、信奉者が右翼団体みたいにつきまとうことがなかった。小山さんの合理主義がこういう人種を形成しなかったのだろう。こころよい生き方である。

2009.06.08.月 曇 町田

 
快晴は昨日だけ、今日は朝から曇天、多分夕方から夜は雨になろう。明日は快晴らしいが、これでは入梅と同じ。

 いまからはるか50年前、朦朧として聴講した加藤成之先生の「ラオコーン」の話がなぜ頭に残っているか。人の意識は不可思議というほかない。
  「ラオコーン」とはギリシ神話の中の英雄で、海竜に襲われ、子供とともに絞め殺された。その場面を描いた彫刻が1500年代の始めにローマで発掘された。

 その彫刻が何故問題になったか。18世紀にドイツの哲学者で美学者の大議論のもとになったから。ウィンケルマンという人の説にレッシングという人が異説をとなえた。おおもとの面倒な話はあらかた忘れたが、この彫刻は、英雄ラオコーン父子が、恐怖と死の苦痛を受けているその頂点をありのままに描くことをせず、その少し前の瞬間を捉えた故に格調高いものになった、という説から始って、彫刻、美術は時間の経過が描けないので、抑制された描写こそが美を生む、という、どちらも余り違わないように思える説の議論だったように思う。
 私が、いまになって妙にこの話を思い出すのは、芸術は、「ありのままに」、「現実から目をそむけずに」、描くべきではない、という自分自身の美学と重なるからだ。芸術は現実を描くべきではない。現実をなるべくそのままに描きたいのなら、現代では、映像、音声の記録技術が発達しているのだから、そちらの仕事ではないか。芸術の中でもことに音楽は、現実そのままを描くべきではない、という思想が堅固な美学として私の中にゆるぎなくある。
 だから私は手塚治虫のアニメが嫌いだ。現実が入ってくるから。アニメは夢を語るべきだ。芸術はすべて夢を語るべきだ、というのが私の信念である。絵空事を描き、歌うことこそ芸術家の社会的使命である。それゆえに私はリアリズムに断固として反対する。難しい話なので、この先は興が乗った時にまた書くことにする。いまは衰退したが、一頃の現代音楽の一部の風潮であった、不安と危機感をことさらあおるような音楽に私が反対する論拠もここにある。

2009.06.07.日 晴 町田

 
ようやく陽光が戻ってきた。梅雨には入っていないはずだが、雨の日は気分だけでなく、カサが邪魔になり不便。おかげで更新が遅滞。昨日は二時から来年の仕事の打合わせ。一時間半ほどの会談だったが、デパート内の喫茶は土曜日の午後ということでひどい混雑。うるさくてかなわぬ。次から場所を替えることにした。

 昨日、土曜夜の12ch、「美の巨人たち」は、アメリカの画家、Robert Heindel。バレーの踊り手をひたすら描いた人。現代のドガといわれるそう。昨日の一枚は、男と女の踊り手が組合い天を仰いでいるポーズ。この人は長男が若年性ガンに冒されて、30歳で世を去った。画題は「メシアを待ちながら」。奇跡を祈願する心を描いたものだろうか。悲痛な訴えと祈りが見る者の心を打つ。
 踊りの場を描いた人は、昔のドガもそうだが、オーケストラの画、練習場の光景なども画題になると思う。こういうものを描いた画家はいない。三岸好太郎に「オーケストラ」という画がある。なかなかいい。室内楽でもいい。練習の一場面でもいい。芸大の美術学部はとなりが音楽なのだから、手近に題材があると思う。そうい画があっていいのではないか。

 ところで、学校の講義というものは、単位習得のために、その気がなくても聴講するものが少なからずある。しかし、居眠り半分でも耳に入った話というものは後々まで役に立つものがある。昔、自動車教習所で法規の学習をした時、最初に先生が語った。耳から入る知識情報というものは、書物から目で読むものより数等倍意識に深く入る、と。だから学校商売はなくならないと冗談を言った。聴覚は視覚より意識の入力度が強いということ。これだけでも音楽のあり方にもかかわる。
 芸大で私は美学を聴講した。講師は加藤成之先生だった。当時は学部長でもあられた。おだやかなお人柄の反映で、おのずと睡眠を誘うような語り方だったが、その中でいまも記憶に残っているものがある。
 その一つは哲学の部門分類だった。哲学は大きく分けて三つの部門に分れる。本体論、認識論、価値論。そして、美学は価値論に入る。そういうことだった。これは後々まで、ことあるごとに参考になり役にたった。いまも役に立っているし、評論家の批評などを読むたびに思い出してこのことが気になることがある。先生は、これは古典的な分類法であり、いまは実存主義などの別の分類もあるが、まだ古典の有効性がなくなったわけではないので、ここでは古典の方式を紹介すると注釈も付加された。ウ゛ィンデルバントの所説だそうだ。いまあらためて調べたら、Wilhelm Windelbandは1848−1915の人だ。大正時代の始めまで生きていた人だから、当時まだその説は古くなかったのだろう。いまも有効ではなかろうか。
 もう一つは「ラオコーン論争」の話。これはややこしい話なのであとで書く。これも今頃になって自分の問題として浮上してきた。

2009.06.02.火 晴 町田

 アメリカの自動車メーカー「GM」が倒産した。事実上ツブレタといっていいのだろう。巨大も巨大、従業員の数が多いことは経営の合理化のいまの時代では自慢にならないが、ひと昔前は企業の規模を表わす数値だった。その当時、GMの従業員数はニュージーランドの人口と同じと言われた。アメリカの生産力と物量に圧倒された太平洋戦争を子供ながら経験した世代としては無量の感がある。要は、大きくなり過ぎたのだろう。巨大恐竜の運命に似ている。しかしまた、アメリカという国は、倒れてもしたたかに立ち直る強さも持っている国だ。失敗してそのまま引き下がらず、やりなおし、修正を重ねて、ついには目標をものにする。今度もどうなるか。意外なしぶとさを見せるかもしれない。そんなことも考える。


 ところで話はずっと小さくなるが、第三種郵便談議の続き。

 三種郵便には本体以外のものを同封してはいけなかった。しかし、定期購読者には購読料切れの予告ハガキと送金用の郵便振替用紙を同封して入れていた。これはおとがめがなかった。監督官庁が知らないわけがない。こういう所はけっこう物分かりがよかったのかもしれない。
 定期購読は一年と半年の二種類あった。購読料が切れる三号前の号から、誌代切れの予告のハガキを入れる。これは印刷されて定型化されていた。それと郵便振替用紙。これは雑誌経営の一部をなすものだから、監督庁はそのことを理解してくれたのだろうと思う。

 いまは図書館も検索はコンピュータ化されているが、昔はカードで探した。私たちの雑誌も往時の図書館のようなカードを作り、年、月割りの目盛りが書き入れてあった。一人一人の読者についてのカードがあり、購読料期間に横線が書き込まれている。そして、期限切れの月別に、図書館のカード箱のように整理されてあった。見出しがついていて、「×月切れ」「××月切れ」というように月毎に並べてあった。六月号で切れる人のカードはは、「六月切れ」のカードの所にあり、それを抽出して、対処する。

 振替用紙は青色用紙だった。赤色用紙は振込料が加入者負担だが、青色用紙は振込人負担である。申し訳ないが、当時の私たちにはこの負担力がなかった。読者には、事情推察の上、ご協力を乞うていた次第。

 1980年代の始めだったろうか。認可の条件がきびしくなり、企業が宣伝のために無料で発行配送している冊子のたぐいは認可されなくなった。音楽出版社が出していたPR誌が二社とも廃刊になったのはこの時である。実は、当時、私たちの雑誌も条件すれすれの実情だった。幾らか水増しして報告していた部分もあったのだが、当局は分っていなかったか、分っても見逃してくれたか、おとがめはなかった。私は内心、政府もなかなか善政をするものだと感心した。これは当時の正直な感想である。
 三種の割引は多大である。私たちの雑誌も経営が難しくなり、発行回数を減らすことを考えたこともあった。しかし、月刊を隔月刊にしたり、季刊にしたりると、三種が適用されなくなり、送料が跳ね上がる。経費の低減部分は消滅してかえって月刊よりも増えることが試算の結果わかった。しかし、こうした事情は数十年以上前のことである。現在は民間の配達業が発達したので、第三種が適用されなくても、以前のように送料が跳ね上がることはなくなったかもしれない。現在の経営状況については私はすでに引退したので分らないが、こうした運送事情の変化を踏まえて波乗りをしているのだろう。

2009.06.01.月 曇 午後にわか雨 町田

 
28日から昨日まで四日間仕事場に来れなかった。サイトの更新もお預け。

 28日木曜は、夜六時から、日本演奏家連盟、演連の懇親会が東京会館で。ことしはお天気がわるいせいもあるか、昨年より出席数はふるわにかったよう。ただし、今年の栃木県ピアノ・コンクールの主催者、宇都宮の川名雅美さんにお会いするという奇遇があった。いままで直接のご面識かなかったので予期せぬ好運だった。人の行動というものは何が待っているか分らぬもの。栗林義信君ともひさしぶりに歓談。作曲の湯山昭君とも。栗林君は芸大同期、湯山君は一期上の先輩。青春の友は生涯の友。社会に出てから利害関係が出来る前の友人は終生へだてなく交際できる。

 29日の金曜夜は、大久保靖子先生と添田里子さんと会食。近所のフランス料理店。楽しかった。歩いて往復できる駅前の店はなんとも便利。大久保先生のみ世田谷線でご来駕頂いたが、この電車はすぐに終点に着くので余りお疲れにはならなかったと思う。

 30日は午後三時からのマチネで王子ホール。大谷泰子さんたちの弦楽四重奏演奏会。矢代秋雄作品はひさしぶり。Shostakovitchの二番がすごかった。
 昨日は、午後二時から「Trotta」の会、若い人たちの作品演奏会。橘川君の曲まで聞いて出る。新宿だったが、出たらすさまじい豪雨。しばし近所のビルへ避難。東京医大前からバスに乗る。バスがなかなか来ない。中年の紳士がタクシーを止めようとするのだが、どういうわけかタクシーは無視して通り過ぎる。気の毒だった。この人はついに歩いて行ってしまった。豪雨のため、運転手にも見えなかったのだろうか。にわか雨の客は近距離と見て無視したか。この会は、穏健な曲が多かった。ひと時代前のきちがいじみた自称「前衛」は消えた。いいこと。

 最新のピアノ曲「友禅」が仕上がったのが27日だから、まだ五日してたっていないが、今回は休みたい。目的意識に常にとりつかれている意識の状態は、これはこれで平常とは違う不自然なものがあるように思う。人は時に一切の目的意識から自分を解放して、休息というか、眺めるというか、充電でもあるのだろうが、みずからを受身の場に置いてみることもいいし必要でもあるのだろう。

 
28日から折しも悪天が続いた。今日からよくなるとの予報だったが、午後またにわか雨。ヨドバシ・カメラで商品見立てて出たら、またもや豪雨。マンションまで近いので走る。

2009.05.27.水 曇とどき晴 町田

 郵便制度を悪用した事件が報道されている。 一般の人には身近ではない事情だろうが、第三種郵便の割引制度の悪用である。「音楽の世界」という小月刊誌の経営に従事してきたので、このことについては深刻な経験がある。

 第三種郵便とは何か。普通に私たちが出している手紙、葉書は第一種。第三種郵便とは割引制度である。対象は幾つかあるが、社会の公益に資するもの。月刊以上の頻度で規則的に発行しているもの、障害者などの福祉目的の刊行物、その他もあったかどうか忘れた。いま事件になっているは福祉刊行物を偽装である。

 しかし、この第三種の認可というものも簡単には得られない。「音楽の世界」の場合は、先輩世代の小宮多美江さんが尽力して取得した。割引率はかなりのもので、私たちの雑誌の場合、普通に出せば、180円くらいのものが確か68円くらいになった。記憶は正確ではないが、だいたいそんなものだ。三分の一に近い値段でなってしまう。たいへんな割引である。

 しかし、これだけの割引制度であるだけ、その資格審査はなかなか厳しかった。封筒には本体以外のものを同封してはいけない。どんな人でも見たことがあるだろうが、時々週刊誌などの雑誌に、ハガキが「綴じこみ」で綴じられていることがある、これは、本体の一部になれば「おとがめ」の対象にならないからである。ある時、私たちのスタッフが、音楽会のチラシを同封したことがあった。見つからないだろうと甘くみたのである。たちまち、おとがめが来た。書類か呼び出しか忘れたが、事務局の者がひどく叱られた。「こういうことをすると認可を取り消すぞ!」と言われた。雑誌の表紙の上に「××年××月第三種郵便認可」と毎号印刷する。封筒は中が見られるように、封筒の上部を五センチほど開けておく。開き封である。

 最初に取得する時はもちろんだろうが、これは私は知らない。しかし、取得後も定期的に検査があった。毎月、九月か十月頃だつたか。これは、当時、担当していたから身にしみて覚えている。郵政省からおそろしく複雑な書類が送られてくる。煩雑な各項目にすべて書き込んで指定の書類物件を添付して、期限までに最寄りの本局に提出する。いま思い出してもうんざりする。当時は毎年あった。申告書の最初に、「この割引制度は、普通の郵便代金を支払っている人たちの負担の上で成り立っている、故にその資格は厳しく審査する」、と書いてあった。なるほどと思ったものだ。審査される箇条は細かくは忘れたが、発行部数、有料販売の比率、卸店の一覧。各店への出荷部数、本当に出荷したかどうかの「送状」のコピーの添付。最近数ヶ月の本体の物例。その他、などなど。そのどれも、ただ書き込むだけではだめて物証を添える。発行部数の場合は、印刷所の領収証など。これをどれだけ本当に検査するのか分らないが、抜き打ちで検査されるかもしれない。そう思っていなければならなかった。認可の許諾通知が来てほっとする。

 ところが、この審査が少しずつ甘くなった。回数が減ってきた。毎年が隔年になり、三年置きになり、五年おきになった。いまはどうなっているのか知らない。いわゆる「規制緩和」の一部なのだろう。小泉「改革」以来、さらに質量ともに甘くなったのだろうと想像する。そういうことが今度の事件の背景にある。

2009.05.26.火 快晴 町田

 今日も快晴、去年の日記を見ると、天候がよくない日が多い。今年は好天にめぐまれているようだ。雨も必要であることは分るが、やはり晴の方がいい。自転車は雨が苦手。自転車の苦手は雨と上り坂。しかし坂の方は新しい電動式で抵抗は大きく解消された。モーターが飛躍的に改良され、よほどの坂でも抵抗なく登る。

 この頃の言葉の乱れは段々ひどくなっているが、一番頻度が高く違和感があるのは敬語の誤用乱用だ。なかでも、「らっしゃる」の乱用誤用。この敬語表現は、特定される人格にだけ使う言葉で、誰だか分らぬ人、anonymの対象に使う言葉ではない。「公園でお弁当を食べている人がいる」、これを、「食べていらっしゃる人が・・・」、というのは誤りである。

 昨日はとびきりの傑作に遭遇した。図書館からの電話。「予約していた図書が届いた」、という知らせなのだが、「予約されていた本が届いていらっしゃいます」、と言った。一瞬、余りの可笑しさで受話器を落としそうになった。喜劇的過ぎる。
 ラジオ、TVでの語りがすでにおかしい。「バスを待っていらっしゃる方たち」、これは誤表現。「バスを待っている人たち」、が正統な日本語。「方」も誤用。「方」は「人」よりも相手を格上げした表現。やたらに格上げをすると、その言葉の格上げ機能が低下して、本来の敬語として使う言葉がなくなってしまう。安売りすると物の値が下がるのは言葉も同じ。だいぶ昔のことだが、若い人の仲人をした。打ち合わせの時、新郎の青年が自分の親戚の人物について三人称として「方」を使ったので間違いであることを指摘しておいた。「らっしゃる」、は「っ、ゃ」、の飛び音が耳障りで不快きわまる。

2009.05.25.月 快晴 町田

 
昨日は夜遅くから雷をともなった雨となった。この予報は当り。

 大相撲は日馬冨士が初優勝。この人は大関になった時、負けてばかりいて位い負けではないかと評判されたが、こんどは本当に強かった。当人も嬉しいだろう。それにしても、外国人力士が多くなった。これは相撲が外国人に占領されたのではなく、相撲が世界のものになったということだ。西洋音楽に参入するヨーロッパ以外の国の人が増えたのと同じこと。気を大きく持った方がいい。

 北朝鮮が、こんどは核実験をしたそう。
 何を考えているのかこの国は。アメリカの気をひこうというのだろうが、オバマ政権はまったく態度を変えない。核実験をしようが、出来そこないのロケットを飛ばそうが、国の力というものは経済力を含めた全部の総合力を意味する。それは、私たちの世代が、この前の戦争、太平洋戦争の時に、子供心にも、痛く、この上なく手ひどく教えられた。強い、弱いは、国力の総合から決まるということ。自国民も満足に食べさせられない国の国力と何か。ばかばかしい。評論家の中にもそのことが分らず、北の力を過大視する愚かな人たちがいる。世代が替り、私たちより後の世代はあの戦争が教えたことが分らない人が出ているのだろう。北は墓穴を掘る。当然のことだ。

 インフルエンザの騒ぎが下火になりそうだ。けっこうなこと。インフルエンザは昔からあった。私たちが子供の頃は「流行性感冒」と名付けていた。別に人が死ぬような病気ではない。流行で恐ろしかったのは天然痘だ。私が子供の頃流行して命が縮まるほど恐ろしかった。自分が小学生くらいだったか、折しも私が風邪をひいて寝込んだ。天然痘ではないかという家族の恐怖はたいへんなものだった。こんどのインフルエンザ馬鹿騒ぎはくだらない。政府与党の人気とりであることは見え見え。子供でもそう言ってる。末期とは浅ましいもの。滅びるものは滅びる。何をしてもだめだ。そういうことを歴史の必然という。

2009.05.24.日 小雨 町田

 
昨日、23日の土曜は近年まれにみる多事多忙出会い重複連続の日だった。

 まず、狛江Orchestraの定期公演が午後二時から、いつも出席して交友しているが、昨日は、その前に私に会いたい人がいるという渡辺文子さんのmailがきた。なんでも、学生時代、目白にいた頃のことに関わる人だそう。会ってみたら、昔、作曲科の先輩、永富正之さんが近所で下宿していたうちの家主さんのご子息だった。当時はまだ小学生だった人、いまは日立製作所を定年でやめたばかりのそうだ。半世紀以上昔の話をいつまでも語りあった。長生きするとこういう神様の取り計らいのような出会いがある。

 狛江のOrchestraは前半だけで中座して出る。それから、上野の芸大へ。同窓会の懇親会。ここでは、また別件の出会いの約束がある。一年先輩の邦楽の大家から邦楽の大合奏をOrchestraつきに編作してほしいという話。はじめて会見対面した。一時間ほどで、お弟子の案内で池之端のホテルへ。さらに一人加わり、四人で出会いの挨拶と仕事の概要についての用談も含めた会食。時が過ぎるのも忘れた。そもそも同窓会の懇親会でビールやワインをある程度仕込んでいるので、その上には余り飲めない。肝心の話がもうろうとなってはまずい。
 解散後は、タクシーでお茶の水まで。帰る。

 こういう出会いの連続であると、頂いた名刺の整理、mail addressの整理、あとあとも大仕事。それに、この頃はめったにこういう多彩な社交はないから、心理的に興奮状態になる。今年から来年にかけては大仕事が次々と舞い込む。世間様が使ってくれることは有難いことだ。神様に感謝。健康だけが気にかかる。無事な一日を天から頂いた日は大切に使うことにしよう。

2009.05.22.金 晴 町田

 
昨日、21日は深沢亮子さんのリサイタル。私の「ソナチネ」を演奏してくれた。今度のリサイタルは「思い出に残る曲」というタイトル。Mozartの「デュポール変奏曲」、Beethoven「Waldstein」、Chpin、マズルカとワルツ、「幻想即興曲」などの曲目だった。会場ではいろいろな人に会う。アンコールでまた、私の「三つの小曲」を演奏してくれた。音楽は音になって人の耳に入ってはじめて存在になる。演奏してくれることは感謝のきわみ。「ソナチネ」は1975年の作、すでに34年前の曲。人間の子供で34歳なら、息子でも娘でもすでに孫がいる歳だ。自身の人生を歩いている年齢、いまさら親が子供あつかいする歳ではない。成人に成長した二代目に会う所感。

 Chopinの「幻想即興曲」。かつて山本薩夫の映画「戦争と人間」の中で、戦慄する場面があった。昭和14年、ノモンハン事件で、北大路欣也の兵士がソ連の戦車に押しつぶされそうになる。画面いっぱいに巨大な戦車がのしかかる、突然、この曲が炸裂するように鳴り響く。彼の富豪の生家で姉がひいていたことを思い出す。人は死ぬ前に何かを思い出すという話から出来た画面だ。恐ろしいものと美しいもの、巨大なものと可憐なもの、荒々しいものと優雅なもの、対象が美を生み出す。対象の原理。ハプスブルクの陰謀とMozart、井上靖の「氷壁」の中で、美しい人妻を氷壁の前に立たせたかった、という表現、すべて対象の美学だ。

 二日前から電車の中で読む本を替えた。外国の音楽出版社の雑誌。旬刊くらいで発行されるものだろうが、いままでは余りかえりみなかった。それを数日前に電車の中でたわむれに読み出したら、これが途方もなくおもしろい。
 この雑誌の話とは別に、外国語の学習についていろいろな方策がいわれている。手間を惜しまず辞書を引け、というのが私たちより少し前の世代までの教訓だった。しかし、辞書をひかずに読んで、分らない単語はそのまま放置、あとで全文から逆に想像する、そのあとで、分らなかったあの言葉はどういう意味だったかと推察の努力をする。これもなかなかいい学習の仕方ではないだろうか。
 とはいえ、いまの学校型の勉強では、「以下の文を訳せ」、式の型をとる。そうなると、分らない語があること致命的で減点される。だから、懸命に辞書をひく。そのため通し読みは中断される。この方法をやめようと思ったということだ。
 ヨーロッパ言語でもドイツ語は短い言語単位の接続で出来ていることが多い。想像をたくましくすれば、なんとか何をいってるのか推察が出来るようになるものだ。これでいくことにする。学校型の成果をあげる必要はいまや全くない。
 シュリーマンという人。古代トロイ遺跡の発掘をした人。毀誉褒貶あるらしい。ただ、外国語習得の要領というものは気になる。翻訳せずそのまま受けとれ、ということ。これはいまの学校学習の方策と相容れない。

2009.05.20.水 晴 町田

 山本五十六提督撃墜事件のこと、さらに注目することがある。

 アメリカ側は、撃墜という目的を遂げたわけだが、さらに注意を続けた。それは、暗号を解読したこと自体を日本側に気づかれないようにすることである。暗号を解読することは至難の業である。数学者や語学者を動員して長期にわたって苦難の作業のあげく達成した。解読されていることを知ったら日本軍が暗号を替えてしまう。そうなると、いままでの苦労が水の泡となり、また始めからやりなおしになる。だから、解読したことを気づかれないよう知恵をしぼった。
 日本側は注意してアメリカのラジオ放送の可能な限りの電波を聴取して、ニュースを聞いた。ところが、どの放送も戦況の報道はしているが、山本提督撃墜のニュースは一切しない。ソロモン群島で日本機との交戦があった、というだけである。政府が報道管制を敷いたのである。日本側は、アメリカにとってこれだけの大戦果がまったく報道されないということはないのだから、暗号の漏洩はなかったのだろう、偶然だったのだろう、ということに落ち着いた。これでアメリカは二度勝利した。
 撃墜のため戦闘機P38が30機くらいが動員されたが、翌日も、翌々日も、連日、「用もないのに」その日と同じくらいの機数のP38を、同じ頃の時間帯に動員して、その辺をパトロールさせた。あたかも偶然だったように見せた。「用もないのに」という言い方は阿川弘之の小説の表現である。

 暗号戦ということでは、先立つミドウエイ海戦でもそういうことがあった。日本軍はミドウエイ攻略という大作戦を進めつつあった。アメリカ側も日本軍がどこかに攻めてくることは推察していた。それがどこか分らない。北のアリューシャンかも知れない。この当時アメリカ軍はまだまだ劣勢で、日本海軍の方が、質量ともに圧倒的に強かった。守る側のアメリカ側は応戦準備に懸命である。日本軍はミドウエイをFという暗号で表わしていた。Fとはどこか。国運をかけた難問である。アメリカ側は日本の暗号を解読していたが、Fとはどこか、という暗号の中の暗号が分らない。どうもミドウエイらしいとは思われるが決め手はない。そこでアメリカ側は一策を講じた。ミドウエイから、故意に傍受されるように電文を発信した。それも暗号文でなく平文で出した。「浄水器が故障して困っている」と。これを傍受した日本海軍の偵察機がただちに、「Fは浄水器が故障」と本隊に送信した。間抜けなことをしたのである。これをまた傍受したアメリカ側は、「F=ミドウエイ」という決定的解答を得た。森村誠一の小説「ミドウエイ」によると、「浄水器が故障」というアメリカの電文が暗号ではなく、平文で打たれたことに疑問を持った人が日本側にいた。アメリカ生まれの二世の女性職員である。アメリカ人は合理的だから理由のないことはしない。この電文だけを平文で打ったのには何かわけがある。ワナではないかと。しかし、日本側で耳を傾ける者はなかった。
 
 日本は電波兵器の開発がひどく遅れていた。レーダーの原理を発見したのは日本の八木博士であるにもかかわらず、これを顧みず放置した。対米戦で、遅ればせながらも開発に苦心し始めたが、軍人の中には、そんなものは卑怯者が使う道具だ、と蔑視したものもいた(「死闘の本土上空」渡辺洋二・文春文庫)。
 その昔、楠正成は知略知謀の奇手で千早城を守り圧倒的な北條軍を翻弄した。知恵の戦いの伝統は日本にもあったのに。戦いは知能戦である。武器や兵力だけではない。

2009.05.19.火 曇 町田

 アルゼンチンの作家、ルイス・ボルヘスの短編を読む。

 南米の作家はこういう特異な作風の人が多い。どういうわけか。ボルヘスの詩にピアソラが作曲した。それがボルヘスには気に入らなかった。タンゴはいかにあるべきかについてボルヘスはピアソラに延々と論じたそうだ。タンゴの大家であるピアソラに説教したというので、この話は評判になったそうだが、私にはその言いたいことが推測できる。タンゴは民族本来の音楽であるはずなのに、ピアソラは外来の要素を持ち込み、もとのものと違ったものにしている、ということだろう。それは私たち日本の作曲する者にとっても同じこと。日本民謡、日本を土台にした音楽、現代邦楽も同じ、昔からの原物とは違うものを混合させていることは間違いない。これが純粋性を損なっているといわれればその通りだ。しかし、「アルゼンチン的なものを超えることこそアルゼンチン文化の伝統」、という思想からすれば、それもまた「伝統」のもたらす結果ではないのだろうか。至難な問題だ。

 話変るが、太平洋戦争のさなか、日本海軍の連合艦隊司令長官だった山本五十六元帥(当時大将)が戦死した。
 南太平洋の前線視察のため飛行中、ソロモン群島、ブーゲンビル島上空でアメリカ空軍の待ち伏せにあって乗機が撃墜された。1943年4月18日のことだった。この時のいきさつについて、だいぶ前に「文芸春秋」誌にアメリカ側の詳しい経過の記録、いきさつ、経過の説明というべきものものが掲載された。当時のアメリカ側からの報告と真相の打ち明けである。この事件については、阿川弘之の小説、「山本五十六」に詳しく書かれている。しかし、それは主として日本側の動きであって、アメリカ側からの真相開示はこの「文春」の文がはじめてだった。

    いまでは周知のことだが、第一の発端は、アメリカ軍が日本軍の暗号を解読したことである。すでに以前からアメリカ軍は日本の海軍暗号を解読していた。しかし、そのすべてに同様の注意をはらっていたわけではない。ある時、日本側が同一内容の電文を多数日本軍前線各地に送信しているのことにアメリカ側が注目した。内容を解読すると、それは山本五十六大将が前線各地を視察することを伝えるものだった。到着時刻まで明記されていた。これはアメリカ側にすれば価い千金の情報であった。事件後、日本側も情報が解読されているのではないかと疑い、電文を発信した経緯について調べた。同一内容の文を同時に多数各地に発信したことが分り送信者は叱責された。阿川の小説にはそう書かれている。すでに情報戦で日本は敗れていたのだが、問題は、解読以後のアメリカ側の対応の仕方である。

 まず、現地軍は現地だけで処理せずワシントンに報告した。ワシントンでは、これをいかに処置すべきかについて多様な角度からの検討が加えられた。それは、実に多岐多様な角度からの研究だった。
 まず、この行為が後世に至るまで道義的非難を受けるものではないかどうかということ。敵の大将を待ち伏せして討ち取る、という行為が卑劣とされて非難されれば、アメリカは戦争終結後も、たとえ勝ったとしても、末長く歴史上負い目を受けることになる。それは道義的な国益の損失である。古代ローマ史、中国、東洋の歴史を調べて前例の如何を研究した。結果はOKだった。
 本題からはずれるが、いま私はこの部分について、ヒロシマとナガサキを想起する。敵将の待ち伏せが非難されないか歴史をしらべたのなら、核兵器の都市への使用が後世どういう反響を受けるか、当然調べてもよかった。もっとも、この経緯についもてアメリカから詳しい内情の書物が出ている。賛否両論はあった。最後は実行派が勝ったわけだが、原因と理由は、核兵器というものが前例のないものだったこと、戦後に対してアメリカの国力を誇示しておこうという国際政治上の意図があったこと。そして、私の私的推測だが、巨大プロジェクトは最終段階では止められないということがあったと思う。このことについてはどこにも書かれていないが、私の個人的、人生経験的判断である。

 山本五十六大将についてワシントンが次に検討したこと。いま私はこのことに最も関心を復活させている。折から現在の日本での時局に関連するからである。
 それは、山本大将を抹殺した結果、よりすぐた人材が登場するのではないか、ということであった。そのため、日本海軍の人材構成について詳細に調べた。結果は、その可能性はないということになった。山本五十六は傑出した指揮官であり、よりすぐれた人材の登場はないと判断された。事実、後任の、古賀峰一、豊田副武、両提督とも、平均的人材で山本に比しては凡将であった。

 感心するのは、ここまでの読みの深さである。目前の目的を遂げることだけ考えて、そのもたらす結果の先の先まで推量する読みの深さ。山本よりもすぐれた人材の出現に道を開く結果になれば、近視眼的な「戦果」は反対の結果を招き、目的と反対の「利敵行為」に転ずる。こういうことは、山本五十六事件だけでない。また、戦時だけのことでもない。平時でもありうる。

2009.05.18.月 晴 町田

 
昨日は午後晴れるかと思いきや、町田は夕方から小雨が降りだした。経堂へ降りるとまだ降っていない。天気は西から東へ移動するので、降らないうちに自転車を飛ばして帰宅。
 今日は、まぶしいほどの陽光と青空、気温もすっかり上がって現在室内が26度。夏の気配となった。

 最近の出来事について、小林秀雄の言葉を思い出した。小林秀雄の本は学生時代すっかり私淑していたが、いま読むと説明なしで断定する所が多く辟易する。若い時は、それが、ご託宣のように思えて敬服していたのだろう。しかし、いま読み直して大いに共感する所もある。「歴史の必然」、ということについて。小林は、短く、「歴史の必然というものは恐ろしいものと私は受けとっています」、と語っている。どこかの講演の中の言葉だった。これには心底、同感せざるをえない。このことは、若い時と反対で、自分も永い人生経験を経てここまで生きてきたからこそ、観念的ではなく、実感として身にしみるものと思えるのだ。

 もしも、あの時、こうなっていたら、というような想像を描いた本がある。もしそうだったら歴史はこう変っていたろう、というふうに綴られる。しかし、小林のいうように、必然ということは人の知恵を超えたもののちからで進められる。あそこをどうしたら、こうしたら、どうだったら、というような、人が仮定の対象としてとりあげて思考できるものではないもの、人を超えたものが要因として参加している。これを神の意思、と言い表しても余り間違いではないように思う。

 どんな人でも、人生の中で、分岐点とでもいうものに遭遇した経験はあるだろう。そのどれかを選択して現在に至っているわけだが、もし、別の選択をしたら、という仮定は、実は、仮定すること自体が無意味ということになる。その時とった選択肢は、その選択肢をとるように出来ていたのである。ほかの選択をしないで、その選択をしただけの不可抗力の、また不可知のちからが働いていたということ。
 こう書くと、若い人は、それでは努力によって歴史を変えるという行為を否定するのか、というかもしれない。努力は無駄かもしれない。無駄でないかもしれない。分らないのだ。努力することは何かの痕跡を残すたもしれない。だから努力はしてみていいだろう。それもまた神の意思の一部ということになる。

 パスカルは、「人は考える葦である」、と言った。考えることによって宇宙を超える存在になりうる、ということだろうが、それでも、にもかかわらず、人は宇宙の中で微細な粒子に過ぎないと考えた。大いなる神のちからの中にあると。デカルトの理性解明を礼讃する思想に対立した。両方の思想が成立しうるのだろうが、自分はバスカルに同意する。カルテジャン、と、パスカリアン、自分は後者だ。

2009.05.17.日 小雨のち曇 町田

 めずらしく昨日の夜半から小雨。午後はやんだが、二時頃からまた少し降ってきた。

 アルゼンチンの作家、ボルヘスの中篇を収録した文庫を借りる。この人は、「アルゼンチン的であることを常に超える、という、アルゼンチン文化の最もよき伝統を実践した人」、と解説に書いてあった。おもしろい表現だ。自分を超えること、自己否定ができること、日本文化に対して自分もまたそう考えてきた。 

 しばらく停滞していた新作が少し進捗した。音の構成を理論的に整備することにより独特の達成感が得られた。創作とは、また、人間とは不可思議なものだ。若い時、論理一点張りで作曲して快感を得ていた。それがやがて行き詰まる。二十歳代の終りだった。いま思い出してもあの時の閉塞感は悪夢のようだ。そしてやがて、正反対に、感性だけに頼る姿勢で創作を復活した。「十七絃の三章」がその最初の結果だった。おそろしく心情的になった。録音を聞いた松村禎三君が、余りに心情的なので唖然としていた。
 しかし、最初期のように、感性を締め出して理性だけで作曲することもどこかかなり強引なことだが、反対に理性を無理やりに締め出して感性だけの姿勢を自分に押し付け、それを持続させることも同じように無理であろうと、いや、あったろうと今思い出す。感性だけの世界に理性を導入すると、幻想だけで出来ている、か弱いいまの世界が崩壊するか消滅するのではないかという不安と恐怖があった。そうならない自信と余裕がしばらく前から出来てきたが、いよいよそれが自信が出来て深くなった、というより、理性を導入しないと不満足を感じるようになった。ようやく両足で立つことが可能になったということか。当り前になることがずいぶんと永い年月をかけたものだ。
 
自分は年齢に比して創作が盛んで有難いことだが、振り返ると、何回かかなり永い沈黙の期間を置いてきた。その分をとり除いて圧縮すれば平均的な人とほぼ同じになるのだろう。いまが普通の人の五十歳くらいではないかと思う。ただこれも、寿命というものがあるから、命次第だ、これからの仕事は。一日ごとに天からあたえられた時間と思いこの頃は仕事をしている。

2009.05.16.土 曇 町田

 
今朝は区の事業で不要な衣類の回収があった。すぐ近くの場所なので自転車で二往復。いまは技術が進んで、これらの衣類も分解再生して、また衣類としてよみがえり使うとのこと。技術の進歩もいいことをするものだ。

 三木たかし、という作曲家が亡くなった。

 同じ作曲家の肩書きの世界にいながら、分野が違うとまるで知らない。そためにこの人を知らなかった。いや、歌だけは知っていると思い、勘違いしていた。三木たかしさんの「時の流れに身をまかせて」という歌がヒットしたそうだが、それを「星の流れに身をうらなって」、という歌と勘違いしていた。調べると、「星の流れ」の方は利根一郎という人の作曲で、終戦直後の混乱期に流行った。まったく別の歌だった。三木さんの年齢が時代と付合しないので調べて分った。

 「星の流れ」の方は知っている。流行した当時よく耳に入っていたし、私がNHKのラジオ・ドラマで音楽を担当した時、冒頭で私の音楽とは別に情景描写としてこの歌が流れる演出だった。なんという題の劇だったか。NHKのラジオ・ドラマは200本以上手がけたので記憶があいまいだ。確か、亡くなった小山田宗徳さんの主演で、独身の風来坊的な若い男性と、頭の弱い善良な少女との交際の話だった。そうそう、「昔こどもだったあなたに」という題だった。切ない話だった。戦後間もなくの混乱期から始まる話で、その冒頭にこの歌が流れた。いまも手もとにカセット録音が残っている。当時NHKドラマ制作の花形だった竹内日出男さんの製作だった。

 この歌、「星の流れに身をうらなって」は、敗戦で満州から引き上げてきた女性の手記がもとだった。その女性は、満州で従軍看護婦として働いていたが、引き上げてきて知る人もなく生活に追いつめられて、ついに夜の女になるほかなかった。その手記は東京日々新聞、いまの毎日新聞の前身に掲載された。作詞の清水みのるは衝撃を受けて一夜で書いた。題は、はじめ「こんな女に誰がした」、というものだったが、占領軍から、反米感情をあおるおそれがある、という文句が出て、「星の流れに」と変えた。作詞の清水みのるは、戦争への抗議と憤まんをこめて一夜で書いた。作曲の利根一郎は、上野の山や地下道に行き、実際にそういう人たちに接して作曲した。だから、「こんな女に誰がした」という意味は、男にだまされた話ではなく、戦争を呪う反戦の抗議と怒りの言葉だった。この歌は、社会的反戦歌だった。

 私が音楽を担当した放送劇の中で、少女は焼き芋屋の小父さんの家に間借りしていた。小父さんから「おばちゃん、おばちゃん」と愛称されていた。しかし、年が流れ、女性も段々年をとっていく。次第に本物の「おばちゃん」といわれる年齢に近づいてきた。そうなると、かえって、「おばちゃん」とは言いにくくなる。そんな場面があった。女性のはセリフで「私、来年四十になります」というのがあった。終戦の頃、17、8歳だったとすれば40歳ということは昭和42年頃ということか。1967年。戦火の中で育った世代だ。私より二、三歳上。昭和25年、私が上京した時、新宿にも銀座にも表通りには屋台が並んでいた。新宿の屋台でネクタイを買った。

2009.05.15.金 晴 町田

 昨日は浜尾夕美さんのピアノ・リサイタル。とてもいい演奏で感心した。堅実に、寡黙に、勉強している人柄が出て、しかも技術は確実、こころよい体験であった。

 ところで、途中の駅の通路に美術展覧会の広告が出ていた。渋谷文化村でのロシア美術展、その中の有名な「見知らぬ人」という絵。馬車の上から美しい女性がじっと見下ろしてこちらを見ている絵。クラムスコイという人の作品だそうだが、作者については皆目知らない。しかしこの絵ば美しい。じっと見つめられると動けなくなるような気がする。一説によると「アンナ・カレーニナ」のモデルともいわれるそうだ。日本ではなぜか「忘れられぬ人」という題になっているが、原題は「見知らぬ人」、英語でいえば「The Unknown」という意味だそうだ。「誰か知らぬ人」、というふうな意味だろうか。

 デパートで、藤島武二の本を見た。私が惹きつけられる「芳恵」という絵が複製で出ていたが、どうも少し違う。もともと原作は見ていなが、TVではかなり大きな画面で紹介された。しかし、昨日の画集では小さなサイズだったので、魅力がだいぶ減少した。大きさにもよって絵のよさも変るのだろうか。音楽でも、録音を再生する際、余りお粗末な器材であるとまるで品格が伝わらないことがある。同じようなことがあるのかもしれない。ボッティチェリの「フローラ」が絵葉書になってはしようがない。
 それにしても、現代は美しい女性像が少なくなった。女の美しさを画くと現代美術でなくなるとでも思っているのだろうか。まさかとは思うが、音楽でも、無調と不協和音で作曲しないと現代ではないみたいな風潮があることを連想する。もうだいぶ薄らいではきたが。汚くて不安な自称現代音楽を作る作曲家たちは女にもてない男に違いない。あんな、音楽ともいえない汚いオトを恋人に聞かせてよろこばれるわけがない。はじめから恋人がいないのだろう。もてない男の仕業とのつきあいは全く以てご免こうむる。

2009.05.13.水 晴ときどき曇 町田

 昨日はふとしたいきさつで上高地の写真を見た。
  
  私は昔、二度ここへ行った。一度目は音楽高校生の時、二度目は芸大一年の時。この時の顔ぶれは、私のほかに、山本直純、のちにその夫人となった正美さん、これまた、のちに前衛作曲家になった篠原真、指揮者の村方千之さん、その他女性が二人。計、女性三人、男性四人。あとから考えればい少なからず珍妙な組み合わせだった。この時のことは、回想記に詳しく書いた。
 いまは道路もよくなっているだろう。マイカーで入ることも出来るだろう。もっともそれだけに、シーズンたけなわの時は、一時、車の乗り入れを禁止しているようだ。あんな所で渋滞など起これば興ざめである。

 上高地で思い出すのは、上高地の手前にあるトンネルのこと。「釜(かま)トンネル」という名、ここは怪談が多い。梓川に沿った狭い崖っぷちの道を行くと、上高地の少し前にこのトンネルがある。途中で「く」の字型に曲がっているので、入り口と出口が同時には見えない。中は真暗である。いまここはどうなっているのだろう。昔は島島からバスで行った。釜トンネルの手前でバスを乗り替える。トンネル内は狭くなるので車体が小さいバスに代る。
 一度目の時か二度目の時か忘れたが、乗り換えの場所が騒然としている。バスが谷川に転落した。乗客を下ろして運転手だけが乗って回転しようと後退して転落した。運転手は救出されたが泣いていた。ショックのための心理だろうが、彼は職業的責任を語りながら泣いていた。問題は客の荷物。客は降りていたが荷物は乗せたままだった。当然、荷物は車体から離れて川の中をバラバラに流されていく。持ち主は衝撃だったろう。あとを追って道を走っていく人もいる。なんとも悲惨で、荷物を失った人は予定を中止した人もいたろう。

 いまはバスだが、昔は当然それもない。さらに冬期、冬山へ行く人はいまでも歩くしかない。釜トンネルの怪談は当然歩いて通過した人の経験である。私は行く前に二つ知っていた。もちろん書物で読んだもの。こんなこと知らなければ恐くないのだが、知っていたから、バスの中でも気味わるかった。後ろの窓から見ることも無気味だった。

 一つは「魂の伝令」と呼ばれ、いまでも現地では残っている話。これは余りに無気味でここに書く気もない。もう一つは、少し他愛ないが、それだけにリアルな話。あるグループが歩いてここを通過しようとした。先頭から一列になって行くから、人数が多ければ列はかなり長くなる。グループの中の人が書いていることである。トンネルに入りしばらく行った頃、自分のリュックを後ろから引っ張る者がある。数回だった。グループの中にこういういたずらをしそうな者がいるので、あいつの仕業だなと思った。ところが、トンネルを過ぎて後ろを見ると、その、やりそうな人は自分よりずっと離れて後ろから歩いてきた。その人はもともと歩きがのろく、いつも仲間から遅れる人だった。だから、この時も一人だけ遅れて離れていたのは当然だった。とすると、あれは何だった?いまさらのように全身鳥肌立つような戦慄におそわれた。
 こんな話を知っていると、バスでも気味わるい。あとで女性たちに話すと悲鳴を上げた。帰路は彼女たちも話を知っているのでバスの中でおびえていた。

 いまあの道路はどうなっているだろう。当時は無論のこと一車線で、バスを小型に乗り換えるくらいだから車の交換は出来ない。舗装などないのは当然である。いまは、拡幅されて舗装も完備しているのだろう。上高地は、本当は徳本峠(とくごうとうげ)を越えて入るのが一番感動的なのだそうだ。昔は釜トンネルの道もなく、人はこの峠を越えて上高地に入った。その頃は本当に聖地という所だったろう。徳本峠からの眺めを写真で見た。聖地は段々少なくなる。人が多くなり、その内に人でなく車が殺到するようになる。しかし、歩いてしか行けない所だったら、私たちも行かなかった。バスが通うよになったから私たちも行けた。昔はよかった、とばかりもいえない。頃合のいい頃を楽しむということになるのかな。

2009.05.12.火 晴のち曇 町田

 
昨日は民主党の小沢代表の突然の辞意表明で驚いた。これを与野党両方にとって、損か、得か、というので諸説出たが、論じる人たちも予想しない出来事に当惑困惑してしどろもどろだった。なぜこの時点で、という謎も浮ぶ。しかし、段々時間がたってくると、これは小沢流の深謀遠慮の果ての計算の結果ではないかという見方が少しずつ出てきた。昨日の小沢代表の記者会見は明朗闊達なもので意気揚揚に近い表情の当人だった。

 昨日の段階での世論の反響は、民主党に有利、自民党に有利、どちらか分らない、という三者が30%台ずつで、三者三分割の状態だった。つまり分らないのである。それが一夜明けると民主にプラスという方がずっと多くなった。小沢作戦のウラが見えてきたということか。しかし、民主党が16日に新党首選出の手順を決めてしまったというので、このやり方に失望する評論家の声が今日の午後あたりから多くなった。自民党のように時間をかけて党首公選さわぎをやって宣伝した方がよかったのに折角の機会を逃した、というのである。しかし、これも少し事情理解に誤りがあるのではないかという疑念が湧く。自民党は、当時、与党で政権党だったから、総裁選もあれだけ時間をかけて騒げたのではなかったろうか。野党の地位にいる民主党は同じ行動がとれというのは無理ではないのか。野党は攻める側である。城砦を攻めている最中に時間をかけて大将の代替りのお祭りセレモニーに日にちをかけているわけにはいかないではないか。鳩山幹事長が新体制の早期構築を急いだことはそう無知で愚かなこととは思えない。

 小沢という人には期待する人と、過去の自民党型の政治家という印象から抵抗感を持つ人と二つあるようだ。これは複雑なことである。昔型の権謀政治家という性質は確かにあるが、それだけに、毒をもって毒を制す、という力量への期待感もあった。政治はきれいごとではない。智謀兼備の智将が必要である。抵抗感を持ちながら期待感も同時に持つという人が思っていたより多かったようで、これは意外だった。
 昨日の会見では、代表は辞めるが政治家を辞めるわけではない、それどころか、一歩下がっていままで通り選挙と政権交代のために尽力するとのことだった。
 秘書逮捕劇というのは下手な検察の芝居だったが、検挙されただけで、もう罪人であるかのように騒ぎたてる報道機関、国民の多くもどうかしている。こんな馬鹿な報道と、踊らされる愚民がいる限り政治はよくならぬ。どの国でも国民はみずからにふさわしい政府を持つものだ。

2009.05.11.月 晴 町田

 
昨日は大方の人は半袖姿だった。今日もさらに気温上がり、湿度も高いようだ。

 12ch、土曜日夜の美術番組「美の巨人たち」、前回は岸田劉生だった。有名な娘の肖像、「麗子の肖像」。自分はどうしてもこの絵は好きになれない。
 実は、この絵だけでなく、岸田という人の絵は好きになれない。絵が暗い。色も暗くて美しいと思えない。こういうものをいいと判断する立場もありうるかもしれないことは、自分もプロだから予想できる。それはそれでいい。自分は自分であるから、自分の美感に正直であるほかない。どうしてこう暗く、美しくない混濁した色を画くのだろう。実をいうと、自分は安井曽太郎の肖像画も好きでない。特に女性の画像は顔がきたない、醜い。女性の顔をきたなく画かないと美術にならないのだろうか。不思議なことである。
 
 しかし、日本画系の画家は女性を美しく描く。村上華岳の「裸婦」像。西洋にもこれほど美しくまた気品ある女性像はない。ダビンチの「モナリザ」ですら、これに及ばないようにすら思える。また、日本画ではなく洋画界の人だが、藤島武二の女性像は心が引き入れられるように美しい。こういう美しさがどうして失われたのだろう。不協和音と無調で作曲しないと時代遅れといわれるのと同じだことだろうか。もしそうなら、こんな愚かで馬鹿げたことはないだろう。美術も音楽も、文学の影響を受けすぎるようになったのではなかろうか。

 芸術もそれぞれの分野で、理念の態度と受持ち範囲が少しずつ違う。現実の一番近くにあるのが文学だ。音楽は一番位置が遠いだろう。文学は説明の世界である。しかし、音楽は違う。美術も違う。説明ではない。見たまま、聞いたまま、の世界だ。それぞれの分野の世界の内的法則と原理も違うだろうし、それが当然である。
 音楽の世界では、「美は快なり」、という鉄則があるのではなかろうか。協和をひきたてるために不協和音を使うことはある。しかし、それは短い時間の経過の中で、不協和から協和への過程がふまれるので美術のような静止固定したものではない。何よりも、聴覚は拒絶できない感覚で、訴求力も強い。いやなら読まなければいい文学や、みなければいい美術と違う。音は耳に強引に入ってくる。耳をふさいだり、聞こえない距離まで音源から離れることはそれだけで迷惑なことである。こういう独特の世界では、美の法則も独自に反省されるべきだろう。

2009.05.10.日 晴 町田

 
今日も好天、気温はさらに上がる。

 ようやく連休が終り町が幾らか静かになったと思ったら、また週末で騒がしくなった。
 電子カレンダーというものがないかと思って探したか、量販店にも東急ハンズにもなかった。らしきものはあるが、型が大きすぎたり、余計な動画式の写真がついていたり、望むようなものはない。余計なものまで作るいまの世だが、こういうものが欲しいというものがない。ハガキくらいの大きさで画面が明るくて、予定が小さく記号化しても打ち込めるものが欲しかったが。携帯電話には手ごろなカレンダーがついているから、これを少し大きくしたものが欲しいのだが。ロボット・クリーナーは成功だった。こまめに円を描きながら室内を掃除してくれる。椅子の下、ピアノの下まで掃除してくれる。しかも通販で安かった。大手量販店でまったく同じものを売っているが、はるかに高い、五倍くらい。「他店より高いものがあったらお知らせください」、と掲示してあるが、その気はない。ものの値段なんてこんなものなのだろう。

2009.05.09.土 晴 町田

 
火曜日五日から降り続いたが、今日、ようやく五日ぶりに晴れた。

 インフルエンザの報道がうるさい。何か目的があって騒いでいるのではないかと疑われる。
 今日はアメリカ帰りの高校生と先生が感染して成田に着いたというので、舛添さんが八時半から緊急記者会見だそうだ。そんな報道、見も聞きもしないが、特にNHKが熱心だ。総理官邸から、なんて何を大騒ぎしているのか。NHKは以前、小沢秘書が 全面自供としたというとんでもない誤報を出した。ああいう誤報はあとで謝罪するのかな。それこそ、関係者の受けた迷惑ははかりしれないものがあるではないか。インフルエンザとても、天然痘やペストではあるまいし、命に関わるとは限らぬ病気だし、なおった人もいる。専門の医師の談話ではいままであるインフルエンザと特に変ったものではないので騒ぐ必要はないとのこと。政府は、国民の目を政治からそらせるために利用しようとしているのではないか。その前はテポドン。その次が、インフルエンザ。いやはや、危機管理とやらで人気を保とうという浅知恵、あわれなもの。ニュースの報道でも、政府発表でも、冷静に、とか、パニックにならないように、とか、繰り返しているが、それを言ってる当人が一番冷静でなくなっている。人々は冷静だし、さしたる関心もない。
 ラジオでも、TVでも、同じ報道ばかりで見たり聞いたりする興味もなくなった。それに、どの局も同じ放送をする。局ごとに違う報道はできないものか。経済ニュースでも、芸能ニュースでもいい、独自の報道だけする局があっていいではないか。

2009.05.07.木 小雨 町田

 
ようやく連休が終った。高速道路が千円均一なんて、うまい話のようだが、自分たちの税金が返ってきただけ。これですむはずかないから、いずれツケが回ってくる。自分で自分に借金したのと同じだ。ラジオでリスナーの声を聞くと、貰うものは貰っておくが政府を支持するわけではない、と冷徹な声が多かった。だまされにくい人が多くなったのはいいこと。
 今日もまた雨。雨もまたよきかな、なんて思っていたが、三日続くといささか飽きる。青空が見たくなった。

 藤島武二の絵を録画しておいたDVDで見る。「芳僑」という作品がとても美しい。東洋と西洋の融合か、日本と西洋の融合か。中国服の女性の横顔がなんと端麗,端正できれいなこと。村上華岳もいい。「裸婦」は、観音菩薩のような女性像、ひとみは永遠をみつめるよう。西洋の婦人像と似てはいるが、あきらかに日本画の中の女性像。目と唇の気品と甘さ。詩は佐藤春夫がいい。こういう音楽が創りたい。西洋と東洋、日本の融合か。昔から話題になり課題になってきた美学だが、自分独自のものは新しいもの。

2009.05.05.火 小雨 町田

 ひさしぶりの小雨となる。晴天続きだったのでむしろこころよい。

 昨日は、先輩のMさんの見舞に小田原まで。経堂で、いつものように小田原行き急行に乗り、そのまま終点まで。小田原は折からお祭の真っ最中。北条祭とか。街中大混雑。お神輿の行列に見物の群集。道がふさがり、しばしばタクシーは動けなくなる。それでも近い病院でまもなく到着。Mさんは元気で世間話に興じていた。見舞は意外だったらしい。入院というものは、容態がよくなると退屈が襲うもので、これは始末に終えない。Mさんのベッドには脇に個人用のTVがあり私が二年前に入った病院よりサービスがよい。ただし、画質、音質とも悪いと言っていた。帰りはお城の脇を通り駅まで歩く。城は花が見事に咲いてお堀に映りきれいだった。街も駅も店もたいへんな人出でそれだけで、いるだけで疲れる。帰りは町田で降りて仕事場へ。小田原は遠い。急行でも途中で一部各駅停車になり、じれったいほど時間を喰う。昔、小田原から小田急で帰った頃は町田に縁がなかったので、はじめから遠いもの、時間がかかるものと思い切っていたが、いまは毎日町田まで往復するのでかえって町田から先が遠いことが気になる。

 帰りに行きつけの居酒屋によるが、家族?づれがいるのに閉口。就学前の四歳くらいの子供を複数つれた一家、若い父親が中学生くらいの眼鏡をかけた女の子をつれて、娘にはジュースを飲ませ、父親はビールを飲んでいる。幼児や未成年を酒場へつれてくるのはどういう神経だろう。休日のせいもあるかもしれないが、店の方も客がほしいためファミレス気取りの営業を意図的にはかっている気配がある。平日は、お父さんたちが、家庭と会社の両方から開放される場としてこういう所に来るのではなかろうか。こんな所に女子供が来るようでは気休めにならないではないか。自宅の近くにも居酒屋で、家族づれ歓迎の営業を始めた店があったが、おとなの気分がこわれてとても居られなかった。まもなくその店はつぶれた。自殺行為だったのではないか。
 
2009.05.03.日 晴 町田

 
ピアノの講評を頼まれた。 曲はChopinのNocturne 第一番、Si♭ mineur。

 この曲を聞くと、いつも、ある映画のsceneを思い出す。だいぶ昔の映画でしかも日本映画。「駅」。高倉健さんの主演だった。映画の中で健さんは警察官。
 場面は北海道の増毛という小さな町、深夜、墓参りの後、雪に埋まった増毛の町を健さんが一人歩いてくる。町は寝静まって暗くなっている。ただ一軒だけ小さな飲み屋の灯がついている。倍賞千恵子の女将が一人でTVを見ているだけで客はない。歌謡曲が流れている。この時の歌謡曲がChopinのこの曲であっても少しもおかしくない。私には何故かそう思われてならない。
 寒くわびしい孤独の歌。貴族的であるはずのChopinと僻地の場末の飲み屋がなんの矛盾もなく重なる。Chopinの音楽の不思議。ボーランドは寒い国だ。北海道の場面だったが、自分も生まれた北海道よりポーランドは寒かった。寒いだけでなく、わびしい。このわびしさはどこから来るのだろう。
 
増毛はかつてはニシン漁で繁栄した町。しかしいまはその栄華もない。日本海側の貧しい町、少し北に留萌の町があり、この方が幾らか町は大きい。そこから南下してくる鉄道が増毛で終点となる。増毛には山がある。暑寒別岳、ショカンベツダケと読む。札幌から好天の日はこの山がはるかに見えた。幼い日のこと、ある朝、いまは亡き兄が二階のカーテンを開けて「今日は増毛の山がよく見える」、と言っていた日のことをいまも覚えている。

2009.05.02.土 晴 町田

 ことしの連休は天候にめぐまれている。このところ連日快晴の初夏にちかいこころよい日が続く。

 さて、政界の方もお休みなのだろうか。麻生総理は総理をなるべく永く続けたいようだ。その目的のためには好運が続く。テポドンの次は豚インフル。なんとでも口実に利用できる。しかし、結果は自民党にとって地獄の釜の蓋が開いたようなことになるだろう。総理にとっては自民党などどうなろうと、どうでもいいのだろう。この人はそういう人だ。

 小沢一郎という人は一筋縄ではいかない人だろうと思っていたが、いまごろこの人の考えが少しずつ分ってきたような気がする。この人がたくらむ政界の未来図におぼろげながら気がついた。おそろしいことだ。数日前のメーデーのあいさつでチラリとそのことを漏らした。

  いやでもおうでも九月には衆議院の総選挙がある。その結果どうなるかか。いまのところ、政権交代の可能性が高く、小沢事件で民主党は支持率を下げたが、それでも、次期政権は民主党中心を望む比率が高い。それはそれでいいのだが、もし予測に反して、自民、公明が多数をとり居座ったらどうなるか。ここから先がテリブルなことになる。テリブルというのは民主党にとってではなく、勝ったはずの自民、公明の側にとってだ。政府与党はどういうことになるか。

 
仮に政府与党が勝っても、いまのような三分の二という馬鹿げた議席はとれない。これは確立100%である。いまは三分の二があるから、参議院で否決されても衆議院に持ち帰り、三分の二で再可決ということができる。しかし、三分の二がないと、法案が衆議院を通っても、参議院で否決される。こんどは衆議院に戻して三分の二で再可決ということはできない。つまり廃案になる。すべてこうなるわけだから、政府は政治ができなくなる。ナンニモできない政府になる。これは民主党にとっても同様で、参議院で出した法案は衆議院ですべて否決される。つまり、両すくみの状態になり、政治は硬着状態、フリーズしてしまう。  退陣した、安倍、福田、の両元首相は、三分の二を持ついまの状態でも行き詰まり、絶望して投げ出したのだ。ましてや、三分の二まで失った政権はどうなるか。生き地獄ではないか。

 小沢という人はこれを予見しているのではなかろうか。つまり、大方の予見に反して民主が負けてもいいのである。この時こそ本物の意地悪ができる。検察の浅知恵など反対に利用されただけだ。小沢事件で民主党内で退陣論が強くなったにかかわらず、その後沈静化した。その裏ではこの作戦が了承されたのではなかろうか。現政権は盛んにバラマキをして人気とりをしているが、これはすべてツケで国民に戻ってくる。国全体が借金地獄になる。そうなった時、政権にある側は借金地獄でかまゆでになる。野党席にいた方が楽だ。だから、自民党は負けた方が楽なのだ。こんなヘンな選挙があるだろうか。自民は下野して野党席で意地悪している方がはるかに楽である。しかし、わざわざ負けるように努力する選挙というのも聞いたことがない。

 参議院の野党優位は2011年まで続くのだ。自民のお歴々はどう考えているのだろう。喰い続けているものが毒まんじゅうであることに気がつかないわけではあるまい。専門家なのだから。それとも、それでも下野して諸悪があばかれるのよりいいのか。政治評論家はこのことについて全くふれない。これもどうかしている。

2009.04.30.木 晴 町田

 
今日も快晴。

 アメリカでGMが倒産か倒産に近い危機におちいり、政府と労組が出資して維持することになった。これは事実上の国有化か、それに近いことを意味するのではなかろうか。経済学の専門家ではないから詳しいことはよく分らないが、しかし、どう見てもそう見える。なんとも不可思議なことが起こるものだ。専門家に聞けば、国有化といっても、少し違う、とかなんとか言われるのかもしれないが。あの資本主義の総本山で、最大の企業が政府と労組の資金で経営されるとは。ソ連が存続していたら何と言うだろう。社会主義の先輩として、相談承り、懇切指導、の看板でも出したか。

 マルクスは、資本主義が成熟して生産手段が拡大すれば、自然に熟した柿が落ちるように社会主義になる、と予言した。GMは熟して落ちたのかな。ずいぶん大きな柿だ。
 マルクスのこの言葉に対して、当時、疑問が出た。自然に起こることなら努力する必要はなかろうと。四季の変化のために努力する人はいない。これ対してマルクスは、「変化を促進するためだ」と答えた。「助産婦役をするのだ」と。この答えもずいぶん苦しい。しかし、こんどのGMのようなことを見るとマルクスの予言が当ったのかなとも思う。国営化とは、小泉以前の日本の郵政か、JR以前の国鉄のようになるのか。国営企業の自動車、なんてまるで昔のソ連だ。

 世の中、思いもしないことが起こるものだ。私がいま一番知りたいのは経済学者の見解である。この事態を事前に予告予言した人は居たのか、居ないのか。誰も予告予言しなかったとすれば何のための学問なのか。昔、福田恆存が言った。社会学は学問ではない、と。人の心がどうして読めるのか、社会の変化は人の心で起こる、そんなことが学問で分るのか、と。社会学だけでなく、経済学も同じではないか。アメリカに大不況が起り、自動車会社が国営化されることもあるかもしれない、程度の予言をした人は居たのか、居なかったのか。それ知りたい。紺野×子、とかいう女性の経済評論家が居た。最近はさっぱり出なくなったが、一事、ラジオ、TVに頻繁に出ていた。日本で不況が少しよくなったかなという頃に、盛んに、不況は終った、とラジオで言っていた。それに対して、どこそこの会社はまだ悪いというような疑問が出ると、回復はマダラなのだ、と強弁していた。いまなんと言うだろう。この頃さっぱり出ないが。当らない予想屋と思われて相手にされなくなったか。
 自然現象ではない人の営みについて予言したり、予告したりすることは不遜ではないだろうか。音楽でも同じだ。これからの音楽はこうなる、などと、 したり顔で「予告」「予言」した者がかつて数多いた。それだけならいいが、だからそうでないものはダメだと言葉の暴力を振るった。こういうとんでもない輩が猛威を奮った時代があった。最近は余りみかけなくなったが。経済の世界より音楽の世界の方が歴史の進み方が速かったのかな。

 未来のことには触れない方が己を知っていることになると何のための学問だろう。

2009.04.29.水 祭日 晴 町田

 
早朝から快晴おだやかな日。昭和の日。

 四月29日のこの日、昭和時代は「天長節」といわれた。昭和天皇ご生誕の日。その昔、学校は休みだったが、祝典のために登校し、式典に加わり「天長節」の歌を斉唱した。この歌の原曲はMozartであるという話も聞いた。そういえば、旋律を原型に戻すと、それらしくも聞こえる。天皇のご生誕日が天長節、皇后陛下のご生誕日が「地久節」だった。天は長く、地は久しく、という意味。ただし、「地久節」の方は四大節には入っていなかったようだ。女性差別みたいだが、天皇が当事者で皇后はその夫人だから一歩下がるのは自然だろう。
 四大節は、一月一日の元旦が「四方拝」、二月十一日が「紀元節」、四月の「天長節」、十一月三日は明治天皇生誕日で「明治節」。この四つの日はどういうわけか好天の日が多かった。気象学では特異日と呼ばれているそうだ。特別の天候に遭遇することが多い日ということのよう。
 戦後、天皇元首制度がなくなったため、それぞれ名称が変り、元旦は天皇元首とは無関係だが、「四方拝」とはいわなくなった。「紀元節」は「建国の日」、今日の「天長節」は「昭和の日」あるいは「みどりの日」か、どちらか忘れた。「明治節」はどういうわけか「文化の日」。「紀元節」のもとになった説話は天皇制と結びついているものだが、なぜか「建国の日」という、意味が余り違わない名になった。
 好天だけでなく、四大節の式典の歌はどれもみないい歌だった。「紀元節」の歌は、雅楽のなんとかいう旋律から作られている。「天長節」はもしかしたらMozart、「四方拝」と「明治節」の歌はいつ誰が作ったものか知らない。

 
佐藤春夫の詩集を読む。「よきひとよ」はいい詩だ。「よきひとよ、はかなからずや」で始る、なんという美しい詩だろう。私にはChopinの音のように心に響く。萩原朔太郎が、春夫の詩は10年以上古いと言ったそうだ。それに対して春夫は、「自分はもっと古いと自認している。だから詩作をするのだ」、と答えた。いい言葉だ。古い新しいに振り回されるほど下らないことはない。Popperの言う通り、新しくあろうとすることは詩や音楽を創ることと何の関係もない。

2009.04.28.火 晴 町田

 
昨日は仕事場の粗大ごみ、搬出のために来て、すぐに帰宅、コンクール課題曲の大量製本の注文のためkinko'sへ。そのまま、宇都宮の主催者まで送るよう手配した。妙に気温が低い。

 図書館から新しい本を借りた。いささか難解−と思われる本
 ウイリアム・エンプソン著、「曖昧の七つの型」。
 William Empson : Seven Types of Ambiguity: 3rd edition
                               (London: Chatto and Windus, 1953)
 その全訳。岩波文庫上下巻の、そのまた上巻。2006年4月14日第一版。訳者は岩崎宗治。William Empsonは1906年英国生まれ。1984年に没した人。戦前、日本にも来て、東大、教育大、現筑波大で教えた。その後、中国でも講じた。

 Ambiguityとは、英和辞書によると、「両義性」、「あいまいさ」、「あいまいな表現」、と出ている。しかし、English-English dictionaryによると、「having more than one meaning, so that it is  not clear which is intended」、「difficult to  understand」、と書いてある。もっぱら、「ambiguous」、「ambigously」、という形容詞、副詞で使われる言葉らしいが、余り見かけない言葉であることは英語国民にとっても同じではなかろうか。
 「having more than one meaning」なのだから、「両義性」という言い方では不充分であり不正確である。「両義」ではなく「多義」である。これだけでは何が何だからわからないが、一種の詩論であり、詩学の論述。詩の言葉の意味するところの「多義性」というか、ひろがり、ということを著者は論じようとしている。私の関心もまたそこにある。詩の言葉、それは音楽の中の音、あるいは、音楽そのものといってもいいか、こういうものは、多義性、というより、ひろがりを持ったものであり、その、ひろがりが、ここが輪郭外延と決められない性質のものだから。受けとる人によるし、同じ人でも時と気分により「ひろがり」が変る。あとで説明を加えようとしても不可能。説明にいかに努めてもその、一部、一面をとらえようとするに過ぎない。これは芸術の魅力と秘密にも通じる。その源泉は人の感性、感情、心のひろがりと深さの非限定さに発している。ビクトル・ユーゴが「レ・ミゼラブル」の中で言ったように、人の心は海よりも空よりも壮大である。音楽、あるいは詩も、それが人の心にあたえる因果関係は特定できない。この音楽を聞かせれはこういう効果がある、とは言えない。詩も同じ。人の心は分らない。自然科学などの浅知恵ではとても捉えることは出来ない。茶碗で太平洋の水をすくうようなものである。いやもっと無意味か。

 この本の内容はすこぶる難解である。しかし、何が何だか解からぬということはない。訳が良いためだろう。訳した当人が原文の意を解って訳している。昔読んだ「ドクトル・ファウスト」の岩波版はひどかった。途中でまったく理解できなくなった。日本語として体をなしていない。訳した当人がもとの意味が解らぬまま字を連ねているだけで、それはひどいものだった。とはいえ、Empsonも逐条的に徹底理解しようとしたら一頁に一日か二日かかりそうだ。いいかげんな話だが、要旨は読めたと勝手に解して先へ読み進むことにする。そうしないと、図書館の借り出し期間中にとても読めないし、また、そこまでつきあう覚悟も始めからない。

 この著書の訳では「多義性」というが、芸術の本性は「多義」とも違うと思う。定義−definition、定義する−define、ということがそもそも不可能なものであろうと思う。それは無限定ということとも違う。defineという行為では手に負えない。人の心のひろがりが手に負えないことからくるものだろう。鑑賞すべきものを、別途、観察、考察の対象にしようとするのだから、そのものの本来の受けとり方とは違う扱いをしようとすることになる。

2009.04.26.日 晴 町田

 
昨日は終日雨降り。今日は好天が戻るが風が少し強い。

 24日は、東京new city philharmonyの定期公演。Violinの漆原朝子さんが、Alban Bergのconcertoをひいた。名声の高い人で、私の姪がViolin教室を開いており、姪の生徒が世話になっているので、聞きに出かけた。期待にたがわぬ名演。この曲の持つ、世紀末Wienの独特の香気を味わった。どこかでこれに似た感性体験があったと思い、帰路に思い出した。Gustav Klimtの絵だ。成熟しつくして頂点をまさに過ぎようとしている果実のような恍惚とした香り。ほかの、Mendelssohnの序曲とSchubertの九番は余り感心せず。演奏の錬度に未練が残る。総合的にはよかった。たまにいい演奏会もある。

