『ミステリ百科事典』を読み解く



第1回 『ミステリ百科事典』の魅力と歴史


 間羊太郎という名前が日本のミステリー界にわずかながらに名を残しているのは、『ミステリ百科事典』を書いたからだと言っていいでしょう。それだけ、本書が過去・現在のミステリー関係者に与えた影響は大きかったと思われます。今も現役のミステリー作家、評論家の人たちにもファンは多いようです。そんな『ミステリ百科事典』の魅力と面白さについて書いていこうと思います。

 本書の内容については、社会思想文庫版の折り返しにある文章がとても的確なので、以下に引用します。

 かつて江戸川乱歩はカーの『三つの棺』の中で探偵役が密室講義をする件に触発され、全トリックについて、「こういうものが書けたら面白いだろうという野望のようなものを持」ったという。その野望は一般向けの読みものとしては一部しか実現されなかったが、実際にはこの『ミステリ百科事典』のようなものを考えていたのかも知れない。

 SF・怪奇小説から純文学にまで及び、身近な素材からトリックの千変万化を説き起こしてゆく本書は、さながらミステリーの博物誌という趣があり、ミステリ・マニアはもとより一般の読者にも、興味をそそる一大パノラマを望見させること間違いない。

 本書の目次は、人体(眼・手・血・首)、生物(猫、犬、虫、花)、風物(雪、氷、クリスマス)、事物(電話、時計、人物、蝋燭、手紙、郵便、遺書)という四つの章で構成されています。

 例えば「血」の項目をあげると、血液、血液型、出血、内出血、凝血作用、血友病、血痕、と更に細かく分けられ、関連するミステリーが取り上げられています。また、「犬」や「猫」の項目ではその起源や習性についての面白いウンチクが書かれていて、小説以外の知識も得ることが出来ます。分野の広さと、それぞれの項目に対する考察の深さは『百科事典』の名に値するだけのものがあるでしょう。

 本書には、国内外の400以上の作品が取り上げられています(詳しくは別ページの資料編をご覧下さい)。しかも単なる紹介に留まらず、そのキモとなるトリックについて触れられていて、短篇やショートショートでは要約といって良いほど全部ネタが割られています。

 それは困るとお思いの方も多いでしょうが、教養文庫版の新保博久さんの解説にもある通り実害はほとんどありません。全編ネタバレの嵐なので、どの作品がどのトリックかとても覚えきれないでしょうから。

 これは本書を何度も読んだ私が、後追いで作品を読んで全く問題なかったので、実感として言うことが出来ます(まあ私の記憶力が悪すぎるという可能性もあるかもしれませんが)。

 『ミステリ百科事典』は雑誌「宝石」にて1963(昭和38)年から1964(昭和39)年にかけて連載されたものをまとめたものです。

 昔の探偵小説ファンは良くご存知かと思いますが、「宝石」は戦後まもない1946(昭和21)年に創刊された推理小説専門雑誌です。創刊号には横溝正史の『本陣殺人事件』が連載を開始し、その後香山滋、島田一男、山田風太郎、高木彬光らを輩出するなどして、当時のミステリー界の中心的な雑誌として確固とした地位を築きあげました。しかし、1950年頃から会社の経営が苦しくなり、原稿料などの支払いが滞るようになりました。

 そうした中、1957(昭和32)年に、江戸川乱歩が編集長となり、私財を投入して経営を安定させ、新編集長として紙面の刷新をはかることで、雑誌は生まれ変わりました。しかし、江戸川乱歩が病気のため編集長を退いた後、再び会社は経営難に陥り、1964(昭和39)年5月号をもって、「宝石」は廃刊となりました。

 『ミステリ百科事典』はそうした「宝石」の末期に連載を開始し、1964(昭和39)年の雑誌廃刊をもって連載終了となりました。その後、タイトルを変えて、新「宝石」(光文社)、「別冊宝石」、「推理ストーリー」などで連載は細切れに続きましたが長続せず、「ミステリ百科事典」は「宝石」廃刊とともに終ったといって良いでしょう(ちなみに、連載最終回のタイトルは「遺書」でした。偶然の一致でしょうか?)。

 連載終了から8年の歳月を経た1971(昭和46)年、ようやく三崎書房という出版社から『ミステリ博物館』という書名で単行本(新書サイズ)として刊行されました。

 その後、社会思想社より『ミステリ百科事典』として、1981(昭和56)年に文庫化されました。これはミステリー評論家の新保博久さんが文庫化の企画を持ち込んで実現されたそうです。

 この際に、『ミステリ博物館』に収録されなかった連載分を追加し、巻末には作中で取り上げられた作品を全てリスト化した索引がつけられました。またそれぞれの項目に対して該当する他の作品を「補遺」として追記するなど、新保博久さんによる途方もなく手間のかかる校訂が施されています。

 この文庫化によって、『ミステリ百科事典』はようやく知名度を得て幅広く愛読されるようになり、版を重ねることが出来たようです。私が新刊として入手したのが1994、5年ですから、10年以上長く読まれ続けてきたはずです。しかし、2003年に版元の社会思想社が倒産してしまい、残念ながら現在は絶版状態です。ぜひ復刊を望みたいところです。

 第一回はここで終わりです。次回からは、『ミステリ百科事典』で実際に取り上げられた作品を紹介しながら、式貴士絡みの周辺事情などにも触れていきたいと思います。

 と言いつつ、どの作品について書くか決めていませんので、何かリクエストがあれば是非お寄せ下さい。お待ちしてます。

参考文献 『蘇る推理雑誌10「宝石」傑作選』(光文社文庫)

04.06.26公開