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| 由緒 |
平安時代、菅原道真公が九州太宰府で望郷の思いかなわず没した延喜3年(903)2月25日、
その御意を全国に広めるべく、陰陽博士(おんようはかせ)の紀友成(きのともなり)は、
菅公の御影を背負い日本回国のたびに出発し、同年5月25日、当村へお立ち寄りになりました。
村人たちは村の鎮守とすべく道真公の絵姿を絵姿を乞い、村内の清浄な地を選び小さな祠を建立し、
併せて神代の神々より武夷鳥神、火雷神をお祭りしたことが当社の創建といわれております。

社殿が建てられたのは、天暦3年(949)9月25日のことですが、次第に荒廃してゆきました。
時代は下り治承元年(1177)4月、曾我兄弟の祖父伊東入道祐親(すけちか)は
信濃国へ向かう途中、当社へ立ち寄り、お参りなさいました。
村長より当社の由緒を受け取った祐親はこれを閲読し、
「菅公は藤原時平の讒奏(ざんそう[他人のことを悪く奏上すること])により流罪されたお方です。
菅公をおまつりしているお宮がこのように荒れ果てているのは大変残念なことです。
今すぐに宮殿を再建しなさい」
とおっしゃり、御寄進くださいました。

それから100年余り経た鎌倉時代の元弘3年(1333)、全国各地で反北条の軍が起こりましたが、
当地方でも、新田義貞が上野国に挙兵し、時の執権北条高時を攻め込み、
その結果、鎌倉幕府は滅亡へ追い込まれるわけですが、その際の戦火で当社の社殿も焼失してしまいました。
しかし、2年後の建武2年(1335)2月25日、今度は村民の手によって社殿が再興されました。
江戸時代に入り、延宝4年(1676)12月、地頭の伊東刑部左衛門により社殿が増改築され、
道真公の衣冠束帯図額面が奉納されました。
また、享保14年(1729)3月には、代官松村団右衛門により紺紙金泥の法華経が奉納されました。
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当社は往古より天満宮(天神さま)と称されておりましたが、明治初年に菅根神社と改称されました。
菅根神社という社名は、道真公の後任として春宮侍読(とうぐうじどく)を務めた藤原菅根の名に由来します。
明治5年(1872)に村社に列し、明治11年(1878)前教部卿嵯峨実愛公染筆の額面が同公より奉納されました。
明治33年(1900)3月19日、郷社に昇格し、翌年11月13日には菅原神社と改称されました。
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昭和27年、菅公1050年祭が盛大に執り行われ、
境内には菅原道真公、浦島太郎、宮本武蔵、佐々木小次郎などの人形が飾り付けられ、参詣者でにぎわいました。
昭和48年、社殿の屋根の葺き替えが、
平成4年には平成御大典奉祝記念境内整備が行われました。
平成14年の道真公御神忌1100年大祭には多くの氏子崇敬者が参列されました。
平成18年に社殿の改築工事が行われており、まもなく往事をしのぶ天神さまのお宮が再現されます。

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| 祭日
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境内神社
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宝物 本殿には、天神となった菅原道真公が入宋し、高僧無準師範(ぶじゅんしはん)に参禅したという説話に基づく渡唐天神像二体が奉安されています。そのうちの一体には寛政2年(1790)の銘が見られます。
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