 SMAPの草なぎ剛君の裸踊り事件は滑稽で気の毒な感もある (この、「なぎ」という字はおそろしく難しい字のようだ、この器材には入っていない)。深夜の公園での独演。誰も見たわけでないのに公然猥褻罪とはいささか妙。ただ大声を発したようで、これはよくない。聞いた人には迷惑がかかったろう。声さえ出さなければ誰も気づかずそのままになったろうことだった。おそらく自宅に帰った気になっていたのだろう。警察も家宅捜査までしなくてもよかったろうに。薬物が発見されれば警察官のお手柄になるのだろう。何も出なかった。しかし、この「ニュース」、NHKが昼の一番で放送したが、それほどの順位のものだろうか。公共放送である。政治、経済、など、もっ影響が広い報道があるのではないだろうか。公共放送といえば、英国のBBCが先輩格。ほかの国では、国営か、民間の放送が大部分。BBCがこの種のニュースを一番で放送するだろうか。知らないからなんともいえないが、知識のある人に聞いてみたい。BBCといえば、第二次大戦の当初、英仏軍がドイツ軍に押しまくられていた時、少しも隠さず、ありのままに戦況を正確に伝えた。だから、連合国側が勝ち始めた時も、ここの報道は誇張も偽りもない正確なものだというので、人々は進んでBBCを聞いたそうだ。それだけの報道倫理感を持った局だ。とはいえ、時代は変ったのだから、何事も昔のままではないかもしれない。BBCの美談もいまはどうなっているのか分らない。

2009.04.23.木 晴 町田

 
今日も、町田、相模原のこのへんは米軍機の騒音がすごい。空母が横須賀に入っているのかもしれない。空母が入港中、艦載機は陸上基地に移動するものらしい。日本海軍の時代からそうだった。レーダーに映らなくても、この騒音で敵に見つかるということはないのだろうか。音を減らせば、きっとエンジンの出力が落ちるのだろう。そのへんの理屈は分るが、なにしろひどい。

 さてさて、通称ほりえもん、こと、堀江貴文氏の所業が問題化したのは、時間外取引をネットで行なったことが理由だった。この行為は確かに法には触れない。触れないというより、法の間隙をぬった。法律が電子通信以前のものだったので隙があった。しかし、この行為は社会の指弾を受けた。法の隙をつくことで、確かに違法ではないが、その法を造った目的の精神に反する、つまり、脱法ということになる。そもそも立法にはその精神と趣旨があって、それに反することは道義に反する。法の目的に反することはやはり駄目ということだった。

 ところで、その見地からするならば、いまの政府の首班は、違法ではないが脱法首班である。選挙で選ばれた議員が、投票で首班を選ぶ。議員は政党に従うから、最多数の政党の党首が首班に選ばれる結果となる。間接ではあるが、国民が選んだ人が投票して首班を決める。首班は国民が選ぶというのが、この手順の精神である。しかし、ここ三代の首班は選ばれ方が違う。第一段階以前の小泉首相まではその通りだった。しかし、小泉退陣後一人目の安部首相は、その時選挙で選ばれた議員により選出されたのではない。前に選出された元議員が選んだ。つまり、合法ではあるが、法の隙をついた脱法による選出である。次も、その次、つまり現総理もしかり。ホリエモンと同じ、規則に禁じられたことをしたわけではないが、きまりの隙をついた脱法総理である。

 それにしても、検察まで動員して政権交代を阻もうという自民、あるいは公明も、余りにこだわり方が異常である。一時、政権を明け渡しても、殺されるわけでもないし、追放されるわけでもない。まるで命を奪われるような恐怖恐慌状態である。下野しても、また次の機会に政権の奪取を目指せばいいではないか。なぜこうまでおびえるのだろう。余りに同一政党勢力が政権の座に居坐り続けたために根がはえてしまった。いろいろな癒着が出来てしまったのだろう。これを引き剥がすと、とんでもないものが地中からぞろぞろ出て来るのだろう。やはり、長期政権はだめだった。
 しかし、自民が次の選挙で、仮にまた与党になったとすると、かえって苦境に入ることになる。もう三分の二が使えないからである。幾ら民主党にかろうじて数でまさっても、三分の一というバカ議席は今度はとれない。負けて民主にやらせて、野党席で嫌がらせをしていた方が楽である。この程度のことはしろうとでも気がつくのだから、自民のお歴々が知らないことはなかろう。それでも見られたくないものを見られるよりいいのか。よほどひどいことを隠してきたんだろうな。

2009.04.22.水 晴 町田

 
昨日の雨は夜来の雨だった。朝から爽快な春日。お天気がいいことは有難い。

 しばらく図書館から本を借り出すことをやめていたが、三日前に日本文学の短編集の文庫を借りた。期待に反してひどく気に入らぬ。

 1947年生まれの作家で、太宰治賞も芥川賞もとっている人なのに。なんともつまらぬ。私の好みでもあろうが、私とは異なった傾向好みの人にとっても評価は余りあがらないのではなかろうか。貧乏くさい。汚い。みじめくさい。どうしてこう否定的なものを書くのだろう。そういう所に人生の真実がひそむとでも思っているのだろうか。もっとも、いまどき外国のものにも似たようなものが多い。貧乏くさい、残酷趣味、みじめ。時代のせいか。

 真実にせまろうというのなら、それは原則上の間違いをおかしているのではなかろうか。ボードレールがすでに100年前に言い切っている。真と、善と、美、とはそれぞれ無関係であると。真だから美であるとは限らない。リアリズムはこの点でずいぶん間違いをおかしている。もっとも、この人たちは、この原理を逆にとって、美ならずとも真なりということで、それを描きたいのかもしれない。そうなると芸術文芸の役割とは何か、という問いかけに戻ってくる。美でなくとも真を伝えることが役割か。美でなくともいいのなら、文学の手段を経る必要はないと思われるがどうなのだろう。いまの時代、映像が大きな表現力を持っている。TVのdocumentaryの方が文字よりも直接に現実を伝えるのではないだろうか。もっとも、それは広域のテーマで、それが私小説的なみみっちい主題なら映像で伝えられても受けとる側には迷惑にしかならないだろうが。

 政治の世界では、大阪と名古屋の検察特捜部が、いずれも民主党系の人に狙いをつけて捜査中だそうだ。政治部の記者がラジオで語っていた。東京では小沢秘書。これで三大都市圏で検察は民主党を狙い撃ちしていることになる。名古屋の人はすでに民主党を離党しているそうだが。やはり検察は自民幕府の「新撰組」だ。彼等の背後にいるのは黒いヒモつきの岡っ引きである。これからも無法をたくらむだろう。こんなことで国民は屈しないことを選挙で示してやらなければならぬ。

2009.04.21.火 曇ときどき小雨 町田

 
今日は朝から曇天。昼から小雨が降りだす。夕方から本降りとの予報。歩いて豪徳寺駅まで。この道も歩く方が気分がいいときもある。気候のせいがあるのだろう。

 昨日この欄に途中のことを書いた。

 私たちの世代は、思えば、戦後日本の成長と同期しながら生きてきたといえる。1950年に成人。1960年に安保騒動。1964年、東京五輪。このあとから日本には外貨が溜まりだし、本格的経済成長期に入る。池田内閣の所得倍増政策スタートの時期である。そして70年台から田中角栄総理の列島改造論。経済成長はいよいよ加速する。この時期の会社員は羽振りがよかった。私たちのような職業の者からは時代の花形にみえた。企業戦士とか、猛烈サラリーマンとかいわれて囃し立てられたものだ。この時ふと思ったことがある。そのことはいまでも記憶している。それは、この人たちは戦時中の軍人さんに似ているな、ということだった。どの時代にも、華やぐ時代の職業というものがある。戦争中は軍人さんだった。これは当然。そして、経済成長の時代は企業マン。あの時期、日本は経済戦争をしていたのだといま思う。そして、いまなおさら、つくづくそう思う。
 戦争が終って軍人さんの時代は終った。羽振りがよくて飛ぶ鳥も落とすいきおいの将校さんたちも軍帽の前の星をはずして周りをしのぶように歩くようになった。進駐軍さんが来るのでなるべく目立たなくしている時代になった。栄枯盛衰だ。

 それでは、経済戦士たちはどうなったか。こちらは経済敗戦というわけでもなかろうが、本人たちが定年の時期を迎えた。若いのに年齢をとわず呆れるほどの高給をとり、身分を保証されて、肩で風を切って歩いていたお父さんたちにも還暦の時期が訪れた。ここまでくると、人情で自分の生涯はなんだったのだろうという感慨がよぎることもあるようだ。自分はその種の職業人ではではないが、知人友人というものがある。彼等のいまの心境は知らぬというわけにはいかない。朝から晩まで、西へ東へ、颯爽と飛び回った結果その得たものは何だったか。一言にしていえば会社の利益を増やすためだった。自分のものになったのは何だったか。無慈悲にいえばなんにもない。行き帰りの満員電車のすさまじさ、ある大企業の社員川柳に、「会社から家にかよってる」、というのがあった。家が起点か、会社が起点か、わからない。会社から家、という構図だって成り立つ。退職金はいい額もらうのだろうが、それでどうするというのか。こんな言い方をすると気の毒な気がするが、人の人生と職業の選択という点で、はじめからよく正体と現実を見据えておくことは必要で賢明なことだろう。
 
品川駅前のホテルが廃業した。にもかかわらず社内の営業を続けていた社員たちが警察に排除された。あの人たちは私たちよりさらに20年くらいあとの世代か、還暦近い人たちだろう。とすると安田講堂の残党の世代ではないか。「安田」が落城したのは1969年の一月だった。あれから丁度40年。あの時二十歳だった世代は60歳になっている。品川で頑張ったお父さんたちは、40年を経て、二度目の落城の闘いを挑んだわけか。なんとも物悲しい話だ。別に、私たちのような職業が貧しくも実のある人生だったとは思わない。会社員だってりっぱな労働で社会に寄与してきたのだ。ただ、いま私たちは、会社員、実業家、政治家、にくらべて、芸術文芸の仕事は実体のない女々しい仕事だったとは夢にも思わなくなった。若い時、一時期、そんなふうに考えたことがあった。これは自分以外の人も同じで、一度はそんなふうに思った経験はほとんどの人にあったのではなかろうか。しかし、いまは、そんなことは微塵も考えない。誇りをもって自分の人生を振り返ることができる。有難いことである。

  
これを書いている私の仕事場は米軍厚木基地への飛行機が着陸態勢をとるあたりで、その騒音はすさまじい。今日はことにひどい。左翼の反米運動は大嫌いだが、この音はすごすぎる。レーダーに映らない飛行機を開発しているが、音が出ないか少なくともも少し静かな飛行機を開発してくれないかな。

2009.04.20.月 曇ときどき晴 町田

 
気候もよく気分もよいので、午前、スーパーまで徒歩で買物にいく。500メートルくらいの距離だが、いつも自転車で通過する道。
 歩いていると乗り物では気がつかないものに出会う。自宅近辺のことだから知り尽くしているような道だが、それでも何か新しいものに会うから不思議だ。

 昔、小田実さんがどこかのエッセイで書いていた。途中ということ、その観念と意味について。

 東海道本線、もちろんまだ在来線の頃、東京の人は西に向かう時、たいていは、名古屋、京都、大阪へ向かう。東海地区の町々、清水、静岡、掛川、豊橋、などは「途中」の町である。途中とはどういうことか、ということだった。途中は目的ではない。なくてもいいもの、ない方が便利という妙な存在。もちろん、そこに住んでいる人たちにとっはは途中ではない。そこからして小田さんは、範囲を広げて、日本人が西へ世界を旅する時、たいてい目的地はヨーロッパである。そうすると、東南アジアの国々、印度、そして、西アジアの国、パキスタン、サウジ、イラン、イラク、などなどのイスラム圏の国々は東海道の町と同じように「途中」である。私たちの意識の中に、これらの国々、そしてそこに棲む人々を「途中」と視る観念が根強く根をはっているのではないか、というようなことだった。いまや、世界にとっても、日本にとっても、これらの国々は「途中」ではなくなった。アメリカはイスラム圏にかかりきりで、途中どころではない。外交と國際政治の主目的地はこれらの旧「途中」諸国である。

 途中とは妙なものである。人生にも途中があるのだろうか。とくな人生を送るためには、いい学歴が必要、そのために、いい学校に入り、出る。これもまた途中か。恋人が出来、結婚にまで至る。結婚までの交際過程は「途中」か。子供がほしい人にとって子供が出来るまでの日々は「途中」か。「途中」をはぶこうとすれば見合い結婚は最も能率的で合理的ということになる。

 「目的」があるから「途中」ができる。しかし、目的と途中がもともと分けられない場合がある。いや本当はそう簡単に分離できるものではない場合が大部分だ。途中が実は目的の一部を成している。このへんのことは、成熟した見方ができるようになればおのずと見えるようになるものだろう。

   MD, mini-diskが使えなくなるらしい。生産もやめるらしい。困ったことだ。どんなに便利であったことか。CDから簡単にcopyできる。自作の録音をMDに入れて郵便で送る。演奏のサンプルとして役に立つ。これからはすべてCDになるらしい。CDからCDを複製するにはそれなりの器材が要る。また費用がかかる。それに、手近なところでは、MDは郵送する場合、普通郵便の封筒に入る。しかし、CDは大型の封筒が必要である。不便で手がかかる。理由の最大のものはMDが外国で再生できないことだろう。アメリカでもヨーロッパでも、送ってもらっても再生できない、と言ってくる。どうして再生器も売り込まなかったのだろう。名にしおう大賀さんなのに。もっとも、CDから簡単にcopyできることはCDにとっては営業妨害みたいなものだったかもしれない。若い人たち、学生たちは、Cを買わなくなっただろう。もっとも、いまはコンピュータからdown loardしてしまうから、それも要らなくなるかもしれない。商品の栄枯盛衰で一番迷惑するのは利用者、ユーザーだ。

2009.04.19.日 晴 町田

政府与党の新撰組 −  「東京地検特捜部」


 昨日のNHKのニュース、総理が観桜の園遊会をもよおしたこと、各界知名人を多数招いて自分の政策の自画自賛をしたこと、話の内容まで紹介して懇切丁寧に紹介した。それも午後10時のニュースの冒頭でかなりの時間をとって。不公平と言われないために、民主党の菅代表代行が名古屋で街頭演説をして、かくかくの弁を語ったと、こちらはだいぶ短かかった。NHKは、政府与党の、もっとはっきりいえば自民党の広報部になったことが露骨に表われた一幕であった。先日の小沢秘書の事件でも、「関係者によれば」、「関係者への取材で・・・」、という出所不明の報道を洪水のように流したのもNHKだった。民放よりも熱心だった。

 旧権力、旧体制、アンシャン・レジムというものが、自らを守るためにいかに手段を選ばないかと、まさにあられもない振舞いの露呈であった。九割の人が政権交代を望むが、望まない人たちが一割いる。この人たちは政権を離れることで大きな損失を受けるのだろう。政権の座にあるためにいままでどれだけいい思いをしてきたか。それが無くなるに違いない。これだけ手段を選ばない熱心さは並みのことではない。あるいは、これまでの悪事がばれることもあるのか。公共放送まで使って保身に血道をあげる。
 しかし、人をだますことは、どこまでも出来ることでなはい。

 「一部の人を永久にだますことはできるかもしれない。全ての人を一時だますこともできるかもしれない。しかし、全ての人を永久にだますことはできない」。これは、フランクリン・ルーズヴェルトの言葉である。
 いま手段を選ばず国民をだますことに血道をあげている人たちも、この言葉くらいは聞いたことがあるだろう。しかし、そんなことを言っている場合ではないか。

 「幕府」が利用するものは放送新聞というカワラ版だけではない。新撰組というものがひかえている。倒幕の危険人物を容赦なく切って捨てる、天下御免、止めるものなき凶刃の持ち主たちである。その名は「地検特捜部」。幕府に忠誠を誓う凶刃集団である。すでに倒幕首領の秘書を切り捨てた。いま次の獲物をねらっている。「今宵の虎鉄は血に飢えておる・・・」、倒幕勢力よ、油断めされるな。坂本竜馬を殺したのは新撰組かどうかいまも分らないが、倒幕をこころよく思わない輩の仕業であることは確かだ。歴史の変り目にはこういうものが登場することが今の時代でも変らないことがわかった。
 どんな手段を使っても、おおきな流れを止めたり、変えたりすることはできない。悪あがきは無駄に終るだろう。

2009.04.18.土 晴 町田

 
今日は好天もどる。ただし、朝から昼頃までは幾分寒かった。

 TBSラジオの夜10時からの「バトルトーク」の番組はなかなか面白い。途中からリスナーが電話で参加できる。なかには評論家以上の見識を持つ人がいて感心することがある。

 昨日の金曜は、最近の政界の動きについて、特にゲストには新聞関係の人など人数を増やしての力の入ったものだった。ところが、今回ことに気になったには、まじめな話なのに笑い声がうるさいこと。少しもこっけいな話をしていないのに、なぜこんなにゲラゲラ笑うのだろう。照れ隠しなのだろうが、話の腰を折られるし、聞いている方にとってはうるさい限りである。司会の渡辺真理という人は日頃からいい司会者と思っていたが、昨日はいささか、はしゃぎ過ぎだった。時に本人が興奮して大きな声をだすのもうるさい。ほかのTV番組でも、ショー形式で、政治の話などまじめ至極なことなのに、笑いでごまかしてしまうたちの悪いものがある。おかしくもないのに何故笑うか。
 若い頃、アメリカの人と文化論じみた話をしたことがあった。その人の話では、Japanese smileという言葉があるそうだが、それは日本人が作った言葉ではないのか、自分たちにとって気になるのは、Japanese laughingの方だと言った。意味も理由もない笑い。進駐軍がいた頃、アメリカ軍の内部雑誌に出ていた写真、日本人の女が全裸で腰をかがめて笑っている、しかも口を手にあてて。卑屈きわまる写真だった。
 smileとlaughingとは違う。大違いである。smileの方は控えめでいろいろな意味をこめている。レハールのオペレッタにも「微笑みの国」というのがある。「Das Land des Lachelns」。これはタイをモデルにしているそうだが、アジア人、東洋人全般に、感情を表に表わさず、静かに微笑んでいる、というイメージが西洋の人にはあるのだろう。こういう、控えめで、意味ありげなのがsmileである。しかし馬鹿笑いはまったく違う。理由もないのに大声で笑う。ただ下品なだけで、しかも卑屈である。まじめな話を笑いでごまかすショーは見たくない。こんなものがはやるということは、それだけいまの社会が堕落しているということだろう。ものごとにまじめに向かいあおうとしない。
 
2009.04.17.金 小雨 町田

 
今日も午後からかすかな雨。徒歩で豪徳寺駅まで。気温は昨日よりやや低いが、歩くには適温といえる。考えながら歩くことは自然でこころよい。自転車もまた自動車に似て、移動という機能に集中する行為であるため、運転中ものを考えることをしないか、しにくい。また、運転しながら考えることは危険でもある。自転車は転倒による事故も危ないが、人にぶつかると加害事故を起こすこともある。こちらも危険である。

 松本清張の文庫小説を読む。この人は着眼が卓抜なすぐれた作家だが、多作というより濫作に近い。そのためだろうが、話の筋の運び方がいささかなげやりな時がある。話の中で登場させたモティーフを放置したまま終ってしなうことがある。これはひどい。今年は生誕100年でTV化も多いが、いまどきのTVは台本も演出も粗雑無神経で、原作もさぞかしひどい目にあっているだろう。TVの質の低下は多くの人の一致した声。劇も、報道も、ドキュメントも、アニメも、種が尽きたのか、すぐれた人材がいなくなったのか。いいテーマはすべて過去に出てしまったか。現代音楽と同じような事情だ。一般視聴者からすれば昔の名作を再放送すればいいのにと思う。再放送となれば、スポンサーから放送料を多くもらいにくくなるのかもしれない。世も末なり・・・・

2009.04.16.木 晴 町田

 
今日も温暖うららかな春の日。少し暑いくらい。思えば人間というものは繊細贅沢な生き物だ。気温がほんの二度か三度、低いか高いで、暑いとか寒いとかいう。地球の上にどういうわけで生命が誕生したのか知らぬが、自然の偶然で不思議な現象が現われたものだ。

 千葉県の森田知事が危うくなってきた。言い訳がへんだし、意見を聞かれた評論家の答えもへんだ。どこかで最近聞いたような話に似ている。左様、小沢代表の秘書がつかまった件にひどく似ている。市民団体の告訴をミスター検察はどう扱うか見もの。とんでもない時期に小沢秘書をつかまえておいて、自民党の方は一切おとがめなし。二階大臣も逃げきるのではとの噂。こんなアホな話があるか。検察は政府の手先だ。小沢氏は官僚支配をたたきつぶす力を持ったただ一人の人だそうだ。だから、政権が交代して民主党が政権をとっても小沢だけ抜いておけば「被害」ははるかに僅少にとどまるのだそうだ。正義を騙った許し難い権力の私物化。
 
 アメリカのオバマ政権はなかなか賢い。北朝鮮を事実上無視している。子供が母親の注意をひこうとして泣き喚くようなことを北はしているだけ。ブッシュのようにはその手には乗らないところがなかなかだ。こんどの「ミサイル」も、軍部は「関係ないので何の対策もとらなかった」、と発表している。北にとって最も苦々しい対応だろう。あんな国はほっておけばいい。自壊するのは時間も問題だ。

2009.04.14.火 曇のち雨 町田

 
予報通り、昼頃から小雨。不快ならず、むしろこころよし。自転車は使えず豪徳寺駅まで歩く。いつも自転車で通る道を歩くこともこころよい。電車の運転手を定年までつとめて退職した人が、奥さんと、自分が運転していた電車に沿った道を毎日少しずつ散歩の気分で歩くことをしている話を読んだ。こういうことも人生の味わいの一事。

  世情の方は騒然たり。北朝鮮は国連の議長声明が不快であるとして六カ国協議を離脱すると、また、核開発を復活すると声明した。こうなるだろうと予測していた。だいたい国連のあの協議の騒ぎは何だったのか。はじめから不可思議だった。中国もロシアも、北朝鮮に同情的だったのは何故か。こういう結果になってこの両国はどう受け止めているのだろう。北をあまりいじめないよう、それが自国の利益にかなうという算段があったことは明白だが、こうなると、北に三下り半を出されたようなものだ。両国の面子とこれからの算術はどういうことになるのだろう。もともと、北は貧弱な国なのに世界はご機嫌をとりすぎる。アメリカの前政権はことに。

 千葉県知事選に当選した森田健作氏に疑惑が湧いてきた。自民党の支部長だったのにそれを隠して無所属を宣伝して当選した。資金の流れにも疑惑が出てきたそう。小沢秘書をつかまえるなら、こちらを何故放置するのか・・・ということのよう。小沢事件は検察の陰謀だ。疑う余地なし。官僚支配の体制が崩れることを怖れたため。検察だって官僚の一部なのだ。自分たちの権益をまもるために公器と公権力を私物化して行使したのだ。やがて歴史の上で暴かれるだろう。最も許し難い政治事件として。

2009.04.13.月 晴 町田

 
ずいぶん好天が続いた。明日から少し雨が降るらしい。雨もまた必要だから、これはむしろいいことであろう。

 芸大作曲科先輩のMさん、一人暮らししているが、電話をかけても出ない。数日前からは「この電話は使用できません」という電話局の応答が聞こえるようになった。80歳を過ぎているので心配していたが、どうやら入院しているらしいことがわかった。病気はよくないが別状ないとのことでひとまず安心。

 政府が15兆円という補正予算を出す。この財源はどこにあるんだろう。日本の国にこんなへそくりがあったのかと驚いたが、そうでなく、国債を出すのだそうだ。債権である以上、いずれ返さなくてはならない。借金である。それでは自分で自分の足を喰ってるようなものではないか。支払うのは後の世代か、いまの現役世代か、いずれにしても、借金して贅沢しても将来ろくなことはない。とても喜べる話ではない。
 狛江の市民orchestraの定期公演、五月某日の案内がきた。午後二時から、この日は芸大同声会の総会と懇親会のある日だ。こちらは四時から懇親会。二時から狛江にいき、そのあと途中から上野にいくことにするか。ハシゴである。軽井沢の作品演奏会では芸大の先輩同輩にずいぶん世話になった。こういうきずなは大切にしたい。

 昨日は、TVで松本清張原作、向田邦子台本の劇があった。あまり面白くない。演出がわるい。これはどの局も同じ。現実にはありえない人物の仕草、演技が目にあまる。しかも、これが定式化している。人が大事な話をする時に、相手に背を向けて話しをするか。日本人はこういう動作をしない。しかも時に歩きながら、日本人にはこういうことはない。西洋人にはあるかもしれないが。総じて人物の動作が大げさ過ぎる。筋書きと関係ない場面が長すぎる、多すぎる。これは作曲も同じで、本筋に無関係なものが混入することはそれだけ出来がわるいということである。アラン・ポーは語った。「自分の作品には意図と無関係な字は一つも書かなかった」。

2009.04.12.晴 町田

  
ひき続き友禅の世界に魅せられる。

 こういう美学の世界があった。自分が目指していたものに思わずたどり着いた。いままで自分は西洋思想の進歩主義、歴史主義にまどわされたいたといまは思う。

 宮崎友禅は丁度 Bach, Handel の時代の人である。扇に絵を書く画匠で当時一世を風靡していた。この人を着物の衣装書きの世界に連れ込んだ人がいる。だれだったか分らないが、今から思えば、この人も時代に貢献したすぐれたproducerだった。ここには、時代をめまぐるしく追いかける軽薄な風は吹いていない。進歩、時代、という呪文にいまの作曲はどれだけ惑わされてきたことか。伝統工芸の染織の世界も少しずつは時代の傾向をとりいれてはきた。しかし、それは振り回されるほどのことではなく。本体は絶対安定の美学の上に端然とそして超然と、また厳然と立っている。
 京友禅の世界には25の工程があるそうだ。すべてを監督してまとめる染匠といわれるproducer役がいる。それぞれは別の職人たちが受け持つわけだが、どの人も、「次の工程の人に迷惑をかけないこと」、を最も心がけているそうだ。これは室内楽の名人の世界と同じではないか。orchestraでも経験ある名手は同じだ。
 西洋の「動」に対する「静」の世界。技、わざ、の極致を目指す指向精神。こういう音楽が造りたかった。

2009.04.10.晴 町田

  
連日の好天。

 桜も満開を通過中。今日などは気温も上り服装も着替えの要あり。
 進行中の曲により自分の進路が予期せずに見えてきた。日本伝統工芸の美学、「友禅」。観念からの論理ではなく、ある時、すこしずつ気がついた。洗練の極を目指すこと。それは若い時の恩師の訓育とも合流した。日本文学でも高い地位にあった師匠は、西洋音楽の本質と、日本文学の本質の中にあるものとに共通するものを見出したに違いない。今ごろこういうことに気がつくから人生は永過ぎるということがない。

 今日は、天皇ご夫妻のご成婚50周年の日。奉祝。

 日本の天皇は、西洋や中国の、皇帝、国王、とは違う。明治になってemperorと訳したが、天皇はemperorとも、kingとも、Kaiserとも違う。世界ではほかに類例のない性質を備えた元首である。どちらかといえば、チベットのダライラマかローマ法王的な性格に近いものだろう。宗教的なものを含んでいる国首である。明治になって西洋の学問をとりいれたが、こういう独自のものがほかにないから、西洋の学問での「皇帝」とか「国王」と同じものの中に押し込んだ。そこからして、天皇制廃止などとの愚論が湧いて出た。西洋学問の直訳から馬鹿げたものが生まれ出た実害の一つだ。この世に同じものは二つとない。複数のものの共通点を探し出して、それらを同一物として扱う。これが人の知性の作業の手順である。しかし、共通点があっても共通しない部分もある。こういうあやまちは人の抽象化の作業の結果を過信した結果だ。音楽でも、同じ音形、主題が再現しても、二回目は一回目と全く同じにはできない。もしそうすると音楽の体をなさない。コンピュータ音楽を作れば、このことは痛く思い知らされる。

2009.04.08.水 晴 町田

  ようやく、春うらら、という日和になった。一年で一番いい季節。来月は「美しき五月」。コンクール課題曲のコピー製本。こればかりは原稿を主催者に送って「よきにはからえ」というわけにいかない。校正から出来上がりまで自分で目を通さねばならない。

テポドン騒ぎの裏芝居

 とにかく騒々しかった。しかし、しばらくすると、裏の様子が少しずつ見えてきた。この騒ぎを歓迎し演出した者たちがいたことが。騒ぎを一番歓迎しているのは当の北朝鮮だが、それは別にして日本国内でも大歓迎している者たちがいることが分ってくる。TV、新聞の論調を見ても、「歓迎組」とそうでない組との区別が次第に見えてくる。

 有事になると政府内閣の支持率があがる。

 これは定番化した政治の慣例だそうだ。果たせるかな現内閣の支持率は上がった。テポドンさまさまである。しかし、その効果を高めるためには当然ながら、衝撃が強くなければならない。大騒ぎをする必要がある。正体が不確かで、どう見てもたいしたこともないのに、まるで空襲が来るような大騒ぎ。迎撃ミサイルを持ち出したとか、どこそこに配備したとか。市ヶ谷では、「はい、これがそうです」、と見学までさせる。緊張の余りか誤報まで出た。もしかしたら、これもまた演出の一部だっかのもしれない。前景気をあおるための下手なシナリオである。どこから見てもお粗末な作劇なのだが、人の危機意識の上に乗せれば効果が上がる。

 やがて、衛星が発射されると、臨時ニュースのアナウンサーは「冷静に」などと繰り返している。当人が一番興奮しているのに。なるべく騒げという指示がどこからか出ていたのだろう。
 夜になってアメリカ軍の正式発表で、衛星は失敗、軌道に乗らず、太平洋に落下したとの情報が入った。午後七時過ぎの着信だそうだ。九時のNHKは、しぶしぶ、といった言い方でこのニュースを伝えた。アメリカ軍の発表はNORADという大組織からである。冷戦中に北アメリカ大陸を攻撃から守るためにコロラド山中の地下に建設された。核攻撃にも耐える設備である。大気圏外の人工飛行物体をすべて監視している。ちり一つ見逃さない。ここの発表。NHKはその説明はなしに、アメリカ軍によると、とだけ言った。なるべく重みを感じないようにしたのかな。

 それでも、なんとか成功と強弁したい人が、北朝鮮ではなく、この日本にいる。ある人、政府関係か、防衛関係か知らぬが、この人は、「技術的には失敗だが、誇示する目的達成では成功といえる」、という何が何だかわからぬ言い方をしている。成功というのは目的を達成したことを意味する言葉ではないのか。目的を達成しなかったのに成功とは・・・言葉の意味を話の途中ですり替えてまで、失敗と言いたくない。こうなると、北朝鮮自身よりも切実に成功を「祈願」している。「射程が前回より伸びたのだから成功と言えるかもしれない」、という、これもまた奇妙なことを言う人もいる。的に当らない飛び道具なんて何の役に立つのか。

 国連安保理はまとまらないだろう。日本政府にとってはそれでもいいのだ。日本外交がここまで懸命に努力しているという光景を印象つけることが目的だから。それが政府与党内閣の意図でイメージ戦術だ。

 中国で北朝鮮国民の人々に取材した人が話していた。あの国の国民は情報統制にかかわらず、政府への不満をつのらせている。経済は更に極度に悪化している。昨年からの世界的金融危機はこの国にも及んでいる。北朝鮮の財源は、鉱物資源の切り売りだが、売り先の中国の買いとり価格が極端に下がり、財源が大打撃を受けているそうだ。軍隊も燃料不足のため戦車も飛行機も飛ばせない。兵隊も食料が不充分。軌道を飛んでもいない「衛星」を飛んでいると無理に強弁する。まさに末期の状態。日本は、あの国の弱さを知り、国民に報道すべきである。相手の、強さも、弱さ、両方とも知ることである。

 
奇妙なことがあった。ニュースの末尾で報道されたが、防衛庁の職員が庁舎の屋上から投身自殺した。「ミサイルとは無関係の部署の人です」、と必要もない説明を加えていた。これなんのこと?ミサイル部門には「なるべく騒げ」という指示が出ていたのかね。

2009.04.06.月 晴 町田

 昨日は朝からテポドン騒ぎでTVは埋まる。一番熱心なのはやはりNHK。

 現総理の麻生という人は、解散を前提にして選出されたはずだった。自民党内でもそうだった。しかし、総理になってみると、あるいは、なる前からのことか、容易なことでは辞めない腹積りがあったようだ、解散権は総理の専権事項だから、本人がその気にならなければ出来ない。一度、総理になってみたら、その居心地のよさにやめられなくなったか、総理になる前からその気だったか。折しもアメリカ発の世界的金融危機の来襲。なんと有難いことか。「百年に一度の危機に取り組むことがいまは急務、解散、総選挙などの場合でない」、という口実が出来た。

 ところが、本人の意地とは別に人気は急下降。それにもめげす意地になって居座っていたら、偶然か、体制維持の「合同密儀」の結果か、敵の大将が公設秘書逮捕という「神風」が吹いた。これでなんとなく逆風が一時納まったかのように見えた。ところが、それも一時のこと、次第に人々の関心が薄れてきた。こういう時は、国民の関心がどこか飛んでもない方向を向いてくれることが望ましい。そこへ降って湧いたのがテポドン騒動。これこそ第二の神風。次から次と溺れる者に流れてくるワラ。ワラの浮力を増大持続させ、効用を出来るだけ活用するためには、報道機関の「協力」が何よりの頼りである。新聞も各種あるが、いまは電波の時代、天下の公共放送が味方になって協力してくれれば、これほど有難いことはない。
 こう読んでいけば、最近の事の進み具合はすべて謎解きができる。公共放送には、現総理に協力する理由が何かあるのだろうか。何かあるんだろうナ。それほどこの仮定によればすべて筋が通る。
 そもそも、衛星にせよ、ミサイルにせよ、日本に危害をおよぼせば、どういうことになるか馬鹿でも分る。上空はるかを通過するに過ぎないものになんで大騒ぎするのか。失敗して何か降ってきても、カケラみたいなものだ。そんなものが危ないというなら、毎日、我々の頭上を飛び交ってる飛行機の方がはるかに危険である。民間機、自衛隊機、米軍機、ハエのように二六時中国民の上を飛んでいるではないか。どうみても、昨日今日の騒ぎは不自然だ。特番まで組むとはどういうことだろう。通行人をつかまえて、「どう思います?」などと下らぬ質問をする。聞かれれば「それは困ります」とか「怖いですねェ」などと答えるのは当然でないか。しかも、こういう街頭の声なるもの、あとで幾らでも編集できる。最も信用できないものだ。

 アメリカの専門機関NORADは、何一つ軌道に乗っていないと発表した。これが一番信頼できる報道である。 アメリカは抗議はしたが、それ以上になんの対策をとることはしなかった。軍事的には無視した。これで理由が分った。アメリカは前からかなりの情報を持っていたのだろう。

 一夜明けると、TVの特番、民放でも馬鹿な評論家の話。失敗しても、北朝鮮にすれば効果をあげただけ成功だ、などと相手を持ち上げるアホもいる。一つの国が断末魔に瀕すればどれだけ愚かな冒険に走るものか、「真珠湾攻撃」直前の日本、敗戦降伏間際の日本を思い出してみるがいい。当時を知らない世代だろうが、知らなくとも勉強すれば分ることだ。それもしないのだろう。そんな不勉強で評論家や新聞社の部長がつとまるのだから、いい世の中だ。

2009.04.04.土 晴 町田

 
今日もすがすがしい春の日。
 電車から見る桜並木もようやく中咲きくらいになった。

 朝から、北朝鮮がロケットを飛ばすと宣言したことで報道は大騒ぎ、いささか馬鹿げた感がある。日本に関係なかろう。騒げば騒ぐほど奴等は喜ぶ。おはやしをしているようなもの。政府は何か目的があってこの件を利用しようとしている。防衛予算を増やそうというのか、あるいはそれより、小沢事件が大山鳴動で沈静化したきたので、代りに国民の視線を集める方法を考えついたのか、そんなところだろう。あさはかで愚かな者ども。そういえば、この頃のNHKはおかしい。民放に先んじてミサイル騒ぎの先頭に立っている。午前のニュースでも、北朝鮮の「ミサイル」は・・・と言っていた。まだ、ミサイルと決まったわけではないのに。北朝鮮は「人工衛星」と言っている。公共放送がどうしたことか。先日も、小沢事件で、「逮捕された秘書が自供した」、と大誤報を流した。弁護士の接見でこれは誤りと分った。このことが国会でとりあげられ、NHKの代表は問い詰められた。「報道の内容については答弁できない」、などとしらをきったが、複数の角度から情報を伝えるべきではないか。「関係者によると・・・」、「関係者への取材で分りました・・・」、NHKが一番多かった。何か政府に媚びる理由があるのか、政権が替ると好ましくない事情があるのか。おおかたそんなところだろう。 

 国民の九割は政権交代を望むが、一割、望まない人たちがいる。その人たちはこれからも何かやらかすだろう。断末魔の悪あがきだ。
 
2009.04.03.金 晴 町田

 
昨日の夜は帰路、まるで真冬のような北風で、とても四月の夜とは思えなかった。今日は、ようやく四月らしい暖かな春の日となる。

 作曲中の曲、またまたピアノ曲だが、ここまで作曲を続けてくると作風の上でも予期しない変化が出てくる。次の部分にどういう様式がもとめられるか、決めるのは作曲している当人ではなく、音楽自体が要求してくるようになる。だから、先がどうなるかわからない。四度本位の部分が続いたあと、無調が必要になり、少しだが、違和感のないよう接続に留意しながら無調の部分を置き、さてそれからという段になりハタと困窮、しばし沈思、あるいは放念、考えないことが必要な時もある。沈思放念というより放置・・・思いもかけない楽案が必要であることが次第に眼前に浮上してきた。
 ピアニスト、広瀬美紀子さんが、Villa LobosのCDを出すことになり、講評をもとめられ協力している。この作曲家も不思議な人だ。自分にとって好きになれる人かそうでないか、そもそも判別がつきにくい。民族主義かといえばそうでもないようにも聞こえる。かなりの程度までヨーロッパ音楽の中にいる。それでいて、民族的独自性も出したいようで、日本の作曲家と、置かれている状況が少し似ているようだ。

 ピアノ科同期のC子さん、ここしばらく電話がないので朝電話。ひとまず健在とのことで安心。それでも五体健全ともいえないようで、用心して暮らしてもらうほかない。今日か明日、ピアノ科だけの同期会があるらしいが、ほかの科の者は知らない。ピアノ科と楽理科だけが時々集まるらしい、全科の同期会もあるのに。今年は隔年の開催年だから全科の集まりがあるはず。ピアノ科と楽理科だけが「分派」集会している。

2009.04.02.木 晴 町田

 
昨日は曇天小雨、夜に入り雷雨突風、散々なお天気。今日はようやく晴れたが相変わらず寒い。明日からようやく春らしい温暖な日が訪れるとのこと。こう寒い日が続くと桜も咲き始めてそのままになっているだろう。
 今年の秋は、栃木県のピアノ・コンクールで本選曲はすべて助川敏弥作品が課題曲になることに決まった。五月から応募の受付なので、未出版の曲はコピー製本の用意をしなければならない。新宿のkinko'sに何度もかよい、完全版の制作の準備が忙しい。自作といえども校正を入念にしないと、とんだ誤りが出てくることがある。本選前に講座があるらしいので出かけなければならない。多分、八月頃、暑い盛りのことになろう。

 時事ニュースでは北朝鮮のロケット発射で持ちきりだ。しかし、北朝鮮は人工衛星と言ってるのだから怪しからんとも言えないと思うが。衛星でもミサイルでも原理は同じだからけしからんというのも無理な話と思えるがいかがなものか。スポーツのクレー射撃の練習を行うという人に対して、それは人を殺す凶器にもなるのだから許せないといってるのと同じではなかろうか。この過剰な騒ぎ方には何か別の目的があるに違いない。それにしても、北朝鮮の政治力はしたたかなものだ。昔、太平洋戦争を始めた頃の日本とは格段の違いがある。自分が自滅の結果にならないよう、巧みに相手の間隙をついてくる。感心している場合ではないが。
 京都の研究家、川崎弘二さんから「日本の電子音楽」、という大著、その補遺二巻目が届いた。厚さ10センチくらいの大変な膨大な研究成果。初版にはなかった取材の結果がふんだんに盛り込まれている。それにしては値段が4300円と比較的安い。日本の作曲家を網羅した本で一万円以上した著書もあった。

2009.03.31.火 晴 町田

 こんどの小沢一郎氏秘書の事件はどう考えても検察がうさん臭い。

第一。
 犯罪学の第一歩からして、この事件で一番トクをしたのは誰か・・・どこから考えても明瞭で書き記す必要もない。検察の行動が行政権力と内通した策謀でなかったことがどうして分るのか。英語ではこういう場合、naive、ナイーヴという言葉を使う。アホ、マヌケ、という意味である。疑わしきは疑わずでは余りに阿呆ではないか。naiveどころか、stupidといいたい。馬鹿者という意味である。

第二。
 おびただしい情報の氾濫、というより、いわゆるリーク、漏洩。「関係者への取材で分りました」、「関係者によると・・・」という不可思議な情報。まだ、ことの真偽も不明、逮捕者が有罪かどうかも分らない。何をしたかも分らない。何から何まで分っていないのに、「関係者」からの情報として、「この人はこんな悪いことをした・・・疑いがある???ことが分りました・・・」、という不思議。「関係者」とは果たして何者か?検察しかないだろう。そうにきまっているが、そうなら、これは公務員の守秘義務違反ではないのか。「公務員は職務上知りえた秘密を漏洩してはならない」、と決まりがあったと思うが。誰もこのことに触れない、その不思議。公共放送が一番多かったように思えた。一番ひどいのは、公設秘書が容疑を認めたというものだった。これはのちに接見した弁護士により全面否定された。

第三。
 検察というものは制御監視する機関がないのか。その不思議。ないとすれば、何でもやり放題ではないか。人は誤りを犯すものである。神ではないのだから。警察は検察の調査吟味を受ける。しかし、警察の上にある検察はどこからも制御されない。これでは、戦前の特高警察、ナチスのゲシュタポとどこが違う?こんどの事件で検察は「異例の」説明会見を開いたが説明になっていない。悪いことをやっている疑いがあったからつかまえた、と言っているだけ。望みの人物の政治生命をいつでも奪える。自分に後ろめたいことがあるから「異例の」会見を開いたのだ。

 三権分立というものがある。司法、立法、行政。行政は政府、立法は国会、検察は司法だろう。かりに行政としても、国会には国政調査権というものがある。相手が行政であろうが司法だろうが、国政の一部であるからには国会には調査権があるはずだ。検察庁長官を国会に喚問する案が現に出た。参議院の西岡さんの案だ。当然である。長官だけではなく、取り調べに当った検事も喚問すべきだ。どういう根拠で、どういう調べをしたのか、リークの源泉はどこか。コソ泥だって、取り調べに不正、行過ぎがなかったか映像公開する時代ではないか。

 ** 昨日の夜のTBSラジオ「バトルトーク」でこの問題をとりあげた。この事件での報道のあり方に疑念を持たなかったか、というテーマだった。なかなか勇気ある企画である。記者を経験した人が分りやすく説明していた。検察官からの取材は以心伝心で証拠が残らぬように、顔の表情から読み取るのだそうだ。記者からの仮定の問いかけに、yesかnoかを顔で表わすのだそうだ。だから、あとで漏洩の疑いを問われても「私はなんにも言っていません」で通るのだそうだ。電話でのリスナーの声でタクシー運転手の話が貴重だった。客の会話を聞いていると新聞の論調のように事件を受け取っていない人の方がずっと多いと。

2009.03.29.日 晴 町田

 ナチスという政党、政権、その思想的面、政治学的行動についてどれだけ解明されたろうか。これは過ぎた過去のことではない。どんなものでも過ぎたものはないという以上に、この政党の行動経歴は過ぎたことではない。

 現実と理念の組み合わせの食い違い、そもそも何がやりたいのかが未判明、意図と達成率の見通しの不確実、日本の国家主義に比較して、理論的であり論理的であるなどと俗論に言われるが、その実はあきれる程の混乱と、思考不充分と、諸件未解決のままの暴走と、想念の未整理が浮上判明してくる。
 大局としては、レーニンが説くように「遅れてやって来た帝国主義」だったのだろう。「先輩」帝国主義国の袋叩きにあったわけだ。この点は日本、イタリアも同様である。それにしてもナチスは手際がわるい。理論と実践の不整合で一番ひどかったのがナチス・ドイツである。日本軍国主義は野蛮であったが、それゆえに経験主義的であり、空想的な理念と現実との度を越した食い違いはなかった。現実との食い違いは原始的で程度の低いものだった。

 先に触れた「20世紀の神話」を書いたアルフレッド・ローゼンベルクはむしろ経験主義的で、穏健というものではないにしても、現実的な政策を提言していた。ロシア政策では、ロシア人以外の民族を保護してロシア人を孤立させ、分断する政策を提言していた。ウクライナの独立と保護も進言していた。イギリス的である。この人は事実、イギリスの政治学者チェンバレンの影響を多分に受けている。H.S.チェンバレン、Houston Stewart Chamberlainは英国人でありながら、ドイツに移住した政治学者で、最期はドイツに帰化した。この人の夫人はリヒアルト・ワーグナーの娘である。人種の差別、ゲルマン民族の優位を説き、無名時代のヒトラーを賞賛し、ヒトラーから第三帝国の思想的開祖と讃えられた。チェンバレンは19世紀前半から20世紀前半までおそろしく長寿の人だったが、ユダヤ人の撲滅までは主張せず、北欧人種の優越性を説いた。ヨーロッパの人種主義がこの頃からあったことが分る。この人が著書を著す前からあった。だから著書が出来た。ヨーロッパの人種問題は根も由来も深い。ヒトラーが終生イギリスには好意的であったこと、本当は英国とは敵対したくなかったというのも、こういう経緯があったからであろう。にもかからわらず、対英戦を始めた。そして決着しない内にソ連に攻め込んだ。支離滅裂である。ローゼンベルクはチェンバレンの影響を多分に受けた。だから彼の発想は英国流というか、アングロ・サクソン型である。しかし、この提言はなまぬるいという理由でヒトラーに受け入れられなかった。

 こうして、迂回して目的を達成することをよしとせず、手荒なやり方で速戦即決でことをすまそうというのがヒトラーとナチスのやり方であった。手荒なやり方をすれば反発も強まり、結局損をするのにそれが分らない。この辺の計算能力の低さと乱暴さがいまの私たちには分らない。英国流のやり方はいわば知能犯である。本当はこの方がよほど度し難く悪質なのだが。

 ナチスの航跡には至る所に無計画と無知に近い判断が残っている。西部戦線を残しながらなぜソ連に攻めこんだか。東西両面作戦を始めれば動きがとれなくなることは明白なのに。ソ連に攻めこんだのは、英仏米などが、反共という意図からヨリをもどしてくれると考えたからだそうだ。なんと甘い判断だろうか。宣伝省まで設けながら情報収集がなっていない。英国のチャーチルは、「ナチス・ドイツを倒すためなら悪魔とでも手を握る」と言った。反共主義者であっても、遠いソ連とスターリンより、近くのドイツの方が危険度が高いと判断したのである。ソ連に攻めこんだあとも作戦は混乱していた。ヒトラーはカスピ海沿岸の油田に急行するよう命じたのに、将軍たちは古典的戦術観念にとらわれ、モスクワ、レニングラードなどの主要都市攻略にこだわった。その結果が敗戦に結びついた。

 こういうナチス政府の愚かで粗雑な思考は独裁制度のためだろうか。それとも、ヒトラーも側近も愚か者が揃っていたからか。その両方ということもある。とかく粗雑で乱暴なのだ。だから、知恵ある者の提言を受けいれない。ローゼンベルクは無能な人であったようだが、彼の提言によりソ連政策を進めていたらまったく違った結果になったろう。ユダヤ人にしても、おだてと脅迫によってその能力を利用した方がずっと得であったろうに。それが英国流のやり方だ。

 最も奇異なことは、彼等の行動は、一見、理論的、理念的、論理的裏づけであるかのように見え、当人たちもそう自覚していたかもしれない、にもかかわらず、その底にあるものは、結局は感情と情緒ではなかったかということである。理性とはほど遠いものが原動力であった。全体主義は左右数あるが、こんな奇怪なものは世界史上例がない。(この件おわり)。

2009.03.28.土 曇ときどき晴 町田

 ナチスはユダヤ人の迫害を公然と行ない、むしろその行為を国内に誇示すらしていた。少年団にはユダヤ人商店の襲撃をけしかけ、そうした迫害行為をむしろ賞賛推奨すらしていた。また、収容所も、ただ人を収容するだけの施設なら、ある程度自国内に公表していたかもしれない。しかし、大量の人を工業的に殺す「殺人工場」については自国民にひた隠しにしていた。なぜだろう?悪いことをしていたと知っていたから?ということは、自分たちの行為が悪いと知っていたことである。ユダヤ人迫害を正当化して、自国内ではむしろ宣伝自賛していたのに殺人工場の件だけは隠した。

 通常の犯罪では、悪いことだから隠したというのが一番普通である。あるいはナチスは、自分たちの行為は理論的には悪いとは思わないが、一般の自国民は、にわかには同意しないかもしれない。それゆえに当面隠したか。ということは、自分たちの判断基準が一般自国民の判断基準とは同じでない、そう認識を持っていたわけである。そして、自ら正しいと判断する基準によらず、別の普通人の基準の方に自分を合わせたわけである。近頃の言葉でいえば、ダブルスタンダード、二重基準である。実に場当たり的でずさんなやり方である。そうであるなら、なんのための哲学化と理論化だったのか。自国民も同意させられない「哲学」であった。

 こうした経過が事実とすれば、このことから分ることは、まず第一に、彼等が一見は巧知にたけていたかのように見えることである。そして第二に、思想より現実との妥協を選んだということである。彼等自称の思想哲学にかかわらず、自分たちの行為を、一般人から見れば悪事と見られることを知って認めて、その上でそれを隠すという二重の作為を行なった。彼等の行為は実は、巧緻どころかおそろしく一貫性が欠けている。

 最近の裁判でよく聞く言葉に、「心身毛弱」とか「膠弱」、とかいう言葉がある。頭がおかしくなって善悪を判断する力が無くなっていた、ということである。反対は「確信犯」。こちらは自分のやっていることを承知した上で、悪いと思わない態度。この二つは両極端だが、どちらも、自分と自分の行為を悪いと思わない点は同じである。ナチスはまさか「心身毛弱」だったわけではあるまい。間違いなく反対の「確信犯」であったはずだ。そもそも、これだけのことをやって、それが世界にばれないだろうと思ったアタマの不思議!?。もしかしたら、ナチスは「心身毛弱」だったのではないか。
 昔、ソ連で「スターリン批判」というのがあって、ソ連が、スターリンについての全てを否定しようとしたことがあった。スターリンの名前も消そうとしたのである。これは無茶である。日本のある人は、「ソ連の歴史からスターリンの名を消そうとすることは、日本の近代史から明治天皇を消そうとするようなものである。しかし、ソ連という国はそういうことを本気でやろうとする国なのだ」、と言った。ナチスの行為もこれと変らない。後進国的全体主義国に共通する発想なのだろうか。ジンギスカン時代ではあるまいし。
 ニュルンベルクの国際法廷で、被告席のあるナチス幹部は、殺人迫害のフィルム映像を見せられて見るに耐えず、映写を停止するよう訴えたという。実際、幹部たちはどの程度残虐行為を知っていたのだろうか。

2009.03.27.金 曇ときどき晴 町田

 
幾らか低めの気温だが、これが平年なみだろう。昨日は夢に高橋悠治君が登場したのは意外だった。ずいぶん会わないがどうしているか。青春の友だ。

 このサイトを読んでくださる人もカウンターによるとかなりいるようで、まことにかたじけない。こういう文は公開文に入るのか私文に入るのか、新しいものだけてにいままでの通念では当惑するものがある。
 昨日から書いているナチス・ドイツの話は深刻なので、連日の更新は意図的に避けることにしたい。読んでくださる方に熟読熟慮して頂くため時間を置くことにする。明日は間違いなく更新して続きを書く。

2009.03.26.木 曇 町田


 私の恩師、札幌の故荒谷正雄先生は、恩師というより音楽における育ての親というべき人である。すぐれたViolin奏者であり指揮者であった。札幌交響楽団の創始者であり初代指揮者でもあった。1996に亡くなられた

 先生は、1936年、昭和11年、ヨーロッパに渡り、ヨゼフ・シゲッテイに師事し、ウィーン、チューリヒ時代のあと、ベルリンに移り、主として室内楽の活動を継続された。1945年、昭和20年、ベルリン陥落とともにソ連軍に抑留され、日本の降伏終戦直前にシベリア鉄道で送還され帰国された。この経歴を見れば、先生のドイツ在住時代がナチスの時代と完全に重なっていることが分る。私たちは、帰国されたばかりの先生から、本場の音楽界のホットなお話を目を輝かせて聞かせて頂いたものである。全盛期のフルトヴェングラーの話などはいまも忘れない。私は当時中学生、一番感じやすい年頃であった。

 ほぼ10年に及ぶナチス時代のドイツの話だが、政治の話は余り聞かなかった。しかし、聞かないといっても、ある程度は話のなりゆきから触れないわけにはいかない。すすんでこの話題に及んだわけではないが、時代の上でも現場とその一番近くにいた人の話としていまも記憶している。
 あれから60年以上たったいま、先生の昔の話から、いまむしろ当時よりも無気味に思い出されることがある。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害に関することである。現地に在住されていた先生はむろん、このことを通常のドイツ国民と同程度に知っておられた。ユダヤ人の人たちが、追放、強制的な国外退去命令を受けて、手続きのため行列しているのを見て、心底気の毒に思ったそうだ。また、すぐれた学者や音楽家が追放されことは誰でも知っている。

 私にとって、いま、無気味に記憶されていることはそのこと自体ではない。そんなことはいまでは世界中で知られている。無気味なのは、当時のドイツ国民にとっての「収容所」と「大量殺人工場」の情報のことである。これらの事柄について先生は全く知らなかった、知らされなかったと言っておられた。むろん、先生だけでなく当時のドイツ国民は全く知らされなかった。いまでは周知のことだが、アウシュヴィッツ収容所は、ドイツ軍が敗走する時、徹底的に破壊して痕跡を隠滅するよう指示が出されていた。しかし、ソ連軍の進撃が予想以上に速く、破壊が間に合わなかったため見つかってしまった。ブッヘンヴァルトやダッハウなどは西側軍隊によって解放され、ダッハウの収容所を解放したのはアメリカ軍の中の日本人部隊だった。

 いまでこそ、アウシュヴィッツは世界で知らぬ者はないが、当時は自国民には知らされなかった。なぜか?そのことが私にとって無気味なのである。収容所は知られても殺人工場についてはナチスは徹底的に秘匿していた。「隠して」いた。フルトヴェングラーの政治責任の問題、芸術と政治についての経過は演劇化されたが、一般のドイツ国民はユダヤ人の迫害は知っていたが、殺人工場のことは知らされていなかった。これは何を意味するのだろうか。

 ナチスの政治思想と行動は理論化されていた。哲学者アルフレート・ローゼンベルクは著書「20世紀の神話」でナチスの思想を理論化した。日本の軍部や指導部や兵隊が行なった行為とはここが違う。感情的行為ではない。ナチスはいわば確信犯であった。ユダヤ人は有害だから駆逐する、迫害してもいい、と当時公然と布告し、少年団にユダヤ人の商店街を襲撃させた。それなのに、なぜ、殺人工場のことを自国民に秘匿していたのか。対外的に秘匿した理由は分る。反人道的な行為が外国の非難を受けるからである。外国の非難を受ければ報復される。これは計算の問題。だから知られない方がいい。ここまでは分る。無論いいことではないが、彼等がなぜそうしたか行為の因果関係はわかる。しかし、自国民に隠したのは何故だろうか。ユダヤ人は有害劣悪な人種だから迫害してもいい、むしろ奨励すると宣言していたナチス政府が何故隠したのか。ナチスは一人二人の小人数の集団ではない。一国の政権をとっている政府である。

 さらに無気味なのは、「ショアー」という映画によれば、ナチスは、こういう「行為」自体の存在を隠滅しようとしていたそうである。あたかもそんな行為が無かったかのように隠蔽しようとした。自国民に隠し、行為そのものの存在も隠そうとした。確信犯が何故隠そうとしたのだろう。ユダヤ人問題の「最終解決策」− 皆殺し政策は、ベルリンのWannseeという湖のほとりの館で会議され決められた。正式の政府の政策である。一人や二人の思いつきではない。

2009.03.24.曇 町田

 昨日の夕方から気温が下がった。帰りは自転車で手袋がないことがこたえた。花冷えというが、まだ桜は咲いていない。冷え方が早すぎる。この頃は電車の中で本を読むこともしない。意識が疲れる。自分のことで考えることが手に負えないほどあるので、そのほかに外部から来る情報を迎え入れる余裕がないし、したがって知りたいとも思わぬ。町田から経堂まで、各駅停車では約45分かかるが、この頃はただ坐って過ごしても少しも退屈しない。もうまもなく三月が終り、四月になる。一年の四分の一が過ぎるわけだ。余りに光陰が速く、目がまわりそうだ。しばしは、つかの間の春日を味わいたい。

  
いまのニュースで、小沢一郎氏の秘書が東京検察庁に起訴されたそうだ。この事件での報道のあり方は異常だった。「関係者への取材でわかりました」、という報道が津波のように流された。「関係者」とは何者? こんな出所不明な報道で一人の政治家の政治生命を奪いかねない報道が無制限にあっていいのだろうか。関係者とは検察当局の者だろう。それ以外はに考えられない。とすれば、これは、公務員の守秘義務違反ではないのか。公務員は職務上知りえた秘密を漏洩してはならぬと、さだめられた義務である。小沢氏は公人だが、もし個人についてこういう報道が許されれば、事実上、社会的殺人である。ほんとうの殺人にもなりかねない。今回の報道のあり方に60年以上前の大本営発表を思い出した。専門家の話によると、検察は、翌日の新聞の紙面構成も想定した上で情報を漏洩するそうだ。悪質きわまる。ただし今回は、拘留期限切れの今日が、野球の大ニュースと重なり作戦通りにいかなかったのは権力犯罪の下手人どもにとっては残念至極だったろう。

2009.03.23.月 晴 町田

人の望みとよろこびよ

 こういう次第で論を進めたので、B.物の破壊の話は自動的にCの他傷行為につながってしまった。だから、以下、BとCはまとめて論じる。

 
有名な作家で、「たたかい」という言葉が好きだという人の話を聞いた。何かというと「たたかいだ」、というそうである。私は「たたかい、闘い」という言葉が嫌いである。そんなこと、言わなくとも世の中、闘いをせずにいられないことは分る。だからこそ、闘い、などという言葉を繰り返す必要はないと思う。「たたかい」、という言葉の中にすでに、「争い」、「敵意」、が含まれているではないか。「たたかい」などで何が得られようか。昔の人は言った、「剣に立つ者は剣に滅びる」、と。こちらの方が本当であるし傾聴すべきではないか。

 平時でも、人は、殺人も、他傷も、破壊も、行なう。戦争「だけ」をやめよ、というのは、「殴り殺す」ことだけはやめて、「絞め殺す」だけにしろ、というのと同じでように聞こえる。私にはそうとしか思えない。「撲殺」反対運動である。
 地上で人がおかす暴力と殺戮はそれだけでない。人間以外の生物を好き勝手に傷つけ、殺傷する、こんなことがあっていいのだろうか。単なるいじめ、ではなく、実験材料として生命と苦痛をもてあそぶ。H.G.Wellsが「宇宙戦争」で描いたことはこのことだった。火星人や宇宙人の話ではない。人よりも知能や技術力がまさる生物がやってきて、人間がいま他の生物に行なっているようなことを人間に対して行なえば、どういうことになるか、それをを説いたのである。人間に対する文明批評だった。動物、生物だけではない。Wellsはイギリス人であったが故に、英国が世界的に版図を広げ、世界中に植民地を持ち、原地の人たちに非道な行為を振りまいていることへの批判であった。原地人への迫害も「戦争」ではない。「平時」のことだ。

 私が言いたいことは、だから「戦争」をやってもいいというのではない。「戦争」さえなくなれば地上の悪が消えるかのような意図的な宣伝はよくないといいたいのだ。それは、人の行為と人間の本性への無反省を招き、兵器を使わぬ、平時の残虐行為を呼び覚まし、肯定することになることを言いたいのである。「高く立て×旗を、そのかげに死を誓う」、こんな文句のどこに平和への願いがあるか。こんなスローガンを叫ぶ人たちが平和を口にしてどうして信用できようか。

 小泉八雲は、「光は東方より」という短文集の中で、すべての生物は他の生物を殺しながら生きていく。生物だけでなく、物質ですら、他の物質を損壊しながら存在を維持していく。星ですら、天体ですらしかり、と言っている。この世にはいかなる秩序も、主、あるじもない。それが仏経でいう「業」カルマである、と書いている。しかし、別の所で、滅びたもの、死んだものは、かならず別の生命、存在の一部となって生き続けるとも書いている。これが世界の実相だろう。「平和」は、永久に達成できない目標であろう。しかし、人の望みと希求として、その目標を失ってはいけないと思う。平山郁夫画伯は少年時、広島で被爆した。その時の光景をすさまじい画に描いている。燃え盛る地上のはるか上、天空に不動明王の姿がある。ここに画伯の平和への希求がある。不可能であっても望むこと。それが人に課せられた心の任務ではなかろうか。

 話が急に自分のことになるが、私がリアリズムを嫌うのもその理由からだ。人は、夢、理想、希求、願いと、あこがれ、を持たねばならない。芸術はありえない夢を追うものでいいと思う、むしろそれが使命でであるとさえ思うからである。「主を、人の望みとよろこびよ」。それが芸術の仕事だろう。私はそう信じている。

 
この話ここでひとまずやめる。

2009.03.20.金、祭日 晴 町田

 
予報では雨で気温も下がるとのことだったが、昼には雨はやみ、陽が出て気温も高くなった。 

「平時」と「平和」はちがう。
     戦争の中にあるものは、すべて平時にもある

 
「最悪の平和でも最良の戦争よりましだ」、というネールの言葉がもはや通用しない。  
  「最悪の平和(平時)」は「最良の戦争」よりわるくなった。


戦争の悪のB、物の破壊。

B.物の破壊。

    
ここでは、人を殺さずに物だけを破壊する行為を類別する。物的な破壊行為は戦争では、ほとんどの場合、殺人行為と同時に行なわれる。これだけということは希である。砲爆撃では人も殺すが物も壊す。軍艦を沈めれば船と一緒に人も殺す。だから、これだけの行為は平時では行なわれにくい。

 にもかかわらず私がここにこの項目を立てたのは、前に書いたように、最新の技術によれば、抗戦相手国、つまり敵国の通信網を破壊する戦術が研究されていると聞いたからである。この場合、相手国の人を殺傷することはない。通信網だから物であろう。電波も物である。人を殺さないこの戦術、戦争は道徳的に是認されるだろうか。人は殺さなくても物を破壊するから駄目か。物だけの破壊といえば古典的な戦争では、特殊部隊による相手国の××施設の破壊などがあった。戦争アクション映画によく出てくる。これは物といっても目に見える物だから、いかにも乱暴な暴力による破壊行為に見えるが、型がなく目に見えない電波を破壊するとなると、暴力的な印象は薄くなる。それではこれはいいのか?天然自然の道徳感覚からは、やはり肯定できないだろう、それが普通ではなかろうか。自然法的な判断が導くのであろうか。

 それではなぜ否定されるのか。ここがとても大事なことだ。たとえ、人は殺さなくとも、Cにあげる「他傷行為」に入るからか、私はそう思う。人を殺さずとも、目に見えるものを壊さずとも、相手に損傷をあたえようとする行為であることには違いない。ここに戦争が悪とされる根源が潜んでいる。戦争がよくない、という根拠は何か、それは、他人に損傷をあたえようとすること、そしてその前には、人への憎しみがある。人を殺さず、物体を破壊するわけでもないのに、電波を破壊されれば相手は困る。これも相手に手を触れない暴力である。暴力とは物理的に相手に直接振るうだけのものではない。相手を屈伏させようとすること。相手を自分の意の下に無理矢理従わせようとすること。それが暴力である。暴力の前段階には憎悪がある。

 ここまでくると、この悪は戦争だけではない、「平時」でも大有りであることが誰にでも理解できるではないか。ここをはっきりさせておかないと、反戦平和運動は正体不明の心霊現象になる。私にとっていままで最も気になっていたこと、判然としないことがここにある。
 平時、企業が競争状態にある相手企業を屈伏させようとする。資本の力、株の買い占め、など、さまざまな圧力を使うことがあるだろう。相手が従わざるをえない所に間接的に追い込んで目的をとげることもあるだろう。相手の土地を使えないよう法的な策謀をめぐらすこともあるかもしれない。この場合は、相手企業家への憎悪はないかもしれぬ。相手は人ではなく物、会社だから。憎悪はなくとも、自分の目的ために相手、他人を、その意に反して圧力を加えること、それが反道徳だということになる。憎悪がなくとも駄目だ。悪の範囲は更にひろまる。
 どの分野であろうとも、ある人を失脚させようとしたり、反対に実績もない人を情報力を使ってスターに仕立てたり、こんなものを押しつけられる側にすれば反道徳、不道徳なことだ。この辺までくると話が急に身近になる。戦車も核兵器も要らない話だ。昨日、今日、身辺に起こりそうな話だ。

2009.03.19. 晴 町田 

 
昨日は、青山のカワイ・パウゼで演奏会。Pianoの深沢亮子さんとViolinの恵藤久美子さんの演奏で、私のViolin曲二つとピアノ曲一つが演奏された。この会場は改装されて立派になったが、音が響きすぎるとの下馬評がしきりだったので心配していたが、案じていたほどのわるい響きではなかった。二人ともよくひいてくれた。恵藤さんは、演奏前に曲のために私が書いた詩を朗読してくれた。こういう音楽を生み出したかったので幸福な思いのひと時だった。

 さて、連続する本題。

「平時」とは「平和」のことではない。
   戦争の中にあるものは、すべて「平時」にもある !

 「戦争の悪」といわれるものを分類してみよう

A.殺人。それも大量の殺人
B.破壊行為。
C.他傷行為。

 Cの他傷行為は、AとBがすでにそれを含むが、含まれないものもあるので一項目とする。

 この三種類は誰が考えても戦争と戦場の出来事に思われるが、実はそのすべて平時にもあるのだ。まず行為の規模と意味の深さから大きい方Aからとりあげる。

 A.殺人。平時でも殺人は起こる、しかし、戦争ほど大規模で、計画的で、しかも合法的な殺人はないと思われるかもしれない。しかし、そうではない。大規模で合法的な殺人は平時でもあるのだ。それは権力によって行なわれる。
 近くは中国の天安門事件、ミャンマーの弾圧、チベットでの弾圧事件、さらにさかのぼれば、ナチスのユダヤ人大量殺戮、スターリンの暴政、ソルジェニーチンによれば、スターリン政権下で投獄された人の数は一千万を超え、優に一国の人口に相当するそうである。。投獄された人の中で獄中で無念の死をとげた人もいたろう。意図的に殺害された人もいたに違いない。大量ではないかもしれないが、軍国日本時代に特高警察により迫害、殺害された人たち、小林多喜治はその一つの例である。民主化をもとめたハンガリーに侵入し軍事弾圧したソ連、この時は戦車四千台が侵入したといわれる。中には殺された人もいた。これらはすべて「合法的」で「正当化」された「平時」における殺戮である。戦争となんの違いがあるか。大空襲、原爆の方が殺傷規模が大きいようだが、ホロコーストで殺害されたユダヤ人の数は数百万といわれる。原爆の死者は20万か30万である。大空襲、原爆よりはるかに多くの人が「平時」にあって大量殺害されたではないか。
 身近な所では、オーム真理教による「サリン事件」。これなどは権力ではなく、狂信的な一群による行為である。さらに近年はテロが横行し始めた。2001年9月11日の貿易センター・ビル自爆破壊事件、最近の自爆テロ事件ではなんの関係もない人たちが数百人単位で犠牲になることもある。平時の殺人は法に反する行為であり、当然、犯罪として処罰されるかのように考えがちだが、いまあげたような事例は、サリン事件以外は合法である。自爆テロは合法とはいえなかろうが、犯罪という意識の下に行なわれるものではない。権力行為ではないが、犯罪意識によるものでもない。

 「最悪の平和」でも「最良の戦争」よりましだ、というインドのネールの言葉がもはや通用しない。「最悪の平和」は「最良の戦争」よりわるくなった。北朝鮮の実態を見よ。国民が飢えているのにロケットの打上げを企てている。北朝鮮の人の中には、戦争してもいいから、この体制を倒してほしい、と言う人もいるそうだ。その反面というか、戦場と戦争のさなかにあっても、ほんの僅かな事例だろうが、美談といえる出来事もある。非武装の人を攻撃することをやめたり、敵を助けたり、見逃したり、いまは、こういう話を持ち出すことも戦争の美化のように受け取られがちだが、こちらもまた現実にあったことであり、実際に起こったことである。自分が望む結論判断に至るべき気に入った部分だけを見ようとすることは間違いである。

 
2009.03.16.晴 町田 

 
昨日に続いて今日も快晴、春の日となった。

   戦争というものは、幾つもの、要因、要素、を含んでいる複雑きわまる人間行為である。そのどれもが、人間の天性と深く結び着き、人の心の深底を源泉としている。人間的であるだけでなく、根底に生物学的な源泉によるものも含んでいるだろう。その上に、人が自然を離れ、反自然的な人間社会を造ってから創出され、生み出したものが追加混合している。とうてい簡単に扱うことができないしろものである。こういうものを簡単に扱おうとすると、対象に深く喰い込んでいないから結果は説得力あるものにはなりえない。主張そのものも脆弱なものにしかなりえない。
 「いかに複雑で否定しがたいものを含むものでも、人殺しはよくない、人殺しは人間にとっての根元的禁じ手である。だから戦争は否定される」、といっても、それでは人を殺さぬ戦争ならいいのか、という次の問いがすぐに立ち現われる。現に、名前は忘れたが、女性評論家で神風特攻隊を賛美する著書を書いている人がいる。こういう所説に反論して理論で対決する人は出てこない。なんと、ひ弱な反戦論であり反戦運動だろう。反戦運動に熱心に取り組んでいる人がいることは知っている。だから、こういう言い方はいいとは思わないが、戦後60年の経過を振り返ると、思想的怠惰としか思われてならないのである。

 昔、ギリシャとペルシャの戦争の時、わずか7000のスパルタ軍は、20万のペルシャ軍をテルモビレー峠で迎え撃ち全滅するまで戦った。世にいう「テルモビレーの戦い」である。三島由紀夫は戦艦大和の最期の闘いを「日本人のテルモビレー」と呼んだ。反戦論者は「テルモビレー」をどう評価するのだろう。人殺しは悪であり、暴力は悪であるなら、なぜ「テルモビレー」は賛美されるのだろう。
 ある仮定をしてみる。もしこれが、やくざ、マフィアの抗争の中の出来事なら賛美されることはないだろう。とすると、国家の行為である故に戦争は美談となる次第だ。ここでまたヘーゲルが現われる。国家を肯定し、美化すれば、国家のために死ぬことも肯定され美化される。とはいえ、多分、ヘーゲルと同時代人だった、クラウゼヴィッツは「戦争は政治の一種である」と論述している。記憶によると、「政治の延長である」、というのがもとの言葉だったと思うが、政治の一種、と表現した方が分りやすい。ヘーゲルは戦争で死ぬことを賛美し、クラウゼヴィッツは、戦争は政治の一種類だと言う。戦争で死ぬことは政治のために死ぬことになる。

 ここまでで少し分りかけてきたことは、国家の権威の否定まではいかなくとも、縮小、限定、ということであろうか。しかし、国家の有用性をどの程度まで、どのようにして縮小限定できるのか。「人殺しと暴力の正当化まではできない」ということか。いまもWBCで日本チームが勝った負けたと大騒ぎしている。一方で、自分の国の国民がほかの国に暴力的に拉致されても手も出せない。戦争の正当化までの権威は認めないが、国家の権威と価値と、国民のための有用性を全部否定することは無理だろう。また、公共のために、他人のために命を捨てることが無意味なことであると否定評価するわけにもいくまい。どこまでを、何故、否定し、他の部分を、どこまでを、何故、どのようにして肯定するのか、肯定だけでなくすすんで美化までできるのか。この論理の構造を綿密に構築する仕事を世界のどの国も進めていない。


2009.03.15.晴 町田 

 
ひさしぶりに晴れた。春暖の日。

 戦争は暴力の解放であり、それゆえに禁じるべきである。ここまでは誰が考えても同じである。ところが、実は、そこで話は終らない。ここから一番難しいことになる。

 人が生きることは目的意識がなくとも出来る。しかし、死ぬことはそうはいかない。誰でも死にたくはないからである。ヘーゲルは言った。「戦争で国のために死ぬことは立派なことである」と。現在の反戦運動家が聞いたら憤死しそうな言である。しかし、「戦艦大和の最期」の著者、吉田満は、書中で、学徒出身の士官たちの議論を記している。ある者は、「国のために死ぬことで充分だ」、と言うが、別の一人は、「それでは満足できない。自分一人より、より高い、より普遍的な価値と結びつくのでなければ自分は満足できない」、と。これが人の深い所にある価値希求である。
 人は死ぬことに価値と意義を必要とする。そして、自分一人、個人よりも、何か、より高く、より普遍的な価値を求め、そのために死ぬことにはじめて意義を認める。
 自分一人のためでなく死にたい、普遍的な価値のために死にたい、それもまたエゴイズムなのか。自分以外の人のために生きたい、死にたい、ということも、それ自体またエゴイズムなのか。こうなると私には全く手に負えない、分らない。自己欲を捨てるために修業することもまた、それなりのエゴイズムか。それでは人間が志すことは全てエゴイズムということになる。釈迦が悟りを得たことも、キリストが十字架に架けられたのも本人の意志の結果である故にエゴイズムか。こうなると無茶苦茶だから、ここまでの拡大はやめる。

 意味を制約したい。自分一人の満足だけ目指すこと、自分以外の人と、ものはどうなっも自分さえよければいい、こういうのがエゴイズムであろう。自分を滅却してもいいというのだから、ここまで自己欲といえば何も分らなくなる。それは名誉欲でもなかろう。自分の名が残らなくてもいいというのだから、他人の前に名誉をさらすことを目的としているのではない。
 ヘーゲルの言う所は、人は自分のためだけでなく、自分を超えた、より高い、より広いもののために生きるとこを希求する。(ヘーゲルによれば)最も普遍的なものは国家である。国家が自己実現のために全力をあげるのが戦争である。だから、戦争で国のために死ぬことは最も価値高いことである、という次第。この論に異をとなえることはさして難しくない、また理があることである。ヘーゲルは無視しているが、ここに政治が介入してくる。死にたい人だけが死ぬならいいが、死にたくない人まで死ぬのが戦争である。そして、政治と社会の仕組み、ある人たちが得をして、ある人たちは損な役回りをさせられる。社会構造のかりくり、階級構造の欺瞞。ヘーゲルの言うように簡単にはいかない。

 しかし、自分を超えたもののために生きたい、死にたい、何事かをなしたい、というのは戦時も平時も超えた人間の根元的な希求であろう。だからこそ、ボランティア活動もする。若い人たちが、環境を守るために志願して活動するし、災害地で救援活動をする。平時でもこうなのだから、これは戦場での特異で異常な条件下だけに現われる人間の特性とはいえない。この、願望、切望、希求、というものは根元的なものであり、それ故に人は戦時平時を問わず難題にぶつかる。いまの太平無事の世の中でも、生き甲斐はとは何か、生き甲斐がない、そのことが深刻な問題になっている。それが、若者も成人も虚無と拝金に走るもとになっている。芸術家とても、自分の芸術行為、創作すること、演じること、すべて、自分のためか自分を超えるもののためか、自分でも時々分からなくなるではないか。自分が満足するだけでいいのか、よくよく考えれば、「イエス」、と断定できる芸術家はいないだろう。
 この、名誉、自己犠牲、という「美徳」に戦争が深くかかわってくる。このことを無視して反戦平和をとなえても、どうしても話が空転する結果になるようで仕方がない。人の心の弱い所にかわってくるのだ。最近では、自爆テロ、というのがある。これなどは、本人がいやなのに命令されてやるものではなかろう。自分から死を選ぶ。そこには、名誉、というのではなければ、自分を超えたものへ命を捧げるという思想か信念があるのだろう。戦争を否定するならば、こうした、思想、信念、信仰、価値観、とどう向き合うか、素通りはできないと思うのだが。

09.03.14.土 雨のち曇 町田 

 10日の火曜日以来、五日間仕事場へ来られなかった。もう仕事はしていなはずだが、いろいろな所用が出来るもの。10日は、18日のカワイ・パウゼでの深沢亮子さんと恵藤久美子さんの演奏会で自分の作があるので練習を聞く。11日は自宅で作業。12日は、Hamburg在住のピアニスト、伊藤野笛君がドイツ人の友人、テノールを連れて帰国しての歌の演奏会。代々木八幡のMusicasa、小さなホール。昨13日はフランス歌曲の泉千春さんのリサイタル、音楽の友ホール。自分の歌曲小曲「秋ありて」の初演。よくもまうこう連なったもの。明日からは当分連勤できるので、更新も毎日できそう。

五日ぶりで本題再開

 
いま書いていることは、戦争を体験している世代かどうかとは全く関係ない。戦争と平和・平時、これらには果たしてはっきりした区別があるものか、そんな区別と関係なく、人の世には通奏的に潜在する問題があるではないか。それがいまは潜在どころか、人間、生物、地球も含めて、命とりの恐怖の現実となりつつあるのではないか、ということである。

 吉川英治だったか、人が本来的に持つ欲を幾つかあげていた。さだかな記憶ではないので自分流に列挙してみると、物欲、色欲、名誉欲、それに、闘争欲、こんなものではなかったろうか。闘争欲はむしろ闘争本能という言い方の方が適切であろう。人には闘争本能がある。それは生物学的なもので、社会の仕組みや状況から途中で生み出されたものではない。この本能をどうにかしないと戦争はなくならない。スポーツはこの本能を無害に処理するための人の知恵であろう。そしてまた、闘争そのものを全部否定してしまうとまた、競争心、努力意志までも消してしまうことになるので、これもまずい。トインビーによると、競争心を失った社会は活力を失い、滅亡への条件の一つとなるそうだ。問題は、闘争というより暴力への欲望であろう。もともと本能の中に暴力への衝動が組み込まれているかもしれない。格闘技などは、この暴力本能も囲い込みルールの中で処理する場となっている。
 しかし、欲望そのものは、いかなる種類のものであろうとも、野放しにすれば自滅への道になる。そのことは闘争欲、暴力欲に限らない。物欲でも色欲でも同じである。人間以外の動物でもこれは同じであるが、欲望の達成はその自然的能力と環境によって、おのずと制限されるように出来ている。人間は、自然のままの姿から、人工の力でその能力を拡大し、自然のままの制御装置では仕末できないものに成り変ってしまった。いうなれば、エデンの園から神に追放された時にこの運命は始まった。

 人の中に暴力欲望は原初的に生きている。平時では、それが法的に、また道徳的に禁じられているだけである。法の力で禁止されているし、またそれは悪いことだ、と教えられている。だから、平時といえども、この二つの制約が取り除かれれば、たちまち欲望は踊り出る。ナチスの少年団が、ユダヤ人を襲うことは悪いことではない、おおいにやれ、と言われると、たちまちとんでもない暴行を始めた。また、近事では、相撲部屋での暴行事件。合法化され、奨励されればたちまち惨劇が起こる。暴力が法的、道義的に合法化されるのが戦争だから、それを禁じるという意味では反戦は有意義である。ただ、それが型の上での戦争という状態を禁じるというだけのものになると、もともとの意味と目的が失念され、反戦のための暴力という原義倒錯が起こる。禁じることは消滅させることではない、封じ込めるだけである。封じ込められたものは隙間があればいつでも出てくる。
 それだけではない。実はこれから先に一大難関が待っている。戦争は暴力であるから止めなければならない、というが、実は、人間にはもう一つの宿命が備わっている。人は何のために生きるか、何のために死ぬか、死ねるか、という超絶的に難しい難題である。戦争には悲惨のほかにもう一つの面がある。生き甲斐と名誉の問題である。

09.03.09.月 曇 町田 

 戦争とはなんだろう。
 その出発点からして考えるべきものが余りに多い。

 戦争は、資本が利潤追求のために行なうものである。これはレーニンの言葉だが、私はこれも全部が間違いとは思わない。疑うべくもない確かな事実である。しかし、それだけが全部ではない。それを全部としてしまうと、話はそれでおしまいとなって、「好戦的な反戦家」、という奇怪な新種が生まれる。ここから更なるわざわいが発生して手に負えぬことになる。「グレムリン」という怪奇映画があった。得体の知れない残酷な小動物が繁殖して手がつけられない惨状をもたらす。その話に似てくる。

 戦争とは何であるか、もっと総合的に考える思想学問があっていいのではないか。すでに存在するならぜひ知りたい。ヤスパースが「戦争の罪」という著書を出している。自分も若い時読んだが、まだ話の拡がりが足らないと思う。
 「おわりのない朝」という広島の原爆をあつかった音楽を作った時、関係ある文献や事象をずいぶん調べた。さまざまな立場でこの出来事と関わった人たちの、証言、論説、考察、物証、知るに従い、この出来事が途方もない拡がりははらんでいることを痛く知るにいたった。私は広島大学の教授で反核運動に熱心な尊敬する先生に、広島学、Hiroshimaologyとでもいうべき新しい学問分野が出来るべきではないか、広島大学にそれを開置することを提案したが、実を結ばずにこの方は他界された。それは、人間とは何者であるのか、という所まで広がってしまうわけだが、一挙に話を広げても手がつけられないので、差し当たり、意識の近くにあることから始めることがよかろう。

 最初に生物学的なことに私の関心が向かう。どんな生物種も天敵というものがある。ある種だけが無制限に増えないために、この種に敵対する種がこれを食べ物にしたり、殺害したりして数の調整をする。これはむごいことに思えるが、自然の原理のはたらきでありやむをえない。自然界には無情な調整機能がはたらいている。人が人為的にある種だけを保護すると、これがまた増え過ぎて困ったことになる。共食いというものもあるようだが、普通は異種同士が天敵になる。ところが、人類は知能を持ったことにより天敵となる異種がいなくなった。地球上で敵がいない種類になった。地上の王者になった。残るのは微生物による病気だが、しかしこれもまた医学技術が進んで段々制圧されてきた。また高齢者医学が発達して寿命が延びた。病気の制圧もまた長寿化を促進した。昔は、平均年齢がいまよりもはるかに低かったので高齢者問題はいまほど深刻でなかった。
 さて、そこで誰も考える、戦争は、天敵に代った人間同士の闘争による数の調整ではないかと。これは一番頭に浮かびやすいことだ。しかし、どうもそれがそうでもないらしい。というのは、戦争で死ぬ人の数は、全人類の人口調整の規模からすればとても少ないので、さほどの調整効果には至らないらしい。戦争で死んだ人にはまことにもって思いやりを欠いた無礼な言い方だが、数的結果としてはどうもそうらしい。そうなると、かえって問題が深刻になる。自然が、種の数を調整しようと、人間に闘争本能をあたえても、実際には効果はない。効果がないにかかわらず、闘争本能だけは健在で、殺しあいに精出している。最悪の状態ではないか。

 いまだからこそ、戦争は愚かだ、悲惨だ、二度とあってはならない、忘れてはならない、国家権力の戦争への誘導に乗ってはならない、その他、その他、いろいろいう人がいる。しかし、小学一年生の時に日中戦争が始まった世代として証言しておく。あの時代、国民の大部分は自分からすすんで戦争を賛美して、その気になって戦争に参加していたのである。私はそのことを最も声を大にしていっておきたい。若いの世代の中には、国民は戦争を嫌っているのに、政府や権力が無理矢理戦場に引き出したかのように思っている人もあるのではないか。あるいは「だまされた」という言い方がある。「だまされた」、ということは、その時は本気でその気になっていたということを自から認めることではないか。

09.03.07.土 晴 町田 

 戦争と平時とどこが違うか。

 戦争は愚かで残忍な行為である、人の悪がすべて引き出される行為である。こんなことをどれだけ聞かされてきたろうか。確かに、戦時では「敵国」を傷つけることはむしろ手柄になる。しかし、平時では、犯罪になる。そこが違う。しかし、もしそれだけの違いであるなら、規則が変っただけではないか。右側通行が左側通行に変ったことと同じである。いままでの違反が順法になり、順法が違反になるだけである。中身の人間は何も変っていない。

 反戦運動で最も合点がいかないのはそのことである。

 平時でも戦争の悪と同じことを法にふれない型で振舞うことができる。しかも、そこに戦争と同じような「正義」の看板をぶら下げれば何の憂いもなく、どんなことでも倫理的にすら正当化できる。むしろ誉められる。戦場の中の人の行為と同じである。そうなれば、武器を使わないだけで、やっていることは戦争、戦場と何も変らない。「赤軍派」とか、「浅間山荘事件」の者たちとか、反体制派の人たちは、仲間たちを殺し、拷問にかけた。新しい時代の活動家だけではない。昔から、分派活動として断定されれば、戦時の敵と同じようなことをされる。旧ソ連でも、どれだけの人たちが政治犯として迫害殺害されたか。むしろ、平時での自分たちの反人道的行為をごまかすために、反戦!とか平和!とか、むきになって騒いでいるのではないだろうか。泥棒が追手の目をくらますために「火事だ!火事だ!」と騒いで逃げるのと同じ手口である。このことも私はある所で書いた。昔の軍歌の一節に、「東洋平和のためならば、なんの命が惜しいかろう」、という歌詞があった。平和が戦争正当化の根拠になる。

 戦争が人の心の問題として捉えられていない。近年のように、正視できないようなむごい犯罪が続出しているのに反戦平和の運動家たちは無関心である。

2009.03.06.金 雨 町田 

 戦争はなぜいけないのか。

 人
を傷つけない、殺さない、物を壊さない戦争ならいいのか。いい、という人はいないだろう。ではなぜか。そこに戦争の悪を解き明かす源泉がある。
 人が人を憎み、しかも、個人的規模ではなく、組織の「正義」を持ち込み、正義の名のもとに相手に危害を加える。しかもそれが合法化され正当化さえされる。そこが戦争の悪の中心だろう。
しかしもともとは、人が人を憎むことが始まりである。人と人が絶対的平和状態になりきることは出来ないだろう。それではかえって世の中は平板になるかもしれない。しかし、それでも人は憎むことはしない方がいい。心すべきことは、人を傷つけ、殺し、物を壊すことは、銃でなくても、爆弾でなくても、核兵器でなくても、出来ることだ。兵器も戦争も要らないのである。人を傷つけ、殺し、物を壊すことは言葉だけでもできる。言葉のほかに、さまざまな攻撃的行為も参加できる。すべて平時では合法とされる行動である。

 前に引用したネールの言葉がある。二つあったが、その一つの方、「最悪の平和でも最良の戦争よりまし」、という方は最近は信用できなくなった。テロがあんまりひどくなったから。「最悪の平和」は「最良の戦争」よりも悪くなってきた。しかしもう一つの方、「戦争は人の心の中で起こる」、という方には深刻なる真実である。人が殺されなくても、物が壊されなくても戦争の悪は発生しうる。
 「最悪の平和」は「最良の戦争」と変らないか、もっと悪くなった。それは惨禍の物理的程度の比較だけではない。人の心を傷つけるからである。唯物論という愚かな見方にとらわれている人には「物」しか見えない。「物」として、人が傷つけられたり、殺されたりすることだけが目に入る。しかし人は物であるだけではない。人には「心」がある。人は心でも傷つく。かつて「反核運動」という狂騒があった。この運動のさなかで立ち回っている人の表情に私は狂気を見た。こういうことは「被害者」の立場を経験した者でなければ分らない。この狂気にとらわれた運動者の目は尋常でなかった。戦場で人を殺す時、人はこうなるだろうという目だった。
 口では、反戦だ、平和だ、反核だ、と叫びながら、心の中にひとかけらの平和も持たない凶暴な人たちが横行していた。妖怪変化図である。

2009.03.03.火 曇、寒い、雪の予報あり 町田 

 昨日も更新は出来なかったが、いま書いていることは私にとって生涯を通じて最重要なことであり、不遜ながら、私以外の人にとっても無視できないことであるように思われるので、連日更新するより、少し間を置いてよく考えて頂きながら更新した方がいいとも考えている。

 私のこうした意識上の疑念疑問は漠として広がったもので、ある特定の政治思想への批判とか反対反感というような、けちで卑小なものではない。実感から出たものであるが故に系統的なものでもない。しかし、正直に20年か30年近くの間、自分の意識の中に晴れない霧のようにひろがっていたものだから、実在性については保証つきだ。

 相手が特定の政治思想に限らないものだが、話を分かり易くするために対象を一つだけあげる。「戦争はいけない、しかし階級闘争はおおいによろしい」という言い分。これこそは破廉恥きわまるいかさま説話である。そんな馬鹿なことがどうして成立するか。戦争も階級闘争も、人が人を憎み、相手の打倒抹消を目的とするものではないか。どこも違わない。この言い分の発生源を私は知っている。「資本主義は戦争無しではやっていけない社会制度である。この状態をあらためるには××主義にするほかない」。××主義とは社会主義のことだ。字を書くことすら不愉快なので書きたくなかった。レーニンの所説だ。この思想を信奉する連中がやたらと反戦平和で騒ぐのは、平和を愛するからではない。××主義を売り込もうとする営業である。時々新聞に出る詐欺によくあるやつで、「このままではあなたの健康は危ない、この薬を飲むほかない」、とか「××教に入信して欠かさずお参りするしかない」、という類いである。だから、かつてヴェトナム戦争末期、ヴェトナムと中国が戦争を始めた時、彼等の狼狽ぶりと当惑ぶりは見ものだった。安全なはずの薬から病気が出たのだからさて、ここから書くことは最も核心的なことである。ここまで読んでくださった方々にもぜひ考察をお願いしたい。

 戦争はなぜ悪いのか。戦争の悪はどこにあるのか。

 この大課題が本気で究明されたことがどれだけあるだろうか。戦争は、人を殺すから、苦しめるから、物を壊すから、そういうことだろうか。小銃でも、銃剣でも、機関銃でも、核兵器でも、すべてこの中に入る。これ以上のことが考えられたことがどれだけあるだろうか。私の心が冷え冷えとするのは、ここから先の究明がさっぱり進まないことである。日本だけでない。世界の第一級の思想家の研究論説にも見当たらない。

 それならば、ここから先が肝心なところだ。それならば、人を殺さない、苦しめない、物を壊さない、そういう戦争ならやってもいいのか。反戦平和に熱心な人々よ、よく聞いてほしい。そんな戦争があるのか?と問われるだろう。それがあるのだ。実現の可能性にどれだけ近づいているのか知らないが、米ソ冷戦たけなわの頃だった。ある軍事雑誌で知った。相手国、敵国上空の大気圏外で核爆弾を爆発させて相手国の電気通信網を破壊するのだそうだ。そうすると、コンピュータ関係はもちろん、電話も、無線も、あらゆる電気による通信が不可能になる。政府レベルでも、軍事レベルでも、個人間でも、あらゆる通信は不可能になる。現代の社会で電気通信が消滅したらどうなるか。手旗信号か、郵便か、のろしか、江戸時代の飛脚しかなくなる。これでは戦争はもちろん、行政すら不可能になる。戦争は出来ない。こういう戦術が本気で研究されていたのだそうだ。いまでも研究されているかもしれない。冷戦が終ってからは不必要としてやめたか、停滞しているか知らないが、こういう戦術が確かにあって、本気で研究されていたのである。肝心なことは、この戦術では、地上の人や地上の人や物には破壊がおよばないということだ。

 人を殺さない、苦しめない、物を壊さない、戦争、そういう戦争ならやってもいいのだろうか。すでに故人となられたが、尊敬する反核運動の推進者の方がおられた。私は、この話を知った時にこの方に手紙を出した。戦争の悪はどこにあるのか。人を殺すからか、苦しめるからか、物を壊すからか。しかりとすれば、人を殺さない、苦しめない、物を壊さない戦争ならいいのか、そのことを問うた。ご返事は無かった。まことに残念である。戦争はなぜやってはいけなのか、戦争の悪とは何か、この最重要な設問の答えがこのなかにあるのに。 −  続く

2009.03.01.日 晴のち曇  町田 

 「平和」という言葉がある。一方、「平時」という言葉がある。英和辞典によると、英語では余り区別がないようだ。「peace」が一般的で、そのほかに「usually」, 「ordinary times」という言葉があるよう だ。しかし、両者を峻別しようとする意識はないようである。英語だけなく西洋系の言葉では皆同じで、平和と平時を区別していないようだ。「peacetime    war」という言葉あるそうだ。平時において軍事技 術を進める研究のことをいうそうだ。「peacetime war」、なんと皮肉でしかも現実を射た言葉だろう。

 しかし、平和と平時は大違いである。平和、といえば、ただ戦争でない時期だけでない、人と人が、国と国が、なかよく友愛に満ちている状態を思い浮かべるではないか。これに対し、平時、といえば、戦争でない時期というだけで、消極的で、即物的で、単なる状態を意味するだけに聞こえる。
 戦争がないだけでなく、人と人が仲良くでるき時代、社会ができれば申し分ない。しかし、それに近づこうとする努力はあるべきだろうが、人と人が仲良くなる社会というのは無理ではなかろうか。もし、実際にそんな世の中ができたら、人は本当に居心地がいいだろうか。敵もいれば、気に入らない相手もいるのが世の中であり、その方が自然ではないだろうか。私にはそうとしか思えない。平和と平時を分けた日本語の方が論理的ですぐれている。だから、「平和」は理想と願望の言葉であり、現実的でないとして、ここでは「平時」の方を使用し想定することにする。

 平時と戦時はどう違うか。平時では合法的に人を殺すことはない。私怨で人を傷つけることもある程度以上は禁じられる。戦時ではそれらが全部ありうる。物騒きわまりない。しかし、ここで、前に引用したネールの言葉を思い起したい。「戦争は人の心の中で始まる」−こうなると、平時は鉄砲玉が飛んでこないだけであって、そう安心もしてもいられない。「人の心で始まる」、つまり、人が人を憎み敵視することである。そうなると、平時の中でも、すでに、戦争が人の心の中で随所で生まれ始まっていることになるではないか。それが犯罪になり、障害、殺人、詐欺などの知的犯行にもなるのだろう。それでも犯罪には大義名分がない。人目をはばかることで、そのことが行為者自身の心に一定の制約をかける。大義名分というのはこうなると大事なはたらきをすることが分る。大義名分を得た時、人はなんのわだかまりもなく行為を遂行する。戦争では非行非道にこの大義名分が与えられるところが怖い。

 それでは平時で、他人を敵視し憎悪することに大義名文が与えられることはないだろうか。「平和のための闘い」というのはどうだ。立派な大義名分だ。殺すところまでいかなくても、憎悪し敵視することくらいはこの名分があれば何の苦もなくできる。昔の特高警察が治安維持法で人を傷つけたり殺したりしたのも大義名分があったからだ。大義名分のもと、他人を敵視することが「正当化」されること。そのことでは「平和のための闘い」も特高警察もなんら変らない。「革命のために」もそうだ。だからこそ、「内ゲバ」殺人も起こる。戦争の怖い所は、人殺し、破壊に「正義」の名がつくことだが、「平時」でも「正義」の名札が付けば人は戦時と同じことをする。 − 続く

2009.02.28.土 曇のち晴  町田 

 二日続いてお休み、陳謝。

 26日木曜は、ピアニストの広瀬美紀子さんがVilla-Lobosのピアノ曲のCDを出すので講評を頼まれた。奇妙な作曲家。昨日は終日雨降りの中、大忙し。午後、3月13日に歌曲の小曲を初演してくれるソプラノ泉千春さんのリハーサル。終ったのが三時半、午後七時から指揮者の内藤彰さんの出版記念会。この間の時間をどうするか。時間が余るのも始末にわるいもの。会の事務所に行って新聞を読みながら事務職の人と雑談。その間も雨は振り続く。地下鉄神保町で降りて学士会館まで、方向を間違えて無駄足。雨の中散々な一日。

本題に復帰。

 先日、第五福龍丸についてのTV放送があった。番組の紹介しか見なかったが、その中で、「沈黙は肯定になる」、という相言葉で、女性たちが抗議運動に立ち上がったことが書いてあった。「沈黙は肯定」、それは確かにその通りだ。だから沈黙していてはいけない。それはそうなのだが、その抗議抵抗がまた新たな戦争の始まりみたいな様相を帯びてくると、私の疑問、→戦争と平和はどこで分れるのかという疑問に流れ込んでいく。
 マハトマ・ガンジーという人がインドにいた。インド独立のために生涯を捧げた人である。この人の思想は、非暴力不服従であった。映画でその光景を見た。おびただしい民衆が押しかけてくる。イギリスの官権がそれを押し返そうとして、警棒を振るい、人々を打ち倒す。しかし、どんなに打ち据えられても、人々は次から次へと押しかけてくる。決して抵抗はしない。恐ろしい光景である。暴力を振っている側が次第に疲れてくる。肉体的にだけでなく精神的にも疲労が蓄積されてくる。無抵抗の人々に延々と暴力を振う行為は暴力を振う側の人の心の内側にも傷をひろげる。イギリスはついに折れて独立を次第に認めていく。

 私の疑問、抵抗反対運動がまた反平和になるのではないかという疑問は、この方法によれば生まれない。しかしこれはインドという独特の文化を持つ国、そしてガンジーという傑出した指導者がいたから成果をあげたのであろう。警視庁機動隊に幾らぶん殴られても抵抗者が続々と押しかけるというわけにはいくまい。人の数にも限りがある。だから、日本ではこの方法は出来ない。
 問題は、相手が官権、権力者でなく、同じ市民である場合だ。私が疑念を深く持つのはこの場合である。同じ市民どころが、同じグループの場合の抗争もある。極端な場合は通称「内ゲバ」というものになる。浅間山荘事件だか、赤軍派事件だか、いろいろあった。あれだけ残酷な方法で仲間を傷めつける、それは戦場での残虐行為とどう違うのだろう。
 いつかTV番組でナチス収容所の報道を放送していた。余りの残虐さに若い女性キャスターが非難の声をあげると、中年の男性キャスターが「これが戦争の正体ですよ」、と言った。これは間違いである。ナチスの収容所とユダヤ人迫害は戦時中の行為ではない。平時からやっていた。

 なんでもかんでも戦争のせいにすると、戦争さえ無ければ悪いことは全て無くなることになることになるではないか。東欧の民話にあるそうだ。戦禍に荒らされた村人たちが集まって戦争の惨禍を嘆き呪っていると、戦争の神が入ってきた。そして、「村の牝牛をはらませたのは俺ではないぞ」と言った。これも、すべてが戦争のせいではないことを語る話。
 戦争でさえなければ悪いことは無くなるなんて、なんという馬鹿げた話だろう。誰かの詩にあった。恐ろしい詩だった。子供の世界の残虐さを描いていた。子供の世界にも、差別があり、迫害があり、独裁者もいる。人を突き刺すミサイルさえ光っていると。最近のいじめ問題、死者まで出すすさまじさ。平和と平時とは違う。この二つを混同することはとんでもないことだ。

2009.02.25.水 小雨のち曇  町田 

 受験戦争、企業戦争、という言い方がある。選挙とか商戦で激戦区という言い方もある。しかし、こういう言い方は、比喩的なもので競争の激しさを表わすだけである。
 私にとっの不可解なものというのはそういうものではない。

 一番わかりやすい例は、「平和のための闘い」という言い方である。この場合、なぜか、「たたかい」、は「闘」の字を使い、「戦」の字は使わないようだ。使う当人たちも違えたいのかもしれない。しかし、「闘」であろうが「戦」であろうが、「たたかい」であることに違いはない。余り人と人の間の友好的で円満な間柄を表わす言葉ではない。
 そもそも平和とはどういうことだろう。平和と平時とは厳密には違うはずだ。平時とは戦時でない時期をいうだけである。しかし平和といえば人と人が和することである。インドのネール元首相は「戦争は人の心の中で始まる」と言った。「たたかい」という字義は、「戦」でも「闘」でも、どう解釈しても穏やかなものではない。平和のために闘かう、という言い方はそもそも語義が矛盾しているのではないだろうか。消火のために放火するようなものではないのか。「人の心の中で始まる」ものならば、この言葉はすでに心の中での戦争開始を意味するのではないだろうか。火を消すために、あるいは発火を防ぐために放火するということか。もっとも、いまの工業技術では、火を消すために水を使わず、ダイナマイトを爆発させてその爆風で火を消す方法があるそうだ。しかしこれは冗談にしかならない。
 もっとも、やはりネールの言葉に、「最悪の平和でも最良の戦争よりはましだ」というのがある。こういう言葉で出てくると、いよいよわけが分らなくなる。現にいまはテロが横行する時代になった。NYの貿易センタービルで、殺された三千人とかの人たち、加害者には何の関係もなく、宣戦布告もなく、無関係の人たちを飛行機の乗客もろとも殺す行為。これは最悪の平和であるのか。戦争よりましであるのか。有難き幸せなことだ。ネールに聞いてみたい。
 平和運動に限らぬ。労働運動でも同じだ。「我らの闘いの成果」、「勝利の日まで」、「敵がたおれるまで」、「我々のちからが敵を圧倒するにいたるまで」、なんという好戦的な言葉と言い方だろう。私はある所で書いたことがあった。「あなたたちは、反戦平和をとなえるが、本当は戦争が好きなのではないか」と。--続く

2009.02.24.火 曇のち小雨  町田 

 また更新が一日遅れた。そのおかげで、考えることがほんの少し見えてきた。

 20年以上前から自分の中でどうももやもやしてきたものがある。なかなか正体がはっきりしない。とりあえず日常の所作には差し支えないからそのまま時間がたってしまった。昨日あたりから少しその所在が分ってきたような気がする。

 人は、とかくものごとを分類したり仕切ったりする。それは対象を整理するためにやむをえない手続きなのだが、人が仮に整理分類しても、実際は仕切られていないのではないか、というより、現実はすべてそういうもので、色分けするような具合には出来ていないのではなかろうか。そういうことである。
 具体的に言えば、一番気になるのが平和論。戦争と平和、反戦平和、平和運動、平和を守れ! 戦争を二度とくれ返すな、戦争は愚行だ、戦争は利潤のために、企業と、ある階級が作り出すものだ。
 どれも、それぞれ言うことはウソとも思えない。しかし、こういう声に取り囲まれて30年、私の中にはどうしても晴れない霧のようなものが目の前から去らない。どうしてだろうか。

 それは、人の心というのは色分けできるようなものではないのではないかということ。戦争と平和、正確には、戦時と平時とは実ははっきり分かれていないのではなかろうか、ということである。なるほど、戦争、戦時では、「敵」を一人でも殺せばほめられる。「敵」の財産を少しでも破壊すれば手柄になる。しかし、平時ではそれは犯罪であり極罪悪である。どうしてそんなにすっきりと転換できるのだろう。それは、政治的、社会的、軍事的な部分が転換するだけで、中に生きている人の心もさようにすっきりと転換するものではないのではなかろうか。悪魔がホトケに早変りするように変るだろうか。戦争で様々な非行をはたらいた人はそのまま平時でも生きている。その同じ人の心がすっきりと急に変るものだろうか。
 戦争と平和だけでない。私のもやもやはほかの部分にも滞留している。「過去」、「現在」、「未来」、この三つはよく言われるようにすっきり分かれているものだろうか。三色のひし餅みたいに、三色アイスクリームのように分かれているだろうか。「過去を反省しないものは現在にも盲目であり、未来も見えない」、これはドイツの元大統領Weizsaeckerの名言であり、至言である。まさにさように違いない。これに異議ば出せない。しかし、私の心の底にある不明瞭なものは、過去、現在、未来、という三つの時間帯はどこで分れるのだろうということである。

 私もしばしば言ってきた。「戦争を過去のこととおもうな、すぐまた同じようなことが起こるかもしれない」、と。私だけでない、ほかの多くの人も、新聞も、書物もそう言ってきた。しかし、私が本当に言いたいことは、この言い分とは少し違うのである。「すぐまた同じような」、ではない、「いますなわち」、現在も過去も実際は地続きではないか、ということでだ。

 この先はまた次に。

2009.02.22.日 晴のち曇 町田 

 19日以来の更新ごぶさた。

 20日は、日本作品のCDを出している。MIttenwald社を訪問、社長の稲原さんとしばし懇談。よくこれだけ儲けの乏しい事業を続けてくれるもの、私たちにとって感謝に堪えない事業家だ。19世紀末から20世紀初頭のパリの画壇を陰でささえた美術商にもきっとこういう人たちがいたのだろう。東京はおもしろい街だ。

 20日夜はCMDの理事会。八年ぶりくらいで出席。理事長のT女史から懇請されたので出た。相撲の親方みたいに土俵の脇で見物させてもらう魂胆だったが、議論活発でこれはこれでおもしろい。私と同役のピアノの深沢亮子さんも来た。この日は、二月の総会と役員選挙の開票結果による新役員の役割分担が議題。こういう場での議事の進め方、扱い方を自分はいつのまにか通といってよいほど覚えた。最初は芸大在学の時、音楽の方はノー天気だが、美術の方は違った。こちらは男子学生が多く、政治活動に活発な人たちも少なくなかった。多分、ある政党が勢力をのばしていたものと思う。両学部合同学生集会の時に美術の学生が突然「緊急動議 !」と叫んで発言を始めた。こんな用語があること、こんなやり方があることをその時はじめて知った。この学生のやり方はとてもしろうととは思えない手馴れたもので、議長一同煙に巻かれた。多分、政党の党員だったろう。こういう場での振舞い方、戦術というものも手が混んだもので、知らない者はそれまでだが、知ればそれだけ戦術的に得をする。それからは、おとなになってから、組合運動の経験を積んだ人からいろいろ教わった。基本的な事案の扱い方、用語の使い方は国会の委員会を見ていると参考になるし知識も出来る。参会者に一番迷惑なのは不慣れな議長。いいかげんな所で採決に踏み切るべきなのに、参会者の顔色をみて、採決していいかけじめがつけられない。議長は権限をもらって当日の議事の進行をまかされているのだから、顔色を見られては困る。指揮者がOrchestraに相談しているようなもの。途中で議事にないことを言い出す人がいる。これは動議ということになる。動議をどう扱うかも議長の権限内のことだ。

 それにしても、午後七時から九時までびっしりの会議は疲れた。途中で食事して帰宅したら十時過ぎだった。やはり今回限りにしよう。

2009.02.19.木 曇 町田 

 相変わらず今日も寒い。夜から雨になるそう。
 
 中川騒動に続いて政界は大騒ぎ。小泉前首相がモスクワで爆弾発言。定額給付金法案が参議院で否決されて衆議院で三分の二で再可決されることになれば自分は欠席すると。自民党は一度賛成していたのに首尾が通らぬといっているが、小泉氏は、再可決の時に欠席するといっているのだから矛盾はしていない。この辺、自民は混乱しているし、狼狽が露呈している。また、中川前大臣の問題を健康問題にすり替えることを盛んにしているが、誰が見てもあれは酩酊であり病気ではない。この辺も往生際がこの上なく悪い。

 自民の最悪の事情は麻生氏を降ろしても替りがいないことだろう。今日昼のTVで、どこかの政治評論家だか記者だがが、間抜けなことを言っていた。麻生を降ろして女性を党首にすれば外見が小澤よりいいから勝てるかもしれないと。また、森内閣がヒトケタ支持率だっのに、小泉が出てきて勝った例があると。どこまでトンマな人間がいるものか、こんなのが評論家や記者を営業しているのだから世の中いい加減なものだ。この上たらいまわしの総裁すげ替えに国民が侮辱を感じないか考えてみるがいい。それと今時の自民に、当時の小泉のような人材がいるか。しろうと以下の判断力だ。

 昨日のラジオ番組で、中川問題で麻生総理に任命責任があるかどうか、世論に聞いたところ、80%の人が「あり」と回答した。これは当然だが、「そうは思わない」という回答に痛烈なのがあった。この人の解答は、「総理に任命責任はない。任命責任があるのは、こんな政党に三分の二の議席をあたえた国民である」、というものだった。その通り。真実を見抜いたな見識だ。

2009.02.18.水 晴ときどき曇 町田 

 昨日の予想通り、中川大臣は昨日退陣した。どうしてここまで歯切れがわるいのだろう。麻生さんはサハリンで上機嫌の顔をしている。内心はそうでもないのかな ???。

 最近の金融経済対策でまったくの素人にはどうしてもうなずけないものがある。消費を盛んにさせよ。物を買え。買わせよ、という。しかし、私たちは子供の頃から無駄遣いをするな、必要がないものは買うな。おカネは大切にせよ、と教わってきた。使えるものは捨てるな、使えなくなるまで大切にせよ、とも教えられた。そうした素朴きわまる小学生的水準の経済観念、道徳観念と、カネを使え、使わせよ、という昨今の経済策とはどうみても正面から衝突するとしか思えない。これはいったいどういうことなのだろう。資本主義を維持するためにはこういう反道徳的行為の強行が必要なのだろうか。そうなると、資本主義とはなんと罪つくり、罰あたりの制度だろう。無駄使いをいましめる昔からの道徳はどう考えても天の理、地の声としか思えない。天の理、地の教えに反することをあえて強行しなければ続けられない社会制度、経済制度はいつかとんでもない天の怒りと罰を受けるのではないだろうか。社会主義は無残な失敗に終った。あの時、この制度はやっぱりダメだったとつくづく思った。しかしこんどは資本主義のとんでもない断末魔的症状だ。人間はどうすればいいのか。秘められた影の真因は、きっと資本主義で利益を受けている人たちがいるということだろう。まさに、マルクスとレーニンの地の底からの呪いの声が聞こえてくるような気がする。

2009.02.17.火 晴ときどき曇 町田 

 暖かい日が続くとおもいきや、昨日の夜は身を切るような北風だった。今日も寒い、昨日の夜ほどではないが。

 中川大臣は今日の午後ついに辞任を発表した。ただし、予算案等の成立後という往生ぎわの悪い条件つき。公明党はいますぐ辞めろといってるらしい。朝からの自民党員のTV談話を見ていると、さかんに健康のせいにしている。見苦しい馬鹿な話だ。麻生総理もどうかしている。すぐに解任すれば世論は支持したろうし、それこそ急下落の支持率も少しもちなおしたかもしれないではないか。すべて対応の時間的要素が肝心である。もたもたしているとだめになる。このあと、条件なしですぐ辞任ということになるのではなかろうか。あくまで手際がわるい。即時すっぱり身を決めればはるかに結果はよかっただろうに。

 それにしても、麻生総理は弱り目にたたり目。こうなると気の毒なくらい。どうしてわるいことは一つでは来ないで幾つかまとまって来るのだろう。
 幕末、徳川幕府がたおれた時、幕府が総力を結集すれば、まだまだ倒幕勢が比較にならないほどの力があったのだそうだ。それがそうならなかったのは、幕府にはもはや求心力が無くなっていたからだそうだ。すべてものが滅びる時とはそういうものだろう。巨大な自然の変動のようなもので人の力ではどうすることも出来ない。
 滅びの美学というものがある。ウィスコンティの世界。自民党も滅びの美学くらいは見せてもいいではないか。滅び方まで醜いのでは救いがない。

2009.02.16.月 晴ときどき曇 町田 

 相変わらず暖かい。昼間は暖房が要らないくらい。

 今朝の報道では、中川財務大臣が記者会見で泥酔だか薬の飲みすぎだか、ふらふら状態だったそう。なんともかんとも、次から次と色々やってくれる。内閣の支持率はついに13%台になった。これでは選挙で負けるのは必定。しかし、自民党にとって悲痛なのは麻生さんを降ろしても替りがいないことだ。小泉氏がとやかく発言してこれがまた大揺れのもとになっているが、小泉という人は機を見るに敏な人だから返り咲きはしまい。時代が変ったことを察知しているはずだ。しかりとすれば、小池百合子あたりを引き出して背後でリモコンかとの説もあるが、そんなことをすれば、自民の人気はますます下落するばかりだ。小池という人は自民の党内でも悪評だそうだ。これだけ渡り鳥をして社会と人間をばかにしてきた。誰だったいつかはそのことに気がつく。噂によれば、小池女史は民主党にバレンタインのチョコレートを贈ったそうだ。唖然とする厚顔無恥だ。
 しかし、自民が敗れて下野することを国が滅びるように騒ぐ必要もない。先進国ではどこにでもあることだ。下野したからといった自民党が滅びたり消滅したりするわけではない。野党でいる間に勉強して、次の機会にまた政権を取り戻す努力をすればいい。このへんのところも、永久政権が続き過ぎたために馴れていない。絶望感、悲壮感の過剰である。

 地球の温暖化が不気味な気配を生んでいる。いま思い出すのは、1980年代の「核の冬」騒ぎだ。核戦争が起これば地球の外延に灰が溜まり太陽の熱をさえぎるため地球の気温が下がり、世界は異常低温の冬の状態になるというもの。喧騒をきわめ新聞も放送も騒ぎ立てた。あれはソ連の宣伝だった。欧州での核対立で西側の核戦力の増強を邪魔することが目的の悪質なデマ宣伝だった。左翼、ことに日本共産党があたり迷惑かまわず騒ぎ立てたことを忘れない。

2009.02.15.日 曇 町田 

 昨日14日からばかに暖かくなった。東京は20度を越えたとか。それでも、夜、帰宅の時はマフラーがないとやはり寒かった。いかに温暖でも季節の基本的状況は変らないのだろう。

 今日は日曜、午前10時からTVアサヒで「サンデー・プロジェクト」があるが、この頃は見ない。見たくもない。司会の田原総一郎が偏向して政権与党の肩を持つ傾向が露骨になった。今朝の東京新聞に視聴者の投書が載っていたが、やはり同じことを指摘していた。自民公明の肩を持ち、野党側の発言者には威圧ともとれる圧力を加える。
 この種の職業の人たちは、それも長年かかわる人は政治家との癒着があるのだろう。一緒に飲み食いすることもあるのではないか。その際、勘定先方持ちということもあるだろう。三宅久之という年輩の評論家も同じだ。この人についても投書が出ていた。やっきになって自民党の肩を持ち弁じたてる。政権党が危うくなった今、「協力」の「要請」がひときわ強くなっているのだろう。こんなことで国民レベルの政党支持が変るものではない。

 音楽評論でも、この頃は余り書かないがUさんは作曲批評専門だった。この人は、情が混じるからと作曲家との個人的交際を避けていた。いま、私たちの「音楽の世界」でも編集長のN君は対象者と親しい人を批評の執筆に選ばない方針でいる。このことは政治の世界と違い、にわかには賛成だけというわけにはいかないが、彼なりの原則があるのだろう。私たちの若い時は、親しい友人であればこそ、どの批評家も書かないきびしい評をしあったものだが、いまの時代はどうなっているのか自分には分らない。演奏家にせよ、作曲家にせよ、その人がこれまでたどってきた道、目標としてかた理想、これまでの道程、親しい友人なら知り抜いている。その上で、具体的に評価してくれる。以前との比較もできる。こういう交友があった昔はいい時代だったのだろう。高橋悠治は私の下宿まで押しかけてきて、私の作品の酷評をした。譜例まで書いて ! 青春期の忘れ難き友情だ。

2009.02.12.木 晴 町田 

 10日はViolinの演奏会、11日祭日は恒例の日本音楽舞踊会議の定期総会。二日続いたので仕事場には来れず、このサイトの更新もできなかった。
 10日の演奏会は、Violinの印田千裕さんViolin Recital、ピアノの堀江真理子さんの出演で、日本作品と外国曲のユニークな曲目だったが、何より仰天したのは満席の盛況だったこと。空席待ちの人たちがまた行列を作っている。毎日新聞が書いたからだという話も耳にしたが、それだけでこんな効果があるだろうか。私はそんな話は信じない。新聞にそれだけの影響力があると信じない。この人たちの演奏の質のよさを知っている人たちが来たのであろうと思う。人はそんなもので、思いもかけない情報量を持っているものだ。
 曲目の中で、明治の人、幸田延のViolin-sonataが品格と技術の円熟をそなえた佳品だった。戦前の日本作品が技術的に未熟なものが多く、余り期待しない意識が出来ていたが、これは意外。日本人に消化がむずかしい半音階、chromaticismが西洋の後期ロマン派なみに駆使されている。MahlerかR.Straussを思わせる熟達ぶりだ。貴志康一のsonataも少し顕示欲があるが、これも未熟とはいえない。その他、SchubertのFantasieとE.Elgerのsonata、この演奏家によるCDが出るか近く出るそうだ。

 昨日はCMDの総会。今回は近年めずらしく論戦があった。この方が元気があっていい。静穏なのは円満よりも活力の衰退を意味していることが多い。人は対立者がいないと堕落するものだ。

2009.02.07.土 晴 町田 

 sopranoの泉千春さんから知らせあり。2007年の作品、歌曲「秋ありて」、三月13日、金、19時開演、音楽の友ホールで初演すると。原曲はmezzo, alto版だが、今回は移調してsoprano版を初演する。2006年秋に身辺に起こった悲しい出来事のために翌2007年に作った。詩も自作。既存の詩人のどの作にも自分の心を表わしてくれるものがない。この頃は詩も自分で書く場合が多い。詩作も作曲と同じ心の扱いであることを強く感じ入る。pianoは三ツ石潤司君、音がきれいで繊細なpiano。期待するところ大きい。この日はフランス歌曲のほかに日本作品、三ツ石君の自作、「くさぶえ」、森潤子さんの、「てのひらのほたる」、それに助川作品。

 秋に行われる栃木県ピアノ・コンクールで自由曲部門の課題曲はすべて助川敏弥作品によることが決まる。このため、初級の曲二つ、正月から手がけていた。公表の段階になったし、応募者が多くなるように、これからは宣伝しなければならない。コンクールにかかわれば、何かと働かなければならない。この秋は激忙だ。課題曲で未出版の曲の製本もある。全音から出ている「Sonatine」はいいが、未出版のものはコピー製本しなければならない。応募要綱の発表は来月くらいになるのだろう。

2009.02.05.木 曇 町田 

 保阪正康氏の「敗戦と日本人」には、歴史的資料が幾つか掲載されている。軍の指導的地位にいた人の無名の手記、作家、高見順の「敗戦日記」、同じく山田風太郎の「医学生の手記」等々。著者はこれらを通して、当時の日本と日本人の政治体制、社会体制、指導部の思想、国民の思想などなどを論じている。

 いずれも深刻な内容だが、私には一つ大事なものが見逃されているように思われて仕方がない。日本の敗北は戦力の差でもあったが、もう一つ、心の敗北ではなかったか。軍部の非科学的な精神主義は当然だが、もっと大事なことは心の退廃ということである。端的にいえば、敵に対する礼の心を失ったことである。日本には古来武士道があった。西洋にも騎士道があったろう。日露戦争では日本人にはそれがあった。明治天皇は、乃木将軍に対し、敗者となった相手の名誉をはずかしめることがないよう指示をあたえている。しかし、太平洋戦争では、戦争末期、政府が流行させた歌で、敵の指揮官の個人名をあげて、これに下等な罵言をあびせたり揶揄の言葉をあびせたり、そんな歌を歌わせた。末期の徹底抗戦の思想の中には、名誉護持もあるが、その背後には敵をただ憎み、その反映として敵による耐え難い侮辱を想定したがゆえの抗戦思想があった。これはどこから来たか。それが問題である。それは日本人と日本軍が占領地でみずから行った行為が自分に向けられることへの恐怖であった。敵の中に自分の反映を見ていた。これそが物的敗北以上の精神の敗北ではなかったか。道義の敗北ではなかった。だからこそ、これだけ徹底抗戦を叫びながら、いざ占領軍を迎えるところりと態度が変り、史上前例がない従順な被占領国民になった。占領軍が意外に紳士的だったからである。敗戦についての日本と日本人を論じるなら、このことを除いては論は成り立たない。

2009.02.04.水 曇 町田 

 今日も曇天で好天とはいいかねるが、雨は降らない。
 
 昨日の晩は、衛星放送で黒澤明の「生きる」というのを放送していた。ところどろこ、という程度で見るともなく見ていた。1952年の時代の話。まだまだ日本と日本人の生活がいかに貧しかったか、情けなくなるほどに痛感する場面が出てくる。敗戦からわずか七年後。私が芸大に入学した年。その二年前に上京したから、その年の五年前まで東京には爆弾焼夷弾の雨が降っていたわけである。新宿、銀座の街路には屋台が並んでいた。兄と一緒に街を歩き、ネクタイを買った。当時は人の顔も今とは違う。映画にはあの頃の日本人の顔が出ていた。
 ところで、黒澤映画、このとろこ断続的に放送されるが、少し前には「天国と地獄」が放送された。この中ではやはり演出の古さみたいなものが気になった。人物の言動がおおげさで不自然なのだ。黒澤ほどの名監督でもこうした作り方をするのだろうか。江ノ島電車の車掌室内での事情調査の場で質問に答える車掌がおどけるような答え方をするのだが、こんな話し方の人はいない、当時だっていなかった。映画も演劇も、音楽だって、作為が出てはまずいだろう。映画演劇だから少し誇張して丁度いいなんてことはない。現実と真実が、どんな時でも、所でも、表現の原典であると思う。その点では、桃井かおり、という女優さんはいい演技をする。本人、意識して誇張を避けた現実模写を目指している。
   折しもということでもないが、保阪正康という人の著書「敗戦と日本人」という本を読んだ。昭和20年、1945年の降伏と敗戦にいたる最後の段階で何があったか、起こったか、これを読むと、人の狂気の恐ろしさが身に沁みる。2000万の死者を覚悟して抵抗すれば負けない、などと正気といえぬ発想と発言をする軍人たち。気違いなどではすまない狂い方だ。その僅か五年七年後のあの時代を思う。

2009.02.03.火 晴 町田 

 
25日の日曜日から始って、昨日までほとんど連日、何かの用、面談があり、休む間もなかった。日頃ひまなのに時にこういう偶然の集合がある。今日からようやく予定に追われない日が戻ってきた。
 昨日は、元日産自動車技術者のNさん夫妻と私たち夫妻で会食、とても楽しい時間だった。音楽が好きな人で音楽の専門家でない人と話すことはとても楽しい。N響の指揮者だったJosef Rosenstockがある所で語っていた。「音楽は楽しいものだが、音楽について語ることはさらに楽しい」、と。
  このところ、自分の作風のあるべき方向について考えてきた。自分が満足できることが第一だが、同じ様式で語ることにマンネリではないかという惧れが生まれる。これはなかなか厄介な問題で、そう惧れているのは真実の自分だろうか、それとも、他人の評判を気にする心ではなかろうか、この見分けが実にむずかしい。自分の中にすでに他人がいる。それは、独りよがりでないためいいことであるはずだが、どうかすると、自分より他人の目を気にすることになりがちで、そうなると最早自分の方を忘れることになる。

 ことしは何かと多忙な年になりそう。九月の歌曲の初演は、26日土曜日、京都の長岡京ホールと決まった。午後二時開演だから日帰りできるだろうう。いままで出来た曲の演奏初演は、広瀬美紀子さんによる「吹く風を」が10月26日、Violin曲「美しき夕暮れ」について、劉薇さんと電話で話す。こちらは12月になろりそう。劉薇さんは、日本作品だけのCDを出すそうで、山田耕筰から始って明治大正の作品、矢代秋雄の次、最後が私の「「竜舌蘭」」を入れるそうだ。

2009.02.01.日 晴 町田 

 
 昨日は朝まだ雨、さいわい午後出る頃やんだ。東京六華同窓会、お茶の水、山の上ホテルの新館、こんなものが出来たとは知らなかった。100人以上が参加。旧制一中の卒業生はほとんどが80歳以上、われわれが最後。校歌と応援歌を歌うことになり、自分が指揮と音頭をとる。高齢の人たちなのに声は大きくめりはりがきいたりっぱな歌い方。替って、新制高校の校歌になったが、こちらは当然のことながら自分は音頭とりはしない。なんとも元気がない。歌い進むうちに声はさらにか細くなり、心細いほどになった。聞くところによると、ある時期から校歌を歌わせなくなったそうで校歌を知らない世代があるそうだ。なんたることだろう。これも「君が代」は強制すべきでない、式のどこかの組合の方針が反映した結果だろうか。反戦平和個人の自由といいながら、エゴイズムと自己否定にいたる思想ではないか。新聞に誰か評論を書いていたが、オバマの演説にアメリカの栄光を讃えるために、これまでの戦争の引用が多すぎると。しかし日本人にこんなことをいう資格があるか。日本の安全は日米安全保障条約でアメリカによって守ってもらっているではないか。戦後60年、日本人が自分の力で平和を守ってきたのなら胸をはって反戦平和を説くことができる。しかしそうではない。他人に守ってもらいながら反戦を説くことができるか。つごうよく肝心の前提を忘れて偉そうなことを言ったり考えたりとているのとしか思えない。
 同窓会から、上杉君のリサイタル。白寿ホールへ移動。千代田線で移動。何人も参加移動したようだ。perfectといってよい見事な成果の演奏。完全な真円型を見たようで言うことがない。いろいろな人に会う。自分が推薦したために来てくれた人たちもいた。応援の成果があったので喜ばしい。ただし、午後からワインを飲みすぎたので眠かった。

2009.01.30.金 雨 町田 

 今日は朝から雨。ひさしぶり。

 
昨日は、札幌一中のクラス会。北海道外在住の人たちだけなので、14人の内六人が出席。いつもの青山の日本料理屋だが、店が道路の反対側に移転したので探すのに少し困惑した。少し早めだったので、部屋が空くのを待っていた。自分は幹事なので入り口で待っていると、なんと不可思議なことにオペラの五十嵐喜芳君の奥さんが入ってきた! この広い東京でなんという偶然。聞くと、近くに行きつけの美容院があり、その帰り、この店の豆腐が気に入っているので時々買いによるとのこと。この人も芸大の同期生で作曲科にいた。教室は違い、長谷川良夫先生の門下だった。卒業してすぐ五十嵐君と結婚した。五十嵐君はすでに傘寿だが、昭和音大学長になり、その後、昭和音大はめきめきよくなった。オペラ界での実績ある人が上に立つと変るものだ。奥さんにはよろしくと伝える。互いに永い人生の旅路を歩いてきた仲。昨日は友引だった。
 帰路に雨が降り出すのではないかと心配したがさいわい無事。明日は、また東京六華同窓会の新年会が午後三時から。そのあと七時から、同窓生で医者でピアニスト、上杉春雄君の東京リサイタル。このところ社交が多い。明日も雨の予報。天気にだけは運がつかなかった。

                                     
2009.01.26.月 晴ときどき曇 町田 

 
昨日25日は狛江で、ピアニストの渡辺文子さんが主催するサロン・コンサート。午後二時開演。私の「そよかぜ」piano solo版を初演してくれた。レストランの三階、小学校の教室くらいの部屋。でも、舞台の向うは大きなガラス窓、冬にかかわらず豊な緑がひろがる。いい景色。この辺は、昔、陸軍の荒木大将の住まいのあと。いまでも子孫が住んでいるのかもしれない。

 前半は、piano soloで、Handelの「鍛冶屋」、Mendelssohnの「無言歌」数曲、それに、ChopinのnocturneとBoreloという珍しい曲。そのあと私の曲。休憩のあと、詩の朗読のあとにpiano演奏という型で、昔の童謡、愛唱歌の類い。そういう趣向だった。
 昔の歌、「兎追いし、かの山、小鮒釣りし、かの川」、という詩、いまの子供たちに分るだろうか。こんな動作や風景はもう存在しないのではないか。いまは殺風景になって、都会化で荒廃している、と続くのが昨今の論調だ。しかし、私はそう思わない。どんな風景の場所にも人の世である限り、詩情は生まれると信じる。詩人が詩の心を持つかどうかだ。
 だから、私が、小曲「夕べのやすらぎ」の曲に添えた詩のように、高層ビル街の夕暮れにも詩情はある。晩秋の高層ビル街、人も車も静かに動き、そして、垂直と直線だけの街にもアポリネールの悲しみがひろがる。ミラボー橋の思いはここにもある。肝心なことは詩人が仕事をすることだ。どんな所でも詩の心を持てば詩は生まれる。詩人が使命を果たすこと。時代や変化のせいにしてはいけない。


2009.01.24.土 晴ときどき曇 町田 

 
今日は土曜日、午前中、永六輔の「土曜ワイド」を聞いていたら、フランク・シナトラの「Strangers in the night」を放送した。この曲ではじめて歌手がマイクを持ちながら演奏する型が出来たのだそう。かなり昔の曲だが、この曲をはじめて聞いた時、その魅力に感心したことを覚えている。楽譜も持っている。これは「ダイヤモンド作戦」という映画の主題歌だが、映画は見たことがない。しかし、この歌には感心した。形式が明快で八小節ごとの、A1+A2+B+A1という整然とし過ぎるくらいの型だが、形式的にならず、明快な形式が曲の魅力をささえる効果をあげている。A1とA2は二小節ずつのsequenceで二度ずつ降下する。A2では、この型が二度上がる。音のはこびが二度ずつの順次進行であることも穏当整然として受けいれやすい。ドイツ歌曲のBrahmsかSchubertのようだ。
 伴奏のOrchestrationも手がかかっている。様式としては、Richard Strauss風の豊満華麗の部類。歌の主旋律に対して豊富な対旋律が厚い和音をともなって重ねられる。昔、NHKの花輪さんの仕事で散々手がけた様式だ。あの当時のアメリカ音楽は手間もひまもカネもかけていたものと思う。いま、あの国でもこれだけ手が混んだ大衆音楽は出てこない。人件費が高くなったこともあろう。競争のためコストの低減化が進んでいることもあろう。芸術芸能の世界とは相容れない経済原理の進出で文化は貧弱になる。どの国も同じ。 

 器材の取り外し、今日は、MIDI-mixer、MM16を取外した。これは小さいが便利な器材だった。MIDIのparameterをanalogue並のfaderで操作できる。これなくして音楽的に微妙な表情の設定は不可能だった。KorgのMX3はPiano音が実物に近く出るので残すことにする。新奇な音だけではなんともまた不便だから。取り外し作業の途中でなぜかMXが発音しなくなった。どこを調べても異常はない。困惑きわまったが、ふと気がつくと、昨日と同じ、入力源の選択つまみが一段下がっている。ふとしたはずみに手が触れたものらしい。わずか2mmくらいのズレ。器械はおそろしい、しかし正直だ。

2009.01.23. 雨のち曇 町田 

 
昨日は終日陰気な雨降り。うちにいる。

 今日はまた町田の仕事場、ひき続き、器材の取り外し。少しずつ片付いてこころよい。おかしなことだ。これらの器材を増設していくことに満足をおぼえた時期があった。たらかこそ増えた。コンピュータの楽譜印字だけは続けるからそのために必要なもの以外は撤去する。keyboardだけはないと困るので存続。カワイのK4という機種。マイナーなものだったが、音色が実に幻想的で好きだった。この機種の設計は、電子音独自の音色を目指すことに目標を置いているようだ。それだけに、既存の楽器の模倣が少ない。その点は、RolandのJD、または、KorgのMX3の方が目標の置き方が既存楽器の再現に据えられている。特にRolandの絃楽器の音は傑作だった。また、MX3のPianoの音も本物そっくり。それは簡素化のために放棄するが、弟子に和声の課題を教える時、聞いたことがない不可思議な音で課題をひいて聞かせることになる。それもまた、いまの時代だからよろしかろうと考えることにした。それにしても、配線を取外したあとはゴミ,ホコリがひどい。NHKの電子音楽studioでは、床のタイルに所々小さな穴が開いていて、そこにケーブルを潜らせ、必要な場所の穴から取り出す方式にしていた。そうでもしないと、ああいうプロの部屋では入り乱れたケーブルで歩くことも出来ないことになるだろう。

  2009.01.21.水 曇 町田 

 寒い。冬だから当然。

 昨日に続き、器材の解体整理を少しずつ。この配線の複雑さ、よくもまあ、こんなややこしいことを組み立てたもの、と自分の仕業ながら唖然とする。入力のkeyboad moduleからMIDIpatchへ信号が送られ、それから各音源へといいたいが、その途中でMIDImixerなるものを通る。また、sequencerも通。それから各音源へ。その結果が中央mixerへ、しかしてamp.へ。それからspeakerへ。これを設置した時は自分でなしとげたのだから、頭の関心方向がいまと違っていたことになる。昨日はまず現在使わぬeffecterをとりはずした。器材同士をつなぐplugにも、簡単なpin-plugというものから、大型のcannon-plugまである。cannonはプロ用。買った時はけっこう高価だった。入力、音源、amp、speakerとつながってほしいが、その途中に幾つもの周辺機器なるものが介在する。FINALEによる入力だけは続けるから、へたに全滅させると大変なことになる。昔の配線図を熟読しながら、あたりさわりの少ないものから取り外しをするという次第。人の頭というのは不思議なもの。関心が無くなるか薄れると知識まで急速に衰退する。

2009.01.20.火 曇 町田 

 今日は朝から曇天。

 昨日は疲労の続きの睡眠不足がまだ残留。安定剤なしで眠り、五時前に眼がさめてから安定剤を服用。八時頃自然に眼がさめた。比較的目覚め感はいい。

 未初演の曲がだいぶ滞留蓄積した。ピアノ曲が三曲、ViolinとPianoの曲が一曲。Violin曲は曲名、「美しき夕暮れ」、Debussyの歌曲と同名。全部で計四曲、いずれも10分から15分程度、小曲とはいえない。中曲程度に類することになろう。自分は多楽章形式のSonata型の曲はどうしても受け付けないので、こういう型でやや大型の内容をまとめることになる。出来上がりの時系列の順番に従った演奏をしていきたい。
 Piano曲で一番早く出来た曲は、「吹く風を」、いま,広瀬美紀子さんに依頼し練習中。次が「沙羅双樹」、この辺から私の作風は新しい段階に入った。調性の部分と無調音列による部分がひとつの曲の中に並存する。キュービズムの美学に属する世界と自分では判断している。
 一番新しく出来たPiano曲が三曲目、「たまゆら」。このところ、毎年12月の室内楽の夕べで、Violinの小曲を二曲程度ずつ演奏して頂いてきたが、これは2分程度の小曲。おおもとは、シンセサイザーによる旧作がもとになっているので、純粋厳格な意味での最新作初演ではない。
 まだ一つ未初演曲があった。「弦楽四重奏曲」-Requiem、2005年の作である。
 この7,8年、自分は演奏の可能性機会についてまったく無関心で次から次へと新作を作り続けてきた。しかし、そろそろ、音楽の最終段階である演奏を考える時かもしれない。音が出て、人に聞いてもらって音楽は完成する。

 町田の仕事場の器材をそろそろ整理したい。若い人にゆずりたいが、配線が複雑で、これを図面をもとに思い出してたどりつつあり。今日はeffecterをやっととりはずした。

2009.01.19.月 晴 町田 

 「安田」落城:まだまだあり

 1968年は世界中で反体制運動が荒れた。学生運動も暴力化した。アメリカがヴェトナムで最悪の状態におちいり、身動きがとれず、旧体制への不信とその末期への予感がいままでにないほど高まった。

 実は、この頃、70年問題というものがあった。日米安全保障条約が10年ごとに当事国のどちらからから異議がなければ自動承認され、さらに10年自動延長される節目の年である。前回の60年安保では大騒ぎを演じたわけだから、こんどもまた騒ごうという目論見である。しかし、70年が目標となると68年は早すぎる。幾ら長期戦となっても翌年の1969年には終ってしまう。この辺はどうするつもりなのだろうと、私も当時本気で疑問を持った。

 いま考えると、もともとそうした計画性は始めからどこにも無く、いたって無計画に方々で騒動を起こしていただけだった。ものにははずみがあるし、タイミングもある。人がそれを選べず、人の意志とは無関係に事の方が勝手に発生してしまう。その辺をたくみに制御していくことが出来れば申し分ないが、それだけの政治力と指導力ある人が登場して、しかも周辺がその指示に従うだけの体制が出来ていればもともともっと賢明な事態の展開を目指していたろう。すべてが統一的意志を欠いてちぐはぐのまま坂道をはじめは徐々に次第に速度を増して転がっていった。体制側にとっては始末のしやすい相手だったろう。
 果たせるかな、1970年の安保はほとんど抵抗なく、すらすらと延長されてしまった。だいたい、64年に東京オリンピックがあり、外貨が溜まりだし、池田内閣の所得倍増計画が動きだし、やがて田中角栄の登場となり、国民は経済成長と豊かさ目指しての軌道に乗ったか乗せられたか、戦後の、困窮、不満、不安、そしてその反面の理想の叫びの時代とは時代が変っていた。そうした時代の流れの変化を読まず、読もうともせず、あるいは読むことが出来ず、一つ覚えのように反安保だけを唱えていたのは愚かであり怠惰であったと私は思う。いまの言葉でいえば、これもまたKY、空気読めず、である。日本の反体制運動はこの頃から衰退というより消滅していった。
 本当かウソか知らぬが、東急ハンズというデパートはこの時期に時代の流れを読んで開店したのだそうだ。若者の関心が社会政治から離れ、マイホーム化し、家庭内の装飾、遊戯、おしゃれ、に向きが変ったことを読んでのことだそうだ。KYでも、こちらは、「空気読んだ」の方だ。小さな家かマンションの部屋を持ち、子供を生んで、マイカーを持ち、生活を楽しむ。TV劇の中で陣内が憂いたように、若者が理想や夢を追うことは間尺に合わないと考えるようになった。それでは、反体制派はどこへ行ったか。全員が消滅したのか。

2009.01.17.土 晴 町田 

 
疲れた。今年は元旦から仕事始めで12日まで続けた。疲労が溜まり、のびた。昨日と今日は自宅で睡眠。むやみに眠い。仕事はさるピアノ・コンクールの課題曲だが、最初級就学以前の児童用の曲と、小学校低学年用の曲。こういう仕事は最も難しい。複雑怪奇な曲を作っている方がよほど楽だ。制約が多い方が難しいのは当然である。仕事を始めるとのめりこむ状態になる。朝ばかに早く眼がさめて眠れない状態が続く。三曲とも仕上がったので、この二日、ひたすら眠った。

 アメリカの画家、Andrew Wyethが死んだ。今朝の報道で知った。91歳。静かに寝たまま亡くなっていたそうだ。天命をおわり安らかな最後。つい12月に渋谷の文化村で展覧会を見たばかり。この人の絵には何故か惹かれるものがあった。アメリカの野生の農園原野の寂しさと人恋しさ、それが自分が生まれ育った北海道のものに通じる。自分のViolin曲「草原の家」はWyethに寄せたものだった。この人は父親が名うての挿絵画家で父親から画について厳格な指導教育を受けた。新聞には美術学校を出ていないで画の正式の勉強を経ていない、などと書かれていたが、とんでもない。父親は学校以上に質も量も豊富な教育をほどこしている。学校を出ていないことは独学であることではない。軽はずみなことを書いてはいけない。

 14日夜、NTVで1969年の「安田講堂落城」の劇化を放送した。あれから40年。前年の1968年から始まり、69年の正月明け頃に落城した。69年の正月、NHKの放送音楽のための楽団の恒例新年会があり、NHKの人たちもまじえて野次馬話でにぎわったのを覚えている。作曲家のY君はわざわざ本郷まで見物に行った。法文経の建物は窓がベニヤ板の封鎖してあったが、「あんなのは機動隊の攻撃ではひとたまりもないだろうなぁ」と言っていた。

 さよう、我々は野次馬であった。40年前。あれは一体何だったのだろう。放送でも盛んにそれを問うていた。まじめな放送だった。私たち普通の市民はどうだったか。半分は野次馬、あとの四分の一は情緒的共感、残りの四分の一は、所詮だめで散々な目に合うだろうという同情感と絶望感、そんなものだったと思う。劇中では、すべてが終ってから、警察幹部に扮した陣内孝則がつぶやく、「若者たちが、理想や夢を追うことが間尺に合わないと思うような世の中にならなければいいが」。この劇の原作になった回想記の著者であり、陣内のモデルである元警視庁の佐々惇行さん本人も登場して当時を回想しながら同じことを言っていた。凶悪犯罪が横行し、政治が腐敗し、経済が危機なのに若者たちは冷血動物のように発熱しないと。この佐々さんの原作はだいぶ前に読んだ。とてもおもしろかった。この人は芸大同期のオルガン科の女性の夫の弟。この友人の女性も数年前に亡くなった。

 あの時、こんなことをしても警察につぶされるだけなのに、なんて無茶なことを、と正直思ったし、それと同時に、心の底のどこかで、若者たちが意外に「善戦」してくれることを願っていた。これが当時の普通人の大部分の心情だったのではなかろうか。当時、学生側に参加していた人たちもすでに60前後である。老紳士となった一人が語る、「あれは何だったのだろう。何かに憑かれていたようだった」、と。私は、あれは「あおり(煽り)」だったと思う。人と人があおり合うのだ。心の隅で疑念や不審が少し浮かんでも人にあおられると振りはらってしまう。自分で自分の疑念を消してしまう。これは日本人だけではない。ヨーロッパとアメリカの共同製作映画で「遠い橋」というのがあった。第二次大戦末期のノルマンディ上陸作戦の前に一度上陸作戦があり失敗したのだそうだ。その時の話。当時、ポーランド亡命軍が英国に居候していた。作戦会議でこの作戦がどうも無理ではないかと、このポーランドの人は思うのだが、周囲の勢いに押されて言えないままに会議は終ってしまう。居候の遠慮もあった。会議が終ってからイギリス軍の友人にそれを言うのだが、「会議が終ってから言っても仕方がないではないか。なぜ会議で言わなかったのか」と言われる。そんなものだ、人間というのは。果たせるかな、この作戦は、このポーランドの人が憂いた通りの散々な結果になった。どんなことでもしかり。流れの勢いに押される。押されないで異見を発する強さを持たねばならない。しかし、「安田」はやはりやってよかったのではなかろうか。無駄ではなかった。そんな相反する思いが残る。それにしても40年、年月の経つのが早いのに詠嘆する。

2009.01.12.月祭日晴ときどき曇 町田 

 
人の話の運び方。これまで幾つかの例をあげたが整理してみる。

 日産の川又社長の場合と、自民党議員の場合は、それぞれ立場というものがあり、負けを率直に表現できない事情があったのだろう。それはそれで理解できる。また、シンポジウムでのTさんの発言も、少し配慮に欠けていたということだろう。 整理すると、川又社長や自民党議員の立場から発した言い方を第一種とする。また、不注意から出たTさんの場合は第二種とする。

 さて、問題はこの二種だけならさしたることはない。 ここに第三種というものが登場する。これはいままでの二種と異質で、まわりの者にとって甚だ迷惑なものである。

 この手は、相手の発言の主意をはじめから理解しない、理解することが出来ない珍奇な種類である。相手の発言に対して自説を論じているつもりらしいのだが、出発点である相手の発言を理解しないで勝手に自分の話を始める。他人の論を理解する能力がもともと欠けているらしい。学生の頃誰でも経験することだが、筆記試験で最も大事なことは、「出題をよく読め」、ということだった。出題を熟読理解しないため合格回答が出来ない例は馬鹿にならないほど多い。
 相手の発言をよく読まず、その論点がどこにあるかを把握しない。いや把握しようとしない。把握できない。そしてそのまま、自説−−と本人が勝手に決めこんでいるものを論じるから、出てきた「自説」は始めの話と何の関係があるのか分らぬ奇妙なものになる。発言者が電車の話をしているのに、勝手に、バス、自動車、飛行機まで話を拡大する。そして、「そもそも交通機関というものは」、などと出発点とは無関係な広域論まで始める。時には、「いつの時代でも・・・」などと、時間軸まで勝手にとりこむ。こういう人は、相手の話を受けとめる能力が本来的にないのだろう。生理的に生まれながら欠けているのでは仕方がない。端的に言えば頭が悪いのである。普通、頭がわるい、ということは、低脳、痴呆のように鈍い型を思い浮かべるが、多弁型で論理構成が出来ない種類もある。こちらの方は、低脳が欝型であるのに対し騒型だから甚だ始末がわるい。論理を追跡延長する能力がない。思考力が粗雑で、型を組み立てる能力がない。幼児の頃は積木細工もきっと下手だったろう。もちろん対話は不可能だ。

2009.01.11. 晴ときどき曇 町田 

 
人の対話のあり方と論理の運び方について書く。前おきを少し長く書かねばならない。

 1960年代は日本のマイカー時代の始まりだった。1964年に東京五輪、これで日本には外貨が溜まりはじめ、本格的な経済成長が始る。

 当時、日本の自動車界はトヨタと日産が二大メーカーだった。この点はいまも変らない。当時もいまもトヨタの方が企業規模大きいのだが、当時、大衆車の世界では、日産のブルーバードが圧倒的独走状態で、対するトヨタのコロナは至って評判がわるかった。とてもブルーバードに太刀打ちできる状態ではなかった。トヨタ社には自力開発の社是があり、これは創業者の豊田佐吉からの基本精神だった。そのため回り道をしたため遅れたのだが、日産は外国技術輸入主義でブルーバードの母体のダットサンは英国のオースチンが祖型である。当時、一車種、月産一万台が夢の目標だったが、ブルーバードは五千台、七千台と生産を増やし、対するコロナは三千台程度を徘徊する様である。

 この時の日産社長は川又克二という人。日産中興の祖といわれる。たしかにこれだけの成績をあげたのは並大抵できない経営手腕である。当時、私はおんぼろの中古ダットサンから中古のコロナに乗り換えなどしていたが、スポーツチームの競争観戦みたいに両社の競争を見ていた。
 ところが、ところが、ある時、驚天動地の大事件が起こった。トヨタが新型コロナを発売、みるみるうちに販売を伸ばして、宿敵ブルーバードを抜いたのである。東京五輪の直前のことだっだ。以来トヨタの首位は動かなかい。このことを週刊誌もとりあげた。スポーツ観戦みたいだから、その記事を興味津々で読んだ。日産川又社長の記者との対談が出ている。「ついにコロナがブルーバードを抜きましたね」、これに対しての社長の言い方、これが私には、いまにいたるも話の持っていき方の一つとして記憶にある

 「まあ、勝ったり負けたりでしょう。その内に海外での競争になるでしょう」。

 自分が負けたのに「勝ったり負けたり」と表現する。提起された事実を反復現象の一つであるかのように表現、固有の価値を相対的で反復される現象の一つと言い換える。固有性を相対化して、ことの価値を軽減するのである。喜劇役者がふざけて使った、「よくあることだ。心配ないぞ」、と同じである。これは一種のごまかしであり、逃げである。認めたくない事実を提示された時によく使う手だ。
 細川内閣が出来る時だったか、記者が自民党の議員に、「野党が伸びましたね」、と言った。これに対して自民党の議員は、「野党は大きくなったり小さくなったりしている」、と、反復現象のように表現した。これも川又社長と同じ。認めたくない事象を相対化して軽減し、過小に見せようとする。

 これらは政治的に理由がある言動で、その点、いさぎよくはないが、方法と目的には整合性があり納得できる。しかし、それほどの大事件ではないが、もう一つ覚えていること。CMDは以前シンポジウムを開いたこ。オペラのあり方についてがテーマだった。この時、フランス歌曲の権威であるKさんが、ここ百年ばかりのオペラの変化について指摘した。Aだったものが次第にBになってきた、という内容だった。その時、作曲家で、これも外国で永く勉強してきたTさんが、即座に、「オペラの歴史はその繰り返しだ」、と言った。これはいかがなものだろう。相手の発言を即座に相対化し軽量化する。人格者だったKさんは何も抗弁しなかったが、一瞬、不快な表情をしたのを私は見た。私たちかたわらの者も余り愉快ではなかった。人が提示した課題を即座に相対化軽減するのは無礼ではないだろうか。---つづく

2009.01.10. 晴 町田 

 
昨日とは天候一転、冬晴の好日。ただし寒風が強い。

 年末年始のTV番組について視聴者の意見が新聞に出た。TBSラジオでは永六輔がやはり聴衆者からのハガキを紹介した。
 おしなべて悪評が大部分。つまらぬ痴呆的なタレント・ショウが多く、馬鹿馬鹿しくて見ていられない。この人物たちの言葉はジョークでも冗談でもない。ユーモアでもない。愚劣な愚言だけである、そんな意見がほとんど全部。紅白は見たことがないが、身近な人で見た人が歌い手もまずいが歌、曲もひどいと言っていた。CM、CFについても、何の商品を売りたいのか分らないのがある。何を売りたいのか分らない。これでは宣伝にならない。昔、CFの音楽を作ったことがあった。スボンサーというのはうるさいもので、画面の運び一つ一つについて執拗な質問とクレームをつける。友人の監督だったが、この人が矢面になり気の毒なほどだった。スポンサーはカネを出すのだから文句をいう権利がある。それに、専門的に知識にもなかなか通じていて、言うことが一々手厳しい。いまはスポンサーまでだらしなくなったのか。

 別の話だが、椎名誠という作家が週刊誌におもしろい随筆を書いていた。人の会話のくせについて。余りよくないくせの話。幾つ分類して説明していたが、1は、「自ら発した質問の答えを聞こうとしない人」、というのがあった。こういう人が確かにいる。前に答えた質問を、しばらくして再会した時にまた発する。私は二度までは答えるが、三度目は、それ前に答えましね、と言うことにしている。次は、「誰それがこう言っていた」、と他人の発言をやたらに引き合いに出す人。こういう人はいまの会話もまたどこかへ行って話すのだろうということ。

 この二つまで覚えているが、自分で記憶している別種のものがある。これは会話のくせというより、論理のごまかしをする人だ。以下次回に。

2009.01.09.金 雨 町田 

 今日はひさしぶりに朝から雨。冬の冷雨が降りそそぐ。しばらく降らなかったからいい。乾燥し過ぎて火災と死者が多い。何事も度が過ぎるとよくない。

 元寇の話再説。

 元寇で来襲した軍の実体は「元」の軍隊といいながら、実際は混成軍で、朝鮮の高麗、中国南部の宋、などの部隊が大部、「元」、モンゴルの部隊は指揮官クラスと一部の中心部隊だけだった。日本は島国で過ごしてきたため歴史を通じて国際経験がとぼしい。征服支配した従属国の兵を支配国が自軍にとりこむやり方は、昔から一般的におこなわれていたようだ。軍隊の下請けみたいなもの。
  ミュンヘンの広場に、奇妙なオベリスクのような塔が立っている。塔の頂きにナポレオンの像が立っている。なんでこんな所にナポレオンが立っているのか不思議だったが、説明によると、ナポレオンがロシアに攻めこんだ時、この辺の人たちも動員されてナポレオン軍に組み込まれた。下請け軍隊として動員された。当然ながら戦死者が出た。この塔は、地元出身の戦死者の慰霊塔だそうだ。フランス軍だけでなく、いろんな国が下請け軍隊を出したのだろう。こういうことは、西洋、東洋をとわず昔から普通にあったようだ。古代ローマ軍だってそうだったろう。

 ナチス・ドイツがソ連に攻めこんだ時も、ドイツが征服支配した東欧諸国の軍が下請け参加していた。だからこそ300万もの大軍になった。ドイツ一国だけではこれだけの兵員を動員できなかっただろう。イタリア映画「ひまわり」は、ソフィア・ローレン主演の名画だが、イタリア人がソ連侵攻ドイツ軍に組み込まれている。イタリアはドイツの同盟国であり従属国ではないのだが、こういう軍隊の多国籍化もあったのだろう。自衛隊がアメリカ軍の手伝いをさせられるのも同じ発想と思われる。日本は憲法の制約があるので実戦には参加できないが、制約がなければ戦闘にも参加させられていただろう。日本がはじめて経験する国際下請け軍隊動員だ。

 元の話に戻るが、元帝国はいまのヴェトナムまで支配した。ヴェトナムの人にグエンという名が多いが、これは漢字の「元」からきたのだそうだ。

2009.01.08.木 晴 町田 

 昨日はCMDの新年会、池袋サンシャイン58階。参加者は多くなかったがおおいに楽しかった。ただし、この頃はこういう社交の刺激のあとは疲労が出る。その前に飯田橋の警視庁遺失物センターへ。去年10月に路上で拾った高級時計の保管期間が過ぎ、落とし主が現われないので貰い受けた。かなりの高価なものと見受ける。金属ベルトがはずれやすく、持ち主もそれで落としたのだろう。はずれても腕に残る腕輪型の仕掛けのものでないと金属ベルトは危ない。

 電車の中での読書は一時中止したが、頭の休息も一息ついたのか、また始めた。図書館の魅力はなかなか避けられない。
 年末年始は休館になるので正月用の本を借りた。手当り次第だから脈絡はない。目にとまったもの、電車に持ち込むため出来れば文庫本に限る。

  白石一郎という人の「蒙古襲来−海から見た歴史」。この人は小説家であり受賞歴も多い。13世紀の「元寇」、モンゴル帝国軍の北九州侵攻。これを現代歴史学の立場から、政治、社会、気象学の角度から究明する。とても面白かった。
 二回にわたる襲撃はどちらも台風による来攻軍の壊滅で日本は救われたが、詳しくは二回目の台風の方がすごかった。瞬間風速50米を超える超大型台風だったそうだ。しかも、これが停滞して21時間以上吹き荒れた。北九州の湾内や小島の陰に避難した元軍の船団はひとたまりもない。四千隻という途方もない大船団だったが、衝突、粉砕、四散、沈没、台風の過ぎたあとは、海面は粉砕された船の残骸断片、湾内と河口は元軍兵士の遺体で埋まり、河の水が塞き止められたほどだったという。この時期は今の暦では八月下旬で、この季節に大型台風の来襲はめずらしいそうだ。元軍はよほど運が悪かったことになる。

 神風といわれ、これにより日本が救われたといわれるが、実は、こういう論理を歓迎しない政治勢力もあった。それは実戦を戦った武士団。神風の効果を余り強調すると自分たちの功績が相対的に低下する。もう一つ困窮したのは鎌倉政府。こちらはこちらで戦後処理に重荷ができた。神風の効用如何にかわらず、当時は戦後処理の一つとして、善戦した部隊に報奨を出すならわしがあった。しかし、こんどは勝ったといっても防衛しただけで敵の領土を奪ったわけでない。戦利品が新しく出来たわけでもない。やむなく公有地を手放した所もある。
 元の方も大変で、残存部隊は、やむなく、かろうじて朝鮮半島に渡り、陸路、元に戻った。元の皇帝、フビライはおおいに失望したが、それでもまだ日本征服をあきらめず更なる遠征を意図したそうだが、内政、外政、障害が多く、そのうちにフビライ自身が病没してこの計画は消滅した。それだけでなく、今度はあちらが日本の報復逆襲におびえる立場になった。

 この著者によると、元軍敗退の原因は台風だけではない。来攻軍が、元軍だけではなく、朝鮮半島の高麗、現在の中国南部の宋の兵士たちからなる混成軍であったこと、宋はつい最近まで元と戦って、そして敗れた国だ。いままで敵だった元のために本気で戦う気になるはずがなく、戦意は低かったろうと著者はいう。高麗にしても同じ、従属国として迷惑千万な話だった。著者は仮定の話として、もし台風がこなかった場合どうなったかも想定している。最悪の場合、九州全土が占領されたとしても元には占領地は維持できなかったろうとのこと。交通、地形の情報が皆無にひとしいし、食料補給の目処もない。本国からの救援も現代と違い情報通信、交通運搬の手段がない。所詮この遠征計画は無謀だった。イギリスも海のため何度も国難から救われた。日本にとっても似たような経験だった。

2009.01.06.火 晴 町田 

 昨日はずっと前に録画しておいた映画「はるかなる故郷」を見た。原作はイタリアの学者、プリモ・レヴィの回想記。この人はトリノ大学の学者だったが、ユダヤ人であったため、アウシュヴッツに収容され、終戦により奇跡的に生還した。その体験はすさまじいもので、「これが人間か」という著書がある。

 そして、生還から40年以上も経った1987年に投身自殺した。人間は一皮むけば鬼だ、というようなことをしきりに言っていた。収容所の体験がいかにすごかったかということだろう。
 40年以上経って自ら命を絶つところまで心が恐ろしい体験と記憶に追い詰められていたのであろう。映画の中では、解放されて帰国する列車がドイツのある駅に止まったとき、ユダヤ人の囚人であることを示す星のバッジを見せられたドイツ人たちが沈黙の内に土下座して謝る場面がある。
 ナチスの狂気とはなんだったのだろう。1930年代の何年だったか、WienのHofburg宮殿前の広場、Heldenplatzを埋め尽くした途方もない大群衆。彼等はヒトラーに歓声をあげた。そしてドイツ、オーストリアの併合、Anschluss。いま当時の生存者であるWienの高齢の人にこの話をするといやな顔で沈黙するそうだ。人が個人を捨てて集団となることは恐怖である。
ナチの行為は感情的なものでないだけ、さらに不気味だ。

2009.01.05.月 晴のち曇 町田 

 
いよいよ今日から仕事始めだが、まだ、各方面、休み気分がぬけないようだ。それと、溜まった用件が殺到して公共機関は大混雑。松の内、といって日本古来の習慣では七日まで正月ということになっている。だから、広義にはまだ正月は終っていない。

 昨日ラジオでカーペンターズの歌を聞いた。いま聞いてもカレンの歌はいい。声がアルトで落ち着いて、当然ながら音程が正確無比、そして表情が深い。これだけの歌が歌える人はなかなか出ないだろう。神経系の病気で挫折したが惜しい人だった。
 私がカーペンターズが好きで当時LPを買ったのは1970年代のことだった。40年近く経っているわけだが少しも古臭くならない。1972年、ソ連に行ったが、あの国の統制された芸術芸能に辟易して、帰国するとすぐカーペンターズのレコードを聞いて人間界に帰ってきたような気がしたものだ。
 最近ではエンヤというアイルランドの歌い手がいいと思い聞いているが、ケルトの独特の文化を振興しているようで、ユニークではあるが、カレンのような魅力にはいまひとつの感がある。しかし、両方とも騒々しい歌ではない。いつになっても、静かな叙情をもとめる人の需要はなくならないだろう。

 2009.01.04.日 晴 町田 

 今日は四日。三が日もようやく無事通過。

 ことしの正月はまれにみる好天続きだった。曇りもない。天気がいいことは何より有難い。四日の今日はまた日曜、仕事始めは明日五日からだろう。明日は環境音楽のスタッフ、若い人たちと新年会。みんなコンピュータ音楽の達人たちだ。

 新聞にも、また、政治記事が戻ってきた。どの世界でも同じだろうが、余り専門的な世界に深入りすると、総体的、原初的な見方が失われてくるようだ。敏腕の政治記者がどうかと思う観測をもらしたりする。いまの総理の不人気は最近になって始まったものではなかろうに。総裁選で五人囃子が巡業していた時、大衆的人気がある人、つまり現総理の人が出てくると、また自民の支持が上がるだろう、と言った政治記者がいた。TBSラジオに出てくる国会づめの政治記者で、私はこの人の論説がいまも好きだ。だから、この時は首を傾げた。どうしてこんなことを言うのだろう。果せるかな、いまの惨状、最低支持率である。分らなかったのだろうか。
 また、別の評論家だったと思うが、去年の七月頃か、福田総理は低迷していたが、最近スイッチが入った、と語った。そんなものかなと、これもまた疑問を持った。洞爺湖サミットの前くらいだったから、外交に意欲があるように見えたのだろう。ところが、九月一日だったか、総理、突如辞意表明。スイッチはどうなったのかな。
 細部に深入りすると全体が見えなくなる。これは私たちの仕事でも同じ、作曲でも、余り細かい所にのめりこんでいると全曲の様子が分らなくなる。人の宿命。あらゆる行為においてあるうることだろう。

 ところで、正月早々、にせmail事件の永田元議員が自殺した。この人は東大から大蔵省という秀才エリートコースを絵に描いたような経歴の人だ。どうしてこんなことになったのだろう。あの時、mailが本物かどうか、まず確かめるのが最初の手順だったろうに。われわれ凡人でもそう思う。それをしなかったのはどうしたことだろう。天下の秀才が・・・。頭がいいということは、人間すべての部分が優れているということではないのだろうか。器械でいえば、ある部品だけ飛びぬけている、ということか。ほかの部品が普通以下なら自動車でも音響器材でもそれではうまくないね。エンジンが最高級でタイヤがおんぼろ。これは怖ろしい。こんな車が走ったらえらいことになる。
 それにしても、いたずらmailがひどい。一日置くとこの削除に時間をとられる。人がやっているのではなく器械が勝手に飛ばしているのだろうが、最初に仕込んだのは人間だ。

2009.01.02.金 晴 町田 

 平成もついに21年。昭和に置き換えれば、敗戦の翌年、大混乱の中での新年となる。この段階ではまだ復興の動きは無理だった。平成五年生まれの世代は昭和生まれの私たちと同じ時間感覚でこの21年を迎えたのだろうか。

 元旦は義弟夫妻が午後年始に来訪するので、午前、自転車で近所をひとまわり。年始の人たちと犬の散歩をしている人が多い。コンビニと薬屋は開店している。その他の店は五日から開店がほとんど。ただし、近所のイタリア料理店は一日、二日、営業、三日から永く休業。
 天候は最上、その点では最良の新年。だいたい元旦は好天というのが東京の気象だが、だいぶ前、1968年頃か、大雨の中の元旦という年があった。当時はコロナのハードトップというものに乗っていた。豪雨の中、ワイパーをせわしなく駆動しながら、西荻の池内友次郎先生宅へ年始の挨拶に行ったことがあった。

 昨日の晩は、恒例のWiener Philの新年演奏会同時中継。今年はダニエル・バレンボイムの指揮。期待していたが余りおもしろくなかった。やる気がない演奏に聞こえた。この人はピアニストとして傑出している。22年前になるが、BerlinでPhilharmonikerの定期公演を聞いた。Mozartのpiano conertoを自分でひきながら指揮した。pianoのふたをとりのぞいての爽快な演奏だった。ほかにBerliozの「幻想」、これもすごかった。そんなことで期待したが、どうも・・・アンサンブルも少し合わない所がある。八分音符か揃わない。

 今年は喪中だが、案内が不行き届きで年賀状をかなり頂く。こちらの不行届きで、すまないし、かたじけない。頂いたものに文句を言うのはさらに申訳ないが一般論として、印刷だけのもの、定番の言葉がひとことだけ書いてあるものはなんとも。それと、去年は何した、今年は何する予定だ、と自分の業績を誇示するものもいかがなものか。人にはつつしみの美学というものがある。

2008.12.29.月 晴 町田 

 
このところ晴天が続く。

 今朝また寝床でラジオを聞いていたら日本航空の機長が対談していた。飛行中に空からみた景色、最近では温暖化のため不気味な変化が見えるそうだ。氷の島だったGreenlandで雪と氷が溶けて地肌が見えてきたこと。シベリアの積乱雲の高度が高くなって避けて飛ばねばならないくなったこと、等々。人はみずからの文明が引き起こしたこの破壊をどれだけ戻すことが出来るだろうか。人間がどこまで賢い生き物かどうかが試される。

   札幌の中学の旧友からmailが来た。彼は、水産学の大家になっている。むろんいまは定年の身だが。昔、勤労動員されたときのことが書いてあった。

 「伊那の勘太郎月夜唄」。戦時中、農家で働きながら歌ったなつかしい歌だ。小畑実という歌手がいる。もう亡くなったが、戦後ビクターを一人で支えた人だ。 この人のCDを時々聞く。

 影か柳か 勘太郎さんか
 伊那は七谷 糸ひく煙
 捨てて別れた  天竜の水に
 映す男の晴れ姿

 間引きのために天竜川にたらいに乗せられてで捨てられた勘太郎。やがて渡世人の大物となって郷里に帰ってくる。もともとは映画の主題歌で、映画では、長谷川一夫が主演した。戦争末期の映画で「天狗党」という勤王の志士たちの集団が出てくる。芸大作曲科同期で神戸大学に行った中村茂隆君は映画マニアで、神戸新聞者から映画についての著書を幾つも出している。時々電話やmailで話する。この映画と歌の話が出たら、驚くべきことに、彼から映画のビデオが送られてきた。たたごとでないマニアである。私はこのビデオではじめてこの映画を見た。高瀬実乗、たかせ・みのる、という喜劇俳優が出てきてこの方が意外でなつかしかった。「あのね、おっさん、わしゃ、かーなわんよ」、という有名なセリフで一世を風靡した。もとの映画の中では時代も違うので小畑ではない別な人が歌っているが、いま自分は小畑のCDを聞いている。ビクターの仕事をした時、仕事の合間の雑談でこの話をしたら、相手の社員の人が奥へ行って一枚とってきてタダでくれた。役得だった。

 小畑という人は発声がベルカントで美声である。オペラかオペレッタのようだ。昔、これも長谷川一夫主演の映画「雪の丈変化」の主題歌「むらさき小唄」、これも小畑のCDに入っている。映画の当時は、人気歌手、東海林太郎が歌った。昭和10年代の始めだろう。先日、ラジオで東海林太郎の歌を聞いたが、こちらは当然ながら艶歌調の歌い方だ。小畑はこれもベルカント歌唱。自分にはやはりこちらの方が耳にこころよい。

    今日が29日、今年もあと二日、30.31日大晦日はここに来られるかどうか分らない。すなわち、サイトの更新は出来ないかもしれない。このサイトを読んで下さった皆様に深甚なる感謝を奉呈。来る新年、それも元旦はここに来れないと思う。二日か三日に新年の更新をするので、一年の感謝をこめて今年はこれでおしまい。 皆様どうぞよい新年をお迎えください。
                                                助川敏弥敬白

2008.12.28.日 晴 町田 

 
いよいよ本年最後の日曜日、町はさほど混雑なし。すでにご用納めに入っているところが多いせいもあろう。それにしても大不況というのに今年の暮は電飾が派手だ。街も、商店街も、個人の家でも、どれだけの電気代と費用がかかるものか見当もつかぬが、物好きなはなしだ。個人の家で、絢爛と飾ってある所を昼間見るとボロ切れが下がっているよう。虚飾とまではいいたくないが、不可解な趣味だ。

 現代音楽専門のCD会社、WienのVMMからEMLが来た。すでに出版したもの、これからのものもonline化して保存すると。これにより、絶版ということはなくなり、巨大な保存倉庫も不要になると。「過去のものになる」、というのを、「thing of  past」、と書いてあった。
日本語で「親会社」、というが、英語でも、「parent organization」、 という言い方をするらしい。社長のNancyさんはアメリカ人だから、これはnative English。0nlinで倉庫が不要になるということは書籍もそうなりうること。すでにそうなっているのかもしれない。ただ、印刷で出たものをdigital入力するとなると大変なちから仕事だ。いまの物書きはたいてい入力原稿を電送しているが。

2008.12.27.土 晴 町田 

 
昨日は寒かった。とはいえ、季節相応。今日は幾分まし、二度ほど高いそう。

 町田の仕事場のコンピュータが災難にあっている。だいぶ前のことだが、Floppy Diskを取り出そうとしてひっかかったので無理に引き出したら、Diskの先の金属部分が中に残ってしまった。最近よくある手術ミスで人体の中に手術の器材を置き忘れた医者みたいになった。FDはかならずしも必要はないので、そのまま使わないでいるが、いまいましい。電灯で中をのぞくと見える。針金で引き出そうとするともう少しの所で出せない。こんなものは蓋をとってとり出せばいい外科的な事故だと思っていたが、メーカーに相談すると意外にそうではないらしい。本体を七日か十日預からせてもらうという。これを持ち出されては仕事が出来ない。FDは使わないことにしてそのまま放置することにした。すでに七年前の器材だ。VAIOのME版。そろそろ買い替えの時期も来ようからそのままにする。

 亡くなった評論家の矢沢寛さんの奥さん、見どりさんが自叙伝を出版した。「シャンソンに魅せられて」。見どりさんはシャンソン歌手である。すぐ出版社からとりよせる。衝撃だったのは見どりさんの幼年期、母親に手をひかれカフェや居酒屋の流しをして歩いた話。義父に何度も殴られた話。そんな苦労人とは知らなかった。林芙美子の小説そのままである。やがて、音楽に目覚め、三浦環の歌声に魅せられ、音楽の道へ進むようになる。

 ご主人の寛さんにはお世話になった。大衆音楽の研究評論が専門で、実に興味ある、学問的価値もあるその方面の研究書を出している。アメリカのフォーク・シンガーとも交流し、ピート・シーガーの環境運動に協力して毎年NYを訪れていた。ピートの著書の訳本も出版している。「歌わずにはいられない」、原題は、「I can't keep ・・・」とかいう英語は忘れたが、いい本で、いい題だ。歌わずにいられない、これは音楽の原点だろう。だから、歌うし、演奏するし、そして作曲もする。事前にまわりを見回して、「オレのやることにどれだけの値打ちがあるだろう」などと値踏みするなど邪心のきわみである。こんなことしか出来ない人間は音楽とは縁がない。だから即刻やめるがいい。その方が本人のためにもまわりのためにいい。

2008.12.26.金 晴 町田 

 TBSの番組、ビートたけしの東条首相の劇、録画しておいた分の半分まで見た。内容はよく調べてあるようで、誇張じみたものはない。自分の知識と矛盾する所はなかった。ただ問題は演出だ、軍人たちがやたらと怒鳴りあう。これでは会議をしてるのか喧嘩をしてるのか分らない。幾ら当時の軍人たちでもいつもこんな話し方をしていたわけではなかろう。こんなにわめきあっていたら疲れてしまう。見ている方も疲れる。表現の誇張は演出のタブーだ。これは音楽も文学も演劇も同じだ。TV演出の人に進言する。

 ついでにこの件の話の続きをいま少し。

 山本五十六提督のこと。私は少年の時もこの人が好きだった。戦後、日本の価値観が転倒したあとも変りはない。私だけでない。戦時中の軍部、軍人が悪評を受ける中で、山本さんだけはなぜか悪評を受けない。たぶん、この人の人徳のせいだろう。魅力もある人だったのだろう。芸大の学生の頃、目白にいた時、岩城宏之が遊びに来て目白の駅のあたりを歩いていた。折から学習院の生徒が下校時でまとまって歩いていた。岩城も学習院出である。歩いている学生の一人を岩城が指して、あれは山本五十六の息子だと教えた。おとなしそうな少年だった。いま私たちの同じ年頃になっているはずだ。

 山本提督は名将で知られる。そして、海軍きってのアメリカ通、知米派といわれた。ワシントン駐在の間にアメリカ各地をまわり、その工業力や気質を知った。デトロイトの自動車工業とテキサスの大油田を見てその国力の恐るべきものであることを知っていた−−と言われる。
 そこで私には不可解なことが残る。提督は開戦劈頭にハワイ真珠湾を攻撃することを永くから持策としていた。アメリカとの国力の差を知るがゆえに、一、二年はなんとかなるがその後は勝てないとも言っていた。しかし、開戦劈頭で敵に大打撃をあたえて「その戦意を喪失させる」という意図があった、と伝えられるが、これが分らない。大打撃を与えれば相手は戦意を喪失するだろうか。むしろ反対ではないか。おとなしい人でも、いきなり殴られれば怒る。戦意喪失の反対である。山本提督が本当にそういう意図を持っていたろうか。もしそうとすれば、提督のアメリカ通という話も信用できなくなる。特に、知米派といわれた提督がそんなことを考えるだろうか。日本の軍部は、当時おごっていた。敵は戦意にとぼしい、これを何度も口にしていた。やる気があるのは自分たちだけ、相手は戦意がない。なんという思い上がった心根だろう。
 事実、結果は反対になった。真珠湾はアメリカ国民を団結させ、戦意をかきたててしまった。ルーズヴェルトの罠かかったと言われる所以だ。
 私の推測では、提督の考えは、どうせ勝てる相手ではないのだから、負ける前に渾身の一撃をあたえてから負けようということではなかったろうか。その結果政治的に損になっても仕方ない。おめおめと屈するよりは、ということではなかったか。この人はギャンブルが好きだったそうだ。すぐれた軍人というものは飛躍した作戦を発想するものだ。この点芸術家に似ている。軍人も、政治家も、芸術家も、すぐれた人には発想の飛躍がある。ヴェトナム戦争の時の北ヴェトナムのボー・グエン・ザップ将軍がそうだった。彼が指揮する作戦は、戦っている相手側にもすぐわかったそうだ。一点に全力を集中する。

  「真珠湾」は戦術で勝って戦略では負けということか。

2008.12.25.木 晴 町田 

 昨日の夜のTV、TBSで太平洋戦争までの歴史を劇化したものを放送した。四時間余りの長時間という予告だったが、劇が始まるのは後半から。ビートたけしの東条英機が予告されていた。劇の部分は録画だけしてまだ見ていない。

 前半は、資料的な事実を列挙する。語りが松嶋菜々子で、しんみりと、思いをこめて、余韻嫋々と、そんな声音で語る。それだけですでに情緒的なムードが演出される。
 当時の指導者たちの人間像について、東京裁判で造られた悪人型の定型に対して、それだけではない面もあったことを知ること、知らせること、それははいいだろう。ものごとは多くの角度からあせらずに見なければ真実に近づくことができない。しかし、その人は「それほど」悪い人ではなかった、というモードが、いつのまにか、「それほどではなかった」、更に、「そうではなかった」、にまで移行するなら、これはとても容認出来ない。

 東条さんについて私のこだわりは、あくまで一点、「戦陣訓」である。天皇への忠誠、誠実、幾ら美辞を並べてもこの一点は正当化できるものではないし、許せるものではない。これを許しては天も怒るだろう。「生きて虜囚の辱しめを受けず」、とはなにごとか。この人がそんなに、いい人で、誠実な人で、忠誠な人だったのなら、なぜアメリカ兵から輸血を受けておめおめと東京裁判に出廷したのか。あれは「生きて虜囚の辱しめを受けた」ことではないのか。東条さんよ、あなたの戦陣訓を正直に受けとって断崖から身を投じたあの人にあなたはどう向き合うのか。あの人に何を語るのか。死んだあとでも終りはない。人間の世界に終りはないのだ。

 少し前、図書館で時間があったので月刊「文芸春秋」誌を取り出して読んだ。八月号だったか、東京裁判の再評価をとりあげていた。座談会があって、司会者的な人が、「諸説あったが、60年を経た今振り返ると、『負けるとこうなるよ』ということで当り前のことだ」、と言っていた。参加者一同も皆同感していたし私もそう思う。勝者の身勝手というが、勝ったのだから身勝手にされても仕方ない。それがいやなら負けなければいいのだ。ただ、座談会の前書きみたいに所に阿川弘之さんが一頁ほど書いていた。東京裁判の茶番はもう充分わかっているが、一方、戦争にいたるまでの日本軍部、ことに陸軍の横暴はこれまたひどいものだったと。私が知らない具体的な事例を細かく書いていた。×派、○派、□派と、勝手なグループでそれぞれ競争して満州、中国、朝鮮、と誰もとめることができない身勝手な、傍若無人の振舞いを重ねていたと。法律も無視、憲法も無視。

 東京裁判が勝者の身勝手な行為であることは承知だが、さりとて、被告にされた人たちに余り同情の気も起きない。そんな趣旨のことだった。阿川さんは、俗称進歩的で左翼的な思想の人ではない。その人でもこう書いている。私も同感だし、日本人の大部分は同じではなかろうか。あの当時、東京裁判の被告にされた人たちに同情した人はいなかったと思う。それが、裁判当時の、そしていまもなお大部分の日本人の感情だろう。

2008.12.24.水 晴 町田 

 
昨晩はピアニストの女性Hさんと忘年会として会食。イタリア料理店で存分に話した。おとなの話が出来る相手はいい。

 最近読んだ小説、「ごめん」、なかなかよくできている。原田マハという人が作者だが、前にNHKのラジオで朗読していた。数回に分けての放送だったが、最後の部分を聞き逃した。図書館に予約したが、なかなか来ない。先約が多いらしい。二三ケ月待たされた。ごめん、というのは四国高知の隣町の名、その反対側が「いいの」、あるいは「いの」。奇妙な名前。自分は昔、藤原オペラの演奏旅行で高知へ行った時この街の名を知った。「ごめん」、「いいの」、と期せずして人の言葉になっている。Hさんに貸してあげた。来月の11日に図書館に返さなければならないが、七日のCMDの新年会に来るそうだから、その時返してもらう。男と女の複雑にして深い人の関係、人生の奥深さをとらえた、存分におとなの話だ。
  
 器材のことでこのところ御難続きだ。携帯の写真をコンピュータに転送するケーブルを紛失。部屋の模様替えの時に無くなった。ひどく目立つ色の袋に入れてあったものなくすとは考えられないのだが、幾ら探してもない。ヨドバシに相談したら、店では扱わないが、ソフトの会社の電話を教えてくれた。早速今朝電話、サイトから注文できるようになっているとのこと。その通り注文した。ヨドバシは休日は大混雑。昨日はまた祭日だった。それを忘れていたが、果たせるかな大混雑。祭日休日が多すぎる。郵便局も休みだし、社会機能が麻痺するではないか。

2008.12.23.火祭日 晴 町田 

 安定剤の就寝時服用が続いたせいか、朝目覚めた時に、長時間眠ったのにまだ眠い。眠いし、全身が弛緩してあまり快くない。数日前に服用をやめた。すると朝の弛緩はなくなった。緊張がゆきわたり健康的な体感はある。しかし、次の日となると、やはり緊張持続が疲れを呼ぶ。昨晩からまた服用した。やはりこの方がいい。薬の世話になることが慣習になることは歓迎できることではないが、自制しながら服用するほかなさそうだ。

 Kさんから久しぶりに投稿を頂いた。東条氏が人物の如何にかかわりなく、要は、地位にふさわしい、器、うつわ、でなかったということだろう、というご意見。まったくその通り。うつわ、というのは不思議なもので、人柄、人徳、まで含む徳目的部分までの広がりを持つ。私たちが造っている小さな文化団体でもこういうことはしばしばある。
 徳目を限定的に説明することは無理だが、その中の幾つかをあげるなら、寛容さ、温かさ、包容力、余裕、そんなものになるか。自分とは異なる意見、対立する意見、そういうものに対して寛容と余裕を以て対する心か。対面でも、電話でも、相手の発言にその場で反射的に反論するような人はだめ。すぐにその場では反論せず、よく聞いておこう、という余裕がほしい。答えは次に会った時くらいでもいい。実際、自分とは全く違う、あるいは対立する見解にはじめて出会ったのだから、即座に回答できるわけがない。できないのが自然である。初見参の見解なのだから理解には必要な時間がかかる。よく承っておいて、熟慮の後、回答をさせてもらおう、というのが道理にかなった対応の仕方であろう。

 「うつわ」、というからには、左様な「うつわ」を必要としない場所にいる人はこのような資質がなくても別にかまわない。人それぞれ自らにふさわしい相応の場所にいること。それが本人にもまわりにも無難で有難いことだ。

 しかし、望ましからざる人物が、望ましからざる地位についてしまうということは現実にある。自分は団体運営にかかわりその苦々しい経験をした。歴史の必然とは怖ろしいもの、小林秀雄が言う通り。どうすることもできない成りゆきでそうなってしまう。人には避けることができない必然がある。ああしていたら、うしていたら、と、後から仮定しても無意味である。

2008.12.21.日 晴 町田 
 
 東条氏については、まだ読んだものがある。
 
 巣鴨に収監されている時、アメリカから面会者が来た。トルーマン大統領から派遣された陸軍中尉か大尉。大統領から、東条氏に会って、こんどの戦争について、どういう考えであったか見解を聞いてくるように指示されてきた。これはたしか、中央公論かその種の総合雑誌にのった。

 東条氏は、負けた原因と自分の判断ミスについて、最大のものは、「占領地区の資源がすぐに戦力になると思ったこと」、と答えている。そのほかにも興味ある見解を多々述べている。
 東条氏は実に頭脳が明晰な人で、理路整然とした整頓好みの人だったそうだ。手帳や予定表は完璧に整理されていたそうだ。それでいてこのような判断ミスをした。これはどういうことだろう。多分この人は、あたえられた課題問件については整然と処理する能力の人だったのだろう。しかし、想像力がなかった。要は官僚だった。計算能力、演算能力はすぐれているが、それはすべてあたえられた数式条件を扱うもので、コンピュータのようなもの。データが与えられていないものには回答を出せない。こういう人は政治が出来ない。
 聞くところによると、東条氏に期待した人たちは、彼なら軍部の横暴をおさえてくれると思ったそうだ。それは全部が間違いだったわけではなかろう。軍部の過激な人たちの中には、東条は、総理になってから、言うことが穏健になったとか、抑制的になったとか、不満が出ていたそうだ。これはもっともにことで、責任ある立場に立てば無謀な自己主張ばかり言っていられない。
 しかし、想像力がない人がふさわしくない地位に立つということは迷惑なことである。大学に講演に来た時、「私の話をにこにこ笑って聞くような人は退場して頂きたい」、と言った。笑い、ユーモアが分らない人には余裕がない。想像力がない人だ。

2008.12.20.土 晴 町田 

 
今日も朝目がさめてからしばらく小型ラジオを寝ながら聞く。

 ある著書の著者を招いて話を聞く番組があった。福富健一著「東条英機・天皇を守り通した男」、講談社刊。

 東条元首相は軍国日本の象徴として、戦後はなはだ評判がわるい。その人物と業績について、いままで無視されてきた部分をとりあげ、一面的で思考停止的な戦後史観への補正とでもいうことを意図しているらしい。確かに、考えもしないで、悪者と名指しされた人物に固定観念しか持たないことは間違いである。それには明確に同意する。しかし、今朝の話を聞いても自分にはやはり疑問が残る。以前からあった疑問は少しも解消しない。

 東条氏が東京裁判で日本の行為について陳述したことは、実に整然として理路が通り、当時の総司令官マッカーサー元帥もその説得力を評価、影響を警戒したそうだ。イギリスもまたその影響を憂慮したとのこと。これは初めて聞く話たが、さもありなんと思う。東条という人は実に頭のいい人だった。そのことは何度も聞かされ知らされたからよく心得ている。

 東京裁判での証言について。東条氏は天皇を守ったというが、私が聞いたより確か話では少し事情が違う。東条氏は最初その証言で、「日本では天皇の意志にそむくことはありえない」、と述べた。「自分は天皇の忠良忠実な臣下である」、と言いたかったのである。。しかしこの論理に従うと、戦争を始めたこと、周辺を侵略したこと、戦前の日本の国家行為はすべて天皇の意志の結果ということになる。当時、アメリカ政府は占領と戦後の政治のために天皇を生かして利用することを考えていた。だからこの証言にはなはだしく困惑した。主席検事のキーナンは、ワシントンからの特使を受け、アメリカ政府の意図とそのための対応を説得された。神宮外苑の末端に車を待たせ、散歩をよそおいながらこの説得説明を受けた様子を証言した人がいる。アメリカは天皇を戦犯にしたくなかった。そして、こんどは東条氏がアメリカから説得された。前回の証言を修正するように「要請」されたのだろう。そして東条氏は前証言を「修正」した。天皇はひたすら平和善隣を望んでいたし自分も同じだったが、自分の判断の誤りから天皇の志に反する結果となった、とでもいうような言い方に変えた。これで天皇の無罪はほとんど達成された。東条氏の論理はもともと天皇におよぼす結果について自縄自縛を含んでいた。頭のいい人であったろうが、この辺のことは史上前例がない事態だったから考え及ばなかったのだろう。だから、「天皇を守り通した男」、という表現は少し現実の事態進行とは違うではないか。背後にアメリカ政府の意図があった。それがたまたま天皇を「守る」ということで、その限りでは東条氏本来の意識と一致するものだった。それゆえ、証言の「修正」をした。話を単純化していけない。悪人として単純化することと同じことになる。

 それと自分がこの人について何としても疑問が解けないのは、「戦陣訓」である。あの中の、「生きて虜囚の恥ずかしめを受けず」、の一項。「生きて捕虜となる恥を受けてはならぬ」、「つまり捕虜になるより死ね」、という一項である。日本ではこの時代まで捕虜を恥ずべきものとする思想はなかった。戦国時代からなかった。戦って武運つきて捕虜になることを恥とする思想は西洋にも東洋にもない。祖国愛のためなら生きて再起を期する方が理にかなっている。この「戦陣訓」のためにどれだけ多くの人が不必要な悲惨な死に方をしたか。サイパンの崖から女性が飛び降りる映像を私は見たくない。この「戦陣訓」を発したのは東条氏ではなかったか。
 まだある。東条氏は占領軍が逮捕にきた時、自殺を試みた。しかし失敗した。そしてアメリカ人の血を輸血されて助かり、裁判に出た。この人は、「生きて虜囚の恥ずかしめを受けた」のではなかったのか。自殺そのものも不可解である。本当に死のうとするなら頭を撃つはずだ。この人は頭ではなく胸を撃った。

2008.12.19.金 晴 町田 

 
昨日はCMD主催の室内楽の夕べ。私のViolin小曲二つ「夕べのやすらぎ」、「空想の岸辺」も演奏された。とてもいい演奏だったし、こういう誰にでも分る曲はいい。なんの説明も不要で、聞いた人に喜ばれる。以前、大手建設会社の館内音楽を環境音楽として手がけていた時、会社の廊下ですれ違った知らない社員の人たちから音楽の感想を言われた時も嬉しかった。音楽は、造るひと、演奏する人、そして三番目に聞く人、この三者が揃ってはじめて成立する。

 いま自分が住んでいる東京世田谷区は、昭和七年に東京市に編入された。まだそう遠い過去のことではない。当時はまだ、「東京へ行ってくる」、という言い方があったそうだ。いまは過密な住宅地になっているが、それでもまだ、過去の新開地の面影を思わせる部分がある。ばかに幅がひろく、直線で、その割には交通量が少ない道路。幅がせまい直線道路。いずれも、都市計画の一部で、伸びるべき道路がまだ途中で終っているのだろう。せまい直線道路で果てが見えないくらい遠く長いい道、そんな道の果てを見ると、幼い頃の思い出がよみがえり、切ないほどの思いが胸にせまる。谷内六郎の童画の中にいるようだ。幼かった頃の札幌の昔の町はずれに似ている。札幌は直線の町。方眼紙か碁盤の目のような構造の町。遠い昔、アメリカ人のケプロンという人が委託されて都市計画した町だ。

 私は毎日、町田の仕事場から帰る時、小田急線経堂駅で降りて、少し距離はあるが松原の自宅まで自転車で帰る。その途中、少し高台の直線道路を通る。狭い路で末は路地ほどの狭さになる。ところが、その路地のはるかの延長線上に東京タワーらしきものが見える。夜は電飾つきだから見える。昼は見えないかもしれない。あまりの遠い距離なので地図でしらべた。すると、まさに直線の先に東京タワーがある。直線定規を当てるとぴたりである。地理関係とはおもしろいものだ。小説家の一色次郎さんがいつか新聞の夕刊に随筆を書いていた。一色さんとは、代表作の小説「青幻記」のラジオドラマをNHKで放送した時、音楽を担当して以来のおつきあいである。私がおつきあいしていた頃は西武線の武蔵関におられたが、その後、八王子の先の高尾のマンションに転居された。その随筆で書いてあったことは、高尾から浜松町の貿易センタービルが夜見えるとのこと。「ちょっと信じがたいことだが」と前置きされていた。一色さんはすでに物故されたが、こういう現実の些事で興味をそそることに関心がある人だった。

2008.12.16.火 晴 町田 

 
また例によって目が覚めてからしばらくラジオを聞く。ニュース。

 阿佐ヶ谷で現金輸送車からの現金盗難事件が発生した。

 駅前の繁華街、乗車していた警備員が、車を置いて40分くらい銀行に行っている間に車の後席の現金鞄が四つ消えていた。しかも、ここが大事な所で、車の鍵は全部閉まっていたままであった。車のキーは、前席、後部席、背部トランクと三つとも違うそうだ。車の場所は駅前広場のパーキング・メーター。周囲は通勤通行の人たちが数多。タクシーも数多停車中。スーパーも開店中で買物客も数多。こんな中でどうして鞄が取り出せるか。しかも車のキーが閉まったまま。鞄は一つ50キロくらいあるという。大変な重さだ。四つどうして運べるか。警備員がキーを掛けわすれたのに、不注意を問われることを怖れてウソを言ったのかとも思ったが、それも無理。大きく重い鞄を出して、手に持つなり、別の車に積みなおすなりしていたら必ず目撃者がいるはずだ。

 私は元来推理小説が苦手である。よくまわりの人たちから笑われる。勘のいい人は半分も読まない内に犯人をあてる。しかし私はだめだ。最後の最後までわからぬ。生来この種の勘がにぶい。しかし、こんどはニュースを聞いた時からピンと来た。鞄は始めから乗っていなかったのではないか。そう仮定すれば全てが合点がいく。にぶい素人が考えるくらいのことだから警察もはじめから推理したろうが。まるでアルセーヌ・ルパン。シャーロック・ホームズはも少し手がこんでる。ルパンか、江戸川乱歩か、ショート・ショートの星新一か。ともかく、発車前に車のキーを閉めた時すでに鞄はなかった。盗ったのか。計画的に乗せなかったのか。

2008.12.15.月 晴 町田 

 昨日は昼過ぎまで雨、その後次第にやんだが、気温低く季節相応の日だった。町田の仕事場に来るのはお休み。休息。今日は晴天。

 町田の東急デパート内に東急ハンズがある。この売り場で、どういうわけか日本名「千の風になって」という歌の、多分原曲と思われるアイルランドの曲が流れている。イギリスの少年合唱団「リベラ」の歌う録音。清冽で清純な、この詩にふさわしい曲である。おお流行りした日本版とはまるで違う。

 日本版でヒットした曲はまったく気に入らぬ。浅薄で品性皆無、あの詩からどうひねったらああいう歌が出てくるのか不可解千万である。何かのはずみでヒットしてしたのだろうから、それはそれでどうでもいいが、この詩を歌にしようとすれば、「リベラ」の歌のようにしか自分には発想できない。まるで日本の御詠歌のように静かで動かない音で歌われる。やがて高い音域の旋律が静かに、まことに静かに加わる。曲調の底にあるものは、生と死、空と地、人と天、それらへの静かな思い、万物と命の限りあるはかなさへの深い思い、悲しみである。

 日本版を作曲した人がTVで語っていたのを見た。どうしてああいう曲が出来たか私には分った。こちらも専門家だからよく分る。ああいうやり方はしない方がいい。もヒットしたのだからいいというなら当人の勝手である。

 風になり露になり星になって、ということは万物に霊やどるアニミズムからくる発想である。あの歌の原詩はアメリカ先住民のものという話も聞いたが詳しい正確なことは知らない。ただ、アイルランドもキリスト教渡来以前はケルトの国でありアニミズムの国だった。だからういう詩が生まれてもごく自然である。

 命は無限をもとめる。いつまでも生きたい。欲するものはほしい。しかし、自然は、天は、無限を許さない。無限を欲しながら有限の中に生きなければならない。命の悲しみはここから発する。釈迦の言、「生きることは苦である」、というのもこのこと。

2008.12.13.土 晴 町田 

 今日まで好天、明日は少雨の予報。

 頭の疲労というのか、緊張が慢性になっている状態がなかなか解けない。

 図書館で本を借りることを当分やめる。電車の中で面白い本を読むことは確かに時間が経つのを忘れるが、面白いということはそれだけ意識を使っていること。意識と脳を空白にしておく時間も必要なのかもしれない。退屈でもいい。退屈に馴れることもまた必要なのだろう。
 車を運転していて速度が速いほど左右の景色を見ない。自転車も似た性質がある。意識に対象を置かず、空白にしていると、退屈であっても、いままで気がつかなかったことに気がつく。両側に目隠しをして前だけ見て歩くような生活の仕方が続いていたかもしれない。
 安定剤、睡眠剤、同じようなものと思うが、これを飲むクセがついた。デパス。お医者さんが推奨していたので使っている。これは副作用がないから無害だとのこと。それでも、クセになり、今日は飲んでないから眠れないからもしれないと、暗示になることもありそうだ。

 18日演奏されるViolin曲ふたつ。

「夕べのやすらぎ」
 晩秋。高層ビル群の夕暮れ。淡い夕もやが街の裾を埋める。車も、人も、なぜか音なく走り、歩む。直線と矩形だけの街にアポリネールの悲しみがひろがる。


「空想の岸辺」
 私は不思議な浜辺に立っていた。誰もいない浜辺。白い砂浜に熱帯の樹林がつづく。静寂。地上の景色は昼なのに空は夜。満天の星空に流星が流れる。海は蒼く。白い波がおだやかによせる。そんな浜辺で私はあの子に再会した。幼くして天に返っていったあの子に。


2008.12.12.金 晴 町田 

 今日も晴で暖かい。これも温暖化のせいかもしれない。

 午前中は病院と薬局へ。年末年始で休みに入るので常用の薬は用意しておかねばならない。処方箋をもらうのは近所の整形外科の病院。訪れてくる人は自分も含めてほとんどが高齢者。娘か嫁らしき人に付き添われてくる人はほとんどなく、単身でくる人が大部分。日本が高齢社会に入っていることを実感する。リンゼイ・アンダーソンの映画「八月の鯨」を思い出す。この映画は以前、舞台劇で見て、それから映画を見た。アメリカ、メイン州の景色のいい海岸に棲む二人の高齢の姉妹を中心にした劇。映画では、ベティ・デイビスとリリアン・ギシュが演じた。そのほかにヴィンセント・プライスが亡命ロシア貴族の老人として出ていた。
出演者がすべて70歳以上、あるいは80歳以上の高齢者という映画だった。舞台で見た時は背景の景色が見えないのでこの話のいい中味が伝わらなかった憾みがある。やはりこういう点映画は有利だ。背景の風景が何よりの助演者となっているから。

 昨日のこのサイトに、昭和22年、自分が中学四年の直前三年生と書いたが、間違えた。17歳で中学五年生、その直前だから四年生だった。いまの高校二年の直前、高校一年生の末期だ。

 中学二年くらいの時、すでに卒業した先輩の学生が三年生の時書いた哲学めいた論文を国語の先生が紹介した。ヘーゲル風の論に、すでに実存主義的な生命論を加えたものだった。先生が引用した文中でいまも鮮明に覚えているのは、英語を引用した次の一節。

 「生命の中枢にいたるということは、in にあらずしてintoである」。

 哲学書からの受け売りのように見えるが、前後から読むととてもそうは思えない。観念的ではあるが自分で考えたことであると信じるほかない。「中学三年生でこれだけの文を書くということは並大抵のことではない」、と当時でも先生が感心していた。いまの中学生にこれだけの学力はあるだろうか。私が、子供のくせに、ヘーゲルとベートーヴェンについて何とか言ったのもそういう時代だったからだ。

2008.12.11.晴 町田 

  今日も晴、気温も高い。19度という予報。初秋のよう。

 書庫の整理をしていたら昭和22年のN響機関誌「フイルハーモニー」が出て来た。当時はまだ、「NHK交響楽団」、N響ではなく、「日本交響楽団」、日響、ニッキョウだったと思う。札幌の中学生だった私は、これを定期購読したいたようだ。四月号だから、発行は三月、したがって、私はまだ中学三年生末期である。巻末の頁に質問箱という小さな書き込み欄があり、そこに音楽に関する質問を書き込んで郵送すると回答が送られてくる。適切と判断されたものは本誌にも掲載されるというもの。当時は音楽雑誌は啓蒙的なことをしていたものだ。手許にある雑誌ではこの欄が切り取られている。私が質問に使ったのである。このことはいまも覚えている。質問内容も覚えている。
 「ヘーゲルの弁証法とベートーヴェンのソナタ形式の主題の対立とにかかわりがあるのではないか」、という大それたものだった。間もなく、編集部から回答がきた。「たいへんいい質問なので、本誌にとりあげたく・・・」と書いてあった。実際とりあげられたかどうか記憶していない。かなり詳しく、親切に答えが書いてあった。多分、専門の先生が回答をあたえてくれたのだう。中学三年という時期は、こういう、やたら難しいことを口外したくなる時期のようだ。女子は知らないが、男の子はそういう時期で、意識の成長過程なのだろう。
 この雑誌、すでに酸性紙のためボロボロの分解状態なので、ばらしてクリアファイルに収納した。道下京子さんは「フイルハーモニー」編集部にいたことがあるので、不要かと思ったが、もらってくれるというので郵送した。そのほかにも歴史的記念物じみたものが出てくるから、利用してくれそうな若い人に少しずつ譲渡したい。

   雇用不安、社会不安がただごとではない状況になってきた。一般の声の中には、与野党共同でこの危機のために対応してほしい、という人がいる。これはとんでもない間違いだ。マルクス、レーニンは確かに古いが、彼等の社会観察はすべてが間違いだったわけではない。政党は、それぞれが社会の諸階層、諸集団の利益を代表しているのだ。だから複数ある。社会状況によって受ける損益に微妙な差異がある。極端な場合、ある階層の損は別の階層の得になることすらある。与野党合同ができるわけがないではないか。政党は対立すべきものなのだ。

2008.12.10.晴 町田 

 昨日は予測はずれで夕方からも雨は一向にやまなかった。経堂の駐輪場に自転車は置いて、バスで帰った。今日は一転冬晴、気温もやや上がり快適な日和となった。町田に来る前に新宿のkinko'sに「歌曲集」のコピー仮製本を依頼。今日の七時までに出来るので、これからまたとりにいく。

    新卒者の就職内定取り消しということが大問題になっている。 なんというひどいことをするのだろう。内定というからには当人は安心して信じていただろう。それがあとで取消しとは相手をだましたことになるではないか。会社という所は平気でウソをつく所、社会はそれを許す所という認識と意識がこれらの若者たちに生まれたろう。この若者たちは、人生の門出で社会から約束破りとだましというひどい仕打ちを受けた。社会は信用で成り立つ。法律の保護も、文書の表記も、根底には相互の信頼があって成り立つ。こんなだましは、普通によくいう、人生の人並みの苦労に類するものとは別だ。詐欺である。彼等が成人してからの社会にそれは恐ろしい後遺症となって現れるだろう。

 河野多恵子の小説「秘事」に、大学を出て就職をした新人たちが、最初の給料が出る日楽しげに居酒屋で祝宴し、「今日、ほんとに給料振り込まれているかなぁ」、と冗談を言う場面がある。報酬をもらうということは嬉しいことだ。社会が価値を認めてくれたのだから。私たちのような仕事でも、はじめて報酬をもらった時の嬉しさは忘れられない。カネというが、社会が、相手が、カネを払うということは大変なことだ。カネをもらうということは大変なことだ。評論家や、現代音楽祭の新聞記事や、同僚が言葉や活字で賞賛することは幾らほめてもタダだ。カネの動きはそうはいかない。金権主義みたいになるが、カネというものは、払う人が価値ありと認めなければ払ってくれるものではない。更に、詳しくいえば、コンクールや現代音楽祭などで出る賞金は別物だ。ああいうものは一過性の特殊なもの。そうでなく、継続的で常時の社会のいとなみとしての仕事を受けて、その報酬を受けた時、はじめて経済行為として自分の仕事は社会的に認められたことになる。

 私は在学三年生の時に、コンクールの賞金をもらった。それは嬉しかったが、嬉しさの源泉は受賞であり賞金ではない。その意味では、卒業後、はじめて編曲の仕事でNHKから僅かな謝金をもらった時の方が嬉しかった。それは別の種類のよろこびである。おカネに職業報酬としての実感があった。思い出せば、芸大入学以前にオーケストラのピアノをひいて演奏旅行をして、当時の学生以前の身分の者には法外な報酬をもらった時も嬉しかったが、ただし、これは仕事に継続性がないことに心もとなさがあった。カネがすべてでないという、それもうそではないのだが、世の中また、それだけではない複雑神変な構造を持っている。

2008.12.09.曇のち雨 町田 

 
予報では午後から雨とのことだが、移動天気図を見ると、18時頃からは雨域は東京を避けるようなので、思い切って自転車で出る。夕方以降どうなるかは、これを書いている現在ではわからない。雨のようなら、自転車は駐輪場において電車で帰る。この頃気になることは、自転車の無灯火運転が多いこと。男性も主婦も平気で無灯火で走っている。私どもの子供の頃は無灯火自転車はお巡りさんにひどく叱られたものだ。街が明るくなったことも必要性を感じにくくしたことの理由かも知れないが、本当はこれは道路交通法違反で五万円以下の罰金である。それから、自動車で方向指示を出さないのが増えた。駐車場から出てきた車が左右どちらに行くのか分らない。歩行者も自転車も困惑迷惑の限りである。教習所のしつけが悪くなったのか。警察官も仕事が多くて手がまわらないのか。

 「金子みすヾ歌曲集」、ようやく完了した。少し休みたい。数年間、休みなしに作曲の仕事を続けた。軍隊にたとえれば、戦闘が終了したので兵士の動員を解除して家に返し休息させたいところ。だが、長い間戦闘状態が続いたので心の動員解除がなかなかできない。何もしないで無為に時を過ごすことも、これまた仕事みたいなもの。こんどの「歌曲集」は来年九月、京都の長岡京で初演の予定。そのほかに来年はまた大掛かりな仕事が待っている。それまでの間、兵隊でも、野球選手でも、相撲の力士でも、ちからを蓄える休息と次期戦にそなえる体力づくりの期間だ。
 この18日木曜は、深沢亮子さんたちの「室内楽の夕べ」。私のViolin曲、「夕べのやすらぎ」と「空想の岸辺」が演奏される。「夕べ」の方は初演。「空想」の方は六月に中野恵さんが初演したので再演。

2008.12.08.晴 町田 

 
毎朝、netで各新聞を見る。

 今朝の朝刊各紙によると現内閣の支持率がまた下った。25%とのこと。どの新聞だったか21%の数字を出していた。これから先まだまだ下がるだろう。自民党も困窮している。内閣を継続すればさらに下がることは必定。かといって、またもや総裁のすげ替えはできまい。もしやれば今度で四度目。余りにひどい国民の愚弄であり、さすがにそれは出来まい。何より、よりましな人材がない。とすると、前へも進めず、後ろにさがることもできない。進退きわまるとはこのこと。自民の内部で混乱が発生し内乱状態に近くなっきた。各議員の立場にすれば、自分の身分が危ないのだから騒然となるのは当然である。細川内閣の時に自民ははじめて下野した。あの時、はじめて下野のみじめさを知ったそうだ。人も来ないしカネも来ない、寂寥たるもので、政権を離れるとこんなにみじめなものか思い知ったそうだ。これは当の自民党のある議員が語っていた。だから、何が何でも政権に戻りたくて社会党と組むという奇手を使い村山内閣を造った。

 こんどの世論調査でおもしろいのは、総理適任者としての小沢党首の支持率がはじめて現総理を上回ったことだ。これまでは、党の支持数は民主が拮抗、あるいは上回っても、総理適任者の数では小沢はいつも下位にいた。これまた特異な現象で注目していた。おそらく、少し前の党首討論の結果だろう。小沢という人は得体の知れない所があり、信用できない人が多かったのだろう。しかし、党首討論の場ではじめてこの人は明るい所に出た。一貫してまじめな表情で政策論で攻勢を続け、総理はもっぱら受け身の言訳に終始した。総理は以前から、党首討論での果たし合いを呼びかけていたが、いざその場にやるとその気概はまったく無かった。この程度のことで世論は変るもののようだ。

   今日は12月8日で月曜日。47年前、のこの日も12月8日の月曜日だった。真珠湾攻撃で太平洋戦争が始った日だ。日付変更線のため、アメリカは一日遅れの日曜日。日曜日の西洋社会は社会機能が麻痺する。いまは日本社会も同じようになり、理解しやすい。その日をねらった攻撃だった。官庁も政府も軍部も部屋に誰もいない。役所は空家同然。日本もこんな所だけは芸が細かいことをしたものだ。

2008.12.07.晴 町田 

 
昨日は、芙二三枝子先生を訪れ、今回の公演のお祝いとお礼。その他、ひさしぶりのお話し合いで、一時間くらいが過ぎた。それから、初台のスタジオで若い人たちの作曲の会。天候がこの数日よくて有難い。数日前は突風落雷の日があったが、町田では実感が無かった。地域が違うせいか、コンクリートの建物にいたせいか、分らなかった。

    現総理に同情する政治評論家の説がおかしいと書いた。考えるほどにこの説はおかしい。それは、現総理が選挙で決まった結果の人ではないからだ。選挙が行なわれれば、各政党は自党の政策を公表して国民の信を問う。その結果、ある政党が国民の選択を受けて政権をとり、党首が首班に指名されて総理になる。その過程を経たのであるなら、前政権の政策を引き継がなくてもいい。もっとも、選挙中の公約でそのことを明示していなければならないが。そうでなく、政権党の中のたらいまわしで総理を選んだのだから、前政権の政策を変えることは国民の承認を得ていない。承認を得ていない以上、前のそれまでの政策を継承する義務があることは当然である。すべては選挙なしの無免許政権、無免許総理であることから発している。

 選挙を経ない政権はモグリ政権と言われる。国民には民主党への不安もあるだろう。確かに民主党がどれだけの仕事が出来るかは分らない。しかし、スポーツ選手も、兵隊も、演奏家も、実戦経験を経なければ強くならない。どんな猛訓練を受けても実戦はまったく違う。演奏家がどれだけ練習をしても、舞台の上で客を前にした時はまったく違う状況に置かれるのである。本番をやらせないで、不安だからとためらっていたら、いつまでたっても徳川幕府みたいな永久与党が続くだけである。こんな馬鹿げたことはない。もっとも、民主党が出来るまでは、永遠与党があって、野党は、それを認めた上で野党の役回りを演じていただけ。野党は衛星だった。すべてが喜劇。いまようやく複数政党制の登り口にきた。

 格差社会だ、派遣社員の人権無視、と国民は騒いでいるが、すべてかつてのK首相の時の2005年衆院選で自民党に馬鹿げた大勝利をあたえた結果ではないか。与えたのは国民だ。自民に投票した人は自分の行為の結果をいま自分で受取っている。和製小型ゲッペルス氏の詐術に見事ひっかかった。「民衆は愚かだ」、「理論は要らない」、「短い言葉を繰り返せ」、K首相はこのテクストを教科書通り見事に実践した。

2008.12.05.曇のち小雨 町田

 
札幌一中道外クラス会、とはいっても12、3人しかいないが、年数回集まる。幹事の相棒だったM君が昨年他界してから、自分が代行から幹事役になった。しかし、一人であると、忘れる。新相棒のM君はなかなか積極性を出してくれない。年末はすでにせまっているので、来年一月を予定して、都合を聞くための往復葉書ほ出してぼつぼつ返信が来る。健康が不調な人が多い。三、四人前まではこれほどではなかった。やはり、この数年は一つの節目なのだろうか。寝屋川の某君は目がわるく、来年二月に入院の予定、その前は空き床がないので入院できないと言ってきた。いたましい。

 朝、目がさめてから起きるまで小型のラジオを聞く。今朝のことか、保険料の国庫負担を三分の一から二分の一に引き上げる政府の約束について総理があいまいな発言をしたことが問題になっている。ある政治評論家が、「これは現総理を責めるのは気の毒だ」、と言った。この政策は前内閣がきめたことだから、という理由である。これはおかしい。前内閣の施策は引き継ぐ責任が後継内閣にあるのは当然ではないか。根本にあることは、いまの総理は自分が望んで総理になったことである。なりたくて総理になったのだ。懇請されてみずから望まないのに、世のため人のため引き受けたのではない。なりたくてなろうとした時に、前内閣がどういう施策を行い、計画していたのかを知って名乗りをあげるのは当然ではないか。福田前総理も同様、国会がねじれているのを承知で引き受けた。いや、引き受けたのではなく、俺にやらせろ、と言って名乗り出た。その点では安倍総理だけが途中で国会のねじれが発生したので気の毒といえば気の毒だ。そのあとの二人の総理は違う。同情はとんでもない。

2008.12.02.曇 町田

 芙二三枝子舞踊団公演とアンドリュウ・ワイエス展

 
昨日一日は、芙二三枝子舞踊団の公演。私の「十七絃のための三章」から、二章と三章を芙二先生自身が踊った。音楽は菊地悌子さんのなま演奏。贅沢な出演者である。

 芙二先生の美学は抽象を好む。これまでの作品でも、モンドリアン風の抽象美をねらったものが多い。踊り手たちもそろいの衣装で整然とした群舞が抽象模様を人の動きで造り出す。1989年、ミュンヘンで、クランコ振り付けのストラヴィンスキーの「カルタ」を見たが、クランコより芙二作品の方が数等倍すぐれていると思った。

 私の作品は抽象的な装置が簡単に置かれただけ。芙二先生はごく限られた動作だけで見るものに強い印象をあたえる。ことし85歳になられるとは思えない、というより、人生の重み、深みが、おのずと、制限抑制されつくした動作に深い訴求力をあたえる。
 バレーと違い、現代舞踊、modern danceは、音楽の拍節にいちいち従わない。だから振り付けに自由がある。これは大きな違いだ。クランコが期待したほどではなかったのはこのせいかもしれない。それだけ現代舞踊は可能性がひろく、おもしろい。
 ほかの作品二つ、「海を抱く」、「幻森林」、は、新鋭、馬場ひかり、の演出振付け。これまた、馬場の才能は破天荒。かつてmodern danceの本場、New Yorkで鍛えただけあって、創造力と想像力は奔放無比で幻惑的ですらある。感心したのは音楽。どこでどうしてこういう音源を手に入れるのだろうか、電子音とeffectorを存分に使いこなした音の幻想の世界を繰り出す。これこそほんとうの前衛芸術だろう。本人だけ屁理屈こねて面白くもなければ何がいいのかもさっぱり分らない自称前衛とは天地の違いである。こういうものを、新しくて、新鮮なもの、いままでには無かったいいものを提供する創造というのだろう。古典にはなかったものの提供である。再生は四元ステレオだったよう。背後からも音が出ていた。

 昨日は、舞踊公演の前に、渋谷東急文化村でアンドリュウ・ワイエス展を見た。こちらにも深い感銘を受けた。自分の今後の作曲の道についても強い暗示を受けた。写実は古いか、いやそうではない。調性は古いかという問いかけに似ている。古いということは最早使えないという時の言い方ではないか。本当に使えないのだろうか。
 新しい表現手法様式が在来の領域を広げるのならいいが、在来のものを捨てて、新開地に転居するのであれば、捨ててきたもののなかにまだ使えるものがあるのにそれを放棄することになる。旧居と新居とどちらを選ぶかということになると考えものといわざるをえない。従来のものを建て増しするのなら広くなっていいが、捨てるというのはどうも間尺が合わないのである。
 
 このとろ、遠藤郁子さんのリサイタルから続いていいものに出会う。

2008.11.30.晴 町田

  いよいよ今日で11月も終り、一年が過ぎるのがひどく早い。札幌のピアニスト、上杉春雄君の来年早々の東京リサイタルについて、応援のため彼とmailが飛び交う。

 芸大の大関売店で売っていた、五線紙型のノートは自分が発案して大関の小母さんに提案して実現したものだ。大関の小母さんももう亡く、あのノートも絶版だろう。あれはちょっとしたアイデアで、文章と楽譜を両方書ける便利なもの。いつか、柴田南雄先生から、君、特許とっておけばよかったのに、と言われた。
 今日書棚を整理していたら古いそのノートが出て来た。いつ頃書いたものか、自分の勉強の跡がある。メシアン、ウェーベルン、フランク・マルタン、などを精密に研究した記述がある。いつこんなことを書いたのだろう。まったく記憶がない。ウェーベルンのピアノのための変奏曲が図式入りで書き込んである。こんな勉強をいつしたのだろうか。そのあとに、ドヴオルザークの曲の和声分析が書いてある。それを見ると、やはり目の配り方、音の構造の読みが幼い所がある。なんでもない和声外音を、あれこれ苦心の思索の果て、根拠づけようとしている。こんな音は作曲者がほとんど気まぐれで付加したもので、和音との関連は厳密にこじつけするほどのものではない。それだけ自身の仕事を通じて、音の扱い方がおとなになっているのだろう。おかしなものを見つけた。


 
金子みすヾ歌曲、最後の曲の最後の部分に迫ってきた。

2008.11.29.晴 町田

 
今日は朝から晴れた。昨日は夜の音楽会に行くため仕事場にこられず、更新もお休み。

 昨日は、ピアニスト、遠藤郁子さんのリサイタル。Chopin Nocturne全曲という曲目。絶妙な音楽のひとときだった。まさに命をかけた音楽の想いがある。この人の著書にある回想、死の手前まで行ってきた人の命の歌、という響きがあった。Chopinがこれらの音楽に託したものも痛く伝わるものだった。
 しかしながら、ながい演奏会。午後六時に始まって、池辺晋一郎君のプレトークの後開演だったが、終ったのは九時近かった。池辺君の語りがなくても二時間半くらいかかったことになる。寂々とした音に魂がこもる。音楽とはこういうものだったかと思った。自分の作曲の仕事のこれからも考え直す気になった。
  この人も数奇な運命の人生をたどった人だ。池辺君とは芸大同期だそうだが、再会した時は恩師夫人になっていた。池内友次郎先生夫人である。黒澤映画の劇中音楽の演奏を頼みにいった時の話もあった。映画「夢」で、ゴッホの場面の背景の音楽、ショパンの「雨だれ」は遠藤さんの演奏ということ。
 会場は上野の東京文化会館小ホールだが、全席指定でほぼ満席だった。

2008.11.27.曇ときどき雨 町田

 
今日は朝から小雨。一時やんで夜から本格的に降るとの予報だが、あやしい空模様なので自転車はやめて徒歩で出る。自転車は雨に弱い。上り坂と雨が苦手だったが、坂の方は新型の電動式ではモーターが強くなり、まったく気にならない。原付きに乗っているようなもの。ただし雨の方だけはいかんともしがたい。明日は遠藤郁子さんのリサイタル、一日は芙二三枝子先生による作品の公演。三日にはまた展覧会への出かけ、秋は催しが多い。

 札幌のピアニストで兼医士の上杉春夫君が来年一月31日、東京白寿ホールでリサイタルを開く。遠隔の地での公演は何かと不自由しているだろうから応援してあげたい。音楽事務所からチラシをまとめて送ってもらった。上杉君は札幌の現在南高校、昔の札幌一中の後輩。先輩は後輩の世話をする。これは芸大の時に経験した。卒業の時、何人もの先輩たちが親身になって世話をしてくれた。この人たちの手引きがなかったら自分の現在はない。芸大は内容はどうかしれない学校だが、こういう美風はあった。いまもあるだろう。昨年の軽井沢の作品公演の時も50人以上の先輩同輩たちがわざわざ東京から来てくれた。旧制高校的校風である。上杉君は医師の方も激忙のようだ。医療行政がわるいらしい。二人前の仕事をこなす、二足のわらじ、というわけだから、さぞかしたいへんだろう。激励惜しまず !

2008.11.26.水 晴 町田

 昨日は深沢亮子さん宅でのリハーサル。12月18日の室内楽の夕べでの新曲を含む、ViolinとPianoの小曲二つ。「空想の岸辺」は、六月に中野恵さんが初演したので再演だが、「夕べのやすらぎ」は今回が初演。とはいっても、もともとはシンセサイザーの曲だったものを演奏用に編作したもの。この曲は日本最初のアルファ波誘発用の音楽。1987年のことだった。芸大同期の音楽心理学者、貫行子さんにつれられて、「脳力開発研究所」の所長志賀一雅さんをたずね、この打合せをした。この研究所がまたまた偶然にフランス文学の金原礼子さんの屋敷の中にある金原さん所有のマンションの五階にあった。目白の五階から見ると、夕暮れとともに新宿の灯が見えてきた。そこはかとなく都会の悲しみが伝わる風景だった。ミラボー橋に立つアポリネールの詩情がひろがる風景だった。都会の孤独とでもいう叙情だろうか。そんなことでこの題にした。
 ただ、シンセサイザーと器楽では違いがあり、音色に無限の変化があるわけではないので、tempoを少し速めることにした。
これで、曲集「睡蓮」は八曲となり、完結。シンセサイザー出身の曲のネタが終った。

2008.11.25.火 晴 町田

 
一昨日は日本音楽舞踊会議主催の演奏会兼研究会で、Faureの歌曲の会。いささか長くて疲れた。演奏会の限界時間の八割くらいの長さがいい。腹八分というところか。昨日は、高橋照美さんの歌曲の会、白寿ホールという所、はじめて行った。ぜいたくな会場、値段も高いそうだ。モーツァルトの歌曲と、後半がプーランクののmono-opera、女が電話で話す形式で一人で全部演じる。Pianoがダルトン・ボールドウィン。言葉は苦心の日本語訳だが、こういう形式では聞きにくい所がある。熱演だったがこちらもやや疲れた。
 
 やはり、日本人が日本語で書いた詩に日本人が作曲したものがいい。
 時々、CDを出してきては聞くのは、森潤子さんの歌曲。これは実にいい。「虹とあっちゃん」という曲は、初演を聴いた時、天啓に出会ったような感銘を受けた。「音楽の世界」にその通り評を書いた。詩人の関根栄一さんも森さんもとても喜んでくれた。書いた自分も幸福だった。音楽も批評もこういう幸福があっていい。

 虹が出てる あのへん
   あっちゃんのうちの屋根だよ
   虹の下にいるから あっちゃんは気がつかないの
        虹がきれい
  電話であっちゃんに知らせようかな
    虹にさわって あっちゃん


  
森さんは矢代秋雄門下、パリ音楽院流のととのえられた書式、レース細工のように楽譜が美しい。私もこの教育を受けた。楽譜は美術だ。

2008.11.22.土 晴 町田

 
区のお知らせで、着古した衣類の供出案内があった。何十年前からまったく着用しなくなった衣類を出す。捨てるとなると、なんとしても勿体なく、ついためらいが出て、何時までも置いておくことになる。供出された衣類は工学的に処理されて資源として再活用されるそう。図解されてあった。いいことだ。自転車に積んで持参するとおみやげに大きな袋の10枚入りをくれた。有難いことである。

 この頃あらためて感に堪える。人の意識というものは、あるものを盲信、狂信してしまうと、ほかの視点をまったく受つけなくなるものだ。この前の戦争中、こういう人を散々見せられた。自分もほんの少しは感染していたかもしれない。レーダーについてその原理を説明すると、ある軍人は、「そんなものは卑怯者が使うものだ」、と言ったそうだ。これでは話にならない。負けているのに勝っていると言う。本気でそう信じている。だから、負けている、などという発言は許せないことになる。愛国心が欠けた許せない言動ということになる。

 敗戦の天皇放送があった時、動員で住み込んでいた農家に、農家の親戚のインテリ風の小父さんが来ていた。放送を前にして、「いよいよ最後の総攻撃で日本は勝つ、その激励と号令だ」、と言った。「この頃は飛行機が足らないということを余り言わないだろう。飛行機は沢山出来たのだ」、と言った。私は、そんなものかな、と信用も疑いもどちらも出来ず漠然とした気分でその話を聞いていた。そして負けた。負けたとなってみると、当り前のことであることが急速に合点がいった。敵は日本を散々爆撃しているのに、日本は相手に何もできない。一方的になぐられっぱなしのボクシングなんて勝負でない。これが負けでないはずがない。なぜ今まで気がつかなかったのだろう。

 ひらの軍人や、われわれ素人の一般人だけならともかく、最高指導者の中にもそういう人がいたのに驚く。陸軍大臣の阿南大将である。戦争末期、最終段階での閣僚会議で、「われわれは負けていない。五分と五分の戦いをしている」、と言った。そして、「開戦時の領土をまだ失っていない」、とも言った。実際は、硫黄島、沖縄という開戦時の領土を失っている。目茶苦茶である。これに対して海軍大臣の米内大将は「負けています。陸でも海でも負けています」と言い切った。この人は理性と勇気のある人だ。

 こういう狂気はこの時代だけでのものではない。自分の視点を変えることが出来ない病気にかかっている人はいまでもいる。

2008.11.20.木 晴 町田

 近頃は科学流行で、万事、科学の名を利用する風潮の世の中である。流行の風潮はよく気をつけないと濫用からくる間違いが起こる。

 科学、ということ、と、科学的、ということはすでに違う。科学的とは、物事を順序立てて筋道を通して考える、あるいは行為を進める、ということを意味するので、その対象となっているもの自体が科学であるとは限らない。単なる形容詞である。形容詞であれば、比喩を含めた意味だから、当然、語幹から拡大した意味で使用される。夫婦喧嘩の調停をする場合、双方の言い分と、ことの由来を順序を追って聞き出すことは順当不可欠である。これは科学的な方策、態度である。しかし夫婦喧嘩そのものは科学ではない。科学的な方策態度というものはあるが、だからといって、対象となっているものが科学であるとは限らない。ここに間違いが起こる。いや、この間違い、混同、勘違いを故意に利用し悪用する風潮もある。科学は自然界の秩序法則を解明把握することであり、人の意志とかかわりなく存在有効なものだから人の意志や思想、好悪で抵抗も否定もできない。この点を故意に利用して、自説の不可抗性を宣伝する戦術がある。薬品の宣伝であったり、健康産業の宣伝であったり、音楽の効用の宣伝にすら見られる。これが近年の風潮である。

 科学と芸術とは根本の原理が違う。成立の出発点が違う。科学の要諦とは、対象と観察者の間に相互干渉がないことである。これは常識でも理解できることだろう。両者の間に相互干渉があれば、客観的な観察認識はできない。これに対し、芸術は、対象と鑑賞者の主観が干渉しあう所に成立する。二つのものが干渉しあい、そこに干渉波のようなものが発生する。それを芸術という。ここが科学と芸術が根本的に違う所である。原理のスタート地点が違う。幾ら科学ばやりの世の中でも芸術まで科学であるかのように扱い振舞うことは救い難い混同であり原理の誤りである。こういう勘違いが生まれる最大の原因は、干渉波を起こしてくれる一方の相手がいないことである。恋人が出来ない男が女性論を弁じているとの同じである。

2008.11.18.日 火晴 町田

 
  歴史の必然ということについて書いた。説明が不充分だった。

 必然ということは、人の力を超えた何者かの意志がはたらいている、と書いたが、その前に説明すべき段階があった。
 AとBと二つの道への分岐点があって、僅かな偶発的な要因でそのどちらかが選択されるという説。それでは、その要因がどれだけの数あって、その全てをを歴史学は知ることができるか。一例をあげれば、人の心の動きを歴史学は解明できるか。歴史も学問であれば、型として存在するものしか対象にできまい。学問は、科学は、世界の全部を捉えることができないのである。

 具体的な例に沿って説明しよう。
 ミドウエイ海戦で日本が負けた。アメリカが勝った。その理由は、一つは、アメリカが日本軍の暗号を解読したこと。その結果、日本軍の来攻攻目的地がミドウエイであることをアメリカ側が知ったこと。次に、ニミッツが、疑念は残るのにミドウエイと断定したこと。そして、それが当ったこと。この三つがあげられている。しかし、この三つが全部だろうか。大事な要因を見逃しているのではないか。手近にあげれば、日本海軍の士気の弛緩、綱紀のたるみである。開戦以来連戦連勝の日本海軍は手がつけれられぬほど士気が弛緩していた。名将山本五十六をいただきながら、なぜかような士気の弛緩が放置されたか。大岡昇平は、個人の力には限界があると論じている。いかに名将といえども、四万五千の兵の弛緩をひきしめる力は一人の力の限界を超えると論じている。こういう、心、という、科学の立場からはいわばファジーな要因は捉えて表示することができないではないか。

 ミドウエイだけのことではない。ミドウエイはわかりやすい例で、一般的に、歴史学が捉えない、捉えられない、捉えきれない数の要因で世界は動いている。微粒子的な数の要因が集合して結果を作るので、どれか一つか二つの要因が、たまたまある方向を向いた、というようなものではない。世界はもっと複雑である。一つの結果が出たということは、天文学的な数の、微粒子的な、細菌運動のような、膨大な数の要因が、有機的にに複合して相互関連しながらはたらいた挙げ句である。ほんの僅かな要因が、たまたまある方に向いたというようなものではない。これだけ複雑複合的要因の総合的結果となると、それは人の知を超えたものである。それを私は言いたかった。小林秀雄の言う「おそろしいもの」である。

2008.11.16.日 小雨ときどき曇 町田

 
昨日から天候よくない。今日は朝曇っていたが午後からは雨はやんだ。

 図書館から借りた本「歴史にならなかつた歴史」を読む。歴史上の出来事が、もしこうなっていたらどうする、という現実とは違う結果になった場合の研究というか、想定というか、こういう研究をまじめに進めている歴史学者もいるそうだ。

 第二次大戦末期の連合軍ノルマンディー上陸作戦が失敗していたら、アポロ宇宙船の月面初着陸が失敗していたら、ミドウエイ海戦でアメリカが負けていたら、等々。歴史の細部をこまかく調べるとほんのわずかな所で結果が違うことになっていたかもしれない分岐点があるそうだ。それはそうだろう。だから、こういう研究も無意味とはいえない。しかしどうもどこかが違うような気がしてならない。

 歴史の必然ということ。それを政治的に軽薄に暴力的に悪用し、自分に都合がいい「必然」を勝手に製造して、それにさからう者はそれ故にけしからんという暴力はまっぴらご免である。また、そういう思想は間違いであることは、Karl Popperも説く通りだ。しかし、それでもなお、世界の進み方には何か必然はあるのではないか、あったのではないか、そんなふうに思えてならないのである。
 小林秀雄という人は、若い時おおいに私淑したが、最近読むと説明なしに結論だけを書き続けるやり方がなんとも乱暴独善で共感が持ちにくい。しかし、小林さんがどこかで書いていた。「歴史の必然ということは、もっとおそろしいもの、と自分は考えている」、という一節には同感しないわけにはいかない。私もまたそう考える。この世の出来事には、何か、人の力を超えた
ものがはたらいているように思われてならない。こういう考え方は自分の努力で歴史を作っていこうという意欲を放棄させたり減衰させたりするかもしれない。だから余りよくないことかもしれない。しかし、それは承知でも、どうしてもそう思われてならない。
 これは人生経験を経て実感されるようになったもので説明も解明もできない。いまの自分の年齢になって、自分のこと、他人のこと、社会のこと、個人的なことも世界全部のことも、どうしてもそう思われてならない。神や仏の力を信じるようになったのかもしれない。自分が東洋人であるせいかもしれない。ほんのわずかなきっかけで歴史は変ったかもしれない。それはその通りだろう。しかし、そうだとしても、それがそうならなかったところに、人の力を超えたものの意志がはたらいていたのではないだろうか。

2008.11.14.金 晴 町田

  昨日と今日はさわやかな秋晴。気温もあがる。

 平和ということ、当り前のことのようだが、この言葉も、戦後最もよく使われた頻度の高い言葉の上位に入るだろう。
 当り前のようで、しかも疑義を呈しにくい言葉である。だから、この言葉を論の対象にした例は少ない。しかし、あえて言えば、この言葉はよく問い詰めないと分りにくい意味が含まれている。
 平和とは何を意味するのか。消極的な意味と積極的な意味があるではないか。消極的には、人と人が殺しあったり暴力を投げあったりしないこと。たとえ友好的でなくとも、あるいは、憎しみ合ってもの意味。積極的には、人と人が憎しみあうことをやめて、どんな人とも仲良くしようという意味である。この二つの内、消極的な意味の方はたいへんいいことで、しかも努力によって実現できることと私は思う。しかし、後者の方、積極的な方は、無理ではないかと私には思われるのだ。すべての人が仲良くしあうなどということが可能だろうか。もしそうなったら、人はもう人でなくなり、神か仏になるではないか。無理なことを推し進めようとするとそこに偽善も生まれよう。心にもない上辺だけの友好である。こんなものは悪よりも有害ではないか。
 平和のための戦い、という言い方も散々聞かされた。おかしな言い方だ。戦いをやめることが平和ではないのか。ソ連健在な頃、この言葉はいやになるほど聞かされた。

 "戦う友よ、世界の友よ、平和、平和、平和を守れ・・・・"

 これは「青年歌集」に載っていたソ連の歌、その邦訳歌詞である。もとの意味もそんなところだろう。こぶしを振り上げ、「平和、平和、平和のために戦おう!」、こんな場面をどれだけ見せられたか、思い出したくもない不愉快な光景だ。この人たちの猛々しいこと、本当は戦い、戦争が好きなのだろうと私は思った。いや、確信するにいたった。この人たちの心には平和などかけらもない。「戦い」、「勝利の日」、「××を守れ」、まるで軍歌ではないか。そんな平和はまっぴらごめんである。1980代に荒れ狂った「反核運動」のすさまじさは軍国時代の風潮さながらだった。あの時の「平和」はソ連が自国の利益のためにアメリカの手をしばる工作だったことがその後分った。ソ連崩壊後もっとはっきり分った。平和まで政治的道具として利用される。うかつに信用できない。
 最も消極的な意味の平和、憎しみあっても暴力だけはやめよう。これなら分る。


2008.11.12.水 曇ときどき小雨 町田

 
昨日、今日、曇天で小寒い。寒いことは少しも気にならないが、雨は自転車が使えないの困る。

 母校の旧制札幌一中、現在の南高校の同窓会から、中学時代の回想の文を依頼された。動員されて農家で働いた時のことを書きたいが、この文は以前自分のサイトに掲載したことがある。こういうことは既公開ということになるのだろうか。だいたいhome-pageというものは公開に入るのか、私的表現なのか、そこが分らない。二重掲載公開になるとまずいので、依頼してきた幹事役の人に原稿と相談と両方送信した。ただ、この文はできるだけ多くの人に読んでもらいたい望みは自分の中にある。

 みすヾの歌曲、第五曲目に入る。こんどは存分に時間をかけて仕事をしたい。歳をとると筆が確かに速くなる。BartolのOrchestraのためのConcertoは五ヶ月で仕上げたそうだ。あの曲は五楽章から出来ているから、一楽章一ヶ月ということになる。自分の表現の内容と手段が出来ているから速い。速いものをわざわざ遅くするというのもおかしな話だが、なかなか出来なかった若い時の苦労から考えれば有難いことだ。

 旧制中学の在京クラス会、相棒のM君が去年他界してからワンマンになり、つい遅延する。今日、次なる相棒に電話、年内はあきらめて年明けに新年会として開くことにした。往復葉書をコピーして送信することもなかなか手がかかる。

2008.11.09.日 雨のち曇 町田

 
昨日は、狛江の市民Orchestraの定期公演。年に二回、五月と11月に開く。創立者の浜田毅君は札幌一中の後輩、そんなことで縁が出来た。自分の自宅から20分くらいで行けるのでその点も気が楽。
 Orchestraの演奏は昨日はなかなかよかった。「魔笛」序曲、MozartのPiano concerto c-moll、ソロは指揮者の小林健一郎さんの令嬢。なかなかよかった。第二部は、Schumann Symphony No.2、この人の四曲のSymphonyのなかで一番地味で演奏頻度も少ない曲。こんどはとても錬度と精度が向上した。これはどういうことだろう。メンバーにさして移動がないとすれば、指揮者かトレーナーの功績ということになろうか。数年前のこと、Brahmsの四番を演奏した頃からどうも低迷が続いていた。和音が響かない。誰も間違った音を出しているわけでもなかろうが、三和音がよく響かない。きっと、微細な音程が揃わないのだろう。プロのOrchestraでもこういうことがある。絃が純正調で完全に合わないとこういう現象が生まれる。昨日はそれがなかった。
 昨日はいろんな人に会った。誰よりも、作曲家の三木稔さんに会った。三木さんは狛江の住人であるから当然招待されるが、なかなか姿を見せない。何年ぶりかの出会いだった。会場の市民ホール、エコルマの上の階で打上げがあり、その後、近所の居酒屋へ移動して二次会となる。昨日はここまでつきあう。その他の知人たちも昨日は行動をともにした。三木さんとは遅くまで話した。互いの年齢を考えれば、これからもそう頻々とは会えないだろうから貴重な出会いだった。

2008.11.06. 晴ときどき曇 町田

 11月になったと思ったのに、もう六日になった。10月は自分にとってはひどく永かったように思えたが、11月はいやに駆け足で進むような気がする。すべて主観のなせるわざで時間というものは不思議なもの。

 ラジオを聞いていたらさだまさし、が対談に出ていた。さだは好きな歌い手だ。作曲もいい。こんど、美空ひばりの歌をCDに入れたそうだ。こういう世界では持ち歌という慣習があり、誰かの占有レパートリーをほかの人が勝手に歌ってはいけないそうで、本人か所属事務所の許諾をえなければならない。それが出来てこんどのCDになったそうだ。その中から「りんご追分」を放送した。残念ながら、これは感心しない。ジャズ風のブラスかサックスの和音の上にリズムが乗っている編曲で、この編曲はよくない。美空の原曲は、民謡というより擬似民謡だろうが、その持ち味の民謡独特の風情を生かして津軽の、と、おぼしき叙情を表現していた。だから受けたと私は見ている。その背景をまるで変えてしまってブラスかサックスの和音では津軽も農村風景もなくなる。勘ぐれば、原曲をなるべく変えるように所有事務所から要求されたのかもしれない。そうならまことにもって災難だ。原曲をなるべく変えて、しかも別のよさを引き出すことが出れば最上の出来だが、それが出来るアレンジャーはまずいないだろう。こういう要請というのは難題である。もっとよくある例は、時間をある長さまで伸ばさなければならないこと。私も経験した。16小節小節くらいの短い曲を5分くらいに伸ばすのはたいへんな難事である。NHKの「名曲アルバム」などその最たるもの。「Republic 賛歌」、誰の編曲だったか、はじめ、おそろしく遅いテンポではじめて次第に速くする手段をとっていた。苦衷察するに余りあり同情のため胸を痛める。途中で転調する手もあるが、しかし、どうあがいても、もともと20秒くらいのものを5分に伸ばすのは容易でない。いまはもうそんな日雇い仕事もしなくなったが、若き日の、いまとなっては懐かしき思い出である。

2008.11.05. 晴 町田

  
三日ぶりに仕事場へ。快晴、こころよし。

 アメリカ大統領選挙、正午頃、オバマ当選確実のニュースが入る。予想通りとはいえ祝福したい。変革をこころざす国はいい。そして、選挙で政権が替る国はいい。この国は荒廃したといわれていたが、まだまだ活力がある。半世紀前、林光君が21世紀の予想を雑誌に書いた。アメリカに初の黒人大統領が生まれると予言した。見事に当った。これも祝福せずばなるまい。

 こうなると恐ろしいのは暗殺である。あの国は平気で暗殺をやる。自由と民主主義の国であることもうそではないが、しかし、それと同時に差別と暴力の国でもある。こちらも本当。だから怖い。なにしろ銃が野放しなのだから、その気になればいつでもできる。ケネディの時は殺した犯人がまた殺された。目茶苦茶だ。あの暗殺の真相はいまだ謎である。これからもそうだろう。千年くらいたったら徐々に分ってくるのだろうか。

 小室なにがしの逮捕とは、こちらは浅ましくも卑小な事件。なんの理由でこんな歌に評判が集まったのか。事件の関連でこの人のヒットソングとやらを放送したのを聞いたが、何がいいのかさっぱり分らない。こちもシロートではない。時代の好みの変遷、個人的な好みの違い、そんなものを別にして、いいわるいの区別くらいは大抵はつく。しかし、この歌は誉めたくても誉める理由がさっぱりみつからぬ。彼のCDが音楽店の店頭から撤去されたそうだ。そういうことが是か非か、ラジオで議論していた。どうでもいい。もともと音楽の体をなしていない。撤去しようが置いておこうがどうでもいいことだ。なんでも、最後の所持金は六千円くらいだったとか。いやはや。

2008.11.02. 晴 町田

 またまた三連休。

 郵便、銀行が停止、社会機能がとまる。休日を多くして消費を増やそうという意図からの連休製造だろう。明日の三日はもともと移動せずにこの日だったが、それはたまたまのこと。休日がその都度ごとに移動するので、何日は何の日だったかわからなくなった。いつか共産党支部に電話して見解を聞いたら、市民勤労者に休息をあたえるためで我が党も賛成しているとのこと。自民党から共産党まで足並みそろえての政策だそうで有難き幸せなこと。

 北杜夫の「楡家の人々」、また読み返す。これは記念碑的な傑作だ。明治から昭和まで、人の生きた有様を丹念に描いている。歴史は事実を列記するだけ、それも重大事と記録者が判断したことだけ。そこに生きた人々の喜び、悲しみ、面白み、幻滅、その他もろもろは書かない。歴史は記録ですらない。そういうものを残すのは文学の仕事だ。昭和20年8月15日、日本が降伏した日のことが書いてある。この戦争が人為的にやめることができるとは考えたこともなかった、と表現している。ほんとうにその通りだった。戦争は自然現象みたいなもので人の意志でどうにかなるものとは思わなかった。終るとつゆほども思わなかったものがある日終る。消滅する。終止する。

 ソ連と旧共産圏の崩壊の時もそうだった。他国のことだから敗戦の時よりは衝撃ははるかに少なかったが。
 あの崩壊の数年前のことだったか、私は朝日新聞である記事を読んだ。國際欄の片隅の小さい記事だった。アメリカのCIAがソ連の将来についての見通しを発表した。それによれば、ソ連経済はこれから多難な問題をかかえていくだろうが、なんとかそれらを乗り越えて存続していくだろう、そういう記事だった。だから私は崩壊など考えもしなかった。
 さらにその少し後、ソ連帰りでソ連びいきの作曲家某君と居酒屋で数人交えて歓談議論した時、彼があんまりソ連びいきのことを言うから、私が否定的なことを並びたてて反論すると、彼はますます意地になってソ連礼讃を増幅する。私も感情的になって、あんな国はあと二年たたない内に崩壊するぞ、と放言した。なんの根拠もない放言である。ところがこれが当った。正確にはその時から二年より3ケ月遅れだけだった。あとで、その時同席した諸君から、私が何か根拠を持っていたのかたずねられた。無理もない。こちらが一番驚いた。あとで段々報道されることによると、あの体制はいろいろな面で行き詰まりの極にきていたようだ。特に経済と情報管理体制が無理と不自然の極限だったようだ。
 終ることなどつゆほども考えないことが、ものが、ある時終る。昭和20年と1990年か、とんでもない経験を二回した。国や体制だけではない。永遠不滅なんて誰が信じるものか。もっとも、すでに終っているのに、終っていること自体に気がつかないという悲劇的で喜劇的なこともある。日本には古来、「馬鹿は死ななきゃなおらない」という伝統的名言がある、いまでは「馬鹿は死んでもなおらない」というそうだ。

2008.10.31. 曇 町田

 
二日続けて人と会う予定があって、町田にはご無沙汰。歓談も楽しくても余り度を越して興が乗ると刺激が強くて、夜中に眼がさめたり後がよくない。こういうことも自重が要る。高齢になると幾ら元気でもいろいろ制約が増える。仕方ない。知人の女性声楽家、リサイタルを間近にして、中止の葉書が来た。階段を踏み外して骨折したと。降りる時、最後の二段で転んだそう。人間は、計画して行為すると、かなり高い所から飛び降りても怪我もしないが、予測なしの事故ではほんの数センチの段差でも怪我をする。下駄が横に倒れても骨折することがある。これは高齢者に限らない。この頃は、駅でもなるべく、エスカレーター、エレベーターを使い階段は敬遠している。

 金子みすヾの研究者、矢崎節夫さんの著書、ようやく図書館から借りた。この人は近年のみすヾ再発見の第一人者。それだけに、批判中傷もあるらしい。読み始めると著者の真摯な姿勢が伝わってくる。いい加減な人とは思えない。事実関係の間違いは、時間とともに解明されていくのだから仕方あるまい。
 みすヾの父親が中国で反日テロに殺されたということになっていて、矢崎さんの本でもそう書いてある。しかし、今野勉さんの最近の研究によるとそれは誤りであるという。今野さんは、当時、現地の在留日本人のために発行されていた日本語新聞を発見して、その記事を見出した。殺されたというのは事実ではなく、遅く帰宅して、その夜就寝中に死んでいたそうだ。在留日本人の人たちが手厚く葬儀をすませたことが詳細に書いてある。変死ではなく自然死である。新聞記事の全文が著書に紹介されている。情報の流通がいまのように自由でなく、量も手段も限られていた時代だったせいもあろうが、これはとんでもない間違いである。今野さんはこの新聞を国会図書館で発見したそうだ。
 この詩人についてはまだまだこれから解明されていく事実が出てくるだろう。人が伝えていること、巷間伝えられていることはそのままでは信用できないことがいかにあるかの例証である。      Webernの死についても、まだ謎が多い。山荘でアメリカ憲兵に射殺されたということだが、大筋はその通りのようだが、細部は不明だ。占領軍の憲兵の公務については永久に公表されないだろう。

2008.10.28. 晴 町田

 
おだやかな秋の日。

 金子みすヾ歌曲にとりくむ。「木」という詩。行数は多いが、字数は極度に少ない。この少ない言葉の中に詩人の無言の想いがこめられる。必然的に、前奏と間奏、それに後奏が長くなる。歌が沈黙し、器楽だけが音をつらねるその時間のなんと神秘的なこと。それは詩人の心の中の沈黙の音化だろう。表現の段階にまでもいたらない言葉のない静寂。そしてそこに底しれぬ詩人の心がある。湖の底のような。歌の作曲とはこういうものがあることをあらためて想う。Mahlerの「大地の歌」の終章「告別-Abschied」の中におそろしく長い間奏部がある。その意味がようやく分ってきた。

 明日は、先日の演奏会で歌曲を出品したYさんと歓談する。作曲する人と会話することは楽しい。昔、指揮者のRosenstockが語った。「音楽は楽しいものだが、音楽について語り合うことはさらに楽しい」と。

 小澤征爾君が文化勲章を受けた。当然のこと。昔、目白の斎藤秀雄先生の指揮教室で練習ピアノをひいたというより、頼まれてひかされたことを思い出す。教室が幾つかあって、大師範の斎藤先生のほかに師範役として四人いた。小澤君、山本直純君、久原敬子さん、羽仁さん。それぞれの部屋でピアノ演奏の代理Orchestraを相手に生徒の指揮を指導する。私が小澤教室でひいたのはBeethovenのSymphony No.1の遅い第二楽章だった。
これは大変な才能の男だと思ったし、すでに同僚生徒の間で小澤の評判は出来ていた。あれから半世紀かそれ以上たった。

2008.10.27.月 曇ときどき晴 町田

 
故人になったが、畏友山本直純君のCMに、大きいことはいいことだ、というのがあった。単純な言葉なのでずいぶん流行して使われた。

 この言い方を借りれば、新しいことはいいことだ、という観念が人間の意識に無限の彼方から刷り込まれていたのではなかろうか。人の歴史は、古代文化、メソポタミア、黄河流域あたりから起算してもせいぜい5000年か6000年くらいではないか。一万年までは達しないだろう。とすれば、いままでなかった変動が訪れても何の不思議もない。人の歴史でいままでありえなかったことが現実に起っていることは実際に例がある。人々の経済的所得が現在ほど高くなったことはないそうだ。ところが、それに連動して、物価も前例がないほど上昇することになる。このいたちごっこは前例がないだけどうしたらいいのか経済学者でも答えが出せないそうだ。
ノーベル賞学者でも手におえない難題ということだ。それでも営利企業は値段を上げたり、売上を増やしたりすれば給料をあげられるが、非営利団体はそうはいかない。私がかかわる文化団体で、20数年前、専門職員が賃上げを要求してきた。しかし財源はない。会費のこれ以上の増額は不可能である。もめにもめた末、結局、その人は退職してその後私が事務局長に推挙された。私が第一に断行したことは有給制の廃止、職員は有志による手弁当制への大改革だった。少し前に、所得と物価の史上前例ない難問の話をどこかで読んでいたので断行した。これは賢明だったといまも確信している。

 アメリカという国は東の方から入植者が開拓を始め、次第に西に進み、最前線はフロンティアと呼ばれた。しかし、19世紀末、開拓は西海岸まで及び、その先はなくなった。フロンティアは消滅したのである。ケネディはニュー・フロンティアという言葉を発したが、それはもはや象徴的な意味でしかない。
 数千年有効だった、新しいことはいいことだ、がいまフロンティアのごとく人の世界でその意義を消失したとしても何の不思議もない。新しいことはいいことでないのかもしれない。古いことこそいいことだ、に変るかもしれない。新しいものでなく、古いものを工夫して使うことこそ美徳かもしれない。すでにそうなっているかもしれない。人がもし賢明であるなら、前例なき変動にも対応しなければならないだろう。

2008.10.26.日 曇ときどき小雨 町田

 
今日こそは秋晴れ、快晴のはずだったのに曇り、それどころか時々小雨が降る。自転車で経堂まで強行。予報はあくまで、のち晴とのことだし、そういう予感が今日はする。

 20日の日本音楽舞踊会議作曲部会の総評、機関誌のために書き終える。一人一人の評はとても字数の上で書けないし、反対に総評でしか言えないものもある。
 1972年のことだったか、柴田南雄先生が朝日新聞に「現音」の評を書いて、「私たちはもう少しゆっくり歩いたほうがいいのかもしれない」、と評したことがあった。いまようやく作曲界もそうなってきた。いいことだ。新しいことがいいこととは限らないことが世界全体の常識としてようやく定着した。いまはじめて中世の終りからルネサンスの躍進、そしてそれからの暴走が終末を迎えたのかもしれない。新しい、いい社会をもたらすはずだった社会主義は無残な結果に終った。資源の枯渇が現実味をおびてきた。開発が自然を破壊し、その怨恨が自分たちに返ってくる。無限の観念の終末と有限の認識が天上からの降下してきた。天孫降臨ならぬ終末の降臨だ。
 中国製食品の妖しさが広がる。社会主義のはずの国が株式市場をやっている。社会主義だから国民のことはおかまいなく、やりたい放題のことをやってきたのだろうが、製品を買う国が買わなくなったらそうはいかない。
 人の欲望がともなわなければ経済は活力がなくなる。しかし欲に任せていては格差が出来て、利益追求の暴走となり、儲けるためなら何でもやることになり、人の生活も人間性も目茶目茶になる。人間というものはつくづく扱いにくいものだ。ということを様々な機会に警告してきたのが、えらい思想家たちであり、文学であり、宗教家たちであろう。

 どんな生物も、ある特定の種が異常に繁栄繁殖すれば、自然の淘汰がはたらく。人はどうなるのだろう。地球という肉体にやどった癌細胞が人間だったなんてことにならないでほしいものだが。

2008.10.25.土 曇 町田

 
昨日は終日実によく降った。夕方からはほぼやんだが。今日は快晴との予報のふれこみだったが、曇、しかし降らないことは事実。
 
 日本語は、通常の話言葉では、同じリズムが並ぶ型になる。8分音符の連続である。だから、歌を作る時、始末がわるい言葉に思える。この型を自然のまま唱えると、謡曲や常磐津のようになる。しかし、どこの国でも、話言葉とは別な歌の型というものがあるもので、日本語においても、民謡、つまり歌ではリズムの長短が持ち込まれる。


 めでた 
め-で-た--の--
 わ-か-ま-つ-さ-ま-よ---
 えだも-- さかえ--る
 みもうれる
---
 
 これは山形の「花笠踊り」の歌詞である。--で記した部分は母音が伸ばされる所。日本語は音声学的には子音 + 母音の連続である。この点はイタリア語に似ている。来日したイタリア人の婦人が日本語がイタリア語に聞こえた話をしていた。構造が同じなのだ。そしてイタリアは歌の国である。イタリア・オペラでも、recitativoの所は日本語の音韻と実によく似ている。そして、歌になると、自由奔放自在に母音を伸ばしてのびのびとした旋律を歌い上げる。人間の言葉の世界には、話言葉型と歌型と種類が違う二つの世界があって、この二つは別なもののようだ。とすると、日本語の話言葉が8分音符の連続であることは別に気にすることではないかもしれない。
 イタリアオペラといえば、語りの
recitativoがあって、やがて感きわまると歌になる、その作劇法が日本の浪曲、浪花節と同じである。国も言語の系統もまったく違う言葉でも、人間の表現の仕方は意外に近いものがあるようだ。

2008.10.23.木 曇のち雨 町田

 
日本のピアノ曲の解説は宅孝二のSonatineまできた。あと一曲、池内作品はまだ遺族の了解が得られず保留の段階にある。

 宅さんは、エコール・ノルマルに二度学んでいる。エコール・ノルマルはパリ音楽院に比して自由な学風の所。パリ音楽院があまりに種目が多くなり、縦割り運営で、制限が多く、自由な学習がしにくくなったので、この学校が創学され、ピアニストのAlfred Coltotが初代校長になった。宅さんは、リベラルな思想な人だから、音楽院よりこちらを選んだのではないだろうか。

 このSonatine、これだけは音源がないので自分でゆっくりひいてみる。いかにもRavelに似ている。この当時としてはこれも一つの段階だったのであろうが、この曲の作曲年度を見て衝撃を受けた。1942年である。太平洋戦争が始った翌年ではないか。昭和17年。日本はまだ勝利ムードに浮かれていた。この年の六月に日本海軍はミドウェイで負けて、はじめて戦運は逆転するのだが、それが国民に実感されてくるのはまだだいぶ後である。この頃は勝った勝ったで日本中お祭り気分だった。いま、あの戦争はあたかも国民がいやがるのに政府が無理やり推進したかのような言い方をする人や論説主張があるが、それは大間違いである。国民の大部分が戦争に万歳を叫んでいたのだ。そして、いま思い出しても不愉快なのは排外主義の横行である。これだけは当時といえども不愉快だった。外国語を排斥し、日本語に置き換える。それも無理してまで。いまの片仮名氾濫の反対である。特に、敵性国の言葉、英語、フランス語は槍玉にあがった。そんな中で宅さんは、この曲を書いていた。これは精神的なレジスタンスではないか。私はにそう思える。自由が氾濫するいまの時代しか知らない人には実感できないだろうが、あの時代、自室でこういう作曲をしていたということは並大抵でない時代への反抗である。

 宅さんという人が戦後、ジャズの領域にまで進出してジャズ、ピアニストとしても実績をなし、すぐれた門下生も出したこと、映画音楽でも存分な仕事をしたこと、これすべて、この人の反骨精神というか、自由な精神のもたらしたものだろう。この人もまた、破天荒な人だった。

2008.10.22.水 晴ときどき曇 町田

 
一昨日は日本音楽舞踊会議の新作の夕べ。今回は歌曲が多かった。

 詩の扱いについて自分もいま詩ととりくんでいるので、いろいろな難題が浮ぶ。詩の中では一行、一度だけ書いてある文節を音楽の都合で何度かくりかえすことはどうなのだろう。そういうことをしていいのだろうか。それと、詩の中で一行だけ、前後と行間を空けて書いてある節がある。こういう場合、この行間は無視していいものだろうか。詩に書いてある詩人の意図をどれだけ読み取ろうとすべきなのか、これも自分にも即断は出来ない。それと、歌に対するピアノのあり方。日本語は音節シラブルが多い。すべての音節が、子音+母音でできている。「私」を書くと、「わ-た-く-し」、と四音節になる。これが欧米語では英語は、「I」、どいつ語は「ich」、フランス語は「je」、こんなに音が少ない。歌とピアノの間にも対位法の関係があるだろうから、欧米語の場合、音が少ない歌に対して、ピアノは多くの音を置くことができる、また、おかねばならない場合が多いだろう。しかし、四節も場所をとる日本語の場合、ピアノは対位部としての衝突しないよう少ない音で組み合わせるほかない。四分音符四個に対して、全音符一個でいいのと同じ理屈である。これは言語学の問題だが、そのほかに、音楽表現の基本として、饒舌は逆効果ということがある。SchumannもWolfも、ピアノ部は決して饒舌に出来ていない。特にSchumannは音が多すぎないよう配慮している。
 日本語の特性を考えるならば、日本の先輩、山田耕筰を範とした方がいいかもしれない。山田は日本語の音節の扱いに極度に敏感に対応している。多すぎるピアノの音で歌の邪魔することがないよう配慮されている。

2008.10.19.日 曇 町田

 おだやかな日。
 
 日本のピアノ曲の解説研究を続けると、日本の作曲のあるべき位置、立場、のむずかしさが身にしみる。
 いまから半世紀前のことだから、いまは状況も幾らかは変っているが。坂本良隆のように完成度が高く西洋風の作品をしあげることは見事だが、反面、西洋の音楽にこうした曲を一つ追加することにどれだけの価値がるだろうという根底的な疑問も湧いてくる。下総さんのように、西洋音楽を正規に存分に勉強した人でも、また菅原明朗のようにフランス、イタリアの様式を相等程度までこなした人でも、日本の伝統旋法を作品にとりこもうとして苦吟いる。下総さんの場合などはどうみても仕上がりは上出来という具合には出来ていない。それでも、何か、西洋にないもの、世界になかったものを創り出そうという意識の努力と煩悶がそこにはある。

 芸大の学生だった頃、ラザール・レヴィというフランスのピアニストが来日した。レヴィさんは作曲もする。ソナチネを披露したがラヴェルに似た曲だった。私たち学生は、批判的だった。よく出来ているが、独創性がないと思った。音楽会場で休憩の時に散々そういうことを言った。先輩の小山清茂さんも加わり同調していた。その時、篠原真という男が、こういうものを丹念に仕上げる、ということ、その精神と心がけがりっぱなことではないのか、と言った。一同は水をかけられた気分になり白けて解散した。
 同じことは池内先生も宅孝二先生も盛んに言っていた。そのことが分らないことが日本人のいなかものたるところだ、と繰り返し聞かされた。
 いま思えば、両方の言い分とも根拠があったように思われる。当時、作曲の完成度が高いとはいえないものがまだまだあった。精神主義的民族主義もまだ横行していた。クラフトマンシップとでもいうものがまだ分っていなかった時代、といまからふりかえって回想される。あれから半世紀、日本の作曲も技術水準が上った。出来損ないが横行することはもうない。完成ということの大事さは周知されたのだろう。そうなると、何を、という目的と思想が問われる段階になっているだろう、いまの時代は。

2008.10.18.土 晴 町田

 昨日も今日も秋晴れ、今日は午後から少し雲が出たが、気持よい好天が続く。
 
 坂本良隆の「ソナチネ」はいい曲だ。
 この時代特有の未熟さと野暮ったさが全くない。洗練と整頓がゆきとどいた現代の秀才の筆になるような書法の完成度だ。響きもきれい。この人はベルリン音楽院でHindemithに師事したそうで、下総さんと学習歴が似ているが作風はまるで違う。むしろ、フランスのPoulencやFrancaisを思わせる。惜しむらくは短い。三楽章通して四分半くらい。花岡千春さんがリサイタルでひいたようだが、そのとき聞いた人のネットによる感想では「聞いているうちに終ってしまった」、とある。あんまり短いとそうなる。同じ作曲家のほかの曲と組み合わせる要だあるだろう。

 手に入る文献では、この人の学習歴はベルリンのことだけが書いてある。日本国内での学歴が書いてない。念のため、芸大の同窓会の名簿を調べると大正14年「選科」卒業とあった。選科とはどういう科か分らないが国内では東京音楽学校の出身ということ。学校の制度は頻繁に変る。私たちの時期には別科というものがあった。昔は、師範科と本科と二つあったことは知られているが、選科のことはわからない。この東京芸術大学同窓会、「同声会」の名簿はいまや貴重な文献になっているが、数年前から発行が停止された。個人情報の保護とやら、いまどきの風潮の結果だそうである。くだないことである。
 「日本の作曲家」という分厚い本がこの春刊行されたが、この本にも坂本良隆の国内学歴のことは書いてない。この本は苦心のあとがある貴重で詳細なものだが、宅孝二さんがパリ音楽院で学んだと書いてある。自分が知る限りこれも間違い。宅さんは、エコール・ノルマルの出身。この二つは別の学校。エコール・ノルマルは私立の学校である。

2008.10.17.金 晴 町田

 
日本のピアノ曲の解説、ようやく下総完一さんまで来た。(本当は完の字に<日>ヘンが付くがこの字が器材にないのでこれで許して頂く)。

  
人の仕事にはいろいろな分野があり、一つの専門でもその中がまた幾つかに分れる。作曲といってもしかり。クラシックの作曲でも、器楽曲、声楽曲、Orchestra曲、室内楽曲、電子音楽。また、広義のクラシックでも、愛唱歌的なもの、童謡風のもの、等々。そして当人が主要としていた分野とは違うものが世に知られて残ることがある。
 下総完一という人、この人は,信時潔門下、ベルリンでヒンデミットに師事、東京芸大教授という謹厳威風あふれる人であった。著書にもヒンデミットの「作曲の手引」という高度に専門的なものがあり、音楽と教育と教育行政で重きをなした重鎮である。しかし、この人の曲で日本で誰にでも知られている曲は、そうした分野の曲ではない。

   ・・・ささのはさらさら のきばにゆれて おほしさまきらきら きんぎんすなご・・・
       「たなばた」である。

 なんとやさしい歌、日本人の心にふれる歌であることか。

 下総さんは謹厳剛直の人であった。私は実際、芸大時代、この先生に譴責処分を受けたことがある。私たちの池内教室の隣が下総教室であった。教授のピアノは生徒がふれてはいけないことになっている。ある時、池内先生が見えない間、私はほんの一つ二つ、ピアノで音を出した。途端にドアが開いて下総先生が入って来られた。「いまピアノをひいたのは誰だ?」。私は名乗り出た。まもなく数日後、廊下に、「右の者、一週間の停学処分に処す」、という掲示が出た。学友たちはたいへん喜んだ。私は仕方ないと思った。禁止されていたことをしたのだから誰も恨みようがない。この停学の間に私は下宿の移転などをして有効に過ごした。
 まもなく停学が終ったあと「復学」した私は、廊下で下総先生と遭遇した。先生は私に寄って来られ、耳打ちされた。「悪くおもわないでくれな」、私は「自分がわるいことをしたのだから何とも思っていません」とお答えした。本当にそう思っていた。反感が持てなかったのである、この先生には。人徳というものだろうか。こういう人徳が「たなばた」のようなやさしい歌を生んだのだろう。

 坂本良隆という作曲家の資料が出て来ない。その他の人たちはネットや、文献で出てくるが、この人だけ出て来ない。作品については出ているが、本人のことは出て来ない。ネットだけでない。こんど扱う作曲家でこの人だけである。平凡社の「音楽百科事典」にも名前すら出ていない。もっともこの事典は原智恵子ですら出ていなかった。

2008.10.16.木 晴 町田

 
このところ快晴が続きこころよい。
 歌曲の第三曲もようやく完に近づく。ほぼ完成の段階でも、数日そのままにして読み返してみる要がある。改造の余地が見つかることもあるし、また数日したらもとに戻ることもある。そんなことを何度か続けているうちに落着する時がくる。これでよしという気分が出来るもの。

 河崎久子さんの著、「みすヾ哀歌」、著者の、詩人への純な共感、同情、尊敬から書かれたがよく分るが、書物になってみると、読む側の立場からの希望要望がどうしても出てくる。これは作曲でも同じだろう。アマチュアの作だからまあいい、というわけにいかないものだ。
 昨日、読んでいるうちに決定的な誤りに遭遇した。関東大震災の時に、ラジオで報道を聞いているという場面がある。これはおお間違いだ。関東大震災の時にラジオ放送は始まっていなかった。関東大震災は、1923年、大正12年の9月1日である。ラジオ放送が開始されたのは、1925年、大正14年の3月1日、震災から丁度一年半後のこと。この日は器材が不調で電波だけ出して、人の声が放送されたのは3月22日だった。

 細かいことを言いたくはないが、こういう事実上の歴然たる間違いがあると、書かれている内容全部があやしげに見えてくる。残念至極なことである。書物を書くということ、公開の文章を書くということの責任の重さを痛感する。他人ごとではない。いま書いている日本のピアノ作品の解説論評もよくよく気をつけねばならない。自戒につながる。菅原明朗作品の作曲年をなんの不注意か20年間違えていることに気がついた。つい数日前のこと。あとで、何度も読み返して校正確認をしなければならない。
 

2008.10.15.水 曇のち晴 町田

 
河崎久子著「みすヾ哀歌」

 図書館で金子みすヾ関連の図書借り出す。河崎久子著「みすヾ哀歌」。
 
 これは小説と名乗っている。河崎さんという人は専門の小説家ではない。みすヾと同郷で、みすヾの詩と生涯に感銘を受けて、みずから癌で亡くなるまでこの小説を書き終えた。小説と名付けているだけ、想像による部分が多い。井上靖が書いていたが、歴史小説というものは判明している事実に反することは書いてはいけない。事実が分っていない部分について自分の想像を自由に書くものであると。これが歴史小説の基本であろう。この河崎さんの著書を読みながら、何かを思い出した。原智恵子の生涯を書いた本である。本の著書名は忘れた。しかし、このサイトで私は延々と書いたことがある。事実に反すること、あるいは、事実が不明な部分について特定の別人をきずつけるなことはよくないと。そして、何よりも、事実不明な部分について著者の想像を書くならば、少なくとも、「小説」を名乗るべきである。そうでないと、事実不明な部分に想像上のことを事実として読者に読ませてしまうことになると。


 
こんどの河崎さんの著書は小説と名乗っているから、これがそのまま事実であるとは思わなくてもいいわけだが、先に読んだ,今野通さんの著書で解明されたこととどうしても照合してしまう。今野さんは執拗なまでにみすヾの生涯について調査を続け、自身のかつての誤りについても容赦なく訂正して新たな事実を記述している。「多分こうだろう」ということを調べていくと、根拠が意外に薄弱だったり、証言の中から、そうでもなさそうな報告が出てきたりする。河崎さんの著書にあふれる詩人への尊崇と生涯への同情は心を打つものがあるが、いま巷間に出ている、みすヾが悲劇的に描かれ過ぎている、という通説に根拠をあたえる結果になっているのではないかという感想を持ってしまう。

 みすヾの生涯が悲劇的でなかったわけではない。そのことを否定するのは馬鹿げている。しかし、事実関係は厳正に究明されなければならない。これはどんな場合でもいえることだろう。

2008.10.14.火 曇のち雨 町田

 
今日は予報通り昼頃から降りだす。雨を好ましくないことのように表現する天気予報の用語には賛成できない。農業の方では雨が降らないと困る。これもまた自然のあたえるもの。お天気下り坂、とか、回復、とか。雨は雨、晴は晴でいい、価値付けはしてほしくない。聞いている側まで雨が忌まわしくなる。

 「ジョスランの子守唄」という曲、有名な愛唱歌。

 作曲者ゴダールについてはネットで知ることができた。しかし、オペラ「ジョスラン」の中の曲であるのに、このオペラ本体のことを幾ら調べても分らない。日本音楽舞踊会議の会報に投稿して、会員からの情報提供を請うたところ、声楽の内田暁子さんから早速手紙が来た。簡単ながらオペラの筋書きが書いてあった。

 フランス革命の頃、若い神学生ジョスランはアルプス山中で、瀕死の亡命者から幼い男の子ローランスを託される。ジョスランは、山中の安全な洞窟で一夜を過し、ローランスを寝かしつけ、その場面で歌うのが、この「子守唄」、ということ。
 テノールが歌うことは知っていたが男性が子守唄を歌うというのは国定忠治の「赤城の子守唄」みたいで変っていると思っていた。これで合点がいった。近藤朔風の訳詩は大時代がかっているが、なかなかの名文。余りに悲劇的な内容なので、どういう話なのか知りたかった。
 作曲者のゴダールは、ヴァイオリニストで作曲家、パリ音楽院で室内楽の教授であった。オペラその他作品が多いが、ほとんどは忘れられ、この歌だけが超有名になった。本人の編曲で、ヴァイオリン版、チェロ版もあるそう。当人も、これが名作であるとの自覚があったのだろう。
 さる九月に90歳でなくなった姉が、若い頃声楽の勉強をしていて、この歌をよく歌っていた。ラジオで放送したこともあった。姉は、作曲家伊福部昭先生が指導する女性合唱団の団員で先生にもだいぶ気に入られていたようだ。

 この曲は作曲技術の上でもなかなかよく出ている。パリ音楽院出身者らしい書式の整い方がこころよい。最近、作曲の生徒にこの曲の和声を研究する宿題を出したこともあった。近藤朔風はこのほかにも名訳が多い。Schubertの「野ばら」も。

  わらべは見たり、野中のばら
   Sah ein Knab ein Roslein stehen

 一見単純なこの詩句がなんと見事に日本の詩に置き換えられていることか。しかも、「ジョスラン」にしても、原文は正確に扱われていて勝手な異訳をしていない。最近は日本語も堕落した。口語訳聖書など読むに耐えない。また、外国映画の題を訳さずに原題をカタカナに置き換えることがはやっている。「Thin red line」を「シン・レッド・ライン」にした。「新レッド・ライン」と間違えた人がいたそうだ。日本語が堕落したのではなく、日本語を扱う日本人の意識が堕落した。

2008.10.13.月 祭日 晴 町田

 
秋晴れ、昨日は若い作曲家の演奏会にでかける。

   いろいろな方向で努力しているのは分るが、作曲の要諦とでもいうようなことを再び考える。何をしようとしているのか、自分のこころざすものは何か、それが定まっていないものは他人は受けとりようがない。作曲は美の世界の行為である。そして作曲は憧れの世界でもある。何を美しいと感じているのか。何に、どういうものに憧れているのか、ああいうものに近づきたい、自分が愛せる何物か、それを追うものが作曲であろうし、作曲でなくとも、文学でも絵画彫刻でもあるのだろう。あこがれ、それが持てない人はこの道に入ったことがそもそも誤まりであるのだろう。何をうったえようかが定まらず、あるいは最初か関心がなく、何を、より、如何に、の方に関心が向いている人のものは聞かされる方は受けとりようがない。大声を発したり、奇声を発したりすれば、聞く方はそちらの方に関心をひきつけられ、何を言おうとするか、何を聞いてほしいのか、何を受けとってほしいのか、その方への注意はお留守になる。大声を発せず、奇声を発せず、普通の落ち着いた話し方で、聞いてほしいことを物静かに説いてはじめて他人は話を聞いてくれる。
自分の所で勉強しているK君の作品はずいぶんよくなった。品のいい叙情があらわれるようになった。

 
いま、Fritz Wunderlich のCDが聞こえている。あれは、1990年のこと、Wiener Volksoper でLeharのDas Land des Lachelns の中の "Dein ist mein ganzes Herz"、これはWunderlich ではなかったが、奇跡的名唱を聞いた。歌い手は Vincent Lorenz という人。この歌にアンコールがかかったが、すべてをpianissimoで歌った。Orchestraもまたpianissimo。音源がどこか分らず、いずこからか聞こえてくる不思議な甘美をきわめる体験だった。こういうものが本場ものなのだろう。Vincent Lorenz という人はアメリカ人のようだ。VolksoperStaats のように一期ごとの契約制でなく、専属制をとっているから、この人は日本にも来たことがある。確か、Die Lustige Witwe を歌ったように記憶する。1990年、日本では海部内閣の時、BudapestJapan Festivalがあり、日本の邦楽団体が参加した。その折に随伴して、帰りにWienまでバスで来た。若い女性二人をつれてVolksに行った。終演後、タクシーでKerntnerrstrasseまで行き、Wein Barで三人で気勢をあげた。Staatsoper のすぐ裏のAugstiner Keller。私の行きつけの居酒屋である。いま思い出しても楽しい日だった。

2008.10.11.土 小雨のち晴 町田

 
昨夜からの雨は昼にはやみ、さわやかな秋晴となる。

 往年の愛唱歌さらに聞く。うんと、うんと、昔のドイツ映画、「会議は踊る」、"Der Kongress tanzt "、の主題歌、「ただいちどの」、" Das gibt's nur einmal "、リリアン・ハーヴェイ、Lilian Harvey、の熱唱、というよりいささか熱唱がすぎて声がでそこなっている所もある。これがまたなつかしい。これも天下の名曲、不滅の名歌だ。和音がいい。転調がしゃれている。人の情緒ににくいほどせまってくる。この背後には、ヨーロッパ、Opera, Operetta の永い実績伝統があるのだろう。この映画の話、筋書きにはいまの世ではいささか共鳴しかねるところもあるが、1931年制作、日本公開は1934年だ。皇帝とか貴族とかに憧れるなんていう話はどうもいまの世でははやりそうもない。しかし、1931年にナチは第二党になったが、この映画の上映に反対したそうだ。いきさつと真意は分りかねる。日本ではだいぶ遅れて公開された。学徒出陣の世代が大学生でこの映画を多く見た。そんな時代だ。"Das gibt's nur einmal "、と兄たちが歌っていたのを聞いた記憶がある。
 ヨーロッパOpera というより、Wiener operetta の流れかもしれない。この伝統がアメリカに渡り、Broadway musical にひきつがれた。1930年代、40年代のBroadway musical の作曲者はほとんどがヨーロッパから渡来した人たちだ。ナチの難を避けてきた人たちも多かったろう。「My fair lady」の「I coud dance all night」はWien音楽そのままだ。

  歌曲の三曲目、少しずつ書き始める。余り頭の中だけで考えていると疲れてくる。やはり、少しずつ小出しに楽譜に書いていった方がいいかもしれない。

2008.10.10.金 晴のち一時小雨 町田

 
快晴だったが夕刻から小雨あり。
 
 ゆえあり、かつての愛唱歌を再生する。
 「すみれの花咲く頃」、古今の名曲であり名歌である。この歌はもとはドイツの歌だったそうだ、それからパリに行き、それを現地で聞いた日本の高名な詩人が、もとの歌詞では「すみれ」ではなく、日本語に正しく訳すと余りなじみのない花の名になるところを、思い切って、「すみれ」と、「誤訳」か「異訳」か知りながら訳したことから日本での大ヒットになったという来歴を知った。世の中にこういうことがある。それにしてもいい歌だ。手許の録音は、由紀さおりが一番を歌い、二番を姉の安田祥子が歌っている。正しくは、歌詞の一番、二番ではなく同じ歌詞を二人が続けて歌っている。それぞれいいが、あえて言えば姉の安田の方がいい。こちらは完全なクラシックの発声で歌っている。その方がいい。こうなると、クラシックの勉強も無意味ではないという気がする。多くの場合、クラシックの勉強をした人は、発声は正統なのだろうが、こういう歌では気分や雰囲気に無神経で感心できない場合が多い。しかし、これはそうではない。ついでだが、ピアノ伴奏がいい。こういう歌は、気分を出さなくてはだめだ。クラシックのピアニストではそちらの方面が絶望的な人が多い。それでは、クラシックの曲も本当はだめなのではなかろうか。

 そのほかに、「アルゼンチン・タンゴ」の名曲、「ポエマ」。昭和10年頃、日本でもレコードが発売になった。日本では「ターキー」、水ノ江滝子が歌った。日本語訳だった。いまでも邦訳歌詞の大半を覚えている。

 花の影はゆれる
 今宵もただひとり
 夢のかなたに、浮ぶは
 君のおもかげ

 
当時、私の家には、のちに音楽評論で高名になった、いまは亡き岡俊雄さんが若くてしばしば遊びに来ていた。岡さんがいて、姉たちがいて、蓄音機が「ポエマ・タンゴ」を奏でて。そんな風景の中で私は幼年期を過ごした。記憶がよみがえる。

2008.10.09.木 晴 町田

 
何日ぶりか、すがすがしい秋晴となった。

 
みすヾの詩を永い間みつめている。今野勉さんの著書を熟読する。この人はテレビの制作者でNHKで二度、みすヾの特別番組を作り、執念のように詩人の史実を研究している。それもまたすさまじいばかりの努力である。
 いま、みすずの郷里ではみすヾブームで、記念館が出来たり、詩のモデルの地に標識がたったりたいへんな盛り上がりだそう。死んでから70年か80年たってブームになっても当人は知らぬことだが、これが芸術家の運命かもしれない。
 こんどの勉強で、もう一つの発見は西条八十という人を見直したことである。この人は低俗な流行歌の作詞者と思っていたがそうではなかった。ある時期から大衆歌謡の方に方向を変えたが、フランス時代はあちらの代表的詩人と交流があり、多くの優れた抒情詩を作っている。方向転換は何か理由があるのだろう。それはそれで、どこかに書いてあることだろう。
 八十は一度だけみすヾにあった。下関の駅の薄暗い隅で、貧しげな姿に幼児を背負ったみすヾに短い間だけあった。このことを八十は終生忘れなかった。「黒曜石のように目が美しい人だった」、八十はしきりにそう語った。その後、ことあるごとにみすヾを励ましたのは八十だった。八十自身の詩にもみすヾを刺激するものがあった。村の働き牛が死んだ時のことを詠った「村の英雄」、みすヾはこの詩に霊感と共感を受けて詩の創作に進んだそうだ。八十がみすヾの虚像を作ったなどとんでもないことである。人に会う、ということは途方もないものを知ることであり、得ることである。どんな作品研究も、文献研究も教えない、無言のものを人は人からその時受けるものだ。

2008.10.08.水 雨のち曇 町田

 昨夕からの雨は昼頃やんだが、その後も暗澹たる空模様。自転車はやめてバスで経堂まで。ふだん自転車で通る道をバスで通ることも別な魅力がある。

 金子みすヾの詩による歌曲集、二曲目が出来て三曲目に入る前に少し休んで熟慮したくなった。こんどの曲は三つ目になる。三つ目になると、詩をよく読むようになる。今度の詩は一見軽やかな描き方に見えるが、しばらく読む内に後半にいたり、字句の背後にある見えないものが見えるように思えてきた。深く読みすぎた結果かどうかは分らない。分らないが、自分には見えるように思えてきた。それは、外見の軽やかさと明るさの奥に、あるいは背後に潜むもの、それは死の予感である。自分が草になり、自分の顔は美しい花になるだろう、という外意の詩句だが。
 今日、図書館でみすヾについての評論の図書を借りた。読むほどにこの詩人の謎が浮かび、ただならぬ想いが伝わってくる。みすヾの人生を悲劇的に描きすぎている、みすヾは本当はそれほど悲劇的な人生ではなかったのではないか、という説が最近出回っているそうだ。みすヾを悲劇的に描いたのは西条八十であること、そのために誤ったみすヾ像が出来てしまったという人がいるそうで、その新説が主流になりかかっているとも聞いた。私はその新説には同意しない。自分で自分の命を絶つ人が幸せであるはずがない。さらに言えば、みすヾがしあわせな人であったらこのような詩を造らなかったであろう。世の中には軽薄な人がいるものだ。生きることの苦しみと悲しみがあったから、Bach もBeethoven もChopin もBrahms も作曲したのだ。
Brahms は、自分の作品は自分の苦しみの子守唄であると語っているではないか。

2008.10.07.火 曇ときどき晴 町田

 
日本の伝統音楽の中で、雅楽や芸術化された邦楽を除いて民謡を観察すれば、長い音価と短い音価が組み合わさる、俗称 jump型のリズムは、三連型と付点型の二種類に分けられるだろう。 

 三連型の歌は、山形の「花笠踊り」、徳島の「阿波踊り」などが典型的であり、また、「鹿児島おはら」もその一つであろう。これに対して、あきらかに付点型に区別されるものがある。これはどうみても三連型とは違う。なぜ違うかといえば、このリズムは行進感覚が背景にあるからである。戊辰の役の時の「宮さん宮さん」、「勤皇隊」、などが典型だし、おびただしい例は、旧制高校の寮歌の類、「ああ玉杯」、「みやこぞやよい」、また、明治初期の軍歌、「敵は幾万」、日本陸軍歌、「万だの桜か襟の色」、これは戦後メーデー歌、「聞け万国の労働者」に変容したが、これらは実際、集団行進の際に歌われた。
三連型は踊りが背後にあるし、付点型は行進が背後にある。付点リズムが西洋音楽のものと民族的に少し違うであろうし、そのことが西洋音楽を日本人が演奏する際に違和感が指摘される所だが、定量音符で分類すればこうなる。
 
ここまで分類すると気になるのは「炭坑節」で、これはどちらに入るのか。三連型のようにも思えるし、付点型であるようにも聞こえる。「炭坑節」で行進することはまずないだろうが、この歌から踊りを誘発される感もない。付点であっても、行進とは限らず手拍子で気勢をあげる場合というものもあるのだろう。そう考えれば理解できる。

 
私は母校、旧制札幌一中の校歌、小山作之助作曲の「雲よりい出て」、の文献学的考察で母校に問題を提起した。この歌も明治行進曲型の付点のリズム型であった。これらの日本民謡、大衆歌のリズム型の発生に社会的、歴史的背景があることは明白であるので、研究者の報告を期待したい。若い時、小泉文夫さんから聞いたことだが、世界の民族音楽はどこのものでも、「追分型」と「八木節型」に分類されるとのことだった。これは、民族音楽だけでなく、そこから発展した芸術音楽も同じかもしれない。

2008.10.06.月 雨のち曇 町田

 昨晩から降り始めた雨はようやく昼過ぎにあがった。気温も下がり避暑地の朝のようなすがすがしい午後となった。新車の自転車でこころよく経堂駅まで。先日拾った時計は店頭で同型を見ると、安いので12万、高いので22万以上する。持ち主に返ることを祈願する。

 日本のピアノ曲、成田為三の「浜辺の歌」変奏曲の項をようやく終る。この歌は、フォスターやビショップ、世界の名歌の民謡に匹敵する世界的名作である。しかし、これが6/8拍子で作られていることに関心が生ずる。日本最初のピアノ曲である滝廉太郎の「憾み」も6/8拍子だった。三拍子は日本人には不得手と聞いていたが、6/8拍子は三拍子が二つ組み合わさったものというのは外見のことで、実態は違うものかもしれない。民謡でも、近似値的に言えば、「八木節」などは6/8拍子の型になる。三拍子になればWaltzのようになり、日本人の生活にはなじみがないかもしれないが、6/8拍子は三拍子系といえ、別な種類のものかもしれない。付点音符のrythmが日本人に不得手であることは事実である。昔、近衛秀麿先生からじかにその話を聞いた。先生は、日本人の付点音符は、三連音符に近く、本来の付点音符と三連音符の中間くらいと言っておられた。これは近衛先生だけでなく、Bernsteinも、PMFのOrchestra指導にきて同じことを指摘していた。曲はSchumannのSymphonyだったが、付点音符が鈍く鋭さがないので眠くなる、とアメリカ人らしく寝る仕草をしていた。

 歌曲集は二曲目が出来て、ここでひと休み。曲集の場合、一つ一つの曲はよく出来ても、並べた場合、変化と対照ができていなければならない。そこがむずかしい。私のピアノ曲集「ちいさな四季」は広く愛好されているが、続けてひくと変化にとぼしいのは事実である。この曲を並べてひく人は余りいないだろうが、要注意の経験となった。

2008.10.04.土 晴 町田

 通勤に使っていた電動式の自転車がついにこわれた。

 九年間使ったから仕方がない。電池が充電できなくなった。三割くらいの所で充電が止まってしまう。充電器が故障したのか電池が故障したのかわからない。九年間使用では仕方ない。ついに三割の充電も受けつけなくなった。近所のホンダの店に新品を注文した。この電動式自転車というのは、電池を使わずに人力で走行しようとするとペダルがやたらと重い。本体も普通の自転車より重い。だから、登り坂は押すほかない。隣の経堂駅まで行く道筋をよく考えてなるべく登り坂を通らないように工夫する。奇妙なことで苦労することになったものだ。もっとも雨の日は自転車は使えないので、いまでも近い駅まで歩いて行く。10日までの間に雨の日があればかえっていいようなものだ。晴でも、その駅まで歩いて行けばいいわけだが、人というのは奇妙なもので、降らない限りなんとかして急行が止まる便利な隣駅まで行きたい。
 と、ここまで書いたら自転車屋さんから電話がきた。車が届いたと。有難い、早速受けとりに。ペダルが軽くてモーターの力が強く。なんとも乗り心地がいい。 いまの新型は型も小型で軽くなっている。器械は年代がたって旧式になると不便になる。作曲家の野田暉行君も電動式に乗っているそうだ。近年の都会は自動車が使いにくくなり、自転車の方が便利になった。

 今日は椿事が起こる日、経堂のバス停前の路上で腕時計を拾った。オメガの婦人用。OXの前なのでお店のガードマンに聞いたが、店の外の落し物は預かる権限がないというので駅前の交番へ。かなり手間隙かけて書類の書き込みなどをさせられた。金属バンドの時計は危ない。自分も覚えがある。電車の中で操作していて降りてからしばらくして無いことに気づいた。この時計の主もバスを待ちながらバンドをいじっていて落ちたのに気づかずバスで行ってしまったのだろう。交番に尋ねてくればいいが。

 日本のピアノ曲の解説、成田為三の「浜辺の歌」変奏曲。ともかくこの旋律は美しい。こういう名旋律というものはどういう時に、どのようにして人の心に浮かぶのだろう。成田は秋田の人。いつかNHKの「名曲アルバム」で、秋田の海岸に夕陽が沈む光景を映していた。この歌そのままの映像だった。成田という人はドイツ留学中に寂しさからお酒をずいぶん飲むようになったそうだが、帰国後、見合いの席で禁酒を宣言して、以後本当に飲まなかったそうだ。
 この歌については奇妙な記憶がある。ベトナム戦争中に「ベトナム歌舞団」というものが来日した。労音の招きである。この曲を演奏したが和音が間違っていた。単純な形式の歌だから終止の部分を間違えると繰り返すたびにそこを聞かされる。閉口した。それから、戦時中のラジオで、ラジオ物語みたいなものだったろうか。戦争中に海岸に住む若い婦人、軍人の妻かなにか忘れたが、毎日この歌を歌いながら海岸を散歩する人だった。それが戦争で夫が戦死したか何かがあって、立ち直ったあと、海岸の散歩は続けたがいまや歌う歌はもっと力強い歌になった、というものだった。軍国歌謡みたいなものだった。やれやれとんだ時代があったもの。この話を書いた台本作者も災難なことだったろう。私が小学生か中学生低学年の頃のこと。人はつまらぬことを覚えているものものだ。synthesizerの話はお休み。歌曲の第二曲が出来上がりに近いので今日はそちらに専念。

2008.10.03.金 晴 町田

 
昨日に続いてすがすがしい秋晴れ。

 明治期から戦争初期までの日本ピアノ作品の出版があり、その解説を依頼された。11人の作曲家の複数の曲を扱うのでこれもなかなか重量級の仕事。滝連太郎、山田耕筰、信時潔までいまのところ書き上げた。今回収録され
た曲はどれも西洋正統派を真摯に受けとめた人たちの作品であり、その点はこころよい。西洋の消化を待たず、脇道へ進んだ、早すぎたnationalim の曲はないのがいい。

 
具体音の表現力については1983年の作品「おわりのない朝」で存分に使うことが出来た。あのような時事的ともいえる題材は器楽には向かない。Vietnum 戦争当時、アメリカでdocumentary music という方法でこの手法による作品が多く作られた。私は当初、この曲もすべて具体音で作ろうとした。この辺のいきさつについてはすでに以前のこのサイトで詳説したので再記しないが、作品が出来上がって芸術祭に提出寸前になり、担当者から、具体音の部分を省略して器楽の部分だけにすることは出来ないかと相談された。どこから、どのような動機と目的で出現した要望なのかいまも分らないが私は受け入れなかった。天地も人も焼き尽くす火炎の様をwhite noise のスライド以外にどうして表現できようか。また、アメリカ軍兵士の不気味な音声交信とてもこの手段でなければできない。この曲はこの手法が役立てられた幸運な作であった。

 さて、それはそれとして、synthesizer による音源が記譜できないことからくる難題をどうしたか、次からこの次第を書く。

2008.10.01.水 雨のち曇 町田

 
二日間降り続いた雨がようやくやんだ、台風は南へ避けたよう。この頃の台風は中国大陸へ向わず、右折して日本に来るようになった。有難くない。

 昨日は、若いピアニスト、伊藤野笛君のリサイタル。前からHamburgに在住の人。とてもよかった。この人は函館の人で、確か中学生の時、私に手紙をよこして、私の合唱曲の楽譜を所望してきた。それから芸大に進みドイツに行った。会うのは初めて。スウェーリンク、カバリーニェス、というオルガン作曲家の曲二つにシューマンの第三ソナタ。後半が、マクダウエルの小曲集「炉辺のお話」、最後がメシアンの「幼子イエズス」から二曲。重厚で個性的な曲目。シューマンは40分を超す大曲、いささかもひるまず堂々の成果だった。会場が代々木上原の「ムジカーザ」という小さい所で、当人が日本に居ないため来聴者が少なかったが来年三月、再びここで演奏するそうだから、こんどは人も集まるだろう。こんどの成果がよかったから。
 その前日、29日は高橋通さんの歌曲作品演奏会。これもなかなかよかった。会場が大泉と少し不便だったが、自然な発想によるこころよい音楽だった。

 新内閣の発足たった五日で、閣僚が失言辞任。前首相が突然引退宣言、等々、「祝砲」が二回続いた。二回続いたことには三度目があるような気がしてならない。二度あることは三度あると俗にいう。果たせるかなアメリカの金融危機が容易ならざることになってきた。与党は、11月2日に投票日を持ち込もうと計画していたようである。いまでもこの策を諦めていないかもしれない。11月2日は連休の中日。この日にすれば、連休で遊びに行く人たちが多く棄権するだろうという読みである。なんという浅ましい卑しい心根だろう。国民の審判から出来るだけ逃げようというのである。さような浅薄な手段にすがらなければ壊滅が避けられないほど政府与党は自信を喪失している。幕末、徳川幕府が崩壊した時、幕府が全力を糾合すれば、まだまだ討幕派を圧するだけの力が残っていたそうだ。しかし、それだけの求心力がもう幕府にはなかった。そんなものだ。滅びる時とは。11月2日というズルい設定がそのまま出来るものか、思わぬ事態が発生して、9日に持ち込まざるをえなくなるのではないか。もしかしたら、それ以上の不測の凶事が政府与党を襲うのではないか。そんな予感がしてならない。

「風のうた」のこと。こういう、風の音とか、波の音とかは、器楽では表現できない。いかにOrchestra技術の粋を尽くしても出来ない。こうした具体音のこと別にして、記譜による再演曲用の表現楽器の手段として私は、在来の楽器ではないものが欲しかった。電子音、特に当時発展中のシンセサイザーに期待した。ところが、音作りが自由であるということは、再現の際に自分の望む音を指定しなければならない。そのためには、機種により構造が違うことは甚だ困る。もし指定の機種が得られたとしても、微細なパラメーターまですべて指定しなければならない。それはほとんど不可能である。ここで私ははたと行き詰った。

2008.09.28.日 晴ときどき曇 町田

 内閣支持率50%以下。中山大臣早々辞任。

 総理ご本人は、これからの仕事で評価してほしい、と言ってるが、この前の二代の内閣は出発時の支持率が一番高くその後下降していった。
 総理本人はこう言うほかなかろうが、評論家までが、この後支持率が上がるかもしれないなどど寝ぼけたことを言ってるのを聞くと、評論家とは何者かといいたくなる。麻生内閣の支持率がこのあと上がるかもしれないというなら、前の二つの内閣とはここが違うからという説明が必要ではないか。だいたい支持率というものは、最初に、お祝儀相場として高く出て、段々下がっていくもの。そんなことはシロートでも知っている。そもそもこんどの数字はシロートでも予測できた。専門家という人たちはシロート以下か。普通人の常識を失ったか。折りしも、中山なんとか大臣が失言で辞任というシナリオ外の椿事。
 もしかしたら評論家は、手厳しいことを言うとその後の仕事に差し支えることでもあるのか。そうとすれば、この種の人たちの言うことはまったくもって信用できない。
 失言といえば昔のことだが、私たちの身近にもあった。若い頃の話。N響指揮者の某君が、「N響以外のオーケストラは草バンドだ」、と放言した。これは私的な放言だったが、それゆえにホンネである。周囲の人たちは聞いた。聞いた人たちはひどい暴言と言ったが、なかばは、もっともと、いう受け止め方をしていた。若かった私たちは、「草バンド」、という表現が面白いなどと無責任におもしろがっていた。

 ものを考えるためには、考える対象、課題と、ある距離を持たねばならない。余り近づくと前のめり状態になり、判断の幅と可能性が目に入らなくなる。

 阿部謹也さんの説、西洋クラシック音楽とキリスト教秩序について。これがキリスト教秩序からくるものかどうかは私には分らない。しかし、西洋クラシック音楽の一元的秩序に深い疑問を持ったことは私は同様である。
 私の場合、その疑念はもっと根源的なものだった。音楽は「楽音」からだけしか出来ないものだろうか、そういうことであった。
 40歳台の時、次第にこの疑問が深まった。1979年、49歳の時、まことに時宜を得たことに、NHKから電子音楽製作の依頼が来た。この時制作したのが、「風のうた」、という作品である。この中には、吹きすさぶ風の音、無人の浜によせる波の音、そして、正弦波音による孤独な旋律、そんなものが自然の風景の中に現われては消える。
 後日、若くして夭折した画家、三岸好太郎の、「石狩ルーラン海岸」という言葉を知って慄然とした。三岸好太郎は旧制札幌一中の私の先輩である。この人は札幌の繁華街で生まれながら、生地を問われると、「石狩ルーラン海岸×番地」と答えた。なぜか。「石狩ルーラン海岸×番地」、そんな番地は存在しない。しかし、「石狩ルーラン海岸」という地は存在する。そこは無人の断崖が海に落ちる荒涼たる所である。冬は吹雪と海が荒れ狂う。先住民の人たちすら棲まなかった。三岸の心にも、風の音と、無人の浜の波の音が聞えたのだろうか。
 この曲については前にこのサイトに書いたから詳しく再記しないが、私の中には当節はやりの「新らしがり屋音楽」への関心はまったくなかった。自然に自分の中から永い時間のうちに湧いたきた想念である。(この項つづく)


2008.09.25.木、晴ときどき曇 町田

 
昨日は日本音楽舞踊会議ピアノ部会の公演。

 町田の仕事場から錦糸町へおもむくが、おそろしく時間がかかった。町田を午後五時に出て、会場に着いたのは六時半、開場直前。この時間は、上りも下りも電車は混む。坐れるといいのだが立つと疲れる。公演自体はなかなかよかった。シャブリエ、グリズーノフ、イベール、ヴィラ・ロボス、ピアソラ、等々、通俗的でない曲が演奏されたからそれだけでも聴き甲斐があった。北川暁子さんが最後に登場して、アルベニスの「イベリア」から三曲、至難の曲を快刀乱麻の勢いで弾ききった。折から大横綱の勝負のようで小気味よかった。終演後の打上げは辞退して帰る。帰路はこれまた一時間はかかる。行きに自転車を使ったが、自転車は駐輪場に預け、便利な至近電車で帰る。東京という街は広すぎる。まるで別な街に行くような覚悟をしないと行動できない。

 相撲が面白いが、昨日は新内閣の発足とやらで報道は騒がしい。もっとも、報道機関も記者も覚めきっていることも見てとれる。つぶれそうな店が在来の商品を並べなおして客を呼ぼうとというおもむきで、しらけきる。総裁選12日は永すぎた。政治記者や政治評論家は、対象と近づきすぎて見誤りを起こしているのではないか。総裁選について、「作り物と知りながら乗せらる」、とか、「新総理は支持率が高いだろう」、などと言っている人がいたが、今日のTVでは、支持率はどうも余りよくなさそう、という声が多かった。私たちの分野でも同じようなことがありうる。余り対象に近づきすぎると計測の判断を誤る。適正な距離をおいて見ないと対象が大きすぎたり小さすぎたりして見える。
 「うつわでない」、という漠たる言い方がある。漠とはしているが、この言い方が絶妙にあてはまる場合がある。こんどの新総理については、率直なところ、この言い方がどうしても画面から浮上する。

2008.09.24.水、晴ときどき曇 町田

 今日は、夜、日本音楽舞踊会議ピアノ部会の公演。それまで町田で仕事。今日は、好天にめぐまれた。出演する人たちには何より。

 
 阿部謹也さんの著書を読み進む。最後の章から読むというという不謹慎な読み方をやめて始めから読み直す。若い時、教訓を受けた恩師のことが書いてある。専任の西洋史の大家、上原専禄先生、ラテン語の大村雄治先生のことなど。若い時に、人格識見尊敬すべき恩師に出会えるかどうかは一生の財産にかかわることだ。

 私には学生の時、ピアノの安川加寿子先生から受けた薫陶が生涯残っている。当時、芸大は木造で、冬期はストーブ、ストーブのわきに石炭が詰まれたバケツが置かれている。レッスンを待っているうちに、その ストーブの石炭が無くなりかけた。無くなれば用務員室へ行って補給を受けてこなければならない。先生は突然、ご自分でバケツを持って石炭をとりに行こうとされた。男子学生がいるのに。私はあわてて、「僕が行ってきます」、と言ってかけよった。先生はきょとんして、「ああそう」、言われた。多分、先生は無頓着であられたと思う。自分が偉いにもかかわらずさようなことをするのだ、というような意識などお持ちでなかったと思う。そのことがさらに私には感銘を与えた。いまこう書いても、読む人は他愛ないことと思うだろう。私とても、先生の無頓着さから起きた一つのとるにたらない出来事だったと思うのである。しかし、このことは私には生涯忘れられないのである。教育とはなんだろう、などと、そんなことをいまにいたるも思い出させるのである。

 もう一つ、これは専門の作曲科の主任池内友次郎先生の指導であった。和声か対位法の答案をなおされながら、「これがあなたの作品だったらこういうことはしなかったでしようね」と言われた。なるほど、作品は大事にするが、答案は大事にしない。また、あるとき、夏休みの間に対位法のノートを提出するよう命じられた。休みが終るとノートは返ってきた。私のノートのある箇所に、「idiot」、と書いてあった。「idiot」とはなんのことか、フランス語の辞書を引くと「馬鹿、痴呆、間抜け」と書いてあった。なるほど、フランス語で馬鹿,間抜けとはこういうのかと知った。その後、最近、ドストエフスキーの、通称「白痴」に関心を持ったが、この原語は「idiot」であることを知った。とすれば、これは「白痴」とは少し違うではないか。アホ、とか間抜け、にすべきではないのか、などと最近思っている。若い時の恩師の一言は生涯の宝である。

2008.09.23.火、お彼岸 晴ときどき曇 町田

 
しばし、自分の仕事ののことに思念を集中していたが、あまり一極集中することは不自然なようだ。
 TVは、朝青龍の失敗とか、気味がわるい幼児殺しの報道とか、売れない総裁の、無理やり、やらせ売り出しのニュースばかりで、これも意識の切り替えにならない。今日からまた図書館の本を借りることにした。

 たまたま目についたのが、阿部謹也さんの著書「自分の中に歴史を読む」という本。これは衝撃的だった。阿部さんは一ツ橋大学の学長もつとめた有名な歴史学者、ヨーロッパ中世の専門家である。この人の名著「ハーメルンの笛吹き」をかつて読んで、深く学ぶところがあった。今日は、一番最後の章、「交響曲の源にある音の世界」を読んだ。交響曲だけでなく、西洋クラシック音楽全部が対象となるだろうが、和声と対位法による絶対調和のあり方の中にキリスト教の秩序形成の意図があるという。演奏会場は静寂でなければならない。一歩会場から出れば、さまざまな音が渦巻いているのに、ここでは音楽以外の音は存在が許されない。そこにかなり無理な秩序の形成と強制がある。世界のキリスト教化。ヨーロッパでも、中世まではキリスト教に属さないさまざまなものが残っていた。それをすべて排除平定してキリスト教化が目指され、いまはそれが実現したかに見える。阿部さんは立派な学者だから、それがすぐ否定されるべきとか、日本人は別な文化を持っているのだからそっちを尊重した方がいいとか、そんなことを軽々と言っているわけではない。ただ、いままで自分が考えていなかったことがあるかもしれない、という心の準備は持っていた方がいい、という。これは心底感服すべきことだ。


 
こういうことを考えると、いまは、どうしてもイラク戦争、アフガニスタンなどのことを思い浮かべてしまう。世界のキリスト教化、そのための軍事力行動、アメリカ軍の空襲で巻き添えにされる無関係の現地の人々。一つの原理、理念、価値観で押し切ることの無理、不自然、それは、いまは崩壊したマルクス主義と同じことではないか。根源は一神教がもたらすものだろうか。まだまだこの本は熟読するものがある。

2008.09.22.月 雨 町田

 18日、木曜から続けて所用のため、仕事場に来られなかった。サイトの更新もおあずけ。たまたま歌曲の一曲目が出来上がり、一休みしてもよい時期だったので、頭の整理になった。

 盛岡までの新幹線の往復でも、ひたすら意識の休息と整理に過した。

 作曲も、文学も、美術も同じだろうが、芸術は自分に忠実であることは当然だ。しかし、この、自分、というものがなかなか分らない。若い時にくらべると、はるかに自分の声が聞えるようになったが、それでも、自分の中でささやくものが、自分の声か、外部を意識した邪念か、区別があやしくなることがある。釈迦が修行中に悪魔が様々なものに姿を変えて誘惑に来た、という話を思い出す。問題意識、などという言葉も妖しいものだ。世間体を気にすることもこの言葉の中にもぐりこんでしまう。
 先日、ラジオで、福島県のお坊さんの話を聞いた。「高村智恵子」の話。智恵子の言葉、「人が決めたものに従う必要はない、自分に忠実であることが本当だ」、こういう意味のことを「智恵子」が言ったか書いたかしたそうだ。このままかどうか自信はないが、大要こういうこと。この講師は、この言葉に疑念をはさんでいた。人は、純粋な個ではない。外界との交渉の中にあるものだ、だから、他を否定して個を固持することは危険なあやまちにおちいる怖れがある。私も実はそう思う。
 外界との交渉の中にあって、自分本来のものを見出す。これはなかなか至難のわざである。しかしもともとも、芸術の仕事とは、この修行を含むものであろう。技術の修練も必要だが、もう一つ、この精神修行が必要となる。これがないと、幾ら技術と情報の収集につとめても、使い方を知らぬ技術屋になる。座禅の修行も必要かと思いたくなる。

  前にもこのサイトに書いたが、昔、村山知義さん原作の「忍びの者」の舞台初演の音楽を受け持った。村山さん自身の演出であった。劇中、石川五右衛門のセリフに、「あんまりウソをついていると、自分でも、ウソかホントか分らなくなる」、というのがあった。人間というのはそういうものだ。芸術は自分の中の真実をつきつめていく仕事である。真面目にその行為を続けていけば真偽のほどは次第に分るようになる。だから、古今の大家は若書きの時代から成熟してやがて類のない作品を提示するようになる。しかし、はじめから、若い時から、この心がけを持たないで仕事をしていたらどうなるだろう。最もあり得ることは、創作を止めてしまうことである。自分の真実を見出していくから創作は面白い。それをしなければ魅力がなくなるし、手間ばかりかかる無為な行為になる。だから止めてしまう。○○賞をもらっても、新聞で誉められてもやめてしまう。いや、○○賞をもらって、新聞でも誉められたから、もう用はないのである。正道を行けばこんな面白いものはないのに。


2008.09.15.月 曇 町田

 四日ぶりに仕事の場へ。

 岩手盛岡にはまた固有の祭儀の様式があり、初めて知ることが少なくなかった。葬儀の寺のすぐ近くに「石川啄木新婚の家」というものがあった。いまは、市の文化財になっている。簡素な家屋だそうだが、それは当然、啄木は貧しくして新婚の暮らしに入った。いまは文化財にしてくれたが、詩人存命の時は貧困と困窮の中で生きて果てた人。報われるのはやはり死んでからあとということか。

 通夜、納棺、火葬、収骨、葬儀、納骨、法要、会食まで、一括してフルコースですませた。緻密なスケジュール、手際よく運ばれた。
 盛岡の町も昔と当然ながら様変わり、道は広くなり交通量はおびただしい。それでいて市内の人口は減っているという。啄木が生まれ育った渋民村はだいぶ前に隣の玉山村に合併され、最近またその玉山村が盛岡市に吸収合併された。行政区域が拡大しているのに人口は増えないそう。
 往路は新幹線「はやて」。大宮を出ると仙台まで止まらない。宇都宮も郡山も福島も止まらない。福島は県庁所在地で福島県の首都なのに止まらない。あんまり飛ばして走り続けるといささか無風流である。帰りの「やまびこ」は律儀に止まるのでこの方が旅情があった。

2008.09.11.木 晴 町田

 昨日盛岡の姉の訃報。90歳の天寿だが、明日から二日盛岡行き。日曜に帰るのでこのサイトの更新は月曜15日までお休み。

 前にShostakovichの第五について、ロシア文学の亀山郁夫さんがTVで語っていたこと。この曲には社会主義へのレジスタンスの隠し言葉が仕込んであること。このことは、亀山さんの発見では多分ないだろう。すでに知られている説を紹介したものと思う。ロシア、旧ソ連に詳しい人に聞くと、Shostakovichについてはかねてからそういうことが折々いわれていたそうだ。いま思い出すのは、冷戦時代にアメリカの評論家が書いた「Shostakovichの証言」という本だった。著者の名前は忘れた。当時まだ冷戦時代だったので、この本について、ソ連ひいき、社会主義ひいきの人たちから散々悪口雑言が寄せられた。著者がうさん臭い。宣伝だ。社会主義とソ連とその芸術に対する悪意ある反共プロパガンダだ、と。しかし、いま考えれば、そうではなかったかもしれない。旧ソ連がいかにひどい政治と社会の国だったか、白日のもとにあばかれたからである。人間の信仰とかあこがれとかいうのはおそろしいものだ。アバタもエクボというが、まがったものが真っすぐなものに見え、黒いものが白いものに見える。若い娘が自分が惚れた男に目がくらみ、その男の実態についていくら言い聞かせても耳に入らないのと同じだ。

 昨日あたりから、北朝鮮の金なにがしという独裁者の健康不安説が出ているが、北朝鮮の当局者は否定し、「いままでも、悪意あるデダラメを散々報道してきた世界のやり方がまた始まった」、とこれちらの方がよほど品のわるい言い方をしている。ソ連時代、何度もこういう言い方を聞かされた。スターリンのソ連はすばらしい国だ、いわれなき非難中傷は「西側」の反共宣伝だと。なつかしいものにひさしぶりに出会った。

2008.09.10.水 晴 町田

 
ダービンが歌った歌、「It's raining sunbeam」、とか「自転車に乗っていくのは学校」。後者がなぜ邦訳になっているのか分らないが、誰が日本人が邦訳で歌ったものと思われる。こういう歌は、日本のホームソングみたいなものに類するのかもしれないが、やはり、大衆歌でも歌の出来は日本製と違う、和音表現が豊富で、転調を多く含み、リズムも活力あり、そのままオペレッタ中に現われても通用する。
 思えば、アメリカの大衆音楽といえども、第二次大戦後しばらくまではヨーロッパ音楽の流れを汲んでいた。「My Fair Lady」のフレデリック・ロウ、ロンバーグ、フリムルなど、すべてヨーロッパから移住してきた人たちだ。フランツ・レハール楽派といってよい。フレデリツク・ロウはウィーンの人、ドイツ名では、Friedlich Loeweである。17歳の時の作品がヒットしてヨーロッパ中に知られた。なぜアメリカに移住したのか知らないが、もしかしたらユダヤ系の人でナチを逃れるためかもしれない。当時そういう人がずいぶん居たのだろう。この人たちの音楽はヨーロッパ、ロマン派の系列に属する。アメリカ独自のものがいつ頃からどのようにして型をとってきたか。
 それは第二次大戦後しばらくしてからのことである。バート・バカラックという人がいるが、この人の「Alfy」は、情緒的なものをまったく含まない乾いた歌である。これがはじめてのものではないかと思う。ロマン派の甘い情緒は和音と転調に乗って語られる。それがこの歌にはない。そして、1960年代、ビートルズの登場がやはり一つの新時代を開いた。ビールとズにはまだ和声表現はあるが、ロマン派的な情緒の表現ではない。気がつくのは、アメリカ独自の音楽であるはずの、あったはずのジャズがほとんど影響をおよぼしていないことである。ジャズはむしろ、ヨーロッパ風和声音楽と結びついて、過渡的な大衆音楽を生み出した。
 そして、やがて世界を巻き込んだロック時代の到来となる。これは冷戦時代のソ連まで巻き込んだ世界的大衆音楽になった。ヨーロッパ近代音楽をしりぞけたソ連政府もロックは排除しなかった。

2008.09.08.月 晴 町田

 
昨日は雷雨のゲリラに会った。自転車はやむなく駐輪場に放置、徒歩で帰る。月契約だから放置はかまわないが、やはり気になる。今日はまた、経堂で芸大楽理の同級生の女性たちと会食。たったいまmailが来て、自転車は自重されよ、との進言。昨日に続いて今日もまた放置するのは不本意きわまるが、酒気帯び運転は自転車でも危険なことは確か。この頃はお酒も自重しているから危険なほど飲まないようにしよう。今日はロシア文学の話をしようとの集まり。仕事で頻繁にロシアに行く私よりはるかに若い男性作曲家も一人来る。

 昨日、Jack Serenaという男優のことを書いた。「トロイのヘレン」でパリス役を演じた人である。この人のことはその後さっぱり聞かない。そういえば、私が子供の頃、ディアナ・ダービンという女優さんがいた。「オーケストラの少女」という映画で知らぬ者なき存在になった人。この人もその後数本の映画に出ただけで消えてしまった。この映画に出た頃は彼女は16歳。その後、おとなの女優に成長しようとしたがうまくいかなかったらしい。亡くなった水野晴男さんの話によると、はじめMGMと契約したが、この映画ではユニバーサルに移り、経営不振のこの会社を救った救世主になったそうだ。その後、別の会社から出演依頼が来たが、ユニバーサルが法外な出演料を要求したため沙汰やみになり、それ以後消えてしまったとのこと。歌も達者で、軽い映画の歌も歌うしクラシックも歌う。「オーケストラの少女」ではストコフスキー指揮でモーツァルトの「アレルヤ」を歌う場面があった。私の家には、この人が歌った映画の中の歌のレコードがあった。「It's raining sunbeam」、とか「自転車に乗っていくのは学校」、などの邦訳になった歌もあった。明るい楽しい歌である。ダービンも消えたが、こういう歌もなくなった。
 ダービンは1921年生まれだから、存命していれば87歳になる。もし亡くなっても報道されないかもしれない。

2008.09.07.日 晴 町田

 このところ、天候がほぼ平常にもどったが、暑さまで舞い戻ったのには閉口。

 昨日の深夜に放送された昔の映画「トロイのヘレン」を録画しておいて今日になって見る。

 まあ、なんとなつかしい昔のハリウッド・スペクタクル。1955年のワーナーもの。監督ロバート・ワイズ、音楽マックス・スタイナー、ヘレン役はロッサナ・ポデスタ、パリス役はジャック・セレナスという人、この人については知らない。その後余り目立たなかったのかもしれない。大役なのに。

 これを見ると、よき時代というか、ハリウッド全盛時代の再現に思うこと多し。戦闘場面の大掛かりなこと、これだけのエキストラを動員できたのは当時の映画だからだ。いまは、エキストラの人件費が高くなってこういうことは出来ないそうだ。貧乏臭い話。
 何よりおもしろかったのは、古代の話なのに、人物たちの動作が現代アメリカの男と女というちぐはぐさ。昔は、そんなことは余り気にしないで見ていたのだが、いまはそれがひどく目立つ。というより、そのちぐはぐさを逆に楽しんでいるという具合。昔は映画とはこういうもの、とはじめから呑みこんで見ていたのだろうか。大型映画はアメリカ産のものという思い込みがあったのかもしれない。ということは、ちぐはぐさが気になるということは、文化の多様化が進み、映画文化のアメリカ独占がくずれたことかもしれない。ここでも、アメリカの地位の相対的低下が現われているのかもしれない。
 ヘレン役のボデスタはいささか役不足の感がある。歴史を動かした美女というにはいまひとつ。ボデスタも美人ではあるのだが気品のようなものがもう少しほしい。なにしろ古代史に残る美女なのだから。スタイナーの音楽もまた大時代もの。大編成orchestraによる典型的なsymphonicハリウッド・スペクタクル音楽。作曲の仕事は量的に手がかかっている。こういう音楽もいまの映画界からはなくなった。


2008.09.06.土 晴 町田

 総理の辞任会見の最後のセリフ、「私は自分を客観的にみることができる」というのと、そのあとの「あなたとは違う」、という言葉は私の予言通り流行語になっているようだ。この言葉をデザインしたTシャツ、マグカップ、ベビーウエアまで出ているそう。確かにこれは名作だ。

 まちかまえる政界メビゥスの輪

 
ところで、自民党は例によって総裁選挙をにぎやかに演出して関心を高め、新内閣発足で支持率のお祝儀が来た所で解散をねらっているようだ。 問題はそのあとだ。

 解散しなければ別だが、解散すれば選挙になる。選挙の結果がどうなるか。当然ながらどの政党も勝とうとするだろう。しかし自民が勝っても無限地獄が待っている。逆説的だが、もし自民が負ければその方が自民にとってはいいことになる。もし勝ったらえらいことになる。勝ったとしてもいままでのように三分の二の議席占有は不可能である。とすればどうなるか。法案は衆議院は通るが参議院で否決される。しかしこんどは衆議院に戻して三分の二の再可決はできない。民主党もなんでも反対はしないとは言ってるが、ゆずらぬ法案は反対するだろう。民主党が賛成してくれる法案以外はすべて成立しない。いままでのように自民が望む政策を無抵抗で進めることはもはや出来ない。何より、いまなら再可決という非常手段があるがそれももはや出来ない。自民党が少数になり負けた方が自民党にとって幸福である。野党になって、政権をとった民主党の政策に挑戦していればいい。もし勝ったら完全に八方行き詰まりになる。将棋の世界でいう「千日手」いうのか。どうするのだろう。また解散するか。この時の二度目の選挙の結果は本当に日本政治を決めることになるだろう。

 もし、解散しなかったらどういうことになるのだろう。私は政治の専門家ではないから、それが出来るかどうか分らない。ただ、下野すればいいと言っても、実際は利権がからむから、なかなかそういうわけにいかないのかもしれない。そうなると、自民党にとって、勝っても負けても地獄ということになる。


2008.09.04.木 曇ときどき雨 町田

 総理の夜逃げについて思い出した。

 
もうだいぶ以前のこと。ある若いピアニストがリサイタルを開いた。プログラム本体の演奏はまずまず上出来だった。アンコールをひく段になった。ショパンのNocturneのC-mollをひきだした。この曲は始まりはさほど複雑ではないが、中間部に入るとやがて複雑怪奇、途方もない手の込んだ構造になっている。彼は、ある所までひき進むと、分らなくなった。少し前に戻りやりなおした。ところが、またさっきの所に来ると分らなくなった。悪戦苦闘を何度繰り返したか。何度目かの時に、ついに彼は突然、演奏を放棄した。立ち上がると脱兎のごとく楽屋に逃げ込んだ。場内は爆笑の渦になった。本プログラムの演奏がわりによかったことと、もともと好意的な聴衆だったから、笑いはしたが非難する空気にならなかった。しかし、どうみても余りいい出来事ではない。やはりみっともない。醜態である。私は、彼にはいまでも好意を持っているが、こういうことはないようにしてほしい。
 若いピアニストの演奏中断と楽屋飛び込みは、みっともないが笑いですむ。しかし、一国をあずかる総理大臣が演奏中断、楽屋に駆け込むのは冗談にもならない。醜態の上、信義もない。国民への責任感もない、迷惑をかけることへの謝罪もない。演奏家諸氏よ。これから曲の困難な部分にさしかかったら演奏を中止して楽屋に飛び込もう。客席から文句が出たら言おう、「私には自分が客観的にわかるのです」と。もうひとこと、「あなたがたとは違うんだ」。これで喝采請け合いだ。

 そもそも福田氏は一回も選挙という国民の公認を受けていない。安部前総理も無公認で総理になったが、参議院選挙で「審査」に落ちた。だから選挙のすぐ後に辞めるのが本来だった。しかしともかく辞めた。福田氏の場合は一度も選挙を受けていない。運転免許試験を受けないで運転している無免許運転と同じである。無免許総理である。一年近く公用車の無免許運転を続けたあげく、ガソリンがなくなり、車を放置して逃亡した。今朝のラジオで聞いたが、昨日、防衛庁の会合があって、総理が訓示を述べることになっていたそうだ。しかし、夜逃げ総理は来なかったそうだ。代理をよこすこともしなかったと。これは、文民統制を示す大事な仕事だそうなのに。今朝の「首相官邸mail」には、総理のあいさつが載っているが、「有難うございました」、と延々自分本位なことが書いてるだけで国民への詫びは一言もない。

 こんど総裁選挙に出るとか出ないとか言ってる御仁たちもひどいものだ。自民幕府50年、天も地も自分たちのものというおごりにみなぎっている。

2008.09.03.水 晴 町田

 
福田首相の突然に辞任は確かに驚きだった。
 しかし、この突然の「夜逃げ」辞任の中にいろいろな時代変化のサインが読み取れる。

 福田という人は、日本人の好みに適合した人だった。 それがなぜ夜逃げしなければならなかったか。
 日本人の好みとは、個性のある人を嫌うことである。小泉という人は、その点を逆用した才能の人だった。ヨゼフ・ゲッベルスの方法をすべて駆使した。「民衆は愚かである」、「民衆は強いものについてくる」、「短い言葉を繰り返せ」、「論理は無用である」。これを忠実に実行した。私は戦後最悪最危険な総理であったと思っている。

 小泉氏は日本人の特性を逆用したが、これは皮肉な意味で名人芸の手腕で、普通は、日本人は個性的な人を敬遠する。「なんにもしない人」、「自分の考えを持たない人」が大好きである。そして、福田という人はこの特性を申し分なく所有していた。それがどうして挫折したか。政界が変ったのである。政権政党が複数になった。これは戦後、片山内閣がつかのまの社会党政権を作って以来のことである。1955年の通称「55年体制」以来、二大政党といいながら、政権はつねに自民党にあり、社会党は万年野党の役柄にすっかりみずから任じていた。自民党徳川幕府の始まりである。
 今までの野党は、社会党も共産党も、政権政党ではない。政府に反対はするが自分では引き受けない。その能力もない。自他共にそれを認めている。だから、政権党である自民党というオミコシの周りではやしたてるのが役割だった。オミコシは一つである。民主党が台頭してきたことで情勢が変った。福田首相は、民主党が反対するから 国会も政治もゆきづまった、と言っ たが、野党が反対するのは当り前である。いままで野党が不在だったのだ。そして、その状況が当り前と思い込んでいたのだ。福田氏だけでなく、自民党の人たちはすべてそうである。この新状況に対応し乗り越えるためには頭を根底から切り替える必要がある。「世の中変ったのが読めない」、「KY」ではなく「YY」である。人間永い間住み慣れた環境が変ってもなかなか適応できない。古いタイプの政治家の時代が終った。デジタル時代に入っているのに真空管政治を続けようとしたのである。
 こんな一党独裁を許してきた日本の同胞たちにも私はうんざりするが、国民だけのせいではない。細川内閣時代、連立で多数を占めることが出来るようになると、すぐに非自民政権が出来た。政権交代させたくても交代させる政党がなかったのだ。自民党は時折首班を替えることによって「擬似政権交代」を演出してきた。こういう欺瞞の裏で利権の均衡が営まれていたのだろう。これは政治家たちの責任である。国民は気の毒だった。民主党が旗揚げした時に、石原現東京都知事は菅氏に面と向って「ふきだまり政党」と言った。TV座談会だった。石原氏には想像力が欠けていた。いまそう言われても仕方あるまい。

 福田首相は、「自分は総理になりたくてなったのではない、人に推されてなったのだ」、と言った。こんなおかしな話はない。こんどの夜逃げの記者会見で「自分は自分を客観的に見ることが出来る」と言ったが、それなら、なぜ総理になったのか。あの時点では将来を客観的に見ることが出来なかったのか。「自分を客観的に見ることが出来る」というのは今年の流行語になるだろう。使い道が広い傑作である。
 燃料が高騰して漁業に出られない漁夫がTVで憮然と語った。「私たちは、苦しくても仕事をやめることができない。いやになったら辞める総理大臣というのは気楽な稼業だ」と。総理とは国と国民を背負って立つものではなかったのか。いやになったら夜逃げする。日本はどうしてこんないい加減な政治家を出す国になったのか。
これで二人目の総理の夜逃げは子供の教育上も最悪の例をつくった。

2008.09.01.月 晴 町田

 九月に入った。気分をあらためるためこのsiteも背景の壁紙と写真を一新。

 今日はめずらく晴れた。夕刻現在雨の気配はない。屋根を打つ雨の音にもう飽きた。
 
歌の衣替え - 続  

 軍歌が労働歌に衣替えした例をあげたが、これは日本だけのことではないらしい。「赤旗」という歌は、その旋律がドイツ民謡「Oh! Tannenbaum」であることは明白だ。この歌の来歴は、1920 年代のアメリカの革命的労働組合、I.W.W.の歌集に「Red Flag」として掲載されているもので、楽譜はまぎれもない「Oh! Tannenbaum」。この歌集を日本に持ち帰ったのは日本共産党の野坂参三前議長で、それを訳詩して普及したのは日本労働総同盟の赤松克麿と明子夫人だった。この替え歌も多いとのこと。「Oh! Tannenbaum」のような素朴で牧歌的な歌が、闘争歌に替るのだから、日本での衣替えに劣らぬ出来事である。もしかしたら、当時、第一次大戦後で経済が最悪だったドイツ、オーストリアからアメリカに移民した人たちで労働運動家になった人が多かったのだろうか。
 以上は畏友、故矢沢寛氏を含む四人に著者による「日本流行歌史」、1981年社会思想社刊による。矢沢さん存命中にもっと聞いておけばよかった。旧制高校の寮歌がこの種の歌に替え歌される例も多いそうだ。この著書には大衆的な歌について、歌謡曲から労働歌、軍歌にいたるまで、社会科学的に研究した結果が多くのっているので興味が尽きない。ただ、それでも、対象からはずれた歌もあるらしい。数が多いのだからやむをえないのだろう。


 このところ作曲の仕事をしばし休んでいた。二週間くらい。振り返ると、この二年間、24ケ月に中規模の曲、四曲を立て続けに仕上げた。平均して六ケ月に一曲の割合である。作曲が盛んに出来ることは有難いことで天に感謝すべきだが、余り、立て続けだと、頭の中が前のめり、つんのめりの状態になり、頭の中の整理が行き届かないまま暴走する状態になる。それに、気力とは別に自然に疲労も溜まる。
 というわけで、八月半ばに新曲の仕上がり後休んだ。折よく別種の仕事が来た。出版の総合解説の依頼。これは日本のピアノ曲の明治から大戦前まで。それと、歌曲集の依頼を受けた。これも作曲には違いないが、器楽曲ほど神経をとがらせなくてもいい。自分の情緒を遊ばせることが出来る。そんなことで、一休みと別の仕事で頭の置き換えをしている。
 それでも、そろそろと思い、一昨日から歌曲の手始め程度の仕事をぼつぼつ始めた。驚くべきことに体調までよくなった。音を扱う作曲の仕事がもはや生理的条件の一つに組み込まれているようだ。これをしていないと、あたかも、水泳選手が水に入らないごとく、ピアニストがピアノにふれないごとく、運転手が車に乗らないがごとく、農民が畑に立たないがごとく、鳥が空を飛ばないがごとくに心身とも不調になる。
 自分は高年齢になって仕事が盛んになって有難いのだが、しかし、これまでの人生経過を振り返ると、沈黙の期間が普通の人よりはるかに永い。それもしばしばである。だから、全体を圧縮すれば平均の人並みになるのだろう。

2008.08.30.土 雨 町田

 このとろ、日本列島の気候は狂ったようだ。連日、局地豪雨と雷雨。被害もひどい。

 歌詞と旋律の話のついでに。

 
世の中にはとんでもないことがあるもの。同一の旋律にまったく正反対の意味内容の歌詞がつくことがある。現在、メーデーの行進で歌われる「聞け万国の労働者」の歌は、戦時中「日本陸軍の歌」だった。

 以下に、軍歌の方の歌詞を左側に、メーデーの方の歌詞を右側に併記する。

  万朶の桜か襟の色     →  聞け万国の労働者
  花は吉野に嵐吹く      →  轟きわたるメーデーの
  大和男子と生まれては → 示威者に起こる勝どきと
  散兵線の花と散れ      →  未来を告げるときの声

  「散兵線の花と散れ」が「未来を告げる鬨の声」に替るのだからまるで反対だ。

 もう一つある。ただしこれは同じ歌詞に別な旋律がつけられた例。戦時中「愛国行進曲」という歌が作曲された。「愛国行進曲」は一般から作曲を公募したが、入選曲がなく、 「軍艦マーチ」の作曲者、瀬戸口藤吉に作曲を依頼してそれが歌われた。散々歌われ、聞かされ、歌わせられた。戦後、メーデーの行進歌に「太陽は呼び、地は叫ぶ」という歌がある。これは箕作秋吉さんの作曲だが、もともとは「愛国行進曲」として作曲されたもの。箕作作品はなかなかの名曲、名旋律、名歌と思うが、入選ならず、戦後になってどういう次第からかメーデーの歌として登場した。 これも、以下に、「愛国行進曲」の歌詞を左側にメーデー歌の方の歌詞を右側に併記する。

  見よ東海の空明けて   →    太陽は呼び地は叫ぶ
  旭日高く輝けば        →    立て万国の労働者
  天地の正気溌らつと   →    働く者の赤い血で
  希望は踊る大八洲     →    世界をつなげ花の輪で
  おお晴朗の朝雲に     →    我ら未来を創る者
  そびゆる富士の姿こそ →    明るい未来を創る者
  金甌無欠ゆるぎなき
  わが日本の誇りなれ

 不思議なことに「愛国行進曲」の方の歌詞の記憶が確かだが、「太陽」の方は記憶があいまいな所がある。多分、「愛国行進曲」の方は少年期の記憶力が強い時期に何回も聞かされ入力されたためだろう。「太陽」の方の末尾の二節、歌詞が足らないがなんとかつじつまを合わせたものと思われる。
 このことから判明することは、歌というものは、歌詞の文字内容ではなく、気分、情緒、それも集団的な気分を表現するということだ。文字的な具体的表現は歌には出来ない、音楽には出来ないということである。一方で軍歌と愛国歌、もう一方で労働歌、集団の気勢を歌い上げることでは同じである。
 音楽は、長期、短期にわたる条件反射により受けとられるという。文化は、生まれた時から人の心に条件を形成する、音楽の効果は自然法則からくるものではない。これはドイツの研究書の所説で私も同感である。しかし、こういう例を見ると、条件というのも、意味内容ではなく、気分的なものであるらしい。最初の例では、メーデー歌を歌いながら、かつての軍歌を思い出さないのだから、軍歌を歌っている時も気分で歌っていたわけだ。意味内容は意識していなかったということになる。戦後初期のメーデーでは、世代からも、軍歌経験の世代がこのメーデー歌を歌っていたのだから、これは歴然たる実例である。同じ歌の替え歌でも少しも抵抗感がないのである。

 この軍歌、「万朶の桜」の替え歌はもう一つある。現在の北海道大学、旧制北海道帝国大学には予科というものがあった。学制上、旧制高校の位置にある。この北大「予科」と小樽高等商業、通称「高商」は野球の宿敵同士だった。そこで北大予科の応援歌に次のようなのがあった。これが、軍歌「万朶の桜」、のちのメーデー歌「聞げ万国の労働者」」と同じふしで歌われた。歌われていた時代は、旧学制の頃だから、軍歌が現役だった時である。

 高商が予科に勝ったなら
 電信柱に花が咲く
 ネズミがネコを追っかける
 クジラがおかを這い回る。

2008.08.27.水 晴 町田

 
五日ぶりで陽光を拝む。これからまたどう変るか分らないが、ひとまずほっとした。

   
さだ・まさし、という人についてwebsiteで見たら、生い立ちから多事多難、いろいろな経験を経て生きてきた人であることを知った。
   若い頃、本気でクラシックのヴァイオリン奏者を志して学生音楽コンクールに入選までしたこと。芸大付属高校を目指し、その後都立芸高に目標を変えたが挫折したこと、などなど。私がこの人に魅かれるのも、その音楽の響きの美しさだが、はじめから本人もクラシック指向の人と知ってもっともなるかなと思った。
   この人は、作詞、作曲、演奏、と三つの役を一人でこなしている。だから、さだ、という人の音楽を語る時、そのどれかか、全部か、多分、全部を対象にすることになるのだろう。

   やはり、話題になるのは詞である。昨日書いたように、一部の曲で好みの相違が出ること、思想的批判が出ることなど、この人は思想的にも色々な問題を、生産的な意味で持っている人だ。右翼だ、左翼だ、アナキストだ、と言われるそうだ。

   男性の内向き現象。それは、1960年代の若者の反体制運動、時代の思潮、それが挫折壊滅したこと。日本では東大安田講堂の落城。日本だけでなく、フランスでもアメリカでも反体制運動とその思潮はこの時期吹き荒れた。そして沈没した。過激な人たちはテロリストになり、「よど号」事件や、浅間山荘事件に走った。無論壊滅である。その後、若い人、ことに男性は内向きになり、マイホーム化した。東急ハンズという店はこうした男性のマイホーム化をあてこんだ生活奢侈品、趣味品の販売のために開業したのだそうだ。60年代はアメリカがヴェトナム戦争で最悪の状況に落ちていた時だ。そして、在来のものがいまこそ滅びて、新しい時代が替って登場する時がきたという社会の空気が確かに新鮮に吹いていた。ジョン・バエズという人もいた。反戦フォークを歌っていた。いまどうしているのだろう。

 さだ・まさし、の歌で、抵抗なく耳と心に入るのは、いささかも思想的なものなしに、若者らしく恋や友情を歌ったものだ。「惜春」とか「とてもちいさな町」など。「関白宣言」になると、すでに家庭思想としてあれこれ問題部分が出てくる。それと、若いのに人生訓話、人生談議的なものは私は好まない。若いのにそんなことが解るか、といいたくなる。
 それでも、この人の歌を私が好んで聴いているのは、結局、響きの美しさ、音、が好ましいからだろう。私はやはり音楽の専攻者であり、その角度からだけ聞いていると思う。音楽をいとなむ者にとって、音、がすべてということだ。歌詞その他は二の次ということ。


2008.08.26.火 雨 町田

 日曜から雨が続く、まるで梅雨のよう。日曜は小降りの折を選んで、駐輪場から自転車を回収、惨憺たる目にあった。

 本日、昼頃、図書館から電話あり。予約していたCDが届いたと。「さだまさしベスト」。なんと五月の下旬に予約していまようやく順番がまわってきた。たいへんな人気だ。七月頃余り届かないので、図書館に問い合わせたら、コンピュータで調べて、やはり先約がまだすまないとのこと。人気におそれいる。

 私はこの人の歌が好きである。何が好きか、反省してみると、やはり、歌を含めて響きの美しさに惹かれているらしい。声もきれいなtenorで言葉が聞きとりやすい。器楽の伴奏も響きがきれいだ。いまはやりのRock風の騒々しいものがない。大曲「おやじの一番ながい日」では、畏友、故山本直純君指揮の新日フイルがかなりの大編成で演奏している。当然、symphonicで壮麗である。おそらく直純君の編作であろう。こういうclassicな響きとこの人の歌は少しも違和感がない。伴奏部の作りは当然別の人の仕事だろうが、さだ、当人の意図からきているものだろう。この人の歌は、詞も曲もすべて自作である。この人は詩人の才もそなえている。

 こんどのアルバムには入っていないが、「いのり」という曲がことに私は好きである。出身地の長崎での原爆犠牲者への追悼の心をこめた歌だ。

 悲しい青さの 広いおお空を 一羽の鳥が海を目指してる。
  鳥を撃たないで ひたむきに羽ばたく 夢を消さないで

 政治的な意図で作られた歌よりこの曲の方がよほど心にひびくものがある。

 ただ、この人の歌で、人により好みの違いが出るのは、余りにdomesticで、私生活的な内容の詞だ。「おやじの一番ながい日」は、娘が生まれてから嫁に行くまでの日々、愛すべき父親の喜びと悲しみを歌う。しかし、男性の生き方をこうした部分だけに封じ込めていいのだろうか、という疑問は私にも少しは浮かぶのである。この歌をさような理由で拒否反応を示すのは意外に女性だから考えてしまう。女性はやはり余りに家庭的になりきった男に物足らないものを覚えるのだろうか。これは歌から発する社会時評になるような気がする。

2008.08.24.日 雨 町田

 朝は曇りだったが、やがて降りだした。昨日は帰りに降りはじめ、自転車は駐輪場に置いたまま、月契約でガードの下で濡れない場所に置いてあるからかまわないが、気になる。

 鳥飼久美子さんの著書「歴史を変えた誤訳」を読む。

 広島への原爆投下を決めた誤訳という話。

 あの時、日本の鈴木首相はポツダム宣言は「黙殺」すると言った。中学生の私は新聞記事をはっきり覚えている。首相ははじめ「無視」と言ったのだが、軍部の圧力で「黙殺」に変えたそうだ。これを英語に訳したときどうなったか。「ignore」になった。ignoreとは、相手にしない。無視より否定の度合いが強い。こんなくだらぬものは相手にしない、とでもいう意味になるそうだ。いまなら「no comment」になるだろうが、当時はそういう表現はなかったそうだ。原爆の投下は、投下したがっていた人たちがいたのだから、いずれ避けられなかったのかもしれないが、少なくとも、投下の根拠と口実をあたえてしまったことは間違いない。問題は、誰がこの訳をしたかだ。日本の外務省か、受信した英米側か、わからないそうだ。どちらにしても、日本語、英語の両方に熟達した人がことにあたらなければ意図の伝達はできない。なんらかの政治的意図をこめての訳だったのか、なんの意図もなく、ただ、自然にそういう訳の結果になったか分らない。しかし歴史的大惨事を誘発した翻訳であったかもしれない。もっとも、翻訳以前に、日本側の言葉の選び方の粗暴さにことのおおもとがあったであろうが。

 言葉というものは、同国語でも真意の伝達に間違いが生ずることがある。ましてや、もともと別々の国で使われている言葉の場合、翻訳不可能ということもあるだろう。「fair enough」という言い方は、英語では、「ごもっとも」とか、「そうですね」、くらいの相槌程度の言葉だそうだ。それを「充分に公正です」、と訳した場合があった。日米の重要な経済交渉の場。日本の新聞はそう書いた。あとで話が違うという混乱になった。「理解する」、「理解した」、という言葉もよくニュースで使われるが、これもくせもの。理解する、は文字通り、何を言ってるのか分ったということで、同意したわけではないのだそうだ。「アメリカは拉致問題に対する日本側の申し出でを理解した」、というが、言ってることは分ったよ、ということで、賛成したということではない。この辺のことも自分に都合いいように思い込む話が日本の外交に多い。

 ポーランドでorchestraの録音をした時、アメリカのCD会社の録音なので、みな英語を使った。ポーランドの録音技師が、「いまはアンサンブルが揃わなかったのでとりなおす」、と言った。英語で揃わないということを、「not together」、と言った。これで意図は伝わったのだが、これでいいのだろうか私にも分らない。分らないがなんだかヘンだという気分がいまも私には残る。英語の専門家に聞いてみたい。

2008.08.23.土 曇のち雨 町田

   昨日の夜から急に気温が下がった。半袖で寝ていて、幾らか風邪ぎみのよう。
   だいぶ前に録画した金山平三の「冬の最上川」をDVDで見る。背景の音楽がいい。Schubertの「夜と夢」、ルネ・フレミングのソプラノとエッシェンバッハのピアノ。実に見事というほかない歌唱。これは後日、CDを購入、いまも時々聞いている。高い音で長い静止音から始る歌は、歌う方には至難の極であろうと思われる。これかまた最上川冬景色に実によくあう。いい音楽に出会うことはしあわせである。

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   第二次大戦での行動を見ると、日本と日本人が合理的、理性的でないということは言わずと知られているが、私は、ドイツとドイツ人についても、合理的とか、論理的とか、計画的、という俗説も全く信じない。こんな馬鹿げた行動をどうして合理的といえるか。
 それよりも、この間のこれらの国の行状にもっと大きな世界史的定則を私は見ている。

 1997年、私ははじめてスペインへ行った。そこで、この国の近代史について様々なことを見て聞いた。帰国してからも学習した。この国は、永きにわたってイスラム教徒に国土を支配されていた。国土回復の戦いに700年をかけた。ようやくキリスト教徒が国土を回復したわけだが、当然、数百年の永い闘争の後だから国内は荒廃していた。だから、普通に考えれば、まずは国内の再建に向うべきであった。しかるに、この国はそちらに進まなかった。勢いとどまることをしらず、海外進出に向かいだした。中南米へ進出。侵略。インカ帝国を滅ぼし、国王をだまして殺害し、財宝を略奪、暴虐の限りをつくした。ここだけではない。太平洋を越えて、アジアまで進出、フィリピンを支配した。フィリピンとは、フィリップ王の土地という意味である。スペインは陽が沈むことなき世界帝国を築いた。その時の国民的高揚を画いたのが、エル・グレコであった。この人はギリシャ人である。外国人であるがゆえに、外側からそれをとらえることができた。
   スペイン海軍は「無敵艦隊」、アルマーダ、として世界の海に君臨した。こうして国運の頂点に達した時、イギリスと争い、その「無敵艦隊」ははじめてイギリス艦隊に敗れた。それをきっかけに、この国の国運はみるみる衰退し転落の坂を転がり落ちることになる。
 この経過を見ると、明治以後の日本のたどった道筋となんと似ていることか。日清、日露の両戦争に大勝利して、欧米の列強の一つのロシアを破り、国威隆々、とどまることを知らなかった。そして、中国を侵略、勢いとまらず太平洋戦争に突入したのである。

 リトワニアという国がある。いまはバルト三国の一つの小さな国である。この国がかつて強大で四辺を侵略した時期がある。私は、1993年、ポーランド東部に行った時このことを知った。この辺、ベラ・ルーシに近い所だが、このあたりは昔、リトワニアの支配を受けて苦しんだことがあるそうだ。当時のリトワニアはここだけでなく、いまのウクライナの辺りまで支配下に置いた一大強国だった。歴史地図を見ると、「リトワニア公国」として大きな国として出ている。エスペラント語を発明したザメンホフはこの辺の人で、支配者が変るごとに言葉が変るので、世界共通語を作ろうとしてエスペラントを作ったとのことである。

 ある国と国民、あるいは民族が高揚期に入ったとき、その盛り上がりは何者もとめることができない。ブレーキがきかなくなるのである。人には出来ることと出来ないことがある。あとから振り返って、あれこれいうことは出来るが、実際には人の力ではどうすることも出来ないことが世の中にはある。人間がなんでも出来ると思う方が思い上がりである。
 以下は毛沢東の詩の一節。彼が率いる人民解放軍が長江、揚子江を渡河した時の詩。

 百万の将兵長江を渡る
  問う、蒼茫たる大地よ
   誰か天地の浮き沈みをつかさどる


 天地の浮き沈みを誰がつかさどっているのか。人ではない。

 "uberm Sternenzelt muss ein lieber Vater wohnen'
        Schiller, Beethoven=Die Neunte Symfonie

  
これでこの話はおしまい。戦後生まれの人たちには退屈だったろうが、勉強しても知らなければならないこともある。

2008.08.22.金 曇 町田

 
しかし、いかに無謀であっても、日本もドイツも、ひとまずの目論見がなければ何かの行為を実行することはないだろう。 

 どうも記録を総合してみると、日本もドイツも、総合国力、戦力が英米ソに及ばないことは、当然ながら承知していた。目論見とは、ある所まで進出した所で、相手と手を打とう、停戦しようとするものだったらしい。欧州では英国が降伏すれば、アメリカを含めて戦意を失うだろうと推測していた。太平洋戦線でも、どこかでおおきな戦果をあげて、英米と停戦しようとしていたようだ。最初の「真珠湾」も、はじめに決定的大打撃をあたえて、相手の戦意を喪失させる、という意図があったようだ。これは山本五十六元帥自身の構想だったそうである。
 しかし、負けたから戦意を失うということはあるだろうか。これはしろうとが考えてもおかしい。よほど非力な相手ならともかく、懸隔の力を持つ強力な相手が、一時的に負けたからといって、降参するわけがない。反対に、戦意を燃やすだろうし、国民世論も激昂するし、指導者はこの機会に相手を徹底的に壊滅させようと、その好機ととらえるではないか。 力の無いものが分不相応の目的を遂げようとする時、いかに馬鹿げた幻想を抱くかの悲しき例証である。

 まだアメリカが参戦しない頃、ドイツでは、こんなことが言われていたそうである。「アメリカ人は映画を作る能はあるが、戦争はしろうとだ」、と。

 相手を軽視するということは逆に自信の無さと不安の表れでもある。日本軍が開戦からしばらくの間、「敵は戦意にとぼしきも」、を連発していたのと同じようなことだ。日本の場合は、当初、戦争がうまくいき、そこからして敵を侮る心理が生まれた。ドイツも、当初、彼等の「電撃戦」がうまくいって、自信が出来たか自信を持とうとしたか、こんなに順調なままいくのかという不安もありながら、そう思いたい願望が背後にあったのだろう。やがて悲しきBlitzkrieg - 電撃戦。


2008.08.21.木 晴 町田

 
第二次大戦当時、アメリカに、アルバート・ウェデマイヤーという将軍がいた。この人は、日中戦争当時、蒋介石政府の軍事顧問として重慶に滞在していた。また、英国で連合国の要員の仕事もした。この人の著書がある。「第二次大戦に勝利者なし」、という題で、講談社から文庫で出ている回顧録である。

 この回想録によると、ウェデマイヤー将軍は軍事と政治の両方にまたがる国事の最重要部分にかかわっていたようだ。
 アメリカにとって参戦することは大きな決意を必要とする決断であった。アメリカが欧州と太平洋の戦争に参戦する前のことである。アメリカ陸軍、多分、国務省、大統領府も、もし、アメリカが参戦した場合の結果の可能性について綿密な計算試算をしたそうである。
 まず、人口比で、二つの勢力が闘う場合、勝つためには相手の**倍の人口が必要という原理があるのだそうだ。だいぶ大きな比率での多数であることが必要であるらしい。計算してみると、アメリカを含めても、この数値には至らないという結果になったそうだ。しかし、ここで別の説が出た。人の力をもし機械力に置き換えることが出来るとすればどうなるかというのである。その説にもとづいて再び試算が行われた。その結果、アメリカの工業力をもってすれば、優に必要な数値に到達できること、さらに余裕すらあるくらいであることが分った。この段階でアメリカの参戦は指導部で肯定されたのである。あとは国民世論が支持するかどうかだが、日本軍が真珠湾を攻撃してくれたのでこれは一挙に解決した・・・と今では言われている。これが゛計画的なワナであったかどうかはまだ未解明だが、結果がそうなったことは事実だ。

 こういう、余裕ある計算結果を見定めること。何よりも、計算、試算をすること、それをしようとすること。それに対して、日本はもちろん、ドイツといえども、なんときわもの的準備と無計画で戦争を始めたことか。ドイツは、ソ連に攻め込む前に英米と必要な体制を組むこともせず、ヘスが異常な心理で、単独行動として和平交渉をしようとしたり、無謀、無策、である。アメリカの生産力のおそろしさを知らないわけはなかろう。第一次大戦の時すでに、この力をドイツは知っていた。フランスの基地を幾ら叩いても、破壊しても、一週間もたたない内に飛行機も軍備ももとに回復してしまう。ウイルヘルム皇帝は、「無慈悲なほどの生産力」、と嘆いた。

 しかしまた、力がないからこそ、無謀な挙に出るともいえるだろう。ドイツが得意とした「電撃戦」にしても、相手の虚をつくわけで、相手が態勢を立ててからでは太刀打ちできないからこその戦術である。はじめから弱者の戦術である。だから、長期戦になるとまずいことになる。相手が立ち直るし、ソ連のような広大な地域に進出した場合、細く長く相手側の領土に槍のように入り込むから、側面が危なくなる。
 アメリカの生産力について、英国のチャーチル首相は、いかに巨大とはいえ、欧州戦線と太平洋戦線の両方の必要をまかなうことができるか、一抹の心配はしていたということである。しかし、結果は充分にその要求を充たした。交戦中においてすら、アメリカでは「two and half wars」、という言葉が使われた。「二つ半の戦争」、ということである。欧州と太平洋の二つの戦線をまかなってまだ余裕があり、さらにあと半分くらいどこかで戦争出来る、という意味である。おそるべき生産力。こんな国を敵にまわしたのだから、日本もドイツもどうかしている。

2008.08.20.水 晴 町田

 昨日は一日町田に来れなかったので更新は一日お休みした。

 第二次大戦。日本にとっては太平洋戦争。この歴史の車輪の通過は私たち世代にとって少年期を覆い尽くした運命である。私たちは終生この経験を捨てることは出来ない。何が起こったのか、何が私たちを翻弄したのか。それは、規模と深さは違うが、大岡昇平がフィリピンで捕虜になり、生還して後、「レイテ戦記」に取り組んだのと同じものである。
あれは何であったか。生きて帰った自分が解き明かさなければ誰がそれをするか、誰かがそれをしなければ死んだ者は救われない、という思いから大岡さんはあの戦記に取り組んだ。私たちにとっても、「あれは何であったか」は、答えを聞かずにはすまないのである。
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本論

当時、「持てる者」と「持たざるもの」、という言い方が盛んに使われた。

 ドイツ、日本、イタリアの三国は資源が無い。自国の領土内にもないし、殖民地も持っていない。英米は資源を持っている。アメリカは自国内に豊富な資源を持っているし、英国は植民地に資源を存分に持っている。石油は、中東の地下資源を英国は幾らでも使える。英国本土上空での英独の空戦、「Battle of Britain」は、英国のスピットフアイアー戦闘機とドイツのメッサーシュミット戦闘機の闘いだった。ロールスロイスとメルセデスの闘いと言われた。エンジンの技術力の闘いである。
 しかし、技術力は同等でも、イギリスは中東の石油からとった上等のガソリンを存分に使えるがドイツには石油資源がない。ガソリンの闘いとなるとドイツはどうしても不利である。ヒトラーのソ連侵攻はバクー、カフカズの油田地帯を奪うことが目的だったといわれる。しかし、将軍たちは古典的戦術思想から大都市の支配占領作戦を捨てきれず、モスクワ、レニングラードの攻略にこだわり、結局は不利を招いた。ヒトラーは、石油地帯への直進を命じていたそうで、この件に関する限り、職業軍人よりヒトラーの意図の方が理にかなっていたといわれている。

 資源がないということは致命的である。日本の南方進出の場合も、いまのインドネシアの石油資源の占領を重要な目的の一つとしていた。戦後、当時の東条首相は、巣鴨拘置所でアメリカの調査官の質問に対して、作戦失敗の一つは、占領した地域の資源がすぐに戦力になると考えていたことだ、と答えた。然り、すぐには使えない。本土の工業地域まで運搬してこないと戦力にはならない。インドネシアから日本本土まで運搬する手間がある。その間、輸送船が襲われたら無に帰する。持つ者はあくまで有利で、持たないものは不利である。これは今日、平時の経済関係でも型を変えて続いている。

 そのほかにも敗北の理由はある。当初、ソ連に侵攻したドイツ軍は、ソ連とスターリンの圧性のもとにあった人々から解放軍として迎えられた。しかし、その後の占領で、ドイツの独善的民族思想、アリアン人種優越の思想で、占領地の人々を蔑視迫害し、これらの人々はドイツとドイツ軍に激しい敵意と憎悪を燃やすようになった。味方になりえた人々を敵にしてしまったのである。日本がフィリピンでとった施策も同様。白人支配からのアジアの解放をうたっていたのに、現地の人々を迫害したために、彼等は米軍の再攻を待ちうけ、米軍のためのゲリラにまでなってしまった。フィリピンでの日本と日本軍への反感はすさまじく、敗残の日本兵は現地の人によって惨殺された例がおびただしい。

2008.08.19.火 曇 小雨 町田

 
昨日は異例といえる気温の低さだった。酷暑の間で救われる。今日は、次第に気温は上がったが、以前よりもこころなしか過ごしやすい。

1941年、歴史的怪事件。
 
 1941年、昭和16年、この年の五月、ドイツ副総統、ルドルフ・ヘスは、単身戦闘機を操縦して英国上空に侵入し、落下傘で降下した。 もともとヘスは戦闘機乗りの経歴を持っていた。報道されたこのニュースに私たちは仰天した。何事が起こったか。ひたすら不可解、怪奇な出来事として聞くだけだった。ドイツ政府は、ヘスは精神に異常をきたした、と報道した。
 
 この事件の真相は何であったか。
 ドイツはソ連と開戦するにあたり、英国と和平しようとしたのである。もっとも、これがドイツ政府の公的な密使としての行為だったか、ヘスの単独の行為か、どうも後者であったらしい。その前から確かにヘスは鬱病の気味があり、異常になっていたということも本当らしい。ヘスは、英国の親しい友人ハミルトン公爵と面会を意図した。しかし、相手にされず、また、英国首相チャーチルもまた無視した。
 しかし、ドイツをめぐるソ連と英米の対応には奇奇怪怪、神変不可思議なものがあった。それは事実だ。英国が一番したたかである。端的に言えば、ソ連とナチス・ドイツを戦わせ、両方の衰弱を期待するというのが狙いだった。英国という国がいかに狡猾で、読みが深いかの証左である。チャーチルは、ヒトラーも敵だが、ソ連とスターリンもそれに劣らぬ敵と見ていた。両方、相戦い、両方とも衰弱するのが理想的だが、どちらかといえば、近い敵であるヒトラー・ドイツの脅威をとりあえず正面の敵としていた。驚くべきことに、戦争末期、ドイツがいよいよ追い詰められてきた時、ドイツ軍に米軍の装備と軍備をあたえ、ソ連に対して巻き返させようという案があったそうだ。これは最近知ったことでうそではない。さすがにこれは実現しなかった。余りにもあくどい戦術でうまくいかなかったであろう。追いつめられたドイツ軍に米軍の装備が支給されて、米軍の姿でソ連に立ち向かうというのは幾らなんでもグロテスクである。
  一方、ソ連の立場からすれば、ドイツと戦い、追い返すのに懸命になっているのに、英米が一向に反抗を始めてくれないのはじれったかった。スターリンの方も、それくらいの推理は働かさせる。そのため、ソ連はドイツとの単独講和も一時ほのめかした。英米への催促である。

 アメリカの参戦も大きな出来事である。1941年、昭和16年の暮だった。真珠湾攻撃で日米太平洋戦争が始った直後のこと。この日の夜、ドイツからヒトラーの演説がナマ同時中継でラジオ放送された。不思議なことに、私の母は、この演説でヒトラーが対米宣戦布告をするだろうと予言した。その通りになった。この時はじめてドイツとアメリカは戦争状態に入ったのである。この放送は奇怪だった。ヒトラーの声に混じってニワトリの声が聞こえるのである。コケーコッコ、という声がかなりの音量で混線のごとく聞こえる。私は当時11歳の暮、小学校五年生だった。ラジオから聞こえるこの怪音を一家はいぶかしんだ。混線かと思ったがそれにしては執拗である。これはアメリカの謀略電波だったらしい。当時新聞もとりあげた。多分、フィリピンの某所あたりから発信された妨害電波で、ヒトラーの演説を揶揄妨害するためのものと報道された。(つづく)
 
2008.08.17.日 曇 小雨 町田

 
昨日は夕方から雷雨という予報でおびえていたが虚報に終った。今日は曇の予報なのに微雨あり。まったくあてにならない。
 昨年暮れの旧制中学同級会で、医師のY君からビールがよくないと制止された。以来、ビールは自重。しかし、こう暑くなると飲みたくなる。ほんのわずかの機会に人目を忍ぶごとく飲んでも、禁をおかしていると思うと少しもうまくない。そればかりでない。Y君から暑中見舞が来た。ビールのみならず、アルコール全部がよくないとの説もある、せいぜい自重されたしと。堪え難きを堪え、忍び難きを忍び。

 15日は敗戦の日。すでに63年目。私は当時15歳の中学三年生。動員された農家の庭先で天皇の放送を聞いた。日本軍国主義の精神主義とそこから発する野蛮、暴力、そういうものは私たちの世代は骨身で知っている。

 私は少年時までの戦争体験世代の一人として、戦記への関心は異常に高い。いまでも高い。さまざまな戦記を読みあさってきた。自分は直接兵役は経験していないが、先輩世代の話をよく聞いた。こちらから尋ねもした。相手は日本人だけではない。外国人ではアメリカ人が一番多かった。彼らは占領軍としてやって来たのだからこれは当然。そのほか、ドイツの人、フランスの人、イギリスの人、私はヨーロッパに知人が多いので、そうした国の人々にも聞いた。中国、韓国の人とも話しあったが、こちらは余りに身近で、日本は加害者の立場だっただけ、少しばかり話にくくはあった。
 おしなべて共通することは、日本の人も、外国の人も、戦争体験についてはなぜか余り話したがらないことである。いまは穏やかで社会的地位もある人たちも、その話になるとそっと話をそらせてしまう。理由は共通で、思い出したくもないのだろう。それでけ過酷な経験だったということだ。

 戦史の大局の方からいえば、第二次大戦は、日本、ドイツ、イタリアの、遅れてやってきた帝国主義国の新規参入だった。先に入っていた強盗と、あとから入ろうとした強盗、押し込まれた被害者の側の国、この三者の入り乱れ乱闘であった。

 局地的、局部的なことはあまたあるが、そうではなく、最も大局的なことで私に分らないことがある。最大の疑問である。いや、あった。次第に解明されてきた。
 ドイツはなぜ東部戦線に侵攻したのかということ。なぜソ連に攻めこんだかということである。開戦当初、破竹の勢いのドイツ軍は、フランスの要塞マジノ線を破り、オランダ、ベルギーを突破して英仏海峡まで達した。ダンケルクで英仏軍を追い落とした。その後、上陸戦力が無いため英本土上陸戦はできなかった。こうしてしばし膠着状態が続いたのち、突如、ソ連に侵攻した。それまでにポーランドをソ連と分割占領していたが、ドイツとソ連は不可侵条約まで結んでいたのにそれを破り侵攻した。

 私が不思議なのは、ソ連の戦力をどう評価していたのかということ。そして総体から見て、アメリカが参戦して西からの反攻が始まった場合、彼我の戦力をどう計算していたのかということである。日本人は非合理的精神主義であることば存分に承知しているが、合理的であるはずのドイツの戦争行動でこの点が不可解であった。日本だって、精神主義とはいえ、直近の行動の動機と結果の予測については当然一定の合理的推策はあった。それが誤りであっただけである。

 考えられる理由は幾つかはある。一つは、ソ連をあなどっていたこと。ソ連の国民はスターリンの暴政を憎悪していると見ていた。リッペントロップ外相は開戦当初「三週間で終る」と豪語した。二番目は、ソ連国民の心理だけでなく、ロシアの自然を知らなかったこと。ヒトラー体制のような独裁主義下では総統の嫌う意見は進言しにくい。ロシアをよく知るあるドイツ婦人は、当時、「総統はロシアをご存じない。果てしなく続く原生林と平原、人を無視した天候、そうしたものは西ヨーロッパにはない」と言ったそうだ。ドイツ軍首脳でもカイテル将軍は反対した。ここまでは、史上よく知られたことだが、最近に至り新しいことを知った。三番目の要因である。これが最大の要因である。
 それは、ソ連と交戦すれば、資本主義と共産主義の対立という原理から英米がヨリを戻してくれると判断したこと。これはどうも最大の要因のようである。1941年、大戦中最大の怪事件が起った。戦後解明されたところによると、このことも、この推論を実証する一つと解される。(つづく)

2008.08.16.土 晴 町田

 
プーシキンの「スペードの女王」読む。その他六編の短編も収録した岩波版。

 思い出せば、この所、私は、ロシア文学を歴史の順列の逆にたどってきた。ドストエフスキー、ゴーゴリ、そしてプーシキン。これは意図したわけではない。たまたまそういう次第と相成っただけ。ロシア文学の魅力に惹かれたことは確か。

 こうして時代を逆行すると、初代のプーシキンには日本の明治文学のような簡明さと骨太さがある。こんど読んだのは神西清さんの訳。さすがに歴史的名訳といわれるだけのことはある。まったく日本語の世界になりきっていて、頭の中でも一度翻訳しなおす必要がない。文体、語彙はもちろん古いが、それがまた独特の格調を生み魅力となる。
 「スペードの女王」はすでに誰かの訳で読んだが再認識した。この作品はごく短い掌編である。チャイコフスキーによりオペラになったが、オペラの方は大分原作を変えてある。短い原作をオペラ用に長くしてあるので、余計な引き伸ばしがあり、人物にも変化がある。神西さんの名訳がある限り、ほかの版はどうしても見劣りがする。 ロシアという国は不思議な国だ。これだけの絢爛たる宮廷文化をかつて持ちながら、レーニン革命以来その遺産はどこへ行ったのだろう。

 この時代から、ロシアの人は西ヨーロッパに頻々と出入りしている。ローマ、パリ、ロンドン。ドイツ人は地続きのせいか最も盛んにロシアに来ているようだ。
 プーシキンという人も父方の先祖はドイツ人だったそうだし、母方の祖先は、エチオピア人だそうだ。ヨーロッパからアフリカ一帯の混血ではないか。「アフリカの空の下で陰鬱なロシアを思う」という一節がプーシキンの手紙か覚書の一節にある。アフリカとロシア、最も縁が遠い二つの地名のように私たちには思えるが、この人の思想と感覚は彼の先祖がアフリカから来たことからも由来しているものがあるのかもしれない。

 外国から祖国を見てはじめて自分の国が分るというのには理があることだ。自分の国の中にいると自分の国が分らなくなる。ピアソラが幼くしてNYに渡り、外国から自国の文化を見たから、タンゴを新鮮な耳でとらえたことは間違いないだろう。

2008.08.14.木 晴 町田

 
相変わらず酷暑の日が続く。数年前の日記を見ていたら、8月17日頃、一番ひどい暑さの日が来たと書いてある。これはめずらしいことではないらしい。

 Brucknerの音楽は好意を持つ人にだけ受けいれられる、といわれる。確かに、あの無制限な誇大表現は嫌いな人には敬遠されよう。

 しかし、実は、これはBrucknerの音楽だけではない。どの音楽も、いや、文学、美術、建築、すべての芸術は同じである。芸術は好意を持つ人だけが受けいれる。嫌いな人を無理やり好きにさせることはできない。嫌がる人を力づくでねじ伏せて、嫌いなものを肯定させ、好きにさせることは出来ない。音楽の力は強い、とよくいわれる。それはその通り、しかし同時に音楽の力は弱い。Beethovenだって嫌いな人はいる。嫌いな人にBeethovenの偉大さを説いて、その価値を悟れといっても無理だ。

 美は人を沈黙させる。これは、確か小林秀雄の言葉だった。その通り。美は議論するものではない。最近読んだゴーゴリの言葉だったと思うが、議論には耳を傾けよ、ただし仲間に入るなと。好みはどうにもならない。絶対的なものだ。
 これは、音楽、芸術を受動的に鑑賞する場合だけのことではない。作曲の仕事の中で、色々な構想が浮かぶ。しかしとどのつまり、自分が気にくわないものは使えない。いいとか、わるいとか、そんなことではない。気に入らないものは、その理由だけで話にならない、使えないのである。この、好き、嫌い、の中に人が実在するのだろう。だから美は議論にならない。

 Beethovenは作品130の弦楽四重奏曲が初演された時、最終楽章の「大フーガ」の評がよくなかったと聞いて憤慨したそうだが、結局は出版社の言うことを聞いて、終楽章は別のものに書き替えた。この人もこの価値原理には従った。
 芸術と学問を混同しないことである。学問は、人の主観にかかわらず事前にすでに存在する真理と法則を見い出すことである。見い出す当人と無関係に存在しているものだから、発見者当人の人格好み美感とは関係ない。しかし芸術はそもそも相対的なもの。他人がいいといってくれないと成り立たない。ここから、芸術にかかわるものには、信念と同時に謙虚さが必要になる。


2008.08.13.水 晴 町田

 
昨日、今日、暑い。

  
連日のTVラジオは五輪報道で埋まる。NHKは正午のニュースまで時間を遅らせている。世の中、ほかに大事なニュースがあろうに。北朝鮮との交渉、拉致問題はどうなるのか。グルジャとロシアの戦争。物価の上昇。原油価格の変動と連動して国内でのガソリン価格の今後の変動の可能性。そんなものをすべて捨ててスポーツ報道だけになる。戦況ニュースがすべてを埋めた戦争中を思い出す。それに、勝った負けた、金だ銀だ銅だ、の騒ぎ。スポーツは所詮は遊びではないのだろうか。

 昔、学生の頃だったか友人から聞いた話。西洋音楽史の大家、野村良雄先生は、本を読むという行為は結局は消費的行為だと述懐しておられたという。

 かりに読書が消費であっても、音楽、文学、美術、ものを創る方の行為は消費であるはずはないだろう、こちらは生産であろうが。普通はそう考える。しかし、消費であるはずがない創作の行為が実は多分に消費的いとなみを含んでいる場合はないのだろうか。

 ロッシーニは人生の途中で作曲をやめた。面倒くさくなったと当人は言っている。自分は怠け者だから、努力してまで作曲したいと思わないと言った。ということは、それまでの彼の作曲は努力なしで出来たということだ。頭に次々浮かぶものを書き留めていっただけということである。少しわるく言えば口から出まかせということに近い。しかしだからこそ、彼の音楽はいささかの渋滞感もなく快くひびく。汗臭い所がない。こういういとなみは消費的ではないのだろうか。そして、それは、ものの創り手として不徳ということになろうか。出来たものがよければ文句はいえない。先日亡くなった赤塚不二夫さんの仕事と人生にもロッシーニ的なものがあるように思う。赤塚さんの作品は、苦吟の果ての粒々辛苦の産物とは思えない。だからいい。ただし、ロッシーニにしても、赤塚さんにしても、それは飛び抜けた才能の仕事だから出来ることだ。モーツァルトもそうかもしれない。

2008.08.12.火 晴 町田

私のコンピュータ修業記−7

 こうして、1985年中に中級から上級に進み、いわば卒業試験のような型で、資格試験というものを受けることになった。これは、学校が実施するのではなく、はじめに書いたように、中央職業能力開発協会と東京都中央職業能力開発協会の共催によるものであった。合格証書の日付は昭和61年、1986年、1月20日になっているが、試験は前年の年末だっように記憶する。この合格証を受けることで、学校だけの範囲ではない社会的評価の証明を獲得することになる。従って、学校としては、これにより学校での学習の意義を示そうというということなのだろう。試験までには幾つかの模擬試験が行なわれた。

 資格試験の会場は学校ではなかった。霞ヶ関のどこか、役所の一室だったように思う。余り広くない部屋に30人くらいの受験者がいたろうか。幾つかの部屋で同時に行われたのかもしれない。普通の試験と同じで、はじめに試験官から基礎的説明がある。そして問題用紙が配られる。問題の数は忘れたが、一筋縄ではできそうもない難問が幾つか並んでいた。時間は一時間。組み立てるプログラムの指示があり、その結果を、run−実施してその結果を刷り出して提出する。

 そもそも、すでに数十年こういう試験の場というものを経験していない。自動車運転免許試験の時の構造と法規の試験が最後だったろう。それ以来である。あの時はまだ30歳台の始めだった。この試験の時と年齢のケタが違う。こういう状況に置かれるだけで意識が逆上状態になり、思考が順調に進まない。もたもたしている内に時間は遠慮なく過ぎる。過ぎることにより、いよいよ冷静でなくなる。みじめなものである。出来たプログラムを出すだけなら、出来不出来の場所がそれぞれ表われ、出来具合の程度全体を総体的に評価してもらえるが、結果をrunして、その表示結果を提出するのだからもっときびしい。器械は遠慮がない。プログラムの構成に不備があれば、そこで止まるか、珍妙で目茶苦茶なものが出てくるだけである。ついに残り時間10分くらいになった。もはや破れかぶれ、runすると、文字通り珍妙目茶苦茶なものが出てきた。仕方ないから、そのまま提出した。あとで学校の「担任」の先生、やさしい男性の先生から講評を受けた。先生も言い方が難しかったろう。100点満点の人が一人居たと言われた。私の前に座っていた若い女性である。まだ二十歳にもならない人のように見うけた。学生ではない、どこかのOLのように見えた。能力にもよるが若い人は余計なことを考えない。歳をとると、頭の中にいろんな記憶が蓄積されて、それらが呼び出しもしないのに連動して現われ。あれこれ考えている内に時間が経ってしまう。肝心のものに集中できなくなる。
 翌年になり、合格証書が渡されたが、あれは多分にお目こぼしものだったと思う。

 こうして、1980年代の私のコンピュータ修業はひとまず終った。その後、私は、器材を買うわけでもなく車のペーパードライバーのような状態を続けた。そして、音楽の仕事から、まったく別の角度からコンピュータ作業に接近することになった。(これでひとまずおわり)


2008.08.10.日 晴 町田

 
昨日は驚いた。コンピュータを100円で売っていた。ヨドバシ町田店の入口。B5版より少し小さいくらいのサイズの器材。小型ながらキーボードもすべて完備している。女の子が宣伝しているから、なんで100円なのかと質問すると、つまるところ、ネットとmailが外出先でも出来るが、その通信料がかかる。それを当て込んでのことだ。上限の限度額が6880円、少ししか使わなかった月は2900円。商法はケイタイと同じ、本体は無料に近く、通話料でかせごうという戦術。物を売る戦術もいろいろ考えるものだ。チラシにはいろいろ注釈がついてる。面倒くさいから読まなかった。こんなに安いわけはないからやめとく。

私のコンピュータ修業−6

 
こういう勉強は独学で可能なものだろうか。

 この学校は形式的には自習方式であった。しかし、自習と独学とは違う。
 中級程度まで進んだ時のことであった。かなり長いプログラムの課題ととりくんだ。数日かかってほとんど完成した。ところが、どうしても最終の表示が出ない。どこかがおかしい。de-bugを慎重に進めながら調べたがどうしても分らない。数日の間、自力で考えた。いろんな可能性を考え、登校するたびに、今度こそと、とり組むがやはりだめ。ついにあきらめて女性の先生におたずねした。プログラムを刷り出し、延々たる吹き流しのごとき紙を持参して見て頂いた。先生ははじめからすばやく目を通され、最後に近いコマンドを指し、「ここが間違いです」と即座に明瞭に指摘された。「GET」という用語を含むコマンド番号の後か先に私の指示が一つ欠けていたのである。「このままだとGETが無限反復されて、ここで事実上停止状態になる」、と話された。これは私が考えてもいないないことだった。自分だけで連日考えても解明できないことがある。先生に聞くことによりたちまち氷解する。世の中、どんの勉強もそういうものだろう。

 独学者はかならず勤勉である。しかし、共通することは頑固なことだ。自分と違う見解を受けいれようとしない。自力で粒々辛苦の末に獲得した知識見解だから、それを撤回することにより自分の努力を否定することになるのを怖れる。しかし、自分を狭い世界にとじこめることは損なこと。広い外側にも世界はある。自分より、知識、見識、経験の豊富な人に教えを乞うことはそれだけで自分だけでは出来ないもの、知りえないものを得ることになる。そのほかに、人と人の触れ合い、ということに言葉を超えた何物か学ぶものがあるだろう。私にはそう思われる。教育とはそういうものだということ。人は何のために社会生活をいとなむか、ことはその源泉にまで至る。

 上級に進んだ時、模擬試験があった。数日おいて二回あった。私は、旧制中学のクラス会が箱根であり、そちらに出席したため一回目は欠席した。試験は義務化はされていなかったから。二回目は出席した。しかし成績は余りよくなかった。温厚な男性の先生はおだやかにだが、試験は休まないように、学力の形成に不可欠なものだから、と意見された。中学生に戻ったような気分だった。生徒の間の話し合いも役に立った。終って赤坂見附までの坂を下りながら、女性、男性、の「学友」たちと、それぞれ勉強のことを話しあいながら帰る。こういうことからも独学では得られぬ何物かを得る。

2008.08.09.土 晴 町田

 
昨年の今日、退院して帰ってきた。明日10日は軽井沢大賀ホールでの作品演奏会であった。一年は余りに早く経過する。いまのところ健在で仕事ができることを天に感謝。

  
昨夜は北京五輪の開幕式を見る。たいへんな盛大なもので感心した。この国が新興国としての意気をしめそうとして全力をあげたことが見てとれた。しかし、ここまで盛大になると次の開催国はどうするのだろうか。心配してしまう。この辺が限界点であり、転回点になって、今後はむしろ簡素化、縮小化の方向に向うのではなかろうか。あたかも、Mahler, R.Straussで大orchestraの時代が限界に達し、その後は次第に編成を簡略化の方向に向ったように。五輪がまさかWebernまで縮まることはなかろうが、ここれまでくると、食傷のきみがないわけでもない。それでも、中国文化の歴史の長さと事蹟を誇示したことはよかった。文化は西洋からだけ生まれたものではないのだから。参列した欧米の指導者たちは複雑な思いだったろう。

私のコンピュータ修業−5

 さて、ここまで来ると色々少しずつ思い出してくる。こうして、次第に複雑化していくプログラムを作っていくわけだが、その結果はどこへ保存するのか。「save」(保存)と「load」(呼び出し)ということが出てくる。本体の中に保存してもだめ。次回に来た時に同じ場所に座れるとは限らないからである。その日に出来たプログラムをprinterで刷り出して保存するが、次の時に続けようとすると、また、始めから打込まなければならない。だから、ある程度まで学習が進むと、当然、外部保存装置が必要になる。diskである。いまは、CD−R,ROM,RW、等々があるし、Floppy disk−FDも使える。しかし当時は違った。小型のレコードのようなdiskであった。8インチくらいの大きさか、このdisk、材質が柔らかく、手で曲げようとすると、柔らかくしなう。軟式である。昔、ソノシートというものがあったが、あれと感じが似ていた。テクストがある程度まで進むと、このdiskの使用と扱いの科目が出てくる。
 生徒はdiskを買わされた。そして、扱いについて先生から説明を受ける。男性の先生が説明してくれた。一人一枚ずつ自分のdiskを持つこと。はじめに「初期化」ということをすること。これを「initialize」ということ。

 このdiskの材質のこともいま聞くとおもしろい。diskの取り扱いには注意するよう話された。乱暴に扱わないこと。落としたりしないこと。堅いものをどしんと乗せないこと。先生の失敗談もあった。diskをスーツケースに入れて、上に書類や衣類をぎっしり乗せて無理やり蓋を閉めた。開けて取り出してみると、diskの中味はすべて破壊されていたという。いまでは考えられない話だ。圧力で中味が壊れたのである。
 さて、このdiskを本体にどう入れたか思い出せない。側面に水平に入れたか、正面のdisplayの横に垂直に入れたか。正面に垂直に入れたような気がする。テクストには「マウントする」という言い方がされていた。これもいまは使わない言い方である。装着するという意味だ。そういう次第だから、自分用のdiskは腫れ物にさわるように気をつけて持ち運びした。こういう、いまから見ると年代型のFloppy diskからCD型に替ったのはいつの頃だろう。また、FDそのものも、現在のような硬質小型のものにいつの頃からか替ったのだろう。いまとなっては全てが酔生夢譚である。
 ついでだが、いまは使わないBASICの言葉に「kill」というのがあった。いまでいう「delete」(削除)である。「kill」で、プログラム全体を削除してしまうのか、一部だけの削除だったか忘れたが、これで消してしまったものは二度と復元できない。本当に消えてしまう。殺してしまう。教室の外で休憩で雑談していた時、「kill」は怖いなあ」と言っている人がいた。いまでいう「undo」という機能も無かったようだ。(つづく)

2008.08.08.金 晴 町田

 昨日は余りの酷暑に外出する戦意を喪失した。作りかけの作品の楽譜もこういう時は自宅に持ち帰らぬ。白紙の状態で自然に次の楽案が浮上するのを待つ方がいい。折から、ゴーゴリの評論を読んでいるが、自分にこの上なくきびしいこの人は、作家はペンをとってはならない時がある、と書いている。理由と事情は複雑だが、そういう段階があることは間違いない。

私のコンピュータ修業−4

 
当時の教科書、テクスト、買い込んだ参考書など保存しておけば骨董的価値が出来たかもしれない。残念なことに紛失したか捨てた。

 当時の学習器材でいまの器材と違う所は、keyboardの上に横に並ぶshort-cut keyの中に「run」というkeyがあったことである。プログラムが完成すると、この「run」keyを押して実施する。画面に「run」と手動で打込み、enter keyを押してもいいのだが、short-cut keyは動作を簡略化するために置かれたのだろう。enter keyは当然あったし、先生から、このkeyを押さないと何をやっても器材には打ち込めないとはじめに懇々と説明された。ただ、名前がenter keyだったか、何か別の名前だったような気もするが、忘れた。器材本体に「run」のshort-cut keyがあることは、ソフトを自前で作ることを前提としていることを意味する。いまのように、ソフト、application softが出来ていて、本体を買った時にすでに仕込まれていたり、diskを買ってきてinstallしたりする時代とは違うことがわかる。プログラムもまた自前で作るという時代であった。だからこんな学校も出来た。
 一つの課程が出来ると、先生の所に刷り出した紙を持参して見て頂き、OKとなれば承認の印を頂く。プログラムを実施してその結果が正しく表示されていれば無事完了の証しになるわけだから、表示の結果だけを刷り出して持参してもいいわけだが、プログラムを全部刷り出して持参したか、表示の結果だけ刷り出して持参したか忘れた。

 プログラムには二つの種類があった。一つは「Sequential」」型、もう一つは「Random」型、「Sequential」型は番号順に一つずつたどるもの、「Random」型は、番号を飛躍できるものだった。この種類別はプログラムの冒頭に表示する。表記の仕方で詳しいことは忘れたが、「Sequential」」型は、録音テープのようなもので、コマンドの順番をたどりながら進行する方式、「Random」型は、DVDのように、任意の時点、地点に選択飛躍できるものだった。それぞれ一長一短があるのだろうが、私は、「Random」型の方が何かと便利で融通がきくので、こちらを使うようになった。この二つのどちらであるかによって、プログラムの進行はまるで変ってくる。

 参考書で知ったが、「流れ図」というものがある。プログラムの進行を分りやすく図面で書き表わす。「if×××」の選択肢が三つの場合は菱形で表わす。四つの角の内、上の一つはその番号に至る角だから、残りは三つになる。菱形の三つの角から、線が引かれ、それぞれを選択した結果の行く先を示す。こうした書き方で一つのプログラムの進行と構成を図面で表わす。進行に従い上から下へ進むように書かれる。選択の数が増えれば、菱形は五角形、六角形になる。全体で家の系図にようなものになる。これはある程度は役にたったが、音楽の勉強が結局は楽譜本体に戻るようなもので、次第にプログラムそのものを相手にするやり方に戻った。(つづく)

2008.08.06.水 晴 町田

 
昨日は事情で自宅執務。発作的な大雷雨に襲撃されたので外出しなくてよかった。更新はそのため一日遅れた。コンピュータ修業記を続ける。書くほどに細事を少しずつ思い出してきた。

私のコンピュータ修業−3

 
BASICという、いまや時代離れした言語で私はプログラムの立て方を学習した。BASICがすでに時代物であることは存分承知している。しかし、ここで学んだこと全部が過去のものとは思っていない。なぜなら、コンピュータという、人の思考行為を代行する器械がいかに動作するか、という基本の仕組みをそこに見ることが出来るからである。BASICは人の言葉で構成されているから分かりやすい。マシーン語のプログラムでも構造は変りようがなかろう。マシーン語は人の言葉で出来ていないから、その軌跡を追うことは難しい。そしてまた、コンピュータ・プログラムなるものは、論理というものの真髄を表わすものであり、そのことも興味深い。

 手っ取り早く実例にをあげる。

 コンピュータ・プログラムは番号をつけた幾つものコマンドの積み重ねで出来ている。 最も簡単な例をあげる。

 1.A=×××
 2.B=×××
 3.if A>B GOTO×××

 こういうプログラムがあるとする。1.と2.でAとBが定義される。××× は数値である。そして、AがBより大であった場合は、3.で、「GOTO」で指示された番号に飛ぶ。「GOTO」は、「go to」、「どこそこへ行け」という指示である。「ごとう」ではない。
 この、「if×××」という仮定と、「GOTO×××」という命令こそ、コンピュータ言語の中核をなす機能である。幾つかの選択肢が設定され、その中のどれかを選択した場合、以下の行動をせよ命令される。この「if」で指示される選択肢の可能性は複数で幾つもありうる。「A」と「B」の数値は任意に入力することもできる。ついでにいえば、いまはやりの、viurs、ウイルスは、この「GOTO×××」を割り込ませることによりプログラムを混乱させることで簡単に出来る。何番目かのコマンドに「GOTO×××」を割り込ませる。そして前の番号への復帰飛躍を命じれば、プログラムは「GOTO×××」まで来れば、指定された前の番号に飛び戻る。そしてまた「GOTO×××」に至れば再びまた指定の前の番号に戻る。こうして永久循環におちいり動作は停止状態になる。もっと手がこんだものもあるだろうが、これが一番原初的な妨害virusである。

 「if×××」と「GOTO×××」は、コンピュータに限らず、およそ人の思考の基本核をなすものだろう。私たちは、ものを考える時、つねにこの「if×××」と「GOTO×××」をつなげている。その二つの連関、つなぎ方を誤った時、判断の誤りが起こる。人は日常つねに「if×××」と「GOTO×××」のつなぎを何度も繰り返して生きている。

 教科書の始めは当然、ごく簡単な課題から始まる。

 「以下○○の結果を表示するプログラムを組みなさい」、というわけで、これは番号数も少ない。しかし、次第に問題は複雑化していき、プログラムの番号も増える。ほどなく、プログラムを刷り出すと3メートル、5メートル、ついにはもっと長いものに達することになる。当時のprinterはいまのように一枚ずつの刷り出しではなく、FAX用紙のように巻紙型になっていた。プログラムが満足に出来れば、結果が無事表示される。しかし、まずい所があるとそこで止まる。プログラムのどこかに欠陥があるのだ。コマンド番号一つずつ調べていく。この欠陥を「bug」(バッグ)という。「虫」という意味。害虫がついているという意味。この「虫」を取り除くわけだが、この行為を「de-bug」(デバッグ)、「虫とり」という。一つのプログラムから「虫」を一つずつ何匹も取り除いていく。それが無事終了して最終表示までいきついた時は実にこころよかった。帰りも快適な気分であった。(つづく)

付記:「イーゴリ公」テープ後日談

 1992年、「イーゴリ公」のVTRをモスクワ空港で買ったことを書いた。当時私はNHKの電子音楽スタジオに出入りしていた。スタッフたちと顔馴染みだったので、スタジオの前を通る時、用がなくともしばしば立ちより世間話をした。このテープの話をしたところ、スタッフの一人が「あれはウチが作ったようにものですよ」と言った。その話によると、ソ連時代この国は録画技術が世界水準からいちじるしく立ち後れていた。そのため、自由ロシアになってからNHKに技術指導を乞うてきたそうだ。オペラの録画も、正面にカメラを据えてそのままとることしか知らなかったので、カメラ割り、カメラワーク、編集、その他もろもろNHKが教えたのだそうだ。その結果の一つがあの「イーゴリ公」だった。だからNHKの録画を見るのと同じだという。無論、内容がボリショイの無類のものであることに変りはないが。そう聞けば録画の仕方がNHKと同じだ。かつて、テープ編集の時代、放送局の国際コンクールがあった。最終予選に残ったのはスイスの放送局と日本のNHK。優勝したのはNHKだった。日本人の手先の器用さは民族的特質だろう。

2008.08.04.月 晴 町田

私のコンピュータ修業−2

 私が赤坂の学校で勉強したこと。その内容については、すでに20年以上過ぎたいま、多くの説明が必要である。しかし、説明が長くなると書くべきことの本体がいつまでも書けなくなる。やむをえないので、適宜に説明注釈をまじえながら書いていく。

 私が勉強したことは、BASICというプログラム言語であった。BASICとは、

   「Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code」、

 このかしら文字をとってB-A-S-I-C名付けたもの。原義の通り直訳すれば、「初心者用汎用指示言語」とでもいうことになるのだろうか。
 いまは、コンピュータにかかわる人でも、この言語と現役でつきあう人は、まず、居ないのではなかろうか。そのことと、更に注目すべきこと。現在、コンピュータ教室と名乗る教室をよく見かける。区が成人教室として開いているものもあり、区の掲示板などによく案内広報が出ている。無料か、さもなくば、それに近い安い授業料で教えてくれるようだ。人気があり、中高年の人たちが多く通っているそうだ。私は行ったことはないが、こういう教室では、ソフトの使い方を指南するのではないか。つまり、いまの時代、器材本体を買うと、すでに本体に幾つものソフト、プログラムが仕込んである。これの使い方は知ってしまえば造作ないが、はじめての人はそれなり戸惑うことがあるようだ。それを教えるのが今の教室ではないだろうか。
 それに対して、赤坂の学校は、プログラムの組み立て方を教えたのである。BASIC言語によるプログラマーの養成を目的としていた。この、時代の推移をなんに例えればいいのだろうか。自転車の組み立て方を学んだとする。しかし、いまの世の中、出来上がった自転車をどこでも売っている。自分で自転車を組み立てる必要はない。乗り方さえ知ればいい。自動車に例えればもっと近い、普通の人は自動車は運転できればいい。教習所でごく基礎的な構造の勉強はするが、自動車の組み立てなど、工員になるわけではないのだから勉強する人はいない。そして、半面、自動車の性能が向上しているから、運転だけといっても、いろいろ技術を学ばないと危ない。昔は高速道路もなかったし、交通量もいまのように多くなかった。だから、運転の技術を学ぶことが自動車を利用しようとする人にとっては、それだけで充分な勉強の対象になる。

 コンピュータの場合も同様、いまのソフトは複雑多岐に発達しているから、その使いこなしがそれなり見識が必要である。特殊な専門家かそれに近い人を除いて、ソフトの中味がどうなっているか知る必要はないし、知らないのが普通だ。また、しろうとがそんなこと知らなくても使いこなせるようにプログラムを組み立てるのがプログラマーに必要な技術だろう。それがいまの時代である。
 だから、赤坂の学校で学んだことは、いまの時代、早くいえば無用なことになった。プログラムの組み立てといっても、いまの本当に専門家はBASICなどではなく、はじめから器械のために出来ている「マシーン語」を使う。相手は器械だからその方がはるかに効率がいい。BASICは人間の言葉、英語で器械に指示する言語であり、もともと中途半端ということになる。
 さような次第で諸行無常ないきさつとなったが、それでも、書きとどめておくべきことがないわけでもない。世の中、基本は変らないのだから。(つづく)


2008.08.03.日 晴 町田

 
今日は暑い。

 私のコンピュータとのご縁も24年になる。この辺でそのいきさつを書いておく。一度に余り長く書くと読んでくださる方に迷惑なので少しずつ書く。

私のコンピュータ修業−1

 私が「二級パーソナル・コンピュータ技師」の免状を受けたは1986年一月のことだった。免状というが正確には「合格証書」である。発行したのは、「中央職業能力開発協会」、それと、「東京都職業能力開発協会」、それぞれの団体名と会長の名と印が記してある。

 「あなたは中央職業能力開発協会及び東京都職業能力開発協会の共催による昭和60年度OA機器操作技能評価試験二級に合格したのでこれを証します」と書いてある。

 これらの団体がどういうもので、この証書がどれだけ権威あるものかいまも知らない。試験を受けて発行されたものだから、当然、その前に修業時代がある。

 私が赤坂のコンピュータ学校に通いはじめたのは確か1984年の秋だった。赤坂見附から草月会館の方に坂を登っていく途中のビルの中に学校はあった。教室は小学校の教室くらいの広さで、30か40くらいある机の上に一基ずつ器材が置いてあり、どこに座ってもいい。勉強は基本的に自習方式で、先生は前の方に机に向かって自分の仕事をしている。分らないことがあると、遠慮なく先生を呼んで説明を受ける。そういう仕組みである。
 最初、先生から個人的に基本的説明を受けたあと、教科書を渡される。初級、中級、上級の三段階あり、それぞれかなりの額の授業料を納めた。出席はいつ行ってもいい。予約してもいいが、予約なしでも満席ということはまずないので、自由な時間に行った。たいていは午後行き、夕食までに帰宅した。器材はすべてNECのPC900シリーズだった。当時は国産器材はこれが主流だったようだ。開講の時の先生の説明によると、国産の90%以上がこの器種ということだった。
 教科書の各章の終りにまとめの問題があり、これを実施して刷り出し先生の所に提出する。合格と判断されると所定の教習用紙に合格の印を受ける。自動車の教習所と同じである。先生は、若い女性の先生と中年の男性の先生だった。女性の先生の方は眼鏡をかけたおそろしく頭の切れる人で、よく幼稚な生徒の質問に応じてくれたものと思う。中年男性の先生は、温厚篤実な小学校の先生ふうの人で、懇切ていねい、子供に教えるように説明してくれた。初歩の生徒にはこちらの方が有難い。生徒は、若いOL風の女性たちと中年以降の男性たちが大部分、時代の要請に応ずべく押しかけたように見えた。なかには、停年過ぎと思われる老紳士もいて、楽しみながら勉強している風情だった。初級の最後まで教科書を終ると試験問題が渡される。これに合格すると中級に進むという仕組みである。
 さて、ここでどんな勉強をしたか。いまのコンピュータ時代の有為転変を物語ることになるので以下につづる。(つづく)
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 昨晩はめずられくTVで見たいものが重なった。Karajanの、Brahms  「Deutsches Requiem」、広島、長崎の原爆についての特集、それに、12ch「美の巨人たち」。原爆の方は、「おわりのない朝」制作の時、存分にしらべたので新しく知ることはなかったが、長崎で被爆直後、米軍撮影の写真に写っていた美少女が存命で、老婦人になり、カメラに出てきたのには感動した。「美の巨人たち」は、ベラスケスの「マルガリータの肖像」。この番組は音楽がいい。中世風の合唱にこの名画はよく合う。こういうものを見て聞くといい音楽を作りたいと思う。Ravelの「亡き王女のためのpavane」はこの絵のために書いたとも聞いた。Karajanは大失敗、番組があることを知らず、あわてて途中から録画した。新聞をとっておらず、月刊の番組雑誌を見ているが、この本にはMX TVは出ていない。netを見ないと分らない。うっかり見逃した。

2008.08.02.土 曇ときどき晴 町田

 
1992年、私はモスクワ空港でビデオ・テープを買った。
 すでにソ連崩壊後だったから、売店は商売に熱心だった。買ったものは、ボロディンの「イーゴリ公」全曲。ボリショイ劇場の録画。主役はネステレンコだったと思う。ところが、帰ってこれを見ようとしたが再生できない。何も映らない。録画のシステムが違うのである。あとで知ったが、世界中、四つの区域に分かれていて、違うと映らない。その地域別の世界地図も入手した。これが複雑怪奇に入り乱れていて、東欧の中に一つだけ西欧型の国があったりとてもむずかしい。日本とアメリカも違う。
 昨年の、軽井沢の私の作品演奏会はDVDにしたが、NYの人から売ってほしいと言ってきた。だから、日本の映像がそちらで映るか調べるように伝えた。しばらくして、やはりだめだとのこと。その人にはCDを買ってもらった。CDは世界中どこでも再生できる。
 「イーゴリ公」のTapeは、京王プラザの中のソニーの店に頼んで、日本で再生できるように転換してもらった。すばらしい上演で感心したが、それでも画質が少し劣化したのではないかと思える部分もある。しかし原版を見ていないのだからそれは分らない。量販店で、DVDの小型再生器を売っている。これは市販のdiskだけを対象にしているのだそうだ。民生用の録画器は方式があまた多岐にわたっているので、全部に対応することは不可能だそうだ。だから、自宅で録画したdiskを見ようとしてもだめな場合があるということだ。ウィーンのCD会社の社長ナンシイさんの所は、商売柄、全システム対応型の器材を持っている。これは仕事柄仕方ない。
 Tapeは日時が経過すると音質があきらかに劣化する。以前、メトロポリタンのガラ・コンサートのすばらしい放送を録画したが、数日前、再生したら音がわるくて聞けたものでない。残念だが、そのTapeは捨てた。といって、DVDは確かかというと、これがまたあやしい。どこかの新聞で最近出たが、10年くらい後にはどうなるか分らないという。子供の映像をとっておいて、オトナになってからの思い出にしようとしても危ないそうだ。すべてあてにならない。

2008.08.01.金 曇ときどき晴 町田

 
今日から八月。

 昨日は帰りに小田急線が事故で止まった。代々木八幡のあたりで車両に異状があったとかで、点検のため、上り下りとも運行停止、成城学園で30分くらい動かない。そのうち、いよいよ動こうとする時、経堂駅近くで乗客が勝手にドアを開けて線路を歩いているので、しばらくお待ちください、という。新宿までの各駅にすべて電車が停車中で、そのほかに、駅と駅の間にも停車している電車があるという。駅に停車中の電車はドアを開けてあるから、降りてタクシーで帰ることも出来るし、トイレにも行けるが、駅の中間に立ち往生している場合は困る。気分がわるくなる人もいるし、トイレに行きたくなる人もある。勝手にドアを開け出たくなる事情はおおいに理解できる。できるが、やはりそれをやるとほかの乗客が目茶苦茶に迷惑する。やがて、二駅だけ移動した。五分ばかりいて、それから動き出した。総じて45分くらいの遅延だった。この時ではなく、時々、「人身事故のため遅れて申し訳ありません。お詫びいたします」というアナウンスがある。しかし、人身事故で電鉄会社が詫びることはなかろう。飛び込み自殺なら飛び込んだ奴が原因だ。電鉄会社はむしろ被害者である。理由もないのに謝ると、万事いいかげんで、本当に謝るべき時も誠意がこもっていないように聞こえる。昨日は、暑さもそれほどでなくてよかった。駅に停車している場合も、ドアは開けたままだから、酷暑、極寒の場合はえらいことになる。さいわいだった。

 いまなぜBeethovenの「grosse Fuga」を聞きたくなったのか分らないが、不思議なご縁でShostakovichの話と関わる。吉田秀和さんの話の受け売りだが、Shostakovichは、レニングラード音楽院の教授だった時、学生と「grosse Fuga」を連弾することになり、一週間練習期間をおいた。一週間後、学生はもちろんスコアを持参したが、Shostakovichは楽譜なし。すべて暗記していたそう。Shostakovich自身、学生時代、対位法の大家の教授がいたが、この先生、講義が嫌いで休講ばかり。Shostakovichは先生の自宅まで押しかけ教えてもらったという。たいへんな努力家だったようだ。吉田さんの話によると、32声のフーガを書いたという。Orchestraの弦をdivisiで分けて32声にした。Shostakovichという人は、こういう技術の魅力にとらわれたクロウトだったのだろう。私がいま「grosse Fuga」に関心と興味を持つのも同様、技術屋ともいうべき特別な興味にとらわれている 。ついでにいま気がついたが、手元にあるBeethoven「grosse Fuga」のEulenburgのスコア、内表紙の欄外に、1954.11.11.と自分の書き込みがある。54年ぶり再会だ。

2008.07.31.木 曇ときどき晴 町田

 
Beethovenの「Grosse Fuga」と、Lisztの「死の舞踏」ききたくなり、図書館でCDをコンピュータ予約。昨日、つまり予約の翌日、すぐに電話がきた。届いていると。なんとも便利な世の中。「Grosse Fuga」は学生の頃、お化けみたいな、複雑、難解、巨大な作と思っていたが、いまscoreを見ながら聞くとたいしたことない。修行を積んだので驚かなくなったのかな。rythmの対照がなくてFugaが可能ということにはいまどき考えるところがある。Lisztの方はいっぱい喰った。中学生の時聞いたのとはどうも違う。解説を読むと、新版だそうだ。それにしても、こんなに簡単に借りられるとCDが売れなくなるだろう。

 Shostkovich Symphony No.5についてドイツ在住の菅野さんから、「掲示板」に投稿があった。

 いま思い出す。私がこの曲をはじめて聞いたのは17歳くらいの時だった。昭和22年頃のことだ。Berlin帰りの荒谷正雄先生が開かれた札幌音楽院の美学の教室で、評論の新妻博先生が聞かせてくださった。生まれてはじめて聞く同時代の音楽、現代音楽である。当時としては上等の再生装置でいい音だった。当時、よくこの曲のレコードがあったものと思う。もちろんSP。なんの先入観もない。最初の一小節聞いた途端、私はこの音楽にはウソがあると直感した。それから、おとなになるまで多々勉強した。そう簡単に断定すべきものでもないらしいとも思うようになった。しかし、1950年代か、60年代だったか、外山雄三がこの曲について、「自分でないものを自分だ自分だ、と言い張っている」、と「音楽芸術」誌に書いた。それに対して、戸田邦雄先生が、「そういうこと書くと、翻訳されてあちらに紹介されることもある」、と自重せよ的な文を書かれた。なるほどとこれも思った。

 しかし、時移り世変りて、いまはどうだろう。亀山さんの言う通り、この曲が実は体制へのレジスタンスだったとすると、17歳の私が「ウソだ」と直感し、外山雄三が「自分でないものを自分だ自分だと言い張っている」、と言ったことは間違いではなかったことになるではないか。子供の直感力おそるべしである。Shostkovichは、そう聞いてほしかったのかもしれない。いや、少なくとも、そのことに気がついてほしかったのかもしれない。この音楽は本心ではないと。少年の私が「ウソ」と直感したり、外山雄三が「自分でないものを自分だ言い張っている」と言ったことこそ、作曲者が命がけで知ってほしかったことかもしれない。柴田南雄先生は新しい音楽の推進者だったから、どこかの雑誌に「Shostakovichは古くさい。益にも害にもならないから、おおいに演奏するといい、ただし、第五番第一楽章展開部のの雄弁さには見るべきものがある」と書いた。誉めているのか、けなしているのか分らない。
 しかし、ホンネは「うそ」で、それを見破ってほしい、と作曲者本人が願いつつ作曲するということもいかがなものだろうか。こんなに長い、大がかりにものを全部ウソで書けるものだろうか。こうなると、石川五右衛門のせりふのように「余り、うそをついていると、本当かウソか自分でも分らなくなる」のか。金子みすゞの詩に「だれが ほんとを いうでしょう」というのがある。裏か表か、表か裏か。ああ分らない。分らない所がこの作曲者の魅力なのかな。
 ついでだが、私はやはり17歳の頃、Prokofievの「ピーターと狼」を聞いた。この時も「これはウソだ」と強く感じた。Shostakovichよりも強く感じた。私はこの曲が嫌いである。いまも変らない。ウソは聞きたくない。

 
七月も今日でおしまい。

2008.07.30.水 曇ときどき晴 町田

 昨日は、夜八時過ぎ突如として雷鳴とどろき、一大豪雨となった。このところ夕方から雷雨という予報が連日続いていたが、昨日だけはそれがなかった。それまで予報の雷雨は一度も実現せず、今日は大丈夫という日になって実現した。予報はどういうことになっているのか。天気がわるくなると予報しておいて悪くならないのはいいが、その反対だと非難攻撃を受けるから仕方がないのだろうが、それにしても余りに反対で、はずれ方が見事だ。やはり、天気は予測しにくいのだろう。人間の自然余地などその程度のものだ。昨日は、JRの山の手線、京浜東北線も止まり、帰宅できない人が出たようだ。


 
ゴーゴリの「死せる魂」、上巻ようやく読了、下巻を予約した。ロシア文学の不思議な魅力は独特なもの。ゴーゴリはプーシキンに私淑し、ほとんど師弟の間柄だった。作品の小説も途中まで出来ると持参して師匠の評をあおぐ。それだけに師の訃報を受けた時の衝撃と悲しみは大きかった。自分はもはやペンをとれないとまで手紙に書いている。
 「死せる魂」は、題から想像するような深刻な話とはまるで違う、ブラック・ユーモアに乗せた社会風刺小説。第二部は作者により破棄された。

 時代は100年以上下るが、ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」もすごい小説だ。スターリン時代の想像を絶する抑圧のもとで、作者がこの小説にこめたメッセージは幾様にも読みとることができる。二千年前のピラトとイエスの対決、心の奥にためらいを持ちながらイエスを処刑したピラトの苦悩にスターリンを重ねて読むことができるのではないだろうか。ピラトはそのため、二千年の間、苦しむことになる。モスクワの街を天に地に自在に跳びまわる悪魔の群れは反体制の人たちを暗示しているのではないか。マルガリータがほうきにまたがり参加する悪魔の舞踏会。やってくる来賓たち、過去に暗殺された人たち、暗殺した側の人たち、これこそ、スターリン政治のもと生命を奪われた人たちと加害した人たちの霊ではなかろうか。そういう読み方をすると、無気味であり、また、凄絶とすらいえる作者の訴えが響いてくる。
 この小説はソ連崩壊後のロシアで、TVドラマになり10回かの連続放送されたそう、そのDVDも全六巻とか日本でも買えるそうだ。

 亀山郁夫氏によると、ShostakovichSymphony No.5、「革命」と俗称されている曲の終曲に意外な隠し言葉が仕込まれているそうだ。「信じない」という「Carmen」のフレーズの断片と、弦で数百回繰り返されるAの音、これは「私は」というロシア語、英語の「I」と同義。これを組み合わせると「私は信じない」という言葉になる。社会主義とスターリン政治への否定がひそんでいるそう。

2008.07.29.火 曇ときどき晴 町田

 一週間ほど前から腰が痛い。整形外科でレントゲンをとってもらったが骨に異常はない。むしろ年齢平均より良好とのこと。湿布をして、いたわっていれば数日で自然快癒しようとのお医者さんの診断。たしかに少しずつよくなってはきた。

 相撲のこと。朝青竜について、どうしても自分はこの人、この横綱を評価できないし好意も持てない。横綱は強いだけではない。品格というものがもとめられる。このことを忘れる社会であってほしくない。ことは相撲だけではない。政治家にも実業家にも音楽家にもかかわることだ。演奏も作曲も品格あるものでなければだめだ。それを説明しなければならないこと自体が話にならないことである。説明しなければ分らない、説明しても分らない。そういう人はもともとこういうこととは縁無き衆生である。目に見えないもの、形而上的なものが分らない社会は、最低、最悪、最末期の社会だ。どこかの世論調査じみたものの結果、「朝青竜をいじめないで」、という声が女性から複数あったそうだ。朝青竜は本場所を休んでサッカーをしていた。仮病である。不正行為である。こういう不正行為にきびしくない社会を腐敗した社会という。昨今の無差別殺人傷害も、叱られたことがない人間が起こしている。いま、ゴーゴリの「死せる魂」を読んでいる。ある人物から、もともとないものを引き出そうと大勢の人が苦心惨憺するが、無理である。このことをゴーゴリは「牡牛からは乳を絞れない」、という痛烈な言い方で表現している。腐敗した社会から倫理や道徳をもとめること、詩人の魂を持たない人、美に憧れる心を持たない人から作曲や演奏をもとめること、すべて、牡牛から乳をもとめることである。

2008.07.28.月 曇ときどき晴 町田

 
ことしの夏はいつもより暑くないように思う。人によっては去年より暑いというが、どう考えても、梅雨明けが遅かったし、明けるまではひどい暑さの日はなかったのは当然。すでに七月も末、八月も半ば頃からはなんとなく秋の気配が寄せてくる。
 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる−−−−

 昨日は大相撲千秋楽。白鵬はついに全勝で優勝した。この人は若い。おそらくいまが絶好調であろうが、この人は横綱に昇進してから強くなった。ということは潜在実力が潜んでいたことを意味するから、これからさらに期待できるかもしれない。今場所は対抗する横綱朝青龍が休場にため、いまひとつ迫力がない場所だったが、それでも全勝は容易なことではない。15日間の成績が検証されるのだから、まぐれや偶然はまずありえないだろう。演奏家が一晩のリサイタルの開催ではじめて力量が判断されるのと同じ。一曲、二曲だけひくのと、一晩全部自分の演奏で通すのとは大きく違う。
 横綱というのは、強いことが絶対条件だが、そのほかに品格というものもとめられる。昔はそういう人たちがいた。歴史的名横綱、玉錦、武蔵山。双葉山は目茶苦茶に強かったが、少し若くて、貫禄と品格にははもう少しの感があった。いまその点では魁皇がその品格を備えている。今場所もずいぶんいい成績だったが、この人もこの辺が限界だろう。外国人力士が多い。日本人力士の健闘を期待する声も大きいが、相撲が世界のものになったのだから祝福してよい。

 このところ、熟睡ができず困っていたが、昨夜は安定剤服用のため充分に眠れた。主治医推薦のdepas。これは副作用がないとのこと。眠るということは何故か余りよくないこととして表現されることが多い。「さめよ、迷いの夢さめよ」とか「惰眠をむさぼる」とか。しかし、音楽には夢と眠りを美しくとりあげた名曲が少なくない。Debussy のpiano曲「夢」、Schubert の歌曲「夜と夢」、Faure の歌曲「夢の後に」。夢や眠りはわるいことではないのでは、と言ったのは、作家の五木寛之だった。

2008.07.27.日 曇ときどき晴 町田

 
木曜から昨日まで町田に来れなかった。サイトの編集ソフトが自宅にないので、更新も出来なかった。自宅の器材で出来るのは「掲示板」だけなので、そこでお詫びと訂正。「音楽の世界」の掲載文再録「マルクスとシェーンベルク」の初出、1990年一月号と書いたが、1999年一月号であった。「オウム事件」のことが文末に出るので不審に思い調べた。オウム事件は1995年のことだった。この文はいまから九年前のものだった。しかし九年でも人の心も意識もずいぶん変った。自分一人が変ったのか、世の中全部も変ったのか。多分、両方だろう。

 
一昨日25日は「音楽の世界」の500号記念会。出席者は多くなかったが楽しかった。
 昨日は、縁あって、雑司が谷鬼子母神へ。境内でフリーマーケットふうの出店が出る縁日催しがあった。渋谷から、新しい副都心線地下鉄で雑司が谷まで。地上へ出ると鬼子母神はすぐ前。学生の頃、目白に永く住んだ。その頃、よくこの近辺まで散歩にきた。いまはめずらしい都電が走る。少し行くと雑司が谷の霊園。たしか、漱石、鴎外、などの墓もあった。ケーベル博士の墓もあった。なつかしい。

 鬼子母神は室町時代からの由緒ある寺社。深い木立ちの中、所せましと模擬店じみた出店が並ぶ、いずれもささやかな面積の中に、おもにアクセサリーふうのきれいな手工品と思われるものを売っている。無論、売手はアマチュア。若いお嬢さんたちが多い。緑に包まれた中になんと不思議な世界が現われるものか。名物の大銀杏の樹。樹齢600年とのこと。15世紀からここに立って人の世を見てきた。神木という言葉がおのずと浮かぶ。
 朝九時に開店、午後四時には閉店、午後五時には片づけを終り、域内を原状に戻しておく決まりだそうだ。新しいものだけを追うかのようないまの世の中に、こういうことに心を向ける若い人たちがいる。しかし、ここでにわか雨に襲われると気の毒だ。朝から雨の場合は中止だそうだが、途中でのにわか雨は災難だ。さいわい、昨日は予報にかかわらず、終日雨はなかった。あの若い女性たちと、少しばかりの若い男性たちは、なにか心を満たされて一日を終えたのだろう。牧歌的で幻想的な風景に出会った。

2008.07.22.火 晴 町田

カール・マルクスとアルノルト・シェーンクベルク
                              20世紀を吹き抜けた二つの思想 (最終回)
                                                                        「音楽の世界」1990年1月号掲載

作曲界はご都合転向

 
しかしマルクスの方はともかく、いくら直接の披害が無いとはいえ、音楽の方でも作者の節操ということはある。それは、音楽はいかにあるべきか、という大きな基本課題にもつながるのだから、これまでの経過をうやむやにしていいわけはないだろう

 「ウェーベルンから出発せよ」のスローガンはどうなったのか。一時期の点描法と抽象主義の美学はどうなったのか。「そうあらねぱならぬ」と作者が信じたから点描法の立場をとったのであろうに。その思想はその後どうなったのか。いつのまにか、点描法は次第に音の数を増やして再び大にぎやかな交響的表現が舞台を占めるようになった。これもまたうやむやのままのなりゆきである。これは日本だけでなく世界中がそうである。あたかも、社会党がいつのまにか「安保」「自衛隊」の肯定者に変身したように。そのことについて、社会党から国民と自分自身に対してなんの説明もない。いまや「ウェーベルン」は陰をひそめ、大交響楽時代の再来である。点描、音列、全盛時代に、そうでない音楽を作って時代遅れと言われた作曲家もいた。罵倒した枇評家もいた。時代変れぱ事変るか。いい加減だったのは政冶家だけではない。作曲家はスローガンや批評家のアジテーシヨンにまどわされず自身の心の声に忠実にあるべきである。

これからどうなる

 20世紀は多事多難な時代であった。1912年のタイタニックの悲劇が予鈴であるかのように、第一次大戦が始まり、やがて、前世紀までヨーロッパが蓄積して来たものが驚くべき崩壊の予兆を見せていることに人々が気づく。ロシア革命、人々は、公平で合理的な新しい社会が可能であるという幻想を持った。やがてファシズムの嵐が吹き荒れて、間もなく第二次大戦に突人。こんどは第一次大戦の時よりももっと結果は大きかった。諸民族が解放されて価値の多様化が始まり、これまで単純に信じられてきた価値基準が容易には通用しなくなった。ヨーロッパの価値と言っても、そのヨーロッパがこれまで世界でやって来たことの中に余り聞こえのよくないことが沢山あったことが次第に明らかになってきた。その一方で技術の爆発的な進展があった。これは「進歩」という言葉を目出度く使う気になれないほどの乱暴な進み方であった。自然破壌、産業廃葉物、資源枯渇、クローン技術のように人道の根幹にかかわるものまで、暴走というに等しい勢いで実現させていった。この先に何があるのか。未来は人が法則的に予測できるようなものではないことだけは一世紀かけてようやく判った。「未来はこうなる」式の説はハタ迷惑である。そして、マルクスにせよシェーンベルクにせよ、余りにも完璧な埋論は融通がきかない。彼等が19世紀のユダヤ系ドイツ人であったことに由来するのかどうか知らぬが、徹底的な理論化は皮肉なことに自縄自縛を招く。そこへいくと日本人は万事いい加減であるから理論化など頼まれてもしない。だから理論的にゆきづまることはない。しかし、自身の原理原則を持たないことは、これまたいい事ばかりではない。いまのように経済、政治が逆風になると、一定の原理と意志を持たないから、ただ風に吹かれて右往左往するだけである。今まではお天気がよかっただけである。これからは自然体と称して先を考えずに生きることは出来ない時代に入る。

 フランスの思想家、アンリ・ルフェーブルは1950年代に、「世界を統一的に解釈できる思想は三つしかない。カトリシズム、実存主義、マルクス主義である」と言った。これは、フランス人の、それも当時の考え方である。カトリシズムなどは非キリスト教国には無縁なものだし、宗教を持ち出すなら、仏教もあればイスラムもある。特にイスラムは最近大きな力を持ちつつある。こういう挑発的な言い方はこれからは通用しない。オウム真理教事件はそのことを教えた醜い例である。(すけがわ・としや)
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この文を書いてからすでに18年が経った。時の流れの速さに詠嘆するばかりである。自分も含めて、人も世界もその分だけ歳をとった。冷戦終了後、テロの時代に入り、アメリカ独走という、これまた異形の時代は不気味な変動の予兆を見せている。
 「音楽の世界」はこの七月号で創刊500号を数える。多くの雑誌が廃刊消滅している中で瞠目すべき実績である。明後25日、その記念会がある。創刊者の小宮多美江さんに感謝と最高の賞賛を贈りたい。

2008.07.22.火 晴 町田

カール・マルクスとアルノルト・シェーンクベルク
                              20世紀を吹き抜けた二つの思想 (第二回)
                                                                        「音楽の世界」1990年1月号掲


歴史は彼等の予言通りには進まなかった

 
しかし歴史は彼等の説く通りには進まなかった。ソ連の社会主義はその抱える矛盾を次第に露呈させていき、やがて崩壊への道をたどることになる。「シェーンベルク・レイボヴィッツ主義」の音列技法もまたしかり。ジョン・ケイジの登場で、音の各要素の組織化というただ一本の道筋が根底からくつがえされ、まったく別の世界が提示された。組織化の反対の偶然性の登場である。それまで、ただ一つの線の上を音楽史は進むとしか考えなかったのが、全く別の原理が提示された。こうなると話はすべて変ってくる。進歩的、後退的、反動的、という系列化の方向づけの論拠がなくなってしまった。やがて調性を復活させる作曲家たちが現われた。「ウェーベルンから出発せよ」のスローガンは、無調と音列だけでなく、凝縮した素材で表現する抽象主義の路線でもあったのに、大々的に音を重ね、にぎやかに交響的場面をくりひろげる新ロマン主義とでもいうべき表現が復活した。「ウェーベルンから出発せよ」はどこかへ行ってしまったのである。この辺の総括がまったくなされないまま、世界の作曲界はまことにずるずると現在まで至っている。「こんにち調性の音楽を作曲する者はもはや不要である」と大見得を切ったピェール・ブーレーズは指揮者に転向した。転向は彼の勝手だが、往時の主張を彼はいまどう総括するのだろうか。
 時代を追うとともに次第に増大する半音関係、それは間違いではなかったろう。しかし、その局面だけだけ注目して他の要因要素を無視するなら、結果は誤ったものになる。半音がなんのためのもので、どういう役割を果たしてきたかということが問いかけられていないのである。「偉大なる音楽は死んだ」という声ではなく「12音音楽は死んだ」という声が世界を駆けめぐったというのが現実であった。実際、アメリカを訪問した新生ロシアのエリチン大統領は議会での演説の第一声で「共産主義は死んだ」と宣言した。

もうひとつの特性
  物の捉え方における相対主義

 
もう一つ、この二人の思想の基底にある共通するものは一種の相対主義とでもいうものである。それは対象の捉え方と見方であり、物事の捉え方の角度とでもいおうか、対象を「存在」してでなく「関係」として捉える。事物を、「存在」としてより、他者との、相関、関係、距離、の角度から見る。マルクスとシェーンベルクは、共通して、対象を「関係」の角度から見るのである。歴史を、階級間の矛盾、闘争に関心を置いてその角度から見る。すなわち二つ以上の物の相関として対象を見る。音楽を構成する音を、音と音の距離、音程、二つ以上の音の間の関係で捉える。「存在」ではなく「関係」である。絶対的存在としての音ではなく、二つ以上の音の相互関係に関心を持って見る。
 こういう相対主義的見方をすれば必然的にその物特有の「存在」に対しては関心は後回しになる。なくなるか関心を持つにしても第二義的になる。この思考傾向が人間を対象とするならば、個々の人間への関心より全体の関連の中での「要素」としての人間しか見なくなる。崩壊した共産圏諸国がおしなべて全体主議の実態を持っていたことの理由はここにある。旧ソ連をはじめとする旧共産圏はマルクス主義の正統な体現者でないという人々がいるかもしれないが筆者はそうは思わない。
 音楽は音と音で出来ていることは違いないが、その相互の相関だけが枢要なことではない。一つ一つの音が持つ「存在」としての特性、生命、持続は他者との相関だけではなく、それ自体固有の価値を持つものである。一つ一つの特性によって、全体の相関もまた変ってくるではないか。この思想は、すべてを抽象化、平等化、普遍化する西欧近代主義の価値観から生まれたものであることを逃れるようもなく表わしている。

歴史にあたえた消しがたい軌跡

 
しかし、二人の思想が辿った経過にはまだ注目すべきものがある。現実は彼等の予言通りには進まなかったが、マルクスもシェーンベルクも、周囲に多くの影響をあたえ、その跡に大きな影響を残した。このことにも注目しなければならない。
 マルクス主義は、社会的平等、労働者の権利の確保、社会福祉など、現在の社会に多くのものを残した。資本主義社会の方がそれをとり入れた。シェーンベルクの予言も、全面的無調と「半音階主義」の音楽だけの時代はついに来なかったが、無調的表現は現在の音楽に大きな表現手段をあたえた。なんらかの形でその語法をまったくとり人れていない作曲家はほとんどいないだろう。そして、音列作法もまた、様々な形を変えて現代の音楽にとり入れられ表現の役に立っている。ショスタコーヴィッチは、旧ソ連時代はなにかと 「批判」され、体制的語法で語っていたが、晩年のヴィオラ・ソナタでは、ほとんど音列を思わせる無調的主題を奏で、アルバン・ベルクを思わせる部分もある。

 筆者が始めに、音楽の軌跡を見ることにより政治的社会的ゆき先を逆に推察することが出来ると書いたのはこのことである。シェーンベルクの音楽が辿った道筋を見ることによってマルクス主義のこれからも推測することができるだろう。崩壊破産し、歴史の表舞台からは退いたが軌跡と遺産を残したのである。全面的「半音階主義」が到来しなかったように、マルクスの予言したプロレタリアによる無階級社会はついに到来しなかったが、遺産は残した。そのなかには貴重なものも含まれ、人間の歴史に貢献したことは確かである。 音楽は人の生き死にをもたらすものではないから、なりゆきの総括をあいまいにしても直接被害が出るわけではない。しかし政治の方はそうはいかない。それだけに立場や既得権や面子にとらわれて本気の総括反省がしにくいのであろう。また、滅びたものへの郷愁もあるに違いない。この辺の事情については個人的にはおおいに同情に値するものがある。人は敗北をなかなか認めることが出来ないものである。第二次大戦が終った後もブラジル移民の日本人の中には、日本が負けたことがどうしても承知できず、反対に日本は勝ったと言い張った人たちが居た。いわゆる「勝ち組」と言われた人たちである。しかしこれも時間と現実が冷酷に処分する。「勝ち組」もその内消えるのである。(つづく)
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2008.07.21.月、祭 晴 町田

 
数日、仕事部屋に来れなかった。サイトの更新も出来なかった。その間、既出原稿の再録を考えた。以下は1990年の文だが、まだ、内容は古くはないと思われるので、初出の時に読まなかった人にもぜひ読んで頂きたい。長いので数度に分けて分載する。多分、三回くらいになるだろう。
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カール・マルクスとアルノルト・シェーンクベルク
                              20世紀を吹き抜けた二つの思想
(第一回)
                                                                        「音楽の世界」1990年1月号掲


 
                                            助川 敏弥

 一般に、音楽は社会的変動が,最も遅れて到達する分野であると言われる。これまでの歴史的経過を見てもそれは確かに否定することができない。音楽は論理的思索から,最も遠い営みであり、人間の情堵の表現であるから、地殻の変助が,最も遅れて到達する部分であることはやむをえないことでもあるのだろう。
 しかし、ここに現代史の上で見逃せない出来事がある。この出来事を見る限り、音楽が最も遅れた分野であるという通説はくつがえり、むしろ、一般社会の変動を一歩先取りしているとすら言える。しかも、その変動はたったいま現在もなお余震を伝えているものであり、むしろ、一歩先を行った音楽の推移を見ることにより社会事象のこれからの変転も逆に推測出来るとすら言えるのである。

実証主義ならざる見方にも価値あり

 19世紀フランスの歴史家、ジュール・ミシュレはロマン主義の歴史家であり、その記述は現代の実証的学問からすれば学問として容認できるものではないだろう。しかし、この壮大な想像力をひろげた学者は、実証主表が描きようがない視野をひろげて見せ、その中には学問としても無視できないものも描き出した。実証主義がその方法の厳密さのために自縄自縛に陥り、自分をせまい領域に閉じこめ、手ぜまな範囲のことしか語れないのに対してミシュレは自在に視野をひろげた。せまい実証主義は想像力貧困な学者を生み出し、彼らにミシュレのような視野と想像力を期待することはとても出来ない。
 そのミシュレの著書に次のような記述がある。古代末期、地中海でキリスト教支配が確立した頃、ある不思議な声がエーゲ海の周りを駆けめぐったという。「グラン・パン・エ・モルト」、"偉大な牧神は死んだ!"と。古代のギリシャ文化がキリスト教文化によって支配され滅びた、ということである。そこからしてミシュレは、中世ヨーロッパでは抑圧された非キリス教的なものが底辺に生き残り、機会あるごとにと異形な意識となって表面に表われる、中世末期の魔女狩りもその一つであると説く。現代のナチズムもまたその表われと考えることも出来よう。
 いまここで、ミシュレについて書くことが目的ではない。実証的な方法だけが有用なわけではないことを前以て断っておきたいのである。筆者がこれから記述しようとする二人の人物の思想についての論も、学問的な立場からの推論ではない。しかし、学問にならなくても知るに値することはあるし、考えるべきことは山ほどあるのだから。

マルクスとシェーンベルク
           二人の思想が現実化した時期を見よ


 カール・マルクスは1818年に生まれ1883年に没した。アルノルト・シェーンベルクは1874年生まれ1951年没の人である。自然年令からすれば、マルクスの方が約半世紀生まれが早いだが、マルクスの思想を現実化した最初の社会主義国家ソビエト連邦が誕生したのは1922年、そしソ連が国際社会で強大な影響を持ち始めたのは第二次世界大戦以後のことである。マルクス自身は19世紀の人であったが、その思想が現実に最も強い力を持ち始めたのは20世紀後半ということである。
 一方、シェーンベルクの無調的指向性とその技法は次第に12音音列の技法に整備形成され、はじめて全面的12音音列技法によった作品は、作品25の「ピアノ組曲」で、1921年から1923年にかけての作品であった。
 レーニンの革命によるソ連の誕生が1912年であるから、マルクスとシェーンベルクの思想が現実化した時期は奇妙なほど一致するのである。シェーンベルクのこの技法、というより思想は、なぜか第二次大戦以後、不可思議な旗印となり現代音楽に強大な力をおよばし始めた。「ウェーンベルンから出発せよ!」というスローガンは誰が言い始めたか知らぬが、1950年代以後しばらく作曲界を席巻した。
 この二人の思想が、当人達自身の生まれの時期とは別に、今世紀ほぼ同時期に現実化の道をたどり、後半に至って共に主役として舞台の前面に現われたのは注目にあたいすることではないか。

二人の思想に見る「歴史主義」

 彼等の思想をなにより特徴づけるものは、その歴史主義である。人間の歴史にはある法則があり、歴史はある方向へ向かって進んでいく、マルクスにあっては、生産関係が上部構造を造り人間の意識を形成する、その底にある原動力は生産力の暫増であるという。
 一方、シェーンベルクでは、音楽の歴史は次第に増大するクロマティシズムの歴史であるという。
(筆者註:「クロマティシズム」という言葉は読みにくいし、日本語として発音もしにくいので、「半音階主義」と言い換える。「主義」という言葉は好ましくないが、ほかに適当な言い方がないので原義の意味で理解して頂きたい)。

 階級闘争の歴史がやがてプロレタリアによる無階級社会に到達するように、増大する 「半音階主義」はやがて全面的「半音階主義」に到達し、調性は消滅し十二の音が平等にあつかわれる組織に達する。これはシェーンベルク自身ではなく、その熱心な伝導者ルネ・レイボヴィッツの言葉である。マルクスもやがてレーニンに引き継がれ「マルクス・レーニン主義」と呼ばれるようになった如く、シェーンベルクの思想も本人自身よりも伝導士である使徒たちによって鼓舞伝導されて行った。「シェーンベルク・レイボヴィッツ主義」とでも言った方がよいかもしれない。

 1910年代から20年代頃まで、第一次大戦を通過して生じたヨーロッパ旧体制の崩落、あらゆる価値の流動化と変動と未来への不安、こうした社会状況のもとで、歴史主義の力は最も効果的に作用する。人は誰しも未来を予測できない。それも在来の状況が消滅して、いよいよ未来の予測が出来かねる時、歴史はこう進むという教説は人の心をつよく捉える。この思想が政冶を捉え、音楽と作曲家たちを捉えたのである。20世紀を特徴づけるものは歴史主義であるのだろう。それは、在来のものが崩壊した緒果、未来への手がかりが失われ、その結果、その間隙に成長の場を得たのである。
 その勢いは第二次大戦後に本格的になった。旧いものは倒れ、新しいものが生まれる。この魅力あるスローガンは人の心の弱点をみごとに突いた。「ウェーベルンから出発せよ」のスローガンもまたこの心理に食い込んだ。大戦は終り、大きな変動が生まれつつある。誰しもがあの頃そう思った。米ソの対立が始まった。アメリカは資本主義の総本山。すなわち滅びゆくものの代表である。そして資本主義が滅亡した後に登場するのが社会主義、やがては共産主義へ進む。その体現者がソ連という構図である。
 マルクスが説いた歴史の必然ということも思えば随分都合のよい話である。歴史の必然が自分が望む方にはたらくというのだから。もし、反対に歴史の必然が自分が望まない方にはたらくという研究結果が出たらどうしたのだろうか。この説にははじめからかなりの無理があった。歴史の必然というなら、努力する必要もないではないか、という批判も当時からあった。これに対しマルクスは、「必然ではあるが、産婆がいるように、その必然を促進し早めるために努力をするのだ」と抗弁をした。苦しい抗弁である。
 マックス・ウェバーが言うように、マルクス主義はすでに実証された科学ではなく、ひとつの仮説として扱えば役に立つこともある、という程度のものだったのである。あなたの未来はこうなる、と言われれば誰しも気になる。すなわち科学と学問の形をとった占いのようなものであった。
 1950年代、12音技法の研究会が東京の某所で開かれた。将来を心配する作曲家が多く集まった。本気で、将来、浪曲も子守歌も12音になると信じたのである。社会主義が間近いと本気で思い込んだ人たちとなんと似ていたことか。12音音楽全盛の時代、ダラピッコラのように若干の修正をまじえながらこの技法を使った作曲家もいた。こうした方法に対して、あたかも政治における「修整主義」のように批判した「正統派」もあった。いまから考えればこっけいな話である。柴田南雄氏は「西洋古典音楽は1968年頃を最後にその光栄ある歴史を閉じた」と公言した。ミシュレにならえば「グランド・ミュジク・エ・モルト」偉大な音楽は死んだ!という声が世界を駆けめぐった、と言いたい所であったろう。(つづく)

2008.07.17.木 晴 町田

 この数日、確かにかなり暑い。暑いがまだ本格的酷暑ではなかろう。

 今年は冷夏という話がある。都市生活者には有難いが、暑さが必要な農業などの場では困るだろう。「天気が下り坂」などの言い方もどうかと思う。雨が必要な所もある。天気予報は事実だけをありのままに伝えるべきだ。原油の値上がりで漁船が商売にならず、仕事をやめる事情だ。これから先どうなるのか。イデオロギーの対立など昔の話で消え去った。

 そのイデオロギーだが、日本共産党の党員が党に無断で開いているネットのサイトがある。自由投稿制だ。題して「さざなみ通信」。この世界に、さざなみ程度の活気を生み出そうという動機と目的で開いたサイトのそうだ。
 これを読むと、党本部が触れたがらないこの政党のウラ事情、党員のほんねが読めておもしろい。こんなことは公開した方が党の活力のためにいいと思うのだが、この政党は伝統的にそれはしない。
 とはいえ、中には、党の公式論調よりさらに硬直したとり付く島もないような「硬派」の論客もいる。レーニンがどこでどう言ったとか。レーニンくらいならまだいいが、ローザ・ルクセンブルクがどこでどう言ったとか、書いたとか、グラムシがどう言ったとか。しかも割りと頻繁にこういうのが出る。ひとつのテーマとして論ずるのならそれもいいが、言葉の一部をとり上げて、どうだこうだ、と本気で議論している。こういうのを見ると、もはや、宗教論争、経典問答だ。お経の文句の一つを取り出して、本気で議論している。坊さんたちである。いまどきこんな人たちがいるのだから驚き呆れる。共産圏は崩壊したではないか。何故そうなったか、調べてみる気などさらさらない。あんな共産主義は間違いだ、本物は違う、と言いたいらしい。そんなこと言ったって現実はあの通りなのに。こういう人には現実が見えない。そして、何か経典にすがっていないと生きられない人なのだろう。こういう人たちがオーム真理教にも入信する。これだけの論陣?を張るのだから無教養、低学歴の人とは思えない。世の中にはおそろしいことがあるものだ。


2008.07.16.水 晴 町田

 友人のすすめで読んでいた本、根(こん)が続かず、半分少しの所で放棄挫折。南米コロンビアの作家、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」。

 
魅力的な題だが、自分にはどうしても肌が合わない。この作家は1982年にノーベル文学賞を受けている。何代かにわたる一族の話を延々と書き綴っているが、自分にはどうしても書いてあることが合わない。自分はやはり北国の出であり、こういう南の貧困社会の生活と環境の話は読むのが苦痛である。

 北国は雪と氷の国。冬は半歳以上におよび世界は白銀におおわれる。一歩外へ出ると白い氷雪は地上のすべておおいかくし、汚いもの、醜いもの、見たくないものを消してくれる。一種の仮象の世界が出現する。寒冷、極寒の苦痛もあるが、現実が消される世界である。そういう環境に育った私には、汚いもの、苦痛なもの、泥とか虫とか死体とかいう話は聞くだけ読むだけで苦痛だ。
 私の曲には三和音が多い、不協和音は極度に少ない。きれいなものだけを見たい、聞きたい、それが、ありのままの現実を写すものではなく、迫力と重みに欠けることは百も承知。それでもいい。私は、美しいもの、きれいなものだけを見ていたい、聞いていたい。それが自分の美学であり、自分の世界である。アンチ・リアリズム宣言である。

 ネットによると、この小説は大変な売れ行きだったそうだ。日本の大江健三郎、寺山修司、筒井康隆、中上健次などに多大な影響をあたえたと書いてある。寺山修司は青森の出身で、暗い北国の出だろうに。やはり、青森は、歴史が深く、人々の苦痛と貧困の現実が底深く広がる世界であるのだろう。自分が育った北海道、札幌は違う。北海道は先住民は別にして日本人の歴史はないにひとしい。まして札幌は中都市、小市民的な街。都市計画自体外国人の手になる街である。俗にいえばハイカラ。大宅壮一は日本のアメリカと呼んだ。北海道は本州各地から入植した人たちが、それぞれの土地を開拓して出来た所。方言もあるような、ないような。

 この本を推薦したくれた友人は芸大ピアノ科の級友の女性で昔からの文学少女。先日、ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」の話をしたら、30年前に読んだといわれて、おそれいった。日本訳が出た途端に読んだそう。体調が良好といえないこの人とは電話でしか話できない。折角の推薦図書なのに相すまん。

2008.07.15.火 晴 町田

  昨日は、ゆえあって、六本木のJazz live-houseなるものに行った。

 
飲み食いしながらliveを聞く店。自分のせまい世界に閉じ込もりがちな小生にはまれなる経験なり。

 女性singer三人に、その師匠である男性の歌い手が出演。器楽は、Piano、Base,Drum,Guitarの四人。曲目は「Summertime」、「Sentimental Journey」などかなり古いものもあった。新しいものもあったが、「Summertime」などはMusicalとはいえ、余りに昔のもので古典に属するのではないか。Jazzは現代のもの、という通念もだいぶ変り、もはや、これはこれでclassicではないかと思う。「Sentimental Journey」はことにしかり、進駐軍がはじめて来て、米軍ラジオ放送が始まった頃、敗戦直後にはやった曲だ。はじめてこの種の歌を聞いたので、なんと、たるみ切ったひどい音楽があるものかと唖然とした。それまで、音楽といえば、クラシック、ポピュラー含めてアメリカよりヨーロッパ系のものしか知らなかったから。これもまた一大culture shockであった。
 そのせいがあるのかどうか、昨日気になったのが、器楽の人たちの真剣な演奏の表情。まるで、Beethoven か Schoenberg と取り組んでいるようだ。娯楽、entertainmentの感じではない。Jazzも第二のclassicになったか。いまは、Rockが大衆音楽の主流になったか。日本では演歌、歌謡曲。

 余り感心しなかったのが英語の発音。60年前と少しも変らずうまくない。当時、アメリカのスラングをはじめて聞いて、ひどい英語があるものだとあきれた。「Sentimental Journey」は「セノ、メノ、ジャニー」。「What's the matter」は「ホッサ、マラー」。こんな言葉がいいとは夢にも思わないが、そういう言葉のために作られた歌なら、それで歌わないと感じが出ないのではないか。英国式の別の英語で歌うなら理があろうが、どこにもない日本式英語はいかがなものだろうか。フランス歌曲のフランス語がうまくない、シューベルトのドイツ語がどうも感じが出ないという話はよくある。ある歌い手がモスクワでロシア歌曲を原語で歌ったから「日本語はロシア語に似てますねェ」と言われたそうだ。日本人は外国語の習得が下手な民族なのかもしれない。外人力士の日本語のたくみさに感心する。


2008.07.13.日 晴 町田

 猛暑。でもまだ本格的な真夏とは思えない。屋内から一歩でた時ボイラー室に入ったようなすさまじい暑気ではない。夏は暑くないと困る。昨日は夕方きちがいじみた極地豪雨雷雨突風となった。今日も同じ予報だが、遭遇しないことを祈る。半時もたたないうちにうそみたいに晴れるのだから。
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「音楽の世界」back-number

   今回の文は1998年掲載のもの。前回の文は20年近い前のものだから、だいぶ現時点に近い。この時から以後、社会状況が大変化したわけではないので、いまでもそのまま有効な所説である。ただ、自分自身がもはや議論などする気がなくなっているのでその点だけがいまは違う。今回は二度に分けず全文再録する。

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 1998年4月号「音楽の世界」掲載

 ■論壇 まだわかっていない「現代音楽」の崩壊
                 産経新聞の記事を読んで
                                        助川 敏弥

 
東京オペラシティ・コンサートホールは、開場以来、現代音楽の振興を目的として「コンボージアム」という企画を開始した。以下は産経新聞が伝える報道である。

 オーケストラ作品を世界から募り、世界的作曲家ただ一人を審査員とする「作曲賞」である。審査員がただ一人という所がユニークな点であるという。第1回審査員はフランスのアンリ・ディティュー。本来は審査員には来日してもらい演奏を聴いてもらった上で決めてもらうはずだったが、何かの理由でディテイユーは来日せず、リアルタイムでパリに音を送り審査してもらった。審査はしてもらったが余り期侍に応える作品は現われなかった。始めからさい先がわるかったのである。ところが、第2回はもっとひどい結果になった。二回目の審査員はジュルジュ・リゲティ。応募作品45が譜面審査段階でリゲティにょってすベて送り返されたのである。当然、リゲティの来日も中止。再考を乞うたが「独創性が見られない」との返事。なんともみじめな結果である。

 産経新聞によれば、この企画はもともと武満徹によるもので、武満が推した作曲家を審査員にするものだったが、武満亡き後、その影響力と人脈だけを頼りにしていた企画は哀れご威光消滅の憂き目に会う結果となったということである。サントリーホールの「国際作曲委嘱シリーズ」なるものも、武満が企画していたので最近は同様の斜陽をたどっているという。
 武満の影響力がいかに大きかったか、その武満にだけ依存していたことが今反省を求められている、という産経紙の論調だが、果たしてこれはそういう話だろうか。「現代音楽」のあり方を根本的に反省すべきであることがこの話の教訓ではないのか。武満がどうしたという話にしてしまうのでは中身が間の抜けたものにすり替ってしまう。そもそも、作品の審査が、ある特定の人物の存在如何によって変化するとはどういうことか。審査員は何を考えて音楽を審査しているのか。音楽は一体誰のものか。この記事の論調の中にすでに「現代音楽」の異常さが含まれているのである。折しも今年度の「尾高賞」は該当作なしと決まったという。現代音楽がなぜ人に愛されないのか。まさにそのことを考え直すことこそ肝心なことではないか。

 世界が狭くなったといわれ、国際化が進んだといわれるが、日本はまだまた欧米からは片田舎である。音楽ジャーナリズムはことに無邪気である。お目出度いとでも言おうか。英語ではこういう場合「ナイーヴ」という言葉を使う。「阿呆(あほ、ばか、まぬけ)」という意味に近い。
 欧米の音楽関係者との話でたびたび出るのが「現代音楽マフィア」の話である。「現代音楽マフィア」とは何か?ある国または地域で、特定の作曲家たちと、マスコミ、メディア、つまり、新聞雑誌、放送、時にレコード業界、さらに、文化行政までがつるんで独占的世界を形成し流通と利益を排他的に独占することである。彼等は国際的に網を組み独占活動を推進する。アメリカやヨーロッパの音楽関係者は事業家も含めて、この「マフィア」の活動にはほとほと閉口している。「マフイア」は売れない側の作曲家のひがみが生み出した幻想ではない。実在するのである。幾ら売れない現代音楽とはいえ、それぞれの国には相当数の作曲家がいるのである。その中でどうしてこんなに数少ない特定の人の名前だけが何度も何ども現われるのか。それもなるほどと思わせる立派な作品を持っている人ならともかく、何でこんな人がと理解に苫しむ場合が頻々と起こる。日本の音楽ジャーナリスト諸君よもっと勉強したまえ。

 マフィアの勢力はヨーロッパでは特にイギリスが凄い。イギリス「現代音楽マフィア」の勢力にはドイツやアメリカの事業家が手を焼いている。朝日新間紙上で音楽評論家の岡部真一郎が、現代音楽と聴衆との距離を埋めることを期待して、この五月に開かれる「英国作曲家フォーラム98」のことを書いている。この企画の内容についてはまだ知らないからなんとも言えないが、英国の実情を考えれば無邪気に期待する気にはとてもなれない。しかし、このマフィアの話にしても、勝手な独占は確かにけしからんことではあるが、それ以前に、音楽の真の所有者である聴き手が全く無視されていることの方が異常である。いや実は無視されているのではなく聴衆が不在なのである。居ない者は無視するほかない。本来は聴き手があって彼等こそが音楽の審判者であるのだが、審判者がいないから別の者がその地位を占めることになる。その結果からマフィア現象も生まれる。
 産経の記事に戻れぱ、現代音楽が聴衆を置き去りにしたことへの反省が世界的に見られるという。結構なことである、しかし、記事によれば、例えば「ライブハウス」のような一体感を演出しやすい空間が注目されているという。これはとんだ見当違いである、こういうトンマなことを考えるから現代音楽の病気は一向に治らない。昔、共産圏時代のポーランドで、物資不足のため長い買物の行列が出来ているのを見た大統領が「すぐに手を打つ」と言って、椅子を沢山持って来させた、という笑い話があったが、このライブハウスの記事はこの話を思い起こさせる。肝心なのは音楽の中身であるのに。

 今年は文学の方も、芥川、直木、両賞が該当作なしだそうである。この件についての記事の中で、審査員、井上ひさしの談が新聞に出ていた。井上は「読者との共同のいとなみとしての文学」という言葉を語っていた。これこそ文学に限らず芸術芸能すベてにとって根幹をなす名言である。音楽における「聴き手との共同のいとなみとしての音楽」とはライブハウスをやることではない。音楽が、聴く人々と共有の心を歌っているかどうか、とうことである。古今東西のすぐれた芸術芸能はだからこそ、いつまでも人の心に訴えるのである。人々の喜びや悲しみを歌うことである。
 産経の記事によれば、新進作曲家の権代敦彦は「聴衆と自分を結ぶのは唯一、時代を共有していることだけ」<と言い切る>、のだそうだ。この<>の部分は記事そのままである。<聴衆との結びつきが××だけ>、などという言い方も不遜だが、この話を<言い切る>などと、まるで偉いことのように書く記者の方も救われない。

 「音楽の友」誌の新年号が「二十世紀最高の音楽作品は何か?」というアンケートを読者と専門家から募った所「春の祭典」「薔薇の騎士」などが上位を占め、ブーレーズもシュトックハウゼンもペルトも出て来なかった。前記の岡部真一郎は、スティーブ・ライヒのオペラ「ケイヴ」や「ブーレーズ・フェスティバル」が成功したのだから、最高の演奏で音楽としてのすばらしさを実感させれば「難解」というハードルは超えられると書いている。この人も問題の要点が一向に分っていない。「ケイヴ」など真面目に生活者である市民には無縁の代物である。何を見たり聴いたりしたのか知らないが、こんなものは人々に愛されるわけもない独善的な遊びである。「ブーレーズ・フェスティバル」に人が入ったのは別の理由からである。この人もまったく分っていない。(おわり)

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あとがき
ー2008年7月13日のの現時点で
   この文を書いた時点では未来であるため控えめな表現をしたが、文中でふれた、「英国作曲家フォーラム98」はなんの話題にもならなかった。スティーブ・ライヒのオペラ「ケイヴ」も同様。これを追跡する評論もない。音楽の本義とはなんであるか、分らぬまま評論も作曲も続けているのか。議論からして沈滞消滅。かしましいマフィアも消えたようだが、まともなものまで巻き添えで絶滅に向うのでは困ったことだ。
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2008.07.11.金 曇 町田

月刊「音楽の世界」より再録
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怪談「Music Tomorrow」
         現代音楽論にかえて- (2)


作曲家の意識について・・・
    権利ばかり主張する

 
かつて東京芸大で教えている作曲家と話したことがある。彼は、現代の音楽が社会に受け入れられないことは遺憾なことだが、しかし、その原因は、作曲家の側だけではなく、受け入れようとしない社会の方にもある、という言い分だった。

   これも理屈としては可能な言い分かもしれない。しかし、社会は余りに広く大きく、音楽は余りに小さい存在である。天動説と地動説の例えがあるが、この言い分はその出発点において天動説である。自分を中心に置いてものを考える。だから、この発想から出発すると、作曲家の立場としては、できるだけ作曲家のあり方を広く肯定させようとする。「これでも否定はできないはずだ」「こういうものもあっていいはずだ」「こういうことをして何故いけない」という風に。しかし、それぞれの主張の是非は別にして、作曲家の側も、自分を中心に置かず、どうすれば音楽が社会との結びつきを可能にし、拡大できるかを考える、という反対の側からの考え方があってしかるべきではないか。現代の作曲家にはまるでその考え方がない。権利ばかり主張して自分の役割を反省しようとしない現代の一般風潮がそのままここにも現れているようである。円を想定すれば、円周に近い外延へ同かって自分の座標を置くことばかり考え、その権利を主張する遠心的方向の発想ばかりである。そうではなく、いかにすれば社会への機能を回復できるか、という求心的な発想が欠けている。どうしてこうなったのだろう。余りに自分達が作る音楽が世間から相手にされないのでグレてしまったのである。

お客無視の行き着く所

 
こうしてグレた作曲家たちは、それでは誰のために作曲するのだろう?

 もし売れる仕事なら、どれだけ売れるかで社会のランクが決まる。またそれが目標にもなる。より売れることを目標に頑張る。しかし、そもそも喜んで聴く相手かいない音楽を作る場合どうなるか。はじめから売れる売れないなど眼中になく、売れようが売れまいが、黙々として自らの信念に基づいて聴く相手がいない音楽を作り続けるかもしれない。これなら倫理的には立派である。しかし芸術家にもそうよく出来た人ばかりいるわけではない。カネもほしけれは名声もほしい。しかし、売れないのだからカネの方は無理である。しかりとすれば残るはもう一つの方、名声である。ここにおいて名声の作り手が登場する。マスコミといいたいが、マスコミほど立派な規模のものではない。これまた一般社会からは有るのか無いのか分らない、関心も持たれない、小さなジャーナリズムである。現代音楽評論界である。その緒果により、ナントカ賞が出され、小さなジャーナリズムは写真を載せ、大新聞もこの時だけは文化欄に少しは書いてくれる。そして彼の経歴には**賞受賞という一項目が加わる。有り体に言ってしまえば、現代の作曲家の、全部とは言わないが、ほとんどはこの目標のために作曲しているのである。こんなみっともないことを本人達が言うわけがないし、お相手をしている小さなジャーナリズムもそう考えると余りにわびしくなるので考えないことにしている………といいたいのだから、実はそうでもない、もっとわるい。
   自分たちの営みがこのように貧しくわびしいものであることが気もつかれず、この名声が立派な芸術的成果の証しであると信じ切って、形而上的な価値を創造したと信じている。 カネになるものなら、売れなくなれば、そこでいやでも反省を強いられるが、始めからカネにならぬことを承知で、生活のための収入源は別に用意してあるのだからカネにならなくても少しも困らない。かくして反省の機会は全く存在しないから、考えが改まるはずがない。

細川、西村、作品は話にならない愚作

 こうした状況から「未来の音楽」とか「明日の音楽」という発想が生まれるのである。現代では相手にされないことを自分から語っているのである。自覚せずに自分たちの有様を漏らしてしまった結果がこの名称である。もっとも、それがヘンなことという自覚がないから、むしろ立派なことぐらいに考えているのだろう。終りに、今回「Music Tomorrow」で演奏された細川作品と西村作品はどちらも話にならない下らない音楽である。こんなものをチヤホヤする評論家とは「ワレ鍋に閉じブタ」のいい組合せである。
(おわり)

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 あとがき
 

   この文が出てからすでに永い日時がたった。この間に日本の作曲界もだいぶ様子が変った。当時、自称前衛主義を独善的に鼓吹した雑誌は廃刊となった。いいことである。その代り、評論界に活気がなくなった。皮肉な結果である。根本的には、東西の冷戦対立が共産圏の崩壊という歴史的事実のために消滅したことが原因だろう。是か非かの対立がなくなったから、何を以てよしとするかは個人が自分でそれぞれ決めなければならない。未来への期待過剰が破産した結果、虚無的無力感が登場した。批評も力がない。激しい議論もない。これもまた不甲斐ない。


2008.07.10.木 曇 町田

  月刊「音楽の世界」はこの七月号で創刊500号を迎える。出版社によらず、音楽家が自身で発行した雑誌としては、その昔のRobert Scumannの前例があるだけだろう。これまで自分が掲載した自筆文をここに再提示することにする。すでに20年近い過去のものだから出版権の侵害にならないだろう、むしろ宣伝になろうから暫時再録することにする。
 今回の文はいつ頃のものか忘れたが、1980年代の終り頃のものと思う。
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月刊「音楽の世界」より再録

怪談「Music Tomorrow」
         現代音楽論にかえて- (1)

  
 現代音楽のあり方が問われている。この特集も、音楽一般の中で特に「現代音楽」についての論考が主役となっていると思う。ところが、ここに、この当然の前提すら怪しくする奇々怪々な名前の音楽会が登場した。この話は単なる音楽会の名前の挙げ足とりなどではない。こういう名称を発想するという、その意識のあり方が即ち今日の音楽状況を、それも病んだ状況を申し分なく表わしていると思われるからである。

 五月始め、「Music Tomorrow」という名の音楽会が開かれた。毎年恒例のN響の演奏会で、数人の作曲家の、新作と、優秀と判断された最新作の再演とを行なう。少し前まで「Music in Future」略称「MIF」ミフと称されていた。今年は細川俊夫の新作と西村朗の再演とが行なわれた。両方の曲とも昨今の世間の風評とは全く別の評価を筆者は下さざるをえないものだったが、それよりも、ここではこの音楽会の名付けに表われた意識とその背後にあるものをとりあげる。

 現代の音楽、現代の人が現代を表現するめに作った曲、それが現代音楽であるという考えはそれなりに理の当然である。新作に対し「現代を忘れないでほしい」などと書いた批評もあった。ところがここに、「明日の音楽」という名称が登場した。その前の「未来の音楽」も同様である。「未来の音楽」、「明日の音楽」とはなんぞや?「未来の音楽」とはなにか?現代的でないとか、あるとか、議論はあったが、現代をさらに飛ばして「未来の音楽」が現われた。ここまで来ると、音楽と社会のあり方についての精神医学的な診断が必要になる。すなわち、現代の音楽のあり方の中に潜む多分に異常な思考が、ついに正気で考えれば論理の矛盾ですらある観念とその名称化を生み出したからである。
 「未来の音楽」とは、現代人のためではなく未来の人のための音楽ということか。現代は聴かれないし、聴いてもよく分らないが、未来の人にはおおいに理解され喜ばれるということか。あるいは現代人には全く関係ない、未来人のための音楽ということか。語るに落ちるというが、この名は考えれば考えるほど不気味な意味合いがこめられているし、そして、さらに考えると不気味どころか喜劇的であることが分ってくる。

いまは認められなくとも未来に真価が、という考た方の盲点

 聴き手不在の現代音楽ということは、いままでもことあるごとに論じられてきた。これに対して作曲家の側の言い分は様々であり、中には、避けることができない立場にあって苦渋する良心的な告白もあった。
 しかし、かなりの多くの考え方は、「いまは理解されなくとも未来に真価が認められる芸術がある。それ故に現在聞き手に歓迎されない音楽も、ただちに価値無しと考えてはならない」というものである。この言い分は一見もっともで否定しにくい。しかし、ここで終りにするわけにはいかない。
 その時代に認められなかったものが、少し後になり認められて大変立派なものであると評価されるようになった例は確かにある。モジリアニしかり、ゴッホしかり、あるいはバルトークもその中に入るかもしれない。しかしヽモジリアニやゴッホ、あるいはバルトークは、自分の音楽を同時代人に分ってもらおうという努力をしないで画や音楽を作っていたのだろうか。自分の作品に同時代人は用がない、自分は未来のために書くのだと考えて仕事をしていたのだろうか?それならば、同時代に認められなくとも当人には当然のことで何ら悲劇的なことではないではないか。
 幾ら努力をしても世に受け入れられなくて「その内きっと分ってもらえる時がくる、それを信じて仕事しよう」と考えたことはあったかもしれない。しかし、そのことと「オレは始めから同時代人など眼中にない。未来に認められればいいのだ」という考えで仕事するのとは天と地の違いではないか。
 この世の人間の数が一万人として、ここに同時代に10人の人にしか分ってもらえなかった音楽があったとする。やがて次の時代には百人の人に愛好されるようになり、次の次の時代には九千人の人に受け取られるようになった(残りの千人はそもそも音楽に関心がないのでこれは致し方ない)。しかし、もしそうなら、この音楽は、始めに作られる時に、10人だけを前提に作られたのだろうか。もし10人だけを前提に作ったものであれば、11人目が現われるはずがない。
 確かに分りにくい音楽と分りやすい音楽の違いはある。しかし、分りにくい音楽であっても、また、しばしば聴きたくなる音楽ではなくとも、同時には少数の人しか聴かない音楽であっても、いつかその少数者の一人になる可能性は、ほとんど全ての音楽の聞き手に及ぶという音楽がある。こういう音楽は難解であっても、また、はじめは「10人」向きであっても、作曲者は、本来すべての人のために作ったのである。だからこそ、最初から、九千人へのメッセージがこめられていたのであって、それが解読されるまで時間と手間がかかっただけである。
 「審判者は歴史である」という言い分は一見もっともに聞こえるがトリックでもある。この前の戦争が侵略戦争かどうか、と詰問された政治家が「それは将来の歴史家が判断すること」と言って逃げるのと同じである。(つづく)

2008.07.09.水 曇 町田

 
Violinの中野恵さんから、「町田会」の写真が電送されてきた。便利なもの。ついでに地下鉄の新線、副都心線の各駅に大きな美術が壁に画かれている写真も、各駅ごとに写真が送られてきた。日本もカネモチになったものただ。落書きの防止にもなるそう。

 「アイルランド幻想」という短編小説集を読む。どれも神秘的で物悲しい話。
 イギリスといえば、日本のように地球上の遠隔の地では、世界地図の上で大きい島と左側の少し小さい島とひとまとめでイメージしてしまう。しかし、左の小さい方の島はアイルランド。もとは別の国だった。いまでも本来は別の国だ。だから正式には「連合王国」The United Kingdom、という国号になる。欧米の人たちの中には、日本と朝鮮の区別がつかなかったり、日本は中国の一部と思い込んでいる人たちがいると聞いたが、こちらも人さまの無知無関心のことはいえたものではない。

 大きい方の島の方とて、下半分がイングランド、上半分はスコットランド。もとは別の国だった。昔は戦争をしてひどいことがあった。日本も戦国時代があったし、関ヶ原の戦いなどあって統一に至ったから、これは他国のことはいえない。

 イングランドという国はひどいことをした。スコットランドと違い、民族も文化も言語もまったく違うアイルランドに勝手に乗り込んでいって大殺戮をして住民を追い立て土地を奪った。アメリカでの先住民族への迫害、インドやオーストラリアなどの話はよく聞くが、そんな遠隔の地での異民族相手のことではない。つい隣の国だ。日本でいえば、四国か九州へ乗り込んで暴虐の限りをつくしたようなものではないか。クロムウエルというのが悪い奴だった。西洋史では清教徒革命の指導者ということで悪党とは教えられなかった。この人がアイルランドへ乗り込んでいって大虐殺をやった。大悪党。それもそんなに大昔のことではない。古代ローマとか中世のことではない。1600年代だから、まだ300年少し前のことではないか。いまもIRAが武装テロをやっている。これも積年の恨みつらみの果てだろう。

2008.07.08.火 ときどき雨 町田

 
五日の土曜日は、通称、町田会というグループの会合、作曲の先輩、真鍋理一郎さんを迎えて飲んだり喰ったりの会。いままで町田でやっていたが、こんどは新宿。真鍋さんは小田原在住、私の仕事場が町田ということで町田開催になっていたが、都心から来る人たちのために今回は新宿になった。幹事役の橘川琢君の尽力による。個室がとれたので上等のいい気分だった。七人参加。予約時間の二時間はたちまち過ぎる。あと数人で二次会、同じフロアのワイン・バーへ。自分はそれでもalkoholeはかなり自粛した。こんな集いも何時まで出来るものか、年をとると人の世のはかなさが身に沁みるので、ついそんなことを考えてしまう。人は明日をも知れぬ命を生きている、ベルグソンの哲学は若い人には実感が持てないようだ。無理もなかろう。山小屋のような危険な場や、戦場のような所にいる時はどんな人にも実感として迫るのだろうが。

  数日前、そば屋へ入ったら、有線放送で「ジョスランの子守唄」が聞こえてきた。なつかしい。声楽を勉強していた姉が二十歳くらいの時、この曲を放送したことがある。もっともduettoだったが。NHKの札幌放送局からの、当時のことだからナマ放送だった。一家で緊張の極でラジオに耳を傾けた。低いrecitativoふうの始まりがduettoで聞こえてきたが、なにか御詠歌か経文のように聞こえた。姉は声楽に自信があり、女声合唱団に属し、指揮者だった故伊福部昭先生ともかなり親交があったようだ。放送の当時私は小学校低学年か学齢以前。姉はいまも90歳で健在。それにしてもこの曲はいい曲だ。楽譜を研究してもよく出来ている。近藤朔風の訳詩がいい。最後の所「マリアよ守りませ」、という所が中世風の和音とよくあって絶妙。ゴダールという人は、この曲だけで知られるが、Violinistで作曲家、パリ音楽院で室内楽の教授をしていたそう。「ジョスラン」というoperaの内容を知りたいがネットでもこれは出ていない。


  
日の午後、NHKのFMで、宮沢賢治自身の作曲による「星めぐりの歌」を聴いた。小アンサンブルと藤原真理のV'celloによる。アンサンブルといってもシンセサイザーによること明白。和音はあきらかにおかしいし、電子音の使い方が劣悪をきわめる。賢治の原曲は多分旋律だけだろうから、この間違った和音は編曲者がつけたもの。藤原さんのsoloも音程がどうもおかしい。こんなものが売りに出されていることに一驚した。

2008.07.05.土 晴 町田

 
昨日は今年はじめての夏日だそう、今日も暑い。夏日の到来は例年より遅れているそうだ。温暖化の時期に夏日が遅れるというのも皮肉な話。

   早朝のNHKラジオ番組の話を録音しておいてあとで聞く。「心の時代」という番組。時になかなかいい話が聞ける。童謡協会の作曲家、伊藤某氏の話があった。山小屋で音楽を聞く会を開くと、pops系の音楽はなじまないのだそうだ。山小屋は峻険な所にあり、遭難事故があると救助に向うのも小屋の人たちの仕事である。死者が出ることもある。下山の時はSchubertの「冬の旅」を歌いながら降りるそうだ。pops系の音楽は金儲けをあてこんでいることが分り、こういう場での人の心にはそぐわないという。
 私のpianoの恩師の一人は伊達純先生だつた。すでに故人になられたが、先生は年代からして兵役につかれたことがある。中国戦線に従軍され、占領した町の小学校に泊衛した時、pianoがあった。兵士たちから、何かひけといわれた。大衆的なものの方がよかろうと思い、当時の流行歌などをひくと、「違う、クラシックをひいてくれ」と言われるそうだ。明日をも知れぬ戦場のひと時、人は、そういう心になるらしい。作る方も命がけで作ったものでないと受け入れることができないようだ。音楽だけでない。人間には商品的なものだけでなく、シリアスな芸術がやはり必要だ。
 今晩はひさしぶりで「町田会」、作曲の先輩、眞鍋理一郎さんと私を囲んで、若い人たちが音楽談議、なんでも談議をする。町田で開いていたが今回は新宿西口のライオン。

2008.07.01.火 晴 町田

 今日から七月、今年も後半に入る。まもなく年が終るだろう。時間が飛ぶように過ぎる。

 河野多恵子の小説「秘事」を読む。これには感心した。敬服した。およそ、小説には不幸と異常が必要というのが通説、通念ではなかったろうか。かつてトルストイが語ったように、「幸福な家庭はどこも同じだが、不幸な家庭は一軒ごとに事情が違う」。文学にとっては正常普通というのはまことに御しにくい材料であったようだ。しかし、この「秘事」はまさにその最も扱いにくい題材にいどみ類い希な成功をおさめている。一流総合商社の社員、大学を出て入社、末は常務まで昇進し、送り迎えの車が来る身分までに達する。入社から始まり、57歳で妻が死ぬまでの人生を淡々と画く、いまにも退屈しそうで退屈しない。たいへんな筆力である。私は、Mozart の音楽を聞いているようなおもいがした。
 
 音楽に例えれば、tempoはmoderatoの弦楽四重奏曲、不協和音があるわけでなし、突然のforte があるわけでもない、tempo もそのまま、二つのテーマは過度の変形も展開も経るわけでなく、穏当に全曲にわたりいきわたる。現代で最も常識的で、しかも恵まれた職業の人物をとりあげ万事順当、しかも、それでいて、人が生きることの深い味わいというものが、いつのまにか伝わってくる。
 これは音楽にとってもひとごとではない。不協和音がないと現代音楽にならない。現代の不安をささやかないと現代音楽ではない。何事も無いと現代を忘れるな、などとの妄言が飛ぶいまの作曲界への手痛い批評である。この小説自体が現代芸術の俗論への無言の批評だ。


2008.06.30.月 曇 町田

 三日ぶりで町田。28日土曜日は日暮里サニーホールで小演奏会。Violinの中野恵さんが自分のViolinとpianoの小曲「空想の岸辺」を初演してくれた。事前に練習の録音をMDで数回も送ってきて、こちらから注文を出すという段取りを経たので、ほぼ思い通りの演奏となった。終演後、主催者の招待で小宴席、質素ではあるが酒肴の類い、量は多かった。その後、二次会ということで、中野さんのスタジオに移動、またもや宴会、若い男性が多く、元気がいいが自分はお酒自重中で途中で退席した。
 昨日は一日雨しとどに降る。町田に来る気力なく在宅した。作曲の北条君に午後六時に会う約束があり、そのためだけに外出。北条君はビアソラの曲をpiano、solo曲に編曲してこんど出版することになり、その推薦前書きを頼まれた。意外に大きな版の楽譜でB4版、A4版がゆっくり入るカバンを持参したが、B4は入らない。カバンとは別に手で持って帰る。雨の中、一日うちに居ると気がめいる。

 フルガーコフの長編「巨匠とマルガリータ」、読了した。同じ作家の短編を納めた岩波文庫を借りたが訳がわるくて読めない。悪訳の本は疲れる。まともな日本語に直しながら読むはめになる。自分が読んだ「巨匠とマルガリータ」は別の人の訳だ。中田恭訳、郁朋社刊。


2008.06.27.金 晴 町田

 
昨日は雨のち曇。今日は危なげながら陽が差す。

 北朝鮮問題ではアメリカはみごとに日本を裏切った。というより、國際関係というのはこういうものだろう。知ってか知らずてか、対米追従を続けてきた日本政府、懲りも無くその政府を支持し続けてきた国民。すべての国民は自らにふさわしい政府を持つ。
    福田総理は「日米関係が不調になれば喜ぶのは北朝鮮だ」という奇妙な言い分を披露した。拉致被害者家族にはどう聞こえただろう。対米追従60年余、この裏には、これで利権をえている者たちがいるのだろう。アメリカでもそうらしい。日米安保に関心を持っているのは政治家でも役人でもほんの僅かで、日米安保族というのがあちらにもいて、それで利権をえている種族がいるそうだ。国会のねじれであきれるような裏事情が次々暴かれた。國際関係でも同じと推測するのが順当だ。

 外交官だった故三宅和助は私の中学の同級。彼の著書「外交に勝利者なし」を読んだ。「外交は戦争とは違う。相手をたたきつぶすのが目的ではない。あちらを立て、こちらも立てて、その中で自分側の利益を確保していくものだ」、という彼の説にははじめ感心したが、そのうち疑問が出て来た。そういう対応をするなら、どこかにゆずれぬ一線、原則を立てておかないと、強腰の相手にずるずると際限なくゆずることにならないかということ。今度の結果はまさに私の杞憂が現実になったことを意味する。安保を大事にし、在日米軍にカネまで出して、イラクかアフガニスタンまで手伝いにいって、洋上給油までして、強行採決までして、忠勤、忠犬ぶりを発揮してきた結果がこれ。愚かというより、これで利権を得ている者たちがいる。彼等をたたき出すこと。彼等は愚かでも卑屈でもない、自分の利益をほしいままにしていた。

2008.06.25.水 曇 町田

 
死刑反対の声がかしましい。

 鳩山法相が非難されている。しかし、こういう言い分の中では、刑罰というものの原義と目的の中に含まれているあるものが故意か知らずてか無視されているのでかろうか。あるいは素通りされているのではなかろうか。刑罰には加害者に対する被害者側の報復という目的が含まれているのではないか。報復ということは考えたくないことかも知れない。だから、公的な立場の人は言い出しにくい。言いにくいことだから、誰も言わない。憎まれ役は誰も引き受けたくない。だから実際はに存在するのに、しないかのように、話がウソの軌道の上で進む。残虐非道な犯罪を犯した者になんの寛大さが必要か。被害者は殺人の場合すでに生存していない。しかし遺族はいる。自身の親族を非道な、しかも不等な仕打ちで苦痛の上殺害された人はどんな思いでいるか。

 寛大さを言う側は、抑止ということをしきりという。しかし、抑止は将来未来に属することである。まだ来ない未来のことより、すでに起こったことの方の処置を優先すべきである。抑止という考え方の中には因果関係の論理がある。人は世界の因果関係をどこまで知ることができるのか。因果を論ずるなら、刑罰と抑止という現在→未来の因果関係より、すでに行われた犯罪の実行行為という過去と現在、いまこれから行うべき刑罰という関係の方を先に片付けるべきだろう。現在→未来、よりも過去→現在の方が先だ。


 
いかに考えたくない報復ということでも、人にの中にはあるものはあるのだ。あるものをないかのごとく見ないで通ると、いつかとんでもないことが起こるぞ。

2008.06.24.火 晴 町田

  
昨日は一日曇天、夕方一時雨。陰鬱な日。新作が熟考の時でもあり、うちにいた。今日は、四日ぶりの快晴、こころよい陽光を拝す。

 ミハイル・ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」をひたすら読む。すごい小説。奇想天外というのか、空想縦横、天衣無縫というのか、読んでいる方の頭がおかしくなりそうだ。作家「巨匠」の愛人の人妻が悪魔の招きで魔女になり、全裸で夜のモスクワを箒に乗り、空に飛び立つ、行く先は悪魔の舞踏会、そのヒロインとなる。舞踏会にやってくるのは、過去数百年の間の暗殺者、暗殺された者、続々と正装して挨拶にやってくる。150人の大orchestraがワルツを演奏する。その指揮者はヨハン・シュトラウス。そして、突如2000年前に飛躍してゴルゴタの丘のイエスの処刑とローマ総督ピラトの場面に移る。
 燃やしたはずの原稿が、悪魔によって暖炉の中から少しも燃えずに取り出される。「原稿というものは燃えないものです」、という悪魔のセリフに芸術の不滅を信じた作者の思想の宣言があるのか。読んでいると常識的な秩序の方を無視したくなる。自分の新作がそういう展開をしているところだから刺激を受ける。


2008.06.22.日 雨 町田


 
本格的な雨。梅雨本番の到来。雨が少ないことも異常だから、これもまた自然の循環として受けるべきであろう。「巨匠とマルガリータ」、仕事場までの電車内でも読みたいので持参する。厚い本の重みがややこたえる。自転車ならかまわぬが、雨の時は徒歩。荷物が重いのはなんとも。

 音楽の統一性とはどういうものだろうか。ドイツ音楽はこの統一性を重視する。しかし、これも盲目的なドグマになると馬鹿げたことになろう。「春の祭典」の全曲の最後に曲頭のFagottoの主題を再帰させる珍編作を作った人がいるそうだ。こういうことをするのはドイツ人である。この曲、「春の祭典」には統一的motiv, theme的な要素はまったくない。ないが曲の一貫性はなんら不足していない。肝心なことは表現意図の一貫性であって、この音形がどうしたこうしたというものではなかろう。この統一の原理を全面的に無視してみたらどうだろう。その方が自然な自己表現が出来るとすればそれも可能ではないか。美のために無視できない法則はない、とはほかならぬBeethovenの言葉だ。

2008.06.21.土 曇 町田

 
これを書いている午後の時点では曇で陰々滅々の空だが、まだ降りだしてはいない。予報によると途方もない雨が襲うという。
 
 図書館からStorm を借りたが、本命は別の本。ロシアというより旧ソ連の作家、ミハイル・ブルガーコフの長編「巨匠とマルガリータ」、予想はしていたが、おそろしく分厚い本だ。この人は、生前、反体制派とみなされてほとんど世に知られることまれな悲惨な生涯を送った。この作品は、11年かけて完成、完結直後に作者は世を去った。話はスターリン治下のソ連モスクワから、2000年前のエルサレム、イエスが十字架にかけられる時、ローマ総督ピラトの身辺へ飛ぶ。、ピラトとイエスの息詰まる対話。そして悪魔集団の登場、それも現代、スターリン治下のモスクワへの悪魔の登場。縦横無尽の幻想の世界。まさに天才の飛躍だ。
 自分の作曲もまた、不可思議な飛躍の様相を呈してきたので共感がある。私の音楽は、無調から民謡風、童歌のような純な旋律、そしてロマン派風の深い和音の世界、それらを全て一つの曲の中に含む時空を超える様を呈してきた。生涯の末に、これまでの常識をくつがえす世界へ飛躍したい。


2008.06.20.金 曇 町田

 
図書館で、Theodor Storm の短編集を借りた。岩波文庫。昔、学生時代に「遅れ咲くバラ」、「Spate Rosen」 をドイツ語の対訳で勉強した。それと「みずうみ」、「Immensee」、これも訳書で読んだ。何十年ぶりの再会であり再読である。いま読むと、美しい人生詩篇とは思うが、やはり少し物足りない思いがする。Storm の文学は60歳過ぎての文学だと若い時誰かに言われた。いまそのさらに上の年齢になって再会再読した次第だが、なるほどさようか、という思いには正直至らない。音楽ではRobert Schumann あたりに似ているような感があるが、Schumann はもう少し人間の内面の不可解な部分にまで立ち入っているように思える。これはこれで、人の世の得がたいある場面の叙情なのだろう。とはいえ「みずうみ」の始まり、品格ある老人が夕方の散歩を終えて自宅に帰るまでの場面はなかなかいい。日本は若いことばかり礼讃、老齢は歓迎すべからざるものとしてしか扱わない。年寄りが若い者に負けないで、飛んだり、はねたり、泳いだ、登った、とはやし立てる。しかし、老齢者の美というものがある。ドイツの街ではこういう老人にたびたび出会う。若い人はに決して得られない風格、落ち着き、重厚な品位、そういうものがあるではないか。高齢社会の時代に入り、こういうことも考えるべき時だ。

2008.06.19.木 曇ときどき晴 町田

 
全国的に悪天の予報だが、東京は曇でときどき陽光がさす。岩手、宮城の被災地にはわるい雨が降りそうで気の毒。
  
 アポリネール詩集を読む。堀口大学の訳詩がとてもよい。やはり翻訳もまた文学だ。アポリネールという人は母親がポーランド人の私生児だそうだ。ショパンと同じポーランドの血筋の人、この国は天才を生むのだろうか。
 同窓会での上杉春雄君の演奏を賞賛する声がいまも届く。それほどあの演奏はみごとだった。これだけの演奏家に出会えたことは人生のさいわいである。
 

2008.06.18.水 曇ときどき晴 町田

予定より長きにわたって更新できなかった。

 14日土曜は母校旧制札幌一中、現、南高等学校の東京同窓会。九段のホテル・グランド・パレス。ピアニストの上杉春雄君が私の作品を演奏してくれた。

 前日にほかの実行委員から電話あり、一中の応援歌と優勝歌の指揮してほしいと。ところが、この二つの歌、楽譜がない。事務所で探してもらうが、そもそも楽譜が存在しないらしい。もともと、楽譜を見て歌うという性質の歌でなかった。昔の男子校は蛮声をはりあげて歌うだけで、そういう時代のそういう歌だった。しかし、指揮をつけるとすれば、少なくとも、歌い出しの音くらいは揃えないわけにいかない。記憶により手書きで楽譜を書く。電話が一日前ならコンピュータで即座に印字したのだが、自宅の器材には楽譜入力のソフトが入っていない。記譜するとなると音域の問題が出てくる。多分こんなところだろうという調性で記譜したが、歌ってみると、優勝歌の方は少し低すぎたようだ。今日、コンピュータ印字して同窓会に送る。適当と思われる調性で記譜する。記憶による採譜だから、記譜者名、印字者名、印字年月日を銘記する。歴史資料として保存の始まりである。旧制中学の卒業者は年々減っていくのだから、放置しておけば、歌を知る人も、歌自体も絶滅する。楽譜は音楽の文字であること、文字を持つことは文化の始まりであることを再認識する。

 上杉君の演奏は、知情意尽くした申し分ないものだった。「花の舞」という曲は今回が初演。忘れている部分もある曲だったが、思い残すことない名演だった。上杉君は医師でもある。大変な能力の人がいたものだ。今回の同窓会は参列者が400人を超えた。大宴会場は満席。着席形式で座席も決められているから結婚披露宴と同じ形式。それでも自然雑音みたいなものはどうしても発生する。これは致し方あるまい。参列者はこぞって謹聴してくれた。
 そもそも、集会に正式の音楽が登場すること自体、旧制時代の者にとっては隔世の感である。新制になって日本中の学校が変った。男女共学になったことも大きな要因だろう。


2008.06.12.木 雨のち曇のち晴 町田

 朝から激しく降る。午後、やみ、のちに陽光。

 明日から二日は仕事場に来れない、このサイトの更新もできず。この頃、サイトのカウンターによれば、多くの方々が読んでくださるようで衷心から感謝にたえない。爾後二日間はご猶予。

 こういうサイトは公開になるのか、私的表明にすぎないのか。分らない。しかし、少なくとも、不特定の多くの人たちに自文を読んでいただける場であることは間違いない。往時の中国の壁新聞みたいなものか。自分の論説を多くの特定しない人たちに読んでほしいという願望はとげられる。それがなかった前の時代は、活字を独占する人たちがその場と権利をほしいままにしていた。グーテンベルクまで、教会が聖書を独占したのとまったく同じである。

 14日土曜は、母校の札幌南高校、旧札幌一中の東京同窓会、後輩で医師でピアニストという異色の人、上杉春雄君が会場で私の作品を演奏してくれる。有難いこと。わが生涯の最良の日である。そのほかに簗田貞の「城ヶ島の雨」の合唱がある。簗田さんもわれらが母校の先輩である。つくづく名誉なこと。

2008.06.11.水 曇 町田

 梅雨の晴れ間か、昨日は快晴、今日も曇天の予報にかかわらず午後は陽光さす。

 秋葉原の事件について、いつものことながら、犯人の動機について議論盛んである。生い立ち、家庭、最近の生活、職場のこと、等々。しかし、こういう議論の背後にあるのは、犯人が何故ああいう行為に至ったかの原因を探ろうとする意図である。

 原因があるから結果がある、それはその通りである。しかし、人の行為について、いや、この世界の出来事すべてについて、因果関係がどれだけ人間に解明できるものだろうか。ここに深い疑問あり。

 因果関係の法則を発見すれば、望まない結果を起こさないためにはその原因をとり除けばいいし、起こさなければいい。反対に望む結果を起こすためには、その原因を作り出せばいい。しかし人はこの世界のどれだけの部分を解明できたのだろうか。ましてや人の心の中のことである。19世紀以来の自然科学の発展の勢いから人は自然科学過信におちいっているのではないか。この世界のどけだけを人は解明できたか、またこれから解明できるものか。ドストエフスキーの小説に、「われらのあわれなユークリッドの理論でこの世界のどれだけが解明できたというのかね」、というのがある。いまならさしづめ、「われらのあわれなアインシュタン、ボーアの理論で」、という所だろう。世界は広く、宇宙は広大なり。そして、人の心は宇宙と同じくらい広大なり。
 最近流行の「いやし系××」というものも同類。人の心がそう簡単にいやせるものか、ああすれば、こうなる、式の、この世界を馬鹿にした、人の心を馬鹿にした考えで、こんなことを考える方がはるかに愚かである。人は永久に世界のすべてを解明することはできない。解明できたとしても、それはほんの一部分にすぎない。次に別な原理が発見されれば、それまで有効とされていた知識は廃棄される。Popperのいうとおり、人が発見したと信じるすべてのものは永久に仮説である。


2008.06.09.月曇と雨 町田

 
昨日の午後、秋葉原で無差別殺人の惨劇。こういう狂人が野放しになっている世では、幕末なみに各人、剣術、柔道など武道を修練して自分を守る用意をするほかない。理由もなければ場所も相手も選ばないのだから予防の仕様がない。人間、次の瞬間何が起こるか分らないというベルグソン哲学の有難くない実現である。

 7日の土曜日の美術番組「美の巨人たち」で、オーストラリア先住民、アボリジンの老女性の不思議な絵を紹介した。そのまま、ニューヨークかパリか東京の近代美術館に作者の名を伏せて展示したら、最先端の抽象派の作品と思われること疑いなしである。この人は80歳からにわかに絵を画き始めた。西洋美術の教育はまったく受けていないし、絵の勉強もしたことがない。その人が画くことも不思議だが、その絵が近代抽象派の様式と見分けがつかない風のものであることも更々不思議である。抽象というものは西洋美術の概念で、この人にはそういうものはないのだろうが。「何を画いているのか」、という問いに対して、「すべてを画く」、というのがこの人の答えである。抽象というのは西洋の観念だが、こういう美意識は結果として同じ風のものが、人間どこの人にも潜んでいるのだろうか。この人はすでに亡い。90歳を超えてまで生きた。いまは、作品が高く売れてるのだそうだ。

2008.06.07.土 晴 町田

 
昨日に続きさわやかな晴、湿度も低く爽快。

 
作品のウソと真実----続

 創作という行為は実に妙なもので、ある条件を外部から付加要請されると、注文に適した音楽が平気で作れる。ラジオ、TV、映画、演劇、CM、宣伝歌、校歌、等々、特別な場合を除いて、いささかの抵抗感があるわけのものでもない。音楽以前の思想的理念的な抵抗は作曲に限ったことではないので話は別である。
 これはどういうことなのだろう。それでけっこういいものが出来て、本人も満足することがある。しかし、条件を一切とり除いて、自分のためにだけ作ろうとすると途端に無限に難しくなり身動きがとれなくなる。だから、実用音楽の分野で多大の実績ある人が、ひとたび純芸術の作品を書こうとすると一歩も進めなくなる事態が生ずる。それでは、目的音楽、実用音楽が当人の意志に反した虚構とかウソの音楽かといえばそういうわけでもない。この辺が実になんとも不可思議である。だから私は、旧ソ連の作曲家たちが政府の命令で、体制に沿った作風の作曲をした時も、彼等の心には目的音楽の作曲と思い込む心の細工があったのではないかと推慮する。政府と国家のCM、スターリンの宣伝音楽というわけである。こう思えば特に抵抗感も生まれない。スポンサーがお気に召せばいい。ただ、この場合でも、理念になんとも賛同しがたい人には苦痛だろう。抵抗感がない人にはCMと同じである。

2008.06.06.金 晴 町田

 さわやかな六月晴となった。

 昔、村山知義さんの「忍びの者」の舞台劇の音楽を担当したことがあった。村山先生ご自身の演出であった。この作品は、はじめは新聞連載の小説、次にこの舞台劇、それから映画TVとひろがった。忍者ブームの元祖である。

 この劇の中で、主人公の石川五右衛門のせりふがある。「あんまりウソをついていると、自分の心の中で何が本当で何がウソなのか分なくなる」。

 これは深刻な言葉だ。ウソつき音楽、と以前書いたが、こうしたウソ音楽を作る人は、ウソをつくつもりはなく、ただ、自分の心の中で自分でも何が本当か分らなくなることがあるのと推量されるからである。自分も時々それに近い心理と意識の状態を経験したことがある。人の心というものは実に以って複雑怪奇で深層不可思議なものだ。これは新しがり型の音楽の場合ばかりではない。プーランクかフォーレ型のしゃれた様式の型をとる音楽でも、これ本当かいな!? とうさんくなる音楽がある。しかしウソでない場合もある。やっかいだ。その人のそれまでの様式と余りにかけはなれた様式の作に接すると疑いたくなる。しかし、それもまたその人のもう一つの面ということもあり。それとやっぱり、本当にウソ、という場合もある。困るのは当人自身が本当かウソか分らなくなっていることだ。
               
2008.06.05.木 曇ときどき雨 町田

 
今日は再び、曇のち雨。

 昨日、アメリカの大統領候補、オバマはアフリカ系でないと書いたが間違いだった。この人は父親がケニア人ということ。訂正。

 作曲家にとって自作をよく演奏してもらうことは死活にかかわることである。しかし、よく演奏するということはどういうことか。ていねいに演奏しようとして、はれものに触るような弾き方をされると困ることがある。さらりとして、例えていえばMozartのような曲を「ていねいに」、さわるもおそろしいような弾き方をされると、曲の肝心のcharacterがどこかへ行ってしまうではないか。こんな迷惑なことはない。過剰「ていねい」型の演奏に出会うと泣きたくなる。演奏する側としては、大事なものだから、大事の上にも大事にひこうとするのだろうが、ソバがのびきったような、スパゲティをゆで過ぎたような音楽に仕立てられたら作者としては泣くに泣けない思いになる。これは日本人だけのことだろうか。

2008.06.04.水 曇ときどき晴 町田

 
今日は梅雨の中休みか雨はなし。有難い

 
アメリカ大統領選挙、民主党の候補がオバマに決まった。この人はアフリカ系ではないが、黒人といわれている。初の黒人大統領候補、やがて当選ののちは大統領になるだろう。いまから50年以上前か、林光君が50年後の世界を予測する記事をどこかに書いた。「アメリカで初の黒人大統領が誕生」と書いた。みごとにあたった。ヒラリー夫人は惜しくも敗れたが、この人も初の女性候補である。どちらも初登場の候補ということになる。ヒラリーは多分副大統領候補になるだろう。正副が組んで選挙にのぞむことになるから、これはきまりといっていいだろう。不吉な話で考えたくないが、大統領にもしものことがあれば副大統領が昇格する。アメリカという所は暗殺が横行するおそろしい風土の国である。日本の幕末も暗殺が横行した。しかし、非常の時代ならず平時になればこうした風潮が横行することは感心できない。アメリカは自由と民主主義の国と自他ともに称し、それはうそではないのだが、同時に差別と暴力の国の面がある。両方がこの国の正体であろう。個人も国も同じ、人と人の世は一つの面だけでできているのではない。これ以上不吉なことは起こらないことをいまはただ祈る。

2008.06.03.雨 町田

 
朝から本格的雨。気象庁は関東も梅雨入りと宣言。例年より早いとのこと。

 町田のコンピュータ、virus busterが不調、削除できずに残留している前のソフトと衝突としているらしい。そのため、全部いったん削除したら順調になった。一日おいて再入力したらやはりおかしい。ついに再削除、これで順調。このままで使うことにする。busterなしの非武装まるはだかである。。virusが付いたらそのときに再入力するか。こういう器材は中がどうなっているのか見当がつかず、奇奇怪怪。

 Frederic Deliusのorchestra作品集を聴く。とてもいい。水彩画のような音楽。音楽の本義とはなんだろうか、何度も考えなおす。心の真実を正直に表わすものでそれはあろう。それが難解な型になることもあるかもしれぬ。しかし、それが真実であれば人は理解してくれるだろう。難解であっても。しかし、ウソはだめだ。心にもないことを、知識、見聞、小手先でこねあげるのは犯罪的だ。日本だけのしろものではない。欧米にも、こういうものは、いまははいて捨てるほど並んでいる。唾棄すべき詐欺音楽、うそつき音楽。

2008.06.02.曇のち雨 町田
  
 Violinとpianoの曲が出来たあと、しばらく考える時を持つ必要を痛く感知した。考えている内 、、自分の作風があきらかに転換期を迎えていることを思い知った。ひと区切り。いままでの仕事がすべて物足らなく思える。これからは未知の世界へ入ることになろう。自分は高齢になってから創作が旺盛になったが、これまでの人生の中でしばしばかなり永い沈黙期があるので、空白期を取り除けば普通の人の平均と同じになると思う。

ラジオで知った。

 インドネシアという国は第二次大戦後に建国成立した。それまではオランダの植民地で、「オランダ領インドシナ」、「蘭領インドシナ」、略して「蘭印」(らんいん)と呼ばれていた。1945年、日本の敗北降伏で太平洋戦争が終った時、この国に駐留していた日本軍の中で帰国を望まず現地に残留した兵士たちがいた。その数約2000人。彼等はその後オランダ相手の独立戦争に参加して約1500人が戦死した。インドネシアでは彼等は英雄として国立墓地に祀られている。民族の独立闘争に協力した人たちだから。

 この話はなぜかほとんど知られていない。戦争中のアジア諸国での日本軍の悪行だけがやたらと伝えられる。インドネシアでは、かつての支配者オランダは、現地の人たちに組織運営などの技術能力を故意におしえなかった。イギリスがインドでやったやり方だ。日本軍は民兵組織を作り教育訓練した。日本軍も自分の利益のためにやったことだろうが、この経験が独立戦争に役だった。
 敗戦なのに帰国しなかった日本兵の動機理由はさまざまだった。帰りたくない、おめおめと帰れない、現地に情が出来た。等々いろいろ。しかし1500人もの人が命を落としてこの国の独立のために協力し感謝されていることはもっと知られていい。顕彰されてもいいことではなかろうか。
 インドネシアでは全般的に日本軍は評判がよかったようだ。ピアニストのリリー・クラウスとヴァイオリニストのシモン・ゴールトベルクが、演奏旅行のため開戦時インドネシアに滞在して日本軍の管理を受けた。その時、クラシック音楽が好きな日本軍兵士が応対にあたり、二人を敬意をもって遇した。そのため、両人は日本に対しておおきな好意を持つようになった。この話は何度が聞いた。フィリピンでは日本は散々な悪評を持たれた。大激戦地になり、しかも負け戦である。追いつめられた日本軍が蛮行におよんだのはそうした事情があった。それに比してインドネシアは戦争末期の状態がそこまで過酷でなかったのだろう。時の事情が違うため、兵士の行状と現地とのかかわり方に大きな違いが生じた。フィリピンの場合は双方にとってこの上ない不幸な結果が残った。

 残したものが悪評にせよ、比較的な好評にせよ、戦争はいいことではない。しかし、戦死した人たちにすべての罪があるわけではない。いささかなりとも、現地の人に悪く思われない行為を残した人たちについては、もっと語り継ぎをしてあげるべきだろう。

2008.06.01.晴 町田

 三日降り続いた雨がようやくやんだ。今朝は四日ぶりに陽光あふれる朝となった。自然に意志があるわけではないが、天に感謝したくなる。昔、チエホフ原作のソ連映画があった。黒海の沿岸で雲の間から陽光がさす。老いた羊飼いがひざまずき、天を仰いで神に感謝の祈りをささげる場面があった。自然への感謝の心を忘れたくない。

 ドストエフスキー作「大審問官」の中に、「民衆がもとめるものは自由ではなく平穏ではないのか」という一節がある。
 自由、それは確かに魅力的だ。しかし他面、これほど始末に悪いものはない。自由になれば望むものは得られるはずだが、得るための方法と、得たあとの結果についてすべて責任を持たなければならない。自由を得る方法から自分で考えなければならない。共産圏が崩壊したあと、それらの国の人々が当惑、困惑したのもこのことだった。

 自由と平穏、人の心の中にはいつもこの二つへの願望がある。芸術では、前衛と保守、二つの方向への指向となり、政治では、革新政党と保守政党になる。時により、どちらかが優位となる。しかし、特別の場合以外、平穏をもとめる場合の方が多いだろう。だからドストエフスキーもこういう言った。政治の世界でも、特殊な場合以外、保守党の方が優位である。ただし、平穏が余り永く続き過ぎると変化をもとめる欲求が高まり、自由をもとめる革新側が進出する。
 オリから出された動物が自分でオリに戻っていたという話も聞いた。エーリヒ・フロムの「自由からの逃走」である。最近の作曲界で不快なことは、「前衛」を自称しながら、実体は「前衛」の名ををかたる偽称音楽が多いこと。ごまかしだから保守でもない。「前衛」という名のオリに入っている嘘つき作曲。芸術は何をしてもいいが嘘だけいけない。想像力も、創造力も、憧憬の心もない偽造食品音楽だ、こういうものは。日本だけではない。

2008.05.30.木 雨 町田

 昨日は、雨の中、日本演奏連盟のパーティで東京会館へ。以前は年末に開催されていたが、一時中止となった。年々、出席者が減って自分も行かなくなった。年に一度、旧友知友に会える機会と思っていたが、出席者が少なくなっては意味がない。こんどは会場も新たに季節も変えて再開された。めずらしい知友に会えて行ってよかった。一番嬉しかったのは五十嵐喜芳君との再会だった。彼は旧懐を心底から感激していた。夫人も作曲科の同期である。若い時の友人はいいものだ。歳をとってそのことが身に沁みる。互いに永い人生の道を歩いてきた。苦楽ともども、花も嵐も超えて生きてきた。五十嵐君は、いまは昭和音楽大学の学長。経営も順調、新校舎の新設もすんで幸福な生き方をしている。慶賀にたえない。

 町田のコンピュータは、virus busterを一時削除したら回復した。古いソフトが邪魔していたことになる。最入力しなければならないわけだが、恐怖を覚える。このまま丸裸でもいいような気がする。昨日も今日も雨、明日も雨らしい。今年の五月は日照時間が少なかったそうだ。

2008.05.27.火 晴 町田

 爽快な五月晴れ。ヒカリ通信に切り替える時、virus-busterを削除した。丁度、softの一年期限が切れる時なので、新しいのを入力する。virusの総検査を始めると途方もない時間がかかる。三時間以上かかっても三万台しか進まないので、終了すればshut-downの指示をして昨日は帰った。今日、来てみると完全終了していたが、まだ、打ち込んでも速度がひどくにぶい。少しずつ戻っているので、これは時間がたつまでやむをえない。

2008.05.25.日 雨のち曇 町田

昨日の夕方から降りだし、今朝はしとどに降る。昼頃やんだ。

 昨日24日は芸大の同窓会、同声会の総会と懇親会。懇親会は四時から、学校の食堂が会場。この食堂は「キャッスル」という名で私たちの在学時代からのもの。職員、学生の共用で、ここで、先輩、同輩、先生たちと親しく交わる場だった。あの学校はたいした教育はしてくれなかったが、この「キャッスル」だけは得難い人の交わりの場だった。福本さんという一家がまかないをしていて、当時、中学生だった「ゆたか」君が現在の当主。当時は「ユタカちゃん」、と愛称で呼ばれていた。中学の学生帽をかぶって仕事をしていた。昨日は、食堂前で自転車でこちらへ来る「ユタカちゃん」と出会った。「やぁ!おひさしぶり、お元気ですか」となつかしそうに声をかけてくれる。こちらも答える。この人は昔の学生一人々々を全部覚えている。学内売店の「大関」の小母さんもそうだった。10年程前に私の作品が演奏される演奏会に小母さんが来ていた。「あんたの作曲聴きにきたよ」、「お兄さん元気か、お姉さんは?」と家族構成まで覚えている。亡くなった時、朝日新聞に「芸大のお母さんが死んだ」の見出しでかなり大きな記事が写真入りで出た。この人はみんなのお母さんだった。先生も学生もこの売店の小母さんの前では小母さんの子供みたいになる。人と人とが疎遠ないまの世の中ではこんな人間関係は珍しいだろう。
 私たちも後期高齢者になった。「ユタカちゃん」も還暦をとうに過ぎただろう。大関の小母さんもいまは亡い。「ユタカちゃん」のお姉さんは八重子ちゃんという人もお店を手伝っていた。明かるい可愛い人で働きぶりがいかにもかいがいしかった。八重子ちゃんはピアノ科の人と結婚して九州へ行ったと聞いた。八重子ちゃんは「アルト・ハイデルベルク」の「ケティ」だった。
 はるかなり青春の日々。芸大は、旧制高校的気質を残した学校である。建物がすっかり新しくなり「キャッスル」も昔日の建物ではない。仕方ない。明治以来の木造建築のままでいるわけにはいかない。星移り、時は変る。

 今晩はMXTVの番組でKarajanのTchaikowsky No.6. Pathetiqueの放送がある。先週はNo.5.だった。すさまじい迫力。地震と雷が一緒に来たみたいだった。


2008.05.23.金 晴 町田

 諸事、庶事のため、仕事場に来れなかった。19日以来、四日間の欠席。この間、自分の語法についてずいぶん考える羽目になった。意図を鮮明にするため、語法様式を純化して、しぼりこみたい衝動が強く、熟慮推考したが、どうしても純化整理は出来ない。多様なものが混在しなければ自己表現ができないことが、とどのつまり到達した解答になった。自分の中に、多様にして、時に矛盾する欲求衝動がひしめいている。これをなんとかして統治していかねばならない。芸術は政治に似ている。純化統一は貧困化を意味することがある。これも政治と同じ。

 ある本で自分の間違いを知った。「真白き富士の根」という歌の題。NHKの「名曲アルバム」で「根」と書いてあったので、「嶺」の誤りであろうと思った。ところが、「根」が正しいのだそうだ。富士山の根っこに江ノ島がある、という意味だそうだ。いささか無理な言い方とは思うが、これが原文となれば致し方ない。「真白き富士の根、緑の江ノ島」というわけ。NHKに投書しなくてよかった。

理解不可能なり怪事件

 このサイトを読んでくださる方々もかなりおられるようで、有難いことである。私は、なるべく否定的なことは書かないようにしてきた。そういう書き方をすると自分がみじめになり、気分がとげとげして、読んだ人も余りいい気分にならないのではないか、そんな風に思う。若い時からそうだったわけではないから、ある年齢の頃から少しずつ人生経験のもたらした教訓であろう。だから、いまここに書くことは好んでのことではない。

 「サザン・オール・スターズ」という音楽グループがある。あるらしい。それが来年から活動を休止するそうだ。そのことを報道機関は天下の一大事みたいに騒いでいる。私は聞いたことがなかったので、はじめて聞いて見た。
 まことに意外、心外、不可解。何がいいのか皆目分らない。まったく分らない。自分も大衆音楽の喰わず嫌いではない。洋物、日本物、時に歌謡曲のあるものすら好きである。ここで肝心なことは、対象を自分の好みだけで判断せずに、自分の好みを一旦保留して、自分は好きではないが、こういうものを好きな人もいるであろう、という他者を推測をすることである。自分の好みを相対化して、対象を見る、聞く、そういうことが人は出来る。人にはそういう能力が備わっている。普段なかなか使わないだけのことで、誰でもそれはその気になれば出来るものである。ましてや自分は音楽のプロだからそれは出来る。出来るし、普段から訓練もしている。そうした見方、聞き方で、このグループを苦心して見聞するのだが、全く分らない。どこがいいのだろう。個性もなければ、発明もない。リズムもビートも旋律も、もちろんのこと、和音コードも、どこにも独自なものや新鮮なものが全くない。これまである既存のこの種の音楽をコンピュータにかけて混合するとこういうものが出来るだろう。そうとしか思えない。

  しかし、ここまで分らないとなると却って心配になる。おかしなものがはびこっている世の中がどうかしているのか。あるいは、自分の方がおかしいのか・・・・・???????